2014年11月24日

ペコロスの母に会いに行く 岡野雄一

ペコロスの母に会いに行く 岡野雄一 西日本新聞社

 「ペコロスの母に会いに行く」は、ペンネームがペコロス(外国語で小さいたまねぎ、意味を転じてはげ頭)の息子である60歳過ぎの漫画家岡野雄一さんが、認知症グループホームに入所している90歳過ぎの母親みつえさんに会いに行くことです。内容は漫画とエッセイです。
 本の内容は、笑えます。前半は、おもしろ過ぎて、笑い転げました。そして、「平和」です。過去はいろいろあったけれど、今は、時が止まったような、陽だまりにいるような暮らしなのです。ぼけてしまった母親の言動と、はげを売りにする著者のキャラクターを中心にして、時々、著者の弟さんとか、著者の息子さん(みつえさんからみると孫)がからんできます。後半はマザコンぽくなるのですが、被爆地長崎市らしく、反戦の誓いが強く伝わってきました。
 だれしも老後が訪れます。介護するもされるも、明日は我が身です。両方を体験します。下ネタ記述に笑わされます。もう、人目を気にするわけにもいきません。恥ずかしいとは言っておられません。恥ずかしいところも万人の目にさらさなければならぬのです。
 過去にあった人生の苦労はとても重い。されど、認知症になって、残っているかけらは、苦労をかけられた夫に対する愛情でした。本当なら恨んでも(うらんでも)いいのに、みつえおばあさんは、亡き夫を慕い続けます。夫婦というものは、法律や、規則という物さしで測れるものではございません。
 父親に関する記述には考えることがありました。父親は人嫌いで病的に内向きな性格だったとあります。アルコールで気を紛(まぎ)らわせていた。家の外では別の人格を演じていた。人格が破たんしていた。幻聴と幻覚があった。それでも、大過なく造船所の仕事で定年を迎えられたのは、終身雇用、年功序列、労働組合という制度のおかげでしょう。加えて、似たような家庭が周囲にあって、お互いに助け合う集団意識があったからでしょう。自分が、中学1年生の頃、昨日食べた夕食を書きだすという授業があって、おそらく、今時そんな学習課題を出したら私生活の侵害だと大騒ぎになるのでしょうが、結果、どこの家も貧相なおかずでした。インスタントラーメンの家が多かった。貧しいのはうちだけじゃないとほっとしたことを覚えています。
 後半は、美化された子供時代を表現されています。それはそれでいい。思い出は美しいほうがいい。

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