2024年11月12日
おじいちゃん、死んじゃったって。 邦画 2017年
おじいちゃん、死んじゃったって。 邦画 2017年(平成29年) 動画配信サービス
森ガキ侑大(もりがき・ゆきひろ)監督 岸井ゆきの、美保純、岩松了、光石研、水野美紀
江口のりこさんが出演された、『愛に乱暴』が上出来だという評価をたくさん見て、同じ監督作品のこちらの作品をテレビで観てみました。
壊れた家族関係の修復・再生話ですが、う~む。ちょっとまずかったような。表現の手法が独特で極端でした。
映画は監督のものです。監督のものですから、監督の脳みその中にある世界が映像化されています。
監督の世界を入れ込み過ぎた映画です。
家族関係のまとめ方もじょうずではない。
謝ったからといって許されるものではない言動もありました。
タバコ映画です。観ていて不快でした。
そして、アルコール依存かと思うほどの、中年おやじ兄弟の飲酒が強調されるアルコール映画です。酔っ払えばケンカになります。葬式では、お金のことでもめたりもします。
さらに、若い男女のエッチシーンとか、女子高生の喫煙、飲酒シーンとか、鑑賞しているほうは、引く思いです。まあ、監督はそれでもかまわないのでしょう。
死んだので、話の中心にあるべきおじいちゃんが、どんな人間だったのか、紹介がありませんでした。(認知症になっているおばあちゃんについての思い出話はありましたが、おじいちゃんの詳細は不明なまま終わってしまいました。おじいちゃんの人物像は最後までわからずじまいでした)。
リアルではありますが、現実にある出来事が、みんな映画にあるようなふうとは思えず、ちょっと描き方が極端かなと思いました。
まあ、思い切った描写です。
祖母の放尿シーンが二度ほどあります。
隣保(りんほ):隣近所の人々。組織。
さて、おじいちゃんが80歳ぐらいで、まあ病気で亡くなったのです。
観ているわたしはおじいちゃんなので、死んじゃうほうの立場です。
長いこと生きてきましたので、お葬式の体験は何度もあります。参列する立場も主催する立場も体験しました。
まあ、映像を観ていて思うのは、みな、だらしない。
人が死んだというのに、おじいちゃんを偲んで(しのんで)くれる人が少ない。
じいちゃんが死んでも悲しくないようです。
そんなに、交流がないおじいちゃんだったのだろうか。どうしてもじいさんの葬式に行かなきゃいけないのかと言う親族もいます。
礼服をもっていないからと行けない理由を言います。(行きたくないのです。まあ、そんなふうなら、来てもらわなくていいです(死んだおじいさんの声が聞こえてきそうです))。
息子の嫁さんが通夜も葬儀も出ないので不思議だったのですが、息子夫婦は、離婚していました。元嫁です。
娘(孫)が一番おじいちゃん思いでした。葬式に母親も顔を出すべきだと母親(亡くなった祖父の息子の元嫁)に抗議をしていました。
だらだらとした孫の男子たちです。
『(世間体があるから(せけんてい))葬式が終わるまでは、幸せな家族のふりをしましょう。』
そんなセリフが、だれかから出ます。
ダイハツエッセという軽自動車を運転している元嫁です。わたしも昔、その軽自動車を2台目の車として、愛用していたことがあります。車体が軽い小さな車で、ダッシュする力が強く、小回りもきき、自転車感覚で運転できるいい車でした。
みんないいかげんな人間です。見ていて哀れ(あわれ)です。
(火葬場にて、棺桶のなかで眠るご遺体に)『今まで、お疲れさまでした。』(わたしも何度か、その言葉をかけたことがあります)。
『老いる』ということ。『人である』ということ。
昔をふりかえっての出来事話では、おばあさんはとてもやさしかった。
(そのおばあさんが、今は認知症で、『おたく、どなた? 初めまして』の世界にいる。おばあさんがそう声をかける相手は、自分が産んだ息子や血のつながりがある孫たちです)
祖父と孫のつながりの薄さは、世の常(つね)、現実なのか。
後半の食事会のシーンがいい。
やっぱり、みんなでテーブルを囲んで、ワイワイやりながら、飲食をともにすることは心の交流の面でいいことです。人の悪口なんぞ言わず、まずはおいしいお寿司を楽しむのです。みんなでいっしょにごはんを食べることは大事なことです。
最後に、親族の集合記念写真を撮ることも大事なことです。
もう二度と、同じメンバーで、集合写真を撮ることは、たいていないのです。
『ありのままでいい』、『ありのままはだいじ』、身内ですから、気取る必要もありません。
ばあちゃんはすごい。
花火、ミュージカル、舞台、ステージのようでした。
こどもが欲しかった。
子孫をつなぐことは、人間の本能です。
インドが出てきます。
宗教的でもあります。
う~む。いまいち、趣旨がわかりませんでした。
されど、江口のりこさんの、同監督の『愛に乱暴』は、良作と聞きました。
森ガキ侑大(もりがき・ゆきひろ)監督 岸井ゆきの、美保純、岩松了、光石研、水野美紀
江口のりこさんが出演された、『愛に乱暴』が上出来だという評価をたくさん見て、同じ監督作品のこちらの作品をテレビで観てみました。
壊れた家族関係の修復・再生話ですが、う~む。ちょっとまずかったような。表現の手法が独特で極端でした。
映画は監督のものです。監督のものですから、監督の脳みその中にある世界が映像化されています。
監督の世界を入れ込み過ぎた映画です。
家族関係のまとめ方もじょうずではない。
謝ったからといって許されるものではない言動もありました。
タバコ映画です。観ていて不快でした。
そして、アルコール依存かと思うほどの、中年おやじ兄弟の飲酒が強調されるアルコール映画です。酔っ払えばケンカになります。葬式では、お金のことでもめたりもします。
さらに、若い男女のエッチシーンとか、女子高生の喫煙、飲酒シーンとか、鑑賞しているほうは、引く思いです。まあ、監督はそれでもかまわないのでしょう。
死んだので、話の中心にあるべきおじいちゃんが、どんな人間だったのか、紹介がありませんでした。(認知症になっているおばあちゃんについての思い出話はありましたが、おじいちゃんの詳細は不明なまま終わってしまいました。おじいちゃんの人物像は最後までわからずじまいでした)。
リアルではありますが、現実にある出来事が、みんな映画にあるようなふうとは思えず、ちょっと描き方が極端かなと思いました。
まあ、思い切った描写です。
祖母の放尿シーンが二度ほどあります。
隣保(りんほ):隣近所の人々。組織。
さて、おじいちゃんが80歳ぐらいで、まあ病気で亡くなったのです。
観ているわたしはおじいちゃんなので、死んじゃうほうの立場です。
長いこと生きてきましたので、お葬式の体験は何度もあります。参列する立場も主催する立場も体験しました。
まあ、映像を観ていて思うのは、みな、だらしない。
人が死んだというのに、おじいちゃんを偲んで(しのんで)くれる人が少ない。
じいちゃんが死んでも悲しくないようです。
そんなに、交流がないおじいちゃんだったのだろうか。どうしてもじいさんの葬式に行かなきゃいけないのかと言う親族もいます。
礼服をもっていないからと行けない理由を言います。(行きたくないのです。まあ、そんなふうなら、来てもらわなくていいです(死んだおじいさんの声が聞こえてきそうです))。
息子の嫁さんが通夜も葬儀も出ないので不思議だったのですが、息子夫婦は、離婚していました。元嫁です。
娘(孫)が一番おじいちゃん思いでした。葬式に母親も顔を出すべきだと母親(亡くなった祖父の息子の元嫁)に抗議をしていました。
だらだらとした孫の男子たちです。
『(世間体があるから(せけんてい))葬式が終わるまでは、幸せな家族のふりをしましょう。』
そんなセリフが、だれかから出ます。
ダイハツエッセという軽自動車を運転している元嫁です。わたしも昔、その軽自動車を2台目の車として、愛用していたことがあります。車体が軽い小さな車で、ダッシュする力が強く、小回りもきき、自転車感覚で運転できるいい車でした。
みんないいかげんな人間です。見ていて哀れ(あわれ)です。
(火葬場にて、棺桶のなかで眠るご遺体に)『今まで、お疲れさまでした。』(わたしも何度か、その言葉をかけたことがあります)。
『老いる』ということ。『人である』ということ。
昔をふりかえっての出来事話では、おばあさんはとてもやさしかった。
(そのおばあさんが、今は認知症で、『おたく、どなた? 初めまして』の世界にいる。おばあさんがそう声をかける相手は、自分が産んだ息子や血のつながりがある孫たちです)
祖父と孫のつながりの薄さは、世の常(つね)、現実なのか。
後半の食事会のシーンがいい。
やっぱり、みんなでテーブルを囲んで、ワイワイやりながら、飲食をともにすることは心の交流の面でいいことです。人の悪口なんぞ言わず、まずはおいしいお寿司を楽しむのです。みんなでいっしょにごはんを食べることは大事なことです。
最後に、親族の集合記念写真を撮ることも大事なことです。
もう二度と、同じメンバーで、集合写真を撮ることは、たいていないのです。
『ありのままでいい』、『ありのままはだいじ』、身内ですから、気取る必要もありません。
ばあちゃんはすごい。
花火、ミュージカル、舞台、ステージのようでした。
こどもが欲しかった。
子孫をつなぐことは、人間の本能です。
インドが出てきます。
宗教的でもあります。
う~む。いまいち、趣旨がわかりませんでした。
されど、江口のりこさんの、同監督の『愛に乱暴』は、良作と聞きました。