2024年03月12日
イチケイのカラス 邦画 2023年
イチケイのカラス 邦画 2023年(令和5年) 1時間58分 動画配信サービス
同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。
タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。
登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。
始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。
黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。
内容は、う~むというものでした。
あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。
町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。
昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。
また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。
小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。
わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。
しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。
映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。
裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。
『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。
正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。
娯楽作品にしては、内容が暗かった。
最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。
言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。
青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。
マンガ本を読んでいるようでもありました。
映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。
ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。
BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。
国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。
立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。
工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。
『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです)
立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。
裁判官が変えられてしまいました。
基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。
緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。
お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。
町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。
弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか)
根っこが違うような気がします。
今回の題材は、『正義』の話ではありません。
法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。
頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない)
船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。
汚染物質は、有機フッ素化合物です。
裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。
国益って何だろう。
便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった)
う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。
同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。
タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。
登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。
始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。
黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。
内容は、う~むというものでした。
あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。
町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。
昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。
また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。
小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。
わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。
しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。
映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。
裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。
『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。
正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。
娯楽作品にしては、内容が暗かった。
最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。
言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。
青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。
マンガ本を読んでいるようでもありました。
映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。
ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。
BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。
国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。
立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。
工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。
『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです)
立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。
裁判官が変えられてしまいました。
基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。
緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。
お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。
町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。
弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか)
根っこが違うような気がします。
今回の題材は、『正義』の話ではありません。
法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。
頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない)
船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。
汚染物質は、有機フッ素化合物です。
裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。
国益って何だろう。
便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった)
う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。