2023年04月29日

じい散歩 藤野千夜

じい散歩 藤野千夜(ふじの・ちや) 双葉社

 なんだかテレビ番組みたいなタイトルです。『ちい散歩』とか『じゅん散歩』です。

 ふたり合わせてもうすぐ180歳とあります。
 高齢者ご夫婦です。

明石新平(あかし・しんぺい):89歳。男5人女4人の長男として生まれた。長身でがっちりした体、若い頃は見た目のいい青年だった。戦争体験者。召集令状が来て、軍人として訓練を受けた体験あり。現在は、年金収入と不動産賃貸収入で生活している。70代まで、自営業「明石建設」社長だった。いまはもう明石建設はない。

明石英子(あかし・えいこ):88歳。明石新平の妻。夫とはご近所さんだった。お互いに顔見知りだった。新平が17歳、英子が16歳のときから交際を始め、いろいろ経過があって、7年後の昭和24年に結婚した。体格は豆タンクのようなおばあさん。

長男 明石孝史:52歳。未婚。高校中退後、無職。両親と同居。ひきこもり。

次男 明石健二:50歳。未婚。よそで暮らしている。オネエ。女装していている。

三男 明石雄三:48歳。未婚。両親にお金の無心をしている。(むしん。せびる。ねだる。たかる)体重は100キロオーバー。グラビアアイドル撮影会のような仕事をしている。ぬいぐるみが好き。

 第一話から第十話まであります。すべてのタイトルの冠に(かんむりに)『秘密』という言葉が付いています。なんだかおもしろそうです。

『第一話 秘密の部屋』
 マイペースな老いた夫と妻です。夫は夫のやりたいことをやり、妻は妻のやりたいことをやります。
 もうおふたりとも九十歳近い。
 
 読み手としてですが、地方で暮らしていて思うのは、東京で生まれて、東京で育って、東京で人生を完結させる人は『東京=日本』という意識なのでしょう。
 狭い世界で過ごす人生なのですが、実感はないのでしょう。
 いいとかわるいとかではなく、そのような人生の人もいます。

 主役のじいちゃん明石新平89歳は、東京都豊島区椎名町の自宅から池袋まで25分ぐらいかけて歩きます。思い出散歩です。
 明石新平はじいちゃんですが、孫はいません。男三人兄弟の息子は、いずれも未婚です。なんだかさえないけれど、明石新平夫婦はめげていません。ただ、最近、奥さんがわけもなく朝、涙を流しているらしい。認知症の気配が近づいてきているようなようすがあるそうです。

 散歩しながらの明石新平さんの思い出話の部分を読んでいると、これまで生きてこられたのは、主人公もそうですが、自分自身も奇跡だと思うのです。
 人生には、命を落とす危険がいっぱいあります。病気やケガ、事件や事故、自然災害もあります。もしかしたらこの先、戦争もあるかもしれません。
 人にはあまり言いませんが、自分もこれまでに何度か死にそうな体験をしてきました。ほかの人たちも同様だと思います。生き続けていくためには『運(うん)』が必要なのです。世の中で起きている命を失いそうな驚くようなニュースは、実は、他人(ひと)ごとではないのです。日常茶飯事のこととして自分自身に起きそうな気配はあるのです。油断は禁物です。

 書中にある長老になった明石新平の人生のふりかえりである文章、文脈にしみじみさせられます。
 なかなかいい本です。
 
『第二話 秘密の女』
 女優さんが出てきます。準主役クラスの女優さんです。たまたま明石新平宅のお向かいにご夫婦で引っ越してきました。
 明石新平が70歳すぎのころからお向かいに女優のご夫婦が暮らしています。
 女優さんにあこがれる明石新平です。あこがれだけです。
 でも、明石新平にとって、あこがれだけではすまない女性の存在もあります。秘密の女です。
 明石新平はエロ写真が好きで集めています。
 昭和24年当時の昔話が重なります。
 
 文章が読みやすい。

 そうか。中絶か。
 自分の親の世代は、こどもが多く、兄弟姉妹がたくさんいる世代なのですが、昔はよく中絶することがあったと、90歳近い自分の親世代から話を聞いたことがあります。
 養子に行くとか、養子に出すとかいう話もよくありました。
 
 明石新平の伝記です。建築士の資格をとって、昭和29年に自分の家を持ちました。
 昭和30年夏、明石新平は29歳です。『明石建設』を始めました。
 英子35歳で長男孝史をさずかる。昭和37年8月生まれです。

『第三話 秘密の訪問』
 なんというか、息子は三人いるものの、昭和37年生まれの長男は高校中退、無職引きこもり(テレビ・ラジオ・クロスワードパズル解きで時間をつぶす)、昭和39年生まれの次男はオネエで、自称自分は長女(おかっぱ頭で、裏声で話す。スカートのようなズボンをはいている。胸がふくらんでいる。娘のような次男である)、昭和41年生まれの三男は借金男で、三人とも未婚です。明石新平がつくった自営業の明石建設という会社がありましたが、息子が三人いても後継ぎはいません。まあ、これが現実かもしれません。奥さんはどうも認知症です。

 読んでいると、胸にしみじみと広がってくるものがあります。
 落語のようでもあります。
 九十歳近い夫婦にとっては、(人生においてやることが)もう終わったんだなあ。
 極楽行き待ちで、あの世にいくまでのひとときを、思い出にひたる世界ですごしているのです。
 もうあの人もこの人も、お先に極楽へ行かれて、極楽で待ってもらっているような状態なのです。
 
 昭和53年椎名町(しいなちょう)に住居を構える:東京都豊島区内
 この物語には、モデルとなる家庭があるのだろうか。

『第四話 秘密の調査』
 味わいのある作品なのですが、この第四話を読み終えて、少し飽きてきました。
 89歳になる明石新平さんの昔の浮気話が主線になって、88歳になる奥さんの認知症が進行していくのですが(夫が今も浮気をしているとしつこく夫や周囲にからみつく認知症の症状がある)、老夫婦のことであり、物語の中の話としては長くなってきたかなあと飽きてきたのです。このあと、奥さんの治療なり、ご逝去へと向かっていくではなかろうか。(違っていました)

 タイトルにある「秘密の調査」は、夫の浮気調査です。
 親族関係において、八十代の世代は兄弟姉妹間のつきあいが濃厚です。
 兄弟姉妹親族同士が都市部に出て、いっしょに住んで助け合っていた時代がありました。
 明石一族五男四女、それぞれの配偶者も含めて、おおぜいでの一泊二日慰安バス旅行があります。
 行き先は伊豆の温泉です。東京住まいのメンバーとして、明石夫婦、末娘のはるえ夫妻、養子に出た定吉夫妻が参加しています。
 明石新平さんの奥さん英子さんの夫に関する浮気話が旅先で止まりません。
 でもみんな承知しているからだいじょうぶです。認知症であることもわかっておられるのでしょう。
 あと、新平さんの浮気は過去のことであることも。
 明石新平さんの過去の浮気相手のひとりが大衆割烹店(かっぽう。日本料理)で働く田丸屋の冨子さんです。(とみこさん)
 嫁、姑(しゅうとめ。新平さんの母親。和菓子屋の娘)の仲が悪かった。姑が嫁の英子さんを嫌っていた。嫁の英子(えいこ)さんには、いろいろご苦労があったようです。

 明石夫婦は、うまくはいっていないようですが『平和』があります。
 お金と時間という余裕があって、いろいろあったという思い出があります。
 高齢者の脳みその中の風景です。

『第五話 秘密の話』
 明石新平さんは浮気をしたバチが当たったのでしょう。
 毎日毎日、認知症になった奥さんから、あなたは大衆割烹(かっぽう。日本料理。芸者は呼ばない。芸者を呼べるのは「料亭」)田丸屋の冨子と浮気をしていると責められます。
 いい文章がありました。『……女というのはおかしなことですぐ感情的になり、きーきー、わーわー騒ぐ生き物だった。それが受け入れられなければ、今度はふて腐れる。かと思えば……ケロッとしているのだから……』
 
 わたしがこれまでに知っている九十歳近い夫妻は、たいてい病気持ちです。
 この物語の夫妻は伊豆旅行にも行けるし、体を十分動かせることが意外です。
 歩行が不自由な人が多い中でたいしたものです。
 九十歳近くなると、親しかった人たちがもう死んでしまったという話ばかりです。
 明石英子さんはプライドが高い。
 東京の女学校を出たということが自慢だそうです。
 娘時代は、高嶺の花(たかねの花。手が届かない存在)と言われていたそうです。

 広田先生(医師):明石家のかかりつけの医者。広田病院の医師。89歳

 奥さんの嫉妬心が強烈です。(しっと。やきもち。うらむ。ねたむ)
 奥さんが叫びながら新平さんのパンツを引きずりおろします。
 奥さんが認知症でこわれちゃってます。

『第六話 秘密の思い出(一)』
 奥さんの明石英子さんはおふろに入らないらしい。
 最近は、おふろにしっかりつかって入らない女性が増えました。
 シャワーだけとか、毎日は入らないとか。
 清潔にして、体をリラックスさせて休めたほうがいいと思います。

 ご主人の明石新平さんは、奥さんをだますようにして、認知症の検査を受けさせます。
 健康診断が誘い出しの名目です。
 結婚して65年、たどり着いた先は、脳力の衰えです。
 ときに、奥さんは凶暴になって、だんなのパンツを脱がせてひきはがそうとするのです。
 だんなの新平さんは相当数浮気をされたようです。
 五十代のころまで、複数の浮気相手がいたそうです。奥さんにうらまれてもしかたがありません。

 娘道成寺(むすめどうじょうじ):娘が大蛇になって、愛する男を焼き殺す。
 踵(きびす):かかと

 映画にするとおもしろそうな内容です。(映画になるかもしれません)

 トイレのスイッチの下にある妻が書いたという張り紙『わたしを忘れないで』
 
 さなえ:英子の姉(すみれ姉ちゃん)の娘。新平の姪(めい)。昭和49年都内の高校卒業後、明石建設で事務員として働く。当時、長男孝史が小学6年生、次男健二が小学5年生、三男雄三が小学二年生だった。彼らからみて、さなえはいとこ。さなえは、もう60歳近い。ドイツ車のベンツに乗っている。

 ちいこ:雑種犬の名前

 手かざしの道場:霊能力をもつ人間が悪いところに手を当てると良くなるという宗教的な行動。病気が治る。

 鰯(いわし)の頭も信心から:いったん信じてしまえば、どんなものでもありがたく思えるということ。

 明石英子さんは、とにかく新平さんの浮気が気になる。
 新平さんを愛しているから気になるのか、新平さんを自分の所有物と思っているのか。

『第七話 秘密の思い出(二)』
 新橋演舞場へ、明石英子さんとさなえさんが演劇を観に行く。新平さんは送迎をする。
 水谷八重子さんが二代目で、娘の水谷良重(みずたに・よしえ)さんが、あとを継いだということは、この本を読んでいて知りました。(この文章をつくったあと、テレビ番組『徹子の部屋』で、ゲストとして水谷八重子さんが登場されたのでびっくりしました。縁を感じました)
 近藤正臣さん(こんどうまさおみ)は、自分がこどものころ日曜日夜7時だったと思いますが、テレビ番組『柔道一直線』で知りました。ピアノの鍵盤の上にのって、足の指でピアノを弾いていました。

 バブル経済崩壊時の会社経営者の苦慮について書いてあります。従業員のクビを切らねばなりません。新平さんは、相当うらまれています。まったく怒らない(おこらない)仏のなんとかさんといういつも笑顔だった年配従業員男性が、リストラされるときに、新平さんに罵詈雑言を浴びせています。(ばりぞうごん:荒っぽい悪口での攻撃)雇われている人が仏でいられるのは、お金がもらえるからだと思いました。そんな読書感想話をうちの家族に話したら(これまで社長や会社のためにがまんして尽くしてきたのに、どうして自分がリストラ(解雇)の対象になるのかという理由で激高したのだろうという話でした。社長の指示に従わなかった働きが悪かったほかの人間をリストラの対象にすべきだという主張です。公平・不公平の話です。組織の維持に十二分に貢献した社員は解雇するな!です。納得しました。雇っているほうも雇われているほうも同様の苦労を体験した人は多い。

『第八話 秘密の思い出(三)』
 新平さんの浮気話のくり返しが読んでいて飽きる理由なのですが、さらに、別の男性が浮気をしていました。けれど、もうその人は、2年数か月前に亡くなっています。
 物語の中では、夫が亡くなった病室で愛人が泣いています。関係者にとっては修羅場(しゅらば。激しい闘争。痴情のもつれ)です。

 明石新平さんは、まだ小学生6年生だった次男の建二くんを連れて、なんと愛人の冨子さんの家へ行き、三人でドライブしてボウリングもしています。冨子さんは、新平さんと結婚できると思っていた節があります。

 ここまで読んできて思ったことです。
 自分もそうですが、人間も歳をとってくると『ああ、もう終わったな』と思うことがあります。
 やりたいことはだいたいやれた。やれなかったこともあるけれど、すべてのことがやれるわけでもない。
 うまくいったこともあったし、うまくいかなかったこともあった。
 自分が迷惑をかけた人もいたし、逆に自分が迷惑をかけられた人もいました。ただ。その人たちの多くは、すでにお亡くなりになりました。相手に対して、いまさら、どうこう思うこともありません。
 先日テレビ番組『月曜から夜ふかし』中国ロケの映像で見た、椅子に腰かけておられた中国人高齢女性へのインタビューが良かった。
 どうしたら長生きできるのですか? という質問に対して高齢の女性は『生きているんじゃない。死んでいないだけだ』と返答されました。名言です。
 老齢になると、死ぬまで生きているだけの時間を与えられている状態になるのです。『(死んでないけど)もう終わったな』

『第九話 秘密の交際』『第十話 秘密の旅路』
 「清美さん」という名前が出てきました。絵画教室の生徒さんです。明石新平さんは女性に気が多い。個体が生まれ持った性質なので変われないのでしょう。女好きです。脳みその病気ですな。配偶者はあきらめるしかありません。配偶者は、ほかに生きがいを求めたほうがいい。

 夫婦そろって九十代に近づいて、こんなに長生きをするとは思っていなかったという明石新平です。
 わたしの知る九十代に近い年齢の夫婦は、ふたりとも歩行が不自由で、最後はふたりとも障害者手帳をもらいました。
 この物語のなかにいる明石夫婦はお元気すぎます。
 人は八十代なかばを過ぎると、ペンギン歩きのような歩き方をするようになります。なかなか前に進めません。
 ちょっと、この物語の設定は、スーパーマン過ぎます。
 ゆえに最後の明石新平さんの福島県会津へのひとり旅は無理なのです。付き添いが必要です。

 平和と言えば平和です。
 知能能力が衰えた老母は、もうかなり歳がいった息子にお年玉を渡します。次男が飼っているネコのみーちゃんのために使ってくれだそうです。三男が、自分が愛しているぬいぐるみのプーさんにもお年玉がほしいとねだります。平和です。次男なのに自称長女は、スカートをはいていて、どうも男がいるらしい。平和です。長男は引きこもりです。脳梗塞で倒れた老母の介護はできないと息子三人が意思表示します。九十代になる老母の夫である明石新平が老母の介護をするべきだという三人息子の意思表示です。なんとも…… されど、いまのところお金があるから平和です。

 夫婦のこの世で最後の別れというものは、超高齢者の場合は、片方が、長期入院になったり、施設入所になったりしたときに、もう会えなくなるというのが、わたしが知った体験です。夫婦両方が生きていても、もう会えないのです。コロナ禍のこの三年間で自分の親族で体験しました。
 自分の配偶者がすでに死んでいることを知らずに死んでいく人もいます。頭の中では生きている配偶者のことを思いながらこの世とサヨナラです。

 次男がこどものころ、車にひかれそうになった話が出ます。
 人が生きていくためには『運』が必要です。『幸運』です。
 子育てをしていると、ヒヤッとすることがあります。助かって良かったとほっとすることがあります。
 
 胃婁とか(いろう)、中心静脈栄養(ちゅしんじょうみゃくえいよう)とか、そんな延命措置を、わたしは拒みます。
 これまでに何度か自分自身入院体験がありますが、身動きができなくて、二十四時間天井を見上げていたときのことを覚えています。そんな姿勢が何か月も続いたら、わたしは発狂するでしょう。

『エピローグ』
 2020年(令和2年)です。
 未婚の三男(借金まみれ)が、結婚相談所をやるという。
 保険を解約して金を融通してくれと94歳の父明石新平に頼んでくる。
 (こどもってなんだろう。こんなことなら、こどもはいないほうがよかった。息子三人ともおかしなふうになったのは、浮気ばかりをしていた明石新平さんの行いが原因のひとつなのでしょう)
 93歳の妻はまだ死んではいない。次男が飼っているネコのみーちゃんを次男のこどもだと思っている。老妻の頭の中では、みーちゃんは、小学生らしい。
 ちょっと現実離れした終わり方でした。
 うむ。なんともいいようがありません。人生をコントロールすることはむずかしい。  

Posted by 熊太郎 at 08:10Comments(0)TrackBack(0)読書感想文