2023年04月18日
育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道
育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社
この本と同時進行で読み始める本があります。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。
本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。
コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。著者の両親は、ふたりとも耳が聴こえないと本の帯に書いてあります。
その本は、ろうの両親から生まれたこどもさんが書いた本です。
そして、対比するようにこれから読むのは、ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。
こどもの立場の人が書いたほうは暗そうな内容、親の立場の人が書いたほうは明るそうな内容です。
さて、どのような感想になるか楽しみです。
まず、ページ全体をゆっくり最後のページまでめくってみます。
絵がいっぱい書いてありますが(マンガ)、言葉もいっぱい書いてあります。
楽しそうです。
手話のことが書いてあります。
いつき:3才3か月。長男
ほとり:0才2か月。次男
まなみ:ママ『背中を使って手話でおしゃべり』とあります。どうやってやるのだろう。
昔風の大学ノートの写真です。たくさんの冊数があります。まんが日記が書いてあります。
文章創作の基本は日記を書くことです。
『回転と宇宙』『時間』『ぼくたちは手で話す』
会話は手話です。(こういう世界があるのか。手話による子育てです)
『こどもを「通訳者」にさせない』
力作の本です。
こどもさんは、しゃべることができます。
『おかあさん 33さいおめでとう』
東日本大震災のことが出てきました。最近読んだ『君のクイズ 小川哲(おがわ・さとる) 朝日新聞出版』それからさきほど紹介した『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』にも出てきます。地震のことが重なりました。不思議です。
旧優生保護法のことも『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』に書いてありました。
祖父母の存在は大事そうです。
絵本の本読みが始まります。
でも親の口からことばが出てきません。出てくるのは『ぱん』という単語だけです。それでもこどもさんは大笑いします。
旅行好きです。熊本県へ行って、高知県へ行って。
沖縄行って、石垣島にも行って。飛行機に乗って。
こどもにはいろんな体験をさせておくと、将来こどもの役にたちます。
まだちびっこですが、なんども飛行機に乗っています。
ページをめくり続けて、最後のほうのページ近づいてようやく気づいたことがあります。
見開き2ページの左側のページの端に、西暦と日付が書いてありました。
本のタイトルどおり、まんが日記でした。
なんだか、すごいなあ。
(2回目の本読み)
育児まんが日記ですから、本のつくりは、日記です。
2019年(平成31年・令和元年)1月から始まって、同年8月で終わっています。
パパ 齋藤陽道(さいとう・はるみち):1983年生まれですから、この日記のときは、35歳です。
ママ 森山麻奈美(もりやま・まなみ):1986年生まれ。日記のときは、33歳です。仕事をもつママですから旧姓を使用しているのかもしれません。ご実家は家族みんながろう者だそうです。
いつき:長男。日記のときは、3才2か月
ほとり:二男。0才1か月。日記のときは、あかちゃんです。
『ことば』にこだわる本です。
耳が聴こえない両親です。会話は手話でします。
意思を伝えあうために『ことば』にこだわります。
日本手話:日本語とは異なる言語。手指の動き、速さ、視線、表情、からだの動きに意味あり。(別の本で、手話にはふたつあって、生まれながらに耳が聴こえない人が使う手話と、後天的に耳が聴こえなくなった人や健常者の人が使う手話は異なると読んだことがあります)
こちらのまんがでは『日本語対応手話』と『日本語手話』というようにイラストで説明があります。
CODA(コーダ):Children of Deaf Adults 聞こえない親をもつ、聞こえる子。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』でも同じ説明があります。そちらの本の内容は、かなり暗い。泣いている顔があります。対して、こちらのまんが日記は明るい。家族に笑顔があります。
指文字を使って、我が子をあやすそうです。
こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)
こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
おならをしたら、各自は手をあげて、みんなに自己申告するそうです。(いいなーー)
あかちゃんのほとりさんが、手を「ぐっぱぐっぱ」するのは、「おっぱいください」のお願い指文字だそうです。
イラスト入りの「指文字」がなかなかおもしろい。漫才やコントのネタになりそうです。
右手の親指と人差し指で輪をつくると、それが太陽で(お金を表すような形)、左手のてのひらの右側を下へ動かすと日が暮れるという意味です。
右手の輪っかだけを上にあげると「明るい」(なるほど)
こどもさんがその動きをします。(こどもは頭がいい)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)
3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。
指文字は、スキンシップです。
ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。
不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。
数字も指文字で覚えます。
『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
こどもさんが、節分の『鬼は外』を指の言葉で表現します。
片手の5本指であごをつまむのが『ふく(福)』両手で屋根をつくるのが『うち(家)』福は内。そして、手を前に出すのが『鬼は外の』豆まきです。
感動した時の涙の表現のしかたが、非凡で納得できました。
両手それぞれ、つまんだ形の5本の指を頬のあたりから頭の方向へ上げていく。
涙というのは、目もとから下方向へ指を動かすものと思っていましたが、感動した時の涙は逆で、感情が下から上へこみあげてきてこぼれるものなのです。つまり『感動の涙』なのです。
『はやく!』は、親指と人さし指をつけて、びゅっ!とななめ下に動かしながら、すばやく逆方向へ動かして、指でピストルの形をつくるそうです。
パパは、効率優先の資本主義社会(お金獲得目的の競争社会のことです)がイヤだと反発しています。
年齢を表すときの指文字です。
ぼくは3才は、右手で三本指、おかーさんの年齢は、右手を3本、左手を3本立てて並べて33才と表現します。
あかちゃんの誕生を表現する手の動きです:両手を胸の前で迎え合わせにして、斜め下に「ハ」の字を描くように下げる。
(つづく)
2019年(平成31年)1月30日水曜日から同年3月31日日曜日までを読みました。
なかなかいい本です。今年読んで良かった一冊になりました。
デフファミリー:家族メンバーの全員が、聴覚障害者である家族。こちらの本の家族はそうではありません。三十代の両親は聴覚障害者です。乳幼児の長男と次男は耳が聴こえます。
同調圧力:自分たち家族が強く生きていくためには、同調圧力に屈しない姿勢が大切とおっしゃられています。みんな同じが正しいという考え方は、場合によっては、間違っているときもあるのです。
ご夫婦が、ハグをしながら、お互いの背中に手を当てながら手話をされて意思疎通(いしそつう)を図られます。(はかられます)。すごいなあ。
相手の顔を見なくても会話ができます。
ご夫婦の出会いの話があります。
高校生です。
だんなさんは、鋭くて怖い目つきで、とんがっていた。奥さんの目は死んでいた。5年ぐらい付き合って、だんなさんは丸くなった。奥さんのおかげだそうです。
こどもさんは『表情』が言葉になる。
『もしネアンデルタール人が生き残っていたら手話がもっと主な言語になっていたかも……』
そうか、たぶん、人類が言葉を発する前段階として、手話による会話があったに違いない。
耳が聴こえずに生れてきた人が、成長過程で『音』の存在を知った時、『言葉の存在と意味』を知った時に受ける心の視界がぱっと広がる感覚がステキでした。
3歳のいつきさんは、はだしが好きで、くつしたもシャツもズボンもパンツも脱いでしまいます。
草や土や川沿いの感触を楽しむのです。
すっぱだかで、世界にあるものを体感したい。
そして、いつきさんは、すべりだいからのジャンプで骨折してしまいました。
(小さなこどものケガや事故はつきものです。一瞬のことで起きるので防ぎきれません。親ならたいていの人が体験していると思います)
SNS(ソーシャルネットワークサービス)のアプリケーションソフトが、聴覚障害者の生活をより良い方向へ導いてくれているというようなお話があります。
耳が聴こえないといろいろと不便なことが多い。
病院での呼び出しが聴こえないそうです。福祉機器に呼び出しの振動ベルがあるそうです。
(本では、このあとのページで、東日本大震災のときに聴覚障害者として困ったことがあったと書いてあります。非常事態発生時に、障害者はおいてきぼりにされてしまいます)
『音声文字変換&音検知通知』というAndroidスマホのアプリケーションソフトがあるそうです。
救急車や消防、警察を呼ぶためのものとして『NET119 緊急通報システム』というものもあるそうです。
コロナ禍では、マスクをしている人たちの口元を見て、何を言っているのか判断できなくて困ったことでしょう。口の動きで言葉がわかるそうです。
読んでいてあれっと思うのは、パパさんは、こどもさんの名前に『さん』づけでこの本に書いています。こどもの名前を呼び捨てにしたり、愛称で呼んだりする親もいるなかで、違和感があるのですが、相手の人格をきちんと認めた『さん』づけで感心しました。
パパとママの本業(職業)は、写真家です。
写真を中心において、コミュニケーションを図ります。
この本の成り立ちについて書いてあります。
(わたしが思うに、創作の基本は『日記』です)
最初のこどもさんが生れて、パソコンで日記をつけ始めた。
日記のデータを誤って消してしまった。バックアップはない。(ありがちです。バックアップはとりましょう)
紙ノートに日記をつけ始めた。
途中から、まんが絵日記を書くようになった。
パパは、障害者プロレスをやるそうです。元気です。
(つづく)
優生保護法の話が本に出てきます。(不妊手術。人工妊娠中絶)
障害者の関係ではありませんが、昔見た洋画のシーンを思い出します。
男性同僚ふたりの会話です。ふたりともパイロットだったという記憶です。映画のタイトルは思い出せません。飛行機の操縦室の中でのふたりの会話でした。
『こどもが何人もできてしまって、生活が苦しくなってきて、妊娠したこどもを中絶するかどうかで、もめたことがあるよ(妊娠している子を人為的に排出して産まれないようにする)』
『そうか…… それで、どうしたんだ……』
『中絶はしなかった』
『そうか』
『何人もいるこどもの中で、そのときに生れてきた子が一番可愛いよ』
こどもはどういうわけか『恐竜』が好きです。
恐竜に関する手話が出てきます。『むかーしむかし おおむかし』を両手で表現するのです。むかーしむかし、おおむかし、きょうりゅうがいたのです。
お子さんの絵を見ていて迷うのですが、長男さんの顔が女子に見えるのです。でも男の子です。
著者が、昔、おこなった活動のひとつとして『2015年に仙台の映画館で男性と「筆談トーク」をした』
そのときの相手の言葉として『オレは男だけど、赤ちゃんが産めるんだったら、そうしたいと思うよ』その言葉に共感した著者がいます。
4年後、ふたりは、女装をして筆談トークをします。(こどもを産めるようにとの願望が感じられます)
なんだか、すごい。
おかたし:「おかたづけ」のこと。かわいい。
ラップの芯と(しんと)、玩具の人形を1.5メートルくらいのひもでつないで、ドアの上部ごしに、おトイレの中と外で分けて、トイレが終わったら人形が動いて、トイレの終了がわかるというシステムがおもしろかった。(トイレのカギがないようです。耳が聴こえない。声が出せないことでのアイデアです。用を足しているときにドアを開けないでということだそうです)
こどもさんが走り回る音が、近所迷惑になるのではないかとたいへん心配されていますが、ご本人は聴覚障害者なので音が聴こえません。
平屋の借家を選択されて成功されています。
まんが絵日記に書いてあることで、自分にも覚えがあるのですが、仕事が休みの朝に、遅寝して、おふとんの上でちびっこたちも含めて家族みんなでくっつきあって、だらだらしながらおしゃべりをして、そんなことに幸福感を感じた時期がありました。
『間(ま)』について書いてあります。手話にも『間(ま)』があるのです。
感情表現において『間(ま)』は大事なのです。
ゲージ:長さや重量を測定する器具
小学生の時の意識として『聞こえる人のほうがえらい』があったそうです。
(そんなことはありません)
寝言を言うように、眠りながら手話で言葉を出すことがあるそうです。寝手話です。初めて聞きました。手話でなんでもできます。
熊本の話が出ます。わたしか訪れたことがあるところもいくつか出てきます。阿蘇山のあたりです。
(その後、一家は、熊本県へ引越しています。ろう者の家族として暮らしやすい場所だと判断されたそうです)
こどもたちがのびやかだった。(私立学校です)手話も音声も身につけることができるとあります。
おふたりのお子さんふたりは、聴文化(ちょうぶんか。聞こえる文化)とろう文化(聴こえない文化)の間を行き来しながら生きていく。
教育のやりかたです。
こちらのまんが絵日記の著者は、ろう者ですが、小学校・中学校は、補聴器をつけて(すべての音が雑音に聞こえて苦痛だったそうです)普通学校に通われたあと、高校は、ろう学校に進学されています。ご本人は、最初からろう学校に通えば良かったという感想をもたれています。
もうひとつ、同時進行で読んでいる『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』に出てくるお母さんも両親の考えで普通学校に通われてその後苦労されています。
障害がある人は、専用の学校に通うのが本人のためと思われる内容です。
熊本の方言のことは出てきません。
ろう者であるので、方言という感覚はないのかもしれません。
2020年(令和2年)12月に熊本へ移住されています。引っ越しは、ご主人は、自家用車で20時間のドライブでした。こどもたちは飛行機で行かれたようです。
ちびっこたちは、まだ3歳ぐらいですが、何度か飛行機搭乗体験をしています。
思うに、こどもの勉強は問題集を解くことに加えて、いろいろな体験をさせてあげることです。こどもは体験から多くのことを学びます。いいときもあるし、いやな思いをすることもあります。なにごとも二面性があるのです。そんなことを学びます。
1歳ぐらいのほとりさん(二男)も毎日新しい手話を覚えて、見せてくれます。すごいなあ。
音がある世界と音がない世界を体験するコーダ(聴覚障害者のこどもで健常者)は、緊張があって疲れるそうです。
このまんが絵本の文章は普通に書いてあります。
読みやすい。
聴覚障害者の方が書く文章はいかようなものかと思いながら読んでいます。
親の立場として、ほかの子と同じようになってほしい、してほしいという気持ちがあります。
だけど、違うのです。いいとかわるいとかではなく、著者の文章を読んでいると、実態に合った教育をしてほしい。それがこども自身のためになるのです。
著者は、小中学生、高校生のころ、補聴器を付けて無理に聴こえない音を聴こうとして苦しんでいました。著者は、二十歳の誕生日で補聴器を付けることをやめました。楽になれました。
ご長男『樹(いつき)』さんの名付けの由来が紹介されています。
沖縄石垣島で著者が見たガジュマルという木からきています。地に足を付けて育ち美しく輝く存在になる。
本を読みながら考えたことです。
人は、18歳になれば、自分の好きなところに住むことができます。(居住地選択の自由です。たしか憲法に書いてありました)
自分も九州にいた高校2年生の時に今のこの地に住むことを決めました。社会科が好きで、それまで、日本各地のことを調べたり、訪れて現地で体験をしたりしました。東海地区は、どこも製造業主体の町で、おもしろみはありませんが、経済的には安定した地域です。生まれてから結婚するころまで貧しい暮らしで苦労体験をした自分は、ここならお金の心配をせずに子孫代々暮らしていけると判断しました。不動産や物価が高い東京は、たまに遊びに行くだけでいいと割り切りました。正解だったと思います。
著者も自分たち家族にとって暮らしやすい町を選択されています。著者は、わたしとは逆で九州の地を選択されました。人それぞれです。
ろう者向けの育児書がなかった。
ネットにもなかった。
だからということでもありませんが、自分でこの本をつくったそうです。
たくさんの人の協力があったことに感謝されています。
本一冊つくるのにもたいへんな苦労がともないます。
同時進行で読んでいた別の本も読み終えました。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
そちらの本の表紙カバーの写真を撮影されたのが、こちらの本の著者斎藤陽道(さいとう・はるみち)さんであることが、読んでいたそちらの本の終わり近くでわかりびっくりしました。
思えば、ろう者の狭い世界であることから関係者同士が出会うこともあるのでしょう。濃密な人間関係のなかで生活されている人たちだという感想をもちました。
この本と同時進行で読み始める本があります。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。
本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。
コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。著者の両親は、ふたりとも耳が聴こえないと本の帯に書いてあります。
その本は、ろうの両親から生まれたこどもさんが書いた本です。
そして、対比するようにこれから読むのは、ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。
こどもの立場の人が書いたほうは暗そうな内容、親の立場の人が書いたほうは明るそうな内容です。
さて、どのような感想になるか楽しみです。
まず、ページ全体をゆっくり最後のページまでめくってみます。
絵がいっぱい書いてありますが(マンガ)、言葉もいっぱい書いてあります。
楽しそうです。
手話のことが書いてあります。
いつき:3才3か月。長男
ほとり:0才2か月。次男
まなみ:ママ『背中を使って手話でおしゃべり』とあります。どうやってやるのだろう。
昔風の大学ノートの写真です。たくさんの冊数があります。まんが日記が書いてあります。
文章創作の基本は日記を書くことです。
『回転と宇宙』『時間』『ぼくたちは手で話す』
会話は手話です。(こういう世界があるのか。手話による子育てです)
『こどもを「通訳者」にさせない』
力作の本です。
こどもさんは、しゃべることができます。
『おかあさん 33さいおめでとう』
東日本大震災のことが出てきました。最近読んだ『君のクイズ 小川哲(おがわ・さとる) 朝日新聞出版』それからさきほど紹介した『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』にも出てきます。地震のことが重なりました。不思議です。
旧優生保護法のことも『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』に書いてありました。
祖父母の存在は大事そうです。
絵本の本読みが始まります。
でも親の口からことばが出てきません。出てくるのは『ぱん』という単語だけです。それでもこどもさんは大笑いします。
旅行好きです。熊本県へ行って、高知県へ行って。
沖縄行って、石垣島にも行って。飛行機に乗って。
こどもにはいろんな体験をさせておくと、将来こどもの役にたちます。
まだちびっこですが、なんども飛行機に乗っています。
ページをめくり続けて、最後のほうのページ近づいてようやく気づいたことがあります。
見開き2ページの左側のページの端に、西暦と日付が書いてありました。
本のタイトルどおり、まんが日記でした。
なんだか、すごいなあ。
(2回目の本読み)
育児まんが日記ですから、本のつくりは、日記です。
2019年(平成31年・令和元年)1月から始まって、同年8月で終わっています。
パパ 齋藤陽道(さいとう・はるみち):1983年生まれですから、この日記のときは、35歳です。
ママ 森山麻奈美(もりやま・まなみ):1986年生まれ。日記のときは、33歳です。仕事をもつママですから旧姓を使用しているのかもしれません。ご実家は家族みんながろう者だそうです。
いつき:長男。日記のときは、3才2か月
ほとり:二男。0才1か月。日記のときは、あかちゃんです。
『ことば』にこだわる本です。
耳が聴こえない両親です。会話は手話でします。
意思を伝えあうために『ことば』にこだわります。
日本手話:日本語とは異なる言語。手指の動き、速さ、視線、表情、からだの動きに意味あり。(別の本で、手話にはふたつあって、生まれながらに耳が聴こえない人が使う手話と、後天的に耳が聴こえなくなった人や健常者の人が使う手話は異なると読んだことがあります)
こちらのまんがでは『日本語対応手話』と『日本語手話』というようにイラストで説明があります。
CODA(コーダ):Children of Deaf Adults 聞こえない親をもつ、聞こえる子。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』でも同じ説明があります。そちらの本の内容は、かなり暗い。泣いている顔があります。対して、こちらのまんが日記は明るい。家族に笑顔があります。
指文字を使って、我が子をあやすそうです。
こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)
こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
おならをしたら、各自は手をあげて、みんなに自己申告するそうです。(いいなーー)
あかちゃんのほとりさんが、手を「ぐっぱぐっぱ」するのは、「おっぱいください」のお願い指文字だそうです。
イラスト入りの「指文字」がなかなかおもしろい。漫才やコントのネタになりそうです。
右手の親指と人差し指で輪をつくると、それが太陽で(お金を表すような形)、左手のてのひらの右側を下へ動かすと日が暮れるという意味です。
右手の輪っかだけを上にあげると「明るい」(なるほど)
こどもさんがその動きをします。(こどもは頭がいい)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)
3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。
指文字は、スキンシップです。
ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。
不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。
数字も指文字で覚えます。
『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
こどもさんが、節分の『鬼は外』を指の言葉で表現します。
片手の5本指であごをつまむのが『ふく(福)』両手で屋根をつくるのが『うち(家)』福は内。そして、手を前に出すのが『鬼は外の』豆まきです。
感動した時の涙の表現のしかたが、非凡で納得できました。
両手それぞれ、つまんだ形の5本の指を頬のあたりから頭の方向へ上げていく。
涙というのは、目もとから下方向へ指を動かすものと思っていましたが、感動した時の涙は逆で、感情が下から上へこみあげてきてこぼれるものなのです。つまり『感動の涙』なのです。
『はやく!』は、親指と人さし指をつけて、びゅっ!とななめ下に動かしながら、すばやく逆方向へ動かして、指でピストルの形をつくるそうです。
パパは、効率優先の資本主義社会(お金獲得目的の競争社会のことです)がイヤだと反発しています。
年齢を表すときの指文字です。
ぼくは3才は、右手で三本指、おかーさんの年齢は、右手を3本、左手を3本立てて並べて33才と表現します。
あかちゃんの誕生を表現する手の動きです:両手を胸の前で迎え合わせにして、斜め下に「ハ」の字を描くように下げる。
(つづく)
2019年(平成31年)1月30日水曜日から同年3月31日日曜日までを読みました。
なかなかいい本です。今年読んで良かった一冊になりました。
デフファミリー:家族メンバーの全員が、聴覚障害者である家族。こちらの本の家族はそうではありません。三十代の両親は聴覚障害者です。乳幼児の長男と次男は耳が聴こえます。
同調圧力:自分たち家族が強く生きていくためには、同調圧力に屈しない姿勢が大切とおっしゃられています。みんな同じが正しいという考え方は、場合によっては、間違っているときもあるのです。
ご夫婦が、ハグをしながら、お互いの背中に手を当てながら手話をされて意思疎通(いしそつう)を図られます。(はかられます)。すごいなあ。
相手の顔を見なくても会話ができます。
ご夫婦の出会いの話があります。
高校生です。
だんなさんは、鋭くて怖い目つきで、とんがっていた。奥さんの目は死んでいた。5年ぐらい付き合って、だんなさんは丸くなった。奥さんのおかげだそうです。
こどもさんは『表情』が言葉になる。
『もしネアンデルタール人が生き残っていたら手話がもっと主な言語になっていたかも……』
そうか、たぶん、人類が言葉を発する前段階として、手話による会話があったに違いない。
耳が聴こえずに生れてきた人が、成長過程で『音』の存在を知った時、『言葉の存在と意味』を知った時に受ける心の視界がぱっと広がる感覚がステキでした。
3歳のいつきさんは、はだしが好きで、くつしたもシャツもズボンもパンツも脱いでしまいます。
草や土や川沿いの感触を楽しむのです。
すっぱだかで、世界にあるものを体感したい。
そして、いつきさんは、すべりだいからのジャンプで骨折してしまいました。
(小さなこどものケガや事故はつきものです。一瞬のことで起きるので防ぎきれません。親ならたいていの人が体験していると思います)
SNS(ソーシャルネットワークサービス)のアプリケーションソフトが、聴覚障害者の生活をより良い方向へ導いてくれているというようなお話があります。
耳が聴こえないといろいろと不便なことが多い。
病院での呼び出しが聴こえないそうです。福祉機器に呼び出しの振動ベルがあるそうです。
(本では、このあとのページで、東日本大震災のときに聴覚障害者として困ったことがあったと書いてあります。非常事態発生時に、障害者はおいてきぼりにされてしまいます)
『音声文字変換&音検知通知』というAndroidスマホのアプリケーションソフトがあるそうです。
救急車や消防、警察を呼ぶためのものとして『NET119 緊急通報システム』というものもあるそうです。
コロナ禍では、マスクをしている人たちの口元を見て、何を言っているのか判断できなくて困ったことでしょう。口の動きで言葉がわかるそうです。
読んでいてあれっと思うのは、パパさんは、こどもさんの名前に『さん』づけでこの本に書いています。こどもの名前を呼び捨てにしたり、愛称で呼んだりする親もいるなかで、違和感があるのですが、相手の人格をきちんと認めた『さん』づけで感心しました。
パパとママの本業(職業)は、写真家です。
写真を中心において、コミュニケーションを図ります。
この本の成り立ちについて書いてあります。
(わたしが思うに、創作の基本は『日記』です)
最初のこどもさんが生れて、パソコンで日記をつけ始めた。
日記のデータを誤って消してしまった。バックアップはない。(ありがちです。バックアップはとりましょう)
紙ノートに日記をつけ始めた。
途中から、まんが絵日記を書くようになった。
パパは、障害者プロレスをやるそうです。元気です。
(つづく)
優生保護法の話が本に出てきます。(不妊手術。人工妊娠中絶)
障害者の関係ではありませんが、昔見た洋画のシーンを思い出します。
男性同僚ふたりの会話です。ふたりともパイロットだったという記憶です。映画のタイトルは思い出せません。飛行機の操縦室の中でのふたりの会話でした。
『こどもが何人もできてしまって、生活が苦しくなってきて、妊娠したこどもを中絶するかどうかで、もめたことがあるよ(妊娠している子を人為的に排出して産まれないようにする)』
『そうか…… それで、どうしたんだ……』
『中絶はしなかった』
『そうか』
『何人もいるこどもの中で、そのときに生れてきた子が一番可愛いよ』
こどもはどういうわけか『恐竜』が好きです。
恐竜に関する手話が出てきます。『むかーしむかし おおむかし』を両手で表現するのです。むかーしむかし、おおむかし、きょうりゅうがいたのです。
お子さんの絵を見ていて迷うのですが、長男さんの顔が女子に見えるのです。でも男の子です。
著者が、昔、おこなった活動のひとつとして『2015年に仙台の映画館で男性と「筆談トーク」をした』
そのときの相手の言葉として『オレは男だけど、赤ちゃんが産めるんだったら、そうしたいと思うよ』その言葉に共感した著者がいます。
4年後、ふたりは、女装をして筆談トークをします。(こどもを産めるようにとの願望が感じられます)
なんだか、すごい。
おかたし:「おかたづけ」のこと。かわいい。
ラップの芯と(しんと)、玩具の人形を1.5メートルくらいのひもでつないで、ドアの上部ごしに、おトイレの中と外で分けて、トイレが終わったら人形が動いて、トイレの終了がわかるというシステムがおもしろかった。(トイレのカギがないようです。耳が聴こえない。声が出せないことでのアイデアです。用を足しているときにドアを開けないでということだそうです)
こどもさんが走り回る音が、近所迷惑になるのではないかとたいへん心配されていますが、ご本人は聴覚障害者なので音が聴こえません。
平屋の借家を選択されて成功されています。
まんが絵日記に書いてあることで、自分にも覚えがあるのですが、仕事が休みの朝に、遅寝して、おふとんの上でちびっこたちも含めて家族みんなでくっつきあって、だらだらしながらおしゃべりをして、そんなことに幸福感を感じた時期がありました。
『間(ま)』について書いてあります。手話にも『間(ま)』があるのです。
感情表現において『間(ま)』は大事なのです。
ゲージ:長さや重量を測定する器具
小学生の時の意識として『聞こえる人のほうがえらい』があったそうです。
(そんなことはありません)
寝言を言うように、眠りながら手話で言葉を出すことがあるそうです。寝手話です。初めて聞きました。手話でなんでもできます。
熊本の話が出ます。わたしか訪れたことがあるところもいくつか出てきます。阿蘇山のあたりです。
(その後、一家は、熊本県へ引越しています。ろう者の家族として暮らしやすい場所だと判断されたそうです)
こどもたちがのびやかだった。(私立学校です)手話も音声も身につけることができるとあります。
おふたりのお子さんふたりは、聴文化(ちょうぶんか。聞こえる文化)とろう文化(聴こえない文化)の間を行き来しながら生きていく。
教育のやりかたです。
こちらのまんが絵日記の著者は、ろう者ですが、小学校・中学校は、補聴器をつけて(すべての音が雑音に聞こえて苦痛だったそうです)普通学校に通われたあと、高校は、ろう学校に進学されています。ご本人は、最初からろう学校に通えば良かったという感想をもたれています。
もうひとつ、同時進行で読んでいる『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』に出てくるお母さんも両親の考えで普通学校に通われてその後苦労されています。
障害がある人は、専用の学校に通うのが本人のためと思われる内容です。
熊本の方言のことは出てきません。
ろう者であるので、方言という感覚はないのかもしれません。
2020年(令和2年)12月に熊本へ移住されています。引っ越しは、ご主人は、自家用車で20時間のドライブでした。こどもたちは飛行機で行かれたようです。
ちびっこたちは、まだ3歳ぐらいですが、何度か飛行機搭乗体験をしています。
思うに、こどもの勉強は問題集を解くことに加えて、いろいろな体験をさせてあげることです。こどもは体験から多くのことを学びます。いいときもあるし、いやな思いをすることもあります。なにごとも二面性があるのです。そんなことを学びます。
1歳ぐらいのほとりさん(二男)も毎日新しい手話を覚えて、見せてくれます。すごいなあ。
音がある世界と音がない世界を体験するコーダ(聴覚障害者のこどもで健常者)は、緊張があって疲れるそうです。
このまんが絵本の文章は普通に書いてあります。
読みやすい。
聴覚障害者の方が書く文章はいかようなものかと思いながら読んでいます。
親の立場として、ほかの子と同じようになってほしい、してほしいという気持ちがあります。
だけど、違うのです。いいとかわるいとかではなく、著者の文章を読んでいると、実態に合った教育をしてほしい。それがこども自身のためになるのです。
著者は、小中学生、高校生のころ、補聴器を付けて無理に聴こえない音を聴こうとして苦しんでいました。著者は、二十歳の誕生日で補聴器を付けることをやめました。楽になれました。
ご長男『樹(いつき)』さんの名付けの由来が紹介されています。
沖縄石垣島で著者が見たガジュマルという木からきています。地に足を付けて育ち美しく輝く存在になる。
本を読みながら考えたことです。
人は、18歳になれば、自分の好きなところに住むことができます。(居住地選択の自由です。たしか憲法に書いてありました)
自分も九州にいた高校2年生の時に今のこの地に住むことを決めました。社会科が好きで、それまで、日本各地のことを調べたり、訪れて現地で体験をしたりしました。東海地区は、どこも製造業主体の町で、おもしろみはありませんが、経済的には安定した地域です。生まれてから結婚するころまで貧しい暮らしで苦労体験をした自分は、ここならお金の心配をせずに子孫代々暮らしていけると判断しました。不動産や物価が高い東京は、たまに遊びに行くだけでいいと割り切りました。正解だったと思います。
著者も自分たち家族にとって暮らしやすい町を選択されています。著者は、わたしとは逆で九州の地を選択されました。人それぞれです。
ろう者向けの育児書がなかった。
ネットにもなかった。
だからということでもありませんが、自分でこの本をつくったそうです。
たくさんの人の協力があったことに感謝されています。
本一冊つくるのにもたいへんな苦労がともないます。
同時進行で読んでいた別の本も読み終えました。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
そちらの本の表紙カバーの写真を撮影されたのが、こちらの本の著者斎藤陽道(さいとう・はるみち)さんであることが、読んでいたそちらの本の終わり近くでわかりびっくりしました。
思えば、ろう者の狭い世界であることから関係者同士が出会うこともあるのでしょう。濃密な人間関係のなかで生活されている人たちだという感想をもちました。