2023年04月08日
信仰から解放されない子どもたち 横道誠 編・著
信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店
2022年7月8日、前総理大臣の銃撃事件があった昨年夏から話題になっていることがらです。
新刊書をチェックしていて目に留まり、興味を持ち取り寄せました。
関係者は、元統一教会2世信者、元オウム真理教2世信者、天理教5世信者、元エホバの証人2世信者、元創価学会2世信者、教育学者、社会福祉士、ジャーナリスト(報道に関わる人)、宗教社会学者などの方々です。
ふつう、宗教で心が救われるのではないか。
宗教で苦しまなければならないのは、本末転倒ではないか。(ほんまつてんとう:逆効果。本来の意味を失っている)
ひとつには、お金の問題があります。
社会生活を送るためにはお金がいります。
わたしたちは、税金を支払って、国や自治体に運用をまかせています。
収入や財産に応じて、税金を負担しています。
宗教団体活動にもお金がいります。組織を運営し維持していくためにお金がいります。
宗教団体には、税金という法律に基づく制度はありません。うちわ(内輪)の取り決めで運営費の徴収があります。度が過ぎた徴収(寄附行為)は、不幸を生みます。
読み始めます。
(そして、最初の人の文章を読み終えました)
かなり衝撃を受けました。ひどい。
宗教二世の不幸が書いてありました。
この文章を読んで、救われる人がいるでしょう。同じく宗教二世で育って、ひどい体験をされた、あるいは、今されている人たちです。
読む前の前知識として、宗教団体は税金が非課税になる部分がある。学校法人も、医療法人も同様の取り扱いがある。
だれのために宗教団体があるのか。金銭で利益を受ける組織の上層部にいる人間のためにあるのか。宗教集団の中で、利益を分かち合うのか。仲間である人間関係を利用して、利益獲得活動に生かしていくのか。
さて、最初の人のお話です。
発達障害の母親が宗教活動を始めた不幸が書いてあります。
孤独な発達障害の人は、宗教勧誘のカモだったそうです。(カモ:だまされやすい人。餌食(えじき)都合のいい人)
夫と妻の関係があります。
妻は信仰活動に熱心で、夫は反対していても無関心で妻の信仰活動に干渉しないという構図があります。そして、こどもたちは不幸におちいります。父親には、家族という小さな社会をまとめる力(ちから)がありません。
こどもに対する「ムチ」の時間というのは初めて聞きました。
明らかに児童虐待です。「しつけ」という名の「暴力」です。気が狂っています。
サタンとは何? わたしからすれば、自分のこどもをたたく母親がサタンです。(悪魔)
宗教に浸かった(つかった)発達障害の母親は暴力の加減(かげん。程度)を知りません。徹底的にこどもの心身を痛めつけます。そんなことを続けていたら、こどもが死んじゃいます。こどもが発狂します。宗教が殺人者を生んでしまいます。
こどもに対するかなりひどい体罰があります。理由がわかりません。再び、サタンとは何者なのかという疑問が生じます。
宗教二世のこどもに時間の感覚がありません。成長しておとなになっても、虐待を受けた時期の前後関係がありません。時間の経過がないのです。虐待は、過去のことではないのです。フラッシュバックという現象で、過去が、現在のこととして瞬間的に脳裏によみがえるのです。おそろしい。
(体育教師で体操に失敗して車いす生活になった)星野富弘さんという障害者で、口にくわえた筆でお花の植物絵を描かれる人のことが文章の中に出てきました。(わたしは、群馬県にある富弘美術館まで星野富弘さんの絵を見に行ったことがあります。絵画集も数冊購入しました)
ふつうは、星野富弘さんのことを、障害に負けずにがんばっている人と思うのですが、こちらの宗教二世である執筆者はそうは思っておられませんでした。宗教をめぐる親子関係に悩んでいた小学四年生のときに、団地の5階から飛び降り自殺をしようとしたけれど、もし即死しないで、星野富弘さんみたいな障害者になったらイヤだと思って飛び降り自殺を思いとどまっておられます。
こどもの心をそこまで追い込む宗教とはなんだろう。
ちなみに、星野富弘さんは体が不自由になられたあと、宗教によって救われています。宗教ってなんだろう。宗教には二面性があるようです。
星野富弘さんは、絶望のふちから帰還されていますが、とても長い時間がかかっています。自由のないお体になられたあと、宗教が心の支えになっていきます。
1970年6月(昭和45年)中学校の体育教師をしていて運動中に頚椎(けいつい。首のうしろ)を損傷し手足が動かなくなる。口に筆をくわえて絵や文章を書き始める。
勉強もできてスポーツにも長(た)けている。事故は相当のショックだったでしょう。24歳からの9年間の寝たきり入院生活は絶望の淵(ふち)にいたとお察しします。
星野富弘さんの言葉で心に残っているものがあります。おぼろげな記憶ですが『川で泳いでいたら川の水の勢いに巻き込まれて自分の体が下流に流されてしまった。元の岸に戻ろうとあがいていたら溺れて死にそうになった。川の流れにさからうことをやめて、川の流れに身をまかせて流れていたら、体は自分の知らない岸に流れ着いた。自分は、流れ着いた岸で暮らしていくことにした。気持ちが楽になった』というような内容でした。自分なりに『川』というのはお住いの近くを流れている『渡良瀬川(わたらせがわ)』だろうと決めつけました。最近読んだ本『リバー 奥田英朗(おくだひでお) 集英社』の舞台です。物語は連続殺人事件の犯人を追う警察ものでした。
宗教団体の幹部の人は、こちらの宗教二世の本を読んでどう思い、どう感じるのだろうか。
こどもにとって不幸だらけの生活があります。
(話は飛びますが、このあと、168ページあたりまで読んで思ったこととして:特定の宗教団体の活動のありかたがおかしい)
宗教二世のご本人の気持ちとして、(自分に信仰を強制した)母親は、現実には生きているけれど、自分のなかでは死んだままになっているそうです。
希死念慮(きしねんりょ):消えてなくなりたい。楽になりたい。
『永遠の地獄を生きている』(すごい言葉です)
楽しいことがいっぱいあるはずのこども時代です。
『地獄への扉は開いたままになっている。』と結んであります。
おそろしい。
(つづく)
ふたり目は別の宗教の二世の方の記述です。四十代女性。
両親が入信していて、家族とともに教団施設で生まれ育ったそうです。
異常な世界があります。
どうしてこんなことが起きるのだろう。
人間はだまされやすい。
だれが得をしたのだろう。
教団の上層部の人間です。
合法的な暴力と虐待があります。
被害者は抵抗ができないこどもです。
国政選挙の時には、両親が強制的に選挙の仕事に駆り出される(かりだされる)そうです。選挙の運動員とかウグイス嬢として働き、数週間帰宅しないそうです。(無料奉仕のようなことをニュースで聞きました。政策立案面で団体に利益があるようにという下心が見えます)
教団施設内のこどもたちは、そのあいだほったらかしにされて、食べ物はなく、衣類の洗濯もしてもらえなかったそうです。
関与した政治家はこれを聞いてどう思うのだろう。こどもの福祉向上のためにがんばりますなんて、大きな声では言えないでしょう。
昔のアイドル女性歌手の名前が出ます。
彼女のファンだった友人に誘われて、わたしも彼女のコンサートに行ったことがあります。
もう昔のことです。
その後、彼女が宗教団体と関係があるというニュースを聞いたときには、なんのことか自分にはわかりませんでした。集団だったか合同だったかの結婚式があって、教団が決めた相手と結婚するというような報道でした。(相手とは会ったこともないという状態で結婚する)
たしか日本国憲法の学習では、両性の合意のみで男女は結婚すると学んだ気がしたのですが、当人同士が了解しているのならそういうこともありなのだろう。教団もそれなりの相手をあてがってくれるのだろうと、そのときはあまり気にもしませんでした。(されど、当事者たちの中には相当悩んでいた人がいたと、この本を読んでわかりました)
こどもたちの親が洗脳されています。(せんのう。権力者の都合のいいように、心の動きをコントロールされている。心も体もお金も命も、権力者の意のままに管理されている)
親は教団に対しては、被害者であり、こどもに対しては、加害者でもあります。
教えとして『……天の前では嘘ではない』『……神さまのところにそのお金が行くことによって、そのサタン側にあったお金が、天の側(そば)に帰る……』
(わたしには、教団の教えであるその部分を読んでも、教えが、なにを言っているのかわかりません。わたしは、長いこと生きてきましたが、これまでに、神さまを見たことはありません。神さまはいてほしいけれど、現実にはいないのです。ガッツ(闘志)という強い気持ちをもって、自分でがんばるしかないのです)
『天国では公用語は韓国語なんだ……』(? 天国では、韓国語で話すのか。そんなことありえないでしょ。そんな教えを信じることが信じられません)
疑問をもたないという恐さ(こわさ)があります。何でもすんなり受け入れてしまう。危険です。(人に指示されて生活することは、楽な生き方ではあります。トラブルが起きた時に、あの人がああ言ったからと、責任を他者のせいにすればいいのですから。それは『自立・自活』からは遠ざかった生き方です。だれかに、あるいは組織に寄生する(きせいする)生き方ともいえます)
相談窓口について書いてあります。
役所は頼りない。事なかれ主義です。とりあえず、外部向けに、こんなことをしていますというみかけだけの相談窓口をつくってある。なかみはない。
働く人間は、毎月決まった日に決まった額の給料をもらえればそれでいい。やっかいなことには深入りしない。
対応する職員の資質次第で、その後の流れの方向性が決まってしまいます。
宗教二世は途方(とほう)に暮れています。
宗教二世からの叫び声が聞こえてくる本です。
(つづく)
3人目の方の告白です。
仲良しだった母のいとこに誘われて母とともに入信(にゅうしん。信者になる)。1988年(昭和63年)ご本人はまだ小学生です。
親族の名前を勝手に使って、本人の知らない間に入信させられていた親族もいたそうです。めちゃくちゃです。
宗教団体の巧妙な仕掛けにはまっていきます。
読んでいると、まるでばかげたような修行に魂を奪われるようにのめりこんでいます。人間って、洗脳されるとなんでもできてしまうのか……(拒否できないのです)
修行において、覚せい剤まで使用されています。当然修行をすれば、幻覚が見えます。それが修行の効能だという嘘があります。
教えに従うことで、社会を敵だと思い、教団を正義だと思う。そんな思い込みがあります。
宗教を妄信(もうしん)して、教祖を尊ぶ(とうとぶ)。『絶対的な尊師』とあります。
シャクティ-パット:眉間(みけん。まゆの間)を指圧するイニシエーション(儀式。エネルギーを与えて、弟子を成就(じょうじゅ)・解脱(げだつ)させる(わたしにはなんのことかわかりません。そんなことをしなくても人間は生きていけます))なんだか、マンガの本を見るようです。
宗教二世は、こどものころから閉鎖的な空間に置かれていたので『おかしい』と思う思い付きがありません。
『中二病(背伸び、自己顕示欲、劣等感、ひねくれた物言い)』がいつまでも抜けない人がいます。
脳の中身がこどものままで体がおとなになって、なにもしないまま、歳をとっていく人がいます。思考は十代のままです。ただ、そういう人生もあります。否定はできません。
帰依(きえ):拠り所(よりどころ)
かなり重いお話でした。
人生はまだ長いので、これから幸せを取りもどしてほしい。
(つづく)
4人目の方です。 三十代の方です。
宗教5世の方です。現役です。
独特な世界観がありますが、日常生活への規制はゆるい。ゆえにやれるということはあります。
ほかの宗教を否定しない。政府を否定しない。(読んでいて、いろんな考え方をする宗教があると感じました)
今は宗教活動になじんでいるが、若い頃は悩まれたそうです。
読みながら『バランス』について考えました。
いろんな人がいます。宗教活動に熱心な人から、辞めたい人までの幅がある。
『宗教』自体には、学ぶ価値がある。
『信仰(神や仏を信じて、生きていくための心や気持ちのよりどころとする)』が人間にとって大切なものであるという事実は存在する。
『どうやったらほかの人に迷惑をかけずに楽しく幸せに信仰を広めていくことができるのかを考える……』というメッセージには、共感しました。
宗教のことで悩んでいる人たちがたくさんいることがこの本でわかりました。ただし、みなさん、世間では、自分が宗教活動に関わりをもっていることを隠されています。(かくされています)
(つづく)
5人目の方です。
3人兄弟のうち、末っ子の三男が17歳で自殺しています。(宗教が原因の自殺)
暗い話になりそうです。
生き続けるために宗教や信仰があるのではないのか。
スピリチュアル(精神世界。目には見えない)、霊能力者。
そんなものはないと自分は思っています。信じちゃいけない。だまされます。
亡くなった人を悼む気持ちは大事です。(悼む:いたむ。悲しむ。慕う(したう)。感謝する)
どこの宗教の家でも、夫あるいは父親の立場の男性は、無関心、不干渉です。そして、トラブルになると家からいなくなる人が多い。最終的に離婚です。シングルマザーが残ります。
宗教に染まっている親はどうかしているとしか思えません。
こどもに対する『ムチ』という行為は虐待だと思うのですが、家庭の中でやられていると外部の人間は気づけません。されど、宗教施設の中ではやられていたわけで、その場で異論を唱えるおとながひとりもいなかったということは異常です。とくに教団役職のポジションにある人間が『ムチ行為』をやめさせなかったことには読んでいて落胆(らくたん)します。
なんというか、親族も学校も助けてくれない。警察を呼んでもいいような出来事もあります。だけど警察もどこまで対応できるか疑問です。なにかしら、こどもを救うための法令とか手段が必要です。昨年夏の前首相銃撃事件から検討されているのでしょう。(この部分を書いたあと、150ページに専門家の方の支援者としての強い衝撃があったと書いてありました。大学教授。内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。学校は宗教二世のこどもの貧困に気づかず、助けてくれなかったのです)
さらになんというか、こうしている間でも、日本のどこかで、現在進行形で、児童虐待行為は行われているのでしょう。
ほかの方の告白も含めて、宗教二世は、精神を病(や)んだり、アルコール依存になったりすることが書いてあります。
宗教活動がない家に生まれていたら起きない現象があります。
バーンアウト:燃え尽き症候群
この方の告白部分を読み終えて思ったことです。
-自分が、自分として、しっかりしなきゃ。人から嫌われてもいいから、自分はこうすることが自分にとって正しいと思うからそうするという強い意志をもったほうがいい。迷信を信じちゃいけない。(迷信:めいしん。合理的な根拠がない。科学的な根拠がない。誤った情報。ウソの情報。いないものはいない。いるものはいる。白か黒かの世界を見きわめる。とかく、人はグレーゾーンで生きたがるものですが、肝心なときには、喜怒哀楽の感情を消して、理屈で割り切る)-
(つづく)
6人目の方です。
母親が信仰をする人です。
読んでいると、気の毒で、涙がこぼれ落ちそうになります。
ちびっこにとっての毎日は『遊び』です。こどもは『遊び』から生活を学びます。
お経さん(おきょうさん)を強制的に毎日決まった時間に唱えさせられます。(となえさせられます)お経に書いてあること(文章)は何が書いてあるのか、何の意味なのかは、こどもにはわかりません。あんがい、おとなもわかっていません。そして、父親は酒飲みです。
信仰をしている人にとっては、大切なものなのでしょうが、信仰をしていない人にとっては『紙』でしかありません。そもそも、仏像や紙に魂は宿ってはいないと思います。もとは、木であり、紙であるだけです。
結局お母さんは、自殺しています。
救いはなかった。
夫婦関係は冷え切っていた。
こどもはがっくりくるしかありません。
信仰は、天国に行くためではなく、地獄にいくためにあったのか。
母親は、教団以外に人間関係がなかった。
勧誘はしつこい。
母親が亡くなったあとも勧誘はやまりません。
選挙になれば、投票の依頼があります。(指示に近いのでしょう。強制という圧迫感があります)
気が狂っている行為です。理解できません。家族のうちのおひとりが、信仰が理由で自殺しているというのに、信仰活動の勧誘をする人はどんな気持ちで勧誘をしているのだろうか。脳の中の活動が機械的です。あるいは、人間にとって大切な脳みその一部分が欠落しているようでもあります。
(つづく)
第Ⅱ部は専門家同士の対談です。
宗教二世のこどもは、ものすごい労力を宗教布教活動に費やしています。(ついやしています)
お金だけではなく、時間と労力です。こどもが労働力として扱われていた昔の日本社会、昔のヨーロッパ社会のようです。
そうやって、こどもは、いろいろなものを失っていきます。あるいは、おとなたちに奪われています。
PTA会長をしている人が教団の人だったりもする。
そんな人が自分のこどもに人が見ていないところで『ムチ』という虐待行為をする。
だれもがやりたくない地域の職に、みかけの立派さで就(つ)いてしまう危険があります。隙(すき)があります。公的な立場が布教活動に利用されるのではないかという怖さが(こわさが)潜んでいます。(ひそんでいます)
見かけだけは上品な人が多い宗教というような印象があります。
子育てがじょうずにできる親は少ない。
愛情不足の親がいます。
愛情表現のしかたが、屈折している親がいます。
こどもは(宗教活動をしていてもしていなくても)最後は、「自分で」なんとかするしかない。自立と自活をするしかない。
アディクション:依存症。満たされなさや空虚な感じを、なにかで満たす。薬物や暴力の行使、アルコール、ギャンブルなどの手段をとる。ネット中毒、ゲーム中毒など。日本語で、嗜癖(しへき)。
神に依存する。
こどもを「叱る(しかる)」ことで、快感が生れる。
パワハラ上司も「叱る」ことで、上司に快感が生れる。部下はひたすら苦痛で、なんの効果もない。こどもも同様に苦痛を感じるだけで、苦痛からの抜け道を考えることしか思い浮かばない。
とりあえず安心な宗教:どんな宗教でも絶対に安全ではない。
提案として、そういう考え方があるのかとはっとさせられました。
『宗教活動を18歳未満は禁止にする。成人後、各自がどうするのかを判断する』
日本国憲法の精神に沿わない宗教を否定する。
基本的人権の尊重。平和主義。法の下(もと)の平等。教育を受ける権利
カルト:崇拝。礼拝。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。反社会的な団体。犯罪行為がある。
ドグマ的:宗教の教義。独断的な説(せつ)。
165ページまで読んできて、宗教のことでこんなに悩んでいるのかと驚かされました。
イヤなことはイヤだと主張できる人間になれたらいいのに。
自立・自活できるまではがまんして、18歳になったら、そんな親とはサヨナラです。合法的な家出をするしかないという気持ちになります。
親が、犯罪者に見えてくるような行為を、親が何の疑問ももたずにしてきます。
こどもは親に連れ回されます。
ウェルビーイング:利益を実現した状態
猜疑心(さいぎしん):疑う気持ち
宗教に関しては『親は親、こどもはこども』と分離する。
こども家庭庁のことも話題として出てきます。
児相(じそう):文章の中では、児童相談所のことを「児相」と略して表記してありますが、略さずに児童相談所と書かれたほうが読むほうは、わかりやすいです。一般の人で、児童相談所のことを知っている人は少ないと思います。児童相談所と関わりをもつ人は、人口全体のなかでは少ない割合でしょう。
教義に従わないと『先祖代々まで地獄に落ちる』(先祖というのは、もうこの世に存在しない人たちです。何を言っているのか理解できません)
『神の子』(いいえ、人の子です)
どれもこれも「脅迫」です。
ピアサポーター:同じような立場にいる支援者
フランスの反セクト法:宗教団体に対する規制法。2001年成立。(自分なりに、人の道に反する反社会的な行為をする宗教団体を取り締まる法律だろうと解釈しました)
(つづく)
アドボカシー:擁護(ようご)、代弁、支持、表明
親が宗教にのめりこんでいくなかで、こどもが翻弄される。(ほんろう:本人の意思に関係なくふりまわされる)
こどもにとっては、まるで、嵐の中にいるようです。不安定です。
いろいろ問題提起があります。
現在の政府与党の枠組みから考えて、与党は、特定の団体のこととして処理したい。
伝統的な宗教団体においても宗教二世の問題と課題は存在する。
裁判所は、宗教問題の判断に消極的
リテラシー:読解記述力(どっかいきじゅつりょく)。適切に、理解・解釈・分析をして、改めて、記述で表現する。
読んでいて、いろいろむずかしい現状があります。
『こども家庭庁』といのは、最初の頃は『こども庁』でいくのだろうと思われていたというのは初めて知りました。社会的に問題になった宗教団体の「家庭連合」からきているのではないかという説があり、真偽のほどはわかりません。
とかく人間界とか政治の世界は、グレーゾーン(灰色の空間)です。最優先は「権力」と「お金」なのでしょう。
(つづく)
宗教団体が設立した学校を卒業した宗教二世の不幸が書かれてあります。
就職時に、偏見、差別にさらされるのです。
パーソナリティ:個性。人柄
宗教家だから人に優しいということはない。
教義に従うことに厳しいという面はある。
自分だけでなくて、抵抗力のないこどもにも信仰を強制する。
そこに問題点と課題がある。
いじめが多い学校生活です。
社会に出てもいじめや差別があります。
宗教二世は、なにかといじめの対象者になりやすい。
生きづらさがあります。
こどもは孤立します。
作品『星の子』は読みました。
邦画では、最後に、芦田愛菜さんが演じるこどもさんは信仰から逃れる(のがれる)ことをあきらめるのです。
両親が信仰する宗教に浸かる(つかる)ことにしたのです。物悲しいお話でした。
『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』
病弱に生まれた主人公林ちひろ(ちーちゃん)を救うために、「水」にからんだ新興宗教らしき活動に積極的に関わる両親がいます。それが原因で、親族関係、親子関係(ちーちゃんの5歳上に姉のまさみさん、まーちゃんがいる)が破たんしていきます。
宗教小説は避けられる傾向にあるのですが、この小説の場合、成功しています。
今年読んで良かった一冊になりました。
前半のひとりひとりの告白は、胸に響くものがありました。
後半の専門家同士の対談では、『宗教』とか『信仰』とか、個人の自由に関するもので、対応が不明瞭で取り組みにくかったりすることがわかりました。
『信仰』というものは、個人の心を支えるものであり、こどもの心を破壊するものではないというところはしっかり押さえておきたいという気持ちになりました。
非合理的なこと、理屈に合わないことには従わないという強い意志が必要なことがわかりました。
2022年7月8日、前総理大臣の銃撃事件があった昨年夏から話題になっていることがらです。
新刊書をチェックしていて目に留まり、興味を持ち取り寄せました。
関係者は、元統一教会2世信者、元オウム真理教2世信者、天理教5世信者、元エホバの証人2世信者、元創価学会2世信者、教育学者、社会福祉士、ジャーナリスト(報道に関わる人)、宗教社会学者などの方々です。
ふつう、宗教で心が救われるのではないか。
宗教で苦しまなければならないのは、本末転倒ではないか。(ほんまつてんとう:逆効果。本来の意味を失っている)
ひとつには、お金の問題があります。
社会生活を送るためにはお金がいります。
わたしたちは、税金を支払って、国や自治体に運用をまかせています。
収入や財産に応じて、税金を負担しています。
宗教団体活動にもお金がいります。組織を運営し維持していくためにお金がいります。
宗教団体には、税金という法律に基づく制度はありません。うちわ(内輪)の取り決めで運営費の徴収があります。度が過ぎた徴収(寄附行為)は、不幸を生みます。
読み始めます。
(そして、最初の人の文章を読み終えました)
かなり衝撃を受けました。ひどい。
宗教二世の不幸が書いてありました。
この文章を読んで、救われる人がいるでしょう。同じく宗教二世で育って、ひどい体験をされた、あるいは、今されている人たちです。
読む前の前知識として、宗教団体は税金が非課税になる部分がある。学校法人も、医療法人も同様の取り扱いがある。
だれのために宗教団体があるのか。金銭で利益を受ける組織の上層部にいる人間のためにあるのか。宗教集団の中で、利益を分かち合うのか。仲間である人間関係を利用して、利益獲得活動に生かしていくのか。
さて、最初の人のお話です。
発達障害の母親が宗教活動を始めた不幸が書いてあります。
孤独な発達障害の人は、宗教勧誘のカモだったそうです。(カモ:だまされやすい人。餌食(えじき)都合のいい人)
夫と妻の関係があります。
妻は信仰活動に熱心で、夫は反対していても無関心で妻の信仰活動に干渉しないという構図があります。そして、こどもたちは不幸におちいります。父親には、家族という小さな社会をまとめる力(ちから)がありません。
こどもに対する「ムチ」の時間というのは初めて聞きました。
明らかに児童虐待です。「しつけ」という名の「暴力」です。気が狂っています。
サタンとは何? わたしからすれば、自分のこどもをたたく母親がサタンです。(悪魔)
宗教に浸かった(つかった)発達障害の母親は暴力の加減(かげん。程度)を知りません。徹底的にこどもの心身を痛めつけます。そんなことを続けていたら、こどもが死んじゃいます。こどもが発狂します。宗教が殺人者を生んでしまいます。
こどもに対するかなりひどい体罰があります。理由がわかりません。再び、サタンとは何者なのかという疑問が生じます。
宗教二世のこどもに時間の感覚がありません。成長しておとなになっても、虐待を受けた時期の前後関係がありません。時間の経過がないのです。虐待は、過去のことではないのです。フラッシュバックという現象で、過去が、現在のこととして瞬間的に脳裏によみがえるのです。おそろしい。
(体育教師で体操に失敗して車いす生活になった)星野富弘さんという障害者で、口にくわえた筆でお花の植物絵を描かれる人のことが文章の中に出てきました。(わたしは、群馬県にある富弘美術館まで星野富弘さんの絵を見に行ったことがあります。絵画集も数冊購入しました)
ふつうは、星野富弘さんのことを、障害に負けずにがんばっている人と思うのですが、こちらの宗教二世である執筆者はそうは思っておられませんでした。宗教をめぐる親子関係に悩んでいた小学四年生のときに、団地の5階から飛び降り自殺をしようとしたけれど、もし即死しないで、星野富弘さんみたいな障害者になったらイヤだと思って飛び降り自殺を思いとどまっておられます。
こどもの心をそこまで追い込む宗教とはなんだろう。
ちなみに、星野富弘さんは体が不自由になられたあと、宗教によって救われています。宗教ってなんだろう。宗教には二面性があるようです。
星野富弘さんは、絶望のふちから帰還されていますが、とても長い時間がかかっています。自由のないお体になられたあと、宗教が心の支えになっていきます。
1970年6月(昭和45年)中学校の体育教師をしていて運動中に頚椎(けいつい。首のうしろ)を損傷し手足が動かなくなる。口に筆をくわえて絵や文章を書き始める。
勉強もできてスポーツにも長(た)けている。事故は相当のショックだったでしょう。24歳からの9年間の寝たきり入院生活は絶望の淵(ふち)にいたとお察しします。
星野富弘さんの言葉で心に残っているものがあります。おぼろげな記憶ですが『川で泳いでいたら川の水の勢いに巻き込まれて自分の体が下流に流されてしまった。元の岸に戻ろうとあがいていたら溺れて死にそうになった。川の流れにさからうことをやめて、川の流れに身をまかせて流れていたら、体は自分の知らない岸に流れ着いた。自分は、流れ着いた岸で暮らしていくことにした。気持ちが楽になった』というような内容でした。自分なりに『川』というのはお住いの近くを流れている『渡良瀬川(わたらせがわ)』だろうと決めつけました。最近読んだ本『リバー 奥田英朗(おくだひでお) 集英社』の舞台です。物語は連続殺人事件の犯人を追う警察ものでした。
宗教団体の幹部の人は、こちらの宗教二世の本を読んでどう思い、どう感じるのだろうか。
こどもにとって不幸だらけの生活があります。
(話は飛びますが、このあと、168ページあたりまで読んで思ったこととして:特定の宗教団体の活動のありかたがおかしい)
宗教二世のご本人の気持ちとして、(自分に信仰を強制した)母親は、現実には生きているけれど、自分のなかでは死んだままになっているそうです。
希死念慮(きしねんりょ):消えてなくなりたい。楽になりたい。
『永遠の地獄を生きている』(すごい言葉です)
楽しいことがいっぱいあるはずのこども時代です。
『地獄への扉は開いたままになっている。』と結んであります。
おそろしい。
(つづく)
ふたり目は別の宗教の二世の方の記述です。四十代女性。
両親が入信していて、家族とともに教団施設で生まれ育ったそうです。
異常な世界があります。
どうしてこんなことが起きるのだろう。
人間はだまされやすい。
だれが得をしたのだろう。
教団の上層部の人間です。
合法的な暴力と虐待があります。
被害者は抵抗ができないこどもです。
国政選挙の時には、両親が強制的に選挙の仕事に駆り出される(かりだされる)そうです。選挙の運動員とかウグイス嬢として働き、数週間帰宅しないそうです。(無料奉仕のようなことをニュースで聞きました。政策立案面で団体に利益があるようにという下心が見えます)
教団施設内のこどもたちは、そのあいだほったらかしにされて、食べ物はなく、衣類の洗濯もしてもらえなかったそうです。
関与した政治家はこれを聞いてどう思うのだろう。こどもの福祉向上のためにがんばりますなんて、大きな声では言えないでしょう。
昔のアイドル女性歌手の名前が出ます。
彼女のファンだった友人に誘われて、わたしも彼女のコンサートに行ったことがあります。
もう昔のことです。
その後、彼女が宗教団体と関係があるというニュースを聞いたときには、なんのことか自分にはわかりませんでした。集団だったか合同だったかの結婚式があって、教団が決めた相手と結婚するというような報道でした。(相手とは会ったこともないという状態で結婚する)
たしか日本国憲法の学習では、両性の合意のみで男女は結婚すると学んだ気がしたのですが、当人同士が了解しているのならそういうこともありなのだろう。教団もそれなりの相手をあてがってくれるのだろうと、そのときはあまり気にもしませんでした。(されど、当事者たちの中には相当悩んでいた人がいたと、この本を読んでわかりました)
こどもたちの親が洗脳されています。(せんのう。権力者の都合のいいように、心の動きをコントロールされている。心も体もお金も命も、権力者の意のままに管理されている)
親は教団に対しては、被害者であり、こどもに対しては、加害者でもあります。
教えとして『……天の前では嘘ではない』『……神さまのところにそのお金が行くことによって、そのサタン側にあったお金が、天の側(そば)に帰る……』
(わたしには、教団の教えであるその部分を読んでも、教えが、なにを言っているのかわかりません。わたしは、長いこと生きてきましたが、これまでに、神さまを見たことはありません。神さまはいてほしいけれど、現実にはいないのです。ガッツ(闘志)という強い気持ちをもって、自分でがんばるしかないのです)
『天国では公用語は韓国語なんだ……』(? 天国では、韓国語で話すのか。そんなことありえないでしょ。そんな教えを信じることが信じられません)
疑問をもたないという恐さ(こわさ)があります。何でもすんなり受け入れてしまう。危険です。(人に指示されて生活することは、楽な生き方ではあります。トラブルが起きた時に、あの人がああ言ったからと、責任を他者のせいにすればいいのですから。それは『自立・自活』からは遠ざかった生き方です。だれかに、あるいは組織に寄生する(きせいする)生き方ともいえます)
相談窓口について書いてあります。
役所は頼りない。事なかれ主義です。とりあえず、外部向けに、こんなことをしていますというみかけだけの相談窓口をつくってある。なかみはない。
働く人間は、毎月決まった日に決まった額の給料をもらえればそれでいい。やっかいなことには深入りしない。
対応する職員の資質次第で、その後の流れの方向性が決まってしまいます。
宗教二世は途方(とほう)に暮れています。
宗教二世からの叫び声が聞こえてくる本です。
(つづく)
3人目の方の告白です。
仲良しだった母のいとこに誘われて母とともに入信(にゅうしん。信者になる)。1988年(昭和63年)ご本人はまだ小学生です。
親族の名前を勝手に使って、本人の知らない間に入信させられていた親族もいたそうです。めちゃくちゃです。
宗教団体の巧妙な仕掛けにはまっていきます。
読んでいると、まるでばかげたような修行に魂を奪われるようにのめりこんでいます。人間って、洗脳されるとなんでもできてしまうのか……(拒否できないのです)
修行において、覚せい剤まで使用されています。当然修行をすれば、幻覚が見えます。それが修行の効能だという嘘があります。
教えに従うことで、社会を敵だと思い、教団を正義だと思う。そんな思い込みがあります。
宗教を妄信(もうしん)して、教祖を尊ぶ(とうとぶ)。『絶対的な尊師』とあります。
シャクティ-パット:眉間(みけん。まゆの間)を指圧するイニシエーション(儀式。エネルギーを与えて、弟子を成就(じょうじゅ)・解脱(げだつ)させる(わたしにはなんのことかわかりません。そんなことをしなくても人間は生きていけます))なんだか、マンガの本を見るようです。
宗教二世は、こどものころから閉鎖的な空間に置かれていたので『おかしい』と思う思い付きがありません。
『中二病(背伸び、自己顕示欲、劣等感、ひねくれた物言い)』がいつまでも抜けない人がいます。
脳の中身がこどものままで体がおとなになって、なにもしないまま、歳をとっていく人がいます。思考は十代のままです。ただ、そういう人生もあります。否定はできません。
帰依(きえ):拠り所(よりどころ)
かなり重いお話でした。
人生はまだ長いので、これから幸せを取りもどしてほしい。
(つづく)
4人目の方です。 三十代の方です。
宗教5世の方です。現役です。
独特な世界観がありますが、日常生活への規制はゆるい。ゆえにやれるということはあります。
ほかの宗教を否定しない。政府を否定しない。(読んでいて、いろんな考え方をする宗教があると感じました)
今は宗教活動になじんでいるが、若い頃は悩まれたそうです。
読みながら『バランス』について考えました。
いろんな人がいます。宗教活動に熱心な人から、辞めたい人までの幅がある。
『宗教』自体には、学ぶ価値がある。
『信仰(神や仏を信じて、生きていくための心や気持ちのよりどころとする)』が人間にとって大切なものであるという事実は存在する。
『どうやったらほかの人に迷惑をかけずに楽しく幸せに信仰を広めていくことができるのかを考える……』というメッセージには、共感しました。
宗教のことで悩んでいる人たちがたくさんいることがこの本でわかりました。ただし、みなさん、世間では、自分が宗教活動に関わりをもっていることを隠されています。(かくされています)
(つづく)
5人目の方です。
3人兄弟のうち、末っ子の三男が17歳で自殺しています。(宗教が原因の自殺)
暗い話になりそうです。
生き続けるために宗教や信仰があるのではないのか。
スピリチュアル(精神世界。目には見えない)、霊能力者。
そんなものはないと自分は思っています。信じちゃいけない。だまされます。
亡くなった人を悼む気持ちは大事です。(悼む:いたむ。悲しむ。慕う(したう)。感謝する)
どこの宗教の家でも、夫あるいは父親の立場の男性は、無関心、不干渉です。そして、トラブルになると家からいなくなる人が多い。最終的に離婚です。シングルマザーが残ります。
宗教に染まっている親はどうかしているとしか思えません。
こどもに対する『ムチ』という行為は虐待だと思うのですが、家庭の中でやられていると外部の人間は気づけません。されど、宗教施設の中ではやられていたわけで、その場で異論を唱えるおとながひとりもいなかったということは異常です。とくに教団役職のポジションにある人間が『ムチ行為』をやめさせなかったことには読んでいて落胆(らくたん)します。
なんというか、親族も学校も助けてくれない。警察を呼んでもいいような出来事もあります。だけど警察もどこまで対応できるか疑問です。なにかしら、こどもを救うための法令とか手段が必要です。昨年夏の前首相銃撃事件から検討されているのでしょう。(この部分を書いたあと、150ページに専門家の方の支援者としての強い衝撃があったと書いてありました。大学教授。内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。学校は宗教二世のこどもの貧困に気づかず、助けてくれなかったのです)
さらになんというか、こうしている間でも、日本のどこかで、現在進行形で、児童虐待行為は行われているのでしょう。
ほかの方の告白も含めて、宗教二世は、精神を病(や)んだり、アルコール依存になったりすることが書いてあります。
宗教活動がない家に生まれていたら起きない現象があります。
バーンアウト:燃え尽き症候群
この方の告白部分を読み終えて思ったことです。
-自分が、自分として、しっかりしなきゃ。人から嫌われてもいいから、自分はこうすることが自分にとって正しいと思うからそうするという強い意志をもったほうがいい。迷信を信じちゃいけない。(迷信:めいしん。合理的な根拠がない。科学的な根拠がない。誤った情報。ウソの情報。いないものはいない。いるものはいる。白か黒かの世界を見きわめる。とかく、人はグレーゾーンで生きたがるものですが、肝心なときには、喜怒哀楽の感情を消して、理屈で割り切る)-
(つづく)
6人目の方です。
母親が信仰をする人です。
読んでいると、気の毒で、涙がこぼれ落ちそうになります。
ちびっこにとっての毎日は『遊び』です。こどもは『遊び』から生活を学びます。
お経さん(おきょうさん)を強制的に毎日決まった時間に唱えさせられます。(となえさせられます)お経に書いてあること(文章)は何が書いてあるのか、何の意味なのかは、こどもにはわかりません。あんがい、おとなもわかっていません。そして、父親は酒飲みです。
信仰をしている人にとっては、大切なものなのでしょうが、信仰をしていない人にとっては『紙』でしかありません。そもそも、仏像や紙に魂は宿ってはいないと思います。もとは、木であり、紙であるだけです。
結局お母さんは、自殺しています。
救いはなかった。
夫婦関係は冷え切っていた。
こどもはがっくりくるしかありません。
信仰は、天国に行くためではなく、地獄にいくためにあったのか。
母親は、教団以外に人間関係がなかった。
勧誘はしつこい。
母親が亡くなったあとも勧誘はやまりません。
選挙になれば、投票の依頼があります。(指示に近いのでしょう。強制という圧迫感があります)
気が狂っている行為です。理解できません。家族のうちのおひとりが、信仰が理由で自殺しているというのに、信仰活動の勧誘をする人はどんな気持ちで勧誘をしているのだろうか。脳の中の活動が機械的です。あるいは、人間にとって大切な脳みその一部分が欠落しているようでもあります。
(つづく)
第Ⅱ部は専門家同士の対談です。
宗教二世のこどもは、ものすごい労力を宗教布教活動に費やしています。(ついやしています)
お金だけではなく、時間と労力です。こどもが労働力として扱われていた昔の日本社会、昔のヨーロッパ社会のようです。
そうやって、こどもは、いろいろなものを失っていきます。あるいは、おとなたちに奪われています。
PTA会長をしている人が教団の人だったりもする。
そんな人が自分のこどもに人が見ていないところで『ムチ』という虐待行為をする。
だれもがやりたくない地域の職に、みかけの立派さで就(つ)いてしまう危険があります。隙(すき)があります。公的な立場が布教活動に利用されるのではないかという怖さが(こわさが)潜んでいます。(ひそんでいます)
見かけだけは上品な人が多い宗教というような印象があります。
子育てがじょうずにできる親は少ない。
愛情不足の親がいます。
愛情表現のしかたが、屈折している親がいます。
こどもは(宗教活動をしていてもしていなくても)最後は、「自分で」なんとかするしかない。自立と自活をするしかない。
アディクション:依存症。満たされなさや空虚な感じを、なにかで満たす。薬物や暴力の行使、アルコール、ギャンブルなどの手段をとる。ネット中毒、ゲーム中毒など。日本語で、嗜癖(しへき)。
神に依存する。
こどもを「叱る(しかる)」ことで、快感が生れる。
パワハラ上司も「叱る」ことで、上司に快感が生れる。部下はひたすら苦痛で、なんの効果もない。こどもも同様に苦痛を感じるだけで、苦痛からの抜け道を考えることしか思い浮かばない。
とりあえず安心な宗教:どんな宗教でも絶対に安全ではない。
提案として、そういう考え方があるのかとはっとさせられました。
『宗教活動を18歳未満は禁止にする。成人後、各自がどうするのかを判断する』
日本国憲法の精神に沿わない宗教を否定する。
基本的人権の尊重。平和主義。法の下(もと)の平等。教育を受ける権利
カルト:崇拝。礼拝。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。反社会的な団体。犯罪行為がある。
ドグマ的:宗教の教義。独断的な説(せつ)。
165ページまで読んできて、宗教のことでこんなに悩んでいるのかと驚かされました。
イヤなことはイヤだと主張できる人間になれたらいいのに。
自立・自活できるまではがまんして、18歳になったら、そんな親とはサヨナラです。合法的な家出をするしかないという気持ちになります。
親が、犯罪者に見えてくるような行為を、親が何の疑問ももたずにしてきます。
こどもは親に連れ回されます。
ウェルビーイング:利益を実現した状態
猜疑心(さいぎしん):疑う気持ち
宗教に関しては『親は親、こどもはこども』と分離する。
こども家庭庁のことも話題として出てきます。
児相(じそう):文章の中では、児童相談所のことを「児相」と略して表記してありますが、略さずに児童相談所と書かれたほうが読むほうは、わかりやすいです。一般の人で、児童相談所のことを知っている人は少ないと思います。児童相談所と関わりをもつ人は、人口全体のなかでは少ない割合でしょう。
教義に従わないと『先祖代々まで地獄に落ちる』(先祖というのは、もうこの世に存在しない人たちです。何を言っているのか理解できません)
『神の子』(いいえ、人の子です)
どれもこれも「脅迫」です。
ピアサポーター:同じような立場にいる支援者
フランスの反セクト法:宗教団体に対する規制法。2001年成立。(自分なりに、人の道に反する反社会的な行為をする宗教団体を取り締まる法律だろうと解釈しました)
(つづく)
アドボカシー:擁護(ようご)、代弁、支持、表明
親が宗教にのめりこんでいくなかで、こどもが翻弄される。(ほんろう:本人の意思に関係なくふりまわされる)
こどもにとっては、まるで、嵐の中にいるようです。不安定です。
いろいろ問題提起があります。
現在の政府与党の枠組みから考えて、与党は、特定の団体のこととして処理したい。
伝統的な宗教団体においても宗教二世の問題と課題は存在する。
裁判所は、宗教問題の判断に消極的
リテラシー:読解記述力(どっかいきじゅつりょく)。適切に、理解・解釈・分析をして、改めて、記述で表現する。
読んでいて、いろいろむずかしい現状があります。
『こども家庭庁』といのは、最初の頃は『こども庁』でいくのだろうと思われていたというのは初めて知りました。社会的に問題になった宗教団体の「家庭連合」からきているのではないかという説があり、真偽のほどはわかりません。
とかく人間界とか政治の世界は、グレーゾーン(灰色の空間)です。最優先は「権力」と「お金」なのでしょう。
(つづく)
宗教団体が設立した学校を卒業した宗教二世の不幸が書かれてあります。
就職時に、偏見、差別にさらされるのです。
パーソナリティ:個性。人柄
宗教家だから人に優しいということはない。
教義に従うことに厳しいという面はある。
自分だけでなくて、抵抗力のないこどもにも信仰を強制する。
そこに問題点と課題がある。
いじめが多い学校生活です。
社会に出てもいじめや差別があります。
宗教二世は、なにかといじめの対象者になりやすい。
生きづらさがあります。
こどもは孤立します。
作品『星の子』は読みました。
邦画では、最後に、芦田愛菜さんが演じるこどもさんは信仰から逃れる(のがれる)ことをあきらめるのです。
両親が信仰する宗教に浸かる(つかる)ことにしたのです。物悲しいお話でした。
『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』
病弱に生まれた主人公林ちひろ(ちーちゃん)を救うために、「水」にからんだ新興宗教らしき活動に積極的に関わる両親がいます。それが原因で、親族関係、親子関係(ちーちゃんの5歳上に姉のまさみさん、まーちゃんがいる)が破たんしていきます。
宗教小説は避けられる傾向にあるのですが、この小説の場合、成功しています。
今年読んで良かった一冊になりました。
前半のひとりひとりの告白は、胸に響くものがありました。
後半の専門家同士の対談では、『宗教』とか『信仰』とか、個人の自由に関するもので、対応が不明瞭で取り組みにくかったりすることがわかりました。
『信仰』というものは、個人の心を支えるものであり、こどもの心を破壊するものではないというところはしっかり押さえておきたいという気持ちになりました。
非合理的なこと、理屈に合わないことには従わないという強い意志が必要なことがわかりました。