2023年03月06日

ちょっとだけまいご BL出版

ちょっとだけまいご クリス・ホートン・作 木坂涼・訳 BL出版

 訳者の方、木坂涼さんは『ピッツアぼうや ウィリアム・スタイグ・作 木坂涼・訳 らんか社』でもお見かけしました。

 最初のページの右上に小さな字で意味深い言葉が書いてあります。『私たちは自分の置かれている状況がなかなか見えない。正反対の状況と比べられなければ。また、自分がどんなに恵まれているか、失ってはじめてわかるのだ。』ダニエル・デフォー著「ロビンソン・クルーソー」よりとあります。
 この絵本の内容と関連があるとすれば、読み終えた今感ずるのは、まいごになったこどものふくろうの境遇と経過のことです。2012年第一刷発行のこどもさん向けの絵本です。(平成24年)

 自分は迷子になったことは二度あります。一度目は小学二年生のとき、転校したばかりの小学校からの帰路で、来るときに覚えていた道を一本間違えて曲がってしまいました。知らない集落で家に帰れないと泣いていたところ、女の人が出て来て話を聞いてくれて、その人の息子さん中学生が自転車の後ろに小学二年生のわたしを乗せて、自宅がある集落まで連れて行って、人に聞きながら、わたしの家をさがしてくれました。あの時は、不安で怖かった。
 もう一度は、親族十人ぐらいで東京の浅草観音を観光していたら、わたしだけがみんなからはぐれてしまいました。だれもわたしを探してもくれませんでした。
 やむなくわたしは、みんなで荷物を預けたコインロッカーのそばで長いことみんなが帰って来るのを待っていました。
 みんなは、どこに行っとったんだと笑うだけでした。もう三十年以上前のことです。
 こどもが迷子になると親はあせります。ただ、こども自身は、自分が迷子だとは思っていません。
 あんがい自力で歩いて、自宅に戻っていたりもします。親はほっとします。

 さあ、絵本の始まりです。
 ページをめくって、おもしろい。
 しかけがしてある絵本です。
 半分のページの大きさのページが入れてあって、そのページをめくると、フクロウの子が、フクロウの巣から転落していきます。
 絵が軽いタッチできれいです。切り絵の貼り絵(はりえ)に見えます。
 ふくろうのこどものことは『ちびフクロウ』と表現します。
 
 リスが出てきて、まいごになってしまったちびフクロウを助けます。
 クマ→ウサギ→カエルとちびフクロウの親さがしが続きます。
 単純な展開ですが、読み聞かせのときにちびっことのお話ははずみそうです。
 
 『巣という家』をさがすというよりも『ママ』をさがします。
 ちびっこにとっての家は、ママなのです。
 ちびフクロウは『ママ』といいますが、リスとカエルは『かあちゃん』というのがおもしろかった。

 感動的な再会があります。
 ママの目には涙があります。

 なんか、人間みたいな動物たちでした。
 雰囲気が良かった。
 最後のオチ(お話の締め(しめ))もおもしろい。
 また、巣から転落してまいごになりそうなちびフクロウでした。  

Posted by 熊太郎 at 07:23Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年03月05日

ポンコツ一家 にしおかすみこ

ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社

 先日新聞で著者のインタビューを読みました。
 しっかりものの看護師をしていた母親が『(自分の)頭をかちわって死んでやるーー』と大きな声を出していたそうです。驚きました。認知症で人格が変わってしまったようです。
 ぱっと本に目をとおして、おかあさんが認知症、お姉さんがダウン症、お父さんはお酒飲み、にしおかさんは芸人さんです。なかなかハードなものがあります。
 ダウン症:ダウン症候群。染色体が1本多い。遺伝子疾患。身体的発達の遅延。軽度の知的障害。特徴的な顔つき。
 中学のときに病気で亡くなりましたが、うちの親父もお酒飲みで苦労しました。お酒飲みの親をもつと、こどもは、ふつうなら体験しなくてもいい苦労を体験させられます。そうでない家がうらやましかった。

 にしおかファミリーです。
 お母さん:80歳。認知症で無表情。いろいろなことの管理能力なし。機械が壊れるように人間が壊れています。糖尿病があります。
 お姉さん:47歳。ダウン症。
 お父さん:81歳。酔っ払い。耳が遠い。
 著者:45歳。元SM女王さまキャラクターの芸人。独身とあります。なかなか厳しい生活環境です。

 2020年6月(令和2年)コロナ禍の日本から始まります。

 これはカオス(混沌(こんとん)無秩序。混乱)だと思った13ページです。そうしたら、17ページに著者本人が『カオス』と記していました。案外著者とは気が合うかもしれません。
 著者が知る母親は、もうこの世にはいない。人間の姿で、生きて目の前にはいるけれど、かつての母親ではない。
 14ページ、困った、困った。お母さんのセリフ「頭かち割って死んでやるーー」が出てきました。(自分だったらどうするだろうと考えました。医者だ、医者に連れて行こう。それから地域包括支援センター(ちいきほうかつしえんせんたー)に相談だ。(そうしたら、78ページに「地域包括支援センター」という文字が見えました。やっぱり考えることは同じです)
 著者は、家族との同居を選択しました。(施設入所は考えなかったのだろうか。まだわかりません。今は、16ページ付近を読んでいます)
 17ページ、ダウン症47歳の姉の行動が、読んでいて笑えます。「蛍の光」を歌います。もうどうにもならなくなったら、笑うしかありません。
 読んでいると、読み手に、うちはまだましだという気持ちになれて、救われる面があります。
 西岡家は、よく、生活を維持していけるなあと尊敬したくなりました。

(つづく)

 2020年6月(令和2年)、母を精神病院に連れて行きます。
 精神障害者が家族にいるうち(家)の同居家族の対応は大変です。
 究極のツンデレ:二面性あり。冷たくツンツンしたかと思えば、デレデレ甘えてくる。
 『糖尿病と鬱(うつ)とボケはセット』(そんなことは聞いたことがありませんが…… 認知症のお母さんの主張です)
 もうめちゃくちゃです。
 母親が、生年月日を医師にたずねられて『はい。令和2年6月……何日だったか(思い出せません)』されど、それでは 『あかちゃんばあさん』になってしまいます。笑えました。自分は、他人の立場だから笑ってすませることができます。
 まあ、芸人さんですから話の流れづくりがうまい。
 母親『(医師に)頭パカッと割って……(中身を)見せたいです。』
 医師『……後でCTも撮りますから、そしたら中も見られますよ』
 母親の口からは『頭をカチ割る』が何度も出てきます。とにかく、頭を割りたい人です。

 母親の診断が下りました。
 『初期のアルツハイマー型認知症』です。
 たいていの人は、自分が認知症になるとは思っていません。
 だけど、なる人はいます。

 ダウン症のお姉さんが、話のオチ(締め(しめ))をつくってくれます。
 「ヨヨイノヨイィィ」と踊る。
 読んでいてほっとします。騒がしい混乱がおさまります。

 思いもしないことが起こります。
 予測できません。
 母親が、電気のスイッチを入れないで、電動自転車をこいでいます。

 食材を大量に購入して、食べずに溶かしていく。(放置していると、とけてしまうのです)
 四人家族でちゃんとしているのは著者ひとりだけ。
 この先、だいじょうぶだろうか。

 お金の管理がたいへんです。

 2020年10月(令和2年)
 怖い(こわい)。恐ろしい(おそろしい)。
 母親が、自分の娘である著者は、麻薬をやっていると言い出します。

 蜂(はち)との戦いがあります。
 うちも2年前、雨戸の戸袋の下にハチが巣をつくって繁殖してしまって、ハチたちに薬剤をまきながら激しいバトルを繰り広げたことを思い出しました。
 読んでいて、その時と同じぐらいの緊張感と警戒、恐怖心、闘争の心理が湧いて(わいて)きました。

 生きている間だけ、いっしょに過ごせるのが親子です。
 会話ができるのも生きている間だけです。
 人間は歳(とし)をとると、こどもに戻っていく。
 姉が、保育園児が歌う『おべんうばこのうた』を歌う。「これっくらいの おべんとばこに……」
 
 おふろに入らない女性が増えました。
 毎日は入らないとか。シャワーだけとか。
 いいのかなあ。
 あかちゃんをどうやっておふろに入れるのだろう。心配です。
 さて、西岡家の母も姉もおふろに入っていないようすです。

 本に書かれているこの年にはやった『鬼滅の刃(きめつのやいば)』の話は、最近はあまり聞かなくなりました。『パプリカ』という歌も毎日のように流れていましたが聞かなくなりました。

 にしおかすみこさんの心は折れ、精神は切れている状態です。そうなりますわな。
 お姉さんが歌います。『すじーのとおった ふーき……』おもしろい。

 たまに正気になるお母さんからのメモ手紙があります。『……ごめんなさい! ママより』
 にしおかすみこさんは、がんばるしかありません。
 67ページまで読んで「本」っていいなと思いました。苦労している人は、応援したい。

(つづく)

 2021年1月(令和3年)、母親がどこまで正常なのかわかりません。読んでいても不安になります。母親はどういうわけか、自分が自分の次女のにしおかすみこさんを介護していると思っています。事実は逆です。
 母親からにしおかすみこさんに厳しい言葉が飛び続けます。母は、柄が悪い(がらがわるい)。『……(おまえは)死ぬまで一生独身か……』
 母親のこれまでの人生において、母親は今まで仮面をかぶっていたのだろうか。
 お母さんは家族のために尽くしたのです。SMを売りにした(サド・マゾ)芸人の次女、ダウン症の長女、耳が遠いお酒飲みの夫、母親は、いっしょうけんめいがんばって、疲れ果てて、認知症になってしまったのだと思いました。ちょっと……つらいものがあります。

 もう介護保険を活用したほうがいい状態です。
 元看護師だからいいことがあるような気がして読んでいたのですが、元看護師であるがゆえに知りすぎていて、まずいというような状況がみられます。なにかしら疑り深い(うたぐりぶかい)お母さんです。
 にしおかさんは、姉のクソにまみれ、母のゲロにまみれ、たいへんです。
 文章中に出てくる『冷凍マグロ』というのはお母さんのことで、体重が重たいのです。動かすのがたいへんです。
 
 要介護認定の判定は『要支援1』
 まあ、そんなものでしょう。
 
 たいへんですが、ただ、死んでしまうまでの時間は確実に減っていっています。
 人の一生は長いようで短い。
 お葬式で、亡くなった人をあの世へ見送るときにそう思います。
 
 94ページまできましたが、ここまで出てくるのは、お母さんの話がほとんどです。本のタイトルは『ポンコツ一家』です。父と姉はどうなったのだろう。(心配しないでください。このあとのページで出てきました)

 お父さんの意見です。「ママはぼくが嫌いなんだ」と主張します。なにかしら頼りないパパです。

 まるで、ゾンビ映画を観ているような、にしおか家(け)の夜中の家の中です。怖い(こわい)。たいへん。つらい。

(つづく)
 
 お話の構成がおもしろい。
 さすがお笑い芸人さんです。うまい。
 ダウン症のお姉さんの言葉がおもしろい。
 48歳になる姉の誕生日に
 妹著者『おめでとう。いくつになったの?』
 姉『永遠のハタチ~』
 笑いました。

 認知症のお母さん80歳も強烈です。
 『……ハゲた医者にハゲを治せるわけがない!(皮膚科にて)』

 ダウン症の長女をとても愛している母親です。

 なんというか、底辺の暮らしです。
 逆にほっとする人もいるでしょう。うちはまだましだと。
 読んでいて思ったことです。
 まず心身の健康が大事。健康が幸せの基礎。

 ダウン症の姉の存在は、負担ではあるけれど、いないと成立しない家族の一員です。

 ひとつひとつの項目が『小噺(こばなし)』のように書いてあります。落語のようであったり、ショートコントであったりです。されど、当事者は深刻です。
 お酒飲みの『パパ』のことは『パパクソ』と呼びます。
 お母さんの頭の中は壊れています。勘違いによる薬の複数過剰摂取があります。誤飲です。
 あれやこれやと読んでいると悲しくなってきます。自分の次女(にしおかすみこさん)の存在を認識できなくなった母親がいます。
 大丈夫だろうか。介護をしている人間のほうが、うつ病になりそうです。

 四人で線香花火をするシーンが出てきました。
 さだまさしさんの『帰去来(ききょらい)』というLPレコードにある『線香花火』という物悲しい歌が思い出されました。
 47歳ダウン症の姉『(妹の名前)すみちゃん、おもいでだねぇ』
 母親は線香花火10本ほどの束に火をつけます。線香花火の状態ではありません。火の玉状態です。
 母親は、自分が死んでもダウン症の長女を施設には入れないでくれというようなことを次女の著者に言います。

 十二支(じゅうにし)の干支(えと)に『サソリ座』をさがす母親です。(サソリ座は「えと」にありません)
 『土曜日の次は日曜日』で盛り上がっているダウン症の姉と認知症の母です。
 何もかもが壊れている。ここから(この位置から)始まるものがあるような気がしました。
 
 敵愾心(てきがいしん):相手に対して憤りを(いきどおり。怒り(いかり))を感じ、あくまで戦おうという気持ち。
 ケンタウロス:ギリシャ神話にでてくる下半身が馬、上半身が人間の種族。

 考えられないことが起きるのが西岡家の日常です。
 お米の重複購入をしそうだという話が出てきます。
 母親が、同じ要望を複数の家族にするためです。各自が同じくお米を買いに行きます。

 親子でご飯を食べる。
 おいしいものを食べるということは、心の交流を図るうえで大事です。

 172ページまで読んできて、人間って何なのだろうなあという気持ちになりました。
 お花に言葉をかける母親がいます。時には優しくなって、時にはおかしくなってしまう母親です。

 下着姿のままのようなかっこうで、外へ散歩に出て行こうとする80歳の母親です。夏だから、暑いからということがその理由です。もし、下着姿で、外で倒れて死んでいても事件じゃないからと言われても身内は困ります。

 母親の頭の中は、ダウン症の長女中心で回っていることがよくわかる本の内容です。
 お酒飲みの父も認知症予備軍ではなかろうか。アルコールの飲み過ぎです。

 生活費を得るために家族のことを書く。
 まずは生活費を稼がねば生活が始まりません。

 著者あとがきの手前の最後のページまできて思ったことです。(186ページ)
 ウチはウチでこんなウチ(家。いえ)であることを恥ずかしい(はずかしい)と思うことはないのです。
 そんなふうに、この本の内容を受け止めました。  

Posted by 熊太郎 at 07:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年03月04日

駅中(えきなか)での、ひな人形展示

駅中(えきなか)での、ひな人形展示

 別府温泉地獄めぐりを楽しんだあと、親戚に会うために福岡県内に移動しました。
 特急ソニックに乗って、北九州市内の駅で乗り換えました。『折尾駅』でした。とてもきれいな駅でした。まだできて新しいようです。もうずいぶん前のことで記憶が定かではないのですが、昔の折尾駅は、複雑で、当然古く、広かったような覚えです。地域の関係者の方々は、相当努力されて、改築されたようです。気持ちがいいぐらいきれいな駅でした。
 途中の直方駅(のおがたえき)で、もう一度乗り換えをして『新飯塚駅』に着きました。

 折尾駅から、昔で言うところの養護学校の中学校の生徒さんたちが、先生を含めて十人ぐらいの集団で同じ車両に乗り込んでこられました。いい雰囲気でした。なんというか、資本主義、民主主義の世界だと、意見がふたつに割れて『自分たちとあいつら』とか、利潤の追求のための『競争第一主義、成果第一主義』とか、ぎすぎすした空気の中で働いて生活している実感があります。
 電車の中で、生徒さんたちのやりとりをみていると、競争しなくていい。ありのままでいいという人間らしい暮らしの風景があります。車窓の外に見えるいなか風景も車内の雰囲気に合っていて、ほっとできました。

 下車した新飯塚駅の構内にひな人形が展示されていたので写真を撮りました。
 なかなか上手にお人形さんを並べてありました。
 ホームとホームをつなぐ、空中に浮かぶ橋のような部分の自由通路に飾ってありました。(駅構内の跨線橋(こせんきょう)という部分です)
































 駅の近くに『飯塚市歴史資料館』という展示施設があったので中に入って見学しました。
 弥生時代ぐらいからの石器や青銅器等の展示や古墳のことがらなどが充実していました。
 このあたりは、古代からの長い歴史がある地域で、一時期栄えた炭鉱の歴史は、江戸時代以降150年間ぐらいの長さしかなかったのだなあと年表をながめながら考察しました。

 資料館の中にある広い部屋でもたくさんのおひな様飾りのお人形が展示されていました。圧倒されました。たいしたものです。
 今日はもう3月4日(土)なので、3月3日のひな祭りの日を過ぎてしまいましたが、遅ればせながらご紹介しておきます。資料館では、3月21日(火)まで展示されているそうです。
 
 資料館を出たあと、これまた歩いて行ける距離に、元総理の実家があるので見学に行きました。ネットの情報だと、春と秋に一般公開があるということでした。春はひな人形の展示がメイン、秋は紅葉が美しいそうです。
 建物は、現在は一族の関連会社が管理されているそうです。総理になられたご本人は、小学校三年生ぐらいまでこちらの家にいて、東京へ行かれたそうです。昭和23年ぐらいのころです。(1948年)
 麻生大浦荘(あそうおおうらそう)というところです。林に囲まれた小高い里山の中にありました。ただし、今春の一般公開はなかったようでひっそりした雰囲気だったので引き返しました。

(追記:2023年5月15日)
 ニュースを見ていたら、将棋の藤井聡太竜王が、次回の対局(名人戦七番勝負第4局)を自分たち夫婦がこの時見に行った『麻生大浦荘』で、5月21日と22日に渡辺明名人と行うと知り縁を感じました。藤井君は愛知県瀬戸市出身であり身近に感じるので親近感があります。  

Posted by 熊太郎 at 10:39Comments(0)TrackBack(0)福岡県

2023年03月03日

ピッツアぼうや ウィリアム・スタイグ・作 木坂涼・訳

ピッツアぼうや ウィリアム・スタイグ・作 木坂涼・訳 らんか社

 厚い表紙をめくっていくと『まな板の上の鯉(こい)』のような状態に置かれているぼうやが出てきます。
 絵本を読む前の前評判では、ぼうやを料理するらしい。
 ぼうやのお名前は『ピート』です。
 やんちゃな男の子に見えます。
 5歳ぐらいかな。
 家の外は雨ふりで、雨が降っているお庭を、ワンちゃんが歩いています。雨に濡れますなあ。
 家の外で遊べないピートは元気がありません。
 絵だと、おじいちゃんみたいなパパが出てきました。髪の毛があまりないので、年配者に見えます。
 これからパパが、ピートのからだで、ピッツアをつくるそうな。
 ピートを食卓テーブルの上にのせました。
 『ごっこあそび』ですな。
 これまた、おばあちゃんに見えるママが登場する絵です。
 おもしろい。
 発想がいい。
 なにか、作者に体験があるのかもしれません。
 油少々、小麦粉かけて(そうか)
 トマトの輪切りにチーズやら、サラミやら(サラミ:ドライソーセージ)
 優しい(やさしい)。パパは心が優しい。
 ママも優しい(ただ、絵はどう見ても祖父母に見えるのです)
 (そうかそうか)オーブンで焼くのです。アツアツのピッツアができますよーー
 ごっこ遊びをやっているさいちゅうに、雨がやんで、太陽が顔を出すのは、たぶんそうなるのだろうと読み手の自分は、ピンときていました。
 そうか、最後のオチ(お話の終わり)は、ほかにもっといい終わり方があるような。平凡でした。アメリカ合衆国的な終わり方なのでしょう。ハッピーエンドです。
 作者は、1907年生まれですから、日本だと明治40年生まれです。2003年(平成15年)に亡くなっています。亡くなったときは、96歳ぐらいですね。素敵な絵本をこの世に遺して(のこして)くれてありがとう。  

Posted by 熊太郎 at 07:04Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年03月02日

大分別府温泉定期観光バス地獄めぐり

大分別府温泉定期観光バス地獄めぐり

 たくさん写真を撮りました。
 いいお天気で良かった。



























































 湯けむりがいっぱいです。
 別府は温泉の町です。
 人口が11万人ぐらいと聞きました。
 都市部に住む人間からすると少ない人口数です。
 少人数でも、よく、自治体として成り立って、国際観光都市としての管理運営をされていると感心しました。

 定期観光バスは、3時間コースで、午前と午後の2回あるパターンです。同じコースです。
 集団行動なので、行動制限はありますが、別府市内を山から海へと遊覧する形で、効率よく別府の街並みを知ることができました。ありがとうございました。
 利用したバスは満席でした。たしか40人参加でした。ガイドさん付きでした。
 ネットで予約して、乗車前日の別府駅到着時に駅構内にある窓口で乗車券を購入したのですが、もしキャンセルするとその窓口では払い戻しができなくなる(そこからだいぶ離れたバスセンターでないと払い戻しができない)と説明がありました。たまに、なにか、トラブルがあるのでしょう。翌朝、乗車直前の購入を勧められました。
 自分たちは、キャンセルはしないので、必ず乗車しますとお話しをして乗車券を購入しました。
 翌朝、乗車20分前ぐらいに指定のバス停に立った時は、お客さんが8人しかいなかったのですが、乗車時刻が近づくにつれて、乗車待ちのものすごく長い行列ができあがりました。びっくりしました。
 地獄めぐりをしていたときの光景として、一般の路線バスで回っている人たちは、バス停でのバス到着待ちが手持ちぶさたで退屈そうでした。(手持ちぶさた:やることがない)
 自家用車やレンタカー利用者の駐車場はけっこう車が止まっていました。
 平日でしたが、観光客の数は多い。とくに女性、そして、アジア系外国人の方が多い。
 コロナ禍は、確実に終息に向かっています。

 もう30年以上前の話になりますが、高齢ですでに亡くなった義父母のふたりが、観光タクシーで、この地獄めぐりを体験したことがあります。
 九州の人たちは、(都会人と違って)性格がのんびりしていていいなあとおやじさんが言っていたことが思い出されます。
 月日が流れて今度は、当時の義父母たちよりも歳(とし)をとってしまった自分たち夫婦が、同じ場所を巡りました。
 人生は順繰り(じゅんぐり)に回っていきます。  

Posted by 熊太郎 at 07:08Comments(0)TrackBack(0)大分県

2023年03月01日

子うさぎましろのお話 ポプラ社

子うさぎましろのお話 佐々木たづ・文 三好碩也(みよし・せきや)・絵 ポプラ社

 良書です。今年読んで良かった一冊になりました。
 こどもさん向けの絵本です。

 白いうさぎの話です。
 たまたま今年はうさぎ年です。
 絵を見ると、王さまがいて、トナカイがいて、トナカイにうさぎがまたがってのっています。
 うさぎが人間みたいな立ち位置で、擬人法が用いられているのだろうかという読む前の推測です。(王さまは、王さまではなくて、サンタクロースでした)
 北欧フィンランドあたりの話だろうかと思っていましたが、あとがきを見ると、作者の住まいがアメリカ合衆国ボストンで、クリスマスのころは雪深いところですとあるので、作者は、ボストンをイメージしてこの作品を仕上げたのでしょう。
 作者も絵を描いた方も、もうおふたりとも亡くなっています。

 白うさぎの子のお名前が『ましろ』です。
 サンタクロースからのプレゼントは、ひとりにつき1回だけですが、ましろは、うそをついて、2回もらおうとします。欲深いのですが、人間はたいていの人が欲深いと、読んでいて、擁護(ようご。かばう)したくなります。
 
 サンタクロースは、ましろがうそを言っているとわかるのですが、わざとましろにだまされます。
 (オレオレ詐欺のだまされ作戦が思い浮かびました)
 うそつきうさぎといえば日本神話の『因幡の白うさぎ(いなばのしろうさぎ)』を思い出します。サメをだまして海を渡り終えるところでサメにばれて皮をはがされるのです。

 ひとつぶの種が出てきます。
 外国民話『ジャックと豆の木』を思い出しました。ジャックが植えた豆が巨大な樹(き)になって天まで伸びて、ジャックがその豆の木を登って行くのです。

 サンタクロースは、心のやさしいおじいさんです。
 
 うそがばれるとバチが当たる。(悪いことが起きる)
 ましろは、体がまっ白ではなくなりました。
 うさぎは反省して涙を流します。うそをついたことを深く後悔します。
 
 途中にある両開き2ページに広がる雪の森の中の絵がとてもきれいです。白い部分が雪だとわかります。

 作者の発想の流れがステキです。なかなかないパターンです。
 そして、うさぎは、白い体に戻る。

 なるほど。『もみの木』登場です。
 1年の『時(とき)』が経過します。
 宗教的です。
 
 ちびっこは、おもちゃとたべもの、そして絵本が好きです。
 クリスマスツリーのもみの木には『実』がなる無限の世界があります。
 そうか、この本は、クリスマスの時期に読む本です。
 昭和40年代にあった人の心のぬくもりを感じました。昭和45年第一刷の絵本です。
 サンタクロースの立場にたって考えました。
 人づきあいと人を育てるときのコツとして、いきなりの否定はしない。いきなりの𠮟責もしない。(しっせき。注意する。怒る(おこる))
 いったん受け止めて、包んで、気づかせて、育んでいく(はぐくんでいく)。  

Posted by 熊太郎 at 06:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文