2022年06月30日
出川哲朗の充電バイクの旅 愛媛県西条市から香川県丸亀市
出川哲朗の充電バイクの旅 四国 愛媛県西条市から香川県丸亀市の丸亀城まで テレビ番組2022年6月
番組はいつも見ていますが、感想は久しぶりに書きます。
ゲストは、お笑いコンビのミキで、前半が兄の昴生(こうせい)さん、後半が弟の亜星(あせい)さんでした。
なかなか良かった。
昴生さんのファンだという女子中学生ぐらいに見える女子が、昴生さんに偶然会えた嬉しさに路上で号泣されたシーンが心に残りました。人間を見た目で判断せずに中身で好きになっているいい人でした。(まあ、失礼がありましたらごめんなさい。人間は見た目ではありません)
昴生さんご本人も弟さんと交代したあとに『(自分の)芸人人生において、いちばん最高のロケでした』と発言されていました。
なにせ、人が優しい。
四国で暮らす人たちがもつ、気持ちの根っこなのでしょう。
ゆったりと時間が流れています。
海や山、畑や田んぼ、自然と人間が共生する暮らしぶりが伝わってきました。
なんだかんだで、人と人のつながりが色濃い地域です。
コンクリートジャングルの都会は、とがった矢印のようになって競争する社会です。
いっぽういなかは、予定調和で、まあるく協調する社会です。どちらも一長一短はあります。
ひいおばあさんたちとひ孫さんたちとのやりとりに心が温まりました。
三姉妹がいるご自宅訪問も良かった。
娘と男親はうまくいかない時期があるのですが、みなさん仲が良かった。
『出川さん大好きです』という声かけをあちこちで耳にしました。
この番組を見ると、地方の暮らしがわかります。
国会議員の方は観たほうがいいと思います。
地方のアーケード商店街はしぼんでいます。
演者たちの背景にある風景から、いなかに住む日本人の今の暮らしをくみとってほしい。
値上げがどうのこうのといっているけれど、大都会の百貨店や大型スーパーマーケットは、たいへんな人出(ひとで)でにぎわっています。地方と都市部の経済格差が大きい。
元号は、昭和-平成-令和と移り変わってきたのですが、どうも平成が中抜けのようになって、昭和時代の暮らしが、いなかでは今でも色濃く残っています。
飛び込みロケの連続がすごい。
出川哲朗さんだからウェルカムです。
『哲っちゃーん』と声をかけられて『(出川さんの言葉として。写真を)自由に撮ってくださーい』
観衆が『ヤバいよヤバいよ!』の合唱です。
熊谷ディレクターは、ダチョウ俱楽部の寺門ジモンさんと間違えられました。
温泉が気持ちよさそー
出川哲朗さんは、とくにこどもさんたちに優しい。
楽しみました。ありがとう。
番組はいつも見ていますが、感想は久しぶりに書きます。
ゲストは、お笑いコンビのミキで、前半が兄の昴生(こうせい)さん、後半が弟の亜星(あせい)さんでした。
なかなか良かった。
昴生さんのファンだという女子中学生ぐらいに見える女子が、昴生さんに偶然会えた嬉しさに路上で号泣されたシーンが心に残りました。人間を見た目で判断せずに中身で好きになっているいい人でした。(まあ、失礼がありましたらごめんなさい。人間は見た目ではありません)
昴生さんご本人も弟さんと交代したあとに『(自分の)芸人人生において、いちばん最高のロケでした』と発言されていました。
なにせ、人が優しい。
四国で暮らす人たちがもつ、気持ちの根っこなのでしょう。
ゆったりと時間が流れています。
海や山、畑や田んぼ、自然と人間が共生する暮らしぶりが伝わってきました。
なんだかんだで、人と人のつながりが色濃い地域です。
コンクリートジャングルの都会は、とがった矢印のようになって競争する社会です。
いっぽういなかは、予定調和で、まあるく協調する社会です。どちらも一長一短はあります。
ひいおばあさんたちとひ孫さんたちとのやりとりに心が温まりました。
三姉妹がいるご自宅訪問も良かった。
娘と男親はうまくいかない時期があるのですが、みなさん仲が良かった。
『出川さん大好きです』という声かけをあちこちで耳にしました。
この番組を見ると、地方の暮らしがわかります。
国会議員の方は観たほうがいいと思います。
地方のアーケード商店街はしぼんでいます。
演者たちの背景にある風景から、いなかに住む日本人の今の暮らしをくみとってほしい。
値上げがどうのこうのといっているけれど、大都会の百貨店や大型スーパーマーケットは、たいへんな人出(ひとで)でにぎわっています。地方と都市部の経済格差が大きい。
元号は、昭和-平成-令和と移り変わってきたのですが、どうも平成が中抜けのようになって、昭和時代の暮らしが、いなかでは今でも色濃く残っています。
飛び込みロケの連続がすごい。
出川哲朗さんだからウェルカムです。
『哲っちゃーん』と声をかけられて『(出川さんの言葉として。写真を)自由に撮ってくださーい』
観衆が『ヤバいよヤバいよ!』の合唱です。
熊谷ディレクターは、ダチョウ俱楽部の寺門ジモンさんと間違えられました。
温泉が気持ちよさそー
出川哲朗さんは、とくにこどもさんたちに優しい。
楽しみました。ありがとう。
2022年06月28日
江戸時代の瀬戸内海交通 倉知克直
江戸時代の瀬戸内海交通 倉知克直(くらち・かつなお) 吉川弘文館
昔、四国香川県の高松港から小豆島(しょうどじま)にある土庄港(とのしょうこう)をフェリーで往復したことがあります。小豆島では一泊しました。
フェリーの甲板から瀬戸内海をながめながら思ったことです。
瀬戸内海は、海というよりも湖のようだ。以前何度か観たことがある栃木県日光市の山奥にある中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)の湖面に似ている。
瀬戸内海は、静かで、穏やかな(おだやかな)海面でした。
その後、安芸の宮島(広島県)を数回訪れ、あわせて、広島県尾道市などを自家用車で巡って旅をしたときになどに瀬戸内海を見ました。
歴史の本や小説を読むと、昔は、船が、現在の車の役割を果たしていたのだと理解できます。
海上交通を利用して移動することが移動しやすい手段だったのです。
そんなもろもろのことを考えていたころにこの本と出会いました。
読む意欲が生まれたので、読んでみます。
(つづく)
船と言えば、今年思いだすのは、知床半島遊覧船沈没事故です。
映像では邦画「男はつらいよ フーテンの寅さん」の知床旅情とか、東野&岡村の旅猿ロケのシーンを思い出します。それほど、危険な海域とは思えませんでした。
信頼を裏切られた感じがあります。事業主の脳みその中には、金のためという意識しかありません。この事故は、全国の同業者へのイメージダウンにもつながりました。
まず、1回目の本読みです。ゆっくり全ページをめくります。
この本では最初に書いてある文章が気に入りました。
『瀬戸内海は古くからヒトやモノが行き交い、知識と文化が交流する場であった……(さらに東南アジアの世界とも直接結びつきがあったと記述は続きます)』
豊臣秀吉、徳川家康の国内統一後、日本列島を江戸と大阪を結んで船で回る東廻り航路(ひがしまわりこうろ。1670年整備)、西廻り航路(1672年整備)ができた。
先日千鳥の「相席食堂」という番組でダンサーの菅原小春さんという女性が旅をした『牛窓』という地名が本に出てきます。(岡山県瀬戸内市牛窓町うしまど)菅原小春さんはなんだか激しい人でした。びっくりして笑いました。
38ページあたりをながめていて、自分が生まれて初めての記憶が『海』から始まっていることを思い出しました。
たぶんまだ4歳半ぐらいでした。海のそばにある家で暮らしていました。
48ページあたりには、海運事業にからむお金の話が書いてあります。
日本郵船のような株式を思い出します。
52ページに『湊(みなと。港)』をもたない藩の船と蔵本とあります。
港は、現在の鉄道駅のようなものだろうとイメージが湧きました。
海難事故は、交通事故のようなものでしょう。
海難事故に関して考えたのことは、お金もうけも命がけです。
村上水軍とか九鬼水軍(くきすいぐん)、壇ノ浦の源平合戦などが思い浮かびます。
ページをめくっていると、海難事故の歴史書を見ているようでもあります。
ジョン万次郎とか音吉を思い出します。
ジョン万次郎:1827年(江戸時代)-1898年(明治31年)71歳没。高知県出身。英語通訳として江戸幕府で働く。14歳のときに漁師仕事で漂流、ハワイを経由して、アメリカ合衆国に渡り、その後24歳ぐらいで帰国。アメリカ合衆国の捕鯨船の船長に養子のようにして育ててもらった。1860年に咸臨丸(かんりんまる)に乗船して、勝海舟の補佐を務める。坂本龍馬に米国のことを教えた。
音吉(おときち):1819年(江戸時代)-1867年(1868年が明治元年)49歳没。初めてイギリスに帰化した日本人。現在の愛知県知多郡美浜町生まれ。1832年13歳ぐらいのころに14か月間太平洋を東に漂流。アメリカ合衆国のインディアンもしくは、イヌイットに救助される。その後、イギリス船に奴隷として売り飛ばされてイギリスに移り住んだ。1837年に日本に帰国をしようとしたが、三浦半島付近で乗船していた船が、江戸幕府の砲撃を受けた。その後いろいろあって、帰国をあきらめて、シンガポールで亡くなっている。福沢諭吉と面識あり。
自分なりに思うことは、江戸幕府は、漂流者を、外国の文化をもちこむ危険な人物としており、基本的に漂流者の帰国を拒んでいます。
人を人とも思わない。人よりも組織(江戸幕府)の維持優先です。
たぶんほかにもいたであろうと思われる漂流者たちも家族に再会したかったことでしょう。
191ページに米の輸送とあります。
米どころ北陸のお米を、船を使って、全国に運ばねばなりません。
あわせて、全国各地の名産品、文化とか技術とか情報とかも流通させます。
塩、海産物、材木、石材、農作物、手工業製品などと書かれています。
あとがきには、筆者は、海が好きで、岡山県に41年間住んでいると書いてあります。
(つづく)
さて、2回目の本読みをします。
船は、帆船です(はんせん)。風の力によって進みます。いまどきのエコロジー(環境に優しいエネルギーです)
木綿帆(もめんでつくられたほ)と筵帆(むしろでつくられたほ)があります。
北前船(きたまえせん。日本海海運)は、北海道から肥料となるニシンを運んでいたそうです。
海難事故の数は14年間に600件近いとあります。年間43件ぐらいです。天候が良くない時が多かったのでしょう。
いま、61ページまで読んだところですが、おもに、岡山県の歴史です。
戦国時代のことが書いてあります。
やはり、戦争は、まちを衰退させます。
朝鮮半島との交流が盛んだったことがわかります。1624年(関ケ原の合戦が1600年)に朝鮮からの使節団を各藩の接待で受け入れています。使節団は何度も日本を訪れています。遣唐使とか遣隋使方式の反対の立場で日本が外国を受け入れていたようです。
先日動画配信サービスで邦画「関ケ原」を観たのですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵とか、毛利家のこととか、ほかのことと重なる記事があります。
熊本県・長崎県の天草の乱(あまくさのらん1637年)があります。島原城は見学したことがありませんが、天草の富岡城は見学したことがあります。ぼんやりグーグルマップを見ていたのですが、天草四郎時貞が島原へ行くために乗船した地という場所があり、自分は中学生のときにその場所に立っていたことがあるということに、半世紀以上たった今ごろになって気がつきました。オレンジ色の夕日が美しいところでした。
江戸幕府は、キリスト教を布教しようとするポルトガルと国交を断絶して、キリスト教の布教はしないオランダと交易を続けます。
当時の港のつくりについて、細かな情報があります。
読んでいて、ああ、こういう世界があるのかという発見があります。
加子とか、水主(かこ):水夫のこと、船員
船の売買が幕府に管理されています。
なんとなく、役人と商人との間で、賄賂のやりとりがありそうです。(わいろ:不正行為の代償として金銭等のやりとりをする)
池田恒興(いけだ・つねおき):織田家重鎮。1536年-1584年。49歳没。犬山城主、大垣城主など。
津山藩:岡山県津山市。
宇喜田秀家(うきたひでいえ):1572年-1655年。安土桃山時代の武将。
海難事故の記述が続きます。
木造船です。
板子一枚下は地獄ともいいます。(いたこいちまいしたはじごく。海の事故は怖い。危険です。その分、給与は良かったのでしょう。たぶん)
気象予想が大事です。
台風が海難の一番の原因でしょう。夏から秋が危ない。
幕府や藩の役割は、船の安全運航推進です。
助け舟を出すとあります。
救助を頼まれたら助けるのです。
法令が必要です。
克明な遭難の記録が残っているようです。
米の運搬船が主な輸送船です。船が大型になるほど操作がむずかしい。
ニシンというのは、食べ物として使うのではなく、肥料として使うことは初めて知りました。北海道小樽の鰊御殿(にしんごてん)もそのような目的で鰊を捕っていたのでしょう。良質な肥料になったそうです。
自分には地名と位置を考える地理がぼんやりとしかわからないので、ぼんやりとした読書を続けています。
けっこう海難事故が多い。
四国にある金比羅(こんぴら)参りの船の事故も多かったそうです。
以前読んだ本を思い出しました。犬が飼い主の主人の代わりに、江戸から四国にあるこんぴらさんまで、お参りをしに行くのです。『こんぴら狗(こんぴらいぬ) 今井恭子(いまい・きょうこ) くもん出版』歴史上の事実です。
118ページに、当時の船の事故は、現代の交通事故と同様と書いてあります。
命が、灯(ともしび)のようにはかなく消えていきます。
(つづく)
海難事故の話が終わって、物流のお話になりました。
江戸時代のこととしての説明に興味が湧きます。
人や物の移動には、陸上と海上があった。徒歩、馬、船です。
船は大量のものを運ぶことができたが危険があった。
船は物を運ぶ。陸上は人が移動するという区分けができた。
人のための街道宿場があって、船のための船宿があります。
船で運ぶもので多いのは、お米です。
米が税金代わりということもあって(年貢米)、税の果たす役割が大きいことに気づきます。現代も同じです。会費を集めて会員のために使います。
船だと『損害保険』の考えが発想できます。
163ページに『分散』という取扱いが出てきます。船主と荷主が共同で海難事故による損害を補填(ほてん)する制度です。
債務者の資産を債権者で分割する。分散=破産だそうです。
荷物の損失は荷主が、船の損失は船主が負う。
きっと、事故が無ければ、莫大な資金を売ることができる海運事業だったと思います。もうかっているときにもうけをしっかりためておいて、万が一の事故が起きたときのために準備していたことでしょう。
国旗「日の丸」の起源になるお話が出てきます。船に『官幟(よみはたぶん「かんし」ではなかろうか。幕府の幟(のぼり)』が日の丸のデザインだったそうです。以前、東野&岡村の旅猿で、薩摩藩が日の丸の旗を付けた船、たしか昇平丸という名称の船で江戸に行ったことが日本の国旗制定のきっかけと紹介されていました。(記録を見つけました:1855年島津藩の昇平丸という船が江戸の品川に入港した時に、日の丸を掲げて入港したそうです。(明治維新が、1868年)
この官幟が立っている船は、入港税という税が免除されたそうです。
船の積み荷に鯨油があります。江戸時代から世界的に捕鯨があったことがわかります。
米国の捕鯨船に助けられたのがジョン万次郎でした。
島や湊(みなと。港)の話とお金の話が続きます。
(つづく)
おおまかにですが、全体を読み終わりました。
文章を読みながら、いろいろ想像したり、空想したりしました。
ひとつは、船の設計図のイメージが脳裏にありました。
きっと職人さん気質の強い当時の人が、きちんとていねいに設計図の線を引いたことでしょう。西暦1600年代のことです。
全体的に海難事故のお話とか記録が多かったのですが、海が荒れる日ばかりではなかったと思います。すがすがしい青空が広がって、海は穏やかにきらきらと輝く、夜は満点の星空とか月光か、静岡当たりでは雪をかぶる富士山が見えたとか、風光明媚(ふうこうめいび。自然の眺めや景色が清らかで美しい)な日本の海岸線の景色を当時の船員は満喫できたことと想像します。
87ページにある図9には能登半島のさきっぽに『狼煙(のろし)』という地名があります。たしか、以前太川陽介&えびすよしかずローカル路線バス乗り継ぎの旅で、ゴールまで、最後に乗った路線バスの行き先が『狼煙(のろし)行き』でした。(記録にありました:太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 第14弾 名古屋から能登半島最北端の岬 2013年4月放送分 ゲストはその後芸能界を引退された森下千里さんでした。路線バスのチャレンジは、無事成功されています)
この部分を書いたあと、最近ですが、現地で大きな地震が起こりました。びっくりしました。死傷者がなくて良かった。
1600年代の船は、今でいうところの飛行機のような気がするのです。
風にのってしまえば、歩くよりも早い。
列車のようでもあります。
大量の食糧を輸送することができます。
運搬する品物として、米、塩、大豆、小豆、畳表、松葉、薪(まき)、干し鰯(いわし)、紙、車、小間物、海産物、材木、石材などと紹介があります。
地名としては、岡山県の『牛窓(うしまど)』が何度も登場しました。
対象期間は、1673年~1688年が中心でした。
現代においても船舶の安全運航を祈願いたします。
1682年:井原西鶴 好色一代男
1683年:八百屋お七の放火
1685年:お犬様五代将軍徳川綱吉。生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
1685年:バッハ誕生
1687年:ニュートンが万有引力を発見
そのような時代背景がありました。
昔、四国香川県の高松港から小豆島(しょうどじま)にある土庄港(とのしょうこう)をフェリーで往復したことがあります。小豆島では一泊しました。
フェリーの甲板から瀬戸内海をながめながら思ったことです。
瀬戸内海は、海というよりも湖のようだ。以前何度か観たことがある栃木県日光市の山奥にある中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)の湖面に似ている。
瀬戸内海は、静かで、穏やかな(おだやかな)海面でした。
その後、安芸の宮島(広島県)を数回訪れ、あわせて、広島県尾道市などを自家用車で巡って旅をしたときになどに瀬戸内海を見ました。
歴史の本や小説を読むと、昔は、船が、現在の車の役割を果たしていたのだと理解できます。
海上交通を利用して移動することが移動しやすい手段だったのです。
そんなもろもろのことを考えていたころにこの本と出会いました。
読む意欲が生まれたので、読んでみます。
(つづく)
船と言えば、今年思いだすのは、知床半島遊覧船沈没事故です。
映像では邦画「男はつらいよ フーテンの寅さん」の知床旅情とか、東野&岡村の旅猿ロケのシーンを思い出します。それほど、危険な海域とは思えませんでした。
信頼を裏切られた感じがあります。事業主の脳みその中には、金のためという意識しかありません。この事故は、全国の同業者へのイメージダウンにもつながりました。
まず、1回目の本読みです。ゆっくり全ページをめくります。
この本では最初に書いてある文章が気に入りました。
『瀬戸内海は古くからヒトやモノが行き交い、知識と文化が交流する場であった……(さらに東南アジアの世界とも直接結びつきがあったと記述は続きます)』
豊臣秀吉、徳川家康の国内統一後、日本列島を江戸と大阪を結んで船で回る東廻り航路(ひがしまわりこうろ。1670年整備)、西廻り航路(1672年整備)ができた。
先日千鳥の「相席食堂」という番組でダンサーの菅原小春さんという女性が旅をした『牛窓』という地名が本に出てきます。(岡山県瀬戸内市牛窓町うしまど)菅原小春さんはなんだか激しい人でした。びっくりして笑いました。
38ページあたりをながめていて、自分が生まれて初めての記憶が『海』から始まっていることを思い出しました。
たぶんまだ4歳半ぐらいでした。海のそばにある家で暮らしていました。
48ページあたりには、海運事業にからむお金の話が書いてあります。
日本郵船のような株式を思い出します。
52ページに『湊(みなと。港)』をもたない藩の船と蔵本とあります。
港は、現在の鉄道駅のようなものだろうとイメージが湧きました。
海難事故は、交通事故のようなものでしょう。
海難事故に関して考えたのことは、お金もうけも命がけです。
村上水軍とか九鬼水軍(くきすいぐん)、壇ノ浦の源平合戦などが思い浮かびます。
ページをめくっていると、海難事故の歴史書を見ているようでもあります。
ジョン万次郎とか音吉を思い出します。
ジョン万次郎:1827年(江戸時代)-1898年(明治31年)71歳没。高知県出身。英語通訳として江戸幕府で働く。14歳のときに漁師仕事で漂流、ハワイを経由して、アメリカ合衆国に渡り、その後24歳ぐらいで帰国。アメリカ合衆国の捕鯨船の船長に養子のようにして育ててもらった。1860年に咸臨丸(かんりんまる)に乗船して、勝海舟の補佐を務める。坂本龍馬に米国のことを教えた。
音吉(おときち):1819年(江戸時代)-1867年(1868年が明治元年)49歳没。初めてイギリスに帰化した日本人。現在の愛知県知多郡美浜町生まれ。1832年13歳ぐらいのころに14か月間太平洋を東に漂流。アメリカ合衆国のインディアンもしくは、イヌイットに救助される。その後、イギリス船に奴隷として売り飛ばされてイギリスに移り住んだ。1837年に日本に帰国をしようとしたが、三浦半島付近で乗船していた船が、江戸幕府の砲撃を受けた。その後いろいろあって、帰国をあきらめて、シンガポールで亡くなっている。福沢諭吉と面識あり。
自分なりに思うことは、江戸幕府は、漂流者を、外国の文化をもちこむ危険な人物としており、基本的に漂流者の帰国を拒んでいます。
人を人とも思わない。人よりも組織(江戸幕府)の維持優先です。
たぶんほかにもいたであろうと思われる漂流者たちも家族に再会したかったことでしょう。
191ページに米の輸送とあります。
米どころ北陸のお米を、船を使って、全国に運ばねばなりません。
あわせて、全国各地の名産品、文化とか技術とか情報とかも流通させます。
塩、海産物、材木、石材、農作物、手工業製品などと書かれています。
あとがきには、筆者は、海が好きで、岡山県に41年間住んでいると書いてあります。
(つづく)
さて、2回目の本読みをします。
船は、帆船です(はんせん)。風の力によって進みます。いまどきのエコロジー(環境に優しいエネルギーです)
木綿帆(もめんでつくられたほ)と筵帆(むしろでつくられたほ)があります。
北前船(きたまえせん。日本海海運)は、北海道から肥料となるニシンを運んでいたそうです。
海難事故の数は14年間に600件近いとあります。年間43件ぐらいです。天候が良くない時が多かったのでしょう。
いま、61ページまで読んだところですが、おもに、岡山県の歴史です。
戦国時代のことが書いてあります。
やはり、戦争は、まちを衰退させます。
朝鮮半島との交流が盛んだったことがわかります。1624年(関ケ原の合戦が1600年)に朝鮮からの使節団を各藩の接待で受け入れています。使節団は何度も日本を訪れています。遣唐使とか遣隋使方式の反対の立場で日本が外国を受け入れていたようです。
先日動画配信サービスで邦画「関ケ原」を観たのですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵とか、毛利家のこととか、ほかのことと重なる記事があります。
熊本県・長崎県の天草の乱(あまくさのらん1637年)があります。島原城は見学したことがありませんが、天草の富岡城は見学したことがあります。ぼんやりグーグルマップを見ていたのですが、天草四郎時貞が島原へ行くために乗船した地という場所があり、自分は中学生のときにその場所に立っていたことがあるということに、半世紀以上たった今ごろになって気がつきました。オレンジ色の夕日が美しいところでした。
江戸幕府は、キリスト教を布教しようとするポルトガルと国交を断絶して、キリスト教の布教はしないオランダと交易を続けます。
当時の港のつくりについて、細かな情報があります。
読んでいて、ああ、こういう世界があるのかという発見があります。
加子とか、水主(かこ):水夫のこと、船員
船の売買が幕府に管理されています。
なんとなく、役人と商人との間で、賄賂のやりとりがありそうです。(わいろ:不正行為の代償として金銭等のやりとりをする)
池田恒興(いけだ・つねおき):織田家重鎮。1536年-1584年。49歳没。犬山城主、大垣城主など。
津山藩:岡山県津山市。
宇喜田秀家(うきたひでいえ):1572年-1655年。安土桃山時代の武将。
海難事故の記述が続きます。
木造船です。
板子一枚下は地獄ともいいます。(いたこいちまいしたはじごく。海の事故は怖い。危険です。その分、給与は良かったのでしょう。たぶん)
気象予想が大事です。
台風が海難の一番の原因でしょう。夏から秋が危ない。
幕府や藩の役割は、船の安全運航推進です。
助け舟を出すとあります。
救助を頼まれたら助けるのです。
法令が必要です。
克明な遭難の記録が残っているようです。
米の運搬船が主な輸送船です。船が大型になるほど操作がむずかしい。
ニシンというのは、食べ物として使うのではなく、肥料として使うことは初めて知りました。北海道小樽の鰊御殿(にしんごてん)もそのような目的で鰊を捕っていたのでしょう。良質な肥料になったそうです。
自分には地名と位置を考える地理がぼんやりとしかわからないので、ぼんやりとした読書を続けています。
けっこう海難事故が多い。
四国にある金比羅(こんぴら)参りの船の事故も多かったそうです。
以前読んだ本を思い出しました。犬が飼い主の主人の代わりに、江戸から四国にあるこんぴらさんまで、お参りをしに行くのです。『こんぴら狗(こんぴらいぬ) 今井恭子(いまい・きょうこ) くもん出版』歴史上の事実です。
118ページに、当時の船の事故は、現代の交通事故と同様と書いてあります。
命が、灯(ともしび)のようにはかなく消えていきます。
(つづく)
海難事故の話が終わって、物流のお話になりました。
江戸時代のこととしての説明に興味が湧きます。
人や物の移動には、陸上と海上があった。徒歩、馬、船です。
船は大量のものを運ぶことができたが危険があった。
船は物を運ぶ。陸上は人が移動するという区分けができた。
人のための街道宿場があって、船のための船宿があります。
船で運ぶもので多いのは、お米です。
米が税金代わりということもあって(年貢米)、税の果たす役割が大きいことに気づきます。現代も同じです。会費を集めて会員のために使います。
船だと『損害保険』の考えが発想できます。
163ページに『分散』という取扱いが出てきます。船主と荷主が共同で海難事故による損害を補填(ほてん)する制度です。
債務者の資産を債権者で分割する。分散=破産だそうです。
荷物の損失は荷主が、船の損失は船主が負う。
きっと、事故が無ければ、莫大な資金を売ることができる海運事業だったと思います。もうかっているときにもうけをしっかりためておいて、万が一の事故が起きたときのために準備していたことでしょう。
国旗「日の丸」の起源になるお話が出てきます。船に『官幟(よみはたぶん「かんし」ではなかろうか。幕府の幟(のぼり)』が日の丸のデザインだったそうです。以前、東野&岡村の旅猿で、薩摩藩が日の丸の旗を付けた船、たしか昇平丸という名称の船で江戸に行ったことが日本の国旗制定のきっかけと紹介されていました。(記録を見つけました:1855年島津藩の昇平丸という船が江戸の品川に入港した時に、日の丸を掲げて入港したそうです。(明治維新が、1868年)
この官幟が立っている船は、入港税という税が免除されたそうです。
船の積み荷に鯨油があります。江戸時代から世界的に捕鯨があったことがわかります。
米国の捕鯨船に助けられたのがジョン万次郎でした。
島や湊(みなと。港)の話とお金の話が続きます。
(つづく)
おおまかにですが、全体を読み終わりました。
文章を読みながら、いろいろ想像したり、空想したりしました。
ひとつは、船の設計図のイメージが脳裏にありました。
きっと職人さん気質の強い当時の人が、きちんとていねいに設計図の線を引いたことでしょう。西暦1600年代のことです。
全体的に海難事故のお話とか記録が多かったのですが、海が荒れる日ばかりではなかったと思います。すがすがしい青空が広がって、海は穏やかにきらきらと輝く、夜は満点の星空とか月光か、静岡当たりでは雪をかぶる富士山が見えたとか、風光明媚(ふうこうめいび。自然の眺めや景色が清らかで美しい)な日本の海岸線の景色を当時の船員は満喫できたことと想像します。
87ページにある図9には能登半島のさきっぽに『狼煙(のろし)』という地名があります。たしか、以前太川陽介&えびすよしかずローカル路線バス乗り継ぎの旅で、ゴールまで、最後に乗った路線バスの行き先が『狼煙(のろし)行き』でした。(記録にありました:太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 第14弾 名古屋から能登半島最北端の岬 2013年4月放送分 ゲストはその後芸能界を引退された森下千里さんでした。路線バスのチャレンジは、無事成功されています)
この部分を書いたあと、最近ですが、現地で大きな地震が起こりました。びっくりしました。死傷者がなくて良かった。
1600年代の船は、今でいうところの飛行機のような気がするのです。
風にのってしまえば、歩くよりも早い。
列車のようでもあります。
大量の食糧を輸送することができます。
運搬する品物として、米、塩、大豆、小豆、畳表、松葉、薪(まき)、干し鰯(いわし)、紙、車、小間物、海産物、材木、石材などと紹介があります。
地名としては、岡山県の『牛窓(うしまど)』が何度も登場しました。
対象期間は、1673年~1688年が中心でした。
現代においても船舶の安全運航を祈願いたします。
1682年:井原西鶴 好色一代男
1683年:八百屋お七の放火
1685年:お犬様五代将軍徳川綱吉。生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
1685年:バッハ誕生
1687年:ニュートンが万有引力を発見
そのような時代背景がありました。
2022年06月24日
邦画 関ケ原 2017年(平成29年
邦画 関ケ原 2017年(平成29年) 2時間29分 動画配信サービス
(豊臣家)石田三成(いしだみつなり)対徳川家康という構図を描いた映画でした。
石田三成が処刑されるまでを描きます。
会話で進行していく形式です。
映画セットに囲まれての撮影シーンが多い。
忍びのもの(忍者)がかなりからみます。
この部分の歴史に詳しくないので、一度観て、調べ物をして、もう一度観ました。
だいぶわかりました。おもしろい。
歴史の流れに忠実につくられた映画です。
ていねいにつくってあります。
知らなかったことを知る喜びがあります。
1598年 豊臣秀吉 61歳没
1599年 前田利家 60歳ぐらいで没(誕生年複数の説あり)
1600年 関ケ原の戦い
1600年 イギリスが東インド会社を設立
1600年 シェークスピア「ベニスの商人」出版
1603年 徳川家康が60歳で征夷大将軍となる。
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣 豊臣氏滅亡
1616年 徳川家康が73歳で死没。
関ケ原の合戦で徳川家康の東軍に寝返った(西軍を裏切った)小早川秀秋は、その2年後に21歳で急死。アルコール依存症で内臓を壊したもよう。
石田三成はいじわるなことをする人だったので、内心みんなが石田三成を嫌っていた。(人望がなかった)
西軍は、一枚岩ではなかった。みせかけだけの協力で、関ケ原にいても手伝ってくれなかった。
警察組織がある時代でもありませんし、政治活動の組織があるわけでもありません。憲法などに類する法令もありません。
だれかのいうことをきくかきかないかは自由意思です。しばりがあるようでありません。各自の有利さでことが動きます。
まあ、ぐちゃぐちゃですな。
いいなと思ったセリフが『ぞっこんうちこむ』
一生懸命さが伝わってきました。
忍者の姿が多いのは、外国人観光ファンを意識したものだろうか。おいでませジャパンです。
おいでください。コロナ禍もおさまりつつあるようです。
サムライ映画というのは、どうして、こうも、そして、いつも、暗く、重く、冷えた、映像になるのだろうか。まあ、日本人の湿った感情保有といえば、日本民族の性質を正確にとらえています。
思い出して見ると、昔、北海道を舞台にした映画のシーンが暗かった。
北海道という所は、暗い雰囲気のところというイメージをもって現地を訪れたら、じっさいの北海道は、景色も人間も、明るいところでした。網走番外地とか、吹雪の中の別れとか、映像にまんまとだまされたと思ったことがあります。
世の中は、誤解と錯覚だらけです。
見た目で、神経質な人だと思っていたら、おおざっぱで、おおらかな人だったということは、よくあります。
『正義』について考える映画です。
戦に(いくさ)に負ければ、正義はなくなる。
勝ったほうが、正義なのです。
人間は、正義では動かない。利益で動きます。
映画は、9月15日の関ケ原の合戦に向かって、時系列で緊張感が満ちていきます。
徳川家康側には、真剣味があります。(しんけんみ)
対して、石田三成側には、自分たちのほうが有利だという気持ちのゆるみがあります。
伏線として、桃を配ったなんとかおうじというのが伏線にあります。地名として『桃配山(ももくばりやま)』です。
大海人皇子(おおあまのおうじ。天智天皇((大化の改新を起こした中大兄皇子なかのおおえのおうじのこと)の異母弟)VS大友皇子(おおとものおうじ。中大兄皇子だった天智天皇の息子) おじさん対おいの戦いです。日本の歴史ではこういう親族間の争いが多い。
ふたりが争った672年壬申の乱(じんしんのらん)でも、関ケ原が戦(いくさ)の場所となったそうです。
戦(いくさ)の結果は大海人皇子が勝利しました。大海人皇子が村人からもらったおいしい山桃を兵士に配ったところが、桃配山(ももくばりやま)で、大海人皇子は戦(いくさ)に勝利したあとに天武天皇になっています。
もうひとつ、映像では話題として、徳川家康が『ほろ』というものを編んでつくります。
武士の道具で、矢や石から身を守るものだそうです。
乗馬した時にお尻につける赤い袋の形状をした大きなものです。
空想の世界を映像で見ているようです。
戦争というものは、こういうものです。無法地帯になります。
自分は死なないと勘違いしている人たちがいます。
がんこで、こだわって、破滅します。
刀、鉄砲、弓矢、ボーカンみたいな道具もあります。短剣もあります。
囲碁・将棋のような作戦を立てて、人間同士がぶつかり合います。
指揮・命令で動きます。従わないと死ぬかもしれないから従います。従っても死ぬことはあります。
足軽(あしがる。したっぱの兵士)の長い槍の戦いは、槍で突くのではなく、槍で叩き合いをします。
『殿! ご決断を!』
まあ、血まみれです。
散漫な感じがする戦(いくさ)の映像です。
決着の着き方がよくわかりませんでした。
あとは、それぞれが、負けっぷりを考える。
お逃げなされーー
西洋の戦争映画のようでもあります。
アニメのようでもあります。
捕らわれた石田三成のセリフが良かった。
『拙者(せっしゃ)をののしりなさい!』
さらし者です。
潔く(いさぎよく)責任をとって死すことが『これぞわが正義』だった時代の出来事です。
北政所(きたのまんどころ):高台院(こうだいいん)。ねね。豊臣秀吉の正室。
淀殿(よどどの):豊臣秀吉の側室。浅井長政の娘茶々。自身が出産した豊臣秀吉の三男が豊臣秀頼。
島左近(しま・さこん):島清興(しま・きよおき)武将。石田三成の家臣。通称「左近」
西軍の武将たちについて、朝鮮出兵時の石田三成の対応に不満あり。1592年文永の役(えき:戦争)。1597年慶長の役。論功行賞に不満あり(ろんこうこうしょう。ご褒美(ほうび))
歴史通(つう。精通している(せいつうしている。詳しい))が見るとおもしろい映画でしょう。
誓詞(せいし):かたい約束の言葉
赤坂の陣:徳川家康の陣(じん。軍隊の配置場所)。岐阜県大垣市。
(豊臣家)石田三成(いしだみつなり)対徳川家康という構図を描いた映画でした。
石田三成が処刑されるまでを描きます。
会話で進行していく形式です。
映画セットに囲まれての撮影シーンが多い。
忍びのもの(忍者)がかなりからみます。
この部分の歴史に詳しくないので、一度観て、調べ物をして、もう一度観ました。
だいぶわかりました。おもしろい。
歴史の流れに忠実につくられた映画です。
ていねいにつくってあります。
知らなかったことを知る喜びがあります。
1598年 豊臣秀吉 61歳没
1599年 前田利家 60歳ぐらいで没(誕生年複数の説あり)
1600年 関ケ原の戦い
1600年 イギリスが東インド会社を設立
1600年 シェークスピア「ベニスの商人」出版
1603年 徳川家康が60歳で征夷大将軍となる。
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣 豊臣氏滅亡
1616年 徳川家康が73歳で死没。
関ケ原の合戦で徳川家康の東軍に寝返った(西軍を裏切った)小早川秀秋は、その2年後に21歳で急死。アルコール依存症で内臓を壊したもよう。
石田三成はいじわるなことをする人だったので、内心みんなが石田三成を嫌っていた。(人望がなかった)
西軍は、一枚岩ではなかった。みせかけだけの協力で、関ケ原にいても手伝ってくれなかった。
警察組織がある時代でもありませんし、政治活動の組織があるわけでもありません。憲法などに類する法令もありません。
だれかのいうことをきくかきかないかは自由意思です。しばりがあるようでありません。各自の有利さでことが動きます。
まあ、ぐちゃぐちゃですな。
いいなと思ったセリフが『ぞっこんうちこむ』
一生懸命さが伝わってきました。
忍者の姿が多いのは、外国人観光ファンを意識したものだろうか。おいでませジャパンです。
おいでください。コロナ禍もおさまりつつあるようです。
サムライ映画というのは、どうして、こうも、そして、いつも、暗く、重く、冷えた、映像になるのだろうか。まあ、日本人の湿った感情保有といえば、日本民族の性質を正確にとらえています。
思い出して見ると、昔、北海道を舞台にした映画のシーンが暗かった。
北海道という所は、暗い雰囲気のところというイメージをもって現地を訪れたら、じっさいの北海道は、景色も人間も、明るいところでした。網走番外地とか、吹雪の中の別れとか、映像にまんまとだまされたと思ったことがあります。
世の中は、誤解と錯覚だらけです。
見た目で、神経質な人だと思っていたら、おおざっぱで、おおらかな人だったということは、よくあります。
『正義』について考える映画です。
戦に(いくさ)に負ければ、正義はなくなる。
勝ったほうが、正義なのです。
人間は、正義では動かない。利益で動きます。
映画は、9月15日の関ケ原の合戦に向かって、時系列で緊張感が満ちていきます。
徳川家康側には、真剣味があります。(しんけんみ)
対して、石田三成側には、自分たちのほうが有利だという気持ちのゆるみがあります。
伏線として、桃を配ったなんとかおうじというのが伏線にあります。地名として『桃配山(ももくばりやま)』です。
大海人皇子(おおあまのおうじ。天智天皇((大化の改新を起こした中大兄皇子なかのおおえのおうじのこと)の異母弟)VS大友皇子(おおとものおうじ。中大兄皇子だった天智天皇の息子) おじさん対おいの戦いです。日本の歴史ではこういう親族間の争いが多い。
ふたりが争った672年壬申の乱(じんしんのらん)でも、関ケ原が戦(いくさ)の場所となったそうです。
戦(いくさ)の結果は大海人皇子が勝利しました。大海人皇子が村人からもらったおいしい山桃を兵士に配ったところが、桃配山(ももくばりやま)で、大海人皇子は戦(いくさ)に勝利したあとに天武天皇になっています。
もうひとつ、映像では話題として、徳川家康が『ほろ』というものを編んでつくります。
武士の道具で、矢や石から身を守るものだそうです。
乗馬した時にお尻につける赤い袋の形状をした大きなものです。
空想の世界を映像で見ているようです。
戦争というものは、こういうものです。無法地帯になります。
自分は死なないと勘違いしている人たちがいます。
がんこで、こだわって、破滅します。
刀、鉄砲、弓矢、ボーカンみたいな道具もあります。短剣もあります。
囲碁・将棋のような作戦を立てて、人間同士がぶつかり合います。
指揮・命令で動きます。従わないと死ぬかもしれないから従います。従っても死ぬことはあります。
足軽(あしがる。したっぱの兵士)の長い槍の戦いは、槍で突くのではなく、槍で叩き合いをします。
『殿! ご決断を!』
まあ、血まみれです。
散漫な感じがする戦(いくさ)の映像です。
決着の着き方がよくわかりませんでした。
あとは、それぞれが、負けっぷりを考える。
お逃げなされーー
西洋の戦争映画のようでもあります。
アニメのようでもあります。
捕らわれた石田三成のセリフが良かった。
『拙者(せっしゃ)をののしりなさい!』
さらし者です。
潔く(いさぎよく)責任をとって死すことが『これぞわが正義』だった時代の出来事です。
北政所(きたのまんどころ):高台院(こうだいいん)。ねね。豊臣秀吉の正室。
淀殿(よどどの):豊臣秀吉の側室。浅井長政の娘茶々。自身が出産した豊臣秀吉の三男が豊臣秀頼。
島左近(しま・さこん):島清興(しま・きよおき)武将。石田三成の家臣。通称「左近」
西軍の武将たちについて、朝鮮出兵時の石田三成の対応に不満あり。1592年文永の役(えき:戦争)。1597年慶長の役。論功行賞に不満あり(ろんこうこうしょう。ご褒美(ほうび))
歴史通(つう。精通している(せいつうしている。詳しい))が見るとおもしろい映画でしょう。
誓詞(せいし):かたい約束の言葉
赤坂の陣:徳川家康の陣(じん。軍隊の配置場所)。岐阜県大垣市。
2022年06月23日
機動戦士ガンダム 動画配信サービス
機動戦士ガンダム 動画配信サービス
このアニメが流行っていた頃には、自分はもう大人だったので、中味を知りません。
以前、テレビ番組『アメトーク ガンダム芸人』を見たことがあります。
みなさん、熱を帯びて、このアニメのファンであることを語り、熱演されていました。
どんなものなのか、調べてみることにしました。
「機動戦士 ガンダム」
ロボットアニメ。1979年(昭和54年)-1980年(昭和55年)テレビ放送
未来世界で、シャア・アズナブール少佐が率いるジオン公国と地球連邦軍に所属する主人公のアムロ・レイが戦う。
少年少女の成長物語。
テレビで、動画配信サービスを観ました。
1980年(昭和55年) TVシリーズ第1弾 シーズン1 エピソード1
宇宙世紀0079(ダブルオーセブンナインティナインから始まりました。
ジオン公国VS地球連邦政府という構図です。
洋画『スターウォーズ』みたい。
観ている途中、『宇宙戦艦ヤマト』とか『マジンガーZ』も思い浮かびました。それから先日観た『エヴァンゲリオン』もそうです。みんなお仲間アニメなのでしょう。
出だしの映像は、以前映画館で観た洋画『ゼロ・グラビティ(無重力)』みたいでした。
主人公男子がアムロ・レイ:アメトークで芸人さんがこのアニメの良さを熱弁していましたが、従来の戦闘ものと違って、キャラクターたちが、悩みながら、相談しながら、前進していくという流れがいいところですというものがありました。
今回観たなかでは、アムロ・レイが、相手と対戦中に、人造ロボットのトリセツ(取扱説明書)を読みながら、機器の機能を理解して相手を攻撃します。そのような現実的な表現は珍しい。
観ていると『がんばれ!』と応援したくなります。
最初のガンダムが寝かせられた状態からの立ち上がりは頼りないようすでした。考えながら行動して戦うパターンです。視聴者が、アムロ・レイとガンダムを教育する、育てるという意識の面があります。相手の体の部品をちぎるという、まるでしろうとのけんかのような闘いぶりです。かと思うと、背中のすごい刀(かたな)で、相手ロボットの体を横にまっぷたつに切りました。日本映画のサムライチャンバラ映画のイメージがあります。どうする? どうする? が続きます。
昭和40年代のころって、映画界でのアニメ映画の地位は低かったような記憶です。
アニメ制作者のひとたちは、さぞやくやしい思いをされたことと思います。
それが、今では逆転しています。
日本のアニメは世界に誇れる地位を築きました。
関係者とファンのみなさんのおかげです。
歴史をさかのぼれば、江戸末期に浮世絵がオランダを経由してフランスに流れて、印象派の画家が生まれて、日本のマンガ文化が世界中の人たちの励ましになりました。たいしたものです。
あとは、『リアル・スティール』という洋画の名画を思い出しました。
小学生ぐらいの少年が、飲んだくれで、浪費家のおやじを叱咤激励しながら、ロボット同士の格闘技対戦試合に挑戦し続けます。観ていて涙が出るほど感動しました。
動画配信サービスを観終わって、もしかしたら、自分がまだ幼児期や小学生のときに夢中になっていたマンガ映像をいまこの場で見ることができるかもしれないと、はたと気づき、探索用の音声ボタンを押しながら、いくつかのマンガのタイトルを言い続けました。
たくさん見ることができる番組が出てきました。なつかしい。
これから少しずつ見てみます。
このアニメが流行っていた頃には、自分はもう大人だったので、中味を知りません。
以前、テレビ番組『アメトーク ガンダム芸人』を見たことがあります。
みなさん、熱を帯びて、このアニメのファンであることを語り、熱演されていました。
どんなものなのか、調べてみることにしました。
「機動戦士 ガンダム」
ロボットアニメ。1979年(昭和54年)-1980年(昭和55年)テレビ放送
未来世界で、シャア・アズナブール少佐が率いるジオン公国と地球連邦軍に所属する主人公のアムロ・レイが戦う。
少年少女の成長物語。
テレビで、動画配信サービスを観ました。
1980年(昭和55年) TVシリーズ第1弾 シーズン1 エピソード1
宇宙世紀0079(ダブルオーセブンナインティナインから始まりました。
ジオン公国VS地球連邦政府という構図です。
洋画『スターウォーズ』みたい。
観ている途中、『宇宙戦艦ヤマト』とか『マジンガーZ』も思い浮かびました。それから先日観た『エヴァンゲリオン』もそうです。みんなお仲間アニメなのでしょう。
出だしの映像は、以前映画館で観た洋画『ゼロ・グラビティ(無重力)』みたいでした。
主人公男子がアムロ・レイ:アメトークで芸人さんがこのアニメの良さを熱弁していましたが、従来の戦闘ものと違って、キャラクターたちが、悩みながら、相談しながら、前進していくという流れがいいところですというものがありました。
今回観たなかでは、アムロ・レイが、相手と対戦中に、人造ロボットのトリセツ(取扱説明書)を読みながら、機器の機能を理解して相手を攻撃します。そのような現実的な表現は珍しい。
観ていると『がんばれ!』と応援したくなります。
最初のガンダムが寝かせられた状態からの立ち上がりは頼りないようすでした。考えながら行動して戦うパターンです。視聴者が、アムロ・レイとガンダムを教育する、育てるという意識の面があります。相手の体の部品をちぎるという、まるでしろうとのけんかのような闘いぶりです。かと思うと、背中のすごい刀(かたな)で、相手ロボットの体を横にまっぷたつに切りました。日本映画のサムライチャンバラ映画のイメージがあります。どうする? どうする? が続きます。
昭和40年代のころって、映画界でのアニメ映画の地位は低かったような記憶です。
アニメ制作者のひとたちは、さぞやくやしい思いをされたことと思います。
それが、今では逆転しています。
日本のアニメは世界に誇れる地位を築きました。
関係者とファンのみなさんのおかげです。
歴史をさかのぼれば、江戸末期に浮世絵がオランダを経由してフランスに流れて、印象派の画家が生まれて、日本のマンガ文化が世界中の人たちの励ましになりました。たいしたものです。
あとは、『リアル・スティール』という洋画の名画を思い出しました。
小学生ぐらいの少年が、飲んだくれで、浪費家のおやじを叱咤激励しながら、ロボット同士の格闘技対戦試合に挑戦し続けます。観ていて涙が出るほど感動しました。
動画配信サービスを観終わって、もしかしたら、自分がまだ幼児期や小学生のときに夢中になっていたマンガ映像をいまこの場で見ることができるかもしれないと、はたと気づき、探索用の音声ボタンを押しながら、いくつかのマンガのタイトルを言い続けました。
たくさん見ることができる番組が出てきました。なつかしい。
これから少しずつ見てみます。
2022年06月22日
エヴァンゲリオン 動画配信サービス
エヴァンゲリオン 動画配信サービス
先日、静岡県浜名湖のほとりにある舘山寺(かんざんじ)というお寺を見学した時に、本堂の正面右側に大きな『エヴァンゲリオン』の絵がありました。
わたしは、最初、なんの絵かわからず、さらに、どうして、お賽銭箱(おさいせんばこ)の右側に場違いともいえるロボットマンガの絵があるのか疑問をもち『何の絵だろう? ガンダムのようで、ガンダムではない』とつぶやいたら、わたしの右隣で参拝していた若者男性ふたりが『エヴァンゲリオンです』と教えてくれました。
されど『エヴァンゲリオン』が、わたしには、なにかわかりません。
帰宅して調べたら、地元の鉄道会社のキャンペーンで、スタンプラリーをしていたそうです。その日が最終日でした。
『新世紀 エヴァンゲリオン』
ロボット・バトル・アクションアニメ。1994年(平成6年)-2013年(平成25年)漫画発表
物語は、2015年の設定。14歳の少年少女たちがエヴァンゲリオンのパイロット(操縦者ということなのでしょう)になって、謎の敵『使徒(しと)』と闘う。
使徒というのは、仮面ライダーにおける『ショッカー』みたいなものか。
宇宙から来た侵略者を退治するイメージです。
初代ウルトラマンのときとパターンは変わっていないな。うむ。
テレビの動画配信サービスで観ました。
新世紀 エヴァンゲリオン 1996年 シーズン1 エピソード1
西暦2015年の設定です。平成27年です。場所は、第3新東京市ということになっています。
使徒(しと。特殊能力をもつ。こどものころに見たウルトラマンに登場していた「ジャミラ」に姿形(すがたかたち)が似ています)VS人類代表 碇シンジ(いかり・しんじ。まだ中学生ぐらいの年齢です。ひ弱そうな男の子です。父親がネルフという組織、たぶん地球防衛軍のえらいさんです)
冒頭にテレビの歌番組などで聞いたことがある曲「少年よ 神話(しんわ)になあれ」の歌詞が流れて、そうか、このアニメの曲かとはたと気づきました。(高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」)
テレビ番組『モニタリング』で歌手が歌っているのを聴いたことがあります。
物語のなかでは、お昼12時30分に「特別非常事態宣言」が発令されました。
新型コロナウィルスの非常事態宣言発令みたいです。
『シェルターに行こう』というセリフがありました。
ロシアのウクライナ侵攻みたいでもあります。
原子爆弾の爆発みたいなシーンがありましたが、それでも怪物使徒(しと)は死にません。
葛城ミサト(かつらぎ・みさと):碇シンジ(いかり・しんじ)と行動をともにします。
葛城ミサトはおとなの女性ですから指導者の立場でしょう。
国際公務員だという自己紹介がありました。
ネルフ本部。ジオグランドと聞こえました。秘密の地下都市のようなものがあります。
人造人間エヴァンゲリオンだそうです。初号機ですから、このあと2号機もあるのでしょう。
出撃です。
父親はパワハラで、なんだか、仕事優先の社会が時代背景です。
無理やりのように人造人間ロボットの操縦士であるパイロットにさせられる碇シンジでした。
少年が強くなる。成長していく物語なのでしょう。
バックグラウンドミュージックと音がいい。
「レイを起こしてくれ」レイという女の子は、けが人のような姿でベッドごと運ばれて来ました。
初代のパイロットだそうです。
理由はわかりませんが、復活の可能性がないと思われていたロボットが動き出しました。これが、エヴァンゲリオンなのか。
いまさらですが、自分にとっては<新しい世界>の発見がありました。
とりあえず、エヴァ初号機のことを、エヴァンゲリオンというのでしょう。
先日、静岡県浜名湖のほとりにある舘山寺(かんざんじ)というお寺を見学した時に、本堂の正面右側に大きな『エヴァンゲリオン』の絵がありました。
わたしは、最初、なんの絵かわからず、さらに、どうして、お賽銭箱(おさいせんばこ)の右側に場違いともいえるロボットマンガの絵があるのか疑問をもち『何の絵だろう? ガンダムのようで、ガンダムではない』とつぶやいたら、わたしの右隣で参拝していた若者男性ふたりが『エヴァンゲリオンです』と教えてくれました。
されど『エヴァンゲリオン』が、わたしには、なにかわかりません。
帰宅して調べたら、地元の鉄道会社のキャンペーンで、スタンプラリーをしていたそうです。その日が最終日でした。
『新世紀 エヴァンゲリオン』
ロボット・バトル・アクションアニメ。1994年(平成6年)-2013年(平成25年)漫画発表
物語は、2015年の設定。14歳の少年少女たちがエヴァンゲリオンのパイロット(操縦者ということなのでしょう)になって、謎の敵『使徒(しと)』と闘う。
使徒というのは、仮面ライダーにおける『ショッカー』みたいなものか。
宇宙から来た侵略者を退治するイメージです。
初代ウルトラマンのときとパターンは変わっていないな。うむ。
テレビの動画配信サービスで観ました。
新世紀 エヴァンゲリオン 1996年 シーズン1 エピソード1
西暦2015年の設定です。平成27年です。場所は、第3新東京市ということになっています。
使徒(しと。特殊能力をもつ。こどものころに見たウルトラマンに登場していた「ジャミラ」に姿形(すがたかたち)が似ています)VS人類代表 碇シンジ(いかり・しんじ。まだ中学生ぐらいの年齢です。ひ弱そうな男の子です。父親がネルフという組織、たぶん地球防衛軍のえらいさんです)
冒頭にテレビの歌番組などで聞いたことがある曲「少年よ 神話(しんわ)になあれ」の歌詞が流れて、そうか、このアニメの曲かとはたと気づきました。(高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」)
テレビ番組『モニタリング』で歌手が歌っているのを聴いたことがあります。
物語のなかでは、お昼12時30分に「特別非常事態宣言」が発令されました。
新型コロナウィルスの非常事態宣言発令みたいです。
『シェルターに行こう』というセリフがありました。
ロシアのウクライナ侵攻みたいでもあります。
原子爆弾の爆発みたいなシーンがありましたが、それでも怪物使徒(しと)は死にません。
葛城ミサト(かつらぎ・みさと):碇シンジ(いかり・しんじ)と行動をともにします。
葛城ミサトはおとなの女性ですから指導者の立場でしょう。
国際公務員だという自己紹介がありました。
ネルフ本部。ジオグランドと聞こえました。秘密の地下都市のようなものがあります。
人造人間エヴァンゲリオンだそうです。初号機ですから、このあと2号機もあるのでしょう。
出撃です。
父親はパワハラで、なんだか、仕事優先の社会が時代背景です。
無理やりのように人造人間ロボットの操縦士であるパイロットにさせられる碇シンジでした。
少年が強くなる。成長していく物語なのでしょう。
バックグラウンドミュージックと音がいい。
「レイを起こしてくれ」レイという女の子は、けが人のような姿でベッドごと運ばれて来ました。
初代のパイロットだそうです。
理由はわかりませんが、復活の可能性がないと思われていたロボットが動き出しました。これが、エヴァンゲリオンなのか。
いまさらですが、自分にとっては<新しい世界>の発見がありました。
とりあえず、エヴァ初号機のことを、エヴァンゲリオンというのでしょう。
2022年06月20日
クジラの骨と僕らの未来 中村玄
クジラの骨と僕らの未来 中村玄(なかむら・げん) 理論社
本の帯に『クジラ博士の研究航海記』と書いてあります。
今年5月、自分は長野県松本市にある旧制松本高等学校の校舎を見学しました。亡くなった作家・精神科医の北杜夫さん(きたもりおさん)が在籍していた学校です。(1945年6月から(昭和20年)当時18歳。1947年に東北大学へ進学)どくとるマンボウという愛称で『どくとるマンボウ航海記』シリーズを高校生のときに楽しみました。きっとこの帯のキャッチフレーズは、そこからきているものなのでしょう。
まずは、全体のページを1ページずつ最後までゆっくりめくります。
プロローグがあって、第一章から第三章まであります。最後が、エピローグです。
プロローグ:はじめに
第一章:墓あばきから始まった
第二章:南氷洋航海記
第三章:クジラの骨と僕
エピローグ:おわりに
第一章の目次に『そうだ、南米に行こう!』とキャッチフレーズ(目に留まる文節)が書いてあります。
観光旅行を誘うコマーシャル『そうだ、京都行こう!』からきているのでしょう。(JR東海、1993年からのキャッチフレーズです。平成5年)
『骨』です。
なんとなく、『解剖(かいぼう)』のにおいがします。
第一章 『墓あばきから始まった』です。さし絵には『ハムの墓』と書かれたお墓を少年がシャベルで掘り起ししています。ハムはハムスターなのでしょう。
その絵を見て、思い出したことがあります。
自分の娘や息子たちがまだ小学生だったころ、ペットとして飼っていた亀が死にました。
こどもたちは、当時住んでいたマンションのそばにある里山に亀の死体を埋めてお墓をつくりました。
その後、何か月かたったあと、何をどう思ったのか知りませんが、こどもたちは、死んだ亀を埋めたお墓を掘り起こしました。相当不気味なものを見たようで、こどもたちは、ゲロを吐きそうになったと恐れおののいていました。
なんだか、ホラー(恐怖小説)作品を読む前のような心理で、この本を読み始めます。
ざーっと文章に目をとおしながら読んでいますが、作者は、かなりユニークな人のような感じです。(ユニーク:あまりいない人)
99ページにクジラのさばき方の絵があります。
解体ショーです。
最後に作者紹介があります。
小学生のころは、ダンゴムシが好きだったようです。
先日読んだ読書感想文の課題図書『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』にダンゴムシが好きな少年少女のことが書いてありました。
さて、それでは、これから最初に戻って読み始めます。
(つづく)
読み終わりました。
狭い世界の出来事を深く語る本の内容でした。
これから、大学関係で学者になりたい人、公益組織で研究者になりたい若い人向けのアドバイス書物です。
いわゆるオタク(特定のことを極める人)を励ます本だと受けとめました。
著者の大学卒業までの二十年間ぐらいのことが書いてあります。
『鯨類額(げいるいがく)』を極める。(きわめる)
自分が小学校低学年ぐらいまでのこどものころ、クジラをよく食べていました。
熊本県の当時離島だったところで暮らしていたのですが、(現在は橋がかけられている)半農半漁の集落でした。
冷凍クジラ肉をスライスした刺身が、冷たくておいしかった記憶が残っています。
今どきは、捕鯨反対運動もあってか、クジラを食べたことがある人は少なくなったと思います。
学者になるということは、学問の分野にもよるのでしょうが、一般サラリーマンとは暮らし方が違う暮らしを送ることになる人もいます。
調査のために家をあけることが多いと、家族との交流をする時間が少なくなります。
そういうことも考えながら学者をめざしたほうが無難です。
中学生の時の著者のあだ名が、爬虫類(はちゅうるい)が由来の(ゆらい、起源)の『ハチュウ』でイヤだったそうです。
先日テレビで、あだな使用禁止の小学校のことが出ていました。賛否両論あるのでしょうが、いやな人がひとりでもいれば、やめたほうがいいのでしょう。
うちの妻も小学生のときに、肌の色が白かったので「しろぶた」と呼ばれるのがイヤだったそうです。わたしは肌の色が白い人が好きだったので、妻を好きになったと話したことがあります。
『カナヘビ』のことが出てきます。トカゲのような姿をしたヘビです。同じく読書感想文コンクールの課題図書になった『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』で、昆虫類生きもの好きの女子中学生がカナヘビがらみの言動をしていました。
あわせて、グリーンイグアナのことが書いてあります。たしか、名古屋の東山動物園に自然動物館という建物があって、そこで飼育されています。爬虫類(はちゅうるい)や両生類(りょうせいるい)をおもに展示してある建物です。
著者は、中学2年生で『フトアゴヒゲトカゲ』を飼います。オーストラリア原産です。
本体1万9800円、必要な水槽等を準備して3万円以上を自分の貯金でつぎこみました。
中学校で変わり者扱いをされますが、その後、大学へ行くと、もっとすごいメンバーがゴロゴロいます。全国からお仲間集合です。
師弟関係があります。中学校の理科の女先生がすごい。牛や豚を生徒の前で解体します。
すごい授業です。
牛や豚は、一般的には『食べるための家畜』です。商業用家畜というようなことを聞いたことがあります。愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)ではありません。
25ページに著者が飼育した動物類の絵と文章があります。
わたしも小学生の時はたくさん生き物を飼っていましたが、その数は、全然負けています。
『ハムの墓』は、やっぱりハムスターのお墓でした。
ゴールデンハムスターです。
うちで小学生だったこどもたちが飼っていたのは、ジャンガリアンハムスターだったような記憶です。
著者は、死んだハムスターの墓を掘り起こして、白骨化したハムスターの骨格標本をつくりあげています。著者は当時中学生です。すごいなあ。
意外だったのは、高校受験で第一志望の公立高校で不合格になっていることです。第二志望の私立高校へ入学されています。高校受験の失敗が、人生全体の失敗になるわけではないのです。
著者は、高校一年生の秋に、交通事故死したタヌキの骨格標本をつくっています。タヌキとアナグマの食べた時の味の違い、ムジナという呼び方については、初めて知りました。
高校の理科室にあるウシガエルのオタマジャクシの液体漬けの標本のことが出てきます。
昔、うちの息子が小学生だった時に、愛知県の佐久島(さくしま)というところで夏休みのこども向け一泊二日の活動に参加してつくったウニのホルマリン漬けみたいなビンが、今も本棚にあります。そんなことを思い出しました。
透明骨格標本というものの説明が本にあります。自分はそういうものを見たことがありません。もう、オタク(マニア、ファン)の世界です。
大学の話が出てきたところまで読んで、大学は、目的をもって行くところだと判断します。資格をとるとか、学者で食べていくとか、学閥(がくばつ)を利用して就職するとか、目的が必要です。ただなんとなく行くのならやめたほうがいい。
『そうだ、南米にいこう!』という文章の項目からは、南米には生き物がたくさんいるからだという理由と意欲が伝わってきます。
母親が高校時代に外国に留学していたことがあるそうです。たいていは、親がしたことをこどももします。
著者の行き先は、アルゼンチンです。生き物の宝庫だそうです。アルゼンチンは、治安が良くて、美人が多くて、お肉がおいしいそうです。
同じ南米でもブラジルの都市は治安が悪そうです。アルゼンチンの治安がいいのはちょっと意外でもあります。首都ブエノスアイレスの意味は「いい空気」だそうです。
スペイン語が出てきます。
テンゴ アンブレ:おなかがすきました。
ソコーロ:助けて!
ドンデエスタエルバーニョ:トイレはどこですか?
同じく読書感想文の課題図書で、スペイン語がちょこちょこ出てきた本に『海を見た日 M・G・ヘネシー/作 杉田七重(すぎた・ななえ)/訳 すずき出版』がありました。
世界各国から来た60名近くの留学生です。そのうち日本人は6人だったようです。
ホストファミリー:外国からの留学生を受け入れて世話をしてくださるご家族
アルゼンチンでの滞在期間は長い。高校三年生のときです。一年間の外国留学でした。
著者は帰国して高校三年生を2回体験しています。
東京水産大学に合格できて良かった。
ビスカーチャ:うさぎみたいな生き物
マリネ:肉、魚、野菜をつけ汁(酢やレモン汁)につけこむ。ビスカーチャを食べるときマリネにする。パンにはさんで食べる)
49ページに、骨を観察する絵があります。
アルゼンチンで見られるクジラとして『ミナミセミクジラ』:体長18メートル、体重18トン以上になる。
著者は、自宅の台所で、魚の骨格標本をつくります。
大きなカツオの頭蓋骨が始まりでした。
同じもの(カツオの頭)をふたつ用意して取り組んでおられます。同じものがふたつあれば、心の余裕も十分です。
多種多様なお魚がいますが、構成している骨の種類と個数はみんな同じだそうです。知りませんでした。祖先が同じなのです。
マグロの解体ショーが出てきます。
次回のテレビ番組『旅猿』のテーマが、和歌山でマグロの解体ショーに挑戦でした。ジミー大西さんと岡村隆史さんがチャレンジします。
岡村隆史さんは、大阪堺の包丁づくりの会社で、何万円もするいいマイ包丁を購入しました。
見るのが楽しみです。
64ページに『ないわホネホネ団』による『ホネホネサミット』と書いてあります。
いろんな世界があるのだなあと感心しました。
『ホネの水族館』という展示があります。ふーん。たくさんの魚の骨が展示されています。
大学4年生で、マッコウクジラの解体に立ち会います。
場所は茨城県大洗海岸です。(おおあらいかいがん)
自分は小学生の時に大洗海岸へ行ったことがあります。思えば、放浪癖のある亡くなったオヤジに連れられて、こどものころは、日本各地のいろんなところに行きました。
輪読(りんどく):同じ本を複数で読んで、感想を各自が発表して、本の内容を分析、検討する。勉強会です。
沖縄美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん)が出てきます。
沖縄海洋博(昭和50年)のあとの水族館を見学したことがあります。
ブリーチ:クジラのジャンプ
文章を読んでいて思ったことがあります。
先日の知床半島遊覧船沈没事故以来、観光地での乗り物に危機感をもつようになりました。人に対する不安感も同時に生まれました。
信頼関係がなくなったら、この世ではなにもできなくなります。
クジラというのは、目が見えているのか。
クジラのほうが人間に寄ってきます。クジラの観察会ではなくて、クジラによる人間の観察会みたいな雰囲気になってきました。
クジラには知能があります。
朝が早い生活です。
クジラとかお魚の研究は早起きでなければなりません。
鮎川(地名):宮城県牡鹿半島の南にある港
きちんと記録をとって残す人の文章です。
今度は、ミンククジラです。小型。体長7メートルぐらい。
深さ2メートル、3×4メートルぐらいの穴をほって、肉がついたクジラの骨を埋めます。
2、3年後に掘り起こして、クジラの骨格標本にします。いいものをつくるのには時間がかかります。
尾籠(びろう):不潔、無作法(ぶさほう)
98ページから99ページにかけて、クジラの解体のしかたが絵で描いた説明があります。
死んでいるからモノ扱いです。
第一章が終わりました。
第二章から南極です。
大学4年生の中頃に南氷洋行きの話が舞い込みます。前向きな著者ですから当然申し込みます。
南極海鯨類捕獲調査船団(なんきょくかいげいるいほかくちょうさせんだん)によるクジラの調査に参加します。調査母船、三隻(せき)の目視採集船、二隻の目視専門船、けっこう大所帯なことに驚かされました。総勢230人ぐらいです。
日本の山口県下関市を2006年11月に出発して、翌年3月末に帰国します。帰国まで、日本の港を出たら、船から地上に降りることはありません。好きでなければやれないことです。5か月かかります。
山口県下関の港の話あたりには、旅のだいご味があります。(期待、おもしろさ、楽しみにしている気持ち)。下関あたりは何度か行ったことがあるので、文章を読みながら、光景を想像することが楽しい。
106ページにある調査母船の構造図は、まるで、ひとつのまち(町、街)のようです。
南極まで、時速約26キロメートルで船は進みます。1か月ぐらいかかっています。南半球ですから、12月ころは夏です。
なんでもそうですが、まずは好きでないと続きません。対象物が好きだったり、その行為が好きだったりします。
お金はその次です。
根気がいります。(こんき:続ける気持ち。長く続ける気力)
118ページのおふろに入っているときの絵がおもしろい。
船ですから揺れます。おふろも揺れます。
フィールドワーク:現地調査
調査捕鯨でクジラを捕獲して観察、分析をします。クジラの命は失われます。3か月で800頭を調べるそうです。(この部分を読んでいて、なんとなく、捕鯨反対団体の活動のことが頭をよぎりました)
読んでいると、調査員のほうも命がけです。
クジラも暴れます。
先日読んだ課題図書『建築家になりたい君へ』を書いた建築家の隈研吾さん(くま・けんごさん)も若い時にアフリカで原住民の住む住宅調査をされています。
運が良かったのだと思います。殺されても仕方がないような立ち入った調査を現地の集落で行っておられました。
一頭目のクジラの体に日本酒をかけて、これからの調査の無事をみんなで祈ります。
太古の時代、おそらく卑弥呼(ひみこ)がいたときには必ずあった祈りの儀式です。
神さまは目には見えませんが、神さまは存在すると信じたほうが安心して暮らせることもあります。
儀式は大事です。
クジラを始めとした南氷洋の生きものの食べ物がナンキョクオキアミです。
エビのように見えます。体長が4センチほどだそうです。
どうしてオキアミという名前なのだろう。
調べました。『アミ』は、日本の古い言葉でエビのことだそうです。沖にいるエビだからオキアミだそうです。驚いたのは、ナンキョクオキアミは、名古屋港水族館にいるそうです。何度も行ったことがある水族館です。ペンギンばかりを見ていました。
ほーっと感心したことがあります。
クジラは眠らないというような記述があります。正確には眠るのですが、『半球睡眠』というそうです。右脳と左脳が交互に眠るそうです。
いろいろ読み進めていると、クジラ解体のグロテスクなシーンも出てきます。
捕鯨反対の人が読んだら、さらに捕鯨に反対する気持ちが強まりそうな記述内容です。調査捕鯨の必要性と重要性を補記しておいたほうがよさそうなこの本です。
そう思いながら読んでいたら、やっぱり、141ページで、『シーシェパード』が出てきました。2月9日のことです。
かなり過激な抗議行動があります。シーシェパードの人たちは、クジラがかわいそうという人情で動いているのでしょう。
臭い爆弾みたいなものが調査船に投げ入れられます。びんの放り投げ攻撃です。発煙筒も投げ込まれます。
読んでいると、捕鯨に反対しているというよりも、騒いであばれて、ストレス解消をしているようにも思えます。さわぐことで、気持ちすっきりです。
シーシェパードの乗組員が海に転落して、捕鯨団が乗組員を救助に向かっています。それでもシーシェパードのメンバーは、調査船への攻撃をやめてくれません。なんなんだろう。そのことは、テレビニュースで見た覚えがあります。
それも、過去のことになってしまいました。
2018年12月に日本は国際捕鯨委員会を脱退して、南極での捕鯨をやめて、日本近海だけの捕鯨をすることになりました。
著者の考えでは、南氷洋のクジラ資源は、世界の食糧不足に備えるための資源だと残念がっておられます。
ウクライナが戦争で穀物輸出ができず、世界の貧困地域での食糧危機が予想されている今、クジラの食料資源が必要になるかもしれないとこの本を読んでいて思いました。
最後は、クジラの骨の話に戻ります。
アルゼンチンでの活動と表彰歴について書いてありました。
本の帯に『クジラ博士の研究航海記』と書いてあります。
今年5月、自分は長野県松本市にある旧制松本高等学校の校舎を見学しました。亡くなった作家・精神科医の北杜夫さん(きたもりおさん)が在籍していた学校です。(1945年6月から(昭和20年)当時18歳。1947年に東北大学へ進学)どくとるマンボウという愛称で『どくとるマンボウ航海記』シリーズを高校生のときに楽しみました。きっとこの帯のキャッチフレーズは、そこからきているものなのでしょう。
まずは、全体のページを1ページずつ最後までゆっくりめくります。
プロローグがあって、第一章から第三章まであります。最後が、エピローグです。
プロローグ:はじめに
第一章:墓あばきから始まった
第二章:南氷洋航海記
第三章:クジラの骨と僕
エピローグ:おわりに
第一章の目次に『そうだ、南米に行こう!』とキャッチフレーズ(目に留まる文節)が書いてあります。
観光旅行を誘うコマーシャル『そうだ、京都行こう!』からきているのでしょう。(JR東海、1993年からのキャッチフレーズです。平成5年)
『骨』です。
なんとなく、『解剖(かいぼう)』のにおいがします。
第一章 『墓あばきから始まった』です。さし絵には『ハムの墓』と書かれたお墓を少年がシャベルで掘り起ししています。ハムはハムスターなのでしょう。
その絵を見て、思い出したことがあります。
自分の娘や息子たちがまだ小学生だったころ、ペットとして飼っていた亀が死にました。
こどもたちは、当時住んでいたマンションのそばにある里山に亀の死体を埋めてお墓をつくりました。
その後、何か月かたったあと、何をどう思ったのか知りませんが、こどもたちは、死んだ亀を埋めたお墓を掘り起こしました。相当不気味なものを見たようで、こどもたちは、ゲロを吐きそうになったと恐れおののいていました。
なんだか、ホラー(恐怖小説)作品を読む前のような心理で、この本を読み始めます。
ざーっと文章に目をとおしながら読んでいますが、作者は、かなりユニークな人のような感じです。(ユニーク:あまりいない人)
99ページにクジラのさばき方の絵があります。
解体ショーです。
最後に作者紹介があります。
小学生のころは、ダンゴムシが好きだったようです。
先日読んだ読書感想文の課題図書『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』にダンゴムシが好きな少年少女のことが書いてありました。
さて、それでは、これから最初に戻って読み始めます。
(つづく)
読み終わりました。
狭い世界の出来事を深く語る本の内容でした。
これから、大学関係で学者になりたい人、公益組織で研究者になりたい若い人向けのアドバイス書物です。
いわゆるオタク(特定のことを極める人)を励ます本だと受けとめました。
著者の大学卒業までの二十年間ぐらいのことが書いてあります。
『鯨類額(げいるいがく)』を極める。(きわめる)
自分が小学校低学年ぐらいまでのこどものころ、クジラをよく食べていました。
熊本県の当時離島だったところで暮らしていたのですが、(現在は橋がかけられている)半農半漁の集落でした。
冷凍クジラ肉をスライスした刺身が、冷たくておいしかった記憶が残っています。
今どきは、捕鯨反対運動もあってか、クジラを食べたことがある人は少なくなったと思います。
学者になるということは、学問の分野にもよるのでしょうが、一般サラリーマンとは暮らし方が違う暮らしを送ることになる人もいます。
調査のために家をあけることが多いと、家族との交流をする時間が少なくなります。
そういうことも考えながら学者をめざしたほうが無難です。
中学生の時の著者のあだ名が、爬虫類(はちゅうるい)が由来の(ゆらい、起源)の『ハチュウ』でイヤだったそうです。
先日テレビで、あだな使用禁止の小学校のことが出ていました。賛否両論あるのでしょうが、いやな人がひとりでもいれば、やめたほうがいいのでしょう。
うちの妻も小学生のときに、肌の色が白かったので「しろぶた」と呼ばれるのがイヤだったそうです。わたしは肌の色が白い人が好きだったので、妻を好きになったと話したことがあります。
『カナヘビ』のことが出てきます。トカゲのような姿をしたヘビです。同じく読書感想文コンクールの課題図書になった『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』で、昆虫類生きもの好きの女子中学生がカナヘビがらみの言動をしていました。
あわせて、グリーンイグアナのことが書いてあります。たしか、名古屋の東山動物園に自然動物館という建物があって、そこで飼育されています。爬虫類(はちゅうるい)や両生類(りょうせいるい)をおもに展示してある建物です。
著者は、中学2年生で『フトアゴヒゲトカゲ』を飼います。オーストラリア原産です。
本体1万9800円、必要な水槽等を準備して3万円以上を自分の貯金でつぎこみました。
中学校で変わり者扱いをされますが、その後、大学へ行くと、もっとすごいメンバーがゴロゴロいます。全国からお仲間集合です。
師弟関係があります。中学校の理科の女先生がすごい。牛や豚を生徒の前で解体します。
すごい授業です。
牛や豚は、一般的には『食べるための家畜』です。商業用家畜というようなことを聞いたことがあります。愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)ではありません。
25ページに著者が飼育した動物類の絵と文章があります。
わたしも小学生の時はたくさん生き物を飼っていましたが、その数は、全然負けています。
『ハムの墓』は、やっぱりハムスターのお墓でした。
ゴールデンハムスターです。
うちで小学生だったこどもたちが飼っていたのは、ジャンガリアンハムスターだったような記憶です。
著者は、死んだハムスターの墓を掘り起こして、白骨化したハムスターの骨格標本をつくりあげています。著者は当時中学生です。すごいなあ。
意外だったのは、高校受験で第一志望の公立高校で不合格になっていることです。第二志望の私立高校へ入学されています。高校受験の失敗が、人生全体の失敗になるわけではないのです。
著者は、高校一年生の秋に、交通事故死したタヌキの骨格標本をつくっています。タヌキとアナグマの食べた時の味の違い、ムジナという呼び方については、初めて知りました。
高校の理科室にあるウシガエルのオタマジャクシの液体漬けの標本のことが出てきます。
昔、うちの息子が小学生だった時に、愛知県の佐久島(さくしま)というところで夏休みのこども向け一泊二日の活動に参加してつくったウニのホルマリン漬けみたいなビンが、今も本棚にあります。そんなことを思い出しました。
透明骨格標本というものの説明が本にあります。自分はそういうものを見たことがありません。もう、オタク(マニア、ファン)の世界です。
大学の話が出てきたところまで読んで、大学は、目的をもって行くところだと判断します。資格をとるとか、学者で食べていくとか、学閥(がくばつ)を利用して就職するとか、目的が必要です。ただなんとなく行くのならやめたほうがいい。
『そうだ、南米にいこう!』という文章の項目からは、南米には生き物がたくさんいるからだという理由と意欲が伝わってきます。
母親が高校時代に外国に留学していたことがあるそうです。たいていは、親がしたことをこどももします。
著者の行き先は、アルゼンチンです。生き物の宝庫だそうです。アルゼンチンは、治安が良くて、美人が多くて、お肉がおいしいそうです。
同じ南米でもブラジルの都市は治安が悪そうです。アルゼンチンの治安がいいのはちょっと意外でもあります。首都ブエノスアイレスの意味は「いい空気」だそうです。
スペイン語が出てきます。
テンゴ アンブレ:おなかがすきました。
ソコーロ:助けて!
ドンデエスタエルバーニョ:トイレはどこですか?
同じく読書感想文の課題図書で、スペイン語がちょこちょこ出てきた本に『海を見た日 M・G・ヘネシー/作 杉田七重(すぎた・ななえ)/訳 すずき出版』がありました。
世界各国から来た60名近くの留学生です。そのうち日本人は6人だったようです。
ホストファミリー:外国からの留学生を受け入れて世話をしてくださるご家族
アルゼンチンでの滞在期間は長い。高校三年生のときです。一年間の外国留学でした。
著者は帰国して高校三年生を2回体験しています。
東京水産大学に合格できて良かった。
ビスカーチャ:うさぎみたいな生き物
マリネ:肉、魚、野菜をつけ汁(酢やレモン汁)につけこむ。ビスカーチャを食べるときマリネにする。パンにはさんで食べる)
49ページに、骨を観察する絵があります。
アルゼンチンで見られるクジラとして『ミナミセミクジラ』:体長18メートル、体重18トン以上になる。
著者は、自宅の台所で、魚の骨格標本をつくります。
大きなカツオの頭蓋骨が始まりでした。
同じもの(カツオの頭)をふたつ用意して取り組んでおられます。同じものがふたつあれば、心の余裕も十分です。
多種多様なお魚がいますが、構成している骨の種類と個数はみんな同じだそうです。知りませんでした。祖先が同じなのです。
マグロの解体ショーが出てきます。
次回のテレビ番組『旅猿』のテーマが、和歌山でマグロの解体ショーに挑戦でした。ジミー大西さんと岡村隆史さんがチャレンジします。
岡村隆史さんは、大阪堺の包丁づくりの会社で、何万円もするいいマイ包丁を購入しました。
見るのが楽しみです。
64ページに『ないわホネホネ団』による『ホネホネサミット』と書いてあります。
いろんな世界があるのだなあと感心しました。
『ホネの水族館』という展示があります。ふーん。たくさんの魚の骨が展示されています。
大学4年生で、マッコウクジラの解体に立ち会います。
場所は茨城県大洗海岸です。(おおあらいかいがん)
自分は小学生の時に大洗海岸へ行ったことがあります。思えば、放浪癖のある亡くなったオヤジに連れられて、こどものころは、日本各地のいろんなところに行きました。
輪読(りんどく):同じ本を複数で読んで、感想を各自が発表して、本の内容を分析、検討する。勉強会です。
沖縄美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん)が出てきます。
沖縄海洋博(昭和50年)のあとの水族館を見学したことがあります。
ブリーチ:クジラのジャンプ
文章を読んでいて思ったことがあります。
先日の知床半島遊覧船沈没事故以来、観光地での乗り物に危機感をもつようになりました。人に対する不安感も同時に生まれました。
信頼関係がなくなったら、この世ではなにもできなくなります。
クジラというのは、目が見えているのか。
クジラのほうが人間に寄ってきます。クジラの観察会ではなくて、クジラによる人間の観察会みたいな雰囲気になってきました。
クジラには知能があります。
朝が早い生活です。
クジラとかお魚の研究は早起きでなければなりません。
鮎川(地名):宮城県牡鹿半島の南にある港
きちんと記録をとって残す人の文章です。
今度は、ミンククジラです。小型。体長7メートルぐらい。
深さ2メートル、3×4メートルぐらいの穴をほって、肉がついたクジラの骨を埋めます。
2、3年後に掘り起こして、クジラの骨格標本にします。いいものをつくるのには時間がかかります。
尾籠(びろう):不潔、無作法(ぶさほう)
98ページから99ページにかけて、クジラの解体のしかたが絵で描いた説明があります。
死んでいるからモノ扱いです。
第一章が終わりました。
第二章から南極です。
大学4年生の中頃に南氷洋行きの話が舞い込みます。前向きな著者ですから当然申し込みます。
南極海鯨類捕獲調査船団(なんきょくかいげいるいほかくちょうさせんだん)によるクジラの調査に参加します。調査母船、三隻(せき)の目視採集船、二隻の目視専門船、けっこう大所帯なことに驚かされました。総勢230人ぐらいです。
日本の山口県下関市を2006年11月に出発して、翌年3月末に帰国します。帰国まで、日本の港を出たら、船から地上に降りることはありません。好きでなければやれないことです。5か月かかります。
山口県下関の港の話あたりには、旅のだいご味があります。(期待、おもしろさ、楽しみにしている気持ち)。下関あたりは何度か行ったことがあるので、文章を読みながら、光景を想像することが楽しい。
106ページにある調査母船の構造図は、まるで、ひとつのまち(町、街)のようです。
南極まで、時速約26キロメートルで船は進みます。1か月ぐらいかかっています。南半球ですから、12月ころは夏です。
なんでもそうですが、まずは好きでないと続きません。対象物が好きだったり、その行為が好きだったりします。
お金はその次です。
根気がいります。(こんき:続ける気持ち。長く続ける気力)
118ページのおふろに入っているときの絵がおもしろい。
船ですから揺れます。おふろも揺れます。
フィールドワーク:現地調査
調査捕鯨でクジラを捕獲して観察、分析をします。クジラの命は失われます。3か月で800頭を調べるそうです。(この部分を読んでいて、なんとなく、捕鯨反対団体の活動のことが頭をよぎりました)
読んでいると、調査員のほうも命がけです。
クジラも暴れます。
先日読んだ課題図書『建築家になりたい君へ』を書いた建築家の隈研吾さん(くま・けんごさん)も若い時にアフリカで原住民の住む住宅調査をされています。
運が良かったのだと思います。殺されても仕方がないような立ち入った調査を現地の集落で行っておられました。
一頭目のクジラの体に日本酒をかけて、これからの調査の無事をみんなで祈ります。
太古の時代、おそらく卑弥呼(ひみこ)がいたときには必ずあった祈りの儀式です。
神さまは目には見えませんが、神さまは存在すると信じたほうが安心して暮らせることもあります。
儀式は大事です。
クジラを始めとした南氷洋の生きものの食べ物がナンキョクオキアミです。
エビのように見えます。体長が4センチほどだそうです。
どうしてオキアミという名前なのだろう。
調べました。『アミ』は、日本の古い言葉でエビのことだそうです。沖にいるエビだからオキアミだそうです。驚いたのは、ナンキョクオキアミは、名古屋港水族館にいるそうです。何度も行ったことがある水族館です。ペンギンばかりを見ていました。
ほーっと感心したことがあります。
クジラは眠らないというような記述があります。正確には眠るのですが、『半球睡眠』というそうです。右脳と左脳が交互に眠るそうです。
いろいろ読み進めていると、クジラ解体のグロテスクなシーンも出てきます。
捕鯨反対の人が読んだら、さらに捕鯨に反対する気持ちが強まりそうな記述内容です。調査捕鯨の必要性と重要性を補記しておいたほうがよさそうなこの本です。
そう思いながら読んでいたら、やっぱり、141ページで、『シーシェパード』が出てきました。2月9日のことです。
かなり過激な抗議行動があります。シーシェパードの人たちは、クジラがかわいそうという人情で動いているのでしょう。
臭い爆弾みたいなものが調査船に投げ入れられます。びんの放り投げ攻撃です。発煙筒も投げ込まれます。
読んでいると、捕鯨に反対しているというよりも、騒いであばれて、ストレス解消をしているようにも思えます。さわぐことで、気持ちすっきりです。
シーシェパードの乗組員が海に転落して、捕鯨団が乗組員を救助に向かっています。それでもシーシェパードのメンバーは、調査船への攻撃をやめてくれません。なんなんだろう。そのことは、テレビニュースで見た覚えがあります。
それも、過去のことになってしまいました。
2018年12月に日本は国際捕鯨委員会を脱退して、南極での捕鯨をやめて、日本近海だけの捕鯨をすることになりました。
著者の考えでは、南氷洋のクジラ資源は、世界の食糧不足に備えるための資源だと残念がっておられます。
ウクライナが戦争で穀物輸出ができず、世界の貧困地域での食糧危機が予想されている今、クジラの食料資源が必要になるかもしれないとこの本を読んでいて思いました。
最後は、クジラの骨の話に戻ります。
アルゼンチンでの活動と表彰歴について書いてありました。