2022年06月21日

朝からひなたぼっこだよ~ん

朝からひなたぼっこだよ~ん

熊太郎じいさんが、日課の散歩中です。
道のまんなかに何かあります。



しろねこ『なによ?!』



しろねこ『なんか、用事?』



しろねこ『あたしゃ、ねむいのよ』



せなかがかゆい。
ごろんごろん。



熊太郎じいさん『おーいとらねこ、生きてるかーー』



なんか二匹ともご遺体に見えるんだけど。



生きてるよ。心配するな。



朝だけど、おやすみー。じいさん、さっさと、とおりすぎてくれ。



この二匹はいつもいっしょにいます。
夫婦なのかなあ。
夫婦はいっしょにいて、同じことをしていれば平和です。
リラックス、リラックス。くつろぐ。くつろぐ。  

Posted by 熊太郎 at 06:55Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2022年06月20日

クジラの骨と僕らの未来 中村玄

クジラの骨と僕らの未来 中村玄(なかむら・げん) 理論社

 本の帯に『クジラ博士の研究航海記』と書いてあります。
 今年5月、自分は長野県松本市にある旧制松本高等学校の校舎を見学しました。亡くなった作家・精神科医の北杜夫さん(きたもりおさん)が在籍していた学校です。(1945年6月から(昭和20年)当時18歳。1947年に東北大学へ進学)どくとるマンボウという愛称で『どくとるマンボウ航海記』シリーズを高校生のときに楽しみました。きっとこの帯のキャッチフレーズは、そこからきているものなのでしょう。

 まずは、全体のページを1ページずつ最後までゆっくりめくります。
 プロローグがあって、第一章から第三章まであります。最後が、エピローグです。
 プロローグ:はじめに
 第一章:墓あばきから始まった
 第二章:南氷洋航海記
 第三章:クジラの骨と僕
 エピローグ:おわりに

 第一章の目次に『そうだ、南米に行こう!』とキャッチフレーズ(目に留まる文節)が書いてあります。
 観光旅行を誘うコマーシャル『そうだ、京都行こう!』からきているのでしょう。(JR東海、1993年からのキャッチフレーズです。平成5年)

 『骨』です。
 なんとなく、『解剖(かいぼう)』のにおいがします。

 第一章 『墓あばきから始まった』です。さし絵には『ハムの墓』と書かれたお墓を少年がシャベルで掘り起ししています。ハムはハムスターなのでしょう。
 その絵を見て、思い出したことがあります。
 自分の娘や息子たちがまだ小学生だったころ、ペットとして飼っていた亀が死にました。
 こどもたちは、当時住んでいたマンションのそばにある里山に亀の死体を埋めてお墓をつくりました。
 その後、何か月かたったあと、何をどう思ったのか知りませんが、こどもたちは、死んだ亀を埋めたお墓を掘り起こしました。相当不気味なものを見たようで、こどもたちは、ゲロを吐きそうになったと恐れおののいていました。

 なんだか、ホラー(恐怖小説)作品を読む前のような心理で、この本を読み始めます。

 ざーっと文章に目をとおしながら読んでいますが、作者は、かなりユニークな人のような感じです。(ユニーク:あまりいない人)

 99ページにクジラのさばき方の絵があります。
 解体ショーです。
 
 最後に作者紹介があります。
 小学生のころは、ダンゴムシが好きだったようです。
 先日読んだ読書感想文の課題図書『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』にダンゴムシが好きな少年少女のことが書いてありました。

 さて、それでは、これから最初に戻って読み始めます。

(つづく)

 読み終わりました。
 狭い世界の出来事を深く語る本の内容でした。
 これから、大学関係で学者になりたい人、公益組織で研究者になりたい若い人向けのアドバイス書物です。
 いわゆるオタク(特定のことを極める人)を励ます本だと受けとめました。
 著者の大学卒業までの二十年間ぐらいのことが書いてあります。

 『鯨類額(げいるいがく)』を極める。(きわめる)
 自分が小学校低学年ぐらいまでのこどものころ、クジラをよく食べていました。
 熊本県の当時離島だったところで暮らしていたのですが、(現在は橋がかけられている)半農半漁の集落でした。
 冷凍クジラ肉をスライスした刺身が、冷たくておいしかった記憶が残っています。
 今どきは、捕鯨反対運動もあってか、クジラを食べたことがある人は少なくなったと思います。

 学者になるということは、学問の分野にもよるのでしょうが、一般サラリーマンとは暮らし方が違う暮らしを送ることになる人もいます。
 調査のために家をあけることが多いと、家族との交流をする時間が少なくなります。
 そういうことも考えながら学者をめざしたほうが無難です。

 中学生の時の著者のあだ名が、爬虫類(はちゅうるい)が由来の(ゆらい、起源)の『ハチュウ』でイヤだったそうです。
 先日テレビで、あだな使用禁止の小学校のことが出ていました。賛否両論あるのでしょうが、いやな人がひとりでもいれば、やめたほうがいいのでしょう。
 うちの妻も小学生のときに、肌の色が白かったので「しろぶた」と呼ばれるのがイヤだったそうです。わたしは肌の色が白い人が好きだったので、妻を好きになったと話したことがあります。

 『カナヘビ』のことが出てきます。トカゲのような姿をしたヘビです。同じく読書感想文コンクールの課題図書になった『セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社』で、昆虫類生きもの好きの女子中学生がカナヘビがらみの言動をしていました。
 あわせて、グリーンイグアナのことが書いてあります。たしか、名古屋の東山動物園に自然動物館という建物があって、そこで飼育されています。爬虫類(はちゅうるい)や両生類(りょうせいるい)をおもに展示してある建物です。
 
 著者は、中学2年生で『フトアゴヒゲトカゲ』を飼います。オーストラリア原産です。
 本体1万9800円、必要な水槽等を準備して3万円以上を自分の貯金でつぎこみました。
 中学校で変わり者扱いをされますが、その後、大学へ行くと、もっとすごいメンバーがゴロゴロいます。全国からお仲間集合です。
 
 師弟関係があります。中学校の理科の女先生がすごい。牛や豚を生徒の前で解体します。
 すごい授業です。
 牛や豚は、一般的には『食べるための家畜』です。商業用家畜というようなことを聞いたことがあります。愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)ではありません。

 25ページに著者が飼育した動物類の絵と文章があります。
 わたしも小学生の時はたくさん生き物を飼っていましたが、その数は、全然負けています。

 『ハムの墓』は、やっぱりハムスターのお墓でした。
 ゴールデンハムスターです。
 うちで小学生だったこどもたちが飼っていたのは、ジャンガリアンハムスターだったような記憶です。
 著者は、死んだハムスターの墓を掘り起こして、白骨化したハムスターの骨格標本をつくりあげています。著者は当時中学生です。すごいなあ。

 意外だったのは、高校受験で第一志望の公立高校で不合格になっていることです。第二志望の私立高校へ入学されています。高校受験の失敗が、人生全体の失敗になるわけではないのです。
 著者は、高校一年生の秋に、交通事故死したタヌキの骨格標本をつくっています。タヌキとアナグマの食べた時の味の違い、ムジナという呼び方については、初めて知りました。

 高校の理科室にあるウシガエルのオタマジャクシの液体漬けの標本のことが出てきます。
 昔、うちの息子が小学生だった時に、愛知県の佐久島(さくしま)というところで夏休みのこども向け一泊二日の活動に参加してつくったウニのホルマリン漬けみたいなビンが、今も本棚にあります。そんなことを思い出しました。
 透明骨格標本というものの説明が本にあります。自分はそういうものを見たことがありません。もう、オタク(マニア、ファン)の世界です。
 大学の話が出てきたところまで読んで、大学は、目的をもって行くところだと判断します。資格をとるとか、学者で食べていくとか、学閥(がくばつ)を利用して就職するとか、目的が必要です。ただなんとなく行くのならやめたほうがいい。

 『そうだ、南米にいこう!』という文章の項目からは、南米には生き物がたくさんいるからだという理由と意欲が伝わってきます。
 母親が高校時代に外国に留学していたことがあるそうです。たいていは、親がしたことをこどももします。
 著者の行き先は、アルゼンチンです。生き物の宝庫だそうです。アルゼンチンは、治安が良くて、美人が多くて、お肉がおいしいそうです。
 同じ南米でもブラジルの都市は治安が悪そうです。アルゼンチンの治安がいいのはちょっと意外でもあります。首都ブエノスアイレスの意味は「いい空気」だそうです。
 スペイン語が出てきます。
 テンゴ アンブレ:おなかがすきました。
 ソコーロ:助けて!
 ドンデエスタエルバーニョ:トイレはどこですか?
 同じく読書感想文の課題図書で、スペイン語がちょこちょこ出てきた本に『海を見た日 M・G・ヘネシー/作 杉田七重(すぎた・ななえ)/訳 すずき出版』がありました。
 世界各国から来た60名近くの留学生です。そのうち日本人は6人だったようです。
 ホストファミリー:外国からの留学生を受け入れて世話をしてくださるご家族

 アルゼンチンでの滞在期間は長い。高校三年生のときです。一年間の外国留学でした。
 著者は帰国して高校三年生を2回体験しています。
 東京水産大学に合格できて良かった。

 ビスカーチャ:うさぎみたいな生き物
 マリネ:肉、魚、野菜をつけ汁(酢やレモン汁)につけこむ。ビスカーチャを食べるときマリネにする。パンにはさんで食べる)

 49ページに、骨を観察する絵があります。

 アルゼンチンで見られるクジラとして『ミナミセミクジラ』:体長18メートル、体重18トン以上になる。

 著者は、自宅の台所で、魚の骨格標本をつくります。
 大きなカツオの頭蓋骨が始まりでした。
 同じもの(カツオの頭)をふたつ用意して取り組んでおられます。同じものがふたつあれば、心の余裕も十分です。
 多種多様なお魚がいますが、構成している骨の種類と個数はみんな同じだそうです。知りませんでした。祖先が同じなのです。

 マグロの解体ショーが出てきます。
 次回のテレビ番組『旅猿』のテーマが、和歌山でマグロの解体ショーに挑戦でした。ジミー大西さんと岡村隆史さんがチャレンジします。
 岡村隆史さんは、大阪堺の包丁づくりの会社で、何万円もするいいマイ包丁を購入しました。
 見るのが楽しみです。

 64ページに『ないわホネホネ団』による『ホネホネサミット』と書いてあります。
 いろんな世界があるのだなあと感心しました。
 『ホネの水族館』という展示があります。ふーん。たくさんの魚の骨が展示されています。

 大学4年生で、マッコウクジラの解体に立ち会います。
 場所は茨城県大洗海岸です。(おおあらいかいがん)
 自分は小学生の時に大洗海岸へ行ったことがあります。思えば、放浪癖のある亡くなったオヤジに連れられて、こどものころは、日本各地のいろんなところに行きました。

 輪読(りんどく):同じ本を複数で読んで、感想を各自が発表して、本の内容を分析、検討する。勉強会です。

 沖縄美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん)が出てきます。
 沖縄海洋博(昭和50年)のあとの水族館を見学したことがあります。
 
 ブリーチ:クジラのジャンプ

 文章を読んでいて思ったことがあります。
 先日の知床半島遊覧船沈没事故以来、観光地での乗り物に危機感をもつようになりました。人に対する不安感も同時に生まれました。
 信頼関係がなくなったら、この世ではなにもできなくなります。

 クジラというのは、目が見えているのか。
 クジラのほうが人間に寄ってきます。クジラの観察会ではなくて、クジラによる人間の観察会みたいな雰囲気になってきました。
 クジラには知能があります。

 朝が早い生活です。
 クジラとかお魚の研究は早起きでなければなりません。
 鮎川(地名):宮城県牡鹿半島の南にある港
 
 きちんと記録をとって残す人の文章です。

 今度は、ミンククジラです。小型。体長7メートルぐらい。
 深さ2メートル、3×4メートルぐらいの穴をほって、肉がついたクジラの骨を埋めます。
 2、3年後に掘り起こして、クジラの骨格標本にします。いいものをつくるのには時間がかかります。

 尾籠(びろう):不潔、無作法(ぶさほう)

 98ページから99ページにかけて、クジラの解体のしかたが絵で描いた説明があります。
 死んでいるからモノ扱いです。

 第一章が終わりました。
 第二章から南極です。
 大学4年生の中頃に南氷洋行きの話が舞い込みます。前向きな著者ですから当然申し込みます。
 南極海鯨類捕獲調査船団(なんきょくかいげいるいほかくちょうさせんだん)によるクジラの調査に参加します。調査母船、三隻(せき)の目視採集船、二隻の目視専門船、けっこう大所帯なことに驚かされました。総勢230人ぐらいです。
 日本の山口県下関市を2006年11月に出発して、翌年3月末に帰国します。帰国まで、日本の港を出たら、船から地上に降りることはありません。好きでなければやれないことです。5か月かかります。
 山口県下関の港の話あたりには、旅のだいご味があります。(期待、おもしろさ、楽しみにしている気持ち)。下関あたりは何度か行ったことがあるので、文章を読みながら、光景を想像することが楽しい。
 106ページにある調査母船の構造図は、まるで、ひとつのまち(町、街)のようです。
 
 南極まで、時速約26キロメートルで船は進みます。1か月ぐらいかかっています。南半球ですから、12月ころは夏です。
 なんでもそうですが、まずは好きでないと続きません。対象物が好きだったり、その行為が好きだったりします。
 お金はその次です。
 根気がいります。(こんき:続ける気持ち。長く続ける気力)

 118ページのおふろに入っているときの絵がおもしろい。
 船ですから揺れます。おふろも揺れます。

 フィールドワーク:現地調査

 調査捕鯨でクジラを捕獲して観察、分析をします。クジラの命は失われます。3か月で800頭を調べるそうです。(この部分を読んでいて、なんとなく、捕鯨反対団体の活動のことが頭をよぎりました)
 読んでいると、調査員のほうも命がけです。
 クジラも暴れます。
 先日読んだ課題図書『建築家になりたい君へ』を書いた建築家の隈研吾さん(くま・けんごさん)も若い時にアフリカで原住民の住む住宅調査をされています。
 運が良かったのだと思います。殺されても仕方がないような立ち入った調査を現地の集落で行っておられました。

 一頭目のクジラの体に日本酒をかけて、これからの調査の無事をみんなで祈ります。
 太古の時代、おそらく卑弥呼(ひみこ)がいたときには必ずあった祈りの儀式です。
 神さまは目には見えませんが、神さまは存在すると信じたほうが安心して暮らせることもあります。
 儀式は大事です。

 クジラを始めとした南氷洋の生きものの食べ物がナンキョクオキアミです。
 エビのように見えます。体長が4センチほどだそうです。
 どうしてオキアミという名前なのだろう。
 調べました。『アミ』は、日本の古い言葉でエビのことだそうです。沖にいるエビだからオキアミだそうです。驚いたのは、ナンキョクオキアミは、名古屋港水族館にいるそうです。何度も行ったことがある水族館です。ペンギンばかりを見ていました。

 ほーっと感心したことがあります。
 クジラは眠らないというような記述があります。正確には眠るのですが、『半球睡眠』というそうです。右脳と左脳が交互に眠るそうです。

 いろいろ読み進めていると、クジラ解体のグロテスクなシーンも出てきます。
 捕鯨反対の人が読んだら、さらに捕鯨に反対する気持ちが強まりそうな記述内容です。調査捕鯨の必要性と重要性を補記しておいたほうがよさそうなこの本です。
 そう思いながら読んでいたら、やっぱり、141ページで、『シーシェパード』が出てきました。2月9日のことです。
 かなり過激な抗議行動があります。シーシェパードの人たちは、クジラがかわいそうという人情で動いているのでしょう。
 臭い爆弾みたいなものが調査船に投げ入れられます。びんの放り投げ攻撃です。発煙筒も投げ込まれます。
 読んでいると、捕鯨に反対しているというよりも、騒いであばれて、ストレス解消をしているようにも思えます。さわぐことで、気持ちすっきりです。
 シーシェパードの乗組員が海に転落して、捕鯨団が乗組員を救助に向かっています。それでもシーシェパードのメンバーは、調査船への攻撃をやめてくれません。なんなんだろう。そのことは、テレビニュースで見た覚えがあります。

 それも、過去のことになってしまいました。
 2018年12月に日本は国際捕鯨委員会を脱退して、南極での捕鯨をやめて、日本近海だけの捕鯨をすることになりました。
 著者の考えでは、南氷洋のクジラ資源は、世界の食糧不足に備えるための資源だと残念がっておられます。
 ウクライナが戦争で穀物輸出ができず、世界の貧困地域での食糧危機が予想されている今、クジラの食料資源が必要になるかもしれないとこの本を読んでいて思いました。

 最後は、クジラの骨の話に戻ります。
 アルゼンチンでの活動と表彰歴について書いてありました。  

Posted by 熊太郎 at 06:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年06月17日

高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫

高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版

 今から15年ぐらい前に、農家が多い地域で働いていたことがあります。
 おばあさんがですね、かなり高齢のおばあさんが、軽トラを運転しているわけです。軽トラを杖代わりに(つえがわりに)しているのです。荷台が付いた軽自動車のトラックです。
 そのときは、高齢者の運転の危険さに気づけませんでした。
 なにせ、ゆっくりとしか走れないのです。ゆるゆる走っているから安全だろうと、そのときは、思っていました。おばあさんが、ゆっくり運転しているとわかるから、ほかの車は気をつけながら追いぬいていました。田舎(いなか)だから、顔見知りが多いのです。お互いに、そのあたりの地主関係親族の一員だったりもします。
 そのときは、交通事故のことよりも、自分が思ったのは、家に軽トラがある家は、お金持ちだということです。一般サラリーマンの家の駐車場に、自家用軽トラックは駐車してありません。
 農家には、まず乗用車があって、次にセカンドカーの軽自動車(4人乗り)があって、さらに農作物や農機具を運搬する軽トラックがあって、農耕用の耕運機などがあるのです。車は、ひとりに1台の所有だったりもします。
 交通の便がとても不便なところだったので、わたしも車通勤をしていました。自家用車だと自宅から職場まで30分もかからないのですが、鉄道や徒歩だと、大まわりで乗り換えもあって、片道1時間半ぐらいかかりました。
 毎日、車通勤で、プライベートな休みの日でも車で移動するようになって、結局人事異動で職場を変わる5年間ぐらいは、毎日ハンドルを握っていました。車のハンドルを握らなかった日は、5年間のうちで、一日もなかったという記憶です。
 それだけ、田舎では、移動手段として、車が必要なところに住んでいる人がいるということです。それは、高齢者になってからも変わりはありません。ゆえに、なかなか、運転免許証の返納をしてくれません。
 身内は毎日ヒヤヒヤものです。いつ、自分の親たちが、交通事故の加害者になるかもしれません。死亡事故を起こしたら、運転をやめさせなかった家族一同が、社会的制裁を受けることもあります。
 そのうち、自分も運転をやめてくれとこどもたちに言われる時期がくるのでしょう。さからう気持ちはありません。ただ、さみしくはなります。移動の自由の確保は、心の健康を保つために大事です。
 そんなことを思っていたら、この本に出会いました。読んでみます。

 『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)だそうです。
 単純にいうと「ゆとりある運転」のことだそうです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されています。
 加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をする。

 自分は、車の運転は下手(へた)くそだと思っています。だから、慎重に運転します。
 喜怒哀楽の感情を殺して、自分の意識をロボットのように「無」にして、機械的にハンドルやアクセル・ブレーキ操作をすることに努めています。目標と目的は『安全』です。『お金』とか『速さ』とか『効率』ではありません。
 前方をしっかり見て、左右にある車線の枠からはみでないようにして、前の車がブレーキを踏んで赤いブレーキランプが点灯したら、自分もブレーキペダルを踏むようにして、絶対に追突事故を起こさないようにしています。
 本当はいけないことかもしれませんが、うしろは、ほとんど見ません。うしろに車が付くと気になるので見ないようにしています。それよりも、前と左右をしっかり見るようにしています。もしかしたら、何かが飛び出してくるかもしれないという意識を常にもっています。
 ゆっくり、ていねいに、スピードを出し過ぎないようにして、一旦停止はしっかりと止まって、基本的に『譲る(ゆずる)』運転を心がけています。自分に優先権があったとしても『ゆずる』気持ちを基本的にはもっています。
 どんくさいと言われることもあります。交通事故が多い道や交差点はなるべく走りません。遠回りでも安全な道を選択します。
 高速道路では、車間距離を長めに開けるので、右側の追い越し車線からどんどん割り込まれます。なんだか、自分は、うしろに向かって走っているのではないかと思うこともあります。
 コロナウィルス対策みたいに『三密(密閉、密集、密接)』のような雰囲気になりそうな場所には行かないようにしています。
 もうリタイアした年金生活者ですので、車で出かける時は、土日祝日をさけて、道がすいている平日のかつ、お天気がいいときを選んでいます。
 観光は、雨が降らない日のほうが、景色がいいからということもあります。
 あとは、なるべく毎日短時間でもいいからハンドルを握って車を動かすようにしています。運転操作の慣れという身体感触を失いたくありません。勘がにぶらないようにしたい。
 
 高齢者が起こす事故は気になります。
 アクセルとブレーキを踏み間違えて、建物に突っ込んだあとのシーンを見たことがあります。破壊のようすがありました。
 高齢者の運転手と、同じく助手席に高齢者が乗った高齢者二人乗りの軽自動車が、工事現場で、ゆっくり逆走してきたのを見たことがあります。
 高齢者マークがはってある車を見かけると、なるべく近づかないようにしています。
 そのうち、自分が高齢者マークを付けることになるのですが、ちゃんと付けるつもりです。どうか、近づかないでほしい。

 思うに、高齢者の大事故はいきなり起こるわけではなくて、予兆があります。
 車がボコボコに、へこみだすのです。自損の物損事故です。車を最初は軽くぶつけることが多くなります。
 コンビニや飲食店、クリニックでの車庫入れに失敗します。
 他車と、こすった程度の軽い物損事故を起こします。
 予兆が起き始めたら、運転免許証は取り上げなければなりません。
 ところが、高齢者は、運転免許証が手元になくてもハンドルを握ってしまいます。運転免許証を返納しても運転します。
 認知力の低下があります。
 困ったではすまされないことが起こります。おそろしいです。

(つづく)
 
 もくじの項目=(イコール)運転のポイントです。
 『生き方や態度まで含めた運転行動の階層モデル』とあります。なんだか、むずかしそうです。
 『高齢ドライバーの死亡事故:死ぬのは誰だ』とあります。死ぬのはたぶん高齢者ドライバーではなく相手のほうなのでしょう。そして、相手のほうがとても若い。うらまれます。
 『夜間の運転をひかえる』歳をとると目が見えにくくなります。
 『雨の日の運転をひかえる』やっぱり。雨の日は危ないのです。
 『長距離の運転をひかえる』わかります。長距離で移動するときは、交代要員がいります。
 『安全運転をサポートする車を運転する』高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
 第6章で『運転をやめる決意→準備→返納→返納後の生活』と流れていきます。

第1章 運転行動とその変化
 自分なりの考察も加えて書きます。
 知覚技能:危険な状況を視覚・聴覚等で発見する。
 社会的技能:歩行者や車が、次はどう動くかということを推測する。
 認知技能:状況に対応した意思決定をする。ブレーキを踏むと決定する。ハンドルを切ると決定する。
 車両操作技能:スムーズな運転操作をする。
 ふと思う。自動車専用道路の走行車線を走っていると、追い越し車線をものすごい猛スピードで駆け抜けていく車に出会うことがあります。今は、大丈夫(事故にはならない)だろうけれど、いつかはぶつかるだろうと思います。相手がよけてくれればいいけれど、同じタイプ(ゆずらない者どうし)が、がちあうと事故につながります。遠い昔、自動車学校の教官が教えてくれました。事故は、片方だけが違反した時に起きるのではなく、両方が違反した時に起きる。

 そういえば、JAF(ジャフ)の毎月来ていた雑誌がこなくなりました。発行の回数が減るというような通知がきていました。
 昔はよく読みましたが、最近は読まなくなりました。加齢による老眼がいちばんの理由です。

 19ページに『高齢になると、心身の働きや健康が損なわれて、獲得した運転技能がだんだん発揮できなくなってしまう』と書いてあります。
 男性は70歳、女性は60歳を越えると運転の態度が不良な状態になるそうです。80代や90歳近いドライバーがいる現在、ちょっと怖い。
 読んでいて、高齢のタクシードライバーはだいじょうぶだろうかと不安になります。
 
 ほうと思ったことが『1993年のEU統合(欧州連合)』があります。
 そんなに長い年数がたったのか。

 車の運転でむずかしいことがあります。
 きょうの被害者が、あすは加害者になることもあるのが、車の運転です。
 抗議する立場から抗議される立場に逆転します。
 
 車は、戸口から戸口までの移動なので便利です。くわえて、荷物も運べます。
 重たいかばんをもって、鉄道で旅行するのはたいへんです。
 やはり運転ができる年寄りにとっては、車が大事です。
 安全に運転するのにはどうしたらいいのかをこの本から学びます。

 車で出かけて駐車するときに、お年寄りは、めんどうくさがって、バックから駐車せずに、車を前から突っ込んで駐車することが多いそうです。
 自分は出る時のことを考えて、基本的にはバックで車庫入れをします。

 準高齢者:55歳から64歳
 前期高齢者:65歳から74歳
 後期高齢者:75歳以上

第2章 高齢ドライバーの事故
 2019年に東京池袋で起きた超高齢者の運転ミスによる悲惨な死傷事故について触れてあります。事故後の加害者の態度に批判が集中しました。
 自分が思うに、高齢者だからといって、なにをやっても許されるわけではありません。認知機能を始めとした身体の機能が低下している高齢者になにを言っても通じないということがあります。悲劇が繰り返されないように警察や行政は対策を考えなければなりません。
 たとえば、もしかしたら、遠い未来においては、75歳以上あるいは、80歳以上は運転禁止という法律ができているかもしれません。あるいは、目的地を入力して、ボタンを押すだけで、目的地に行ける自動運転の乗り物ができているかもしれません。

 本では分析が続きます。
 走行距離のこと、死亡事故のこと、75歳を超えると表れる自死の事故が増える現象のこと。
 加齢によって、ヒューマンエラーが起きやすくなる。(人為的ミス。不注意。発見の遅れ)
 ルールを守るという『良心』が薄れていく。
 視力低下(白内障ほか)
 アクセルとブレーキの踏み間違い。
 どうも、75歳がひとつの線引きになっています。
 
 以前、横断歩道を青で渡っていて、左折車にひかれそうになったことがあります。
 びっくりしました。
 後方へとんでよけて、ひかれずに済みました。
 運転していた五十代ぐらいの男性をにらみつけたのですが、どうもようすがおかしい。表情がないのです。放心状態の顔でした。心ここにあらず。無関係、無関心な顔つきなのです。精神状態がおかしい。高齢者にもそんな人がいます。

 交差点での直進車と右折車の衝突事故が多いそうです。
 右折するときは、右折の矢印が出るまで待つ。車を動かさない。あるいは、前方に車がまったく見えなくなってから右折する。後続車のことは考えない。そう理解して実行することにしました。
 特に二輪車が直進してくる時は、前に出ない。二輪車が通り過ぎてから右折を始める。

 今年読んで良かった本です。
 この本を読んだおかげで、交通事故を避けられます。

 自分が思うに、アクセルとブレーキを踏み間違えるということは、自分にとっては、ありえないことです。
 さらに、ブレーキだと思って、アクセルを踏み続けるなどという行為は信じられません。どうしてそうなるのだろうか。
 『思い込み』が強いというのは、個人差があるような気がします。

 高齢者は軽自動車を運転することが多いそうです。
 農家の軽トラという冒頭に書いた話が思い出されます

3章 安全ゆとり運転の勧め
 高齢者の生きがいについて書いてあります。
 1次的制御:まわりの環境に働きかける。入会、勧誘、健康づくりなど。
 2次的制御:親族との交流。あるがままを受け入れる。こだわらない。
 SOC理論というものについて解説があります。自分なりに、(範囲指定-手法-依存)と理解しました。

 車の速度が速くなると、安全余裕が小さくなってくる。高齢者になるにつれて、どんどん余裕がなくなってくる。
 スピードは抑える。
 自分で自信をもって車をコントロールできる範囲内の速度に抑える。

 83ページにあるアドバイス『早めに出発する(時間に余裕をもつ。待ち時間や余り時間(あまりじかん)があってもよしとする)。
 体調を整える。車の点検をする』は役に立ちます。

 以前各種大きさのレンタカーを多用していたことがあります。同時に、職場の車で、いろいろな車種の車を運転していたこともあります。小さな車から大きな車まで、いろいろなサイズの車を運転していました。交通の便が不便なところで効率よく動こうとすると車が手離せません。高齢ドライバーも同様でしょう。

 同乗者を乗せることが安全につながると思えます。
 ただ、高齢者だけが同乗していても安全効果が薄いということはあります。

 「攻撃的な運転」はしない。
 高速道路で、追い越し車線しか走らない人がいます。
 自分には無理です。
 そんな運転行為は、自分だったら、精神的に疲れます。

 88ページに『自分の運転が下手だと思っている人は、安全ゆとり運転をする人が多い』とあります。自分はそういう人です。
 下手だけれど、運転することが好きだということはあります。自由自在に行きたいところへ行けます。
 この本はテキストなのでしょう。(教科書)。97ページに、警察や行政向けに書いたというような記述があります。
 ドライバーの教育者向けです。自動車学校職員向けということもあるでしょう。

4章 運転前の安全ゆとり運転
 
 シルバー人材センター:公益社団法人。高齢者の就業機会を提供する。

 『車間距離は、距離よりも「時間」が大事』3秒を意識するそうです。
 緊急時に反応してブレーキを踏むまでの時間が3秒ぐらいということでしょう。

 安全運転をサポートする車のシステムに、ラインの枠をはみだすと、センサーが感知して、警告音(ピー ピーという音)がする車があります。わたしの車がそうです。ただ、実際運転していると、必要があってはみ出すときに、線をまたがねばならないときもあるわけで、警告音がすると(どうしろというのよ)という思いがはじめのうちはしていました。今はあきらめています。

 もうひとつ、うちは、バックミラーは、カメラ式にしてあります。ワンタッチで、鏡に変えることはできます。
 カメラ方式は、後方の左右の車線の映像まで映るので便利です。慣れるまでは、見にくさと距離感が近すぎるように感じましたが、慣れれば重宝します。特に、左側車線からの自動車専用道路の合流のときに楽です。
 夜やトンネル内などの暗いときは、カメラ式バックミラーが、暗い車の室内で、テレビの画像映像のように明るく輝くので、それが、うしろの車から見えるらしく、後方にいる車は警戒して、車間距離を開けているときもあります。なんだろうと、興味をもって近づいてくる車もありますが、その数は少ない。

 『時間に余裕をもって出発する』年金生活者は、時間に追われていません。時間の感覚がなくなるほどゆったりしています。毎日が日曜日ですから、曜日の感覚、ひにちの感覚がうすれます。そのかわり、現役の時は、サービス残業も含めて、一日24時間365日、長時間勤務を体験した人が多い。だから、退職後に現役のときに失った自由時間を取り戻せているという実感はあります。

 時間の流れに関して、運の悪い流れというものがあります。車で動き出して、生活道路内の小さな交差点ごとに対向車と、タイミングが悪く、がちあうとか、幹線で、走りづらくなる路線バスとか大型車とかに、がちあうとか、そういうときは、今自分がのっている時間の流れを変えるために立ち止まって、時間をずらすことをしたりします。(運勢の流れのようなものです)
 あの日あの時、あの場所にいなければ、あんな不幸に、がちあうことはなかったということはあります。

 『体調を整えてから運転する』体調がすぐれないということはありませんが、忘れ物をするということはままあります。出かける時には、忘れ物がないように何度も確認します。それでも忘れて、出発した途端引き返すということはあります。
 歳をとると、体というよりも、脳みそのほうに問題ありです。

 アルコール依存のおじいさんが酔っ払い運転をするということはあります。若い頃に見たことがあります。ぐでんぐでんのよろよろです。警察を呼んで逮捕です。酒酔い運転は、一発取り消しです。(運転免許取り消し)

 ドライブ中におしっこが近くなってあせるということが心配です。ゆえに休憩ばかりです。尿意がなくても排尿しておきます。

 『車の点検や車内の整とんをする』自分は、たいてい、その日最初に乗車する前にフロントガラスを中心に窓ガラスをガラス吹きのペーパーで吹きながら車体全体のようすをみます。老齢で視力に自信がないので、フロントガラスが汚れているととても気になるからです。車内の掃除やボンネットをあけて、ウォーッシャー液量の確認などを月に2回ぐらいします。
 以前、若い女性と話をしていて、車を買ってから何年もたつけれど、一度もボンネットをあけて中のエンジン部分を見たことがないと聞いて、ひっくりかえりそうになるぐらい驚いたことがあります。安全管理は大事です。

 145ページに『ためこみ症』という単語があります。ごみ屋敷ではなく、ごみ車内です。発達障害のある人だろうか。
 新陳代謝は、整理整とんの基本です。古い物を処分して、新しいものを購入します。あるいは、新しいものを購入したら、古い物は処分します。

 『安全運転をサポートしてくれる同乗者を乗せる』遠出をするときは、自分もなるべくひとりだけでは運転しないようにしています。たいていは、助手席に妻がいます。ただ、ペーパードライバーに近い人なので、あまり頼りにはなりません。

第5章 運転時の安全ゆとり運転
 ここまで読んできて、やはり、今年読んで良かった一冊になりました。
 この本のおかげで、もしかしたらありえた交通事故体験を避けられたかもしれません。
 
 『後ろの車を先に行かせる』
 あおり運転がテレビの話題になることがありますが、自分はこれまでに、あおったこともあおられたこともありません。とにかく、安全第一で、メンツ(プライド、名誉、誇り)なんか関係ありません。運転に関しては、常に「譲る」気持ちがあれば衝突することも少ないと信じています。

 『制限速度を守って運転する』高速道路を高速で走るのは心身ともに負担に感じています。自分は77キロぐらいで走るのが快適です。なにかあっても危険を回避できるスピードです。

 急いで運転しても到着時刻にはそれほど変わりはないということは、若い頃に聞いたことがあります。たしか、ラジオでそういう内容で流れていました。
 年金生活者の高齢者は、急ぐ必要はないのです。時間の拘束(こうそく。しばり。遅れても怒られない。あきらめてもらえる)がない立場です。

 自分の心構えとして、生活道路はなるべく通らないようにしています。
 なにが飛び出してくるかわかりません。ときに、パトカーが一旦停止違反をつかまえるために、ひっそりと待ち伏せしています。

 『ながら運転をしない』ながら運転ができるほど運転に自信がないので、自分はぜったいに「ながら運転」はしません。スマホが鳴っても無視です。
 話ははずれますが、年金生活者になって、ふだんの移動は、徒歩か自家用車で、鉄道にはめったに乗らない生活をしています。
 先日久しぶりに鉄道を利用したら、みなさんマスク姿で、スマホを見ながらうつむいて、ずらりと座席に座っていて、異様な光景に見えました。わたしは、電車の中でもスマホは見ません。なんだか、昔の日本とは違う世界になってしまいました。

 アンケート結果を分析しながら解説が続きます。
 パターンがあります。人間を5つに分類してあります。
 ①いつも
 ②しばしば
 ③ときどき
 ④たまに
 ⑤ほとんどしない
 どれかひとつにすべてが固まるということはありません。
 人間の脳の性質を表しているようでおもしろい。いろんな人がいるのです。

 追い越し車線を超高速で走っている人を見ると「死に急ぐ人」だと判断しています。巻き込まれないように近づきません。

 あおり運転の理由は、脳みそが未成熟なのではないかという考察から始まって、以前読んだ本『ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治(みやぐち・こうじ) 新潮新書』に出ていたこどもたちの脳みそを想像します。いくらいいきかせても理解が無理なのです。運転免許証を与えてはいけない人なのです。懲役、罰金がありますが、永久に運転免許証は、はく奪することが妥当だと考えるのです。

 すれちがいのときに『停止して待つ』これは苦手です。どうしても自分から動いてしまいます。じっとしておれない性格です。
 前のめりにならずに、待つ技術を身に付ける。
 アニメ『一休さん(いきゅうさん)』の言葉を思い出しました。『あわてない、あわてない。一休み(ひとやすみ)、一休み』
 前に進むだけではなく、うしろにさがる技術も身に付ける。

 ハザード:危険。前方の危険な状態を、後方の車に知らせる。

第6章 運転卒業までのステップ
 これが最後の章です。
 運転免許証を返納するところまできました。
 いつかは、運転をやめるときがきます。
 めやすとして、15の項目が書いてあります。できるかできないかです。7個以上該当するものがあれば、運転免許証の返納を考えたほうがいい。
 わたしは、軽い物損事故が始まったら、必ず返納したほうがいいと思います。大事故の予兆です。

 自家用車を失ったあとの移動手段について列記してあります。
 鉄道、バス、タクシーなどです。
 デマンド:需要に応じて。要求に応じて。
 
 車を手離すと、車にかけていたお金の負担が減るということはあります。
 けっこう車の維持にはお金がかかります。

 本では、車がなくても生活できるアイデア出しがあります。

 そうなのかといろいろ納得できるところがあります。
 高齢者の運転免許証の返納者は、ペーパードライバーが多いそうです。あまり、高齢者運転事故の減少にはつながりそうもありません。
 返納者は、数的にも少ないそうです。
 2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。
 この本を読まなければそのことを知ることもありませんでした。まだ、あのような悲惨な事故がこれからも続くのだろうか。不安です。なにか、対策が必要です。


(追記:2023年7月下旬)
 車を買い替えました。
 この本に書いてあったことを思い出して、安全装備の充実を図りました。
 自分が書いた感想にある文章として、
 『安全運転をサポートする車を運転する』
 高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
 もしかしたら、今回の車の買い替えが、人生で最後に買う車かもしれません。
 未来を見据えて、自動運転で、ボタンひとつ押せば、人間を安全に目的地まで運んでくれる車がいずれは誕生するのかもしれませんが、それまで自分の寿命がもちそうにもありません。
 今回買った車はだいじに乗ります。

 この本を読んだときに、自分なりに驚きのこととして記憶に残っていることがあります。
 『2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』まだまだ高齢者による交通死傷事故は続きそうです。自衛しなければなりません。加害者にならない。被害者にならない。

 以下が、今回わたしが車に装備したシステムなどです。

1 衝突回避システム(ぶつからない対象物として:歩行者、自転車、自動二輪車。前方にある壁など。前を走る車、横を走る車。右折時の対向車。レーダーとカメラ方式の感知(センサー)による防御)。相手を感知すると警告と自動ブレーキの作動がある。

2 レーンからはみださない。
  警告とハンドル操作支援あり。隣の車線の車と接触する可能性があるときは音声で警告がある。

3 車速追従機能
 前の車に自動的についていく。前の車が止まると自車も止まる。

4 ハイビーム
 ライトのハイビームが自動的に上下に切り替わる。

5 ロードサインアシスト
 道路標識の見逃しを防止する。「最高速度」「はみだし通行禁止」「一時停止」「転回禁止」「進入禁止」「信号機」などの標識を見落としたと判断されると、画面に表示が出てブザーが鳴る。

6 ドライバー異常時対応システム
 ドライバーの無操作状態が継続したときは、警告音、表示、ゆるやかな減速が行われ停車する。自動的に、ハザードランプの点滅、ホーンの鳴り、ストップランプで車外に異常を知らせる。停車後は、ドア開錠、(ネットでつながっているので)自動接続による救命要請がある。

7 発車遅れ告知機能
 信号待ちほかで、前にいる車が発車しても自車が発進しなかったときに警告音が鳴る。信号が青になって発信し忘れたときにも鳴る。

8 ドライブレコーダー(前後)

9 ブラインドスポットモニター
車線変更の時に、サイドミラーの視界が広がり、隣接するレーンの後方最大約60mまで自動的に見えるようになる

10 自動駐車システム
 駐車スペースの横に車を止めたあと、画面にある開始スイッチを押すと、自動的に駐車スペースに駐車してくれる。

11 駐車時に、車の位置を真上から見た映像が出る。
 手動による駐車を安全でやりやすくする。

12パーキングサポートブレーキ
 駐車場で、アクセルとブレーキの踏み間違いが起きたときに、自動ブレーキが作動して、前後の物体に車が衝突しないようにする。

*とにかく人や車やモノにぶつからないように設計してあります。もしぶつかっても被害を少なくするという効果があります。
 先日、交差点でわたしたち夫婦が信号待ちで立っていて、信号機が青になったので横断歩道を渡ろうと数歩踏みだしたら、なんと、対抗する方向にある右折車が、反対方向に直進車がいるのにもかかわらず、強引に、瞬間的に、右折してきて、横断歩道に突っ込んできました。ひどい! あやうくその車にわたしたち夫婦ふたりともが、ひかれそうになりました。運転者は、高齢者の男性でした。あきれました。なにがなんでも自己中心です。人をひいて相手が死んだとしても、なんとも思わないのでしょう。車にひかれて殺されたほうは、やられ損です。被害者の親族は泣きます。
 認知症がかった高齢者の運転は恐ろしい。(おそろしい)
 考えましたが、家族がもう運転はやめてくれと訴えても、そういう高齢者は家族の声を無視します。されど、身内の高齢者が、一発(いっぱつ)死亡事故の加害者になれば、運転はしていなかった当事者ではない親族も責められます。徹底的に社会的制裁を受けます。
 家族の申し立てによって、親の運転免許証をとりあげることができる制度ができるといいのになと思いついたのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:28Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年06月16日

東野&岡村の旅猿 持田さんのお祝いをしよう!の旅

東野&岡村の旅猿 持田さんのお祝いをしよう!の旅 2022年6月 動画配信サービス

 旅猿メンバーの持田香織さんに第一子が誕生されたので、男ふたりで誕生を祝福する贈り物を買って持田香織さんに会いに行きます。
 岡村隆史さんのところも第一子が誕生されて、東野幸治さんには初孫が誕生されて、それぞれのお子さんたちが同じような年齢になりました。
 番組旅猿を最初のほうから見てきた者として、時の流れを感じます。初期のインド旅のころを思い出すとそれぞれ年齢を重ねてこられたことを実感します。
 
 持田香織さんへの贈り物として、くまさんのぬいぐるみ兼リュックを購入して、さらに、岡村隆史さんにも同じものを東野幸治さんがプレゼントしました。
くま=(こどもにとっての)初めてのおともだちだそうです。

 猫カフェみたいな喫茶店で待っていた持田香織さんとふたりが合流しました。
 三人の子育て談義が始まります。
 東野幸治さんのコメントです。25年ぐらいまえのご自身の子育て体験です。
 (男尊女卑の日本の風習・慣例があって、当時は)男が(人前で。他人がたくさんいるところで自分のあかちゃんを)だっこしなかった(したくてもしにくい雰囲気があった)
 前抱きというやり方がなかった。(当時は、背中におんぶでした)
 インターネットもなかった。(簡単に育児の知識を知ることがむずかしかった)
 それを聞きながら、自分の35年ぐらい前の子育てを思い出しました。
 自分はしかたがないと思いながら、商業施設で娘をおぶいひもで自分の背中にくくりつけて歩いていたら、男子高校生のグループから『(男のくせに)情けない』と言われたことがあります。頭にきて、おまえらだって、こどもができたらわかるわ!と思いつつも、じっさい情けない気持ちになりました。
 前抱きができるといいなと思ったことがありますが、何十年も経って、前抱きが現実になったときはびっくりしました。
 
 持田香織さんのお子さんは、まだ夜泣きをされないそうですが、そのうち始まると思います。半年間ぐらい眠れない夜が続きますが、夜泣きは必ずなくなります。親は、こどもが夜泣きをしていたことも忘れてしまいます。

 三人は、その後、持田香織さんの育児のストレス解消目的だと思いますが、なんと『斧投げ(おのなげ)』に行きます。
 ちょっと、企画に無理があったようです。おもしろかったのですが、本物の刃物であり、手裏剣投げは聞いたことがありますが、斧を投げるのは初めて観ましたが、なにせ、引きました。
 怖い(こわい)。やっているほうも観ているほうも恐怖心が生まれました。予定の時間よりも早く切り上げられたそうです。
 次回の放送では、ゴーカートの運転に挑戦されるそうです。

(つづく)

 6月8日放送分から

 ゴーカートは、持田さんには喜ばしくはなかったようです。
 先週の『斧投げ』チャレンジ企画も怖かった。
 持田さんは「こわーい」を連発しながらゴーカートでの周回を終えました。
 知床半島の遊覧船沈没事故後から、旅先でのアクシデントが心配になっています。自分は先日も、旅先で、ロープウェイに乗ると転落しないだろうかと不安にかられました。

 次は、持田さんの行きつけのお店でお買い物です。
 青森県のヒバがお好きだそうです。
 ヒバ:針葉樹高木。別名『アスナロ』。芳香成分あり。防菌、防虫、防ダニ成分あり。
 うちにも木の香りがするスプレーで消臭をするものがありました。

 木の破片を詰め放題で購入するシーンがありました。
 ぶ厚いまな板は、汚れたら削って使用するそうです。
 なるほどと感心しました。
 
 日帰り旅のしめくくりとして、東京銀座のレストランで鉄板焼きを食べます。
 伊勢海老とあわびの選択制で、持田さんが伊勢海老、男子ふたりがあわびを注文しました。
 東野幸治さんは食レポがうまくありありません。(前回の旅猿では、愛媛県の柑橘類(かんきつるい)をうまく表現できませんでした)
今回は東野幸治さんから『コックになろうと思わなくて良かった』というコメントがありました。コックになるのはむずかしいと言いたかったようですが、売れるお笑い芸人になることも相当むずかしいです。さらに、『えだまめのようではない』とコメントしようとしたら、お店のスタッフに先に『えだまめのような(お味)……』と言われてしまいました。

 和牛はすごくいいお肉です。おいしいを連発する持田さんでした。おひとりさま26,620円のコースです。

 持田さんのルーティーン(決まりきった日常生活)は、あかちゃんとネコちゃんの世話。家にはカーテンがないので、夜には部屋が暗くなる。午後8時から9時頃に、家族全員寝てしまうというお話でした。
 健康のために、早寝早起きをしましょう。

 岡村さんのコメントです。
 (東野)『(奥さんから「ぐるない」という番組にもからめてだと思いますが)番組で自分だけおいしいものを食べてと言われない?』
 (岡村)『そういうことを言わない人を奥さんとして選んだ』
 そんなことを話していたら、岡村さんの実家のおかあさんからラインに電話が入りました。本番中だったので、電話の呼び出し音の連続に、みなさんびっくりされていました。

 次回は、ジミー大西さんと和歌山でマグロの解体ショーだそうです。
 楽しみです。  

2022年06月15日

建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご)

建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)

 2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
 樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
 著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)

 タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
 建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
 『雇用』という面での考察です。
 入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
 高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
 いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
 学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
 目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。

 就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
 昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
 思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。

 建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)

 まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
 第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
 若い時は、外へ冒険したほうがいい。
 『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
 ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
 加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
 お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
 使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
 自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。

 この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)

 124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
 旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
 今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。

 219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。

(つづく)

〇登場する建物として
 東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
 伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
 竹の家:中国での初めての建築作品
 国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
  
 自分との類似体験があります。
 1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
 たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
 そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
 ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
 著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
 父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
 たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
 もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
 
 心に響いた文章などです。
 『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
 『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
 『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』

(つづく)
 
 服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
 それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
 基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
 『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
 本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。

 『まちづくり』という言葉があります。
 どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
 まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
 誤解と錯覚があります。
 困難な人間関係の調整があります。
 地元民は、変化を嫌います。
 開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
 立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
 若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
 考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
 45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。

 中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
 神さまについて考える。
 戦争体験者の神父さんです。
 邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
 『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
 
 『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
 本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。

 ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。

 建築のマイナス面について語られています。
 建築をつくることは『罪』なのです。
 日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
 マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
 ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。

 この本は、学ぶべきところがある本です。
 まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
 同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
 これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。

 1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
 『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
 『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
 著者は『負ける建築』を目指します。

 メタボリズム:自然界にいる生き物との共生

 『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。

 アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
 すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
 1977年(昭和52年)に日本を出発されています。

 フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
 あこがれる人、目標とする人の存在があります。

 考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
 大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
 あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。

 産業革命に反対した人たちがいます。
 衛生面で公害の発生とかがあります。
 日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
 生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
 <本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
 こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
 こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。

 フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。

 80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。

 アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。

 建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。

 求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。

 建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。

 均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
 自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
 
 説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
 いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。

 104ページまできました。
 著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
 設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
 
 1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
 著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
 アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
 読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
 日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
 建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。

 コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。

 岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』

 モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
 ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築

 学ぶことで知る。
 著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。

 127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。

 アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
 『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。

 1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
 バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
 中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
 されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。

 1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
 本では、一時的なブームだったとされています。

 著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
 建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
 なるほどと思いました。
 自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
 文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
 その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
 お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
 ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
 できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
 今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
 建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。

 エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。

 第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
 ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
 お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)

 著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
 読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。

 この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
 著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
 30年間の長い付き合いです。
 『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
 長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
 コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』

 良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
 考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
 
 ディテール:細かな点

 1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
 万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
 北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
 中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。

 184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
 中国の昔の古い住居の集まりでした。
 自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。

 著者の会社では、外国人スタッフが多い。
 東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
 いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
 日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
 
 張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。

 2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
 
 『老害』のような考察があります。
 日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
 先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
 日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
 著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
 自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。

 コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)

 最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
 人類に対する警告だそうです。
 ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
 自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
 コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。  

Posted by 熊太郎 at 06:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年06月14日

隈研吾作品 愛知県知多半島道路パーキングエリア

隈研吾(くま・けんご)建築設計事務所作品 愛知県知多半島道路大府パーキングエリア下り

 数日前から読んでいる本が『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社』です。なかなかいい本です。

 たまたま新聞で、最近オープンしたパーキングエリアの建物が、隈研吾さんの事務所の作品であることを知りました。
 車で親戚の家に行く途中にあったので、パーキングエリアに立ち寄って、昼食を兼ねて見学してきました。
 できたばかりなので、とてもきれいです。
 写真には写っていませんが、平日とはいえ、意外に混雑していました。

 人に優しい建物という印象をもちました。


























 おそらく農業用のため池だと思いますが、じょうずに借景となっていました。
 屋外で食事ができるように、イスとテーブルが置いてあるテラス席が、写真の左手方向に設けてあります。
 借景(しゃっけい):自然にあるものを庭園風景の一部として取り入れる。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)愛知県