2022年06月17日
高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫
高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版
今から15年ぐらい前に、農家が多い地域で働いていたことがあります。
おばあさんがですね、かなり高齢のおばあさんが、軽トラを運転しているわけです。軽トラを杖代わりに(つえがわりに)しているのです。荷台が付いた軽自動車のトラックです。
そのときは、高齢者の運転の危険さに気づけませんでした。
なにせ、ゆっくりとしか走れないのです。ゆるゆる走っているから安全だろうと、そのときは、思っていました。おばあさんが、ゆっくり運転しているとわかるから、ほかの車は気をつけながら追いぬいていました。田舎(いなか)だから、顔見知りが多いのです。お互いに、そのあたりの地主関係親族の一員だったりもします。
そのときは、交通事故のことよりも、自分が思ったのは、家に軽トラがある家は、お金持ちだということです。一般サラリーマンの家の駐車場に、自家用軽トラックは駐車してありません。
農家には、まず乗用車があって、次にセカンドカーの軽自動車(4人乗り)があって、さらに農作物や農機具を運搬する軽トラックがあって、農耕用の耕運機などがあるのです。車は、ひとりに1台の所有だったりもします。
交通の便がとても不便なところだったので、わたしも車通勤をしていました。自家用車だと自宅から職場まで30分もかからないのですが、鉄道や徒歩だと、大まわりで乗り換えもあって、片道1時間半ぐらいかかりました。
毎日、車通勤で、プライベートな休みの日でも車で移動するようになって、結局人事異動で職場を変わる5年間ぐらいは、毎日ハンドルを握っていました。車のハンドルを握らなかった日は、5年間のうちで、一日もなかったという記憶です。
それだけ、田舎では、移動手段として、車が必要なところに住んでいる人がいるということです。それは、高齢者になってからも変わりはありません。ゆえに、なかなか、運転免許証の返納をしてくれません。
身内は毎日ヒヤヒヤものです。いつ、自分の親たちが、交通事故の加害者になるかもしれません。死亡事故を起こしたら、運転をやめさせなかった家族一同が、社会的制裁を受けることもあります。
そのうち、自分も運転をやめてくれとこどもたちに言われる時期がくるのでしょう。さからう気持ちはありません。ただ、さみしくはなります。移動の自由の確保は、心の健康を保つために大事です。
そんなことを思っていたら、この本に出会いました。読んでみます。
『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)だそうです。
単純にいうと「ゆとりある運転」のことだそうです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されています。
加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をする。
自分は、車の運転は下手(へた)くそだと思っています。だから、慎重に運転します。
喜怒哀楽の感情を殺して、自分の意識をロボットのように「無」にして、機械的にハンドルやアクセル・ブレーキ操作をすることに努めています。目標と目的は『安全』です。『お金』とか『速さ』とか『効率』ではありません。
前方をしっかり見て、左右にある車線の枠からはみでないようにして、前の車がブレーキを踏んで赤いブレーキランプが点灯したら、自分もブレーキペダルを踏むようにして、絶対に追突事故を起こさないようにしています。
本当はいけないことかもしれませんが、うしろは、ほとんど見ません。うしろに車が付くと気になるので見ないようにしています。それよりも、前と左右をしっかり見るようにしています。もしかしたら、何かが飛び出してくるかもしれないという意識を常にもっています。
ゆっくり、ていねいに、スピードを出し過ぎないようにして、一旦停止はしっかりと止まって、基本的に『譲る(ゆずる)』運転を心がけています。自分に優先権があったとしても『ゆずる』気持ちを基本的にはもっています。
どんくさいと言われることもあります。交通事故が多い道や交差点はなるべく走りません。遠回りでも安全な道を選択します。
高速道路では、車間距離を長めに開けるので、右側の追い越し車線からどんどん割り込まれます。なんだか、自分は、うしろに向かって走っているのではないかと思うこともあります。
コロナウィルス対策みたいに『三密(密閉、密集、密接)』のような雰囲気になりそうな場所には行かないようにしています。
もうリタイアした年金生活者ですので、車で出かける時は、土日祝日をさけて、道がすいている平日のかつ、お天気がいいときを選んでいます。
観光は、雨が降らない日のほうが、景色がいいからということもあります。
あとは、なるべく毎日短時間でもいいからハンドルを握って車を動かすようにしています。運転操作の慣れという身体感触を失いたくありません。勘がにぶらないようにしたい。
高齢者が起こす事故は気になります。
アクセルとブレーキを踏み間違えて、建物に突っ込んだあとのシーンを見たことがあります。破壊のようすがありました。
高齢者の運転手と、同じく助手席に高齢者が乗った高齢者二人乗りの軽自動車が、工事現場で、ゆっくり逆走してきたのを見たことがあります。
高齢者マークがはってある車を見かけると、なるべく近づかないようにしています。
そのうち、自分が高齢者マークを付けることになるのですが、ちゃんと付けるつもりです。どうか、近づかないでほしい。
思うに、高齢者の大事故はいきなり起こるわけではなくて、予兆があります。
車がボコボコに、へこみだすのです。自損の物損事故です。車を最初は軽くぶつけることが多くなります。
コンビニや飲食店、クリニックでの車庫入れに失敗します。
他車と、こすった程度の軽い物損事故を起こします。
予兆が起き始めたら、運転免許証は取り上げなければなりません。
ところが、高齢者は、運転免許証が手元になくてもハンドルを握ってしまいます。運転免許証を返納しても運転します。
認知力の低下があります。
困ったではすまされないことが起こります。おそろしいです。
(つづく)
もくじの項目=(イコール)運転のポイントです。
『生き方や態度まで含めた運転行動の階層モデル』とあります。なんだか、むずかしそうです。
『高齢ドライバーの死亡事故:死ぬのは誰だ』とあります。死ぬのはたぶん高齢者ドライバーではなく相手のほうなのでしょう。そして、相手のほうがとても若い。うらまれます。
『夜間の運転をひかえる』歳をとると目が見えにくくなります。
『雨の日の運転をひかえる』やっぱり。雨の日は危ないのです。
『長距離の運転をひかえる』わかります。長距離で移動するときは、交代要員がいります。
『安全運転をサポートする車を運転する』高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
第6章で『運転をやめる決意→準備→返納→返納後の生活』と流れていきます。
第1章 運転行動とその変化
自分なりの考察も加えて書きます。
知覚技能:危険な状況を視覚・聴覚等で発見する。
社会的技能:歩行者や車が、次はどう動くかということを推測する。
認知技能:状況に対応した意思決定をする。ブレーキを踏むと決定する。ハンドルを切ると決定する。
車両操作技能:スムーズな運転操作をする。
ふと思う。自動車専用道路の走行車線を走っていると、追い越し車線をものすごい猛スピードで駆け抜けていく車に出会うことがあります。今は、大丈夫(事故にはならない)だろうけれど、いつかはぶつかるだろうと思います。相手がよけてくれればいいけれど、同じタイプ(ゆずらない者どうし)が、がちあうと事故につながります。遠い昔、自動車学校の教官が教えてくれました。事故は、片方だけが違反した時に起きるのではなく、両方が違反した時に起きる。
そういえば、JAF(ジャフ)の毎月来ていた雑誌がこなくなりました。発行の回数が減るというような通知がきていました。
昔はよく読みましたが、最近は読まなくなりました。加齢による老眼がいちばんの理由です。
19ページに『高齢になると、心身の働きや健康が損なわれて、獲得した運転技能がだんだん発揮できなくなってしまう』と書いてあります。
男性は70歳、女性は60歳を越えると運転の態度が不良な状態になるそうです。80代や90歳近いドライバーがいる現在、ちょっと怖い。
読んでいて、高齢のタクシードライバーはだいじょうぶだろうかと不安になります。
ほうと思ったことが『1993年のEU統合(欧州連合)』があります。
そんなに長い年数がたったのか。
車の運転でむずかしいことがあります。
きょうの被害者が、あすは加害者になることもあるのが、車の運転です。
抗議する立場から抗議される立場に逆転します。
車は、戸口から戸口までの移動なので便利です。くわえて、荷物も運べます。
重たいかばんをもって、鉄道で旅行するのはたいへんです。
やはり運転ができる年寄りにとっては、車が大事です。
安全に運転するのにはどうしたらいいのかをこの本から学びます。
車で出かけて駐車するときに、お年寄りは、めんどうくさがって、バックから駐車せずに、車を前から突っ込んで駐車することが多いそうです。
自分は出る時のことを考えて、基本的にはバックで車庫入れをします。
準高齢者:55歳から64歳
前期高齢者:65歳から74歳
後期高齢者:75歳以上
第2章 高齢ドライバーの事故
2019年に東京池袋で起きた超高齢者の運転ミスによる悲惨な死傷事故について触れてあります。事故後の加害者の態度に批判が集中しました。
自分が思うに、高齢者だからといって、なにをやっても許されるわけではありません。認知機能を始めとした身体の機能が低下している高齢者になにを言っても通じないということがあります。悲劇が繰り返されないように警察や行政は対策を考えなければなりません。
たとえば、もしかしたら、遠い未来においては、75歳以上あるいは、80歳以上は運転禁止という法律ができているかもしれません。あるいは、目的地を入力して、ボタンを押すだけで、目的地に行ける自動運転の乗り物ができているかもしれません。
本では分析が続きます。
走行距離のこと、死亡事故のこと、75歳を超えると表れる自死の事故が増える現象のこと。
加齢によって、ヒューマンエラーが起きやすくなる。(人為的ミス。不注意。発見の遅れ)
ルールを守るという『良心』が薄れていく。
視力低下(白内障ほか)
アクセルとブレーキの踏み間違い。
どうも、75歳がひとつの線引きになっています。
以前、横断歩道を青で渡っていて、左折車にひかれそうになったことがあります。
びっくりしました。
後方へとんでよけて、ひかれずに済みました。
運転していた五十代ぐらいの男性をにらみつけたのですが、どうもようすがおかしい。表情がないのです。放心状態の顔でした。心ここにあらず。無関係、無関心な顔つきなのです。精神状態がおかしい。高齢者にもそんな人がいます。
交差点での直進車と右折車の衝突事故が多いそうです。
右折するときは、右折の矢印が出るまで待つ。車を動かさない。あるいは、前方に車がまったく見えなくなってから右折する。後続車のことは考えない。そう理解して実行することにしました。
特に二輪車が直進してくる時は、前に出ない。二輪車が通り過ぎてから右折を始める。
今年読んで良かった本です。
この本を読んだおかげで、交通事故を避けられます。
自分が思うに、アクセルとブレーキを踏み間違えるということは、自分にとっては、ありえないことです。
さらに、ブレーキだと思って、アクセルを踏み続けるなどという行為は信じられません。どうしてそうなるのだろうか。
『思い込み』が強いというのは、個人差があるような気がします。
高齢者は軽自動車を運転することが多いそうです。
農家の軽トラという冒頭に書いた話が思い出されます
3章 安全ゆとり運転の勧め
高齢者の生きがいについて書いてあります。
1次的制御:まわりの環境に働きかける。入会、勧誘、健康づくりなど。
2次的制御:親族との交流。あるがままを受け入れる。こだわらない。
SOC理論というものについて解説があります。自分なりに、(範囲指定-手法-依存)と理解しました。
車の速度が速くなると、安全余裕が小さくなってくる。高齢者になるにつれて、どんどん余裕がなくなってくる。
スピードは抑える。
自分で自信をもって車をコントロールできる範囲内の速度に抑える。
83ページにあるアドバイス『早めに出発する(時間に余裕をもつ。待ち時間や余り時間(あまりじかん)があってもよしとする)。
体調を整える。車の点検をする』は役に立ちます。
以前各種大きさのレンタカーを多用していたことがあります。同時に、職場の車で、いろいろな車種の車を運転していたこともあります。小さな車から大きな車まで、いろいろなサイズの車を運転していました。交通の便が不便なところで効率よく動こうとすると車が手離せません。高齢ドライバーも同様でしょう。
同乗者を乗せることが安全につながると思えます。
ただ、高齢者だけが同乗していても安全効果が薄いということはあります。
「攻撃的な運転」はしない。
高速道路で、追い越し車線しか走らない人がいます。
自分には無理です。
そんな運転行為は、自分だったら、精神的に疲れます。
88ページに『自分の運転が下手だと思っている人は、安全ゆとり運転をする人が多い』とあります。自分はそういう人です。
下手だけれど、運転することが好きだということはあります。自由自在に行きたいところへ行けます。
この本はテキストなのでしょう。(教科書)。97ページに、警察や行政向けに書いたというような記述があります。
ドライバーの教育者向けです。自動車学校職員向けということもあるでしょう。
4章 運転前の安全ゆとり運転
シルバー人材センター:公益社団法人。高齢者の就業機会を提供する。
『車間距離は、距離よりも「時間」が大事』3秒を意識するそうです。
緊急時に反応してブレーキを踏むまでの時間が3秒ぐらいということでしょう。
安全運転をサポートする車のシステムに、ラインの枠をはみだすと、センサーが感知して、警告音(ピー ピーという音)がする車があります。わたしの車がそうです。ただ、実際運転していると、必要があってはみ出すときに、線をまたがねばならないときもあるわけで、警告音がすると(どうしろというのよ)という思いがはじめのうちはしていました。今はあきらめています。
もうひとつ、うちは、バックミラーは、カメラ式にしてあります。ワンタッチで、鏡に変えることはできます。
カメラ方式は、後方の左右の車線の映像まで映るので便利です。慣れるまでは、見にくさと距離感が近すぎるように感じましたが、慣れれば重宝します。特に、左側車線からの自動車専用道路の合流のときに楽です。
夜やトンネル内などの暗いときは、カメラ式バックミラーが、暗い車の室内で、テレビの画像映像のように明るく輝くので、それが、うしろの車から見えるらしく、後方にいる車は警戒して、車間距離を開けているときもあります。なんだろうと、興味をもって近づいてくる車もありますが、その数は少ない。
『時間に余裕をもって出発する』年金生活者は、時間に追われていません。時間の感覚がなくなるほどゆったりしています。毎日が日曜日ですから、曜日の感覚、ひにちの感覚がうすれます。そのかわり、現役の時は、サービス残業も含めて、一日24時間365日、長時間勤務を体験した人が多い。だから、退職後に現役のときに失った自由時間を取り戻せているという実感はあります。
時間の流れに関して、運の悪い流れというものがあります。車で動き出して、生活道路内の小さな交差点ごとに対向車と、タイミングが悪く、がちあうとか、幹線で、走りづらくなる路線バスとか大型車とかに、がちあうとか、そういうときは、今自分がのっている時間の流れを変えるために立ち止まって、時間をずらすことをしたりします。(運勢の流れのようなものです)
あの日あの時、あの場所にいなければ、あんな不幸に、がちあうことはなかったということはあります。
『体調を整えてから運転する』体調がすぐれないということはありませんが、忘れ物をするということはままあります。出かける時には、忘れ物がないように何度も確認します。それでも忘れて、出発した途端引き返すということはあります。
歳をとると、体というよりも、脳みそのほうに問題ありです。
アルコール依存のおじいさんが酔っ払い運転をするということはあります。若い頃に見たことがあります。ぐでんぐでんのよろよろです。警察を呼んで逮捕です。酒酔い運転は、一発取り消しです。(運転免許取り消し)
ドライブ中におしっこが近くなってあせるということが心配です。ゆえに休憩ばかりです。尿意がなくても排尿しておきます。
『車の点検や車内の整とんをする』自分は、たいてい、その日最初に乗車する前にフロントガラスを中心に窓ガラスをガラス吹きのペーパーで吹きながら車体全体のようすをみます。老齢で視力に自信がないので、フロントガラスが汚れているととても気になるからです。車内の掃除やボンネットをあけて、ウォーッシャー液量の確認などを月に2回ぐらいします。
以前、若い女性と話をしていて、車を買ってから何年もたつけれど、一度もボンネットをあけて中のエンジン部分を見たことがないと聞いて、ひっくりかえりそうになるぐらい驚いたことがあります。安全管理は大事です。
145ページに『ためこみ症』という単語があります。ごみ屋敷ではなく、ごみ車内です。発達障害のある人だろうか。
新陳代謝は、整理整とんの基本です。古い物を処分して、新しいものを購入します。あるいは、新しいものを購入したら、古い物は処分します。
『安全運転をサポートしてくれる同乗者を乗せる』遠出をするときは、自分もなるべくひとりだけでは運転しないようにしています。たいていは、助手席に妻がいます。ただ、ペーパードライバーに近い人なので、あまり頼りにはなりません。
第5章 運転時の安全ゆとり運転
ここまで読んできて、やはり、今年読んで良かった一冊になりました。
この本のおかげで、もしかしたらありえた交通事故体験を避けられたかもしれません。
『後ろの車を先に行かせる』
あおり運転がテレビの話題になることがありますが、自分はこれまでに、あおったこともあおられたこともありません。とにかく、安全第一で、メンツ(プライド、名誉、誇り)なんか関係ありません。運転に関しては、常に「譲る」気持ちがあれば衝突することも少ないと信じています。
『制限速度を守って運転する』高速道路を高速で走るのは心身ともに負担に感じています。自分は77キロぐらいで走るのが快適です。なにかあっても危険を回避できるスピードです。
急いで運転しても到着時刻にはそれほど変わりはないということは、若い頃に聞いたことがあります。たしか、ラジオでそういう内容で流れていました。
年金生活者の高齢者は、急ぐ必要はないのです。時間の拘束(こうそく。しばり。遅れても怒られない。あきらめてもらえる)がない立場です。
自分の心構えとして、生活道路はなるべく通らないようにしています。
なにが飛び出してくるかわかりません。ときに、パトカーが一旦停止違反をつかまえるために、ひっそりと待ち伏せしています。
『ながら運転をしない』ながら運転ができるほど運転に自信がないので、自分はぜったいに「ながら運転」はしません。スマホが鳴っても無視です。
話ははずれますが、年金生活者になって、ふだんの移動は、徒歩か自家用車で、鉄道にはめったに乗らない生活をしています。
先日久しぶりに鉄道を利用したら、みなさんマスク姿で、スマホを見ながらうつむいて、ずらりと座席に座っていて、異様な光景に見えました。わたしは、電車の中でもスマホは見ません。なんだか、昔の日本とは違う世界になってしまいました。
アンケート結果を分析しながら解説が続きます。
パターンがあります。人間を5つに分類してあります。
①いつも
②しばしば
③ときどき
④たまに
⑤ほとんどしない
どれかひとつにすべてが固まるということはありません。
人間の脳の性質を表しているようでおもしろい。いろんな人がいるのです。
追い越し車線を超高速で走っている人を見ると「死に急ぐ人」だと判断しています。巻き込まれないように近づきません。
あおり運転の理由は、脳みそが未成熟なのではないかという考察から始まって、以前読んだ本『ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治(みやぐち・こうじ) 新潮新書』に出ていたこどもたちの脳みそを想像します。いくらいいきかせても理解が無理なのです。運転免許証を与えてはいけない人なのです。懲役、罰金がありますが、永久に運転免許証は、はく奪することが妥当だと考えるのです。
すれちがいのときに『停止して待つ』これは苦手です。どうしても自分から動いてしまいます。じっとしておれない性格です。
前のめりにならずに、待つ技術を身に付ける。
アニメ『一休さん(いきゅうさん)』の言葉を思い出しました。『あわてない、あわてない。一休み(ひとやすみ)、一休み』
前に進むだけではなく、うしろにさがる技術も身に付ける。
ハザード:危険。前方の危険な状態を、後方の車に知らせる。
第6章 運転卒業までのステップ
これが最後の章です。
運転免許証を返納するところまできました。
いつかは、運転をやめるときがきます。
めやすとして、15の項目が書いてあります。できるかできないかです。7個以上該当するものがあれば、運転免許証の返納を考えたほうがいい。
わたしは、軽い物損事故が始まったら、必ず返納したほうがいいと思います。大事故の予兆です。
自家用車を失ったあとの移動手段について列記してあります。
鉄道、バス、タクシーなどです。
デマンド:需要に応じて。要求に応じて。
車を手離すと、車にかけていたお金の負担が減るということはあります。
けっこう車の維持にはお金がかかります。
本では、車がなくても生活できるアイデア出しがあります。
そうなのかといろいろ納得できるところがあります。
高齢者の運転免許証の返納者は、ペーパードライバーが多いそうです。あまり、高齢者運転事故の減少にはつながりそうもありません。
返納者は、数的にも少ないそうです。
2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。
この本を読まなければそのことを知ることもありませんでした。まだ、あのような悲惨な事故がこれからも続くのだろうか。不安です。なにか、対策が必要です。
(追記:2023年7月下旬)
車を買い替えました。
この本に書いてあったことを思い出して、安全装備の充実を図りました。
自分が書いた感想にある文章として、
『安全運転をサポートする車を運転する』
高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
もしかしたら、今回の車の買い替えが、人生で最後に買う車かもしれません。
未来を見据えて、自動運転で、ボタンひとつ押せば、人間を安全に目的地まで運んでくれる車がいずれは誕生するのかもしれませんが、それまで自分の寿命がもちそうにもありません。
今回買った車はだいじに乗ります。
この本を読んだときに、自分なりに驚きのこととして記憶に残っていることがあります。
『2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』まだまだ高齢者による交通死傷事故は続きそうです。自衛しなければなりません。加害者にならない。被害者にならない。
以下が、今回わたしが車に装備したシステムなどです。
1 衝突回避システム(ぶつからない対象物として:歩行者、自転車、自動二輪車。前方にある壁など。前を走る車、横を走る車。右折時の対向車。レーダーとカメラ方式の感知(センサー)による防御)。相手を感知すると警告と自動ブレーキの作動がある。
2 レーンからはみださない。
警告とハンドル操作支援あり。隣の車線の車と接触する可能性があるときは音声で警告がある。
3 車速追従機能
前の車に自動的についていく。前の車が止まると自車も止まる。
4 ハイビーム
ライトのハイビームが自動的に上下に切り替わる。
5 ロードサインアシスト
道路標識の見逃しを防止する。「最高速度」「はみだし通行禁止」「一時停止」「転回禁止」「進入禁止」「信号機」などの標識を見落としたと判断されると、画面に表示が出てブザーが鳴る。
6 ドライバー異常時対応システム
ドライバーの無操作状態が継続したときは、警告音、表示、ゆるやかな減速が行われ停車する。自動的に、ハザードランプの点滅、ホーンの鳴り、ストップランプで車外に異常を知らせる。停車後は、ドア開錠、(ネットでつながっているので)自動接続による救命要請がある。
7 発車遅れ告知機能
信号待ちほかで、前にいる車が発車しても自車が発進しなかったときに警告音が鳴る。信号が青になって発信し忘れたときにも鳴る。
8 ドライブレコーダー(前後)
9 ブラインドスポットモニター
車線変更の時に、サイドミラーの視界が広がり、隣接するレーンの後方最大約60mまで自動的に見えるようになる
10 自動駐車システム
駐車スペースの横に車を止めたあと、画面にある開始スイッチを押すと、自動的に駐車スペースに駐車してくれる。
11 駐車時に、車の位置を真上から見た映像が出る。
手動による駐車を安全でやりやすくする。
12パーキングサポートブレーキ
駐車場で、アクセルとブレーキの踏み間違いが起きたときに、自動ブレーキが作動して、前後の物体に車が衝突しないようにする。
*とにかく人や車やモノにぶつからないように設計してあります。もしぶつかっても被害を少なくするという効果があります。
先日、交差点でわたしたち夫婦が信号待ちで立っていて、信号機が青になったので横断歩道を渡ろうと数歩踏みだしたら、なんと、対抗する方向にある右折車が、反対方向に直進車がいるのにもかかわらず、強引に、瞬間的に、右折してきて、横断歩道に突っ込んできました。ひどい! あやうくその車にわたしたち夫婦ふたりともが、ひかれそうになりました。運転者は、高齢者の男性でした。あきれました。なにがなんでも自己中心です。人をひいて相手が死んだとしても、なんとも思わないのでしょう。車にひかれて殺されたほうは、やられ損です。被害者の親族は泣きます。
認知症がかった高齢者の運転は恐ろしい。(おそろしい)
考えましたが、家族がもう運転はやめてくれと訴えても、そういう高齢者は家族の声を無視します。されど、身内の高齢者が、一発(いっぱつ)死亡事故の加害者になれば、運転はしていなかった当事者ではない親族も責められます。徹底的に社会的制裁を受けます。
家族の申し立てによって、親の運転免許証をとりあげることができる制度ができるといいのになと思いついたのです。
今から15年ぐらい前に、農家が多い地域で働いていたことがあります。
おばあさんがですね、かなり高齢のおばあさんが、軽トラを運転しているわけです。軽トラを杖代わりに(つえがわりに)しているのです。荷台が付いた軽自動車のトラックです。
そのときは、高齢者の運転の危険さに気づけませんでした。
なにせ、ゆっくりとしか走れないのです。ゆるゆる走っているから安全だろうと、そのときは、思っていました。おばあさんが、ゆっくり運転しているとわかるから、ほかの車は気をつけながら追いぬいていました。田舎(いなか)だから、顔見知りが多いのです。お互いに、そのあたりの地主関係親族の一員だったりもします。
そのときは、交通事故のことよりも、自分が思ったのは、家に軽トラがある家は、お金持ちだということです。一般サラリーマンの家の駐車場に、自家用軽トラックは駐車してありません。
農家には、まず乗用車があって、次にセカンドカーの軽自動車(4人乗り)があって、さらに農作物や農機具を運搬する軽トラックがあって、農耕用の耕運機などがあるのです。車は、ひとりに1台の所有だったりもします。
交通の便がとても不便なところだったので、わたしも車通勤をしていました。自家用車だと自宅から職場まで30分もかからないのですが、鉄道や徒歩だと、大まわりで乗り換えもあって、片道1時間半ぐらいかかりました。
毎日、車通勤で、プライベートな休みの日でも車で移動するようになって、結局人事異動で職場を変わる5年間ぐらいは、毎日ハンドルを握っていました。車のハンドルを握らなかった日は、5年間のうちで、一日もなかったという記憶です。
それだけ、田舎では、移動手段として、車が必要なところに住んでいる人がいるということです。それは、高齢者になってからも変わりはありません。ゆえに、なかなか、運転免許証の返納をしてくれません。
身内は毎日ヒヤヒヤものです。いつ、自分の親たちが、交通事故の加害者になるかもしれません。死亡事故を起こしたら、運転をやめさせなかった家族一同が、社会的制裁を受けることもあります。
そのうち、自分も運転をやめてくれとこどもたちに言われる時期がくるのでしょう。さからう気持ちはありません。ただ、さみしくはなります。移動の自由の確保は、心の健康を保つために大事です。
そんなことを思っていたら、この本に出会いました。読んでみます。
『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)だそうです。
単純にいうと「ゆとりある運転」のことだそうです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されています。
加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をする。
自分は、車の運転は下手(へた)くそだと思っています。だから、慎重に運転します。
喜怒哀楽の感情を殺して、自分の意識をロボットのように「無」にして、機械的にハンドルやアクセル・ブレーキ操作をすることに努めています。目標と目的は『安全』です。『お金』とか『速さ』とか『効率』ではありません。
前方をしっかり見て、左右にある車線の枠からはみでないようにして、前の車がブレーキを踏んで赤いブレーキランプが点灯したら、自分もブレーキペダルを踏むようにして、絶対に追突事故を起こさないようにしています。
本当はいけないことかもしれませんが、うしろは、ほとんど見ません。うしろに車が付くと気になるので見ないようにしています。それよりも、前と左右をしっかり見るようにしています。もしかしたら、何かが飛び出してくるかもしれないという意識を常にもっています。
ゆっくり、ていねいに、スピードを出し過ぎないようにして、一旦停止はしっかりと止まって、基本的に『譲る(ゆずる)』運転を心がけています。自分に優先権があったとしても『ゆずる』気持ちを基本的にはもっています。
どんくさいと言われることもあります。交通事故が多い道や交差点はなるべく走りません。遠回りでも安全な道を選択します。
高速道路では、車間距離を長めに開けるので、右側の追い越し車線からどんどん割り込まれます。なんだか、自分は、うしろに向かって走っているのではないかと思うこともあります。
コロナウィルス対策みたいに『三密(密閉、密集、密接)』のような雰囲気になりそうな場所には行かないようにしています。
もうリタイアした年金生活者ですので、車で出かける時は、土日祝日をさけて、道がすいている平日のかつ、お天気がいいときを選んでいます。
観光は、雨が降らない日のほうが、景色がいいからということもあります。
あとは、なるべく毎日短時間でもいいからハンドルを握って車を動かすようにしています。運転操作の慣れという身体感触を失いたくありません。勘がにぶらないようにしたい。
高齢者が起こす事故は気になります。
アクセルとブレーキを踏み間違えて、建物に突っ込んだあとのシーンを見たことがあります。破壊のようすがありました。
高齢者の運転手と、同じく助手席に高齢者が乗った高齢者二人乗りの軽自動車が、工事現場で、ゆっくり逆走してきたのを見たことがあります。
高齢者マークがはってある車を見かけると、なるべく近づかないようにしています。
そのうち、自分が高齢者マークを付けることになるのですが、ちゃんと付けるつもりです。どうか、近づかないでほしい。
思うに、高齢者の大事故はいきなり起こるわけではなくて、予兆があります。
車がボコボコに、へこみだすのです。自損の物損事故です。車を最初は軽くぶつけることが多くなります。
コンビニや飲食店、クリニックでの車庫入れに失敗します。
他車と、こすった程度の軽い物損事故を起こします。
予兆が起き始めたら、運転免許証は取り上げなければなりません。
ところが、高齢者は、運転免許証が手元になくてもハンドルを握ってしまいます。運転免許証を返納しても運転します。
認知力の低下があります。
困ったではすまされないことが起こります。おそろしいです。
(つづく)
もくじの項目=(イコール)運転のポイントです。
『生き方や態度まで含めた運転行動の階層モデル』とあります。なんだか、むずかしそうです。
『高齢ドライバーの死亡事故:死ぬのは誰だ』とあります。死ぬのはたぶん高齢者ドライバーではなく相手のほうなのでしょう。そして、相手のほうがとても若い。うらまれます。
『夜間の運転をひかえる』歳をとると目が見えにくくなります。
『雨の日の運転をひかえる』やっぱり。雨の日は危ないのです。
『長距離の運転をひかえる』わかります。長距離で移動するときは、交代要員がいります。
『安全運転をサポートする車を運転する』高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
第6章で『運転をやめる決意→準備→返納→返納後の生活』と流れていきます。
第1章 運転行動とその変化
自分なりの考察も加えて書きます。
知覚技能:危険な状況を視覚・聴覚等で発見する。
社会的技能:歩行者や車が、次はどう動くかということを推測する。
認知技能:状況に対応した意思決定をする。ブレーキを踏むと決定する。ハンドルを切ると決定する。
車両操作技能:スムーズな運転操作をする。
ふと思う。自動車専用道路の走行車線を走っていると、追い越し車線をものすごい猛スピードで駆け抜けていく車に出会うことがあります。今は、大丈夫(事故にはならない)だろうけれど、いつかはぶつかるだろうと思います。相手がよけてくれればいいけれど、同じタイプ(ゆずらない者どうし)が、がちあうと事故につながります。遠い昔、自動車学校の教官が教えてくれました。事故は、片方だけが違反した時に起きるのではなく、両方が違反した時に起きる。
そういえば、JAF(ジャフ)の毎月来ていた雑誌がこなくなりました。発行の回数が減るというような通知がきていました。
昔はよく読みましたが、最近は読まなくなりました。加齢による老眼がいちばんの理由です。
19ページに『高齢になると、心身の働きや健康が損なわれて、獲得した運転技能がだんだん発揮できなくなってしまう』と書いてあります。
男性は70歳、女性は60歳を越えると運転の態度が不良な状態になるそうです。80代や90歳近いドライバーがいる現在、ちょっと怖い。
読んでいて、高齢のタクシードライバーはだいじょうぶだろうかと不安になります。
ほうと思ったことが『1993年のEU統合(欧州連合)』があります。
そんなに長い年数がたったのか。
車の運転でむずかしいことがあります。
きょうの被害者が、あすは加害者になることもあるのが、車の運転です。
抗議する立場から抗議される立場に逆転します。
車は、戸口から戸口までの移動なので便利です。くわえて、荷物も運べます。
重たいかばんをもって、鉄道で旅行するのはたいへんです。
やはり運転ができる年寄りにとっては、車が大事です。
安全に運転するのにはどうしたらいいのかをこの本から学びます。
車で出かけて駐車するときに、お年寄りは、めんどうくさがって、バックから駐車せずに、車を前から突っ込んで駐車することが多いそうです。
自分は出る時のことを考えて、基本的にはバックで車庫入れをします。
準高齢者:55歳から64歳
前期高齢者:65歳から74歳
後期高齢者:75歳以上
第2章 高齢ドライバーの事故
2019年に東京池袋で起きた超高齢者の運転ミスによる悲惨な死傷事故について触れてあります。事故後の加害者の態度に批判が集中しました。
自分が思うに、高齢者だからといって、なにをやっても許されるわけではありません。認知機能を始めとした身体の機能が低下している高齢者になにを言っても通じないということがあります。悲劇が繰り返されないように警察や行政は対策を考えなければなりません。
たとえば、もしかしたら、遠い未来においては、75歳以上あるいは、80歳以上は運転禁止という法律ができているかもしれません。あるいは、目的地を入力して、ボタンを押すだけで、目的地に行ける自動運転の乗り物ができているかもしれません。
本では分析が続きます。
走行距離のこと、死亡事故のこと、75歳を超えると表れる自死の事故が増える現象のこと。
加齢によって、ヒューマンエラーが起きやすくなる。(人為的ミス。不注意。発見の遅れ)
ルールを守るという『良心』が薄れていく。
視力低下(白内障ほか)
アクセルとブレーキの踏み間違い。
どうも、75歳がひとつの線引きになっています。
以前、横断歩道を青で渡っていて、左折車にひかれそうになったことがあります。
びっくりしました。
後方へとんでよけて、ひかれずに済みました。
運転していた五十代ぐらいの男性をにらみつけたのですが、どうもようすがおかしい。表情がないのです。放心状態の顔でした。心ここにあらず。無関係、無関心な顔つきなのです。精神状態がおかしい。高齢者にもそんな人がいます。
交差点での直進車と右折車の衝突事故が多いそうです。
右折するときは、右折の矢印が出るまで待つ。車を動かさない。あるいは、前方に車がまったく見えなくなってから右折する。後続車のことは考えない。そう理解して実行することにしました。
特に二輪車が直進してくる時は、前に出ない。二輪車が通り過ぎてから右折を始める。
今年読んで良かった本です。
この本を読んだおかげで、交通事故を避けられます。
自分が思うに、アクセルとブレーキを踏み間違えるということは、自分にとっては、ありえないことです。
さらに、ブレーキだと思って、アクセルを踏み続けるなどという行為は信じられません。どうしてそうなるのだろうか。
『思い込み』が強いというのは、個人差があるような気がします。
高齢者は軽自動車を運転することが多いそうです。
農家の軽トラという冒頭に書いた話が思い出されます
3章 安全ゆとり運転の勧め
高齢者の生きがいについて書いてあります。
1次的制御:まわりの環境に働きかける。入会、勧誘、健康づくりなど。
2次的制御:親族との交流。あるがままを受け入れる。こだわらない。
SOC理論というものについて解説があります。自分なりに、(範囲指定-手法-依存)と理解しました。
車の速度が速くなると、安全余裕が小さくなってくる。高齢者になるにつれて、どんどん余裕がなくなってくる。
スピードは抑える。
自分で自信をもって車をコントロールできる範囲内の速度に抑える。
83ページにあるアドバイス『早めに出発する(時間に余裕をもつ。待ち時間や余り時間(あまりじかん)があってもよしとする)。
体調を整える。車の点検をする』は役に立ちます。
以前各種大きさのレンタカーを多用していたことがあります。同時に、職場の車で、いろいろな車種の車を運転していたこともあります。小さな車から大きな車まで、いろいろなサイズの車を運転していました。交通の便が不便なところで効率よく動こうとすると車が手離せません。高齢ドライバーも同様でしょう。
同乗者を乗せることが安全につながると思えます。
ただ、高齢者だけが同乗していても安全効果が薄いということはあります。
「攻撃的な運転」はしない。
高速道路で、追い越し車線しか走らない人がいます。
自分には無理です。
そんな運転行為は、自分だったら、精神的に疲れます。
88ページに『自分の運転が下手だと思っている人は、安全ゆとり運転をする人が多い』とあります。自分はそういう人です。
下手だけれど、運転することが好きだということはあります。自由自在に行きたいところへ行けます。
この本はテキストなのでしょう。(教科書)。97ページに、警察や行政向けに書いたというような記述があります。
ドライバーの教育者向けです。自動車学校職員向けということもあるでしょう。
4章 運転前の安全ゆとり運転
シルバー人材センター:公益社団法人。高齢者の就業機会を提供する。
『車間距離は、距離よりも「時間」が大事』3秒を意識するそうです。
緊急時に反応してブレーキを踏むまでの時間が3秒ぐらいということでしょう。
安全運転をサポートする車のシステムに、ラインの枠をはみだすと、センサーが感知して、警告音(ピー ピーという音)がする車があります。わたしの車がそうです。ただ、実際運転していると、必要があってはみ出すときに、線をまたがねばならないときもあるわけで、警告音がすると(どうしろというのよ)という思いがはじめのうちはしていました。今はあきらめています。
もうひとつ、うちは、バックミラーは、カメラ式にしてあります。ワンタッチで、鏡に変えることはできます。
カメラ方式は、後方の左右の車線の映像まで映るので便利です。慣れるまでは、見にくさと距離感が近すぎるように感じましたが、慣れれば重宝します。特に、左側車線からの自動車専用道路の合流のときに楽です。
夜やトンネル内などの暗いときは、カメラ式バックミラーが、暗い車の室内で、テレビの画像映像のように明るく輝くので、それが、うしろの車から見えるらしく、後方にいる車は警戒して、車間距離を開けているときもあります。なんだろうと、興味をもって近づいてくる車もありますが、その数は少ない。
『時間に余裕をもって出発する』年金生活者は、時間に追われていません。時間の感覚がなくなるほどゆったりしています。毎日が日曜日ですから、曜日の感覚、ひにちの感覚がうすれます。そのかわり、現役の時は、サービス残業も含めて、一日24時間365日、長時間勤務を体験した人が多い。だから、退職後に現役のときに失った自由時間を取り戻せているという実感はあります。
時間の流れに関して、運の悪い流れというものがあります。車で動き出して、生活道路内の小さな交差点ごとに対向車と、タイミングが悪く、がちあうとか、幹線で、走りづらくなる路線バスとか大型車とかに、がちあうとか、そういうときは、今自分がのっている時間の流れを変えるために立ち止まって、時間をずらすことをしたりします。(運勢の流れのようなものです)
あの日あの時、あの場所にいなければ、あんな不幸に、がちあうことはなかったということはあります。
『体調を整えてから運転する』体調がすぐれないということはありませんが、忘れ物をするということはままあります。出かける時には、忘れ物がないように何度も確認します。それでも忘れて、出発した途端引き返すということはあります。
歳をとると、体というよりも、脳みそのほうに問題ありです。
アルコール依存のおじいさんが酔っ払い運転をするということはあります。若い頃に見たことがあります。ぐでんぐでんのよろよろです。警察を呼んで逮捕です。酒酔い運転は、一発取り消しです。(運転免許取り消し)
ドライブ中におしっこが近くなってあせるということが心配です。ゆえに休憩ばかりです。尿意がなくても排尿しておきます。
『車の点検や車内の整とんをする』自分は、たいてい、その日最初に乗車する前にフロントガラスを中心に窓ガラスをガラス吹きのペーパーで吹きながら車体全体のようすをみます。老齢で視力に自信がないので、フロントガラスが汚れているととても気になるからです。車内の掃除やボンネットをあけて、ウォーッシャー液量の確認などを月に2回ぐらいします。
以前、若い女性と話をしていて、車を買ってから何年もたつけれど、一度もボンネットをあけて中のエンジン部分を見たことがないと聞いて、ひっくりかえりそうになるぐらい驚いたことがあります。安全管理は大事です。
145ページに『ためこみ症』という単語があります。ごみ屋敷ではなく、ごみ車内です。発達障害のある人だろうか。
新陳代謝は、整理整とんの基本です。古い物を処分して、新しいものを購入します。あるいは、新しいものを購入したら、古い物は処分します。
『安全運転をサポートしてくれる同乗者を乗せる』遠出をするときは、自分もなるべくひとりだけでは運転しないようにしています。たいていは、助手席に妻がいます。ただ、ペーパードライバーに近い人なので、あまり頼りにはなりません。
第5章 運転時の安全ゆとり運転
ここまで読んできて、やはり、今年読んで良かった一冊になりました。
この本のおかげで、もしかしたらありえた交通事故体験を避けられたかもしれません。
『後ろの車を先に行かせる』
あおり運転がテレビの話題になることがありますが、自分はこれまでに、あおったこともあおられたこともありません。とにかく、安全第一で、メンツ(プライド、名誉、誇り)なんか関係ありません。運転に関しては、常に「譲る」気持ちがあれば衝突することも少ないと信じています。
『制限速度を守って運転する』高速道路を高速で走るのは心身ともに負担に感じています。自分は77キロぐらいで走るのが快適です。なにかあっても危険を回避できるスピードです。
急いで運転しても到着時刻にはそれほど変わりはないということは、若い頃に聞いたことがあります。たしか、ラジオでそういう内容で流れていました。
年金生活者の高齢者は、急ぐ必要はないのです。時間の拘束(こうそく。しばり。遅れても怒られない。あきらめてもらえる)がない立場です。
自分の心構えとして、生活道路はなるべく通らないようにしています。
なにが飛び出してくるかわかりません。ときに、パトカーが一旦停止違反をつかまえるために、ひっそりと待ち伏せしています。
『ながら運転をしない』ながら運転ができるほど運転に自信がないので、自分はぜったいに「ながら運転」はしません。スマホが鳴っても無視です。
話ははずれますが、年金生活者になって、ふだんの移動は、徒歩か自家用車で、鉄道にはめったに乗らない生活をしています。
先日久しぶりに鉄道を利用したら、みなさんマスク姿で、スマホを見ながらうつむいて、ずらりと座席に座っていて、異様な光景に見えました。わたしは、電車の中でもスマホは見ません。なんだか、昔の日本とは違う世界になってしまいました。
アンケート結果を分析しながら解説が続きます。
パターンがあります。人間を5つに分類してあります。
①いつも
②しばしば
③ときどき
④たまに
⑤ほとんどしない
どれかひとつにすべてが固まるということはありません。
人間の脳の性質を表しているようでおもしろい。いろんな人がいるのです。
追い越し車線を超高速で走っている人を見ると「死に急ぐ人」だと判断しています。巻き込まれないように近づきません。
あおり運転の理由は、脳みそが未成熟なのではないかという考察から始まって、以前読んだ本『ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治(みやぐち・こうじ) 新潮新書』に出ていたこどもたちの脳みそを想像します。いくらいいきかせても理解が無理なのです。運転免許証を与えてはいけない人なのです。懲役、罰金がありますが、永久に運転免許証は、はく奪することが妥当だと考えるのです。
すれちがいのときに『停止して待つ』これは苦手です。どうしても自分から動いてしまいます。じっとしておれない性格です。
前のめりにならずに、待つ技術を身に付ける。
アニメ『一休さん(いきゅうさん)』の言葉を思い出しました。『あわてない、あわてない。一休み(ひとやすみ)、一休み』
前に進むだけではなく、うしろにさがる技術も身に付ける。
ハザード:危険。前方の危険な状態を、後方の車に知らせる。
第6章 運転卒業までのステップ
これが最後の章です。
運転免許証を返納するところまできました。
いつかは、運転をやめるときがきます。
めやすとして、15の項目が書いてあります。できるかできないかです。7個以上該当するものがあれば、運転免許証の返納を考えたほうがいい。
わたしは、軽い物損事故が始まったら、必ず返納したほうがいいと思います。大事故の予兆です。
自家用車を失ったあとの移動手段について列記してあります。
鉄道、バス、タクシーなどです。
デマンド:需要に応じて。要求に応じて。
車を手離すと、車にかけていたお金の負担が減るということはあります。
けっこう車の維持にはお金がかかります。
本では、車がなくても生活できるアイデア出しがあります。
そうなのかといろいろ納得できるところがあります。
高齢者の運転免許証の返納者は、ペーパードライバーが多いそうです。あまり、高齢者運転事故の減少にはつながりそうもありません。
返納者は、数的にも少ないそうです。
2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。
この本を読まなければそのことを知ることもありませんでした。まだ、あのような悲惨な事故がこれからも続くのだろうか。不安です。なにか、対策が必要です。
(追記:2023年7月下旬)
車を買い替えました。
この本に書いてあったことを思い出して、安全装備の充実を図りました。
自分が書いた感想にある文章として、
『安全運転をサポートする車を運転する』
高価でもしかたがありません。お金で安全を買います。
もしかしたら、今回の車の買い替えが、人生で最後に買う車かもしれません。
未来を見据えて、自動運転で、ボタンひとつ押せば、人間を安全に目的地まで運んでくれる車がいずれは誕生するのかもしれませんが、それまで自分の寿命がもちそうにもありません。
今回買った車はだいじに乗ります。
この本を読んだときに、自分なりに驚きのこととして記憶に残っていることがあります。
『2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』まだまだ高齢者による交通死傷事故は続きそうです。自衛しなければなりません。加害者にならない。被害者にならない。
以下が、今回わたしが車に装備したシステムなどです。
1 衝突回避システム(ぶつからない対象物として:歩行者、自転車、自動二輪車。前方にある壁など。前を走る車、横を走る車。右折時の対向車。レーダーとカメラ方式の感知(センサー)による防御)。相手を感知すると警告と自動ブレーキの作動がある。
2 レーンからはみださない。
警告とハンドル操作支援あり。隣の車線の車と接触する可能性があるときは音声で警告がある。
3 車速追従機能
前の車に自動的についていく。前の車が止まると自車も止まる。
4 ハイビーム
ライトのハイビームが自動的に上下に切り替わる。
5 ロードサインアシスト
道路標識の見逃しを防止する。「最高速度」「はみだし通行禁止」「一時停止」「転回禁止」「進入禁止」「信号機」などの標識を見落としたと判断されると、画面に表示が出てブザーが鳴る。
6 ドライバー異常時対応システム
ドライバーの無操作状態が継続したときは、警告音、表示、ゆるやかな減速が行われ停車する。自動的に、ハザードランプの点滅、ホーンの鳴り、ストップランプで車外に異常を知らせる。停車後は、ドア開錠、(ネットでつながっているので)自動接続による救命要請がある。
7 発車遅れ告知機能
信号待ちほかで、前にいる車が発車しても自車が発進しなかったときに警告音が鳴る。信号が青になって発信し忘れたときにも鳴る。
8 ドライブレコーダー(前後)
9 ブラインドスポットモニター
車線変更の時に、サイドミラーの視界が広がり、隣接するレーンの後方最大約60mまで自動的に見えるようになる
10 自動駐車システム
駐車スペースの横に車を止めたあと、画面にある開始スイッチを押すと、自動的に駐車スペースに駐車してくれる。
11 駐車時に、車の位置を真上から見た映像が出る。
手動による駐車を安全でやりやすくする。
12パーキングサポートブレーキ
駐車場で、アクセルとブレーキの踏み間違いが起きたときに、自動ブレーキが作動して、前後の物体に車が衝突しないようにする。
*とにかく人や車やモノにぶつからないように設計してあります。もしぶつかっても被害を少なくするという効果があります。
先日、交差点でわたしたち夫婦が信号待ちで立っていて、信号機が青になったので横断歩道を渡ろうと数歩踏みだしたら、なんと、対抗する方向にある右折車が、反対方向に直進車がいるのにもかかわらず、強引に、瞬間的に、右折してきて、横断歩道に突っ込んできました。ひどい! あやうくその車にわたしたち夫婦ふたりともが、ひかれそうになりました。運転者は、高齢者の男性でした。あきれました。なにがなんでも自己中心です。人をひいて相手が死んだとしても、なんとも思わないのでしょう。車にひかれて殺されたほうは、やられ損です。被害者の親族は泣きます。
認知症がかった高齢者の運転は恐ろしい。(おそろしい)
考えましたが、家族がもう運転はやめてくれと訴えても、そういう高齢者は家族の声を無視します。されど、身内の高齢者が、一発(いっぱつ)死亡事故の加害者になれば、運転はしていなかった当事者ではない親族も責められます。徹底的に社会的制裁を受けます。
家族の申し立てによって、親の運転免許証をとりあげることができる制度ができるといいのになと思いついたのです。
2022年06月16日
東野&岡村の旅猿 持田さんのお祝いをしよう!の旅
東野&岡村の旅猿 持田さんのお祝いをしよう!の旅 2022年6月 動画配信サービス
旅猿メンバーの持田香織さんに第一子が誕生されたので、男ふたりで誕生を祝福する贈り物を買って持田香織さんに会いに行きます。
岡村隆史さんのところも第一子が誕生されて、東野幸治さんには初孫が誕生されて、それぞれのお子さんたちが同じような年齢になりました。
番組旅猿を最初のほうから見てきた者として、時の流れを感じます。初期のインド旅のころを思い出すとそれぞれ年齢を重ねてこられたことを実感します。
持田香織さんへの贈り物として、くまさんのぬいぐるみ兼リュックを購入して、さらに、岡村隆史さんにも同じものを東野幸治さんがプレゼントしました。
くま=(こどもにとっての)初めてのおともだちだそうです。
猫カフェみたいな喫茶店で待っていた持田香織さんとふたりが合流しました。
三人の子育て談義が始まります。
東野幸治さんのコメントです。25年ぐらいまえのご自身の子育て体験です。
(男尊女卑の日本の風習・慣例があって、当時は)男が(人前で。他人がたくさんいるところで自分のあかちゃんを)だっこしなかった(したくてもしにくい雰囲気があった)
前抱きというやり方がなかった。(当時は、背中におんぶでした)
インターネットもなかった。(簡単に育児の知識を知ることがむずかしかった)
それを聞きながら、自分の35年ぐらい前の子育てを思い出しました。
自分はしかたがないと思いながら、商業施設で娘をおぶいひもで自分の背中にくくりつけて歩いていたら、男子高校生のグループから『(男のくせに)情けない』と言われたことがあります。頭にきて、おまえらだって、こどもができたらわかるわ!と思いつつも、じっさい情けない気持ちになりました。
前抱きができるといいなと思ったことがありますが、何十年も経って、前抱きが現実になったときはびっくりしました。
持田香織さんのお子さんは、まだ夜泣きをされないそうですが、そのうち始まると思います。半年間ぐらい眠れない夜が続きますが、夜泣きは必ずなくなります。親は、こどもが夜泣きをしていたことも忘れてしまいます。
三人は、その後、持田香織さんの育児のストレス解消目的だと思いますが、なんと『斧投げ(おのなげ)』に行きます。
ちょっと、企画に無理があったようです。おもしろかったのですが、本物の刃物であり、手裏剣投げは聞いたことがありますが、斧を投げるのは初めて観ましたが、なにせ、引きました。
怖い(こわい)。やっているほうも観ているほうも恐怖心が生まれました。予定の時間よりも早く切り上げられたそうです。
次回の放送では、ゴーカートの運転に挑戦されるそうです。
(つづく)
6月8日放送分から
ゴーカートは、持田さんには喜ばしくはなかったようです。
先週の『斧投げ』チャレンジ企画も怖かった。
持田さんは「こわーい」を連発しながらゴーカートでの周回を終えました。
知床半島の遊覧船沈没事故後から、旅先でのアクシデントが心配になっています。自分は先日も、旅先で、ロープウェイに乗ると転落しないだろうかと不安にかられました。
次は、持田さんの行きつけのお店でお買い物です。
青森県のヒバがお好きだそうです。
ヒバ:針葉樹高木。別名『アスナロ』。芳香成分あり。防菌、防虫、防ダニ成分あり。
うちにも木の香りがするスプレーで消臭をするものがありました。
木の破片を詰め放題で購入するシーンがありました。
ぶ厚いまな板は、汚れたら削って使用するそうです。
なるほどと感心しました。
日帰り旅のしめくくりとして、東京銀座のレストランで鉄板焼きを食べます。
伊勢海老とあわびの選択制で、持田さんが伊勢海老、男子ふたりがあわびを注文しました。
東野幸治さんは食レポがうまくありありません。(前回の旅猿では、愛媛県の柑橘類(かんきつるい)をうまく表現できませんでした)
今回は東野幸治さんから『コックになろうと思わなくて良かった』というコメントがありました。コックになるのはむずかしいと言いたかったようですが、売れるお笑い芸人になることも相当むずかしいです。さらに、『えだまめのようではない』とコメントしようとしたら、お店のスタッフに先に『えだまめのような(お味)……』と言われてしまいました。
和牛はすごくいいお肉です。おいしいを連発する持田さんでした。おひとりさま26,620円のコースです。
持田さんのルーティーン(決まりきった日常生活)は、あかちゃんとネコちゃんの世話。家にはカーテンがないので、夜には部屋が暗くなる。午後8時から9時頃に、家族全員寝てしまうというお話でした。
健康のために、早寝早起きをしましょう。
岡村さんのコメントです。
(東野)『(奥さんから「ぐるない」という番組にもからめてだと思いますが)番組で自分だけおいしいものを食べてと言われない?』
(岡村)『そういうことを言わない人を奥さんとして選んだ』
そんなことを話していたら、岡村さんの実家のおかあさんからラインに電話が入りました。本番中だったので、電話の呼び出し音の連続に、みなさんびっくりされていました。
次回は、ジミー大西さんと和歌山でマグロの解体ショーだそうです。
楽しみです。
旅猿メンバーの持田香織さんに第一子が誕生されたので、男ふたりで誕生を祝福する贈り物を買って持田香織さんに会いに行きます。
岡村隆史さんのところも第一子が誕生されて、東野幸治さんには初孫が誕生されて、それぞれのお子さんたちが同じような年齢になりました。
番組旅猿を最初のほうから見てきた者として、時の流れを感じます。初期のインド旅のころを思い出すとそれぞれ年齢を重ねてこられたことを実感します。
持田香織さんへの贈り物として、くまさんのぬいぐるみ兼リュックを購入して、さらに、岡村隆史さんにも同じものを東野幸治さんがプレゼントしました。
くま=(こどもにとっての)初めてのおともだちだそうです。
猫カフェみたいな喫茶店で待っていた持田香織さんとふたりが合流しました。
三人の子育て談義が始まります。
東野幸治さんのコメントです。25年ぐらいまえのご自身の子育て体験です。
(男尊女卑の日本の風習・慣例があって、当時は)男が(人前で。他人がたくさんいるところで自分のあかちゃんを)だっこしなかった(したくてもしにくい雰囲気があった)
前抱きというやり方がなかった。(当時は、背中におんぶでした)
インターネットもなかった。(簡単に育児の知識を知ることがむずかしかった)
それを聞きながら、自分の35年ぐらい前の子育てを思い出しました。
自分はしかたがないと思いながら、商業施設で娘をおぶいひもで自分の背中にくくりつけて歩いていたら、男子高校生のグループから『(男のくせに)情けない』と言われたことがあります。頭にきて、おまえらだって、こどもができたらわかるわ!と思いつつも、じっさい情けない気持ちになりました。
前抱きができるといいなと思ったことがありますが、何十年も経って、前抱きが現実になったときはびっくりしました。
持田香織さんのお子さんは、まだ夜泣きをされないそうですが、そのうち始まると思います。半年間ぐらい眠れない夜が続きますが、夜泣きは必ずなくなります。親は、こどもが夜泣きをしていたことも忘れてしまいます。
三人は、その後、持田香織さんの育児のストレス解消目的だと思いますが、なんと『斧投げ(おのなげ)』に行きます。
ちょっと、企画に無理があったようです。おもしろかったのですが、本物の刃物であり、手裏剣投げは聞いたことがありますが、斧を投げるのは初めて観ましたが、なにせ、引きました。
怖い(こわい)。やっているほうも観ているほうも恐怖心が生まれました。予定の時間よりも早く切り上げられたそうです。
次回の放送では、ゴーカートの運転に挑戦されるそうです。
(つづく)
6月8日放送分から
ゴーカートは、持田さんには喜ばしくはなかったようです。
先週の『斧投げ』チャレンジ企画も怖かった。
持田さんは「こわーい」を連発しながらゴーカートでの周回を終えました。
知床半島の遊覧船沈没事故後から、旅先でのアクシデントが心配になっています。自分は先日も、旅先で、ロープウェイに乗ると転落しないだろうかと不安にかられました。
次は、持田さんの行きつけのお店でお買い物です。
青森県のヒバがお好きだそうです。
ヒバ:針葉樹高木。別名『アスナロ』。芳香成分あり。防菌、防虫、防ダニ成分あり。
うちにも木の香りがするスプレーで消臭をするものがありました。
木の破片を詰め放題で購入するシーンがありました。
ぶ厚いまな板は、汚れたら削って使用するそうです。
なるほどと感心しました。
日帰り旅のしめくくりとして、東京銀座のレストランで鉄板焼きを食べます。
伊勢海老とあわびの選択制で、持田さんが伊勢海老、男子ふたりがあわびを注文しました。
東野幸治さんは食レポがうまくありありません。(前回の旅猿では、愛媛県の柑橘類(かんきつるい)をうまく表現できませんでした)
今回は東野幸治さんから『コックになろうと思わなくて良かった』というコメントがありました。コックになるのはむずかしいと言いたかったようですが、売れるお笑い芸人になることも相当むずかしいです。さらに、『えだまめのようではない』とコメントしようとしたら、お店のスタッフに先に『えだまめのような(お味)……』と言われてしまいました。
和牛はすごくいいお肉です。おいしいを連発する持田さんでした。おひとりさま26,620円のコースです。
持田さんのルーティーン(決まりきった日常生活)は、あかちゃんとネコちゃんの世話。家にはカーテンがないので、夜には部屋が暗くなる。午後8時から9時頃に、家族全員寝てしまうというお話でした。
健康のために、早寝早起きをしましょう。
岡村さんのコメントです。
(東野)『(奥さんから「ぐるない」という番組にもからめてだと思いますが)番組で自分だけおいしいものを食べてと言われない?』
(岡村)『そういうことを言わない人を奥さんとして選んだ』
そんなことを話していたら、岡村さんの実家のおかあさんからラインに電話が入りました。本番中だったので、電話の呼び出し音の連続に、みなさんびっくりされていました。
次回は、ジミー大西さんと和歌山でマグロの解体ショーだそうです。
楽しみです。
2022年06月15日
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご)
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)
タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
『雇用』という面での考察です。
入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。
就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。
建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)
まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
若い時は、外へ冒険したほうがいい。
『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。
この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)
124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。
219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。
(つづく)
〇登場する建物として
東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
竹の家:中国での初めての建築作品
国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
自分との類似体験があります。
1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
心に響いた文章などです。
『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』
(つづく)
服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。
『まちづくり』という言葉があります。
どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
誤解と錯覚があります。
困難な人間関係の調整があります。
地元民は、変化を嫌います。
開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。
中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
神さまについて考える。
戦争体験者の神父さんです。
邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。
ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。
建築のマイナス面について語られています。
建築をつくることは『罪』なのです。
日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。
この本は、学ぶべきところがある本です。
まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
メタボリズム:自然界にいる生き物との共生
『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。
アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
1977年(昭和52年)に日本を出発されています。
フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
あこがれる人、目標とする人の存在があります。
考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。
産業革命に反対した人たちがいます。
衛生面で公害の発生とかがあります。
日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
<本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。
フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。
80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。
アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。
建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。
求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。
建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。
均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。
104ページまできました。
著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。
コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。
岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』
モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築
学ぶことで知る。
著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。
127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。
アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。
1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。
1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
本では、一時的なブームだったとされています。
著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
なるほどと思いました。
自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。
エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。
第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)
著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。
この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
30年間の長い付き合いです。
『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』
良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
ディテール:細かな点
1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。
184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
中国の昔の古い住居の集まりでした。
自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。
著者の会社では、外国人スタッフが多い。
東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。
2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
『老害』のような考察があります。
日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。
コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)
最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
人類に対する警告だそうです。
ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。
2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)
タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
『雇用』という面での考察です。
入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。
就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。
建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)
まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
若い時は、外へ冒険したほうがいい。
『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。
この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)
124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。
219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。
(つづく)
〇登場する建物として
東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
竹の家:中国での初めての建築作品
国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
自分との類似体験があります。
1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
心に響いた文章などです。
『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』
(つづく)
服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。
『まちづくり』という言葉があります。
どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
誤解と錯覚があります。
困難な人間関係の調整があります。
地元民は、変化を嫌います。
開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。
中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
神さまについて考える。
戦争体験者の神父さんです。
邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。
ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。
建築のマイナス面について語られています。
建築をつくることは『罪』なのです。
日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。
この本は、学ぶべきところがある本です。
まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
メタボリズム:自然界にいる生き物との共生
『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。
アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
1977年(昭和52年)に日本を出発されています。
フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
あこがれる人、目標とする人の存在があります。
考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。
産業革命に反対した人たちがいます。
衛生面で公害の発生とかがあります。
日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
<本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。
フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。
80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。
アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。
建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。
求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。
建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。
均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。
104ページまできました。
著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。
コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。
岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』
モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築
学ぶことで知る。
著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。
127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。
アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。
1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。
1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
本では、一時的なブームだったとされています。
著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
なるほどと思いました。
自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。
エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。
第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)
著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。
この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
30年間の長い付き合いです。
『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』
良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
ディテール:細かな点
1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。
184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
中国の昔の古い住居の集まりでした。
自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。
著者の会社では、外国人スタッフが多い。
東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。
2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
『老害』のような考察があります。
日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。
コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)
最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
人類に対する警告だそうです。
ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。
2022年06月14日
隈研吾作品 愛知県知多半島道路パーキングエリア
隈研吾(くま・けんご)建築設計事務所作品 愛知県知多半島道路大府パーキングエリア下り
数日前から読んでいる本が『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社』です。なかなかいい本です。
たまたま新聞で、最近オープンしたパーキングエリアの建物が、隈研吾さんの事務所の作品であることを知りました。
車で親戚の家に行く途中にあったので、パーキングエリアに立ち寄って、昼食を兼ねて見学してきました。
できたばかりなので、とてもきれいです。
写真には写っていませんが、平日とはいえ、意外に混雑していました。
人に優しい建物という印象をもちました。
おそらく農業用のため池だと思いますが、じょうずに借景となっていました。
屋外で食事ができるように、イスとテーブルが置いてあるテラス席が、写真の左手方向に設けてあります。
借景(しゃっけい):自然にあるものを庭園風景の一部として取り入れる。
数日前から読んでいる本が『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社』です。なかなかいい本です。
たまたま新聞で、最近オープンしたパーキングエリアの建物が、隈研吾さんの事務所の作品であることを知りました。
車で親戚の家に行く途中にあったので、パーキングエリアに立ち寄って、昼食を兼ねて見学してきました。
できたばかりなので、とてもきれいです。
写真には写っていませんが、平日とはいえ、意外に混雑していました。
人に優しい建物という印象をもちました。
おそらく農業用のため池だと思いますが、じょうずに借景となっていました。
屋外で食事ができるように、イスとテーブルが置いてあるテラス席が、写真の左手方向に設けてあります。
借景(しゃっけい):自然にあるものを庭園風景の一部として取り入れる。
2022年06月13日
その扉をたたく音 瀬尾まいこ
その扉をたたく音 瀬尾まいこ(せお・まいこ) 集英社
読み始めました。
なんだか、さえない男性主人公です。
ギター弾き29歳無職の宮路(みやじ)が、老人ホームでなにかをしています。
自称ミュージシャンの施設入所高齢者慰問です。
自称ミュージシャンですから、年寄り向けの曲の演奏はしません。
自分のために演奏する人です。
大学を卒業して無職のまま7年が過ぎていたというのは、自慢にはなりません。
一般的には、音楽でメシは食えません。
楽器の演奏よりも、読み書き計算、パソコン操作、車の運転、営業、接客、企画立案実行の能力をもたねば働けません。合わせて、自己の健康管理(心のもちようも含めて)、仕事の管理を始めとした人間関係のコントロールもしていかねばなりません。なにせ金勘定が基本です。自分のお金の管理ができない人は、会社や組織のお金の管理はできません。身の回りの整理整とんもできなければなりません。
音楽だけで食べていける人は、音楽だけでしか食べていけなかったりもします。365日、24時間すべて、音楽のために時間を費やす人です。
芸術家というのは、これしかできないから打ち込むしかないのです。本人も気づいていて、逃げ場のない世界で必死に生きています。
宮路は、11月27日が30歳の誕生日だそうです。
宮路は思いやりのない人です。相手に、オレの音楽を聴かせてやっているという態度が伝わってきます。
グリーン・ディの曲:アメリカ合衆国のパンク・ロックバンドの曲を施設入所している高齢者に聴かせます。
音楽演奏者で生活していくことにあきらめがつかない自分なのに、あきらめない自分(ネバー・ギブアップ精神だぞと)のことを立派だとまわりに自慢したい人です。
どうやって生活しているのだろう。親の財産を食いつぶしているのだろうという予測しかありません。典型的なダメ人間です。
世の中には、五体満足で口が達者でも働けない人がいくらかいます。自慢話を聞かされても、過去になにかをやり遂げたという実績がない人なのです。そのことが判明すると、それまでそばにいた人は離れていきます。
サックスホーンのいい音色を(ねいろを)聴かせてくれるのが、老人ホーム男性職員の渡部(入所者からこうちゃんと呼ばれている。58ページに25歳とあります。祖母とふたり暮らしをしていると72ページに書いてあります)です。
されど彼は、音楽療法士というわけではありません。
演奏するのは、年寄り相手ですから、こどものころに学校で合唱した『ふるさと』のような日本童謡のような曲、あとは演歌です。
いいかげんそうな自称ギタリストの宮路が、老人ホーム職員の渡部をサックス演奏の神様だと、この本の読者に訴えるのです。
金曜日の午後2時30分が、老人ホームでのレクレーションの日時です。
レクレーション:休養と元気回復のための娯楽
宮路のひとり語りが続きます。
宮路は勝手に老人ホームを訪問しますが、たいていは、呼んでもいない部外者の訪問を老人ホームは断ります。なにかの事件の犯人になるかもしれませんから。
玄関は、認知症の高齢者がいつのまにか外へ出ていかないように施錠してあります。
読んでいて、施設には入りたくないと思う。
自分の希望は、在宅介護でお世話を受けながら、あの世に逝きたい。(いきたい)
(つづく)
半分ぐらい、102ページまで読みました。
渡部のサックスのうまさの話は、まだ盛り上がってきません。
主人公の宮路29歳無職自称ギタリストは、老人ホーム入所者である水木静江の息子という立場で施設へ出入りします。(ありえません。他人です。でも、施設は知っていて許容しています)
ほかに出てきたのが以下のメンバーです。
スタッフとして、前田、遠山
入所者として、12月2日が誕生日の今中のおじいさん。宮地からウクレレを習う本庄さん(本人は、ウクレレを小さなギターだと思い込んでいる)、3月が誕生日の八坂(やさか)のおばあさん、10月26日が誕生日の内田のおばあさん。
老人ホームの名称は『そよかぜ荘』です。3階建て。1階が事務室。デイサービス空間。2階が入所者10人。3階が自分のことを自分でできない入所者が6人。
親から毎月20万円の仕送りをもらっているひとり暮らしの主人公宮路29歳自称ギタリストです。
親は、土地持ち不動産収入有りなのか。それとも大企業の創始者とか、幹部社員とか、あるいは、医師とか弁護士とか、いずれにしても、親から見てやっかい者の息子だから、そばに置いておきたくないのでしょう。まあ、世間体も気になります。みっともない息子とは別居して、金だけは援助する親のパターンです。
働かなくても生活ができるということは、不幸ではないけれど、幸福ともいえません。
人間というものは、オギャーと生まれた途端、たくさんの資産がくっついてくるベイビーと、逆に借金がくっついてくるベイビーがいます。これを『親ガチャ』というのでしょう。
ただ、そのときに資産があっても、ぼーっとしていると、いつか資産は消えていきます。
慰問のコントで、定期預金をする話が出ますが、いまどき定期預金に利子はつかないのも同然ですから、新規で定期預金をする人はあまりいないと思います。投資信託か株式投資のたぐいが多い。
人のことを『ぼんくら』と呼ぶのはどうかと思いました。ふつうだったらけんかになります。
ぼんくら:まぬけ。人間のレベルが低い。まあ、主人公の宮路は、ぼんくらですが。(こんな人間とはかかわりあいになりたくない)
くわえて、老齢の女性を『ばあさん、ばあさん』と呼ぶのもいやな気持になりました。「ぼんくら」にしても「ばあさん」にしても、どちらにしても人を見下しています。(みくだしています)
季節は7月です。11月27日の30歳の誕生日に向けて、ぼんくらの宮路は、なにかを成し遂げたいらしい。30歳まで音楽をやって、芽が出なければ音楽で食べていく夢をあきらめるらしい。
彼女いない歴7年だそうです。あわせて、アルバイトの経験もないそうです。(こういう人っているのだろうなあ。男でも女でも)
宮路が高校1年生になったとき、父親が10万円のギターを宮路に買ってくれた。
ちょっと気になったセリフとして『あんまり男子で吹奏楽部入るやつっていなかったなと思って』(そうなのか。意外です。自分が中学生だった時はけっこう男子生徒が吹奏楽部にいました)
お金の面において、ギター弾きの主人公宮路とサックス吹きの渡部は正反対の家庭環境にあります。そのふたりがくっつくとは思い難い。
ペグ:ギターの弦をギターに取り付ける時に使用する糸巻きのような小さな器具
音階として:ABCDEFGは、ラ(A)シ(B)ド(C)レ(D)ミ(E)ファ(F)ソ(G)に対応する。
上を向いて歩こう:坂本九さんが歌っていた。
老後のことについて考える本だろうか。
入所者のみなさんは、金銭的には裕福そうです。金はある。使い切れないというコメントがあります。
されど、入所者に会いに来る家族や友人などはいない。
会話形式の文章で、話を進めていくスタイルです。
セットリスト:なんの曲を演奏するか決めるためのリストだそうです。一覧表。
102ページに書いてある絵のことは、このあとどんな伏線になるのだろう。(渡部が中学生の時にもらった絵。鉛筆画。リボンが風になびいているような絵。
(つづく)
読み終えました。
うーむ。高校生向けの読書感想文コンクールの課題図書なのですが、どうなのかなあ。
現代の高校生の生活に密着していないような内容でした。
29歳無職独身男性主人公宮路が老人ホームにいるのが場違いです。
29歳は、若い世代といるべき年齢です。とくに、いるとしたら、ちびっこたちと一緒です。
自分が29歳のときは、すでに乳幼児をかかえて、お金がなかったので、夫婦共働きでこどもたちを保育園に預けての送り迎えで、必死になって働いていました。ちいさい子って、病気ばっかりするんです。こどもが熱を出すと、どちらが仕事を休むかで夫婦げんかばかりしていました。
それにくらべて、この小説の主人公の宮路は、だめなやつです。
あわせて、読者にとって魅力的な主人公の個性設定ではありません。
お金があっても働いていない人は、社会では一人前には見られません。
伏線として、102ページの『鉛筆画「駅伝のたすき」』(渡部が中学卒業の時に駅伝部顧問の美術教師からもらった。
それからもうひとつ『タオル』がありました。
ウクレレ練習好きの本庄さんが認知症になったあたりの話は、いきなりの出来事で無理があり、筋立てとして、ぎくしゃくしていました。
シッカロール:ベビーパウダー。あせも、おむつかぶれ、ただれなどに使用する。
お金がある家に生まれた宮路の境遇について話があります。
お金でふりまわされる友人関係です。みんなのお財布的な存在です。たかられます。(金銭を要求される)
122ページに『だから俺は、できるだけ目立たないように過ごした……』とあります。悲しいことです。
登場する文学作品や楽曲は相当古いものです。今の高校生たちにはなじみがないので、読んでいてピンとくるか心配です。心に響かないのではないか。高齢者ならわかると思いますが、読者は、西暦2000年を過ぎてから生まれた人たちです。
あわせて、外国曲もわかりません。
渡部の天才的なサックス演奏だという披露が、読み始めた時は期待しましたが、結局ありませんでした。
91歳である水木のおばあさんに関して、いろいろと出来事やコメントがあります。
たぶん、この老人ホームに入所している人たちみんなに共通することとして、お金はありますが、見舞いに来てくれる友人も知人も親族もいません。
(水木おばあさんのセリフ)『もうすぐ死ぬのに貯金してどうすんだよ』
水木のおばあさんが本を買ってきてくれと宮路に頼みます。わたしなら『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』と『水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社』を買ってもっていきます。
(水木おばあさんのコメント)『(宮路はへたくそのくせにうぬぼれているとして)へたくそなギターに野太い声……ぞっとしたよ。みんながしらけているのに……』(宮路には、実際は音楽演奏も歌も下手くそなのに、自分はできていると思い込んでいる錯覚があります)
(水木おばあさんのコメント)『(自分が)老人ホームに入った時点で人生は終わった……』
後悔しない人生ってあるのだろうか。水木おばあさんは、自分の人生を後悔しているのではなかろうか。水木おばあさんは、宮路に、わたしみたいになるなと言いたいのではなかろうか。
ウクレレのコード(和音わおん)として、Cmシーマイナー B7ビーセブン
坂本九『心の瞳』知らない曲だったので、YouTubeで聴きました。御巣鷹の尾根(群馬県おすたかの尾根)への日航機墜落事故を思い出してしまいます。
自分は、リアルタイムでニュース放送を聞いていました。
1985年8月12日でした。ちょうど帰省していた九州の実家のテレビで見ました。
坂本九さんが乗客で亡くなって驚きと悲しみがありました。
読み終えて思ったことです。
29歳はまだまだです。
人生は長い。昔のフォークソングにあったように『きみのゆく道は果てしなく遠い』のです。
30歳から先、病気やけがや事故や事件など、次々とトラブルが訪れるのを乗り越えていかなきゃなりません。必ずトラブルは起きます。つきものです。トラブルは、日常生活にセットでついてきます。
世の中には、いつまでもこどもの世界にいる人と、早い年齢から、こどもの世界を抜ける人とがいるのでしょう。
タイトルの『その扉をたたく音』のメッセージは、扉をたたいてあげるから、いい歳(とし)してるんだから、いつまでもこどもの世界にいないで、こどもの世界を抜け出して、さっさと、おとなの世界に来なさい! というお叱りなのでしょう。
(その後)
本を読んで、上の感想を書いてから1週間ぐらいがたちました。
作者の意図(いと。おもわく。伝えたかったことのプラン)したことではないのかもしれませんが、亡くなった水木のおばあさんは、次のことも宮路に伝えたかったのだろうと新たな発想が生まれました。水木のおばあさんの「老人ホームに入ったとき、自分の人生は終わった」に続く言葉です。
『いま、お金がたくさんあっても自分は幸せじゃない。お金がたくさんあっても、使わなければないのと同じだ。節約に徹して、お金を使わなかったのは、心に不安があったからだ。自分を支えてくれるのは「人」ではなく「お金」だと信じるしかなかったからだ。宮路、おまえは、そんな人生を送るな』というアドバイスになるのです。
そうすると、音楽が好きなら音楽の仕事を続けて人間関係を広めよ。なにも演奏者だけが音楽の仕事じゃない。ほかにも音楽に関連する仕事はあるだろ。
夢を追え。そして、ちゃんとしろ。働いて、結婚して、家庭をもて。こどもを育てろ。お金を使え。自分のまわりに家族をもて。
思考は、そこまで広がりました。
読み始めました。
なんだか、さえない男性主人公です。
ギター弾き29歳無職の宮路(みやじ)が、老人ホームでなにかをしています。
自称ミュージシャンの施設入所高齢者慰問です。
自称ミュージシャンですから、年寄り向けの曲の演奏はしません。
自分のために演奏する人です。
大学を卒業して無職のまま7年が過ぎていたというのは、自慢にはなりません。
一般的には、音楽でメシは食えません。
楽器の演奏よりも、読み書き計算、パソコン操作、車の運転、営業、接客、企画立案実行の能力をもたねば働けません。合わせて、自己の健康管理(心のもちようも含めて)、仕事の管理を始めとした人間関係のコントロールもしていかねばなりません。なにせ金勘定が基本です。自分のお金の管理ができない人は、会社や組織のお金の管理はできません。身の回りの整理整とんもできなければなりません。
音楽だけで食べていける人は、音楽だけでしか食べていけなかったりもします。365日、24時間すべて、音楽のために時間を費やす人です。
芸術家というのは、これしかできないから打ち込むしかないのです。本人も気づいていて、逃げ場のない世界で必死に生きています。
宮路は、11月27日が30歳の誕生日だそうです。
宮路は思いやりのない人です。相手に、オレの音楽を聴かせてやっているという態度が伝わってきます。
グリーン・ディの曲:アメリカ合衆国のパンク・ロックバンドの曲を施設入所している高齢者に聴かせます。
音楽演奏者で生活していくことにあきらめがつかない自分なのに、あきらめない自分(ネバー・ギブアップ精神だぞと)のことを立派だとまわりに自慢したい人です。
どうやって生活しているのだろう。親の財産を食いつぶしているのだろうという予測しかありません。典型的なダメ人間です。
世の中には、五体満足で口が達者でも働けない人がいくらかいます。自慢話を聞かされても、過去になにかをやり遂げたという実績がない人なのです。そのことが判明すると、それまでそばにいた人は離れていきます。
サックスホーンのいい音色を(ねいろを)聴かせてくれるのが、老人ホーム男性職員の渡部(入所者からこうちゃんと呼ばれている。58ページに25歳とあります。祖母とふたり暮らしをしていると72ページに書いてあります)です。
されど彼は、音楽療法士というわけではありません。
演奏するのは、年寄り相手ですから、こどものころに学校で合唱した『ふるさと』のような日本童謡のような曲、あとは演歌です。
いいかげんそうな自称ギタリストの宮路が、老人ホーム職員の渡部をサックス演奏の神様だと、この本の読者に訴えるのです。
金曜日の午後2時30分が、老人ホームでのレクレーションの日時です。
レクレーション:休養と元気回復のための娯楽
宮路のひとり語りが続きます。
宮路は勝手に老人ホームを訪問しますが、たいていは、呼んでもいない部外者の訪問を老人ホームは断ります。なにかの事件の犯人になるかもしれませんから。
玄関は、認知症の高齢者がいつのまにか外へ出ていかないように施錠してあります。
読んでいて、施設には入りたくないと思う。
自分の希望は、在宅介護でお世話を受けながら、あの世に逝きたい。(いきたい)
(つづく)
半分ぐらい、102ページまで読みました。
渡部のサックスのうまさの話は、まだ盛り上がってきません。
主人公の宮路29歳無職自称ギタリストは、老人ホーム入所者である水木静江の息子という立場で施設へ出入りします。(ありえません。他人です。でも、施設は知っていて許容しています)
ほかに出てきたのが以下のメンバーです。
スタッフとして、前田、遠山
入所者として、12月2日が誕生日の今中のおじいさん。宮地からウクレレを習う本庄さん(本人は、ウクレレを小さなギターだと思い込んでいる)、3月が誕生日の八坂(やさか)のおばあさん、10月26日が誕生日の内田のおばあさん。
老人ホームの名称は『そよかぜ荘』です。3階建て。1階が事務室。デイサービス空間。2階が入所者10人。3階が自分のことを自分でできない入所者が6人。
親から毎月20万円の仕送りをもらっているひとり暮らしの主人公宮路29歳自称ギタリストです。
親は、土地持ち不動産収入有りなのか。それとも大企業の創始者とか、幹部社員とか、あるいは、医師とか弁護士とか、いずれにしても、親から見てやっかい者の息子だから、そばに置いておきたくないのでしょう。まあ、世間体も気になります。みっともない息子とは別居して、金だけは援助する親のパターンです。
働かなくても生活ができるということは、不幸ではないけれど、幸福ともいえません。
人間というものは、オギャーと生まれた途端、たくさんの資産がくっついてくるベイビーと、逆に借金がくっついてくるベイビーがいます。これを『親ガチャ』というのでしょう。
ただ、そのときに資産があっても、ぼーっとしていると、いつか資産は消えていきます。
慰問のコントで、定期預金をする話が出ますが、いまどき定期預金に利子はつかないのも同然ですから、新規で定期預金をする人はあまりいないと思います。投資信託か株式投資のたぐいが多い。
人のことを『ぼんくら』と呼ぶのはどうかと思いました。ふつうだったらけんかになります。
ぼんくら:まぬけ。人間のレベルが低い。まあ、主人公の宮路は、ぼんくらですが。(こんな人間とはかかわりあいになりたくない)
くわえて、老齢の女性を『ばあさん、ばあさん』と呼ぶのもいやな気持になりました。「ぼんくら」にしても「ばあさん」にしても、どちらにしても人を見下しています。(みくだしています)
季節は7月です。11月27日の30歳の誕生日に向けて、ぼんくらの宮路は、なにかを成し遂げたいらしい。30歳まで音楽をやって、芽が出なければ音楽で食べていく夢をあきらめるらしい。
彼女いない歴7年だそうです。あわせて、アルバイトの経験もないそうです。(こういう人っているのだろうなあ。男でも女でも)
宮路が高校1年生になったとき、父親が10万円のギターを宮路に買ってくれた。
ちょっと気になったセリフとして『あんまり男子で吹奏楽部入るやつっていなかったなと思って』(そうなのか。意外です。自分が中学生だった時はけっこう男子生徒が吹奏楽部にいました)
お金の面において、ギター弾きの主人公宮路とサックス吹きの渡部は正反対の家庭環境にあります。そのふたりがくっつくとは思い難い。
ペグ:ギターの弦をギターに取り付ける時に使用する糸巻きのような小さな器具
音階として:ABCDEFGは、ラ(A)シ(B)ド(C)レ(D)ミ(E)ファ(F)ソ(G)に対応する。
上を向いて歩こう:坂本九さんが歌っていた。
老後のことについて考える本だろうか。
入所者のみなさんは、金銭的には裕福そうです。金はある。使い切れないというコメントがあります。
されど、入所者に会いに来る家族や友人などはいない。
会話形式の文章で、話を進めていくスタイルです。
セットリスト:なんの曲を演奏するか決めるためのリストだそうです。一覧表。
102ページに書いてある絵のことは、このあとどんな伏線になるのだろう。(渡部が中学生の時にもらった絵。鉛筆画。リボンが風になびいているような絵。
(つづく)
読み終えました。
うーむ。高校生向けの読書感想文コンクールの課題図書なのですが、どうなのかなあ。
現代の高校生の生活に密着していないような内容でした。
29歳無職独身男性主人公宮路が老人ホームにいるのが場違いです。
29歳は、若い世代といるべき年齢です。とくに、いるとしたら、ちびっこたちと一緒です。
自分が29歳のときは、すでに乳幼児をかかえて、お金がなかったので、夫婦共働きでこどもたちを保育園に預けての送り迎えで、必死になって働いていました。ちいさい子って、病気ばっかりするんです。こどもが熱を出すと、どちらが仕事を休むかで夫婦げんかばかりしていました。
それにくらべて、この小説の主人公の宮路は、だめなやつです。
あわせて、読者にとって魅力的な主人公の個性設定ではありません。
お金があっても働いていない人は、社会では一人前には見られません。
伏線として、102ページの『鉛筆画「駅伝のたすき」』(渡部が中学卒業の時に駅伝部顧問の美術教師からもらった。
それからもうひとつ『タオル』がありました。
ウクレレ練習好きの本庄さんが認知症になったあたりの話は、いきなりの出来事で無理があり、筋立てとして、ぎくしゃくしていました。
シッカロール:ベビーパウダー。あせも、おむつかぶれ、ただれなどに使用する。
お金がある家に生まれた宮路の境遇について話があります。
お金でふりまわされる友人関係です。みんなのお財布的な存在です。たかられます。(金銭を要求される)
122ページに『だから俺は、できるだけ目立たないように過ごした……』とあります。悲しいことです。
登場する文学作品や楽曲は相当古いものです。今の高校生たちにはなじみがないので、読んでいてピンとくるか心配です。心に響かないのではないか。高齢者ならわかると思いますが、読者は、西暦2000年を過ぎてから生まれた人たちです。
あわせて、外国曲もわかりません。
渡部の天才的なサックス演奏だという披露が、読み始めた時は期待しましたが、結局ありませんでした。
91歳である水木のおばあさんに関して、いろいろと出来事やコメントがあります。
たぶん、この老人ホームに入所している人たちみんなに共通することとして、お金はありますが、見舞いに来てくれる友人も知人も親族もいません。
(水木おばあさんのセリフ)『もうすぐ死ぬのに貯金してどうすんだよ』
水木のおばあさんが本を買ってきてくれと宮路に頼みます。わたしなら『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』と『水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社』を買ってもっていきます。
(水木おばあさんのコメント)『(宮路はへたくそのくせにうぬぼれているとして)へたくそなギターに野太い声……ぞっとしたよ。みんながしらけているのに……』(宮路には、実際は音楽演奏も歌も下手くそなのに、自分はできていると思い込んでいる錯覚があります)
(水木おばあさんのコメント)『(自分が)老人ホームに入った時点で人生は終わった……』
後悔しない人生ってあるのだろうか。水木おばあさんは、自分の人生を後悔しているのではなかろうか。水木おばあさんは、宮路に、わたしみたいになるなと言いたいのではなかろうか。
ウクレレのコード(和音わおん)として、Cmシーマイナー B7ビーセブン
坂本九『心の瞳』知らない曲だったので、YouTubeで聴きました。御巣鷹の尾根(群馬県おすたかの尾根)への日航機墜落事故を思い出してしまいます。
自分は、リアルタイムでニュース放送を聞いていました。
1985年8月12日でした。ちょうど帰省していた九州の実家のテレビで見ました。
坂本九さんが乗客で亡くなって驚きと悲しみがありました。
読み終えて思ったことです。
29歳はまだまだです。
人生は長い。昔のフォークソングにあったように『きみのゆく道は果てしなく遠い』のです。
30歳から先、病気やけがや事故や事件など、次々とトラブルが訪れるのを乗り越えていかなきゃなりません。必ずトラブルは起きます。つきものです。トラブルは、日常生活にセットでついてきます。
世の中には、いつまでもこどもの世界にいる人と、早い年齢から、こどもの世界を抜ける人とがいるのでしょう。
タイトルの『その扉をたたく音』のメッセージは、扉をたたいてあげるから、いい歳(とし)してるんだから、いつまでもこどもの世界にいないで、こどもの世界を抜け出して、さっさと、おとなの世界に来なさい! というお叱りなのでしょう。
(その後)
本を読んで、上の感想を書いてから1週間ぐらいがたちました。
作者の意図(いと。おもわく。伝えたかったことのプラン)したことではないのかもしれませんが、亡くなった水木のおばあさんは、次のことも宮路に伝えたかったのだろうと新たな発想が生まれました。水木のおばあさんの「老人ホームに入ったとき、自分の人生は終わった」に続く言葉です。
『いま、お金がたくさんあっても自分は幸せじゃない。お金がたくさんあっても、使わなければないのと同じだ。節約に徹して、お金を使わなかったのは、心に不安があったからだ。自分を支えてくれるのは「人」ではなく「お金」だと信じるしかなかったからだ。宮路、おまえは、そんな人生を送るな』というアドバイスになるのです。
そうすると、音楽が好きなら音楽の仕事を続けて人間関係を広めよ。なにも演奏者だけが音楽の仕事じゃない。ほかにも音楽に関連する仕事はあるだろ。
夢を追え。そして、ちゃんとしろ。働いて、結婚して、家庭をもて。こどもを育てろ。お金を使え。自分のまわりに家族をもて。
思考は、そこまで広がりました。
2022年06月10日
東野&岡村の旅猿 なにも決めずに愛媛県の旅 2022年5月
東野&岡村の旅猿 なにも決めずに愛媛県の旅 2022年5月 動画配信サービス
ゲストは、お笑いコンビ『ずん』のボケ担当飯尾和樹さんでした。
そおいえば、相方のやすさんが、出川哲朗の充電バイクのゲストで出て、運転免許証を東京の自宅に忘れてきて、充電バイクを運転することができず、宿で借りた自転車で参加したことを思い出しました。ロケ地は北海道でした。あれは、ひどかった。
今回は愛媛県です。
自分は、19歳のときに、友人5人と車2台で回ったことがあります。初代のシビックと軽自動車でした。松山城見学と道後温泉入浴、宇和島の闘牛場横のグラウンドでテントをはって一夜を過ごしました。夜は、アベックが車できていちゃいちゃしたり、若者たちが集まってギターを弾いて歌っていたりで、よく眠れなかった思い出があります。
さて、番組です。
おいしいものがいくつも出てきました。
一泊二日、翌朝解散のあわただしい旅ですが、なかなかおもしろかった。
はるな愛さんの母方実家のお墓参りも急遽(きゅうきょ)しました。すごい田舎でしたが、海が近く、印象に残りました。
廊下の長い古い学校の校舎で、岡村隆史さんがぞうきんがけタイムトライアルをしました。100mちょっとを1分ちょっとで、最初は元気よく、最後はへとへとになって終えられました。腹筋の力はいるし、足も痛くなるだろうしで、お疲れさまでした。いいタイムだったと思います。自分はようやりません。
自分が中学生だった頃、学校でそうじの時間になると、廊下のぞうきんがけをしていたわけですが、テレビでオリンピックの映像を見たあとは、長い廊下を水泳のクロールで泳いでみたり、背泳ぎもしたり、冬のオリンピックのときは、スピードスケートのまねをして、両手を左右にふりながら靴下(くつした)ですべったりしてむじゃきに遊んでいました。13歳ぐらいのころの自分は、純真な少年でした。(じゅんしん。心にけがれがない)
岡村隆史さんのところも旅猿メンバーの持田香織さんのところも第一子ご誕生だそうです。おめでとうございます。
次回のゲストは持田香織さんだそうです。ベッキーさんのときと同じよう用に、東野・岡村のふたりは、プレゼントをもっていくのでしょう。
愛媛県を巡る旅は、最初に愛媛県庁で観光を担当する職員から提案がありました。
①おいしいものを食べる。(お肉とかお魚とか)
②海のきれいな景色を楽しむ(夕陽とか。メンバーは、トライしましたが、失敗しています。夕日の手前に障害物があって、夕日が見えなかったという失敗です)
③アトラクションに参加する。(学校の長い廊下のぞうきんがけ)
はるな愛さんが電話でメンバーにお願いした飛び込み企画(はるな愛さんの母方実家のお墓参り)が良かった。
はるな愛さんが、自分のことを『長男坊(ちょうなんぼう)だから……』と言われたのが、女装をされている方なのでとてもおかしくて笑いました。
また、地元のどなたかが、女性でしたが、『そうそう(はるな愛さんの)お里(おさと)なんですの……』とおっしゃい、『お里』という言葉の響きが上品でとてもいいなと感じました。
飯尾和樹さんは、たくさんビールを飲んでごきげんでした。
岡村隆史さんが、翌朝の仕事がどうのこうのと言われたのですが、旅猿のロケはとても仕事とは思えません。ほぼ、ご自分たちの私的なお仲間旅行に見えます。かしこまらずに、ふだんの仕事を忘れて楽しまれるといいです。
三人が、『いなかに来ると、同じ時間でも、都会と比較して、いなかの時間はゆっくりと過ぎていく』と感想を述べられていました。みなさんの実感が、映像を見ている者にも伝わってきました。
都会生活を送っている日本人は忙しすぎます。次はこれ、その次はこれと、やることが多すぎます。
柑橘類(かんきつるい)であるオレンジのくだり(話)がありました。
うちも「きよみオレンジ」を食べます。甘くておいしい。愛媛伊予地方の柑橘類(かんきつるい)だそうです。
どういうわけか、東野幸治さんが、きよみオレンジの紹介に失敗しています。(最初に、「まずくはないが、もっとおいしいミカンやオレンジ類がほかにいくつもある」と言ってしまいました)
収拾ができませんでした。
ゲストは、お笑いコンビ『ずん』のボケ担当飯尾和樹さんでした。
そおいえば、相方のやすさんが、出川哲朗の充電バイクのゲストで出て、運転免許証を東京の自宅に忘れてきて、充電バイクを運転することができず、宿で借りた自転車で参加したことを思い出しました。ロケ地は北海道でした。あれは、ひどかった。
今回は愛媛県です。
自分は、19歳のときに、友人5人と車2台で回ったことがあります。初代のシビックと軽自動車でした。松山城見学と道後温泉入浴、宇和島の闘牛場横のグラウンドでテントをはって一夜を過ごしました。夜は、アベックが車できていちゃいちゃしたり、若者たちが集まってギターを弾いて歌っていたりで、よく眠れなかった思い出があります。
さて、番組です。
おいしいものがいくつも出てきました。
一泊二日、翌朝解散のあわただしい旅ですが、なかなかおもしろかった。
はるな愛さんの母方実家のお墓参りも急遽(きゅうきょ)しました。すごい田舎でしたが、海が近く、印象に残りました。
廊下の長い古い学校の校舎で、岡村隆史さんがぞうきんがけタイムトライアルをしました。100mちょっとを1分ちょっとで、最初は元気よく、最後はへとへとになって終えられました。腹筋の力はいるし、足も痛くなるだろうしで、お疲れさまでした。いいタイムだったと思います。自分はようやりません。
自分が中学生だった頃、学校でそうじの時間になると、廊下のぞうきんがけをしていたわけですが、テレビでオリンピックの映像を見たあとは、長い廊下を水泳のクロールで泳いでみたり、背泳ぎもしたり、冬のオリンピックのときは、スピードスケートのまねをして、両手を左右にふりながら靴下(くつした)ですべったりしてむじゃきに遊んでいました。13歳ぐらいのころの自分は、純真な少年でした。(じゅんしん。心にけがれがない)
岡村隆史さんのところも旅猿メンバーの持田香織さんのところも第一子ご誕生だそうです。おめでとうございます。
次回のゲストは持田香織さんだそうです。ベッキーさんのときと同じよう用に、東野・岡村のふたりは、プレゼントをもっていくのでしょう。
愛媛県を巡る旅は、最初に愛媛県庁で観光を担当する職員から提案がありました。
①おいしいものを食べる。(お肉とかお魚とか)
②海のきれいな景色を楽しむ(夕陽とか。メンバーは、トライしましたが、失敗しています。夕日の手前に障害物があって、夕日が見えなかったという失敗です)
③アトラクションに参加する。(学校の長い廊下のぞうきんがけ)
はるな愛さんが電話でメンバーにお願いした飛び込み企画(はるな愛さんの母方実家のお墓参り)が良かった。
はるな愛さんが、自分のことを『長男坊(ちょうなんぼう)だから……』と言われたのが、女装をされている方なのでとてもおかしくて笑いました。
また、地元のどなたかが、女性でしたが、『そうそう(はるな愛さんの)お里(おさと)なんですの……』とおっしゃい、『お里』という言葉の響きが上品でとてもいいなと感じました。
飯尾和樹さんは、たくさんビールを飲んでごきげんでした。
岡村隆史さんが、翌朝の仕事がどうのこうのと言われたのですが、旅猿のロケはとても仕事とは思えません。ほぼ、ご自分たちの私的なお仲間旅行に見えます。かしこまらずに、ふだんの仕事を忘れて楽しまれるといいです。
三人が、『いなかに来ると、同じ時間でも、都会と比較して、いなかの時間はゆっくりと過ぎていく』と感想を述べられていました。みなさんの実感が、映像を見ている者にも伝わってきました。
都会生活を送っている日本人は忙しすぎます。次はこれ、その次はこれと、やることが多すぎます。
柑橘類(かんきつるい)であるオレンジのくだり(話)がありました。
うちも「きよみオレンジ」を食べます。甘くておいしい。愛媛伊予地方の柑橘類(かんきつるい)だそうです。
どういうわけか、東野幸治さんが、きよみオレンジの紹介に失敗しています。(最初に、「まずくはないが、もっとおいしいミカンやオレンジ類がほかにいくつもある」と言ってしまいました)
収拾ができませんでした。