2022年05月16日

みんなのためいき図鑑 村上しいこ

みんなのためいき図鑑 村上しいこ・作 中田いくみ・絵 童心社

 本のカバーに書いてあることを読んで思ったことです。
 カバーには『あーあ、みんなのためにと思ってやったことなのに……』と書いてあります。
 よかれと思ってやったことが、かえって、迷惑がられることがよくあります。
 だったら、もう何もしないと思うのですが、ついついて、口が出て、手が出てしまいます。
 だから、相手は、イヤな時は、イヤだとはっきり意思表示をしてくれれば、口も手もひっこめるのに、だまっている人が多いのが世の中です。直接文句を言わずに、陰で悪口を言うのです。しゃべらない人はにがてです。とかくこの世はむずかしい。

 熊太郎おじいさんは、ときおり独特な本の読み方をします。
 同じ本を何回も読みます

「1回目の本読み ゆっくり全体のページをめくって、さいごのページまで到達します。全部読んだような気になれます」
 ページをめくりながら、紙にメモをしていきます。とくに、登場してくる人物の名前と特徴をメモします。
 気になったことが書いてあるページには、ふせんをはります。気になった理由をふせんにメモすることもあります。
 
 では、ページをめくりはじめます。
 タイトルに『図鑑』と書いてありますが、この本は図鑑ではないことはわかります。

 出てくる人たちとして、4年1組五班のメンバーがいます。(主役の集団です)

 ぼく:田之上嵐太(たのうえ・らんた):愛称が『たのちん』この物語は、「ぼく」である田之上嵐太のひとり語りで進行していきます。

 星合小雪(ほしあい・こゆき):絵を描くことが好きだけど、愛菜(まな)にコンクールで負けたことがあるそうな。人に対して、きつい性格です。

 宮村孝四郎:愛称が『コーシロー』

 新開七保(しんかい・ななほ):星合小雪よりは、きつくはないそうです。でも、性格がきつい部類だそうです。
 
 加世堂ゆら(かせどう・ゆら):保健室登校と書いてあります。熊太郎おじいさんのこども時代には、保健室登校というような登校方法はありませんでした。登校拒否児なのだろうか。保健室なら行けるということか。とにかく、出席日数は確保しようという手段なのか。考え出すと賛否両論出てきそうです。

 階田リナ先生(かいだ・りな先生):一組の担任の先生。
 保健室の岡安先生:保健師さんだろうか。
 みつる:4年一組一班。親が大学の先生。
 愛菜(まな):絵を描く(かく)ことがじょうずらしい。みょうじは、出てこなかったような。4年1組二班。
 
 尾崎れん:一組のクラスメイト。
 小石川さら:一組のクラスメイト。

 目次は、1から9まであります。小さなお話が9つ集まって、ひとつの物語になっています。
 物語は、150ページまでで終わっていて、151ページからは『みんなのためいき図鑑』という別の固まりになっています。(あとから、この部分が、この本でいうところの『図鑑』の部分だとわかりました。

 この物語は、自分たちで、なにかを題材にしながら、図鑑をつくろうという物語なのでしょう。

 この本に出てくる小学生たちは、小学校4年生で、組は一組で、班ごとに分かれて、なにかをつくって、発表したのでしょう。

 9ページで『おしごと図鑑』という言葉が目に入りました。仕事の分類と内容を図鑑にするのだろうか。
 タイトルの『ためいき図鑑』から、考えられることは、ためいきというのは、楽しい時とか、うれしいときに出るものではなくて、がっかりしたとき、ざんねんだったとき、あきらめたとき、気持ちが沈んだときに出るものなので、ためいきが出るときの状態を図鑑にしたものではなかろうかという発想が生まれます。
 ちらっと読むと、一班は、みんなの親の仕事を調べて図鑑としてまとめるようなことが書いてあります。
 一班は『おしごと図鑑』、二班は『ペット図鑑』、三班は『病気図鑑』、四班は『?(本の10ページにはまだ書いてありません)』
 
 20ページに「2 ためいきこぞう」と書いてあります。
 ためいきこぞうとは、なんじゃろな。
 そういう「こぞう」が出てくるのだろうか。楽しみです。
 24ページに民話みたいな絵が描いてあります。地面の上にしゃがんでいるのが「ためいきこぞう」だろうか、されど、こぞうのうしろに、しっぽがついたおばけみたいなものがおぶさっています。なんじゃろな。

 49ページ「4 こたえようがない」という項目です。
 トラブル発生か。

 57ページで、気になるセリフにぶつかりました。
 「あのな、おならには、ロウハイブツノセイブンっていうのがはいって、それはからだに毒やねん」
 おならという単語には、読み手である自分の目が敏感に反応します。

 62ページの絵には、お母さんが、食事時のおかずが並んだテーブルで「はぁーあ」と大きなためいきをつくシーンが絵にしてあります。

 本のページをかるくめくり続けます。
 150ページ、物語のラストの言葉がかっこいい。
 『ぼくは、きょうもためいきといっしょに、生きている。』
 
 151ページからが、『みんなのためいき図鑑』です。
 つくったのは、4年1組 5班 加世堂ゆら(かせどう・ゆら) 新開七保(しんかい・ななほ) 田之上嵐太(たのうえ・らんた) 星合小雪(ほしあい・こゆき) 宮村孝四郎(みやむら・こうしろう)と書いてあります。
 162ページには、アンケート結果があります。アンケートをとったわけですな。
 さて、1回目の本読みが終わりました。
 推理はどの程度あたっていたでしょうか。
 2回目の本読みで確認します。

「2回目の本読み ざーっと目をとおしていきます。気になったところには、ふせんをはって、ふせんにメモをします」
 やはり、5つの班ごとに『なになに図鑑』というのをつくる企画です。
 8ページの絵を見ながら、どの絵の人が、だれなのかというのを考えました。
 鉛筆をノートにぎゅっと押し付けて怒っているのが、星合小雪(ほしあい・こゆき)です。
 星合小雪の右側で頭を書きながら、にが笑いをしているのが、宮村孝四郎でしょう。
 宮村孝四郎の右下にいる男子が、主人公のたのちんこと、田之上嵐太(たのうえ・らんた)でしょう。
 田之上嵐太の左下に頭だけ見えているのが、新開七保(しんかい・ななほ)ですな。
 この絵にはいませんが、同じ五班のメンバーで、保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)がいます。

 13ページに、星合小雪さんのセリフがあります。感心しません。
 自分たちは塾で忙しいから、図鑑の内容はたのちんが考えなさいと指示を出します。
 『考えること』は、いつだって、どこでだってできます。今すぐにでもできます。あとからやろうと思っていては、いつまでたっても始まりません。
 
 14ページまで読んで、ふと、思う。
 この物語に『ためいき』という単語が何回でてくるか、カウントしてみよう。(数を数えてみよう)おもしろそうだ。数えたくなりました。【最終的な結果は次のとおりでした。最初の物語に出てくる数が181回。次の『みんなのためいき図鑑』に出てくる数が37回で、合計が218回でした。たぶん回数が多いだろうと思ってかんじょうしはじめましたが、かなりの数でした。なお、1回かぞえただけで、みなおしはしていません。間違っていないかの確認はしていません。する気もありません。間違っていてもかまわないのです。合っているかいないかということはどうでもいいことです。コツコツと積み上げるように数えるという作業が楽しかった。まあ、少しずつ貯金がたまっていくような感じです】

 保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)さんが、マンガのような絵を描きました。『ためいきこぞう』というキャラクターで、まるで、田之上嵐太がモデルのようです。田之上嵐太と同じく、ためいきこぞうだから、たのちんだそうです。
 そしてなんと、実写化みたいに、絵の中から、ためいきこぞうが出てきました。紙で体ができているそうな。体は小さいので、一寸法師(いっすんぼうし。一寸は約3センチ)のようです。ためいきこぞうの立場は、ドラえもんのようでもあります。これからおもしろいことになりそうです。
 ためいきこぞうは、けっこう、なまいきです。『おれや。ためいきこぞうや』さらに関西弁です。『たのちんがいうてたやん』
 ためいきこぞうは、だれでも見ることができます。
 
 『ためいき図鑑』の絵を、星合小雪に書いてもらうか、加世堂ゆらに(かせどう・ゆら)書いてもらうかで、バトル(争い)が始まるようです。
 田之上嵐太(たのうえ・らんた)は、保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)に教室登校に戻ってほしいという希望をもっています。
 きっかけづくりのために、『ためいき図鑑』の絵を、加世堂ゆら(かせどう・ゆら)に描かせてあげたい。
 だけど、星合小雪が、さきに自分が描くと申し出したこともあり、絵は、加世堂ゆらには描かせない。自分が描くと主張します。
 みんなは、いま、四年生ですが、三年生の時までは、星合小雪と加世堂ゆらは親しい友だち関係があったそうです。
 加世堂ゆらが、自分の母との関係が悪くなって、学校へ行くことをいやがるようになったのですが、心配した星合小雪の好意を加世堂ゆらが裏切った過去があるそうです。
 男の子たちはそういったことを知りません。男にとっては、女同士の戦いは怖い。
 ふたりの女子の気持ちのすれ違いは、なかなか、すんなりもとには戻りそうもありません。
 
 絵が描きたいのなら、分担して、ふたりで描けばいいのにと自分は考えましたが、そのあとのページで、星合小雪に否定されました。自分が描く。加世堂ゆらには描かせないそうです。
 ワケワケすれば平和にまとまるのに。どこの世界でも、ひとりじめは、もめるのよ。
 ゆずらないものどうしが、ぶつかたっときにケンカが起こります。
 どちらもけがをします。

 なんだか、だんだん、昔の『道徳(どうとく。人はどうあるべきかを考える。学ぶ)』という教科の内容のようになってきました。

 みんな、絵を描くのが好きなのね。

 話し合いがつかないと、たいていは、じゃんけんとか、くじ引きになると思うのですが、星合小雪はそれでは受け付けてくれそうもありません。
 加世堂ゆらは、話の経過を聞いたら、身を引くのではないだろうか。

 おならの話です。
 おならの話は、宮村孝四郎のおじいちゃんの口ぐせです。
 おならは、がまんしないほうがいい。からだに毒だから、がまんしないほうがいい。
 
 加世堂ゆらのおかあさんは、いわゆる『毒親(どくおや。こどもにとって良くない親)』です。束縛(そくばく。押しつけ 強制して相手の自由をうばう)、過干渉(なにかとさしずする。やりすぎ)があります。度をこえて関与する)です。加世堂ゆらにとって、母親がしんどいのです。だから、登校拒否に至った原因があります。(母親に直接文句を言う勇気がなくて、友だち関係が不登校の理由とうそを言った)
 子育てができない。子育てがにがて。子育てに向いていない。そういう親っています。ひとりの親でもパーフェクト(完全にいい親)という人は少ない。毒親の部分を、多かれ少なかれもっています。
 こどもは、それが嫌で、14歳ぐらいから反抗期を迎え、やがて、自分のことは自分でやる。自分でできると主張して自立、自活して、家を出ていきます。鳥のヒナの旅立ちのようなものです。
 親とは別れる時がきます。こどもは、親に嫌なところがあっても、自分が巣立てるまではがまんして力をつけます。

 ためフェス:ためいきこぞうたちのお祭り(フェスティバル)おもしろそう。

 いつもちゃんとしている親は、こどもにとっては、迷惑です。
 だらしないところが多少あるぐらいで、ちょうどいい。

 いじわるだと思われている星合小雪の言い分は、当たっているし、正しいことです。
 加世堂ゆらもだまっていてはだめです。だまっていたらわかりません。自分はだまっていて、相手にさっしほしいと願っても、願いはかないません。しゃべらないと何を考えているのかは、相手にはわかりません。
 
 『一生保健室にいたらいいよ』と言われたらつらい。
 つらいけれど、うぉーって叫んで、保健室から教室になぐりこむぐらいの強い気持ちがほしい。
 
 128ページにいい言葉が書いてあります。
 『ねがい』
 
 そして、ついに、田之上嵐太からこういう言葉が出ます。
 『ちょっとは、むりしてよ』

 これまで読んできた小学校低学年・中学年対象の読書感想文課題図書の中で、一番おもしろかった。
 なかなか良かったです。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月14日

長野県松本市内散策

長野県松本市内散策

 5月の連休明け火曜日です。
 松本城内は、樹木の若葉が生き生きと輝いていて、すがすがしい空気が広がる光景でした。
 暑くもなく寒くもなく、すごしやすい、観光日和に恵まれました。
 散策しているのは、わたしたちのような現役をリタイアした年配の夫婦、中高年女性同士の旅行者が多い。




 背景に雪をかぶった岩壁の山々が連なるのは、信州松本城らしい風景です。
 お城は黒の城で、雪山は白い峰が続いています。
 まだ17歳のときに九州からの修学旅行で立ち寄りました。天守閣にも登った記憶があります。黒部立山(くろべたてやま)アルペンルートが修学旅行のコースでした。
 今はもう、天守閣のてっぺんまで登るだけの体力も、柔軟性も、気力もありません。お城は離れたところからながめて「美しい」とため息をつくだけで満足できます。




 次の写真で、お城の正面の緑の部分は、名古屋城でいうところの本丸御殿の位置でしょう。
 名古屋城の本丸御殿は再建されてだいぶ月日が経ちました。
 名古屋城は建て替えで、木造化して、この先何百年も維持管理していくことで、価値を高めるのでしょう。




 松本城を出たあと、歩いていたら、かえるサムライに出会いました。
 顔がこわい。
 どろろーんと、忍術でも使いそうです。




 草間彌生さん(くさま・やよりさん)の作品です。
 草間彌生さんが、ここ松本市の出身だとは知りませんでした。
 おうちが松本駅の近くにあったそうです。
 作品の色合いは、先日テレビ番組『徹子の部屋』にゲストで出ていたジミー大西さんの絵に似ています。
 独創的でカラフルです。




 𠮟られるかもしれませんが、下の絵の犬だと思うのですが、うちの幼稚園の孫(年長)が描く絵に似ているねぇとかみさんと話しました。
 草間彌生さんの芸術作品は、旅番組でときおり目にします。東北の十和田市現代美術館とか、瀬戸内海に浮かぶ直島(なおしま)の展示とか。





 北杜夫さん(きたもりおさん)の文学作品に心酔したのは高校生の時でした。
 北杜夫さんが学んでいた旧制松本高校(のちの信州大学)の校舎が残されているので見学しました。
 北杜夫さんに関する展示を楽しみに行きましたが、あいにく、新聞記事が一枚あるだけでした。
 それでも満足です。
 『どくとるマンボウシリーズ』とか『楡家の人々(にれけのひとびと)』などを読んで楽しみました。
 精神科医でありながら、自分も躁うつ病の患者で、ご家族がたいへんご苦労されたということは、ずいぶんあとになってから知りました。
 『楡家の人々(にれけのひとびと)』は、ご実家の精神病院のことが下地になっている作品だったと思います。入院病棟もあって、詳しいことは覚えていませんが、ユーモア作品だった記憶です。










  

Posted by 熊太郎 at 07:19Comments(0)TrackBack(0)長野県

2022年05月13日

長野県善光寺参拝

長野県善光寺参拝

 JR特急しなの号に乗って、名古屋市内の駅から長野駅まで行き、夫婦で善光寺にお参りをしてきました。
 島崎藤村の小説作品『夜明け前』にあるとおり『木曽路はすべて山の中にある』で、列車の左右の車窓には、緑の樹木が延々と続きました。

 長野県にある善光寺は、60年以上生きてきて、まだ訪れたことがない有名観光地のひとつです。
 半年ぐらい前に、人生の心残りにならないように善光寺参りに行こうと決心して、今月5月にようやくお参りしてくることができました。
 コロナ禍で身動きができない不自由なここ数年です。
 7年に1回の仏さまの公開のことは最近知りました。(三体の金ぴかに輝く小さな仏さまでした。前立本尊(まえたちほんぞん。まんなかに「阿弥陀如来:あみだにょらい」右に「観音菩薩:かんのんぼさつ」左に「勢至菩薩:せいしぼさつ」です)
 到着した日はあいにくの雨でしたが、お昼過ぎおそくだったこともあって、回向柱(えこうばしら)という背の高い大きな木の柱には、すんなり触れることができました。
 長野駅前のホテルで泊まって、翌日は快晴のすがすがしい空気の中、善光寺を再訪問して、再度、回向柱(えこうばしら)にさわって、本殿の奥まで入って、秘宝の仏さまも見て、そのあと、建物の床下部分の暗いところを歩きました。
 若い頃の旅行は、限られた時間内にできるだけたくさんの観光地を巡るようにプランを立てて、忙しく移動していましたが、歳をとってきて、若い頃のように、体がびゅんびゅん動いてくれなくなりました。
 移動を減らして、できるだけ同じ場所でじっとする旅のしかたに切り替えました。自分が動くのではなく、まわりが動く光景を見て楽しむことにしました。

 下の写真は、仁王門です(におうもん)。門の左右に怖そうで巨大な鬼のような形相をした木像が参拝に訪れる人たちをにらみつけています。




 次の写真は、山門(さんもん)です。かなり巨大です。二階にバルコニーのような部分があって、人が登って、眼下(がんか)を見渡すことができます。道は上り坂なので、長野市内の風景を見渡すことができるのでしょう。わたしは、上る(のぼる)のがなんぎ(体力的に苦しい。けがをしそう)なので上りませんでした。




 本堂(ほんどう)です。小雨がぱらぱら降っていました。翌日の朝は、快晴でした。




 本堂もかなり大きい。
 行く前は、愛知県豊川市にある『豊川稲荷』と似た建物だろうと想像していましたが、雰囲気は異なる建物でした。どちらがどうということもありませんが、どちらも立派な建物です。




 回向柱(えこうばしら)に、片手の手のひらを広げて当てながら『健康長寿、無病息災、家内安全。幸運でありますように』と祈願(きがん)しました。(今よりもっと歳(とし)をとったら「極楽往生(ごくらくおうじょう)」を祈ることでしょう)

 お寺の参道に、アニメ『すみっコぐらし』のキャラクター商品を売っているお店がありました。
 親戚のちびっこの女の子に『すみっコぐらし』のファンがいるので、20センチ四方(しほう)のハンカチを3枚買って、専用の手提げ紙袋もいただきました。
 このハンカチと『ねーねー』4・5月号(主婦と生活社)それから、くだもののバナナをもっていけば、ちびっこ女子は、きっと喜んでくれると思います。

 さらにお寺の参道を歩いていたら、奈良のマスコットキャラクターのせんとくんみたいな仏さまがおられたのでびっくりしました。気持ちがなごみます。
 タヌキは朝の散歩道でときどき見かけるので身近に感じます。平成ぽんぽこだぬきの邦画を思い出します。




 宿泊したホテルの温泉は気持ちよく、夕食で食べた近くの店の焼き肉もおいしかった。
 長野市の人口は37万人ぐらいですから、人口が何百万人もいる都会と比較すると少ない人口です。
 長野駅前のホテルに宿泊しましたが、新幹線も停まる(とまる)県庁所在地の駅なのに、夜は静かで意外でした。
 歴史の長い門前町(もんぜんまち。お寺さんで開けたまち)という印象が残りました。(このあと訪れた松本市は、人口はさらに少ない23万7000人ぐらいですが、芸術と文化の町でした。長野市よりも都会的な雰囲気がありました)

 善光寺の近くに小学校があるらしく、下校中の小学生たちが参道を横切っていきます。
 参道が小学校通学路の一部であることに風情を感じました。
 参道を歩いていると邦画「男はつらいよ」のフーテンの寅さん(渥美清)さんの呼び込みの声が聞こえてきそうでした。

 到着した翌日の朝早くに、パスターミナルでバス会社の若い女性スタッフさんたちが観光案内をしてくださったので助かりました。
 『城山公園』は、「しろやまこうえん」と読むのではなく「じょうやまこうえん」と読むことを知りました。びっくりしました。全国各地にある漢字の地名だと思うのですが、「じょうやまこうえん」と読むのは初めて聞きました。

 善光寺での二回目の参拝をすませたあと、松本城を見学しようとJR特急しなの号で松本駅へ向かいました。
 車窓から見える雪をかぶったアルプスの山々の風景がきれいでした。
 都会の街中ではなかなか見ることができない景色です。




 このあと訪れた松本市内で、偶然、ドラマ「相棒」の水谷豊さんと女優の檀れいさんをお見かけしました。ラッキーでした。水谷豊さんは「相棒」の杉下右京と同じ雰囲気のしゃべりかたで、高価な上着と靴とメガネをかけてかっこよく、檀れいさんは、小顔の美しい女性でした。おふたりが、キラキラと輝いて見えました。映画のトークショーみたいなことをされていました。
 愛知県への帰路の電車の中で、善光寺でお参りをしたかいがあったと、うれしい気持ちにひたりました。

(その数日後)
 街中で偶然、その日の夕方に久しぶりに電話をしてみようと思っていた友人に出会いました。
 コロナ禍で、入退院手術を繰り返していた彼なので、1年近く会えておらず、たまに電話で話すだけでした。
 大手銀行の10台ぐらいある大きくて広いATMコーナーの行列に並んでいたら、行列のうしろのほうから大きな声でわたしの名前を呼ぶ彼がいたのでびっくりしました。
 これもまた善光寺さんにお参りしたおかげでしょう。善光寺の仏さまの、人と人をつなぐ運の強さには恐れ入りました。善光寺の仏さまには、良縁をつなぐパワーがあられます。  

Posted by 熊太郎 at 07:14Comments(0)TrackBack(0)長野県

2022年05月12日

チョコレートタッチ パトリック・スキーン・キャトリング

チョコレートタッチ パトリック・スキーン・キャトリング作 佐藤淑子(さとう・よしこ)・訳 伊津野果地(いづの・かじ)・絵 文研出版

 チョコレートが大好きなジョン・ミダスという男の子のお話です。小学校1年生か、2年生ぐらいに見えます。
 ジョン・ミダスはお菓子が大好きです。おこづかいは、お菓子を買うために消えていきます。
 これから、ジョン・スミスが、チョコレートを食べたあと、なにもかもがチョコレート味になるという不思議なお話が始まります。

 登場する人たちはつぎのとおりです。
 ジョン・ミダスのおもしろいお話をしてくれるパパと、優しくてしっかり者のママ
 ジョン・ミダスのいもうとメアリー
 ジョン・ミダスの同級生女子として、スーザン・バターカップ:金髪。ピンクのほっぺ。青い瞳。おはじきコレクションがあります。ほかの女子児童として、ベティ、エレンがいます。たぶん男子児童として、ティモシー、ロビンがいます。
 男女合計20人のクラスメンバーです。
 ジョン・ミダスの上級生として、スパイダー・ウィルソン、小学3年生か4年生ぐらいに見えます。
 ジョン・ミダスの学校の先生が、担任が、プリムソール先生。女性の先生です。音楽担当が、クウェイバー先生。
 お医者さんとして、クレイニアム先生。

 鼻の頭に赤いぽつぽつができたジョン・ミダスです。
 お菓子の食べ過ぎです。
 ごはんを食べなきゃ。
 バランスのとれた食事をしないと病気になってしまいますよ。

 ジョン・ミダスは、道で25セント硬貨を拾いました。日本円だと31円ぐらいの価値です。
 でもその硬貨は本物のお金ではなさそうです。
 片面に太った男の子の絵、もう片面に「J.M」とかいてあるそうです。(J.Mは、ジョン・ミダスの氏名の頭文字(かしらもじ)なのでしょう)

 ジョン・ミダスが偶然知らないお菓子屋さんに立ち寄ります。
 なんだか、浦島太郎が竜宮城をたずねた雰囲気に似ています。
 これは夢だろうか。
 店のご主人が、ジョン・ミダスにおいしいてチョコレートを提供してくれました。
 
 帰宅したジョン・ミダスが、お店のご主人からもらった、たったひとつぶのチョコレートを食べます。

 ひと晩あけて、朝です。
 チューブに入っている歯磨き粉の味が、チョコレート味になっています。
 オレンジジュースもチョコレート味がします。
 ベーコンエッグとトーストとバターとマーマレードがチョコレート味です。
 皮のてぶくろまでチョコレート味です。
 どうしちゃったの?
 ジョン・ミダスが食べた時だけ、チョコレート味がするようです。

 スーザン・バターカップがもっていた1ドル硬貨もチョコレート味がします。
 なんと、ジョン・ミダスは、その1ドルコインをかじって、一部分を食べてしまいました。1ドルコインは、三日月の形に変わってしまいました。

 ジョン・ミダスが学校で飲む水までチョコレート味に変わってしまいました。
 どうしたことでしょう。
 鉛筆の芯(しん)までチョコレート味です。
 そして、鉛筆の木の部分までチョコレートになってしまいました。
 夢でもみているのだろうか。
 「魔法」だそうです。
 外国では「魔法」という言葉がよく使われます。日本では使われません。

 学校でのお昼ご飯は、学校の食堂で食べます。
 食事は学校が用意してくれます。
 野菜サラダとかくだものとか、牛乳、チキン、ハム、ポテトチップス、レタスなどです。サクランボもあります。赤いトマトもあります。なんでもいろいろ食べましょう。お菓子だけではだめですよという教えがあるのでしょう。ロールパンもついています。
 でもジョン・ミダスが食べようとすると、なにもかもがチョコレート味に変化してしまいます。

 国語の時間では、ジョン・ミダスに「強欲」「消化率」「消化不良」「胃酸過多」「不健康」「節制」などの言葉が投げかけられます。
 健康志向でいきましょうというメッセージがあるのでしょう。

 学校の楽団で、スーザン・バターカップは、バイオリンを弾き、ジョン・ミダスはトランペットを吹きます。
 こんどは、トランペットがチョコレートになってしまいます。困りました。
 ジョン・ミダスは、だんだんチョコレートが嫌いになってきました。

 リンゴを浮かべたバケツの水がチョコレートになります。なってこった。
 
 ジョン・ミダスは、病院でクレイニアム先生に診てもらって、お薬をもらいました。
 なんと、お薬までチョコレートに変わってしまいました。
 クレイニアム先生が『チョコレート病(その後、クレイニアム病という病名で決定)』と病名を付けました。徹底的な検査が必要だそうです。

 かわいそうなことは次々と起こります。
 ジョン・ミダスはがママのほっぺたにキスをしたら、ママがチョコレートの像になってしまいました。
 魔法という言葉がさきほど出てきました。
 魔法の力(ちから)『チョコレートタッチ』という言葉が出てきました。ジョン・ミダスの唇(くちびる)がふれたものは、チョコレートになってしまうのです。タッチはふれるということです。
 そして、ジョン・ミダスが25セント硬貨でチョコレートの箱を買ったお店が再び姿を現したのです。
 
 「よくばり」とか「わがまま」を戒めて(いましめて。人として、してはいけないことだと教える)「思いやりのある人」になりなさというメッセージをもった物語でした  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月11日

この世界からサイがいなくなってしまう 味田村太郎

この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち 味田村太郎(みたむら・たろう) 学研プラス

 本題ではありませんが、この本を読んでいた同時期に、少年ジャンプコミック『ヒカルの碁』を読んでいて『サイ』というタイトル文字を見ると、ヒカルの碁に登場する進藤ヒカルの師匠である『藤原佐為(ふじわらのさい)』を思い浮かべてしますのです。
 こちらの本のサイは、動物のサイです。

「1回目の読書」
 実用書のような本を読むときの自分独自の本の読み方があります。複数回読みます。
 まず、1回目は、文章をあまり読まずに、ページをゆっくりとめくりながら、全体に目を通します。この本は全部で119ページあります。全部のページをめくり終わると、全部を読んだような気分になれて、リラックスできます。そのあとで、また2回目の本読みをします。

 ときどき小学校低学年や幼稚園の孫たちといく場所に、名古屋市内にある東山動物園があります。
 東山動物園には、二種類のサイがいます。正面玄関入って右側に『インドサイ』小柄な体格をしています。
 それから、正面から奥に向かって、かなり距離が離れていますが、左側の丘に『クロサイ』がいます。カバとコビトカバの間にある園庭にいます。大柄な体格をしています。

 本のページをめくります。動物たちの写真がいっぱいあります。
 シマウマ、ゾウ、ライオン、キリン、シロサイの写真があります。
 アフリカまで行かなくても動物園で見学することができるのはありがたい。

 サイの種類が写真付きで説明されています。
 ジャワサイ、スマトラサイ、インドサイ、シロサイ、クロサイ。
 シロサイとクロサイがアフリカにいて、あとはアジアにいるそうです。
 体長は、4メートルいくかいかないかぐらいですから、軽自動かコンパクトカークラスの乗用車ぐらいの長さです。(2回目の本読みをしたときに、13ページにそのようなことが書いてあるのに気づきました)

 『サイがいなくなってしまう』と書いてあります。
 たぶん、人間が原因なのでしょう。
 地球の自然にとっては、人間は迷惑な存在です。
 人間は自分たちの便利な生活をつくるために、これまでに、自然界の動植物にたくさん迷惑をかけてきました。

 26ページに『サイのふんにかくされたなぞ』という項目が出てきます。
 フンを分析して研究することで、いろいろなことがわかりそうです。

 48ページには『孤児院にいる子どもサイたち』という説明がつけられた写真があります。
 サイにもパパ・ママがいないひとりぼっちがいるようです。

 95ページには、『ブラックマンバ』というグループの集合写真があります。
 全員が女性です。たぶん、サイを守るグループなのでしょう。(2回目の本読みで、女性たちだけの自然保護官チームであることがわかりました。レンジャーと呼ぶそうです。救助隊のイメージがあります。仕事ですから、法律の根拠があると思います)

 118ページに日曜日NHK夜7時半からやっている『ダーウィンが来た! 生きもの新伝説 ~残念じゃない! 人気者サイの秘密~』と書いてあります。自分は、たいてい、8時からの大河ドラマを見る前に「ダーウィンが来た」を見ています。
 
 2017年に『ざんねんないきもの事典 今泉忠明監修 高橋書店』は、読んだことがあります。自分の読書の記録をみると、(サイは絶滅の危機にある)とメモが残っていました。
 気になることとして、絶滅の危機にある動物がいるけれど、人間も滅びるときはあると自分で書き残してあります。
 人間を滅ぼすのは、人間です。
 戦争をすることが、人類が滅びる理由です。
 人間は戦争をして互いに殺し合って絶滅するのです。
 おそろしいことです。

「2回目の本読み」
 2回目は、ざーっと目をとおしながら、速読します。
 気になったところには、ふせんをぺたぺたとはって、メモ書きをすることもあります。
 
 南アフリカ共和国の草原(乾期と雨期があるサバンナ)にある動物保護区のお話です。クルーガー国立公園内だそうです。日本だと気候は四季です。春夏秋冬です。
 南半球は北半球とは季節が反対なので、今ごろは、これから冬に向かうころでしょう。

 写真にあるサイの姿は、ヨロイとカブトを身に着けた武士のようです。
 恐竜のトリケラトプスにも似ています。
 19ページで、大昔(3400万年前ぐらい)のサイの仲間が紹介されています。体高が7メートル、体重が20トン(乗用車20台近く)というのは巨大です。何を食べていたのだろう。たくさん食べないとおなかがぺこぺこになりそうです。
 名前は、ケプカサイ、パラケラテリウム、ヒラキウス(福岡県で化石が見つかった)だそうです。
 
 サイのツノを加工して、商品にして高額で売る人間たちがいるようです。密猟者です。
 また、サイのツノが、薬の原料にもなると考えられているそうですが、薬としての効果はないそうです。効果がなくても売り買いができるのなら、お金が欲しい人間はサイを捕まえます。
 だから、サイの数が減少しているのでしょう。
 この本には、サイを殺して金もうけをする人間たちを取り締まる立場の人たちについて書いてあります。
 自然環境を守って維持することは、人間にとっても利益のあることです。
 住み心地の良い空気と水のバランスを守らないと人間の体にも悪い影響がありそうです。
 地球温暖化の防止が今一番の話題になっています。
 ガソリン車をやめて、電気自動車に転換するのです。

 著者の仕事は、記者だそうです。
 
 南アフリカには、世界の80%のサイが生息しているそうです。知りませんでした。

 サイのフン(うんこ)に関するところを読んでいます。
 メスとオスがラブラブになるために、フンがしてあるそうです。
 種の保存です。こどもをつくって、サイという動物を、のちのちまで生かし続けるという生き物の本能(生まれながら身についている性質)があります。
 
 サイが妊娠してから出産までにかかる期間は、16か月もかかるそうです。(1年が12か月)
 とても長い。

 親が密猟で殺されたりすると、生まれて間もないこどものサイたちは、ひとりでは生きていけないので、サイを助けるメンバーが(レンジャーという自然保護官。クルーガー国立公園には約550人のレンジャーがいる)関わって、こどもサイをサイの孤児院へ連れて行くそうです。
 されど、毎年500頭前後のサイが、密猟者の犠牲になっているそうです。

 人間のお金もうけのために、サイの命が失われていきます。
 このことの背景には、貧しい社会があります。
 アフリカの人たちは、長い間、ヨーロッパの国々の人たちに支配されていたという歴史があります。
 サイをつかまえてお金を稼ぐことをやめてもらうために、密猟をする人たちにちゃんとした仕事を用意する必要性があります。
 密猟者がいなくなる社会システムをつくることが大事です。
 貧困をなくすか、減らすのです。
 そのためには、教育が必要です。
 読み書き計算から始めて、命と自然の大切さを学ばねばなりません。
 
 サイをペットのように飼うことはできません。
 保護区では、もともといる場所を囲うようにして、サイたちを守っているのだろうと考えました。
 
 絶滅の危機にある『キタシロサイ』というサイをIPS細胞の技術を使って、子どもを誕生させるチャレンジがされているそうです。

 104ページに『男性が社会の中心』とあります。
 全世界で、女性差別が行われてきました。
 男社会はだめです。すぐに戦争になります。
 女社会で、平和な世界にしてほしい。
 UNEP(ユネップ。国連環境計画)の「地球大賞」にブラックマンバが表彰されたそうです。そういう組織も賞も知りませんでした。
 それから、マンバというのは、アフリカ大陸最強の毒ヘビのことだと、どこかのページに書いてありました。ブラックだから、黒い毒ヘビなのでしょう。怖そうです(こわそうです)。でも、写真の女性のみなさんは、やさしい笑顔をされています。
 
 さいごのほうのページにある『センザンコウ』という動物が、世界で大流行しているコロナウィルスに関係があるかもしれないそうです。写真を見ると、全身にウロコのようなものがあるトカゲみたいな生き物に見えます。不気味です。
 野生動物をきちんと管理しないと、人間にとって不幸な病気が流行するのでしょう。

 最後に、英語でサイのことは『rhino ライノ (複数形だとsが単語の最後に付きます)』というそうです。30ページと31ページにそんなことが書いてありました。  

Posted by 熊太郎 at 06:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月09日

ちびっこたちからリクエストがあった本

ちびっこたちからリクエストがあった本

 ゴールデンウィークに、遠方からうちに泊まりに来た親族のちびっこに、うちの本棚にある本で、好きなものがあったらあげるよと言ったら、以下の本が欲しいと言うので、ちびっこたちが帰ったあと、宅急便で送ってあげました。

『おすしやさんにいらっしゃい! 生きものが食べものになるまで おかだだいすけ・文 遠藤宏・写真 岩崎書店』
『きょだいな きょだいな 長谷川摂子(はせがわ・せつこ)作 降矢なな(ふりや・なな)絵 福音館書店』
『ゴムあたまポンたろう 長新太(ちょう・しんた)作 童心社』
『むれ ひろたあきら KADOKAWA』
『いちにち ひろたあきら KADOKAWA』
『ちくわのわーさん 岡田よしたか ブロンズ新社』
『月刊 コロコロイチバン! 2022年4月号 小学館』
『てれびくん 4月号 小学館』
『スーパーてれびくん×仮面ライダーリバイス しあわせ家族号 小学館』
『小学8年生 6・7月号 小学館』  

Posted by 熊太郎 at 06:40Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り