2022年05月07日

赤めだか 立川談春

赤めだか 立川談春 扶桑社文庫

 有名なお話のようですが知りません。
 書評のページを巡っていて出会ったので取り寄せました。
 まずは、タイトルの『赤めだか』の意味をとれません。「赤いめだか」という魚が、実際にいるのだろうか。

 読み始めます。
 エッセイ集です。(心のおもむくままに書きつづる)10本あります。
 意外に文字数の多い本です。

 この本を読んだあとで、林家木久扇(はやしや・きくおう)さんの『バカのすすめ』ダイヤモンド社を読むつもりで手元においてあります。
 笑点を楽しみに観ていますが、笑点メンバーは天才の集まりだと思うのです。お笑いの泉です。

 二十代のころに落語を聴いたことがあります。
 ビルの中にある小さなホールでした。
 テレビでしか見たことがなかったので、落語というものは、一話が15分程度のものだと思っていました。
 たしか、一本が45分以上ありました。驚きました。そんな長いお話を暗記できているなんて、なんというずば抜けた記憶力と演技力をもった頭脳であろうかとびっくりしました。たしか、同じ人で、二本の落語を聴いた覚えがあります。途中に休憩がありました。
 職場の先輩に誘われていきました。今思うと、たぶん先輩は彼女を誘ったけれど断られたか、都合が悪くなったかで、まだ若かったわたしを誘ったのでしょう。

 著者は、1966年生まれの方です。あいにく、自分は存じ上げません。これからこの本を読んでいろいろ知ります。

『これはやめとくかと談志は云った(いった)。』
 著者は、競艇選手になりたかったそうです。こどものころ、身近に競艇を知る環境がありました。
 背が高すぎて、体格的に試験に合格できなかったそうです。
 ふつう、背が低くて悩むのですが、いろいろあります。
 サラリーマン的な職業人は、著者のまわりにはいなかったそうです。職人ばかりだった。
 普通の会社員はけっこうつらいのです。会社のためにロボットのように働くのです。
 
 著者は当然、立川談志さんを尊敬されておられます。
 自分は、立川談志さんが、むかしむかしの笑点の司会者をしておられたところしか知りません。自分はまだこどもでした。その後、ご本人が、国会議員になられた姿をテレビでちらりと見ました。
 著者は、昭和59年3月に立川談志師匠のお弟子さんになられたそうです。1984年でした。(立川談志一門の落語協会脱会が、1983年(昭和58年)で、立川流を創設しています)

 もうずいぶん昔の話ですが、黒柳徹子さんのお名前が出てきます。黒柳徹子さんは、たいしたお方です。自分は、毎日のように『徹子の部屋』を見ています。三十代のころに黒柳徹子さんの講演会に行ったことがあります。90分間、機関銃のようにしゃべられたので、びっくりしました。

『新聞配達少年と修行のカタチ』
 ここまで読んできて、ああ、故立川談志さん(2011年75歳癌のため死去。本書は、2008年単行本として発行)とお弟子さんたちとの実際にあった出来事をエッセイ(気ままに書き記した記録)にまとめてある本だと納得しました。一人前の落語家になるまでの修行日記、修行日誌です。
 タイトルの『赤めだか』の意味が書いてあります。赤いのは金魚です。成長できない金魚だから、いつまでたっても「めだか」扱いなのです。お弟子さんのことを意味しています。いくら餌をやっても育たないのです。(いくら練習をつけてやっても落語家としての能力が育たない)エピソード(ことがら)のもととなった立川談秋さんのことが書いてあります。(談秋:だんしゅうさんは、廃業されています)
 
 落語家が生きていく(食べて生活していく)システムがわかりやすく書いてあります。
 
 組織として、落語協会、落語芸術協会があります。

 お弟子さんたちは、立川談志さんのことを『イエモト』と呼んでいたことがわかる記述です。
 
 入門時の年齢として、立川談春17歳、談秋27歳、談々29歳。

 文脈は、落語を聴いているかのような文章です。

 『修業とは矛盾に耐えることだ』
 矛盾(むじゅん):つじつまがあわないこと。理屈が通らないこと。いきどおり(怒りとかあきらめ)を感じること。

 そこまでして、落語家になった理由はなんだろう。
 理由は、金(カネ。稼ぎ(かせぎ))ではないのでしょう。
 年収1000万円の高収入だったのに、サラリーマンを辞めて落語家になった笑点の新メンバー『桂宮治(かつら・みやじ)』さんの顔が頭に浮かびました。

『談志の初稽古、師弟の想い』
 この本を読みながら、同時期に、マンガコミック『ヒカルの碁』を読んでいるのですが、そちらも、囲碁の師弟関係が描いてあります。
 落語とも共通する部分があると感じながら、両方の本を読み続けています。

 立川談志:1935年(昭和10年)-2011年(平成23年)75歳没
 立川談春:1966年(昭和41年)-
 著者の立川談春さんが、17歳の時に、立川談志さんは48歳です。
 談春さんは談志さんに『坊や』と呼ばれていた。
 同時期に本に出てくるのが、以下の方たちです。
 立川志の輔:1954年(昭和29年)-立川談春さんの1年半先輩。立川談春さんからみて、志の輔兄さん。年齢はひとまわり上(12歳上)番組「ためしてガッテン」が今春で終わってしまいました。
 立川志らく:1963年(昭和38年)-立川談春さんより3歳年上。談春さんより後輩だけど先に真打になられたので、自分よりも先輩の立場にある人という微妙な扱いのことが、最後のほうにある談春さんのエッセイに書いてありました。

 道灌(どうかん):落語の演目。室町時代後期の武将「太田道灌」雨具を借りようと一軒のあばら家に立ち寄った話。

 良き言葉として『型をつくるには稽古(けいこ)しかないんだ』『談志の弟子になれたということで満足している奴等ばかりだ。』

『青天の霹靂(へきれき)、築地魚河岸修行(つきじうおがししゅぎょう)』
 築地(つきじ)と聞いて、なにやらしばらく前に、不祥事を起こしたお笑いコンビのタレントさんを思い出してしまいました。このエッセイに築地で働こうとしたきっかけがあるのだろうか。
 師匠である立川談志さんの指令で、弟子たちが、東京築地市場で一年間働かされます。
 落語となんの関係があるのだろうかと思い悩みますが、弟子たちは、破門にされたくないので従いました。著者は18歳です。
 読んでみると、早朝から正午ぐらいまで働いて、月5万円のバイト賃をもらって、退職の時には、50万円をもらって、市場の人たちの人情に触れて、心が成長して、けっこういい体験になっています。
 昭和59年ごろ(1984年)のことですから、バブル景気が始まる前で、日本経済が右肩上がりで元気が良かった時代です。
 いっぽう、その後入門してきた立川志らくさんが、談志師匠の指令である築地市場で働くことを断って、さらに、ならば破門だという話も拒否して、立川談志一門で生き残ったということも、またすごいエピソードでした。
 立川志らくさんの言葉として『私は、自分のしたくないことは、絶対にしたくないんです。師匠はわかってくれました』とあります。たいしたものです。

『己の嫉妬と一門の元旦』
 この部分を書いている前夜、たまたま、千鳥の『相席食堂』に、立川志らくさんが、ひとり旅のゲストとして出ておられました。
 まじめな人で、落語を深く、強く愛しておられることがよく伝わってきました。
 ただ、人とのコミュニケーションはにがてなようすでした。
 芸能人やタレントさんたちは、意外に人見知りな人が多い。芸名の人物(自分とは別の仕事用の個性)を演じるということは得意な人たちです。
 この「己の嫉妬と一門の元旦(おのれのしっとといちもんのがんたん)」という項目のエッセイでは、立川談春さんの立川志らくさんに対する嫉妬(やきもち。立川志らくさんが、立川談志さんから落語で高評価をもらっている)が書いてあります。されど、時期としては、立川談春さんが、19歳のころ、立川志らくさんが、22歳ぐらいのころですから、もうずいぶん昔のお話です。
 立川談志さんの良き言葉として『負けるケンカはするな』
 立川志らくさんの落語に関する高い能力が紹介されます。立川志らくさんは、生活していくために落語に没頭するしかなかったそうです。夫婦で貧乏暮らしを体験されています。
 夫の立川志らくさんが22歳で、奥さんが20歳で、お金がなくて、米粒なしの麦飯を食べていたとあります。(わたしは、小学校一年生ぐらいまで、半分米、半分麦の麦ごはんを食べていました。この部分を読んでいて思い出しました)

『弟子の食欲とハワイの夜』
 この部分は、愉快で、秀逸です。今年読んで良かった一冊になりました。
 立川談志さんの個性とわたしの亡父の言動とか行動が重なりました。うちの親父(おやじ)は40歳で病死してしまいましたが、ふたりの豪快で大胆な言動が似ています。同じぐらいの年齢層だからということもあるのでしょう。人目は気にしないし、自分がやりたいことをやりたいようにやってしまいます。
 変則的な話です。立川談志さんは、家族のためによかれと思って、練馬区に大きな家を購入したのですが、家族は不便だからと言って引っ越しを嫌がり、代わりに十人ぐらいの弟子たちがその家に出入りしています。そのことがらみのエピソードが列記されています。
 立川談志さんが落語協会を脱会して、立川流をつくったことも書いてあります。弟子たちへの影響は大きかった。
 貧乏でもたくましいメンバーたちです。心が洗われます。お金がないからといって、クヨクヨするな!と今どきの若い人たちに言いたい。
 
 心に響く言葉がいくつかありました。読んで納得します。
 『近頃の……親なんていうのは、信じられないような甘ちゃんで、子供より先に親を修行させた方がいいんじゃないか……』
 『馬鹿息子に限って高学歴な場合が多い……最後はケツ割るんだけどね(辞めて逃げていく)』
 『君の青春を徳俵(とくだわら。すもうの言葉)にかけてみないか』すもう部屋にスカウトされたことがあるというお弟子さんがらみのお話。
 
 バブル景気最高潮のときによくあった話ですが、みんなでハワイ旅行へ行かれています。
 まあ本に書いてある内容はドタバタ騒ぎで笑いました。
 以前読んだ、リリー・フランキーさんの小説作品『東京タワー』でも、親族旅行でハワイに行ったら、たしか、リリー・フランキーさんのおかあさんたちが、ワイキキにある高級ホテルのプールで、スーパーマーケットのポリ袋を水泳キャップがわりに、頭にかぶって泳いでいたら、まわりの人たちが引いていたというような記述があったのを思い出しました。
 こちらの本でも立川談志さんたちの似たような体験が記されています。ももひき姿で、海に入っておられます。

『高田文夫と雪夜の牛丼』
 高田文夫:1948年(昭和23年)- 放送作家、タレント
 
 カラオケの話が出ます。なつかしい曲ばかりです。「いちご白書をもう一度」「見上げてごらん夜の星を」「わかってください」「恋(松山千春)」「おゆき(内藤国雄)」
 
 落語家の『勉強会』というものがどういうものかわからないのですが、お客さんたちの前で落語を発表する会のようです。
 立川談志さんから、前座(立川談春さんと立川志らくさん)の勉強会は認めないと言われます。
 勉強会というものは、二つ目になってからでないとやれないそうです。
 発表する場が無ければ、けいこにも力が入らない気がするのですが、上下関係のしきたりがあるのでしょう。
 176ページの夜中のウンコの話には笑いました。おもしろい。

『生涯一度の寿限無と五万円の大勝負』
 エッセイにある冒頭の文章です。『17(才)で入門した春に、目標をひとつだけ決めた。22才までに二ツ目になる』(格付けとして「見習い」→「前座」→「二ツ目」→「真打(しんうち)」)
 思うに、落語家になるということは、大学受験に合格するよりもむずかしい。
 著者は、高校を中退して立川談志一門に入門しています。中学卒で入門する人もいるでしょう。
 「二ツ目」になるためには、とりあえず、落語を五十席(せき。作品数)覚えて、じょうずにしゃべることができるようにならねばならないそうです。
 あの長い話を暗記して五十もしゃべることができるということに驚くのですが、本物の落語家は、20年ぐらいかけて、150から200ぐらいの話ができるようになるそうです。
 とてもまねできません。その道の天才、秀才です。
 職人仕事は、学歴を排除します。
 いい言葉として『目標は誓いに変わった』
 入門しても辞めていく人の数は多い。

 さらにいい言葉として『唄や踊りが嫌いだという奴に伝統芸能をやる資格はない』

 お金がない著者のギャンブルの話がありますが、人生というものは、プラスマイナス0(ゼロ)でよしという気分になれます。強欲になってはいけません。

 著者の記憶力がすごい。文章作成能力もすごい。
 226ページ付近の記述には、感嘆しました。(すばらしさに感心しました)

 根田(ねた)として『包丁』(作品名)
 自分が、ずいぶん前に買った落語の本『決定版 はじめての落語101 講談社』というのを今、本棚から出して見ているのですが、この本にはありません。残念。

 人生には「お祭り」が必要です。
 毎日どんちゃん騒ぎをするのではなく、たまにお祭り騒ぎをして、思い出をつくるのです。

『揺らぐ談志と弟子の罪 立川流後輩達に告ぐ』
 『修業とは、矛盾に耐えることです(矛盾:つじつまがあわないこと。理屈にあわないこと)』『修業はつらいよ、上の者が白いと云えば(いえば)黒いもんでも白いんだよ……』
 弟子もたいへんですが、師匠もたいへんです。
 落語界の組織のことが書いてあります。『〇〇一門(いちもん)」と書いてあります。相撲部屋に似ていると理解しました。『〇〇部屋』です。日本伝統の社会です。

 落語の格付けアップの試験は、落とすための試験ではない。能力が基準に達していればだれでも昇格できる。
 実力がないのに、受験を繰り返す人に悩まされている。どうにもこうにも力がないのに、挑戦を繰り返している。あきらめてほしいのに、あきらめてくれない。もはや、病気のようです。落語が、素人(しろうと。未経験者)以下の技術のお弟子さんもいるそうです。

 『立川談志(イエモト)は、(たぶん情(じょう)があつく、気持ちが)揺らぐ人だった』

 エッセイの最後のほうは、立川談志師匠の病死が近づいているというような含みをもった文章でした。

『誰も知らない小さんと談志 -小さん、米朝、ふたりの人間国宝』
 なかなか思いお話でした。
 組織の役職者は、組織を背負って話をします。役付きの立場で話をします。
 自分の本音ではしゃべりません。与えられた役割をロボットのようになって実行します。
 自分の本音と組織の目標とか対応が一致しないとか、反対であるということは、よくあります。組織と自分を守るために耐えるしかありません。
 立川談志さんが、落語協会の真打の選考のあり方に反発して、同協会を脱会した。(自分の弟子を、自信をもって送り出したら落とされた(年功序列とかあるようです))
 当時の落語協会会長が、立川談志さんの師匠である柳家小さん師匠です。柳家小さん師匠は、落語協会の会長の立場があるので、弟子である立川談志さんを破門しました。(はもん:師弟の関係を絶って一門から追放する)
 立川談志師匠の弟子である立川談春さんは、真打(しんうち。落語家の高位の格付け)になるにあたって、互いに対立した、そして今も対立しているらしき、立川談志師匠と柳家小さん師匠というおふたりの協力が必要です。
 時は流れて、おふたりともお年寄りになられています。おふたりの本音は和解です。(世間に公表しなくてもいい和解です)
 
 富久の久蔵(とみきゅうのきゅうぞう):「富久(とみ)」が古典落語の演目。久蔵は登場人物。

 著者の立川談春さんは、さだまさしさんとのんで、アドバイスをもらっています。
 『……談春にしかできないことは、きっとあるんだ……』

 包丁:古典落語の演目。

 1997年(平成9年)真打昇進した著者立川談春は31歳。立川談志61歳。柳家小さん82歳。落語協会の脱会騒ぎ1983年(昭和58年)

(この本の成り立ちとして)
 2005年(平成17年)から、扶桑社の文芸季刊誌「en-taxi(エンタクシー)」に、あしかけ三年間連載した。
 著者39歳ころの執筆。
 2008年(平成20年)単行本発行。
 2015年(平成27年)文庫発行  

Posted by 熊太郎 at 07:25Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月06日

つくしちゃんとおねえちゃん いとうみく

つくしちゃんとおねえちゃん いとうみく・作 丹地陽子・絵 福音館書店

 おはなしが5つあります。
 全体をざーっとめくりました。
 絵本のようです。絵がいっぱいかいてあります。
 植物の『つくし』は最近みかけなくなりました。成長すると『スギナ』になると思っていましたがどうも違うようです。同じ植物で、最初につくしが出て、つくしが枯れると、スギナが顔を出すそうです。
 つくしは、朝の散歩道でさがせばあるのでしょうが、なかなか目につきません。老眼で、手元にあっても見えないことが多くなりました。記憶力とか認知力の低下があって、目の前に探しているものがあっても認識できない時があって、自分で自分にがっかりします。
 この絵本の「つくし」というのは、女の子のお名前で、たぶん、小さいお子さんなのでしょう。

 さて、読み始めます。

「いばりんぼう」
 文章と絵に、こどもの世界があります。
 自分がこどもだったときの世界が、本の中にあります。
 あまやどりのお話です。
 自分が小学校一年生のときに、母親が弟を連れて、傘をもって、小学校まで来てくれたことを思い出しました。
 登場するのは、おねえちゃん(4年生。10歳ぐらい)、お話をしてくれるのは、2年生(8歳ぐらい)の女の子です。
 おねえちゃんは、頭が良くて、本読みができて、ピアノの演奏ができるそうです。たいしたものです。おねえちゃんは、おこりっぽくて、いばりんぼうだから、プライドが高いのでしょう。(自尊心(じそんしん)。自分を大切にする心もち。人からばかにされたくないという気持ちが強い)
 おねちゃんは、右足に障害があるようです。少し右足をひきずって歩きます。早歩きや走ることはできないそうです。
 おねえちゃんのお名前が『かえで』であることがわかります。
 ほかに、いとこで6年生の『まーくん』とか、同じクラスで、つくしの隣の席に座っている『みつき』の名前が出てきます。主人公の名前は『つくし』です。

 つくしは、おねえちゃんのかえでに『ちび』といわれることがきらいです。
 家によって兄弟姉妹の関係をどう扱うかという違いがあります。上下関係か、同等かです。
 兄弟姉妹とかがいると、上をおにいさんとか、おねえさんと呼ばせる親と、ふたつの人格を同等とか公平にとらえて、お互いに名前とか愛称で呼ばせる親がいます。
 上下関係があるパターンとないパターンがあります。
 体格差があるので、小さいうちは、なにかと上のほうが有利ですが、やがて、同じになるか、体格で、下が上をぬくこともあります。
 究極をいうと、(きゅうきょく。とどのつまり、最終的には)、兄弟姉妹というものは、昔からライバル(敵)でもあります。成長するにつれてだんだん差が生まれてきます。なかなかむずかしい関係が生じたりもします。
 
「あと五分(ごふん)」
 朝の小学校への登校です。
 つくし姉妹は、いっしょに小学校へ行くようですが、右足が悪くてゆっくり歩く姉のほうが、先に家を出ます。
 つくしは、朝起きるの遅いので、家を出発する時刻も姉より遅くなってしまうのです。
 あわてておねえちゃんを追いかけるつくしです。
 読んでいて思ったことです。
 通学路には危険があるから、ゆっくりでいいよ。
 けがをしないように、交通事故にあわないように、小学生で一番大事なことは、生きていることです。死んだらだめです。ちこくしてもいいから、ぶじに学校まできてください。
 トラブル発生です。登校途中で、けしごむを落として見失ったつくしです。
 めげなくていい。けしごむぐらい、おじいさんが、また買ってあげるよ。

 兄弟姉妹の上の世代は、先駆者(せんくしゃ。知らない世界を切り開いていく人)です。
 下の子は、上の子の体験を知って、自分が上と同じことをするときには楽ができます。

 つくしは、おこられることをとても心配していますが、心配しなくていいんだよ。
 人から怒られたってかまわない。
 親も教師も、こどもが生きていてくれればいいと思っています。
 
「ドッジボール」
 絵がいっぱいあるので、絵本を読むような気分で読み続けています。
 物語には、つくしさんに、心のやさしい人になりなさいよというメッセージがふくまれています。
 おねえちゃんのように、がんばっている人を応援してくださいというメッセージもあります。
 右足が悪い人でもパラリンピックをめざすという道もあります。
 運動をできないとか、運動をしてはいけないとか、そういうことはありません。
 
 子育ての極意(ごくい。大事なこと。いい秘訣(ひけつ)、コツ、良きやり方)は『ほめる』ことです。
 ほめられると、うれしくなって、さらに努力します。
 けなすと、元気がなくなって、やる気も失ってしまいます。
 少しでもいいなと思うところがあったら、ほめましょう。

 れんしゅうしてもうまくなれないこともあります。
 がっかりします。
 自分には、これは向いていないなとわりきって、また別のことをやってみましょう。

「なみだ」
 フェルト:布(ぬの)、ヒツジやラクダなどの動物の毛が材料。化学繊維(かがくせんい)もあり。

 おねえちゃんのかえでは、ともだちの誕生日のプレゼントとして、手芸をしています。ネコのマスコットをつくっています。
 でも誕生日会から帰ってきたかえでは泣いています。自分がつくったプレゼントとみんなが持ちよったプレゼントを比較して、自分がつくったネコのマスコットは貧そう(ひんそう)だったようです。(ひんそう。びんぼうくさくて、みすぼらしい。みっともない)
 かえでは、とっても負けずぎらいで、プライドが高い。みじめな思いはしたくない。自分がハンデキャップを背負っていることで同情されたくない。ハンデキャップ:不利な条件。

 『比較』はむずかしい。喜ぶ人と悲しむ人が同時に現れる現象です。勝負に勝って喜ぶ人がいれば、勝負に負けて泣く人がいます。勝ったり負けたりが『勝負』です。同じ人でも勝つときもあれば負ける時もあります。全戦全勝とはいきません。

「ごめんなさい」
 町内のおまつりがあるそうです。
 かえでは、友だちと行くので、つくしをおいてきぼりにします。
 まあ、小学二年生なら、ひとりでおまつりにいけないこともないような気がします。
 お母さんも非協力的です。
 思えば、かんじんなときに、こどものそばにいてくれない親っています。
 親をあてにしないほうがいい。
 自分のことは自分でやったほうがいい。
 自分の力でやれると、自信がつきます。

 それでも最後は、かえでがつくしを助けてくれました。
 なにか、この物語の下地になる体験話があるのでしょう。

 最後の見開き2ページがおもしろかった。
 『おねえちゃんのばか』です。
 兄弟姉妹はぶつかったり離れたりしながらおとなになって、おとなになったら、たまにしか会わなくなったりもします。
 新しい相方(あいかた。恋人とか、夫婦とか)を見つけるのです。


(追記)
 昨夜見ていたテレビ番組『モニタリング』に、三組の兄弟姉妹が出ていました。
 弟や妹たちが、兄や姉をだますわけです。
 何も言わずにお金を貸してくれとか(かなりの大金です)、妹の誕生日のお願いとして、姉が嫌いなヘビをペットとして飼いたいとか、今、変な異性につきまとわれて困っているとか。
 ふつうなら、兄も姉も怒って、お金はなかなか貸さないし、イヤなことはイヤだと断わります。
 しかし、三組の兄も姉も、弟、妹思いの人たちで、びっくりしました。
 お金がある人たちだから、心に余裕があるのだろうとも思いました。
 あとは、プロスポーツ界、芸能界で働くということは、理屈ではなく、気持ちで働くということなのだろうと考察しました。
 兄、姉の覚悟と度胸はたいしたものでした。
 他人の友人・知人よりも血を分けた肉親との関係を重視したいということもあるのでしょう。信頼関係です。生まれてから長年、いっしょにがんばってきたのです。実績がある関係なのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月03日

すうがくでせかいをみるの ミゲル・タンコ

すうがくでせかいをみるの ミゲル・タンコ作 福本友美子訳 西成活裕監修 ほるぷ出版

 おもしろそうなことが書いてありそうだなと期待をもって読みましたが、そうでもありませんでした。
 わかりにくい。
 うーむ。なにが書いてあったのだろう。

 作者はスペイン人です。
 日本人の感覚だとわからないスペイン人の感覚なのだろうか。

 主人公の女子がいて、パパがいて(絵を描く)、ママがいて(顕微鏡をのぞきながら研究をする)、おにいちゃんがいます(金管楽器のホルンらしきものを吹いて演奏する)。
 主人公が学校に行くと、同級生たちがいて(スペインだからフラメンコを踊っているように見えます)、料理をする生徒がいて、バトミントンや野球あるいはソフトボール、空手なんかをするこどもたちがいて、やっぱり楽器を演奏する子もいるようです。
 絵を描く授業があって、女の先生がいて、というところまでいって、ようやく、数学の話が出てきます。
 公園で、公園にある遊具が(ジャングルジムとか、山みたいな造形物とか)図式化されていくような雰囲気があって、池の水の波紋(石を投げたら水面にできる円い輪の重なり)が、数学に関連付けられていきます。

 窓の外にヨーロッパの石造りの建物がたくさん立っています。建物の形の集合が、数学と示されています。
 公園のすべりだいのすべる部分は『曲線』という数学です。

 『数』の観念(考え)と数式(割り算)の楽しみが提示されます。

 空中を飛ぶ紙飛行機も数学です。

 『数学で世界を見る』で、いったん絵本は終わって、『数学ノート』というページに移ります。
 『フラクタル』というものの解説があります。同じ図形の中に同じ図形が入っている。同じ形の中に小さい同じ形があるという意味らしい。
 調べたら、フランスの数学者が導入した幾何学だそうです。(きかがく:図形や空間の性質について研究する。測量のために古代エジプトで生まれた学問)

 話は、『多角形』『同心円』『いろいろな曲線』『立体図形』『いろいろな軌道』『集合の種類』へと発展、進化していきます。
 ゆっくり、じっくり読みこむと、味わいが生まれてきます。

 異色な絵本です。

 前半の話と後半の話のつながりが、しっくりきません。

 世界という空間にたくさんの物があるということは、実感できます。
 物には形があって、ときには、速度があって、動きがあって、おそらくそれを数学では『運動』と呼ぶのでしょう。
 そして、集まりがあって(集合)、集まりがあれば、分類が生まれるのでしょう。

 さて、もう1回最初から読みます。

 主人公の女の子は、頭髪がぼさぼさですが、きちんとセットされていて、髪の毛が棒のようになって天井に向かって突っ立っています。この髪の毛の状態も『数学』ではなかろうか。
 おちゃめそうなその女の子は、床の上でボードゲームをしているけれど、なんのゲームかわかりません。オセロではないし、囲碁でもない、五目並べでもない。しばらく考えましたが、やっぱりわかりません。わからないことが多い絵本です。

 パパは大きなキャンパスに正面ななめ横から見た大きなゾウの油絵を描いています。
 先日観たテレビ番組『徹子の部屋』にゲストで出ていたジミー大西さんを思い出しました。
 絵本では、髪の毛とヒゲがぼうぼうのパパです。白と赤のボーダー(太い縞(しま))もようのシャツを着ています。その行為に『数学』はなさそうです。

 メガネをかけたママがのぞいている顕微鏡のまわりには、虫みたいなものがいっぱいです。サソリみたいなものもあります。カタツムリ、ヘビ、名前のわからないにょろにょろしたもの。気持ちが悪い。

 おにいちゃんが吹いている吹奏楽部で使うような金管楽器は、ホルンか、チューバに見えます。
 うむ。なかなか『数学』とつながりが見つかりません。

 フラメンコダンス、バレエダンス、料理、習字? カラオケ歌唱、バトミントン、野球、ソフトボール、空手、ホルン、トランペット、やっぱり『数学』が見つかりません。

 ようやく、絵を描く教室で『数学』が見つかります。
 主人公女子の声として、でも、ひとつだけ、これだ! っておもったのが…… 『すうがく!』
 少女の目の前にあるキャンバスには、幾何学模様に見えるような数式と図があります。(どうしてあなたのようなちびっこに書けるのよ?!)
 
 ものごとを数値や記号や図に置き換えて考えます。
 計算をして、プランを立てます。未来に向かって、計画を立てるということです。
 数学の天才の脳みその中は、言葉や単語ではなく、図や矢印などの記号が動き回っているのでしょう。
 天才は、文章では考えないのです。
 形や数値で考えるのです。
 なかなか、ちびっこの読者には、なじめないこの絵本です。
 おとなの助言が必要です。
 助言できるおとなは少ない。
 
 茶色系統の色合いが心地よい(ここちよい)です。

 ページにある『数学ノート』以降は、むずかしすぎる。ひとつひとつの絵を指でさしながらちびっこに説明が必要です。
 自分は、五十代後半のときに、脳に血がたまる病気をして、脳みそが圧迫される状態になったときに、たくさんの幻視を見ました。そのときのことを思い出しました。幻想的な風景でした。脳の中で、図形や記号のようなものがたくさん出てきて踊るのです。規則的な動きでした。
 今回この絵本を読んで、脳の病気を体験した時のことがよみがえりました。
 もしかしたら、そのとき、自分は天才の脳を体験できたのかもしれません。  

Posted by 熊太郎 at 06:36Comments(0)TrackBack(0)読書感想文