2021年12月10日
一九八四年 ジョージ・オーウェル
一九八四年 ジョージ・オーウェル 高橋和久・訳 ハヤカワ文庫
有名な小説ですが、読むのは初めてです。
以前は同作者の「動物農場」を読みました。もうなくなりましたが、内容は、ソビエト連邦共和国のことでした。作者は社会主義を否定しているのではなく、正しい社会主義を目指していると受け取りました。
独裁者の国、全体主義の国、いまでも世界各地に存在する国家統治の手法です。最近は、国民に対して強権的な国家が、力を付けてきている印象があります。
「動物農場」同様、この本も同じような内容なのでしょう。
言論統制があります。
表現の自由は認められていません。
(第一部)
場所は『オセアニア』というところです。(オセアニアは通常オーストラリアやニュージーランド周辺をさしますがこの本の場合は同地域以外にも広がりがあります。ほかに、ユーラシアとか、ロンドンの地名が出てきます。ユーラシアはユーラシア大陸を思い浮かべます。旧ロンドン地域にはロケット弾が撃ち込まれている。主人公は、オセアニアに含まれる旧イギリス国のロンドンに住んでいる)
『ビッグ・ブラザー』の党がオセアニア地域を支配しています。
1950年代に起きた第三次世界大戦が終わったあとで、地球は核兵器でかなり破壊されている状態のようです。現実とは一致しませんが、1984年の設定です。地域同士の兵器を使った争いは続いています。
四月の寒い日、十三時から始まります。
主人公が、ウィンストン・スミス39歳、離婚できない妻がいる。国家真理省記録局職員です。ミニストリー・オブ・トゥルー。党員です。小柄できゃしゃな体つきをしている。歴史記録の改ざん処理(悪用するための書き直し)が仕事です。デリケートな偽造作業だそうです。ヴィクトリーマンションに住んでいる。
テレスクリーン:人々の言動をあらゆるところで監視する機械製品。今でいうところの監視カメラとか防犯カメラみたいなものなのでしょう。
本作は、1949年の作品です。昭和24年です。1989年は、35年後です。
ジュリア:自分の思うままにふるまう美女。虚構局勤務。26歳。小説執筆機の操作と修理。スパイを職としていた経歴あり。彼女の祖父は蒸発させられた。
エマニュエル・ゴールドスタイン:ビックブラザーと並ぶ地位にあったが追放された。人民の敵とされている。
オブライエン:党中枢の一員。大柄でたくましい体格。ウィンストン・スミスの味方のようで、実は敵。
憎悪週間:エマニュエル・ゴールドスタインを憎悪する週間らしい。
思考警察:回線に接続して情報を調べる。
ニュースピーク:オセアニアでの公用語。本書では、<二重思考>という単語が紹介される。
真理省:報道、娯楽、教育、芸術を管理している。
平和省:戦争を担当している。
愛情省:法と秩序の維持を担当している。建物にはいっさい窓がない。
潤沢省:経済を担当している。
なにかしら、むかし問題を起こした宗教団体のようでもあります。
ウェストン・スミスが日記を書くらしい。一九八四年四月四日から始まります。昨夜、映画を見に行ったとあります。
彼の記述した内容は、数年前の現実社会において、シリア難民が乗る船が地中海で遭難して、幼いこどもさんが海にほおりだされて亡くなった事実を思い出させてくれます。
プロール席:プロールとは人間に付けられた階級。貧しい階級をさす。支配されている労働者階級。プロールは人間じゃないという評価あり。(主役のウェストン・スミスは、プロールではない)
ときおり出てくる標語が、
『戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり』です。
この地オセアニアは、いつも戦争状態にある。奴隷のような境遇が自由であることである。無知がいいことである。めちゃくちゃな理論です。
ミセル・パーソンズ:主人公のウェストン・スミスと同じマンションの同じ階に暮らす隣人の妻。30歳ぐらい。夫がいて、9歳男児と7歳女児がいる。こどもたちの遊びが『お前は裏切りものだ!」「強制労働に送ってやる!」「ぼくたちは、絞首刑を見に行きたい!」と言い合うぶっそうなやりとりです。
彼女の夫が、トム・パーソンズ。
『お前はすでに死んでいる』どこかで聞いた言葉です。
『今日あるのは恐怖であり、憎悪であり、苦痛だった』
なんとひどい世界でしょう。
イギリスのコルチェスターという土地に原子爆弾が落とされたそうです。
オセアニア対ユーラシアの戦争があります。オセアニアとイースタシアという地域は同盟関係にあるそうです。
イングソック:意味はまだわかりません。(58ページあたりを読んでいます)オールドスピーク(標準英語という言語で、イングソックは、イギリス社会主義というらしい)
イングソックは、全体主義という意味かもしれません。個人の自由を認めない。国家が政治と思想を統治する。国家の利益を最優先とする。
全体主義の社会では、プロールと呼ばれる奴隷扱いの階級以外は、全員が公務員のようです。
記憶穴:なにか書かれたいらない紙を処分する穴。
チョコレートがどうこう。チョコレートになんらかの意味があります。
サイム:ウェストン・スミスの同僚。友人。同志。洗脳されている。ウェストン・スミスによれば、サイムはすでに死んでいる。存在が抹消された<非在人間>
オールドスピークからニュースピークに言語が変化することについてのこだわりあり。
ウェストン・スミスが書いている日記は事実なのか虚構なのか。本人は、自分の記憶が確かなものなのかどうか自信がありません。不確かな過去の時代の記憶です。自分に妻がいたのかどうかも自分で疑っています。妻の名前はキャサリンです。思うに、書かれたことは事実なのでしょう。
男女の作業である「赤ちゃんづくり」は、「党に対する義務」です。こどもは労働力です。
オセアニアの人口の85%がプロール(最下級の奴隷扱いの人類)です。女子は炭坑で働いているそうです。残りの15%が資本家です。資本家の頭が(かしらが)国王です。
ウェストン・スミスによる資本家に対する力強い分析と批評が続きます。ウェストン・スミスの精神は、労働者の側の立場にいます。
ウェストン・スミスが書く日記のなかの登場人物として、三人の男がいます。
三人は1965年に逮捕された経歴があります。スパイ容疑、公金横領の罪ほかです。
ジョーンズ
エアロンソン
ラザフォード
三人は再罪を犯し処刑されています。
『その方法はわかる。その理由がわからない』
『自由とは二足す二が四であると言える自由である』
本当のことを公に発言できないのが、全体主義の社会のようです。
(第二部)
第二部は『あなたが好きです。』から始まります。どうやってあの娘(ジュリア)と接触すればいいのか。精神的な結びつきよりも肉体的な結びつきが先にきます。男女の行為は政治的行為だと、のちに記述されます。異常です。
なにやら男女関係、恋愛小説のような、肉体小説のような記述と文脈に変化してきました。
村上春樹作品を読むようです。
第二部にどんな意味があるのだろう。
ウィルシャー:カブトムシに似たのっぺりとした顔に小さな目が付いている。小柄で身のこなしが素早い。金髪。
アンプルフォース:髪を耳まで垂らした(たらした)男性詩人。
ミスター・チャリントンの店:レストラン風です。第三次世界大戦以前の歴史資料を見ることができる場所となっている。
自己欺瞞:じこぎまん。自分の本心に反した自分の言動を、自分で無理に正当化すること。
第三次世界大戦後、くだものの「オレンジ」も「レモン」も地球上からなくなった。
だんだん内容の意味がわからなくなってきた228ページ付近です。
革命:急激な変化。国家権力の質的転換。政治、経済、社会体制の変化。
ウェストン・スミスの過去の正確な記憶がよみがえってきます。ユダヤ人のこと、母親のこと、自分が自分勝手な性格をもっていたこと。
伏線のチョコレートの話が出てきます。ウェストン・スミスは、配給されたチョコレートを独り占めしようとするのです。
ストレスを解消するために人種差別をする。ユダヤ人大虐殺のイメージがあります。
『プロールたちは人間なんだ』
ウェストン・スミスたちの政党グループは、ナチス・ドイツに属する人間を意味しているのか。
マーティン:小柄で黄色い顔をした召使い。オブライエンいわく、われわれの仲間である。
『寡頭制集産主義の理論と実践(かとうせいしゅうさんしゅぎ)』エマニュエル・ゴールドスタイン
この世界には、三種類の人々が存在してきた。「上層」「中間層」「下層」である。
このパターンは常に現れる。必ずもとに戻るジャイロスコープのようだ。(角度を検出する計測器)
ロシアがヨーロッパを併合した。(イギリスを除く)→ユーラシア
アメリカ合衆国が大英帝国を併合した。→オセアニア
日本列島、満州、中国、チベット、モンゴルあたり→イースタシア
三国は、永遠に戦争状態にある(ようにみせかけられている)
「生産」と「消費」は、国ごとに自己完結できるようになった。自己充足的な経済が確立した。
だとすると、なぜ、「戦争状態」をつくりだしているのか。
戦争の第一の目的→生活水準を上げずに、機械による製造品を消費しつくすこと。
権力は少数の特権階級が握っている
国民全員が、学習して知恵がつけば、特権階級は権力を失う。
階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り成立しない。
支配者が、国民に偽(にせ)の情報を与えて、民衆の心をコントロールする社会です。
『現在の戦争は単なる詐欺行為に過ぎない』『そもそも国同士が戦いを交えていない』『真の恒久平和とは永遠の戦争状態と同じ→ゆえに、「戦争は平和なり」となる』
次に、『無知は力なり』についての考察
さきほどと同じく、人間の分類として「上層」「中間層」「下層」から始まります。
「上層」の目的は、現状維持。「中間層」は、上層と入れ替わること。「下層」は目的をもっていない。単調な労働で、しいたげられている。下層にいる人間は、自分の日常生活のことしか意識していない。
オセアニアのイングソック、ユーラシアのネオ・ポルシェヴィズム、イースタシアでの死の崇拝と呼ばれる教義(いずれも全体主義を表していると思われます。後述で、ロシア共産党とかナチス・ドイツが出てきます)
いずれも「非自由」と「不平等」を永続させるという狙いがあった。
印刷技術の発達と映画やラジオによって、「世論の操作」が容易になった。
寡頭政治(かとうせいじ):少人数の支配者による政治
私有財産の廃止(財産は国家のもの)によって、少数の人間に富が集中した。
グループが権力を失うとき。
①外部の力に征服される。
②無能な統治で大衆が反乱を起こす。
③中間層にくつがえされる。
④自らが自身と意欲を失う。
だれも「ビッグ・ブラザー」を見たことがない。
国民の教育水準が下降し続けている。
大衆が、社会や政治に関心をもたない。
法律は存在しない。
黒を白と信じ込むことができる能力をもつことは、忠誠心を意味する。
『二重思考』という思考方法をもつ。
過去は変わりやすい。意図的に過去を変える。歴史の出来事を支配者の都合のいいように変える。
読んでいると、何が本当なのかわからなくなってきます。そして、第三部は、『自分がどこにいるのか分からなかった』から始まります。
(第三部)
ウェストン・スミスは、捕まって、収容所らしきところに入れられて、拷問を受けて、電気機械らしきもので脳に電気ショックを与えられて、薬物も注射されて、全体主義の思想を植え付けられて、思考が洗脳されていきます。自分の思考とか意思をゆがめられてしまいます。助かりません。かなりむごい。
彼だけではなくてほかにも犠牲者がいます。政治犯扱いです。
『過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする』
『現実は外部に存在しているのではなくて、現実は人間の精神のなかに存在している』
犯罪取り調べにおける冤罪(えんざい。無実の罪)のつくり方を見ているようです。
『彼らは人間の抜け殻になっていた』
カリスマなる人物をトップにおいて崇拝するという錯覚状態をつくって、人心をコントロールして、組織の維持をしていく手法です。
ウェストン・スミスの人格を修復するためには、「学習→理解→受容」の経過が必要とされますが、それは、「洗脳(権力者にとって都合のいい思想を植えつける)」の経過を意味します。
プロレタリアート:賃金労働者階級。労働力を売ることでしか収入の道がない。対する言葉が「ブルジョアジー」で資本家階級。
『われわれは権力の司祭だ』神と人間の仲介者。神は権力と考える。
ウェストン・スミスの予知として、(全体主義は)失敗する。
対する相手の言葉として『君は朽ちかけている(くちかけている)』
ウェストン・スミスの意識が『受容』のために変容していきます。(変化する)
『自由は隷従なり(れいじゅう。支配されて言いなりになる)』
『二足す二は五である』
『過去は改変可能である』
ウェストン・スミスは、権力者との共存のために意識が変容していきます。
謬見(びゅうけん):間違った考えや見解
ウェストン・スミスの意識の最後に残っていたのは、恋愛の相手である異性に対する強い愛情と依存でした。
ウェストン・スミスは、いつの日か射殺されることになるとありますが、その前に狂い死にしそうです。
最終地が『101号室』
101号室は地下深くにある。
飢えた巨大なネズミが人を食おうと待っている。
ホラー映画のようになってきました。
恐怖があります。
古代の中国で行われていた懲罰だと書かれています。
ただ事実かどうかは、自分は知りません。
ウェストン・スミスは、戦争について考えるのをやめました。
ようやく読み終えました。
ぼうだいな文字の量です。なかば流し読みの読書でした。
哀しいお話でした。
ディストピア小説です。(ユートピア小説の反対)
暗黒世界へと導かれます。
ウェストン・スミスは死にません。
違う人間に変化するのです。
てんびん座生まれの特性をもつ自分としては、全体主義者にも言い分があると思いたい。いつの時代にあっても、平行感覚は失いたくない。
人は生まれて自分のまわりにある環境に順応して生きていこうとします。標準化の波にうまくのれないと苦しみを味わうことになります。
それぞれの国には、長い歴史を経ての事情や特殊性があります。
お互いの立場が違うということを理解し、認め合って、それはそれ、これはこれで、区別してやっていかないと戦争が始まってしまいます。
『共存』をめざさないと共倒れになって、地球は荒廃し、人間の世界は滅びてしまいます。
有名な小説ですが、読むのは初めてです。
以前は同作者の「動物農場」を読みました。もうなくなりましたが、内容は、ソビエト連邦共和国のことでした。作者は社会主義を否定しているのではなく、正しい社会主義を目指していると受け取りました。
独裁者の国、全体主義の国、いまでも世界各地に存在する国家統治の手法です。最近は、国民に対して強権的な国家が、力を付けてきている印象があります。
「動物農場」同様、この本も同じような内容なのでしょう。
言論統制があります。
表現の自由は認められていません。
(第一部)
場所は『オセアニア』というところです。(オセアニアは通常オーストラリアやニュージーランド周辺をさしますがこの本の場合は同地域以外にも広がりがあります。ほかに、ユーラシアとか、ロンドンの地名が出てきます。ユーラシアはユーラシア大陸を思い浮かべます。旧ロンドン地域にはロケット弾が撃ち込まれている。主人公は、オセアニアに含まれる旧イギリス国のロンドンに住んでいる)
『ビッグ・ブラザー』の党がオセアニア地域を支配しています。
1950年代に起きた第三次世界大戦が終わったあとで、地球は核兵器でかなり破壊されている状態のようです。現実とは一致しませんが、1984年の設定です。地域同士の兵器を使った争いは続いています。
四月の寒い日、十三時から始まります。
主人公が、ウィンストン・スミス39歳、離婚できない妻がいる。国家真理省記録局職員です。ミニストリー・オブ・トゥルー。党員です。小柄できゃしゃな体つきをしている。歴史記録の改ざん処理(悪用するための書き直し)が仕事です。デリケートな偽造作業だそうです。ヴィクトリーマンションに住んでいる。
テレスクリーン:人々の言動をあらゆるところで監視する機械製品。今でいうところの監視カメラとか防犯カメラみたいなものなのでしょう。
本作は、1949年の作品です。昭和24年です。1989年は、35年後です。
ジュリア:自分の思うままにふるまう美女。虚構局勤務。26歳。小説執筆機の操作と修理。スパイを職としていた経歴あり。彼女の祖父は蒸発させられた。
エマニュエル・ゴールドスタイン:ビックブラザーと並ぶ地位にあったが追放された。人民の敵とされている。
オブライエン:党中枢の一員。大柄でたくましい体格。ウィンストン・スミスの味方のようで、実は敵。
憎悪週間:エマニュエル・ゴールドスタインを憎悪する週間らしい。
思考警察:回線に接続して情報を調べる。
ニュースピーク:オセアニアでの公用語。本書では、<二重思考>という単語が紹介される。
真理省:報道、娯楽、教育、芸術を管理している。
平和省:戦争を担当している。
愛情省:法と秩序の維持を担当している。建物にはいっさい窓がない。
潤沢省:経済を担当している。
なにかしら、むかし問題を起こした宗教団体のようでもあります。
ウェストン・スミスが日記を書くらしい。一九八四年四月四日から始まります。昨夜、映画を見に行ったとあります。
彼の記述した内容は、数年前の現実社会において、シリア難民が乗る船が地中海で遭難して、幼いこどもさんが海にほおりだされて亡くなった事実を思い出させてくれます。
プロール席:プロールとは人間に付けられた階級。貧しい階級をさす。支配されている労働者階級。プロールは人間じゃないという評価あり。(主役のウェストン・スミスは、プロールではない)
ときおり出てくる標語が、
『戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり』です。
この地オセアニアは、いつも戦争状態にある。奴隷のような境遇が自由であることである。無知がいいことである。めちゃくちゃな理論です。
ミセル・パーソンズ:主人公のウェストン・スミスと同じマンションの同じ階に暮らす隣人の妻。30歳ぐらい。夫がいて、9歳男児と7歳女児がいる。こどもたちの遊びが『お前は裏切りものだ!」「強制労働に送ってやる!」「ぼくたちは、絞首刑を見に行きたい!」と言い合うぶっそうなやりとりです。
彼女の夫が、トム・パーソンズ。
『お前はすでに死んでいる』どこかで聞いた言葉です。
『今日あるのは恐怖であり、憎悪であり、苦痛だった』
なんとひどい世界でしょう。
イギリスのコルチェスターという土地に原子爆弾が落とされたそうです。
オセアニア対ユーラシアの戦争があります。オセアニアとイースタシアという地域は同盟関係にあるそうです。
イングソック:意味はまだわかりません。(58ページあたりを読んでいます)オールドスピーク(標準英語という言語で、イングソックは、イギリス社会主義というらしい)
イングソックは、全体主義という意味かもしれません。個人の自由を認めない。国家が政治と思想を統治する。国家の利益を最優先とする。
全体主義の社会では、プロールと呼ばれる奴隷扱いの階級以外は、全員が公務員のようです。
記憶穴:なにか書かれたいらない紙を処分する穴。
チョコレートがどうこう。チョコレートになんらかの意味があります。
サイム:ウェストン・スミスの同僚。友人。同志。洗脳されている。ウェストン・スミスによれば、サイムはすでに死んでいる。存在が抹消された<非在人間>
オールドスピークからニュースピークに言語が変化することについてのこだわりあり。
ウェストン・スミスが書いている日記は事実なのか虚構なのか。本人は、自分の記憶が確かなものなのかどうか自信がありません。不確かな過去の時代の記憶です。自分に妻がいたのかどうかも自分で疑っています。妻の名前はキャサリンです。思うに、書かれたことは事実なのでしょう。
男女の作業である「赤ちゃんづくり」は、「党に対する義務」です。こどもは労働力です。
オセアニアの人口の85%がプロール(最下級の奴隷扱いの人類)です。女子は炭坑で働いているそうです。残りの15%が資本家です。資本家の頭が(かしらが)国王です。
ウェストン・スミスによる資本家に対する力強い分析と批評が続きます。ウェストン・スミスの精神は、労働者の側の立場にいます。
ウェストン・スミスが書く日記のなかの登場人物として、三人の男がいます。
三人は1965年に逮捕された経歴があります。スパイ容疑、公金横領の罪ほかです。
ジョーンズ
エアロンソン
ラザフォード
三人は再罪を犯し処刑されています。
『その方法はわかる。その理由がわからない』
『自由とは二足す二が四であると言える自由である』
本当のことを公に発言できないのが、全体主義の社会のようです。
(第二部)
第二部は『あなたが好きです。』から始まります。どうやってあの娘(ジュリア)と接触すればいいのか。精神的な結びつきよりも肉体的な結びつきが先にきます。男女の行為は政治的行為だと、のちに記述されます。異常です。
なにやら男女関係、恋愛小説のような、肉体小説のような記述と文脈に変化してきました。
村上春樹作品を読むようです。
第二部にどんな意味があるのだろう。
ウィルシャー:カブトムシに似たのっぺりとした顔に小さな目が付いている。小柄で身のこなしが素早い。金髪。
アンプルフォース:髪を耳まで垂らした(たらした)男性詩人。
ミスター・チャリントンの店:レストラン風です。第三次世界大戦以前の歴史資料を見ることができる場所となっている。
自己欺瞞:じこぎまん。自分の本心に反した自分の言動を、自分で無理に正当化すること。
第三次世界大戦後、くだものの「オレンジ」も「レモン」も地球上からなくなった。
だんだん内容の意味がわからなくなってきた228ページ付近です。
革命:急激な変化。国家権力の質的転換。政治、経済、社会体制の変化。
ウェストン・スミスの過去の正確な記憶がよみがえってきます。ユダヤ人のこと、母親のこと、自分が自分勝手な性格をもっていたこと。
伏線のチョコレートの話が出てきます。ウェストン・スミスは、配給されたチョコレートを独り占めしようとするのです。
ストレスを解消するために人種差別をする。ユダヤ人大虐殺のイメージがあります。
『プロールたちは人間なんだ』
ウェストン・スミスたちの政党グループは、ナチス・ドイツに属する人間を意味しているのか。
マーティン:小柄で黄色い顔をした召使い。オブライエンいわく、われわれの仲間である。
『寡頭制集産主義の理論と実践(かとうせいしゅうさんしゅぎ)』エマニュエル・ゴールドスタイン
この世界には、三種類の人々が存在してきた。「上層」「中間層」「下層」である。
このパターンは常に現れる。必ずもとに戻るジャイロスコープのようだ。(角度を検出する計測器)
ロシアがヨーロッパを併合した。(イギリスを除く)→ユーラシア
アメリカ合衆国が大英帝国を併合した。→オセアニア
日本列島、満州、中国、チベット、モンゴルあたり→イースタシア
三国は、永遠に戦争状態にある(ようにみせかけられている)
「生産」と「消費」は、国ごとに自己完結できるようになった。自己充足的な経済が確立した。
だとすると、なぜ、「戦争状態」をつくりだしているのか。
戦争の第一の目的→生活水準を上げずに、機械による製造品を消費しつくすこと。
権力は少数の特権階級が握っている
国民全員が、学習して知恵がつけば、特権階級は権力を失う。
階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り成立しない。
支配者が、国民に偽(にせ)の情報を与えて、民衆の心をコントロールする社会です。
『現在の戦争は単なる詐欺行為に過ぎない』『そもそも国同士が戦いを交えていない』『真の恒久平和とは永遠の戦争状態と同じ→ゆえに、「戦争は平和なり」となる』
次に、『無知は力なり』についての考察
さきほどと同じく、人間の分類として「上層」「中間層」「下層」から始まります。
「上層」の目的は、現状維持。「中間層」は、上層と入れ替わること。「下層」は目的をもっていない。単調な労働で、しいたげられている。下層にいる人間は、自分の日常生活のことしか意識していない。
オセアニアのイングソック、ユーラシアのネオ・ポルシェヴィズム、イースタシアでの死の崇拝と呼ばれる教義(いずれも全体主義を表していると思われます。後述で、ロシア共産党とかナチス・ドイツが出てきます)
いずれも「非自由」と「不平等」を永続させるという狙いがあった。
印刷技術の発達と映画やラジオによって、「世論の操作」が容易になった。
寡頭政治(かとうせいじ):少人数の支配者による政治
私有財産の廃止(財産は国家のもの)によって、少数の人間に富が集中した。
グループが権力を失うとき。
①外部の力に征服される。
②無能な統治で大衆が反乱を起こす。
③中間層にくつがえされる。
④自らが自身と意欲を失う。
だれも「ビッグ・ブラザー」を見たことがない。
国民の教育水準が下降し続けている。
大衆が、社会や政治に関心をもたない。
法律は存在しない。
黒を白と信じ込むことができる能力をもつことは、忠誠心を意味する。
『二重思考』という思考方法をもつ。
過去は変わりやすい。意図的に過去を変える。歴史の出来事を支配者の都合のいいように変える。
読んでいると、何が本当なのかわからなくなってきます。そして、第三部は、『自分がどこにいるのか分からなかった』から始まります。
(第三部)
ウェストン・スミスは、捕まって、収容所らしきところに入れられて、拷問を受けて、電気機械らしきもので脳に電気ショックを与えられて、薬物も注射されて、全体主義の思想を植え付けられて、思考が洗脳されていきます。自分の思考とか意思をゆがめられてしまいます。助かりません。かなりむごい。
彼だけではなくてほかにも犠牲者がいます。政治犯扱いです。
『過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする』
『現実は外部に存在しているのではなくて、現実は人間の精神のなかに存在している』
犯罪取り調べにおける冤罪(えんざい。無実の罪)のつくり方を見ているようです。
『彼らは人間の抜け殻になっていた』
カリスマなる人物をトップにおいて崇拝するという錯覚状態をつくって、人心をコントロールして、組織の維持をしていく手法です。
ウェストン・スミスの人格を修復するためには、「学習→理解→受容」の経過が必要とされますが、それは、「洗脳(権力者にとって都合のいい思想を植えつける)」の経過を意味します。
プロレタリアート:賃金労働者階級。労働力を売ることでしか収入の道がない。対する言葉が「ブルジョアジー」で資本家階級。
『われわれは権力の司祭だ』神と人間の仲介者。神は権力と考える。
ウェストン・スミスの予知として、(全体主義は)失敗する。
対する相手の言葉として『君は朽ちかけている(くちかけている)』
ウェストン・スミスの意識が『受容』のために変容していきます。(変化する)
『自由は隷従なり(れいじゅう。支配されて言いなりになる)』
『二足す二は五である』
『過去は改変可能である』
ウェストン・スミスは、権力者との共存のために意識が変容していきます。
謬見(びゅうけん):間違った考えや見解
ウェストン・スミスの意識の最後に残っていたのは、恋愛の相手である異性に対する強い愛情と依存でした。
ウェストン・スミスは、いつの日か射殺されることになるとありますが、その前に狂い死にしそうです。
最終地が『101号室』
101号室は地下深くにある。
飢えた巨大なネズミが人を食おうと待っている。
ホラー映画のようになってきました。
恐怖があります。
古代の中国で行われていた懲罰だと書かれています。
ただ事実かどうかは、自分は知りません。
ウェストン・スミスは、戦争について考えるのをやめました。
ようやく読み終えました。
ぼうだいな文字の量です。なかば流し読みの読書でした。
哀しいお話でした。
ディストピア小説です。(ユートピア小説の反対)
暗黒世界へと導かれます。
ウェストン・スミスは死にません。
違う人間に変化するのです。
てんびん座生まれの特性をもつ自分としては、全体主義者にも言い分があると思いたい。いつの時代にあっても、平行感覚は失いたくない。
人は生まれて自分のまわりにある環境に順応して生きていこうとします。標準化の波にうまくのれないと苦しみを味わうことになります。
それぞれの国には、長い歴史を経ての事情や特殊性があります。
お互いの立場が違うということを理解し、認め合って、それはそれ、これはこれで、区別してやっていかないと戦争が始まってしまいます。
『共存』をめざさないと共倒れになって、地球は荒廃し、人間の世界は滅びてしまいます。
2021年12月09日
石ころのスープ トルコのおはなし
石ころのスープ トルコのおはなし ジェディス・マリカ・リバーマン文 ゼイネップ・オザタライ絵 こだまともこ訳 光村教育図書
読む前の予想として、石鍋スープを思い浮かべました。
あちちの熱く熱した石を、液体スープに入れて、液体を温めてつくるスープのイメージです。
読んだら、ぜんぜん違っていました。(冷たい石を入れるのです)
読み終えてみての感想は、「会社組織」をつくるマニュアル本(手引き)の印象が残りました。
ひとりの若い男性旅人が登場します。
旅人は、知らない人の家をノックして、スープをいっぱい飲ませてほしい。あわせて、今夜一泊させてほしいと、出てきた中年女性に声をかけます。
ふつう、知らない人を家に入れたり、泊めたりすることは怖いことです。知らない人は犯罪者かもしれません。
これは、お話なのでそうはなりませんが。
旅人の申し出は、当然断わられます。
旅人は、逆に申し出るのです。
『わたしがごちそうします』『石ころのスープをつくるんです』お金はかかりません。
日本民話『わらしべ長者』のように、最初は、塩とこしょうから始まって、いろんな人たちが、鍋に入れる食材を持ち寄ります。
石ころスープの歌らしきものが、人々を引き寄せます。
おもしろげな歌です。
『楽しむ』歌です。
そういうことか。
『協力』があります。
昔の日本文化でいうところの『結い(ゆい。農家の協力体制。屋根の吹き替え、田植え、稲刈り時の協力など)』とか『もやい(共同でひとつのことをしたり所有したりすること)』です。
どこの国で生まれても、何人(なんぴと)でも、考えることや感じることは同じです。
みんなで、少しずつ持ち寄って、おいしい料理をつくります。
『寄附』のようでもありますし、『ふるさと納税』のようでもあります。
されど『旅人』は、詐欺師のようでもあります。
人々に暗示をかける。
良い方向へと導いてくれればいいけれど、その反対なら迷惑なことです。
オレガノ:ヨーロッパ地中海沿岸原産の葉っぱ。多年草。和名はハナハッカ。
バグラマ:ギターのような弦楽器
ズルナ:笛。木管楽器。
プディング:プリンのようなもの。
カルダモン:香辛料。さわやかで上品な香りがする。
シナモン:樹木の樹皮からつくる香辛料。
心温まるストーリーでした。
読む前の予想として、石鍋スープを思い浮かべました。
あちちの熱く熱した石を、液体スープに入れて、液体を温めてつくるスープのイメージです。
読んだら、ぜんぜん違っていました。(冷たい石を入れるのです)
読み終えてみての感想は、「会社組織」をつくるマニュアル本(手引き)の印象が残りました。
ひとりの若い男性旅人が登場します。
旅人は、知らない人の家をノックして、スープをいっぱい飲ませてほしい。あわせて、今夜一泊させてほしいと、出てきた中年女性に声をかけます。
ふつう、知らない人を家に入れたり、泊めたりすることは怖いことです。知らない人は犯罪者かもしれません。
これは、お話なのでそうはなりませんが。
旅人の申し出は、当然断わられます。
旅人は、逆に申し出るのです。
『わたしがごちそうします』『石ころのスープをつくるんです』お金はかかりません。
日本民話『わらしべ長者』のように、最初は、塩とこしょうから始まって、いろんな人たちが、鍋に入れる食材を持ち寄ります。
石ころスープの歌らしきものが、人々を引き寄せます。
おもしろげな歌です。
『楽しむ』歌です。
そういうことか。
『協力』があります。
昔の日本文化でいうところの『結い(ゆい。農家の協力体制。屋根の吹き替え、田植え、稲刈り時の協力など)』とか『もやい(共同でひとつのことをしたり所有したりすること)』です。
どこの国で生まれても、何人(なんぴと)でも、考えることや感じることは同じです。
みんなで、少しずつ持ち寄って、おいしい料理をつくります。
『寄附』のようでもありますし、『ふるさと納税』のようでもあります。
されど『旅人』は、詐欺師のようでもあります。
人々に暗示をかける。
良い方向へと導いてくれればいいけれど、その反対なら迷惑なことです。
オレガノ:ヨーロッパ地中海沿岸原産の葉っぱ。多年草。和名はハナハッカ。
バグラマ:ギターのような弦楽器
ズルナ:笛。木管楽器。
プディング:プリンのようなもの。
カルダモン:香辛料。さわやかで上品な香りがする。
シナモン:樹木の樹皮からつくる香辛料。
心温まるストーリーでした。
2021年12月08日
パンどろぼうvsにせパンどろぼう 柴田ケイコ
パンどろぼうvsにせパンどろぼう 柴田ケイコ 角川書店
以前親族のちびっこに『パンどろぼう』を読んであげたら、にせパンどろぼうの絵本はないのかと問われたので取り寄せました。
こんど会ったときに読んであげて反応をみるのが楽しみです。
パンの色は茶色がベースです。(下地です)
絵本の絵は、ブラウン(茶色)がかっています。
きょうのおすすめは、ぶどうパンです。
にせパンはないの?
お客さんが着ている服の色はカラフルです。(色とりどり、レッド、ピンク、グリーン、薄いブルー)
テレビ番組を観ていると、パン屋さんがよく登場します。
パン好きな人が多い。
先日は、東野・岡村の旅猿に蛍原徹さんがゲストで出ていて、パンが大好きだと豪語されていました。
テレビ番組「出没アド街ック天国」で、ふたこ新地とかいう地域にあるパン屋さんの紹介もありました。
絵本のほうは、「ちくわパン」が?(ハテナ)です。
「めがねパン」はおもしろい。
「うさぎパン」とか「こあらパン」もあります。
「やきそばパン」がおいしそうです。
おすすめの「ぶどうパン」がなかなか売れません。
と思ったら、ぶどうパンが全部盗まれていて、1個もありません。
たいへんだー
パン屋の店主である、ぱんどろぼうの顔はグロテスクで怖い。
パンどろぼうがつくったパンをどろぼうしていくものがいます。
起承転結の転の部分は全作と同じでちょっとびっくりします。
パンどろぼうの顔がおもしろい。
そうか、きみか(どろぼうは〇〇でした(ここでは秘密です))
わたしは、どろぼうは、うさぎかと思っていました。
きのうの敵は、きょうの友です。
ふたりは協力するのです。
師弟関係が築かれます。
盗むより、つくるです。
楽しい絵本でした。
以前親族のちびっこに『パンどろぼう』を読んであげたら、にせパンどろぼうの絵本はないのかと問われたので取り寄せました。
こんど会ったときに読んであげて反応をみるのが楽しみです。
パンの色は茶色がベースです。(下地です)
絵本の絵は、ブラウン(茶色)がかっています。
きょうのおすすめは、ぶどうパンです。
にせパンはないの?
お客さんが着ている服の色はカラフルです。(色とりどり、レッド、ピンク、グリーン、薄いブルー)
テレビ番組を観ていると、パン屋さんがよく登場します。
パン好きな人が多い。
先日は、東野・岡村の旅猿に蛍原徹さんがゲストで出ていて、パンが大好きだと豪語されていました。
テレビ番組「出没アド街ック天国」で、ふたこ新地とかいう地域にあるパン屋さんの紹介もありました。
絵本のほうは、「ちくわパン」が?(ハテナ)です。
「めがねパン」はおもしろい。
「うさぎパン」とか「こあらパン」もあります。
「やきそばパン」がおいしそうです。
おすすめの「ぶどうパン」がなかなか売れません。
と思ったら、ぶどうパンが全部盗まれていて、1個もありません。
たいへんだー
パン屋の店主である、ぱんどろぼうの顔はグロテスクで怖い。
パンどろぼうがつくったパンをどろぼうしていくものがいます。
起承転結の転の部分は全作と同じでちょっとびっくりします。
パンどろぼうの顔がおもしろい。
そうか、きみか(どろぼうは〇〇でした(ここでは秘密です))
わたしは、どろぼうは、うさぎかと思っていました。
きのうの敵は、きょうの友です。
ふたりは協力するのです。
師弟関係が築かれます。
盗むより、つくるです。
楽しい絵本でした。
2021年12月07日
東野・岡村の旅猿20 秋の徳島で秘境満喫の旅
東野・岡村の旅猿20 2021年 秋の徳島で秘境満喫の旅 fuluフールー動画配信サービス
ゲストは、蛍原徹さんです。
以前、岩手県久慈(くじ)のNHK朝ドラ「あまちゃん」がらみの旅猿ロケ番組は見ました。ほとはらさんは、旅猿4のときのゲストでした。
ほとはらさんが、「あまちゃん」を一度も見たことがないということでたいへん驚かされました。
ほとはらさんが「あまちゃん」ファンという企画側の大きな誤解があったようです。
番組内容は、さえず、ほとはらさんがお気の毒な様子だった記憶が残っています。プロ野球の話ばかりしていたという記憶が残っています。
今回は、第一回を見たところですが、大いに笑うことができました。
ほとはらさんが、無類のパン好きだということがよくわかりました。
①徳島ラーメンの半分盛りを食べたあと②人気のパン屋へ行って、もりあがるほとはらさんでした。
よっぽどパンが好きなほとはらさんでした。熱弁です。荒々しい。
パン屋で冒頭、食パンを選ぶか、それともベーグルにするかで、東野幸治さんと女性店員さんがもめもめになったシーンが楽しかった。
ほとはらさんの話でおもしろかったのは、八十代のおとうさまのことでした。
実家へ帰宅したら、父親と中学生か高校生ぐらいの男の子がふたり暮らしをしていた。男の子が「ほとさんの部屋を使わせてもらっています」とあいさつをしてきた。男の子がどこのだれなのか、緊張感がただよって聞けなかったというものでした。
(つづく)
お魚市場にタコを買いに行く話が出て、料理の話が出る。
メッセンジャー黒田さんとああだこうだのモニター電話でのやりとりがある。
うだつの話が出る。(建築様式。防火壁のこと)
絶景の庭園美がある本楽寺(ほんらくじ)の風景を気に入りました。
このさき、四国へ行く機会があったら訪れてみたい。
吉野川の流れが雄大です。
景色の広がりが、北海道の富良野の風景のようです。
三人が、宿泊場所の「桃源郷(とうげんきょう)祖谷の山里(いやのやまざと)」に到着しました。
囲炉裏(いろり)は見るだけで、囲炉裏で料理をすることはできないそうです。(なるほど。そうでしょう。納得しました)
夕食の料理が、おいしそうでした。
三人で買った大きなタコの刺身、鯛(タイ)の刺身、地元の女性がつくってくださった大学いも、じゃがいもの味噌田楽(みそでんがく)、鶏鍋(とりなべ)、鯛めし、ごちそうでした。
お風呂では、ほとはらさんのお尻が丸見えでした。お笑い芸人としての真骨頂でしょう。(本来持っている性質の最高の姿)
次回の番組も楽しみにしています。
ゲストは、蛍原徹さんです。
以前、岩手県久慈(くじ)のNHK朝ドラ「あまちゃん」がらみの旅猿ロケ番組は見ました。ほとはらさんは、旅猿4のときのゲストでした。
ほとはらさんが、「あまちゃん」を一度も見たことがないということでたいへん驚かされました。
ほとはらさんが「あまちゃん」ファンという企画側の大きな誤解があったようです。
番組内容は、さえず、ほとはらさんがお気の毒な様子だった記憶が残っています。プロ野球の話ばかりしていたという記憶が残っています。
今回は、第一回を見たところですが、大いに笑うことができました。
ほとはらさんが、無類のパン好きだということがよくわかりました。
①徳島ラーメンの半分盛りを食べたあと②人気のパン屋へ行って、もりあがるほとはらさんでした。
よっぽどパンが好きなほとはらさんでした。熱弁です。荒々しい。
パン屋で冒頭、食パンを選ぶか、それともベーグルにするかで、東野幸治さんと女性店員さんがもめもめになったシーンが楽しかった。
ほとはらさんの話でおもしろかったのは、八十代のおとうさまのことでした。
実家へ帰宅したら、父親と中学生か高校生ぐらいの男の子がふたり暮らしをしていた。男の子が「ほとさんの部屋を使わせてもらっています」とあいさつをしてきた。男の子がどこのだれなのか、緊張感がただよって聞けなかったというものでした。
(つづく)
お魚市場にタコを買いに行く話が出て、料理の話が出る。
メッセンジャー黒田さんとああだこうだのモニター電話でのやりとりがある。
うだつの話が出る。(建築様式。防火壁のこと)
絶景の庭園美がある本楽寺(ほんらくじ)の風景を気に入りました。
このさき、四国へ行く機会があったら訪れてみたい。
吉野川の流れが雄大です。
景色の広がりが、北海道の富良野の風景のようです。
三人が、宿泊場所の「桃源郷(とうげんきょう)祖谷の山里(いやのやまざと)」に到着しました。
囲炉裏(いろり)は見るだけで、囲炉裏で料理をすることはできないそうです。(なるほど。そうでしょう。納得しました)
夕食の料理が、おいしそうでした。
三人で買った大きなタコの刺身、鯛(タイ)の刺身、地元の女性がつくってくださった大学いも、じゃがいもの味噌田楽(みそでんがく)、鶏鍋(とりなべ)、鯛めし、ごちそうでした。
お風呂では、ほとはらさんのお尻が丸見えでした。お笑い芸人としての真骨頂でしょう。(本来持っている性質の最高の姿)
次回の番組も楽しみにしています。
2021年12月06日
ドラえもん てんとう虫コミックス6巻から10巻
ドラえもん てんとう虫コミックス6巻から10巻 藤子・F・不二雄 小学館
1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)の初版です。
すごいなあ。次から次へと発想がつながっていきます。
女性のスカートはミニスカートからロングスカートに流行が変化しています。
たしかに、そういう時代がこのころにありました。
小学四年生のび太のママが若い。三十代でしょう。
『パンタロン』そういう流行のズボン(今だとパンツというのでしょう)もありました。
『室内旅行機』を使えば、室内で旅行に行った気分になれるのです。
スキーブームもありました。
ドラえもんとのび太が過去へタイムトラベルをします。
ふたりは、昭和四十年代に使用していた伊藤博文さんの1000円札を出します。なつかしい。
でも、タイムトラベルをした先の漫画の時代設定は昭和二十年代で、当時、伊藤博文さんのお札はまだ発行されていません。伊藤博文さんは、昭和38年発行、昭和61年、夏目漱石さんのお札に切り替えです。
お話には、夢があります。
どこでもいけるし、なんでもやれます。
笑いがあります。
ネッシーのことが話題になった時期がありました。
加えて、日本各地の湖にネッシーのようなものがいるのではないかと騒がしかった時代がありました。
そうか、ネッシーの写真は、カワウソのしっぽなのか。
ギャグの連発があります。
楽しい。
ドラえもんとのび太の友情があります。
第6巻の最後で、ドラえもんが未来へ帰ってしまったような話になりました。
第7巻の冒頭で、ドラえもんがいません。
ツチノコの話が出てきました。びんを飲み込んだような体をした幻のヘビです。ブーム(一時的に盛んになること)になりました。
のび太の知恵で、ドラえもんがのび太のところへ帰ってきました。
みんながハワイに行きたかった時代です。
そんなときがありました。
お話の展開は無限にあります。
歴史ものもあります。
考えてみれば、嘘八百です。(うそはっぴゃく:うそだらけ)
ふつうだったらラストにもってくる高水準のアイデアを最初にもってきて、さらに高い水準の結末を用意するパターンです。
すぐに読み終えるのはもったいないからゆっくり読みます。
ジャイアンとのび太は趣向性(しゅこうせい。好み)が違うわけで、どうしてふたりが一緒に遊ぶのかは不思議です。性格が合わないでしょう。
絵を見ながら、ドラえもんってかわいいなあと思うようになりました。
テレビマンガの声は、大山のぶ代さんのイメージが強い。
芸能界で活躍された人たちは、いまはみなさん、静かな老後を迎えておられます。
「ピンポンパン」とか「ロンパールーム」とか「天地真理さん」とか、いまの若い人たちは知らないことばかりでしょう。なつかしい。
「透明人間」は、幸せな人だとは思えません。孤独です。自分の存在を他者に認められるところから人は自分を認識します。自分づくりの始まりです。
腕ラジオ:テレビ、テープレコーダー、トランシーバー付きという未来の道具です。(現代のスマホです)
第8巻は、火の種がなくなって、ニコチン依存症ののび太のパパが、火おこしをするシーンで終わります。中毒です。うーむ。たばこはやめましょう。
第9巻に移りました。
「目が前向きについているのはなぜだと思う?」 に対して、「前へ前へと進むためだ!」は名言です。
『西城ひろみ』というアイドル歌手が登場します。実在の西城秀樹さんと郷ひろみさんの名前をくっつけたのでしょう。西城秀樹さんも病気で亡くなってしまいました。時が経つのは早い。
『とにかくこの世に生まれたからには、なにかひとつ足あとをのこしたい!』も名言です。だれしもそう思うでしょう。ただ、犯罪等の悪事で名を残すことはよしたほうがいい。
ドラえもんが想定する1975年ころの未来は、70年後の2045年です。いまは、2021年ですから、あと24年後です。自分は生きているだろうか。可能性がないわけではない。
切手のコレクションが流行った時期がありました。『月に雁(かり)』
GPS(現代のジーピーエス位置情報表示システム)のことが出てきます。以前、洋画「バックトゥザフューチャー」で登場した技術が現在どれぐらい実現したかというような内容の番組をちらりと見たことがあります。あんがいGPSの発想の期限は、ドラえもんかもしれません。
バケルくんというキャラクターが出てきます。
最後の桃太郎のお話は、ほら話で楽しみました。
では、10巻です。
『人間切断機』ブラックユーモアのようです。のび太の上半身と下半身が分かれて行動します。
『ももぐちやまえ』というスターのロケが出てきます。山口百恵さんのことでしょう。先日テレビのものまね番組で山口百恵さんの物まねをするタレントさんを見ました。リアルタイムで本人の歌を聴いていた世代にある自分は、四十年ぐらいの時を経て、同じ歌を聴いて、なんだか、人生を二度体験しているような不思議な気持ちになりました。
『アパートの木』は楽しそう。地中にこどもたちみんなの各自の部屋ができます。
養老の滝とは:昔、今の岐阜県内で若者が見つけた泉は酒だった。老いた父親が喜んだ。
UFO(未確認飛行物体。宇宙人の乗り物。円盤など)も昔はよくはやりました。あれから何十年も経ちますが、いまだに、実態はわからないし、宇宙人も見たことがありません。ネッシーと似たような存在です。
鈴木首相とあります。鈴木善幸さんのことでしょう。第70代内閣総理大臣(1980年から1982年。昭和55年から昭和57年)2004年93歳没
賭け事(かけごと)の目的と手段がすごい。天気当てを間違えた方がげんこつ3つくらわされるというものです。ジャイアンらしい。
忍術のような未来の道具です。『いないいないシャワー』
どれもこれも道具は知恵の固まりです。
4月1日エイプリルフールへのこだわりがあります。いまはそれほど話題にならなくなりました。
のび太は一人っ子です。
むかしは、一人っ子は珍しかった。
しずかちゃんが誤飲をしたので、『スモールライト』を使って、のび太とドラえもんが小さくなって、しずかちゃんの胃の中へ入っていきます。洋画『ミクロ決死隊』のようです。
勘違いをする『願い星』のエピソードが楽しい。
たいやきを出せとお願いすると、上からタイと木が落ちてきました。
『人間ラジコン』の発想もおもしろい。
ジャイアンを操作しておもしろがります。
ドラえもんの言葉として『日本には恐竜は住んでいなかったんだ』1976年昭和51年ごろの発言です。
日本で初めて恐竜の化石が発見されたのは、1978年昭和53年岩手県岩泉町でのことでした。
その後、恐竜の化石は、1都18県で発見されています。
1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)の初版です。
すごいなあ。次から次へと発想がつながっていきます。
女性のスカートはミニスカートからロングスカートに流行が変化しています。
たしかに、そういう時代がこのころにありました。
小学四年生のび太のママが若い。三十代でしょう。
『パンタロン』そういう流行のズボン(今だとパンツというのでしょう)もありました。
『室内旅行機』を使えば、室内で旅行に行った気分になれるのです。
スキーブームもありました。
ドラえもんとのび太が過去へタイムトラベルをします。
ふたりは、昭和四十年代に使用していた伊藤博文さんの1000円札を出します。なつかしい。
でも、タイムトラベルをした先の漫画の時代設定は昭和二十年代で、当時、伊藤博文さんのお札はまだ発行されていません。伊藤博文さんは、昭和38年発行、昭和61年、夏目漱石さんのお札に切り替えです。
お話には、夢があります。
どこでもいけるし、なんでもやれます。
笑いがあります。
ネッシーのことが話題になった時期がありました。
加えて、日本各地の湖にネッシーのようなものがいるのではないかと騒がしかった時代がありました。
そうか、ネッシーの写真は、カワウソのしっぽなのか。
ギャグの連発があります。
楽しい。
ドラえもんとのび太の友情があります。
第6巻の最後で、ドラえもんが未来へ帰ってしまったような話になりました。
第7巻の冒頭で、ドラえもんがいません。
ツチノコの話が出てきました。びんを飲み込んだような体をした幻のヘビです。ブーム(一時的に盛んになること)になりました。
のび太の知恵で、ドラえもんがのび太のところへ帰ってきました。
みんながハワイに行きたかった時代です。
そんなときがありました。
お話の展開は無限にあります。
歴史ものもあります。
考えてみれば、嘘八百です。(うそはっぴゃく:うそだらけ)
ふつうだったらラストにもってくる高水準のアイデアを最初にもってきて、さらに高い水準の結末を用意するパターンです。
すぐに読み終えるのはもったいないからゆっくり読みます。
ジャイアンとのび太は趣向性(しゅこうせい。好み)が違うわけで、どうしてふたりが一緒に遊ぶのかは不思議です。性格が合わないでしょう。
絵を見ながら、ドラえもんってかわいいなあと思うようになりました。
テレビマンガの声は、大山のぶ代さんのイメージが強い。
芸能界で活躍された人たちは、いまはみなさん、静かな老後を迎えておられます。
「ピンポンパン」とか「ロンパールーム」とか「天地真理さん」とか、いまの若い人たちは知らないことばかりでしょう。なつかしい。
「透明人間」は、幸せな人だとは思えません。孤独です。自分の存在を他者に認められるところから人は自分を認識します。自分づくりの始まりです。
腕ラジオ:テレビ、テープレコーダー、トランシーバー付きという未来の道具です。(現代のスマホです)
第8巻は、火の種がなくなって、ニコチン依存症ののび太のパパが、火おこしをするシーンで終わります。中毒です。うーむ。たばこはやめましょう。
第9巻に移りました。
「目が前向きについているのはなぜだと思う?」 に対して、「前へ前へと進むためだ!」は名言です。
『西城ひろみ』というアイドル歌手が登場します。実在の西城秀樹さんと郷ひろみさんの名前をくっつけたのでしょう。西城秀樹さんも病気で亡くなってしまいました。時が経つのは早い。
『とにかくこの世に生まれたからには、なにかひとつ足あとをのこしたい!』も名言です。だれしもそう思うでしょう。ただ、犯罪等の悪事で名を残すことはよしたほうがいい。
ドラえもんが想定する1975年ころの未来は、70年後の2045年です。いまは、2021年ですから、あと24年後です。自分は生きているだろうか。可能性がないわけではない。
切手のコレクションが流行った時期がありました。『月に雁(かり)』
GPS(現代のジーピーエス位置情報表示システム)のことが出てきます。以前、洋画「バックトゥザフューチャー」で登場した技術が現在どれぐらい実現したかというような内容の番組をちらりと見たことがあります。あんがいGPSの発想の期限は、ドラえもんかもしれません。
バケルくんというキャラクターが出てきます。
最後の桃太郎のお話は、ほら話で楽しみました。
では、10巻です。
『人間切断機』ブラックユーモアのようです。のび太の上半身と下半身が分かれて行動します。
『ももぐちやまえ』というスターのロケが出てきます。山口百恵さんのことでしょう。先日テレビのものまね番組で山口百恵さんの物まねをするタレントさんを見ました。リアルタイムで本人の歌を聴いていた世代にある自分は、四十年ぐらいの時を経て、同じ歌を聴いて、なんだか、人生を二度体験しているような不思議な気持ちになりました。
『アパートの木』は楽しそう。地中にこどもたちみんなの各自の部屋ができます。
養老の滝とは:昔、今の岐阜県内で若者が見つけた泉は酒だった。老いた父親が喜んだ。
UFO(未確認飛行物体。宇宙人の乗り物。円盤など)も昔はよくはやりました。あれから何十年も経ちますが、いまだに、実態はわからないし、宇宙人も見たことがありません。ネッシーと似たような存在です。
鈴木首相とあります。鈴木善幸さんのことでしょう。第70代内閣総理大臣(1980年から1982年。昭和55年から昭和57年)2004年93歳没
賭け事(かけごと)の目的と手段がすごい。天気当てを間違えた方がげんこつ3つくらわされるというものです。ジャイアンらしい。
忍術のような未来の道具です。『いないいないシャワー』
どれもこれも道具は知恵の固まりです。
4月1日エイプリルフールへのこだわりがあります。いまはそれほど話題にならなくなりました。
のび太は一人っ子です。
むかしは、一人っ子は珍しかった。
しずかちゃんが誤飲をしたので、『スモールライト』を使って、のび太とドラえもんが小さくなって、しずかちゃんの胃の中へ入っていきます。洋画『ミクロ決死隊』のようです。
勘違いをする『願い星』のエピソードが楽しい。
たいやきを出せとお願いすると、上からタイと木が落ちてきました。
『人間ラジコン』の発想もおもしろい。
ジャイアンを操作しておもしろがります。
ドラえもんの言葉として『日本には恐竜は住んでいなかったんだ』1976年昭和51年ごろの発言です。
日本で初めて恐竜の化石が発見されたのは、1978年昭和53年岩手県岩泉町でのことでした。
その後、恐竜の化石は、1都18県で発見されています。
2021年12月03日
生きちゃった 邦画
生きちゃった 邦画 2020年公開 fuluフールー動画配信サービス
うまくいかない夫婦の話です。
結婚して五年で、保育園児の娘がいます。
毎日続く単調で退屈な日常生活があります。
伏線として、手のひらでつくる影絵。キツネとか。(最初のシーンを観た時は、今どき、表現の手法としては、古くはないかと感じました)
観ていて、どうなっているのだ、この夫婦はという疑問が生まれます。
重苦しい。
妻の気持ちとして『あなたからの愛情を感じない。わたしの気持ちは、わからないかもしれないけれど、五年間ずっと苦しかった』
結婚したとき、夫は、別の女性との婚約を破棄して、今の奥さんと一緒になったそうです。
妊娠がらみのむずかしいお話があります。
(鑑賞者の感想として:乗り越えていかねば)
夫婦喧嘩があります。
いったん法的にくっついたあとに別れるのには、エネルギーがいります。
ときおり、ご主人の亡くなったじいちゃんの写真が出てきて、ご主人が、じいちゃんを慕っているのがわかるのですが、慕う理由はわかりませんが、自分もじいじと呼ばれているので、自分勝手に好ましく受け止めています。
三人劇が続きます。
先日読み終えたアガサ・クリスティーの小説「春にして君を離れ」を思い出します。夫は妻以外の女性(すでに病死している)に深い愛情をもっているのですが、そのことを胸に秘めて妻と最期まで寄り添う覚悟をもっているのです。怖い小説でした。
五年前のことを、今さらむしかえすのは、設定として厳しい。
先日同じ主演男優さんの別の映画を観ましたが、男優さんの個性の特徴は、カップルの相手をだれにしたとしても、ふたりに恋愛関係があるように見えないところです。
自然とそういう雰囲気を出せる特性をもっておられます。
対立する夫婦であるふたりは「克服」しなければなりません。義務です。夫として、父親としての義務です。妻として、母親としての義務です。
夫のお兄さんの立ち位置がおもしろい。
どこもかしこも壊れています。
暴力で全部が壊れます。
邦画『幸せの黄色いハンカチ』を思い出しました。
高倉健さんと倍賞千恵子さん、武田鉄矢さんと桃井かおりさんでした。
こちらの映画の最後付近のシーンでも同様に類似のシーンを思い出しました。
オマージュがあるのでしょう。(リスペクト、尊敬)
これは、女性が男性に復讐を主張する映画です。
三角関係はややこしい。
失うものは大きい。
良かったセリフとして『だましだましやっていくのよ』
映像の流れにおいて、途中二度ある表示「半年後」という変化は、良いとは思えませんでした。
女性の体が道具になっています。
現実にある生活状態の雰囲気とは違うような気がします。
恐怖をあおる映画です。
脳がいかれている人がいっぱいいます。
危険なところは避けたほうがいい。
うーむ。話のもっていきかたが…… 無理やりか。
『あなた(たち)に会わなければよかった』と相手に言われるとつらい。
人生を振り返ると、あの日あの時あの場所であなたに出会わなければ、こんな不幸な目にあわずに済んだのにと思うことはあります。
火葬場での骨拾いのシーンが出てきました。
自分は、今年は、二回体験しました。映像シーンがリアルな記憶を呼び起こしました。
若い人たちは「パピコ」という名のコカ・コーラみたいな形をした小さなお菓子みたいなものに強い興味と関心があるようです。年長者としては、甘えとか依存を感じます。
主人公は、I really love wife.というけれど、そんなふうには見えなかった。きみの愛は弱い。映画には、神さまの天罰(てんばつ)があたったというような宗教的な面があります。
最後の方のシーンは不可解でした。
『なつかしい』にしては、新しい一戸建て家屋ばかりが並んでいる地域でした。
両親離婚後、母方に引き取られた幼い子どもは、父親のことは忘れると思います。
幼い子どもは、母方祖父母と暮らしたほうが、生活や気持ちが安定します。別れの前に愛情があったとしても、時間が経過する中で、こどもを手放した父親は、こどもには見捨てられます。
主人公女性の元夫に対しては「君は、単体としての君の未来を明るくすることを別途(べっと、娘のこととは別に)考えたほうがいい」とアドバイスします。
肝心の主人公が殺害されるシーンがないのは、表現不足です。
鑑賞者の心構えとして、映像というものは、製作する者の目標に向かう意図があって、観ている者の心理を操作・誘導するために、必ず加工されているという前提で観ています。
つくり手の立場で観たり、受け手の立場で観たりいろいろ考えながら観ています。加工されている映像は事実ではないのです。
(蛇足として(だそく。なくてもいいつまらない付けたしとして))
途中で登場したピンクのコスチューム(衣装)を着たふたりの歌い手さんが歌う姿を見ていて、孫が着ているピンク色模様をした仮面ライダーリバイスのパジャマを思い出しました。
うまくいかない夫婦の話です。
結婚して五年で、保育園児の娘がいます。
毎日続く単調で退屈な日常生活があります。
伏線として、手のひらでつくる影絵。キツネとか。(最初のシーンを観た時は、今どき、表現の手法としては、古くはないかと感じました)
観ていて、どうなっているのだ、この夫婦はという疑問が生まれます。
重苦しい。
妻の気持ちとして『あなたからの愛情を感じない。わたしの気持ちは、わからないかもしれないけれど、五年間ずっと苦しかった』
結婚したとき、夫は、別の女性との婚約を破棄して、今の奥さんと一緒になったそうです。
妊娠がらみのむずかしいお話があります。
(鑑賞者の感想として:乗り越えていかねば)
夫婦喧嘩があります。
いったん法的にくっついたあとに別れるのには、エネルギーがいります。
ときおり、ご主人の亡くなったじいちゃんの写真が出てきて、ご主人が、じいちゃんを慕っているのがわかるのですが、慕う理由はわかりませんが、自分もじいじと呼ばれているので、自分勝手に好ましく受け止めています。
三人劇が続きます。
先日読み終えたアガサ・クリスティーの小説「春にして君を離れ」を思い出します。夫は妻以外の女性(すでに病死している)に深い愛情をもっているのですが、そのことを胸に秘めて妻と最期まで寄り添う覚悟をもっているのです。怖い小説でした。
五年前のことを、今さらむしかえすのは、設定として厳しい。
先日同じ主演男優さんの別の映画を観ましたが、男優さんの個性の特徴は、カップルの相手をだれにしたとしても、ふたりに恋愛関係があるように見えないところです。
自然とそういう雰囲気を出せる特性をもっておられます。
対立する夫婦であるふたりは「克服」しなければなりません。義務です。夫として、父親としての義務です。妻として、母親としての義務です。
夫のお兄さんの立ち位置がおもしろい。
どこもかしこも壊れています。
暴力で全部が壊れます。
邦画『幸せの黄色いハンカチ』を思い出しました。
高倉健さんと倍賞千恵子さん、武田鉄矢さんと桃井かおりさんでした。
こちらの映画の最後付近のシーンでも同様に類似のシーンを思い出しました。
オマージュがあるのでしょう。(リスペクト、尊敬)
これは、女性が男性に復讐を主張する映画です。
三角関係はややこしい。
失うものは大きい。
良かったセリフとして『だましだましやっていくのよ』
映像の流れにおいて、途中二度ある表示「半年後」という変化は、良いとは思えませんでした。
女性の体が道具になっています。
現実にある生活状態の雰囲気とは違うような気がします。
恐怖をあおる映画です。
脳がいかれている人がいっぱいいます。
危険なところは避けたほうがいい。
うーむ。話のもっていきかたが…… 無理やりか。
『あなた(たち)に会わなければよかった』と相手に言われるとつらい。
人生を振り返ると、あの日あの時あの場所であなたに出会わなければ、こんな不幸な目にあわずに済んだのにと思うことはあります。
火葬場での骨拾いのシーンが出てきました。
自分は、今年は、二回体験しました。映像シーンがリアルな記憶を呼び起こしました。
若い人たちは「パピコ」という名のコカ・コーラみたいな形をした小さなお菓子みたいなものに強い興味と関心があるようです。年長者としては、甘えとか依存を感じます。
主人公は、I really love wife.というけれど、そんなふうには見えなかった。きみの愛は弱い。映画には、神さまの天罰(てんばつ)があたったというような宗教的な面があります。
最後の方のシーンは不可解でした。
『なつかしい』にしては、新しい一戸建て家屋ばかりが並んでいる地域でした。
両親離婚後、母方に引き取られた幼い子どもは、父親のことは忘れると思います。
幼い子どもは、母方祖父母と暮らしたほうが、生活や気持ちが安定します。別れの前に愛情があったとしても、時間が経過する中で、こどもを手放した父親は、こどもには見捨てられます。
主人公女性の元夫に対しては「君は、単体としての君の未来を明るくすることを別途(べっと、娘のこととは別に)考えたほうがいい」とアドバイスします。
肝心の主人公が殺害されるシーンがないのは、表現不足です。
鑑賞者の心構えとして、映像というものは、製作する者の目標に向かう意図があって、観ている者の心理を操作・誘導するために、必ず加工されているという前提で観ています。
つくり手の立場で観たり、受け手の立場で観たりいろいろ考えながら観ています。加工されている映像は事実ではないのです。
(蛇足として(だそく。なくてもいいつまらない付けたしとして))
途中で登場したピンクのコスチューム(衣装)を着たふたりの歌い手さんが歌う姿を見ていて、孫が着ているピンク色模様をした仮面ライダーリバイスのパジャマを思い出しました。