2021年08月13日
旅猿鴨川でドラマ見まくり未公開集と奥貫薫さんのセレクション
東野&岡村の旅猿 「鴨川で海外ドラマ見まくりの旅 未公開集」「奥貫薫思い出セレクション」DVD 2020年4月と5月放送分
「鴨川で海外ドラマ見まくりの旅の未公開集」
ゲストの劇団ひとりさんとふたりのからみシーンで、未公開分です。まだ、公表できないことのしゃべりが含まれています。2020年3月のロケだそうです。
劇団ひとりさんが自分で運転して乗ってきた巨大なキャンピングカーが素晴らしい。
お金あるなー
ほかのふたりもお金あるから買えそうです。劇団ひとりさんがふたりに勧めます。
劇団ひとりさんとふたりの会話がよそよそしい。東野&岡村のふたりのほうが遠慮しているようです。
執筆活動、ふたりにはない劇団ひとりさんの仕事があります。そのためでしょう。
劇団ひとりさんの小説は読みました。才能のある人です。
東野幸治さんが書いた小説「泥の家族」も読みました。
2019年のときの感想メモが残っています。ちょっとここに落としてみます。
泥の家族 東野幸治 幻冬舎よしもと文庫
「東野・岡村の旅猿」で又吉直樹さんが出演した時に、東野さんが紹介していた自身が描いた小説です。もう20年ぐらい前のものです。読んでみました。
200ページぐらい。ひとつのお話が5分ぐらいで読めます。文章に文学的な情緒はありませんが、笑えますし、しみじみとした人間的な味わいがあります。
父親がいて、母親がいて、兄がいて、姉がいて、中学生の自分(男子)がいる。家は貧しくて、親父はいいかげんな人間で、母親は節約家でよく怒る。兄も姉も不良少年少女です。
おとなになった兄から10年ぐらい前に失踪した父親が殺されたと次男に電話連絡があるところから始まりますが、時はさかのぼって、過去の暮らしへと飛んだようです。父親が殺害された話が消えます。
父親とその他の家族との間には、対立とか、父親嫌いとか、確執がありそうです。
「思い出」の記録です。中学生男子の一人称で話は進みます。
父も姉も、自分がしたいことをする生活です。浮気とか男遊びとか。お金のない今の生活に不満があるのでしょう。
中学、高校、青春時代の思い出の記録です。思い出の話が続くのですが、現在進行形にできないものか。ときに、話は飛び飛びになります。
後半は、あまりにも激しすぎる展開です。
書いた本人がいっけんそう見える「愛情のなさ」の要因があります。
バチがあたる。
ラストの章「M」を、読者として、どう受け止めればいいのか、わかりません。
良かった表現の趣旨として、「オカンはバスに乗ると車酔いをして吐くからバスに乗らない。長距離でも歩く」、「(自分の感想として)全体を通して、次男坊の世界あるいは、兄弟のうちの下の子どもの世界です。自分は長男なので、そのような体験がなく、新鮮に感じました」、「アニキは家族といるときは暗いけれど、友だちといるときは明るい」、「大阪では鶴瓶に似ていると得」、「何十年も経ってもバックにかかっている曲は、サザンオールスターズ。曲がそのときの思い出になる」、「(3人きょうだいが集まって)親が離婚したら、どっちにつく?」、「お互いにうわべのあいさつをかわす」、「自分はあの家族のなかでいつもひとりぼっちだった」
読み終えました。全体的に下ネタですがおもしろかった。
東野幸治さんが劇団ひとりさんに、しきりに「泥の家族」を映画化してほしいとアピールします。
お客さんが入るかどうかが判断の目安ですが、東野幸治さんは、なかなか映画化されなくて残念だそうです。
海岸砂浜でのラジコンカー遊びで、東野幸治さんが操作する大きなラジコンカーが運転操作ミスで海の波に突っ込んでいきました。ラジコンカーは動かなくなりました。おもしろかった。
そのあと修理屋さんに行って修理してもらいましたが、そこの修理屋さんの施設が充実していて、ラジコンカーもきびきびと走っていて圧倒されました。素敵でした。
「奥貫薫思い出セレクション」
いつもナレーターをされている方です。わたしは存じ上げません。可愛らしい方です。
これまでの作品のなかで奥貫薫さんが気に入っている旅の紹介でした。
①インドの旅 3回目
旅猿が最高におもしろかったころの作品です。ゲストは出川哲朗さんでした。
インド旅は、旅猿の原点です。
ガンジス河で沐浴(もくよく。宗教的な儀式。体を川の水で洗い清める)です。まわりにはいっぱい現地のインド人の人たちがいて、雰囲気がいいです。
このころの毎度のベッドの争奪戦がおもしろかった。宿泊するところはいつもベッドがふたつ、あとはソファーベッドか床で寝るという状態をつくって、三人でベッドの奪い合いをするのです。じゃんけん勝負です。(太川陽介&えびすよしかず路線バス乗継の旅でも類似のシーンがありますが、そちらは、太川陽介さんやゲストが、えびすよしかずさんが寝るベッドにダイビングジャンプをします。えびすよしかずさんはその行為をかなり嫌がります)
そんなようすは、もう中学生の修学旅行の夜状態です。(いまどきは、広い和室での雑魚寝(ざこね)で枕投げ大会はしないのかも。ホテルのツインルームに泊まるのだろうか。楽しくないだろうな)
奥貫薫さんが旅猿に出るならポルトガルに行ってみたいそうです。魚がおいしい。先日BS放送でポルトガルの海辺の町を紹介する番組を見ました。干物がおいしいと宣伝されていました。
②ベッキーさんと流氷の上を歩く旅 流氷ウオーク
以前この番組を見て、自分も北海道オホーツク海に浮かぶ流氷を見に行きたくなりました。プランは立てましたが仕事が入って断念しました。
海に浮かぶ流氷の上を歩くというよりも、氷と氷の割れ目から、海に落ちてしまう三人さんです。
人の失敗を見て笑いころげる。いじめのようで、よくないことですが、「笑い」の原点があると、お笑い芸人のふたりが話し合います。みんな仲良しで予定調和というシーンづくりを嫌うふたりです。人はどういうときに「笑う」のか。ときに毒もいるとわかっているふたりです。
ふたりがベッキーさんを困らせて喜んでいるように見えますが、実は、ベッキーさんが笑いをとるために、そのようにふたりに仕掛けているという分析を東野幸治さんがします。それならいいのですが。
ベッキーさんはマニュアルの車しか運転できないそうです。ゆえにスタッフが用意するレンタカーはマニュアル車なので、どうしてもベッキーさんが運転手役になるそうです。あとのふたりはマニュアル車の運転は苦手なので運転したくないそうです。わたしもできません。40年以上前に免許を取得した時、世の中では、マニュアル車しか出回っていませんでしたが、AT車に慣れてからは、もうマニュアル車の運転は無理です。エンストばかりでしょう。
③ダチョウ倶楽部 寺門ジモンさんとオオクワガタ狩りに行く
寺門ジモンさんの世界が、独特で広い。
帰りの車の中で、寺門ジモンさんの背中にオオクワガタのメスがつかまってくっついていたのはヒットでした。
④中南米カリブ海シリーズのジャマイカ
これは、長かった。この場所の放送をいつまでやってるのだろうという感じの旅でした。
『ヒガシノ』思い出しました。このころは、外国に行くと、岡村隆史さんが現地のこどもたちに『ヒガシノ』と覚え込ませて、合唱させるのです。不思議と現地のこどもたちの発音は明瞭で、なかなか楽しい合唱になるのです。でも、こどもたちは、『ヒガシノ』がなんなのかは理解していないのです。
ふたりは、怖いところへもスタッフ同行の上で行っています。
ダウンタウンの音楽イベントです。お金をたかられるパターンがありますが、じょうずに切り抜けています。マネー、マネー、マネーをちょうだいです。
日暮れ時で、あたりも暗くなってきて、独特な強い緊張感が画面から伝わってきます。
⑤ずん飯尾さんの佐賀旅行
これは、ぜいたくな大名旅行でした。旅猿らしくなかったのですが、奥貫薫さんはこれを見て佐賀県のファンになられたそうです。
⑥持田香織さんと冬の山形満喫の旅
がっははーといつも豪快に笑っている持田香織さんです。
雪上のバナナボートはけっこうなスピードです。
奥貫薫さんから旅猿女子部の存在の話が出て、それを聞いた男二人が乗り気になります。旅猿女子部による旅を企画して番組にすれば大衆に受けるであろうというものです。
奥貫薫さんと持田香織さんと満島ひかりさん、それにベッキーさんも入るのでしょう。番組中で提案のあったように、なにも決めずにどこそこの旅というテーマで、4人で行かれるとにぎやかで楽しいでしょう。
「鴨川で海外ドラマ見まくりの旅の未公開集」
ゲストの劇団ひとりさんとふたりのからみシーンで、未公開分です。まだ、公表できないことのしゃべりが含まれています。2020年3月のロケだそうです。
劇団ひとりさんが自分で運転して乗ってきた巨大なキャンピングカーが素晴らしい。
お金あるなー
ほかのふたりもお金あるから買えそうです。劇団ひとりさんがふたりに勧めます。
劇団ひとりさんとふたりの会話がよそよそしい。東野&岡村のふたりのほうが遠慮しているようです。
執筆活動、ふたりにはない劇団ひとりさんの仕事があります。そのためでしょう。
劇団ひとりさんの小説は読みました。才能のある人です。
東野幸治さんが書いた小説「泥の家族」も読みました。
2019年のときの感想メモが残っています。ちょっとここに落としてみます。
泥の家族 東野幸治 幻冬舎よしもと文庫
「東野・岡村の旅猿」で又吉直樹さんが出演した時に、東野さんが紹介していた自身が描いた小説です。もう20年ぐらい前のものです。読んでみました。
200ページぐらい。ひとつのお話が5分ぐらいで読めます。文章に文学的な情緒はありませんが、笑えますし、しみじみとした人間的な味わいがあります。
父親がいて、母親がいて、兄がいて、姉がいて、中学生の自分(男子)がいる。家は貧しくて、親父はいいかげんな人間で、母親は節約家でよく怒る。兄も姉も不良少年少女です。
おとなになった兄から10年ぐらい前に失踪した父親が殺されたと次男に電話連絡があるところから始まりますが、時はさかのぼって、過去の暮らしへと飛んだようです。父親が殺害された話が消えます。
父親とその他の家族との間には、対立とか、父親嫌いとか、確執がありそうです。
「思い出」の記録です。中学生男子の一人称で話は進みます。
父も姉も、自分がしたいことをする生活です。浮気とか男遊びとか。お金のない今の生活に不満があるのでしょう。
中学、高校、青春時代の思い出の記録です。思い出の話が続くのですが、現在進行形にできないものか。ときに、話は飛び飛びになります。
後半は、あまりにも激しすぎる展開です。
書いた本人がいっけんそう見える「愛情のなさ」の要因があります。
バチがあたる。
ラストの章「M」を、読者として、どう受け止めればいいのか、わかりません。
良かった表現の趣旨として、「オカンはバスに乗ると車酔いをして吐くからバスに乗らない。長距離でも歩く」、「(自分の感想として)全体を通して、次男坊の世界あるいは、兄弟のうちの下の子どもの世界です。自分は長男なので、そのような体験がなく、新鮮に感じました」、「アニキは家族といるときは暗いけれど、友だちといるときは明るい」、「大阪では鶴瓶に似ていると得」、「何十年も経ってもバックにかかっている曲は、サザンオールスターズ。曲がそのときの思い出になる」、「(3人きょうだいが集まって)親が離婚したら、どっちにつく?」、「お互いにうわべのあいさつをかわす」、「自分はあの家族のなかでいつもひとりぼっちだった」
読み終えました。全体的に下ネタですがおもしろかった。
東野幸治さんが劇団ひとりさんに、しきりに「泥の家族」を映画化してほしいとアピールします。
お客さんが入るかどうかが判断の目安ですが、東野幸治さんは、なかなか映画化されなくて残念だそうです。
海岸砂浜でのラジコンカー遊びで、東野幸治さんが操作する大きなラジコンカーが運転操作ミスで海の波に突っ込んでいきました。ラジコンカーは動かなくなりました。おもしろかった。
そのあと修理屋さんに行って修理してもらいましたが、そこの修理屋さんの施設が充実していて、ラジコンカーもきびきびと走っていて圧倒されました。素敵でした。
「奥貫薫思い出セレクション」
いつもナレーターをされている方です。わたしは存じ上げません。可愛らしい方です。
これまでの作品のなかで奥貫薫さんが気に入っている旅の紹介でした。
①インドの旅 3回目
旅猿が最高におもしろかったころの作品です。ゲストは出川哲朗さんでした。
インド旅は、旅猿の原点です。
ガンジス河で沐浴(もくよく。宗教的な儀式。体を川の水で洗い清める)です。まわりにはいっぱい現地のインド人の人たちがいて、雰囲気がいいです。
このころの毎度のベッドの争奪戦がおもしろかった。宿泊するところはいつもベッドがふたつ、あとはソファーベッドか床で寝るという状態をつくって、三人でベッドの奪い合いをするのです。じゃんけん勝負です。(太川陽介&えびすよしかず路線バス乗継の旅でも類似のシーンがありますが、そちらは、太川陽介さんやゲストが、えびすよしかずさんが寝るベッドにダイビングジャンプをします。えびすよしかずさんはその行為をかなり嫌がります)
そんなようすは、もう中学生の修学旅行の夜状態です。(いまどきは、広い和室での雑魚寝(ざこね)で枕投げ大会はしないのかも。ホテルのツインルームに泊まるのだろうか。楽しくないだろうな)
奥貫薫さんが旅猿に出るならポルトガルに行ってみたいそうです。魚がおいしい。先日BS放送でポルトガルの海辺の町を紹介する番組を見ました。干物がおいしいと宣伝されていました。
②ベッキーさんと流氷の上を歩く旅 流氷ウオーク
以前この番組を見て、自分も北海道オホーツク海に浮かぶ流氷を見に行きたくなりました。プランは立てましたが仕事が入って断念しました。
海に浮かぶ流氷の上を歩くというよりも、氷と氷の割れ目から、海に落ちてしまう三人さんです。
人の失敗を見て笑いころげる。いじめのようで、よくないことですが、「笑い」の原点があると、お笑い芸人のふたりが話し合います。みんな仲良しで予定調和というシーンづくりを嫌うふたりです。人はどういうときに「笑う」のか。ときに毒もいるとわかっているふたりです。
ふたりがベッキーさんを困らせて喜んでいるように見えますが、実は、ベッキーさんが笑いをとるために、そのようにふたりに仕掛けているという分析を東野幸治さんがします。それならいいのですが。
ベッキーさんはマニュアルの車しか運転できないそうです。ゆえにスタッフが用意するレンタカーはマニュアル車なので、どうしてもベッキーさんが運転手役になるそうです。あとのふたりはマニュアル車の運転は苦手なので運転したくないそうです。わたしもできません。40年以上前に免許を取得した時、世の中では、マニュアル車しか出回っていませんでしたが、AT車に慣れてからは、もうマニュアル車の運転は無理です。エンストばかりでしょう。
③ダチョウ倶楽部 寺門ジモンさんとオオクワガタ狩りに行く
寺門ジモンさんの世界が、独特で広い。
帰りの車の中で、寺門ジモンさんの背中にオオクワガタのメスがつかまってくっついていたのはヒットでした。
④中南米カリブ海シリーズのジャマイカ
これは、長かった。この場所の放送をいつまでやってるのだろうという感じの旅でした。
『ヒガシノ』思い出しました。このころは、外国に行くと、岡村隆史さんが現地のこどもたちに『ヒガシノ』と覚え込ませて、合唱させるのです。不思議と現地のこどもたちの発音は明瞭で、なかなか楽しい合唱になるのです。でも、こどもたちは、『ヒガシノ』がなんなのかは理解していないのです。
ふたりは、怖いところへもスタッフ同行の上で行っています。
ダウンタウンの音楽イベントです。お金をたかられるパターンがありますが、じょうずに切り抜けています。マネー、マネー、マネーをちょうだいです。
日暮れ時で、あたりも暗くなってきて、独特な強い緊張感が画面から伝わってきます。
⑤ずん飯尾さんの佐賀旅行
これは、ぜいたくな大名旅行でした。旅猿らしくなかったのですが、奥貫薫さんはこれを見て佐賀県のファンになられたそうです。
⑥持田香織さんと冬の山形満喫の旅
がっははーといつも豪快に笑っている持田香織さんです。
雪上のバナナボートはけっこうなスピードです。
奥貫薫さんから旅猿女子部の存在の話が出て、それを聞いた男二人が乗り気になります。旅猿女子部による旅を企画して番組にすれば大衆に受けるであろうというものです。
奥貫薫さんと持田香織さんと満島ひかりさん、それにベッキーさんも入るのでしょう。番組中で提案のあったように、なにも決めずにどこそこの旅というテーマで、4人で行かれるとにぎやかで楽しいでしょう。
2021年08月12日
旅猿おすすめ旅プラン聞きまくりとベッキーさんをお祝いしよう
東野&岡村の旅猿 おすすめ旅プラン聞きまくりの旅 ベッキーをお祝いしようの旅 DVD 2020年放送分
コロナ禍ゆえに旅には行かない番組設定内容です。
「おすすめ旅プラン聞きまくりの旅」
旅に行くのではなく、プレゼンター(お勧めする人)に旅猿番組の行き先を提案してもらうのです。
スペシャルゲストが、出川哲朗さんです。番組内でも発言がありますが、「出川哲朗の充電バイクの人情旅」は、旅猿から枝分かれするように誕生しました。
ゲストで番組「東野&岡村の旅猿」に出ていた出川哲朗さんが「旅猿」を自分の番組だとPRし始めたので、主役である東野&岡村さんのふたりが反発したのです。
出川哲朗さんは、自分の番組として、独自に充電バイクの旅を始めました。充電バイクの旅は、旅猿をパクって(真似して:まねして)あるのです。
以前ゲストで呼んだ筋肉芸人の寺門ジモンさんを再びゲストで「旅猿」に呼べない事情に笑いました。寺門ジモンさんがゲストで呼ばれたときのオオクワガタムシを捕まえる番組は観ました。
どうも、武田真治さんもそうですが、筋肉を売り物にするタレントさんは、ロケ中でも、定期的に孤独な筋肉育成、筋肉維持のための時間帯が必要なようです。ロケ中でもひとりになる時間が必要だそうです。
三人の雑談の中で行きたいところとして、徳島県の山奥にある落合集落、磯釣り、洋画ゴッドファーザーがらみで、イタリアのシチリア島などが出ていました。
〇邦画「男はつらいよ」を全作観る旅 お笑いコンビミキの昴生さん(こうせいさん)が紹介
岡村隆史さんが「男はつらいよ」を1本も観たことがないと言ったので驚きました。わたしは全作観ました。また、リアルタイムで、映画館で何本か観ました。
東野幸治さんの言動が汚い。みなさんの素(す)がむきだしの番組です。
映画を観たあとは、葛飾柴又巡りをしようという提案です。
〇オーストラリアを楽しむ旅 ジェン 旅猿でニュージーランドを訪れた時の現地の案内人さん
あまりおもしろくありませんでした。ペンギンパレードとか、エアーズロックとか、一般的な観光地の紹介でした。
〇北海道 白老町(しらおいちょう)のたぶん職員さん
アイヌ民族啓発活動の宣伝でした。
2020東京オリンピックでも力をいれておられることがわかりました。
2021年の読書感想文でも課題図書のひとつに選ばれています。
〇ミヤンマー お笑いコンビコマンダンテの石井輝明さん
なんというか、びっくりしました。スーチーさんが捕まって、クーデターで政権が軍隊に奪われて、民主主義を求める多数の国民が、自国の軍隊の行為によって死傷している国です。
この番組を収録していた2020年8月はまだ安全な国でした。2021年2月1日に軍事クーデターが起こっています。
もし、コロナ禍がなくて、旅猿メンバーがミヤンマーに行けていたら歴史に遺る旅猿作品ができあがっていたかもしれません。ロケのときのゲストは、提案では、ジミー大西さんです。彼は自由人です。
首都ヤンゴンからバスで5時間ぐらいかけて行くゴールデンロックというところが見学先として提案されていました。東野幸治さんは、ミヤンマーにぜひ行きたいと強調されていました。
石井輝明さんから番組に対する批判があります。当たっています。同感です。バカリズムさんと行った韓国済州島の超高級ホテルにはがっかりしました。旅猿は貧乏旅だったから魅力に満ちていたのです。
話題で出ていた滋賀県の大学で講演をしたシーンは観ました。突然の企画と無理やりで、やけくそな突撃訪問が成功していました。
〇北海道の冬と夏企画 お笑いコンビトム・ブラウンのみちおさん
札幌出身だそうです。冬は、スノーボード、夏は、パークゴルフというのを提案されています。
食事はみなさんをみちおさんの実家に招いて、親と姉を同席させてほしいそうです。
観光地として、高倉健さん主演の邦画「幸せの黄色いハンカチ」の舞台夕張市を考えているそうです。
それを聞いたとき、ちょうど、DVDの再生をしているテレビのテレビ台の棚にあるVHSテープの箱の背中が見えました。自分の鉛筆による手書きで「幸せの黄色いハンカチ」と書いてあります。もう何十年も前にテレビから録画したものです。何年かに1回のペースで見ます。縁を感じました。
〇韓国訪問 森三中の黒沢かずこさん
黒沢かずこさんは、コロナ禍のため、二か月ぶりに芸能人の前に出たとのことです。
東野幸治さんのことを「ヒガシノリ」と呼び、名古屋時代のヒガシノリという話が続くのですが、自分にはなんのことかわかりませんでした。雰囲気から伝わってきたのは、名古屋の番組を担当していたころ(おそらく1990年代)の東野幸治さんは、そばにいる人のことを考えない勝手な言動をする人間だった。それが、テレビへの露出が増えるにつれて、愛想のいい人間に変わっていった(あるいは仮面をかぶるようになった)という黒沢かずこさんの話で、東野幸治さんは、自分の素(す)は今も変わってはいないと弁明されていました。黒沢かずこさんから、東野幸治さんのそばに、番組にとって大切なゲストがいても、ゲストに知らん顔をして、漫画を読んでいる人だったという昔話が出ました。
日韓関係が冷えているなか、韓国へいきましょう!と、韓国旅行をPRされる黒沢かずこさんが素敵でした。
「ベッキーをお祝いしようの旅」
旅といっても、都内のお店にベッキーさんに来てもらい、ふたりがベッキーさんの出産祝いを渡す内容です。
東野・岡村のふたりが、番組「旅猿」の中で女性ゲストいじめをすることが定番になっています。犠牲者は、ベッキーさんであったり、持田香織さんであったりします。観ていて感じ悪いです。
番組「旅猿」は、初期の頃の無謀な海外旅行から変化しました。今は、個室のような空間をつくって、ああだこうだと内輪話をして笑いを誘う番組です。
出産祝いは、オーガニック(自然に優しい? 化学肥料を使わずに育った植物を材料にした素材でつくったもの)コットン商品とおしゃれな授乳服です。
ベッキーさんもからめて、旅先で、お金の支払いのことでもめる三人です。ベッキーさんは、臨時の支出となるふたりが使うお金を、番組企画会社に負担させようとする行為を嫌います。
出産お祝い品を買う時に、店員さんから品物を入れる小型のトートバックは有料だと説明されて「きったねぇー」と店員さんをののしる東野幸治さんです。領収書をもらう、もらわないで、またぐずぐずあります。領収書をもらってあとから経費で落とすことを嫌うベッキーさんです。東野幸治さんから自腹でおごられたり、プレゼントされたりしたいベッキーさんです。
プレゼントを受け取ったベッキーさんが大喜びで良かった。
東野幸治さんの初孫の話も出ます。どうも娘さんは海外で暮らしているらしく、まだ初孫の顔は実際には見たことがなく、SNSの画面で顔を見たような話しぶりです。
そのやりとりを見ていて思ったことです。自分自身は、こどもたちのときも、孫たちのときも、病院にいて、誕生直後に対面しました。そうすることが当たり前だと思い込んでいました。
いまどきは、そういうことをする人は少ないようです。ラインでやりとりをして済ませます。
以前の旅猿の収録ロケで、たまたま東野幸治さんが、家族そろって、関西から東京に出て来たときに住んでいたアパートのそばを車で通りかかって立ち寄ったことがありました。
近所にある戸建ての奥さんが出てきて、「(東野宅は部屋の窓を開けたままにしてあるので、毎日のように夫婦喧嘩をする大きな声が聞こえてきて)うるさかった」とか「おたくのこどもがうちの家の壁にボールをぶつけて遊んでいて迷惑だった」とかいう話が出ました。
東野夫婦はその後離婚して、時を経て、また同じ人間同士で再婚しています。親子は距離をとって共存する道を選ばれたのでしょう。
なんというか、歳をとってみてしみじみと感じることがあるのです。気が遠くなるほどの忍耐を体験して、夫婦で働きながらこどもたちを育ててきました。一生懸命やっても、空回りすることばかりで、思いどおりにならないことがたくさんありました。よかれと思ってしたことが裏目に出てまわりに迷惑をかけたと反省することも多い過去があります。されど、もう済んだことを変えることは不可能です。済んでしまったことは後悔するのではなく、あれはあれで良かったと気持ちの折り合いをつけるのです。
ベッキーさんが、番組の中で子育てのたいへんさを語ります。東野&岡村の男子ふたりが、芸能人であることでの近所づきあいとか友だちづきあいのむずかしさを話します。
三人は高級料理店で食事中なのですが、若干、雰囲気が暗くなります。ベッキーさんのお気持ちが多少はわかります。ベイビーの世話をするということは、母親は、眠れないということです。夜中でも三時間おきぐらいに授乳をします。半年ぐらいすると夜泣きが始まって毎晩続きます。(だけど、夜泣きは必ずなくなる時期が来ます。そして、親は、こどもが夜泣きをしていたことを忘れます)母親は、自分の時間をベイビーに奪われます。母親は、かなりイライラします。10年ぐらいしてこどもが成長すると楽になれます。
以前の番組「旅猿」で見た話がぶりかえされます。番組で石川県を旅したときに岡村隆史さんが、未婚者なのに、「夫婦茶碗(めおとちゃわん)」を購入します。
今回の番組のロケは、2020年8月で、岡村隆史さんは、同年10月10日に結婚されました。この部分の収録中にはもう結婚することが決まっていたのだろうと推測できるのです。岡村隆史さんが言います。「もう準備はできているのだから、ボストンバックひとつ持ってきてもらえばいい」
コロナ禍ゆえに旅には行かない番組設定内容です。
「おすすめ旅プラン聞きまくりの旅」
旅に行くのではなく、プレゼンター(お勧めする人)に旅猿番組の行き先を提案してもらうのです。
スペシャルゲストが、出川哲朗さんです。番組内でも発言がありますが、「出川哲朗の充電バイクの人情旅」は、旅猿から枝分かれするように誕生しました。
ゲストで番組「東野&岡村の旅猿」に出ていた出川哲朗さんが「旅猿」を自分の番組だとPRし始めたので、主役である東野&岡村さんのふたりが反発したのです。
出川哲朗さんは、自分の番組として、独自に充電バイクの旅を始めました。充電バイクの旅は、旅猿をパクって(真似して:まねして)あるのです。
以前ゲストで呼んだ筋肉芸人の寺門ジモンさんを再びゲストで「旅猿」に呼べない事情に笑いました。寺門ジモンさんがゲストで呼ばれたときのオオクワガタムシを捕まえる番組は観ました。
どうも、武田真治さんもそうですが、筋肉を売り物にするタレントさんは、ロケ中でも、定期的に孤独な筋肉育成、筋肉維持のための時間帯が必要なようです。ロケ中でもひとりになる時間が必要だそうです。
三人の雑談の中で行きたいところとして、徳島県の山奥にある落合集落、磯釣り、洋画ゴッドファーザーがらみで、イタリアのシチリア島などが出ていました。
〇邦画「男はつらいよ」を全作観る旅 お笑いコンビミキの昴生さん(こうせいさん)が紹介
岡村隆史さんが「男はつらいよ」を1本も観たことがないと言ったので驚きました。わたしは全作観ました。また、リアルタイムで、映画館で何本か観ました。
東野幸治さんの言動が汚い。みなさんの素(す)がむきだしの番組です。
映画を観たあとは、葛飾柴又巡りをしようという提案です。
〇オーストラリアを楽しむ旅 ジェン 旅猿でニュージーランドを訪れた時の現地の案内人さん
あまりおもしろくありませんでした。ペンギンパレードとか、エアーズロックとか、一般的な観光地の紹介でした。
〇北海道 白老町(しらおいちょう)のたぶん職員さん
アイヌ民族啓発活動の宣伝でした。
2020東京オリンピックでも力をいれておられることがわかりました。
2021年の読書感想文でも課題図書のひとつに選ばれています。
〇ミヤンマー お笑いコンビコマンダンテの石井輝明さん
なんというか、びっくりしました。スーチーさんが捕まって、クーデターで政権が軍隊に奪われて、民主主義を求める多数の国民が、自国の軍隊の行為によって死傷している国です。
この番組を収録していた2020年8月はまだ安全な国でした。2021年2月1日に軍事クーデターが起こっています。
もし、コロナ禍がなくて、旅猿メンバーがミヤンマーに行けていたら歴史に遺る旅猿作品ができあがっていたかもしれません。ロケのときのゲストは、提案では、ジミー大西さんです。彼は自由人です。
首都ヤンゴンからバスで5時間ぐらいかけて行くゴールデンロックというところが見学先として提案されていました。東野幸治さんは、ミヤンマーにぜひ行きたいと強調されていました。
石井輝明さんから番組に対する批判があります。当たっています。同感です。バカリズムさんと行った韓国済州島の超高級ホテルにはがっかりしました。旅猿は貧乏旅だったから魅力に満ちていたのです。
話題で出ていた滋賀県の大学で講演をしたシーンは観ました。突然の企画と無理やりで、やけくそな突撃訪問が成功していました。
〇北海道の冬と夏企画 お笑いコンビトム・ブラウンのみちおさん
札幌出身だそうです。冬は、スノーボード、夏は、パークゴルフというのを提案されています。
食事はみなさんをみちおさんの実家に招いて、親と姉を同席させてほしいそうです。
観光地として、高倉健さん主演の邦画「幸せの黄色いハンカチ」の舞台夕張市を考えているそうです。
それを聞いたとき、ちょうど、DVDの再生をしているテレビのテレビ台の棚にあるVHSテープの箱の背中が見えました。自分の鉛筆による手書きで「幸せの黄色いハンカチ」と書いてあります。もう何十年も前にテレビから録画したものです。何年かに1回のペースで見ます。縁を感じました。
〇韓国訪問 森三中の黒沢かずこさん
黒沢かずこさんは、コロナ禍のため、二か月ぶりに芸能人の前に出たとのことです。
東野幸治さんのことを「ヒガシノリ」と呼び、名古屋時代のヒガシノリという話が続くのですが、自分にはなんのことかわかりませんでした。雰囲気から伝わってきたのは、名古屋の番組を担当していたころ(おそらく1990年代)の東野幸治さんは、そばにいる人のことを考えない勝手な言動をする人間だった。それが、テレビへの露出が増えるにつれて、愛想のいい人間に変わっていった(あるいは仮面をかぶるようになった)という黒沢かずこさんの話で、東野幸治さんは、自分の素(す)は今も変わってはいないと弁明されていました。黒沢かずこさんから、東野幸治さんのそばに、番組にとって大切なゲストがいても、ゲストに知らん顔をして、漫画を読んでいる人だったという昔話が出ました。
日韓関係が冷えているなか、韓国へいきましょう!と、韓国旅行をPRされる黒沢かずこさんが素敵でした。
「ベッキーをお祝いしようの旅」
旅といっても、都内のお店にベッキーさんに来てもらい、ふたりがベッキーさんの出産祝いを渡す内容です。
東野・岡村のふたりが、番組「旅猿」の中で女性ゲストいじめをすることが定番になっています。犠牲者は、ベッキーさんであったり、持田香織さんであったりします。観ていて感じ悪いです。
番組「旅猿」は、初期の頃の無謀な海外旅行から変化しました。今は、個室のような空間をつくって、ああだこうだと内輪話をして笑いを誘う番組です。
出産祝いは、オーガニック(自然に優しい? 化学肥料を使わずに育った植物を材料にした素材でつくったもの)コットン商品とおしゃれな授乳服です。
ベッキーさんもからめて、旅先で、お金の支払いのことでもめる三人です。ベッキーさんは、臨時の支出となるふたりが使うお金を、番組企画会社に負担させようとする行為を嫌います。
出産お祝い品を買う時に、店員さんから品物を入れる小型のトートバックは有料だと説明されて「きったねぇー」と店員さんをののしる東野幸治さんです。領収書をもらう、もらわないで、またぐずぐずあります。領収書をもらってあとから経費で落とすことを嫌うベッキーさんです。東野幸治さんから自腹でおごられたり、プレゼントされたりしたいベッキーさんです。
プレゼントを受け取ったベッキーさんが大喜びで良かった。
東野幸治さんの初孫の話も出ます。どうも娘さんは海外で暮らしているらしく、まだ初孫の顔は実際には見たことがなく、SNSの画面で顔を見たような話しぶりです。
そのやりとりを見ていて思ったことです。自分自身は、こどもたちのときも、孫たちのときも、病院にいて、誕生直後に対面しました。そうすることが当たり前だと思い込んでいました。
いまどきは、そういうことをする人は少ないようです。ラインでやりとりをして済ませます。
以前の旅猿の収録ロケで、たまたま東野幸治さんが、家族そろって、関西から東京に出て来たときに住んでいたアパートのそばを車で通りかかって立ち寄ったことがありました。
近所にある戸建ての奥さんが出てきて、「(東野宅は部屋の窓を開けたままにしてあるので、毎日のように夫婦喧嘩をする大きな声が聞こえてきて)うるさかった」とか「おたくのこどもがうちの家の壁にボールをぶつけて遊んでいて迷惑だった」とかいう話が出ました。
東野夫婦はその後離婚して、時を経て、また同じ人間同士で再婚しています。親子は距離をとって共存する道を選ばれたのでしょう。
なんというか、歳をとってみてしみじみと感じることがあるのです。気が遠くなるほどの忍耐を体験して、夫婦で働きながらこどもたちを育ててきました。一生懸命やっても、空回りすることばかりで、思いどおりにならないことがたくさんありました。よかれと思ってしたことが裏目に出てまわりに迷惑をかけたと反省することも多い過去があります。されど、もう済んだことを変えることは不可能です。済んでしまったことは後悔するのではなく、あれはあれで良かったと気持ちの折り合いをつけるのです。
ベッキーさんが、番組の中で子育てのたいへんさを語ります。東野&岡村の男子ふたりが、芸能人であることでの近所づきあいとか友だちづきあいのむずかしさを話します。
三人は高級料理店で食事中なのですが、若干、雰囲気が暗くなります。ベッキーさんのお気持ちが多少はわかります。ベイビーの世話をするということは、母親は、眠れないということです。夜中でも三時間おきぐらいに授乳をします。半年ぐらいすると夜泣きが始まって毎晩続きます。(だけど、夜泣きは必ずなくなる時期が来ます。そして、親は、こどもが夜泣きをしていたことを忘れます)母親は、自分の時間をベイビーに奪われます。母親は、かなりイライラします。10年ぐらいしてこどもが成長すると楽になれます。
以前の番組「旅猿」で見た話がぶりかえされます。番組で石川県を旅したときに岡村隆史さんが、未婚者なのに、「夫婦茶碗(めおとちゃわん)」を購入します。
今回の番組のロケは、2020年8月で、岡村隆史さんは、同年10月10日に結婚されました。この部分の収録中にはもう結婚することが決まっていたのだろうと推測できるのです。岡村隆史さんが言います。「もう準備はできているのだから、ボストンバックひとつ持ってきてもらえばいい」
2021年08月11日
アンデルセンのメルヘン文庫
アンデルセンのメルヘン文庫 ㈱アンデルセン
いくつかの作品をピックアップして感想を記します。
『第31集』 2014年
「紅しょうがのてんぷら」
昭和30年代から40年代の郷愁の風景です。
年配の方がこどもの頃を思い出している内容です。
絵が温かい。
幸せな夫婦と娘の三人家族です。
そうであったのか、そうであったらよかったのにと思うのかは、読み手しだいです。
「きらきらした午後に」
ゆったりと時が流れていく昔の思い出です。幼稚園生の綾ちゃんがいて、綾ちゃんのもつ着せ替え人形のルミちゃんがいます。
現実と空想の融合するこどもの脳内世界が表現されています。
生き生きとした文章でした。
「魔法のコーヒー いかが?」
年配の方の作文のようでした。ハクビシンとか、タヌキの親子とかが出てきます。
派手さはありませんが、こどもたちは、静かにお話を聴くと思います。
体験がベース(基礎、基盤)にあるのでしょう。
「こちら、お化けはけん会社」
おとなの方の創作という印象です。理屈っぽい面があるからでしょう。
お化けは、俳優なのか、本物のお化けなのか。
よかった表現として、『こちらには、人間にいじわるされたり、おどされたり、ごまかされたりして人間をうらんでいるお化けしかいません。(あなたがお探しのネコの)ミケは人をうらんでいましたか(うらんでいなければミケはまだ死んではいない可能性がありますという意味)』
「夜空のダイヤモンド」
9歳のこどもさん少女が書いたにしては、秀逸です。(優れていて他に類がない。抜きんでて優れている)
発想がおもしろい。ダイナミックです。力強く生き生きと躍動しています。
見開きに広がるブルーを下地とした女性と幼児と白い鳥二羽の絵だけが、シャガールの絵の雰囲気に似ていました。
ダイヤがダイヤモンドらしく輝く作品でした。
『第33集』 2016年
「電車になったあおむし」
6歳幼稚園年長のけんちゃんとあおむしのお話です。
自分が小学校低学年だった頃の下校風景を思い出しました。
畑にはキャベツがたくさんならんでおり、あおむしもよく見かけました。
あおむしは、やがてさなぎになって、蝶々(ちょうちょ)になるのですが、この物語では、あおむしは蝶々にはならずに電車になります。
けんちゃんの夢なのでしょうけれど、壮大なほら話です。こういうパターンの表現手法もあるのか。
最後の絵が、大迫力でした。良かった。
「雪の日の約束」
奈良飛鳥時代の人物のような姿をした絵です。
リサという名の少女がいます。彼女のてのひらの上に、ひとひらの雪が舞い落ちます。
リサが家にたどり着くと、同い年ぐらいの少年がいます。
リサが彼に名前をたずねますが、いろんな名前があるという返事です。以前読んだ児童文学作品に登場してくる野良猫のことを思い出しました。猫の名前は自称で(自分で自分に付けた名前が)「イッパイアッテナ」でした。野良猫は行く先々で、適当な名前を付けられるのです。だから、自称、名前が「イッパイアッテナ」なのです。
文章を読みながら、自分が小学校高学年の頃に住んでいた山奥の雪国の風景を思い出しました。雪がたくさん積もるとどそり遊びをしました。木材とゴムでこしらえたお手製の木製そりで斜面を勢いよく下って遊ぶのです。痛快でした。リサと少年も物語のなかで、同じ遊びをします。
少年は、雪の妖精だったのでしょう。
「運動ぐつのため息」
9歳の小学生作品です。
3年3組のげた箱に入っている運動靴たちがしゃべるのです。おもしろい。
「まぁ! 砂をかけないでくださる!」「ホンマそれ~」関西弁です。楽しい。愉快です。
文章にリズム感があります。
「序破急(じょはきゅう)」の流れがしっかりしています。
感心しました。
『第35集』 2018年
「クリスマスのすきやき」
リアルで写実的な絵です。
「クリスマス」という言葉と、雪深い田舎の情景が心の中で一致せず、仏壇も出てくるので、仏教とキリスト教の違いがあり、なにかしら消化不良で、自分には合わない作品だと最初は感じました。メリークリスマスという気分にはなれないのです。でも、読み終えてみると、なかなかいい作品でした。力み(りきみ)がなかったところが良かった。
絵は本当に写実的で、風景とも合わせて、まるで人間が生きているかのような絵でした。
文章は、おじいさんの一人称ひとり語りが続きます。おじいさんがまだ小学校低学年ぐらいだったころのお話です。第二次世界大戦がからんでいます。
「先生」というのは、名字で、「せんじょう」と読むそうです。NHKのお名前を扱ったテレビ番組のようです。
いい話でした。
生きていてこその幸せです。戦争には反対です。笑いは命を救います。おじいさんは小さいころ、はらぺこ天使でした。
「不思議な布屋」
ブラックユーモアでした。強欲な人を責める内容でした。
布を売る布屋がいて、美しい布を「写す」という手法で製作するのです。白い布に、現実にあるものが反映されます。その発想に新しさを感じました。
ただ、やっつけられるほうに同情してしまう不完全な気持ちをもつ自分がいました。自分の心も白い布に写されているのでしょう。
いくつかの作品をピックアップして感想を記します。
『第31集』 2014年
「紅しょうがのてんぷら」
昭和30年代から40年代の郷愁の風景です。
年配の方がこどもの頃を思い出している内容です。
絵が温かい。
幸せな夫婦と娘の三人家族です。
そうであったのか、そうであったらよかったのにと思うのかは、読み手しだいです。
「きらきらした午後に」
ゆったりと時が流れていく昔の思い出です。幼稚園生の綾ちゃんがいて、綾ちゃんのもつ着せ替え人形のルミちゃんがいます。
現実と空想の融合するこどもの脳内世界が表現されています。
生き生きとした文章でした。
「魔法のコーヒー いかが?」
年配の方の作文のようでした。ハクビシンとか、タヌキの親子とかが出てきます。
派手さはありませんが、こどもたちは、静かにお話を聴くと思います。
体験がベース(基礎、基盤)にあるのでしょう。
「こちら、お化けはけん会社」
おとなの方の創作という印象です。理屈っぽい面があるからでしょう。
お化けは、俳優なのか、本物のお化けなのか。
よかった表現として、『こちらには、人間にいじわるされたり、おどされたり、ごまかされたりして人間をうらんでいるお化けしかいません。(あなたがお探しのネコの)ミケは人をうらんでいましたか(うらんでいなければミケはまだ死んではいない可能性がありますという意味)』
「夜空のダイヤモンド」
9歳のこどもさん少女が書いたにしては、秀逸です。(優れていて他に類がない。抜きんでて優れている)
発想がおもしろい。ダイナミックです。力強く生き生きと躍動しています。
見開きに広がるブルーを下地とした女性と幼児と白い鳥二羽の絵だけが、シャガールの絵の雰囲気に似ていました。
ダイヤがダイヤモンドらしく輝く作品でした。
『第33集』 2016年
「電車になったあおむし」
6歳幼稚園年長のけんちゃんとあおむしのお話です。
自分が小学校低学年だった頃の下校風景を思い出しました。
畑にはキャベツがたくさんならんでおり、あおむしもよく見かけました。
あおむしは、やがてさなぎになって、蝶々(ちょうちょ)になるのですが、この物語では、あおむしは蝶々にはならずに電車になります。
けんちゃんの夢なのでしょうけれど、壮大なほら話です。こういうパターンの表現手法もあるのか。
最後の絵が、大迫力でした。良かった。
「雪の日の約束」
奈良飛鳥時代の人物のような姿をした絵です。
リサという名の少女がいます。彼女のてのひらの上に、ひとひらの雪が舞い落ちます。
リサが家にたどり着くと、同い年ぐらいの少年がいます。
リサが彼に名前をたずねますが、いろんな名前があるという返事です。以前読んだ児童文学作品に登場してくる野良猫のことを思い出しました。猫の名前は自称で(自分で自分に付けた名前が)「イッパイアッテナ」でした。野良猫は行く先々で、適当な名前を付けられるのです。だから、自称、名前が「イッパイアッテナ」なのです。
文章を読みながら、自分が小学校高学年の頃に住んでいた山奥の雪国の風景を思い出しました。雪がたくさん積もるとどそり遊びをしました。木材とゴムでこしらえたお手製の木製そりで斜面を勢いよく下って遊ぶのです。痛快でした。リサと少年も物語のなかで、同じ遊びをします。
少年は、雪の妖精だったのでしょう。
「運動ぐつのため息」
9歳の小学生作品です。
3年3組のげた箱に入っている運動靴たちがしゃべるのです。おもしろい。
「まぁ! 砂をかけないでくださる!」「ホンマそれ~」関西弁です。楽しい。愉快です。
文章にリズム感があります。
「序破急(じょはきゅう)」の流れがしっかりしています。
感心しました。
『第35集』 2018年
「クリスマスのすきやき」
リアルで写実的な絵です。
「クリスマス」という言葉と、雪深い田舎の情景が心の中で一致せず、仏壇も出てくるので、仏教とキリスト教の違いがあり、なにかしら消化不良で、自分には合わない作品だと最初は感じました。メリークリスマスという気分にはなれないのです。でも、読み終えてみると、なかなかいい作品でした。力み(りきみ)がなかったところが良かった。
絵は本当に写実的で、風景とも合わせて、まるで人間が生きているかのような絵でした。
文章は、おじいさんの一人称ひとり語りが続きます。おじいさんがまだ小学校低学年ぐらいだったころのお話です。第二次世界大戦がからんでいます。
「先生」というのは、名字で、「せんじょう」と読むそうです。NHKのお名前を扱ったテレビ番組のようです。
いい話でした。
生きていてこその幸せです。戦争には反対です。笑いは命を救います。おじいさんは小さいころ、はらぺこ天使でした。
「不思議な布屋」
ブラックユーモアでした。強欲な人を責める内容でした。
布を売る布屋がいて、美しい布を「写す」という手法で製作するのです。白い布に、現実にあるものが反映されます。その発想に新しさを感じました。
ただ、やっつけられるほうに同情してしまう不完全な気持ちをもつ自分がいました。自分の心も白い布に写されているのでしょう。
2021年08月10日
ともだちや 内田麟太郎
ともだちや 内田麟太郎(うちだりんたろう)・作 降矢なな(ふりやなな)・絵 偕成社
ゼロ戦のパイロットのようなかっこうをしたキツネくんです。
頭のてっぺんに「ともだちや」ののぼり旗を付けています。
ページをめくって、キツネが出てくるかと思ったら、ミミズクのおじいさんが出てきました。
ともだちになってあげるかわりに1時間100円、2時間200円をいただく商売です。
現実社会のこととして「レンタルなんもしない人」を思い出しました。テレビでちらりとだけ観ました。 申し込んで、そばにいてもらい、報酬を差し上げるのです。レンタルなんもしない人は、無料のときもあったらしい。自分にとっては不可解な行為です。
こちらのおはなしのほうは、そううまくはいきません。
ともだちやを利用するひとはなかなかいません。
クマさんがイチゴを食べるのを見て、読んでいる自分は、「ハチミツじゃないの?」という疑問をもちました。
次のページで、やっぱりハチミツが登場しました。ほーらね。
キツネくんは、2時間200円コースで、200円をゲット(手に入れた)したのです。
オオカミがトランプをしている絵を見て、今度、孫たちとトランプをしようと思い立ちました。
あれとあれと、それとこれと、トランプゲームのなまえを思い浮かべます。もうずいぶんやっていませんが、やりかたは覚えています。
オオカミが怒ります(おこります)
なるほど。
「お、おまえは、ともだちから かねを とるのか。」
主従関係がある者同士や利害関係がある者同士だからという理由で付き合っている者同士を「ともだち」とは呼ばないのです。
お金ではなくて、気持ちをあげるのです。
よくできたストーリーです。今年読んで良かった一冊でした。
1998年の作品でした。もう23年も経過しています。
お金で買えないものが「ともだち」で、人生においては、配偶者が一番のともだちです。
ゼロ戦のパイロットのようなかっこうをしたキツネくんです。
頭のてっぺんに「ともだちや」ののぼり旗を付けています。
ページをめくって、キツネが出てくるかと思ったら、ミミズクのおじいさんが出てきました。
ともだちになってあげるかわりに1時間100円、2時間200円をいただく商売です。
現実社会のこととして「レンタルなんもしない人」を思い出しました。テレビでちらりとだけ観ました。 申し込んで、そばにいてもらい、報酬を差し上げるのです。レンタルなんもしない人は、無料のときもあったらしい。自分にとっては不可解な行為です。
こちらのおはなしのほうは、そううまくはいきません。
ともだちやを利用するひとはなかなかいません。
クマさんがイチゴを食べるのを見て、読んでいる自分は、「ハチミツじゃないの?」という疑問をもちました。
次のページで、やっぱりハチミツが登場しました。ほーらね。
キツネくんは、2時間200円コースで、200円をゲット(手に入れた)したのです。
オオカミがトランプをしている絵を見て、今度、孫たちとトランプをしようと思い立ちました。
あれとあれと、それとこれと、トランプゲームのなまえを思い浮かべます。もうずいぶんやっていませんが、やりかたは覚えています。
オオカミが怒ります(おこります)
なるほど。
「お、おまえは、ともだちから かねを とるのか。」
主従関係がある者同士や利害関係がある者同士だからという理由で付き合っている者同士を「ともだち」とは呼ばないのです。
お金ではなくて、気持ちをあげるのです。
よくできたストーリーです。今年読んで良かった一冊でした。
1998年の作品でした。もう23年も経過しています。
お金で買えないものが「ともだち」で、人生においては、配偶者が一番のともだちです。
2021年08月09日
ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ
ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ 友廣純・訳 早川書房
アメリカ合衆国ジョージア州(フロリダ州の北)出身である作者の女性は、本作が69歳で執筆した初めての小説だそうです。そのことに驚かされました。翻訳者も女性です。本屋大賞の翻訳小説部門第1位の作品です。毎年、本屋大賞の翻訳対象部門で選ばれる作品は質が高い印象があります。
作品の50ページぐらいまでを読んで、作者の体験が反映された内容になっているのだろうと察しました。
1969年10月30日(日本だと昭和44年)から始まります。場所は北海道の釧路湿原のような雰囲気の地域ですが、アメリカ合衆国内の湿地でしょう。
ふたりの村の少年が、死体を発見しました。高さ19メートルある火の見櫓(ひのみやぐら)からの転落死が推測されます。自ら転落した事故死なのか、だれかに突き落とされた事件死なのかがわかりません。なぜなら、足跡が周囲にひとつもないからです。どこかで殺されて運ばれて来て捨てられたのか…… (死亡推定日時は、1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間)
時は、突然、1952年(昭和27年。参考までに、日本では、昭和28年からテレビ放送開始)に戻ります。
主人公カイア(キャサリン・クラーク。1946年生まれ(昭和21年))は、5人きょうだいの末っ子で、まだ6歳とあります。カイアの兄が7歳年上のジョディです。(長兄ミッシー 長姉マーフ 次姉マンディ 次兄ジョディ)
どうも母親が家を出て行ったらしい。ついでに卵目的で飼育していたニワトリも逃げてしまいました。
そのあと、父親のアル中と暴力に耐えかねて長兄、長姉、次姉も姿を消しました。父親は第二次世界大戦の戦傷兵士で障害者手当受給者です。収入源はそれだけで、世帯が貧しい。
最後の頼りにしていた次兄の7歳年上のジョディも家を出て行きました。6歳のカイアはひとり残されました。父親はたまにしか家に帰ってきません。育児放棄(ネグレクト)という児童虐待です。
この湿地のある場所は、人が寄り付かないところなので、ここに住む人たちはなにかと訳ありだそうです。人生どん詰まりの人。反逆者、追放者、債務者、戦争、徴税、法律からの逃避者など。
この地は、ノースカロライナ州の海岸だそうです。アメリカ合衆国の南東部で大西洋に面しています。「大西洋岸の墓場」とこの地を呼ぶそうです。されど、湿地には生命があります。ザリガニ、水鳥、エビ、カキ、シカ、ガンなど。食料には満たされています。この地で飢える人はいないそうです。
濃密な文章が続きます。
1751年にできたバークリー・コーヴの村
1969年10月30日に遺体で発見されるチェイス・アンドリュースが登場します。1952年当時の今は生存しています。
主人公カイアは7歳の誕生日を迎えましたが祝ってくれる人はだれもいません。
就学年齢なのに学校へ来ないから無断欠席補導員が家に来てカイアを学校へ連れて行きます。登校のごほうびが給食です。だけど、初日に湿地から来たこども(貧しい)ということでほかのこどもたちにからかわれて、カイアは不登校になりました。
そこまで読んでようやく自分が誤解していたいことに気づきました。地域全体が湿地帯だと思っていました。広い地域の一部分として湿地帯があったのでした。この小説は差別を扱う作品でもあります。
湿地がカイアを守ってくれます。湿地には食べることができる生命がたくさんあります。昔、長崎県の人と話をしたときに、兄弟姉妹が多い貧しい家で育ったが、干潟(ひがた)にいくと食べ物があって、それを食べていた。干潟のおかげで生きていけたと聞いたことがあります。
カイアも湿地帯の恩恵を受けて食べていきます。作品のタイトルに出てくる「ザリガニ」というのは、カイアのことかもしれないと思いつきました。
名文として『湿地は、彼女の母親になった』
1969年、殺人の線で捜査が進みます。エド・ジャクソン保安官とジョー・パーデュ保安官補です。テレビ番組「相棒」のようです。
遺体で発見された青年チェイス・アンドリュースに妻がいます。チェイス・アンドリュースは女好きの発情魔だったそうです。借金もあったかもしれないそうです。狙われて当然の素行があった。
1952年。7歳のカイアは、家からいなくなった兄ジョディの友だち、11歳か12歳ぐらいのテイト・ウォーカーと知り合います。カイアにとっては、ボート(舟)とテイトが必要です。
カイアは7歳でも家にあるエンジン式のボートを運転します。買い物に使用します。(のちのページの雰囲気から、ボートの操作ができる女性であることで、カイアが殺人犯人の容疑者とみられそうです。事件が発生した1969年には、カイアは、23歳ぐらいです)
65ページぐらいからようやく物語が動き出しました。
カイアの父親は何者なのだろうか。第二次世界大戦で負傷した戦傷病者で障害者手当を受給していて、家には7歳のカイアを放置して、どこかへ行っていて、たまに帰ってくる。女でもいるのだろうか。本人の話では、昔は親が土地持ちで、たばこや綿花を育てる裕福な農家だった。大恐慌(1930年代の経済破綻)と綿花に付くゾウムシですべてが消えて、借金が残った。
この小説には、貧乏差別のうらみを晴らすための復讐心がこもっています。
カイアには、家出をした母親への期待と依存と甘えたい願望の気持ちが充満しています。
1956年に10歳になっても文字を読むことができないカイアです。学校には行っていません。湿地でとった貝や魚をガソリンスタンド店主に買い取ってもらいながら生活をしています。父親はたまにしか帰宅しません。物々交換に近い生活です。
日本でも半世紀ぐらい前は、地方のいなかにいくとそういう生活をしていました。まだこどもだったわたしは、家で飼っているニワトリが産んだ卵をもって、近所の冷蔵庫がある家で氷と卵を交換してもらっていた体験があります。卵に貨幣価値がありました。
カイアは、お金とボートに入れるガソリンに交換してもらっています。だれだって生きていくために働きます。カイアは魚の燻製づくり(くんせいづくり)を始めました。
カイアの成長記録です。
カイアはまるで、野鳥か、野生の生きもののような暮しをしています。
カイアを「謎の原始人」とからかう少年グループが現れました。
いじめる相手との闘いが始まるのでしょう。
だんだん殺人犯人の容疑者としてカイアが疑われるようになりました。
殺人犯人が残していった証拠として「赤い羊毛繊維」が見つかりました。
カイアは、14歳から18歳だったテイトに読み書きを教えてもらいます。アルファベットの練習です。
テイトは、ノースカロライナ大学のチャペルヒル校へ進学してカイアの元を離れます。ふたりに恋愛感情も生まれていましたが、進学による別れはいたしかたありません。
テイトは交通事故で母と妹を失っています。カイアも母親と兄弟姉妹がいないので、テイトに気持ちが共通する点がありました。
カイアは文字が読めるようになって、自宅にある聖書に書いてある家族の正式な名前がわかります。
ミス・キャサリン・ダニエル・クラーク(カイア) 1945年10月10日生まれ
マスター・ジェレミー・アンドルー・クラーク 1939年1月2日生まれ 次兄 ジョディ
ミス・アマンダ・マーガレット・クラーク 1937年5月17日生まれ 次姉 マンディ
マスター・ネイピア・マーフィ・クラーク 1936年4月4日生まれ 長兄 マーフ
ミス・メアリ・ヘレン・クラーク 1934年9月19日生まれ 長姉 ミッシー
1933年6月12日に、ミスタ・ジャクソン・ヘンリー・クラークとミス・ジュリアンヌ・マリア・ジャックが結婚と書いてあります。幸せな時代が過去に確かにありました。世界的に経済が破たんした世界大恐慌と第二次世界大戦によって家族の暮らしは破壊されてしまいました。父親はアルコール依存になりました。戦争は反対です。アルコールの飲みすぎは人に不幸をもたらします。
ザリガニの鳴くところ:カイアの母親の口癖。湿地を探検してみなさい。できるだけ遠くまでいってごらんなさい。ずっと向こうのザリガニの鳴くところまで(茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所)
カイアは崩れかけた丸太小屋をザリガニの鳴くところとしました。丸太小屋はカイアとテイトの読書小屋になります。
予想どおり、カイアには女性としての生理現象が起きます。
ここから新たな人生が始まる。これは女にしか経験できないこと。あなたはいま女になったわとそばにいる女性メイベルがカイアを励まします。
そして、テイト少年には良心があります。
カイアは貧困ですが、まわりにいい人たちがいます。
カイアの罪を隠すために湿地がカイアに協力してくれるのか。湿地が証拠をすべて飲み込んで消してくれたのか。
ザリガニの鳴くところ:そこでは、善悪の判断は無用。そこには「悪意」はない。あるのはただ「拍動する命」だけ。一部の者は犠牲になるとしても、善と悪は同じものであり、見る角度によって変わるとあります。
チェイス・アンドリュース殺人犯人としての容疑者カイアが濃厚になっていきます。
カイアの姿は、ピューマのようだと表現がありますが、読み手の自分にとっては、野生で生きるタヌキのこどもに見えます。
野性的なカイアに対して、テイトは、欲をもつ人間です。
貝殻のペンダント:「湿地の少女」カイアがチェイス・アンドリュースにプレゼントした。
カイアとチェイス・アンドリュースは、親密そうで、親密ではない。不可解です。読んでいて、そういうものなのか、不思議です。
(遺体で発見された)チェイス・アンドリュースがカイアを自分の都合のいいように利用しているということは確実です。都合のいいように利用された女性の男に対する復讐劇なのか。
だます。利用するに対して、復讐心は芽生えます。
それでもカイアは読み書きを教えてくれたテイトよりも遊び人のチェイス・アンドリュースに強い愛情をもっています。ただ、愛情というものは、ときに憎悪につながり事件の発端になります。
カイアのテイトに対する評価が厳しい。テイトは、自分から言い出した約束を守りませんでした。
カイアの少女期と成人後のイメージが一致しません。どうなのかなあ。別人です。いずれにしても「自然のなかにある孤独」を身につけた女性です。詩の引用がたびたびあります。
『東海岸の貝殻』キャサリン・ダニエル・クラーク著(カイアのこと)
殺人事件が発生したのが、「1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間」です。
捜査が進みます。
グリーン・ヴィル:アメリカ合衆国サウスカロライナ州の北西部にある都市。カイアが、チェイス・アンドリュースの死亡推定時刻に本の出版の関係で、そこにいたという証言あり。
ミス・パンジー・プライス:クレスのファイブ&ダイム(安売り店)に勤めている。遺体で発見されたチェイス・アンドリュースの母親パティ・ラブが、殺人犯人は、湿地の少女カイアだと言いふらしている。しかし、目撃者が多数いる出来事として、カイアは、10月28日午後2時30分発のバスで出かけて、同月30日午後1時16分に戻ってきた。
貧困にアル中父親の暴力が重なる悲惨な過去です。虐待でもあり、妻子を巻き込んだ家庭内暴力でもあります。男の子が成長すれば、父親は息子に腕力で負けることになります。こどもにお金が入れば、父親はこどもにお金をたかるようになります。ひどい家庭環境です。アメリカ合衆国は銃社会ですから、撃ち殺してやるという言葉も出てきます。家族同士で殺してやると威嚇(いかく)するのは悲惨です。カイアの母親は精神的にも肉体的にも病と(やまいと)なって結局は白血病で亡くなったそうです。
カイアの兄ジョディの言葉として『世の中には説明のつかないこともあるんだよ。許すか許さないか、そのどちらかしかないことが、おれには答えはわからない。たぶん答えなんてないんだろう。』
カイアの言葉として『学校へ行ったのは、人生でたった一日だけよ』『周りの子にバカにされて、それきり二度と行かなかったの』
カイアの人生は、湿地帯に住む野生動物たちに癒された(いやされた)人生です。
赤い羊毛の帽子がカイア宅の家宅捜索で見つかりました。チェイス・アンドリュースの遺体に付いていた赤い羊毛と一致します。
カイアは、殺人事件の犯人なのか。濃厚ですが確定ではありません。裁判が始まります。
彼女のアリバイは完ぺきなものではない。
トム・ミルトン:カイアの弁護士。71歳
第一級謀殺容疑(計画殺人。死刑あり)
1969年8月30日の目撃者として、元整備士ロドニー・ホーンとその友人デニー・スミス。カイアの姿を見たが、犯行を目撃したわけではない。
カイアは無実なのに有罪になるのか。心配です。
以前観た洋画「愛を読むひと」を思い出しました。読み書きができない三十代女性が、ふとした縁があって、十代の男子高校生に本を朗読してもらうことになります。
その後、文字の読み書きができない女性は、読み書きができなかったことから、まわりにいた人間たちに、殺人に関するすべての責任と罪を押し付けられます。
彼女は無期懲役刑になり、何十年間も刑務所で服役したあと出所しますが、自ら命を絶つのです。文字の読み書きができるということは、自分の命を守るために、とても大切なことなのです。
まだ読んでいる途中ですが、本書でときおり登場する詩人のアマンダ・ハミルトンという人物は、カイア自身なのでしょう。彼女でなければ書けない詩です。
性的被害者なのに加害者扱いされる女性の悲しみがあります。カイアの言葉があります。『(死刑になって)死ぬこと自体はさほど気にならなかった。この影のような人生が終わるからといって、何を恐れる必要があるのだろう……』『死ぬべきときを決めるのは、いったい誰なのか』
カイアの弁護士のトム・ミルトンは優秀です。だから、少し安心して読み続けています。
カイアが殺人犯人ではないとしたらだれが真犯人なのだろう。それとも転落事故なのか。
そもそも、チェイス・アンドリュースは、なぜ火の見櫓(やぐら)に登っていたのだろう。高いところに登って、何を見つけようとしていたのだろうか。
後半は、チェイス・アンドリュースの転落死事件の事実検証です。
たしか、チェイス・アンドリュースは、高さ19mの火の見櫓(やぐら)から転落して後頭部ほかを強打して死亡しています。即死だったでしょう。
証言者のうちのひとりの話です。『彼女は、ただの見捨てられてしまった子どもだったのです。』
『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』世界を人間界と言い換えても同じことでしょう。以前読んだ世界をひとり旅した女性が書いた本にそう書いてありました。記録を調べたら出てきました。「インパラの朝 中村安希 集英社」です。2012年の夏に読みました。
有罪だと控訴手続きができて、無罪だと控訴はできない。無罪が確定する裁判制度だそうです。
カイアの言葉です。『私は人を憎んだことなんてない。向こうが私を憎むの。向こうが私を笑い物にして、見捨てて、嫌がらせをして、襲ってくるのよ……』
読み終えて、見事な小説でした。
アメリカ合衆国ジョージア州(フロリダ州の北)出身である作者の女性は、本作が69歳で執筆した初めての小説だそうです。そのことに驚かされました。翻訳者も女性です。本屋大賞の翻訳小説部門第1位の作品です。毎年、本屋大賞の翻訳対象部門で選ばれる作品は質が高い印象があります。
作品の50ページぐらいまでを読んで、作者の体験が反映された内容になっているのだろうと察しました。
1969年10月30日(日本だと昭和44年)から始まります。場所は北海道の釧路湿原のような雰囲気の地域ですが、アメリカ合衆国内の湿地でしょう。
ふたりの村の少年が、死体を発見しました。高さ19メートルある火の見櫓(ひのみやぐら)からの転落死が推測されます。自ら転落した事故死なのか、だれかに突き落とされた事件死なのかがわかりません。なぜなら、足跡が周囲にひとつもないからです。どこかで殺されて運ばれて来て捨てられたのか…… (死亡推定日時は、1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間)
時は、突然、1952年(昭和27年。参考までに、日本では、昭和28年からテレビ放送開始)に戻ります。
主人公カイア(キャサリン・クラーク。1946年生まれ(昭和21年))は、5人きょうだいの末っ子で、まだ6歳とあります。カイアの兄が7歳年上のジョディです。(長兄ミッシー 長姉マーフ 次姉マンディ 次兄ジョディ)
どうも母親が家を出て行ったらしい。ついでに卵目的で飼育していたニワトリも逃げてしまいました。
そのあと、父親のアル中と暴力に耐えかねて長兄、長姉、次姉も姿を消しました。父親は第二次世界大戦の戦傷兵士で障害者手当受給者です。収入源はそれだけで、世帯が貧しい。
最後の頼りにしていた次兄の7歳年上のジョディも家を出て行きました。6歳のカイアはひとり残されました。父親はたまにしか家に帰ってきません。育児放棄(ネグレクト)という児童虐待です。
この湿地のある場所は、人が寄り付かないところなので、ここに住む人たちはなにかと訳ありだそうです。人生どん詰まりの人。反逆者、追放者、債務者、戦争、徴税、法律からの逃避者など。
この地は、ノースカロライナ州の海岸だそうです。アメリカ合衆国の南東部で大西洋に面しています。「大西洋岸の墓場」とこの地を呼ぶそうです。されど、湿地には生命があります。ザリガニ、水鳥、エビ、カキ、シカ、ガンなど。食料には満たされています。この地で飢える人はいないそうです。
濃密な文章が続きます。
1751年にできたバークリー・コーヴの村
1969年10月30日に遺体で発見されるチェイス・アンドリュースが登場します。1952年当時の今は生存しています。
主人公カイアは7歳の誕生日を迎えましたが祝ってくれる人はだれもいません。
就学年齢なのに学校へ来ないから無断欠席補導員が家に来てカイアを学校へ連れて行きます。登校のごほうびが給食です。だけど、初日に湿地から来たこども(貧しい)ということでほかのこどもたちにからかわれて、カイアは不登校になりました。
そこまで読んでようやく自分が誤解していたいことに気づきました。地域全体が湿地帯だと思っていました。広い地域の一部分として湿地帯があったのでした。この小説は差別を扱う作品でもあります。
湿地がカイアを守ってくれます。湿地には食べることができる生命がたくさんあります。昔、長崎県の人と話をしたときに、兄弟姉妹が多い貧しい家で育ったが、干潟(ひがた)にいくと食べ物があって、それを食べていた。干潟のおかげで生きていけたと聞いたことがあります。
カイアも湿地帯の恩恵を受けて食べていきます。作品のタイトルに出てくる「ザリガニ」というのは、カイアのことかもしれないと思いつきました。
名文として『湿地は、彼女の母親になった』
1969年、殺人の線で捜査が進みます。エド・ジャクソン保安官とジョー・パーデュ保安官補です。テレビ番組「相棒」のようです。
遺体で発見された青年チェイス・アンドリュースに妻がいます。チェイス・アンドリュースは女好きの発情魔だったそうです。借金もあったかもしれないそうです。狙われて当然の素行があった。
1952年。7歳のカイアは、家からいなくなった兄ジョディの友だち、11歳か12歳ぐらいのテイト・ウォーカーと知り合います。カイアにとっては、ボート(舟)とテイトが必要です。
カイアは7歳でも家にあるエンジン式のボートを運転します。買い物に使用します。(のちのページの雰囲気から、ボートの操作ができる女性であることで、カイアが殺人犯人の容疑者とみられそうです。事件が発生した1969年には、カイアは、23歳ぐらいです)
65ページぐらいからようやく物語が動き出しました。
カイアの父親は何者なのだろうか。第二次世界大戦で負傷した戦傷病者で障害者手当を受給していて、家には7歳のカイアを放置して、どこかへ行っていて、たまに帰ってくる。女でもいるのだろうか。本人の話では、昔は親が土地持ちで、たばこや綿花を育てる裕福な農家だった。大恐慌(1930年代の経済破綻)と綿花に付くゾウムシですべてが消えて、借金が残った。
この小説には、貧乏差別のうらみを晴らすための復讐心がこもっています。
カイアには、家出をした母親への期待と依存と甘えたい願望の気持ちが充満しています。
1956年に10歳になっても文字を読むことができないカイアです。学校には行っていません。湿地でとった貝や魚をガソリンスタンド店主に買い取ってもらいながら生活をしています。父親はたまにしか帰宅しません。物々交換に近い生活です。
日本でも半世紀ぐらい前は、地方のいなかにいくとそういう生活をしていました。まだこどもだったわたしは、家で飼っているニワトリが産んだ卵をもって、近所の冷蔵庫がある家で氷と卵を交換してもらっていた体験があります。卵に貨幣価値がありました。
カイアは、お金とボートに入れるガソリンに交換してもらっています。だれだって生きていくために働きます。カイアは魚の燻製づくり(くんせいづくり)を始めました。
カイアの成長記録です。
カイアはまるで、野鳥か、野生の生きもののような暮しをしています。
カイアを「謎の原始人」とからかう少年グループが現れました。
いじめる相手との闘いが始まるのでしょう。
だんだん殺人犯人の容疑者としてカイアが疑われるようになりました。
殺人犯人が残していった証拠として「赤い羊毛繊維」が見つかりました。
カイアは、14歳から18歳だったテイトに読み書きを教えてもらいます。アルファベットの練習です。
テイトは、ノースカロライナ大学のチャペルヒル校へ進学してカイアの元を離れます。ふたりに恋愛感情も生まれていましたが、進学による別れはいたしかたありません。
テイトは交通事故で母と妹を失っています。カイアも母親と兄弟姉妹がいないので、テイトに気持ちが共通する点がありました。
カイアは文字が読めるようになって、自宅にある聖書に書いてある家族の正式な名前がわかります。
ミス・キャサリン・ダニエル・クラーク(カイア) 1945年10月10日生まれ
マスター・ジェレミー・アンドルー・クラーク 1939年1月2日生まれ 次兄 ジョディ
ミス・アマンダ・マーガレット・クラーク 1937年5月17日生まれ 次姉 マンディ
マスター・ネイピア・マーフィ・クラーク 1936年4月4日生まれ 長兄 マーフ
ミス・メアリ・ヘレン・クラーク 1934年9月19日生まれ 長姉 ミッシー
1933年6月12日に、ミスタ・ジャクソン・ヘンリー・クラークとミス・ジュリアンヌ・マリア・ジャックが結婚と書いてあります。幸せな時代が過去に確かにありました。世界的に経済が破たんした世界大恐慌と第二次世界大戦によって家族の暮らしは破壊されてしまいました。父親はアルコール依存になりました。戦争は反対です。アルコールの飲みすぎは人に不幸をもたらします。
ザリガニの鳴くところ:カイアの母親の口癖。湿地を探検してみなさい。できるだけ遠くまでいってごらんなさい。ずっと向こうのザリガニの鳴くところまで(茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所)
カイアは崩れかけた丸太小屋をザリガニの鳴くところとしました。丸太小屋はカイアとテイトの読書小屋になります。
予想どおり、カイアには女性としての生理現象が起きます。
ここから新たな人生が始まる。これは女にしか経験できないこと。あなたはいま女になったわとそばにいる女性メイベルがカイアを励まします。
そして、テイト少年には良心があります。
カイアは貧困ですが、まわりにいい人たちがいます。
カイアの罪を隠すために湿地がカイアに協力してくれるのか。湿地が証拠をすべて飲み込んで消してくれたのか。
ザリガニの鳴くところ:そこでは、善悪の判断は無用。そこには「悪意」はない。あるのはただ「拍動する命」だけ。一部の者は犠牲になるとしても、善と悪は同じものであり、見る角度によって変わるとあります。
チェイス・アンドリュース殺人犯人としての容疑者カイアが濃厚になっていきます。
カイアの姿は、ピューマのようだと表現がありますが、読み手の自分にとっては、野生で生きるタヌキのこどもに見えます。
野性的なカイアに対して、テイトは、欲をもつ人間です。
貝殻のペンダント:「湿地の少女」カイアがチェイス・アンドリュースにプレゼントした。
カイアとチェイス・アンドリュースは、親密そうで、親密ではない。不可解です。読んでいて、そういうものなのか、不思議です。
(遺体で発見された)チェイス・アンドリュースがカイアを自分の都合のいいように利用しているということは確実です。都合のいいように利用された女性の男に対する復讐劇なのか。
だます。利用するに対して、復讐心は芽生えます。
それでもカイアは読み書きを教えてくれたテイトよりも遊び人のチェイス・アンドリュースに強い愛情をもっています。ただ、愛情というものは、ときに憎悪につながり事件の発端になります。
カイアのテイトに対する評価が厳しい。テイトは、自分から言い出した約束を守りませんでした。
カイアの少女期と成人後のイメージが一致しません。どうなのかなあ。別人です。いずれにしても「自然のなかにある孤独」を身につけた女性です。詩の引用がたびたびあります。
『東海岸の貝殻』キャサリン・ダニエル・クラーク著(カイアのこと)
殺人事件が発生したのが、「1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間」です。
捜査が進みます。
グリーン・ヴィル:アメリカ合衆国サウスカロライナ州の北西部にある都市。カイアが、チェイス・アンドリュースの死亡推定時刻に本の出版の関係で、そこにいたという証言あり。
ミス・パンジー・プライス:クレスのファイブ&ダイム(安売り店)に勤めている。遺体で発見されたチェイス・アンドリュースの母親パティ・ラブが、殺人犯人は、湿地の少女カイアだと言いふらしている。しかし、目撃者が多数いる出来事として、カイアは、10月28日午後2時30分発のバスで出かけて、同月30日午後1時16分に戻ってきた。
貧困にアル中父親の暴力が重なる悲惨な過去です。虐待でもあり、妻子を巻き込んだ家庭内暴力でもあります。男の子が成長すれば、父親は息子に腕力で負けることになります。こどもにお金が入れば、父親はこどもにお金をたかるようになります。ひどい家庭環境です。アメリカ合衆国は銃社会ですから、撃ち殺してやるという言葉も出てきます。家族同士で殺してやると威嚇(いかく)するのは悲惨です。カイアの母親は精神的にも肉体的にも病と(やまいと)なって結局は白血病で亡くなったそうです。
カイアの兄ジョディの言葉として『世の中には説明のつかないこともあるんだよ。許すか許さないか、そのどちらかしかないことが、おれには答えはわからない。たぶん答えなんてないんだろう。』
カイアの言葉として『学校へ行ったのは、人生でたった一日だけよ』『周りの子にバカにされて、それきり二度と行かなかったの』
カイアの人生は、湿地帯に住む野生動物たちに癒された(いやされた)人生です。
赤い羊毛の帽子がカイア宅の家宅捜索で見つかりました。チェイス・アンドリュースの遺体に付いていた赤い羊毛と一致します。
カイアは、殺人事件の犯人なのか。濃厚ですが確定ではありません。裁判が始まります。
彼女のアリバイは完ぺきなものではない。
トム・ミルトン:カイアの弁護士。71歳
第一級謀殺容疑(計画殺人。死刑あり)
1969年8月30日の目撃者として、元整備士ロドニー・ホーンとその友人デニー・スミス。カイアの姿を見たが、犯行を目撃したわけではない。
カイアは無実なのに有罪になるのか。心配です。
以前観た洋画「愛を読むひと」を思い出しました。読み書きができない三十代女性が、ふとした縁があって、十代の男子高校生に本を朗読してもらうことになります。
その後、文字の読み書きができない女性は、読み書きができなかったことから、まわりにいた人間たちに、殺人に関するすべての責任と罪を押し付けられます。
彼女は無期懲役刑になり、何十年間も刑務所で服役したあと出所しますが、自ら命を絶つのです。文字の読み書きができるということは、自分の命を守るために、とても大切なことなのです。
まだ読んでいる途中ですが、本書でときおり登場する詩人のアマンダ・ハミルトンという人物は、カイア自身なのでしょう。彼女でなければ書けない詩です。
性的被害者なのに加害者扱いされる女性の悲しみがあります。カイアの言葉があります。『(死刑になって)死ぬこと自体はさほど気にならなかった。この影のような人生が終わるからといって、何を恐れる必要があるのだろう……』『死ぬべきときを決めるのは、いったい誰なのか』
カイアの弁護士のトム・ミルトンは優秀です。だから、少し安心して読み続けています。
カイアが殺人犯人ではないとしたらだれが真犯人なのだろう。それとも転落事故なのか。
そもそも、チェイス・アンドリュースは、なぜ火の見櫓(やぐら)に登っていたのだろう。高いところに登って、何を見つけようとしていたのだろうか。
後半は、チェイス・アンドリュースの転落死事件の事実検証です。
たしか、チェイス・アンドリュースは、高さ19mの火の見櫓(やぐら)から転落して後頭部ほかを強打して死亡しています。即死だったでしょう。
証言者のうちのひとりの話です。『彼女は、ただの見捨てられてしまった子どもだったのです。』
『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』世界を人間界と言い換えても同じことでしょう。以前読んだ世界をひとり旅した女性が書いた本にそう書いてありました。記録を調べたら出てきました。「インパラの朝 中村安希 集英社」です。2012年の夏に読みました。
有罪だと控訴手続きができて、無罪だと控訴はできない。無罪が確定する裁判制度だそうです。
カイアの言葉です。『私は人を憎んだことなんてない。向こうが私を憎むの。向こうが私を笑い物にして、見捨てて、嫌がらせをして、襲ってくるのよ……』
読み終えて、見事な小説でした。
2021年08月07日
東野&岡村の旅猿 再び都内で納涼スポット巡りの旅
東野&岡村の旅猿 再び都内で納涼スポット巡りの旅 DVD 2020年放送分
ちょうど今から1年ぐらい前の東京都内ロケです。
2020東京オリンピックはコロナ禍のために延期されています。
ゲストの徳井義実さんと岡村隆史さんは、不祥事のあとで、それとなく話題に触れてあります。
吉本で一番ヒマな男という東野幸治さんの紹介で、徳井義実さんが登場します。
いわゆる「不作為の人(ふさくいの人)」がいます。徳井義実さんは、税金を納めない人だった記憶です。
長い人生を生きてきましたが、以前、人間の脳について考えたことあります。人それぞれ、何かひとつ、人間として大切な部分が欠けている脳をもっている。あるべきはずのプログラムされている部分が、脳内にない。自分はそれを「鈍感」と解釈しています。「鈍感」な部分があるからできることできないことがあります。脳がもつ個性でもあります。(個性:個々の脳がもつ性質)
いろいろなパターンがあるのですが、「不作為の人(ふさくいの人)」の場合は、無理なくできる状況にあるのに、とにかく、やらない。お金と時間があってもやらない。自分の気が向くこと、やりたいこと、好きなことは、すぐに、とことんやれるけれど、自分の気持ちが向かないことは徹底的にやれない。
もうどうやっても直らないのです。いますぐやれば15分程度で終わることでも、3か月たっても、半年たっても、1年経ってもやってくれません。何度も同じ内容で催促しても無駄です。
だからといって、変な人ではありません。むしろ愛想のいい、好感を持たれる人であることが多い。
周りにいる人間が考えて世話をするしかないのです。お金があっても払うという行為が脳内にない人ですから無理なのです。そんなことを考えながらDVDを観始めました。
コロナで、本当は今、東京オリンピックで盛り上がっていたとか、番組「旅猿」は、いまごろは、海外ロケをするつもりだったのにだめになったとかの話が続きます。
それから一年、コロナ禍は、終息するどころか、デルタ株の登場で、爆発的に感染者が増えています。ワクチン接種は、遅れていて、先進国の中で日本は取り残されているような状況があります。
オリンピックは無理やりのように開催されています。そんな毎日を送る中でこのDVDを観ました。
東野幸治さんは、失敗した人の再起を願う人です。人間だれしも失敗はあります。東野幸治さんは、失意の人にチャンスを提供する人です。ご自身も似たような体験があるのでしょう。だれかに救われた体験があるのでしょう。ふつう、人は、自分が人にしてもらったとおりにほかの人と接します。子育てでは、自分が育てられたように、自分の子どもを育てます。
徳井義実さんから、久しぶりに芸人とからんでわかったこととして、芸人(東野&岡村)は声が大きいという声がありました。
三人でおいしい冷やし中華を食べます。お笑いコンビチュートリアルでの徳井義実さんの相方福田充徳(ふくだ・みつのり)さんに関する内輪話がおもしろい。(福田充徳さんは、ストレスで後ろ髪を自分の指で引き抜く癖があって、その部分がハゲになっている)
怪談話がふたつあります。一人目の「あみさん」の話はかなり受けていましたが、自分にとっては、怖いというよりも気持ちが悪い話でした。
二人目の「シークエンスはやともさん」の霊感コメントで、岡村隆史さんは、広く浅く女性にうらまれている。徳井義実さんのまわりは、(支えてくれる人がだれもおらず)さら地になっているというコメントに笑いました。
かき氷のお店に行ったあと、銃で撃ち合うサバイバルゲームでした。なんどやっても、岡村隆史さんがすぐに徳井義実さんに空気銃で撃たれてしまいます。そのことが伏線になって、次の屋形船で、あれこれもめます。
船の上からながめる東京湾レインボーブリッジ近くの海上風景です。橋と海と都市建築物が一度に見ることができる光景が美しい。「関西から出てきて、こんなコンクリートジャングルで仕事をしている」とだれかが言いました。
屋形船での夕食時では、うっとおしいところがある岡村隆史さんです。「チコちゃんに叱られる」の印象で、好人物に見られている感じがする岡村隆史さんですが、これまでの旅猿シリーズを見てきて、けっこうむずかしいところがある人だと感じています。ことに潔癖症で神経質です。一般的に、人を見るとき、外見の印象にとらわれすぎるので、世の中は、誤解と錯覚で成立しています。
徳井義実さんのどうでもいい小さな言い間違いに突っ込むねちっこい岡村隆史さんです。徳井義実さんは、サバイバルゲームでわざと岡村隆史さんに負けたほうがよかったのかも。徳井義実さんは、岡村隆史さんにかなり責め立てられます。
生活臭のない人たちです。夫婦間で気を使って生活するとか、子育てに悩みながら親子げんかをするとか、職場の人間関係のことで頭の中がくちゃくちゃになるとか、そういう世界とは別の世界で仕事をしている人たちだという印象をもちました。
徳井義実さんは、出ないほうがよかったんじゃないかという感想をもちました。東野幸治さんの言葉です。「最低の番組だ」
ちょうど今から1年ぐらい前の東京都内ロケです。
2020東京オリンピックはコロナ禍のために延期されています。
ゲストの徳井義実さんと岡村隆史さんは、不祥事のあとで、それとなく話題に触れてあります。
吉本で一番ヒマな男という東野幸治さんの紹介で、徳井義実さんが登場します。
いわゆる「不作為の人(ふさくいの人)」がいます。徳井義実さんは、税金を納めない人だった記憶です。
長い人生を生きてきましたが、以前、人間の脳について考えたことあります。人それぞれ、何かひとつ、人間として大切な部分が欠けている脳をもっている。あるべきはずのプログラムされている部分が、脳内にない。自分はそれを「鈍感」と解釈しています。「鈍感」な部分があるからできることできないことがあります。脳がもつ個性でもあります。(個性:個々の脳がもつ性質)
いろいろなパターンがあるのですが、「不作為の人(ふさくいの人)」の場合は、無理なくできる状況にあるのに、とにかく、やらない。お金と時間があってもやらない。自分の気が向くこと、やりたいこと、好きなことは、すぐに、とことんやれるけれど、自分の気持ちが向かないことは徹底的にやれない。
もうどうやっても直らないのです。いますぐやれば15分程度で終わることでも、3か月たっても、半年たっても、1年経ってもやってくれません。何度も同じ内容で催促しても無駄です。
だからといって、変な人ではありません。むしろ愛想のいい、好感を持たれる人であることが多い。
周りにいる人間が考えて世話をするしかないのです。お金があっても払うという行為が脳内にない人ですから無理なのです。そんなことを考えながらDVDを観始めました。
コロナで、本当は今、東京オリンピックで盛り上がっていたとか、番組「旅猿」は、いまごろは、海外ロケをするつもりだったのにだめになったとかの話が続きます。
それから一年、コロナ禍は、終息するどころか、デルタ株の登場で、爆発的に感染者が増えています。ワクチン接種は、遅れていて、先進国の中で日本は取り残されているような状況があります。
オリンピックは無理やりのように開催されています。そんな毎日を送る中でこのDVDを観ました。
東野幸治さんは、失敗した人の再起を願う人です。人間だれしも失敗はあります。東野幸治さんは、失意の人にチャンスを提供する人です。ご自身も似たような体験があるのでしょう。だれかに救われた体験があるのでしょう。ふつう、人は、自分が人にしてもらったとおりにほかの人と接します。子育てでは、自分が育てられたように、自分の子どもを育てます。
徳井義実さんから、久しぶりに芸人とからんでわかったこととして、芸人(東野&岡村)は声が大きいという声がありました。
三人でおいしい冷やし中華を食べます。お笑いコンビチュートリアルでの徳井義実さんの相方福田充徳(ふくだ・みつのり)さんに関する内輪話がおもしろい。(福田充徳さんは、ストレスで後ろ髪を自分の指で引き抜く癖があって、その部分がハゲになっている)
怪談話がふたつあります。一人目の「あみさん」の話はかなり受けていましたが、自分にとっては、怖いというよりも気持ちが悪い話でした。
二人目の「シークエンスはやともさん」の霊感コメントで、岡村隆史さんは、広く浅く女性にうらまれている。徳井義実さんのまわりは、(支えてくれる人がだれもおらず)さら地になっているというコメントに笑いました。
かき氷のお店に行ったあと、銃で撃ち合うサバイバルゲームでした。なんどやっても、岡村隆史さんがすぐに徳井義実さんに空気銃で撃たれてしまいます。そのことが伏線になって、次の屋形船で、あれこれもめます。
船の上からながめる東京湾レインボーブリッジ近くの海上風景です。橋と海と都市建築物が一度に見ることができる光景が美しい。「関西から出てきて、こんなコンクリートジャングルで仕事をしている」とだれかが言いました。
屋形船での夕食時では、うっとおしいところがある岡村隆史さんです。「チコちゃんに叱られる」の印象で、好人物に見られている感じがする岡村隆史さんですが、これまでの旅猿シリーズを見てきて、けっこうむずかしいところがある人だと感じています。ことに潔癖症で神経質です。一般的に、人を見るとき、外見の印象にとらわれすぎるので、世の中は、誤解と錯覚で成立しています。
徳井義実さんのどうでもいい小さな言い間違いに突っ込むねちっこい岡村隆史さんです。徳井義実さんは、サバイバルゲームでわざと岡村隆史さんに負けたほうがよかったのかも。徳井義実さんは、岡村隆史さんにかなり責め立てられます。
生活臭のない人たちです。夫婦間で気を使って生活するとか、子育てに悩みながら親子げんかをするとか、職場の人間関係のことで頭の中がくちゃくちゃになるとか、そういう世界とは別の世界で仕事をしている人たちだという印象をもちました。
徳井義実さんは、出ないほうがよかったんじゃないかという感想をもちました。東野幸治さんの言葉です。「最低の番組だ」