2021年08月31日

東野&岡村の旅猿 山梨県でグランピングの旅

東野&岡村の旅猿 山梨県でグランピングの旅 hulu(フールー 動画配信) 2020年10月放送分

 グランピング:ぜいたくにアウトドアを楽しむ。
 
 ゲストはお笑いコンビの千鳥です。喫煙の話が出ますが、タバコはやめないと、コロナウィルスに感染した時に、七転八倒の苦しみを体験することになります。

 大吾:「なんでもええ」と言い、キャンプには興味が無いようです。
 ノブ:NHKのカネオ君の吹き替えをされているので、ちゃんとした人だろうと思っていました。だまされていました。この番組中では、いいかげんな言動が多々あります。競馬好きです。
 本番撮影中にスマホで馬券を購入したい人です。競馬中毒です。
 イメージダウンでした。好人物のように見えますが違います。コロナウィスル対策のためですが、鼻の穴出しマスクがだらしない。

 この番組の別の回の時に、コマンダンテの石井輝明さんが指摘していました。お笑いコンビを呼ぶときは、どちらかひとりだけ呼ぶようにしてください。ふたりとも呼ぶと、番組「旅猿」の雰囲気がゲストのコンビに乗っ取られてしまう。石井輝明さんの指摘は正しい。
 今回の番組は、「東野&岡村の旅猿」ではなく、ときおり、「千鳥の旅猿」になっているときがありました。千鳥の勢いにメインのふたりが押されています。

 朝からタンタンメンを食べて、多摩川ボートレース場に行って、舟券を賭けて、どこがキャンプなのか。万札を振り回して、ギャンブルツアーです。ぐだぐだしただらしない時間が過ぎていきます。
 まじめな気持ちで見ていると腹が立ってくるので、寛大な人になりきって、耳を傾けながら映像を見ていました。

 超高級貸し切りキャンプ場は、なんというぜいたくな施設であろうか。キャンプ場に、こたつがあります。もう貧乏旅行が売りの「旅猿」ではありません。

 大さわぎをしただけのような。

 河口湖でのブラックバス釣りシーンだけが「旅猿」らしかった。
 寒くて釣れないと思われていましたが、いっぱい釣れました。

 次回はサーフィンをしましょうという話が出ましたが、どちらかひとりだけのゲストにしてほしい。  

2021年08月30日

大きい1年生と小さな2年生 古田足日(ふるた・たるひ)

大きい1年生と小さな2年生 古田足日(ふるた・たるひ)・作 中山正美・絵 偕成社

 1970年(昭和45年)の作品で、もう50年ぐらい前の作品ですが、よく読まれています。
 ただし、自分が読むのは初めてです。
 小学生のころって、たしかに、背丈(せたけ)にこだわりがありました。
 背は成長するにつれて伸びて、最終的には、背の高い、低いは人生においてあまり関係ないことがわかるのですが、そのことに気づくまでは悩んだりもします。

 作者はすでに亡くなっています。古田足日さん(ふるた・たるひさん。なかなかすんなり読めないお名前です。男性)1927年(昭和2年)-2014年(平成26年)86歳没 児童文学作家 評論家
 
 大きい1年生が、おがわまさやです。小学3年生ぐらいの体格があります。おがわまさやは、体は大きいけれど気が小さくて怖がりぃです。学校へ行く途中に通る暗い坂道をひとりで歩けません。(あとで出てくるのですが、「おがわまさやを泣かしてあそぶ」のです。同じクラスのみどりにいじめられたり、かずおと、たけひこが、おがわまさやを追いかけ回しておがわまさやを泣かしたりして遊ぶのです。ひどい)
 小さな2年生が、みずむらあきよです。背が低いことで悩んでいます。背は低いけれど、おがわまさやより上級生なので、暗い道をこわがる1年生のおがわまさやの手を引いて学校へ向かいます。姉さん女房のようです。
 みずむらあきよの同級生のともだちが、ふじおかまり子です。団地で暮らしています。
 もうひとりの2年生の同級生が、やよいで、やよいには、1年生の妹みどりがいます。

 小学校低学年なのに、体が大きなこどもはたまにいます。まだ自分が若かったころ、近所に住むこどもたちと夏にキャンプに行って、巨体の小学生低学年男の子といっしょにバンガローで寝ました。
 夜中に「おかあさーん」といって、わたしのおなかの上にのってきたので重たかった。いまごろどこで何をしているのだろう。もう三十歳を過ぎているぐらいだと思います。
 
 物語は、1970年ころの時代背景です。当時の日本にはまだ豊かな自然がたくさん残っていました。本に出てくるのは、大イヌフグリ(道ばたで見られる雑草。オオバコ科)、ホトケノザ(春の七草。本では、濃い桃色の花)、麦畑、シバ畑(芝生の芝?あるいは雑草)、ネギ畑があります。
 このころまだ自家用車は普及しておらず、車も少なかった記憶です。いちおう、物語の舞台は東京になっていますが、絵地図は田舎風景です。自家用車が社会全体にゆきわたってきたのは、1980年代初めの記憶です。

 本に書いてある文章を読みながらふと思い浮かべたことです。自分の両親は親をやれるような人ではなかったのだなあと。ぶっそうな話ですが、そのおかげで自立心が強くなって、自分のことは自分でがんばってやれるようになりました。
 昔の親はそういう人が多かった。いわゆる放任主義です。戦前・戦中に生れた親世代は、女性が産むこどもの数が多かったので、親の手がこどもひとりひとりにまでいきとどかなかったから、いざ、多人数兄弟姉妹だった自分たちが親になった時に、子育てのノウハウがわからなかった。
 そのこどもであったわたしたちの世代は、集落に、自然発生的なちっちゃな子から大きい子までの、こどもの集団組織があったので、その中で育ったから親の手をわずらわせなかった。

 お話に戻って、1年生のおがわまさやは、黒くてカーカーなくカラスがこわいそうです。
 ああ、この当時は、登校のための登校班というのは少なかった。自分は転校を繰り返しながら、いくつかの小学校に通いましたが、登校班があったのは、栃木県の小学校に通ったときだけでした。あとは、ひとりで自由登校でした。だから低学年のころは学校に行くふりをして川や山に遊びに行って、知らん顔をして帰宅していたこともあります。まあ、家の加入電話も普及していない時代だったので、学校の出欠確認も厳格ではありませんでした。今思えば事件や事故に巻き込まれなくて良かった。治安が良く、運にも恵まれていたのでしょう。

 伏線がひとつ落としてあります。『新一年生歓迎会で、2年生の背が低いみずむらあきよが、背の高さが3年生ぐらいあるおがわまさやにプレゼントした、紙でつくった大きなレイ(首に下げる飾り)』です。このレイが、さきざき、おがわまさやの心の支えになってくれます。

 みずむらあきよの責任感が強い。みずむらあきよから見て、1年生のおがわまさやは、自分より背が高くて体が大きいけれど、頭の中は、2年生の自分のほうがしっかりしている。みずむらあきよは、おがわまさやを自分の弟のようにかわいがります。みずむらあきよには、親切で優しい心もちがあります。

 物語は、小学生のお話ですが、読んでいるうちにふと、中学校での出来事が思い出されました。中学に入学してまもなく、突然死のような病死で父親を亡くしたため、中学校も転校を繰り返して、三校の中学校に通いました。そのうちのひとつの中学校では、中間テストとか期末テストの成績を廊下の壁に張り出していました。順位と点数と氏名です。長い巻物のような紙がずーっと続いて廊下の壁に貼られていました。今思うとずいぶん非人間的な行為ですが、当時はなんとも思われていませんでした。

 物語では、小さな2年生みずむらあきよはかなり気が強い。相手が5年生の上級生でも突進して体当たりの頭突きをくらわせます。3年生の男子にも平手打ちを食らわせます。背が低いとか、チビだとばかにされると、激怒するみずむらあきよです。(体のことで相手をからかうことはやめたほうがいい。ずっーと、うらまれます)
 なんというか、やられたらやりかえす、いじめられたらやりかえす、叩かれたら叩き返す、教師は体罰をふるうという行為が繰り返される小中学校時代が確かにありました。
 学校は、仲良くするところだけではなく、負けてたまるかと競争するところでもありました。
 
 おとなになってから読んだ本で、第二次世界大戦後は、小中学校の教師の数が不足して、戦地から帰ってきた兵士だった人たちが教職にたくさんついた。その結果、軍隊という上下関係の厳しい制服職場、命令職場、絶対服従、鉄拳制裁などの環境が学校現場で再現されて、教師の体罰につながったと書いてあった記憶です。
 親も教師の体罰を容認していました。親や先生の言うことをきかないこどももたくさんいました。乱暴な面もありますが、日本が、元気が良くて活気があった時代です。

 おがわまさやは「しっかりしなさい」と言われますが、「しっかり」がどういう意味なのか、どういう状態なのかがわかりません。だから、しっかりしていると言われているみずむらあきよのようになろうとします。

 週番:小学校での上級生の見回り活動。一週間で交代しながら校舎内でトラブルが起きていないか見回って、トラブルがあれば対応する。「週番」と書かれた腕章を腕につけて回る。日本陸軍の軍隊で行われていた習慣です。

 小学生時代はまだ腕力で決着をつけられる世界ですが、法で裁かれる世界に移ると加害者は、自分の人生を束縛されることになります。

 おがわまさやは、そんなふうに体力勝負でがんばるみずむらあきよの手助けをしたい。だけど、気が弱いから前へ出ることができません。
 
 集団遊びのなかで人間であることを学んでいきます。
 今年読んで良かった一冊です。

 おがわまさやは自転車の練習を始めますが、うまく自転車に乗ることができません。

 原っぱ:むかしは、まちなかでも、原っぱがあちこちにありました。いまはもうなくなりました。こどもの遊び場が少なくなりました。原っぱで野球ごっこをする少年たちはもう見かけません。

 冒険です。ふじおかまり子が住む団地の4階の窓から見える森へいつかいってみる。
 
 ホタルブクロ:キキョウ科の多年草。つりがね草。つり鐘のような花が咲く。この本では、青紫色の花となっています。

 おがわまさやは、自分の役割を認識します。『ぼくがいなければ、ホタルブクロがとれなかった』

 アメリカ児童文学「トムソーヤの冒険」を読むようです。

 おがわまさやは、気は弱いけれど、気持ちは優しい。

 おがわまさやがつぶやく小言(こごと。文句。不平。不満)がおもしろい。「(自分はいつまでたってもおじいさんに自転車を買ってもらったお礼の)手紙を書けない。ひとりだけで学校に行けない。まんがばっかり読んでいる。自転車にも乗れない」
 なんというか、読みながら、未来を想像してしまうのです。この先、このままでは、なにも出来事がない人生になってしまいそうです。ただ、そういう人生もあります。学校を卒業して、働いて、歳をとって、人生を終える。人それぞれの人生です。

 小学1年生のおがわまさやは、おかあさんとうまくいかなくなって、家出することを決心しました。行き先は、おじいさんのところで、優しいおじいさんの家の子どもになるのです。
 おがわまさやは、手に35円をもって家を出ました。(いまどきは、キャッシュレス時代なので、バスもICカード乗車券です)
 どうもこの当時(1970年 昭和45年)は、10円でこどもがバスに乗れたようです。
 
 『ムギ畑の上をふいてくるかぜは、こやしのにおいがしていますが……』1965年(昭和40年過ぎころ)は、まだ有機肥料(人糞)を使用していました。

 『まさやのうちにはないカラーテレビだったので、……』この当時の一般家庭のテレビは白黒テレビでした。カラーテレビがあるのは、お金がある家と新しい物好きなおとうさんがいる家とお店などでした。

 『カルピス』特別なごちそう扱いの飲み物でした。

 『一り(いちり。一里)』4kmです。

 家出という行動をしている一年生のおがわまさやにとっては、道路を歩いて進みながら、何を見ても新発見があります。
 家出旅の目的は、いつのまにか、おじいさんの家へ行くことから、ちっちゃい2年生のみずむらあきよに、たくさんのホタルブクロ(つりがね草)の花をとって、プレゼントしたいというものに変わります。
 
 いまもむかしも通学路にはへんな人がいることがあります。ひとけのないところは要注意です。車が多いところでは交通事故にも気をつけなければなりません。小学生もたいへんです。

 目的地は、いっぽん杉がある森のむこうにあるホタルブクロののはらです。

 家出をしたおがわまさやが見つからないので、捜索隊が結成されました。隊員は、みずむらあきよ、ふじおかまりこ、おがわまさやの母親の三人で、自転車で出発しました。

 ネムの木:落葉広葉樹。

 『ぼくはつよくなったんだ』

 『成長』がありました。  

Posted by 熊太郎 at 07:40Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年08月29日

東野&岡村の旅猿 再びおすすめ旅プラン聞きまくりの旅

東野&岡村の旅猿 再びおすすめ旅プラン聞きまくりの旅 hulu(フールー。動画配信サイト) 2021年2月地上波放送分

 番組「旅猿」での旅先を提案するプレゼンターの方たちは、とてもまじめでした。

「とろサーモン 村田秀亮(むらた・ひであき) 久保田かずのぶ 宮崎県の裏パワースポット巡りの旅」
 とろサーモンさんは、宮崎県出身で、宮崎県のスターだそうです。ただ、炎上事件があって、ふたりの銅像が撤去されたそうです。炎上事件というのが自分にはなんのことかわからないのですが、ネットで調べて2018年に上沼恵美子さんともめごとがあったことがわかりました。
 ふたりが提案する旅では、炎上したときに撤去された二人の銅像が、胴体部分で横半分切りにされた状態で、宮崎市役所の地下倉庫奥深いところに保管(放置?)されており、許可を得ないと見ることができないそうで、その銅像を観ることが見学地のひとつとして提案されていました。
 ほかに、高千穂峡の神社とか旅館の紹介がありました。

「コマンダンテ 石井輝明 大阪初心に返る旅」
 現在の「旅猿」の内容をつまらないと分析・評価し、初心にかえりましょうと、強く熱いメッセージがありました。共感しました。
 提案にある大阪の地は、ローカルな地名が出てくるので、場所がどこなのかはピンときません。日本最古のため池のほとりで、参加者のうちのだれかの手作りお弁当を食べるそうです。
 それから関西サイクルスポーツセンター訪問、あわせて、石井輝明さんが卒業した高校で東野&岡村旅猿コンビの講演会をする。
 ほかに、海外ドラマ見まくりの旅系統の企画をする。この提案に対しては、岡村隆史さんが楽をしたいので嫌がります。石井輝明さんの『しんどいことしてよ!』のひと声が良かった。同感です。
 忠告で、ゲストとして、お笑いコンビをふたりとも呼んではいけない。番組独自の雰囲気をお笑いコンビの雰囲気にのっとられてしまって、東野&岡村さんの存在がゲストの陰に隠れてしまう。
 お笑いコンビを呼ぶときは、どちらかひとりだけという指摘が的を射ていました。たしか、徳井義実さんだけを呼んだ時に、そこにはいない相方の福田充徳さんの裏話がおもしろかった。

「ぺこぱ シュウペイ(成田秀平) 松陰寺太勇(しょういんじ・たいゆう) 山口県の絶景満喫の旅」
 山口県にあるという虹が浜海水浴場、いろりの山賊(飲食店)、牛島(うしじま。タコ漁) 松陰寺太勇さんの実家で草刈り。
 ここまで見てきて、芸人さんというのは仕事で各地を回ることはあっても、私的に自分で計画して旅行であちこち行く体験がないから、自分が生まれ育った実家付近を旅の行き先として提案しているのではないかと推理しました。

「ダイアン ユースケ(西澤裕介) 津田篤弘 滋賀県琵琶湖で自然と触れ合う旅」
 ふたりとも滋賀県出身なので、やはり、滋賀県が旅の行き先です。
 自分にはよくわかりませんが、津田篤弘さんがお金持ちの家の婿養子に入っていい思いをしているという話が大半でした。
 琵琶湖でブラックバス釣り、キャンプ、ちゃんぽん、近江牛、そして、またしても芸人さんの親族である津田篤弘さんの兄が経営しているレストランで食事をするなどの話が出ていましたが平凡でした。
 ユースケさんだけ来てもらえばいいという東野&岡村コンビの返答に笑いました。


 番組映像を観ながら、自分なりに自分のためだったらどういう旅がいいだろうかと考えました。
 基本は、動かない。
 ひとつは、ヨーロッパのどこか都会の、たとえば、BSNHKで出てくる駅ピアノとか、空港ピアノとかがあるところ、もうひとつは、繁華街にある喫茶休憩スペースなどの椅子に腰かけて、テーブルの上に飲食物を注文してのせて、できるだけ長い時間、同じ場所で立ったり座ったり、うろうろしたりしていたい。雑踏の中のひとりでいたい。
 基本的に、なにもしないことが最高のぜいたくです。観光地巡りのバスツアーは遠慮します。自分がそのときこの地球のそこにいたという自分の記憶が残ればいい。
 別のパターンとして、そよ風に吹かれながら、夕日が海に沈んでいく風景をゆっくりとながめていたい。地球の大きさを体で実感したい。
 コロナ禍が去ったらやってみたい。それまでは、ひとりロックダウン(外出自粛)みたいな状態をつくってがまんしよう。
 もうどこも感染者だらけです。ここまでくると「自助」しかありません。自分で自分の身を守って、まだまだ長生きしなきゃいけません。  

2021年08月28日

いきもの最強バラエティー ウソナンデス

いきもの最強バラエティー ウソナンデス 学研プラス

 古書リサイクルショップで、掘り出し物の本を探すのが楽しみです。自分が読んで気に入った本は、孫たちに見せて、気に入ってもらえればプレゼントします。
 2018年初版の本です。自分はおとななので、すでに知っている知識もあります。

 ホオジロザメが人間を喰うのが世界に広まったのは、洋画「ジョーズ」の影響だろうか。ホオジロザメにとっては、災難だった。どうも誤解があるようです。ホオジロザメが「ぼくたち、かんちがいされています!」と世間に訴えています。

 読んでいて、世の中は、誤解と錯覚で成り立っていると再確認できました。
 ハイエナは悪者扱いされるけれど、本当は、良質なチームワークをもつ狩人なのです。
 
 猪突猛進(ちょとつもうしん)のイノシシさんは、十二支(じゅうにし。ね-うしー、とら……)で猪突猛進(ちょとつもうしん)のイノシシと格付けされて、イノシシ年に生まれた人は、突き進む。目的地がどこなのか自分でもわかっていないのに、どこかへ向かって突き進むタイプであると評価されます。

 カメレオンは、自分の意思で色を変えるのではなく、周囲の明るさや本人の気分で勝手に変わってしまうということが真実だそうです。知りませんでした。

 笛を吹いて、コブラが立ち上がるシーンは、こどものころに映像でよく見ましたが、最近は見かけません。
 以前、「出川哲朗の充電バイクの沖縄旅」で、動物保護のための法律ができて、対決ショーはやっちゃいけないことになったと紹介がありました。
 沖縄での観光ショーだった「コブラ対マングース」は、いまは、昔撮った映像をスクリーンに流すだけだそうです。
 さて、本のほうは、コブラは耳が聞こえない。笛の動きが獲物に見えるそうです。そうか。知らなかった。

 ウミガメさんの涙のことは知っていました。砂浜で卵を産みながら涙を流すのです。あれは、涙ではなくて、単なる液体で、なおかつ、しょっちゅう出しているそうな。

 スカンクのおならは、ガスではなくて、液体だそうです。知りませんでした。

 ヒグラシをはじめとしたセミは短命ではない。これは、こどものころに本を読んで知っていました。地面の中で、幼虫で6年ぐらい生きている。長いものは20年ぐらい生きていると書いてあった記憶ですが、この本では、17年と書いてあります。
 角田光代さんの名作「八日目の蝉(せみ)」の意味は、本当は七日目に死ぬべきだったセミが八日目も生きていたことから不幸が始まると解釈して読みました。(意味として、本当は、その日に火災で亡くなるはずだったあかちゃんが、侵入してきた誘拐犯女性に誘拐されてその命をつなぎとめます。命を助けられたあかちゃんは、誘拐犯の女性によって育てられます。セミ=あかちゃんと解釈しました)

 クマに出会ったら死んだふりをすれば助かるというのは、だれが言い始めたのだろう。だれが言い出したのかはわかりませんが、まずは、出会いたくない。

 生き物のことがいっぱい書いてある本です。

 ナミチスイコウモリ:そうか。コウモリは吸血鬼ドラキュラ伯爵(はくしゃく)のように血を吸うのではなく、血をなめるのか。

 そうか、フクロウの目は、鳥なのに、人間のように正面を向いている。はたと気づきました。だから首がぐるりと回るのか。270度回るそうです。

 へーっと驚くことが次々と出てきます。「鳥目(とりめ)」というけれど、鳥は夜でも目が見えているそうです。やはりこの世は、誤解と錯覚で成り立っています。だから、イメージづくり(いい印象を与える)をして、詐欺的行為(さぎてきこうい。うそをついてだます)で、お金もうけをする悪人がいるのです。

 写真を見て、ウグイスはどっち? というクイズを間違えてしまいました。緑色をした小鳥は、メジロでした。ウグイス色でまどわされました。(惑わされる)

 そうか。ゴリラのドラミングは、グーで胸をたたくのではなく、パーでたたくのか。勘違いをしていました。
 この本は、今年読んで良かった一冊です。

 ハイイロオオカミは、孤独が好きなのではなく、仲間はずれにされているのだそうです。名作童話「あらしのよるに」を思い出しました。オオカミとヤギのともだち恋話でした。

 イリエワニさんのセリフ「あ~ら、あたしなんかに何をインタビューしに来たの? つまらないこと聞いたら、あなた、食べちゃうわよ。」に笑いました。

 アシカとアザラシの見分け方は、たまたま先日テレビで放映されていました。
 アシカには耳があるけれど、アザラシには耳の穴しかないのです。

 へーぇ。養殖されたフグは無毒なんだ。(毒は生まれつきあるのではなくて、食生活が理由で、あとから、毒が体内に蓄積される)

 シロアリは、アリではなくて、ゴキブリの仲間なのか。へーぇ。

 タラバガニはカニではなくて、ヤドカリの仲間で、前にも歩けるそうです。びっくり。

 ジャイアントパンダの歴史が浅いことに驚かされました。4000年以上前から中国の本には出てくるそうですが、フランス人神父によって存在が明らかになり、1870年(日本の明治維新が1868年)に新種の動物として認められたそうです。わずか150年ぐらい前のことで意外でした。歴史が長いようで浅い。

 コビトカバは名古屋市にある東山動物園に行ったときにたいてい見学します。
 本に書いてあるほど貴重な動物だとは知りませんでした。
 1913年(大正2年)にようやくコビトカバの存在が確認できたそうです。

 「シフゾウ」という動物を初めて知りました。鹿と牛と馬とロバを合わせたような動物だそうです。こちらも中国にいた動物で、中国では絶滅したけれど、ヨーロッパの動物園に送られた10頭が生き残って絶滅を避けられたそうです。  

Posted by 熊太郎 at 07:15Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年08月27日

たたかう恐竜たち 別巻 恐竜トリケラトプスの大めいろ

たたかう恐竜たち 別巻 恐竜トリケラトプスの大めいろ ジュラ紀クレーターへの道 黒田みつひろ・作絵 小峰書店

 リサイクルショップで手に入れました。2002年初版のめいろ絵本です。
 わいわいとこども同士、親子同士、じじばばと孫同士で、交流タイムをもちながら迷路を楽しむ絵本です。

 トリケラトプスは「サイ」のようなみかけで、お顔に角(ツノ)が3本生えています。
 ステゴサウルスも四つ足で歩きます。背中には、お魚のせびれのようなビロビロが筋のようになってくっついます。ビロビロは、首からしっぽの先まで続いています。
 トリケラトプスもステゴサウルスもポピュラー(一般によく知られている。人気のある)な恐竜の種類です。
 ティラノザウルスは怖そうに見える恐竜です。それぞれ絵描き歌もあって、わたしは、歌いながら孫たちに絵を描いて描き方を教えます。

 絵本の始まりは、恐竜の歴史書みたいです。「ジュラ紀クレーターへの道」とテーマが書いてあります。
 たしか、恐竜がいた時代は、わたしが独自につくった自分のための年表によると、
 宇宙の始まり:138億年前
 地球誕生:46億年前
 恐竜時代として、
 三畳紀(さんじょうき。2億年ぐらい前)
 ジュラ紀(1億5000万年ぐらい前)
 白亜紀(7000万年ぐらい前)
 恐竜は、6600万年前ぐらいに、隕石の衝突で気候が変化した地球環境が原因で死滅した。
 と記録されております。

 4歳ぐらいのこどもさん向けの迷路です。されど、終わりに近づくにしたがってむずかしくなります。
 10ページあたりまでくると、けっこうむずかしい。
 鳥の形をした「翼竜(よくりゅう)」が出てきます。よく聞くのが、プテラノドンです。絵描き歌にあります。

 そういえば、あまりにもむずかしい迷路は、自分がこどものころは、「ゴール」から戻る形で解きました。「ゴール」から「スタート」に向かうのです。ちょっとずるいですが、いいのです。

 本に描いてある絵が上手です。迫力ある動きが伝わってきます。

(その後)
 孫たちにはかなりうけました。
 何度もやろうやろうと誘われました。
 絵本というのは、物語の内容だけではなくて、読み手、聴き手で、その場でつくる物語でもあります。
 楽しむパターンは、個々の読み方の数だけあります。
 あとは、自分たちに合うか合わないかです。
 小説とは異なる趣向があります。  

Posted by 熊太郎 at 06:57Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年08月26日

きょうりゅうどーん 広瀬克也

きょうりゅうどーん 広瀬克也 絵本館

 (自分は)好きだなあ。こういう単純明快な世界。
 リサイクルショップで見つけました。2016年初版の絵本です。
 こどもさんは恐竜が好きです。
 こういう単純なコンセプト(ねらい。基礎となっている考え方)が好きです。
 絵本の内容を頭で理解するのではなく、体で感じるのです。

 「きょろきょろきょろり」「ぎょろぎょろぎょろり」「どーんどーんだーんだーん」「ぐがー」というように擬音語、擬声語が続きます。自然界の音や恐竜の声です。ひたすら擬音語・擬声語が続きます。
 恐竜は言葉をしゃべりません。
 筋書はありません。物語は、本を見ている者、読んであげている者たちでつくるのです。
 
 リサイクルショップで絵本探しをしていたら、若いママと息子と娘の三人連れがそばに来て、「なんでもいいよ。それぞれ一冊買ってあげる」とママが声をかけたのです。
 ふたりのこどもは本読みに没頭し始めました。ママは少しイライラし始めました。「まだ(買いたい本が)決まらないの」ふたりのこどもさんは黙っています。こどもに時間の感覚はありません。
 「これがいいんじゃないの?」ママは自分が選んだ本を押し付けようとします。ふたりのこどもの目は同意していません。
 お店でこの絵本のなかみを見ているときにそんなことがありました。

 恐竜の絵は大迫力があります。怖いぐらいのかれらの形相(ぎょうそう)です。
 でも、闘ったら勝てそうな気もします。人間の知恵があれば生け捕りもいけそうです。
 恐竜の絵のそばには恐竜の名前が小さく書いてあります。「アロサウルス」「ブラキオサウルス」「トリケラトプス」「ティラノサウルス」たくさんいます。「モササウルス」恐竜じゃないけれど「アンモナイト」なんだか、怪獣映画のネタ元になった恐竜もいそうです。
 福井県勝山市で発見された「フクイリュウ」はいないなあ。それから北海道むかわ町で発見された「カムイサウルス(むかわ竜)」も出てきません。残念。たしか兵庫県でも恐竜の化石が発見されました。「丹波竜(たんばりゅう)」だったと思います。

 恐竜たちは元気いっぱいです。勢いがあります。びゅーんと飛んでいます。
 パラサウロロフスは、去年お店でおもちゃの「恐竜のたまご」を買って、水中で育てたら孵化して(ふかして)生まれました。とっても大きくふくらみましたが、いまは、しぼんでちっちゃくなっています。

 絵本では、東京タワーとスカイツリーも出てきました。そういえば、先日、新型コロナウィルスの感染者数の棒グラフを見ていて、上がったり下がったりの波があって、東京タワーとスカイツリーみたいだと思いました。棒グラフが、はやく0になってほしい。スカイツリーの高さは、ぐんぐん高くなるばかりです。

 すごい勢いで恐竜たちが走ります。時速300キロぐらい出ているような感じの絵です。大迫力です。きみたちはどこに向かって走っているのだ。きっと走っているきみたちにもわからないのだろう。
 大きな穴の中に、ジャンプして落ちていく姿で終わりました。ティラノサウルスくん、きみは、地球の裏側へと続く穴に落ちてしまったのかい。どーん。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)読書感想文