2021年07月25日

夢十夜(ゆめじゅうや) 夏目漱石

夢十夜(ゆめじゅうや) 夏目漱石 岩波文庫

 1908年(明治41年)の作品です。夏目漱石氏の年齢は元号の数値と一致するので41歳のときの作品でしょう。ちなみに49歳で亡くなっています。
 「図書館の神様」瀬尾まいこ作品の中で紹介されていて、興味をもって手にしました。怪談、スリラーのような印象をもっています。これから読み始めます。第一夜から第十話まであって、ページ数にすると、35ページあります。

「第一夜」
 「こんな夢を見た。」から始まります。寝ている女が「もう死にます」と言うのです。
 黒い眼を睜たまま(みはったまま):目を大きく見開いたまま。
 睫:まつげ
 女は死んだあと百年後に生き返るそうです。
 詩を読むようです。
 妖精たちが登場人物のようでもあります。
 唐紅の天道(からくれないのてんとう):濃い紅色(深紅)の太陽
 オチはここには書きません。

「第二夜」
 文章が自分には、高尚(こうしょう。気高くて立派。高級で上品)過ぎて、自分に理解する能力がありませんが、恐怖の迫力は強く感じます。
 自分なりに想像・空想するに、お寺の和尚さんの下にある地位ぐらいのお坊さんが、過去に亡くなっている武士に精神をのっとられていて、短刀で自死の催眠術をかけられているような状態だと思うのです。洗脳があります。曲解かもしれません。(素直ではない解釈)
 もうひとつの解釈としては、時間の地点を変えて、サムライがいた時代にリアルタイムで起きているいざこざとして解釈することもできますが、自分は、前段で説明した現代に近い時代設定での出来事として解釈したほうが、恐怖感が増すので好みです。
 蕪村(ぶそん):与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716年-1784年 68歳ぐらいで死没 俳人 文人画家

「第三夜」
 過去に自分(男)が殺した人間が、自分のこども(6歳男児)に生まれかわって、自分に仕返しをしてくるという怖いお話でした。自分はこどもを森に捨てに行くのです。
 不可い:いけない
 『その小僧がくっついていて、自分の過去、現在、未来をことごとく照らして、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている』すぐれた文章です。

「第四話」
 じいさんがひとりで酒を飲んでいます。それを見ているこどもの自分がいる夢をみています。
 「神さん」が出てきます。神さまのことでしょう。
 そのふたりの問答は不思議です。神さまがじいさんに、あなたはだれで、これからどこにいくのかとたずねます。
 こどもの自分はじいさんのあとをついていきます。どうも、じいさんにはこどもの自分が見えていません。
 読み手の期待をはずしたオチです。なにも起こりません。

「第五夜」
 古代の時代設定で、戦に(いくさに)破れて、敵に生け捕りにされた自分がいます。
 大将から、死ぬか生きるかと選択を迫られます。
 どちらを選択しても答えは「死」しかないそうです。生きると答えると恥になるので、「死ぬ」を選択しました。
 敗者は、死ぬ前に好きな女に会いたいと願い出ます。敵の大将は、夜が明けて鶏(とり。にわとり)が鳴くまでに女が来なければ、女に逢わせず(あわせず)に殺す意向です。この付近は「走れメロス」のようすです。もしかしたらここに太宰治作品のヒントがあったのかも。
 女は白い馬にのっています。
 ラストはちょっと理解できません。敗者の好きな女は天探女(あまのじゃく。あまのさぐめ。日本神話に出てくる女神。邪神です。災い(わざわい)をもたらす神)にだまされて命を落としたようです。

「第六夜」
 彫刻士の運慶が山門で仁王をつくっています。時代背景は鎌倉時代のはずなのですが、運慶の姿をながめているのは明治時代の人間たちです。

 鑿(のみ。削る)と槌(つち。のみの尾をたたく)

 木を仁王の形につくのではなく、木の中に仁王がいるので掘り出すそうです。

 夢を見ている自分も木から仁王を掘り出そうと挑戦を繰り返しますがうまくいきません。

「第七夜」
 自分は大きな蒸気船に乗っている。お客もたくさん乗っている。たいていは偉人の客だ。
 女が泣いている。
 自分は死ぬことを考えている。
 小説家は「死」と隣り合わせで文章を書いています。
 底なしの暗闇に落ちていくような感覚があります。

「第八夜」
 床屋に行った夢です。
 庄太郎という人物が女を連れて歩いているのが床屋の鏡に映った窓の向こうに見えます。
 金魚売りの話が出て、終わります。なにかの伏線だろうか。

「第九夜」
 戦争の話が出ます。明治41年の記事だから、明治27年が日清戦争、明治37年が日露戦争、どっちの戦争かと考えていたら、どうもサムライの時代における武士同士の戦(いくさ)らしい。
 若い母親と三歳の子どもがいます。父親が戦(いくさ)に行ったまま帰ってきません。
 神社でお百度参りをする母親の近くで、細帯で欄干(らんかん)にくくりつけられたこどもがいます。怖い雰囲気を創り出す文章です。

「第十夜」
 第八夜で出てきた庄太郎が再び登場します。彼は善良な正直者ですが、女の顔をながめることが好きです。
 庄太郎は声をかけてきた女について行って帰ってきません。そこから大量の豚の話になっていきます。
 これは夢です。

 明治41年7月25日から8月5日の作品と最後に書いてありました。


同じ文庫におさめられている作品です。
「文鳥」
 夏目漱石さんのじっさいの暮らしを下地にして日誌のように記述してありました。「命」を扱った作品だと思います。
 娘さんの結婚話と文鳥のことを重ね合わせてあるような印象が残りましたが、それが、趣旨なのかは自信がありません。(他の解説情報では、娘さんではなくて、別の女性が亡くなったことと重ね合わせあるとのことでした。作品中では文鳥は死んでしまいます)
 自分も中学生のころにジュウシマツやセキセイインコを飼育していたことがあるので、そのときのことを思い出しながら読みました。
 作品の時代背景は、1908年、明治41年4月1日のころで、解説によると「坑夫(こうふ)」という作品を書いていた頃だそうです。足尾銅山(あしおどうざん。栃木県足尾町。現在は同県日光市内。閉山が1973年(昭和48年))がからんでいた作品という記憶があります。日本最初の公害事件発祥の地です。田中正三氏が明治天皇に直訴しようとしたのが、1901年(明治34年)のことでした。

「永日小品(えいじつしょうひん)」
 25本の短文が固められています。
 日記のような日誌形式です。
 リズム感があって、読みやすい文章です。
 自分は明治時代の人間ではないので、書いてあることの勝手がわかりません。(暮らし向きがわからない)書いてある内容をすんなり理解することはできません。(1909年)明治42年1月1日から3月12日という日付が末尾に付記されています。42歳のころの作品群です。なお、夏目漱石氏は49歳で病死されています。
 テレビもラジオもない時代です。ラジオ放送は(1925年)大正14年に始まりました。もうすぐ100年です。テレビ放送は、(1953年)昭和28年のことでした。自家用車が国民全体に普及したのは、もっとあと(1975年ころ)昭和50年代前半のことだったという記憶です。
 本作品は、いまでいえば、なにもない時代の娯楽に関する記述です。なにもないけれど、逆に、現在ではなくなったものが、明治時代にはあったと思います。
 本作品には、夏目漱石氏がイギリスロンドンに留学していた33歳のころのことがけっこう書いてあります。書いていたときの彼の年齢は42歳ぐらいのことですから10年ぐらい前のことです。楽しかったという記憶の記述ではありません。
 「金(かね)」という作品が記憶に残りました。「金は魔物だね」とあります。明治の人は、火鉢を囲んだだけで物語が始まります。火鉢の灰に丸を描いてそれが金だと言う。金は何にでも変化する。衣服(きもの)にもなれば、食物(くいもの)にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる……と続きます。そして、この丸が(金が)善人にもなれば悪人にもなる……
 
 現在も存在する「両国橋」という橋の名称が登場します。顔を会わせることはありませんが、時代を超えて、共通の橋を渡るという行為を人間はしています。

 当時日本の植民地だった台湾の話も出てきます。明治27年(1894年)が日清戦争。日本が台湾に上陸したのが明治28年(1895年)。同年の下関条約(日清講和条約)がきっかけで日本の台湾統治が始まった記憶です。そして、この文章は明治42年(1909年)に書かれています。

 解説には、夏目漱石氏は、二面性があった人のように書いてありました。  

Posted by 熊太郎 at 06:46Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年07月24日

相棒 シーズン13

相棒 シーズン13 2014年(平成26年)10月から2015年(平成27年)3月

「第一話 ファントム・アサシン<スペシャル>」
 ロシアの情報収集機関に属するスパイと日本人協力者に関する連続殺人事件です。
 雨が降り続くシーンが印象的で、全体の重苦しい雰囲気に合っていました。
 密室殺人、撲殺、刺殺、絞殺、突き落とし、人殺しの連続でおぞましい。背を向けたくなります。
 「法律が裁かなければ自分が裁く(さばく)」と主張する治安維持関係機関職員がいます。今後のことを考えると杉下右京の相棒である甲斐享にもさきざきこの言葉が重ねられていくのでしょう。
 犯人個人の欲望を国の安全を維持するためと言い換える。
 教訓として、不正をすると失うものがある。
 最後のほうはすごい終わり方でした。軽かったことがらがどんどん重くなっていきました。ロシア人スパイと日本人女性警察職員幹部との間に生まれたらしきハーフの女児が登場しました。融通(ゆうずう)がきかない杉下右京は情報漏洩の不正を許さないでしょう。

「第二話 14歳」
 名探偵コナンのような少年が登場します。容疑者となった文科省官僚の息子中学二年生です。
 いじめが発端ですが、真相はいじめではなく、行政の不祥事に関する隠蔽です。
 BGM(バックグランドミュージック)で視聴者の感情を誘導する映像づくりです。あまり過度になると話の筋がだいなしになります。
 杉下右京のセリフが良かった。「地位も名誉も人生も、すべてを失うことになります」
 天下り先の確保のほうが大切な官僚の世界を描いた作品でした。

「第三話 許されざる者」
 マンション建物全体を対象とした密室殺人事件が起こったという設定で始まります。
 冤罪(えんざい)がらみのお話ですが、なんと弁護士と裁判所は、殺人の真犯人を無罪にしてしまいました。ひどい話です。
 だれが無罪になろうが、有罪になろうが、自分が安定した収入を得られればどっちでもいいとなったらこの世の秩序は終わりです。
 証拠が大事です。
 劇中の言葉にありましたが、この世にはモンスターがいます。

「第四話 第三の女」
 内部告発を使用とした女性社員が自殺のように見えるビルからの転落で殺害されます。警察と業者との官製談合です。
 何度も繰り返される杉下右京の決めゼリフ「もうひとつうがかいたいことがあるのですが……」はもう聞き飽きたのですが、聞くと落ち着きます。
 
「第五話 最後の告白」
 冤罪事件です。殺人事件の真犯人が告白しますが、裁判で死刑囚になった男は、わけあって、殺していないのに、自分が殺したと主張します。
 いっぽう杉下右京の相棒である甲斐享は、自分がお世話になった先輩の不正を責めなければならない立場に置かれて悩みます。正義感の固まりである杉下右京には、温情とか融通は通じません。杉下右京は冤罪を許しません。厳しい姿勢があります。甲斐享が杉下右京に「正しければそれでいいんですか!」と抗議しますが、杉下右京はその言葉を受け付けません。「まあ生きていればいいんだ。生きていければいいんだ。(警察勤務以外の別の仕事もたくさんあります)」というところへ落ち着きます。
 杉下右京がめざすのは、法治国家です。
 観ていて、ドラマだなあという感想をもちました。

「第六話 ママ友」
 23分たっても事件の内容は皆目わかりません。
 ママ友が五人出てきて、殺人がからみますが、なんだかはっきりしない部分があります。
 31分を過ぎて、ようやく謎が解けそうです。45分番組です。
 小説・ドラマ・映画「朝が来る」パターンがあります。養子ですが、秘密にしている母親がいます。されど、「朝が来る」とは異なる展開があります。
 トリックはと気持ちの整理のしかたは、さすがでした。
 うわべだけの仲良しとか、ひとりだけを見下してのいじめ、差別、人間のイヤな面も表現されます。

「第七話 死命(しめい)」
 結婚詐欺のようなようすを見ていたら、さらに配偶者に保険をかける保険金殺人にまで至りました。さらに集団で組織的に行っているのです。若い世代の男女が、年配の男性や女性と結婚して凶行に及びます。毒物もからんでいて、どこかのドンファン事件をさらに拡大したような構図だと、観ていて感じました。
 そこに甲斐享の事情がからんできます。
 甲斐享に追いかけられている男性が、なぜ、逃げるのだろうとか、しかも、行き止まりになる屋上へ逃げるのだろうかという疑問を最初あたりのシーンでもちました。屋上からの転落自死です。これからどうなるのだろうがスタートにありました。
 男社会の映像です。
 犯罪者リーダーには、表向きの善行と裏の顔があります。
 「洗脳」強制的に思想を脳に植えつけて人間を自由自在にコントロールする。狙われた人間は狙った人間の「道具」としての存在です。
 伏線として「ベスト(衣類)」がありました。
 悪人の汚れた心をきれいな水で洗い落とす手法でした。

「第八話 幸運の行方」
 杉下右京と甲斐享のふたりが、商店街で防犯パトロールをしているシーンからスタートしました。
 質屋のおやじさんとお金のない大学生と呉服屋の旦那さんとであれこれあり、金庫を狙った泥棒と殺人事件が発生しました。
 殺人事件の推理ゲームですが、コメディのように明るい。そういうことかとうなずきます。おもしろい。矢崎滋(やざき・しげる)さんの演技が上手で引き込まれました。

「第九話 サイドストーリー」
 美人介護士・夜はキャバ嬢殺人事件の発生です。高齢者虐待と元夫のストーカー行為もからんできます。
 殺人事件の犯人が逮捕されたけれど、自供がはっきりしない。加害行為を認めない元夫です。共犯行為があって、さらにかばう行為があります。
 ネグレクト(育児放棄)というのは、こどもだけではなく、高齢者の介護でも使用されるということを知りました。ひどい人がいます。介護が必要な親に食事を与えない息子が出てきます。

「第十話 ストレイシープ <スペシャル>」
 クリスマスの時期のスペシャル二時間版でした。
 ストレイシープ:新約聖書に出てくる羊が迷ったお話だそうです。100匹のうち1匹いなくなって探しますかというおたずねで、なにを言いたいかというと、人間にもいなくなっても探してもらえない不幸な存在としての人物がいるということのようです。ときに、宗教的な雰囲気包まれるのが相棒の特色です。いなくなっても気づかれない存在です。人として、それは、とても寂しい。犯人が杉下右京に投げかけた言葉です。『あなたには、探してくれる人がいるのですね』杉下右京さんには相棒の甲斐享くんがいます。

 スナイパー(狙撃手)の寺島進さんが痛快でした。かっこいいー 異次元のスーパーマンです。
 以前、寺島進さんが活躍したシーズン5-11話「バベルの塔~史上最悪のカウント・ダウン」を思い出しました。
 
 ダージリンとアールグレイという紅茶の種類が伏線です。
 完全犯罪を企画できる能力をもった人間による犯罪です。
 濡れ衣を(悪人扱いされる)かぶせられる杉下右京です。
 投資によるお金の損失のこと、異性関係・愛人関係のこと。犯罪に金と女は付き物です。
 キャッシュレスの時代に身代金が現金だったことが不思議でしたが、2014年の作品です。今だと電子マネーとか仮想通貨で身代金払いなのでしょう。

 警察庁幹部職員である石坂浩二さんは、いいお父さんでした。

 治療が困難な難病にかかった患者さんに関する安楽死問題を扱うという思いテーマがありました。恐ろしいお話です。
 
「第十一話 米沢守、最後の挨拶」
 鑑識六角精児さん演じる米沢守がハメられて、依願退職に追い込まれます。最後は逆転しますが、いつになるかわかりませんが、本当にいなくなるということは前知識で知っています。ほんのちょっとの出演ロケ撮影で長時間をとられることが苦痛だったとインタビューで答えておられました。まあ仕事ですから裏ではいろいろあるのでしょう。
 
 さて、連続殺人事件の容疑者候補に米沢守さんが挙がります。どこの現場にも米沢守さんのDNAが残っています。

 ふたつのことが重ねてありました。
 トラブルというものは、ひとつだけの単体で起きるものではなく、複数のトラブルが重なって起こります。重々しい。現実社会があります。
 ドラマでは、真実が明らかになって正義が守られて救われますが、現実ではそうはいかないことがあります。

 咎(とが):人から責められる行為。しくじり 

「第十二話 学び舎」
 ホームレスの襲撃かというところから始まりますが、大学の金銭管理の話でした。
 2018年問題というのがあるそうです。少子化で大学に入るこどもが少なくて、大学で経営に行き詰まるところが出てくるそうです。
 お金のためなら人をも殺すのか。
 頭が良くなると心を失う人もいる。

「第十三話 人生最良の日」
 理屈を積み重ねていく、ていねいにつくられたドラマでした。
 結婚してもなにもいいことがなかったというのはつらい。「そんな人生、あんまりじゃない」というセリフに実感がこもっていました。せつなくなりました。(そんな結婚はしちゃいけない)

 女子高生の時の思い出とか、未来への夢とかが下地にあります。
 ガソリンスタンド店主の妻になった女性が苦労します。
 若い頃からのファンである流行歌のバンドマンとか、覚せい剤がらみの事件とか、まるで、ブラックコメディパフォーマンスを見ているようでした。気の毒な女性もなかなかしたたかです。
 東北弁のように聞こえる茨城弁もあります。犯人グループを含めたメンバーはおもしろい逆グループに見えました。

「第十四話 アザミ」
 バイオリンをつくっている工房のお話です。
 『無伴奏バイオリンのためのソナタ』という曲が奏でられます。そして、ふたごの少女たちがいます。
 ウサギの仮面をかぶったおそろしげな殺人犯人です。

 杉下右京の生き方はとても苦しい。天才の生きざまがあります。得るものがあれば、失うものもあります。

 あの人たちは、アザミのような人たちよ。
 たくさんの人を傷つけるトゲのあるアザミです。
 
 からくりは途中でピンときました。

 血縁関係のある一族間の殺し合いです。むごい。
 古代から戦国時代まで続く日本史の中の権力争いようです。
 悪人のセリフとして「これは、ビジネスなの」

「第十五話 鮎川教授最後の授業」
 杉下右京と広報課の社美彌子(やしろ・みやこ)、そのほか4人の東大卒業メンバーが、恩師の鮎川教授に命を狙われるという新鮮な発想の設定です。同教授が、狂人化したように見えます。
 教授からの設問は「人はなぜ人を殺してはいけないのか」です。メンバーは解答をつくらなければなりません。
 ドラマの途中で自分が考えたことです。設問の答はありません。たとえば、戦争における殺人は犯罪ではありません。原子爆弾を投下したパイロットは逮捕されていません。
 自分も殺される立場にあるから殺してはいけない。殺せば、殺された関係者が復讐心をもつ。殺した者は、復讐心をもつ者に狙われて、仕返しとして殺される運命になる。殺人の連鎖が起こる。どちらかの集団のメンバーが絶滅するまで殺し殺されるという殺人の連鎖は続く。だから、人は人を殺してはいけないということが、自分の考えた解答です。おおむねドラマもそのように進行していきます。

 甲斐享の同棲相手笛吹悦子について、ふたりのこどもの妊娠とか、笛吹悦子の骨髄性白血病発病とかの話が出てきます。こどもの妊娠にかんするふたつのラインはいずれつながります。

 みなさん演技がとてもお上手です。

 人を殺したくてたまらない人というのは実際にいます。過去に、犯人となった女子大生とか、小学生女児が、殺人事件の加害者として逮捕された事件がありました。怖いことですが、そういう頭脳をもって生まれてくる人がいます。人の姿はしているけれど、人とは違う生き物がいます。だからすべての人を素直に信用してはいけません。
 鮎川教授のことを「眠っていた悪魔が目を覚ました」と表現します。

「第十六話 鮎川教授最後の授業・解決編」
 ソーシャルネットワークサービスを利用して、出会って、犯罪に巻き込まれて、命を落とす。警戒しましょう。
 
 学校の先生(鮎川教授)というものは、指示をしたがるのね。

 「肩書き」ほど、信用できないものはないということか。
 理由があるとはいえ、鮎川教授がしていることは「犯罪」です。

 話は、心の深いところへと刺さっていきます。

 妊娠して、ベイビーが無事に産まれてくることというのは、けっこうむずかしい。

 なかなかむずかしい。
 交通事故といっしょで、今日の被害者は、これから先の加害者になりえます。

 「殺意」があって、「自殺」の手助けにつなげる。殺してもらいたかった。
 いろいろと「命」を考えることがテーマでした。
 鮎川教授は、登場人物の言葉を借りると、大がかりな仕掛けで、強引に目的を達成した。

 最後付近、水谷豊さんが演じる「杉下右京」と仲間由紀恵さんが演じる「社美彌子(やしろ・みやこ)」が化け物に見えました。

「第十七話 妹よ」
 陣川公平さんの妹で、ヘッドハンターという仕事をしている陣川美奈子さんが拉致されるという事件でした。ヘッドハンターという職業や会社があることは知りませんでした。
 よくできた作品でした。杉下右京の推理が冴えます(さえます)。右京さんは「(兄の病気看病のためにつくっていた)おかゆをこがした」という点に着眼して事件のなかみへとつながっていきます。
 なるほどと感心しました。最後は喜劇的な部分もありました。

「第十八話 苦い水(にがいみず)」
 将来総理大臣の席を狙っているらしい国会議員の片山雛子さんを中心において、痴情のもつれのような殺人事件が起きます。
 彼女の権力志向と男女の恋愛とが表現されていました。
 政治家のありようとしてマイナスもさかてにとって、大きくなっていくという片山雛子氏の姿がありました。幸も不幸も材料にして、目標に向けて駆け上がっていくという彼女の決心があります。

「最終話 ダークナイト<スペシャル>」
 相棒である甲斐享(カイト)が消えるのか。(消えました)
 ダークナイト:悪党を法令等に基づかずに成敗する。(成敗:せいばい。やっつける。こらしめる)
 杉下右京は、甲斐享がダークナイトであることに感づいています。
 
 このシリーズでは、甲斐享の父子関係(石坂浩二さんが演じる警察庁幹部職員の父)に焦点を当てている部分があります。親子の関係が悪いのです。
 甲斐享の婚約者のために親子は偽りの和解をします。芝居のなかで芝居をしています。
 されど、甲斐享の婚約者女性も甲斐享がダークナイトであることに気づきます。
 いろんな不幸が押し寄せてきます。
 
 出世欲の塊(かたまり)である石坂浩二さんが演じる父親の言葉の趣旨として『宿命:本人の力ではどうすることもできないもの。宿命によって、勝負は決する。』

 ダークナイトはなぜ同じ服装で犯行をするのだろうという疑問が生まれました。(自己顕示欲。自分がかっこよくみえるため。父親に対するあてこすりもあるのでしょう。わざと反対のことをしていじわるをする)

 シンパ:賛同者、共鳴者

 なぜ留置所内に置かれた布団の間に逃走お助けメモをはさめたのかが疑問でした。

 今回のこの話の部分は、話が暗い。暗いトンネルの中をいつもとは違う杉下右京が単調に歩いて前に進んでいるようです。あってはならないことが起きているからでしょう。
 
 『勝ち目のない相手とは、最初から事(こと)を構えるな』

 杉下右京の個性設定として『ぼくは、純粋に正義を信じている』

 失望とがっかりが、心の中いっぱいに広がりました。(初代相棒の亀山薫さんがなつかしい)

 甲斐享は、いてはいけない場所にいた人だった。
 杉下右京は、容赦(ようしゃ。手加減しない)なく真実を暴きます(あばきます)。

 甲斐享の頭の中を変えることはできません。病気です。
 いいところに生まれてきてもいかれている人がいる。甲斐享の存在は、父と子のことを追求する相棒シリーズでした。
 これまでのことは奇跡だった。これからは現実があります。

 杉下右京は人材の墓場:部下が犠牲となって職を失う。
 そして、杉下右京はまたひとりになりました。


 2000年から始まったこのシリーズを知ったのは、2018年秋ごろのことでした。同じく、自分は、2000年ぐらいから仕事が忙しくてテレビをほとんど観ませんでした。いまは、リタイアして、時間に余裕ができたので、過去の映像記録を見ながら、知らずに過ぎた20年間をふりかえる時間の旅を楽しんでいます。
 ドラマでこの先がどうなるのかはまだ知りません。杉下右京は、甲斐享の上司としての責任を問われて、無期限の停職処分になって、外国(たぶん英国)に旅立ったようです。しかし、停職に「永久」みたいな期間設定があるとは思えないのですが、これはドラマです。おもしろい。シーズン14が楽しみです。(2015年秋スタート作品)  

2021年07月21日

みをつくし料理帖 邦画DVD

みをつくし料理帖 邦画DVD 2020年公開

 澪標(みおつくし):船の目標となる標識。航路や水深を知らせる目印の杭(くい)<大阪市のシンボルマーク>

 女性同士の友情を描いた味わいのある日本映画でした。
 気持ちが落ち着く江戸時代です。
 南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)の滝沢馬琴(たきざわばきん)らしき人物が出てくるので、1842年ごろ(イギリスと清が戦ったアヘン戦争のころ)をイメージして映像を観ました。

 料理とか食事の話です。
 上方(関西)から江戸(関東)へ移り住んだふたりの女性です。
 関西は薄味、関東は濃い口(こいくち)の味付けです。
 
 つくり話なので、事実はどうかはわかりませんが、筋を信じて感情移入はできます。
 いい雰囲気のシーンもありますし、つまらない面もありますが、後半に向かっては、観ているほうも感情が高ぶってきます。
 (江戸時代に日本を訪れたことがあるトロイの遺跡を発見したシュリーマン氏によれば、『他の国では、人々は娼婦をあわれみながらもいやしいものとしている。されど、日本では「おいらん」を尊い職業と考えて神格化しているとあり、シュリーマン氏は西洋とは異なる文化的な相違にかなりショックを受けています)(また、別の話として、江戸を訪れたどの外国人が記したものか忘れてしまい外国人の名前を思い出せませんが、江戸時代の地方に生まれたこどもは、幼いうちに、まちに奉公に出されて、読み書き計算、礼儀作法を習うという立派な教育システムが整っている。そのことをすばらしい社会制度だとほめていました。親も子も周囲の人たちもそれがあたりまえと思っていて、だれもいやだとは思っていないと書いてありました。何年か奉公したあと、独立もできるし、親元に帰ることもできたとありました。ゆえに朝ドラ「おしん」のように涙が流れる親子のお別れシーンというのは、じっさいにあったかどうかわからないのです。よく考えてみれば、兄弟姉妹がたくさんいる食うのにも困る貧しい親元にいるよりは、働いてお金をもらって、自由に好きなことをできたほうが本人はうれしいのです)

 キツネが伏線です。
 あともうひとつの伏線が、簪(かんざし)です。

 観ていて、「料理」は、科学と数学、統計、そして、「心をこめて」だと思いました。

 途中「復讐モノ」かと思いましたが、違っていました。

 アイデアを盗まれた被害者のほうが、火をつけるのかと思っていたら、アイデアを盗んだことを抗議された加害者のほうが被害者宅に放火したのでびっくりしました。

 人生は山あり谷ありです。山のときはいばらず、谷のときは、じっと耐えて力と運を蓄えます。

 「おにぎり」は、胸に響くものがあります。涙がにじむ映画です。
 「感謝」という文字が良かった。
 
 案外男社会の映画かもしれません。男が理想とする女性像が描かれています。

 観終わって、ああ、映画を観たなあという気分になれました。
 人情ものです。心意気(まっすぐな強い気持ち)が描かれています。
 映画だからできることがあります。
 夢の世界です。
 貝合わせ(かいあわせ)が良かった。姫路城内で見たことがあります。
 今年観て良かったすがすがしい一本でした。  

2021年07月20日

461個のおべんとう 邦画DVD

461個のおべんとう 邦画DVD 2020年公開

 両親が離婚して、父親に引き取られた高校生男子が、父親がつくってくれるおべんとうをもって高校に通学するというお話です。
 悪人はいない映画です。登場人物は、どこまでも心優しい。それが、物足りなさにもつながっていくのですが、この映画自体が、演じるタレントさんたちのファンが観る映画なのでしょう。
 映画では、お互いに、言いたいことを言えない雰囲気と環境があります。相手の気持ちを気づかって遠慮して声が出ないのです。そういうことってじっさいあります。かなり苦しくなります。

 「離婚」と「高校不合格」が重なります。
 最近は推薦入試で高校に入学する中学生が多いので、高校を不合格になって、翌年合格して入学するこどもさんというのは珍しい。
 
 男親のべんとうづくりは、映画を観ている男性にひとり暮らしの体験があるかないかで、感想が違ってくるでしょう。
 あわせて、こどもとふたり暮らしをしばらくでもしたことがある男親だと感想が違ってきます。
 体験がある者にとっては、べつだん、悲しいことでもつらいことでもありません。やるしかないのです。それが生活していくということです。

 父親が自営業のような仕事だからべんとうづくりができるということもあります。
 高校生なら、自分でべんとうをつくればという意見も出てきます。
 お弁当とか、お料理は、つくるのには時間がかかりますが、食べ終わるまでの時間はそれほどかかりません。いろいろたいへんです。
 この映画の設定の場合の父親は、「親としての親であることの意地」「親権者としての責任」「(離婚するにあたり、自分との同居を選んでくれた息子への)感謝」があります。
 夫婦はどうして離婚するのか。どうして妥協できないのか(折り合いをつけて、合意できる一点を求めることができないところにまで達してしまう)夫婦というものは、譲るとか、相手におまかせしますと言えないと、離婚に近づいていきます。
 最近なにかの本で読んで心に残っている文節です。『家族とは、お互いのことを心配し合いながら、一緒にご飯を食べるメンバーのこと』
 だれかがだれかを、あるいは複数でだれかひとりをいじめるような言動が続くと、メンバー同士のつながりは破たんします。
 
 こどもがこどもである期間は短い。
 類似の映画で『今日も嫌がらせ弁当』がありした。確か撮影地は八丈島でした。

 映像を観ていて、ふと、消えていた記憶がよみがえりました。たしか、七歳ぐらいの頃、病院の病室から小学校へ登校したという記憶です。父親だったのか母親だったのか思い出せませんが、どちらかが入院している病室でひと晩寝てから朝、小学校にランドセルをしょって登校した記憶が残っています。すっかり忘れていました。

 見た目も美しくておいしいおべんとうを、友だちも一緒に、三人で毎日食べるために学校へ行く。あるいは、学校へ行こう。そう、学校へ行こうというメッセージがあります。勉強することは、あとからついてくることです。
 おべんとう=愛情なんだなと、再確認させてもらえる映画です。

 大学に行ったら、おべんとうはどうするかの話が出ます。一般論としては、こどもは、大学に合格したら、いいかげん自立してくださいな。アルバイトもして、できるだけ自活してほしい。  

2021年07月19日

ヒュースケン日本日記 1855-61 青木枝朗・訳

ヒュースケン日本日記 1855-61 青木枝朗(あおき・しろう)・訳 岩波文庫

 タウンゼント・ハリス:1804年-1878年(1868年が明治元年) 73歳没 アメリカ合衆国外交官 初代駐日領事(伊豆下田玉泉寺(ぎょくせんじ)におかれたアメリカ総領事館) 1856年8月、51歳の時に来日(ペリーの2回目の来航が1854年 日米和親条約締結)1858年日米修好通商条約を締結し1859年から下田の領事館を閉鎖して、江戸の元麻布善福寺にアメリカ合衆国公使館を置いて移り住んだ。1862年に帰国した。このころ本土アメリカ合衆国では、1861年-1865年奴隷制度に関連して南北戦争が行われていた。いま放映されている大河ドラマの主役である渋沢栄一氏が、1927年に玉泉寺内のタウンゼント・ハリス氏のための記念碑建立(こんりゅう。建設)に協力されています。

 ヘンリー・ヒュースケン:1832年-1861年 オランダ人 タウンゼント・ハリス氏配下のオランダ語通訳兼書記官 英語をオランダ語に訳して、日本人とはオランダ語で意思疎通をはかった。1856年24歳のときに来日し、1861年1月14日、自身が29歳のときにアメリカ合衆国公使館となっていた善福寺への帰路、薩摩藩士たちに殺害された。

 訳者の「まえがき」があります。1988年12月の記述です。この本は、1964年の英語版を和訳してあるそうです。
 ヒュースケン氏はオランダ人ですが、日記は、フランス語で書かれているそうです。自身のフランス語能力を低下させないためにフランス語で書いていたそうです。ヒュースケン氏は、オランダ語と英語とフランス語ができたそうですが、わたしが思うに、日本に滞在していたわけでありますから、たぶん日本語も多少は習得したのではなかろうか。脳みそが語学習得に適したものだったに違いない。
 日記は、1861年1月8日で終わっており、同月15日にヒュースケン氏は暗殺されています。

 読み始めて数ページで思い浮かんだのは、高野悦子さん(たかの・えつこさん)の日記作品「二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)」でした。高校生のころに読みました。高野悦子さんは、夢を抱いて、栃木県のご実家から京都の大学へ進学されましたが、おりしも学生運動まっさかりのころで、生活や人間関係がうまくいかず、京都市内の鉄道に身を投げて自殺されています。まだ二十歳と半年ぐらいでした。高野悦子さんの日記には、思春期、青年期(こどもとおとなの境界線の時期)に思い悩み、行き詰まっておられた文章がありました。
 このヒュースケンの日記では、彼は、23歳のときにニューヨークの港を出て、大西洋を渡り、ポルトガルの島、アフリカ南部ケープタウンを回りこみ、喜望峰から太平洋に出て、アジアの海を経由して日本へ来ています。大航海です。(スエズ運河工事期間1859年-1869年 ヒュースケン氏の移動は1855年です)
 日記の文章は美しい自然の風景に感謝しながら幸福感に包まれています。されど、その5年後ぐらいに彼は、尊王攘夷(そんのうじょうい。天皇を敬い、外国人を追い払う)思想をもった武士に江戸で刺殺されています。高野悦子さん同様、両者の悲劇に共通する青年期の悲しみがあります。

 日記に「神さま」の存在が出てくるのは、キリスト教の背景と、この時代に精神的に頼るものとして「神」があり、信仰があったのでしょう。
 ヒュースケン氏が航海中に「幽霊船(ゆうれいせん)」に出会った話が出てきます。こどものころに漫画動画で何度か観たことがあります。
 アフリカ大陸の北西にポルトガル領マディラ諸島の港に着くと乞食が集まってくる話も出ます。情を出してひとりに恵むと無数の乞食たちが群がってきます。なんとなく、野生動物へ餌やりをする人を思い浮かべてしまいました。

 マディラ諸島で、乗馬を楽しみます。
 ギャロップ:馬の四本の足が地面から離れる。馬にとっての最速の走りかた。

 物事を的確にとらえた文脈に感じた部分として『生涯を幽囚(ゆうしゅう。閉じ込められること)と定められた修道女たち……』
 
 ナポレオンがとらわれて流されたセントヘレナ島に立ち寄りたいけれど、その思いがかなわなかったことが書いてあります。ヒュースケン氏は、相当、ナポレオンのことが好きです。
 ナポレオン:1769年-1821年 フランス革命期(身分制、領主制の廃止。資本主義の推進。平等、自由、私的所有、人民主権。1789年-1795年)の軍人・皇帝。セントヘレナ島にいたのは、1814年からで、1821年に同島で死去した。51歳没

 プディング:プリンのような食べ物

 『人間が将来を知ることができないのはしあわせなことだ……』という文脈があります。1855年の日記です。このとき彼は自分が1861年に江戸で外国人を嫌う武士に刺殺されるとは予想もしていなかったでしょう。当時の江戸は、外国人にとっては、危険な場所であったという文章を読んだことがあります。

 アフリカ大陸南端の喜望峰が見えて、ケープタウンに立ち寄ります。イギリスが管理している土地です。
 テーブルマウンテンとケープタウンの絵が出てきます。テーブルマウンテンからテーブルクロスという雲がたれさがってきたら天候が急変して風が強くなるそうです。
 オランダ人の農園があります。オランダは日本とも深いつながりがあることを最近になって知りました。オランダ人には親日家が多い。
 この当時の世界では、オランダ語がいたるところで使用されていたそうです。
 
 (この当時の状況で、世界的に観て)『知られざる国、日本……』という記述があります。

 モーリシャス島:マダガスカル島の東に位置する諸島に立ち寄ります。いつだったか、タンカー座礁事故で重油が海に流れ出して問題になったニュースを思い出しました。

 セイロン島(スリランカ)に寄港します。

 ヴァスコ・ダ・ガマ:1469年ごろ-1524年。55歳ぐらい没。ポルトガルの航海探検家

 日記は、1855年10月5日から始まっていますが、1856年3月21日の日記で、ようやく、雇い主のタウンゼント・ハリス氏に面会しています。場所は、マレーシアのペナン島です。マラッカ海峡が銀色の湖のように見えるそうです。
 文章には、地球の美しくて豊かな自然の記事が多く書かれています。それから、いろいろな国のいろいろな民族が出てきます。地球はだれか特定の人のものではなくて、みんなのものです。
 1856年4月4日にシンガポールに到着しました。同月14日にシャム(タイ)に着きバンコックの王様を訪問しています。果物の王様といわれているドリアンを食べています。文章では『それはまさに大蒜(にんにく)と砂糖の腐敗したような味で、もはや生涯に二度とこの悪臭の塊り(かたまり)で唇をけがそうとは思わない……』と続きます。

 マスケット銃:アメリカ南北戦争で使用された。先込め式銃(銃身の先端から弾(たま)を入れる)

 タイ国における民衆は奴隷が多い。奴隷のうちでも最下層が「女」とされています。父親は娘を売ることができる。兄弟は姉妹を売ることができる。夫は妻に飽きたら妻を売ることができると書いてあります。すごい世界ですが、実際にこの世にあったのです。人身売買が公に認められています。2021年の今から156年前のことです。そういえば、以前観た旅の映像で、タイでは女性が働く。男性は働かないという語りを聴いた覚えがあります。ヒュースケンさんが女性差別について関係者に怒りをぶつけると『土地の習慣なので』という言葉が返ってきただけです。

 タイムトラベルを体験しているような読書になってきました。文章が上手です。写真はありませんが、どうもヒュースケン氏自身が描いた風景画が乗せてあります。それで、十分雰囲気が伝わってきます。
 あわせて、外交官のハリス氏も日記をつけています。思うに、紀元前の古代から、記録が好きで、メモ魔で、いつ、どこで、だれが、なにをどうしてどうなったということを文章で残すことが好きだった人はたくさんいたと思います。会社でも、役付きの人たちなどは、人にはあまり見せませんが、毎日の記録を残している人が多いです。そうやっていても、かけひきのために、知っていても知らぬふりをする人もままおられます。

 1856年6月12日に、今話題になっている香港に到着しました。今から156年前の香港の風景は、今とはかなり違っています。
 アヘン戦争(1840年-1842年 清国対イギリス 清国の敗戦)があったのですが、ヒュースケン氏は、清国はアヘンを国民に吸わせてはいけなかったと指摘しています。ヒュースケン氏はオランダ人であり、アメリカ国籍をもっている人なので、香港を支配しているイギリスには距離を置いておられます。イギリスの植民地政策とか軍事力には恐れをもつようにその力を認めています。

 パゴダ:仏塔

 ヒュースケン氏の母親との別れの記述があります。『私に生を与えてくれた女性を、これが最後と抱きしめた…… 一介の冒険者として「新世界」へ旅立った……』
 中国の風景や中国人の辮髪(べんぱつ。髪を一本にまとめて、後ろにたらしている男性)や細い目の顔立ちという姿を見て、『私は月から落ちた男のようなものだ』

 ヒュースケン氏は軍艦に乗って移動しています。
 香港のあと、広東省(かんとんしょう)のまち、マカオに立ち寄っています。中国人のこどもたちから『洋鬼』と呼ばれて泥団子をぶつけられてもいます。それでもヒュースケン氏は街歩きを楽しんでおられます。
 広東省の水上生活者は、水の上で生れ、育ち、結婚し、死ねばおそらく水葬されるのであろうと記述されています。
 
 中国人のジャンク:中国の木造帆船。台風で壊滅的な被害を受けたと記述があります。

 1856年8月21日、ついにヒュースケン氏は伊豆下田湾に到着しました。アメリカ合衆国ニューヨークを出港したのは、1855年10月25日のことでした。10か月ぐらいがかかっています。この当時に生きていた人たちの時間感覚というのは、今の人たちとはずいぶん異なっているのでしょう。あんがいのんびりしていて、豊かな時間の経過を楽しんでいたような気がします。やりたいことを十分にやれる時間があった。移動してしまえば、次にやることは移動に時間がかかっても同じです。

 江戸の地震のあとのようすが書いてあります。人々は淡々と片付け等の後処理をしているそうです。1855年11月に安政江戸地震が発生しています。日本では、そのあたりの数年間で比較的大きな地震が連発しています。
 タウンゼント・ハリス氏が伊豆下田に米国総領事として着任したのが、1856年8月21日で、同月23日に青森八戸(はちのへ)沖で、巨大地震が発生しています。
 それから、165年が経過しています。エネルギーが蓄積されて、近いうちに南海トラフとかの太平洋を震源とする巨大な地震が発生するとか、富士山が噴火(前回は1707年。2021年から314年前)するとか、スーパーモンスター台風が来襲するとか、そんな不安を自分は感じています。

 ヒュースケン氏は、江戸幕府の幹部武士の態度を見て『外国人を迎えることに嫌悪を感じている。200年から300年にわたってき守ってきた孤立主義(鎖国)を固守するつもりでいるらしい……』と評価していますが、日本を文明がかなり遅れている社会と思っていることがわかります。
 武士たちは、外国人の安全を守るということを口実にして、外国人たちにぴったりとくっついて、スパイ活動をしようとします。ハリス氏を始めヒュースケン氏もそのことに猛烈に抗議します。

 日本の港には次から次へと外国船が来ます。アメリカ合衆国、イギリス、ロシア、日本はもう開国するしかありません。
 外国を追い払え、江戸幕府を継続するとして、たくさんの武士たちが闘って亡くなっていきました。世界の状況を把握できなくて、島国育ちの意識を変えることができなかった。長期間の鎖国の罪があります。

 日本人支配階級の質素さに驚いておられます。よその国だと、王宮を築いて、ぜいたくざんまいの権力者が普通なのでしょう。

 外国人の自分たちを見ると、日本人たちは逃げていく。牛馬や犬まで興奮すると嘆いておられます。

 「為替(かわせ)」の話が出てきます。ドルと日本の銀との交換率の交渉です。1858年日米修好通商条約締結につながっていく交渉が延々と続く1857年の出来事です。江戸幕府側はのらりくらりで膠着状態です。(こうちゃくじょうたい。なかなか前に進まない)
 ハリス氏が将軍に会って、直接アメリカ合衆国大統領からの手紙を渡したいと申し出ますが、幕府側はかたくなに直接の手渡しは許されないと拒否します。どうもよその国のようすでは、直接手渡しがあたりまえのようです。日本は不思議な国だと思っている米国側の心理です。

 乗馬に使用する「馬」のことが、現代の「自家用車」のような扱いで記述があります。ヒュースケン氏は、自分はニューヨークでは貧民だったけれど、ここでは自分の馬を買うことができたとたいへん喜んでおられます。

 『日本人は、何事も規則に従って一定の時に行うらしい。朝昼晩、三度の食事はすべて同時刻に食べる。一年に四回、同じ日に衣替えをする……』なるほどという記述が続きます。

 日本にはまだ「鉄道」がない。同様に「馬車」もない。平安時代には「牛車」はあったような気がしますが、ヒュースケンさんに言われてみれば江戸時代に「馬車」というのは聞いたことがありません。
 江戸の徳川幕府十三代将軍徳川家定に会いに行くことになるのですが、不思議に、海路ではありません。わたしは船で伊豆下田から江戸へ行くのだと思っていました。えらい、むずかしいルートをとっています。幕府のいやがらせでしょうか。下田から伊豆半島の東側を通って熱海方面へ行くのかと思っていたら、反対側、湯ヶ島から修善寺、三島から箱根の関所、箱根の峠を越えて小田原というルートです。かなり苦労されていますが、富士山の美しさが素晴らしいと感激されています。スイスの氷河やヒマラヤの山脈よりもいいと絶賛されています。富士山に向かって脱帽して『すばらしい富士ヤマ』と叫んだそうです。もはや、富士山は神です。時は1857年10月出発の頃です。将軍との面会は12月7日でした。
 自分は、修善寺のお寺も三島大社の神社も行ったことがあります。ヒュースケンさんも訪れています。ヒュースケンさんは源頼朝のことも知っています。日本語学習も熱心で親近感が湧きました。
 三島大社の池には、大きな金魚がいるというのは錦鯉のことでしょう。
 
 ケンペル:ドイツ人医師。日本訪問時のことを『日本誌』として遺した。1651年-1716年 65歳没 日本訪問は、1690年長崎出島に医師として着任。二回江戸参府。五代将軍徳川綱吉と謁見(えっけん。身分の高い人に会う)1692年に離日しています。
 
 流れとして、
 1854年:日米和親条約締結(鎖国廃止。下田、函館の開港。座礁、難破のときの協力関係)第十三代将軍徳川家定。徳川家定の奥さんが篤姫
 1856年:アメリカ合衆国領事タウンゼント・ハリス氏が伊豆下田に来て着任。通訳がオランダ人のヒュースケン氏。
 1857年12月7日タウンゼント・ハリス氏とヒュースケン氏を江戸城内に引き入れて、33歳の十三代将軍徳川家定が引見。徳川家定は、1858年8月14日34歳で病死
 1858年:日米修好通商条約締結(治外法権を認める。関税自主権なし。修好:国と国が親しくなる)
 同年、安政の大獄の発生。幕府による一橋派、尊王攘夷派(天皇を敬い、外国を追い払う)吉田松陰など100名が罪に問われた。

 タウンゼント・ハリス氏の一行(いっこう いっしょに将軍徳川家茂に会いに行くメンバー)は、今、本のなかでは、箱根の関所から山を下りて、藤沢市あたりを歩いています。ヒュースケン氏は馬に乗っています。道の両側で、庶民が土下座をして頭をさげているのでたいへん驚かれています。そして、そのことを悲しんでおられます。そのようなことをさせる徳川幕府の権力の強さにもびっくりされています。
 そして、ただいま、本のなかでは、神奈川県川崎市を通過中です。1857年11月28日土曜日です。

 207ページに1874年当時の江戸日本橋の絵があります。今とはずいぶん違います。

 リアルにそうだろうなという記述に納得させられます。江戸城内での十三代将軍徳川家定とタウンゼント・ハリス、ヒュースケンとの謁見に至るまでのシーンです。『彼らはなんでも両手で頭の高さに差し上げて運ぶ』『合衆国の旗を前に立てたハリス氏』『(江戸城内は)絵のような眺め(ながめ)』『きわめて深い静粛(せいしゅく)』『(シャムの宮廷は、金や宝石で飾り立てていたが、江戸城内は)しかし、江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳を備えた延臣(ていしん。役人)たちの態度……そういったものは、インド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い(まばゆい)光を放っていた(はなっていた)』
 ハリス氏の日記にもあったと思いますが、ヒュースケン氏の日記にも、もしかしたら自分たち米国人は、日本国の良き文明を滅ぼそうとしているのではないかという不安に襲われています。そんな文脈の日記が遺されています。ハリス氏には、当時の日本を世界中で一番幸福な国に思えると感想がありました。ヒュースケン氏も、『この国の人々の質撲(しつぼく。素直で飾り気がない)な習俗(しゅうぞく。習慣、風俗)とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい(たのしい)笑い声を聞き……』と記されています。このページの文章を読んでいると日本人として日本人であることの誇りを感じます。

 シーボルト:1796年-1866年 70歳没 ドイツの医師、博物学者 長崎出島のオランダ商館の医師 1823年-1830年帰国。1859年再来日、1862年帰国

 1637年に起きた島原の乱の記事が出てきます。1638年キリスト教禁止の勅令(宣教師、信者を告発した者に賞金を与え、カトリック教を広めた者は投獄する……)

 この当時、地震がよく起きているようで、地震の記事があります。『だしぬけに、家がひどく揺れはじめた……』

 東京にある湯島聖堂の記事があります。行ったことがあるので、イメージできました。

 日米修好通商条約締結までの交渉はなかなか困難を伴い時間がかかっています。対立があります。
 長崎から三里のところに石炭の鉱脈が見つかったとか、長崎平戸港のこととか、越後新潟の港の開港とか、京都は一里四方しかなく、僧侶のものであり、大名はそこでは権力がない。大坂(大阪)の開港は許可できないとか。なかなかたいへんです。江戸幕府側はかたくなに排他的です。そして、日本という国は、日本の精神的元首、神の子、帝国の古くからの独裁者について、よくご存じでと幕府側の話が続きます。幕府は、外国を受け入れることで、内乱が起きることを予想しており、民衆の蜂起(ほうき。暴動、反乱)を恐れています。
 条約をつくる交渉は、法律をつくるような感じで、何度も繰り返されています。
 ハリス氏はアメリカ合衆国大統領の意思を伝えます。条約を拒否すれば、日本はヨーロッパの国々から危険にさらされるだろう。日本は外国に利権を与えなければ、戦争と征服で脅迫されるだろう。外国から攻撃されることを選ぶのか、国民の反乱を選ぶのか、二者択一です。
 ハリス氏は「貿易」の利益について江戸幕府の役人に話します。貿易は一個人や一国家のためにあるのではないというような趣旨です。貿易は全体の利益につながる。貿易をなおざりにするとスペインやポルトガルのように国家が衰退する。スペインのポルトガルも昔は世界最強の国だった。
 江戸幕府側は、古くからの「掟(おきて)」を守らなければ、自分たち江戸幕府は滅びるというような受け答えをします。

 条約交渉時や付き合いで登場する幕府側役人として「森山」「信濃(しなの。しなのの殿様)」「肥後守(ひごのかみ)」「堀田備中守(ほったびちゅうのかみ)」「小栗豊後守(おぐりぶんごのかみ)」

 ほかに、ドンケル・クルチウス:オランダの外交官

 大名たちの考えはかたよっています。「大名は、金銭や税金、関税に関心がない。貿易のことが何もわからない」大名側の言い分として「命は惜しくはない。それが問題ではない。われわれは父祖の掟(おきて)に忠実でありたいのだ」と変化を嫌っています。

 当時の日本は旧正月です。1858年2月14日が安政5年1月1日です。

 アメリカ側からみた考えとして、当時の日本人庶民は、天皇の制度とか武士の制度とかを理解できていないという趣旨の記述があります。
 日本人庶民は、幕府・大名という管理する側から指示されたとおりに暮らしている。
 皇帝制度(天皇制)の天皇は、支配の実権を握っているわけでもなく、武士が日本人の精神的支えである天皇の存在を利用しているというような解釈があります。
 いっぽう江戸幕府上層部役人から、天皇から条約締結の許しが出れば「この国の大名の叛逆的(はんぎゃくてき。権力にさからう)な、頑迷(かたくなで考えに柔軟性がない)な心情を変えさせるであろう」という意見があります。
 日記に江戸幕府の苦しみがにじみでています。
 なかなか複雑です。話がかみ合っていないまま騒乱へと突入していきます。安政の大獄、桜田門外の変(井伊直弼暗殺)、戊辰戦争、西南戦争…… 幕府が恐れていたとおり、外国に門戸を開くと内乱が起きて、幕府は滅びます。わかっていてもどうすることもできないのが時代の変化です。

 江戸時代の幕府による武家制度は、なんとなく世界に今もある独裁国家のようです。それでも安心して毎日が遅れればいいという考えもあります。

 病名はよくわかりませんが、領事のタウンゼント・ハリス氏が重篤な病気になります。治癒はしますが、これまた理由はわかりませんが、1859年7月4日になにかがあって、通訳職員のヒュースケンと仲が悪くなります。いったんは、ヒュースケンが通訳を辞めているようですが復職しています。
 1860年3月24日には、開国に譲歩した(やむなく相手の意向に従った)井伊直弼大老(いいなおすけたいろう)が暗殺されています。
 その間にふたりに何があったのかはわからないそうですが、ヒュースケン氏側としては、どうも給料が上がらないのが不満のように本には書いてあります。ヒュースケン氏は1858年6月8日でいったん日記を書くこともやめて、1861年1月1日に日記が再開しています。同じ日記帳の続きですから、別の日記帳に記事が書かれたということはないと翻訳者の文章に書いてあります。
 日記は再開されましたが、同月3日、同月7日と8日に記事があって、彼は同月15日に薩摩藩士たちに刺殺されています。まるで遺書か遺言書のような終わり方ですが、本人に自分が殺される予感があったのかどうかは日記を読んでもわかりません。
 その当時、江戸は、外国人にとって非常に危険な場所になっていたそうです。通訳職員のヒュースケン氏を殺害されて激怒したタウンゼント・ハリス氏が幕府に大きな補償を求めて認められています。当時米国大統領だった奴隷解放運動に取り組んだエブラハム・リンカーン大統領も書簡(しょかん。外交文書)でからんで、米国政府から強い要求が幕府側へあったようです。(そのリンカーン大統領も米国で暗殺されています)
 日本の反政府側武士たちは、かたくなにがんこで、変化を嫌い、血の気が多く(興奮しやすくすぐ激高する)、自分で自分の首を絞めながら消えていったのか。感情的になると幸せは遠のいていきます。ローニン(浪人、多くの下級武士の窮乏化とあります)が要因のひとつとあります。
 
 縫航(ほうこう。タッキング):帆船が、風や潮にさからって、ジグザグを描きながら風上へ進むこと。
 
 金竜山浅草寺:ハリス氏とヒュースケン氏は、浅草観音を訪れています。

 1858年7月29日江戸湾上の合衆国軍艦パウハタン号上で、日米修好通商条約が調印された。
 この部分を読んで、第二次世界大戦終戦時の1945年9月2日、東京湾に停泊する米国戦艦ミズーリー上で日本への他国からの降伏要求であるポツダム宣言の降伏文書に調印したことを思い出しました。似たような事例で人を変えながら歴史が繰り返されます。

 江戸幕府の秩序が崩れていきます。米国以外の国からの要求も次々と続きます。米国を優先とする米国との約束を守れません。

 貴翰落手(きかんらくしゅ):きかんは、相手を敬っての相手からの手紙をいう。落手は、手紙を受け取ったということ。1859年7月8日の日付があるヒュースケンからハリスへの手紙。

 読み終えてみて、ヒュースケン氏はタレントのパックンみたいな人というイメージをもちました。
 息子さんを遠い国日本で亡くされたオランダのアムステルダムに住むおかあさんのお手紙も載っています。タウンゼント・ハリス氏にあてたもので、息子を讃える(たたえる)心づかいに感謝の気持ちを表しておられます。

 死の悲劇的なアイロニー:社会貢献のために尽くした人たちが反対勢力の一部の人間による暴力によって命を落とさなければならないという皮肉な世界

 今年読んで良かった一冊でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年07月16日

出川哲朗の充電バイクの旅 北海道知床-網走能取湖 

出川哲朗の充電バイクの旅 北海道知床-網走能取湖(のとろこ) 2018年10月放送分の再構成スペシャル

 2018年のときにチラリとテレビ画面を見たことがあります。まだそのころはこの番組に興味がありませんでした。
 そのときにびっくりしたこととして、ゲストが運転免許証を東京の自宅に忘れてきて、肝心の充電バイクを運転することができず、宿泊した所で借りた自転車で電動バイクを追いかけていたことです。ありえないし、あってはいけないチョンボ(失策、エラー)です。
 休日だったタレントの女子マネージャーが急遽(きゅうきょ)呼び出されて、ロケが終わる頃に東京から飛行機に乗って、ゲストに運転免許証を届けてくれました。たぶん女満別空港(めばんべつくうこう)から大急ぎで来たのでしょう。同空港を利用したことがあるので出来事が身近に感じました。

 運転免許証を忘れたゲストさんが、お笑いコンビ「ずん」のやすさんです。どんな人なのか、自分は知りません。相方の飯尾和樹さんはテレビでよく見ます。
 もうひとりのゲストはまったく知らない人で(ロケ地でも現地の人たちから同様な扱いでした)岩井ジョニ男(いわい・じょにお)という方でした。オイルショックという彼のギャグは、昭和48年ころ(1973年ころ)のことだと思います。お店からトイレットペーパーがなくなった出来事を思い出します。そういえばコロナウィルスの感染拡大で去年もなくなりました。
 タモリさんのマネージャーをされていたのか、今もされているのかわかりませんが、先日、鶴瓶さんの「巷の噺(ちまたのはなし)」という対談番組で、鶴瓶さんと小堺一機さんとが、岩井ジョニ男さんがこれまでに起こした失敗話で盛り上がっているのを見ました。
 岩井ジョニ男さんは、この充電バイクの番組では、名前も顔も売れていないので交渉がたいへんです。ジョニ男さんがバイクのバッテリー充電の依頼をしている姿はまるで「集金」をしている人のようなお姿ですし、住民の方に、今回のゲストはどこにいるの? とか、だれ?と疑問をもたれていて、それはそれで笑いを誘っていました。

 上半身裸の出川哲朗さんに、一般人女性がサロンパスのようなものを貼っていたシーンには笑いました。

 北海道のホテルはゴージャス(華やかでぜいたく)なところが多い。テラスから美しい港とオホーツク海の景色を見ることができる知床のホテルでした。
 知床といえば野生のヒグマです。船から親子連れの熊を見学している映像を見て、いつか自分も行ってみようかと思いつきました。遠くから見るとヒグマも犬のようです。でも、クマに近づくとすごい迫力があります。知床には550頭ぐらいのヒグマが生息しているそうです。ヒグマが食べるカラフトマスの大群も見ごたえがありました。産卵のために川をのぼるのでしょう。

 ロケは事前連絡なし。ぶっつけ本番。宿もその場で探して交渉です。ドキュメンタリー(事実の記録映像)の要素があります。有名な芸能人である出川哲朗さんだからできることです。ほかの人にはなかなか真似はできません。

 つぶ貝のかき揚げがおいしそうでした。
 
 ちびっこたちの元気がすごい。

 宿泊依頼をしに入ったらちょうどテレビでこの充電バイクの番組が放映中だったのは驚きですが、以前も飲食店でそういうことがあった記憶です。ファン層が広い番組です。

 ユールホステル「はなことりの宿」というところの雰囲気がよかった。野鳥を見に来る人たちが泊まられるようです。

 北浜駅のオムカレーがおいしそう。

 映像を拝見していると、人が生きているという実感が伝わってきます。

 気難しい(きむずかしい)地元のおじいさんを出川哲朗さんたちが「アニキ」と呼び、なかば対立した位置取りで、丁々発止(ちょうちょうはっし。激しく言い合うようす)のやりとりがおもしろい。

 ゴールの手前150mで、ゴールが近いと知らずに、民家に立ち寄って、バイクのバッテリーの充電依頼をしていたという間抜けな終わり方でしたが、おもしろかった。