2021年04月05日
東野・岡村の旅猿 アンガールズ田中おすすめ広島の旅DVD
東野・岡村の旅猿 アンガールズ田中おすすめ広島の旅DVD 2019年12月撮影
怒られるかもしれませんが、牡蠣(かき)の話はもういいかなあという気分です。さすがに飽きました。岡山県の旅のときも牡蠣にこだわっていたような気がします。
パン屋さんのカフェで、田中卓志(たなか・たくし)さんが、こどもたちにとってはヒーローだったのでびっくりしました。さすが、田中卓志さんの出身地です。
宮島口にある穴子料理のお店は中に入ったことがありますが、時間がなくて行列には並びませんでした。なつかしい。
宮島の赤鳥居が工事中で足場と幕に囲われて見えないのですが、田中卓志さんが、工事中であることをご存じなかったらしく、あとのふたりが延々とそのことをいたぶってひきずります。ちょっといじめのようでいい感じがしませんでした。
そういえば、出川哲朗さんの充電バイクの番組のときも工事中の映像でしたが、70年ぶりの工事だということで、それはそれで貴重な体験ができたということですんなり通り過ぎました。
宮島の弥山(みせん)という山の展望台からの映像を見ていて、1555年にあった毛内元就(もうりもとなり)と陶晴資(すえ・はるたか)との厳島合戦(いつくしまかっせん)を思い出しました。5000人対2万人の戦いで、毛利元就側が5000人なのですが、島の裏側から山を登って下って不意打ちで、毛利側が勝利をおさめたという合戦です。村上水軍の協力もあったという記憶です。
岡村隆史さんは、一般人に東野幸治さんが「チリチリ」と言われるとあとからいつも怒りますが、その場では一般人に文句を言いません。ばかにしているわけではないので、東野幸治さん自身は気にしていないと言われます。ふたりのやりとりはいつも同じです。ミニコントのひとつなっているようですがこれもまた飽きました。
ビールの楽しみ方(注ぎ方)を楽しめるのも健康な体のうちだと思いながら映像を見ていました。今ではたまにしかアルコールを飲むことはないので、映像を見ているだけで飲んだ気分になれました。なんとなく味もわかるような気がします。
田中卓志さんは、日本酒、ビール、そのあともと飲酒が続いて、べろんべろんでした。あくびをして、眠そう。「2020年に乾杯!」という三人の声が響きます。もう2020年も新型インフルエンザ感染拡大の自粛で終わってしまいました。
「ハゲてない」のくだらない時間帯といえばくだらない時間が延々と続きました。あまりにしつこいので、ハゲていてもいいじゃないかという気分になりました。つくり手としては、ショートコントのつもりなのでしょう。
田中卓志さんが住んでいた二十年前のアパートを見に行きました。お笑い芸人になることを決心した場所だそうです。
現在の住人の方がいい方で撮影に協力してくださって良かった。思い切ったことをするものです。
小中学生の修学旅行のような騒がしくて楽しい雰囲気があります。三人の人間関係がいいのでしょう。ときおり聞こえる撮影スタッフの笑い声が大きすぎて気になりました。自己満足の映像になってしまいます。
怒られるかもしれませんが、牡蠣(かき)の話はもういいかなあという気分です。さすがに飽きました。岡山県の旅のときも牡蠣にこだわっていたような気がします。
パン屋さんのカフェで、田中卓志(たなか・たくし)さんが、こどもたちにとってはヒーローだったのでびっくりしました。さすが、田中卓志さんの出身地です。
宮島口にある穴子料理のお店は中に入ったことがありますが、時間がなくて行列には並びませんでした。なつかしい。
宮島の赤鳥居が工事中で足場と幕に囲われて見えないのですが、田中卓志さんが、工事中であることをご存じなかったらしく、あとのふたりが延々とそのことをいたぶってひきずります。ちょっといじめのようでいい感じがしませんでした。
そういえば、出川哲朗さんの充電バイクの番組のときも工事中の映像でしたが、70年ぶりの工事だということで、それはそれで貴重な体験ができたということですんなり通り過ぎました。
宮島の弥山(みせん)という山の展望台からの映像を見ていて、1555年にあった毛内元就(もうりもとなり)と陶晴資(すえ・はるたか)との厳島合戦(いつくしまかっせん)を思い出しました。5000人対2万人の戦いで、毛利元就側が5000人なのですが、島の裏側から山を登って下って不意打ちで、毛利側が勝利をおさめたという合戦です。村上水軍の協力もあったという記憶です。
岡村隆史さんは、一般人に東野幸治さんが「チリチリ」と言われるとあとからいつも怒りますが、その場では一般人に文句を言いません。ばかにしているわけではないので、東野幸治さん自身は気にしていないと言われます。ふたりのやりとりはいつも同じです。ミニコントのひとつなっているようですがこれもまた飽きました。
ビールの楽しみ方(注ぎ方)を楽しめるのも健康な体のうちだと思いながら映像を見ていました。今ではたまにしかアルコールを飲むことはないので、映像を見ているだけで飲んだ気分になれました。なんとなく味もわかるような気がします。
田中卓志さんは、日本酒、ビール、そのあともと飲酒が続いて、べろんべろんでした。あくびをして、眠そう。「2020年に乾杯!」という三人の声が響きます。もう2020年も新型インフルエンザ感染拡大の自粛で終わってしまいました。
「ハゲてない」のくだらない時間帯といえばくだらない時間が延々と続きました。あまりにしつこいので、ハゲていてもいいじゃないかという気分になりました。つくり手としては、ショートコントのつもりなのでしょう。
田中卓志さんが住んでいた二十年前のアパートを見に行きました。お笑い芸人になることを決心した場所だそうです。
現在の住人の方がいい方で撮影に協力してくださって良かった。思い切ったことをするものです。
小中学生の修学旅行のような騒がしくて楽しい雰囲気があります。三人の人間関係がいいのでしょう。ときおり聞こえる撮影スタッフの笑い声が大きすぎて気になりました。自己満足の映像になってしまいます。
2021年04月04日
東野・岡村の旅猿 バリ島でふれあいの旅DVD
東野・岡村の旅猿16 バリ島でふれあいの旅DVD 2019年放送
「ワクワク編」
ゲストはジミー大西さんで、これまでの出演シーンのことを思い出すとめちゃくちゃやる人なので心配しましたが、映像の中では、「ナシゴレン」というごはんを食べるときに、東野幸治さんと岡村隆史さんにいじめられているようで、かわいそうだと思いました。
ただ、東野幸治さんの言葉として、「(映像用の)ショートコントをしている」とありましたので、番組のための意図的なものなのでしょう。されど、ジミー大西さんのほうが先輩芸人なのにあの扱いはひどいと感じました。旅猿は、ベッキーさんなどの女性ゲストを卑下するときもあって、見ていて不快な思いを抱くときがあります。
しばらく前に、よゐこの濱口優さんが旅猿のゲストで岡山県内を回るDVDを見ました。そのときの映像に、バリ島の池で、東野幸治さんがゾウの背中に立ったまま池に沈んでいくシーンがあって、そのシーンをぜひ見たいと思い立ちレンタルビデオを借りてきました。(その後わかったのですが、東野幸治さんはゾウの上に立っていたのではなくて、またがって座っていた状態で、象のうんこがいっぱい浮かんでいる池の中に頭のてっぺんまで、全身で水没していきました。笑いました)
バリ島のことはよくは知りません。もうずいぶん昔に各国の家を展示してあるテーマパークを見に行ったときにバリ島の家がありました。獅子舞みたいな神さまの彫刻があって、レンガに囲まれた家だった記憶が残っています。(今回の映像を観て行ってみたいなあと思いましたが、やっぱりゾウのうんこの池に入るのは抵抗感があります。ゾウ好きな東野幸治さんでないとやれません。他に外国人女性観光客が挑戦していました)
ジミー大西さんがふたりに「バリ島って島なの?」って聞いて来た時にはあ然として大笑いしました。ジミー大西さんの「国かもしれない」という言葉が続きました。「バリ島の首都はタイで、タイの首都はバンコック」と言われたので、ジミー大西さんの頭の中にある世界はどうなっているのだろうかとチンプンカンプンです。
ハプニングの連続です。ジミー大西さんは、できもしないボディボードサーフィンなのに、自分はうまいと言ったのは大嘘でした。
東野幸治さんがスマホを紛失したり、岡村隆史さんがお財布をなくしたりの出来事もありました。
まあ、うまくいかないことがあるのが、旅にはつきものです。
映像では、昼間遠くに見えた鳥に乗った神さまだという巨大な彫像が良かった。
それから、三人が寝るベッド選びのためのトランプ勝負のようすが、ギャンブル性が高くておもしろかった。
サファリパークもなかなか良かった。
神さまにお参りするときに必ず着用しなければならないという腰布「サロン」を買いに市場のお店を訪れたのですが、サロンの価格が、交渉で、1300円→800円→400円→80円→40円と下がっていったのには驚きました。いったい原価はいくらなのだろう。まさかタダなのか。
「ウキウキ編」
川下りのラフティングです。六人とも楽しそうです。ジミー大西さんがボートから落ちたのは事故かと心配しましたが、笑いをとるためのギャグでした。びっくりしました。関係者に迷惑がかかるので慎んだほうがいい行為です。ジミー大西さんは旅猿のふたりに叱られていました。
巨大ブランコは豪快ですが恐ろしい。でもジミー大西さんは平気でした。すごい。見た目がお猿さんみたいだから得意技なのかもしれません。
ゾウがたくさんいるホテルはすごいです。ゾウの背中に乗って夕食会場へ行きます。
人間の身長よりも体高が低い生後三か月の子ゾウが可愛いらしい。東野幸治さんが母親ゾウに触っていましたけど、大きなゾウが、いきなり暴れ出さないかと観ているこちらのほうが怖かった。
ジミー大西さんはすごい。自分の発想で、ゾウの鼻を自分の股にはさんで、自分の体をゾウに持ち上げてもらいました。
ゾウには十歳ぐらいの知能があるように見えました。
ゾウをホースの水で洗います。東野幸治さんが生き生きしています。ゾウも気持ちよさそうです。東野幸治さんは、ゾウのお尻の穴まで丁寧に洗います。おじょうずで見直しました。そのあとコントでジミー大西さんも洗います。おもしろかった。ジミー大西さんのお尻も洗います。ジミー大西さんは怒っていました。
ゾウとの沐浴は、潔癖症の岡村隆史さんは除きます。不参加で見学だけです。
子ゾウの水浴びは、幼稚園の園児が水浴びしているみたいでした。可愛い。
マンモスのレプリカ標本がありました。マンモスの牙(きば)は本物で、アラスカで発見されたそうです。
インドネシアは、イスラム教が主流だと思うのですが、見学先はヒンドゥー教の寺院がメインでした。
ちょっと気づいたのですが、ナレーションが淡々としすぎていて、生き生きとした感じのない無機質な調子で、映像のにぎやかで明るいお笑いの雰囲気と重なり合っていないなと感じました。もしかしたら映像を見ないで録音をしたのだろうかという気持ちになりました。
「ワクワク編」
ゲストはジミー大西さんで、これまでの出演シーンのことを思い出すとめちゃくちゃやる人なので心配しましたが、映像の中では、「ナシゴレン」というごはんを食べるときに、東野幸治さんと岡村隆史さんにいじめられているようで、かわいそうだと思いました。
ただ、東野幸治さんの言葉として、「(映像用の)ショートコントをしている」とありましたので、番組のための意図的なものなのでしょう。されど、ジミー大西さんのほうが先輩芸人なのにあの扱いはひどいと感じました。旅猿は、ベッキーさんなどの女性ゲストを卑下するときもあって、見ていて不快な思いを抱くときがあります。
しばらく前に、よゐこの濱口優さんが旅猿のゲストで岡山県内を回るDVDを見ました。そのときの映像に、バリ島の池で、東野幸治さんがゾウの背中に立ったまま池に沈んでいくシーンがあって、そのシーンをぜひ見たいと思い立ちレンタルビデオを借りてきました。(その後わかったのですが、東野幸治さんはゾウの上に立っていたのではなくて、またがって座っていた状態で、象のうんこがいっぱい浮かんでいる池の中に頭のてっぺんまで、全身で水没していきました。笑いました)
バリ島のことはよくは知りません。もうずいぶん昔に各国の家を展示してあるテーマパークを見に行ったときにバリ島の家がありました。獅子舞みたいな神さまの彫刻があって、レンガに囲まれた家だった記憶が残っています。(今回の映像を観て行ってみたいなあと思いましたが、やっぱりゾウのうんこの池に入るのは抵抗感があります。ゾウ好きな東野幸治さんでないとやれません。他に外国人女性観光客が挑戦していました)
ジミー大西さんがふたりに「バリ島って島なの?」って聞いて来た時にはあ然として大笑いしました。ジミー大西さんの「国かもしれない」という言葉が続きました。「バリ島の首都はタイで、タイの首都はバンコック」と言われたので、ジミー大西さんの頭の中にある世界はどうなっているのだろうかとチンプンカンプンです。
ハプニングの連続です。ジミー大西さんは、できもしないボディボードサーフィンなのに、自分はうまいと言ったのは大嘘でした。
東野幸治さんがスマホを紛失したり、岡村隆史さんがお財布をなくしたりの出来事もありました。
まあ、うまくいかないことがあるのが、旅にはつきものです。
映像では、昼間遠くに見えた鳥に乗った神さまだという巨大な彫像が良かった。
それから、三人が寝るベッド選びのためのトランプ勝負のようすが、ギャンブル性が高くておもしろかった。
サファリパークもなかなか良かった。
神さまにお参りするときに必ず着用しなければならないという腰布「サロン」を買いに市場のお店を訪れたのですが、サロンの価格が、交渉で、1300円→800円→400円→80円→40円と下がっていったのには驚きました。いったい原価はいくらなのだろう。まさかタダなのか。
「ウキウキ編」
川下りのラフティングです。六人とも楽しそうです。ジミー大西さんがボートから落ちたのは事故かと心配しましたが、笑いをとるためのギャグでした。びっくりしました。関係者に迷惑がかかるので慎んだほうがいい行為です。ジミー大西さんは旅猿のふたりに叱られていました。
巨大ブランコは豪快ですが恐ろしい。でもジミー大西さんは平気でした。すごい。見た目がお猿さんみたいだから得意技なのかもしれません。
ゾウがたくさんいるホテルはすごいです。ゾウの背中に乗って夕食会場へ行きます。
人間の身長よりも体高が低い生後三か月の子ゾウが可愛いらしい。東野幸治さんが母親ゾウに触っていましたけど、大きなゾウが、いきなり暴れ出さないかと観ているこちらのほうが怖かった。
ジミー大西さんはすごい。自分の発想で、ゾウの鼻を自分の股にはさんで、自分の体をゾウに持ち上げてもらいました。
ゾウには十歳ぐらいの知能があるように見えました。
ゾウをホースの水で洗います。東野幸治さんが生き生きしています。ゾウも気持ちよさそうです。東野幸治さんは、ゾウのお尻の穴まで丁寧に洗います。おじょうずで見直しました。そのあとコントでジミー大西さんも洗います。おもしろかった。ジミー大西さんのお尻も洗います。ジミー大西さんは怒っていました。
ゾウとの沐浴は、潔癖症の岡村隆史さんは除きます。不参加で見学だけです。
子ゾウの水浴びは、幼稚園の園児が水浴びしているみたいでした。可愛い。
マンモスのレプリカ標本がありました。マンモスの牙(きば)は本物で、アラスカで発見されたそうです。
インドネシアは、イスラム教が主流だと思うのですが、見学先はヒンドゥー教の寺院がメインでした。
ちょっと気づいたのですが、ナレーションが淡々としすぎていて、生き生きとした感じのない無機質な調子で、映像のにぎやかで明るいお笑いの雰囲気と重なり合っていないなと感じました。もしかしたら映像を見ないで録音をしたのだろうかという気持ちになりました。
2021年04月03日
52ヘルツのクジラたち 町田そのこ
52ヘルツのクジラたち 町田そのこ 中央公論新社
この本を読みたいと思った動機です。八年ぐらい前に読んだ窪美澄(くぼ・みすみ)著「晴天の迷いクジラ」が名作でした。映像化されるといいのになと思っていますがかなっていません。自殺したい三人が海岸に打ち上げられて死にそうになっているクジラを車に乗って見に行く話でした。
ふたつの本のタイトルが似ていたので読むことにしました。類似作品でもかまいません。クジラへのこだわりはどこからくるのだろう。
「1 最果ての街に雨」
章なのか、短編の区切りなのか、分割して話が並んでいます。八個のちいさな固まりがあります。(あとで、つながりがあることがわかりました)
二十代後半の女性である三島貴瑚(みしま・きこ。愛称としてキナコ)は、東京のマンションを引き払って大分県にある海岸沿いの街へ引っ越してきました。
彼女のまわりには、大工の村中、村中の弟子のケンタ、地元のおばあさんなどがいます。そして、児童虐待にあっているらしきこどもさんが登場します。
大分県の海岸沿いの街と東京の賃貸マンションが建っているところの風景が頭に浮かびます。過去に見たことあるような景色です。
世代の差なのか、文章はマンガチックに感じます。展開が絵になって目の前で動きます。
三島貴瑚のふだんは、わびしくさみしい。わけありです。度を超して激しい内容になりそうです。
「2 夜空に溶ける声」
児童虐待の話、親子関係・親族関係の破たんの話です。そこにクジラの声がからんできます。
ぐっときた言葉として「わたしはもう、誰かに助けられたくない」
うーんなんだろうこの感覚。虐待する親は毎日何を楽しみに暮らしているのだろう。
きょうだい間差別もあります。
一人称の語りで進行が続きます。ときに祈る声に、ときに叫び声に聞こえます。
まだこの時点で「秘密」が複数あります。秘密がわかることが、これから読むことの楽しみです。
クジラの声が表現するものが、人間の「孤独」です。
世代によって「お妾さん(おめかけさん)」に対するイメージが異なるかもしれません。なんというか半世紀以上昔の時代は、実態として一夫多妻制のような生活習慣が残っていたという記憶です。二号さんとかいって軽蔑されるというよりも、そういう立場で社会的に認められていたポジションだったというこどものころの記憶があります。だから、そういう事例が多かった。よくあることだったということです。(その後、今は、シュリーマンの日本に関わる旅行記を読んでいるのですが、江戸時代末期で、日本では正妻がいて、妾は何人もってもかまわないという一夫多妻制になっていると書いてあります。現代の感覚とはかなり異なります。さらに貧しい親がこどもを売ることもあるが、だれもそれを悪いこととは思っておらず、売られた先で読み書きや計算、礼儀作法を学んで、期限がくると親元に帰ることもできた。優れた社会的システムがあるというようなシュリーマンの観察、分析、考察があります)
この物語のほうは、読んでいるとだんだん悲しい気持ちになってきます。
「ドアの向こうの世界」
うーむ。設定に無理があるような。
実母の再婚による義理の父親と義理の娘の関係において、お互いに扶養の義務はないと思われます。血縁関係のない主人公が病気になった義父の介護をすることは、現実的ではありません。
主人公には、被害妄想の心理があります。読んでいてちょっと距離を置きたくなりました。主人公は心の病(やまい)です。
鍵を握る男性が現れました。岡田安吾さん。アンパンマンに似ているから安吾(あんご。パンの中身のあんこのつもり)さんなのでしょう。
親子とは思えない実母と主人公女子の親子関係があります。
攻撃したあと慰めるという典型的なDV、虐待パターンがあります。
「再会と懺悔(ざんげ。神仏の前で罪を告白する)」
筆談があります。家庭環境に恵まれないこどもさんがいます。こどもさんの実母にはずいぶん棘(とげ)があります。だれかのせいにして自分の正当性を主張する人です。
福岡県北九州市は行ったことがあるので読んでいてその風景をイメージできます。
うーむ。なんだろう。読んでいて、登場人物たちの気持ちの緩さ(ゆるさ)を感じます。弱い。行動力にいまいち勢いがない。
こどもを金づる(労苦を体験せず楽にお金を手に入れる)にする親がいます。役所からもらう手当が目的です。暗くて悲惨なお話です。
なにかしらうわべだけのことで話が進んでいるような気がする142ページ付近に今はいます。
MP3プレーヤー:小型携帯型のデジタル音楽再生機器
「償えない過ち(あやまち)」
若くて未熟な甘えがあります。
若い女子が読む本です。
主人公女子は、まわりに苦しみを与える人間に見えます。
社長の息子からの申し出は、プロポーズではなく、体だけが目的の愛人契約の申し込みだと思う。
いい人なんていない。みんな自分が良ければそれでいいと思っている。人間のもつ「悪」をあぶりだすのが、小説の一面です。
人間は不完全で、不完全な人間がいっぱいいるけれど、すり寄ったり、離れたりしながら折り合いをつけて生きていかなければならない。そうしないと自死が近づいてきます。
この世は誤解と詐欺(さぎ)で成り立っています。
たぶん社長夫婦はお互いにダブル不倫をしているのでしょう。お金の使い道がないのでしょう。
古代ローマ帝国の支配者と奴隷の関係を思い出しました。
社長の息子は、物事を考える基準の置き場所が庶民とは異なります。
睦言(むつごと):男女の寝室での語らい
「届かぬ声の行方(ゆくえ)」
人の名前を呼ぶときに「52」と呼ぶのはどうかと抵抗感を感じます。無機質な感じがします。生きているということが感じられない。命が感じられないということです。(読み終えてわかるのですが、ラストへの伏線でした)
読んでいる途中で、<そういう方向性の小説だったのかと立ち止まりました。そうとは、途中、わかりませんでした>
夢の中の出来事のようです。
「わたしを殺したかったのはわたし」(最近見たEテレのテレビ番組で、池田晶子さんの本『14歳からの哲学』に関する解説がありいろいろ考えました。心には形がないのです。自分の思う空間の中に自分が造る自分だけの気持ちがあるのです。だからめげなくていい。自分で自分を励まして、自信をもって、わたしは今のままのこれでいいと思って生きていけばいいのです)あわせて付記すると、黒柳徹子さんが番組『徹子の部屋』で「わたしは、反省はしません」とおしゃっていたことも思い出しました。
「最果てでの出会い」
会話で物語を引っぱって行くパターンです。
良かった表現として「あれは琴美によく似た生き物だったに違いない」
物語のなかにある提案は、片方が成人しているとはいえ、ふたりとも心はこどもであり、他人同士でのふたりが暮らすのは無理です。「暮らし」というものは、きついものです。
法令の根拠の下(もと)にいないと守られないのが「暮らし」です。
なにかしら、肌にザワリと怖くなってくるものがあります。
諫めて(いさめて):若い方が目上の人に忠告する。
誑かす(たぶらかす):だます。まどわす。
張り子の虎:虎のおもちゃ。意味としては、見かけだけで強くない人とか首を振る癖のある人とか。
憐憫(れんびん):あわれむ。かわいそうと思う。
尚のこと(なおのこと):いっそう(強調)
魂の番:守ってくれる人。作品「精霊の守り人(もりびと)」を思い出しました。
「52ヘルツのクジラたち」
やはり生活を法令の形式におさめます。形だけではなく中身も、ともなっていなければなりません。
だんだん登場人物が増えてきました。
読み終えてみて、ちょっと異世界の話かと思いましたが、いまの中学生から二十代の若い女性たちの心の内には、こういった情景世界が広がっているのだろうと考えました。
子ども食堂:地域住民や自治体が運営している。子どもたちに無料または低価格で食事を提供している。
ダマスク柄:植物、くだもの、花柄などの連続模様
この本を読みたいと思った動機です。八年ぐらい前に読んだ窪美澄(くぼ・みすみ)著「晴天の迷いクジラ」が名作でした。映像化されるといいのになと思っていますがかなっていません。自殺したい三人が海岸に打ち上げられて死にそうになっているクジラを車に乗って見に行く話でした。
ふたつの本のタイトルが似ていたので読むことにしました。類似作品でもかまいません。クジラへのこだわりはどこからくるのだろう。
「1 最果ての街に雨」
章なのか、短編の区切りなのか、分割して話が並んでいます。八個のちいさな固まりがあります。(あとで、つながりがあることがわかりました)
二十代後半の女性である三島貴瑚(みしま・きこ。愛称としてキナコ)は、東京のマンションを引き払って大分県にある海岸沿いの街へ引っ越してきました。
彼女のまわりには、大工の村中、村中の弟子のケンタ、地元のおばあさんなどがいます。そして、児童虐待にあっているらしきこどもさんが登場します。
大分県の海岸沿いの街と東京の賃貸マンションが建っているところの風景が頭に浮かびます。過去に見たことあるような景色です。
世代の差なのか、文章はマンガチックに感じます。展開が絵になって目の前で動きます。
三島貴瑚のふだんは、わびしくさみしい。わけありです。度を超して激しい内容になりそうです。
「2 夜空に溶ける声」
児童虐待の話、親子関係・親族関係の破たんの話です。そこにクジラの声がからんできます。
ぐっときた言葉として「わたしはもう、誰かに助けられたくない」
うーんなんだろうこの感覚。虐待する親は毎日何を楽しみに暮らしているのだろう。
きょうだい間差別もあります。
一人称の語りで進行が続きます。ときに祈る声に、ときに叫び声に聞こえます。
まだこの時点で「秘密」が複数あります。秘密がわかることが、これから読むことの楽しみです。
クジラの声が表現するものが、人間の「孤独」です。
世代によって「お妾さん(おめかけさん)」に対するイメージが異なるかもしれません。なんというか半世紀以上昔の時代は、実態として一夫多妻制のような生活習慣が残っていたという記憶です。二号さんとかいって軽蔑されるというよりも、そういう立場で社会的に認められていたポジションだったというこどものころの記憶があります。だから、そういう事例が多かった。よくあることだったということです。(その後、今は、シュリーマンの日本に関わる旅行記を読んでいるのですが、江戸時代末期で、日本では正妻がいて、妾は何人もってもかまわないという一夫多妻制になっていると書いてあります。現代の感覚とはかなり異なります。さらに貧しい親がこどもを売ることもあるが、だれもそれを悪いこととは思っておらず、売られた先で読み書きや計算、礼儀作法を学んで、期限がくると親元に帰ることもできた。優れた社会的システムがあるというようなシュリーマンの観察、分析、考察があります)
この物語のほうは、読んでいるとだんだん悲しい気持ちになってきます。
「ドアの向こうの世界」
うーむ。設定に無理があるような。
実母の再婚による義理の父親と義理の娘の関係において、お互いに扶養の義務はないと思われます。血縁関係のない主人公が病気になった義父の介護をすることは、現実的ではありません。
主人公には、被害妄想の心理があります。読んでいてちょっと距離を置きたくなりました。主人公は心の病(やまい)です。
鍵を握る男性が現れました。岡田安吾さん。アンパンマンに似ているから安吾(あんご。パンの中身のあんこのつもり)さんなのでしょう。
親子とは思えない実母と主人公女子の親子関係があります。
攻撃したあと慰めるという典型的なDV、虐待パターンがあります。
「再会と懺悔(ざんげ。神仏の前で罪を告白する)」
筆談があります。家庭環境に恵まれないこどもさんがいます。こどもさんの実母にはずいぶん棘(とげ)があります。だれかのせいにして自分の正当性を主張する人です。
福岡県北九州市は行ったことがあるので読んでいてその風景をイメージできます。
うーむ。なんだろう。読んでいて、登場人物たちの気持ちの緩さ(ゆるさ)を感じます。弱い。行動力にいまいち勢いがない。
こどもを金づる(労苦を体験せず楽にお金を手に入れる)にする親がいます。役所からもらう手当が目的です。暗くて悲惨なお話です。
なにかしらうわべだけのことで話が進んでいるような気がする142ページ付近に今はいます。
MP3プレーヤー:小型携帯型のデジタル音楽再生機器
「償えない過ち(あやまち)」
若くて未熟な甘えがあります。
若い女子が読む本です。
主人公女子は、まわりに苦しみを与える人間に見えます。
社長の息子からの申し出は、プロポーズではなく、体だけが目的の愛人契約の申し込みだと思う。
いい人なんていない。みんな自分が良ければそれでいいと思っている。人間のもつ「悪」をあぶりだすのが、小説の一面です。
人間は不完全で、不完全な人間がいっぱいいるけれど、すり寄ったり、離れたりしながら折り合いをつけて生きていかなければならない。そうしないと自死が近づいてきます。
この世は誤解と詐欺(さぎ)で成り立っています。
たぶん社長夫婦はお互いにダブル不倫をしているのでしょう。お金の使い道がないのでしょう。
古代ローマ帝国の支配者と奴隷の関係を思い出しました。
社長の息子は、物事を考える基準の置き場所が庶民とは異なります。
睦言(むつごと):男女の寝室での語らい
「届かぬ声の行方(ゆくえ)」
人の名前を呼ぶときに「52」と呼ぶのはどうかと抵抗感を感じます。無機質な感じがします。生きているということが感じられない。命が感じられないということです。(読み終えてわかるのですが、ラストへの伏線でした)
読んでいる途中で、<そういう方向性の小説だったのかと立ち止まりました。そうとは、途中、わかりませんでした>
夢の中の出来事のようです。
「わたしを殺したかったのはわたし」(最近見たEテレのテレビ番組で、池田晶子さんの本『14歳からの哲学』に関する解説がありいろいろ考えました。心には形がないのです。自分の思う空間の中に自分が造る自分だけの気持ちがあるのです。だからめげなくていい。自分で自分を励まして、自信をもって、わたしは今のままのこれでいいと思って生きていけばいいのです)あわせて付記すると、黒柳徹子さんが番組『徹子の部屋』で「わたしは、反省はしません」とおしゃっていたことも思い出しました。
「最果てでの出会い」
会話で物語を引っぱって行くパターンです。
良かった表現として「あれは琴美によく似た生き物だったに違いない」
物語のなかにある提案は、片方が成人しているとはいえ、ふたりとも心はこどもであり、他人同士でのふたりが暮らすのは無理です。「暮らし」というものは、きついものです。
法令の根拠の下(もと)にいないと守られないのが「暮らし」です。
なにかしら、肌にザワリと怖くなってくるものがあります。
諫めて(いさめて):若い方が目上の人に忠告する。
誑かす(たぶらかす):だます。まどわす。
張り子の虎:虎のおもちゃ。意味としては、見かけだけで強くない人とか首を振る癖のある人とか。
憐憫(れんびん):あわれむ。かわいそうと思う。
尚のこと(なおのこと):いっそう(強調)
魂の番:守ってくれる人。作品「精霊の守り人(もりびと)」を思い出しました。
「52ヘルツのクジラたち」
やはり生活を法令の形式におさめます。形だけではなく中身も、ともなっていなければなりません。
だんだん登場人物が増えてきました。
読み終えてみて、ちょっと異世界の話かと思いましたが、いまの中学生から二十代の若い女性たちの心の内には、こういった情景世界が広がっているのだろうと考えました。
子ども食堂:地域住民や自治体が運営している。子どもたちに無料または低価格で食事を提供している。
ダマスク柄:植物、くだもの、花柄などの連続模様
2021年04月02日
わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ
わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社
先日、テレビのマラソン中継で、一般ランナーとして走っている著者をお見かけしました。かなりたいへんそうでした。
こちらの本は、書評のページを見ていて興味が湧いたので手に入れて読み始めました。
ページ数、文字数は少ない小品です。ちびまる子ちゃんのように小学校低学年頃のお話が多い思い出の自伝です。インタビューをゴーストライターが書いたものかと予想しましたが、ご自分で書いておられることが伝わってくる文章です。
「悲しみのマミー券」から始まります。なんだか、悲しい思い出からのスタートです。このあとも周囲との容姿の「比較」で悩む日々が続きます。幼児のころからの孤独です。「ヒロシです」という自虐ネタに通じるものがあります。
幼児だった頃の著者の心が傷ついた保母さんのひとことについては、労働というものは、だれしも、楽で、もらうお金が良くて、休みが多いほうがいいというのが本音ですから仕方がないことでしょう。
父親の仕事が不明で不安だったというお話は独特でした。いまはどうか知りませんが、昔の父親はこどもとの会話が少なかった。父親は仕事のことばかりを考えていました。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
著者はまじめです。そして、陰口恐怖症(人のかげぐちきょうふしょう)の気配があります。
祖父の危篤時に著者だけが運動会とはいえ行かなかったのは不思議でした。いっしょに行くのが普通のことだと思えるのです。
著者にその気はないのでしょうが、うらみはらしますの面もなきにしもあらずの文面です。
孤独な時間を埋めるために、鉛筆でノートの1ページを真っ黒になるまで塗って時間つぶしをする。すごいエネルギーです。
言葉を繰り返して強調するところが文章の特徴です。
「皿うどん」とはなんのことかと思いながら読んでいました。やはり「焼うどん」のことでした。そのことに著者が気づくのに三十年かかったそうです。案外そういうことってあると思います。
いじめにあった話はお気の毒です。内容は陰湿です。一般的にいじめたほうは忘れても、いじめられたほうは忘れません。
引っ込み思案なようすが書かれています。あんがいそういう人が芸能界には多い。
役者をしていた伯父さんの影響で舞台に興味をもたれています。やはり親族から受ける進路のきっかけは多い。
ときおり出てくる「それもまた別のお話しです」という文節の意味がわかりませんでした。また別の本で書きますということなのか。いまこの本では書きませんということなのか(結果としてもうどこにも書かないということなのか)
こけしの話が出てきて、バス鉄道対決の旅の村井美樹さんを思い出しました。読んでいて、こけしに執着する理由がよくわかりました。こけしが、ご自身と重なるそうです。ゆえに困難に耐えることができる。こけしの写真をみながらなんだかすごいなあと思いました。
ときおり強調されるのが、「自分は、母親が38歳、父親が40歳のときに生まれた子どもです」という文章です。読みながら、そうかとつぶやきつつ、わたし自身は母親が23歳のときに生まれたこどもなので実感が湧きませんでした。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が「とにかく生きなきゃならない」だったそうで、同感です。
エジプトに行ったことがないけれどエジプトの絵を描くことが好きなお母さんも素敵です。
最後のほうまで読み続けてきて思ったのは、女の人もたいへんなんだなぁということでした。
思い切っていろいろ書かれています。
人生を謳歌しているようないい感じでした。謳歌(おうか):おおいに楽しむこと。
調べた単語などとして、
フレンチクーラー:シュー生地を揚げたドーナッツ。ねじれがあるのが特徴
せせり:焼き鳥。ニワトリの首まわりの肉
グリスト:厨房排水にある油脂、残飯を阻止する装置
所謂(いわゆる):世間で言われている。
先日、テレビのマラソン中継で、一般ランナーとして走っている著者をお見かけしました。かなりたいへんそうでした。
こちらの本は、書評のページを見ていて興味が湧いたので手に入れて読み始めました。
ページ数、文字数は少ない小品です。ちびまる子ちゃんのように小学校低学年頃のお話が多い思い出の自伝です。インタビューをゴーストライターが書いたものかと予想しましたが、ご自分で書いておられることが伝わってくる文章です。
「悲しみのマミー券」から始まります。なんだか、悲しい思い出からのスタートです。このあとも周囲との容姿の「比較」で悩む日々が続きます。幼児のころからの孤独です。「ヒロシです」という自虐ネタに通じるものがあります。
幼児だった頃の著者の心が傷ついた保母さんのひとことについては、労働というものは、だれしも、楽で、もらうお金が良くて、休みが多いほうがいいというのが本音ですから仕方がないことでしょう。
父親の仕事が不明で不安だったというお話は独特でした。いまはどうか知りませんが、昔の父親はこどもとの会話が少なかった。父親は仕事のことばかりを考えていました。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
著者はまじめです。そして、陰口恐怖症(人のかげぐちきょうふしょう)の気配があります。
祖父の危篤時に著者だけが運動会とはいえ行かなかったのは不思議でした。いっしょに行くのが普通のことだと思えるのです。
著者にその気はないのでしょうが、うらみはらしますの面もなきにしもあらずの文面です。
孤独な時間を埋めるために、鉛筆でノートの1ページを真っ黒になるまで塗って時間つぶしをする。すごいエネルギーです。
言葉を繰り返して強調するところが文章の特徴です。
「皿うどん」とはなんのことかと思いながら読んでいました。やはり「焼うどん」のことでした。そのことに著者が気づくのに三十年かかったそうです。案外そういうことってあると思います。
いじめにあった話はお気の毒です。内容は陰湿です。一般的にいじめたほうは忘れても、いじめられたほうは忘れません。
引っ込み思案なようすが書かれています。あんがいそういう人が芸能界には多い。
役者をしていた伯父さんの影響で舞台に興味をもたれています。やはり親族から受ける進路のきっかけは多い。
ときおり出てくる「それもまた別のお話しです」という文節の意味がわかりませんでした。また別の本で書きますということなのか。いまこの本では書きませんということなのか(結果としてもうどこにも書かないということなのか)
こけしの話が出てきて、バス鉄道対決の旅の村井美樹さんを思い出しました。読んでいて、こけしに執着する理由がよくわかりました。こけしが、ご自身と重なるそうです。ゆえに困難に耐えることができる。こけしの写真をみながらなんだかすごいなあと思いました。
ときおり強調されるのが、「自分は、母親が38歳、父親が40歳のときに生まれた子どもです」という文章です。読みながら、そうかとつぶやきつつ、わたし自身は母親が23歳のときに生まれたこどもなので実感が湧きませんでした。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が「とにかく生きなきゃならない」だったそうで、同感です。
エジプトに行ったことがないけれどエジプトの絵を描くことが好きなお母さんも素敵です。
最後のほうまで読み続けてきて思ったのは、女の人もたいへんなんだなぁということでした。
思い切っていろいろ書かれています。
人生を謳歌しているようないい感じでした。謳歌(おうか):おおいに楽しむこと。
調べた単語などとして、
フレンチクーラー:シュー生地を揚げたドーナッツ。ねじれがあるのが特徴
せせり:焼き鳥。ニワトリの首まわりの肉
グリスト:厨房排水にある油脂、残飯を阻止する装置
所謂(いわゆる):世間で言われている。
2021年04月01日
(再鑑賞)ライフ・イズ・ビューティフル イタリア映画DVD
(再鑑賞)ライフ・イズ・ビューティフル イタリア映画DVD 1999年日本公開
第二次世界大戦中のイタリアで、ユダヤ人の父親が、自分の命をかけて5歳の息子の命を守ったという心が熱くなる映画です。再鑑賞ですが、今年観て良かった一本です。
ゲッドダウン(どいてくれ) バーイ(さよなら) ルックダウン(どいてくれ) ロブスター(伊勢海老)
カムヒァー(ウェイターくん!) ゴートゥースリープ ゴートゥースリープ(眠れ 眠れ)
ユー ウェイクアップ(起きろ) ジャスト ライク マイン(ぼくのと同じ車だ) ジ アンサー イズ ダーク(答えは、暗闇) マイターン(次はぼくの番です) ビーコーズ アイハフトゥゴー(用事を思い出しました。行かなきゃ) ブロークン(壊れた) ホワット ディド ヒー セイ?(彼はなんと言ったの?) アーユーオールライト?(だいじょうぶか) プリーズ テイキング アウェイ(連れてって)
ヒヤヒヤするシーンがあります。夫のグイドは妻のドーラに優しい。ドーラもいい人です。洋画「雨に唄えば」のシーンを思い出します。ああ、映画だなぁ。生バンドの演奏もいい。
49分が経過して、ふたりの愛息ジョズエ5歳が登場しました。映画は軽快です。楽しそうな三人家族です。そこに『ユダヤ人と犬はお断り』の張り紙が店先にあります。
ユーミート ア トゥモロー(あなたはあしたおばあちゃんに会えるわよ)
アイ ウィル カム ウィズ ユー パパ(パパといっしょに行く)
こどもが中に入った戸棚の箱が歩いてきます。
戦争って何だろう。国家と国家の戦いですが、それぞれの国に住む庶民にとっては命を失うかもしれない出来事です。むろん相手の命を奪う出来事でもあります。
こどもを怖がらせたくない。だから、戦争をゲームだと偽る父親です。
ユダヤ人の扱いは人間扱いではなくモノとか動物扱いです。
妻のグイドはユダヤ人ではないのに夫とこどものいるユダヤ人収容所に自分も入れてくれと手をあげて収容されます。
ストップザトレイン(列車を停めてください。わたしも収容所行の列車に乗せてください)
ザ ホール スィング イズ ザ ゲーム(すべてはゲームなんだよ)
収容所での父親による通訳シーンは、名シーンだと思います。
息子は風呂ギライです。それが、伏線になっていきます。収容所でのシャワーは、殺人のための毒ガスシャワーです。
アイ ゴット ユー(見つけたよ)
エニィバディ ヒアー?(お留守ですか?)
ドイツの軍医のお顔は日本人みたいでした。
父親役の俳優さんは、笑いに命を賭けています。この映画は、ベースにお笑いがあります。
どんと暗くして、ガンと明るくする。
イッツ トゥルー(本当だ)
ハーイ ボーイ ユー アローン(少年よ、ひとりか。充電バイク旅の出川哲朗さんの呼びかけのようです)
カモーン ヒァウィゴー(おいで。乗せてあげるよ。さあ行こう)
ディスイズマイストーリー(これがわたし自身の物語だ)
ウィー ウォン イッツ トゥルー(わたしたちは(ゲームに)勝った。これは本当のことだ)
(2011年1月のときの感想)
ライフ・イズ・ビューティフル DVD
妻ドーラがいて、夫グイドがいて、息子ジョズエ5歳がいて、人生は素晴らしいという映画です。 見終わってから、俳優さんたちのインタビュー特典を見て、また最初からもう一度見て、半日が終わりました。イタリア系ユダヤ人収容所での出来事です。
わたしは、ユダヤ人が何なのか、なぜ差別されるのかはわかりません。明るいイタリア語の響きがあって、息子を守るための嘘で固めた父子関係があって、最初から最後までぴんと張っているのは、グイドはドーラが大好きだ!という恋愛です。グイドはドーラのために息子ジョズエを守ったのです。彼は男の中の男です。
妻グイド役の女優さんがインタビューで、イタリアではこの映画をたくさんのこどもたちが見て内容を理解したと発言していたことが印象的でした。
第二次世界大戦中のイタリアで、ユダヤ人の父親が、自分の命をかけて5歳の息子の命を守ったという心が熱くなる映画です。再鑑賞ですが、今年観て良かった一本です。
ゲッドダウン(どいてくれ) バーイ(さよなら) ルックダウン(どいてくれ) ロブスター(伊勢海老)
カムヒァー(ウェイターくん!) ゴートゥースリープ ゴートゥースリープ(眠れ 眠れ)
ユー ウェイクアップ(起きろ) ジャスト ライク マイン(ぼくのと同じ車だ) ジ アンサー イズ ダーク(答えは、暗闇) マイターン(次はぼくの番です) ビーコーズ アイハフトゥゴー(用事を思い出しました。行かなきゃ) ブロークン(壊れた) ホワット ディド ヒー セイ?(彼はなんと言ったの?) アーユーオールライト?(だいじょうぶか) プリーズ テイキング アウェイ(連れてって)
ヒヤヒヤするシーンがあります。夫のグイドは妻のドーラに優しい。ドーラもいい人です。洋画「雨に唄えば」のシーンを思い出します。ああ、映画だなぁ。生バンドの演奏もいい。
49分が経過して、ふたりの愛息ジョズエ5歳が登場しました。映画は軽快です。楽しそうな三人家族です。そこに『ユダヤ人と犬はお断り』の張り紙が店先にあります。
ユーミート ア トゥモロー(あなたはあしたおばあちゃんに会えるわよ)
アイ ウィル カム ウィズ ユー パパ(パパといっしょに行く)
こどもが中に入った戸棚の箱が歩いてきます。
戦争って何だろう。国家と国家の戦いですが、それぞれの国に住む庶民にとっては命を失うかもしれない出来事です。むろん相手の命を奪う出来事でもあります。
こどもを怖がらせたくない。だから、戦争をゲームだと偽る父親です。
ユダヤ人の扱いは人間扱いではなくモノとか動物扱いです。
妻のグイドはユダヤ人ではないのに夫とこどものいるユダヤ人収容所に自分も入れてくれと手をあげて収容されます。
ストップザトレイン(列車を停めてください。わたしも収容所行の列車に乗せてください)
ザ ホール スィング イズ ザ ゲーム(すべてはゲームなんだよ)
収容所での父親による通訳シーンは、名シーンだと思います。
息子は風呂ギライです。それが、伏線になっていきます。収容所でのシャワーは、殺人のための毒ガスシャワーです。
アイ ゴット ユー(見つけたよ)
エニィバディ ヒアー?(お留守ですか?)
ドイツの軍医のお顔は日本人みたいでした。
父親役の俳優さんは、笑いに命を賭けています。この映画は、ベースにお笑いがあります。
どんと暗くして、ガンと明るくする。
イッツ トゥルー(本当だ)
ハーイ ボーイ ユー アローン(少年よ、ひとりか。充電バイク旅の出川哲朗さんの呼びかけのようです)
カモーン ヒァウィゴー(おいで。乗せてあげるよ。さあ行こう)
ディスイズマイストーリー(これがわたし自身の物語だ)
ウィー ウォン イッツ トゥルー(わたしたちは(ゲームに)勝った。これは本当のことだ)
(2011年1月のときの感想)
ライフ・イズ・ビューティフル DVD
妻ドーラがいて、夫グイドがいて、息子ジョズエ5歳がいて、人生は素晴らしいという映画です。 見終わってから、俳優さんたちのインタビュー特典を見て、また最初からもう一度見て、半日が終わりました。イタリア系ユダヤ人収容所での出来事です。
わたしは、ユダヤ人が何なのか、なぜ差別されるのかはわかりません。明るいイタリア語の響きがあって、息子を守るための嘘で固めた父子関係があって、最初から最後までぴんと張っているのは、グイドはドーラが大好きだ!という恋愛です。グイドはドーラのために息子ジョズエを守ったのです。彼は男の中の男です。
妻グイド役の女優さんがインタビューで、イタリアではこの映画をたくさんのこどもたちが見て内容を理解したと発言していたことが印象的でした。