2021年03月10日
(再構成)出川哲朗の充電バイクの旅 角島-宮地嶽神社
(再構成)出川哲朗の充電バイクの旅 山口県角島(つのしま)-福岡県宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ) 2018年3月放送分
ゲストはダチョウ倶楽部で、電動バイクは、肥後克広さん、寺門ジモンさん、上島竜兵さんの順番でリレーでした。
自分が訪れたことがあるところが多く映像に出てきてなつかしかった。体がびゅんびゅん動くうちにあちこち行っておいて良かったと今になって思いました。
角島(つのしま)のきれいな橋1780m、雄大な関門橋、関門トンネル、レトロな門司港、閉園してしまいましたがスペースワールド、小倉城、映像に映ってはいましたが紹介はなかった松本清張記念館、玄界灘の海岸線などを車で通ったり、見学したりしたことがあります。テレビ番組では、加えておいしいものをつくって食べるお料理の紹介が盛りだくさんでした。
映像で、角島(つのしま)を出たあとの、がらの悪い小学1年生ぐらいの少年には笑いました。
あちこちでの集合写真も楽しい。学生さんたちの笑顔がステキでした。ご家族の写真でもみなさんポーズをつくるのがお上手で感心しました。
出川哲朗さんとゲストさんとディレクターさんとのかれらだけにしかできない旅のスタイルです。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)のだらしなさを責める寺門ジモンさんがおもしろい。寺門ジモンさんがおっしゃっていることはそのとおりなのですが、土方ディレクターがそうするのは無理で、それでも済んでいくというか、そこに味わいがあるのです。土方ディレクターは、蛭子能収(えびすよしかず)さんみたいな存在です。
結婚式場ホテルシーンも良かった。三年経ってお子さんもお生まれになって、命をつないでいく人生の営みを垣間見た思いです。偶然タレントさんが結婚式の終わりに飛び込んで来たご夫婦には幸運があります。
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)で、夕日が海に沈むときにできる光の道を見ることができなかったのでまた挑戦してください。
そういえば、土方ディレクターのときに夕日を見る企画をしても、十分な時間があってもゆっくりしすぎていて太陽が沈んでしまうなどして、見ることができない結末になったことが、以前伊豆半島であったような記憶があります。
ゲストはダチョウ倶楽部で、電動バイクは、肥後克広さん、寺門ジモンさん、上島竜兵さんの順番でリレーでした。
自分が訪れたことがあるところが多く映像に出てきてなつかしかった。体がびゅんびゅん動くうちにあちこち行っておいて良かったと今になって思いました。
角島(つのしま)のきれいな橋1780m、雄大な関門橋、関門トンネル、レトロな門司港、閉園してしまいましたがスペースワールド、小倉城、映像に映ってはいましたが紹介はなかった松本清張記念館、玄界灘の海岸線などを車で通ったり、見学したりしたことがあります。テレビ番組では、加えておいしいものをつくって食べるお料理の紹介が盛りだくさんでした。
映像で、角島(つのしま)を出たあとの、がらの悪い小学1年生ぐらいの少年には笑いました。
あちこちでの集合写真も楽しい。学生さんたちの笑顔がステキでした。ご家族の写真でもみなさんポーズをつくるのがお上手で感心しました。
出川哲朗さんとゲストさんとディレクターさんとのかれらだけにしかできない旅のスタイルです。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)のだらしなさを責める寺門ジモンさんがおもしろい。寺門ジモンさんがおっしゃっていることはそのとおりなのですが、土方ディレクターがそうするのは無理で、それでも済んでいくというか、そこに味わいがあるのです。土方ディレクターは、蛭子能収(えびすよしかず)さんみたいな存在です。
結婚式場ホテルシーンも良かった。三年経ってお子さんもお生まれになって、命をつないでいく人生の営みを垣間見た思いです。偶然タレントさんが結婚式の終わりに飛び込んで来たご夫婦には幸運があります。
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)で、夕日が海に沈むときにできる光の道を見ることができなかったのでまた挑戦してください。
そういえば、土方ディレクターのときに夕日を見る企画をしても、十分な時間があってもゆっくりしすぎていて太陽が沈んでしまうなどして、見ることができない結末になったことが、以前伊豆半島であったような記憶があります。
2021年03月09日
(再鑑賞) スタンド・バイ・ミー
(再鑑賞) スタンド・バイ・ミー アメリカ映画 1987年日本公開
何度か観たことがあるので、今回は英語のリスニング練習です。こどもさんの英会話ですがむずかしい。
(くちげんかのあと)シェイクハンズ(仲直りのために握手しよう)
ユー プレイ フットボール?(フットボールの名プレーヤーだったけれど早くに亡くなった兄の弟に対しての質問です)きみはフットボールをやるのか?
小学校卒業後の進路について、四人の進路予定は分かれます。「就職組(学力があっても)」と「進学組」
トゥレーイン!(列車が来たぞー)
走れ、走れ、走れ、列車にひかれそうだ。
ネクストコンテスト トライイート(おおぐい競争に出るぞー (大量のゲロが汚い))
ファット(デブ)
冒険の夜、オオカミの鳴き声が怖い。
ゴー バック スリープ(寝ろ)
ウィー ユーズ ザ ラフト(いかだを使おう)
ストップ イット(やめろよ)
アイブ スィーン ヒム(死体になった彼が見える)
イット ザ ラスト チャンス((少年に)これが(おまえが)ナイフで刺されることをまぬがれる最後のチャンスだ)
スイユースクール(学校で会おう)
ヤー(ああ)
少年たちが悲しい思いをした一泊二日の徒歩による旅でした。
おとなになって小説家になったゴーディが、すごく古いデスクトップパソコンで文章を作成していました。なつかしい。パソコンというものを生まれて初めて先輩の家で見た時の機種とよく似ています。
(2015年8月のときの感想)
スタンド・バイ・ミー 映画 DVD
何度目かの鑑賞ですが、内容をしっかり覚えていないので、初めて観るのに近い状態で観ました。
1959年のアメリカ合衆国オレゴンにある人口1281人の村でしょう。12才の小学6年生悪ガキ4人による「死体を見るための一泊二日の徒歩旅行」です。そのときのことが、大人になったゴーディ(作家)には忘れられない。友情です。
クリスは家庭環境に恵まれていないけれど、苦学して、弁護士になりますが、喧嘩の仲裁に入って、ナイフで刺されて死亡しました。
彼が、めげそうな12才のゴーディを励ましたのです。ゴーディは、父親に交通事故死した優秀な兄と比較されて、自分のほうが死ねばよかったと自分を責めるのです。(クリスの言葉として)「(将来作家になって書くことに困ったら俺たちのことを)書いてくれ」
メガネをかけた凶暴なテディは、父親をノルマンディー(第二次世界大戦フランス海岸の侵攻)の英雄と誇るけれど、その父はどうも今は精神を病んでいるらしい。村のひとたちは、テディの母親を売春婦のようにバカにする。彼は常に周囲に対して反発します。おとなになった彼は、刑務所に入っていますが、その後更生しています。
ふとっちょのバーンは、兄が不良です。彼とテディは、中学になってから、どうもゴーディとクリスとは離れています。ゴーディに対して、あんたは優秀な才能をもっているのだから、いつまでもおれたちみたいな頭の悪い人間とつるんではいけないと諭します。
12才でたばこを吸い、賭けトランプをやり、彼らの兄世代もいいかげんな生活を送っている。暴力がのさばるくそったれな性悪説に基づいた世界です。ミュージックは軽やかに響き、さみしがりやなこどもたちは、機関車にはねられて死体となった少年の遺体に寄り添います。死体を見て「死」を認識します。
パイ食い競争は汚らしくて、ちょっと正視できませんでした。
がらの悪さがどうかな。
何度か観たことがあるので、今回は英語のリスニング練習です。こどもさんの英会話ですがむずかしい。
(くちげんかのあと)シェイクハンズ(仲直りのために握手しよう)
ユー プレイ フットボール?(フットボールの名プレーヤーだったけれど早くに亡くなった兄の弟に対しての質問です)きみはフットボールをやるのか?
小学校卒業後の進路について、四人の進路予定は分かれます。「就職組(学力があっても)」と「進学組」
トゥレーイン!(列車が来たぞー)
走れ、走れ、走れ、列車にひかれそうだ。
ネクストコンテスト トライイート(おおぐい競争に出るぞー (大量のゲロが汚い))
ファット(デブ)
冒険の夜、オオカミの鳴き声が怖い。
ゴー バック スリープ(寝ろ)
ウィー ユーズ ザ ラフト(いかだを使おう)
ストップ イット(やめろよ)
アイブ スィーン ヒム(死体になった彼が見える)
イット ザ ラスト チャンス((少年に)これが(おまえが)ナイフで刺されることをまぬがれる最後のチャンスだ)
スイユースクール(学校で会おう)
ヤー(ああ)
少年たちが悲しい思いをした一泊二日の徒歩による旅でした。
おとなになって小説家になったゴーディが、すごく古いデスクトップパソコンで文章を作成していました。なつかしい。パソコンというものを生まれて初めて先輩の家で見た時の機種とよく似ています。
(2015年8月のときの感想)
スタンド・バイ・ミー 映画 DVD
何度目かの鑑賞ですが、内容をしっかり覚えていないので、初めて観るのに近い状態で観ました。
1959年のアメリカ合衆国オレゴンにある人口1281人の村でしょう。12才の小学6年生悪ガキ4人による「死体を見るための一泊二日の徒歩旅行」です。そのときのことが、大人になったゴーディ(作家)には忘れられない。友情です。
クリスは家庭環境に恵まれていないけれど、苦学して、弁護士になりますが、喧嘩の仲裁に入って、ナイフで刺されて死亡しました。
彼が、めげそうな12才のゴーディを励ましたのです。ゴーディは、父親に交通事故死した優秀な兄と比較されて、自分のほうが死ねばよかったと自分を責めるのです。(クリスの言葉として)「(将来作家になって書くことに困ったら俺たちのことを)書いてくれ」
メガネをかけた凶暴なテディは、父親をノルマンディー(第二次世界大戦フランス海岸の侵攻)の英雄と誇るけれど、その父はどうも今は精神を病んでいるらしい。村のひとたちは、テディの母親を売春婦のようにバカにする。彼は常に周囲に対して反発します。おとなになった彼は、刑務所に入っていますが、その後更生しています。
ふとっちょのバーンは、兄が不良です。彼とテディは、中学になってから、どうもゴーディとクリスとは離れています。ゴーディに対して、あんたは優秀な才能をもっているのだから、いつまでもおれたちみたいな頭の悪い人間とつるんではいけないと諭します。
12才でたばこを吸い、賭けトランプをやり、彼らの兄世代もいいかげんな生活を送っている。暴力がのさばるくそったれな性悪説に基づいた世界です。ミュージックは軽やかに響き、さみしがりやなこどもたちは、機関車にはねられて死体となった少年の遺体に寄り添います。死体を見て「死」を認識します。
パイ食い競争は汚らしくて、ちょっと正視できませんでした。
がらの悪さがどうかな。
2021年03月08日
下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹
下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹(うちだ・たつる) 講談社文庫
「まえがき」を読んでいて考えたことです。この本は、こどもが勉強しなくなった。若者が働かなくなったという内容が書いてあるようです。本の発行は、2007年ですから、今から13年ぐらい前です。その当時の小中学生、大学生たちはいまごろ、二十代から三十代でしょう。
本が出版されて、その後の動向はわかりませんが、「まえがき」に書いてあることに納得、同調できる部分が多い。
自分の考えでは、業務処理能力の低下は著しい。丁寧さ、緻密さが不足している。省略したがる。点検不足。雑な処理対応が目立つ。ゆえに間違える。そのほか、責任者になりたがらない。ゆえに組織が構築しにくくなっている。高学歴でも仕事場では戦力になりにくい。あとは、意外にガラが悪い。いざとなると乱暴な言動が出てくる。さらに都合が悪くなると無言になる。無言になってその場から自分の存在を消す。
付け加えるなら、自分の頭で考えない。質問を繰り返す。どうしたらいいですか。指示されて従って結果がうまくいかなったときに自身には責任はないという手法を用いる。
日本が先進国だった時代は終わっている。島国であるという幸運で、なにかと守られている。1年365日24時間感覚で働いてきた世代が蓄積してきた資産をこれからの世代が消費していく。国力の衰退化が予想されます。
ただ、この時勢を止めたり流れを変化させたりすることはとてもむずかしい。
学校を卒業して社会人になって気づいたことがあります。
この世には、五体満足で口が達者でも働けない人がいる。いわゆる「依存」で食べていく人がいる。そういう生き方を否定することはできない。人の生き方の手法としては有りです。人は働かなくても食べていける環境に置かれると働かなくなる。いかにして働かなくても食べていける状態を維持していくかに心の動きが集中します。
もうひとつ、社会人になってわかったことがあります。学校では先生から何度も「そういうふうでは社会に出てからやっていけないぞ」と叱られました。社会に出てみたら、なんだ、いいかげんな人ばかりではないかとがっかりしながらもほっとしました。だいじょうぶ。自分はこの世界で生きていけそうだ。
「第一章 学びからの逃走」
下流社会への階層降下とあります。(これは、社会システムが下流社会をつくるということではなく、若者自らが下流社会へ落ちることを望んでいると分析があり納得できます)
下流:貧しい階級
諏訪哲二さんの本「オレ様化する子どもたち」タイトルを見て衝撃があります。師弟関係というものが崩壊したのだなと。(読み続けていてあとでわかったのですが、今読んでいるこちらの本は「師弟関係」を重要視しています)
「日本の子どもたちは世界で最も勉強をしない子どもたちになってしまった」あんなに塾通いをしているのに。主体性に欠けるということだろうか。親にやらされているということだろうか。
「競争」がなくなってきた。あっても低水準の集団内における競争になっているそうです。なるほど。責任を負う役職者になりたくない人が増えたので、役職者になりやすい時代です。
漢字の読みや文章作成について書いてあります。高学歴の人でも長期間文字を書いていないと文字を書けなくなります。まずは漢字を書けなくなります。文章はなおさら書けなくなります。
キーワードのひとつとして、
「わからないことがあっても気にならない」自分の知らないことは「存在しないこと」として扱う。
過去の世代が「お金や権利」に執着したことが、いまの世代の人格形成に影響を与えたのではないか。損か得かが物事を決定するときの判断基準です。
公平に考えるなら、本の内容は一方向からの考察になっているので、相手方の言い分も聞かねばなりません。
本に書いてあるとおり、こどもからの「どうして人を殺してはいけないのですか?」と質問されて、答はないのでしょう。「じゃあ、あなたは、殺されてもいいのですか?」と問い返すしかありません。自分は殺す立場にある人間だという強い思い込みがあって、殺される立場にある人間でもあるということに気づけていません。
生活が便利になったことで失ったものは大きい。便利になるにつれて、本来人間の心や身体がもっていた良質な機能が退化していっている。
怖いことが書いてある本です。
学校が荒廃しています。愛情とか友情が見当たりません。
こどもたちは教師に、学校で「不快」を主張するために通学しているそうです。そのためにすさまじいエネルギーをつぎ込んでいるそうです。
学校がいらない時代になってきているのだろうか。読んでいるとこんな学校にこどもを通わせたくないという気持ちになります。
だから、公立ではなく私立で義務教育を学ぶのだろうか。
自分が社会人になったときに思ったことは、学校で学んだことは社会の実態に合致していない。いったん学校で教わったことを忘れたほうがいい。学校は一時的な滞在地で特殊な場所。学校で何があったかは社会では関係ない。だから学校でめげているこどもさんがいたら希望をもってほしい。
家庭内での労働教育環境の消失。親が働いている姿をこどもに見せる機会が減ったとあります。
もうひとつは、こどもが家の手伝いをしなくなった。手伝う時間があれば勉強しなさいになった。
母親(妻)が父親(夫)のことでがまんしていている姿をこどもが見ている。男のこどもから見た両親の景色と女のこどもから見た景色には、同じ景色でも違いがあるような気がします。
学校が崩壊する。夫婦、親子関係も崩壊する。
先に文句を言った者が勝ちという理屈をこどもが学習する。おまえのせいでこうなっているという思考が確立する。マナー(礼儀作法)が消えた。日本の社会システムの崩壊。暗い話題が続きます。
絵に描けないものそれが「時間」
こどもは学校をコンビニのようなものととらえていて、自分を消費者だと思っているそうです。
時間も消費も実態がない。こどもが幽霊化している。
読んでいて、こどもを責めてもしかたがないという気持ちになります。いじめや虐待で悲惨な思いをしているこどももいます。
こどもが自分の未来を捨てた。
調べた言葉などとして、
亢進(こうしん):気持ちが積極的な方向にたかぶる。
ラディカル:根本的、過激
洞見(どうけん):物事の本質を見抜く
クリティカル:きわめて危険な状態
イデオロギー:観念の体系。観念:意識内容
「第二章 リスク社会の弱者たち」
ふと、何度か映画にもなった壷井榮さんの名作「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」を思い出しました。こどもたちが連れだって先生の家に行って、先生や先生のご家族と触れ合う時間をもつ。もうそういう体験はいまではしにくいことなのでしょう。自分は、小学生のときと高校生の時に類似体験があります。学校では嫌いな先生もいたし、好きな先生もいました。いいことばかりでもありませんでした。
この第二章では、最後のほうで、「迷惑のかけあい」ということで、戦後の助け合いのことが書いてあります。今は、相互扶助意識が薄れてきた社会というようなことが書いてあります。孤立無援。高位置の職に就いていても失職すれば、即、下流へ転落です。(この部分の文章をつくって読み続けた数日後、うしろのページで邦画「二十四の瞳」の記述が出てきました。びっくりしました)
第二章を読み終えました。なにかしら、第一章との距離感がありました。カタカナ言葉を中心として言葉の意味がわからず内容を理解できませんでした。
自己決定とか自己責任について書いてあります。
そこから関連することとして、本を読みながら、去年話題になったキャッチフレーズとして「自助、共助、公助」という言葉について考えました。自助・共助・公助というのは、大規模な自然災害が発生した時の対応について記したものだと思うのです。地震、津波、台風、豪雨などの想像を絶する大災害が発生した時です。まず、自分の命は自分で守る。次に、親族や地域のネット―ワークなどで助け合う。その後、行政ほかの救援を受ける。なぜなら、助けるほうも被災者になるし、数的に少数が大多数をすぐに救援することは困難だからです。ですから、自助・共助・公助というのは緊急事態発生時に使用する言葉であって、普段の生活の時に使う言葉ではないと思うのです。
自分を裏切らない信頼できるパートナーをもつ。
セーフティネット(危機発生時対応のための安全網)をもっておく。なんだか、武士たちが戦い続けた日本の戦国時代みたいです。
これはこうでなければならないとか、これはこうすべきものだというガンコな考え方は意外に危険です。
調べた言葉などとして、
グローバリゼーション:国境を越えた地球規模の交流
リソース:資源
リスク:悪いことが起こる可能性
リスクヘッジ:悪いことが起きた時の準備をしておく。この本では、危機の分散化について書いてあります。AがだめになってもBで助かるようにしておく。
頽落(たいらく):崩れ落ちる。
メリトクラシー:能力主義
フェアネス:公平、公正
アドバンテージ:ほかより有利な状態
デシジョン・メイキング:目的達成のために自分の判断と責任でやり方を選択すること。意思決定
ソーリューション:答えを出す。解明。解答。解決
ビジネスターム:期間。期限。仕事の期間。中期。長期
蓋然的(がいぜんてき):予想する物事が起こる可能性が高い。確率が高い。
汲々として(きゅうきゅうとして):あくせくする。小さなことに気をとられる。ひとつのことに集中して。
博打(ばくち):賭け事。ギャンブル
閨閥(けいばつ):妻方の親類を中心に形成された親族関係。政界、財界、官界、王室、貴族などにあり。
常套句(じょうとうく):決まり文句
瀰漫(びまん):一面に広がって満ちること
「第三章 労働からの逃走」
13年前の本です。これから13年後が来るのも早そうです。13年後の日本はどうなっているのだろう。
若者に関する記述を読んでいます。読みながら考えています。たしかに組織に貢献する組織人としての意識は弱いが、自分のしたいことはするという自由人の意識は強い。すぐに仕事を辞めたがる。本には、若者にとって、出世よりも自由が大切と書いてあります。
解説を読んでいて、自己決定・自己責任が美徳というのは錯覚と受け止めました。錯覚して自ら下流へ落ちていくことに満足している。上層へあがるチャンスが用意してあるのに自ら上昇気流にのることを拒否して落ちていく。そして、若者は、落ちていくことにこれでいいと自己満足している。昔読んだ小説で林真理子さんの「下流の宴(うたげ)」を思い出しました。そういうタイプの若者男性が登場します。
日本型ニート:フリーターは学力があるけれど、ニート(就学、就労していない。職業訓練を受けていない)は学習体験をしていない。ニートは、基礎的学力が低く、社会活動に参加した経験が少ない。外国のニートは、学習意欲があっても学習させてもらえるチャンスが少ない。日本人のニートは、自己決定、自己責任、自由ということを正しいこととして、自分自身で教育を受ける権利を放棄して自己満足している。周囲もそういう人を置き去りにしていく。そういうふうに読み取りました。
本人にとっては、教育は義務で権利だとは思えていない。義務教育の義務は親に対してのもので、子どもに教育を受けさせる義務と解釈が示してあります。
日本国憲法の第27条3項に児童を酷使してはならないと定めがあることをこの本が教えてくれました。そういえばこどものころ、農繁期になると家の手伝いという理由で登校してこないこどもがいました。
生き方の基本として、「自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることをたいせつにする生き方……」と提案があります。とても参考になります。
転職に関して、昔は石の上にも三年(忍耐すればいいことがある)と教わったものです。仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと教わったこともあります。いまは転職を勧める世の中に変わりました。基準は時代によって変わっていくのでしょうが、やはり簡単に退職はしないほうがいいと思います。就労空白期間があると生涯獲得賃金総額も下がります。
給料は安いのが当然。高くしたら倒産してしまう。お金の使用は薄く広く長くが、組織運営の目標。おおぜいの人が食べていくため。
世の中はもともと不合理(理屈にあわない。筋がとおらない)不条理(ふじょうり。不合理であること)であることを受け入れられないと労働はできなくなるとあります。
表面的には、割りが合わない(労力の割には賃金が安い)ので、そのことが不合理で働きたくないと主張し始めたら働けなくなる。
労働に「等価交換」は存在しない。常にオーバーワーク(労力のほうが賃金より多い)
大学生の単位の取得のしかたを読んでいると、何のために大学に行っているのだろうかと思いたくなります。大学以外の場所で勉強しない自宅学習時間ゼロの大学生は、世間的には問題にはならないけれど失業者のようなものです。
労働の評価は無理。成果主義は無理
人間は品物ではない。商品でもない。
調べた言葉などとして、
自己決定フェティシズム:フェティシズムは、異常性欲のひとつ。下着などの物や足の指先など体の一部分を強く愛する。この本では、「自己決定」において、自分で決めたことだから正しい。これでいいという理屈に自分で陶酔して満足する状態
インフォームド・コンセント:医師と患者との合意。治療に関する十分な説明を医師から患者が聴いて方針を決める。
セルフ・エスティーム:自己肯定感。ありのままの自分を受け入れる。自信
心身のパフォーマンス:心と体の機能
信憑(しんぴょう):信頼度
オーバーアチーブ:相手に期待以上の満足を提供する。
システマティック:体系的、組織的、計画的、規則正しい
アイデンティティ:自分を自分だと確信させるもの
クレバー:ずるがしこい。
ポピュラリティ:人気、人望
クライアント:お客さま
スペック:性能
ピットフォール:落とし穴
シラバス:大学での講義の内容説明
ジョブ・ディスクリプション:業務内容の詳細記述文書
メンター:助言者、相談者
パラドクス:正しそうに見えるが、実は無理なこと。
アクロバシー:曲芸。アクロバット。常人にはできないこと。
多田宏先生:武道家(合気道)
ソクラテス:紀元前496年頃-紀元前399年頃 古代ギリシャの哲学者。メノン:対話篇古代ギリシャの哲学者プラトンの書物。プラトンは、ソクラテスの弟子でプラトンが書いた本にソクラテスが登場する。
テンポラリー:一時的な
詮ずる所:せんずるところ。結局のところ
教育のアウトカム:結果。成果
メタ能力:ものさしをつくりだす力
「第四章 質疑応答」
質疑に出てくる平川さんがどなたなのかわかりませんでした。実業家。文筆家。平川克美さん
吉本隆明さん:2012年87歳没 詩人、評論家 吉本ばななさんのお父上
無時間モデル:ギブ・アンド・テイク 与えたら対価としてなにかをもらう
ジョブ・ディスクリプション:契約社会か。仕事の説明書と報酬
イニシエーション:正式なメンバーとして受け入れる儀式
児童虐待の要因のひとつとして、親が子を製品として観る。思いどおりの製品ができあがらないので、ストレスがたまって、製品に危害を加える。怖い。
読んでいて内容がむずかしい部分もあります。何度も読まないといけないのでしょう。
映画の話も出てきます。「スターウォーズ」黒澤明監督の「姿三四郎」「ベスト・キッド」そして「二十四の瞳」
二十四の瞳では、大石先生が泣き虫先生であるだけで役に立っていなかったという分析もありますが、言論の自由が力づくで抑えられていた軍部独裁による軍国主義の時代だったことから、こどもの命を守れなかったという悔いもあるでしょう。
一時期はやった教師もののドラマはいま思うとよくなかった。教師はスーパーマンではありません。
昔だったら、わずらわしさを伴う小さな主張(クレーム)は問答無用で切り捨て御免の扱いをされていましたが、権利意識の高まりによって、管理する側が弱腰になり、わがままと思えるようなことも受け入れるようになってから、秩序が混乱する社会になりました。
クレーマー(しつこく苦情をいう人。要求をしてくる人)について書いてあります。アメリカ的という考察があります。
先月読んだ夏目漱石作品「坊ちゃん」に関する記述が出てきてびっくりしました。三世代大家族で暮らしていた昔は実母以外の人間が子どもを育てることは一般的でした。坊ちゃんでは、下女の「清(きよ)」が坊ちゃんのめんどうをみます。そして、物語の最後で、四国から東京に戻った坊ちゃんは清といっしょに暮らして彼女の最期をみとり彼女のお墓も用意します。
続けて下村湖人(しもむらこじん)作品「次郎物語」も出てきました。中学生のときに読みました。そういえばわたしは、母親の妹(おばさん)に、あんたがあかちゃんだったときは、わたしがあんたのめんどうをみたと言われたことがあります。幼児期になるまでお世話になったようですが、あいにく記憶がありません。思うに、こどもを育てるのは、実母以外の人間でもだいじょうぶなのです。こどもにとって安全な環境を確保できればいいのです。
「師匠」について(師匠自身の独自の考えというものはない。師匠は自分の師匠が教えてくれたことを弟子に伝えるだけ。そして、弟子が師匠になったときは、自分の師匠が伝えてくれたことを弟子に伝えるだけ。伝承。なにか、深いものを感じました)加えて、良かった文節として「理論を語っても仕方がない」そういうものだと受け止めて実行していけば意味のあるところへ着地できる可能性があります。
調べた言葉などとして、
シーケンシャル:連続的な手順
タイムラグ:時間のずれ
ロングスパン:長期間
インフラ:生活を支える基盤。電気、ガス、水道、道路、公共施設など。
パッサー:パスを出す人。あることを次につなげていく人
通暁(つうぎょう):ある事柄について精通している。
私淑する(ししゅくする):直接教わらないが、ひそかにその人を師として尊敬し、模範として学ぶ。
標榜(ひょうぼう):主義主張をはっきりと掲げる。
嘲弄的(ちょうろうてき):あざけりからかう。
惻隠(そくいん):かわいそうに思うこと
マジョリティー:多数派、多数派、反対語が、マイノリティー
禁忌(きんき):慣習的に嫌ったり避けたりする。
佐藤学さん:教育学者
リベラルアーツ:高度な教養を身につけるための学び
シュツットガルト:ドイツのいなかの都市
フェミニスト:平等を目的として、女性の権利主張を指示する人
弊履(へいり):なんの価値もないもの
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう):ふたりは、言葉を交わさなくても相手の考えていることがわかって行動がぴったりと合う。
固執(こしつ):自分の意見や考えを譲らない。
ランティエ:不労所得で生計維持をしている人。この本の場合は年金生活者
高等遊民(こうとうゆうみん):明治から昭和初期によく使われた言葉。経済的に不自由がない高学歴者。親の財産で生活していく人
メンタリティ:心理状態。知性
付和雷同(ふわらいどう):自分の考えがなく人に同調する。
レバレッジ:小さな力で大きなものを動かす仕組み。梃子(てこ)のようなもの。
瀰漫(びまん):一面に広がり満ちること。
ジャルゴン(符牒):意味不明な言葉。同業者のうちわのみで通用する言葉
WASP:白人アメリカ人プロテスタント
ルーティン:決まっている手順。日課
ランデブー・ポイント:待ち合わせ場所
アジール:苦しんでいる人が逃げ込む場所。例として、駆け込み寺
電磁パルス:電磁波。波動
「文庫版のためのあとがき 2009年6月付け」
新型インフルエンザの世界的流行のことが書いてあります。2009年(平成21年)に、たしかに新型インフルエンザの流行がありました。日本での死者は200人ぐらいだったと思います。今回の感染拡大はかなりひどい。もう8200人ぐらいが亡くなっています。
現在全世界が新型コロナウィルス感染拡大に苦しんでいる2021年の今読むと、もしかしたら、今後も一定の期間を開けて、新種のウィルスが生まれてくるのではないかという不安が生じます。
リーマンショック:2008年9月(平成20年)アメリカの投資銀行が経営破たんしたことをきっかけにして、経済危機が世界的に連鎖した。
ドミナント:優位に立つ
ずいぶんと長いあいまいな感想のような文章になってしまいました。最後まで読んでいただけた方には感謝いたします。ありがとうございました。
読むことで考える。考えることで充実感を得られる。今年読んで良かった一冊でした。
「まえがき」を読んでいて考えたことです。この本は、こどもが勉強しなくなった。若者が働かなくなったという内容が書いてあるようです。本の発行は、2007年ですから、今から13年ぐらい前です。その当時の小中学生、大学生たちはいまごろ、二十代から三十代でしょう。
本が出版されて、その後の動向はわかりませんが、「まえがき」に書いてあることに納得、同調できる部分が多い。
自分の考えでは、業務処理能力の低下は著しい。丁寧さ、緻密さが不足している。省略したがる。点検不足。雑な処理対応が目立つ。ゆえに間違える。そのほか、責任者になりたがらない。ゆえに組織が構築しにくくなっている。高学歴でも仕事場では戦力になりにくい。あとは、意外にガラが悪い。いざとなると乱暴な言動が出てくる。さらに都合が悪くなると無言になる。無言になってその場から自分の存在を消す。
付け加えるなら、自分の頭で考えない。質問を繰り返す。どうしたらいいですか。指示されて従って結果がうまくいかなったときに自身には責任はないという手法を用いる。
日本が先進国だった時代は終わっている。島国であるという幸運で、なにかと守られている。1年365日24時間感覚で働いてきた世代が蓄積してきた資産をこれからの世代が消費していく。国力の衰退化が予想されます。
ただ、この時勢を止めたり流れを変化させたりすることはとてもむずかしい。
学校を卒業して社会人になって気づいたことがあります。
この世には、五体満足で口が達者でも働けない人がいる。いわゆる「依存」で食べていく人がいる。そういう生き方を否定することはできない。人の生き方の手法としては有りです。人は働かなくても食べていける環境に置かれると働かなくなる。いかにして働かなくても食べていける状態を維持していくかに心の動きが集中します。
もうひとつ、社会人になってわかったことがあります。学校では先生から何度も「そういうふうでは社会に出てからやっていけないぞ」と叱られました。社会に出てみたら、なんだ、いいかげんな人ばかりではないかとがっかりしながらもほっとしました。だいじょうぶ。自分はこの世界で生きていけそうだ。
「第一章 学びからの逃走」
下流社会への階層降下とあります。(これは、社会システムが下流社会をつくるということではなく、若者自らが下流社会へ落ちることを望んでいると分析があり納得できます)
下流:貧しい階級
諏訪哲二さんの本「オレ様化する子どもたち」タイトルを見て衝撃があります。師弟関係というものが崩壊したのだなと。(読み続けていてあとでわかったのですが、今読んでいるこちらの本は「師弟関係」を重要視しています)
「日本の子どもたちは世界で最も勉強をしない子どもたちになってしまった」あんなに塾通いをしているのに。主体性に欠けるということだろうか。親にやらされているということだろうか。
「競争」がなくなってきた。あっても低水準の集団内における競争になっているそうです。なるほど。責任を負う役職者になりたくない人が増えたので、役職者になりやすい時代です。
漢字の読みや文章作成について書いてあります。高学歴の人でも長期間文字を書いていないと文字を書けなくなります。まずは漢字を書けなくなります。文章はなおさら書けなくなります。
キーワードのひとつとして、
「わからないことがあっても気にならない」自分の知らないことは「存在しないこと」として扱う。
過去の世代が「お金や権利」に執着したことが、いまの世代の人格形成に影響を与えたのではないか。損か得かが物事を決定するときの判断基準です。
公平に考えるなら、本の内容は一方向からの考察になっているので、相手方の言い分も聞かねばなりません。
本に書いてあるとおり、こどもからの「どうして人を殺してはいけないのですか?」と質問されて、答はないのでしょう。「じゃあ、あなたは、殺されてもいいのですか?」と問い返すしかありません。自分は殺す立場にある人間だという強い思い込みがあって、殺される立場にある人間でもあるということに気づけていません。
生活が便利になったことで失ったものは大きい。便利になるにつれて、本来人間の心や身体がもっていた良質な機能が退化していっている。
怖いことが書いてある本です。
学校が荒廃しています。愛情とか友情が見当たりません。
こどもたちは教師に、学校で「不快」を主張するために通学しているそうです。そのためにすさまじいエネルギーをつぎ込んでいるそうです。
学校がいらない時代になってきているのだろうか。読んでいるとこんな学校にこどもを通わせたくないという気持ちになります。
だから、公立ではなく私立で義務教育を学ぶのだろうか。
自分が社会人になったときに思ったことは、学校で学んだことは社会の実態に合致していない。いったん学校で教わったことを忘れたほうがいい。学校は一時的な滞在地で特殊な場所。学校で何があったかは社会では関係ない。だから学校でめげているこどもさんがいたら希望をもってほしい。
家庭内での労働教育環境の消失。親が働いている姿をこどもに見せる機会が減ったとあります。
もうひとつは、こどもが家の手伝いをしなくなった。手伝う時間があれば勉強しなさいになった。
母親(妻)が父親(夫)のことでがまんしていている姿をこどもが見ている。男のこどもから見た両親の景色と女のこどもから見た景色には、同じ景色でも違いがあるような気がします。
学校が崩壊する。夫婦、親子関係も崩壊する。
先に文句を言った者が勝ちという理屈をこどもが学習する。おまえのせいでこうなっているという思考が確立する。マナー(礼儀作法)が消えた。日本の社会システムの崩壊。暗い話題が続きます。
絵に描けないものそれが「時間」
こどもは学校をコンビニのようなものととらえていて、自分を消費者だと思っているそうです。
時間も消費も実態がない。こどもが幽霊化している。
読んでいて、こどもを責めてもしかたがないという気持ちになります。いじめや虐待で悲惨な思いをしているこどももいます。
こどもが自分の未来を捨てた。
調べた言葉などとして、
亢進(こうしん):気持ちが積極的な方向にたかぶる。
ラディカル:根本的、過激
洞見(どうけん):物事の本質を見抜く
クリティカル:きわめて危険な状態
イデオロギー:観念の体系。観念:意識内容
「第二章 リスク社会の弱者たち」
ふと、何度か映画にもなった壷井榮さんの名作「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」を思い出しました。こどもたちが連れだって先生の家に行って、先生や先生のご家族と触れ合う時間をもつ。もうそういう体験はいまではしにくいことなのでしょう。自分は、小学生のときと高校生の時に類似体験があります。学校では嫌いな先生もいたし、好きな先生もいました。いいことばかりでもありませんでした。
この第二章では、最後のほうで、「迷惑のかけあい」ということで、戦後の助け合いのことが書いてあります。今は、相互扶助意識が薄れてきた社会というようなことが書いてあります。孤立無援。高位置の職に就いていても失職すれば、即、下流へ転落です。(この部分の文章をつくって読み続けた数日後、うしろのページで邦画「二十四の瞳」の記述が出てきました。びっくりしました)
第二章を読み終えました。なにかしら、第一章との距離感がありました。カタカナ言葉を中心として言葉の意味がわからず内容を理解できませんでした。
自己決定とか自己責任について書いてあります。
そこから関連することとして、本を読みながら、去年話題になったキャッチフレーズとして「自助、共助、公助」という言葉について考えました。自助・共助・公助というのは、大規模な自然災害が発生した時の対応について記したものだと思うのです。地震、津波、台風、豪雨などの想像を絶する大災害が発生した時です。まず、自分の命は自分で守る。次に、親族や地域のネット―ワークなどで助け合う。その後、行政ほかの救援を受ける。なぜなら、助けるほうも被災者になるし、数的に少数が大多数をすぐに救援することは困難だからです。ですから、自助・共助・公助というのは緊急事態発生時に使用する言葉であって、普段の生活の時に使う言葉ではないと思うのです。
自分を裏切らない信頼できるパートナーをもつ。
セーフティネット(危機発生時対応のための安全網)をもっておく。なんだか、武士たちが戦い続けた日本の戦国時代みたいです。
これはこうでなければならないとか、これはこうすべきものだというガンコな考え方は意外に危険です。
調べた言葉などとして、
グローバリゼーション:国境を越えた地球規模の交流
リソース:資源
リスク:悪いことが起こる可能性
リスクヘッジ:悪いことが起きた時の準備をしておく。この本では、危機の分散化について書いてあります。AがだめになってもBで助かるようにしておく。
頽落(たいらく):崩れ落ちる。
メリトクラシー:能力主義
フェアネス:公平、公正
アドバンテージ:ほかより有利な状態
デシジョン・メイキング:目的達成のために自分の判断と責任でやり方を選択すること。意思決定
ソーリューション:答えを出す。解明。解答。解決
ビジネスターム:期間。期限。仕事の期間。中期。長期
蓋然的(がいぜんてき):予想する物事が起こる可能性が高い。確率が高い。
汲々として(きゅうきゅうとして):あくせくする。小さなことに気をとられる。ひとつのことに集中して。
博打(ばくち):賭け事。ギャンブル
閨閥(けいばつ):妻方の親類を中心に形成された親族関係。政界、財界、官界、王室、貴族などにあり。
常套句(じょうとうく):決まり文句
瀰漫(びまん):一面に広がって満ちること
「第三章 労働からの逃走」
13年前の本です。これから13年後が来るのも早そうです。13年後の日本はどうなっているのだろう。
若者に関する記述を読んでいます。読みながら考えています。たしかに組織に貢献する組織人としての意識は弱いが、自分のしたいことはするという自由人の意識は強い。すぐに仕事を辞めたがる。本には、若者にとって、出世よりも自由が大切と書いてあります。
解説を読んでいて、自己決定・自己責任が美徳というのは錯覚と受け止めました。錯覚して自ら下流へ落ちていくことに満足している。上層へあがるチャンスが用意してあるのに自ら上昇気流にのることを拒否して落ちていく。そして、若者は、落ちていくことにこれでいいと自己満足している。昔読んだ小説で林真理子さんの「下流の宴(うたげ)」を思い出しました。そういうタイプの若者男性が登場します。
日本型ニート:フリーターは学力があるけれど、ニート(就学、就労していない。職業訓練を受けていない)は学習体験をしていない。ニートは、基礎的学力が低く、社会活動に参加した経験が少ない。外国のニートは、学習意欲があっても学習させてもらえるチャンスが少ない。日本人のニートは、自己決定、自己責任、自由ということを正しいこととして、自分自身で教育を受ける権利を放棄して自己満足している。周囲もそういう人を置き去りにしていく。そういうふうに読み取りました。
本人にとっては、教育は義務で権利だとは思えていない。義務教育の義務は親に対してのもので、子どもに教育を受けさせる義務と解釈が示してあります。
日本国憲法の第27条3項に児童を酷使してはならないと定めがあることをこの本が教えてくれました。そういえばこどものころ、農繁期になると家の手伝いという理由で登校してこないこどもがいました。
生き方の基本として、「自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることをたいせつにする生き方……」と提案があります。とても参考になります。
転職に関して、昔は石の上にも三年(忍耐すればいいことがある)と教わったものです。仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと教わったこともあります。いまは転職を勧める世の中に変わりました。基準は時代によって変わっていくのでしょうが、やはり簡単に退職はしないほうがいいと思います。就労空白期間があると生涯獲得賃金総額も下がります。
給料は安いのが当然。高くしたら倒産してしまう。お金の使用は薄く広く長くが、組織運営の目標。おおぜいの人が食べていくため。
世の中はもともと不合理(理屈にあわない。筋がとおらない)不条理(ふじょうり。不合理であること)であることを受け入れられないと労働はできなくなるとあります。
表面的には、割りが合わない(労力の割には賃金が安い)ので、そのことが不合理で働きたくないと主張し始めたら働けなくなる。
労働に「等価交換」は存在しない。常にオーバーワーク(労力のほうが賃金より多い)
大学生の単位の取得のしかたを読んでいると、何のために大学に行っているのだろうかと思いたくなります。大学以外の場所で勉強しない自宅学習時間ゼロの大学生は、世間的には問題にはならないけれど失業者のようなものです。
労働の評価は無理。成果主義は無理
人間は品物ではない。商品でもない。
調べた言葉などとして、
自己決定フェティシズム:フェティシズムは、異常性欲のひとつ。下着などの物や足の指先など体の一部分を強く愛する。この本では、「自己決定」において、自分で決めたことだから正しい。これでいいという理屈に自分で陶酔して満足する状態
インフォームド・コンセント:医師と患者との合意。治療に関する十分な説明を医師から患者が聴いて方針を決める。
セルフ・エスティーム:自己肯定感。ありのままの自分を受け入れる。自信
心身のパフォーマンス:心と体の機能
信憑(しんぴょう):信頼度
オーバーアチーブ:相手に期待以上の満足を提供する。
システマティック:体系的、組織的、計画的、規則正しい
アイデンティティ:自分を自分だと確信させるもの
クレバー:ずるがしこい。
ポピュラリティ:人気、人望
クライアント:お客さま
スペック:性能
ピットフォール:落とし穴
シラバス:大学での講義の内容説明
ジョブ・ディスクリプション:業務内容の詳細記述文書
メンター:助言者、相談者
パラドクス:正しそうに見えるが、実は無理なこと。
アクロバシー:曲芸。アクロバット。常人にはできないこと。
多田宏先生:武道家(合気道)
ソクラテス:紀元前496年頃-紀元前399年頃 古代ギリシャの哲学者。メノン:対話篇古代ギリシャの哲学者プラトンの書物。プラトンは、ソクラテスの弟子でプラトンが書いた本にソクラテスが登場する。
テンポラリー:一時的な
詮ずる所:せんずるところ。結局のところ
教育のアウトカム:結果。成果
メタ能力:ものさしをつくりだす力
「第四章 質疑応答」
質疑に出てくる平川さんがどなたなのかわかりませんでした。実業家。文筆家。平川克美さん
吉本隆明さん:2012年87歳没 詩人、評論家 吉本ばななさんのお父上
無時間モデル:ギブ・アンド・テイク 与えたら対価としてなにかをもらう
ジョブ・ディスクリプション:契約社会か。仕事の説明書と報酬
イニシエーション:正式なメンバーとして受け入れる儀式
児童虐待の要因のひとつとして、親が子を製品として観る。思いどおりの製品ができあがらないので、ストレスがたまって、製品に危害を加える。怖い。
読んでいて内容がむずかしい部分もあります。何度も読まないといけないのでしょう。
映画の話も出てきます。「スターウォーズ」黒澤明監督の「姿三四郎」「ベスト・キッド」そして「二十四の瞳」
二十四の瞳では、大石先生が泣き虫先生であるだけで役に立っていなかったという分析もありますが、言論の自由が力づくで抑えられていた軍部独裁による軍国主義の時代だったことから、こどもの命を守れなかったという悔いもあるでしょう。
一時期はやった教師もののドラマはいま思うとよくなかった。教師はスーパーマンではありません。
昔だったら、わずらわしさを伴う小さな主張(クレーム)は問答無用で切り捨て御免の扱いをされていましたが、権利意識の高まりによって、管理する側が弱腰になり、わがままと思えるようなことも受け入れるようになってから、秩序が混乱する社会になりました。
クレーマー(しつこく苦情をいう人。要求をしてくる人)について書いてあります。アメリカ的という考察があります。
先月読んだ夏目漱石作品「坊ちゃん」に関する記述が出てきてびっくりしました。三世代大家族で暮らしていた昔は実母以外の人間が子どもを育てることは一般的でした。坊ちゃんでは、下女の「清(きよ)」が坊ちゃんのめんどうをみます。そして、物語の最後で、四国から東京に戻った坊ちゃんは清といっしょに暮らして彼女の最期をみとり彼女のお墓も用意します。
続けて下村湖人(しもむらこじん)作品「次郎物語」も出てきました。中学生のときに読みました。そういえばわたしは、母親の妹(おばさん)に、あんたがあかちゃんだったときは、わたしがあんたのめんどうをみたと言われたことがあります。幼児期になるまでお世話になったようですが、あいにく記憶がありません。思うに、こどもを育てるのは、実母以外の人間でもだいじょうぶなのです。こどもにとって安全な環境を確保できればいいのです。
「師匠」について(師匠自身の独自の考えというものはない。師匠は自分の師匠が教えてくれたことを弟子に伝えるだけ。そして、弟子が師匠になったときは、自分の師匠が伝えてくれたことを弟子に伝えるだけ。伝承。なにか、深いものを感じました)加えて、良かった文節として「理論を語っても仕方がない」そういうものだと受け止めて実行していけば意味のあるところへ着地できる可能性があります。
調べた言葉などとして、
シーケンシャル:連続的な手順
タイムラグ:時間のずれ
ロングスパン:長期間
インフラ:生活を支える基盤。電気、ガス、水道、道路、公共施設など。
パッサー:パスを出す人。あることを次につなげていく人
通暁(つうぎょう):ある事柄について精通している。
私淑する(ししゅくする):直接教わらないが、ひそかにその人を師として尊敬し、模範として学ぶ。
標榜(ひょうぼう):主義主張をはっきりと掲げる。
嘲弄的(ちょうろうてき):あざけりからかう。
惻隠(そくいん):かわいそうに思うこと
マジョリティー:多数派、多数派、反対語が、マイノリティー
禁忌(きんき):慣習的に嫌ったり避けたりする。
佐藤学さん:教育学者
リベラルアーツ:高度な教養を身につけるための学び
シュツットガルト:ドイツのいなかの都市
フェミニスト:平等を目的として、女性の権利主張を指示する人
弊履(へいり):なんの価値もないもの
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう):ふたりは、言葉を交わさなくても相手の考えていることがわかって行動がぴったりと合う。
固執(こしつ):自分の意見や考えを譲らない。
ランティエ:不労所得で生計維持をしている人。この本の場合は年金生活者
高等遊民(こうとうゆうみん):明治から昭和初期によく使われた言葉。経済的に不自由がない高学歴者。親の財産で生活していく人
メンタリティ:心理状態。知性
付和雷同(ふわらいどう):自分の考えがなく人に同調する。
レバレッジ:小さな力で大きなものを動かす仕組み。梃子(てこ)のようなもの。
瀰漫(びまん):一面に広がり満ちること。
ジャルゴン(符牒):意味不明な言葉。同業者のうちわのみで通用する言葉
WASP:白人アメリカ人プロテスタント
ルーティン:決まっている手順。日課
ランデブー・ポイント:待ち合わせ場所
アジール:苦しんでいる人が逃げ込む場所。例として、駆け込み寺
電磁パルス:電磁波。波動
「文庫版のためのあとがき 2009年6月付け」
新型インフルエンザの世界的流行のことが書いてあります。2009年(平成21年)に、たしかに新型インフルエンザの流行がありました。日本での死者は200人ぐらいだったと思います。今回の感染拡大はかなりひどい。もう8200人ぐらいが亡くなっています。
現在全世界が新型コロナウィルス感染拡大に苦しんでいる2021年の今読むと、もしかしたら、今後も一定の期間を開けて、新種のウィルスが生まれてくるのではないかという不安が生じます。
リーマンショック:2008年9月(平成20年)アメリカの投資銀行が経営破たんしたことをきっかけにして、経済危機が世界的に連鎖した。
ドミナント:優位に立つ
ずいぶんと長いあいまいな感想のような文章になってしまいました。最後まで読んでいただけた方には感謝いたします。ありがとうございました。
読むことで考える。考えることで充実感を得られる。今年読んで良かった一冊でした。
2021年03月05日
三島由紀夫レター教室 三島由紀夫
三島由紀夫レター教室 三島由紀夫 ちくま文庫
1968年刊行の本です。
ご本人は、この本の刊行の二年後、1970年に45歳で亡くなっています。こどものころにテレビニュースで見ました。自衛隊にクーデター(軍事力による政権移動)を呼びかけましたがうまくいかず割腹自決されています。
この本を読み始めましたが、とてもそのようなことをするような人の文章には思えません。
まず読みやすい。五人の人物がこれから手紙を書いていって、全体で物語が完成する仕組みのようです。
登場人物のモデルがいたのかも。表現がマンガみたいです。『英語のしゃべりすぎで、口を三角にあけたり、四角にあけたり、とにかく口をあけすぎる』という、うまい表現があります。
(A)として、氷ママ子(こおり・ままこ) 45歳 太っている。元美人とあります。三年間の米国暮らし体験あり。未亡人。長男が大学生、次男が高校生。英語塾を自営しています。
(B)として、山トビ夫(やま・とびお) 45歳 背が低くやせていて、鼻の下にチョビヒゲを生やしている。氷ママ子の友人。服飾デザイナー。鹿児島県出身。妻あり。
(C)として、空ミツ子(から・みつこ) 20歳 小柄で大きな目。氷ママ子の英語塾の生徒だった。氷ママ子と交流あり。商事会社勤務
(D)として、炎タケル(ほのお・たける) 23歳 芝居の勉強をしている。演出担当。エレベーター係アルバイトをしている。
(E)として、丸トラ一(まる・とらいち) 25歳 まるまる太っている。空ミツ子のいとこ。大学を三年留年している。空想家
五人の共通点として「筆まめ(手紙や文章をまめに書くこと)」
「古風なラブレター」
手紙というのはこわい。証拠が残ります。
銀行の支店長が英会話塾の運営資金を借りに来た氷ママ子さんに恋文を出します。
感服した文章として、
『この支店長に、男としての魅力も感じることができません』
『五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで……』
『このラブ・レターには、あなたの肉体への賛美の言葉がひとつもない』
調べた言葉として、
欣快(きんかい):非常に嬉しい。
エディプス・コンプレックス:男子が母親に性愛感情をいだき父親に嫉妬心をもつこと。
「有名人へのファン・レター」
ファン・レターの代筆を頼まれた演出家の卵である炎タケル23歳です。
目についた文節として『ぜんぜん感激しちゃいました』昭和43年ごろのこの当時に『ぜんぜん』が肯定の意味で使われているのは驚きです。むかし、『ぜんぜん』は否定の意味で使われていました。
調べた言葉などとして、
インテリ:知識人、知識階級
哄笑(こうしょう):大口を開けて笑うこと
「肉体的な愛の申し込み」
女性の肉体に対するすごい観察力と文章による描写力の発揮があります。
読んでいると、ひとりの作家が五人を演じているわけで、多重人格でないと書けない苦しさがあるように思えます。
調べた言葉などとして、
ブルジョア(本作品では多用されています):裕福な人
おはなさん:1966年のNHK朝ドラ第6作
各気(かくき、かっき、きゃっき):物事にはやる心
海容(かいよう):海のように広い心で、相手の過ちや無礼を許す。
山谷(さんや):東京都台東区北東部にあった地域。日雇い労働者や簡易宿泊所が多かった。
「処女でないことを打ちあける手紙」
気に入った文章として『夜がシンシンと更けて(ふけて)くると、猫はますます猫的になります。』
「同性への愛の告白」
大川点助なる同性愛者が登場します。少し禿げ(はげ)た肥満体の中年男性です。テレビに出ていて役者が仕事のようです。役柄は三枚目です。(お笑い担当ということ)
最初のページからここまで読んできて、手紙というものは、偽善(ぎぜん。見せかけ)の世界だと感じたのです。詐欺的でもあります。
ナルシズム:自己愛
「愛を裏切った男への脅迫状」
調べた言葉として、
燕(つばめ):年上の女性の愛人になっている若い男
「出産の通知」
読んでいると、人間ってなんなのだろうという思いが押し寄せてきます。死ぬまで生きていくのが人間なのでしょう。
1960年代、昭和40年代初めですから、カラーテレビが欲しいという話が何度も出てきます。今、カラーテレビを欲しいという人はいないでしょう。当時はまだ白黒テレビが主流でした。
「招待を断る手紙」
調べた言葉として、
愧じる(はじる):恥ずかしく思う。恥じると同じ意味のようです。
「結婚申し込みの手紙」
炎タケルは23歳演出家の卵で、エレベーター係のアルバイトをしている(1960年代後半で、エレベーターガールという担当の女性はいましたが、男性でエレベーター係というのはどういう仕事なのかはわたしにはわかりません)彼が、空ミツ子(から・みつこ)20歳小柄で大きな目をしている商事会社勤務に結婚を申し込む手紙です。
彼の手紙の内容は不十分です。愛情の源が肉体的な結びつきがポイントになっています。勝手です。相手の人格にほれたわけではありません。
これに対して、空ミツ子の返事はやはり冷淡です。冷淡ですが上手です。『相手の気持ちなどかまっていないところが、とてもステキでした』と返します。
さらに『あなたには、結婚生活のための時間がまだぜんぜんないのね』現在でも使える文章表現として『NOでないことは、もうたしかです。でもまだYESになるには距離があります』とりあえず結婚相手のひとりとしてキープしておきます。
「恋敵を中傷する手紙」
恋敵(こいがたき):恋の競争相手。ひとりの人に複数の人がほれている。
中傷(ちゅうしょう):根拠のないことで他人の人格を傷つける。
45歳妻ありの山トビ夫(ネコキチガイの中年の金持デザイナーとあります)が20歳の空ミツ子(から・みつこ)の異性関係に関して嫉妬する内容です。怒られるかもしれませんがちょっと変態っぽい。山トビ夫にしてももうひとりの若い男にしても目的は空ミツ子の若い体です。
オセロのイヤゴー:シェイクスピア劇オセロに出てくる。悪い計画をたくらむ人物
「心中を誘う手紙」
心中(しんじゅう):この話の場合、恋愛関係がある男女が一緒に自殺する。ほかの例としては一家心中がある。
心中を誘う怖い手紙です。
手紙を受け取った相手は、一笑に付して、一蹴しています。(笑って相手にせず、はねつけています)
興味索然(きょうみさくぜん):おもしろくないようす
「旅先からの手紙」
コケットリー:女性のなまめかしい物腰。色っぽさ
シック:上品で洗練されている。
「年賀状の中へ不吉な手紙」
糖衣(とうい):薬剤の外側を飲みやすくするために糖分でおおう。
田中彰治:この部分の文章では、この世の悪の根源とされています。
邪慳(じゃけん):相手に冷たくして恥をかかせる。
寒心:ぞっとする。
美空ひばりさんのお名前が出てきました。なつかしい。
推理小説を読むようなトリックが仕掛けられていました。
「英文の手紙を書くコツ」
英語や言葉の学習書のようでした。
「真相をあばく探偵の手紙」
極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ):楽天的でのんきな人間をばかにする言葉
「探偵解決編の手紙」
狭い世界の話です。
だんだん内容がつまらなくなってきました。
「病人へのお見舞い状」
とくに感想は浮かびません。
「妊娠を知らせる手紙」
空ミツ子(から・みつこ)20歳商事会社勤務が妊娠しました。だれのこどもだろう。
炎タケル23歳のこどもでした。
駅前の産婦人科にとっては、未婚の女性の妊娠話はたまにあることなのでしょう。
結婚が、美しく、すばらしく、新鮮なものというような表現がありますが、そういう瞬間は短い。
「妊娠を知った男の愛の手紙」
お互いのかっこ悪いところを見せながら妥協点を見つけて暮らしいくのが結婚です。
できちゃった婚は、こどもにとっては迷惑な話です。
ただ、祖父母になる者にとっては、どういう形でも孫は可愛い。
「陰謀を打ち明ける手紙」
45歳の未亡人女性が、23歳の芝居好きな貧しい若者に恋をするだろうか。ありえないことではないのかもしれませんが一般的には設定が苦しい。
大時代(おおじだい):古めかしくて、おおげさで、時代遅れなこと
「余計な世話をやいた手紙」
とくに感想はありません。
「裏切られた女の激怒の手紙」
読みながら思ったことです。
ある人にとってのハッピーエンドは、別の人にとっては、アンハッピーなこと。
幸せとは、だれかの犠牲の上にあるもの。
良かった文節として、「私は別に腹もたたないし、その代わり、あやまりもしませんよ」
男女関係においての嫉妬(しっと。三角関係。自分の愛する人が自分以外の人と結ばれることをねたんだり、うらんだり、憎んだりすること)があります。
衝撃を受ける部分として、上流気どり、社交夫人気どりの、英会話ババアに惚れたというくだり。
「閑(ひま)な人の閑な手紙」
紅衛兵(こうえいへい):毛沢東によって動員された学生運動。中国の青年、学生の組織。文化大革命時期(1966-1976中国内の権力闘争)
アメリカ大統領ケネディ暗殺事件:ジョン・F・ケネディ1963年11月22日テキサス州ダラスにて発生46歳没)
中共(ちゅうきょう):中華人民共和国をさす言葉
「結婚と新婚を告げる手紙」
作品中に、作者の三島由紀夫氏の名前がファシストとして出てきたのでびっくりしました。自分で自分のことをそう書いておられます。
ファシスト:暴力を肯定する独裁的な権力者。議会制民主主義を否定する。
手紙は、過去の歴史書を読むようです。
「すべてをあきらめた女の手紙」
ベトナム戦争:1955年-1975年。北ベトナム(ソ連、中国ほかの社会主義・共産主義国家が支援)対南ベトナム(米国ほかの資本主義・自由主義国家が支援)北ベトナムが勝利した。
「家庭のゴタゴタをこぼす手紙」
山トビ夫45歳は妻がいるのに未亡人の氷ママ子45歳に愛情を抱き始めます。山トビ夫の妻はそれに気づきますが平然とふんぞりかえっています。夫とはもらうものをしっかりもらってから別れるつもりのようです。いろいろと壊れていくものがあります。
「離婚騒動をめぐる手紙」
おもしろい終わり方をする手紙です。人の気持ちとは、確定しにくいものです。
「悪男悪女の仲なおりの手紙」
ソフィスティケ―テッド:都会的な。洗練されている。
「作者から読者への手紙」
昭和40年代(1970年代はじめぐらい)のテレビドラマのような内容です。
「手紙」についてあれこれ解釈が述べられています。
そこの記述から50年ぐらいの年月が流れて現在があります。電子メールや各種アプリケーションソフトが出てきて、紙に手書きの手紙は少なくなりました。
心を搏つ:読みは、こころをうつ。
それでも、気持ちをしっかり伝えたいときは、うんうんうなりながら手書きの手紙をていねいに仕上げて相手に届けるのでしょう。
<群ようこさんの解説部分>
この作品を示す印象的な文節として「あなたたち女性という存在は、……、こんな嫌らしい部分をもっているんですよ」
1968年刊行の本です。
ご本人は、この本の刊行の二年後、1970年に45歳で亡くなっています。こどものころにテレビニュースで見ました。自衛隊にクーデター(軍事力による政権移動)を呼びかけましたがうまくいかず割腹自決されています。
この本を読み始めましたが、とてもそのようなことをするような人の文章には思えません。
まず読みやすい。五人の人物がこれから手紙を書いていって、全体で物語が完成する仕組みのようです。
登場人物のモデルがいたのかも。表現がマンガみたいです。『英語のしゃべりすぎで、口を三角にあけたり、四角にあけたり、とにかく口をあけすぎる』という、うまい表現があります。
(A)として、氷ママ子(こおり・ままこ) 45歳 太っている。元美人とあります。三年間の米国暮らし体験あり。未亡人。長男が大学生、次男が高校生。英語塾を自営しています。
(B)として、山トビ夫(やま・とびお) 45歳 背が低くやせていて、鼻の下にチョビヒゲを生やしている。氷ママ子の友人。服飾デザイナー。鹿児島県出身。妻あり。
(C)として、空ミツ子(から・みつこ) 20歳 小柄で大きな目。氷ママ子の英語塾の生徒だった。氷ママ子と交流あり。商事会社勤務
(D)として、炎タケル(ほのお・たける) 23歳 芝居の勉強をしている。演出担当。エレベーター係アルバイトをしている。
(E)として、丸トラ一(まる・とらいち) 25歳 まるまる太っている。空ミツ子のいとこ。大学を三年留年している。空想家
五人の共通点として「筆まめ(手紙や文章をまめに書くこと)」
「古風なラブレター」
手紙というのはこわい。証拠が残ります。
銀行の支店長が英会話塾の運営資金を借りに来た氷ママ子さんに恋文を出します。
感服した文章として、
『この支店長に、男としての魅力も感じることができません』
『五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで……』
『このラブ・レターには、あなたの肉体への賛美の言葉がひとつもない』
調べた言葉として、
欣快(きんかい):非常に嬉しい。
エディプス・コンプレックス:男子が母親に性愛感情をいだき父親に嫉妬心をもつこと。
「有名人へのファン・レター」
ファン・レターの代筆を頼まれた演出家の卵である炎タケル23歳です。
目についた文節として『ぜんぜん感激しちゃいました』昭和43年ごろのこの当時に『ぜんぜん』が肯定の意味で使われているのは驚きです。むかし、『ぜんぜん』は否定の意味で使われていました。
調べた言葉などとして、
インテリ:知識人、知識階級
哄笑(こうしょう):大口を開けて笑うこと
「肉体的な愛の申し込み」
女性の肉体に対するすごい観察力と文章による描写力の発揮があります。
読んでいると、ひとりの作家が五人を演じているわけで、多重人格でないと書けない苦しさがあるように思えます。
調べた言葉などとして、
ブルジョア(本作品では多用されています):裕福な人
おはなさん:1966年のNHK朝ドラ第6作
各気(かくき、かっき、きゃっき):物事にはやる心
海容(かいよう):海のように広い心で、相手の過ちや無礼を許す。
山谷(さんや):東京都台東区北東部にあった地域。日雇い労働者や簡易宿泊所が多かった。
「処女でないことを打ちあける手紙」
気に入った文章として『夜がシンシンと更けて(ふけて)くると、猫はますます猫的になります。』
「同性への愛の告白」
大川点助なる同性愛者が登場します。少し禿げ(はげ)た肥満体の中年男性です。テレビに出ていて役者が仕事のようです。役柄は三枚目です。(お笑い担当ということ)
最初のページからここまで読んできて、手紙というものは、偽善(ぎぜん。見せかけ)の世界だと感じたのです。詐欺的でもあります。
ナルシズム:自己愛
「愛を裏切った男への脅迫状」
調べた言葉として、
燕(つばめ):年上の女性の愛人になっている若い男
「出産の通知」
読んでいると、人間ってなんなのだろうという思いが押し寄せてきます。死ぬまで生きていくのが人間なのでしょう。
1960年代、昭和40年代初めですから、カラーテレビが欲しいという話が何度も出てきます。今、カラーテレビを欲しいという人はいないでしょう。当時はまだ白黒テレビが主流でした。
「招待を断る手紙」
調べた言葉として、
愧じる(はじる):恥ずかしく思う。恥じると同じ意味のようです。
「結婚申し込みの手紙」
炎タケルは23歳演出家の卵で、エレベーター係のアルバイトをしている(1960年代後半で、エレベーターガールという担当の女性はいましたが、男性でエレベーター係というのはどういう仕事なのかはわたしにはわかりません)彼が、空ミツ子(から・みつこ)20歳小柄で大きな目をしている商事会社勤務に結婚を申し込む手紙です。
彼の手紙の内容は不十分です。愛情の源が肉体的な結びつきがポイントになっています。勝手です。相手の人格にほれたわけではありません。
これに対して、空ミツ子の返事はやはり冷淡です。冷淡ですが上手です。『相手の気持ちなどかまっていないところが、とてもステキでした』と返します。
さらに『あなたには、結婚生活のための時間がまだぜんぜんないのね』現在でも使える文章表現として『NOでないことは、もうたしかです。でもまだYESになるには距離があります』とりあえず結婚相手のひとりとしてキープしておきます。
「恋敵を中傷する手紙」
恋敵(こいがたき):恋の競争相手。ひとりの人に複数の人がほれている。
中傷(ちゅうしょう):根拠のないことで他人の人格を傷つける。
45歳妻ありの山トビ夫(ネコキチガイの中年の金持デザイナーとあります)が20歳の空ミツ子(から・みつこ)の異性関係に関して嫉妬する内容です。怒られるかもしれませんがちょっと変態っぽい。山トビ夫にしてももうひとりの若い男にしても目的は空ミツ子の若い体です。
オセロのイヤゴー:シェイクスピア劇オセロに出てくる。悪い計画をたくらむ人物
「心中を誘う手紙」
心中(しんじゅう):この話の場合、恋愛関係がある男女が一緒に自殺する。ほかの例としては一家心中がある。
心中を誘う怖い手紙です。
手紙を受け取った相手は、一笑に付して、一蹴しています。(笑って相手にせず、はねつけています)
興味索然(きょうみさくぜん):おもしろくないようす
「旅先からの手紙」
コケットリー:女性のなまめかしい物腰。色っぽさ
シック:上品で洗練されている。
「年賀状の中へ不吉な手紙」
糖衣(とうい):薬剤の外側を飲みやすくするために糖分でおおう。
田中彰治:この部分の文章では、この世の悪の根源とされています。
邪慳(じゃけん):相手に冷たくして恥をかかせる。
寒心:ぞっとする。
美空ひばりさんのお名前が出てきました。なつかしい。
推理小説を読むようなトリックが仕掛けられていました。
「英文の手紙を書くコツ」
英語や言葉の学習書のようでした。
「真相をあばく探偵の手紙」
極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ):楽天的でのんきな人間をばかにする言葉
「探偵解決編の手紙」
狭い世界の話です。
だんだん内容がつまらなくなってきました。
「病人へのお見舞い状」
とくに感想は浮かびません。
「妊娠を知らせる手紙」
空ミツ子(から・みつこ)20歳商事会社勤務が妊娠しました。だれのこどもだろう。
炎タケル23歳のこどもでした。
駅前の産婦人科にとっては、未婚の女性の妊娠話はたまにあることなのでしょう。
結婚が、美しく、すばらしく、新鮮なものというような表現がありますが、そういう瞬間は短い。
「妊娠を知った男の愛の手紙」
お互いのかっこ悪いところを見せながら妥協点を見つけて暮らしいくのが結婚です。
できちゃった婚は、こどもにとっては迷惑な話です。
ただ、祖父母になる者にとっては、どういう形でも孫は可愛い。
「陰謀を打ち明ける手紙」
45歳の未亡人女性が、23歳の芝居好きな貧しい若者に恋をするだろうか。ありえないことではないのかもしれませんが一般的には設定が苦しい。
大時代(おおじだい):古めかしくて、おおげさで、時代遅れなこと
「余計な世話をやいた手紙」
とくに感想はありません。
「裏切られた女の激怒の手紙」
読みながら思ったことです。
ある人にとってのハッピーエンドは、別の人にとっては、アンハッピーなこと。
幸せとは、だれかの犠牲の上にあるもの。
良かった文節として、「私は別に腹もたたないし、その代わり、あやまりもしませんよ」
男女関係においての嫉妬(しっと。三角関係。自分の愛する人が自分以外の人と結ばれることをねたんだり、うらんだり、憎んだりすること)があります。
衝撃を受ける部分として、上流気どり、社交夫人気どりの、英会話ババアに惚れたというくだり。
「閑(ひま)な人の閑な手紙」
紅衛兵(こうえいへい):毛沢東によって動員された学生運動。中国の青年、学生の組織。文化大革命時期(1966-1976中国内の権力闘争)
アメリカ大統領ケネディ暗殺事件:ジョン・F・ケネディ1963年11月22日テキサス州ダラスにて発生46歳没)
中共(ちゅうきょう):中華人民共和国をさす言葉
「結婚と新婚を告げる手紙」
作品中に、作者の三島由紀夫氏の名前がファシストとして出てきたのでびっくりしました。自分で自分のことをそう書いておられます。
ファシスト:暴力を肯定する独裁的な権力者。議会制民主主義を否定する。
手紙は、過去の歴史書を読むようです。
「すべてをあきらめた女の手紙」
ベトナム戦争:1955年-1975年。北ベトナム(ソ連、中国ほかの社会主義・共産主義国家が支援)対南ベトナム(米国ほかの資本主義・自由主義国家が支援)北ベトナムが勝利した。
「家庭のゴタゴタをこぼす手紙」
山トビ夫45歳は妻がいるのに未亡人の氷ママ子45歳に愛情を抱き始めます。山トビ夫の妻はそれに気づきますが平然とふんぞりかえっています。夫とはもらうものをしっかりもらってから別れるつもりのようです。いろいろと壊れていくものがあります。
「離婚騒動をめぐる手紙」
おもしろい終わり方をする手紙です。人の気持ちとは、確定しにくいものです。
「悪男悪女の仲なおりの手紙」
ソフィスティケ―テッド:都会的な。洗練されている。
「作者から読者への手紙」
昭和40年代(1970年代はじめぐらい)のテレビドラマのような内容です。
「手紙」についてあれこれ解釈が述べられています。
そこの記述から50年ぐらいの年月が流れて現在があります。電子メールや各種アプリケーションソフトが出てきて、紙に手書きの手紙は少なくなりました。
心を搏つ:読みは、こころをうつ。
それでも、気持ちをしっかり伝えたいときは、うんうんうなりながら手書きの手紙をていねいに仕上げて相手に届けるのでしょう。
<群ようこさんの解説部分>
この作品を示す印象的な文節として「あなたたち女性という存在は、……、こんな嫌らしい部分をもっているんですよ」
2021年03月04日
(再構成)出川哲朗充電バイクの旅 四国祖谷渓谷から金毘羅さん
(再構成)出川哲朗充電バイクの旅 徳島県祖谷渓谷(いやけいこく)から金毘羅さん(ことひら。こんぴらさん)、父母ヶ浜(ちちぶがはま) 2018年放送分テレビ番組
剣山(つるぎさん)からスタートです。標高2000mぐらいの山だったと思います。四国にはもうひとつ石鎚山(いしづちやま)があります。こちらも標高2000mぐらいでした。
かかしみたいなちょっとこわい人形がたくさんある集落です。どろぼうよけかと思いました。すごい数です。
建物が老朽化していますが、昔は人口もそこそこあって、良かった時期もあったのだろうなと過去に思いを抱く四国の山奥にある風景でした。全国各地の山奥にある集落が同様の風景になっているのでしょう。
ひどい雨の中の充電バイク運転ロケはつらい。
中学生たちがすっごく喜んでいたのがよかった。
「校長がいないので(撮影)OKです」という教頭さんの言葉に笑いました。小中学校合わせて全校生徒47人です。
女の子たちが元気でした。
樹木がたくさん使ってあるこだわりの体育館に好感をもちました。
こどもは元気が一番です。
「シカやサル、イノシシに会えるよ。カーモンベイビーヒガシイヤー(東祖谷小学校ひがしいやしょうがっこう)人かと思ったらカカシ」という替え歌の歌詞に、はずむようなユーモアがあって良かった。
こどもというものは、とりあえず、生きていてくれればいいんだと思わせてくれました。
夜は真っ暗です。一般人宅の玄関入口扉をどんどん叩いて寝ているらしきを起きてもらっての充電依頼です。お宅の方はびっくりです。
どこもおいしそうなお料理でした。
徳島県にある高校野球で有名な池田高校のそばは、19歳の頃に高校の友だちと車で走ったことがあるのでなつかしかった。まだ、四国に橋はかかっていませんでした。(しまなみ海道1999年 瀬戸大橋1988年 明石海峡大橋1998年)
そのときに、こんぴらさんの一番上まで登ったことを思い出しました。今回みなさんがそこまで行く行かないで(時間的なスケージュールで)かなりもめておられました。
本殿までは、かなり苦しくなる階段登りだった覚えがあるので、出川哲朗さんも小島瑠璃子さんもかなりがんばられました。
田んぼが続く田舎の風景です。気持ちよさげに充電バイクが走っていく映像にバックミュージックが流れます。
最後の海岸撮影風景もきれいで良かった。どこに行ってもにぎやかで、地方の人たちが地道に生活していることが伝わってきて安心する映像でした。
剣山(つるぎさん)からスタートです。標高2000mぐらいの山だったと思います。四国にはもうひとつ石鎚山(いしづちやま)があります。こちらも標高2000mぐらいでした。
かかしみたいなちょっとこわい人形がたくさんある集落です。どろぼうよけかと思いました。すごい数です。
建物が老朽化していますが、昔は人口もそこそこあって、良かった時期もあったのだろうなと過去に思いを抱く四国の山奥にある風景でした。全国各地の山奥にある集落が同様の風景になっているのでしょう。
ひどい雨の中の充電バイク運転ロケはつらい。
中学生たちがすっごく喜んでいたのがよかった。
「校長がいないので(撮影)OKです」という教頭さんの言葉に笑いました。小中学校合わせて全校生徒47人です。
女の子たちが元気でした。
樹木がたくさん使ってあるこだわりの体育館に好感をもちました。
こどもは元気が一番です。
「シカやサル、イノシシに会えるよ。カーモンベイビーヒガシイヤー(東祖谷小学校ひがしいやしょうがっこう)人かと思ったらカカシ」という替え歌の歌詞に、はずむようなユーモアがあって良かった。
こどもというものは、とりあえず、生きていてくれればいいんだと思わせてくれました。
夜は真っ暗です。一般人宅の玄関入口扉をどんどん叩いて寝ているらしきを起きてもらっての充電依頼です。お宅の方はびっくりです。
どこもおいしそうなお料理でした。
徳島県にある高校野球で有名な池田高校のそばは、19歳の頃に高校の友だちと車で走ったことがあるのでなつかしかった。まだ、四国に橋はかかっていませんでした。(しまなみ海道1999年 瀬戸大橋1988年 明石海峡大橋1998年)
そのときに、こんぴらさんの一番上まで登ったことを思い出しました。今回みなさんがそこまで行く行かないで(時間的なスケージュールで)かなりもめておられました。
本殿までは、かなり苦しくなる階段登りだった覚えがあるので、出川哲朗さんも小島瑠璃子さんもかなりがんばられました。
田んぼが続く田舎の風景です。気持ちよさげに充電バイクが走っていく映像にバックミュージックが流れます。
最後の海岸撮影風景もきれいで良かった。どこに行ってもにぎやかで、地方の人たちが地道に生活していることが伝わってきて安心する映像でした。
2021年03月03日
冷たい熱帯魚 邦画DVD
冷たい熱帯魚 邦画DVD 2011年公開
前知識としては、冷酷、ホラー、スリラー、非情、殺人、ジキルとハイドなどの情報が自分の脳にあります。(見終わって、この映画は、ひとりで観る映画だと思いました)
園子温(その・しおん)監督の作品でタイトルを忘れましたが、アル中の親父に暴力を振るわれていた男子中学生に、ラストで女子中学生が「スミダがんばれ、がんばれスミダ!」と壮絶な叫びで繰り返していた声が今も耳に残っています。(調べました。作品名は「ヒミズ」でした。ヒミズは、もぐらの種類ということでした。役者さんは、染谷将太さんと二階堂ふみさんでした)
迫力あるスタートシーンです。
内容は連続殺人事件です。
崩壊している三人家族がいます。夫と後妻と前妻の娘です。個人営業で、熱帯魚店を営業しています。
そことは別の大型熱帯魚店を経営しているでんでんさんが熱演します。彼は悪人です。詐欺師でもあり、殺人鬼でもあります。
人間の苦悩があります。
暴力を加えられて気持ちがスッキリする人格を持つ女性がいます。
観ていて、途中で、どうなっているのだろう? 言葉に詰まります。
熱帯魚センターで働くアルバイト女性たちの数は多く、彼女たちはみんな、グラビアアイドルギャルに見えます。
おっぱいを強調する映画です。
殺しがからんでいるのに、喜劇のようでもあります。
すごい。一線を超えています。
撮影だと思って残虐な映像を観ているので、怖くはありません。
主人公の男性が110番すれば、そこで終わるドラマです。でも彼にはそれができないのです。
自分で自分をコントロールできる強い意思が、彼には不足しています。
でんでんさんのひとり舞台のようです。しゃべり過ぎかも。
殺人の証拠が消えてしまいました。
されど、事件がばれなくても、その後は、苦しい生き方です。
お店での娘でのショット(短い時間の撮影)の意味がとれませんでした。その後、実父とのぶつかりあいが表現されます。両者の対立方向で、つなげてあるのでしょう。
怖い言葉として、
(でんでんさんの)「もう仲間なんだからよう」
(でんでんさんの顧問弁護士(こちらも悪党)の)「オレたちは仲間だ」
主人公がプラネタリウムに行きたがるのは「逃避」でしょう。
地球は46億年前に生まれて、これから46億年後になくなる。
人間はいつか死ぬ。遅いか早いかだけのこと。そこが殺人を肯定するでんでんさんの理由です。
おぼろげなもの。それは「愛」
警察は最後まで出てこない展開かと思っていたら出てきました。
すさまじい。
俳優さんたちは、力いっぱい演技ができて、やりがいがあったと思います。
狂気。狂っています。
どんどんエスカレートしていきます。共食いです。
すさまじく厳しいシーンなのに、バックミュージックはフランダンス音楽です。恐怖の増幅効果を狙ってあるのでしょう。
恐ろしい映画です。教則本の一面があります。
公序良俗とか道徳に対抗しています。
どこに救いを求めるのか。
基本どおり、最後付近は、最初のシーンに戻ります。家族三人で食事中に車で来た男が娘を呼びに来ます。
体罰復活か。指示に従わなければ体罰を与えて従わせる。
主人公は、すべてを失いました。
耳に響いたセリフとして、
「人生っていうのはな、痛いんだよ!」
「やっと死にやがったな。くそじじい。起きてみろよ! 起きてみろよ! 起きてみろよ!」
親のことをそう思っているこどもが、映画の外の世界である現実世界に本当にいるような気になりました。
そうはなるなという反対の意味合いが、この映画にこめられていると思いたい。
前知識としては、冷酷、ホラー、スリラー、非情、殺人、ジキルとハイドなどの情報が自分の脳にあります。(見終わって、この映画は、ひとりで観る映画だと思いました)
園子温(その・しおん)監督の作品でタイトルを忘れましたが、アル中の親父に暴力を振るわれていた男子中学生に、ラストで女子中学生が「スミダがんばれ、がんばれスミダ!」と壮絶な叫びで繰り返していた声が今も耳に残っています。(調べました。作品名は「ヒミズ」でした。ヒミズは、もぐらの種類ということでした。役者さんは、染谷将太さんと二階堂ふみさんでした)
迫力あるスタートシーンです。
内容は連続殺人事件です。
崩壊している三人家族がいます。夫と後妻と前妻の娘です。個人営業で、熱帯魚店を営業しています。
そことは別の大型熱帯魚店を経営しているでんでんさんが熱演します。彼は悪人です。詐欺師でもあり、殺人鬼でもあります。
人間の苦悩があります。
暴力を加えられて気持ちがスッキリする人格を持つ女性がいます。
観ていて、途中で、どうなっているのだろう? 言葉に詰まります。
熱帯魚センターで働くアルバイト女性たちの数は多く、彼女たちはみんな、グラビアアイドルギャルに見えます。
おっぱいを強調する映画です。
殺しがからんでいるのに、喜劇のようでもあります。
すごい。一線を超えています。
撮影だと思って残虐な映像を観ているので、怖くはありません。
主人公の男性が110番すれば、そこで終わるドラマです。でも彼にはそれができないのです。
自分で自分をコントロールできる強い意思が、彼には不足しています。
でんでんさんのひとり舞台のようです。しゃべり過ぎかも。
殺人の証拠が消えてしまいました。
されど、事件がばれなくても、その後は、苦しい生き方です。
お店での娘でのショット(短い時間の撮影)の意味がとれませんでした。その後、実父とのぶつかりあいが表現されます。両者の対立方向で、つなげてあるのでしょう。
怖い言葉として、
(でんでんさんの)「もう仲間なんだからよう」
(でんでんさんの顧問弁護士(こちらも悪党)の)「オレたちは仲間だ」
主人公がプラネタリウムに行きたがるのは「逃避」でしょう。
地球は46億年前に生まれて、これから46億年後になくなる。
人間はいつか死ぬ。遅いか早いかだけのこと。そこが殺人を肯定するでんでんさんの理由です。
おぼろげなもの。それは「愛」
警察は最後まで出てこない展開かと思っていたら出てきました。
すさまじい。
俳優さんたちは、力いっぱい演技ができて、やりがいがあったと思います。
狂気。狂っています。
どんどんエスカレートしていきます。共食いです。
すさまじく厳しいシーンなのに、バックミュージックはフランダンス音楽です。恐怖の増幅効果を狙ってあるのでしょう。
恐ろしい映画です。教則本の一面があります。
公序良俗とか道徳に対抗しています。
どこに救いを求めるのか。
基本どおり、最後付近は、最初のシーンに戻ります。家族三人で食事中に車で来た男が娘を呼びに来ます。
体罰復活か。指示に従わなければ体罰を与えて従わせる。
主人公は、すべてを失いました。
耳に響いたセリフとして、
「人生っていうのはな、痛いんだよ!」
「やっと死にやがったな。くそじじい。起きてみろよ! 起きてみろよ! 起きてみろよ!」
親のことをそう思っているこどもが、映画の外の世界である現実世界に本当にいるような気になりました。
そうはなるなという反対の意味合いが、この映画にこめられていると思いたい。