2020年07月19日

キャパとゲルダ 2020課題図書

キャパとゲルダ マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ・著 原田勝・訳 あすなろ書房 2020課題図書

 前回読んだ課題図書「フラミンゴボーイ」が、第二次世界大戦でのおそらく連合国軍のフランスノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)あたりで終わったのですが、こちらの本では、同作戦から始まります。関連づけてあるようです。
 オマハビーチというところを兵隊は進みます。(あとでわかることですが、「フラミンゴボーイ」で出ていたジプシーのロマという移動民族が、こちらのキャパの本でも出てきていて差別されています)
 本の副題は、「ふたりの戦場カメラマン」です。ふたりは、内縁関係にあったカップルであり、相棒のようです。戦場カメラマンの命は短い。ふたりとも戦場で亡くなっています。ふたりともユダヤ人でした。

ロバート・キャパ:1913年-1954年。(元号だと大正2年-昭和29年)ハンガリー生まれの報道写真家。40歳没。本名は、アンドレ・フリードマンでユダヤ人 来日歴あり。

ゲルダ・タロー:女性。1910年-1937年(元号だと明治43年-昭和12年)ドイツ生まれの報道写真家。26歳没。本名は、ゲルタ・ポホリレ。キャパよりも三歳年上でキャパと同じくユダヤ人

 ふたりが取材した戦争として、
 スペイン内戦:1936年-1939年 右派(人民戦線政府。共和国側。ソ連が支援)と左派(反乱軍フランシスコ・フランコ側。ドイツが支援。ドイツ軍空軍部隊であるコンドル軍団のマドリード空爆があった)単なる国内だけの内戦ではなく、世界の国がからんだ代理戦争だった。
 ふたりは、右派の共和国側に従事しています。

 参考として、
 第一次世界大戦:1914年(大正3年)-1918年(大正7年) 連合国対中央同盟国(ドイツほか)
 日中戦争:1937年-1945年 大日本帝国対中華民国
 第二次世界大戦:1939年-1945年 日独伊三国同盟対連合国
 第一次中東戦争:1948年-1949年 アラブ諸国対イスラエル パレスチナ戦争
 第一次インドシナ戦争:1946-1954年 ベトナム民主共和国(社会主義国家)のフランスからの独立

(1回目の本読み)
 文字は読まずに、301ページある全体を1ページずつゆっくりめくりながら、写真をながめました。こうすると、全部を読んだような気になれます。
 6ページには、1936年(昭和11年)当時のヨーロッパの地図があります。いまでは分裂してしまった国家もあります。なつかしい。昔習ったときは、この国の配置でした。
 プロローグがあって、19の章があって、付け足しのA、B、Cがあって、最後部に、人物、組織などの解説があります。
 写真で、なにかを表現しようとしています。
 ふたりが、生きた時代は、世界中で戦争が起こっていた時代でした。もし平和な時代に生まれていたらこんなに早く亡くなることはなかったのでしょう。
 ゲルダ・タローさんの名前が本では、「タロー」で出てくるので、日本人みたいで不思議でした。調べていたら、当時フランスにいた日本人芸術家の岡本太郎さんがロバート・キャパさんの知り合いで、そこから仕事用の名前として付けたそうです。あとで、改名の理由が、ユダヤ人であることを隠すためということもあったと出ていました。改名は変装とありました。自分はどこの国の人間でもないという無所属です。つらいものがあります。

(2回目の本読み)
 Dデイのとき、(1944年6月6日の第二次世界大戦ノルマンディー上陸作戦に同行して戦場写真を撮影。輸送艦サミュエル・チェイスに乗船した)ロバート・キャパは、30歳です。緊張感がみなぎる緊迫した戦闘突入直前の雰囲気から始まります。
 そのときのようすが、恐ろしげに記述されています。海岸の崖の上にいるドイツ兵が狩りをするように連合国側の兵士である人間を撃ちます。どちらも撃たなければ殺される。殺さなければ殺される厳しい状況です。なにが一般人をそこまでさせるのか。人間の業(ごう。心身の活動)をロバート・キャパはカメラをもって撮影します。読みながら、『この写真は、カネになる』と不謹慎なおとなの発想が頭に浮かびます。されど、命を落とすこともあります。リスクが大きい仕事です。
 Dデイを扱った映画のレンタルDVDを借りてきたので、あとで観てみます。Dデイは、作戦決行日1944年6月6日をさします。

 ロバート・キャパの20歳ころの記述が出てきます。詐欺師ではないかと思ってしまいます。むこうみず、ギャンブル好き、話し上手とあります。金に困った、みすぼらしい若者だったとあります。

 機器の発達により、いまでは、素人(しろうと)でも簡単に動画撮影までできるようになりましたが、半世紀以上前の昔は、戦場を撮影した写真は、なかなか手に入らなかったと思います。

 第一章として、1934年 パリ キャパ21歳ぐらいから始まります。
 名前は、ロバート・キャパではなく、本名は、アンドレ・フリードマンとあります。ロバート・キャパは、ペンネームみたいなものです。白黒写真があります。暗くてがんこそうな目つきをした青年です。
 世の中は不安定です。ユダヤ人と共産主義者は一種の病気とあります。伝染病扱いともあります。これが、べつのものたとえば、日本人とか黄色人種とかに置き換えられる怖さがあります。

 出てくる人たちとして、
アドルフ・ヒトラー:ドイツの首相。1889年(明治22年)-1945年(昭和20年)56歳没 自殺
ムッソリーニ:イタリアの君主。1925年(大正14年)-1943年(昭和18年)61歳没 処刑
ルート・ツェルフ:写真のモデル。ゲルタ・タローのルームメイトだった。ふたりは親友
写真家フレッドシュタインとその妻リーゼロッテ:ゲルタ・タローとルートが間借りしていたところ
マリア・アイスナー(通信社の責任者):ゲルタ・タローの雇い主
チーキ・ヴェイス:キャパの子ども時代からの友人
シム:キャパの友人。写真家。正確な名前は、ダヴィット・シミン
アンリ・カルティエ=ブレッソン:キャパの親友。裕福なフランス人。長身、本好き。キャパに報道写真家を名乗ることを勧める。
アタ・カンド:ハンガリー出身の写真家
エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ
(途中で、巻末に登場人物の詳しい説明記事があることに気づきました)
アーネスト・ヘミング・ウェイ:1899年(明治32年)-1961年(昭和36年)61歳没 自殺 ノーベル文学賞受賞 アメリカ人小説家 「老人と海」「陽はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」

 ハンガリーのブダペストでのユダヤ人としての成育歴には厳しいものがあります。人種差別があります。ロバート・キャパは、17歳を過ぎて、ハンガリー→オーストリア→ドイツ→フランスパリと移動していきます。
 ユダヤ人差別によりちゃんとした仕事にも就けません。そのような状況のなかで得た仕事が、写真の仕事でした。
 
 歴史書を読むようです。
 調べた言葉などとして、
ファシズム:独裁的な権力と弾圧
イデオロギー:政治や宗教における観念
アナーキズム:無政府主義
ライプツィヒ:ドイツの都市。先日読んだ瀧廉太郎さんの本で、瀧さんが、明治時代に音楽留学をしていました。
ジョン・ドス・パソスの小説「1919年」:アメリカの小説家の作品
カタルーニャ:スペインの州。独自の歴史と文化をもつ民族意識が強い。
コンパドーレ:同志
アルパルガタス:女性用の靴。かかと付きのサンダルみたい。
アラゴン州:スペイン北東部。フランスと接している。
世界大恐慌:1930年代(昭和5年)。好景気の時に突然景気後退が起こる。1929年アメリカ合衆国で株が大暴落した。
旗幟:きし。はたとのぼり。主義主張
キャプション:新聞、雑誌の見出し、説明文
キュビズム:複数の角度から見た像を重ねて描く。ピカソの絵「泣く女」
二次元:奥行きがない世界。三次元が、現実世界
シュールレアリスム:悪夢、交霊会(死者とのコミュニケーションをはかる)、夢を描く芸術
亡命者:ユダヤ人の弾圧により他国に逃げているキャパとゲルダのこと。
ゲルニカ:スペインの北部にある都市。バスク地方。ドイツ空軍によるスペインゲルニカへの無差別爆撃攻撃。1937年4月26日(昭和12年)に起きた。1937年にピカソが描いた絵画と壁画
コルドバ:スペイン南部にある都市
ブルネテ:マドリードの近く。西のほう。
アリアンサ:共同体が宿泊できるホテルのようなところ? ちょっとわかりませんでした。
フランス革命:1789年-1799年。身分制、領主制の一掃し、資本主義とする。王政崩壊。7月14日フランス革命記念日(バスティーユ牢獄を襲撃。当時は火薬庫)パリ祭
モンマルトル:パリで一番高い丘
パリ万博:1937年開催(昭和12年)
エブロ川:スペインの北東部を流れている川

 アフリカのモロッコがスペイン領だったことをこの本を読んで知りました。昨日見たBSテレビで、モロッコ出身の男性が、スペインに移住してタクシー運転手を続けてきたと言った理由がわかりました。同じモロッコでも、スペイン領モロッコとフランス領モロッコがあったようです。

 スペイン内戦取材の部分を読んでいます。大航海時代に躍進したスペインが衰退化した理由がわかります。右派(人民戦線政府)と左派(反乱軍フランコ側)で対立して、内戦状態の戦争状態で、フランコ政権という独裁政権が誕生しています。暴力で制圧する社会形成です。同じ国の中で同じような民族同士で戦うと国の存続が危ぶまれます。
 
 巻末の記述を先に目を通しました。キャパとタローが夫婦のようであったように、この本の作者もご夫婦で、その生き方、仕事への取り組み方が重なる部分があります。あわせて、本編もふくんで、男女同権、男女平等の意識も表現されています。

 1960年代から70年代は、世界のあちこちで戦争が繰り広げられていたという記述があります。思い出すとそのとおりで、戦争のニュースがよくテレビで流れていました。いまは、ずいぶん平和になりましたが、それでも、紛争地帯が皆無になることはありません。教育がゆきとどいていないので、暴力に頼るのではないかと思いつきました。文字の読み書きができない人が多かったというようなスペイン内戦に関する記述がありました。(男性は25%、女性は40%ぐらいが、読み書きができなかった)<話は脱線しますが、人間は長い間読み書きをしていないと漢字や文章を書けなくなります>
 政権の意向に沿わない者は射殺されてしまいます。
 嘘で固めた平和に見えるスペイン社会があります。装っています(よそおっています)
 
(つづく)
 
 正確な情報が流通していない1936年頃(昭和11年頃)ですのが、情報を伝える報道写真の役割は重要で貴重です。戦場の実態が写真によって細かくわかります。写真ニュース雑誌とあります。
 「静止」している状態を撮影した写真ではなくて、「躍動する動きのある」写真、「感情の動きの表現がある」写真の撮影をめざします。

 良かった記述として、ふたりは(キャパとタロー、あるいはもうひとりの写真家デービッド・シーモア・シムを含めてキャパとシムは)、力をあわせているのであって、競いあっているのではない。生きのびていくためには、分ちあうしかない。
 それから、「二人はまるで作家のように、……、大規模な破壊がもたらしたものを浮き彫りにしてみせた」
 
 男女間の平等が強調されています。ふたりが生きていたころから半世紀以上がたっているのに、男女平等はまだ実現されていないようです。

 1937年7月26日、ゲルダ・タローは、ドイツ空軍に襲われたとはいえ、まるで、事故死のように、協力関係にあった共和国側の戦車にひかれて亡くなります。代わりに戦闘中の写真がたくさん残ります。彼女は、もう死んでもいいと思っていたのか、あるいは、自分は死ぬことはないと思い込んでいたのか、どちらかだったような気がします。ユダヤ人であることで、自国のハンガリーから逃げのびて、母親も亡くなって、なくした希望とひきかえに写真撮影に魂をこめました。文章では、『銃の代わりにカメラをかまえた』とあります。彼女が死ぬ前の数日間に迫真の動きをしたことがわかります。彼女の最後の言葉が、カメラを大事にする言葉になっています。
 ぐっとくる言葉が書いてありました。「ゲルダが死んだとき、キャパは心のカーテンを閉ざした」彼はアルコールにおぼれるようになります。キャパは放浪者となり、伴侶は写真だけです。孤独が見えます。

 戦争難民の徒歩による避難は悲惨です。戦争が起こるたびに、庶民はつらい思いをしなければなりません。

 ソビエト連邦の動きをみていると不信感がつのります。嘘はつくし、約束は破る。相手を裏切ることをなんとも思わないどころか、裏切ってあたりまえのような顔をしているように見えます。
 ヘミングウェイは、どちらの勢力の味方もせず、どちらの勢力も悪いという趣旨で小説を書いたそうです。戦争をする勢力に正しいものはない。同様にキャパも、敵も味方もそれぞれ家族がいるのにどうしてという思いで撮影をしていたと推理します。

 1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻

 ノルマンディー上陸作戦の記事に戻りました。

 キャパは、1954年に来日して、日本のようすをカメラ撮影しています。
 
 キャパは、1954年5月25日に、北ベトナムで取材中に地雷に触れて爆死されました。

 ここまで、濃厚な記述でした。ここから、56年後、キャパの撮影したネガフィルムがメキシコで発見された話につながっていきます。キャパの弟、コーネル・キャパが発見しました。4500枚分です。死んだはずのキャパが再び生き返りました。

(つづく)

 読み終わりました。濃厚な内容なので、なんどかページをいったりきたりしながら読みました。
 心に強く残ったのは、ひとつは、ユダヤ人として生まれてきて、差別される側としての少数者の立場で、迫害を受ける戦時中にあって、なんとか生きようと亡命者になって、名前も変えて、「写真」にすべての魂を打ち込んだふたりの姿でした。そこに、人間として生まれて、人間の誇りをもって、仕事をして食べていくという生命力の強さを感じました。
 ふたつめの強烈な印象は、最初は、片方側の味方として写真撮影をしていたのですが、ふたりは、しだいに戦争のおろかさ、人間の強欲さ、人間のわがまま、がんこさを見たのです。罪もないあかちゃんや女性やこどもたちが、ドイツ軍の空爆にあって亡くなっていく。大量の爆撃機の下で、逃げまどう人たち。戦争難民の困難を伴う長距離の徒歩による逃避移動。
 人間は、自分の主義主張を通すためには、さからう相手を大量虐殺することができる資質をもっている。殺すことが悪ではなくなる。恐ろしい面を人間はもっている。ふたりは、人間のもつ人命よりも欲望優先という暗い部分に気づいたのです。
 ものごとは、常に最悪の方向へと矢印がのびているから、歯を食いしばってなんとしても矢印の方向を曲げる努力が必要だと、彼らの生き方、彼らが撮影した写真群を見ながら思ったのです。
 最後にあった記述、他の地域の紛争に無関心で、介入しない道を選択すると、やがて全世界が戦争に巻き込まれていくという警告も心に残りました。この本では、シリアのことが書いてありました。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年07月18日

アニー・ホール 洋画DVD

アニー・ホール 洋画DVD 1977年米国公開

 もうずいぶん前の映画なので、いま観ると、鑑賞者からいろいろとクレームが出そうな内容だと思いながら観ていました。
 コカインの薬物使用OK、ベッドの上の話ばかり、ケネディ暗殺の真相はいかに、政治的な話、ユダヤ人のこと、広範囲に渡るどちらかといえば、人間の影の部分の話が続きます。
 変態とか、女性差別のようすもみられます。アカとユダヤとポルノの街ニューヨークみたいなセリフが出てきます。あからさまです。

 主人公が、アルビー・シンガーという男性で、漫談を演じるコメディアンです。彼の恋人が、アニー・ホールという名前の歌手志望の女性です。アルビー自身は映画の最初から、アニーは映画の途中から精神科医にかかっています。

 構成として、年齢を重ねた現在の主人公アルビー・シンガーがいて、彼が、過去のシーンへ登場して当時のことに関するコメントがあります。
 男女のふたりはくっついて、別れて、いまは別々です。
 全体は回想シーンです。

 フランス映画『シェルブールの雨傘』パターンを予想しました。熱愛していたけれど、戦争で別れ別れになった男女が、未来で、それぞれ家庭をもって再会するけれど、ほとんど言葉を交わさずにそのまま別れる。せつなさがありました。
 アニー・ホールのほうは、ラブコメディですから、せつなさは薄い。代わりに、『友情』が強調されます。
「あなたは、人生を楽しめないタイプの人なのよ」
「ずっと、友だち。(あなたとは)結婚はしない」
 男と女は、愛情よりも友情なのかも。男と女の関係は、非理性的で、理屈では割り切れないというセリフが的を射ています。
 
 主人公の男性であるアルビー・シンガーはかなり変人です。映画のなかでは、ずーっとしゃべりつづけます。なんだかいかれた雰囲気があります。彼はきちょうめんで、きちんとしないと気がすまない性格もあります。病気です。

 夜中の三時ごろに電話で呼ばれて、アルビー・シンガーがアニーのアパートへ行き、浴室のクモ二匹を退治するシーンがおもしろかった。「あなたに会いたかったのよ。帰らないで」みたいなやりとりがあって、「シロアリ退治もやれというのか」の返答に笑いました。

 映像づくりの話もありました。映像は、すべて、加工品。やらせありと判断しました。

 わからずに調べたこととして、
ブルックリン:ニューヨーク市内にある区の名称
 
 「(男と女の関係には)卵がほしい」が、最後の決めゼリフなのですが、卵の意味がわかったようなわからないようなというのが本音の感想です。  

2020年07月17日

フラミンゴボーイ マイケル・モーパーゴ 2020課題図書

フラミンゴボーイ マイケル・モーパーゴ 杉田七重・訳 小学館 2020課題図書

 43ページまで読んだところで、感想を書き始めてみます。マイケル・モーパーゴの小説は以前、三冊読んだことがあります。『時をつなぐおもちゃの犬』『希望の海へ』『最後のオオカミ』戦争のお話が多いので、本作品も戦争がからんだ話のような気がします。

 舞台は、フランス南部のカマルグという場所です。(渡り鳥フラミンゴの飛来地として有名。アルルのそば。自然公園あり)
幻想的な部分がみられるお話です。彼とフラミンゴが一体化するような感覚になる記述がときおりみられます。
 いまは五十代の年齢になっているヴィンセント・モンタギューは、祖父母からもらった絵がきっかけで、1982年18歳高校三年生のときにひとりで、フランス南部にあるカマルグという地中海に面したまちを訪れます。
ヴィンセント・モンタギューはイギリス人で住まいはイギリスにあるウォットフォードの郊外とあります。調べたらロンドンに近い場所、人口8万人ぐらいとありました。

 登場人物などとして、1982年当時として、
ロレンゾ・スリー:男性。南フランスで、フラミンゴの保護をしている。知的障害があるようで、言葉がしっかり口からでない。自分では自分の名前を「レンゾ」と呼ぶ。1932年5月28日生まれ。50歳。
両親は、母親がナンシーで結婚前は学校の先生をしていた。父親がアンリ。酪農を営んでいる。
ロレンゾは、動物に慕われ動物と会話ができる。とくにフラミンゴが大好き。彼のことをタイトルにある『フラミンゴボーイ』と呼びます。

ケジア・シャルボノー:女性。ロレンゾ・スリーとは9歳からの付き合い。今は同居人。結婚はしていないようです。ケジア本人の自己申告では、ケジアとロレンゾは、親友であり、兄と妹のようなもの。ケジアもいまは、50歳。いまいるロレンゾの家から30km南の海辺で生れた。ケジアは、移動遊園地などを営業して移動するロマ(ジプシー)の一族の一員

メイユール・アミ:ケジアとロレンゾの飼い犬。大きくて茶色をしている。アミはフランス語で『友だち』

ボネ先生:ケジアの小学校の担任だった。移動民族のケジアを差別して目の敵(かたき)にする。

ジョセフとベルナデット:小学校で、ケジアをいじめた児童

サロモン先生:ケジアにやさしかった小学校の先生。ユダヤ人。ナチスに身柄を確保されて行方不明になってしまう。

ハニー:馬車を引く馬。性格が悪い。馬車は引くが、農耕作業はしない。

シュヴァル:ロレンゾの家で飼われている農耕用の馬

シャルボノー家のメリーゴーランド:ケジア・シャルボノーのファミリーが運営する移動民族ロマの移動遊園地のメリーゴーランド

カポラル・ヴィリ・ブレンナー伍長(最下級の下士官):ドイツ兵のボス。白髪の兵士で、ケジアたちに親切にしてくれます。

アラン・ロバーツ博士:イギリス人。大学教授。鳥類学者

 鍵を握る二枚の絵として、
「ボートの絵」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作 たぶん本物ではない。複製品。四そうのヨットが浜にあって、赤、青、黄色、緑色をしている。沖にも四そうのヨットが浮かんでいる。ボートのひとつは、『アミティエ(フランス語で友情)』という名前。場所はフランスの浜辺。額の裏に祖父母が書いた手紙があったのを偶然主人公は見つけた。
「ロマの小さな幌馬車」主人公のヴィンセント・モンタギューが小学生のときに描いたもの。タイトルは、『行き先は道まかせ』幌馬車の階段にすわるロマのおじいさんの絵。ロマ=ジプシー。移動型民族

 ロマ(ジプシー)という民族は定住地をもたずに、幌馬車を自宅として移動しながら移動遊園地で稼ぐ。

 昔観た、イタリア人監督フェデリコ・フェリーニの映画を思い出します。たしか、『道』でした。旅芸人の哀しいストーリーでした。

 調べた単語などとして、
 まず、障害者のロレンゾ・スリーが発するロレンゾ語として
フラム:フラミンゴ
レンゾ:ロレンゾ
ジア:ケジア
ラウン:メリーゴーラウンド
サギ:シラサギ、白いツルみたいな鳥
モワ:ぼく
ロワ:?ちょっとわかりませんでした。
アゴン:勝利の雄叫び
カポ:ドイツ兵カポラル・ヴィリ・ブレンナー伍長(最下級の下士官)
アース:アーサー王
ギネ:グィネビアという名前のアーサー王の王妃(おうひ。きさき。配偶者)
ロット:キャメロット城
ヴァル:ロレンゾの家で飼っている馬の名前。正確な馬の名前は、『シュヴァル』
アゴン:ドラゴン(ロレンゾの言葉として)西洋の架空の生き物。とかげ、へびに翼があるような姿

 それから、
幌馬車の階段:後部にあるステップ部分だろうか。
ツグミ:野鳥。ズズメみたい。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ:1853年-1890年 37歳没 オランダの画家
ミストラル:やかましい風のこと
エーグ・モルト:南フランス地中海に面したところ
ジッポ:ジプシーの差別用語
邪教:じゃきょう。他の宗教を非難するときの言葉。人を悪いほうへ導く宗教
アーサー王の物語:中世の騎士道物語。ローマ皇帝を倒してヨーロッパの王になる。
エクスカリバー:魔法の剣
スズカケノキ:落葉広葉樹。10m~30m。プラタナス
トロール:北欧の妖精。けむくじゃらの体をしている。
ゴブリン:ヨーロッパの伝説の生き物。悪い精霊、幽霊
沽券:こけん。家屋敷の売買を証明する書類。沽券にかかわるは、体面(たいめん。人から見られる姿)がおとしめられる。ばかにされる。
サント=マリー=ド=ラ=メール:フランス南部の都市
聖女サラ:サント=マリー=ド=ラ=メールに伝わる聖女。ロマ民族の守護聖人
掩蔽壕:えんぺいごう。戦闘時の人・物・重機を保護するためにコンクリートでつくられた地中の基地のような空間
サリエ:南フランスの都市
プリズンキャンプ:捕虜収容所
マキ:ドイツ軍に抵抗する組織。レジスタンス組織
チュービンゲン:ドイツ南部の都市

 主人公のヴィンセント・モンタギュー高校三年生は、南フランスのカマルグという土地でフラミンゴの群れをながめているときに、失神して気を失っていたところをロレンゾという男性に保護された。

 外国人の感覚なので、日本人の自分には、どうしてそのことにこだわるのかがわからないのですが、ひとつは、「フランス人のケジアが英語を話せる理由」「壁からヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵が落ちてきた出来事を運命としてこだわること。絵は、フランスカマルグ自然公園でのボートの風景画」

 詳しい説明が、ケジア・シャルボノーからあります。
 記述はヨーロッパ的で雰囲気があります。
 ロマ(芸人ジプシー)に対する差別があるようです。
 ロマ民族のケジアは、小学校で差別を受けます。先生も差別してきます。先生には、いい先生とそうではない先生がいます。ケジアは不登校になります。ケジアは自宅で元教師のロレンズの母親から読み書きを習います。
 たぶんケジアが11歳の時にドイツ兵がカマルグにやってきます。三年前、フランスはドイツに侵略されたのです。
 嵐で、移動遊園地がひどく壊れてしまいます。壊れてしまったメリーゴーラウンド、そのほかの道具は納屋に保管されますが、徐々にみんなの記憶から遠ざかっていきます。

 ナチスドイツの兵隊が嫌悪集団ですが、それよりもタチが悪い(もともと行いが悪い)のが、同じフランス国民でナチスドイツにへつらう(ごまをすって利益のおこぼれをもらう)フランス民兵団「ミリス」のメンバーだそうです。
 
 ナチスが土地を侵略してきます。

 曲として、『アヴィニョンの橋の上で』フランス南東部の都市。15世紀ごろにつくられたフランスの歌

 いいなと思った記述などとして、
移動民族ロマのあいだに伝わる言葉として、「行き先は道まかせ、どこへでも自由に行きたいところへ行く」
世の中には親切な人と意地悪な人の両方がいる。
メリーゴーラウンドの木馬になっている動物たちにはそれぞれお話がある。
フランスの三色旗
フランス国家『ラ・マウセイエーズ』フランス革命のときの革命歌。フランス革命 1789年-1799年 身分制・領主制の廃止。君主、貴族の支配を廃止して、資本主義国家を築く。
雲の向こうには必ず青空が広がっている。悲しみを越えた先には、いつだって喜びがある。
ナチスドイツの伍長に対して、「きっと悪いひとばかりじゃない」これに対して、「みんな軍服を着ている。それを忘れるな」
障害者のロレンゾ・スリーが侵略してきたドイツ兵に向かって行って抗議として、相手の胸を次々と押すところ。
アーサー王が、ロレンゾ・スリーで、アーサー王の妻グィネビアがケジア・シャルボノーと見立てて、ふたりがそのことに満足すること。

いやだなと思った記述として、
大きな赤いナチスの横断幕で、真ん中に黒い鉤十字(かぎじゅうじ)

 第二次世界大戦ノルマンディー上陸作戦:1944年6月6日

(読み終えました)
 日本人の感覚では、すんなり腹におちる内容ではありませんでしたが、多民族でヨーロッパ大陸の上で暮らしていく人たちのいいところ、そうでないところが、バランスとか、協調とかを基調にしていることが理解できそうな内容でした。

 ナチスドイツの伍長を敵とはみないで、敵の中にあっても、自分たちの味方になってくれる『個人』として、フランス人の移動民族ロマの人たちとその友人たちが評価します。珍しい設定です。これまで読んだ本は、ドイツナチスのメンバーは、凶悪犯扱いの作品ばかりでした。
 それから、ユダヤ人を強制収容所に収容してガス室に送り大量虐殺をしたことがとりあげられることが一般的なのですが、この本では、ジプシーに属するロマという移動民族に対する強制収容が書いてあります。人間の単一民族標準化志向に対する抗議があります。

 メリーゴーラウンドが、安息のための遊び道具として扱われます。苦しい環境のなかにあったから、わたしたちは、(娯楽で)笑うことが必要だったとあります。
 壊れたメリーゴーラウンドは、終戦後の1947年5月1日に修復を終えて復活しました。
 そして、フラミンゴは、『自由』『平等』『友愛』の象徴なのです。フランスの国旗三色旗と同じです。いずれも『平和』な世界をめざしてと思いたい。  

Posted by 熊太郎 at 07:37Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年07月16日

廉太郎ノオト 谷津矢車 2020課題図書

廉太郎ノオト(れんたろうノオト) 谷津矢車(やつ・やぐるま 男性) 中央公論新社 2020課題図書

 作曲家の瀧廉太郎さんのお話しだと思って読み始めます。
 瀧廉太郎さんの出身地の大分県竹田市へは、高校生の時に行ったことがあります。登山に行く途中で立ち寄りました。作品『荒城の月』をそこで聞いたような覚えがありますが、もう遠い昔のことなので記憶が定かではありません。同市内にあった城跡は見学したような記憶がありますが、たしか岡城というような名称でした。そちらの記憶もおぼろげです。
 ご本人は病気で若くして亡くなられたという知識が少しあります。つくられた曲として、春のうららの隅田川という歌詞の『花』を思い出します。
 1879年(明治12年)-1903年(明治36年) 23歳で肺結核のため死去。現在NHK朝ドラ『エール』で古関裕而さん(こせきゆうじさん)がとりあげられていますが、古関裕而さんは、1909年生まれなので、古関さんは日本における西洋音楽をつくった作曲家次世代の方なのでしょう。この本の中では、ドラマで志村けんさんが演じる山田耕作さんが最初のほうで登場されております。
 瀧廉太郎さんの父親の名前が、『吉弘』、母親の名前が、『正(まさ)』

 同時代に東京にいたであろう人としての参考として、
石川啄木:1886年(明治19年)-1912年(明治45年) 26歳没 肺結核 詩人
樋口一葉:1872年(明治5年)-1896年(明治29年) 24歳没 肺結核 小説家

 それから出来事として、
日清戦争:1894年(明治27年)-1895年(明治28年)
日露戦争:1904年(明治37年)-1905年(明治38年)

 43ページまで読んだところで感想は書き始めます。
 全体で8つのパートでできています。序と終があって、その間に六つの章があります。
 序の部分を読みました。主人公の瀧廉太郎さんはすでに病死されています。
 新聞屋と呼ばれる新聞記者が語りますが氏名はまだ不肖です。(結局最後まで不詳だったと思います)
 新聞屋は、なんだかごろつき扱いをされている男性です。取材と称して、不祥事をネタにお金をゆするイメージがあります。「羽織破落戸(はおりごろ)服は立派なのに恐喝をする者」と呼ばれています。紺の羽織をまとった彼は、『瀧廉太郎君の遺作発表』に呼ばれて東京音楽学校にいます。鈴木毅一と幸田幸には歓迎されていません。この『序』の部分の意味は、いまはまだわかりません。もったいぶった感じがします。(最後まで読むとわかります)

 登場人物として、
鈴木毅一(すずききいち):角刈りの男。ワイシャツにサスペンダー(吊り具)羊毛のズボンに黒い革靴。東京音楽学校で、瀧廉太郎より一学年下だが、年齢は二歳年上
バイオリニスト幸田幸(こうだ・こう)女性。瀧廉太郎の二歳年上。出会ったとき、瀧廉太郎が16歳(本科1年生)で幸田幸が18歳(本科3年生)東京音楽学校が誇る才媛(さいえん。才能のある女性)幸田姉妹の妹。姉が、幸田延(こうだ・のぶ)
瀧吉弘:瀧廉太郎と瀧利恵の父親。読んでいて感じるのは、めんどうくさそうな人
瀧利恵(たきりえ):瀧廉太郎の姉で廉太郎より10歳年上。肺結核で20歳で病死する。音楽をとおして弟の瀧廉太郎と心の交流あり。琴を演奏する。
瀧大吉:瀧廉太郎のいとこ。陸軍の技師になる。妻子あり。妻の名が「民(たみ)」
小山作之助:東京音楽学校の教師。めんどうみがいい。
石野巍(いしの・たかし):東京音楽学校予科の同級生だが、年齢は瀧廉太郎よりもかなり上。音楽教師になる。
高木チカ:東京音楽学校予科の生徒。声楽。器楽。卒業後は、音楽教師になる。結婚して杉浦チカとなる。
ケーベル師:東京音楽学校ピアノ教師。ラファエル・フォン・ケーベル。東京大学哲学の教授でもある。
橘糸重(たちばな・いとえ):東京音楽学校ピアノ教師
草野キン:生徒監(せいとかん。不祥事がないように男女生徒の関係を監視する役目をする女性)
吉本光蔵先生:海軍軍隊学の教授
幸田露伴:こうだろはん。小説家。1867年-1947年79歳没。蝸牛庵(かぎゅうあん。かたつむり)というところに住んでいた。(現在愛知県犬山市の明治村に移築されてあり)幸田幸(こうだ・こう)幸田延(のぶ)姉妹の兄
島崎赤太郎:東京音楽学校オルガン教師
由比くめ(ゆいくめ、のちに、東くめ(ひがし・くめ)):東京音楽学校本科三年。許嫁あり(いいなづけあり。婚約中)瀧廉太郎の二学年上。作品『春の海』作詞者
出版社の副社長。教師のような雰囲気。シャツ、ズボン、サスペンダー。四十歳ぐらいで、メガネと口ひげあり。
大久保利通:鹿児島県出身の政治家。明治11年に暗殺された。満47歳没
柴田環(しばた・たまき):高木チカの紹介で瀧廉太郎が教える生徒。のちの日本オペラ界の牽引者(けんいんしゃ。ひっぱっていく人)三浦環。今年放映されている朝ドラ『エール』で女性オペラ歌手が『船頭可愛や』を歌っていましたが、三浦環さんがその役のモデルでした。
巌谷小波(いわや・さざなみ):児童文学者。男性
渡辺龍聖:わたなべ・りょうせい。東京音楽学校校長。音楽は専門ではない。倫理学者
武島羽衣:たけしま・はごろも。『花』の作詞者。東京音楽学校国文学教授
新聞屋の妹:十歳ぐらい。名前は、『鶴』新聞屋の母親も新聞屋と同居している。家宝は三味線。江戸時代は、藩のおかかえ三味線師だった。
土井晩翠:どい・ばんすい。1871(明治4年)-1952(昭和27年)80歳没、詩人、英文学者、『荒城の月』の作詞者
鳥居忱:とりい・まこと。1853(嘉永6年)-1917(大正6年)63歳没、作詞家。瀧廉太郎作曲『箱根八里』の作詞者
姉崎正治:あねざき・まさはる。文筆家、評論家。東京大学哲学科卒。ケーベルに学ぶ。

 意味がすぐにはわからない昔の言葉がたくさん出てきそうです。
給金労働者:サラリーマン
東京音楽学校:1887年創立。東京芸術大学音楽学部の母体。東京上野が所在地。予科が1年間、予科のあとの本科が2年制の師範科と3年制の専修科、卒業後が研究科
主筆:しゅひつ。編集長
御一新:ごいっしん。明治維新のこと
経書:けいしょ。中国、儒教の文献
薫陶:くんとう。この物語の場合は、やり方を見せてこどもの将来をいい方向へと教え導くこと。
川上音二郎の『オッペケペー節』:1891年(明治24年)ころの流行歌。なんだか、ピコ太郎のPPMPみたい。
詮無い:せんない。しかたがない。
闊達:かったつ。寛大で小さなことにこだわらない。
筐体:きょうたい。機械類を入れる箱のこと。
惣領:そうりょう。あととり息子
謹厳:きんげん。まじめ。
凌雲閣:りょううんかく。浅草にあった高層建築。眺望用。大正12年に解体
岡場所:江戸時代に上野そのほかにあった幕府非公認の遊郭。公認されていたのが吉原
洋琴:ようきん。ピアノ
行李:こうり。衣類保管かぶせふたのかご
麹町:こうじまち。東京都千代田区麹町。新宿通り。皇居の西
本郷西片町:ほんごうにしかたまち。東京都文京区西片町。東京大学の近く。道路を隔てて西側
「ハ」:ピアノの中央のドを「一点ハ」という。
グランドピアノ、アップライトピアノ:アップライトはオルガンのような見た目
禍根:かこん。災いの原因
鼠返し:ねずみがえし。ねずみ侵入防止用の器具
曲の終末であるコーダ:曲の終結部分
僥倖:ぎょうこう。思いがけない幸せにぶちあたった瞬間
ロールング:ピアノ演奏の技術。手首の返しを利用して速弾きをする。
ファニング:ピアノ演奏の技術。指を広げて和音を出す。
笑殺:しょうさつ。笑うだけで問題にしない。
ピアノのダンパー:消音機
当て馬:馬の種付けを促せるためにメス馬に見せるだけの馬。仮の者
美土代町(みとしろちょう):神田美土代町。東京キリスト教青年会会館があった。東京駅の北方向
ウェス:布切れ
自家薬籠:じかやくろう。自分の薬箱の中にあるもの
格天井:ごうてんじょう。板が格子状になった天井
忸怩:じくじ。深く恥じ入る。
急霰:きゅうさん。にわかに降ってくるあられ
懊悩:おうのう。悩みもだえること。
招聘:しょうへい。礼を尽くして招く。
策士:たくらむことが上手な人
栄達:出世
擬されている:ぎされる。決定されていないが、あてはめる。
框で膝を折る:かまちでひざをおる。玄関と廊下の境目の部分
耳朶:みみたぶ
ロンド形式:同じ旋律を何度も繰り返す。
与しない:くみしない。味方しない。
イソップ童話の蟹の親子:母ガ二が子ガニにまっすぐ歩けと指導するが自分がまっすぐ歩けなかった。お手本を見せることができないのに指示してはいけない。
門外漢:もんがいかん。そのことについて、専門ではない人
弁えている:わきまえる。承知する。
仄聞:そくぶん。噂に聞く。
官費洋行:政府から支出する費用で、欧米へ留学、旅行をすること。
手管:てくだ。人をうまく利用する。
玩味:がんみ。意味を深く考えて内容を味わう。
汐留川:しおどめがわ。東京都港区、中央区、新橋あたりを流れる川。大部分が埋め立てられた。
麦酒:ビール
酒精:しゅせい。エチルアルコール
古態:こたい。昔のままの姿
開化:文化が開ける。
曲想:きょくそう。曲の構想、テーマ
詩想:詩を生み出すもとになる感情
屹立:きつりつ。高くそびえ立つ。
懐手:ふところで。和服を着たときに、腕をそでに通さない。
顔役:かおやく。ボス
孕む:はらむ。ふくみをもつ。
鎧板の塀:よろいいたのへい。通風、遮光のために、あいだを開けて取り付けた薄い板の塀
腰屏風:こしびょうぶ。腰ぐらいの高さの屏風
御大尽:おだいじん。お金を湯水のごとく使って遊ぶ人。金持ち。富豪
メインモチーフ:主となるイメージ、脇役が、サブモチーフ
倦む:うむ。退屈する。いやになる。飽きる。
羨む:うらやむ。
無間:むげん。仏教用語。絶え間ないこと。
落魄:らくはく。落ちぶれること。
『荒城の月』春高楼の花の園:春、城内での花見の宴(うたげ)
遼遠:りょうえん。はるかに遠い。
咀嚼:そしゃく。言葉の意味を考えながら味わう。
ドイツライプツィヒ:ベルリンの南西方向にある。人口59万人ぐらい。バッハが音楽監督として活躍した聖トーマス教会がある。
無聊:ぶりょう。心が晴れない。
感慨無量:深く心にしみる感情
ムジカリッシュ:音楽的な
効果覿面:こうかてきめん。効き目がすぐに表れてよかったとき
対位法:複数の旋律を調和して重ねる。旋律=メロディー
黙考:もっこう。黙って考える。
転調、調性:長調、短調
無調の音楽:調整のない音楽。中心音がない。電子音楽、効果音の源
弄ぶ:もてあそぶ
アントワープ:ベルギーの北西部にある都市。瀧廉太郎はここから船に乗り帰国する。途中、イギリスのテームズ港、
労咳:ろうがい。結核
剽窃:ひょうせつ。盗用して発表すること。
向島:墨田区。東京スカイツリーの北
櫂:かい。船を進めるための道具
上野不忍の池:しのばずのいけ。上野公園にある天然の池
バッハの謦咳:けいがい。せきばらい。尊敬する人に直接お目にかかる。
床几:しょうぎ。簡易腰かけ
伽羅堂:がらんどう。寺院を守護する神をまつってあるお堂
疲労困憊:ひろうこんぱい
グリッサンド:鍵盤の低音から高音、高音から低音へと、ゆびをすべらせながら弾く。
過渡作:通過地点にある作品
*言葉の意味調べに時間を尽くして、くたびれました。

登場した曲などとして、
バッハ:G線上のアリア
バッハ「小フーガト短調」教会のパイプオルガンで聴くことがある曲
モーツアルト「トルコ行進曲」
ラインベルゲル「三つの性格的小品」のなかの「バラード」
シット「コンサルチノ」
瀧廉太郎「日本男児」
「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)「ピョンコ節」四分の二拍子、四分の四拍子。跳ねているような感じ。ずいずいずっころばしとか、もしもしかめよとか。ピョンコ節のヨナ抜き音階=四七抜き音階。ドからよっつめの「ファ」とななつめの「シ」がない音階
「金毘羅船々」こんぴらふねふね
隷下:れいか。手下、配下
ベートーヴェン「月光第一楽章」
バッハ「メヌエット」
ショパン「夜想曲二番」
メンデルスゾーン「厳格な変奏曲」メンデルスゾーンはプロイセン王国、ドイツの人
モーツアルト「ピアノとバイオリンのためのソナタV380」
フンメル「ソナタ変ホ長調」
ベートーヴェン「エリーゼのために」
瀧廉太郎「メヌエットロ短調」
瀧廉太郎「箱根八里」
瀧廉太郎「別れの歌」
瀧廉太郎「憾」うらみ。残念に思う気持ち
瀧廉太郎「お正月」もういくつねるとお正月

印象に残った部分などとして、
「音楽の醍醐味は調和(はーもにー)にある」醍醐味:本当のおもしろさ。深い味わい
「きみがさっきやったのは、演奏ではない。傍観だ」
三味線は、弦楽器と打楽器を兼ねたもの。あわせて、ピアノには打楽器といえる面がある。
演奏はひとり。が、孤独ではない。
八十八の鍵盤(ピアノ)
何も果たすことなく日本に帰ってきてしまった。
幸田露伴が小説を書く理由を語るシーン
音楽家の道は険しい。音楽家の人生は、別れだけがすべてなのかもしれない。
楽譜さえ残れば永遠のものになる。

 第一章:瀧廉太郎10歳ぐらいから16歳まで。東京音楽学校入学を目指す『予科』まで。東京から大分県竹田市へ引越し。直入郡(なおいりぐん)高等小学校に通う。風琴(ふうきん。リードオルガン。足踏みオルガン)と出会う。いとこの瀧大吉の父親への口添えもあり、父親に東京音楽学校入学を許されて、その後東京へ戻る。
 明治時代の上野公園あたりの風景を想像しながら読んでいます。なかなかいい雰囲気です。1893年頃、今から127年ぐらいまえの上野駅から上野公園、東京芸術大学、東京大学周辺の景色です。

(つづく)

 物語からは離れてしまうのですが、音楽について考えてみました。NHKの番組で、『駅・空港・街角ピアノ』を観ているのですが、けっこう感動的なシーンが映ります。世界各地、日本もふくめてが舞台です。駅や空港の通路にだれでも弾けるピアノが置いてあります。
 老若男女、多国籍、職業多種多様な人たちがピアノの鍵盤にタッチして、思い思いのミュージックを奏でます。世の中にはこんなにたくさんピアノを弾ける人がいるのかと驚きつつ、独学でやっていますとか、家にピアノがないのでこのピアノで練習していますとか言葉があり、生まれつき弾ける才能がある人にとって練習は苦痛とか困難ではなく、娯楽とか快感なのだということがわかります。
 最後に思うのは、音楽には、『境界線』がない。音楽には、国境とか、国籍とか、人種とか、格差とか、健常者とか障害者とかの境界がありません。平等で、かつ、自由です。音楽は、世界の共通語であり、ミュージシャンは、『平和』の発信者で、そして、音楽を生活の糧(かて、収入資源)としなくても、だれでも、なろうと思えばなれるのがミュージシャンです。

 第二章:東京音楽学校での学習風景です。教師や生徒新しい人たちとの出会いがあります。学びながら成長していく過程にある瀧廉太郎の姿があります。
 登場人物たちの才能に関する表現がおおげさかなと思いながら読んでいる97ページ付近です。リアリティに距離感をもちます。優秀すぎて、現実離れしすぎのような。
 点数を付けたがる幸田姉妹の姉延(のぶ)さんの部分を読みながら、先日テレビ番組「徹子の部屋」に出ていた女性タレントさんが、教師をしていた母親がなにかにつけ、「いまのは何点」と点数を付けるのでいやだったという言葉を思い出しました。
 滝廉太郎は若い16歳ですが、あと7年ぐらいしか生きられないと思いながら読んでいます。
 音楽とは、そんなに難解なものなのかと思いながら読んでいる112ページ付近です。音楽とは、気楽に楽しめる娯楽だと思うのです。登場人物たちは、厳しい心持ちでピアノやバイオリンの演奏に取り組むのですが、人から見たら厳しそうでも、本人たちは達成感を味わいながら自らの意志で楽しみながら演奏しているような気がするのです。

第三章:瀧廉太郎がテニスをしています。まだ17歳です。また、明治時代は、未成年でも飲酒ができたようです。1898年(明治31年)19歳で卒業までが第三章です。本科を卒業して研究科へ進みます。発見として、指先だけではなくて、体重をのせて体全体でピアノを演奏する。伏線として、東京麹町の家の思い出として、『水琴窟(すいきんくつ)』と二十代初めで肺病のために病死した姉のこと、そして姉とひいた琴の演奏
 親からの支援を受ける代わりにもう家には帰って来るなと縁切りを父親から宣言されます。音楽の道を志すということが、親子の縁を切らねばならないほどの理由になるとは思えないし、その後修復もできると考えるのですが、瀧廉太郎さんは、若くして病気で亡くなってしまったので親子両方にとって最悪なやりとりです。親子はなるべく子の進路で対立しない方がいい。親の方が折れるべきです。こどもの人生はこどものものです。
 東京音楽学校を卒業する女性には、結婚する人もいます。この時代、女性にとっては、結婚=就職のような時代背景があります。
 ピアノの演奏に関する記述ですが、文章に表現されているものと現実の感覚とは異なると思って読んでいます。音楽演奏光景は、小説の世界での文章表現だと感じています。ピアノの演奏の記述だと、小説ではほかに「蜜蜂と遠雷」とか、「羊と鋼の森(ひつじとはがねのもり)」を読んだときにそう感じました。
 
第四章:ずーっと読んできているのですが、瀧廉太郎氏の人物像がいまひとつ浮き彫りになっていないような印象があります。弱気な面しかいまのところ表れていません。自身の演奏の弱点として、『旋律が弱い』というところが強調されています。旋律=メロディー。ドイツ留学の話が出ますが瀧廉太郎は固辞します。

第五章:瀧廉太郎は、研究科二年生にすすみ、さらに、東京音楽学校ピアノ講師になりました。週二回本科の講義を受け持ちます。瀧廉太郎の目標は、幼年教育のための『幼稚園唱歌』という唱歌集と学齢期のこどもからおとなまでのためにつくる『四季』という組曲集に作曲家として関わりをもつことですが、東京音楽学校側から、命令という形で、10月から三年間ドイツに行くことを指示されます。(交渉で、翌年四月からに変更されます)

 物語の終わりが近づいてきましたので、どうやって、最初のシーン(瀧廉太郎死去後の演奏会)にもっていくのか楽しみです。

 東くめと瀧廉太郎の『幼稚園唱歌づくり』が始まります。春夏秋冬で曲をつくります。鈴木毅一は宮崎県にある師範学校の音楽教師として赴任したので、メンバーから離れてしまいました。

 明治30年ころで、新聞を読める人は少なかったとおもう。当時の文章がむずかしい。

 新聞屋の素性に光があてられます。あんがい、この物語の本当の主役は、まだ名もわからない新聞屋ではないのか。

第六章:瀧廉太郎が亡くなります。ドイツライプツィヒで結核に感染して帰国し、東京から、ふるさと大分県竹田市の実家へ戻ります。いま読んでいると瀧廉太郎の結核と現在の新型ウィルスの感染拡大が重なります。同じく肺の病気で、昔は、結核で多くの人たちが若くして亡くなりました。

 読んでいると、自分自身の知り合いで、若くして二十代で亡くなった優秀な人のことなどを何十年ぶりかで思い出しました。
 だれもかれもがふつうに長く生きられるわけではないと己の幸運に感謝するばかりです。

 新聞屋は、好かれていないけれど、小説のなかでは、重要な役割を担っています。

 歴史の記録書を読むようでした。淡々と進行していきます。時代背景とか、時代の流れとか、東京の成り立ちとか、いろんなことが知識として増えました。今年読んで良かった一冊になりました。

 以前、岐阜県で、『水琴窟(すいきんくつ)』の音を聴いたことがあるのを思い出しました。

 読み終えました。1週間ぐらいかかりました。
 新聞屋の家族が出てくるラストが良かった。
 『瀧廉太郎』という個性は、楽曲として、この世に生き残りました。  

Posted by 熊太郎 at 06:53Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年07月15日

ながーい5ふん みじかい5ふん 2020課題図書

ながーい5ふん みじかい5ふん リズ・ガートン・スキャンロンとオードリー・ヴァーニック・文 オリヴィエ・タレック・絵 木坂涼(きさかりょう)訳 光村教育図書 2020課題図書

(1回目の本読み)
 絵本です。
 ざっと目を通しました。
 『5ふん』という文字があまりにも多すぎて、つまらなかった。この絵本を読んだ5分間がもったいなかったような気がしました。
 5分間を人生の長さと関連づけてあるのかもという印象が残りました。

(2回目の本読み)
 また5分間をかけて、この絵本を読むことにしました。
 夫婦がいて、5歳ぐらいの男児がいて、そういう時期は、家族全員が、『時間』に追われて毎日を送っています。人生のタイムスケジュールにおいてもっとも過密で過酷な時期ともいえます。親は若くて体力があるのでのりきれます。

 こどもから見た大人の世界です。こどもが思うことは、時間にこだわることが、なにがいいのかがわからない。こどもは待てない。したいことはするし、したくないことはしたくない。待てるのがおとなです。

 ずっと楽しいことをしたいのが、こども。それは、動物見学のシーンでした。

 いそがしいと言っているのに、長話をするのがおとな。おとなの世界の矛盾があります。おとなは、ほんとうはヒマなんだ。いそがしいふりをしているだけなんだ。

 『時』と『場所』によって、同じ『5分』でも長く感じたり、短く感じたりする。いやなときは長いし、楽しい時は短い。

 待つことを楽しめるようになったら、『人生の達人』です。行列に並びながらも楽しそうにしている人たちがいます。けっこう、達人はたくさんいます。

 いやなことが終わるまで待つ。がまんができた人が勝ちというときもある。

 気のもちようということもある。

 慣れるということもある。慣れる訓練をするということもある。

 『めんどうくさい』は禁句。めんどうくさいと言ったら、いい仕事は仕上がらない。
 出来の良い完成品は、長い時間をかけてできあがります。
 少しずつ積み重ねていくことをいやがらないことが達成感を得られる近道です。

 最後の絵のシーンは意味がわかりませんでした。(パパがむすこに5分間絵本の読み聞かせをします)

(3回目の本読み)
 人間が一日に過ごす24時間のうちのうちわけとして、ねること、食べること、働くことです。

 クリーニング屋さんでの待ち時間
 病院での待ち時間
 犬、うさぎ、鳥の展示場で動物を見学する。
 図書館、歯医者、車の渋滞、トイレ、遊園地でのジェットコースター、さかなつりゲーム、料理をつくる。食器を片づける。おふろに入る。絵本の読み聞かせをしてもらう。

 いくつもの5分を積み重ねて人生が過ぎていく。なるべく、事件、事故、災害、病気にあわずに、5分間を積み重ねて、平和に暮らしていきたい。  

Posted by 熊太郎 at 09:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年07月14日

タヌキのきょうしつ 2020課題図書

タヌキのきょうしつ 山下明生(やましたはるお)・作 長谷川義史(はせがわよしふみ)・絵 あかね書房 2020課題図書

(1回目の本読み)
 全体をざーっと流し読みしました。
 朝のさんぽ道で、タヌキさんたちをたまに見かけることがあります。見た目がワンちゃんのようでかわいらしい。茶色に黒の模様が入った体で、独特のユーモラスな顔つきをしています。警戒心が強いので、人が近づくと、さささーっと茂みの中へ逃げていってしまいます。

 本は、明治6年1月の話として始まります。ずいぶん昔のことです。明治6年は、1873年ですから、今は2020年なので、147年前のことです。場所は、広島市で、夏の課題図書なので、原子爆弾の話が出てくるかもしれません。

 クロガネモチ:常緑高木。赤い実がなる。10mぐらいの高さ。モチノキ科

 やはり、原子爆弾投下爆発の瞬間に広島市が強い光につつまれて、白と黄色と赤の世界になったシーンがどーんと出てきました。タヌキくんたちもぎせいになったのだろうか。

 喪失と再生の話が始まります。
 タヌキたちは生きていました。ひなんして助かったようです。そして、タヌキたちはヒロシマのまちに帰ってきました。

 昔プロ野球が開催されていた『広島市民球場』が登場しました。行ったことがあります。中学生の野球大会が開催されていました。いまはもうなくなったのでしょう。別の場所に新しくマツダスタジアムができました。

 ぼうずあたまの小学生たちのおしりからかわいらしいしっぽがでています。おもしろい。

(2回目の本読み)
 タヌキの父さんが小学生の男の子に化けて学校の教室で勉強をするのです。
 しっぽがあるので、まわりの人が気づくのですが、ないしょにして受け入れてくれます。
 先生の言葉がいい。『しっぱがあってものうてもべつにもんだいない。べんきょうしたい子は、だれじゃろうとだいかんげいよ』
 こんどは、タヌキの父さんが先生役になって、5匹のタヌキのこどもたちに勉強を教えます。へぇー、おもしろい。人間がだれもいない夜の教室をつかって授業をします。
 そこから、秘密を守ろう話が始まります。タヌキの学校はめずらしいので、それを見た人間はびっくりします。だれかに話したいけれど、話が広まって、タヌキたちがいなくなったら、タヌキたちに悪いし、タヌキたちがいなくなると人間もさびしくなります。
 だんだん、その情報は広まっていきますが、公然の秘密とされていきます。おおぜいの人たちがタヌキの学校、タヌキの教室を知っていますが、知らぬ顔をとおします。
 教頭先生と教頭先生の奥さんとふたりのこどものヘイタ、それからヘイタの同級生のカズコがいます。
 明治10年についにタヌキのきょうしつのことがばれて、新聞記事になってしまいました。
 タヌキたちは人目をさけるために教室から去っていきました。それでも、校庭にあるクロガネモチの木の下にあるらしき穴で勉強は続いていたようです。教頭先生とタヌキたちは、はっぱに書いた『ア・リ・ガ・ト・ウ』の文字で、心の交流ができました。

 月日は流れて、人間もタヌキもだんだん次の代にかわっていきます。
 昭和16年12月8日は、日本にとっての第二次世界大戦開戦日です。
 むかし、昭和10年代の新聞記事を読んだことがありますが、毎日、軍事の話題ばかりが紙面を埋めていました。軍事力拡張の記事ばかりでした。暗い時代の始まりです。
 敵国アメリが空軍による空襲が始まりました。空から爆弾が雨のように降ってきます。警戒を知らせるサイレンが鳴り響きます。タヌキは校庭にあるモチノキの穴からいなくなったようです。
 そして、原子爆弾が落とされました。なにもかもが一瞬で、ふっとびました。たくさんの人たちが亡くなりました。日本は戦争に負けて、8月15日に戦争が終わりました。
 『広島には20年間は草いっぽん生えないだろう』ということばは、こどもの頃に聞いたことがあります。原子爆弾の放射能の影響が心配されました。まっくろのこげた校庭のクロガネモチがあります。クロガネモチは戦争が終わってから5年目に新しい芽を出したと本に書いてあります。昭和25年です。少しずつ復興していきます。広島市民球場ができます。『たぬきの たまご』というおでんやさんがオープンしました。
 いつつごみたいな5人のこどもたち、よにんの男の子とひとりの女の子が、おでんやさんに来ます。みんなおしりにしっぽがあります。あのときのタヌキの子孫です。
 葉っぱのお金に書いてあったのは、『キ・ユ・ウ。サ・ン』で、読んでいて意味がわかりませんでしたが、最後のページでわかりました。いい話でした。今年読んで良かった一冊です。平和であることを、世代をつないで伝えていきましょう。そして、賢い人になるために勉強をしましょう。  

Posted by 熊太郎 at 06:55Comments(0)TrackBack(0)読書感想文