2017年06月15日

大きくなる日 佐川光晴

大きくなる日 佐川光晴 集英社

 短編9本の連作で、相互に関連をもちながら、ファミリーのありようを表現した作品のようです。最初の3本を読んだところで、感想を書き始めます。(その後、2本目をとばして3本目を読んでしまったことに気づきました)

 第1話「ぼくのなまえ」は読んでもおもしろくなかったのですが、続けて(第3話)「水筒のなかはコーラ」で、日本人男子のフィリピン人妻とそのこどもたちが登場してから読む興味が増してきました。

一話ごとに一人称でかたられていくようです。1話は、小学校4年生横山太二(たいじ)くんの感想、2話は、フィリピン人妻マリルウさん(息子ロニー小学校3年生、夫は学校事務職)の日本とフィリピンに寄せる思いです。

 読んでいると、じぶんがこどもの頃にも、こういうことがあったと、記憶を呼び起こしてくれる物語です。
 「アイナコー」は、フィリピノ語で、「まったく、もう!」、なんかいい感じ。
 故郷「ネグロス島」も、どこかで聞いたことがあるような島の名前。
 横山太二の看護師母親が、マリルウさんにかけた言葉「こまったことや、わからないことがあったら、遠慮せずに相談にきてくださいね」は、優しい。
 “日本人の男は、子育ても家事も老母の介護も妻にまかせきり”は、耳に痛い。
 “日本人は、よそものに対して、実に冷たい。のけ者にする”対して、フィリピン人は、大家族で明るくにぎやか。(この部分、なんだか、昔の日本人家族の暮らしを読むようでした。)

 夫がいます。夫は、自立できていません。妻への依存心強し。よくある男性像です。

 きょうだいの「いる」、「いない」があります。うーむ。兄弟がいることの肯定と賛同は普通そうなのでしょう。
 
 家族が支えあう。そこのところができない家族は多い。
 衝突しながらでも、最後は、ひとつになるのが「家族」

 年寄りの死の迎え方があります。地域包括ケア、今は、病院で死ぬのではなく、自宅で死ぬ時代です。

 「80歳」は、いまどき、「高齢」ではない。

 「もっと勉強がしたい」は、夢です。理想です。だから、泣けます。

(つづく)

 その後の短編を読み継いでいます。
 1点目としては、どのお話も、「人情話」です。だから読後感がすっきりします。
 こうあったらいいなという理想で、お話が終わります。現実を忘れて、読むのがコツです。でも、現実はうまくいきません。

 答えがないとう答えにいきつくところも感じがいい。

 2点目として、本に書かれていることがらの内容は、自分にとっては、「もう過去のこと」です。
 名残惜しいとは思いません。
 「もう終わったこと」という感想があるのみです。
 しんどい期間は、過ぎてみれば、あっという間でした。
 
(つづく)

 こどもたちの成長時期をとらえた家族像の物語でした。
 人間は、長い人生のうちのどこかで複数回、ひどくつらい思いをしなければならないときがあります。それは、身近な人の死だったりもします。
 つらくても耐えて、つらいことを忘れて、未来を考えるしかありません。

以下、心に響いた文節です。 「ワンボックスカーの輸送力(サッカーチームで、こどもたちや道具を運ぶ。親が運営する)」、「燃え尽き症候群(スポーツに打ち込みすぎて、スポーツがやれなくなる)」、「サッカー(ボールに触れないプレーヤーが出てくる)と野球(だれもがバッターボックスに立てる公平感がある)の比較」、「家庭環境は改善が可能だが、運命を自力で変更することは不可能」、「いつか、あのひとの子どもを産みたい」、「男の子は元気が一番」  

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2017年06月13日

ハリネズミの願い トーン・テレヘン

ハリネズミの願い トーン・テレヘン(オランダ人) 新潮社

 帯にあるコメント「本当は友だちがほしい。そんな人の背中をそっと押してくれるあたたかい本」というのが、この本のなかみのすべてです。
 子どもさん向けの童話という位置づけがあります。
 だから、おとなの目線で読み始めたので、途中まで、何のことかわからず、意味をとれませんでした。
 ファンタジー(幻想)でした。秀作でしょう。

 ハリネズミは、自分の体の表面にあるハリが嫌いです。それが、コンプレックス(劣等感)です。
 だから、友だちをつくりたくても、ハリが邪魔になって、友だちをつくれない。あるいは、つくることに臆病になる。

 この本では、ハリネズミが、いろいろな動物とか昆虫とかに「うちに遊びにきて!」という手紙を書きます。書きますが発送はしません。
発送したとして、受け取った彼らがハリネズミの家に遊びに来たと仮定して、どんなふうになるかということが書かれています。

 ハリネズミのハリは、ときに「迷い」でした。また、相手を威嚇する武器でありつつ、自分を守る道具でもありました。それは、人間を擬人化したものです。
ハリがあるから、友だちが寄ってこないという意識が、「孤独」でもいいという気持ちにつながっていきます。

 実際は、だれも招待していないから「空想」の記述です。みんなが来たらこうなるという期待と懐疑心があります。そして、明確には書いてありませんが、ハリネズミは、矛盾するねじれた気持ちに苦しくなることもあります。読み手との気持ちと同調、響く部分です。

 わからなかった言葉として、「ゾウがするピルエット:バレエ用語で回転する。片足で回る」

103ページにある「ふたつの半分の孤独」付近は、二重人格とか、「存在」の確認とか、哲学的でした。

(つづく)

 読み終えました。
 最初、子ども向け童話と思ったのは、そうではなく、老人が過去をふりかえるような内容でした。
 最終的にハリネズミは、リス(配偶者あるいは親友としての)との出会いと団らんで、あたたかい気持ちになり、永い冬眠に入ります。

 途中、体の殻(たとえばカタツムリのカラ)、カメの甲羅(こうら)、ハリネズミのハリなど、自分を包んで、守るもの、あるいは、他者を拒否するものの話が出ます。微妙に、人間の心理を表しています。

 ときおり、カタツムリとカメが並んで歩くシーンが登場します。ふたりともゆっくりだけれど、カメがカタツムリに「遅い」と言うこともあります。
 ゴールについてしまえば、途中経過の遅いとか速いは関係がないということを意味しているのかなと推察しました。

 最後の解説部分を読みながら、訳者は30年もオランダ生活をしておられる日本人で、おどろきました。

 登場した生き物たちです。カワカマス、コイ、クジラ、サメ、モグラ、ラクダ、シロアリ、ヒキガエル、サイ、ゾウ、クマ、ダチョウ、アリ、チョウ、キクイムシ、スズメバチ、アナグマ、以降、これに続く生き物は、疲れて、書き取りをやめました。

 独特な表現です。<いまは>は不安でまわりを見回す。<まだ>は、規則正しいステップで回る。<当分>が一緒に踊る。<ありえない>、<ずっと>、<一度>、<も>、つまり、<いまは、まだ、一度、も>  

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2017年06月11日

弘兼流60歳からの手ぶら人生 弘兼憲史

弘兼流60歳からの手ぶら人生 弘兼憲史 海竜社

 タイトルにあるように「弘兼さん」の人生です。
 読み手はそれぞれ、自分の名前を付けて読むといいと思います。
 弘兼方式に賛同できる部分は実行するし、そうでない部分は省略します。
 もうすぐ読み終えるところまできました。
 「ムダ」の部分にひっかかりました。
 昔から言われてきたことに、「ムリ、ムダ、ムラなく、安く、早く、正確に仕事をする」
 その格言に従って人生の大半を過ごしてしまいました。
 今になって、気づいたことは、「ムダ」なものは、「ムダ」ではないということです。
 たとえば、水族館にイルカショーを観に行って、開演の1時間以上前から待ちます。そのあいだの会話のやりとりとか、芸を練習するイルカたちを観て楽しめることに、この歳になって気が付きました。なにもしない時間帯がいちばん大切なひとときです。
 その点で、弘兼さんとは、考えの違いがあります。わずらわしさも込みで、人生の終盤を意気揚々と楽しみたい。

 昔はこういう本はありませんでした。
寿命が伸びたから出てきたたぐいの本です。
 
 ひとりぼっちではあるけれど、強い意志をもって、あと20年間を生きる。
 対極にあるものが、ムダをムダと思わず、「必要ムダ」とし、ザワザワと生きて、やがて消えていくことをよしとする生き方を選択する。

 「待機児童」は保育園でよく聞きますが、「待機老人」という言葉は初めて聞きました。老人ホームの待機のようです。こどものように、年寄りも施設に入らなければならないのだろうか。しかも、24時間365日です。子どもは、日中の一定の時間だけです。

子や孫に対しては、金銭面を初めてとして、冷遇が適当とあります。
実体は、可愛いから可愛がるだけです。見返りは求めていません。

「お坊さん便(アマゾンで注文できる)」というお話には、さすがに驚きました。

「パラサイト:親に寄生する子ども」
「胃ろう大国:人工的栄養補給法で延命する」

(つづく)

 昔は、病院で死ぬ人が多かった。
 しかし、今は在宅での看取りを増やす方向にある。
 年寄りが増えて、病院の容量が追いつかないから。

 ラジオ番組は、なつかしのメロディばかりが流れている。
 寿命が伸びて、2度目、3度目の人生を体験している。
 読みながら、そんなこんなを考えました。  

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2017年06月10日

リアル・スティール DVD

リアル・スティール DVD

(もう何度も観ました)

 久しぶりにDVDで、2年ぶりぐらいで観ました。
 箇条書きになりますが、時系列的な感想です。
・ロボットはどうやって動かして撮影したのだろう。
・お金の話は、物語の基本
・ロボット対戦中の片足ちぎりは、障害者になったあとのようで、こういう映像を流していいのだろうか(今回初めてそう思いました)
・ロボットがボロクズのようにされます。「暴力」です。
父親がマックスに人間が無限の暴力を求めたから現状があると説明します。人間は悪です。
・ファンあってのスター
・いらないものは捨てるんだ。(いらないものは、対象が「こども」でも棄てるんだというセリフはないが、そういうセリフが場面を見ていて浮かびます)
・ベイリー(パパの恋人)のセリフで、「借金ばかりで、いくらやってもうまくいかない。暮らせない。」
・ロボットをとおしての人間の再生。親子関係(父子関係)の再生
・アトムは打たれ強い。(スパーリング用ロボットだったから)
・本物の王者
・人生は長い(悲しみとか、がまんは、いっときのこと)
・たとえボロ負けしても正々堂々と戦おう。
・シーンには出ないけれど、「おとうさんは、立派なおとうさんであれ!」という声が聞こえてきました。「勝ち負けはもうどっちでもいい」とも聞こえてきました。
・大ヒットした映画です。中身は、映画だからできたことです。

(以下、過去記事)
リアル・スティール 洋画 DVD 2015年8月
 何度も観た映画です。
 父親を讃える映画です。
 離婚の増加を背景にした片親家庭におけるこどもの悲しみを表現した映画でもあります。
 大人である父親に向ける言葉として、「最後の力を振り絞る」があります。
 守って、守って、守って、相手が自滅するのを待つ手法を学べます。

リアル・スティール 映画 DVD 2014年8月
 殴り合いの野蛮な出だしですが、マックス11歳の登場あたりから落ち着きます。
 根性の腐った父親を叩き直して、真実がわかるまっとうな人間に育てることが目標です。がんばれ!マックス
 マックスの表情がいい。そして、ロボットATOM(アトム)は生きているようです。アトムのシンプルなつくりの顔が効果をあげています。マックするとアトムが練習をするふだんの場所でのロケ地撮影がいい雰囲気をかもしだしています。
 バックグランドミュージックもいい。本音を伴うお金のやりとり会話がいい。
 父親と息子の合作がアトムです。児童福祉の映画でもあります。恋愛の映画でもあります。父親は別の女性といい仲になっている。マックスは病死した母親の妹夫婦の家で暮らすことは避けられない。血がつながっていても親子が一緒に暮らせないことはあります。
 試合は粘りです。とりあえず1ラウンドをもたせる。耐えて耐えて耐えて、最後に攻めに出ます。ようやくお父さんはお父さんになれました。これも、亡きお母さんの支えがあったからです。「圧倒的な闘志で戦う」いいセリフでした。

以下は前回観たときの感想文です。

2013年1月1日
ひとり名画座2 リアル・スティール DVD
 ハートフル(心が温かみで満たされる)映画です。HAPPYな気分にさせてくれるMOVIEです。
 映画館で観て、DVDで観て、また今回DVDで観てやっと気づきました。リアル・スティールとは、11才マックスの父親と東洋人富豪タク・マシドが、ロボット自動操縦システムを捨てて、手動で闘うことと考えました。さらに、最終ラウンドが終わってマックスが見つめる父親の後ろには亡くなった母親の姿が見えました。マックスは、親子3人で暮らしたかった。クール(理知的)な母親が愛した父親を尊敬できるようになってよかった。(だけど、マックスの母親は死に、父親には恋人がいる。この部分で、「オルゴォル」朱川湊著を思い出しました。離婚母子家庭のフジワラハヤト11才は、父親に会いに東京から大阪まで行ったのですが、そこには、父親の新しい妻がいたのです。)
 ロボットボクシングの映画です。ロボットの動きは鋭くなめらかです。ことにマックスとのダンスはほのぼのします。ロボットだけど、人間の言葉を理解します。そのことは、マックスとロボットATOMとの秘密事項です。
 アトムはスパーリングロボットだから打たれ強い。合言葉は、知恵をつくす、耐える、そして祈る。

2012年6月10日
リアル・スティール 映画 DVD
 映画館で観て感動の作品だったので何度も観たくなり購入しました。どういうわけか、DVDとブルーレイの2枚セットでしか買えません。DVDだけでいいのに。
 特典映像から観ました。莫大な費用が投下されています。崖から落ちた少年は少年ではなく女性のスタントマンでした。
 ロボットを製作して映像化する作業では、人形浄瑠璃師を思い浮かべました。まるでロボットが生きているかのようにロボット人形を動かすのです。
 なぜ内容に共感できるのかを考えてみました。父親と少年マックスが亡父と自分に重なるのです。しらふのときはまじめなのにアルコールが入るとぼろぼろになる親父でした。
 マックスの気の強さがいい。子が親を教育します。何が大切かを説きます。DVDを観て気づきました。影にもうひとつの親子がいます。恋人の亡父とマックスの父チャーリーです。
 音楽がいい。じっくり観ると親子ふたりは出会ったときから「別れ」がスタートするのです。楽しい経過の先には「別れ」があるのです。それが家族であり人間関係です。会うは別れの始めなりということわざを思い出しました。
 記憶に残ったセリフ集です。「マジに祈れ」、「たとえぼろ負けでも正々堂々と戦おう」、「圧倒的な闘志で闘うことをあきらめない」。これは、亡くなったマックスのおかあさんがつくった世界です。

2011年12月31日
◎リアル・スティール 映画館
 批評欄を巡って、評判がよかったので観てきました。鑑賞中は涙がだらだらと流れ続けます。いい映画でした。ろくでなしの親父をしっかりものの息子11才が叱咤激励して改心させます。ガッツあふれる爽快な作品です。
 「リアル・スティール」をどう訳すのか知らないので自分で訳してみます。ロボット対ロボットの格闘技をリアル・スティールという。その意味は、本物の鋼(はがね)、言い替えて「頂点に立つ勝利者」さらに言い替えて「鋼の横綱」、脚色して、「心・技・体がそろった格闘技界最高のロボット」としておきます。
 親父の名前はチャーリー、設定は2020年アメリカ合衆国テキサス、のんびりした農業地域の雰囲気が漂っている。チャーリーは、所有していたロボット「アンブッシュ」始め試合に負けて壊れたロボットを修理することなく次々と捨てる。捨てては新しいロボットを買う。常にお金がなく、借金取りに追われている。借金の返済ができないくせに平気で返済すると言う、格闘技で勝利できもしないくせに勝てると、嘘で固めた生活を送っている。あげくの果てに自分の息子を1000万円ぐらいで里親に売りつけた。初対面のロボットは大きくてこわい。だんだん慣れます。どうやって動かしているのだろう。人が入っているようには見えません。コンピューターで画像を製作して、さらに人間とは別撮りしてあとに合成してあるのかもしれません。映像に違和感はありません。
 格闘シーンは野蛮なアメリカ人気質が正面に出ます。「ノイジー・ボウイ」というロボットのあとに11才のマックスが登場します。アメリカボクシング映画「チャンプ」が下地になっていると勝手に解釈します。ノイジー・ボウイには日本語が書いてあり、その操作方法にも笑いました。観客はこどもが多いだろうと思っていましたが、わりと年配の世代が多い。字幕スーパーのせいでしょう。登場するロボットは、昔懐かしい「鉄人28号」のようだったり「マグマ大使」のようだったりもする。登場する権力者は日本人風であり、いずれにしろなにかしら日本がからんでいて、日本の影響を受けている。
 崖から転落したマックスを救ってくれたごみとして捨てられていたロボットが「ATOM」で、「鉄腕アトム」を思い出させる。マックスにとってATOMは唯一この世で信じることができる友だちになってゆく。マックスと父親のチャーリー、チャーリーと彼の愛人のベイリーは口論ばかりです。そのほかにもだれもがチャーリーをアホ!と責めます。チャーリーは有名になったATOMを2000万円ぐらいで売ろうとします。アホ!です。11才の息子マックスは「売り物じゃない!」という趣旨で、「24時間話し合おう。それでも売らない!金じゃない!」と激しく父親を叱責します。がんこさがいい。マックス自身が里親に金で売られたことが下地にあるので、胸にぐっときました。
 音楽、自然の風景があります。人工物でできあがった世界の中を表現したものではありません。好感をもちました。マックスがATOMに話しかけます。ATOM、きみは何を考えているのか。ATOMはマックスに感謝している。泥に埋もれていた自分を掘り起こしてくれた。命を再生してくれた。
 心とか気持ちに響くいい映画でした。双頭ロボット「ゼウス」との戦いは壮絶でした。耐えて、耐えて、耐え抜いて、一線を超えたときに一気(いっき)にやり返すという手法は、忍耐強い性格をもった人間の魂(たましい)を表現しています。強気をくじき弱気を助ける精神でいくつかの小話も織り込まれており感情の動きは日本人的です。日米合作映画のような面持ち(おももち、感情のあらわれ)があります。父親チャーリーの人格矯正には時間がかかりました。マックスはよくがんばった。  

2017年06月08日

チキン 2017課題図書

チキン いとうみく 文研出版 2017課題図書

 英語でチキンは、にわとり以外の意味として、「弱虫」とか「臆病者(おくびょうもの)」があります。この本での「チキン」は、弱虫、臆病者のほうを指します。
3歳時に砂場で、相手にかけようとした砂が風で自分にかかってしまったとか、5歳時に、すべってころんで、頭を切って血が出たとかが、草食系男子になった理由として挙げられています。
 主人公の日色拓(ひいろ・たく)小学校6年生は臆病者です。できるだけ、周囲の人との関係をもたず、めんどうなことに巻き込まれないように生活しています。
その生活を壊すのが、転入生の真中凜(まなか・りん)女子です。正しいことを正しいと主張して周囲との波風を立てます。
 日色拓の隣家で暮らす真中凜です。彼女のおばあさんが、日色拓の仲良し、将棋の相手です。真中は事情があって、父・弟と別居しています。
 
 複数の人間がからみあう心情を詳しくていねいに描いた作品でした。人間、表面と考えていることが反対ということを表現してありました。
 まだ、小学校6年生たちですが、とくに、女子の心理は複雑です。同調したり、無視したりして、自分の気持ちのポジションを保とうとしますが、ときに、破たんします。
 祖父母と暮らしたことがない若者も増えています。どう、接したらいいのかわからない。祖父母世代だけではなく、人とどう接したらいいのかわからない。

 真中凜を日色拓の好きな将棋の駒の「香車(きょうしゃ)」にたとえてあります。香車は、まっすぐ前にしか進めません。進むコマ数は、自分で決められます。真中の性格は香車そのものです。左右に変化できないのです。だから、真正面から人とぶつかります。正しいことを貫く。それは、苦痛を伴うことです。真中は、見た目ほどしっかり立ってはいません。深く悩んでいます。

「言いたいことがあるなら言ってくれ」とか、「言ってもらわないとわからない」というところあたりが、この物語のメッセージです。
人は皆違う。衝突して、妥協点を見つけて協調する。
腐れ縁というものがあります。お互いに対立していても、長い人生、ときにはくっつき、ときには離れとしていても、老後まで付き合いが生き続けます。
自分とぴったり合う人がいるとは思えません。対立しても再び同調できる相手が親友だったり、配偶者であったりします。

 良かったシーンなどです。「梅干し入りの熱いお茶を飲む」、「空気読めないじゃなくて、空気は読まない(読む気はない)」、「話すと楽になれる」

 ちょっとしたこととして、「日色」は「ヒーロー」と重なる。

 ふろしきのバッグとか、将棋とか、おばあちゃんの知恵的項目が入れられています。

 日色拓のおかあさんが起きてきたときに「まだ、8時半だよ」と拓が言ったのにはびっくりしました。いくら平日働いていて疲れていても、ふつうは、もっと早く起きます。

 まだ、みんな小学生です。
 思春期を経て、人は変わります。  

Posted by 熊太郎 at 19:26Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年06月06日

フラダン 古内一絵 2017課題図書

フラダン 古内一絵 小峰書店 2017課題図書

 今回は、自分にとっては、珍しく、全部読み終えてから、読書感想文を書きます。
 今、本のカバーの絵をながめています。
 6人の人物の顔が描かれています。
 下段左端は、福島県立阿田工業高校1年生夏目食堂の息子夏目大河でしょう。大柄なおっさん風です。
 下段中心は、澤田詩織2年生、フラ(ダンス)同好会5代目会長です。愛称シオリン。
 下段右端は、たぶん色が白いことから1年生モヤシ男薄葉健一(うすば・けんいち 父親が電力会社社員)でしょう。だけど、いい男なので、主人公2年生の辻本譲(つじもと・ゆたか)か、シンガポール帰りの2年生柚月宙彦(ゆづき・おきひこ)かもしれません。
 絵の上段左端が、2年生林マヤ(今どき古い表現で彼女を表してあります。普段は瓶底メガネをかけているとのこと)
 上段中心が、 主人公の辻本穣。その右側が、柚月宙彦(ゆづき・おきひこ ウェーブのかかった髪というところから)というわたしなりの予想です。
 彼らの笑顔の向こうには、悲しい過去の出来事が隠れていたりもします。

 さて、舞台は、東日本大震災の被災地福島県です。
 フラダンスは、たしか、福島県内にハワイアンセンターなる観光地があったと思います。

 モチーフ(素材)は、被災地の住民の気持ちです。
 被災者差別や、マスコミの宣伝収入目的の被災者利用があります。
 反対側の人間として、崩壊した原子力発電所を保有する電力会社で働く社員や家族の苦悩があります。

 少し強引に被災地事情をからませながらの高校生青春時代を描写した作品でした。
 読みながら、ときには、ここまで突っ込まなくともという部分もありました。高校生たちのフラダンス慰問を被災地の人たちが拒否したり、人間の命よりも、ペットの犬の命のほうが上かという表現だったりの部分です。あと、〇〇電力社員(及び家族)への攻撃だったりもします。
 それでも、出てくる人たちは、善人です。
 チームの輪を乱した浅井由奈グループも悪人たちではありません。

 年配者がもつ「若さ」へのあこがれがあります。
 食べ物のこともたくさん書いてありました。「パクチー:東南アジアの野菜」

 苦言です。
 登場人物の氏名が読みにくいです。辻本穣(ゆずる)、柚月宙彦(ゆづき・おきひこ)、その兄宇彦(いえひこ)、薄葉健一(うすば)、安瀬基子(あんぜ・もとこ)。下の名前がなくて男女の区別がつきにくかった「松下」とか「田中」。生徒、教師の区別がつきにくく、読みながら疲れました。現実社会にいる同姓同名の人を避けるためでしょうが、あまりに読み方が現実離れしていました。

 意味です。「澱になる:おりになる。液体の底に沈んだカス」、「ジョン・ウィリアムズのサントラ;アメリカ、映画音楽の作曲家。サウンドトラックは映画のフィルム上における音声が記録されている部分」、「あざとい:やりかたがあくどい」

 「アーヌエヌエ・オハナ:ハワイ語で虹のファミリー。血縁関係のない疑似家族」。作者はここにこだわりをもっています。

 「言ってもらわなければわからない」とか、「言わなきゃわからない」というところが、感動につながっています。

 親がいる幸せ。親がいない不幸せ。親がいても不幸せ。いろんな親子関係があります。

 ところどころのユーモアに導く手法が良かった。

 絵空事。それを「理想」という。されど、目指す目標ではある。

 良かった文節として、「ちゃんと悲しむ」、「お帰り」

 漢字を読めませんでした。福島県立勿来工業高校(なこそ工業高校)」  

Posted by 熊太郎 at 18:15Comments(0)TrackBack(0)読書感想文