2009年01月31日

愛知県知多半島 野間大坊(のまたいぼう)

愛知県知多半島 野間大坊(のまたいぼう)

年末に「信長の棺(ひつぎ)」を読んだ後、愛知県知多郡美浜町(みはまちょう)にある野間大坊(のまたいぼう)を訪れました。写真は、織田信長の3男、織田信孝の墓になります。その小説の内容に、信孝の記述が少しあったと思います。織田信長が本能寺の変で討たれた後に秀吉との戦に破れ、彼はこの地で自害しています。





次の写真は、源頼朝の父、源義朝のお墓です。









木の板は、木太刀を意味します。お参りに来られた方たちの願い事が書かれています。源頼朝の父、源義朝は、京都での平治の乱に敗れてこの地に逃げ延びたのですが、入浴中、かくまってくれていた一族に裏切られて殺害されました。せめて一本の木太刀があったら殺されずにすんだのにというのが最期の言葉だったそうです。その後、源頼朝は、裏切った者たちをこの地で磔(はりつけ)にして報復しています。
掲示によると2月4日(水)夜10時にNHK番組「そのとき歴史が動いた」で取り上げられるようです。
次の門は、源頼朝が建立(こんりゅう)したものです。













そのほかに、源頼朝が殺害されそうになったとき、平清盛に頼朝を殺さないよう嘆願した池ノ禅尼のお墓もありました。  

Posted by 熊太郎 at 22:21Comments(0)TrackBack(0)愛知県