2009年12月31日

トヨタ博物館マンガとクルマ

トヨタ博物館にて マンガとクルマ







ルパン3世のくるまもありました。






くれよんしんちゃんに登場したくるまです。



ちびまるこちゃんに出てくるくるまです。









ほかにも、名探偵コナンとか、サーキットの狼とか、頭文字Dとかもありました。
自分でハンドルを握って動かしてみたい。

*ことしはこれで終わりです。よいお年を。  

Posted by 熊太郎 at 01:13Comments(0)TrackBack(0)愛知県

2009年10月27日

いまはもう秋

いまはもう秋

トワエモアのそんな歌があったことを思い出した。






  

Posted by 熊太郎 at 20:32Comments(0)TrackBack(0)愛知県

2009年10月26日

空港にて

空港にて




















ひこうきさん、おつかれさま。  

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2009年08月01日

愛知県足助町(あすけ)百年草

愛知県足助町(あすけ)百年草





 先日訪れた足助町を先週再び訪れてみました。わたしは気に入った場所を何度も訪れるリピーター(繰り返す人)です。今週もまた行きたかったのですが、あいにくの悪天候だったのでとりやめました。
写真の建物は「百年草」という複合施設です。百年長生きできますようにというのが趣旨だろうと勝手に自分で命名の理由を解釈しました。宿泊温泉施設、デイサービスセンター、じいじい工房(ソーセージをつくる)、ばーばーなんとか(パンをつくる)というところもありました。レストランで食事をしたあと別棟の建物内で催されていた「山草展」を見学しました。





炭に咲いている植物は珍しかった。




足助町は山の中にあります。




川沿いの道にはきれいな苔がありました。




もみじが晩秋に備えて紅葉する準備をしていました。


  

Posted by 熊太郎 at 20:08Comments(0)TrackBack(0)愛知県

2009年07月20日

愛知県足助町香嵐渓(あすけちょう・こうらんけい)

愛知県足助町香嵐渓(あすけちょう・こうらんけい)

 減税措置と補助金の恩恵をこうむるべく、11年間使用していた自家用車を買い替えました。知っている人が聞いたら笑われるのでしょうが、今時の車は、キーを回すのではなくて、ボタンを押してエンジンをかける。同様に、ドアはズボンのポケットにキーが入っていれば、ドアノブに手を出すだけで開く、逆にドアノブのボタンを押すと閉じる。カーナビは、今まで旅先のレンタカーで稼動させていましたが、使い方がよくわからず、カーナビを無視して、道路標識を見ながら走行していました。それからETCなるものを知りました。
 納車を受けて、記念にどこかへ行こう、どこへ行こうということで、紅葉で有名な愛知県の香嵐渓(こうらんけい)というところへ行って来ました。もうずいぶん前に、バスでスキー旅行に行った帰りに大雪に見舞われ、真っ暗な深夜に駐車場のトイレを借りたことがあるだけです。
 ETCは心配しました。バーが上がらなかったら係員さんを呼ぼう。そう思って行きましたが、何の心配もいりませんでした。





巴川(ともえがわ)にかかる赤い橋です。橋の名称は忘れました。月を待つとかそんな感じの名称です。
こどもたちをつれたたくさんの家族連れのひとたちが水遊びをしていました。50歳のおじさんになったわたしは、涼しげな川面を見るだけで十分です。晩秋には、左側に広がる樹木が紅(くれない)に紅葉するのでしょう。
食いしん坊のわたしは、鮎の塩焼きと、鮎の田楽焼き(味噌味)、鮎のしょうが焼き、鮎の甘露煮、みたらしだんご、五平餅、アイスクリーム、マンゴーサンデーなどを食べておなかいっぱいになりました。





三州足助屋敷という観光施設内です。こどもの頃のなつかしいわらぶき屋根の家、それから水車小屋です。三州と言うのは「三河(みかわ)」地方を指すとあとで知りました。








牛さんもいました。暑そうです。




どれもこれもこどもだった頃のことが思い出されてなつかしい。
先人の道具作りの知恵と自分で造るという技術の高さに感服したのでした。

(その後)
 足助町(あすけちょう)は豊田市になったことを知りました。  

Posted by 熊太郎 at 19:10Comments(0)TrackBack(0)愛知県

2009年01月31日

愛知県知多半島 野間大坊(のまたいぼう)

愛知県知多半島 野間大坊(のまたいぼう)

年末に「信長の棺(ひつぎ)」を読んだ後、愛知県知多郡美浜町(みはまちょう)にある野間大坊(のまたいぼう)を訪れました。写真は、織田信長の3男、織田信孝の墓になります。その小説の内容に、信孝の記述が少しあったと思います。織田信長が本能寺の変で討たれた後に秀吉との戦に破れ、彼はこの地で自害しています。





次の写真は、源頼朝の父、源義朝のお墓です。









木の板は、木太刀を意味します。お参りに来られた方たちの願い事が書かれています。源頼朝の父、源義朝は、京都での平治の乱に敗れてこの地に逃げ延びたのですが、入浴中、かくまってくれていた一族に裏切られて殺害されました。せめて一本の木太刀があったら殺されずにすんだのにというのが最期の言葉だったそうです。その後、源頼朝は、裏切った者たちをこの地で磔(はりつけ)にして報復しています。
掲示によると2月4日(水)夜10時にNHK番組「そのとき歴史が動いた」で取り上げられるようです。
次の門は、源頼朝が建立(こんりゅう)したものです。













そのほかに、源頼朝が殺害されそうになったとき、平清盛に頼朝を殺さないよう嘆願した池ノ禅尼のお墓もありました。  

Posted by 熊太郎 at 22:21Comments(0)TrackBack(0)愛知県