2023年10月30日
つきのぼうや イブ・スパング・オルセン
つきのぼうや イブ・スパング・オルセン やまのうち・きよこ訳 福音館書店
読み終えました。まず、絵本のサイズが変わっています。縦が、34cmで、横が、12.7cm。細長い本です。この細長さを利用して、空の月から下にある地面、そして、海底までを絵で表現してあります。1975年(昭和50年)初版の絵本です。
さて、もう一回、読みましょう。
絵の天上にある黄色いお月さまです。顔があります。おじさんの顔です。
おじさんの月の顔が、地球上にある地面のみずたまりに反射して映っています。顔は、ピースマークのようです。
おじさん月の子分のような少年が登場します。『つきのぼうや』です。
おじさん月『ちょいと ひとっぱしり したへ おりてって、あの つきをつれてきてくれないか。ともだちに なりたいのだ』(あのつきとは、地面のみずたまりに映っているおじさんの顔です)
なかなか書けない文章です。
(つきのぼうやが)『とちゅうで うっかり ほしを けとばすと ほしは ながれぼしに なりました』
へぇーー つきのぼうやが持っているカゴが三日月の形をしています。
発想がいい。
つきのぼうやは、時間をかけながら、宇宙から、地球の地上へと降りていきます。
降りながらいろいろな生き物たちと出会います。
展開がおもしろい。
繰り広げられる出来事に動きがあります。
ふーん。なかなかいい。高いところから低いところへの移動です。
風が吹いています。動きがあります。
凧(たこ)が揚がっている(あがっている)空です。
高いところから低いところへ、縦長絵本の形が十分に活用されています。効果的です。
ハロウィンみたいな(カボチャの顔をした)風船が浮かんでいます。
なかなかいい。親戚に絵本が好きな5歳の女の子がいるので、こんど会った時にプレゼントしよう。
なかなか地面に到着しない『つきのぼうや』です。
地面を通り越して、『みずのなかへ とびこみました。』(水の中では、いろんな魚たちが、つきのぼうやに寄ってきます)
つきのぼうやは、つきを手に入れました。(それは、手鏡です)
つきのぼうやは、手鏡をカゴに入れて、今度は、空に昇っていきます。
宇宙にいるつきのおじさんは、つきのぼうやが地上から持ってきてくれた手鏡に自分の顔を映して、鏡に映った自分をともだちだと思っています。
幸せは遠くにあるのではなく、手元にあるのです。児童文学『青い鳥』を思い出しました。
最後のページの絵がなかなかいい。
つきのおじさんの顔、そして、地球の地上にいる人たちの月に照らされた影がいい感じをかもしだしています。
読み終えました。まず、絵本のサイズが変わっています。縦が、34cmで、横が、12.7cm。細長い本です。この細長さを利用して、空の月から下にある地面、そして、海底までを絵で表現してあります。1975年(昭和50年)初版の絵本です。
さて、もう一回、読みましょう。
絵の天上にある黄色いお月さまです。顔があります。おじさんの顔です。
おじさんの月の顔が、地球上にある地面のみずたまりに反射して映っています。顔は、ピースマークのようです。
おじさん月の子分のような少年が登場します。『つきのぼうや』です。
おじさん月『ちょいと ひとっぱしり したへ おりてって、あの つきをつれてきてくれないか。ともだちに なりたいのだ』(あのつきとは、地面のみずたまりに映っているおじさんの顔です)
なかなか書けない文章です。
(つきのぼうやが)『とちゅうで うっかり ほしを けとばすと ほしは ながれぼしに なりました』
へぇーー つきのぼうやが持っているカゴが三日月の形をしています。
発想がいい。
つきのぼうやは、時間をかけながら、宇宙から、地球の地上へと降りていきます。
降りながらいろいろな生き物たちと出会います。
展開がおもしろい。
繰り広げられる出来事に動きがあります。
ふーん。なかなかいい。高いところから低いところへの移動です。
風が吹いています。動きがあります。
凧(たこ)が揚がっている(あがっている)空です。
高いところから低いところへ、縦長絵本の形が十分に活用されています。効果的です。
ハロウィンみたいな(カボチャの顔をした)風船が浮かんでいます。
なかなかいい。親戚に絵本が好きな5歳の女の子がいるので、こんど会った時にプレゼントしよう。
なかなか地面に到着しない『つきのぼうや』です。
地面を通り越して、『みずのなかへ とびこみました。』(水の中では、いろんな魚たちが、つきのぼうやに寄ってきます)
つきのぼうやは、つきを手に入れました。(それは、手鏡です)
つきのぼうやは、手鏡をカゴに入れて、今度は、空に昇っていきます。
宇宙にいるつきのおじさんは、つきのぼうやが地上から持ってきてくれた手鏡に自分の顔を映して、鏡に映った自分をともだちだと思っています。
幸せは遠くにあるのではなく、手元にあるのです。児童文学『青い鳥』を思い出しました。
最後のページの絵がなかなかいい。
つきのおじさんの顔、そして、地球の地上にいる人たちの月に照らされた影がいい感じをかもしだしています。
2023年10月27日
敗北からの芸人論 平成ノブシコブシ 徳井健太
敗北からの芸人論 平成ノブシコブシ 徳井健太 新潮社
著者は、こどものころ、母親が統合失調症で、母親のめんどうをみるヤングケアラーをしていたという記事をどこかで読みました。
この本は、そんなご本人の自伝だろうと思って買いました。違っていました。(でも53ページには、ご本人のさきほどの件に関するコメントがあります)
以前東野幸治さんの『この素晴らしき世界 東野幸治 新潮文庫』を読みました。令和2年(2020年)の単行本を令和4年(2022年)に文庫化してありました。週刊新潮に連載された記事のまとめです。徳井健太さんは、その東野幸治さんの週刊誌でのコラム欄筆記の担当を引き継がれたと、この本の冒頭付近で書いておられます。
平成ノブシコブシの吉村崇さん(よしむらたかしさん)は、東野幸治&岡村隆史の旅番組『旅猿』でお見かけしました。『長崎県で何も決めない旅』のときに吉村崇さんの言葉が記憶に残っています。
到着した翌日の朝食は長崎県の職員さんに勧められた食堂で食べました。三人は、朝食に貝汁定食を堪能されました。(たんのう:十分に楽しみ満足した)それは、おでんで、厚揚げ、牛すじもありました。貝汁は映像を観る限り、一般の家庭でつくる形態のもので、九州地方にあっては、ふだんの生活で食べる食べ物に見えました。
吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』おいしい食べ物を食べて、美しい景色に包まれて暮らしを送る。
働いて、ある程度お金が貯まったら地方で暮らすのも人生を楽しむ手法です。三人は『100点の朝』と満足されました。
徳井健太さんは、以前、ケーブルテレビで放映されるマージャンの番組でよくお見かけしました。また、太川陽介さんとのバス旅番組でも見た記憶があります。路線バスで鬼ごっこ群馬県編だったと思います。最後に太川チームがタクシーで大逆転をした痛快な回でした。
この本は、お笑いの人の人物伝です。
文字を拾いながら感想を付記していきます。
『東野幸治』
別名を『ホワイトデビル』というそうです。知りませんでした。
『吉村崇』
お笑いコンビは、『兄弟』のようなものと表現してあります。けして、仲良しとは限らない。仲が悪くても離れられない関係だそうです。
平成ノブシコブシとして、信頼関係があるコンビの意識をもてるまでに15年がかかっています。
吉村崇さんの徳井健太さんに対する生々しい言葉のナイフがあります。
『あーあ、俺が二人いたら良かったのにな』
さらに、
『お前の大喜利を面白いと思っている奴なんて、一人もいねーからな』
殺してやりたいと思ったそうです。(気持はわかります。でも、殺しちゃダメです)
テレビ画面の映像などではわからなかった現場のようすが表現してあります。
文章書きについて考えました。
文章を書くことはとてもむずかしい。
徳井健太さんが、こちらの文章を書いて、おそらく編集者の手が入っているのでしょうが、徳井健太さんの文章を書く能力は高い。凄み(すごみ。迫力)があります。本音を出して書いてある文章です。
『千鳥』
この本は、お笑い芸人のテキスト本です。分析してあります。研究書です。
ノブさんがけっこう苦労されています。大吾さんはだれからも愛される個性なのでだいじょうぶなのです。
『小籔千豊(こやぶかずとよ)』
この方も番組『旅猿』で京都・大阪を巡っておられました。
そのときの旅のテーマです。
①クレープを焼きたい。
②『フォートナイト』を旅猿のふたりに体験してほしい(わたしには何のことかわかりませんでした。調べたら暴力を素材にしたオンラインゲームでした)
③大阪に行きたい。NGK(なんばグランド花月)に行きたい。新喜劇座長を勇退する川畑泰史さんにお疲れさまでしたのあいさつをしたい。
④京都の一流料亭の味を楽しむ。(番組取材申し込みを断られないだろうとの読みがあります)
この本では神社でのおさいせんの意味から始まっています。小籔さんは、おさいせんは、神社の維持費にあてられるから支払うべきだという理屈があって払っているそうです。
寿司は、基本的に(寿司職人に)おまかせで注文する。寿司職人に、あれこれ個別に注文することは失礼だ。
旅猿の番組も含めてですが、小籔さんは、むずかしい部分もある人だと感じます。
『渡辺直美』
この部分を読み終えて軽いショックがありました。
渡辺直美さんは、母親が台湾人で、渡辺直美さんが小さいときに母親は日本人父と離婚した。渡辺直美さんは台湾で生まれて、その後日本に来た。母子で極貧生活を味わった。渡辺直美さんは、母親が台湾の言葉で話すので、日本語を話せなかった。渡辺直美さんは、中卒アルバイトで芸人を目指した。渡辺直美さんにとって日本語は、日常生活で話す言葉ではないようです。
徳井健太さんは、芸人には絶望を体験した人がままいると前置きしたあとで、自分の母親は精神病で自殺したというようなことをこの本で書いています。
(この部分を読んでいて思い出した言葉があります。もう35年以上前のこと、わたしが30代だったときに、年配の男性と話をして今も記憶に残っている男性の言葉があります。もう彼はこの世にはいない年齢です。年配の男性がこう言いました。『精神病の親とは(母親)、きっぱりと縁を切ることが、こどもの幸せにつながる』厳しいお言葉だと感じました。そのときは、情が(じょうが)ないと反発する気持ちが自分にはありました。小さなこどもは、そんな親でも慕うのです。
歳をとった今はそうは思いません。精神を病んだ親の言動は異常です。場合によっては親子心中(しんじゅう。こどもが親に殺されて、親は自殺する)の危険もあります。
そこまでいかなくても、こどもの心が壊れます。徳井健太さんも犯罪者といわれてもしかたがないくらい自分は荒れていたと記述されています)
別の記事で、小学生の時に壮絶ないじめにあっていた人が、今は有名なお笑い芸人になっているという文章を読んだことがあります。人間は、絶望を体験すると、『死』を思い、なんとかして、苦痛を超越(ちょうえつ)すると『笑い』が生まれます。
どうしようもない状況に置かれると、もう笑うしかないと思うことがままあります。
渡辺直美さんは、日本語が十分にできないまま、お芝居のセリフを丸暗記するやりかたで自分の演技を演じきった。劇は、又吉直樹脚本作品『咆号(ほうごう)』:法名、戒名のこと。世界の終末がテーマの話だった。
渡辺直美さんは、負けず嫌いだそうです。
(東京オリンピックのときに、太った女性である渡辺直美さんのダンス姿が、ブタにたとえてあって、女性差別、女性蔑視(べっし。見くだし)にあたると指摘された演出があったのですが、渡辺直美さん自身は、「なんとも思っていません」というコメントだった記憶です)そのわけが、この本のこの部分を読んで理解できました。彼女はお笑いを求めるハングリー(貪欲(どんよく))なアーチスト(芸術家)です。グレート(偉大)です。
まだページはたくさん残っていますが、今年読んで良かった一冊です。
一項目ずつ、噛みしめながら読む文章です。
『コウテイ』
わたしは知らない人たちです。
著者の徳井健太さんも会ったことはないそうです。
下田くん164cm、九条くん184cmです。
今年1月に解散されています。この本は、2022年の発行ですから、原稿執筆時はコンビとして存在していたのでしょう。
ふたりの身長差があるので、高低→コウテイだそうです。(ネット情報として。後付け理由として、自分たちが売れるという肯定、お笑い界の皇帝)
下田くん(「しもた」と読むそうです)と霜降り明星の粗品くん(はじめて聞いたとき、人の名前とは思えませんでした)は絆(きずな)がとても強いというようなことが書いてあります。
昭和時代の本格派漫才とあります。
『加藤浩次』
この方については、語録が紹介されています。
『比較論じゃ、人は幸せになれないんだよ』(ごもっともです)
著者の徳井健太さんの文章に関して言えば、独特な表現があります。『傾いてなんぼ(かぶいてなんぼ)』勝手なふるまい。奇妙な身なりという意味らしい。マンガ本から文章づくりを学ばれているのだろうか。
文章に登場してくる人物各自が個性的です。
芸人が、場によってキャラ(個性)を変えることについて。加藤浩次さんの言葉として『全部自分だろ』(ずばんと真相を突いています)
熊太郎じいさんは働いていた時、仕事中心の生活で、現役最後の20年間ぐらいはテレビをほとんど見る時間がありませんでした。加藤浩次さんをテレビで観たのは、岡村隆史さんたちとの番組『めちゃイケ』で、暴走族の姿で、数台のバイクにまたがって円陣をつくって回って、ブンブンブブブといっていたのをまだちいさなこどもたちと観ていた記憶が残っています。まさか、あの人が朝の番組の司会をやれるとは思えませんでした。
加藤浩次さんの言葉『4勝6敗を目指しているんだけど、どうしても3勝7敗になっちゃうんだよなー』(実は全勝しているともいえる)
『ナンバーワンを目指したことない奴が、オンリーワンになれるわけないだろ』(ごもっともです)
『EXIT』
りんたろー(介護の仕事をしている)と兼近大樹(かねちか・だいき。金髪。ベビーシッターのアルバイトをしているそうです)
高齢者相手の仕事は未来に明るさがない。子ども相手の仕事は未来に明るいものがある。
こどもを虐待する親は、いつの時代でも一定数いる。こどもがかわいそうだが、こどもを愛せない親自身も悩んでいる。そんな話が出ています。(こどもを愛せない性質をもった人は親にはならないほうがいい)
日本文学で、名作がありました。映画にもなっています。『きみはいい子 中脇初枝 ポプラ社』 「いい子」というのは、こどものことではなくて、自分のこどもを虐待する母親のことを表わしています。どうしてもがまんができなくてこどもに暴力をふるう親の姿がありました。こどもの育て方がわからない親です。
誰かや組織を攻撃するのが、「日本社会」と読めます。原因をつくっているのはテレビとSNSとも解釈できます。
『ミスの少ない人間を求めているのが日本』とあります。
書かれている文章は、心の叫びです。
『霜降り明星』
粗品(そしな):背が高い。独特のツッコミをする。細い体。ギャンブル狂
せいや:背が低い。小柄でぽっちゃりしている。
せいやさんが、折り紙ができないことが書いてあります。こどもがつくる簡単な飛行機も折れない。それは、『障害』があるからではないか。いや、『個性』だとなります。
人から愛されて育ってきた人は、人を愛することができる。そうでない人は、人を愛せないとあります。一理あります。(いちりあります。ひとつの道理があります)
芸人同士は、仲がいいわけでもないと話があります。そして仲が悪いわけでもない。
テレビに映っているときは、わきあいあいとしているけれど、カメラが回っていないときはそうでもない。お互いに強い干渉はしあわないそうです。
あわせて、テレビ局内の仕事は制限が多くて、もうけが少ない。ユーチューブで活動した方が、他者からの制限もなく、自分のやりたいことがやれるし儲かるというようなことも書いてあります。
地上波のテレビ番組というのは、動画配信サービスに居場所を奪われて、だんだん衰退していくのでしょう。テレビ番組としては、自然災害とか事件を報道するためのリアルタイムを伝えるニュースや天気予報関係が残るような気がします。
『ハライチ』
岩井勇気さんと澤部佑さんです。岩井さんの本は読んだことがあります。『僕の人生には事件が起きない 岩井勇気 新潮社』
岩井勇気さんについては、テレビ番組「鶴瓶の巷の噺(つるべのちまたのはなし)」でゲストに出た時の澤部佑さんの婚姻届け届け出話で爆笑しました。
岩井勇気さんが、突然澤部佑さんに役所に来るように呼び出されて行ったら、澤部佑さんとこれから奥さんになるという女性が役所にいて、ふたりが出す婚姻届の証人欄に署名を求められたというような経過話でした。
それまで、岩井勇気さんは、澤部佑さんに付き合っている女性がいるということを知らず、澤部佑さんをこれまで、女性体験がまったくない男だと信じ込んでいたそうです。
奥さんになる女性は、そのとき妊娠されていました。
ふたりの見た目と中身は印象とは反対です。そんなことがこちらの徳井健太さんの本には書いてあります。澤部佑さんはけっこうむずかしい面があります。
徳井健太さんも岩井勇気さんもコンビの『じゃないほうの芸人』としての立ち位置で、共通の不満があったので仲良しだそうです。相方の澤部佑さんや吉村崇さんのほうが売れていた。
甲本ヒロト:ミュージシャン。言葉として、『今の世の中は、正解を求めすぎる』
コロナ禍でのことがいろいろ書いてあります。
当時、あの行き過ぎたような制限はなんだったのだろうかとか、みんなにあれもこれもやるなと指示しておいて、無理やりに開催したオリンピックはなんだったのだろうかという思いが、わたしには残っています。オリンピックについては、あげくの果てに、贈収賄の汚職事件発生です。
そのころ、自分たち夫婦は、高齢の親族をふたり亡くして、入院見舞いとか、介護とか、二か月連続のお葬式をしたりして、生活行動に制限があるなかで、大変だったという思い出があります。
ブラックマネーも含めて、お金もうけ目当てのオリンピックなんか、もうやらなくてもいいと、政治や行政に対してうらめしく思っています。
本に書かれている文章は、つくり手側のテレビ局職員の話などについて書いてあります。
なんというか、『仕事』です。働く人間は、生きていくために、なんとしても、生活費を稼がねばなりません。
『ニューヨーク』
M1グランプリの番組で観たことがありますが、自分はあまり存じ上げません。
記述には、ケンコバさんが出てきます。
(つづく)
ページが進むにつれて、内容が薄くなってきている気がします。ネタがなくなってきたのだろうか。
最初の頃にあった凄み(すごみ)が消えかかっています。(ぞっとするほどの強い衝撃)。文章が平面的な説明になりました。
M1グランプリについて書いてあります。『10年やってだめだったら諦めた(あきらめた)ほうがいい』という島田紳助さんの言葉が紹介されています。まあ、相撲でも将棋でも囲碁でもそうでしょう。勝負の世界の頂点付近でやっていこうとしたら努力だけでは無理です。ずばぬけた才能がいります。1億2300万人の中のひとりという才能です。ただ、一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。周囲にいる人間の補佐(サポート)が必要です。
『シソンヌ』
コンビの名前は聞いたことはありますが、よくは存じ上げません。
マージャンの話が出ます。わたしもマージャン愛好家なので興味はあります。じろうさんという方のマージャンを打つ姿勢(心持ち)がとてもいいそうです。マナーがいいそうです。勝っていばらず、負けてくさらずです。見習いたい。マージャンは、脳みそを働かせる楽しいゲームです。打ち手の人柄が出ます。負けるときは、潔く(いさぎよく)負けて、やられましたーーと、笑顔でいられる人でいたい。
下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』のことが出てきました。今年の夏、観劇に行きました。記述に親しみを感じます。
博多大丸さんの言葉があります。『売れるか売れないかはわからないけれど、売れるまでは死ぬほどの努力を続けなきゃ売れるなんてことは絶対にあり得ない』(ごもっともです)
『5GAP』
わたしの知らないお笑いコンビ名です。クボケンとトモのコンビだそうです。
『売れる』って何だろうと考えさせられます。
以前、テレビで芸人さんが、とても売れている芸人さんのことを語っていました。仕事や仕事がらみの付き合いをしているときは、売れている本人は、にぎやかな雰囲気の中にいるけれど、家に帰れば、家族がだれもおらず、ひとりぼっちの生活をしている。そんな有名芸人を見て、『売れるってなんだろう』とふと思うことがあるそうです。
記述に、志村けんさんのお名前が出てきました。志村けんさんも天国の人になられてしまいました。
『笑っていいとも』を始めとして、昔の番組の話が出ます。昔はめちゃくちゃだった。本番中にタバコを吸う人がいた。(まあ、どこでも喫煙可能な世の中でした。電車の中、電車のホームでも喫煙は許されていました。パワハラ、セクハラなど、不合理・不条理・理不尽がどこの組織でもあからさまに横行していました。ゆえに問題視されなかったということはあります。なんだか変だけれど、みんながいっしょの行為をしていたのです。権力者はやりたいほうだいでしたが、したたかに権力者に圧力をかけて利を得る人もいました。昔の人は、人間力が強かった)
テレビが言っていることをぜんぶ信じちゃいけないというメッセージがあります。テレビの映像はつくりものです。情報が加工されて出てきます。意図があって、放映されています。そういうことでしょう。
赤塚不二夫さんとタモリさんの関係が書いてあります。
『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』はいい本でした。戦時中のことの記述は壮絶です。平和な現在をのんきに過ごしている今の日本人にとっては、記述内容は身が引き締まる思いがします。生きるか死ぬか、殺されるか、殺すかの世界です。法令は命を守ってくれないこともあります。
『スリムクラブ』
沖縄の人たちです。戦地となった沖縄です。戦争のことが書いてあります。
『なんくるないさ』 戦争で、殺し合いがあった。絶望と怒りがある。生きることへの喜びがある。内間さんのお母さんは内間さんに『生きていればそれでいい……』と語っています。
内間さんは、スピリチュアルにははまらないほうがいい。もっと自信をもって、強い気持ちで前向きにやっていってほしい。
『ジャルジャル』『ダイアン』『ジャングルポケット』『かまいたち』『オズワルド』
200ページ前後から、批評の質が落ちてきたように感じます。前半にあった尖った(とがった)記述が姿を消して、平凡な説明に近づいています。
過去にこういうことがあったという思い出のトーク(語り)です。
なんだろう。どこでもそうですが、箱の中の世界です。限られた空間の中の話です。書いてあることは、たとえば、興味のない人から見れば、「そうですか」という反応の薄い内容です。
後半部は、M1とかキングオブコントとか、選抜大会のことを軸にして、芸人にエール(応援)を送っている本です。
『おわりに』
この部分で、著者の尖った(とがった)部分が復活します。
『30歳になったら死ぬ』と書いた高校の卒業文集を、北海道の地元から上京する前に焼き捨てたそうです。
芸人の世界の厳しさが書いてあります。
『売れる』ということは、必ず誰かの屍(しかばね)の上に存在する。(優勝者の笑顔の影には、たくさんの敗者の泣き顔があるのです。企業なら、幹部ポストにいる人間は、たくさんの競争相手を振り落としてきたのです)
こちらの本には、『大好きな先輩やめてった。才能ある後輩やめてった。仲が良かった同期もやめてった』とあります。
締め(しめ)は、現実の自分の立ち位置を知り、謙虚になるというメッセージで終わっています。
著者は、こどものころ、母親が統合失調症で、母親のめんどうをみるヤングケアラーをしていたという記事をどこかで読みました。
この本は、そんなご本人の自伝だろうと思って買いました。違っていました。(でも53ページには、ご本人のさきほどの件に関するコメントがあります)
以前東野幸治さんの『この素晴らしき世界 東野幸治 新潮文庫』を読みました。令和2年(2020年)の単行本を令和4年(2022年)に文庫化してありました。週刊新潮に連載された記事のまとめです。徳井健太さんは、その東野幸治さんの週刊誌でのコラム欄筆記の担当を引き継がれたと、この本の冒頭付近で書いておられます。
平成ノブシコブシの吉村崇さん(よしむらたかしさん)は、東野幸治&岡村隆史の旅番組『旅猿』でお見かけしました。『長崎県で何も決めない旅』のときに吉村崇さんの言葉が記憶に残っています。
到着した翌日の朝食は長崎県の職員さんに勧められた食堂で食べました。三人は、朝食に貝汁定食を堪能されました。(たんのう:十分に楽しみ満足した)それは、おでんで、厚揚げ、牛すじもありました。貝汁は映像を観る限り、一般の家庭でつくる形態のもので、九州地方にあっては、ふだんの生活で食べる食べ物に見えました。
吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』おいしい食べ物を食べて、美しい景色に包まれて暮らしを送る。
働いて、ある程度お金が貯まったら地方で暮らすのも人生を楽しむ手法です。三人は『100点の朝』と満足されました。
徳井健太さんは、以前、ケーブルテレビで放映されるマージャンの番組でよくお見かけしました。また、太川陽介さんとのバス旅番組でも見た記憶があります。路線バスで鬼ごっこ群馬県編だったと思います。最後に太川チームがタクシーで大逆転をした痛快な回でした。
この本は、お笑いの人の人物伝です。
文字を拾いながら感想を付記していきます。
『東野幸治』
別名を『ホワイトデビル』というそうです。知りませんでした。
『吉村崇』
お笑いコンビは、『兄弟』のようなものと表現してあります。けして、仲良しとは限らない。仲が悪くても離れられない関係だそうです。
平成ノブシコブシとして、信頼関係があるコンビの意識をもてるまでに15年がかかっています。
吉村崇さんの徳井健太さんに対する生々しい言葉のナイフがあります。
『あーあ、俺が二人いたら良かったのにな』
さらに、
『お前の大喜利を面白いと思っている奴なんて、一人もいねーからな』
殺してやりたいと思ったそうです。(気持はわかります。でも、殺しちゃダメです)
テレビ画面の映像などではわからなかった現場のようすが表現してあります。
文章書きについて考えました。
文章を書くことはとてもむずかしい。
徳井健太さんが、こちらの文章を書いて、おそらく編集者の手が入っているのでしょうが、徳井健太さんの文章を書く能力は高い。凄み(すごみ。迫力)があります。本音を出して書いてある文章です。
『千鳥』
この本は、お笑い芸人のテキスト本です。分析してあります。研究書です。
ノブさんがけっこう苦労されています。大吾さんはだれからも愛される個性なのでだいじょうぶなのです。
『小籔千豊(こやぶかずとよ)』
この方も番組『旅猿』で京都・大阪を巡っておられました。
そのときの旅のテーマです。
①クレープを焼きたい。
②『フォートナイト』を旅猿のふたりに体験してほしい(わたしには何のことかわかりませんでした。調べたら暴力を素材にしたオンラインゲームでした)
③大阪に行きたい。NGK(なんばグランド花月)に行きたい。新喜劇座長を勇退する川畑泰史さんにお疲れさまでしたのあいさつをしたい。
④京都の一流料亭の味を楽しむ。(番組取材申し込みを断られないだろうとの読みがあります)
この本では神社でのおさいせんの意味から始まっています。小籔さんは、おさいせんは、神社の維持費にあてられるから支払うべきだという理屈があって払っているそうです。
寿司は、基本的に(寿司職人に)おまかせで注文する。寿司職人に、あれこれ個別に注文することは失礼だ。
旅猿の番組も含めてですが、小籔さんは、むずかしい部分もある人だと感じます。
『渡辺直美』
この部分を読み終えて軽いショックがありました。
渡辺直美さんは、母親が台湾人で、渡辺直美さんが小さいときに母親は日本人父と離婚した。渡辺直美さんは台湾で生まれて、その後日本に来た。母子で極貧生活を味わった。渡辺直美さんは、母親が台湾の言葉で話すので、日本語を話せなかった。渡辺直美さんは、中卒アルバイトで芸人を目指した。渡辺直美さんにとって日本語は、日常生活で話す言葉ではないようです。
徳井健太さんは、芸人には絶望を体験した人がままいると前置きしたあとで、自分の母親は精神病で自殺したというようなことをこの本で書いています。
(この部分を読んでいて思い出した言葉があります。もう35年以上前のこと、わたしが30代だったときに、年配の男性と話をして今も記憶に残っている男性の言葉があります。もう彼はこの世にはいない年齢です。年配の男性がこう言いました。『精神病の親とは(母親)、きっぱりと縁を切ることが、こどもの幸せにつながる』厳しいお言葉だと感じました。そのときは、情が(じょうが)ないと反発する気持ちが自分にはありました。小さなこどもは、そんな親でも慕うのです。
歳をとった今はそうは思いません。精神を病んだ親の言動は異常です。場合によっては親子心中(しんじゅう。こどもが親に殺されて、親は自殺する)の危険もあります。
そこまでいかなくても、こどもの心が壊れます。徳井健太さんも犯罪者といわれてもしかたがないくらい自分は荒れていたと記述されています)
別の記事で、小学生の時に壮絶ないじめにあっていた人が、今は有名なお笑い芸人になっているという文章を読んだことがあります。人間は、絶望を体験すると、『死』を思い、なんとかして、苦痛を超越(ちょうえつ)すると『笑い』が生まれます。
どうしようもない状況に置かれると、もう笑うしかないと思うことがままあります。
渡辺直美さんは、日本語が十分にできないまま、お芝居のセリフを丸暗記するやりかたで自分の演技を演じきった。劇は、又吉直樹脚本作品『咆号(ほうごう)』:法名、戒名のこと。世界の終末がテーマの話だった。
渡辺直美さんは、負けず嫌いだそうです。
(東京オリンピックのときに、太った女性である渡辺直美さんのダンス姿が、ブタにたとえてあって、女性差別、女性蔑視(べっし。見くだし)にあたると指摘された演出があったのですが、渡辺直美さん自身は、「なんとも思っていません」というコメントだった記憶です)そのわけが、この本のこの部分を読んで理解できました。彼女はお笑いを求めるハングリー(貪欲(どんよく))なアーチスト(芸術家)です。グレート(偉大)です。
まだページはたくさん残っていますが、今年読んで良かった一冊です。
一項目ずつ、噛みしめながら読む文章です。
『コウテイ』
わたしは知らない人たちです。
著者の徳井健太さんも会ったことはないそうです。
下田くん164cm、九条くん184cmです。
今年1月に解散されています。この本は、2022年の発行ですから、原稿執筆時はコンビとして存在していたのでしょう。
ふたりの身長差があるので、高低→コウテイだそうです。(ネット情報として。後付け理由として、自分たちが売れるという肯定、お笑い界の皇帝)
下田くん(「しもた」と読むそうです)と霜降り明星の粗品くん(はじめて聞いたとき、人の名前とは思えませんでした)は絆(きずな)がとても強いというようなことが書いてあります。
昭和時代の本格派漫才とあります。
『加藤浩次』
この方については、語録が紹介されています。
『比較論じゃ、人は幸せになれないんだよ』(ごもっともです)
著者の徳井健太さんの文章に関して言えば、独特な表現があります。『傾いてなんぼ(かぶいてなんぼ)』勝手なふるまい。奇妙な身なりという意味らしい。マンガ本から文章づくりを学ばれているのだろうか。
文章に登場してくる人物各自が個性的です。
芸人が、場によってキャラ(個性)を変えることについて。加藤浩次さんの言葉として『全部自分だろ』(ずばんと真相を突いています)
熊太郎じいさんは働いていた時、仕事中心の生活で、現役最後の20年間ぐらいはテレビをほとんど見る時間がありませんでした。加藤浩次さんをテレビで観たのは、岡村隆史さんたちとの番組『めちゃイケ』で、暴走族の姿で、数台のバイクにまたがって円陣をつくって回って、ブンブンブブブといっていたのをまだちいさなこどもたちと観ていた記憶が残っています。まさか、あの人が朝の番組の司会をやれるとは思えませんでした。
加藤浩次さんの言葉『4勝6敗を目指しているんだけど、どうしても3勝7敗になっちゃうんだよなー』(実は全勝しているともいえる)
『ナンバーワンを目指したことない奴が、オンリーワンになれるわけないだろ』(ごもっともです)
『EXIT』
りんたろー(介護の仕事をしている)と兼近大樹(かねちか・だいき。金髪。ベビーシッターのアルバイトをしているそうです)
高齢者相手の仕事は未来に明るさがない。子ども相手の仕事は未来に明るいものがある。
こどもを虐待する親は、いつの時代でも一定数いる。こどもがかわいそうだが、こどもを愛せない親自身も悩んでいる。そんな話が出ています。(こどもを愛せない性質をもった人は親にはならないほうがいい)
日本文学で、名作がありました。映画にもなっています。『きみはいい子 中脇初枝 ポプラ社』 「いい子」というのは、こどものことではなくて、自分のこどもを虐待する母親のことを表わしています。どうしてもがまんができなくてこどもに暴力をふるう親の姿がありました。こどもの育て方がわからない親です。
誰かや組織を攻撃するのが、「日本社会」と読めます。原因をつくっているのはテレビとSNSとも解釈できます。
『ミスの少ない人間を求めているのが日本』とあります。
書かれている文章は、心の叫びです。
『霜降り明星』
粗品(そしな):背が高い。独特のツッコミをする。細い体。ギャンブル狂
せいや:背が低い。小柄でぽっちゃりしている。
せいやさんが、折り紙ができないことが書いてあります。こどもがつくる簡単な飛行機も折れない。それは、『障害』があるからではないか。いや、『個性』だとなります。
人から愛されて育ってきた人は、人を愛することができる。そうでない人は、人を愛せないとあります。一理あります。(いちりあります。ひとつの道理があります)
芸人同士は、仲がいいわけでもないと話があります。そして仲が悪いわけでもない。
テレビに映っているときは、わきあいあいとしているけれど、カメラが回っていないときはそうでもない。お互いに強い干渉はしあわないそうです。
あわせて、テレビ局内の仕事は制限が多くて、もうけが少ない。ユーチューブで活動した方が、他者からの制限もなく、自分のやりたいことがやれるし儲かるというようなことも書いてあります。
地上波のテレビ番組というのは、動画配信サービスに居場所を奪われて、だんだん衰退していくのでしょう。テレビ番組としては、自然災害とか事件を報道するためのリアルタイムを伝えるニュースや天気予報関係が残るような気がします。
『ハライチ』
岩井勇気さんと澤部佑さんです。岩井さんの本は読んだことがあります。『僕の人生には事件が起きない 岩井勇気 新潮社』
岩井勇気さんについては、テレビ番組「鶴瓶の巷の噺(つるべのちまたのはなし)」でゲストに出た時の澤部佑さんの婚姻届け届け出話で爆笑しました。
岩井勇気さんが、突然澤部佑さんに役所に来るように呼び出されて行ったら、澤部佑さんとこれから奥さんになるという女性が役所にいて、ふたりが出す婚姻届の証人欄に署名を求められたというような経過話でした。
それまで、岩井勇気さんは、澤部佑さんに付き合っている女性がいるということを知らず、澤部佑さんをこれまで、女性体験がまったくない男だと信じ込んでいたそうです。
奥さんになる女性は、そのとき妊娠されていました。
ふたりの見た目と中身は印象とは反対です。そんなことがこちらの徳井健太さんの本には書いてあります。澤部佑さんはけっこうむずかしい面があります。
徳井健太さんも岩井勇気さんもコンビの『じゃないほうの芸人』としての立ち位置で、共通の不満があったので仲良しだそうです。相方の澤部佑さんや吉村崇さんのほうが売れていた。
甲本ヒロト:ミュージシャン。言葉として、『今の世の中は、正解を求めすぎる』
コロナ禍でのことがいろいろ書いてあります。
当時、あの行き過ぎたような制限はなんだったのだろうかとか、みんなにあれもこれもやるなと指示しておいて、無理やりに開催したオリンピックはなんだったのだろうかという思いが、わたしには残っています。オリンピックについては、あげくの果てに、贈収賄の汚職事件発生です。
そのころ、自分たち夫婦は、高齢の親族をふたり亡くして、入院見舞いとか、介護とか、二か月連続のお葬式をしたりして、生活行動に制限があるなかで、大変だったという思い出があります。
ブラックマネーも含めて、お金もうけ目当てのオリンピックなんか、もうやらなくてもいいと、政治や行政に対してうらめしく思っています。
本に書かれている文章は、つくり手側のテレビ局職員の話などについて書いてあります。
なんというか、『仕事』です。働く人間は、生きていくために、なんとしても、生活費を稼がねばなりません。
『ニューヨーク』
M1グランプリの番組で観たことがありますが、自分はあまり存じ上げません。
記述には、ケンコバさんが出てきます。
(つづく)
ページが進むにつれて、内容が薄くなってきている気がします。ネタがなくなってきたのだろうか。
最初の頃にあった凄み(すごみ)が消えかかっています。(ぞっとするほどの強い衝撃)。文章が平面的な説明になりました。
M1グランプリについて書いてあります。『10年やってだめだったら諦めた(あきらめた)ほうがいい』という島田紳助さんの言葉が紹介されています。まあ、相撲でも将棋でも囲碁でもそうでしょう。勝負の世界の頂点付近でやっていこうとしたら努力だけでは無理です。ずばぬけた才能がいります。1億2300万人の中のひとりという才能です。ただ、一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。周囲にいる人間の補佐(サポート)が必要です。
『シソンヌ』
コンビの名前は聞いたことはありますが、よくは存じ上げません。
マージャンの話が出ます。わたしもマージャン愛好家なので興味はあります。じろうさんという方のマージャンを打つ姿勢(心持ち)がとてもいいそうです。マナーがいいそうです。勝っていばらず、負けてくさらずです。見習いたい。マージャンは、脳みそを働かせる楽しいゲームです。打ち手の人柄が出ます。負けるときは、潔く(いさぎよく)負けて、やられましたーーと、笑顔でいられる人でいたい。
下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』のことが出てきました。今年の夏、観劇に行きました。記述に親しみを感じます。
博多大丸さんの言葉があります。『売れるか売れないかはわからないけれど、売れるまでは死ぬほどの努力を続けなきゃ売れるなんてことは絶対にあり得ない』(ごもっともです)
『5GAP』
わたしの知らないお笑いコンビ名です。クボケンとトモのコンビだそうです。
『売れる』って何だろうと考えさせられます。
以前、テレビで芸人さんが、とても売れている芸人さんのことを語っていました。仕事や仕事がらみの付き合いをしているときは、売れている本人は、にぎやかな雰囲気の中にいるけれど、家に帰れば、家族がだれもおらず、ひとりぼっちの生活をしている。そんな有名芸人を見て、『売れるってなんだろう』とふと思うことがあるそうです。
記述に、志村けんさんのお名前が出てきました。志村けんさんも天国の人になられてしまいました。
『笑っていいとも』を始めとして、昔の番組の話が出ます。昔はめちゃくちゃだった。本番中にタバコを吸う人がいた。(まあ、どこでも喫煙可能な世の中でした。電車の中、電車のホームでも喫煙は許されていました。パワハラ、セクハラなど、不合理・不条理・理不尽がどこの組織でもあからさまに横行していました。ゆえに問題視されなかったということはあります。なんだか変だけれど、みんながいっしょの行為をしていたのです。権力者はやりたいほうだいでしたが、したたかに権力者に圧力をかけて利を得る人もいました。昔の人は、人間力が強かった)
テレビが言っていることをぜんぶ信じちゃいけないというメッセージがあります。テレビの映像はつくりものです。情報が加工されて出てきます。意図があって、放映されています。そういうことでしょう。
赤塚不二夫さんとタモリさんの関係が書いてあります。
『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』はいい本でした。戦時中のことの記述は壮絶です。平和な現在をのんきに過ごしている今の日本人にとっては、記述内容は身が引き締まる思いがします。生きるか死ぬか、殺されるか、殺すかの世界です。法令は命を守ってくれないこともあります。
『スリムクラブ』
沖縄の人たちです。戦地となった沖縄です。戦争のことが書いてあります。
『なんくるないさ』 戦争で、殺し合いがあった。絶望と怒りがある。生きることへの喜びがある。内間さんのお母さんは内間さんに『生きていればそれでいい……』と語っています。
内間さんは、スピリチュアルにははまらないほうがいい。もっと自信をもって、強い気持ちで前向きにやっていってほしい。
『ジャルジャル』『ダイアン』『ジャングルポケット』『かまいたち』『オズワルド』
200ページ前後から、批評の質が落ちてきたように感じます。前半にあった尖った(とがった)記述が姿を消して、平凡な説明に近づいています。
過去にこういうことがあったという思い出のトーク(語り)です。
なんだろう。どこでもそうですが、箱の中の世界です。限られた空間の中の話です。書いてあることは、たとえば、興味のない人から見れば、「そうですか」という反応の薄い内容です。
後半部は、M1とかキングオブコントとか、選抜大会のことを軸にして、芸人にエール(応援)を送っている本です。
『おわりに』
この部分で、著者の尖った(とがった)部分が復活します。
『30歳になったら死ぬ』と書いた高校の卒業文集を、北海道の地元から上京する前に焼き捨てたそうです。
芸人の世界の厳しさが書いてあります。
『売れる』ということは、必ず誰かの屍(しかばね)の上に存在する。(優勝者の笑顔の影には、たくさんの敗者の泣き顔があるのです。企業なら、幹部ポストにいる人間は、たくさんの競争相手を振り落としてきたのです)
こちらの本には、『大好きな先輩やめてった。才能ある後輩やめてった。仲が良かった同期もやめてった』とあります。
締め(しめ)は、現実の自分の立ち位置を知り、謙虚になるというメッセージで終わっています。
2023年10月26日
おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん
おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) BL出版
最初にページを最後までゆっくりめくってみる。
かなりおもしろい。
今度親戚のちびっこたちに会ったらプレゼントする候補の一冊にします。
筆致が太い絵です。ぬくもりがあります。
2000年(平成12年)の作品です。
表紙をめくると古い物の絵がたくさんです。
アメリカンクラッカー(わたしが小学生の時にはやりました)、しちりん(わたしが小中学生の時に家で使っていました)、殺虫剤の噴霧器(ふんむき。取っ手を押して薬剤を噴射します。おもちゃにして遊んでいました)、ボンネットバス(ふつうに乗っていました。路線バスです。車内に切符売りのお姉さんがいました)、白黒テレビ(見てました)、オート三輪(走っていました)、ミシン(踏み台に座って、わっかをハンドル代わりにして遊んでいました)、裏表紙のほうも同様です。つるべ式の井戸(こどものころ、家には水道がありませんでした)、洗濯板(せんたくいた。川で洗濯をしていました)、きねとうす(正月前にもちつきをしていました)。いろいろなつかしい。伝承があります。発展もあります。
歴史がテーマの絵本です。
今があるのは、昔があったからです。
親族をさかのぼる。昔、『ルーツ(根っこ)』というドラマ番組がありました。
ぼく:5歳。幼稚園のたんぽぽ組です。
ぼくのおとうさん:38歳。渓流釣りが趣味です。『ぼく』は、おとうさんが33歳のときに生まれています。
おじいちゃん:72歳。おひげが白い。息子は、おじいちゃんが34歳のときに生まれています。ぼくのおとうさんもおじいちゃんも晩婚だったのだろうか。
おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん:もう亡くなっています。絵には『変体仮名(へんたいがな)』が使われています。わたしが社会人になったとき、変体仮名はまだ使用されていました。飲食店の店名などに使われます。漢字をくずして、ひらがなとして使用したのが変体仮名です。
カストリ:戦後出回った密造焼酎(みつぞうしょうちゅう)
おじいさんのおじいさんのおじいさん…… と、どんどんさかのぼっていきます。『チャップリンの黄金狂時代』(1925年(大正14年)アメリカ映画)の絵があります。
時代はさかのぼっていきます。『パーマネントの始まり』(1923年(大正12年)、明治時代の絵があります。1907年から日本における自動車が始まっています。(明治40年)。絵本の絵ではまだ人力車が人を運ぶ手段です。
絵は江戸時代になりました。おじいちゃんの頭には、ちょんまげがあります。
次のページから『ひい、ひい、ひい、ひい……』と、ひいが連続します。ひいおじいちゃんのことです。すさまじい量です。ざーっと数えたら133人ぐらいのさかのぼりです。読み聞かせをするときに困り果てるぶんしょうです。(いらぬことですが、宗教団体が、あなたの先祖があなたに悪さをしている。わたしたちの団体にお金を寄付して先祖供養をしなさいというフレーズを思い出しました)
ひぇーー。『ひい(おじいさん)』の細かい文字がページにびっしり書いてあります。絵本の読み聞かせではとうてい読めません。なんとか、ごまかさなければ、読み手が倒れてしまいます。(でも、おもしろい)
時代はついに原始時代になってしまいました。
人々の食料として『マンモス』の絵があります。マンモスは、400万年前から1万年前ぐらいに地球上で生息していました。時代はさらにさかのぼり、人間は猿の姿になってしまいました。人類は500万年前のアフリカで、猿人(えんじん。アウストラロピテクス)から始まり、原人、旧人(ネアンデルタール人)、新人(クロマニヨン人など)と進化しました。
最後のほうにあるページです。奥行きのある絵です。奥のほうが古い時代という表現がしてあります。いい感じです。自転車のタイヤのようでもある。
なかなか良かった。
最初にページを最後までゆっくりめくってみる。
かなりおもしろい。
今度親戚のちびっこたちに会ったらプレゼントする候補の一冊にします。
筆致が太い絵です。ぬくもりがあります。
2000年(平成12年)の作品です。
表紙をめくると古い物の絵がたくさんです。
アメリカンクラッカー(わたしが小学生の時にはやりました)、しちりん(わたしが小中学生の時に家で使っていました)、殺虫剤の噴霧器(ふんむき。取っ手を押して薬剤を噴射します。おもちゃにして遊んでいました)、ボンネットバス(ふつうに乗っていました。路線バスです。車内に切符売りのお姉さんがいました)、白黒テレビ(見てました)、オート三輪(走っていました)、ミシン(踏み台に座って、わっかをハンドル代わりにして遊んでいました)、裏表紙のほうも同様です。つるべ式の井戸(こどものころ、家には水道がありませんでした)、洗濯板(せんたくいた。川で洗濯をしていました)、きねとうす(正月前にもちつきをしていました)。いろいろなつかしい。伝承があります。発展もあります。
歴史がテーマの絵本です。
今があるのは、昔があったからです。
親族をさかのぼる。昔、『ルーツ(根っこ)』というドラマ番組がありました。
ぼく:5歳。幼稚園のたんぽぽ組です。
ぼくのおとうさん:38歳。渓流釣りが趣味です。『ぼく』は、おとうさんが33歳のときに生まれています。
おじいちゃん:72歳。おひげが白い。息子は、おじいちゃんが34歳のときに生まれています。ぼくのおとうさんもおじいちゃんも晩婚だったのだろうか。
おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん:もう亡くなっています。絵には『変体仮名(へんたいがな)』が使われています。わたしが社会人になったとき、変体仮名はまだ使用されていました。飲食店の店名などに使われます。漢字をくずして、ひらがなとして使用したのが変体仮名です。
カストリ:戦後出回った密造焼酎(みつぞうしょうちゅう)
おじいさんのおじいさんのおじいさん…… と、どんどんさかのぼっていきます。『チャップリンの黄金狂時代』(1925年(大正14年)アメリカ映画)の絵があります。
時代はさかのぼっていきます。『パーマネントの始まり』(1923年(大正12年)、明治時代の絵があります。1907年から日本における自動車が始まっています。(明治40年)。絵本の絵ではまだ人力車が人を運ぶ手段です。
絵は江戸時代になりました。おじいちゃんの頭には、ちょんまげがあります。
次のページから『ひい、ひい、ひい、ひい……』と、ひいが連続します。ひいおじいちゃんのことです。すさまじい量です。ざーっと数えたら133人ぐらいのさかのぼりです。読み聞かせをするときに困り果てるぶんしょうです。(いらぬことですが、宗教団体が、あなたの先祖があなたに悪さをしている。わたしたちの団体にお金を寄付して先祖供養をしなさいというフレーズを思い出しました)
ひぇーー。『ひい(おじいさん)』の細かい文字がページにびっしり書いてあります。絵本の読み聞かせではとうてい読めません。なんとか、ごまかさなければ、読み手が倒れてしまいます。(でも、おもしろい)
時代はついに原始時代になってしまいました。
人々の食料として『マンモス』の絵があります。マンモスは、400万年前から1万年前ぐらいに地球上で生息していました。時代はさらにさかのぼり、人間は猿の姿になってしまいました。人類は500万年前のアフリカで、猿人(えんじん。アウストラロピテクス)から始まり、原人、旧人(ネアンデルタール人)、新人(クロマニヨン人など)と進化しました。
最後のほうにあるページです。奥行きのある絵です。奥のほうが古い時代という表現がしてあります。いい感じです。自転車のタイヤのようでもある。
なかなか良かった。
2023年10月24日
神様 川上弘美
神様 川上弘美 中公文庫
短編9本です。
最初の作品『神様』を読み終えて変な感じです。
登場人物が人間ではないのです。
『くま』と書いてあります。最初男性かと思ったら、最後まで『くま(熊)』なのです。なんだろう。
そのような表現を使った目的をさぐるための読書です。あとの作品も同様のパターンでしょう。
単行本は、1998年(平成10年)の発行です。
『神様』
高層集合住宅の305号室に引っ越してきたのが『くま』です。最初は人間の男性と思われましたが、その後の記述を見ると動物の熊なのです。熊ですが、人間のようにしゃべります。
語り手は、305号室からみっつ隣の部屋といいますから、302号室か308号室の女性らしき人物がくまとお近づきになり、ふたりで近所の川辺を散歩します。
鴫(しぎ):野鳥。渡り鳥
くま:雄(オス)の成熟したくまで、からだがとても大きい。引っ越してきて、ご近所あいさつで、お蕎麦(そば)とはがきを10枚ずつ配った。
詩的です。くまは、人間ではない。熊でしょう。(もう一歩踏み込んで、神様の化身です)
偶然ですが、この本を読む前に読み終えた本が、『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』でした。北海道居住のクマ撃ち猟師の人からのインタビュー内容をまとめた本でした。こちらの短編小説で「くま」が登場して、読書の縁を感じました。
邪気(じゃき):素直。悪気がない。
なんとも不思議な小説です。
『くま』は、神様なのです。
さきほど書いた『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』では、クマは神様で、『アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う(うやまう)存在である。』と書いてありました。
『夏休み』
梨の木のあるところに、白い毛が生えているかたまりの生き物が三匹いるという話です。
夏休みのアルバイトで、女子が原田さんという人の梨園(なしえん)で、梨の実をもぎとる作業をしています。
三体の生き物はいてもいいのです。いるのがあたりまえのように農園経営者の原田さんが言います。
そのうちの二体は良く動き、残る一体は、ひっこみじあんなのです。
(なんのこっちゃいな?)
三体の生き物の好物は梨の果実です。原田さんは、売り物にならない地面に落ちて傷んだ(いたんだ)梨を三匹の白い生き物たちに食べさせます。
アルバイト女子は、元気がない一体の生き物に気持ちをそそぐのです。弱きものの味方という気分です。
瘤:こぶ
三体はやがて瘤になりました。梨の木の白い瘤(こぶ)になったそうです。(木の盛り上がった部分)
そして、アルバイト女子は、その瘤に吸い込まれそうになったのです。
民話『かぐや姫』のようでもある。あるいは、自殺企図者の心理のようでもある。
『花野』
花野とは。はなの。花が咲き乱れている野原のこと。
かるかや:刈萱。山野に自生するイネ科の植物
5年前に交通事故で死んだ叔父が花野に立っていた。(もしかして、叔父を見ている人も死んでいるのか?)
叔父のひとり娘が、華子です。35歳です。
叔父の妻が、万里子です。
ネコのクロは15歳で死んだ。
係累:けいるい。親、妻子など。めんどうをみなければならない家族
叔父はときおりこの世によみがえるらしい。
結婚していない語り手のことを心配しています。(叔父の娘の華子も未婚です)
叔父は、人生に秩序がないと嘆いています。
叔父は、生き還りたい(いきかえりたい)。
相撲観戦と政治に関心がある叔父です。
現生に出てくるときのシーンの(場所)は、いつも花野です。
2年ぶりに花野での再会があります。
深紅(しんく)の彼岸花が咲いています。(ヒガンバナ)
今回が最後だそうです。
ふたりの最後の午餐(ごさん)です。(昼ごはん)。あわび、海鼠(ナマコ)、葛切り(くずきり)、ざくろ、そら豆。
う~む。信仰小説のようです。
わたしは、錯覚だと思う。
『河童玉』
尻子玉:しりこだま。かっぱが好んで引き抜くとされた肛門のところにある玉
河童(かっぱ)の話でしたが、作者のいいたいことがわかりませんでした。自分の読解力がないとも思えないのですが、しかたがありません。
語り手と失恋の病があるウテナという女性がお寺さんに精進料理を食べに行ったら、お酒に酔ってうとうとしてしまった。そこへ、お庭の池から河童が出てきて、自分の相談にのってほしいと乞われ(こわれ)、ふたりはカッパの世界へ招待された。
河童がいうには、最近、300年間付き合っている恋人かっぱとうまくエッチができないから、なにかアドバイスをしてくれとのこと。どうも男河童が不能になっているらしい。そんな流れでした。『天然の力』がうまく働かないと表現があります。
愛恋の相談:あいれんの相談。愛して恋こがれることの相談
閨(ねや):寝室での夫婦仲のこと。
胡瓜:キュウリ
ウテナの河童に対するアドバイスは、『ダメなときはダメ』というものでした。『あきらめなさい』です。
河童の恋人女性いわく:河童玉をためしたがだめだった。
河童玉:河童界に伝わる聖石(せいせき。ひじりいし)。直径三尺(約90cmから100cm)の丸い石。石の上に座ると病が治る。
ウテナと語り手も河童石に座ってみました。
河童の元気は回復しませんでしたが、ウテナの失恋の病は治ったそうな。
『クリスマス』
ふーむ。「アラジンと魔法のランプ」みたいなお話です。
前作河童の話で出てきたウテナが、語り手であるたぶん女性に日曜青空市で買った壺を預けたのです。その壺をこすると女性が出てくるのです。
螺鈿:らでん。貝の内側を加工して、その貝を漆器の内側に貼り付けたもの。
ウテナにしても、語り手にしても、幽霊か妖精のようです。
ベンケイソウ:赤やピンクの花を咲かせる草
布巾:ふきん
『ご主人さまあ』と言いながら、壺から若い小柄な女性が出てくる。名前を『コスミスミコ』という。
なんだか、こども向けマンガの「すみっコぐらし」みたいです。
季節は12月、冷蔵庫から食材がなくなります。(食材を盗んだ犯人は、コスミスミコです)
コスミスミコは、『はいい』と答えます。なんだか、お笑いタレントのやす子さんみたいです。
コスミスミコは美形です。ゆえに男が寄ってきます。
でも、コスミスミコは、痴情のもつれで命を落としたらしい。
なんだかんだとありまして、語り手とコスミスミコでクリスマスイブの夜に繰り出すのです。深酒をして、ぐでんぐでんに酔っ払います。
シェア:料理を複数で分ける。分配する。
なんというか、失恋した若い女性の妄想だと受け取りました。
『星の光は昔の光』
えび男:首がえびのように曲がっている。うなじが、細くて白い。高校生ぐらいに思えます。400mトラックを走っているときに、『ぼくだけが動いていない』という感覚をもっている。えび男は、304号室に住んでいる。語り手の隣の隣の部屋である。
この短編集の最初に出てきたくまは、305号室に住んでいる。父母と3人で住んでいる。
えび男は、曇りの日に饒舌(じょうぜつ。おしゃべり)になる。えび男は内向的な性格である。えびは、ハンバーグが好きだ。
『ニンゲンフシン』という言葉が何度か出てきます。えび男の母親は、ニンゲンフシンだそうです。
えび男がつくった『箱庭』がある。牛三頭、子豚一匹がいる。すすきの穂と椿の枝がある。
(この本は、文学作品として評価が高い作品群です。されどわたしは、ここまで読んできて、理解ができないので、ほかの方の書評を拾ってみました。得体のしれない生き物たちは、『感情』なのだそうです。そうか、そう考えるとわかるような気がします)
リゲル:オリオン座にある星
星の光は昔の光:文章中に明記はありませんが、昔、科学雑誌で、星の光は、かなり時間をかけた光年を隔てて地球に届くので、地球に届いたときの星の光は、ずいぶん昔の光であるという解説を読んだことを思い出しました。
『むかしのひかりいまいずこ』は、滝廉太郎の『荒城の月』からきているのでしょう。
『春立つ』
立春でしょう。2月の初めです。2月4日が多い。
『猫屋』という居酒屋がある。猫が6匹いる。店主の女性の名前は、『カナエ』という。カナエは客に、日本酒よりも焼酎(しょうちゅう)を勧めてくる。
ヤツガシラ:里芋の一種
カナエはどこかわからないけれど、斜面をどんどん落ちて行って、落ちた先で男と暮らす。男はそのうちいなくなる。
現れては、いなくなるものを表現してある作品群です。
狎れた鬼:なれたおに。親しくなりすぎて礼儀を失する。
琴線(きんせん):人の心の奥に秘められた真情(しんじょう。偽らない心(いつわらないこころ))
雪が降る地方から、雪が降らない地方へ引っ越してきて、再び雪の降る地方へ引っ越していく。
ここまで読んできて思ったことです。
『継続できないもの』のはかなさ、ひ弱さが表現してあります。(わたしにとっては、望まない生き方です。継続こそが自分の信条に従った生き方です)
『離さない』
人魚の話です。
出てくるものが、『感情』という考察があったのですが、すべてがそうとも思えません。『夢』ともいえます。『空想遊び』の文章作品群ではなかろうか。
エノモトという人が、南方の海で人間の体の三分の一ぐらいの体格の人魚をつかまえてきて、自宅の浴槽で生かしています。エサは鯵(あじ)です。
エノモトの部屋番が、402号ですから、真下に住むという語り手の部屋番は第一話の話から考えて、302号でしょう。
人魚ではありませんが、わたしが若かった頃、公営集合住宅の浴槽で、太刀魚(たちうお。ひらべったくて細長い)を泳がせていた中国人の年配女性がいました。びっくりしました。中国人女性自身が食べたり、訪ねてきた人にプレゼントしたりするのです。公営住宅のお風呂が生け簀(いけす)になっていました。(外国の人は浴槽に入浴せずシャワーですます習慣があるようです)
この短編を読んでいて思い出しました。
なんというか、エノモトも、語り手も、人魚にとりつかれてしまうのです。人魚のそばから離れることが困難になります。
ふたりとも気が狂いそうになります。
桜の花びらが飛び交い(かい)ます。
奇怪な(きっかい)小説です。
読み手のわたしにとっては、具体性がありません。
『草上の昼食(そうじょうのちゅうしょく)』
そんなタイトルのヨーロッパ絵画があったような気がします。
マネの絵画です。すっぱだかの女の人が、ピクニックの林の中でこっちを向いているのです。ランチタイムです。男の人たちは服を着ています。
さて、こちらの短編です。
のんびりした雰囲気があります。
最初のお話で登場した、『くま』が故郷に帰るそうです。
しおどきだそうです。
語り手と、得体のしれない生き物は一体という形で表現してあるとして、次の段階を理解するためには、再読するのがいいのでしょう。(当分その気にはなれそうもありませんが……)
くまと語り手のお別れです。
『熊の神様』とあります。どうして、そこだけ漢字の熊なのだろう。なにか意味があるはずです。
熊の神さまは熊に似たもの。人の神様は人に似たもの。(わかったような、わからぬような)
(あとがきから)
作品『神様』は、作者が子育て中に2時間で書き上げた作品だそうです。1998年(平成10年)の日付になっています。
(絵本作家佐野洋子さんの解説から)
夢の中のものに関する記述で、夢の中だから肉体がないとあります。
佐野洋子さんもお亡くなりになってしまいました。(2010年(平成22年)72歳没)
形あるものはやがて消えていき、形なきものになるのです。この短編集と重なる感情情景があります。
短編9本です。
最初の作品『神様』を読み終えて変な感じです。
登場人物が人間ではないのです。
『くま』と書いてあります。最初男性かと思ったら、最後まで『くま(熊)』なのです。なんだろう。
そのような表現を使った目的をさぐるための読書です。あとの作品も同様のパターンでしょう。
単行本は、1998年(平成10年)の発行です。
『神様』
高層集合住宅の305号室に引っ越してきたのが『くま』です。最初は人間の男性と思われましたが、その後の記述を見ると動物の熊なのです。熊ですが、人間のようにしゃべります。
語り手は、305号室からみっつ隣の部屋といいますから、302号室か308号室の女性らしき人物がくまとお近づきになり、ふたりで近所の川辺を散歩します。
鴫(しぎ):野鳥。渡り鳥
くま:雄(オス)の成熟したくまで、からだがとても大きい。引っ越してきて、ご近所あいさつで、お蕎麦(そば)とはがきを10枚ずつ配った。
詩的です。くまは、人間ではない。熊でしょう。(もう一歩踏み込んで、神様の化身です)
偶然ですが、この本を読む前に読み終えた本が、『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』でした。北海道居住のクマ撃ち猟師の人からのインタビュー内容をまとめた本でした。こちらの短編小説で「くま」が登場して、読書の縁を感じました。
邪気(じゃき):素直。悪気がない。
なんとも不思議な小説です。
『くま』は、神様なのです。
さきほど書いた『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』では、クマは神様で、『アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う(うやまう)存在である。』と書いてありました。
『夏休み』
梨の木のあるところに、白い毛が生えているかたまりの生き物が三匹いるという話です。
夏休みのアルバイトで、女子が原田さんという人の梨園(なしえん)で、梨の実をもぎとる作業をしています。
三体の生き物はいてもいいのです。いるのがあたりまえのように農園経営者の原田さんが言います。
そのうちの二体は良く動き、残る一体は、ひっこみじあんなのです。
(なんのこっちゃいな?)
三体の生き物の好物は梨の果実です。原田さんは、売り物にならない地面に落ちて傷んだ(いたんだ)梨を三匹の白い生き物たちに食べさせます。
アルバイト女子は、元気がない一体の生き物に気持ちをそそぐのです。弱きものの味方という気分です。
瘤:こぶ
三体はやがて瘤になりました。梨の木の白い瘤(こぶ)になったそうです。(木の盛り上がった部分)
そして、アルバイト女子は、その瘤に吸い込まれそうになったのです。
民話『かぐや姫』のようでもある。あるいは、自殺企図者の心理のようでもある。
『花野』
花野とは。はなの。花が咲き乱れている野原のこと。
かるかや:刈萱。山野に自生するイネ科の植物
5年前に交通事故で死んだ叔父が花野に立っていた。(もしかして、叔父を見ている人も死んでいるのか?)
叔父のひとり娘が、華子です。35歳です。
叔父の妻が、万里子です。
ネコのクロは15歳で死んだ。
係累:けいるい。親、妻子など。めんどうをみなければならない家族
叔父はときおりこの世によみがえるらしい。
結婚していない語り手のことを心配しています。(叔父の娘の華子も未婚です)
叔父は、人生に秩序がないと嘆いています。
叔父は、生き還りたい(いきかえりたい)。
相撲観戦と政治に関心がある叔父です。
現生に出てくるときのシーンの(場所)は、いつも花野です。
2年ぶりに花野での再会があります。
深紅(しんく)の彼岸花が咲いています。(ヒガンバナ)
今回が最後だそうです。
ふたりの最後の午餐(ごさん)です。(昼ごはん)。あわび、海鼠(ナマコ)、葛切り(くずきり)、ざくろ、そら豆。
う~む。信仰小説のようです。
わたしは、錯覚だと思う。
『河童玉』
尻子玉:しりこだま。かっぱが好んで引き抜くとされた肛門のところにある玉
河童(かっぱ)の話でしたが、作者のいいたいことがわかりませんでした。自分の読解力がないとも思えないのですが、しかたがありません。
語り手と失恋の病があるウテナという女性がお寺さんに精進料理を食べに行ったら、お酒に酔ってうとうとしてしまった。そこへ、お庭の池から河童が出てきて、自分の相談にのってほしいと乞われ(こわれ)、ふたりはカッパの世界へ招待された。
河童がいうには、最近、300年間付き合っている恋人かっぱとうまくエッチができないから、なにかアドバイスをしてくれとのこと。どうも男河童が不能になっているらしい。そんな流れでした。『天然の力』がうまく働かないと表現があります。
愛恋の相談:あいれんの相談。愛して恋こがれることの相談
閨(ねや):寝室での夫婦仲のこと。
胡瓜:キュウリ
ウテナの河童に対するアドバイスは、『ダメなときはダメ』というものでした。『あきらめなさい』です。
河童の恋人女性いわく:河童玉をためしたがだめだった。
河童玉:河童界に伝わる聖石(せいせき。ひじりいし)。直径三尺(約90cmから100cm)の丸い石。石の上に座ると病が治る。
ウテナと語り手も河童石に座ってみました。
河童の元気は回復しませんでしたが、ウテナの失恋の病は治ったそうな。
『クリスマス』
ふーむ。「アラジンと魔法のランプ」みたいなお話です。
前作河童の話で出てきたウテナが、語り手であるたぶん女性に日曜青空市で買った壺を預けたのです。その壺をこすると女性が出てくるのです。
螺鈿:らでん。貝の内側を加工して、その貝を漆器の内側に貼り付けたもの。
ウテナにしても、語り手にしても、幽霊か妖精のようです。
ベンケイソウ:赤やピンクの花を咲かせる草
布巾:ふきん
『ご主人さまあ』と言いながら、壺から若い小柄な女性が出てくる。名前を『コスミスミコ』という。
なんだか、こども向けマンガの「すみっコぐらし」みたいです。
季節は12月、冷蔵庫から食材がなくなります。(食材を盗んだ犯人は、コスミスミコです)
コスミスミコは、『はいい』と答えます。なんだか、お笑いタレントのやす子さんみたいです。
コスミスミコは美形です。ゆえに男が寄ってきます。
でも、コスミスミコは、痴情のもつれで命を落としたらしい。
なんだかんだとありまして、語り手とコスミスミコでクリスマスイブの夜に繰り出すのです。深酒をして、ぐでんぐでんに酔っ払います。
シェア:料理を複数で分ける。分配する。
なんというか、失恋した若い女性の妄想だと受け取りました。
『星の光は昔の光』
えび男:首がえびのように曲がっている。うなじが、細くて白い。高校生ぐらいに思えます。400mトラックを走っているときに、『ぼくだけが動いていない』という感覚をもっている。えび男は、304号室に住んでいる。語り手の隣の隣の部屋である。
この短編集の最初に出てきたくまは、305号室に住んでいる。父母と3人で住んでいる。
えび男は、曇りの日に饒舌(じょうぜつ。おしゃべり)になる。えび男は内向的な性格である。えびは、ハンバーグが好きだ。
『ニンゲンフシン』という言葉が何度か出てきます。えび男の母親は、ニンゲンフシンだそうです。
えび男がつくった『箱庭』がある。牛三頭、子豚一匹がいる。すすきの穂と椿の枝がある。
(この本は、文学作品として評価が高い作品群です。されどわたしは、ここまで読んできて、理解ができないので、ほかの方の書評を拾ってみました。得体のしれない生き物たちは、『感情』なのだそうです。そうか、そう考えるとわかるような気がします)
リゲル:オリオン座にある星
星の光は昔の光:文章中に明記はありませんが、昔、科学雑誌で、星の光は、かなり時間をかけた光年を隔てて地球に届くので、地球に届いたときの星の光は、ずいぶん昔の光であるという解説を読んだことを思い出しました。
『むかしのひかりいまいずこ』は、滝廉太郎の『荒城の月』からきているのでしょう。
『春立つ』
立春でしょう。2月の初めです。2月4日が多い。
『猫屋』という居酒屋がある。猫が6匹いる。店主の女性の名前は、『カナエ』という。カナエは客に、日本酒よりも焼酎(しょうちゅう)を勧めてくる。
ヤツガシラ:里芋の一種
カナエはどこかわからないけれど、斜面をどんどん落ちて行って、落ちた先で男と暮らす。男はそのうちいなくなる。
現れては、いなくなるものを表現してある作品群です。
狎れた鬼:なれたおに。親しくなりすぎて礼儀を失する。
琴線(きんせん):人の心の奥に秘められた真情(しんじょう。偽らない心(いつわらないこころ))
雪が降る地方から、雪が降らない地方へ引っ越してきて、再び雪の降る地方へ引っ越していく。
ここまで読んできて思ったことです。
『継続できないもの』のはかなさ、ひ弱さが表現してあります。(わたしにとっては、望まない生き方です。継続こそが自分の信条に従った生き方です)
『離さない』
人魚の話です。
出てくるものが、『感情』という考察があったのですが、すべてがそうとも思えません。『夢』ともいえます。『空想遊び』の文章作品群ではなかろうか。
エノモトという人が、南方の海で人間の体の三分の一ぐらいの体格の人魚をつかまえてきて、自宅の浴槽で生かしています。エサは鯵(あじ)です。
エノモトの部屋番が、402号ですから、真下に住むという語り手の部屋番は第一話の話から考えて、302号でしょう。
人魚ではありませんが、わたしが若かった頃、公営集合住宅の浴槽で、太刀魚(たちうお。ひらべったくて細長い)を泳がせていた中国人の年配女性がいました。びっくりしました。中国人女性自身が食べたり、訪ねてきた人にプレゼントしたりするのです。公営住宅のお風呂が生け簀(いけす)になっていました。(外国の人は浴槽に入浴せずシャワーですます習慣があるようです)
この短編を読んでいて思い出しました。
なんというか、エノモトも、語り手も、人魚にとりつかれてしまうのです。人魚のそばから離れることが困難になります。
ふたりとも気が狂いそうになります。
桜の花びらが飛び交い(かい)ます。
奇怪な(きっかい)小説です。
読み手のわたしにとっては、具体性がありません。
『草上の昼食(そうじょうのちゅうしょく)』
そんなタイトルのヨーロッパ絵画があったような気がします。
マネの絵画です。すっぱだかの女の人が、ピクニックの林の中でこっちを向いているのです。ランチタイムです。男の人たちは服を着ています。
さて、こちらの短編です。
のんびりした雰囲気があります。
最初のお話で登場した、『くま』が故郷に帰るそうです。
しおどきだそうです。
語り手と、得体のしれない生き物は一体という形で表現してあるとして、次の段階を理解するためには、再読するのがいいのでしょう。(当分その気にはなれそうもありませんが……)
くまと語り手のお別れです。
『熊の神様』とあります。どうして、そこだけ漢字の熊なのだろう。なにか意味があるはずです。
熊の神さまは熊に似たもの。人の神様は人に似たもの。(わかったような、わからぬような)
(あとがきから)
作品『神様』は、作者が子育て中に2時間で書き上げた作品だそうです。1998年(平成10年)の日付になっています。
(絵本作家佐野洋子さんの解説から)
夢の中のものに関する記述で、夢の中だから肉体がないとあります。
佐野洋子さんもお亡くなりになってしまいました。(2010年(平成22年)72歳没)
形あるものはやがて消えていき、形なきものになるのです。この短編集と重なる感情情景があります。
2023年10月17日
しょうぎ はじめました 間部香代・文 田中六大・絵
しょうぎ はじめました 間部香代(まべかよ)・文 田中六大(たなかろくだい)・絵 文研出版
小学校低学年ぐらい向けの絵本です。
絵本の中では、おじいちゃんは、将棋が強いという設定です。
現実世界では、熊太郎じいさんも小学校低学年の孫たちと将棋をしますが、いつも負けます。なぜなら、孫たちは囲碁将棋を習いに行っているからです。熊太郎じいさんは、100敗以上はしたと思います。勝ったのは5回ぐらいです。勝利の記念にスマホで盤面の写真を撮ろうとしたら、孫たちが将棋盤の上の駒をぐちゃぐちゃとこわしてしまうので、まだ一度も記念写真を撮れたことがありません。
熊太郎じいさんは、ひとつひとつの駒(こま)の動かし方は知っていますが定石(じょうせき)を知りません。勝ってきままに駒をすいすいと動かします。相手にどんどん自分の駒をとられて、自分の王さまは、相手に取られた駒で追い詰められます。
だいたい2分半から3分で決着がつきます。今までで一番早かったのはたしか、20手(にじゅって)もかからずに負けたことがあります。
でもいいのです。孫たちはいつも大喜びをしています。なんども『じいじ、将棋やろーー』と誘ってくれます。相手に自信をつけさせるための『噛ませ犬(かませいぬ。ボクシングでいうところの弱い相手をわざとあてがう。自信をつけさせる)』でいいのです。かれらのストレス解消になるでしょう。
熊太郎じいさんのともだちに将棋が好きな人がいます。
こども相手にボランティアで将棋を打っています。
熊太郎じいさんは、先手(せんて)を読むことがにがてだし、歳をとってきて記憶する力が低下してきたので、将棋に意識を集中させることは無理だとあきらめています。
さて絵本の感想です。
『きょう、がくどうで しょうぎを おぼえた。』から始まります。
学童保育所です。
熊太郎じいさん夫婦も共働き夫婦だったので、こどもたちを学童保育所に通わせました。
それももう三十年ぐらい前のことになってしまいました。
学童保育所はまあ、いろんなことをするところでした。こどもたちは、体験豊富になります。
飛車・角(ひしゃ・かく)を強い相手が使わない2枚落ちのことが書いてあります。
熊太郎じいさんがちびっこと将棋をやるときは、平手(ひらて。駒を落とさない)、それから、ちびっこのほうが、2枚落ち、4枚落ち、もっと多い枚数落ちと、そのときの気分と話し合いでやります。こどもというものは、だんだんルールを変えたがります。こどもが、好きなようにやらせています。
絵本の男児は、将棋をパパとやって、それから夏休みに祖父母宅に行ったときに、おじいさんと孫が将棋をやる展開です。そこで、おじいさんから将棋を教わります。(棒銀戦法(ぼうぎんせんぽう)を教わります)
将棋盤のことが書いてあります。
うちの場合は、四つ足の囲碁盤があって、その上にぺったんこの折り畳み式、板でできた将棋盤をのせて将棋をやっています。(熊太郎じいさんは囲碁も孫たちとやりますが、習っている孫たちに勝てたことがありません。たいてい陣地がなくて全滅です)
絵本では、変な絵があります。どういうわけか、メガネをかけたおばあさんが逆立ち(さかだち)をしています。
この本は、将棋の駒の動きを教えるテキスト絵本です。
『角(かく。斜めに動く)』の説明があります。
熊太郎じいさんは、ときどき、遠くから角が飛んできて自分の王さまをとられてしまいます。ぼーっとしているからあっという間にとられてしまいます。ショックです。
それから『ふんどし』という技(わざ)にもよくひっかります。『桂馬(けいま)』を使って、一手(いってで)二枚の駒をとっちゃうぞという戦法です。ほんとうによくひっかります。ぼーっとしているからでしょう。大笑いされます。
絵本では、どういうわけか、地球防衛隊みたいなかっこうをしたちびっこ男の子が、紫鬼の大事なところである「お〇んこ」をビーム銃で狙って撃っています。『角』の動きを表現してあるのでしょう。
じいちゃんによる孫男子への将棋特訓が始まりました。
さきほども書きましたが、ぼう銀戦法です。
盤面でいうと、左にある角(かく)の付近がぼろぼろにされてしまいます。守りが崩されます。
じょうずな筋書きをつくってある絵本でした。
マンガのような絵が楽しめました。色もきれいです。
熊太郎じいさんのほうは、孫たちのひとりが、絵を描いて熊じいさんにプレゼントしてくれました。
ありがとう。
じいじは、ユーチューブで将棋の初級講座を繰り返し見て勉強するよと言ったら、『強くならなくていい』と言い返されました。
小学校低学年ぐらい向けの絵本です。
絵本の中では、おじいちゃんは、将棋が強いという設定です。
現実世界では、熊太郎じいさんも小学校低学年の孫たちと将棋をしますが、いつも負けます。なぜなら、孫たちは囲碁将棋を習いに行っているからです。熊太郎じいさんは、100敗以上はしたと思います。勝ったのは5回ぐらいです。勝利の記念にスマホで盤面の写真を撮ろうとしたら、孫たちが将棋盤の上の駒をぐちゃぐちゃとこわしてしまうので、まだ一度も記念写真を撮れたことがありません。
熊太郎じいさんは、ひとつひとつの駒(こま)の動かし方は知っていますが定石(じょうせき)を知りません。勝ってきままに駒をすいすいと動かします。相手にどんどん自分の駒をとられて、自分の王さまは、相手に取られた駒で追い詰められます。
だいたい2分半から3分で決着がつきます。今までで一番早かったのはたしか、20手(にじゅって)もかからずに負けたことがあります。
でもいいのです。孫たちはいつも大喜びをしています。なんども『じいじ、将棋やろーー』と誘ってくれます。相手に自信をつけさせるための『噛ませ犬(かませいぬ。ボクシングでいうところの弱い相手をわざとあてがう。自信をつけさせる)』でいいのです。かれらのストレス解消になるでしょう。
熊太郎じいさんのともだちに将棋が好きな人がいます。
こども相手にボランティアで将棋を打っています。
熊太郎じいさんは、先手(せんて)を読むことがにがてだし、歳をとってきて記憶する力が低下してきたので、将棋に意識を集中させることは無理だとあきらめています。
さて絵本の感想です。
『きょう、がくどうで しょうぎを おぼえた。』から始まります。
学童保育所です。
熊太郎じいさん夫婦も共働き夫婦だったので、こどもたちを学童保育所に通わせました。
それももう三十年ぐらい前のことになってしまいました。
学童保育所はまあ、いろんなことをするところでした。こどもたちは、体験豊富になります。
飛車・角(ひしゃ・かく)を強い相手が使わない2枚落ちのことが書いてあります。
熊太郎じいさんがちびっこと将棋をやるときは、平手(ひらて。駒を落とさない)、それから、ちびっこのほうが、2枚落ち、4枚落ち、もっと多い枚数落ちと、そのときの気分と話し合いでやります。こどもというものは、だんだんルールを変えたがります。こどもが、好きなようにやらせています。
絵本の男児は、将棋をパパとやって、それから夏休みに祖父母宅に行ったときに、おじいさんと孫が将棋をやる展開です。そこで、おじいさんから将棋を教わります。(棒銀戦法(ぼうぎんせんぽう)を教わります)
将棋盤のことが書いてあります。
うちの場合は、四つ足の囲碁盤があって、その上にぺったんこの折り畳み式、板でできた将棋盤をのせて将棋をやっています。(熊太郎じいさんは囲碁も孫たちとやりますが、習っている孫たちに勝てたことがありません。たいてい陣地がなくて全滅です)
絵本では、変な絵があります。どういうわけか、メガネをかけたおばあさんが逆立ち(さかだち)をしています。
この本は、将棋の駒の動きを教えるテキスト絵本です。
『角(かく。斜めに動く)』の説明があります。
熊太郎じいさんは、ときどき、遠くから角が飛んできて自分の王さまをとられてしまいます。ぼーっとしているからあっという間にとられてしまいます。ショックです。
それから『ふんどし』という技(わざ)にもよくひっかります。『桂馬(けいま)』を使って、一手(いってで)二枚の駒をとっちゃうぞという戦法です。ほんとうによくひっかります。ぼーっとしているからでしょう。大笑いされます。
絵本では、どういうわけか、地球防衛隊みたいなかっこうをしたちびっこ男の子が、紫鬼の大事なところである「お〇んこ」をビーム銃で狙って撃っています。『角』の動きを表現してあるのでしょう。
じいちゃんによる孫男子への将棋特訓が始まりました。
さきほども書きましたが、ぼう銀戦法です。
盤面でいうと、左にある角(かく)の付近がぼろぼろにされてしまいます。守りが崩されます。
じょうずな筋書きをつくってある絵本でした。
マンガのような絵が楽しめました。色もきれいです。
熊太郎じいさんのほうは、孫たちのひとりが、絵を描いて熊じいさんにプレゼントしてくれました。
ありがとう。
じいじは、ユーチューブで将棋の初級講座を繰り返し見て勉強するよと言ったら、『強くならなくていい』と言い返されました。
2023年10月13日
クマにあったらどうするか 姉崎等 聞き書き・片山龍峯
クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房
なにかの記事でいい本だと紹介があり、取り寄せたのですが、勘違いして既読本の本棚に置きっぱなしになっていたのを、部屋の片付けをしていて気づき、そそくさと読んでみました。
(家には本がたくさんあるので、孫には図書館みたいだと言われています。この先、老化であまり出歩くことができない体になったら、毎日、本の再読を楽しみにしようと思っています)
本をつくったおふたりはすでに亡くなっています。
こちらは文庫本ですが、単行本は、2002年(平成14年)に発行されています。
クマを捕らえる北海道で猟師をしている姉崎等さんという方の語りを、片山龍峯さんが書き取りをしています。
姉崎等さんは、クマの毛皮を収入とするために猟師の道に入られています。
本のはじめの部分を読むと、近年(1990年)、ヒグマを保護するために、春のヒグマ猟は禁止されています。
2023年(令和5年)の今は、熊が人里まで降りてきて、人間にとっての脅威となっています。
原因はクマの食べ物の減少で、人間の生活が山奥へと広がるにつれて、野生動物は住む場所を失っています。
話ははずれますが、私の筆名である『熊太郎』は、私が高校生のときに決めたものです。もう半世紀ぐらい前のことです。長らく、苗字は付けませんでした。大きくて強いものにあこがれていました。
それが私にとっては、『熊』でした。その後ずいぶんたってから『進藤』という苗字を付けました。前向きな姿勢でいたかったからです。
さて本の方です。
姉崎さん:アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師だそうです。
ヒグマを『カムイ』と言う。カムイ=神さま
昔「カムイ伝」というマンガがあった記憶です。
姉崎さんの言葉として、『クマは自分の師匠だと本気で思っています』
クマの足跡を追ううちに、クマが考えていることがわかるようになった。クマから教えられることがたくさんあったそうです。
クマは山を合理的に歩くそうです。
人間は山の頂上をめざして歩く。クマは、頂上は目指さない。クマは山の7合目あたりから次の山に移動する。楽な移動ができる。
人間は岩場を登るときにピッケルを使う。(小型のつるはし)
クマは岩場を登るときに自身の爪を使う。
ふと思ったことです。
銃でクマを撃ちとったあと、クマをどうやって運ぶのだろう。姉崎さんには人間の相棒がいないそうです。(相棒は、狩猟犬であるアイヌ犬だそうです)
クマが食べているものは、人間が食べてもだいじょうぶ。
繰り返しになりますが、この本は、2002年(平成14年)に単行本が発行されています。もう20年ぐらい前です。クマ猟の内容は1990年ぐらいまでのヒグマ猟のやりかたのことで、戦前、戦後から続いて、今から30年ぐらい前の出来事です。
姉崎等さんのことです。1923年(大正12年)7月1日北海道鵡川村(むかわむら。現在むかわ町、恐竜で有名。むかわ竜。苫小牧市(とまこまいし)の東)生まれ。(今から100年ぐらい前にお生まれの方です)。3歳の時に千歳(ちとせ)に移る。
父親は、福島から来て屯田兵(とんでんへい。明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵隊。1904年に廃止(明治37年))をしていた。
父は亡先妻との間に女の子が4人できて、うち2人は親戚に預けられ、残り2人が父親についてきた。
父親は炭焼きをしていた。大雨の自然災害にあい、倒産した。8歳のときに蘭越(らんこし。蘭越町)にあるアイヌ民族の集落に移った。(先日、出川哲朗の充電させてもらえませんかでニセコあたりの映像が映ったのですが、そのあたりです)。
父親の後妻である姉崎さんの母親がアイヌ民族だったそうです。
姉崎さんが12歳のときに、父親が72歳で死去した。
父親の後妻の母親(自分の実親)と自分、異母妹2人の4人家族で、ご本人は学校にはあまり行かなかった。12歳という年齢のときから働いていた。狩猟少年だった。
釣った魚を旅館に売りに行っていた。
川魚のヤマメ、イタチ・野ウサギ猟をした。罠を仕掛けて捕らえた。自然が豊かだったのでたくさんとれた。ほかにシイタケがとれた。発電所の人が買ってくれた。
(思えば昔は、義務教育期間だからといってこどもが働かないということはありませんでした。とくに農家のこどもは稲作作業で働いていました)
姉崎さんはこどものころから働き続けて、17歳で自分たち家族が住むための家を建てています。知り合いを頼って家の建築をした。お金がない分は、相手の家に行って農業を手伝い、労働で対価を支払った。
札幌で彫刻の仕事をした。(この時代にみやげ物としてかなりの収益を得ることができたそうです)
姉崎さんは、酒もたばこもやらなかったのでお金が貯まったということはあります。お金がないという人の話を聞くと、たいてい、大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりします。
この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊にこの本を加えておきます。
時代的に兵役があります。
昭和18年21歳のときに軍隊に入って、樺太で(からふと)の国境付近で3年間ぐらいソ連軍と戦っておられます。実戦も体験されています。戦後1年間、ソ連の捕虜になって道路修復の仕事をされています。帰国したらお母さんは亡くなっていたそうです。妹は結婚して家を出て行っていたそうです。
昭和23年、25歳のときにアイヌ女性と結婚されています。アイヌ女性といっても、アイヌ語はできなくて狩猟をする家の娘さんでもなかったそうです。奥さんは、結核で医療費が高かったそうです。
生活費を稼ぐために千歳(ちとせ)にある米軍基地で働いた。夜になると山へ入ってイタチ猟をした。毛皮が高価に売れたそうです。イタチは竹筒のワナでとる。その日のうちに川をむいて板にはりつけるという加工をする。そういうことが書いてあります。生活費を得るためです。お金がなければ暮らしは始まらないのです。
思い出すに、この終戦後のころには、まだ国民健康保険とか国民年金とか、全国的なそういう制度はできていなかった記憶です。
自然の幸を(さちを)有効活用して生活していきます。
サケが川をのぼってきます。
ヤマメもいます。お金になります。
夏は「釣り」、秋は「イタチ猟」、雪が降りだしたら「ノウサギ猟」、鉄砲を持つようになってからは「リス猟」だそうです。ノウサギは、針金でつくったワナで捕まえる。
わたしにとっては未知の世界です。読みながら疑似体験ができます。
リスの肉はおいしいそうです。リスは木の実を食べるからお肉がおいしくなるそうです。イタチはネズミを食べるから臭い。だから食べないけれど、年寄りは食べていたそうです。
食べ物だったらなんでも売れる戦後の時代だったそうです。
(つづく)
お金のための野生動物や魚、シイタケ狩りの狩猟です。時代は戦後の昭和20年代ぐらいです。
ムジナ(エゾタヌキ)が一時期高額で毛皮として売れたそうです。食用でもあります。鉄砲ではなく、アイヌ犬が噛んで捕まえるそうです。人間とアイヌ犬との信頼関係づくりについて熱く語っておられます。犬と意思疎通ができるようになるそうです。
貧乏暮らしから脱出するのに20年かかった。ようやく人並みの生活ができるようになったとあります。
昭和30年頃までは、クマの毛皮は2万円もしなくて安かった。高度経済成長が続くにつれて、昭和46年にはクマの毛皮に70万円とか80万円の値が付くようになった。
狩猟の様子は、読み手にとっては過酷に見えますが、姉崎さんにとっては自然な移動行動です。苦にされていません。
ふつうの人はヒグマから逃げますが、姉崎さんはヒグマを追いかけます。
これまでに、ひとりで40頭、集団で20頭を仕留めたそうです。
アイヌ人差別があるようです。
姉崎さんはハーフ(和人の父とアイヌの母)なのですが、人に言うときは『アイヌのクマ撃ちです』と名乗るそうです。和人というとなんやかんやと説明を求められるので、アイヌと言えばすっきりするそうです。
クマ撃ちは、よっぽど必要なときしか鉄砲は撃たない。必要最小限しか撃たない。
狩猟で移動しながら、たまに、エゾライチョウを食べる。おいしいそうです。
登山者のようです。
クマの肉は食べない。クマ肉だけ食べると腸が消化してくれないそうです。
米五升と味噌(みそ)、塩を持って山に長期間入る。
連れている犬も、米を食べる。
箸は(はしは)持って行かない。木の幹からつくる。
食事は、朝と夕の一日二回。狩猟は10日間ぐらい。山を歩き続ける。
非常食はハム。非常食だから食べない。食べずに持ち帰る。
酒は飲まない。酒はもっていくが、山の神と火の神に祈る儀式で使う。山の神から山を使う許可を得る。無事を祈る。
誤射がある。仲間に撃たれることがある。
黒い服は着ない。白い服を着る。黒い服を着るとクマと間違われて誤射されることがある。
尻が濡れないように腰にクマの毛皮やシカの毛皮をぶらさげると猟師に間違われて狙われることがあるから要注意だそうです。
村田銃(明治時代につくられた国産銃。薩摩藩の村田という人がつくった)を20年間ぐらい使ったあと、ライフル銃を使用している。弾は(たまは)30発あれば十分だそうです。
ナイフや鉈(ナタ)がリュックの中にある。すごく切れる刃物となっている。
マッチが大事。マッチを濡らすとたいへんなことになるので、濡らさないように完全包装している。ライターは役に立たない。極寒、強風下では、ライターでは、火がつかない。
クワ(杖つえ)が必需品。銃を撃つ時に支えになる。さきっぽが、ふたまたに分かれている。クワを使うことで雪道や雪坂を速く移動できる。ナナカマドでクワをつくる。
凍傷をさけるために、川に落ちて長靴に水が入ったときは、水を抜かない。水は人肌で温かくなる。靴下をしぼってはくと足が凍傷になってしまう。
(今まで知らなかった世界が、本を読むことで、疑似体験できます)
(つづく)
クマ撃ちのために山に入って10日間を過ごすのですが、寝る場所のつくり方について書いてあります。
ご本人いわく簡単だという『仮小屋』から、トドマツを窪地で切り倒して、窪地にトドマツの葉っぱを敷いて寝る簡単なものまであります。大工さんのようです。
気象情報を慎重に聴く。ラジオの天気予報が大事。山の天気は変わりやすい。雲に見える部分は霧雨状態になっている。いろいろ悪天候の時のことが書いてあります。
余談ですが、最近の若い人はラジオを聞かなくなりました。昼間聞いているのは年配の人間ばかりで、ラジオからは40年ぐらい前にはやった歌が毎日流れています。人生を2回体験しているみたいで不思議な感じがします。
動物の生態について詳しく書かれています。
動物も山で道に迷う。キツネも迷う。
足跡に関する記述が興味深い。
人間の判断を狂わせるために、数頭いても足跡は一頭に見えるように、あとからのものは、まえのものの足跡を踏んでいくそうです。ほかにもいろいろパターンが書いてあります。
兵隊では、軍用犬教育担当だった。
シェパードを教育していた。
犬との信頼関係の築き方が書いてあります。
犬が犬を教えることがあるそうです。いろいろと知らなかった世界を教えてくれる本です。
クマには知恵があります。
読んでいると『カラス』の知恵のようだと類推します。動物は賢い。
生存競争が厳しい。クマは人間に撃たれないようにいろいろ工夫をして行動しています。
クマは人間の行動をじっくり観察して対応を考えている。
姉崎さんは、『自分がクマなら、こうする』と考えるそうです。ゆえにクマが師匠なのです。自分がクマになりきって、山での狩猟や移動を行っているそうです。
エサのある森林が減ってきている。
いろいろうまくいていない植林などの施策について書いてあります。ミズナラをやめてマツなどの針葉樹林にしたからエサがなくなった。
2002年(平成14年)発行の本を文庫化してあるのですが、記述に『……クマというのはそんなにすぐ襲ってくる動物ではないと私が言うのは証明できると思います。』とあります。書いてあることは1990年ぐらいまでの実例をもとにしてあるので、30年ぐらいの時が流れて、今年はクマが人を襲う事例が多発しています。自然環境の状態がクマにとっては悪くなって、食べるものが山になくなって、クマの気性も荒くなってしまったのだろうかと思いを巡らせながら読んでいます。
クマは日当たりがいいところに寝っころがって過ごすことが好きだそうです。
寝る場所が3つあって、午前、午後、その後と、太陽の位置が移動するごとに寝っころがる場所が圧迫されているそうです。
タヌキは、竹藪(たけやぶ)の中が好き。
野生動物たちは、どんぐりを食べる。クマの主食はドングリだそうです。
クマにも性格がある。性格がいいクマと性格が悪いクマがいる。クマの顔つきでわかるそうです。
クマはヘビを嫌う。
クマの瞬間走行スピードは60kmに達する。相当速い。
イヨマンテ:クマ祭り
アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う存在である。
カラスのいるところにはクマがいる。カラスはクマが捕まえた動物のおこぼれを狙っている。
カラスの葬式:カラスたちは、死骸から少しずつ離れていく。きっぱりとは離れない。
エカシ:おじいさん
クマを中心においたアイヌ民族の信仰があります。
自分たちの気持ちを納得させて安心する行為に思えました。
210ページ、本のタイトルもなっている『第五章 クマにあったらどうするか』です。
ヒグマは、オスの成獣が体重200kgぐらい、大きいものは400kgになるようなものもいる。
されど、ヒグマは自分より小さい人間を恐れている。ただし、一度人間を襲って、人間が弱いということを知ったクマは自信をもって人間に対して狂暴になるというような流れでお話があります。
おもしろいのは、クマに出会ったら(人間が)死んだふりをするという話があるのですが、姉崎さんの話では、猟師に会ったクマは、弾に撃たれて死んだふりをすることがあるそうです。言い伝えとは逆のパターンです。クマは死んだふりをして、近づいた猟師にいきなりとびかかるのです。
クマには知恵があって、かなり頭がいい。カラスぐらいの知能があるそうです。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
ベルトを振り回すのは有効。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようだ。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのこと。
クマが人間に対して、自分や自分たち(子グマ)の居場所を教えてくれることがある。人間に対する警告として、地面をドーンと叩いて大きな音をたてることがある。
276ページに、クマと出会ったときの対処法が箇条書きで示されています。
第六章です。クマが人を観察していることが書いてあります。クマは隠れない。クマは人に気づかれないようにそっと人の動きを観察しているそうです。襲うためではありません。自分たちが人間に危害を与えられるのではないかと人間を恐れているそうです。
クマは肉食獣ではない。クマの体が大きいから人間はクマを恐れていますが、クマから見れば大きな木を道具で切り倒したり、鉄砲で鹿を撃ったりの行動、あとは、人間の数の多さに恐怖感をもっているそうです。クマは、人間はすごく強い生き物だという意識をもっているそうです。
ただし、一度、人間が体力的に自分よりも非力であることを知ると、人間を恐れなくなるそうです。
第7章です。クマとの共存の話です。
1990年から春グマ猟が禁止となったそうです。個体数の減少が理由です。
姉崎さんも職業としてのクマ猟をやめられています。
ヒグマの数はとても減っているそうです。
人間がクマの住む地域に入りだしたことがクマと人間の対立につながっている。
人間が、キャンプ、バーベキューをやって、食べ物や飲食料が入っていた容器を放置する。クマが人間の食材の味を覚えて求めてくる。
クマは隠れない。クマは人間を観察するために、位置的に上のほうから人間を観ている。(山の上から)隠れずに観ている。
なんというか、人間の悪行について書いてあります。
人間がいい思いをするために、樹木や生物を殺していく。化学薬品をばらまいていく。その結果、山が死んでいる。クマが生きていける環境が残されていない。人間がクマのエリアに入り込みすぎている。
ルールをつくっても、クマは守るけれど、人間は守らない。守れない。
体が大きなクマは非常に憶病で人間を恐れている。ゆえに、体が大きくなるまで育つことができた。人間のいるところへはおりてこなかった。山奥の一定のエリア内で暮らしていた。食べ物がなくなったから人里におりてくるようになった。ドングリができるナラの木が山にない。植林でマツのような針葉樹ばかりになってしまった。
2歳ぐらいの子グマはかわいらしくて、人間と遊ぶそうです。すもうをとっても噛みついたり、爪をたてたりはしてこないそうです。
第8章
姉崎さんは2000年で77歳です。
北海道にある国立公園内の林道をパトロールする。
『クマのエリアだからそこにクマがいるのはあたりまえ……(人間がクマのエリアに入りこんできて、クマがいる(からなんとかしろ)と騒ぎ立てる……』
人間は、観光収入目当てに自然界に手を加えて、環境を変えてしまった。
クマにおおいかぶさられて、大きな口を開かれたときの対処法が書いてあります。
手でグーをつくって、クマの口の中に手を伸ばして口の中をかきまわす。舌を引っ張るとクマは驚いて逃げて行くそうです。かなり度胸がいりますが、死んでたまるかーーと思えばできるそうです。手の代わりに刃物や棒でもいいそうです。その体勢だとクマは前足で人間の頭に触れることができないそうです。なんともすさまじい話です。体験者が複数います。(案外、人間は強い)
(あとがきから)
インタビューは、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)、あしかけ3年、合計6回行われたそうです。
姉崎さんは、2013年(平成25年)に享年90歳で亡くなった。
聞き手の片山さんは、2004年(平成16年)にアメリカのダラスで病死された。62歳ぐらいだった。
読み終えて思ったのは、クマは人間に狂暴な動物だと誤解されている。もしかしたら、猫よりも気が小さいかもしれない。体が大きいだけで、力持ちの乱暴者とレッテルを貼られている。(これはこうだという札(ふだ)をはられている)。とかく、人間界は、誤解と錯覚で成り立っている。
なにかの記事でいい本だと紹介があり、取り寄せたのですが、勘違いして既読本の本棚に置きっぱなしになっていたのを、部屋の片付けをしていて気づき、そそくさと読んでみました。
(家には本がたくさんあるので、孫には図書館みたいだと言われています。この先、老化であまり出歩くことができない体になったら、毎日、本の再読を楽しみにしようと思っています)
本をつくったおふたりはすでに亡くなっています。
こちらは文庫本ですが、単行本は、2002年(平成14年)に発行されています。
クマを捕らえる北海道で猟師をしている姉崎等さんという方の語りを、片山龍峯さんが書き取りをしています。
姉崎等さんは、クマの毛皮を収入とするために猟師の道に入られています。
本のはじめの部分を読むと、近年(1990年)、ヒグマを保護するために、春のヒグマ猟は禁止されています。
2023年(令和5年)の今は、熊が人里まで降りてきて、人間にとっての脅威となっています。
原因はクマの食べ物の減少で、人間の生活が山奥へと広がるにつれて、野生動物は住む場所を失っています。
話ははずれますが、私の筆名である『熊太郎』は、私が高校生のときに決めたものです。もう半世紀ぐらい前のことです。長らく、苗字は付けませんでした。大きくて強いものにあこがれていました。
それが私にとっては、『熊』でした。その後ずいぶんたってから『進藤』という苗字を付けました。前向きな姿勢でいたかったからです。
さて本の方です。
姉崎さん:アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師だそうです。
ヒグマを『カムイ』と言う。カムイ=神さま
昔「カムイ伝」というマンガがあった記憶です。
姉崎さんの言葉として、『クマは自分の師匠だと本気で思っています』
クマの足跡を追ううちに、クマが考えていることがわかるようになった。クマから教えられることがたくさんあったそうです。
クマは山を合理的に歩くそうです。
人間は山の頂上をめざして歩く。クマは、頂上は目指さない。クマは山の7合目あたりから次の山に移動する。楽な移動ができる。
人間は岩場を登るときにピッケルを使う。(小型のつるはし)
クマは岩場を登るときに自身の爪を使う。
ふと思ったことです。
銃でクマを撃ちとったあと、クマをどうやって運ぶのだろう。姉崎さんには人間の相棒がいないそうです。(相棒は、狩猟犬であるアイヌ犬だそうです)
クマが食べているものは、人間が食べてもだいじょうぶ。
繰り返しになりますが、この本は、2002年(平成14年)に単行本が発行されています。もう20年ぐらい前です。クマ猟の内容は1990年ぐらいまでのヒグマ猟のやりかたのことで、戦前、戦後から続いて、今から30年ぐらい前の出来事です。
姉崎等さんのことです。1923年(大正12年)7月1日北海道鵡川村(むかわむら。現在むかわ町、恐竜で有名。むかわ竜。苫小牧市(とまこまいし)の東)生まれ。(今から100年ぐらい前にお生まれの方です)。3歳の時に千歳(ちとせ)に移る。
父親は、福島から来て屯田兵(とんでんへい。明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵隊。1904年に廃止(明治37年))をしていた。
父は亡先妻との間に女の子が4人できて、うち2人は親戚に預けられ、残り2人が父親についてきた。
父親は炭焼きをしていた。大雨の自然災害にあい、倒産した。8歳のときに蘭越(らんこし。蘭越町)にあるアイヌ民族の集落に移った。(先日、出川哲朗の充電させてもらえませんかでニセコあたりの映像が映ったのですが、そのあたりです)。
父親の後妻である姉崎さんの母親がアイヌ民族だったそうです。
姉崎さんが12歳のときに、父親が72歳で死去した。
父親の後妻の母親(自分の実親)と自分、異母妹2人の4人家族で、ご本人は学校にはあまり行かなかった。12歳という年齢のときから働いていた。狩猟少年だった。
釣った魚を旅館に売りに行っていた。
川魚のヤマメ、イタチ・野ウサギ猟をした。罠を仕掛けて捕らえた。自然が豊かだったのでたくさんとれた。ほかにシイタケがとれた。発電所の人が買ってくれた。
(思えば昔は、義務教育期間だからといってこどもが働かないということはありませんでした。とくに農家のこどもは稲作作業で働いていました)
姉崎さんはこどものころから働き続けて、17歳で自分たち家族が住むための家を建てています。知り合いを頼って家の建築をした。お金がない分は、相手の家に行って農業を手伝い、労働で対価を支払った。
札幌で彫刻の仕事をした。(この時代にみやげ物としてかなりの収益を得ることができたそうです)
姉崎さんは、酒もたばこもやらなかったのでお金が貯まったということはあります。お金がないという人の話を聞くと、たいてい、大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりします。
この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊にこの本を加えておきます。
時代的に兵役があります。
昭和18年21歳のときに軍隊に入って、樺太で(からふと)の国境付近で3年間ぐらいソ連軍と戦っておられます。実戦も体験されています。戦後1年間、ソ連の捕虜になって道路修復の仕事をされています。帰国したらお母さんは亡くなっていたそうです。妹は結婚して家を出て行っていたそうです。
昭和23年、25歳のときにアイヌ女性と結婚されています。アイヌ女性といっても、アイヌ語はできなくて狩猟をする家の娘さんでもなかったそうです。奥さんは、結核で医療費が高かったそうです。
生活費を稼ぐために千歳(ちとせ)にある米軍基地で働いた。夜になると山へ入ってイタチ猟をした。毛皮が高価に売れたそうです。イタチは竹筒のワナでとる。その日のうちに川をむいて板にはりつけるという加工をする。そういうことが書いてあります。生活費を得るためです。お金がなければ暮らしは始まらないのです。
思い出すに、この終戦後のころには、まだ国民健康保険とか国民年金とか、全国的なそういう制度はできていなかった記憶です。
自然の幸を(さちを)有効活用して生活していきます。
サケが川をのぼってきます。
ヤマメもいます。お金になります。
夏は「釣り」、秋は「イタチ猟」、雪が降りだしたら「ノウサギ猟」、鉄砲を持つようになってからは「リス猟」だそうです。ノウサギは、針金でつくったワナで捕まえる。
わたしにとっては未知の世界です。読みながら疑似体験ができます。
リスの肉はおいしいそうです。リスは木の実を食べるからお肉がおいしくなるそうです。イタチはネズミを食べるから臭い。だから食べないけれど、年寄りは食べていたそうです。
食べ物だったらなんでも売れる戦後の時代だったそうです。
(つづく)
お金のための野生動物や魚、シイタケ狩りの狩猟です。時代は戦後の昭和20年代ぐらいです。
ムジナ(エゾタヌキ)が一時期高額で毛皮として売れたそうです。食用でもあります。鉄砲ではなく、アイヌ犬が噛んで捕まえるそうです。人間とアイヌ犬との信頼関係づくりについて熱く語っておられます。犬と意思疎通ができるようになるそうです。
貧乏暮らしから脱出するのに20年かかった。ようやく人並みの生活ができるようになったとあります。
昭和30年頃までは、クマの毛皮は2万円もしなくて安かった。高度経済成長が続くにつれて、昭和46年にはクマの毛皮に70万円とか80万円の値が付くようになった。
狩猟の様子は、読み手にとっては過酷に見えますが、姉崎さんにとっては自然な移動行動です。苦にされていません。
ふつうの人はヒグマから逃げますが、姉崎さんはヒグマを追いかけます。
これまでに、ひとりで40頭、集団で20頭を仕留めたそうです。
アイヌ人差別があるようです。
姉崎さんはハーフ(和人の父とアイヌの母)なのですが、人に言うときは『アイヌのクマ撃ちです』と名乗るそうです。和人というとなんやかんやと説明を求められるので、アイヌと言えばすっきりするそうです。
クマ撃ちは、よっぽど必要なときしか鉄砲は撃たない。必要最小限しか撃たない。
狩猟で移動しながら、たまに、エゾライチョウを食べる。おいしいそうです。
登山者のようです。
クマの肉は食べない。クマ肉だけ食べると腸が消化してくれないそうです。
米五升と味噌(みそ)、塩を持って山に長期間入る。
連れている犬も、米を食べる。
箸は(はしは)持って行かない。木の幹からつくる。
食事は、朝と夕の一日二回。狩猟は10日間ぐらい。山を歩き続ける。
非常食はハム。非常食だから食べない。食べずに持ち帰る。
酒は飲まない。酒はもっていくが、山の神と火の神に祈る儀式で使う。山の神から山を使う許可を得る。無事を祈る。
誤射がある。仲間に撃たれることがある。
黒い服は着ない。白い服を着る。黒い服を着るとクマと間違われて誤射されることがある。
尻が濡れないように腰にクマの毛皮やシカの毛皮をぶらさげると猟師に間違われて狙われることがあるから要注意だそうです。
村田銃(明治時代につくられた国産銃。薩摩藩の村田という人がつくった)を20年間ぐらい使ったあと、ライフル銃を使用している。弾は(たまは)30発あれば十分だそうです。
ナイフや鉈(ナタ)がリュックの中にある。すごく切れる刃物となっている。
マッチが大事。マッチを濡らすとたいへんなことになるので、濡らさないように完全包装している。ライターは役に立たない。極寒、強風下では、ライターでは、火がつかない。
クワ(杖つえ)が必需品。銃を撃つ時に支えになる。さきっぽが、ふたまたに分かれている。クワを使うことで雪道や雪坂を速く移動できる。ナナカマドでクワをつくる。
凍傷をさけるために、川に落ちて長靴に水が入ったときは、水を抜かない。水は人肌で温かくなる。靴下をしぼってはくと足が凍傷になってしまう。
(今まで知らなかった世界が、本を読むことで、疑似体験できます)
(つづく)
クマ撃ちのために山に入って10日間を過ごすのですが、寝る場所のつくり方について書いてあります。
ご本人いわく簡単だという『仮小屋』から、トドマツを窪地で切り倒して、窪地にトドマツの葉っぱを敷いて寝る簡単なものまであります。大工さんのようです。
気象情報を慎重に聴く。ラジオの天気予報が大事。山の天気は変わりやすい。雲に見える部分は霧雨状態になっている。いろいろ悪天候の時のことが書いてあります。
余談ですが、最近の若い人はラジオを聞かなくなりました。昼間聞いているのは年配の人間ばかりで、ラジオからは40年ぐらい前にはやった歌が毎日流れています。人生を2回体験しているみたいで不思議な感じがします。
動物の生態について詳しく書かれています。
動物も山で道に迷う。キツネも迷う。
足跡に関する記述が興味深い。
人間の判断を狂わせるために、数頭いても足跡は一頭に見えるように、あとからのものは、まえのものの足跡を踏んでいくそうです。ほかにもいろいろパターンが書いてあります。
兵隊では、軍用犬教育担当だった。
シェパードを教育していた。
犬との信頼関係の築き方が書いてあります。
犬が犬を教えることがあるそうです。いろいろと知らなかった世界を教えてくれる本です。
クマには知恵があります。
読んでいると『カラス』の知恵のようだと類推します。動物は賢い。
生存競争が厳しい。クマは人間に撃たれないようにいろいろ工夫をして行動しています。
クマは人間の行動をじっくり観察して対応を考えている。
姉崎さんは、『自分がクマなら、こうする』と考えるそうです。ゆえにクマが師匠なのです。自分がクマになりきって、山での狩猟や移動を行っているそうです。
エサのある森林が減ってきている。
いろいろうまくいていない植林などの施策について書いてあります。ミズナラをやめてマツなどの針葉樹林にしたからエサがなくなった。
2002年(平成14年)発行の本を文庫化してあるのですが、記述に『……クマというのはそんなにすぐ襲ってくる動物ではないと私が言うのは証明できると思います。』とあります。書いてあることは1990年ぐらいまでの実例をもとにしてあるので、30年ぐらいの時が流れて、今年はクマが人を襲う事例が多発しています。自然環境の状態がクマにとっては悪くなって、食べるものが山になくなって、クマの気性も荒くなってしまったのだろうかと思いを巡らせながら読んでいます。
クマは日当たりがいいところに寝っころがって過ごすことが好きだそうです。
寝る場所が3つあって、午前、午後、その後と、太陽の位置が移動するごとに寝っころがる場所が圧迫されているそうです。
タヌキは、竹藪(たけやぶ)の中が好き。
野生動物たちは、どんぐりを食べる。クマの主食はドングリだそうです。
クマにも性格がある。性格がいいクマと性格が悪いクマがいる。クマの顔つきでわかるそうです。
クマはヘビを嫌う。
クマの瞬間走行スピードは60kmに達する。相当速い。
イヨマンテ:クマ祭り
アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う存在である。
カラスのいるところにはクマがいる。カラスはクマが捕まえた動物のおこぼれを狙っている。
カラスの葬式:カラスたちは、死骸から少しずつ離れていく。きっぱりとは離れない。
エカシ:おじいさん
クマを中心においたアイヌ民族の信仰があります。
自分たちの気持ちを納得させて安心する行為に思えました。
210ページ、本のタイトルもなっている『第五章 クマにあったらどうするか』です。
ヒグマは、オスの成獣が体重200kgぐらい、大きいものは400kgになるようなものもいる。
されど、ヒグマは自分より小さい人間を恐れている。ただし、一度人間を襲って、人間が弱いということを知ったクマは自信をもって人間に対して狂暴になるというような流れでお話があります。
おもしろいのは、クマに出会ったら(人間が)死んだふりをするという話があるのですが、姉崎さんの話では、猟師に会ったクマは、弾に撃たれて死んだふりをすることがあるそうです。言い伝えとは逆のパターンです。クマは死んだふりをして、近づいた猟師にいきなりとびかかるのです。
クマには知恵があって、かなり頭がいい。カラスぐらいの知能があるそうです。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
ベルトを振り回すのは有効。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようだ。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのこと。
クマが人間に対して、自分や自分たち(子グマ)の居場所を教えてくれることがある。人間に対する警告として、地面をドーンと叩いて大きな音をたてることがある。
276ページに、クマと出会ったときの対処法が箇条書きで示されています。
第六章です。クマが人を観察していることが書いてあります。クマは隠れない。クマは人に気づかれないようにそっと人の動きを観察しているそうです。襲うためではありません。自分たちが人間に危害を与えられるのではないかと人間を恐れているそうです。
クマは肉食獣ではない。クマの体が大きいから人間はクマを恐れていますが、クマから見れば大きな木を道具で切り倒したり、鉄砲で鹿を撃ったりの行動、あとは、人間の数の多さに恐怖感をもっているそうです。クマは、人間はすごく強い生き物だという意識をもっているそうです。
ただし、一度、人間が体力的に自分よりも非力であることを知ると、人間を恐れなくなるそうです。
第7章です。クマとの共存の話です。
1990年から春グマ猟が禁止となったそうです。個体数の減少が理由です。
姉崎さんも職業としてのクマ猟をやめられています。
ヒグマの数はとても減っているそうです。
人間がクマの住む地域に入りだしたことがクマと人間の対立につながっている。
人間が、キャンプ、バーベキューをやって、食べ物や飲食料が入っていた容器を放置する。クマが人間の食材の味を覚えて求めてくる。
クマは隠れない。クマは人間を観察するために、位置的に上のほうから人間を観ている。(山の上から)隠れずに観ている。
なんというか、人間の悪行について書いてあります。
人間がいい思いをするために、樹木や生物を殺していく。化学薬品をばらまいていく。その結果、山が死んでいる。クマが生きていける環境が残されていない。人間がクマのエリアに入り込みすぎている。
ルールをつくっても、クマは守るけれど、人間は守らない。守れない。
体が大きなクマは非常に憶病で人間を恐れている。ゆえに、体が大きくなるまで育つことができた。人間のいるところへはおりてこなかった。山奥の一定のエリア内で暮らしていた。食べ物がなくなったから人里におりてくるようになった。ドングリができるナラの木が山にない。植林でマツのような針葉樹ばかりになってしまった。
2歳ぐらいの子グマはかわいらしくて、人間と遊ぶそうです。すもうをとっても噛みついたり、爪をたてたりはしてこないそうです。
第8章
姉崎さんは2000年で77歳です。
北海道にある国立公園内の林道をパトロールする。
『クマのエリアだからそこにクマがいるのはあたりまえ……(人間がクマのエリアに入りこんできて、クマがいる(からなんとかしろ)と騒ぎ立てる……』
人間は、観光収入目当てに自然界に手を加えて、環境を変えてしまった。
クマにおおいかぶさられて、大きな口を開かれたときの対処法が書いてあります。
手でグーをつくって、クマの口の中に手を伸ばして口の中をかきまわす。舌を引っ張るとクマは驚いて逃げて行くそうです。かなり度胸がいりますが、死んでたまるかーーと思えばできるそうです。手の代わりに刃物や棒でもいいそうです。その体勢だとクマは前足で人間の頭に触れることができないそうです。なんともすさまじい話です。体験者が複数います。(案外、人間は強い)
(あとがきから)
インタビューは、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)、あしかけ3年、合計6回行われたそうです。
姉崎さんは、2013年(平成25年)に享年90歳で亡くなった。
聞き手の片山さんは、2004年(平成16年)にアメリカのダラスで病死された。62歳ぐらいだった。
読み終えて思ったのは、クマは人間に狂暴な動物だと誤解されている。もしかしたら、猫よりも気が小さいかもしれない。体が大きいだけで、力持ちの乱暴者とレッテルを貼られている。(これはこうだという札(ふだ)をはられている)。とかく、人間界は、誤解と錯覚で成り立っている。