2023年10月11日
あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子・作 林明子・絵
あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子(つつい・よりこ)さく 林明子え 福音館書店
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、読みながらの感想です。
姉が『あさえ』で、5歳ぐらいの女の子に見える絵です。
妹が『あや』で、2歳か3歳ぐらいに見えます。
おかあさんが、銀行へ行って帰ってくるまで、ふたりでお留守番なのですが、2歳児ぐらいのあやが、じっとしているわけがありません。いつのまにか家を出て、どこかへ行ってしまいました。さあ、たいへん!です。
2歳児は、自分の思いどおりにならないとすぐ泣きます。親でも困り果てることがあります。(感想を書き終えて数日たったこととして:なんだか、最近ニュースで話題になった“こどもだけの留守番”は虐待に当たるという条例制定の件みたいで、不思議な気持ちになりました)
下の子が、事故にあったり、人に連れ去られたりしたら、家族各自の人生が狂います。
兄弟姉妹の関係があると、こういう体験があったりもします。
ひとりっ子の人は知ることがない体験です。
とにかく、あさえは、留守番中に家からいなくなった妹のあやを探し出さなければなりません。
でもなかなか見つかりません。
どうしよう(本来は、こどもふたりだけにして用事で家を出て行った母親の責任です)
緊張の時間帯が流れます。
よかった。
妹のあやは、近くの公園にいました。
最後の絵がいい。
妹をぎゅっと抱きしめる姉でした。
安心しました。
1982年(昭和57年)初版の絵本です。
いつもながら安心できる林明子さんの絵です。
『こんとあき 林明子 福音館書店』は、名作です。思い出しました。
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、読みながらの感想です。
姉が『あさえ』で、5歳ぐらいの女の子に見える絵です。
妹が『あや』で、2歳か3歳ぐらいに見えます。
おかあさんが、銀行へ行って帰ってくるまで、ふたりでお留守番なのですが、2歳児ぐらいのあやが、じっとしているわけがありません。いつのまにか家を出て、どこかへ行ってしまいました。さあ、たいへん!です。
2歳児は、自分の思いどおりにならないとすぐ泣きます。親でも困り果てることがあります。(感想を書き終えて数日たったこととして:なんだか、最近ニュースで話題になった“こどもだけの留守番”は虐待に当たるという条例制定の件みたいで、不思議な気持ちになりました)
下の子が、事故にあったり、人に連れ去られたりしたら、家族各自の人生が狂います。
兄弟姉妹の関係があると、こういう体験があったりもします。
ひとりっ子の人は知ることがない体験です。
とにかく、あさえは、留守番中に家からいなくなった妹のあやを探し出さなければなりません。
でもなかなか見つかりません。
どうしよう(本来は、こどもふたりだけにして用事で家を出て行った母親の責任です)
緊張の時間帯が流れます。
よかった。
妹のあやは、近くの公園にいました。
最後の絵がいい。
妹をぎゅっと抱きしめる姉でした。
安心しました。
1982年(昭和57年)初版の絵本です。
いつもながら安心できる林明子さんの絵です。
『こんとあき 林明子 福音館書店』は、名作です。思い出しました。
2023年10月10日
定本 本屋図鑑 夏葉社
定本 本屋図鑑 本屋図鑑編集部・編 徳地直美・絵 夏葉社
わたしの実用書の読み方です。
最初に1回目の本読みがあります。
1ページずつすべてのページをゆっくりめくりながら、なにが書いてあるか見当をつけます。この本は全体で400ページあります。盛りだくさんです。
古いものを追う企画にみえます。
消えていくものです。(町の本屋)
1995年、ウィンドウズ95が発表されて以降、物の流通が大きく変化していきました。
ネットで注文、配達、電子書籍の登場です。
町の本屋がたくさんなくなりました。
憩いの場であった町の本屋です。
こちらの本に、そんな本屋の紹介が盛りだくさんです。全国47都道府県を回っておられます。
取材は、2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)6月の約半年間と2020年(令和2年)以降です。
9月29日金曜日午前4時、ワールドカップラグビー日本対サモア戦を見ながらこの本のページをめくり始めました。(結果は日本のぎりぎり勝利でした。サモアも強かった)(その後:10月9日朝のこと。昨夜、アルゼンチンに惜敗しました。残念。またの機会を期待しましょう)
さて、本の方は、手づくり感が満載です。
書店の姿を描いた絵がいい。絵がたくさんあります。写真より絵のほうが、つくり手の気持ちが伝わってきます。
ちびっこアイドル、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、スネ夫君、ジャイアンの顔も出てきます。
空間の広がりがある絵です。
全国を巡る取材力があります。
本屋巡りを理由にした旅の本でもあります。
241ページに初めて写真が出てきました。書店内のようすです。本棚の前で、店員さんがお客さんに本の説明をしています。その後何枚かの写真が登場します。味わいがあります。
消えていくもの、衰退したものとして、『炭坑』があります。わたしが中学生ぐらいまでのころに全国から次々と炭坑が消えていきました。
今の時代は、本屋が消えていく時代です。
ガソリンスタンドも減りました。石炭が否定されて、ガソリンが否定されて、産業は順番に変化していきます。
(2回目の本読み)
日本にある本屋の76店舗の記録です。
リブロ:中規模書店チェーン。その後合併して「リブロプラス」になっている。
ページの絵に、書店の陳列棚の絵があるのですが、わたしの自宅の本箱にある本や同じ作者の絵があって、うれしい気分になれました。
ろう(耳が聞こえない)の写真家斉藤陽道(さいとう・はるみち)さんとか『ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず 女性) 写真・鈴木六郎 ポプラ社』とか『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社』とか、ショーン・タンの世界という本があります。うちの本棚にあるのは、『アライバル ショーン・タン 河出書房新社』とか、和田誠さんの絵だと星新一作品が思い出されます。
今年は4月から9月末まで、NHKBSの再放送でじぇじぇじぇの『あまちゃん』を観ていたのですが、この本の中にある本棚の絵には『はしれさんてつ、きぼうをのせて』という本とさんてつの本が置いてあります。岩手県を走る三陸鉄道です。
本屋の紹介内容はそれほど長い文章ではありません。コンパクトにまとめられています。
起承転結にのせた文章です。ちょっと短いかなとも感じられます。情報についての物足りなさがあります。基本的に2ページで絵ものせてひとつの書店紹介です。
大学を中退して、本屋へ通うようになり、本読みに没頭して、本屋を志した書店経営者の方がおられます。こちらの本の出版社の経営者の方と似ています。
児童書の特徴として、本のサイズがさまざまであることが紹介されています。わたしは、絵本は、絵画集の面もあると思っています。
住宅地図の価格は、40年ぐらい前は今よりもずいぶん安価だった覚えがありますが、今は高価になりました。理由はわかりませんが、情報量の増加と買い手の減少があるのかもしれません。
昔は注文して配達してもらうということがよくありました。
本の販売だけでは食べていけないので、文房具やしゃれたおしゃれ雑貨の販売もする。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせ会を定期的に開催してくれる本屋さんもあります。
名言があります。『本は過去のことも未来のことも教えてくれる……』疑似体験ができることが本読みの楽しみです。
こちらの本を読む楽しみのひとつがイラストの絵をながめることです。
本屋経営は派手(はで)ではない。
地味に息長くやっていくもの。
長い歴史をもつ本屋がいくつか出てきます。地方に多い。
できるならたくさんの本を置ける広いスペースがほしい。
配達は、『文化』を届ける。
おとなが満足するための絵本よりも、こどもが楽しむための絵本が売れてほしい。
保育園では、毎朝15分、絵本の時間がある。それ以外、いつでも自由に絵本を読んでいい。
(絵本読みは、こどもが成長してからの犯罪行為防止に役立つとわたしは思っています)
身近に本がある環境をつくる。
災害の被災地の本屋さんも訪ねます。『…… 人間が死ぬのは自然なことですよ』
人は簡単に死にます。病気、事故、事件、自然災害、最近だと戦争、人のまわりには危険がいっぱいです。
(この本の240ページあたりにそんなことが書いてあります)
本に掲載があるけれど、今現在で閉店されたお店も多い。
時流ですからなかなか流れにはさからえません。
イラストの絵はち密です。スマホで写真を撮っておいてあとから書名・作家名などを書き込んでおられるのかもしれません。そうではないにしても根気がいる作業です。
ジュリスト:法律家。雑誌名
全国を旅するような内容の本です。読んでいて思うことは、東北地方の人は、人生において、九州地方へ行くことはほとんどないだろう。その逆で、九州地方の人が、東北地方へ行くこともほとんどないだろう。
傑作なページがあります。
230ページあたりです。
広島県に住む女子中学生の作文です。
中学校に入学して、念願の図書委員に4人をじゃんけんで負かしてなった。
ところが、その中学校にある図書室が開かない。
毎日、開かない。
図書室が、図書室として機能していない。
(そんな学校図書室があるのかと驚いて笑ってしまいました)
図書室を開けるところから始まるのです。
図書室を開けたけれど、だれも来ない。
利用客は自分だけ。
その後、彼女はがんばります。
『図書室愛』がさく裂します。
中学3年間のことが書いてあります。
おもしろかった。
本が好きなのです。
女子中学生の言葉で、『人ってすぐ死んじゃうんだ』と書いてあります。(本当にそうです。五十代になって同窓会名簿を見たら、同級生や先輩後輩のなかで何人もの方が亡くなっていました。今学校で、教室にいるメンバー全員が超高齢者になれるまで生きていられるわけではないのです。病気や事故、事件や自然災害、そして戦争、人間のまわりには危険がいっぱいです)
『私の人生の目標は「やりたいことは全部やってから死ぬ」』と宣言してあります。すばらしい!
たいしたものです。びっくりしました。今年読んで良かった一冊です。
戦後からの書店の歴史経過があります。
戦争は、文化の範囲を狭くします。
大きな百科事典がありました。月賦払いの文学全集もありました。日本の文学とか、世界の文学とか、わたしは小学生のころ、父親に頼んで、毎月450円か500円で、『世界の文学』というシリーズの本を書店に頼んでいました。家に配達されていました。
全国共通図書券があって、2005年に図書カードができました。
大きな老舗(しにせ)の書店が倒産していきます。
電子的な情報が広がります。
「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のことが書いてあります。
(つづく)
『第九章 本屋さんの五十年』から写真のページが始まりました。昔の写真です。空犬太郎さんとう方のお名前が書いてあります。
写真を見ながら、小学館の小学生向け雑誌を思い出しました。
雑誌には付録が付いています。
今年の夏は、『小学一年生』だったか、『小学0年生』だったか、どっちだったか思い出せませんが、孫たちは、付録で、『コンビニ店舗』と『ポケモンのボーリング』に夢中になっていました。
ボーリングのほうは、紙の手づくり程度の小さなものなのですが、それを使用したボーリングゲームでかなり盛り上がりました。
その場にいた親族5人が板の間で、紙でつくったボーリングのボールを、同じく紙でつくったポケモンのピンに向けて順番に投げて大騒ぎをして楽しみました。
なんというか、こどもというものは、超豪華な遊び道具でなくても、楽しく遊べるものなのです。
昭和30年代から40年代、50年代(1955年~1985年)ぐらいの写真です。
写真をながめながら、自分もこの写真の中の世界で暮らしていたという実感がわきます。
シュリンク:本のビニールカバー。1980年代から(昭和55年代)
CVS:コンビニエンスストアー(本屋や雑誌の販売で流通に変化が生まれた)
1975年(昭和50年)当時と現在を比較すると、15歳未満人口が1000万人ぐらい減っているそうです。本や雑誌を買ったり読んだりする少年や少女が減るわけです。
スマホで育児。スマホで本読み。(絵本は絵本のままで読んだほうがいいと思います)
345ページから『十章 本屋原論 笈入建志(おいり・けんじ)』とあります。
『本には二種類ある。すぐに役立つ本(実用書。マニュアル本)といつか役に立つかもしれない本がある』から始まります。
現代の特徴である、電子情報による情報の無料化についての記述があります。
出版の仕組みを中心にして分析は続き、本屋にとっては、利潤を得るうえで不利なことがわかります。
『本を愛する人ほど、いま世間で売れている本のみで埋め尽くされた本屋では満足できない……』とあります。ゆえに、ネットで注文するという手法になっているとわたしは考えます。
本屋を経営するためには、『見渡す力』が必要だと強調されています。同感です。『世界の縮図を目指す』と思考されています。
子どもさんを中心に考える。住んでいる身近に本屋があったほうがいい。マンガコミックに熱中するのは自然な育ちの法則です。
付録部分では、本屋の一年と本屋の一日が紹介されています。
あとがきでは、(本屋の)図鑑のような本をつくりたかったと、この本をつくった動機が語られています。
『本屋図鑑編集部』という4人のチームでつくられた本です。
わたしの実用書の読み方です。
最初に1回目の本読みがあります。
1ページずつすべてのページをゆっくりめくりながら、なにが書いてあるか見当をつけます。この本は全体で400ページあります。盛りだくさんです。
古いものを追う企画にみえます。
消えていくものです。(町の本屋)
1995年、ウィンドウズ95が発表されて以降、物の流通が大きく変化していきました。
ネットで注文、配達、電子書籍の登場です。
町の本屋がたくさんなくなりました。
憩いの場であった町の本屋です。
こちらの本に、そんな本屋の紹介が盛りだくさんです。全国47都道府県を回っておられます。
取材は、2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)6月の約半年間と2020年(令和2年)以降です。
9月29日金曜日午前4時、ワールドカップラグビー日本対サモア戦を見ながらこの本のページをめくり始めました。(結果は日本のぎりぎり勝利でした。サモアも強かった)(その後:10月9日朝のこと。昨夜、アルゼンチンに惜敗しました。残念。またの機会を期待しましょう)
さて、本の方は、手づくり感が満載です。
書店の姿を描いた絵がいい。絵がたくさんあります。写真より絵のほうが、つくり手の気持ちが伝わってきます。
ちびっこアイドル、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、スネ夫君、ジャイアンの顔も出てきます。
空間の広がりがある絵です。
全国を巡る取材力があります。
本屋巡りを理由にした旅の本でもあります。
241ページに初めて写真が出てきました。書店内のようすです。本棚の前で、店員さんがお客さんに本の説明をしています。その後何枚かの写真が登場します。味わいがあります。
消えていくもの、衰退したものとして、『炭坑』があります。わたしが中学生ぐらいまでのころに全国から次々と炭坑が消えていきました。
今の時代は、本屋が消えていく時代です。
ガソリンスタンドも減りました。石炭が否定されて、ガソリンが否定されて、産業は順番に変化していきます。
(2回目の本読み)
日本にある本屋の76店舗の記録です。
リブロ:中規模書店チェーン。その後合併して「リブロプラス」になっている。
ページの絵に、書店の陳列棚の絵があるのですが、わたしの自宅の本箱にある本や同じ作者の絵があって、うれしい気分になれました。
ろう(耳が聞こえない)の写真家斉藤陽道(さいとう・はるみち)さんとか『ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず 女性) 写真・鈴木六郎 ポプラ社』とか『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社』とか、ショーン・タンの世界という本があります。うちの本棚にあるのは、『アライバル ショーン・タン 河出書房新社』とか、和田誠さんの絵だと星新一作品が思い出されます。
今年は4月から9月末まで、NHKBSの再放送でじぇじぇじぇの『あまちゃん』を観ていたのですが、この本の中にある本棚の絵には『はしれさんてつ、きぼうをのせて』という本とさんてつの本が置いてあります。岩手県を走る三陸鉄道です。
本屋の紹介内容はそれほど長い文章ではありません。コンパクトにまとめられています。
起承転結にのせた文章です。ちょっと短いかなとも感じられます。情報についての物足りなさがあります。基本的に2ページで絵ものせてひとつの書店紹介です。
大学を中退して、本屋へ通うようになり、本読みに没頭して、本屋を志した書店経営者の方がおられます。こちらの本の出版社の経営者の方と似ています。
児童書の特徴として、本のサイズがさまざまであることが紹介されています。わたしは、絵本は、絵画集の面もあると思っています。
住宅地図の価格は、40年ぐらい前は今よりもずいぶん安価だった覚えがありますが、今は高価になりました。理由はわかりませんが、情報量の増加と買い手の減少があるのかもしれません。
昔は注文して配達してもらうということがよくありました。
本の販売だけでは食べていけないので、文房具やしゃれたおしゃれ雑貨の販売もする。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせ会を定期的に開催してくれる本屋さんもあります。
名言があります。『本は過去のことも未来のことも教えてくれる……』疑似体験ができることが本読みの楽しみです。
こちらの本を読む楽しみのひとつがイラストの絵をながめることです。
本屋経営は派手(はで)ではない。
地味に息長くやっていくもの。
長い歴史をもつ本屋がいくつか出てきます。地方に多い。
できるならたくさんの本を置ける広いスペースがほしい。
配達は、『文化』を届ける。
おとなが満足するための絵本よりも、こどもが楽しむための絵本が売れてほしい。
保育園では、毎朝15分、絵本の時間がある。それ以外、いつでも自由に絵本を読んでいい。
(絵本読みは、こどもが成長してからの犯罪行為防止に役立つとわたしは思っています)
身近に本がある環境をつくる。
災害の被災地の本屋さんも訪ねます。『…… 人間が死ぬのは自然なことですよ』
人は簡単に死にます。病気、事故、事件、自然災害、最近だと戦争、人のまわりには危険がいっぱいです。
(この本の240ページあたりにそんなことが書いてあります)
本に掲載があるけれど、今現在で閉店されたお店も多い。
時流ですからなかなか流れにはさからえません。
イラストの絵はち密です。スマホで写真を撮っておいてあとから書名・作家名などを書き込んでおられるのかもしれません。そうではないにしても根気がいる作業です。
ジュリスト:法律家。雑誌名
全国を旅するような内容の本です。読んでいて思うことは、東北地方の人は、人生において、九州地方へ行くことはほとんどないだろう。その逆で、九州地方の人が、東北地方へ行くこともほとんどないだろう。
傑作なページがあります。
230ページあたりです。
広島県に住む女子中学生の作文です。
中学校に入学して、念願の図書委員に4人をじゃんけんで負かしてなった。
ところが、その中学校にある図書室が開かない。
毎日、開かない。
図書室が、図書室として機能していない。
(そんな学校図書室があるのかと驚いて笑ってしまいました)
図書室を開けるところから始まるのです。
図書室を開けたけれど、だれも来ない。
利用客は自分だけ。
その後、彼女はがんばります。
『図書室愛』がさく裂します。
中学3年間のことが書いてあります。
おもしろかった。
本が好きなのです。
女子中学生の言葉で、『人ってすぐ死んじゃうんだ』と書いてあります。(本当にそうです。五十代になって同窓会名簿を見たら、同級生や先輩後輩のなかで何人もの方が亡くなっていました。今学校で、教室にいるメンバー全員が超高齢者になれるまで生きていられるわけではないのです。病気や事故、事件や自然災害、そして戦争、人間のまわりには危険がいっぱいです)
『私の人生の目標は「やりたいことは全部やってから死ぬ」』と宣言してあります。すばらしい!
たいしたものです。びっくりしました。今年読んで良かった一冊です。
戦後からの書店の歴史経過があります。
戦争は、文化の範囲を狭くします。
大きな百科事典がありました。月賦払いの文学全集もありました。日本の文学とか、世界の文学とか、わたしは小学生のころ、父親に頼んで、毎月450円か500円で、『世界の文学』というシリーズの本を書店に頼んでいました。家に配達されていました。
全国共通図書券があって、2005年に図書カードができました。
大きな老舗(しにせ)の書店が倒産していきます。
電子的な情報が広がります。
「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のことが書いてあります。
(つづく)
『第九章 本屋さんの五十年』から写真のページが始まりました。昔の写真です。空犬太郎さんとう方のお名前が書いてあります。
写真を見ながら、小学館の小学生向け雑誌を思い出しました。
雑誌には付録が付いています。
今年の夏は、『小学一年生』だったか、『小学0年生』だったか、どっちだったか思い出せませんが、孫たちは、付録で、『コンビニ店舗』と『ポケモンのボーリング』に夢中になっていました。
ボーリングのほうは、紙の手づくり程度の小さなものなのですが、それを使用したボーリングゲームでかなり盛り上がりました。
その場にいた親族5人が板の間で、紙でつくったボーリングのボールを、同じく紙でつくったポケモンのピンに向けて順番に投げて大騒ぎをして楽しみました。
なんというか、こどもというものは、超豪華な遊び道具でなくても、楽しく遊べるものなのです。
昭和30年代から40年代、50年代(1955年~1985年)ぐらいの写真です。
写真をながめながら、自分もこの写真の中の世界で暮らしていたという実感がわきます。
シュリンク:本のビニールカバー。1980年代から(昭和55年代)
CVS:コンビニエンスストアー(本屋や雑誌の販売で流通に変化が生まれた)
1975年(昭和50年)当時と現在を比較すると、15歳未満人口が1000万人ぐらい減っているそうです。本や雑誌を買ったり読んだりする少年や少女が減るわけです。
スマホで育児。スマホで本読み。(絵本は絵本のままで読んだほうがいいと思います)
345ページから『十章 本屋原論 笈入建志(おいり・けんじ)』とあります。
『本には二種類ある。すぐに役立つ本(実用書。マニュアル本)といつか役に立つかもしれない本がある』から始まります。
現代の特徴である、電子情報による情報の無料化についての記述があります。
出版の仕組みを中心にして分析は続き、本屋にとっては、利潤を得るうえで不利なことがわかります。
『本を愛する人ほど、いま世間で売れている本のみで埋め尽くされた本屋では満足できない……』とあります。ゆえに、ネットで注文するという手法になっているとわたしは考えます。
本屋を経営するためには、『見渡す力』が必要だと強調されています。同感です。『世界の縮図を目指す』と思考されています。
子どもさんを中心に考える。住んでいる身近に本屋があったほうがいい。マンガコミックに熱中するのは自然な育ちの法則です。
付録部分では、本屋の一年と本屋の一日が紹介されています。
あとがきでは、(本屋の)図鑑のような本をつくりたかったと、この本をつくった動機が語られています。
『本屋図鑑編集部』という4人のチームでつくられた本です。
2023年10月05日
おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン
おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン作 クラメント・ハート絵 せた・ていじ 訳 評論社
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。
昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。
この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
作者は1910年生まれ(日本だと明治43年)で、1952年(昭和27年)に42歳で病気のために亡くなっておられます。
文章も絵も独特な表現です。
牝牛(めうし)が月の上を飛びこす。
三匹の熊が椅子に腰かけている。
文章の文字の色が「オレンジ色」だったりもします。
文章に圧力があります。『静かにおし!』(この言葉が伏線になって、あとでお話を引き締めます)
広い部屋に祖母と孫がいます。
ふたりは、人間ではありません。うさぎです。
まごうさぎは、ベッドで寝ています。
うとうとと、眠りに落ちるころの空想と幻想の世界が孫である、こどもうさぎの脳内にあります。
おやすみ おつきさまなのです。
あらゆるものに、神さまが宿っているというような文章の表現があります。
あるいは、あらゆるものに、命が宿っているという表現があります。
日本の神道(しんとう)のようです。八百万の神(やおよろずのかみ)です。存在するすべての物に神さまが宿っているのです。
うさぎのこどもの語りが続きます。なかなか眠りにつけないようすです。
『おやすみ だれかさん』
宗教的です。
『存在』について、考察する意味深い絵本でした。
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。
昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。
この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
作者は1910年生まれ(日本だと明治43年)で、1952年(昭和27年)に42歳で病気のために亡くなっておられます。
文章も絵も独特な表現です。
牝牛(めうし)が月の上を飛びこす。
三匹の熊が椅子に腰かけている。
文章の文字の色が「オレンジ色」だったりもします。
文章に圧力があります。『静かにおし!』(この言葉が伏線になって、あとでお話を引き締めます)
広い部屋に祖母と孫がいます。
ふたりは、人間ではありません。うさぎです。
まごうさぎは、ベッドで寝ています。
うとうとと、眠りに落ちるころの空想と幻想の世界が孫である、こどもうさぎの脳内にあります。
おやすみ おつきさまなのです。
あらゆるものに、神さまが宿っているというような文章の表現があります。
あるいは、あらゆるものに、命が宿っているという表現があります。
日本の神道(しんとう)のようです。八百万の神(やおよろずのかみ)です。存在するすべての物に神さまが宿っているのです。
うさぎのこどもの語りが続きます。なかなか眠りにつけないようすです。
『おやすみ だれかさん』
宗教的です。
『存在』について、考察する意味深い絵本でした。
2023年10月04日
なつみはなんにでもなれる ヨシタケシンスケ
なつみはなんにでもなれる ヨシタケシンスケ PHP
なかなかいい絵本でした。
色がきれいで、絵が優しい(やさしい)ことがこの作者さんの特徴です。
そして、発想がいっぱいです。(アイデア豊富)
こちらの絵本はこどもさんというよりも、母親(ママ)のための絵本です。
子育てで疲れたときに目をとおすと、心がいやされます。
ああ、こんなことあるなあと納得させられます。
子育ての思い出づくりの本です。
あんなことがあった。そんなことがあったとあとになって思い出すのです。
なつみちゃんのジェスチャーショー(形態模写)です。
わたしがまだこどもの頃にNHKのテレビ番組で『ジェスチャー』という番組があった記憶です。けっこう盛り上がっていました。
柳家金五楼さん(やなぎや・きんごろうさん)と水の江滝子(みずのえ・たきこさん)それぞれ対決する男女別チームのリーダーをされていました。白黒テレビで見ていました。
なつみちゃんが、『これな~んだ?』とパントマイムでポーズをつくります。
非常におもしろい。
親子でにぎやかに読む本です。
なるほど! と納得する展開です。
今年読んで良かった一冊に入れておきます。
プレゼントに最適な絵本です。
ページをめくるたびに、『ふむふむ』『そうそう』とうなずきます。
『富士山』(なるほど)
ちびっこは遊びで気持ちがのりだしたらなかなかやめてくれません。疲れ果てるまで遊び続けます。
リアルな情景があります。母親が、もう夜で寝たいのに、なつみちゃんが、『(ジェスチャーを)あと10こね!』(そういえば、今年の小学校の夏休みは、孫たちにせがまれて、『人生ゲーム』を3週間で56回もやりました)
『おみそ汁に入っている「あさり」』のポーズ(笑えます)
絵に動きがあって、いいなーー。 動画のように見えます。
『せんぷうき』(そうそう)
アイデアが尽きません(つきません)。
なつみさんは、可愛い(かわいい)
ちびっこはいたずらが大好きです。
自分に注目してほしいからです。
さいごのジェスチャーの答えは『でんでんむし(かたつむり)』だと思います。
おもしろかった。
絵本の裏表紙にやはり「かたつむり」の絵がありました。
「かたつむり」が答えです。
おしまい。
なかなかいい絵本でした。
色がきれいで、絵が優しい(やさしい)ことがこの作者さんの特徴です。
そして、発想がいっぱいです。(アイデア豊富)
こちらの絵本はこどもさんというよりも、母親(ママ)のための絵本です。
子育てで疲れたときに目をとおすと、心がいやされます。
ああ、こんなことあるなあと納得させられます。
子育ての思い出づくりの本です。
あんなことがあった。そんなことがあったとあとになって思い出すのです。
なつみちゃんのジェスチャーショー(形態模写)です。
わたしがまだこどもの頃にNHKのテレビ番組で『ジェスチャー』という番組があった記憶です。けっこう盛り上がっていました。
柳家金五楼さん(やなぎや・きんごろうさん)と水の江滝子(みずのえ・たきこさん)それぞれ対決する男女別チームのリーダーをされていました。白黒テレビで見ていました。
なつみちゃんが、『これな~んだ?』とパントマイムでポーズをつくります。
非常におもしろい。
親子でにぎやかに読む本です。
なるほど! と納得する展開です。
今年読んで良かった一冊に入れておきます。
プレゼントに最適な絵本です。
ページをめくるたびに、『ふむふむ』『そうそう』とうなずきます。
『富士山』(なるほど)
ちびっこは遊びで気持ちがのりだしたらなかなかやめてくれません。疲れ果てるまで遊び続けます。
リアルな情景があります。母親が、もう夜で寝たいのに、なつみちゃんが、『(ジェスチャーを)あと10こね!』(そういえば、今年の小学校の夏休みは、孫たちにせがまれて、『人生ゲーム』を3週間で56回もやりました)
『おみそ汁に入っている「あさり」』のポーズ(笑えます)
絵に動きがあって、いいなーー。 動画のように見えます。
『せんぷうき』(そうそう)
アイデアが尽きません(つきません)。
なつみさんは、可愛い(かわいい)
ちびっこはいたずらが大好きです。
自分に注目してほしいからです。
さいごのジェスチャーの答えは『でんでんむし(かたつむり)』だと思います。
おもしろかった。
絵本の裏表紙にやはり「かたつむり」の絵がありました。
「かたつむり」が答えです。
おしまい。
2023年10月02日
希望の糸 東野圭吾
希望の糸 東野圭吾 講談社文庫
以前は東野圭吾作品をよく読みましたが、その後遠ざかり、久しぶりにこの文庫を読んでみようと思い立ちました。
ところが、プロローグ部分を読んだだけで暗い気持ちになってしまい、読むのはやめようかと思い立ちました。
小学生の姉と弟が、母方実家の新潟県長岡市内で大きな地震に見舞われて、倒壊した雑居ビルに押しつぶされて亡くなってしまいます。
両親は都合が悪く一緒に帰省していませんでした。
でも、せっかく買ったのだからと流し読みを始めることにしました。
本の中では、まもなく11月の時期です。
汐見行伸(しおみ・ゆきのぶ):父親。東京に住んでいる。建設会社勤務。33歳で結婚した。
汐見玲子(しおみ・れいこ):母親です。夫とは職場結婚して退職。25歳で結婚した。旧姓竹村
汐見絵麻(しおみ・えま):小学6年生女児 (亡くなります) 私立大学付属小学校初等科
汐見尚人(しおみ・なおと):小学4年生男児。10歳。サッカー少年 (亡くなります) 私立大学付属小学校初等科
失意の夫婦は、3人目の子づくりをして、妻は妊娠します。妻は40歳です。
(つづく)
逢魔が時(おうまがとき):夕方の薄暗い時間帯。災いが起きる時刻からきている。
繰り返しになりますが、暗い出だしで、なにかしら嫌悪感をもちました。
登場人物たちの説明文が続きます。
わかりやすく書いてあります。
ふたりのこどもは、あっという間にこの世から去ってしまいました。
病気や事故、自然災害のアクシデントなどで、こどものまま死んでいくこどもがいます。親は泣きます。
もうひとつ別の話が始まりました。
場所は石川県金沢市内として、登場人物は以下のとおりです。
芳原亜矢子(よしはら・あやこ):未婚。祖父母の代から経営の旅館『たつ芳(たつよし)』の女将(おかみ)。母親正美は亜矢子が6歳の時に交通事故で脳に損傷ができた。脳に障害をもつ人となって、亜矢子が16歳高校生のときに死去した。
芳原新次(芳原亜矢子の父親。婿養子):77歳。現在入院中。まもなく逝きそう。(いきそう。亡くなりそう。緩和ケア病棟にいる。肺がん)
戸田医師:芳原亜矢子の主治医
脇坂:法律事務所経営(臙色(えんじいろ)の5階建てビル。2階がオフィス)。弁護士。76歳
松宮脩平(まつみや・しゅうへい):謎の人物
昔読んだ東野圭吾作品『秘密』のようなパターンの物語だろうか。同作品では、事故死で亡くなった人の霊魂が、事故で生き残ったこどもにのりうつります。(こちらの本を読み終えて:違っていました)
遺言書の話です。公証人役場の話も出てきます。わたし自身も同様の手続きをしたので、読んでいて内容がよくわかります。(小説では、内容は相続人に知らされていないという設定ですが、一般的には、口頭で、相続人に事前に話をしてあることが多いと思います)
芳原新次が書いた遺言書に、娘の芳原亜矢子の知らない男の名前が書いてあるのです。男は相続財産を受け取る人間です。
松宮脩平(まつみや・しゅうへい)とは:警視庁の刑事
長谷部:20代。松宮脩平の相棒刑事
松宮克子:松宮脩平の母親
花塚弥生:火曜日の朝、自営のカフェで、お客に遺体で発見された。51歳。東京都目黒区自由が丘にあるカフェ『弥生茶屋(月曜休み)開店10周年』の経営者。世田谷区上野毛(かみのげ)に住んでいる。栃木県宇都宮市出身。離婚、ひとり暮らし、こどもはない。発見時、死後12時間経過。口癖は「巡り会いを大切にしている」。客の話では「いい人」だった。凶器は、刃の長さが20センチ以上のシフォンケーキを切るナイフで店のもの。ナイフは、流し台にあった。顔見知りの犯行が濃厚。推理として、被害者が、表の顔と裏の顔を使い分けていたのではないか。被害者の両親は80歳前後
富田淳子:東急大井町線九品仏駅(くほんぶつえき)から徒歩10分に住んでいる。花塚弥生の遺体の第一発見者。カフェの客。ヨガスクールの友だちユカリと発見した。
山田:不動産屋
綿貫哲彦:55歳。被害者花塚弥生の元夫。11年前に離婚した。現在は、東京江東区豊洲のマンションに、内縁の妻と住んでいる。製薬会社で部長職をしている。
中屋多由子(なかや・たゆこ):綿貫哲彦の内縁の妻。介護施設で働いている。
『自由が丘喫茶店主殺害事件特別捜査本部』
加賀恭一郎:松宮脩平の上司。主任という職。ふたりは、いとこどうし。加賀のほうが松宮よりも年上
『明大前駅』『高円寺駅』(今年7月に電車で通過したことがあるので、身近に感じられます)
松宮脩平と芳原亜矢子は異母兄弟だろうか。芳原亜矢子は本妻のこどもで、松宮脩平は芳原亜矢子の父親の愛人(松宮克子)の子どもなのだろうか。松宮脩平の母親克子が真相を知っているようだが話してくれない。
冒頭に出てきた地震で亡くなったこどもたちの家族の話はどうなるのだろうか。
抽斗:ひきだし
読んでいて、なんだろう。何か物足りません。大衆文学の雰囲気あり。娯楽です。
62歳になった汐見行伸と娘萌奈(もな。14歳中学生。体外受精で誕生したこどもです。母親はその後癌で亡くなりました)
被害者女性の交際相手は、男性ではなく女性ということもある。(わたしの推理はその後、はずれたようですが、別の設定で復活します)
中学生にスマートフォンをもたせることについていろいろある。(14歳の娘が犯人か。ただ、この推理もはずれそうです)169ページにある娘の訴えは正当です。彼女は地震災害で亡くなったふたりのこどもの代わりではありません。『あたしはあたし。誰かの代わりに生まれてきたなんて思いたくない……』
松宮克子:松宮脩平刑事の母親
『本来悪い人間ではない。だけど心に闇をもっている』
汐見行伸の義母「竹村恒子」:夫は5年前死去した。近所に長女が住んでいる。新潟県長岡市に居住している。
カギを握る言葉として『巡り会い』があります。それから『野球』があります。そして、カギを握る人物として『中屋多由子』がいます。
(つづく)
殺人の容疑者の自白について思うことあり。人間の記憶って、そんなにあいまいなものだろうか。(ゆえに、この人は、犯人ではないと、読み手は判断します)
人は、何かを守るためにウソをつきます。ウソをつきとおせるか、つきとおせないか。意思の固さが、ご自身に求められます。
ハヤマ(旧姓モリモト):イケウチユミエの妹
花塚久恵:花塚弥生の母。栃木県宇都宮市に住んでいる。花塚鍼灸接骨院(はなつかしんきゅうせっこついん)を営んでいる。夫はまもなく80歳で鍼灸師(しんきゅうし。針とお灸(おきゅう))として働いている。
う~む。設定は、理論とか、理屈ではあり得るけれど、現実ではない設定です。
いま、304ページ付近にいます。全部で464ページあります。
(つづく)
愛光レディスクリニック:沢岡院長、神原医師(かんばらいし。50歳ぐらい。小柄)
309ページ『一人の少女の運命を変えてしまう……』の部分は、『運命』よりも『人生』のほうがいいと思いました。
なんというか、こういうことは、浮気がからむとありうる事例に類似しています。
こどもに親の夢を託すのはほどほどにしたほうがいい。
親は、『あきらめること(諦める)』を学んだほうがいい。
悲しみの感情しか浮かんでこない348ページあたりです。
ふと思い出した本があります。『誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方 くどうみやこ 主婦の友社』具体的で現実的な内容の本でした。励ましの本でした。
ふつう、こどもというものは、生みの親より育ての親を選びます。血のつながりは気にしません。たぶん。
こどもができなかったから離婚したカップルがいる。
角田光代作品『八日目の蝉(せみ)』が思い出されました。本当なら蝉は地上に出て七日目に命が絶えるのです。でも、八日目があったのです。本当なら火災現場で焼死する運命だった赤ちゃんが、その家に忍び込んだ犯罪者に命を救われたのです。そして、犯罪者の手によって、赤ちゃんは育てられたのです。
養子縁組:そのような方向へ向かうことが予想できました。
捜査情報の核心は表には出ない。
ばかな父親がいます。
母親が浮気をしてできたこども。
作者はこの話をこれから先、どうもっていくのだろう。
答えは、『生みの親より育ての親』に着地させなければならない。
これで終わるのか。もう真犯人はいないのか。386ページあたりです。
女の体をおもちゃにする男たちがいます。男を信じてはだめです。
悪いのは女性ではなく、ウソをつく男のほうという定義です。(なになには、なになにという決め事)
『欲』をもった人たちだらけなのが世間(せけん)のありようと読めます。
『巡り会い』とは、男女の出会いのことではない。
やりきれなさが残る終わり方のようです。
こどもができた。いやできてない。それもうそ。できている。ほんとのことは母親にしかわからない。
まあ、暗い話です。
泣ける話ではありましたが、長かった。
以前は東野圭吾作品をよく読みましたが、その後遠ざかり、久しぶりにこの文庫を読んでみようと思い立ちました。
ところが、プロローグ部分を読んだだけで暗い気持ちになってしまい、読むのはやめようかと思い立ちました。
小学生の姉と弟が、母方実家の新潟県長岡市内で大きな地震に見舞われて、倒壊した雑居ビルに押しつぶされて亡くなってしまいます。
両親は都合が悪く一緒に帰省していませんでした。
でも、せっかく買ったのだからと流し読みを始めることにしました。
本の中では、まもなく11月の時期です。
汐見行伸(しおみ・ゆきのぶ):父親。東京に住んでいる。建設会社勤務。33歳で結婚した。
汐見玲子(しおみ・れいこ):母親です。夫とは職場結婚して退職。25歳で結婚した。旧姓竹村
汐見絵麻(しおみ・えま):小学6年生女児 (亡くなります) 私立大学付属小学校初等科
汐見尚人(しおみ・なおと):小学4年生男児。10歳。サッカー少年 (亡くなります) 私立大学付属小学校初等科
失意の夫婦は、3人目の子づくりをして、妻は妊娠します。妻は40歳です。
(つづく)
逢魔が時(おうまがとき):夕方の薄暗い時間帯。災いが起きる時刻からきている。
繰り返しになりますが、暗い出だしで、なにかしら嫌悪感をもちました。
登場人物たちの説明文が続きます。
わかりやすく書いてあります。
ふたりのこどもは、あっという間にこの世から去ってしまいました。
病気や事故、自然災害のアクシデントなどで、こどものまま死んでいくこどもがいます。親は泣きます。
もうひとつ別の話が始まりました。
場所は石川県金沢市内として、登場人物は以下のとおりです。
芳原亜矢子(よしはら・あやこ):未婚。祖父母の代から経営の旅館『たつ芳(たつよし)』の女将(おかみ)。母親正美は亜矢子が6歳の時に交通事故で脳に損傷ができた。脳に障害をもつ人となって、亜矢子が16歳高校生のときに死去した。
芳原新次(芳原亜矢子の父親。婿養子):77歳。現在入院中。まもなく逝きそう。(いきそう。亡くなりそう。緩和ケア病棟にいる。肺がん)
戸田医師:芳原亜矢子の主治医
脇坂:法律事務所経営(臙色(えんじいろ)の5階建てビル。2階がオフィス)。弁護士。76歳
松宮脩平(まつみや・しゅうへい):謎の人物
昔読んだ東野圭吾作品『秘密』のようなパターンの物語だろうか。同作品では、事故死で亡くなった人の霊魂が、事故で生き残ったこどもにのりうつります。(こちらの本を読み終えて:違っていました)
遺言書の話です。公証人役場の話も出てきます。わたし自身も同様の手続きをしたので、読んでいて内容がよくわかります。(小説では、内容は相続人に知らされていないという設定ですが、一般的には、口頭で、相続人に事前に話をしてあることが多いと思います)
芳原新次が書いた遺言書に、娘の芳原亜矢子の知らない男の名前が書いてあるのです。男は相続財産を受け取る人間です。
松宮脩平(まつみや・しゅうへい)とは:警視庁の刑事
長谷部:20代。松宮脩平の相棒刑事
松宮克子:松宮脩平の母親
花塚弥生:火曜日の朝、自営のカフェで、お客に遺体で発見された。51歳。東京都目黒区自由が丘にあるカフェ『弥生茶屋(月曜休み)開店10周年』の経営者。世田谷区上野毛(かみのげ)に住んでいる。栃木県宇都宮市出身。離婚、ひとり暮らし、こどもはない。発見時、死後12時間経過。口癖は「巡り会いを大切にしている」。客の話では「いい人」だった。凶器は、刃の長さが20センチ以上のシフォンケーキを切るナイフで店のもの。ナイフは、流し台にあった。顔見知りの犯行が濃厚。推理として、被害者が、表の顔と裏の顔を使い分けていたのではないか。被害者の両親は80歳前後
富田淳子:東急大井町線九品仏駅(くほんぶつえき)から徒歩10分に住んでいる。花塚弥生の遺体の第一発見者。カフェの客。ヨガスクールの友だちユカリと発見した。
山田:不動産屋
綿貫哲彦:55歳。被害者花塚弥生の元夫。11年前に離婚した。現在は、東京江東区豊洲のマンションに、内縁の妻と住んでいる。製薬会社で部長職をしている。
中屋多由子(なかや・たゆこ):綿貫哲彦の内縁の妻。介護施設で働いている。
『自由が丘喫茶店主殺害事件特別捜査本部』
加賀恭一郎:松宮脩平の上司。主任という職。ふたりは、いとこどうし。加賀のほうが松宮よりも年上
『明大前駅』『高円寺駅』(今年7月に電車で通過したことがあるので、身近に感じられます)
松宮脩平と芳原亜矢子は異母兄弟だろうか。芳原亜矢子は本妻のこどもで、松宮脩平は芳原亜矢子の父親の愛人(松宮克子)の子どもなのだろうか。松宮脩平の母親克子が真相を知っているようだが話してくれない。
冒頭に出てきた地震で亡くなったこどもたちの家族の話はどうなるのだろうか。
抽斗:ひきだし
読んでいて、なんだろう。何か物足りません。大衆文学の雰囲気あり。娯楽です。
62歳になった汐見行伸と娘萌奈(もな。14歳中学生。体外受精で誕生したこどもです。母親はその後癌で亡くなりました)
被害者女性の交際相手は、男性ではなく女性ということもある。(わたしの推理はその後、はずれたようですが、別の設定で復活します)
中学生にスマートフォンをもたせることについていろいろある。(14歳の娘が犯人か。ただ、この推理もはずれそうです)169ページにある娘の訴えは正当です。彼女は地震災害で亡くなったふたりのこどもの代わりではありません。『あたしはあたし。誰かの代わりに生まれてきたなんて思いたくない……』
松宮克子:松宮脩平刑事の母親
『本来悪い人間ではない。だけど心に闇をもっている』
汐見行伸の義母「竹村恒子」:夫は5年前死去した。近所に長女が住んでいる。新潟県長岡市に居住している。
カギを握る言葉として『巡り会い』があります。それから『野球』があります。そして、カギを握る人物として『中屋多由子』がいます。
(つづく)
殺人の容疑者の自白について思うことあり。人間の記憶って、そんなにあいまいなものだろうか。(ゆえに、この人は、犯人ではないと、読み手は判断します)
人は、何かを守るためにウソをつきます。ウソをつきとおせるか、つきとおせないか。意思の固さが、ご自身に求められます。
ハヤマ(旧姓モリモト):イケウチユミエの妹
花塚久恵:花塚弥生の母。栃木県宇都宮市に住んでいる。花塚鍼灸接骨院(はなつかしんきゅうせっこついん)を営んでいる。夫はまもなく80歳で鍼灸師(しんきゅうし。針とお灸(おきゅう))として働いている。
う~む。設定は、理論とか、理屈ではあり得るけれど、現実ではない設定です。
いま、304ページ付近にいます。全部で464ページあります。
(つづく)
愛光レディスクリニック:沢岡院長、神原医師(かんばらいし。50歳ぐらい。小柄)
309ページ『一人の少女の運命を変えてしまう……』の部分は、『運命』よりも『人生』のほうがいいと思いました。
なんというか、こういうことは、浮気がからむとありうる事例に類似しています。
こどもに親の夢を託すのはほどほどにしたほうがいい。
親は、『あきらめること(諦める)』を学んだほうがいい。
悲しみの感情しか浮かんでこない348ページあたりです。
ふと思い出した本があります。『誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方 くどうみやこ 主婦の友社』具体的で現実的な内容の本でした。励ましの本でした。
ふつう、こどもというものは、生みの親より育ての親を選びます。血のつながりは気にしません。たぶん。
こどもができなかったから離婚したカップルがいる。
角田光代作品『八日目の蝉(せみ)』が思い出されました。本当なら蝉は地上に出て七日目に命が絶えるのです。でも、八日目があったのです。本当なら火災現場で焼死する運命だった赤ちゃんが、その家に忍び込んだ犯罪者に命を救われたのです。そして、犯罪者の手によって、赤ちゃんは育てられたのです。
養子縁組:そのような方向へ向かうことが予想できました。
捜査情報の核心は表には出ない。
ばかな父親がいます。
母親が浮気をしてできたこども。
作者はこの話をこれから先、どうもっていくのだろう。
答えは、『生みの親より育ての親』に着地させなければならない。
これで終わるのか。もう真犯人はいないのか。386ページあたりです。
女の体をおもちゃにする男たちがいます。男を信じてはだめです。
悪いのは女性ではなく、ウソをつく男のほうという定義です。(なになには、なになにという決め事)
『欲』をもった人たちだらけなのが世間(せけん)のありようと読めます。
『巡り会い』とは、男女の出会いのことではない。
やりきれなさが残る終わり方のようです。
こどもができた。いやできてない。それもうそ。できている。ほんとのことは母親にしかわからない。
まあ、暗い話です。
泣ける話ではありましたが、長かった。
2023年09月28日
ゆきがやんだら 酒井駒子
ゆきがやんだら 酒井駒子 Gakken
絵画集のような感じがする表紙です。
表紙をめくると、雪が降っています。
白と黒の二色で降り積もる雪を表現した絵が目の前に広がります。
雪国の体験がある人は、すぐに雪の風景を脳内にイメージすることができるでしょう。
体験がない人は想像がむずかしい。
心を豊かにするために、体験は大事です。
タイトル『ゆきがやんだら』は、なにを意味するのだろう。(パパの帰宅でした)
雪が降る空港の絵です。アメリカ合衆国にある空港です。
パパは飛行機で、単身赴任先から帰ってくるのでしょう。
人間ではなくて、うさぎの親子の絵です。
うさぎだけど、うさぎのこどもは幼稚園に行っていて、だけど、きょうは大雪だから、幼稚園バスのお迎えがないから、幼稚園は休みなのです。
うさぎの子どもは、女の子だと思っていたら男の子でした。だって、自分のことを『ぼく』と言ったからです。
こどものうさぎの絵を見ていて、ルイス・キャロル作品『不思議の国のアリス』を思い出しました。1865年出版。日本だと江戸時代末期(明治元年が1868年)です。
さて、うさぎにしろ、にんげんにしろ、ちびっこは雪遊びが大好きです。
でも、うさぎママは、かぜをひくからだめだと、うさぎの男の子の外出を認めてくれません。
うさぎの母子は賃貸マンションか公営住宅住まいのようで、男の子はしかたなく、ベランダに積もった雪でおだんごをつくってひとり遊びをします。絵では、建物の3階にお部屋があります。同年齢ぐらいで遊ぶ友だちもいないようです。ちょっと閉塞感があります。
男の子はママとトランプ遊びをします。
トランプ遊びは、3人以上でやるのが楽しい。
だけどパパはいない。単身赴任かと思ったら違っていました。出張中でいないそうです。遠くへ仕事に行っているそうです。雪がやまないと飛行機で帰ってくることができないそうです。
雪は、さらさらとふるのです。
雪に閉じ込められて、この世界には、ぼくとママしかいないみたいなのです。
夜になって、雪がやみました。
絵が優しい(やさしい)。
この絵本は、文章をすんなり読みながら読み聞かせる絵本ではなく、絵を見ながら、読み手と聞き手の両者で創作話をつくる素材となる絵本です。なんだかんだ、ああだこうだと、ふたり以上で話をつくりながらページをめくる絵本です。
まっ白に積もった雪です。
新雪ですから足跡もありません。これから足跡をつけるのです。
男の子は、雪でおだんごとおばけをつくります。(雪だるまはつくらないのだろうか?)
手が冷たくなってしまいました。
雪のかたまりがみっつできました。パパとママと男の子です。
こうやって、一日一日が過ぎて行って、こどもは大きく育っていきます。
静かな雰囲気の絵本でした。
ストーリー展開よりも、絵の雰囲気を楽しむ絵本でした。
パパが慕われているということは、子どもさんとよく遊ぶパパなのでしょう。
パパだというだけでは、子どもは父親を慕っては(したっては)くれません。
子どものめんどうみがいい、うさぎパパなのでしょう。
絵画集のような感じがする表紙です。
表紙をめくると、雪が降っています。
白と黒の二色で降り積もる雪を表現した絵が目の前に広がります。
雪国の体験がある人は、すぐに雪の風景を脳内にイメージすることができるでしょう。
体験がない人は想像がむずかしい。
心を豊かにするために、体験は大事です。
タイトル『ゆきがやんだら』は、なにを意味するのだろう。(パパの帰宅でした)
雪が降る空港の絵です。アメリカ合衆国にある空港です。
パパは飛行機で、単身赴任先から帰ってくるのでしょう。
人間ではなくて、うさぎの親子の絵です。
うさぎだけど、うさぎのこどもは幼稚園に行っていて、だけど、きょうは大雪だから、幼稚園バスのお迎えがないから、幼稚園は休みなのです。
うさぎの子どもは、女の子だと思っていたら男の子でした。だって、自分のことを『ぼく』と言ったからです。
こどものうさぎの絵を見ていて、ルイス・キャロル作品『不思議の国のアリス』を思い出しました。1865年出版。日本だと江戸時代末期(明治元年が1868年)です。
さて、うさぎにしろ、にんげんにしろ、ちびっこは雪遊びが大好きです。
でも、うさぎママは、かぜをひくからだめだと、うさぎの男の子の外出を認めてくれません。
うさぎの母子は賃貸マンションか公営住宅住まいのようで、男の子はしかたなく、ベランダに積もった雪でおだんごをつくってひとり遊びをします。絵では、建物の3階にお部屋があります。同年齢ぐらいで遊ぶ友だちもいないようです。ちょっと閉塞感があります。
男の子はママとトランプ遊びをします。
トランプ遊びは、3人以上でやるのが楽しい。
だけどパパはいない。単身赴任かと思ったら違っていました。出張中でいないそうです。遠くへ仕事に行っているそうです。雪がやまないと飛行機で帰ってくることができないそうです。
雪は、さらさらとふるのです。
雪に閉じ込められて、この世界には、ぼくとママしかいないみたいなのです。
夜になって、雪がやみました。
絵が優しい(やさしい)。
この絵本は、文章をすんなり読みながら読み聞かせる絵本ではなく、絵を見ながら、読み手と聞き手の両者で創作話をつくる素材となる絵本です。なんだかんだ、ああだこうだと、ふたり以上で話をつくりながらページをめくる絵本です。
まっ白に積もった雪です。
新雪ですから足跡もありません。これから足跡をつけるのです。
男の子は、雪でおだんごとおばけをつくります。(雪だるまはつくらないのだろうか?)
手が冷たくなってしまいました。
雪のかたまりがみっつできました。パパとママと男の子です。
こうやって、一日一日が過ぎて行って、こどもは大きく育っていきます。
静かな雰囲気の絵本でした。
ストーリー展開よりも、絵の雰囲気を楽しむ絵本でした。
パパが慕われているということは、子どもさんとよく遊ぶパパなのでしょう。
パパだというだけでは、子どもは父親を慕っては(したっては)くれません。
子どものめんどうみがいい、うさぎパパなのでしょう。