2023年11月15日
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― 長谷川和夫
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。
2023年11月13日
そんなとき なんていう? セシル・ジョスリン
そんなとき なんていう? セシル・ジョスリン文 モーリス・センダック絵 たにかわしゅんたろう訳 ゆかいなれいぎさほうの ほん 岩波書店
アメリカ合衆国のこどもたちに礼儀作法を教える絵本です。
絵はわかりやすい。『かいじゅうたちのいるところ』という有名な絵本の絵を描いた方です。
2016年(平成28年)初版の絵本です。
なにかしら上流階級のお上品な雰囲気がただよっています。
紳士が、あかちゃんゾウをきみにあげると言う。『そんなときなんていう』というパターンです。
男の子が、『はじめまして』と言う。
あいさつ、礼儀の絵本です。
想定が奇想天外です。
突然竜が出てきて、口から赤い火を吹いた。
ちょうどそのとき勇敢な騎士が現れて、竜の首をちょんぎった。
『そんなときなんていう?』です。
『どうも ありがとう。』
ユーモアをまじえながらお話は進んでいきます。
英語の教習本のようでもあります。
『あらごめんなさい』かなと思ったら、『すみません。』でした。
思いつかない言葉の表現もあります。
『ケーキをとっていただける?』
『もういちどお願いします』かなと思ったら、『しつれい、なんて おっしゃいましたか?』でした。
アメリカ合衆国の人がつくった絵本ですが、都市名として、イギリスの『ロンドン』が出てきます。
女王さまに招待されて、スパゲティの夕食です。
『ごちそうさまでした。もう十分です』かなと思ったら、『さがって よろしいですか?』でした。なかなか当たりません。
次の『ごめんなさい。』は、当たりました。
『おはよう』かと思ったら、『ありがとう、げんきですよ、あなたは?』でした。
不思議な絵本です。
あいさつの本です。
緊迫した状況(たとえば、海賊船の上)が多いのに、平然と、淡々としているのです。じたばたしてもしょうがないからなのか、出てくる人は、きちんとあいさつをされるのです。
最近の日本の出来事ニュースのようです。
熊が出てきました。
熊のオーケストラが出てきて、どういうわけか、演奏のあと、熊が人間を食べちゃうぞーーなのです。
『やめてちょうだい』かと思ったら、『これで おしまい。さようなら』でした。「おしまい」は、熊に食べられておしまいではなくて、笑顔で熊にバイバイの手をふる若い淑女(しゅくじょ。品位のあるおしとやかな女性。つつましくおしとやかな女性)なのです。
アメリカ合衆国のこどもたちに礼儀作法を教える絵本です。
絵はわかりやすい。『かいじゅうたちのいるところ』という有名な絵本の絵を描いた方です。
2016年(平成28年)初版の絵本です。
なにかしら上流階級のお上品な雰囲気がただよっています。
紳士が、あかちゃんゾウをきみにあげると言う。『そんなときなんていう』というパターンです。
男の子が、『はじめまして』と言う。
あいさつ、礼儀の絵本です。
想定が奇想天外です。
突然竜が出てきて、口から赤い火を吹いた。
ちょうどそのとき勇敢な騎士が現れて、竜の首をちょんぎった。
『そんなときなんていう?』です。
『どうも ありがとう。』
ユーモアをまじえながらお話は進んでいきます。
英語の教習本のようでもあります。
『あらごめんなさい』かなと思ったら、『すみません。』でした。
思いつかない言葉の表現もあります。
『ケーキをとっていただける?』
『もういちどお願いします』かなと思ったら、『しつれい、なんて おっしゃいましたか?』でした。
アメリカ合衆国の人がつくった絵本ですが、都市名として、イギリスの『ロンドン』が出てきます。
女王さまに招待されて、スパゲティの夕食です。
『ごちそうさまでした。もう十分です』かなと思ったら、『さがって よろしいですか?』でした。なかなか当たりません。
次の『ごめんなさい。』は、当たりました。
『おはよう』かと思ったら、『ありがとう、げんきですよ、あなたは?』でした。
不思議な絵本です。
あいさつの本です。
緊迫した状況(たとえば、海賊船の上)が多いのに、平然と、淡々としているのです。じたばたしてもしょうがないからなのか、出てくる人は、きちんとあいさつをされるのです。
最近の日本の出来事ニュースのようです。
熊が出てきました。
熊のオーケストラが出てきて、どういうわけか、演奏のあと、熊が人間を食べちゃうぞーーなのです。
『やめてちょうだい』かと思ったら、『これで おしまい。さようなら』でした。「おしまい」は、熊に食べられておしまいではなくて、笑顔で熊にバイバイの手をふる若い淑女(しゅくじょ。品位のあるおしとやかな女性。つつましくおしとやかな女性)なのです。
2023年11月10日
恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン
恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン 野津智子・訳 村瀬俊朗・解説 英治出版
人事労務管理のためのテキスト本でしょう。
もうずいぶん前に買って読まずにそのままにしてありました。
このさき、そのような仕事をすることもないとは思いますが、ザーッと読んでみます。
わたしは、実用書は、まず、ゆっくりページを最後までめくりながら、なにが書いてあるのかを把握します。
1回目の本読みです。
第1部から第3部まであります。
第1章から第8章まであります。
書かれているキーワードを拾います。『土台』『研究』『回避できる失敗』『危険な沈黙』『フィアレスな職場(フィアレス:脅迫にびくともしない。恐れに動じない)』『無事に』『実現』『次に何が起きるのか』『誰が監督官を監督するのか』『沈黙の文化』『2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震 福島第一原子力発電所』『無知の人になる』『謙虚に耳を傾ける』『労働者の安全』『炭鉱労働組合』『仕事をフレーミングする(フレーミング:骨組み、構成、立案、構想、計画などする)(リフレーミング:別の視点から考える)』『とことん話し合って行う意思決定』『心理的安定性』
文字数が多い本です。
260ページまでページをめくって、それほど長い文章ではないと感じました。
(2回目の本読み)
流し読みをします。(ザーッと目を通す)
ナレッジワーカー:知識労働者(グローバル企業のトップ、ソフトウェアの開発者、医師、建築家、助言する立場の役割の人)
成長を推進するもの:発想と創意あふれるアイデア。知恵を出して、協力して、問題を解決していく。個々の才能を活用する。
イノベーション:新しい考え方や技術をとりいれて新しい価値を生み出す。幅広い変革
現実として:人々が本当の考えを職場で言うことはほとんどない。
各職場でパフォーマンス(成果)の差が生まれる原因:要因のひとつが、『心理的安定性』にある。
ダイナミック(力強く、生き生きと)に協力する。境界を越えてコミュニケーションを図る。
フィアレス:不安も恐れもない。
心理的安定性:みんなが気兼ねなく意見を述べることができる。自分らしくいられる文化が職場にあること。
率直に発言しても、恥をかかされない、仕返しされない、非難されないこと。信頼関係があること。尊敬の関係があること。ミスが隠されない。すぐ、修正ができる。チームに団結力がある。
(統計によると、そのような職場は現実には、なかなかないようです)
リーダーが果たすべき役割:どうすれば、フィアレス(不安も恐れもない)組織をつくることができるか。
『第1部 心理的安全性のパワー』
上司に進言すると、上司から厳しく叱責される。部下は、何も言わなくなる。部下は未来を軽視するようになる。(未来を捨てるのでしょう。どうにでもなれです。責任は上司が負うのです)
人にはプライド(自分を尊いとする気持ち)がある。人から馬鹿にされたくない、見くだされたくないという気持ちがある。だから、無能な人とは言われたくない。
職場での人間関係においては、お互いに『信頼』と『尊敬』が必要になる。
非を見つけたときは、ていねいに相手にそのことを話して諭す。(さとす:理屈で言い聞かせる。知らん顔をしたり、陰で悪口を言ったりしない)
注意をしてくれた人には感謝する。(とかく知らん顔をする人が多い)
率直な発言にはリスク(危険性)があるが、率直な発言をしても安全な環境がある職場をつくる。(「心理的安全性」のある職場づくりをする)
風通しの良い職場をつくる。
(仕事ができない人ばかりを集めるとだれもなにも発言しなくなる。知らん顔をするようになる。その業務をよくできる人と、あまりできそうにない人をうまく組み合わせてチームをつくる。平均点の能力の人の層を厚くする)
正しく機能していない組織では、中間監督者の社員が、真実を最高責任者に話を上げない。
現実はむずかしい。現実の中に理想はない。
最高責任者は、なにかおかしいと思っても、怖くて部下にたずねることができない。
あいまいにしておくと、どうにもならなくなったときに、真実が明るみになる。
蔓延する(まんえんする)『沈黙』について書いてあります。
問題点を率直に話すと自分が仕事を失うことにつながると話す製造技術者がいる。
何を基準にして、不祥事を正していくのがいいのか。感情ではなく、理論で整理する。
『第2部 職場の心理的安全性』
こういう言葉が示してあります。
『私は会社に、誤った使われ方をしている気がする』オリバー・シュミット (フォルクスワーゲンのエンジニア)
『誰が監督官を監督するのか』
利害関係がある異なる会社の上層部同志は、案外、昔からの知り合いということはあります。地縁血縁とか、学校の同窓生とか。ゆえに、利害関係が交錯する者同士が助け合うグル(仲間)ということがあります。秘められた悪事が横行します。ただ、リスクは(危険性)大きくなります。いつかは、ばれる。
『危険な沈黙』
知っているのに知らないふりをする。実施者にとって不都合な秘密は、いつかはばれる。
この本では、ばれた事例が列挙されて、それらについての解説があります。
会社なら倒産するかもしれない。人間だったら、命を落とすかもしれない。そんな話です。
2003年2月1日(平成15年)、NASA(米航空宇宙局)のスペースシャトル・コンビア号事故(帰還時の大気圏突入で空中分解した)。七人の宇宙飛行士全員が命を落とした。前兆はあった。唐突ではなかった。発射時に、断念材が左翼を直撃していた。気づきがあった。担当者は上司にメールをしたが、とりあってもらえなかった。
上層部の人間たちは、失うのは自分の命ではないから黙っていられたのか。事故を明らかにしても修理のしようがないから黙っていたのか。対応策はなかったのか。そもそも発射前にその事故が発生するかもしれないというリスク(危険性)が予想できていたのではないか。(できていたそうです)
仕事のやりかた以前に、人としての倫理教育が必要です。人命尊重です。
1977年3月(昭和52年)カナリア諸島の滑走路で2機のボーイング747が衝突した。気づきはあった。機長が副操縦士の進言を無視した。機体は炎上して、583名が死亡した。機長はベテランで自信過剰だった。時刻厳守が優先だった。
医療現場での医療事故があります。化学療法剤の過剰投与で乳がんの患者が死亡しています。
読んでいると、人は、死ぬときは死ぬ。人の命は、はかない。そんな気持ちにさせられます。自分の決定ではなく、他者の対応で自分が死んでしまう。もともと自分が、リスク(危険)がある立場であったとしても、無念です。
なにかおかしいと感じたら、まず、立ち止まる。
そして、考える、考える、考える。
おかしい状況から離れる。
1986年(昭和61年)、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故に関する考察があります。
打ち上げ前に担当者が機体の異常を進言しています。
集まった人々は、彼の声を熱心かつていねいに聴いてくれなかった。
職場に、『聴く文化』がなかった。
2011年3月11日、日本で、東北地方太平洋沖地震が発生した。
津波が、福島第一原子力発電所を襲った。
津波は、低い防波堤を超えた。
三基の原子炉が高温になり爆発した。
被ばくを回避するために、周囲の土地には人が住めなくなった。
『事故は明確に人災であり、事故の予測は可能だった』事前に何度も警告があったのに、組織は警告をはねつけた。
日本は、誤った自信をもつ国になっていた。
読んでいると、日本の組織には派閥があって、主流派でない人間、一匹狼的立場の人間の意見は、『取るに足りない人物』として存在すらも否定されると読み取れます。(コロナ禍のときを思い出します)
日本の法律は、権力者を守るためにできている。
『沈黙の文化』では、波風を立てないために周囲と歩調を合わせる。
性的暴力、いやがらせに関する『#MeeTo』運動について書いてあります。
日本の某芸能事務所の不祥事の話とも類似します。宗教団体にもあるのでしょう。
話し合いのやり方の良さを表現する内容の紹介があります。
アニメ洋画『トイストーリー』の製作現場の打ち合わせ風景です。
良い人材とは:より賢く考える力をもたらし、短時間に多くの解決策を提案できる人
良い人材になるためには、前提として、失敗を恐れ率直に話そうとしない人にならない。
自分なりに付け加えると、失敗を恐れない。七転び八起きの精神をもつ。
お互いの信頼関係がなくなったら、組織は維持できなくなる。お金のつながりだけになって、不祥事が起きる。
『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない』
(自分の間違いに気づける人間になる)
『無知の人』になる。
謙虚に耳を傾ける。
『失敗できないことが本当の失敗である』
『従業員を大切にする』
いろいろアドバイスが続きます。
2009年1月(平成21年)、アメリカ合衆国マンハッタン上空でジェット機がバードストライク(カナダガン(鳥)の群れがエンジンに巻き込まれた)になったため、ハドソン川に着水した。奇跡的に155人が助かった。
安心してコミュニケーションがとれるチームだった。
『自分の言葉で話す』
『労働者の安全のために率直に話す』
鉱山における労働者の安全管理について書いてあります。
再び、福島第一原子力発電所の被災直後の対応についての話が書いてあります。
情報がなかったけれども、同発電所建設段階から働いていた人間の能力が発揮された。
なにもしないリーダーはいらない。
『第3部 フィアレスな組織をつくる』
190ページまで読んでみての感想です。
理想なのでしょう。
すべての職場でこの手法は無理です。
できる職場とできない職場があります。
できるところは、(問題がないから)あまり表には出てこない。
できないところは、社会の表面にニュースとして登場してきます。
事故や不祥事が起きるからです。
世間からあれこれ指さされる話題になるからです。
本の中では病院のことが書いてあります。大きな病院です。
医療事故を防止するためにリーダーは、どうかじ取りをしたらいいかです。
土台をつくるために話し合いの場への参加を求める。
病院に限らず、大きな組織では、簡単には解決できなさそうな事故や失敗があります。小さな組織のように小回りがききません。
その時代に、その場で働いている人間たちの安心が確保されればいい。自分たちがリタイアしたあとの世代のことまでめんどうはみきれない。不祥事となる不正や問題は、先送りにされて放置され、あとの世代がひどい目にあいます。(例として、津波による福島の原発事故)
大事なこととして、『責任を問われない報告』とあります。
内部告発をしても不利益をこうむらない保証がいります。
本に書いてある理想を実行しようとすると、均等な能力と資質をもっているメンバーがいる職場でないと実行がむずかしい。
採用時点からのポイントをしぼった採用基準がいります。『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』と思っているだけの人を採用すると、のちのち痛い目にあいます。『倫理観(道徳心。人間として守るべき正しい道筋の意識)』をもっている人を採用する。まじめな人であることが基本です。
最低限のこととして、①人のお金を自分のポケットにいれない。②セクハラをしない。③情報の漏洩(ろうえい)をしない。ということが守られないと、組織はヤバイ立場に追い込まれます。
『明らかな違反には制裁措置をとる』(懲戒処分でしょう)
『心理的な安心感を高めるために使えるフレーズとして』
・わかりません。(わからないものは、わからない)
・(わたしには)手助けが必要です。(助けてください。アドバイスをください)
・(一生懸命やりましたが)間違ってしまいました。
・申し訳ありません。
そして、助けてもらったときには、『ありがとうございます』
困っているメンバーを見捨てない。
・どんな手助けができますか。(どうしたの?)
・どんな問題にぶつかっているのですか。
・どんなことが気がかりなんですか。
リーダーは、上司である必要はない。リーダーでなくても、リーダーの役割を果たすことはできる。
『上司が、トップダウン型の横柄な独裁者で、誰の言葉にも耳を傾けず、従業員を泣かせることもある。ただし、業績は良い。』
業績が良いのは、リーダーのおかげとは考えない。たまたま運が良かった。いずれ破たんする。
ポイントを押さえながらの流し読みを終えました。
もうわたしは組織で働く労働者ではないので、距離を置いた立場での読書になりました。
おそらく今も現在進行形で放置されているリスクがあるのでしょう。
黙っている人が多い職場は要注意です。組織が倒れるリスクが内在しているところもあるのでしょう。黙っている人は、『了解しているから』黙っているのではない。不満があるから黙っている。怒りがたまって、あげく、自分は当事者じゃないと主張している。関係ないと思っている。あるいは、怒りの相手がいないところでは悪口をいっぱい並べながら吠えている。(ほえている)。自分が思っていることの意思表示の表現がじょうずにできないということはある。不器用ということはある。
人事労務管理のためのテキスト本でしょう。
もうずいぶん前に買って読まずにそのままにしてありました。
このさき、そのような仕事をすることもないとは思いますが、ザーッと読んでみます。
わたしは、実用書は、まず、ゆっくりページを最後までめくりながら、なにが書いてあるのかを把握します。
1回目の本読みです。
第1部から第3部まであります。
第1章から第8章まであります。
書かれているキーワードを拾います。『土台』『研究』『回避できる失敗』『危険な沈黙』『フィアレスな職場(フィアレス:脅迫にびくともしない。恐れに動じない)』『無事に』『実現』『次に何が起きるのか』『誰が監督官を監督するのか』『沈黙の文化』『2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震 福島第一原子力発電所』『無知の人になる』『謙虚に耳を傾ける』『労働者の安全』『炭鉱労働組合』『仕事をフレーミングする(フレーミング:骨組み、構成、立案、構想、計画などする)(リフレーミング:別の視点から考える)』『とことん話し合って行う意思決定』『心理的安定性』
文字数が多い本です。
260ページまでページをめくって、それほど長い文章ではないと感じました。
(2回目の本読み)
流し読みをします。(ザーッと目を通す)
ナレッジワーカー:知識労働者(グローバル企業のトップ、ソフトウェアの開発者、医師、建築家、助言する立場の役割の人)
成長を推進するもの:発想と創意あふれるアイデア。知恵を出して、協力して、問題を解決していく。個々の才能を活用する。
イノベーション:新しい考え方や技術をとりいれて新しい価値を生み出す。幅広い変革
現実として:人々が本当の考えを職場で言うことはほとんどない。
各職場でパフォーマンス(成果)の差が生まれる原因:要因のひとつが、『心理的安定性』にある。
ダイナミック(力強く、生き生きと)に協力する。境界を越えてコミュニケーションを図る。
フィアレス:不安も恐れもない。
心理的安定性:みんなが気兼ねなく意見を述べることができる。自分らしくいられる文化が職場にあること。
率直に発言しても、恥をかかされない、仕返しされない、非難されないこと。信頼関係があること。尊敬の関係があること。ミスが隠されない。すぐ、修正ができる。チームに団結力がある。
(統計によると、そのような職場は現実には、なかなかないようです)
リーダーが果たすべき役割:どうすれば、フィアレス(不安も恐れもない)組織をつくることができるか。
『第1部 心理的安全性のパワー』
上司に進言すると、上司から厳しく叱責される。部下は、何も言わなくなる。部下は未来を軽視するようになる。(未来を捨てるのでしょう。どうにでもなれです。責任は上司が負うのです)
人にはプライド(自分を尊いとする気持ち)がある。人から馬鹿にされたくない、見くだされたくないという気持ちがある。だから、無能な人とは言われたくない。
職場での人間関係においては、お互いに『信頼』と『尊敬』が必要になる。
非を見つけたときは、ていねいに相手にそのことを話して諭す。(さとす:理屈で言い聞かせる。知らん顔をしたり、陰で悪口を言ったりしない)
注意をしてくれた人には感謝する。(とかく知らん顔をする人が多い)
率直な発言にはリスク(危険性)があるが、率直な発言をしても安全な環境がある職場をつくる。(「心理的安全性」のある職場づくりをする)
風通しの良い職場をつくる。
(仕事ができない人ばかりを集めるとだれもなにも発言しなくなる。知らん顔をするようになる。その業務をよくできる人と、あまりできそうにない人をうまく組み合わせてチームをつくる。平均点の能力の人の層を厚くする)
正しく機能していない組織では、中間監督者の社員が、真実を最高責任者に話を上げない。
現実はむずかしい。現実の中に理想はない。
最高責任者は、なにかおかしいと思っても、怖くて部下にたずねることができない。
あいまいにしておくと、どうにもならなくなったときに、真実が明るみになる。
蔓延する(まんえんする)『沈黙』について書いてあります。
問題点を率直に話すと自分が仕事を失うことにつながると話す製造技術者がいる。
何を基準にして、不祥事を正していくのがいいのか。感情ではなく、理論で整理する。
『第2部 職場の心理的安全性』
こういう言葉が示してあります。
『私は会社に、誤った使われ方をしている気がする』オリバー・シュミット (フォルクスワーゲンのエンジニア)
『誰が監督官を監督するのか』
利害関係がある異なる会社の上層部同志は、案外、昔からの知り合いということはあります。地縁血縁とか、学校の同窓生とか。ゆえに、利害関係が交錯する者同士が助け合うグル(仲間)ということがあります。秘められた悪事が横行します。ただ、リスクは(危険性)大きくなります。いつかは、ばれる。
『危険な沈黙』
知っているのに知らないふりをする。実施者にとって不都合な秘密は、いつかはばれる。
この本では、ばれた事例が列挙されて、それらについての解説があります。
会社なら倒産するかもしれない。人間だったら、命を落とすかもしれない。そんな話です。
2003年2月1日(平成15年)、NASA(米航空宇宙局)のスペースシャトル・コンビア号事故(帰還時の大気圏突入で空中分解した)。七人の宇宙飛行士全員が命を落とした。前兆はあった。唐突ではなかった。発射時に、断念材が左翼を直撃していた。気づきがあった。担当者は上司にメールをしたが、とりあってもらえなかった。
上層部の人間たちは、失うのは自分の命ではないから黙っていられたのか。事故を明らかにしても修理のしようがないから黙っていたのか。対応策はなかったのか。そもそも発射前にその事故が発生するかもしれないというリスク(危険性)が予想できていたのではないか。(できていたそうです)
仕事のやりかた以前に、人としての倫理教育が必要です。人命尊重です。
1977年3月(昭和52年)カナリア諸島の滑走路で2機のボーイング747が衝突した。気づきはあった。機長が副操縦士の進言を無視した。機体は炎上して、583名が死亡した。機長はベテランで自信過剰だった。時刻厳守が優先だった。
医療現場での医療事故があります。化学療法剤の過剰投与で乳がんの患者が死亡しています。
読んでいると、人は、死ぬときは死ぬ。人の命は、はかない。そんな気持ちにさせられます。自分の決定ではなく、他者の対応で自分が死んでしまう。もともと自分が、リスク(危険)がある立場であったとしても、無念です。
なにかおかしいと感じたら、まず、立ち止まる。
そして、考える、考える、考える。
おかしい状況から離れる。
1986年(昭和61年)、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故に関する考察があります。
打ち上げ前に担当者が機体の異常を進言しています。
集まった人々は、彼の声を熱心かつていねいに聴いてくれなかった。
職場に、『聴く文化』がなかった。
2011年3月11日、日本で、東北地方太平洋沖地震が発生した。
津波が、福島第一原子力発電所を襲った。
津波は、低い防波堤を超えた。
三基の原子炉が高温になり爆発した。
被ばくを回避するために、周囲の土地には人が住めなくなった。
『事故は明確に人災であり、事故の予測は可能だった』事前に何度も警告があったのに、組織は警告をはねつけた。
日本は、誤った自信をもつ国になっていた。
読んでいると、日本の組織には派閥があって、主流派でない人間、一匹狼的立場の人間の意見は、『取るに足りない人物』として存在すらも否定されると読み取れます。(コロナ禍のときを思い出します)
日本の法律は、権力者を守るためにできている。
『沈黙の文化』では、波風を立てないために周囲と歩調を合わせる。
性的暴力、いやがらせに関する『#MeeTo』運動について書いてあります。
日本の某芸能事務所の不祥事の話とも類似します。宗教団体にもあるのでしょう。
話し合いのやり方の良さを表現する内容の紹介があります。
アニメ洋画『トイストーリー』の製作現場の打ち合わせ風景です。
良い人材とは:より賢く考える力をもたらし、短時間に多くの解決策を提案できる人
良い人材になるためには、前提として、失敗を恐れ率直に話そうとしない人にならない。
自分なりに付け加えると、失敗を恐れない。七転び八起きの精神をもつ。
お互いの信頼関係がなくなったら、組織は維持できなくなる。お金のつながりだけになって、不祥事が起きる。
『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない』
(自分の間違いに気づける人間になる)
『無知の人』になる。
謙虚に耳を傾ける。
『失敗できないことが本当の失敗である』
『従業員を大切にする』
いろいろアドバイスが続きます。
2009年1月(平成21年)、アメリカ合衆国マンハッタン上空でジェット機がバードストライク(カナダガン(鳥)の群れがエンジンに巻き込まれた)になったため、ハドソン川に着水した。奇跡的に155人が助かった。
安心してコミュニケーションがとれるチームだった。
『自分の言葉で話す』
『労働者の安全のために率直に話す』
鉱山における労働者の安全管理について書いてあります。
再び、福島第一原子力発電所の被災直後の対応についての話が書いてあります。
情報がなかったけれども、同発電所建設段階から働いていた人間の能力が発揮された。
なにもしないリーダーはいらない。
『第3部 フィアレスな組織をつくる』
190ページまで読んでみての感想です。
理想なのでしょう。
すべての職場でこの手法は無理です。
できる職場とできない職場があります。
できるところは、(問題がないから)あまり表には出てこない。
できないところは、社会の表面にニュースとして登場してきます。
事故や不祥事が起きるからです。
世間からあれこれ指さされる話題になるからです。
本の中では病院のことが書いてあります。大きな病院です。
医療事故を防止するためにリーダーは、どうかじ取りをしたらいいかです。
土台をつくるために話し合いの場への参加を求める。
病院に限らず、大きな組織では、簡単には解決できなさそうな事故や失敗があります。小さな組織のように小回りがききません。
その時代に、その場で働いている人間たちの安心が確保されればいい。自分たちがリタイアしたあとの世代のことまでめんどうはみきれない。不祥事となる不正や問題は、先送りにされて放置され、あとの世代がひどい目にあいます。(例として、津波による福島の原発事故)
大事なこととして、『責任を問われない報告』とあります。
内部告発をしても不利益をこうむらない保証がいります。
本に書いてある理想を実行しようとすると、均等な能力と資質をもっているメンバーがいる職場でないと実行がむずかしい。
採用時点からのポイントをしぼった採用基準がいります。『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』と思っているだけの人を採用すると、のちのち痛い目にあいます。『倫理観(道徳心。人間として守るべき正しい道筋の意識)』をもっている人を採用する。まじめな人であることが基本です。
最低限のこととして、①人のお金を自分のポケットにいれない。②セクハラをしない。③情報の漏洩(ろうえい)をしない。ということが守られないと、組織はヤバイ立場に追い込まれます。
『明らかな違反には制裁措置をとる』(懲戒処分でしょう)
『心理的な安心感を高めるために使えるフレーズとして』
・わかりません。(わからないものは、わからない)
・(わたしには)手助けが必要です。(助けてください。アドバイスをください)
・(一生懸命やりましたが)間違ってしまいました。
・申し訳ありません。
そして、助けてもらったときには、『ありがとうございます』
困っているメンバーを見捨てない。
・どんな手助けができますか。(どうしたの?)
・どんな問題にぶつかっているのですか。
・どんなことが気がかりなんですか。
リーダーは、上司である必要はない。リーダーでなくても、リーダーの役割を果たすことはできる。
『上司が、トップダウン型の横柄な独裁者で、誰の言葉にも耳を傾けず、従業員を泣かせることもある。ただし、業績は良い。』
業績が良いのは、リーダーのおかげとは考えない。たまたま運が良かった。いずれ破たんする。
ポイントを押さえながらの流し読みを終えました。
もうわたしは組織で働く労働者ではないので、距離を置いた立場での読書になりました。
おそらく今も現在進行形で放置されているリスクがあるのでしょう。
黙っている人が多い職場は要注意です。組織が倒れるリスクが内在しているところもあるのでしょう。黙っている人は、『了解しているから』黙っているのではない。不満があるから黙っている。怒りがたまって、あげく、自分は当事者じゃないと主張している。関係ないと思っている。あるいは、怒りの相手がいないところでは悪口をいっぱい並べながら吠えている。(ほえている)。自分が思っていることの意思表示の表現がじょうずにできないということはある。不器用ということはある。
2023年11月08日
子どものためのガイドブック だいじょうぶ!親の離婚
子どものためのガイドブック だいじょうぶ!親の離婚 ケント・ウィンチェスター ロベルタ・ベイヤー[著] 高島聡子 藤川洋子[訳] 本山理咲(もとやま・りさ)[装画] 日本評論社
こどもさん向けの本です。
離婚する親が増えました。
夫婦がいっしょに暮らしたくないのです。しかたがありません。
されどこどもたちにとっては迷惑です。
わたしは、離婚ではありませんが、父親が中学一年の時に病死して母子家庭を体験しました。
とにかく経済的に困りました。
学校の制服以外に着るものがなくて、食事が粗食でした。
学生時代は、アルバイトをしたり、奨学金をもらったりして生活費と学費を稼ぎました。
こどもは、親の離婚がらみで苦痛があるのですが、こども自身は、おとなになって、自分のパートナーを見つけて、自分たち夫婦の家庭を築くという夢をもったほうがいい。
こどもによっては、両親がケンカをして離婚する姿を見て、自分は将来結婚しないと決心する子もいるかもしれません。しかたがありません。
さて、読み始めます。
まずは、1ページずつ最後のページまでゆっくりと目をとおしながら、何が書いてあるのかをだいたい把握(はあく)します。
『離婚は、ぼく/私のせい?』(そんなことはありません。パパとママのせいです)
『もし両親が興奮して、おかしくなっちゃっているときは?』(まずは、仲介に入って止めてみて、だめならほおっておきます)
『親に会いたくなったらどうしよう?』(たいてい、そうはなりません。ただし、別居の親はこどもに会いたいとは思うでしょう)
仲が悪い者同士が、同じ家にいても、ひどいケンカが続くだけ。家の中が荒れる。そんなふうなら、両親は、別れたほうがいいと思う。そのような意見を述べる12歳男児がいます。(そうだね)
『おじいちゃん、おばあちゃんはどうなるの?』(関係が濃い祖父母と関係が薄い祖父母がいます。どちらのタイプの祖父母かで、対応が異なってきます)
『離婚のあと、もしお父さんやお母さんが、(別の異性と)付き合い始めたら?』(わたしの場合は許しませんでした。自分の父親は亡くなった父親以外にいません。そのような件を扱った名作本として、重松清作品『卒業』新潮文庫があります。亡くなった実親と継父母との間で悩むこどもの姿があります。かなり深刻です)
この本の原作者について書きます。アメリカ人です。
ケント・ウィンチェスター:弁護士。ふたりのこどもの父親。アメリカ合衆国ニューメキシコ州居住。離婚経験者でもある。
ロベルタ・ベイヤー:弁護士。調停委員。女性。
『「面会交流」はだれのためのもの?』(わたしは、血縁関係のある者同士は、お互いに会いたいときに自由に会えばいいと思っています。制限をつけることは奇妙です)
訳者紹介
高島聡子(たかしま・さとこ):家庭裁判所調査官
藤川洋子:家庭裁判所調査官を退職後、女子大学心理学部教授
2015年(平成27年)発行の本です。
(2回目の本読み)
こどもさん向けの「親の離婚にどう対応しよう」という本は珍しい。やさしい言葉で書いてあります。ネットで別の種類の本の検索をしていてたまたま目に留まり、この本の成り立ちについて興味をもち取り寄せました。
『はじめに』に、こう書いてあります。『この本は、「もう一緒に暮らさない」と決めてしまった両親をもつ子どものための本です……』
著者が住むアメリカ合衆国は、離婚の多い国です。そのせいか、こどもさんへの語りかけが優しい。
離婚はやめましょうではなくて、離婚することを前提として、こどもさんに心配しなくていいよと語りかけています。
この本には、こどもたちの生の声が書いてあるそうです。
相談にのってくれる、いいおとなをひとりでいいから見つけてくださいと、こどもさんへのメッセージがあります。
離婚とは=結婚の終わり。夫婦関係は解消し、父と母は、もう同じ家では生活しません。
(だけど、親子関係は切れない)
『どうして離婚するの?』 こどもが生まれたとき、両親にとって、その日は、人生で最高の日だった。その後、これ以上、この人といっしょにいても幸せにはなれないということがわかった。だから離婚して、もう同じ家で一緒には住まない。生活しない。
こちらの本の特徴です。
問題提起があって、その解決をさぐるための本を紹介するというパターンでページが進んでいきます。
複数の兄弟姉妹がいて、両親の離婚に伴って、兄弟姉妹が父と母のそれぞれに引き取られて分離となると、こどもにとっては、けっこうつらい。
夫婦というのは、相手を責めるようになると、夫婦関係の終了へと流れが向かっていきます。
婚姻関係を継続していくためには、忍耐です。昔の女性はよく耐えられました。(結婚は、昔は、家と家の結びつき、見合い結婚、利害関係者による紹介結婚が多かった。「恋愛」と「結婚」は別物というとらえ方が強かった)
テレビ番組『徹子の部屋』で、フォークグループ「かぐや姫」のみなみこうせつさんが、お寺の住職であった父親が亡くなった時、母親が、『本当は、好きじゃなかった』と言って、そんな両親から生まれてきた自分たちの立場はどうなるのだと、うつろな気持ちになったことをお話しされていました。(そういう事例は多かったと思います。とりあえず、男に生活力があって、ご飯を食べていけるかが結婚の最優先事項でした。そして女性は夫に従い、夫とこどもがいる家族を支えることが女性の役割だったのです)
もうひとつ、別の人の事例で、父親の葬儀が終わったあと、母親が、(今も生きている)初恋の人に会いに行くと言って、北海道行きの飛行機に乗って、札幌へ行ってしまったという話を聞いたことがあります。(母親が帰ってきたかどうかは定かではありません)
本の中では、10歳の男児が、『(パパとママは)折り合うところを見つけたんだ』(折り合った結果が、『離婚』です)
こどもさんが、つらいときの対処法が書いてあります。
感情を表に出す。泣く。怒りを心の中にしまいこまない。
あなたは、まだこどもだ。耐えなくていい。
感情を管理(コントロール)する手段として、絵を描く、文章を書く、日記を書く、手帳にメモする。音楽を聴く。歌う。踊る。小説とか、マンガを読む。映画館で映画を観る。ビデオを観る。友だちと遊ぶ。笑う。電話をする。スポーツをしたり、観戦したりもあるでしょう。
12歳男児の意見があります。『離婚することで、人生、救われたと思う親もいるんだよ……』
相談相手について説明があります。アメリカ合衆国はそういうシステムがあるのだろうか。相手として、カウンセラー、家庭裁判所調査官、セラピスト、場所として、カウンセリングルーム、裁判所、相談室。(いずこも、こどもが簡単に行けそうな場所とは思えませんが……)
こどもから見て、自分の意見や感情に対して、同調者がほしい。味方がほしい。自分のことを人にやってもらいたい。ストレスのはけ口がほしい。
ひとり親家庭になって、生活費や学費がないという経済的困窮の話が出てきません。不思議です。読み進めてみると、お金のある家庭の離婚話だと、なんとなくわかります。
ネコと話すこどもがいます。ネコは答えてくれませんが、話すと楽になるとこどもが言います。
相手(ネコ)からのアドバイスはなくてもいい。だれかに自分のことを話したい。そのことを素材にして、映画ができそうです。
こどもは、離婚する親のことをあれこれ考えるけれど、そんなこどもがおとなになって結婚して、こども自身も離婚するということもあります。親子の世代間で、離婚が連鎖します。こどもが離婚したいと言った時、離婚経験がある親は、こどもの離婚を止めるための説得ができません。『いっしょだね』としか言えません。
養育費について書いてあります。あてになりません。たいていは、くれたとしても最初のうちだけです。そのうちなくなることが多い。
お金がなければ、お金のことでもめます。こどもが貯めたお金を親が無理やり取り上げて使うこともあります。
夫婦というのは、家事をどちらがやるかでケンカしているうちはまだいい。お金がないことでケンカになると情けない気持ちになります。
こどもから見て、信頼できるおとなというのは、なかなかいない。見つけられないと宗教に行く人もいる。へんな人間にだまされて利用されないように気をつけたほうがいい。
離婚にともなっての引っ越しや転校があります。拒否しないほうがいい。今いる場所を変わらなければならないことは、人生において、いくらでもあります。就職したら、転勤や人事異動があります。あれもこれも嫌だと主張していたら、ごはんを食べていけません。
家事について書いてあります。ひとり親家庭になったら、こどもも衣食住のことを積極的にやらねばなりません。掃除、洗濯、アイロンかけ、買い物、料理に食器洗い、ごみ出しもです。
いろいろやっておいたほうがいい。おとなになったら、一人暮らしの体験を一度は体験しておいた方がいい。衣食住のやり方の基本を知らないひとり暮らしを体験したことがない者同士が結婚すると、けっこうもめます。
こどもさんがこの本を読んで、離婚のことがよくわかるとは思えませんが、読まないよりも読んだほうが、気持ちが落ち着くということはあります。
こどもは、いつまでもこどもではいられません。体が大きくなる。成長します。あっという間におとなになります。それからが長い。
書中の書き方の特徴として、これこれについては、〇〇ページから〇〇ページを読んでくださいという表現があります。すんなり、その場で理解できません。そういう書き方はわかりにくい。
一般的なこととして、仕事人間のパパを信じたり頼ったりしないほうがいい。パパは仕事場が好きなんです。自己顕示欲と自己実現を満たすことができる職場が好きな人は、家庭を顧みません。(かえりみない:考えない)。会社が家庭で、社員が家族です。
こどもはこどもであって、物事の中心にはいない。だから、こどもは自分に責任を感じる必要はありません。
どうにもこうにもならないときは、しかたがないとあきらめる。
今はこうするしかないと、気持ちに折り合いをつける。
なるようになる。なるようにしかならない。あきらめる。とりあえず生きていれば、いつかはいいことがあるに違いないと気持ちに折り合いをつける。
ここまで、この本を読みながら、自分の考えを中心に記述しています。
(つづく)
書中に参考図書の紹介があるのですが、日本の本も何冊か紹介されています。もとはアメリカ合衆国の本ですから、その部分は、日本の担当者の判断で日本の本が入れてあるのでしょう。
紹介されている本で、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』があります。わたしは、『我が家のヒミツ 奥田英朗 集英社』は読んだことがありますが、同じ作者で、似たようなタイトルで本が出版されています。
『我が家の問題』の紹介文では、高校二年生女子が、祖母からの間違い電話で、両親に離婚話があることを知るとあります。どうしよう?です。
いろいろ考えていて思い出す児童文学があります。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
離婚届けが提出されて離婚が成立するといろいろとややこしい話になります。日本社会は、婚姻関係が成立している家族にとって有利なシステムになっています。
法律的には、親子の扶養義務とか、相続とか、いろいろ課題が発生してきます。
夫婦関係は切れても親子という血縁関係は切れません。関係ないとか、知りませんでは済まされないことも出てきます。いろいろ嫌なことが待ち受けています。
こどもに対しては、きみは、秘密をかかえこまないほうが、心の安定にはいいとアドバイスがあります。おとなが内緒にしてね(ないしょにしてね)と言っても、知ったことか!です。自立と自活は、親やおとなと対立するところから始まります。
なんというか、読んでいると、さみしくなってくる本です。
別れるということは、さみしいことです。
126ページ以降に訳者からのメッセージがあります。
離婚することを否定はされていません。
離婚する親に対して、『親子の関係をどう考えておられますか?』と、質問を投げかけられています。
次に親以外のこどものまわりにいるおとなに質問を投げかけておられます。
両親の離婚によって、たいていは、こどもの心は傷つきます。
文脈から察すると、こどもに『おりこうさん』になることを求めてはいけないと読みとれます。『過剰適応』という言葉があります。こどもの心に無理をさせてはいけない。心が壊れます。深刻な結末につながることもあります。親が離婚して、何も感じないこどもはいない。
その子にとって、『信頼できるおとなの誰か』になってほしいとメッセージがあります。
最後のほうに書かれていたこととして、
ハーグ条約:国際的な子の奪取(だっしゅ)の民事上の側面に関する条約。1980年(昭和55年)に採択された条約。国境を超えた不法な子どもの連れ去り、留置をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組み。条約締結国相互間で有効。子どもの返還、親との面会についての決め事。日本は2014年(平成26年)に締約国になった。(ハーグ:オランダの都市)
有名な女子卓球選手のことが思い浮かびました。
こどもさん向けの本です。
離婚する親が増えました。
夫婦がいっしょに暮らしたくないのです。しかたがありません。
されどこどもたちにとっては迷惑です。
わたしは、離婚ではありませんが、父親が中学一年の時に病死して母子家庭を体験しました。
とにかく経済的に困りました。
学校の制服以外に着るものがなくて、食事が粗食でした。
学生時代は、アルバイトをしたり、奨学金をもらったりして生活費と学費を稼ぎました。
こどもは、親の離婚がらみで苦痛があるのですが、こども自身は、おとなになって、自分のパートナーを見つけて、自分たち夫婦の家庭を築くという夢をもったほうがいい。
こどもによっては、両親がケンカをして離婚する姿を見て、自分は将来結婚しないと決心する子もいるかもしれません。しかたがありません。
さて、読み始めます。
まずは、1ページずつ最後のページまでゆっくりと目をとおしながら、何が書いてあるのかをだいたい把握(はあく)します。
『離婚は、ぼく/私のせい?』(そんなことはありません。パパとママのせいです)
『もし両親が興奮して、おかしくなっちゃっているときは?』(まずは、仲介に入って止めてみて、だめならほおっておきます)
『親に会いたくなったらどうしよう?』(たいてい、そうはなりません。ただし、別居の親はこどもに会いたいとは思うでしょう)
仲が悪い者同士が、同じ家にいても、ひどいケンカが続くだけ。家の中が荒れる。そんなふうなら、両親は、別れたほうがいいと思う。そのような意見を述べる12歳男児がいます。(そうだね)
『おじいちゃん、おばあちゃんはどうなるの?』(関係が濃い祖父母と関係が薄い祖父母がいます。どちらのタイプの祖父母かで、対応が異なってきます)
『離婚のあと、もしお父さんやお母さんが、(別の異性と)付き合い始めたら?』(わたしの場合は許しませんでした。自分の父親は亡くなった父親以外にいません。そのような件を扱った名作本として、重松清作品『卒業』新潮文庫があります。亡くなった実親と継父母との間で悩むこどもの姿があります。かなり深刻です)
この本の原作者について書きます。アメリカ人です。
ケント・ウィンチェスター:弁護士。ふたりのこどもの父親。アメリカ合衆国ニューメキシコ州居住。離婚経験者でもある。
ロベルタ・ベイヤー:弁護士。調停委員。女性。
『「面会交流」はだれのためのもの?』(わたしは、血縁関係のある者同士は、お互いに会いたいときに自由に会えばいいと思っています。制限をつけることは奇妙です)
訳者紹介
高島聡子(たかしま・さとこ):家庭裁判所調査官
藤川洋子:家庭裁判所調査官を退職後、女子大学心理学部教授
2015年(平成27年)発行の本です。
(2回目の本読み)
こどもさん向けの「親の離婚にどう対応しよう」という本は珍しい。やさしい言葉で書いてあります。ネットで別の種類の本の検索をしていてたまたま目に留まり、この本の成り立ちについて興味をもち取り寄せました。
『はじめに』に、こう書いてあります。『この本は、「もう一緒に暮らさない」と決めてしまった両親をもつ子どものための本です……』
著者が住むアメリカ合衆国は、離婚の多い国です。そのせいか、こどもさんへの語りかけが優しい。
離婚はやめましょうではなくて、離婚することを前提として、こどもさんに心配しなくていいよと語りかけています。
この本には、こどもたちの生の声が書いてあるそうです。
相談にのってくれる、いいおとなをひとりでいいから見つけてくださいと、こどもさんへのメッセージがあります。
離婚とは=結婚の終わり。夫婦関係は解消し、父と母は、もう同じ家では生活しません。
(だけど、親子関係は切れない)
『どうして離婚するの?』 こどもが生まれたとき、両親にとって、その日は、人生で最高の日だった。その後、これ以上、この人といっしょにいても幸せにはなれないということがわかった。だから離婚して、もう同じ家で一緒には住まない。生活しない。
こちらの本の特徴です。
問題提起があって、その解決をさぐるための本を紹介するというパターンでページが進んでいきます。
複数の兄弟姉妹がいて、両親の離婚に伴って、兄弟姉妹が父と母のそれぞれに引き取られて分離となると、こどもにとっては、けっこうつらい。
夫婦というのは、相手を責めるようになると、夫婦関係の終了へと流れが向かっていきます。
婚姻関係を継続していくためには、忍耐です。昔の女性はよく耐えられました。(結婚は、昔は、家と家の結びつき、見合い結婚、利害関係者による紹介結婚が多かった。「恋愛」と「結婚」は別物というとらえ方が強かった)
テレビ番組『徹子の部屋』で、フォークグループ「かぐや姫」のみなみこうせつさんが、お寺の住職であった父親が亡くなった時、母親が、『本当は、好きじゃなかった』と言って、そんな両親から生まれてきた自分たちの立場はどうなるのだと、うつろな気持ちになったことをお話しされていました。(そういう事例は多かったと思います。とりあえず、男に生活力があって、ご飯を食べていけるかが結婚の最優先事項でした。そして女性は夫に従い、夫とこどもがいる家族を支えることが女性の役割だったのです)
もうひとつ、別の人の事例で、父親の葬儀が終わったあと、母親が、(今も生きている)初恋の人に会いに行くと言って、北海道行きの飛行機に乗って、札幌へ行ってしまったという話を聞いたことがあります。(母親が帰ってきたかどうかは定かではありません)
本の中では、10歳の男児が、『(パパとママは)折り合うところを見つけたんだ』(折り合った結果が、『離婚』です)
こどもさんが、つらいときの対処法が書いてあります。
感情を表に出す。泣く。怒りを心の中にしまいこまない。
あなたは、まだこどもだ。耐えなくていい。
感情を管理(コントロール)する手段として、絵を描く、文章を書く、日記を書く、手帳にメモする。音楽を聴く。歌う。踊る。小説とか、マンガを読む。映画館で映画を観る。ビデオを観る。友だちと遊ぶ。笑う。電話をする。スポーツをしたり、観戦したりもあるでしょう。
12歳男児の意見があります。『離婚することで、人生、救われたと思う親もいるんだよ……』
相談相手について説明があります。アメリカ合衆国はそういうシステムがあるのだろうか。相手として、カウンセラー、家庭裁判所調査官、セラピスト、場所として、カウンセリングルーム、裁判所、相談室。(いずこも、こどもが簡単に行けそうな場所とは思えませんが……)
こどもから見て、自分の意見や感情に対して、同調者がほしい。味方がほしい。自分のことを人にやってもらいたい。ストレスのはけ口がほしい。
ひとり親家庭になって、生活費や学費がないという経済的困窮の話が出てきません。不思議です。読み進めてみると、お金のある家庭の離婚話だと、なんとなくわかります。
ネコと話すこどもがいます。ネコは答えてくれませんが、話すと楽になるとこどもが言います。
相手(ネコ)からのアドバイスはなくてもいい。だれかに自分のことを話したい。そのことを素材にして、映画ができそうです。
こどもは、離婚する親のことをあれこれ考えるけれど、そんなこどもがおとなになって結婚して、こども自身も離婚するということもあります。親子の世代間で、離婚が連鎖します。こどもが離婚したいと言った時、離婚経験がある親は、こどもの離婚を止めるための説得ができません。『いっしょだね』としか言えません。
養育費について書いてあります。あてになりません。たいていは、くれたとしても最初のうちだけです。そのうちなくなることが多い。
お金がなければ、お金のことでもめます。こどもが貯めたお金を親が無理やり取り上げて使うこともあります。
夫婦というのは、家事をどちらがやるかでケンカしているうちはまだいい。お金がないことでケンカになると情けない気持ちになります。
こどもから見て、信頼できるおとなというのは、なかなかいない。見つけられないと宗教に行く人もいる。へんな人間にだまされて利用されないように気をつけたほうがいい。
離婚にともなっての引っ越しや転校があります。拒否しないほうがいい。今いる場所を変わらなければならないことは、人生において、いくらでもあります。就職したら、転勤や人事異動があります。あれもこれも嫌だと主張していたら、ごはんを食べていけません。
家事について書いてあります。ひとり親家庭になったら、こどもも衣食住のことを積極的にやらねばなりません。掃除、洗濯、アイロンかけ、買い物、料理に食器洗い、ごみ出しもです。
いろいろやっておいたほうがいい。おとなになったら、一人暮らしの体験を一度は体験しておいた方がいい。衣食住のやり方の基本を知らないひとり暮らしを体験したことがない者同士が結婚すると、けっこうもめます。
こどもさんがこの本を読んで、離婚のことがよくわかるとは思えませんが、読まないよりも読んだほうが、気持ちが落ち着くということはあります。
こどもは、いつまでもこどもではいられません。体が大きくなる。成長します。あっという間におとなになります。それからが長い。
書中の書き方の特徴として、これこれについては、〇〇ページから〇〇ページを読んでくださいという表現があります。すんなり、その場で理解できません。そういう書き方はわかりにくい。
一般的なこととして、仕事人間のパパを信じたり頼ったりしないほうがいい。パパは仕事場が好きなんです。自己顕示欲と自己実現を満たすことができる職場が好きな人は、家庭を顧みません。(かえりみない:考えない)。会社が家庭で、社員が家族です。
こどもはこどもであって、物事の中心にはいない。だから、こどもは自分に責任を感じる必要はありません。
どうにもこうにもならないときは、しかたがないとあきらめる。
今はこうするしかないと、気持ちに折り合いをつける。
なるようになる。なるようにしかならない。あきらめる。とりあえず生きていれば、いつかはいいことがあるに違いないと気持ちに折り合いをつける。
ここまで、この本を読みながら、自分の考えを中心に記述しています。
(つづく)
書中に参考図書の紹介があるのですが、日本の本も何冊か紹介されています。もとはアメリカ合衆国の本ですから、その部分は、日本の担当者の判断で日本の本が入れてあるのでしょう。
紹介されている本で、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』があります。わたしは、『我が家のヒミツ 奥田英朗 集英社』は読んだことがありますが、同じ作者で、似たようなタイトルで本が出版されています。
『我が家の問題』の紹介文では、高校二年生女子が、祖母からの間違い電話で、両親に離婚話があることを知るとあります。どうしよう?です。
いろいろ考えていて思い出す児童文学があります。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
離婚届けが提出されて離婚が成立するといろいろとややこしい話になります。日本社会は、婚姻関係が成立している家族にとって有利なシステムになっています。
法律的には、親子の扶養義務とか、相続とか、いろいろ課題が発生してきます。
夫婦関係は切れても親子という血縁関係は切れません。関係ないとか、知りませんでは済まされないことも出てきます。いろいろ嫌なことが待ち受けています。
こどもに対しては、きみは、秘密をかかえこまないほうが、心の安定にはいいとアドバイスがあります。おとなが内緒にしてね(ないしょにしてね)と言っても、知ったことか!です。自立と自活は、親やおとなと対立するところから始まります。
なんというか、読んでいると、さみしくなってくる本です。
別れるということは、さみしいことです。
126ページ以降に訳者からのメッセージがあります。
離婚することを否定はされていません。
離婚する親に対して、『親子の関係をどう考えておられますか?』と、質問を投げかけられています。
次に親以外のこどものまわりにいるおとなに質問を投げかけておられます。
両親の離婚によって、たいていは、こどもの心は傷つきます。
文脈から察すると、こどもに『おりこうさん』になることを求めてはいけないと読みとれます。『過剰適応』という言葉があります。こどもの心に無理をさせてはいけない。心が壊れます。深刻な結末につながることもあります。親が離婚して、何も感じないこどもはいない。
その子にとって、『信頼できるおとなの誰か』になってほしいとメッセージがあります。
最後のほうに書かれていたこととして、
ハーグ条約:国際的な子の奪取(だっしゅ)の民事上の側面に関する条約。1980年(昭和55年)に採択された条約。国境を超えた不法な子どもの連れ去り、留置をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組み。条約締結国相互間で有効。子どもの返還、親との面会についての決め事。日本は2014年(平成26年)に締約国になった。(ハーグ:オランダの都市)
有名な女子卓球選手のことが思い浮かびました。
2023年11月07日
おかあちゃんがつくったる 長谷川義史
おかあちゃんがつくったる 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和三十年代から四十年代初めの内容です。
とりあえず、一度読み終わりました。
すごい絵本です。
胸が熱くなります。
死別母子家庭の母親とこどものお話です。
ジンとくる結末です。
思えば、第二次世界大戦で父親を戦地で亡くしたこどもは多かった。
戦後、母子家庭が日本の地にたくさん残されたことを思い出します。
昭和二十年代のことですが、こちらの本の内容とも重なります。
(2回目の本読みをします)
母親がミシンを踏みながら縫物をしている絵が表紙です。
その絵を見ながら、似たような体験がこどものころの自分にもあります。
『ぼくは いま、しょうがく さんねんせい』から始まります。
『おとうちゃんが なくなって ぼくと ねえちゃんと おかあちゃんの さんにんに なったけど ぼくたちは げんきに やってます』(亡くなった父親へのメッセージでしょう)
母子家庭ですからお金がありません。
熊太郎も中学のときに父親が病死してから母子家庭で経済的に苦労しました。
着るものがなくて、食事が粗食でした。
絵本の絵を見ながらいろいろと思い出しました。
私服が買えなくて、学校の夏のキャンプに行ったら、自分だけが夏の制服姿でした。みんなはTシャツにジーパン姿でした。
家では、肉は鶏肉(とりにく)しか食べたことがありませんでした。
牛肉とかマグロの刺身は、就職して働いて給料をもらうようになってから食べました。
絵本では、母親は、ミシン作業が得意なのでしょう。
お店で新品を買うのではなくて、ミシンを活用して、リサイクル、リフォームで、手づくりで必要なものをつくります。
お金がない家では、こどもは、新聞紙やダンボールなどを使って遊び道具をつくっていました。
新聞紙を丸めて、テープでくっつけて、ボールをつくりました。小さいボールは、野球用、大きなボールはドッジボール用として遊びで使っていました。顔に当たっても痛くないボールでした。
絵本では、母親は、剣道のはかまの布(きれ)で、主人公男子『ぼく』にジーパンのようなズボンをつくってくれました。(『ぼく』は、学校で4人の同級生男子に笑われました)
熊太郎じいさんが高校生の時は、靴下に穴があくと、母親が靴下にけっこう大きなつぎあてをしてくれました。それを見たやんちゃなクラスメートの男子が、『おまえはすごい奴(やつ)だな』とほめてくれました。自分は鈍感な人間でした。人から見られて、恥ずかしいという気持ちはありませんでした。
あの時代、貧乏人を笑う子はいましたが、心優しい子どももいてくれました。思えば、みんな貧しかった。
絵本では、おかあちゃんが、体操服をミシンでつくってくれます。
おとなのカッターシャツの再利用です。
『ぼく』は、また、クラスメートに笑われました。
次は、布製のカバンをつくってくれました。
おかあさんが、明るいのがいい。
前向きです。
堂々としています。
なにが悪いんやねんです。
かばんに、『よしお』と大きく名前が書いてあります。
『ぼく』の本名は、『よしふみ』だそうです。
父親が、『よしふみ』が一年生のときに亡くなって、どういうわけか、集まったしんせきたちが、『よしふみ』は名前として縁起が悪いらしく、主人公『ぼく』の名前を、通称で、『よしお』という名前に変えたそうです。
父親参観日です。
『よしふみ(よしお)』には、父親がいません。
今の時代はもう父親参観日というのはないのでしょう。昔はありました。
最近は、新学期始めの家庭訪問もないところが増えたようです。訪問しないで、自宅の場所だけ確認するのでしょう。緊急時対応のためでしょう。
主人公の『ぼく』は、母親に、父親参観日だから、学校には来ないでほしいと頼みます。(だけど、母親は行きます。母親はいっしょうけんめい生きている人です)
ユーモアが、苦しみを救います。
いいお母さんです。
お母さんが、お父さんのかっこうをして、教室のうしろに立っています。
背広姿のおとうさんたちに混じって、お母さんがミシンでつくった背広を着て立っています。
ほろりときました。
なんというか、こどものころ貧乏だったからといって、一生貧乏生活が続くわけではありません。一生懸命働けば、お金は入ってきます。
2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和三十年代から四十年代初めの内容です。
とりあえず、一度読み終わりました。
すごい絵本です。
胸が熱くなります。
死別母子家庭の母親とこどものお話です。
ジンとくる結末です。
思えば、第二次世界大戦で父親を戦地で亡くしたこどもは多かった。
戦後、母子家庭が日本の地にたくさん残されたことを思い出します。
昭和二十年代のことですが、こちらの本の内容とも重なります。
(2回目の本読みをします)
母親がミシンを踏みながら縫物をしている絵が表紙です。
その絵を見ながら、似たような体験がこどものころの自分にもあります。
『ぼくは いま、しょうがく さんねんせい』から始まります。
『おとうちゃんが なくなって ぼくと ねえちゃんと おかあちゃんの さんにんに なったけど ぼくたちは げんきに やってます』(亡くなった父親へのメッセージでしょう)
母子家庭ですからお金がありません。
熊太郎も中学のときに父親が病死してから母子家庭で経済的に苦労しました。
着るものがなくて、食事が粗食でした。
絵本の絵を見ながらいろいろと思い出しました。
私服が買えなくて、学校の夏のキャンプに行ったら、自分だけが夏の制服姿でした。みんなはTシャツにジーパン姿でした。
家では、肉は鶏肉(とりにく)しか食べたことがありませんでした。
牛肉とかマグロの刺身は、就職して働いて給料をもらうようになってから食べました。
絵本では、母親は、ミシン作業が得意なのでしょう。
お店で新品を買うのではなくて、ミシンを活用して、リサイクル、リフォームで、手づくりで必要なものをつくります。
お金がない家では、こどもは、新聞紙やダンボールなどを使って遊び道具をつくっていました。
新聞紙を丸めて、テープでくっつけて、ボールをつくりました。小さいボールは、野球用、大きなボールはドッジボール用として遊びで使っていました。顔に当たっても痛くないボールでした。
絵本では、母親は、剣道のはかまの布(きれ)で、主人公男子『ぼく』にジーパンのようなズボンをつくってくれました。(『ぼく』は、学校で4人の同級生男子に笑われました)
熊太郎じいさんが高校生の時は、靴下に穴があくと、母親が靴下にけっこう大きなつぎあてをしてくれました。それを見たやんちゃなクラスメートの男子が、『おまえはすごい奴(やつ)だな』とほめてくれました。自分は鈍感な人間でした。人から見られて、恥ずかしいという気持ちはありませんでした。
あの時代、貧乏人を笑う子はいましたが、心優しい子どももいてくれました。思えば、みんな貧しかった。
絵本では、おかあちゃんが、体操服をミシンでつくってくれます。
おとなのカッターシャツの再利用です。
『ぼく』は、また、クラスメートに笑われました。
次は、布製のカバンをつくってくれました。
おかあさんが、明るいのがいい。
前向きです。
堂々としています。
なにが悪いんやねんです。
かばんに、『よしお』と大きく名前が書いてあります。
『ぼく』の本名は、『よしふみ』だそうです。
父親が、『よしふみ』が一年生のときに亡くなって、どういうわけか、集まったしんせきたちが、『よしふみ』は名前として縁起が悪いらしく、主人公『ぼく』の名前を、通称で、『よしお』という名前に変えたそうです。
父親参観日です。
『よしふみ(よしお)』には、父親がいません。
今の時代はもう父親参観日というのはないのでしょう。昔はありました。
最近は、新学期始めの家庭訪問もないところが増えたようです。訪問しないで、自宅の場所だけ確認するのでしょう。緊急時対応のためでしょう。
主人公の『ぼく』は、母親に、父親参観日だから、学校には来ないでほしいと頼みます。(だけど、母親は行きます。母親はいっしょうけんめい生きている人です)
ユーモアが、苦しみを救います。
いいお母さんです。
お母さんが、お父さんのかっこうをして、教室のうしろに立っています。
背広姿のおとうさんたちに混じって、お母さんがミシンでつくった背広を着て立っています。
ほろりときました。
なんというか、こどものころ貧乏だったからといって、一生貧乏生活が続くわけではありません。一生懸命働けば、お金は入ってきます。
2023年11月01日
昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)
昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)
『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』を読んで、こちらの本にたどりつきました。
著者はおひとりで出版社を経営されています。夏葉舎です。こちらの本『昔日の客(せきじつのきゃく)』を復刊されています。
『昔日の客』は古書店の店主であった関口良雄さんの随筆です。お客さんとして有名な作家が古書店を訪れていた。初版2500部だった復刊されたこちらの本は、あっという間に売り切れた。2010年(平成22年)のことです。2023年で、13版されています。
昔日(せきじつ):むかしのこと。
銀杏子(ぎんなんし):イチョウの種子。古書店の店主であった関口良雄氏の俳号(はいごう。俳人として用いる雅号(がごう。風流な別名)
正宗白鳥(まさむね・はくちょう):小説家。1879年(明治12年)-1962年(昭和37年)83歳没
刺が通じ:しがつうじ。名刺を出して面会が可能になる。
時間に追われていない暮らしぶりです。関口良雄氏も正宗白鳥氏も風の中で二時間近くしゃべっています。『温顔(おんがん)』という漢字を久しぶりに見ました。温厚な顔つきでしょう。
著者は新聞配達をしていた。配達区域に正宗白鳥宅があった。著者は、二十年ぐらいがたってようやく正宗白鳥氏に会った。
著者が、会ったことはなくとも、いろんな人の名前が出てきます。
内村鑑三(うちむら・かんぞう):思想家、文学者、伝道者。1861年(江戸時代末期)-1930年(昭和5年)69歳没
島崎藤村(しまざき・とうそん):小説家。詩人。1872年(明治5年)-1943年(昭和18年)71歳没
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ):小説家、詩人、貴族院議員。1885年(明治18年)-1976年(昭和51年)90歳没
志賀直哉(しが・なおや):小説家。1883年(明治16年)-1971年(昭和46年)88歳没
江藤淳:文芸評論家。1932年(昭和7年)-1999年(平成11年)66歳没
(最初の項目を読んだあと、222ページにある『復刊に際して』のところを読みました)
関口良雄さんのお子さんである関口直人さんの文章があります。父親の仕事は古本屋です。
三十代なかばから古本屋『山王書房(さんのうしょぼう)』の経営を始めたそうです。息子に『詩を書け』と勧めています。
関口良雄さんについて
1918年(大正7年)長野県飯田市生まれ。15歳で姉を頼って上京。その後、兄が経営する新聞販売店で新聞配達をする。1945年(昭和20年)海軍入隊。終戦を迎える。1948年(昭和23年)結婚。1953年(昭和28年)東京大田区に『古本店山王書房』を開店した。
昭和45年の記事でたくさんの作家さんと交流があったことがわかります。
1977年(昭和52年)がんにより死去。享年59歳
1978年(昭和53年)随筆集『昔日の客』が三茶書房から刊行された。
(本の20ページに戻ります)
栗島すみ子(くりしますみこ):映画女優。1902年(明治35年)-1987年(昭和62年)85歳没
水木歌紅(名の読みがわかりません):栗島すみ子の別名。日本舞踏家としての名前
無闇矢鱈:「むやみやたら」と読むのでしょう。初めて見ました。
五燭の電球:ごしょくのでんきゅう。ピンポン玉より少し大きめの電球1個。薄暗い灯り
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ):画家、詩人。1884年(明治17年)-1934年(昭和9年)49歳没 美人画。大正ロマン
広津和郎(ひろつ・かずお):小説家。文芸評論家。1891年(明治24年)-1968年(昭和43年)76歳没
久米正雄(くめ・まさお):小説家。劇作家。1891年(明治24年)-1952年(昭和27年)60歳没
古本を買い入れたり、売ったり、タダであげたりする楽しみが書いてあります。
室生犀星(むろう・さいせい):詩人。1889年(明治22年)-1962年(昭和37年)72歳没
尾崎士郎(おざき・しろう):小説家。「人生劇場」。1898年(明治31年)-1964年(昭和39年)66歳没
いろいろ調べるのに時間がかかりますが、『学び』がある本です。
(つづく)
読んでいて、著者は、大正時代から昭和時代にかけての文化を楽しまれた人という印象が生まれました。大正時代はそれなりにいい時代だったというイメージがあります。
まだテレビは登場していません。(1953年 昭和28年放送開始です)
ラジオはありました。(1925年 大正15年から)
文章を読んで、想像することを楽しむ時代です。
原稿書きも手書きです。
楽しみは舞台劇の鑑賞でしょう。
永井荷風(ながい・かふう):小説家。1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没
井伏鱒二(いぶせ・ますじ):小説家。1898年(明治31年)-1993年(平成5年)95歳没
三好達治:詩人。1900年(明治33年)-1964年(昭和39年)63歳没
上林暁(かんばやし・あかつき):小説家。1902年(明治35年)-1980年(昭和55年)77歳没。本名は、徳廣巌城(とくひろ・いわき)
44ページ、著者のエッセイ『恋文』は、しみじみとした気持ちにさせられました。人生には光も影もあります。
著者の兄の友達で、村会議員の息子だった『勉』さんのことが書いてあります。
現在長野県飯田市となっている土地で、10歳だった著者は、17歳ぐらいだった勉さんから、恋文渡しの仲介を頼まれた。(著者の自宅前に住んでいるお文ちゃん(おふみちゃん)にラブレターを渡してほしい)しかし、タイミングが合わず、恋文は渡せなかった。
お文ちゃんは、名古屋にお嫁に行った。
その後、勉さんは親の決めた娘と結婚して雑貨屋を開いて、妻が妊娠した。
勉さんは、どういうわけか、台湾にひとり旅に出て、台湾の山奥で谷底に落ちて、遺骨になって帰ってきた。
著者は二十数年ぶりで故郷を訪れ、雑貨屋で、勉さんの老いた奥さんを見た。
勉さんによく似た15歳ぐらいの勉さんの孫息子がいた。
伊藤整(いとう・せい):小説家、文芸評論家、詩人。1905年(明治38年)-1969年(昭和44年)64歳没
横光利一(よこみつ・りいち):小説家、俳人、評論家。1898年(明治31年)-1947年(昭和22年)49歳没
読みやすい文章です。もしかしたら、著者は小説家になりたかったのかもしれません。
ゆばりの音:排尿の音
金殿玉楼(きんでんぎょくろう):黄金で飾り、玉を散りばめた御殿。とても立派で美しい御殿
牧野信一:小説家。1896年(明治29年)-1936年(昭和11年)39歳没
松本清張:小説家。1909年(明治42年)-1992年(平成4年)82歳没
因業(いんごう):がんこで無情なやりかた。
安藤鶴雄:小説家。1908年(明治41年)-1969年(昭和44年)60歳没
藤沢清造:小説家、劇作家。1889年(明治22年)-1932年(昭和7年)43歳没
樋口一葉(ひぐち・いちよう):小説家。1872年(明治5年)-1896年(明治29年)24歳没
仲田手定之助(なかだ・さだのすけ):彫刻家、美術家、美術評論家。1888年(明治21年)-1970年(昭和45年)82歳没
トルストイ:小説家、思想家。1828年(日本は江戸時代)-1910年(日本は明治43年)82歳没
マラルメ:フランスの詩人。1842年(日本は江戸時代)-1898年(日本は明治31年)56歳没
ボードレール:フランスの詩人、評論家。1821年(日本は江戸時代)-1867年(明治維新が1868年)46歳没
奉った:たてまつった。
糊口(ここう):ほそぼそと暮らしを立てる。おかゆを食べる。貧しさの表現
漂泊(ひょうはく):さまよう。
山村暮鳥(やまむら・ぼちょう):詩人、児童文学者。1884年(明治17年)-1924年(大正13年)40歳没
庄野淳三:小説家。1921年(大正10年)-2009年(平成21年)88歳没
三島由紀夫:小説家、政治活動家。1925年(大正14年)-1970年(昭和45年)45歳没
三島由紀夫氏が著者の古書店へ来ていたことが書いてあります。1955年(昭和30年)過ぎのころです。
三島由紀夫氏はまだ30歳ぐらいです。
新婚の奥さんと来たり、ひとりでもよく店へ来たりしたそうです。その後、世界的な作家になっていって、店には来なくなったそうです。
昭和43年ころに三島由紀夫氏の父親が店に来たそうです。その2年後に三島由紀夫氏は市ヶ谷駐屯地東部方面総監部で割腹自決をされています。そのころわたしはまだこどもで、白黒テレビでその報道を見ていました。
読んでいて思うのは、有名人も日常生活を送っているということです。同じ人間です。衣食住の暮らしになにか特別な違いはありません。
川端康成:小説家。1899年(明治32年)-1972年(昭和47年)72歳没。自死。
小説家と『自殺』は近い。
宇野千代:小説家、随筆家。1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没
押川春浪(おしかわ・しゅんろう):作家。1876年(明治9年)-1914年(大正3年)38歳没
菱田春草(ひしだ・しゅんそう):日本画家。1874年(明治7年)-1911年(明治44年)36歳没
大国主命(おおくにぬしのみこと):日本神話に登場する神
おそらく、著者は日記を書いていた。日記がこの本の下地になっていると推測します。
日記を書くことは、創作活動の基本です。
著者の故郷、長野県飯田市の思い出について書いてあります。
わたしは、飯田市にある元善光寺はバス日帰り観光旅行で訪れたことがあります。天竜川の川下りは、自家用車で行きました。
飯田市の現在の人口が10万人ぐらい、それほど大きな市ではありません。昔はもっと少なかったでしょう。
著者の父は酒好きだったそうです。
著者が小学校三年生の時に隣の家にあった柿の実をもぎとって食べたのを隣人に見つかった。
父親に殴られるかと思ったら、『柿が好きか?』と聞かれた。
『好きだ』と答えた。
父親は、近所の家にあった柿の木1本を著者のために5年間契約してくれた。著者は、学校から帰るとその柿の木にのぼって柿の実を食べた。(昔の父親には男意気がありました。細かいことにこだわらず、強い気持ちをもって前向きにいく)
父は、著者が13歳のときに、55歳で死んだ。(わたしの父は、わたしが12歳のときに40歳で死にました。著者は、父とは13年間の付き合い。わたしは12年間の付き合いとなります。共鳴するものがあります)
土葬の話が書いてあります。墓場まで、葬式行列をつくります。本では、棺桶に入れた父親のご遺体を墓場まで運びます。(わたしも7歳のときに類似体験があります。近所に住んでいたおばあさんが亡くなって、どういうわけか、わたしが位牌(いはい)の板を両手で顔の前に掲げて、葬式行列の先頭付近を歩きました。山の中腹にある墓場に着いて、棺桶をあらかじめ掘ってあったお墓に埋めて、葬式行列に参加したこどもたちには、新聞紙でくるまれたお菓子がふるまわれました)
著者の父は、明治三十年ごろ、長野県飯田で、谷川から水を引いて水車を動かし米屋を始めた。
父は、日露戦争に出征した。(1904年(明治37年)-1905年(明治38年))(わたしが、たまたま今同時進行で読んでいる本が、『地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社』で、中国東北部(満州)日露戦争前夜ぐらいの時代設定から物語が始まっています)
著者は、長野県飯田で、何十年もたって、こどものころに住んでいた場所に立った。
もう何もない。
それでも、自然の木々は生きていた。
次のお話です。
小説家尾崎一雄氏が、著者も知る尾崎一雄作品愛読者の女性の結婚式に祝電を送ったことが書いてあります。女性は、尾崎一雄氏のこどものような年齢だった。
昭和二年ぐらいに、尾崎一雄氏が大学生だった頃のことが書いてあります。
堀辰雄(ほり・たつお):小説家。1904年(明治37年)-1953年(昭和28年)48歳没
池上浩山人(いけがみ・こうさんじん):俳人、国宝級の文化財の修理業。1908年(明治41年)-1985年(昭和60年)77歳没
題簽(だいせん):紙片に本のタイトルを書いて、本の表紙にはってある紙
東京有楽町あたりや日比谷公園音楽堂あたりのことが書いてあります。わたしも先月10月中旬に帝国劇場でミュージカルを観て、有楽町と日比谷公園あたりを行ったり来たりして歩いた場所なので、著者が何十年も前にあの場所をウロウロしたと考えると楽しい。
コーヒーショップのことが書いてあります。『スワン』というお店です。洋画『ローマの休日』のことが書いてあります。ローマの休日:日本公開は、1954年(昭和29年)
ユトリロ:フランスの画家。1883年(日本だと明治16年)-1955年(昭和30年)71歳没
大山(だいせん):鳥取県にある姿が美しい山です。わたしは、15歳のときに大山から蒜山(ひるせん)にかけての尾根を縦走したことがあります。幅の狭い頂上付近でした。なつかしい。あのころは、まだ体重が軽くて身軽でした。こちらの本では、著者が、三月上旬に、山陰へ旅をしたときのことが書いてあります。
筆蹟(ひっせき):筆跡のこと
等閑森の丘(とおかもりのおか):東京都大田区にある。
合着(あいぎ):春・秋に着る洋服。あい服
体重五十五瓩:体重55kg
浅見淵(あさみ・ふかし):小説家、文芸評論家。1899年(明治32年)-1973年(昭和48年)73歳没
わたしの知らない人の名前がたくさん出てきます。
本の中で、みんな寿命で亡くなっていきます。
著者本人も最後には病気で亡くなります。1977年(昭和52年)に、まだ59歳で、癌で亡くなっています。
保昌正夫(ほしょう・まさお):国文学者、文芸評論家。1925年(大正14年)-2002年(平成14年)77歳没
日本近代文学館:1967年(昭和42年)、東京都目黒区駒場に開館した。
田坂乾(たさか・けん):画家。1905年(明治38年)-1997年(平成9年)91歳没
出会う人は、善人ばかりではありません。お金を貸してくれ(返す気はない)の人間も出てきます。親切心で人に優しくすると、異常に依存してくる人がいます。
人づきあいをするときは、だれもかれもというわけにはいきません。相手をよく観察したほうがいい。可もなく不可もなく、利害関係のない人が気楽に付き合えます。
扁額(へんがく):横に長い額。こちらの本では、著者が営む古書店『山王書房』の扁額について書いてあります。
尾崎一雄:小説家。1899年(明治32年)-1983年(昭和58年)83歳没
だんだん結末が近づいてきました。
『自画像』という詩にこうあります。『先が長いと思っていたが だんだん短くなってきた』寿命のことでしょう。
大山蓮華(おおやまれんげ):モクレン
水甕:みずがめ
侘助(わびすけ):椿の総称
塩谷:上野公園の植物方の所長(自宅は吉祥寺の駅からバスで15分ぐらいだった)
長岡輝子:女優。1908年(明治41年)-2010年(平成22年)102歳没
野呂邦暢(のろ・くにのぶ):小説家。1937年(昭和12年)-1980年(昭和55年)43歳没
この本のタイトル『昔日の客』が、野呂邦暢氏が本に書いた『昔日の客より感謝をもって』からきていることがわかりました。
そうか。本好きな人たちがたくさんいます。
森敦(もり・あつし):小説家。1912年(明治45年)-1989年(平成元年)77歳没
210ページに『…… ひょっとすると今年あたり命を落とすことになるかもしれないと思った』(まだ、著者は、59歳ぐらいです。内臓に痛みがあります。本当に命を落とします)
著者本人の記述はそこで終わっています。
『ご長男が書いたあとがき』
ご長男によると、お父上は、余命三か月と医師から伝えられたそうです。(しかし、本人への告知はされなかった。思い出してみればそういう時代でした。1977年(昭和52年)当時、癌の告知は死の告知のようなものでした)
本のあとがきは、著者本人に書いてほしかったけれど、亡くなってしまって書けなかったので、ご長男が、あとがきを書かれたそうです。
昭和53年1月19日の日付で、あとがきが書かれています。
『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』を読んで、こちらの本にたどりつきました。
著者はおひとりで出版社を経営されています。夏葉舎です。こちらの本『昔日の客(せきじつのきゃく)』を復刊されています。
『昔日の客』は古書店の店主であった関口良雄さんの随筆です。お客さんとして有名な作家が古書店を訪れていた。初版2500部だった復刊されたこちらの本は、あっという間に売り切れた。2010年(平成22年)のことです。2023年で、13版されています。
昔日(せきじつ):むかしのこと。
銀杏子(ぎんなんし):イチョウの種子。古書店の店主であった関口良雄氏の俳号(はいごう。俳人として用いる雅号(がごう。風流な別名)
正宗白鳥(まさむね・はくちょう):小説家。1879年(明治12年)-1962年(昭和37年)83歳没
刺が通じ:しがつうじ。名刺を出して面会が可能になる。
時間に追われていない暮らしぶりです。関口良雄氏も正宗白鳥氏も風の中で二時間近くしゃべっています。『温顔(おんがん)』という漢字を久しぶりに見ました。温厚な顔つきでしょう。
著者は新聞配達をしていた。配達区域に正宗白鳥宅があった。著者は、二十年ぐらいがたってようやく正宗白鳥氏に会った。
著者が、会ったことはなくとも、いろんな人の名前が出てきます。
内村鑑三(うちむら・かんぞう):思想家、文学者、伝道者。1861年(江戸時代末期)-1930年(昭和5年)69歳没
島崎藤村(しまざき・とうそん):小説家。詩人。1872年(明治5年)-1943年(昭和18年)71歳没
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ):小説家、詩人、貴族院議員。1885年(明治18年)-1976年(昭和51年)90歳没
志賀直哉(しが・なおや):小説家。1883年(明治16年)-1971年(昭和46年)88歳没
江藤淳:文芸評論家。1932年(昭和7年)-1999年(平成11年)66歳没
(最初の項目を読んだあと、222ページにある『復刊に際して』のところを読みました)
関口良雄さんのお子さんである関口直人さんの文章があります。父親の仕事は古本屋です。
三十代なかばから古本屋『山王書房(さんのうしょぼう)』の経営を始めたそうです。息子に『詩を書け』と勧めています。
関口良雄さんについて
1918年(大正7年)長野県飯田市生まれ。15歳で姉を頼って上京。その後、兄が経営する新聞販売店で新聞配達をする。1945年(昭和20年)海軍入隊。終戦を迎える。1948年(昭和23年)結婚。1953年(昭和28年)東京大田区に『古本店山王書房』を開店した。
昭和45年の記事でたくさんの作家さんと交流があったことがわかります。
1977年(昭和52年)がんにより死去。享年59歳
1978年(昭和53年)随筆集『昔日の客』が三茶書房から刊行された。
(本の20ページに戻ります)
栗島すみ子(くりしますみこ):映画女優。1902年(明治35年)-1987年(昭和62年)85歳没
水木歌紅(名の読みがわかりません):栗島すみ子の別名。日本舞踏家としての名前
無闇矢鱈:「むやみやたら」と読むのでしょう。初めて見ました。
五燭の電球:ごしょくのでんきゅう。ピンポン玉より少し大きめの電球1個。薄暗い灯り
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ):画家、詩人。1884年(明治17年)-1934年(昭和9年)49歳没 美人画。大正ロマン
広津和郎(ひろつ・かずお):小説家。文芸評論家。1891年(明治24年)-1968年(昭和43年)76歳没
久米正雄(くめ・まさお):小説家。劇作家。1891年(明治24年)-1952年(昭和27年)60歳没
古本を買い入れたり、売ったり、タダであげたりする楽しみが書いてあります。
室生犀星(むろう・さいせい):詩人。1889年(明治22年)-1962年(昭和37年)72歳没
尾崎士郎(おざき・しろう):小説家。「人生劇場」。1898年(明治31年)-1964年(昭和39年)66歳没
いろいろ調べるのに時間がかかりますが、『学び』がある本です。
(つづく)
読んでいて、著者は、大正時代から昭和時代にかけての文化を楽しまれた人という印象が生まれました。大正時代はそれなりにいい時代だったというイメージがあります。
まだテレビは登場していません。(1953年 昭和28年放送開始です)
ラジオはありました。(1925年 大正15年から)
文章を読んで、想像することを楽しむ時代です。
原稿書きも手書きです。
楽しみは舞台劇の鑑賞でしょう。
永井荷風(ながい・かふう):小説家。1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没
井伏鱒二(いぶせ・ますじ):小説家。1898年(明治31年)-1993年(平成5年)95歳没
三好達治:詩人。1900年(明治33年)-1964年(昭和39年)63歳没
上林暁(かんばやし・あかつき):小説家。1902年(明治35年)-1980年(昭和55年)77歳没。本名は、徳廣巌城(とくひろ・いわき)
44ページ、著者のエッセイ『恋文』は、しみじみとした気持ちにさせられました。人生には光も影もあります。
著者の兄の友達で、村会議員の息子だった『勉』さんのことが書いてあります。
現在長野県飯田市となっている土地で、10歳だった著者は、17歳ぐらいだった勉さんから、恋文渡しの仲介を頼まれた。(著者の自宅前に住んでいるお文ちゃん(おふみちゃん)にラブレターを渡してほしい)しかし、タイミングが合わず、恋文は渡せなかった。
お文ちゃんは、名古屋にお嫁に行った。
その後、勉さんは親の決めた娘と結婚して雑貨屋を開いて、妻が妊娠した。
勉さんは、どういうわけか、台湾にひとり旅に出て、台湾の山奥で谷底に落ちて、遺骨になって帰ってきた。
著者は二十数年ぶりで故郷を訪れ、雑貨屋で、勉さんの老いた奥さんを見た。
勉さんによく似た15歳ぐらいの勉さんの孫息子がいた。
伊藤整(いとう・せい):小説家、文芸評論家、詩人。1905年(明治38年)-1969年(昭和44年)64歳没
横光利一(よこみつ・りいち):小説家、俳人、評論家。1898年(明治31年)-1947年(昭和22年)49歳没
読みやすい文章です。もしかしたら、著者は小説家になりたかったのかもしれません。
ゆばりの音:排尿の音
金殿玉楼(きんでんぎょくろう):黄金で飾り、玉を散りばめた御殿。とても立派で美しい御殿
牧野信一:小説家。1896年(明治29年)-1936年(昭和11年)39歳没
松本清張:小説家。1909年(明治42年)-1992年(平成4年)82歳没
因業(いんごう):がんこで無情なやりかた。
安藤鶴雄:小説家。1908年(明治41年)-1969年(昭和44年)60歳没
藤沢清造:小説家、劇作家。1889年(明治22年)-1932年(昭和7年)43歳没
樋口一葉(ひぐち・いちよう):小説家。1872年(明治5年)-1896年(明治29年)24歳没
仲田手定之助(なかだ・さだのすけ):彫刻家、美術家、美術評論家。1888年(明治21年)-1970年(昭和45年)82歳没
トルストイ:小説家、思想家。1828年(日本は江戸時代)-1910年(日本は明治43年)82歳没
マラルメ:フランスの詩人。1842年(日本は江戸時代)-1898年(日本は明治31年)56歳没
ボードレール:フランスの詩人、評論家。1821年(日本は江戸時代)-1867年(明治維新が1868年)46歳没
奉った:たてまつった。
糊口(ここう):ほそぼそと暮らしを立てる。おかゆを食べる。貧しさの表現
漂泊(ひょうはく):さまよう。
山村暮鳥(やまむら・ぼちょう):詩人、児童文学者。1884年(明治17年)-1924年(大正13年)40歳没
庄野淳三:小説家。1921年(大正10年)-2009年(平成21年)88歳没
三島由紀夫:小説家、政治活動家。1925年(大正14年)-1970年(昭和45年)45歳没
三島由紀夫氏が著者の古書店へ来ていたことが書いてあります。1955年(昭和30年)過ぎのころです。
三島由紀夫氏はまだ30歳ぐらいです。
新婚の奥さんと来たり、ひとりでもよく店へ来たりしたそうです。その後、世界的な作家になっていって、店には来なくなったそうです。
昭和43年ころに三島由紀夫氏の父親が店に来たそうです。その2年後に三島由紀夫氏は市ヶ谷駐屯地東部方面総監部で割腹自決をされています。そのころわたしはまだこどもで、白黒テレビでその報道を見ていました。
読んでいて思うのは、有名人も日常生活を送っているということです。同じ人間です。衣食住の暮らしになにか特別な違いはありません。
川端康成:小説家。1899年(明治32年)-1972年(昭和47年)72歳没。自死。
小説家と『自殺』は近い。
宇野千代:小説家、随筆家。1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没
押川春浪(おしかわ・しゅんろう):作家。1876年(明治9年)-1914年(大正3年)38歳没
菱田春草(ひしだ・しゅんそう):日本画家。1874年(明治7年)-1911年(明治44年)36歳没
大国主命(おおくにぬしのみこと):日本神話に登場する神
おそらく、著者は日記を書いていた。日記がこの本の下地になっていると推測します。
日記を書くことは、創作活動の基本です。
著者の故郷、長野県飯田市の思い出について書いてあります。
わたしは、飯田市にある元善光寺はバス日帰り観光旅行で訪れたことがあります。天竜川の川下りは、自家用車で行きました。
飯田市の現在の人口が10万人ぐらい、それほど大きな市ではありません。昔はもっと少なかったでしょう。
著者の父は酒好きだったそうです。
著者が小学校三年生の時に隣の家にあった柿の実をもぎとって食べたのを隣人に見つかった。
父親に殴られるかと思ったら、『柿が好きか?』と聞かれた。
『好きだ』と答えた。
父親は、近所の家にあった柿の木1本を著者のために5年間契約してくれた。著者は、学校から帰るとその柿の木にのぼって柿の実を食べた。(昔の父親には男意気がありました。細かいことにこだわらず、強い気持ちをもって前向きにいく)
父は、著者が13歳のときに、55歳で死んだ。(わたしの父は、わたしが12歳のときに40歳で死にました。著者は、父とは13年間の付き合い。わたしは12年間の付き合いとなります。共鳴するものがあります)
土葬の話が書いてあります。墓場まで、葬式行列をつくります。本では、棺桶に入れた父親のご遺体を墓場まで運びます。(わたしも7歳のときに類似体験があります。近所に住んでいたおばあさんが亡くなって、どういうわけか、わたしが位牌(いはい)の板を両手で顔の前に掲げて、葬式行列の先頭付近を歩きました。山の中腹にある墓場に着いて、棺桶をあらかじめ掘ってあったお墓に埋めて、葬式行列に参加したこどもたちには、新聞紙でくるまれたお菓子がふるまわれました)
著者の父は、明治三十年ごろ、長野県飯田で、谷川から水を引いて水車を動かし米屋を始めた。
父は、日露戦争に出征した。(1904年(明治37年)-1905年(明治38年))(わたしが、たまたま今同時進行で読んでいる本が、『地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社』で、中国東北部(満州)日露戦争前夜ぐらいの時代設定から物語が始まっています)
著者は、長野県飯田で、何十年もたって、こどものころに住んでいた場所に立った。
もう何もない。
それでも、自然の木々は生きていた。
次のお話です。
小説家尾崎一雄氏が、著者も知る尾崎一雄作品愛読者の女性の結婚式に祝電を送ったことが書いてあります。女性は、尾崎一雄氏のこどものような年齢だった。
昭和二年ぐらいに、尾崎一雄氏が大学生だった頃のことが書いてあります。
堀辰雄(ほり・たつお):小説家。1904年(明治37年)-1953年(昭和28年)48歳没
池上浩山人(いけがみ・こうさんじん):俳人、国宝級の文化財の修理業。1908年(明治41年)-1985年(昭和60年)77歳没
題簽(だいせん):紙片に本のタイトルを書いて、本の表紙にはってある紙
東京有楽町あたりや日比谷公園音楽堂あたりのことが書いてあります。わたしも先月10月中旬に帝国劇場でミュージカルを観て、有楽町と日比谷公園あたりを行ったり来たりして歩いた場所なので、著者が何十年も前にあの場所をウロウロしたと考えると楽しい。
コーヒーショップのことが書いてあります。『スワン』というお店です。洋画『ローマの休日』のことが書いてあります。ローマの休日:日本公開は、1954年(昭和29年)
ユトリロ:フランスの画家。1883年(日本だと明治16年)-1955年(昭和30年)71歳没
大山(だいせん):鳥取県にある姿が美しい山です。わたしは、15歳のときに大山から蒜山(ひるせん)にかけての尾根を縦走したことがあります。幅の狭い頂上付近でした。なつかしい。あのころは、まだ体重が軽くて身軽でした。こちらの本では、著者が、三月上旬に、山陰へ旅をしたときのことが書いてあります。
筆蹟(ひっせき):筆跡のこと
等閑森の丘(とおかもりのおか):東京都大田区にある。
合着(あいぎ):春・秋に着る洋服。あい服
体重五十五瓩:体重55kg
浅見淵(あさみ・ふかし):小説家、文芸評論家。1899年(明治32年)-1973年(昭和48年)73歳没
わたしの知らない人の名前がたくさん出てきます。
本の中で、みんな寿命で亡くなっていきます。
著者本人も最後には病気で亡くなります。1977年(昭和52年)に、まだ59歳で、癌で亡くなっています。
保昌正夫(ほしょう・まさお):国文学者、文芸評論家。1925年(大正14年)-2002年(平成14年)77歳没
日本近代文学館:1967年(昭和42年)、東京都目黒区駒場に開館した。
田坂乾(たさか・けん):画家。1905年(明治38年)-1997年(平成9年)91歳没
出会う人は、善人ばかりではありません。お金を貸してくれ(返す気はない)の人間も出てきます。親切心で人に優しくすると、異常に依存してくる人がいます。
人づきあいをするときは、だれもかれもというわけにはいきません。相手をよく観察したほうがいい。可もなく不可もなく、利害関係のない人が気楽に付き合えます。
扁額(へんがく):横に長い額。こちらの本では、著者が営む古書店『山王書房』の扁額について書いてあります。
尾崎一雄:小説家。1899年(明治32年)-1983年(昭和58年)83歳没
だんだん結末が近づいてきました。
『自画像』という詩にこうあります。『先が長いと思っていたが だんだん短くなってきた』寿命のことでしょう。
大山蓮華(おおやまれんげ):モクレン
水甕:みずがめ
侘助(わびすけ):椿の総称
塩谷:上野公園の植物方の所長(自宅は吉祥寺の駅からバスで15分ぐらいだった)
長岡輝子:女優。1908年(明治41年)-2010年(平成22年)102歳没
野呂邦暢(のろ・くにのぶ):小説家。1937年(昭和12年)-1980年(昭和55年)43歳没
この本のタイトル『昔日の客』が、野呂邦暢氏が本に書いた『昔日の客より感謝をもって』からきていることがわかりました。
そうか。本好きな人たちがたくさんいます。
森敦(もり・あつし):小説家。1912年(明治45年)-1989年(平成元年)77歳没
210ページに『…… ひょっとすると今年あたり命を落とすことになるかもしれないと思った』(まだ、著者は、59歳ぐらいです。内臓に痛みがあります。本当に命を落とします)
著者本人の記述はそこで終わっています。
『ご長男が書いたあとがき』
ご長男によると、お父上は、余命三か月と医師から伝えられたそうです。(しかし、本人への告知はされなかった。思い出してみればそういう時代でした。1977年(昭和52年)当時、癌の告知は死の告知のようなものでした)
本のあとがきは、著者本人に書いてほしかったけれど、亡くなってしまって書けなかったので、ご長男が、あとがきを書かれたそうです。
昭和53年1月19日の日付で、あとがきが書かれています。