2024年01月23日

月と散文 又吉直樹

月と散文 又吉直樹 KADOKAWA

 エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
 『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
 きれいな文章を書いても、きれいですねで終わるのです。きれいな文章を書ける人は、そこそこいるので目立たないのです。その人にしか書けない個性的な文章を書けるとアーチスト(創造者)になれるのです。

 タイトルにある、『月』にこだわりがありそうです。文章書きでいうところの、『章』が、【満月】、そして、【二日月】となっています。タイトルの散文は、『エッセイ』です。
 ふと、思い出しました。以前、『二日月』という児童文学を読んだことがあります。読書メモを探したら出てきたので、感想の一部を載せてみます。
 『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
 障害者差別解消をめざした作品です。
 主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
 二日月というのは、つごもり(月隠:月の光がまったく見えなくなる頃)、新月(細い月)のあとに見える月で、作中では、最初、見えなかったものが、少しずつ見えてきて満ちてくるというたとえ話になっています。


『満月』
 たくさんエッセイがあります。読みながら、だらだらと感想を落としてみます。
 書いてあることとして、テレビを見ていて、番組の内容よりも、出ている人の姿かたちについて家族と雑談することはよくあります。エッセイでは、コメンテーターのネクタイが派手かどうかというようなやりとりがあります。
 日本には、1億2300万人ぐらいの人が住んでいるわけで、すべての人が、今起こっている時事問題や事柄に対応できるわけでもありません。関係者の方々であんばいようやってくださいとなるのが世の常です。
 そんなぼんやりとした日常の中で、テレビを見ていると、テレビに出ている人の肌つやとか、頭髪のこととか、洋服のセンスとか、モノの値段とか、報道やバラエティの趣旨とは離れたところで雑談になるのです。

 又吉さんは、不完全な人間である自分について、この先もひとり語りを続けていきます。自分の立場は、『太陽』ではない。『月』なのですというメッセージがあるのでしょう。

 大阪出身で、18歳の時に漫才師になるために東京へ進出します。
 友だちの、『たっちゃん』とコンビを組んでいっしょに東京へ出ましたが、うまくいきません。解散します。
 
 なかなかの文章です。手紙があります。31歳の又吉さんが、18歳の又吉さんにあてた手紙です。
 
 文章は、ひとごと(他人事たにんごと)を聞いているようでもあります。
 又吉直樹さんという臆病な(おくびょうな)人間の性質が、じょうずに表現されています。
 人にだまされます。
 だれしもそうなのでしょうが、善良な若い人は社会に出て、簡単に人にだまされます。
 わたしは、学校で先生から、そんないいかげんなふうでは、社会に出たらやっていけないぞとよく指導されました。
 ところが、じっさいに社会に出てみたら、いいかげんな人がたくさんいました。自分が得をするためには、人をだまして利益を得る人がいました。きれいごとだけを教えていたらこどもの心は壊れます。

 本では、車の運転免許を持っていない話が出ます。
 どういうわけか、運転免許証をもっていても運転はできませんという若い人が増えました。
 関係先回りをするときに、会社の車を先輩や役付きが運転して、新人が同乗するという奇妙な光景が生まれました。
 
 52ページまで読みました。
 又吉直樹さんは、お笑いをやっているけれど、暗い性格の人です。明石家さんまさんとは正反対です。

(つづく)

 三鷹や吉祥寺の地名が出てきます。昨年2回現地を散策したので親しみを感じます。

 世代が違うので感覚が異なることもあります。
 又吉さんは、1989年(昭和64年・平成元年)のとき小学二年生8歳で昭和が終わっています。そのとき自分は、もうおとなでこどもをかかえて共働きの子育てで、忙しい毎日を送っていました。
 
 読んでいるとなんだか気持ちがさみしくなってくる文章です。『太陽』ではなく、タイトルにあるとおり『月』です。
 67ページあたり、高校の同級生龍三さんとの嚙み合わない会話というところがおもしろい。いい関係です。会話において、龍三さんは、けして、『否定』をしません。たいしたものです。
 
 著者は、芥川賞を受賞した人ですが、こどものころに、家には本はなかったとあります。
 小学校中学年のときに、教科書の物語を読むことが好きになった。そこから本好きが始まります。
 本を読むことはかっこいいことではなかった。変人として扱われた。高校のとき、父親から本を読むのはおかしいと言われた。ケンカが強いほうが大事だという考えの父親だった。社会人になってからも、芸人のくせに本を読むのは変人だというような扱いをまわりにいた人間たちから受けた。
 (この部分を読んで、自分と類似体験があるなと思い出したことがあります。小学校5年生ぐらいのとき父親に、『そろばんを習いに行きたい』と言ったら、『そろばんなんかやらんでもいい。柔道を習いに行け!』と言われて、話にならんと思いました)

 古書店まわりが好きだという話が出ます。
 孤独だった若い頃は、古書店と自動販売機が心のよりどころだったそうです。一日なにもやることがなかった。
 小説を書き始めて失望したこととして、『芸人が小説を書いた』と反応があったこと。差別されていると感じた。『芸人』が下に見られている。『芸人のくせに』とばかにされている。
 
 1997年(平成9年)元旦。著者は高校1年生16歳で、同級生4人で、初日の出を見に、大阪寝屋川から海遊館(かいゆうかん)がある築港(ちっこう)めざして、自転車で午前2時に出発します。なんだかんだとあって、自転車をこいで、何時間もかけて海にたどりつき、印象的な初日の出を見たあと、ケンカ別れみたいになります。(しんどくて、著者だけが電車で帰った)。そのときの友だち3人に送った著者のあいさつ、『チャオ(さよならの意味)』が、いまだにみんなとの思い出話で出るそうです。
 (自分はその部分を読んで、「なぜ、みんなは、初日の出を見たいと思ったのだろう」と思いました。なぜ、自分は中高生の頃、元旦の初日の出を見たいと思わなかったのだろう。思い出してみると、中学一年のとき、オヤジが心臓の病気で急死して、うちは貧乏な母子家庭になってしまいました。中学二年生の秋から新聞朝刊の配達を始めて、高校卒業まで続けました。朝、新聞配達を終えるころ、季節の時間帯によりけりですが、日の出をよく見ていました。だから、自分には、朝日を見たいという欲求がないのだとわかりました)

(つづく)
 ハウリン・ウルフ:アメリカ合衆国の黒人ブルース・シンガー。1976年(昭和51年)65歳没

 112ページまできました。なんだろう。小学生のころの話ばかりでつまらなくなってきました。
 社会に出るとふつう、学校であったことは過去のことになり、忘れてしまいます。
 又吉さんの場合は、逆に、小学生時代の過去が色濃くなっています。不思議です。
 そういえば、同じく関西出身の芸人チャンス大城さんの本もそうでした。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』(かなりおもしろいです)
 芸人は、過去にこだわるのだろうか。

 少年時代の孤独話が続きます。
 こどもの頃、大阪の狭い住宅に家族5人で暮らしていた。(父(作業員)、母(働いていた)、長姉、次姉、自分)。家では、自分が好きな、「孤独」の状態になれなかった。
 又吉さんは変わった小学生だったようです。先生が苦労されています。
 どうでもいいことで考え込む。(寒い時になぜ半そでを着てはいけないのか)
 教室の片隅でひとりになることが好き。
 ひとりで近所を歩いたり、走ったりすることが好き。
 小学6年生のときの門限は夜の8時30分だった。夜の公園にひとりでいた。8時30分過ぎても家に帰らないこともあった。親が探しに来た。ときに、公園で、ひとりで不安なこともあった。
 小学校では忘れ物をする。宿題を提出することを放棄する。親に通知表を見せない。先生から見て何を考えているのかわからないこどもと言われた。問題児だった。
 不愛想だった。「好きなことしか出来ないこどもだった」。ノートに絵を描いていた。小学校の授業中、勝手に教室を出て行くこともあった。みんなが又吉さんを校内で探したことがあった。
 学校の黄色い帽子にマジックで絵を描いてかぶる。教室にあるストーブの位置を教室のまんなかに置いたほうが平等だと提案する。黒板の横に立って授業を受けたいと申し出る。
 『標準』になれないこどもだった又吉さんがいます。サラリーマンにはなれません。本人が自認するように、芸人になるしかありません。事務職や営業職、接客接遇、電話応対、どれもできそうにありません。

 市役所がイヤだという話が出ます。
 べつだん市役所でイヤな目にあったということではありません。むしろ職員は親切だと書いてあります。
 行政書類での手続きがにがてだそうです。
 読んでいると、社会人として、家庭人として、やっていけるようには思えない資質と性格、言動です。たいそうな収入はあるのでしょうが、適切に、的確に、ちゃんと生活できているのだろうかと心配になります。
 健康保険とか、年金とか、福祉や介護の手続きもいります。若い時は、こどもがいれば、市役所に子育ての相談にも行かねばなりません。だれかが、又吉さんの代わりに行政事務手続きをやらないと、お金があっても苦労しそうです。歳をとってくると、困りそうです。
 芸能界の人って、介護保険で軽くなる費用を実費で払う人がいるようでびっくりします。凡人なら家計が破たんします。かっこつけないほうがいい。同じ人間です。日常生活に違いはありません。たまたま仕事が芸能人なだけです。

(つづく)
 158ページ、うまいなあ。一行(いちぎょう)あけて、又吉さんと証明写真撮影機との会話が始まります。

 宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。元THE BOOMのボーカル

 小学校時代父親のことを作文で書いて、寝屋川市の代表として大きな会場で読んだ経験があることから始まって、お父さんとお母さんとの物語が大きく流れていきます。
 お父さんは沖縄県名護市出身で、大阪に渡った。(読んでいて、熊本県出身の自分の父親と重なるところが多々ありました)

 父親は競輪選手になるために大阪に来たが、本気だったようすがありません。自転車は好きだった。
 カチャーシー:沖縄の踊り。沖縄民謡に合わせて、頭上で手を左右に振る。
 又吉さんは、こどものころ、カチャーシーを踊って笑われて、笑いをとることの喜びを知りました。
 
 又吉さんのお父さんの行動や言葉を読むと、40歳で病気で死んだ自分の父親と似ているなあと思います。

 又吉さんのお母さんは、鹿児島県奄美群島の加計呂麻村出身で(かけろまむら)、看護師になって大阪府寝屋川市内のアパートで暮らし始めて、お隣に住んでいた又吉さんの父親と故郷が近い点で話が合って結婚されたそうです。

 186ページに、お父さんのご臨終(ごりんじゅう。亡くなるとき)のようすがあります。
 ご両親の個性が遺伝して、又吉直樹さんができあがっているということを確認できる文章でした。リリー・フランキーさんの名作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出します。
 霊供膳(りょうぐぜん):お供えする小型のお膳。お供えのあと遺族が食べる。
 
『二日月』
 こちらのかたまりの部分の内容は、それほど良くありませんでした。
 順に感想を記してみます。
 コロナ禍の時期も関係していると思いますが、閉塞的です。(へいそくてき:閉(と)ざされている。とじこもっている)
 芸人3人でのシェア(家の中の空間を分け合う)生活からひとり暮らしにした。人が集まれるようリビングには24人ぐらいが座れるようにした。でも、だれも来ない。コロナ禍が始まる前から、だれも来ない。
 
 家にいても、話し相手がいない。(話し相手がほしいから結婚するということはあります)
 だからなのか、細かなことに関する考察が続きます。
 (わたしは利用したことがありませんが、ウーバーイーツとか出前館とか)料理を自宅に届けてもらうサービスを多用している話が出ます。自分の世代では、相手から商品を手渡しで受け取らないことを不可解に思えるのですが、受け取るときには対面しないそうです。配達員は、ドアの前に料理を置いて、写真を撮って帰っていく。そのようすを又吉さんはドアのノゾキ穴からずーっと観察しているそうです。(配達員が来る前から来るのを待っている)いろんな動きをする配達員について書いてあります。

 又吉さんは、孤独な人です。孤独がイヤなのではなく、むしろ、ひとりでいたい人です。
 知らない人と会話をしない人です。知らない人と会話をしたくない人です。
 会話がにがてな人です。独特です。

 又吉さんは喫茶店で原稿を見たり書いたりしているようです。
 帰るときに、間違えて、お店のメニューを原稿といっしょにカバンに入れてしまったそうです。それも1枚ではなく、2枚(のメニュー)をカバンに入れたそうです。お店から返してほしいと事務所を通じて連絡があります。自分が2枚メニューをもってきてしまったことに気づかず、1枚だけ返して、帰宅してから2週間後、メニューが、もう1枚カバンにあることに気づきます。相当変わっています。(そんなことがあるのか)

 又吉さんは手間がかかる人です。
 じっとしているようで、脳みその中は、活発に活動している人です。(なんというか、なんとか障害の気配でもあるのだろうか)
 ご本人の言葉です。『私は無口だが脳がしつこいほどお喋りで(おしゃべりで)、なかなか黙ってくれない……』

 虫メガネの焦点を目的物にゆっくり近づけていくような文章が続きます。広がりはありません。一点に集中していきます。読んでいて、だんだん飽きてきた228ページあたりです。
 文字数はとても多い。
 貶す(けなす):悪口を言う。

 お笑いコンビとして取材を受けているときに、インタビュアーに、『マタキチさん』と声をかけられることがよくあった。(芥川賞受賞前でしょう)『マタヨシです』と言えなかった。相方の綾部さんが訂正してくれるが、綾部さんは、又吉さんのことをふだん、『マタキチ』と呼んでいる。ややこしい。

 この本の前半の、『満月』ほどの中身はないので、流し読みに入った251ページ付近です。

 サルゴリラ児玉:お笑いコンビ。児玉智洋(こだま・ともひろ)

 妄想が、大量の文字でつづられています。読む意欲が湧かなかったので、ゆっくりページをめくって本を閉じました。異様な面をおもちの方です。

 (しばらくたってから本を再び広げて)314ページ、『散文 #64号』で、文章が落ち着きました。北九州での朗読会について書いてあります。

 328ページ、『なにか言い残したことはないか?』 自分が臨終(りんじゅう。死ぬとき。死にぎわ)のときのことです。
 人生の最後に何を言うかです。
 (わたしはたぶん、家族に、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えます。ふと、家族がいない人はどうなのだろうかと思いつきました。無言もありかと思いました。心の中で自分自身になにかを言って人生を終わるのです)
 又吉さんの場合は、『いやぁ、やり切ったなぁ』だそうですが、それではだめらしく、相手から、『やりきったよな。それで、なにか言い残したいことは?』と問われて困りそうなので、問いかけてほしくないそうです。

 334ページ、『私は車の運転免許を持っていないので……』(運転免許がないと自分で好きなところに行ける楽しみがありませんね)

 ところどころ、漫才の台本のようでもありました。

 356ページ、全部読み終えました。
 細かい意識と思考をもちながら、すごく狭い世界の中で生きている人という印象をもちました。

 前半と後半につながりがないので、2冊の本を読んだような気分でした。

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