2024年02月07日

本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎

本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎 夏葉社

 1章から3章まであります。

『1章』
 八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。

 この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
 パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
 
 読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
 広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
 大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
 大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
 21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。

 途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。

 佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
 インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。

 32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。

(つづく)
 
 本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
 
 ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)

 地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
 
 『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)

 文章では、せつないほどの努力話が続きます。
 本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
 お客さんとの『信頼』が大事。
 いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
 すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
 お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
 いなかだからできる商売ともいえます。
 本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
 本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
 美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
 
 たいしたものです。

『2章』
 本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
 『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
 書店経営者が読むのに適した本です。

 2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
 人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
 町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。

 人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
 自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。

 読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
 学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
 『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
 こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
 高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
 女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。

 さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。

 場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。

 妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。

 もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
 まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
 再生とか、再起があります。
 ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
 枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
 枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。

 会社は、利益の追求だけではやっていけない。
 会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
 『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
 
 訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
 
 パン屋まで始まりました。

 いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
 先祖代々引き継いできた財産があります。

 こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。

 週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。

『3章』
 こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。

 最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
 いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
 
 全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。

 もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
 なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
 本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
 自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)

 『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』

 迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
 
 (いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)

 192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
 ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
 この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
 魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。

 大事なことは、『待つこと』と結んであります。
 静かに待つことは案外むずかしい。
 人の話をゆっくり聴く。
 待てない人は、相手の想いを聴けていない。
 いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。

 広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
 油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
 東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
 三次市(みよしし):広島県みよしし
 津山市:岡山県津山市

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