2024年09月23日
ツィゴイネルワイゼン 邦画 1980年
ツィゴイネルワイゼン 邦画 1980年(昭和55年) 2時間24分 動画配信サービス
タイトルは聞いたことがありますが、映画は、初めて観ました。
シュールレアリスム(超現実主義。じっさいには、目には見えない世界である思考、意識、夢などを絵にする)の映画だと思いました。
怪談話、妖怪、スリラー、ホラー、性風俗、まあ裏世界の雰囲気がただよっています。
この映画が製作された日本の時代によくあった男尊女卑(だんそんじょひ。妻は給仕(きゅうじ。召使(めしつかい)のようなもの)、女性蔑視(べっし。男子が女子をさげすむ)、女性差別、映像には、障害者の人権侵害にも触れるようなシーンもあります。半世紀ぐらい前、日本はそういう時代でした。
鈴木清順監督(弟さんがNHKアナウンサーだった鈴木健二さんだったことは知りませんでした)、原田芳雄さん、大谷直子さん、藤田敏八(ふじたとしや)の三人さんを中心にストーリーは流れていきます。ほかに、身体障害者役の旅芸人さんたち3人が出ていて、なかなかいい演技を披露されています。春歌(しゅんか。性風俗の楽曲、歌)がおもしろい。
死体、裸体、芸者、カニ、ウナギ、毒薬、(赤い)人骨など、芸術作品なのか、映画の趣旨はわかりにくい。
不倫、不貞(ふてい。浮気)、夫婦間のイザコザ、人間生活の裏側を表に引っ張り出します。
パブロ・デ・サラサーテ:スペイン出身の作曲家、ヴァイオリニスト。1844年(日本は江戸時代)-1908年(明治41年)64歳没。ツィゴイネルワイゼンのヴァイオリン演奏者。
映画では、レコードに、本人の話し声が入っているという話が出ます。録音中に入ったらしい。
ゆうれいが出たよーーみたいなシーンがところどころにあります。
宮澤賢治作品、『銀河鉄道の夜(死者の霊が列車にのってあの世へ行く)』の雰囲気を感じました。
キツネにだまされた。
ツィゴイネルワイゼンという曲は、人間の悲しみ(哀しみ)を表現してあるように受け止めました。
ニワトリの絵は、江戸時代の画家若冲(じゃくちゅう)という人の絵に見えました。ち密な描画です。
『あなた、あたしの骨が好きなんでしょ。透き通った(すきとおった)桜の花びらみたいな骨が取れると思っているんでしょ……』(毒が骨にしみこんで骨が赤くなるというような話でした)
なんだか、きもい。(気持ち悪い。グロテスク)
腐り(くさり)かけがいい。なんでも腐っていくときが一番うまいそうです。
BGM(バックグランドミュージック)が独特です。鈴の音です。それから、柱時計が時を打つ音。
絵画のような描写の映像です。現実+幻想の世界です。
男は、動物、野獣扱い。
人間の一番美しい姿は、ガイコツ。
鎌倉の切通し(きりどおし。鎌倉幕府防衛のための狭い通路)の風景がたびたび出てきます。
列車は江ノ電でしょう。
グロいけれど笑えます。
シュールレアリスムの世界です。
主人公の中砂(なかさご。原田芳雄さんが演じている)さんが亡くなりました。山の中で死んでいました。事故死扱いです。麻酔薬みたいなものを吸って死んだそうです。
中砂さんは、暴れん坊な人なので、観ていて、なんだかほっとしました。
だけど、そこからまだ長時間の上映時間が残っています。
どう話をつなげていくのだろう。
『皮と肉を除いて、ガイコツだけを残すのは可能かね?』(不可能だそうです)
こども3人の旅芸人のセリフが良かった。
『今、オニとすれ違いましたよ』
5年の時が流れました。
中砂(なかさご)があなた(青地あおち。中砂の友人のドイツ語教授)に貸したあれを返してくださいというやりとりが何度か続きます。
本そして、ツィゴイネルワイゼンのレコード(額に隠してありました。隠したのは、青地の妻です)
すれ違いから、女の愛情を屈折した状態で表現してある映画なのか。
シーンは最初に戻ります。
鏡。
怪談話か。小泉八雲(こいずみやくも。ラフかディオ・ハーン)を思い出します。
死んでいるほうは、あたしじゃなくて、あなたのほうなんです。
洋画、『シックスセンス』を思い出しました。
鈴木監督も原田芳雄さんも亡くなってしまいました。
映像を通じて、永遠に生きいかれる人たちです。
タイトルは聞いたことがありますが、映画は、初めて観ました。
シュールレアリスム(超現実主義。じっさいには、目には見えない世界である思考、意識、夢などを絵にする)の映画だと思いました。
怪談話、妖怪、スリラー、ホラー、性風俗、まあ裏世界の雰囲気がただよっています。
この映画が製作された日本の時代によくあった男尊女卑(だんそんじょひ。妻は給仕(きゅうじ。召使(めしつかい)のようなもの)、女性蔑視(べっし。男子が女子をさげすむ)、女性差別、映像には、障害者の人権侵害にも触れるようなシーンもあります。半世紀ぐらい前、日本はそういう時代でした。
鈴木清順監督(弟さんがNHKアナウンサーだった鈴木健二さんだったことは知りませんでした)、原田芳雄さん、大谷直子さん、藤田敏八(ふじたとしや)の三人さんを中心にストーリーは流れていきます。ほかに、身体障害者役の旅芸人さんたち3人が出ていて、なかなかいい演技を披露されています。春歌(しゅんか。性風俗の楽曲、歌)がおもしろい。
死体、裸体、芸者、カニ、ウナギ、毒薬、(赤い)人骨など、芸術作品なのか、映画の趣旨はわかりにくい。
不倫、不貞(ふてい。浮気)、夫婦間のイザコザ、人間生活の裏側を表に引っ張り出します。
パブロ・デ・サラサーテ:スペイン出身の作曲家、ヴァイオリニスト。1844年(日本は江戸時代)-1908年(明治41年)64歳没。ツィゴイネルワイゼンのヴァイオリン演奏者。
映画では、レコードに、本人の話し声が入っているという話が出ます。録音中に入ったらしい。
ゆうれいが出たよーーみたいなシーンがところどころにあります。
宮澤賢治作品、『銀河鉄道の夜(死者の霊が列車にのってあの世へ行く)』の雰囲気を感じました。
キツネにだまされた。
ツィゴイネルワイゼンという曲は、人間の悲しみ(哀しみ)を表現してあるように受け止めました。
ニワトリの絵は、江戸時代の画家若冲(じゃくちゅう)という人の絵に見えました。ち密な描画です。
『あなた、あたしの骨が好きなんでしょ。透き通った(すきとおった)桜の花びらみたいな骨が取れると思っているんでしょ……』(毒が骨にしみこんで骨が赤くなるというような話でした)
なんだか、きもい。(気持ち悪い。グロテスク)
腐り(くさり)かけがいい。なんでも腐っていくときが一番うまいそうです。
BGM(バックグランドミュージック)が独特です。鈴の音です。それから、柱時計が時を打つ音。
絵画のような描写の映像です。現実+幻想の世界です。
男は、動物、野獣扱い。
人間の一番美しい姿は、ガイコツ。
鎌倉の切通し(きりどおし。鎌倉幕府防衛のための狭い通路)の風景がたびたび出てきます。
列車は江ノ電でしょう。
グロいけれど笑えます。
シュールレアリスムの世界です。
主人公の中砂(なかさご。原田芳雄さんが演じている)さんが亡くなりました。山の中で死んでいました。事故死扱いです。麻酔薬みたいなものを吸って死んだそうです。
中砂さんは、暴れん坊な人なので、観ていて、なんだかほっとしました。
だけど、そこからまだ長時間の上映時間が残っています。
どう話をつなげていくのだろう。
『皮と肉を除いて、ガイコツだけを残すのは可能かね?』(不可能だそうです)
こども3人の旅芸人のセリフが良かった。
『今、オニとすれ違いましたよ』
5年の時が流れました。
中砂(なかさご)があなた(青地あおち。中砂の友人のドイツ語教授)に貸したあれを返してくださいというやりとりが何度か続きます。
本そして、ツィゴイネルワイゼンのレコード(額に隠してありました。隠したのは、青地の妻です)
すれ違いから、女の愛情を屈折した状態で表現してある映画なのか。
シーンは最初に戻ります。
鏡。
怪談話か。小泉八雲(こいずみやくも。ラフかディオ・ハーン)を思い出します。
死んでいるほうは、あたしじゃなくて、あなたのほうなんです。
洋画、『シックスセンス』を思い出しました。
鈴木監督も原田芳雄さんも亡くなってしまいました。
映像を通じて、永遠に生きいかれる人たちです。
2024年09月22日
NHKBSドラマ 団地のふたり 第3回放送
NHKBSドラマ 団地のふたり 第3回放送 毎週日曜日午後10時放送
第3回放送の感想です。(9月15日日曜日放送分です)
認知症の高齢者女性が登場します。
30代、40代のときに、リーダーシップを発揮して輝いていた人でも、老齢期を迎えて認知症になる人はいます。人格が変わってしまいます。場合によっては、施設でないと生活ができなくなります。
介護するほうも老齢です。50代から60代に加えて、70代から80代の介護者もいます。娘だったり、息子だったり、配偶者だったりもします。かなりきつい。めんどうをみるほうも身体的にヨロヨロの状態であることが多い。
ドラマでは、仲村トオルさんのお母さんが認知症で、徘徊(はいかい。どこかへ行ってしまう。いなくなってしまう。行き先の目的地はない)があるし、息子である仲村トオルさんを他人扱いします。だけど、大昔のことははっきり覚えているという状態です。
いくつかの素材を散りばめながらのユーモアドラマです。平和です。みなさん善人です。悪人は出てきません。
ドラマのなかで、サイモンとガーファンクルの、『サウンド・オブ・サイレンス』が流れたのですが、先日、東京渋谷のPARCO劇場で観た、江口のりこさんと松尾諭さん、松岡茉優さんと千葉雄大さんが出ていた、『ワタシタチはモノガタリ』という舞台劇でも同じ曲が流れていました。縁を感じました。
ごはんづくりのドラマでもあります。おいしいごはんが映像に出てきます。お寿司、から揚げ、卵焼き…… おいしそう。
小泉今日子さんがドラマの中で離婚した理由のひとつに、料理がじょうずにできなかったということが本人の口から出ます。これまたドラマの中でのお話ですが、小林聡美さん(こばやしさとみさん)は、料理がとてもお上手(おじょうず)だそうです。
小泉今日子さんが中学生時代に恋をした相手が、カスカベくん(春日部くん。仲村トオルさん)で、まあ、いろいろエピソード(思い出話)が出ます。おもしろい。
しかしなんというか、仲村トオルさんはドラマのなかで55歳になったとはいえ(実年齢59歳)、しゅっとして背が高くてかっこいいのです。されど、なんというか、小泉今日子さんは、テレビで見ると太くなりました。どちらかといえば、四角い体つきです。まあ、女性は、歳をとると太くなることが多いわけで…… (いらぬことですが、由紀さおりさんも同様です)。まあ、男の場合も、太ったり、頭の髪がなくなったりもします。
おもしろいなあ。平和です。ユーモアがあります。女の人たちの団地物語です。
自分自身も二十代のころに、住宅都市整備公団の単身向け団地で一年間だけですが暮らしたことがあります。映像で見る建物と同じ構造でした。向かい合わせの部屋で、ひとつの棟に、階段が何本もありました。エレベーターはありませんでした。古い建物です。このタイプの建物は、もうほとんど建て替えられて、今はあまり残っていないと思います。
認知症は元には戻らない。(ほかの病気でもたいていは、年寄りの場合、もとには戻りにくい)
認知症になったらどうするか、親が認知症になる前に、親子で話をしておいたほうがいいです。
割り切ったほうがいい。在宅で親をみるのも限界があります。本人に一筆(いっぴつ)、『在宅介護が無理になったら、施設に入るよ』ぐらい書いてもらっておいたほうがいい。
認知症になってしまって、手に負えなくなって、本人が、施設には絶対入らないと言い張られたら、めんどうをみる者はつらいです。
介護退職の話が出ます。仲村トオルさんは、認知症になった母親のめんどうをみるために介護を理由に早期退職をして母親と団地でふたり暮らしを始めたそうです。
仲村トオルさんの奥さんは夫が退職したことを怒って、離婚話が出て、今は別居状態というような話がありました。
まあ、いろいろあります。
その後、仲村トオルさんの母親は、認知症対応の介護施設へ入所されました。
BGM(バックグラウンドミュージック)のバイオリンの音色(ねいろ)が優しい。
第3回放送の感想です。(9月15日日曜日放送分です)
認知症の高齢者女性が登場します。
30代、40代のときに、リーダーシップを発揮して輝いていた人でも、老齢期を迎えて認知症になる人はいます。人格が変わってしまいます。場合によっては、施設でないと生活ができなくなります。
介護するほうも老齢です。50代から60代に加えて、70代から80代の介護者もいます。娘だったり、息子だったり、配偶者だったりもします。かなりきつい。めんどうをみるほうも身体的にヨロヨロの状態であることが多い。
ドラマでは、仲村トオルさんのお母さんが認知症で、徘徊(はいかい。どこかへ行ってしまう。いなくなってしまう。行き先の目的地はない)があるし、息子である仲村トオルさんを他人扱いします。だけど、大昔のことははっきり覚えているという状態です。
いくつかの素材を散りばめながらのユーモアドラマです。平和です。みなさん善人です。悪人は出てきません。
ドラマのなかで、サイモンとガーファンクルの、『サウンド・オブ・サイレンス』が流れたのですが、先日、東京渋谷のPARCO劇場で観た、江口のりこさんと松尾諭さん、松岡茉優さんと千葉雄大さんが出ていた、『ワタシタチはモノガタリ』という舞台劇でも同じ曲が流れていました。縁を感じました。
ごはんづくりのドラマでもあります。おいしいごはんが映像に出てきます。お寿司、から揚げ、卵焼き…… おいしそう。
小泉今日子さんがドラマの中で離婚した理由のひとつに、料理がじょうずにできなかったということが本人の口から出ます。これまたドラマの中でのお話ですが、小林聡美さん(こばやしさとみさん)は、料理がとてもお上手(おじょうず)だそうです。
小泉今日子さんが中学生時代に恋をした相手が、カスカベくん(春日部くん。仲村トオルさん)で、まあ、いろいろエピソード(思い出話)が出ます。おもしろい。
しかしなんというか、仲村トオルさんはドラマのなかで55歳になったとはいえ(実年齢59歳)、しゅっとして背が高くてかっこいいのです。されど、なんというか、小泉今日子さんは、テレビで見ると太くなりました。どちらかといえば、四角い体つきです。まあ、女性は、歳をとると太くなることが多いわけで…… (いらぬことですが、由紀さおりさんも同様です)。まあ、男の場合も、太ったり、頭の髪がなくなったりもします。
おもしろいなあ。平和です。ユーモアがあります。女の人たちの団地物語です。
自分自身も二十代のころに、住宅都市整備公団の単身向け団地で一年間だけですが暮らしたことがあります。映像で見る建物と同じ構造でした。向かい合わせの部屋で、ひとつの棟に、階段が何本もありました。エレベーターはありませんでした。古い建物です。このタイプの建物は、もうほとんど建て替えられて、今はあまり残っていないと思います。
認知症は元には戻らない。(ほかの病気でもたいていは、年寄りの場合、もとには戻りにくい)
認知症になったらどうするか、親が認知症になる前に、親子で話をしておいたほうがいいです。
割り切ったほうがいい。在宅で親をみるのも限界があります。本人に一筆(いっぴつ)、『在宅介護が無理になったら、施設に入るよ』ぐらい書いてもらっておいたほうがいい。
認知症になってしまって、手に負えなくなって、本人が、施設には絶対入らないと言い張られたら、めんどうをみる者はつらいです。
介護退職の話が出ます。仲村トオルさんは、認知症になった母親のめんどうをみるために介護を理由に早期退職をして母親と団地でふたり暮らしを始めたそうです。
仲村トオルさんの奥さんは夫が退職したことを怒って、離婚話が出て、今は別居状態というような話がありました。
まあ、いろいろあります。
その後、仲村トオルさんの母親は、認知症対応の介護施設へ入所されました。
BGM(バックグラウンドミュージック)のバイオリンの音色(ねいろ)が優しい。
2024年09月21日
成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈
成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈 新潮社
話題になっている本なので、読んでみることにしました。
まずは、ざーっと最後までページをめくってみる。
登場人物名や地名などを拾ってみる。
島崎みゆき:2006年(平成18年)生まれ。第一話では、中学二年生。この物語の進行役としてスタートします。
成瀬あかり:この物語の主人公女子。最初は中学二年生。そのうち女子高生に育つようです。滋賀県立膳所高等学校1年3組。(ぜぜこうとうがっこう)。琵琶湖畔にある大津市のきらめき中学校卒。
成瀬あかりがどれほど野球のことを知っているのか不明な出だしなのですが、彼女は、『ライオンズ女子』と呼ばれるようになっていきます。(結果的には、成瀬あかりは、相当、プロ野球の球団である西武ライオンズのことを知っていました。店舗も含めての『西武愛』があります)
西武ライオンズ球団:わたしは、中高生時代を福岡県で過ごしたので、当時福岡市を本拠地にしていた西鉄ライオンズのファンでした。球団はその後、何度か名称を変えました。そして、埼玉県へ行ってしまいました。
本の目次には、『ありがとう西武大津店』とあります。
出てくる言葉などとして、ぐるりんワイド、笹塚哲郎、マサル、敬太、大黒悠子、甲賀市(こうかし)、東大、須田くん、桃谷先輩、西浦航一郎(錦木高校二年生)、遥香(はるか)、瑞音(みずね、同級生)、杉本:サッカー部男子、タクロー。
(ざーっと目を通したあと、これから2回目の本読みです)
この本の魅力はなんなのだろう?
魅力を探る(さぐる)読書です。
江州音頭(ごうしゅうおんど):江州とは、滋賀県のこと。近江の国(おうみのくに)のこと。
小倉百人一首かるた選手権大会とあります。映画を思い出しました。
ちはやふる(やはり、118ページにかるたの記事が出てきました。部活のことを、『かるた部』といいます)
ページをめくると、マスクをした女子高生のイラストが出てくるのですが、彼女がつけているマスクに、『ありがとう 西武大津店』と書いてあります。お店の宣伝だろうか。それとも、閉店してしまうから、「ありがとう」なのだろうか。彼女の名前がたぶん、『成瀬あかり』に違いない。(やはり西武は閉店するようです。うしろのページに書いてあります。百貨店? スーパー? 2021年(令和3年)8月末閉店。ショッピングセンターでした)
6ページ、彼女いわく、『島崎(みゆき)、わたしはこの夏を西武にささげようと思う』(どういう意味だろう? お店に? 球団に?)
ふたりはおさななじみで、島崎は凡人で、成瀬は奇人らしい。
7ページでわかりました。成瀬あかりは、夏休みに毎日ショッピングセンター西武に通うらしい。(涼みにいくのだろうか。年寄りみたいだ)
成瀬の両親は滋賀県出身だそうです。島崎みゆきの母は横浜出身で、父も滋賀県出身ではないそうです。
この物語は、『滋賀県愛』をアピールするものだろうか。お笑い芸人ダイアンとか、8ページに、ミュージシャンの西川貴教さんのお名前が登場しました。(わたしは実物を、通りがかった繁華街に設置されたステージで、声だけ聞いたことがあります。ラジオ放送をやっていました。たいへんな人気者で、ものすごい人だかりでした。群衆で本人を見ることはできませんでした。インタビューに答える声だけ聞こえました)
ぐるりんワイド:滋賀県内で放送される夕方のローカル番組。
西武ライオンズの選手がからんだ話です。
最初の短編部分を読み終えました。こんな感じで短編が続くと理解しました。
ショッピングセンター西武大津店が閉店した8月中のお話です。
がんばる成瀬あかりと、彼女に対して冷ややかな地元テレビ局のクルー(撮影隊)です。
同級生の島崎みゆきのひとり語りで物語は進行していきます。
コロナのころの話です。
日本のコロナ禍:2020年(令和2年)1月末-2023年(令和5年)5月(位置づけが、インフルエンザと同じ5類になった。1類が一番危険だそうです)
西武大津店の閉店:2020年(令和2年)8月31日
以前から、地方のどこにでもあった閉店風景です。ジャスコとか、ダイエーとか、ユニーとか、いろいろありました。今では、なんだか、イオンのひとり勝ちです。
コロナ禍だからか、マスクに文字を書くという行為があります。
エゴサーチ:自分に関する情報を検索すること。
8月31日に中学校を休むという話が出てきます。8月31日まで夏休みではないようです。2学期制のところは、3学期制のところより、夏休みが早く終わります。滋賀県は1年間を2学期方式ですな。
『成瀬あかり』とは、著者のことだろうか。
西武大津店閉店にあたって、成瀬あかりの夢は、『将来、わたしが大津にデパートを建てる』
これから先、この話はどうなっていくだろう。読む意欲が湧いてきました。
『膳所(ぜぜ)から来ました』
膳所(ぜぜ):昔、現在の大津市にあった町。膳所町。1933年(昭和8年)合併により廃止。
成瀬あかりと島崎みゆき、中学二年生のふたりが、漫才コンビ『ゼゼカラ』を組んで、漫才コンテスト『M1』の予選に挑戦します。
成瀬あかりの発想が現実離れしているのですが、おもしろい。なんとか障害のこどもさんだろうか。
文章は、なんだか、M1出場のノウハウを教わるようです。
漫才は、西武という野球のテーマではなく、閉店したショッピングセンター西武大津店でいく。
成瀬あかりという個人をおもしろおかしく扱う素材にする。(成瀬あかりは、将来、自前のショッピングセンターを創業したい)
この小説の特徴です。
軽く読めます。
文学作品にありがちな雰囲気の暗さ、内容の深刻さはありません。
現代人が求めている文章と内容の創造なのでしょう。
漫才決勝戦のネタは、4分間。予選は、2分間。(そうなのか。短いのね。わたしの考えだと15分ぐらいはやってほしい)
『膳所(ぜぜ)』、地元ネタで勝負です。全国区だと、笑いが出ないかも。
9月26日、大阪にある朝日生命ホールというところで予選会です。観客はいません。審査員だけです。
まあ、いろいろあります。おもしろい。話のもっていきかたがうまい。
ICOCA:いこか。関西圏にある交通系ICカードなのでしょう。(JR西日本エリアだそうです)
ふたりの漫才予選の結果を知りたい人は、本を買うなりして読んでください。
漫才への挑戦は、人生の実績づくりです。おのれは、おのれの人生において、何に挑戦して、何を残してきたかです。
青春時代の思い出づくりです。
中学二年生、人生はまだまだ長い。
『階段は走らない』
短編の終わり付近は、内容表現のもって行き方が文章足らずで弱い感じがしましたが、それもよしです。
稲枝敬太(いなえ・けいた):1977年(昭和52年)生まれ。ひとり者で実家暮らし。滋賀県大津市民。Web会社勤務。
吉峯マサル(よしみね・まさる):稲枝圭太の小学校からの同級生。弁護士。1990年(平成2年)3月小学校卒業生。
タクロー:笹塚拓郎。小学校6年生の冬休みに家庭の事情があって、突然転校していった人物。
ほかに同級生がたくさん出てきます。
ショッピングセンター西武大津店閉店をきっかけとして、小学校の同窓会が企画されます。西武大津店の閉店は、2020年(令和2年)8月31日です。(開店は、1976年(昭和51年)6月、売上・集客のピークが、1992年度(平成4年)だったそうです)
この短編は、2019年(令和元年)10月からスタートします。
タイトルにある、『階段』は、大津店の屋上へとつながる階段をさします。
大津店の屋上に神社があったそうです。
たまに思い出すのですが、おととし11月に宮城県仙台市を観光で訪れたときに、散策マップにあった百貨店の屋上にある神社に似たような話がこちらの本に出てきます。『えびす神社』という名称でした。最初は場所がわからず、店員さんに聞いて教えてもらいました。もう夕暮れ時は過ぎていて、外は真っ暗で、変な観光客夫婦だなと思われたかもしれません。
大津市立ときめき小学校(作品上では、旧大津市立馬場(ばんば)小学校)。
琵琶湖大津プリンスホテル:たぶんわたしは泊まったことがあります。ずいぶん若い頃、職場のバス旅行で琵琶湖周辺に行ったときだったと思います。
文章を読んでいると、なんだろう、今よりも昔のほうが世間の雰囲気が良かったという、『郷愁(きょうしゅう。なつかしさ)』があります。
うみのこ:滋賀県の小学5年生が乗る学習船。
読んでいて、『人間は気持ちで生きている』。そう思いました。
最後のコメントが良かった。
吉峯マサルが稲枝敬太にお礼を言ったあと、稲枝敬太が返答します。
『俺じゃなくて、西武のおかげだよ』
『線がつながる』
読み終えて感じたことです。
余韻が残るお話でした。よいん:あとに残る味わい。言葉ではうまく表現できないけれど、気持ちがすーっとする感じです。
成瀬あかりたちは、中学生から高校一年生になっています。滋賀県立膳所高等学校(ぜぜ)1年3組です。成瀬あかりは、頭髪を丸坊主にしています。(あとで理由がわかります。ここには書きません)。
高校で新しく登場人物となったクラスメートの大貫かえでのひとり語りで物語は進行していきます。大貫かえでの自宅は、高校から約800mにある。
島崎みゆきは、成瀬あかりとは、別の高校へ進学しています。
高島央介(たかしま・おうすけ):クラスメート。東京大学への進学を目指している。なお、成瀬あかりも東大への進学を考えています。(成瀬あかりの成績は、学年で常に一番だそうです)
大黒悠子:クラスメート。仲間ができにくいタイプ同士として、大貫かえでとつるみますが、やがて、大貫かえでが離れていきます。
小倉百人一首の、『決まり字』:上の句(かみのく)を読み始めることで、下の句(しものく)の始まりの文字がわかる。
読んでいて思ったのは、(東大志望の)この子たちは、東京大学を見たことがあるのだろうかという疑問でした。わたしは、高校は福岡県だったのですが、国立の九州大学は、九州の中心にあるであろう大学だから、地図でいうと九州のまんなか(宮崎と熊本の県境(けんざかい))にあるのだろうと勘違いしていました。九州大学は、福岡市内にあります。
物語では、その後の展開で、東大志望の登場人物たちは、8月に東京へ行き、東大のオープンキャンパスに行っています。
7月湖風祭(こふうさい):高校の学園祭でしょう。
西武大津店の跡地:マンション建築中。
東京池袋の西武百貨店:このへんの文章で、しんみりくるものがあります。記念撮影です。
成瀬あかりの目標は、滋賀県大津市に自分のデパートをつくることです。
ポンポンと書いてある文章ですが、読み終えると、心に味わいが広がります。
純粋であること。一途(いちず)であることからくるものです。
『レッツゴーミシガン』
たまたまこの文章のこの部分を書いている今日、テレビ番組、『徹子の部屋』を見ていて、ゲストが楠田枝里子さんだったのですが、こちらの本の主人公である成瀬あかりと楠田枝里子さんの姿が重なりました。見た目が、似ていると思ったのです。中身も多少似ています。
西浦航一郎:高校生。186cm、100kg、柔道をしていたが芽が出ず、かるた部に入って活躍する。広島県代表錦木高校(にしきぎこうこう)の生徒。滋賀県大津市で開催の高校生かるた選手権みたいな大会に参加して、成瀬あかりに心を奪われます。第45回全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会団体戦Dブロック1回戦だそうです。
中橋結希人(なかはし・ゆきと):西浦航一郎の同級生でかるた部員。女好き。されど、成瀬あかりは、普通の人間ではないことに気づく。成瀬あかりは、相当変わっている。
成瀬あかりは、同じかるた部員たちから、愛称として、『なるぴょ~ん』と呼ばれています。本人曰く(いわく)、自分は200歳まで生きることができるそうです。(マンガみたいです。人は、200歳まで生きることはできないとわたしは思います)。なお、成瀬あかりは、スマホを持っていないそうです。
タイトルのミシガンは、琵琶湖を巡る観光遊覧船です。どうして、『ミシガン』という名称なのだろう。調べました。アメリカ合衆国のミシガン州が、滋賀県の友好姉妹都市だそうです。
読み終えて、なかなかいい話でした。
『ときめき江州音頭(ごうしゅうおんど)』
最後まで読み終えました。
最後まで読んでの感想です。
『成瀬あかり』という人物像の描写がいまいち薄いような印象を受けました。つかみどころがない性格、人物設定です。天才である。されど、奇人である。ふわ~とした人物です。魅力はあります。おそらく、滋賀県に彼女がもつデパートがオープンするというところまで話は続いていくのでしょう。奇想天外な点が、ストーリーでの魅力にもなるのでしょう。
(その後のこと)
上記の感想を書いた翌週、東京見物に行ったおり、渋谷区にあるNHK放送センターから公園通りを渋谷駅方向へ歩いていたら、西武百貨店が見えたので写真を撮りました。
本作品の中では、主人公の成瀬あかりが、東京池袋にある西武百貨店の前で写真を撮ります。池袋と渋谷で場所は異なりますが、成瀬あかりのまねをしてみました。わたしが住んでいる愛知県には、西武百貨店はないので西武のロゴは(会社のマーク)珍しいです。
話題になっている本なので、読んでみることにしました。
まずは、ざーっと最後までページをめくってみる。
登場人物名や地名などを拾ってみる。
島崎みゆき:2006年(平成18年)生まれ。第一話では、中学二年生。この物語の進行役としてスタートします。
成瀬あかり:この物語の主人公女子。最初は中学二年生。そのうち女子高生に育つようです。滋賀県立膳所高等学校1年3組。(ぜぜこうとうがっこう)。琵琶湖畔にある大津市のきらめき中学校卒。
成瀬あかりがどれほど野球のことを知っているのか不明な出だしなのですが、彼女は、『ライオンズ女子』と呼ばれるようになっていきます。(結果的には、成瀬あかりは、相当、プロ野球の球団である西武ライオンズのことを知っていました。店舗も含めての『西武愛』があります)
西武ライオンズ球団:わたしは、中高生時代を福岡県で過ごしたので、当時福岡市を本拠地にしていた西鉄ライオンズのファンでした。球団はその後、何度か名称を変えました。そして、埼玉県へ行ってしまいました。
本の目次には、『ありがとう西武大津店』とあります。
出てくる言葉などとして、ぐるりんワイド、笹塚哲郎、マサル、敬太、大黒悠子、甲賀市(こうかし)、東大、須田くん、桃谷先輩、西浦航一郎(錦木高校二年生)、遥香(はるか)、瑞音(みずね、同級生)、杉本:サッカー部男子、タクロー。
(ざーっと目を通したあと、これから2回目の本読みです)
この本の魅力はなんなのだろう?
魅力を探る(さぐる)読書です。
江州音頭(ごうしゅうおんど):江州とは、滋賀県のこと。近江の国(おうみのくに)のこと。
小倉百人一首かるた選手権大会とあります。映画を思い出しました。
ちはやふる(やはり、118ページにかるたの記事が出てきました。部活のことを、『かるた部』といいます)
ページをめくると、マスクをした女子高生のイラストが出てくるのですが、彼女がつけているマスクに、『ありがとう 西武大津店』と書いてあります。お店の宣伝だろうか。それとも、閉店してしまうから、「ありがとう」なのだろうか。彼女の名前がたぶん、『成瀬あかり』に違いない。(やはり西武は閉店するようです。うしろのページに書いてあります。百貨店? スーパー? 2021年(令和3年)8月末閉店。ショッピングセンターでした)
6ページ、彼女いわく、『島崎(みゆき)、わたしはこの夏を西武にささげようと思う』(どういう意味だろう? お店に? 球団に?)
ふたりはおさななじみで、島崎は凡人で、成瀬は奇人らしい。
7ページでわかりました。成瀬あかりは、夏休みに毎日ショッピングセンター西武に通うらしい。(涼みにいくのだろうか。年寄りみたいだ)
成瀬の両親は滋賀県出身だそうです。島崎みゆきの母は横浜出身で、父も滋賀県出身ではないそうです。
この物語は、『滋賀県愛』をアピールするものだろうか。お笑い芸人ダイアンとか、8ページに、ミュージシャンの西川貴教さんのお名前が登場しました。(わたしは実物を、通りがかった繁華街に設置されたステージで、声だけ聞いたことがあります。ラジオ放送をやっていました。たいへんな人気者で、ものすごい人だかりでした。群衆で本人を見ることはできませんでした。インタビューに答える声だけ聞こえました)
ぐるりんワイド:滋賀県内で放送される夕方のローカル番組。
西武ライオンズの選手がからんだ話です。
最初の短編部分を読み終えました。こんな感じで短編が続くと理解しました。
ショッピングセンター西武大津店が閉店した8月中のお話です。
がんばる成瀬あかりと、彼女に対して冷ややかな地元テレビ局のクルー(撮影隊)です。
同級生の島崎みゆきのひとり語りで物語は進行していきます。
コロナのころの話です。
日本のコロナ禍:2020年(令和2年)1月末-2023年(令和5年)5月(位置づけが、インフルエンザと同じ5類になった。1類が一番危険だそうです)
西武大津店の閉店:2020年(令和2年)8月31日
以前から、地方のどこにでもあった閉店風景です。ジャスコとか、ダイエーとか、ユニーとか、いろいろありました。今では、なんだか、イオンのひとり勝ちです。
コロナ禍だからか、マスクに文字を書くという行為があります。
エゴサーチ:自分に関する情報を検索すること。
8月31日に中学校を休むという話が出てきます。8月31日まで夏休みではないようです。2学期制のところは、3学期制のところより、夏休みが早く終わります。滋賀県は1年間を2学期方式ですな。
『成瀬あかり』とは、著者のことだろうか。
西武大津店閉店にあたって、成瀬あかりの夢は、『将来、わたしが大津にデパートを建てる』
これから先、この話はどうなっていくだろう。読む意欲が湧いてきました。
『膳所(ぜぜ)から来ました』
膳所(ぜぜ):昔、現在の大津市にあった町。膳所町。1933年(昭和8年)合併により廃止。
成瀬あかりと島崎みゆき、中学二年生のふたりが、漫才コンビ『ゼゼカラ』を組んで、漫才コンテスト『M1』の予選に挑戦します。
成瀬あかりの発想が現実離れしているのですが、おもしろい。なんとか障害のこどもさんだろうか。
文章は、なんだか、M1出場のノウハウを教わるようです。
漫才は、西武という野球のテーマではなく、閉店したショッピングセンター西武大津店でいく。
成瀬あかりという個人をおもしろおかしく扱う素材にする。(成瀬あかりは、将来、自前のショッピングセンターを創業したい)
この小説の特徴です。
軽く読めます。
文学作品にありがちな雰囲気の暗さ、内容の深刻さはありません。
現代人が求めている文章と内容の創造なのでしょう。
漫才決勝戦のネタは、4分間。予選は、2分間。(そうなのか。短いのね。わたしの考えだと15分ぐらいはやってほしい)
『膳所(ぜぜ)』、地元ネタで勝負です。全国区だと、笑いが出ないかも。
9月26日、大阪にある朝日生命ホールというところで予選会です。観客はいません。審査員だけです。
まあ、いろいろあります。おもしろい。話のもっていきかたがうまい。
ICOCA:いこか。関西圏にある交通系ICカードなのでしょう。(JR西日本エリアだそうです)
ふたりの漫才予選の結果を知りたい人は、本を買うなりして読んでください。
漫才への挑戦は、人生の実績づくりです。おのれは、おのれの人生において、何に挑戦して、何を残してきたかです。
青春時代の思い出づくりです。
中学二年生、人生はまだまだ長い。
『階段は走らない』
短編の終わり付近は、内容表現のもって行き方が文章足らずで弱い感じがしましたが、それもよしです。
稲枝敬太(いなえ・けいた):1977年(昭和52年)生まれ。ひとり者で実家暮らし。滋賀県大津市民。Web会社勤務。
吉峯マサル(よしみね・まさる):稲枝圭太の小学校からの同級生。弁護士。1990年(平成2年)3月小学校卒業生。
タクロー:笹塚拓郎。小学校6年生の冬休みに家庭の事情があって、突然転校していった人物。
ほかに同級生がたくさん出てきます。
ショッピングセンター西武大津店閉店をきっかけとして、小学校の同窓会が企画されます。西武大津店の閉店は、2020年(令和2年)8月31日です。(開店は、1976年(昭和51年)6月、売上・集客のピークが、1992年度(平成4年)だったそうです)
この短編は、2019年(令和元年)10月からスタートします。
タイトルにある、『階段』は、大津店の屋上へとつながる階段をさします。
大津店の屋上に神社があったそうです。
たまに思い出すのですが、おととし11月に宮城県仙台市を観光で訪れたときに、散策マップにあった百貨店の屋上にある神社に似たような話がこちらの本に出てきます。『えびす神社』という名称でした。最初は場所がわからず、店員さんに聞いて教えてもらいました。もう夕暮れ時は過ぎていて、外は真っ暗で、変な観光客夫婦だなと思われたかもしれません。
大津市立ときめき小学校(作品上では、旧大津市立馬場(ばんば)小学校)。
琵琶湖大津プリンスホテル:たぶんわたしは泊まったことがあります。ずいぶん若い頃、職場のバス旅行で琵琶湖周辺に行ったときだったと思います。
文章を読んでいると、なんだろう、今よりも昔のほうが世間の雰囲気が良かったという、『郷愁(きょうしゅう。なつかしさ)』があります。
うみのこ:滋賀県の小学5年生が乗る学習船。
読んでいて、『人間は気持ちで生きている』。そう思いました。
最後のコメントが良かった。
吉峯マサルが稲枝敬太にお礼を言ったあと、稲枝敬太が返答します。
『俺じゃなくて、西武のおかげだよ』
『線がつながる』
読み終えて感じたことです。
余韻が残るお話でした。よいん:あとに残る味わい。言葉ではうまく表現できないけれど、気持ちがすーっとする感じです。
成瀬あかりたちは、中学生から高校一年生になっています。滋賀県立膳所高等学校(ぜぜ)1年3組です。成瀬あかりは、頭髪を丸坊主にしています。(あとで理由がわかります。ここには書きません)。
高校で新しく登場人物となったクラスメートの大貫かえでのひとり語りで物語は進行していきます。大貫かえでの自宅は、高校から約800mにある。
島崎みゆきは、成瀬あかりとは、別の高校へ進学しています。
高島央介(たかしま・おうすけ):クラスメート。東京大学への進学を目指している。なお、成瀬あかりも東大への進学を考えています。(成瀬あかりの成績は、学年で常に一番だそうです)
大黒悠子:クラスメート。仲間ができにくいタイプ同士として、大貫かえでとつるみますが、やがて、大貫かえでが離れていきます。
小倉百人一首の、『決まり字』:上の句(かみのく)を読み始めることで、下の句(しものく)の始まりの文字がわかる。
読んでいて思ったのは、(東大志望の)この子たちは、東京大学を見たことがあるのだろうかという疑問でした。わたしは、高校は福岡県だったのですが、国立の九州大学は、九州の中心にあるであろう大学だから、地図でいうと九州のまんなか(宮崎と熊本の県境(けんざかい))にあるのだろうと勘違いしていました。九州大学は、福岡市内にあります。
物語では、その後の展開で、東大志望の登場人物たちは、8月に東京へ行き、東大のオープンキャンパスに行っています。
7月湖風祭(こふうさい):高校の学園祭でしょう。
西武大津店の跡地:マンション建築中。
東京池袋の西武百貨店:このへんの文章で、しんみりくるものがあります。記念撮影です。
成瀬あかりの目標は、滋賀県大津市に自分のデパートをつくることです。
ポンポンと書いてある文章ですが、読み終えると、心に味わいが広がります。
純粋であること。一途(いちず)であることからくるものです。
『レッツゴーミシガン』
たまたまこの文章のこの部分を書いている今日、テレビ番組、『徹子の部屋』を見ていて、ゲストが楠田枝里子さんだったのですが、こちらの本の主人公である成瀬あかりと楠田枝里子さんの姿が重なりました。見た目が、似ていると思ったのです。中身も多少似ています。
西浦航一郎:高校生。186cm、100kg、柔道をしていたが芽が出ず、かるた部に入って活躍する。広島県代表錦木高校(にしきぎこうこう)の生徒。滋賀県大津市で開催の高校生かるた選手権みたいな大会に参加して、成瀬あかりに心を奪われます。第45回全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会団体戦Dブロック1回戦だそうです。
中橋結希人(なかはし・ゆきと):西浦航一郎の同級生でかるた部員。女好き。されど、成瀬あかりは、普通の人間ではないことに気づく。成瀬あかりは、相当変わっている。
成瀬あかりは、同じかるた部員たちから、愛称として、『なるぴょ~ん』と呼ばれています。本人曰く(いわく)、自分は200歳まで生きることができるそうです。(マンガみたいです。人は、200歳まで生きることはできないとわたしは思います)。なお、成瀬あかりは、スマホを持っていないそうです。
タイトルのミシガンは、琵琶湖を巡る観光遊覧船です。どうして、『ミシガン』という名称なのだろう。調べました。アメリカ合衆国のミシガン州が、滋賀県の友好姉妹都市だそうです。
読み終えて、なかなかいい話でした。
『ときめき江州音頭(ごうしゅうおんど)』
最後まで読み終えました。
最後まで読んでの感想です。
『成瀬あかり』という人物像の描写がいまいち薄いような印象を受けました。つかみどころがない性格、人物設定です。天才である。されど、奇人である。ふわ~とした人物です。魅力はあります。おそらく、滋賀県に彼女がもつデパートがオープンするというところまで話は続いていくのでしょう。奇想天外な点が、ストーリーでの魅力にもなるのでしょう。
(その後のこと)
上記の感想を書いた翌週、東京見物に行ったおり、渋谷区にあるNHK放送センターから公園通りを渋谷駅方向へ歩いていたら、西武百貨店が見えたので写真を撮りました。
本作品の中では、主人公の成瀬あかりが、東京池袋にある西武百貨店の前で写真を撮ります。池袋と渋谷で場所は異なりますが、成瀬あかりのまねをしてみました。わたしが住んでいる愛知県には、西武百貨店はないので西武のロゴは(会社のマーク)珍しいです。
2024年09月20日
ラヂオの時間 邦画 1997年
ラヂオの時間 邦画 1997年(平成9年) 1時間43分 動画配信サービス
三谷幸喜監督 鈴木京香、唐沢寿明、西村雅彦、細川俊之、藤村俊二、井上順、布施明
ラジオスタジオの中で、朗読劇の生放送をしているようすから映画は始まりました。
余計な声を出してはいけないので、スタッフは、身振り手振りで合図を送り、意思表示をします。まるで、手話をしているように見えました。手話の世界です。スタジオでは、『(俳優さん(声優さん))の声』と、『音』だけで、作品を創造します。ラジオドラマは、音で創造する作品です。音で、感動を生むのです。(このタイトルで文章をつくった翌週に、たまたま東京虎の門ヒルズ近くにあるNHK放送博物館を訪れたのですが、展示内容として、『ハンドシグナル』とか、『人による音づくり』があって、音づくりの道具も展示してあって、この映画の内容を理解するのに役に立ちました)
テレビドラマと比較して、ラジオドラマのいいところ:お金がかからない。声で、『ここは宇宙である』と言うと、そこは『宇宙』になる。
ラジオドラマ放送番組の舞台裏を紹介する映画でした。
最初は、う~むでしたが、30分を経過するあたりからおもしろくなり、その後もなかなか良かった。
シナリオコンクールに応募して選ばれた素人(しろうと)女性の脚本作品です。男女の恋愛もので、あとで明らかになりますが、ご自身の体験が下地になっています。作品の主題に、『愛』があるのです。男女の『愛』であり、『夫婦愛』でもあります。やはり、作品には、『人間愛』は欠かせません。
脚本化にあたって、原作がボロボロになっていくのです。
出演者やラジオ局の都合で、原作の内容がどんどん変えられていきます。ときに、反発する原作者女性です。(これは…… 昨年末から今年にかけて、テレビ局のドラマ放送において、なにかしら事件のようなものがあったような……)
原作の改変は、作者の人格否定につながります。作者が狂暴な人なら暴れるでしょう。(あばれるでしょう)。作者にとっての作品は、自分のこどものようなものなのです。
(これもまた、縁があって、MHK放送博物館を見学した前日に、渋谷にあるPARCO劇場で、江口のりこさんたちが出演する『ワタシタチはモノガタリ』という演劇を鑑賞したのですが、江口のりこさん作の原作小説が映画化されるにあたって、原作どおりに物語が進行しないということでの争いが素材でした)
話ははずれますが、う~む。これもまたタバコ映画か。喫煙シーンがたくさんです。
わたしが好きなコウメ太夫みたいな人が、壁のポスターに出ています。『弁天ガール』だそうです。『極楽浄土のおもしろさーー』とキャッチコピーが見えます。
観ていると、かなりメチャクチャで、もう原作はいらない。勝手にやってくれーーーというような状況が起きます。
これは、三谷幸喜監督による何かの皮肉だろうか。シナリオライターからの放送局に対する皮肉です。ひにく:いじわる。しかえし。
原作の崩し方があまりにも大きくて、話が別物になりそうです。舞台が、日本→外国。人物名が、日本名→外国人名ほか。
ヒロイン女優のワガママがあります。
製作者側の責任者たちが振り回されます。
だけど、サラリーマンスタッフたちは、お金のためにがんばるのです。給料をもらって生活していかねばなりません。
なんというか、『(自分にとって一番大事なことは、いい仕事をすることではなく)毎月決まった日に決まった額の給料をもらうことだ』だけの気持ちになると、いい仕事(作品)はつくれなくなります。この仕事を好きだからやっている。いい仕事を仕上げたいという強い意思がないと、仕事が続かないということはあります。
『混乱』から、『調和』が始まります。演技の見せ所です。
効果音に関するシーンが抜群に良かった。
藤村俊二さんの老いた元音響職人の存在がとても良かった。
藤村俊二さんの今の世の中に対する批判的な語りが胸にしみます。同感です。
『(効果音づくりについて、自分たちが若い頃は)だれも教えてくれなかった。自分で考えた。』
原作者である主婦女性の強い意思表示があります。強固な意思です。原作を変えないでほしい。
どんどん内容を変えられていくことについて、『あたしの本ですから……(男と女は必ず最後には結ばれなければならない(スタッフたちは、男を宇宙の果てに消えて行ったことにしたい)』
『(コンクールで選ばれたということから)ワタシに次はないんです! みなさんの都合で、ワタシの本をメチャクチャにしておいて、よくそんなことが言えますねぇ』(観ていて、スタッフは、原作者に対してひどいことをするなあと思うのです)
井上順さんの演技が光っていました。
まあ、芸能界慣れされています。
パワハラシーンがたくさんです。
思い起こせば、そういう時代でした。みんな耐えていた。
(最近のニュースでは、今もひきずっている人がいますが……(某県知事))
話づくりですから、何でもできる。
想像力です。
まあ、メチャクチャですが、楽しい。
ち密な稽古(けいこ)から生まれた名演技の連続です。
『おかえりなさい』
奇跡が起きました。
花火の音づくりシーンがおもしろい。
まあ、仕事人間のみなさんのお話ですな。
『あんまり、機械に頼らないほうがいいよ』(人間は、AIロボットじゃないのです)
(今夜のラジオドラマは)良かったよと喜んでくれる人がいるからがんばれるということはあります。
にぎやかで楽しい映画でした。
(別の話として、わたしがファンの東野・岡村の『旅猿』ナレーションをしいている女性のこと)
いつも見ている番組、『旅猿』のナレーションをされている奥貫薫さんのお姿を始めて観ました。ずいぶん昔の映画なのであれですが、かわいらしい方でした。
先日NHK放送博物館で観た昔、音づくりで使用していた道具などの展示の写真をここに落としておきます。
三谷幸喜監督 鈴木京香、唐沢寿明、西村雅彦、細川俊之、藤村俊二、井上順、布施明
ラジオスタジオの中で、朗読劇の生放送をしているようすから映画は始まりました。
余計な声を出してはいけないので、スタッフは、身振り手振りで合図を送り、意思表示をします。まるで、手話をしているように見えました。手話の世界です。スタジオでは、『(俳優さん(声優さん))の声』と、『音』だけで、作品を創造します。ラジオドラマは、音で創造する作品です。音で、感動を生むのです。(このタイトルで文章をつくった翌週に、たまたま東京虎の門ヒルズ近くにあるNHK放送博物館を訪れたのですが、展示内容として、『ハンドシグナル』とか、『人による音づくり』があって、音づくりの道具も展示してあって、この映画の内容を理解するのに役に立ちました)
テレビドラマと比較して、ラジオドラマのいいところ:お金がかからない。声で、『ここは宇宙である』と言うと、そこは『宇宙』になる。
ラジオドラマ放送番組の舞台裏を紹介する映画でした。
最初は、う~むでしたが、30分を経過するあたりからおもしろくなり、その後もなかなか良かった。
シナリオコンクールに応募して選ばれた素人(しろうと)女性の脚本作品です。男女の恋愛もので、あとで明らかになりますが、ご自身の体験が下地になっています。作品の主題に、『愛』があるのです。男女の『愛』であり、『夫婦愛』でもあります。やはり、作品には、『人間愛』は欠かせません。
脚本化にあたって、原作がボロボロになっていくのです。
出演者やラジオ局の都合で、原作の内容がどんどん変えられていきます。ときに、反発する原作者女性です。(これは…… 昨年末から今年にかけて、テレビ局のドラマ放送において、なにかしら事件のようなものがあったような……)
原作の改変は、作者の人格否定につながります。作者が狂暴な人なら暴れるでしょう。(あばれるでしょう)。作者にとっての作品は、自分のこどものようなものなのです。
(これもまた、縁があって、MHK放送博物館を見学した前日に、渋谷にあるPARCO劇場で、江口のりこさんたちが出演する『ワタシタチはモノガタリ』という演劇を鑑賞したのですが、江口のりこさん作の原作小説が映画化されるにあたって、原作どおりに物語が進行しないということでの争いが素材でした)
話ははずれますが、う~む。これもまたタバコ映画か。喫煙シーンがたくさんです。
わたしが好きなコウメ太夫みたいな人が、壁のポスターに出ています。『弁天ガール』だそうです。『極楽浄土のおもしろさーー』とキャッチコピーが見えます。
観ていると、かなりメチャクチャで、もう原作はいらない。勝手にやってくれーーーというような状況が起きます。
これは、三谷幸喜監督による何かの皮肉だろうか。シナリオライターからの放送局に対する皮肉です。ひにく:いじわる。しかえし。
原作の崩し方があまりにも大きくて、話が別物になりそうです。舞台が、日本→外国。人物名が、日本名→外国人名ほか。
ヒロイン女優のワガママがあります。
製作者側の責任者たちが振り回されます。
だけど、サラリーマンスタッフたちは、お金のためにがんばるのです。給料をもらって生活していかねばなりません。
なんというか、『(自分にとって一番大事なことは、いい仕事をすることではなく)毎月決まった日に決まった額の給料をもらうことだ』だけの気持ちになると、いい仕事(作品)はつくれなくなります。この仕事を好きだからやっている。いい仕事を仕上げたいという強い意思がないと、仕事が続かないということはあります。
『混乱』から、『調和』が始まります。演技の見せ所です。
効果音に関するシーンが抜群に良かった。
藤村俊二さんの老いた元音響職人の存在がとても良かった。
藤村俊二さんの今の世の中に対する批判的な語りが胸にしみます。同感です。
『(効果音づくりについて、自分たちが若い頃は)だれも教えてくれなかった。自分で考えた。』
原作者である主婦女性の強い意思表示があります。強固な意思です。原作を変えないでほしい。
どんどん内容を変えられていくことについて、『あたしの本ですから……(男と女は必ず最後には結ばれなければならない(スタッフたちは、男を宇宙の果てに消えて行ったことにしたい)』
『(コンクールで選ばれたということから)ワタシに次はないんです! みなさんの都合で、ワタシの本をメチャクチャにしておいて、よくそんなことが言えますねぇ』(観ていて、スタッフは、原作者に対してひどいことをするなあと思うのです)
井上順さんの演技が光っていました。
まあ、芸能界慣れされています。
パワハラシーンがたくさんです。
思い起こせば、そういう時代でした。みんな耐えていた。
(最近のニュースでは、今もひきずっている人がいますが……(某県知事))
話づくりですから、何でもできる。
想像力です。
まあ、メチャクチャですが、楽しい。
ち密な稽古(けいこ)から生まれた名演技の連続です。
『おかえりなさい』
奇跡が起きました。
花火の音づくりシーンがおもしろい。
まあ、仕事人間のみなさんのお話ですな。
『あんまり、機械に頼らないほうがいいよ』(人間は、AIロボットじゃないのです)
(今夜のラジオドラマは)良かったよと喜んでくれる人がいるからがんばれるということはあります。
にぎやかで楽しい映画でした。
(別の話として、わたしがファンの東野・岡村の『旅猿』ナレーションをしいている女性のこと)
いつも見ている番組、『旅猿』のナレーションをされている奥貫薫さんのお姿を始めて観ました。ずいぶん昔の映画なのであれですが、かわいらしい方でした。
先日NHK放送博物館で観た昔、音づくりで使用していた道具などの展示の写真をここに落としておきます。
2024年09月19日
見学 NHK放送博物館 東京都港区愛宕(あたご)
見学 NHK放送博物館 東京都港区愛宕(あたご)
東京虎ノ門にある気象庁の見学を終えたあと、徒歩で10分ぐらい行ったところにNHK放送博物館がありました。
途中、とても高い位置まで上がるエレベーターに乗りました。1階で乗って、2階で降りたと思うのですが、2階がかなり高い位置にありました。エレベーターの壁は透明で外が見えて、見晴らしがいいのですがちょっと怖かった(こわかった)。
エレベーターの外を眺めると、建物を壊したあとの更地に(さらちに)、新しい建築物を建てているようで、東京では、老朽化の進んだ建物が建て替えられていく時期を迎えているのだということがわかりました。
東京は、限られた土地を、地下深く、そして、空高く、高度利用することで、複数の空間と世界をつくっている高密度の都市型タウンであることがわかります。
NHK放送博物館の展示は、なかなか力のこもったいい展示でした。
とくに、昭和20年代から30年代に生まれた人たちにとっては、自分たちがこどものころのことが、くっきりと思い出されて、深いなつかしさにひたれる空間と世界でしょう。
展示物を観ていると、なにもかもがなつかしくなります。
黒柳徹子さんのお若い頃とか、路線バスの旅でがんばっている太川陽介さんが番組『レッツゴーヤング!』で、アイドルで司会者だったころの写真などがたくさん出てきました。さらに思い出したのですが、NHKで、『ステージ101』という歌番組もありました。
以下の写真は、写真撮影が可だったところの写真です。館内展示では、撮影はだめよ、のところもままありました。
次の写真は、昔の暮らしの再現場所です。わたしたちがこどものときの暮らしは、こんな感じでした。
次の写真は、連続人形劇、『ひょっこりひょうたん島』のキャラクターです。
今思うと、毎日この番組を楽しみに観ていて、なんというか、わたしにとっては、日々の心の支えのような物語でした。
左から、『(ギャングの)マシンガン・ダンディ』、『サンデー先生』、『博士(はかせ)』、『(海賊の)トラヒゲ(船長)』、『(政治家)ドン・ガバチョ』ですな。
次の写真にある子ぶたのお話、『ブーフーウー』もよく見ていました。
着ぐるみによる人形劇です。
次の写真にある、『にこにこぷん』は、わたしたち夫婦のこどもたち世代のキャラクターで、息子や娘たちが小さいころ、とてもお世話になりました。今やこどもたちも40歳近い年齢になってきました。
キャラクターは左から、『じゃじゃまる(山猫)』、『ぴっころ(ペンギン)』、『ぽろり(ネズミ)』です。右端のキャラクターは、ちょっとわたしにはわかりません。
次の写真のキャラクターも、わたしにはわかりません。
同行の妻は、わかる。知っていると言っていました。
紅白歌合戦の優勝旗が展示してありました。
ほかの展示としては、第二次世界大戦の戦争のこと、毎週日曜日お昼の番組『のど自慢』のこと、手づくりで『効果音』をつくっていたことや、朝ドラのことなどが紹介されていました。
それから、東日本大震災のときの放送局の活動を中心にしたふりかえりの解説もありました。
まあ、もりだくさんです。ラジオから始まって、テレビへと、使用された機械や機器の展示も充実していました。
あとさきになってしまいましたが、こちらのNHK放送博物館に来る前に、宿泊したホテルが渋谷にあったので、渋谷のNHK放送センターもここに来る前に立ち寄ってきました。
渋谷のNHK放送センターにある『NHKハートプラザ』というところは、現在は館内案内などはやっておらず、事務受付窓口だけですと入口に表示があったので、外からながめて写真だけ撮りました。
NHK朝ドラの『虎と翼』ももうすぐ終わってしまいます。いいドラマでした。伊藤沙莉さんはいい女優さんです。
やはり、ドラマは、最初の頃の破天荒な主人公を中心とした若い女優さんたちの活発さが観ていて楽しかった。活気がありました。
これからは、女性の時代です! もしかしたら今年、女性の総理大臣が誕生するかもしれません。アメリカ合衆国は、女性の大統領かもしれません。さてどうなりますか。楽しみですな。男社会はすぐに戦争を始めるから、女性の力で平和な地球にしてほしい。
次の写真は、渋谷のNHKホールです。門を入って右側にNHKホールがありました。写真は、帰りに撮影したので、位置が反対の 左側になっています。写真でいうと建物の右側をまっすぐ進むと門があります。
毎週火曜日に谷原章介さんが司会をしている歌謡ショーとか、年末おおみそかの紅白歌合戦は、このホールで開催されているのだとわかり、これから番組を見るときは、NHKホールを身近に感じることができそうです。
道路の向こうには、国立代々木競技場の第一体育館と第二体育館がきれいに見えました。
小学校6年生の修学旅行のときに、バスの中から見たような覚えがあります。こちらの体育館は、1964年(昭和39年)開業です。
東京虎ノ門にある気象庁の見学を終えたあと、徒歩で10分ぐらい行ったところにNHK放送博物館がありました。
途中、とても高い位置まで上がるエレベーターに乗りました。1階で乗って、2階で降りたと思うのですが、2階がかなり高い位置にありました。エレベーターの壁は透明で外が見えて、見晴らしがいいのですがちょっと怖かった(こわかった)。
エレベーターの外を眺めると、建物を壊したあとの更地に(さらちに)、新しい建築物を建てているようで、東京では、老朽化の進んだ建物が建て替えられていく時期を迎えているのだということがわかりました。
東京は、限られた土地を、地下深く、そして、空高く、高度利用することで、複数の空間と世界をつくっている高密度の都市型タウンであることがわかります。
NHK放送博物館の展示は、なかなか力のこもったいい展示でした。
とくに、昭和20年代から30年代に生まれた人たちにとっては、自分たちがこどものころのことが、くっきりと思い出されて、深いなつかしさにひたれる空間と世界でしょう。
展示物を観ていると、なにもかもがなつかしくなります。
黒柳徹子さんのお若い頃とか、路線バスの旅でがんばっている太川陽介さんが番組『レッツゴーヤング!』で、アイドルで司会者だったころの写真などがたくさん出てきました。さらに思い出したのですが、NHKで、『ステージ101』という歌番組もありました。
以下の写真は、写真撮影が可だったところの写真です。館内展示では、撮影はだめよ、のところもままありました。
次の写真は、昔の暮らしの再現場所です。わたしたちがこどものときの暮らしは、こんな感じでした。
次の写真は、連続人形劇、『ひょっこりひょうたん島』のキャラクターです。
今思うと、毎日この番組を楽しみに観ていて、なんというか、わたしにとっては、日々の心の支えのような物語でした。
左から、『(ギャングの)マシンガン・ダンディ』、『サンデー先生』、『博士(はかせ)』、『(海賊の)トラヒゲ(船長)』、『(政治家)ドン・ガバチョ』ですな。
次の写真にある子ぶたのお話、『ブーフーウー』もよく見ていました。
着ぐるみによる人形劇です。
次の写真にある、『にこにこぷん』は、わたしたち夫婦のこどもたち世代のキャラクターで、息子や娘たちが小さいころ、とてもお世話になりました。今やこどもたちも40歳近い年齢になってきました。
キャラクターは左から、『じゃじゃまる(山猫)』、『ぴっころ(ペンギン)』、『ぽろり(ネズミ)』です。右端のキャラクターは、ちょっとわたしにはわかりません。
次の写真のキャラクターも、わたしにはわかりません。
同行の妻は、わかる。知っていると言っていました。
紅白歌合戦の優勝旗が展示してありました。
ほかの展示としては、第二次世界大戦の戦争のこと、毎週日曜日お昼の番組『のど自慢』のこと、手づくりで『効果音』をつくっていたことや、朝ドラのことなどが紹介されていました。
それから、東日本大震災のときの放送局の活動を中心にしたふりかえりの解説もありました。
まあ、もりだくさんです。ラジオから始まって、テレビへと、使用された機械や機器の展示も充実していました。
あとさきになってしまいましたが、こちらのNHK放送博物館に来る前に、宿泊したホテルが渋谷にあったので、渋谷のNHK放送センターもここに来る前に立ち寄ってきました。
渋谷のNHK放送センターにある『NHKハートプラザ』というところは、現在は館内案内などはやっておらず、事務受付窓口だけですと入口に表示があったので、外からながめて写真だけ撮りました。
NHK朝ドラの『虎と翼』ももうすぐ終わってしまいます。いいドラマでした。伊藤沙莉さんはいい女優さんです。
やはり、ドラマは、最初の頃の破天荒な主人公を中心とした若い女優さんたちの活発さが観ていて楽しかった。活気がありました。
これからは、女性の時代です! もしかしたら今年、女性の総理大臣が誕生するかもしれません。アメリカ合衆国は、女性の大統領かもしれません。さてどうなりますか。楽しみですな。男社会はすぐに戦争を始めるから、女性の力で平和な地球にしてほしい。
次の写真は、渋谷のNHKホールです。門を入って右側にNHKホールがありました。写真は、帰りに撮影したので、位置が反対の 左側になっています。写真でいうと建物の右側をまっすぐ進むと門があります。
毎週火曜日に谷原章介さんが司会をしている歌謡ショーとか、年末おおみそかの紅白歌合戦は、このホールで開催されているのだとわかり、これから番組を見るときは、NHKホールを身近に感じることができそうです。
道路の向こうには、国立代々木競技場の第一体育館と第二体育館がきれいに見えました。
小学校6年生の修学旅行のときに、バスの中から見たような覚えがあります。こちらの体育館は、1964年(昭和39年)開業です。
2024年09月18日
見学 気象庁 東京都港区虎ノ門
見学 気象庁 東京都港区虎ノ門
事前に電話予約をして、オペレーションルームの現場見学をしようかと思ったのですが、南海トラフ地震の臨時情報の発表とか、台風10号の来襲などがあって、まあ、見学担当の人は、広報担当の人だろうからだいじょうぶなのでしょうが、なんとなく気が引けて、一般人に解放されている『気象科学館』だけを見学することにしました。
現場見学のかわりに、職員食堂みたいなところで、気象庁の職員さんたちといっしょにお昼ご飯を食べてみることにしました。
ほかに小さな書店があるという事前情報を得ました。(結局、次のNHK放送博物館見学があったので、書店には立ち寄りませんでしたが、地下の食堂ではゆっくりカツカレーを食べました)
(以下は、実際に行ってみての感想です)
入口でお出迎えがあります。
気象庁のマスコットキャラクターで、『はれるん』というお名前だそうです。
展示室に、ウェザーミッション『キミは新人予報官』というクイズ形式の遊びがあったのでチャレンジしてみました。
成績は、1問だけ間違えました。
まあ、こどもさん向けのゲームみたいなものです。
展示室のまんなかに、津波のシミュレーター(模擬装置)がありました。
やってみました。
う~む。津波は怖い(こわい)。
建物の2階が、『気象庁の気象科学館』です。
1階は、『港区立みなと科学館』です。ロボットの展示がしてありました。
食堂が地下1階にありました。
この日は、朝ホテルでカレーライスを食べて、そのあと、カレーパンを食べて、お昼は、こちらの食堂で、カツカレーを食べました。カレーの一日でした。べつにかまいません。
めざしたわけではないのですが、東京見物に来ると、官公庁等の職員食堂で、職員さんたちに混じりながらお昼ご飯を食べています。
去年11月は、市ヶ谷にあるJICA(ジャイカ。国際協力機構)で南米の国のランチを食べました。お隣が防衛省で、自衛隊の制服を着た人たちがお昼ご飯を食べに来ていました。
今年7月は、国立国会図書館の6階の食堂でお昼ご飯を食べました。広々としたところで、お弁当を持参された人用(ひとよう。職員さんでしょう)に、テーブルとイスの席がたくさん用意されていました。
今回の気象庁の食堂は、食堂で働いている人たちに活気がありました。しきりにカツカレーの宣伝をされていました。食べに来ている職員さんたちには、技術屋さんの雰囲気がありました。優秀な人たちで、また、個性的な人たちなのだろうと勝手な想像をしました。
『気象科学館』には、気象庁で働く職員募集の要項やカタログみたいなものがおいてあったのでざっと目を通しました。
国家公務員です。募集人員は少ない。全国転勤がありそうです。好きでないとできない仕事だと思いました。身分保障は手厚いと感じました。いちど就職したら定年まで働く仕事です。
国民を自然災害から守るための仕事ですから、やりがいがあると思います。
事前に電話予約をして、オペレーションルームの現場見学をしようかと思ったのですが、南海トラフ地震の臨時情報の発表とか、台風10号の来襲などがあって、まあ、見学担当の人は、広報担当の人だろうからだいじょうぶなのでしょうが、なんとなく気が引けて、一般人に解放されている『気象科学館』だけを見学することにしました。
現場見学のかわりに、職員食堂みたいなところで、気象庁の職員さんたちといっしょにお昼ご飯を食べてみることにしました。
ほかに小さな書店があるという事前情報を得ました。(結局、次のNHK放送博物館見学があったので、書店には立ち寄りませんでしたが、地下の食堂ではゆっくりカツカレーを食べました)
(以下は、実際に行ってみての感想です)
入口でお出迎えがあります。
気象庁のマスコットキャラクターで、『はれるん』というお名前だそうです。
展示室に、ウェザーミッション『キミは新人予報官』というクイズ形式の遊びがあったのでチャレンジしてみました。
成績は、1問だけ間違えました。
まあ、こどもさん向けのゲームみたいなものです。
展示室のまんなかに、津波のシミュレーター(模擬装置)がありました。
やってみました。
う~む。津波は怖い(こわい)。
建物の2階が、『気象庁の気象科学館』です。
1階は、『港区立みなと科学館』です。ロボットの展示がしてありました。
食堂が地下1階にありました。
この日は、朝ホテルでカレーライスを食べて、そのあと、カレーパンを食べて、お昼は、こちらの食堂で、カツカレーを食べました。カレーの一日でした。べつにかまいません。
めざしたわけではないのですが、東京見物に来ると、官公庁等の職員食堂で、職員さんたちに混じりながらお昼ご飯を食べています。
去年11月は、市ヶ谷にあるJICA(ジャイカ。国際協力機構)で南米の国のランチを食べました。お隣が防衛省で、自衛隊の制服を着た人たちがお昼ご飯を食べに来ていました。
今年7月は、国立国会図書館の6階の食堂でお昼ご飯を食べました。広々としたところで、お弁当を持参された人用(ひとよう。職員さんでしょう)に、テーブルとイスの席がたくさん用意されていました。
今回の気象庁の食堂は、食堂で働いている人たちに活気がありました。しきりにカツカレーの宣伝をされていました。食べに来ている職員さんたちには、技術屋さんの雰囲気がありました。優秀な人たちで、また、個性的な人たちなのだろうと勝手な想像をしました。
『気象科学館』には、気象庁で働く職員募集の要項やカタログみたいなものがおいてあったのでざっと目を通しました。
国家公務員です。募集人員は少ない。全国転勤がありそうです。好きでないとできない仕事だと思いました。身分保障は手厚いと感じました。いちど就職したら定年まで働く仕事です。
国民を自然災害から守るための仕事ですから、やりがいがあると思います。
2024年09月17日
観劇 『ワタシタチはモノガタリ』 東京都PARCO劇場
観劇 『ワタシタチはモノガタリ』 東京都PARCO劇場(渋谷パルコ)にて
ずいぶん前のことですが、笑福亭鶴瓶さんのトーク番組、『巷の噺(ちまたのはなし)』に登場した女優の江口のりこさんが、『わたしは敵が多い』みたいな発言をされて、それを見ていたわたしは、魅力的な女優さんだなと感じました。
今回書く文章のタイトルにある劇に、江口のりこさんが出演されるのを見つけたので、さっそくチケットを申し込んで、東京渋谷にあるPARCO劇場へ観に行ってきました。
前のほうのまんなかあたりの席だったのでよく見えました。江口のりこさんは、テレビで観たとおりの人でした。話し方も体の動きも、ふだんのしゃべりと変わりはありません。
ちょっとむずかしい筋立てではありました。
江口のりこさんが、15歳中学生のころから小説家をめざしているけれど文学賞への挑戦は落選続きで、なかなか芽が出ないまま30歳を迎えたところで、江口のりこさんが投稿しているネット小説の人気が出てきて、ようやく人々に作品を読まれ始めたというようなところから始まりました。
中学の同級生だった松尾諭さん(まつおさとるさん)との文通交流15年間という経過も含めて、自分自身の十代のころの似たような体験を思い出して共感する部分がありました。
作品の題材としては、出版とか演劇とか、映画づくりとか、芸能関係の内輪話ですが、小説作品の商業化はいろいろむずかしいと感じました。
しばらく前に原作とテレビドラマの脚本の内容が異なるということでもめた事件のような出来事がありましたが、劇中では、江口のりこさんが書く原作どおりに映画ができあがらないというもどかしい流れがあるのです。
以下は、わたしが観劇に行く前に知ったなんとなくの、さらりとした話の流れです。
15歳、まだ中学生のカップルが(将来、編集者希望らしき松尾諭さんと小説家希望の江口のりこさん)、どちらもずっと未婚だったら、30歳になったら結婚しようと話をして、30歳になったのですが、ふたりは、結婚に至らないわけです。
15年間という長い間、お互いに文通のやりとりは続くけれど、直接会うことはなかった。(松尾諭さんのほうには、恋愛感情はなかった。江口のりこさんには恋愛感情があった)
松尾諭さんは、30歳になって、別の女性と結婚式を挙げるわけですが、その結婚式に江口のりこさんが招待されたのです。
招待された江口のりこさんは、なんとなくプンプンなのです。(怒っている(おこっている))。
事実として、出版社で編集者をしている松尾諭さんは、江口のりこさんが書く文章は好きですが、江口のりこさん自身を女性として好きということではないのです。(江口のりこさんは誤解していたのです)
松尾諭さん夫婦の結婚式に招待された江口のりこさんは、松尾諭さんに、今まで文通で自分が松尾さんに書いて送った手紙を全部返してちょうだいと要求するのです。松尾諭さんは江口さんの要求に応じます。
江口のりこさんが現在進行形で創作中の小説作品、『これは愛である』の中で、自分と松尾諭さんを模した(もした。似せた)架空のカップルが、松岡茉優さんと千葉雄大さんです。
現実のふたりとはずいぶん違って、松岡茉優さんたちふたりは、かなりのラブラブです。
それぐらいの前知識で、舞台劇を観に行きました。
(以下が、観劇の感想です)
なにせ、お祝いで贈られたお花がきれいでした。
劇場ロビーにいっぱい飾ってありました。わたしは、女優の吉田羊さんが贈られたお花の前で記念写真を妻に撮ってもらいました。
わたしは長いこと生きてきましたが、あんなにきれいで高価そうなお花をたくさん見たのは生まれて初めてです。おそらく貴重であろう珍しいようなお花もありました。わたしは、花尽くしの光景を長いことながめて、来て良かったと満足しました。
思い出すままに、観劇の感想をここに書き落としてみます。
冥土(めいど)のみやげ(安心して死ねるために)といいますか、昨年の夏ごろから、テレビや映画に出ている人をじかに観たいという欲望が湧きだし、舞台やミュージカル、歌謡ショー、漫談などを観るために劇場やホールへ行くようになりました。
これまでに、KinKi Kids(キンキキッズ)の堂本光一さん、森公美子さん、太川陽介さん、さんまさん、温水洋一さん、山崎育三郎さん、綾小路きみまろさん、松平健さん、山﨑玲奈さん(やまさきれなさん。ピーターパン)、そのほかスターを固める脇役のみなさんを拝見しました。なかなか楽しい時間でした。
今までは、派手な音楽やダンス、おおぜいの出演者で明るく楽しくダンスダンスダンスみたいな感じでにぎやかだったので、今回の、少人数、一人二役以上、じっくり会話を繰り返すというパターンの演劇が新鮮でした。
舞台装置はシンプルでしたがとても美しかった。出演者は8人だったと思います。
ラブコメディなので、言葉のやりとりで笑わせてくれます。歌やダンスはありません。
観客は、わたしたち夫婦のような年配の方、それから逆に若い人たちで、午後6時半からの開演で、2時間35分(途中休憩20分間)でした。人口ピラミッドで言うと、年齢層のまんなかぐらいの人たちは(40代ぐらいの人たち)はあまり見かけませんでした。
始まっていきなり右手から江口のりこさんが出てきて驚きました。
ひとり芝居の始まりです。
話し方や動作は、テレビで見る江口のりこさんとまったく同じです。演技をしているというよりも、ふだんのままの言葉づかいで話が進んでいきます。だれかを演じるわけではなく、江口のりこさんという人間の地(じ)のままの演技です。
コメディーです。言葉のやりとりがうまい。関西弁です。
舞台に自分が中学生だったころのなつかしい、教室内にある机とイスが出てきました。
そうそう、掃除の時間には、イスを机の上にのせて、動かして、床掃除をしていました。
『文章の読み書きが好き』(ここがこの舞台の大事なポイントです。恋愛相手としてのあなたが好きなのではなく、出版社で編集者をしている松尾諭さん(まつおさとるさん)は、江口のりこさんが書く文章が好きなのです)
昭和時代の昔は手紙をよく書きました。文通の習慣がありました。手紙とかハガキとか、今はもう、慶弔儀礼(けいちょうぎれい)でしか書かなくなりました。現代は、電子メールとかラインとか、+メッセージなどでやりとりします。スタンプを使ったりもします。
時代が変わりました。いいとも悪いともいえません。
会話のキャッチボールで笑わせてくれます。
会話をしながら、紙ヒコーキの飛ばしあいをするのですが、なかなかよく考え抜かれた演出で効果的でした。
現実のふたり(江口のりこさんと松尾諭さん)と、江口のりこさんが書いている小説作品『これは愛である』に出てくる登場人物の松岡茉優さんと千葉雄大さんが交錯、交流します。現実に存在する人物と想像上の人物の交流があります。
ところどころ難解でややこしい。
どうも笑いのツボが違うのか、若い女性を中心とした観客の人たちが爆笑することが複数回あったのですが、わたしたち年配夫婦はどうして笑えるのかわかりませんでした。若い人たちは、内容を熟知されているのでしょう。
原作どおりに映画をつくれないという原作者と映像製作者とのうまくいかない争いがあります。
先日わたしが、動画配信サービスで観た、三谷幸喜監督映画『ラジオの時間』と共通する題材です。
中学生の娘さんをもつ松尾諭さんが、思春期の娘に振り回されます。
娘のごきげんをとろうとして、娘の好きな人(ウンピョウという書道家 千葉雄大さん ひとり二役)をキャスティング(映画での役を割り振る)する方向へ話が進んで、雰囲気が明るくなるシーンがあって、いいなあと思いました。
人間の欲とか、損得勘定をうまく操ってある(あやつってある)会話表現で感心しました。
ウンピョウという書道家青年(千葉雄大さん)は、『愛』という字を同じ紙に何回も書いて、最後は、紙が真っ黒になる。(そういう発想が珍しい)。
松尾諭さんご夫婦がたくましい。好感をもちました。
けして、ひ弱ではない。だんなに愛情をもっているらしき江口のりこさんが登場しても、松尾諭さんの奥さんはどんと構えているのです。
奥さんは、今ある親子3人の家庭を崩壊させる気持ちなどさらさらないのです。むしろ、逆利用をして、なにかしら利益を得ようとするのです。ママの演技は迫力がありました。OKです。
なんというか、物語やドラマ、映画だと、繊細な気持ちをもつひ弱な男や女という設定で人間が描かれやすいのですが、現実社会を生きている人間は、むしろ野性的で、なにがあろうと負けるもんか!という暮らし方をしている人が多いと感じます。
ささいなことで弱気になっていたら、世間の荒波を乗り越えてはいけないのです。したたかに、強く前進です。
松岡茉優さんは演技上手です。感心しました。どんな性格・人格の人間でも演じられる女優さんだと感心しました。うまい!
ダスティン・ホフマン出演の洋画、『卒業 1967年(昭和42年)作品』が下地にあります。久しぶりにサイモンとガーファンクルの歌、『サウンド・オブ・サイレンス』を聴きました。なつかしい。
江口のりこさんがつくる物語、『これは愛である』の結末を、ハッピーエンドにするかしないかで、もめにもめます。
何のために書くのかという基本的な動機の話になります。
『書きたいから書く』(わたしはそう思います。具体的な理由なんてありません。人は、それぞれ個々の脳みそにその人だけがもつ『欲』が埋め込まれています。やりたいからやる。それだけです)。
最後は、みなさん何度もステージに出てこられて、拍手の中で頭を下げられていましたが、なにかひとことでもコメントをされたほうが、さらに良かったと思います。
マツケンサンバ歌謡ショーを観たときには、松平健さんが、『今夜のお客さんは、これまでで一番ノリが良かった』とコメントされて、会場が割れんばかりの拍手に包まれていました。
森公美子さん(もりくみこさん)の、『天使にラブソングを』を観たときには、森公美子さんが最後に観客席に向かって、『お客さん、サイコーー!!』と叫んでおられました。
(さらに思い出したことの付け足し(つけたし)として)
天井からブランコみたいに大きくて長い木の板のイスが下りてきました。木の幹のようでもありました。
ブラブラと揺れるそのイスを使って、じょうずにコントみたいなやりとりがなされていました。おもしろい。笑いました。
ブランコみたいなイスを揺らせて、松尾諭さんにぶつけて笑いを誘うのです。
(帰宅後、NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて)
『ワタシタチはモノガタリ』の松尾諭さんと江口のりこさんの関係が、藤原道長(柄本佑さん(えもとたすくさん))と紫式部(吉高由里子さん)さんと重なりました。
松尾諭さんと柄本佑さんは編集者の立場で、江口のりこさんと吉高由里子さんが小説家の立場なのです。
ふたりの男子は、それぞれの女子の創作活動を支援していくのです。
ずいぶん前のことですが、笑福亭鶴瓶さんのトーク番組、『巷の噺(ちまたのはなし)』に登場した女優の江口のりこさんが、『わたしは敵が多い』みたいな発言をされて、それを見ていたわたしは、魅力的な女優さんだなと感じました。
今回書く文章のタイトルにある劇に、江口のりこさんが出演されるのを見つけたので、さっそくチケットを申し込んで、東京渋谷にあるPARCO劇場へ観に行ってきました。
前のほうのまんなかあたりの席だったのでよく見えました。江口のりこさんは、テレビで観たとおりの人でした。話し方も体の動きも、ふだんのしゃべりと変わりはありません。
ちょっとむずかしい筋立てではありました。
江口のりこさんが、15歳中学生のころから小説家をめざしているけれど文学賞への挑戦は落選続きで、なかなか芽が出ないまま30歳を迎えたところで、江口のりこさんが投稿しているネット小説の人気が出てきて、ようやく人々に作品を読まれ始めたというようなところから始まりました。
中学の同級生だった松尾諭さん(まつおさとるさん)との文通交流15年間という経過も含めて、自分自身の十代のころの似たような体験を思い出して共感する部分がありました。
作品の題材としては、出版とか演劇とか、映画づくりとか、芸能関係の内輪話ですが、小説作品の商業化はいろいろむずかしいと感じました。
しばらく前に原作とテレビドラマの脚本の内容が異なるということでもめた事件のような出来事がありましたが、劇中では、江口のりこさんが書く原作どおりに映画ができあがらないというもどかしい流れがあるのです。
以下は、わたしが観劇に行く前に知ったなんとなくの、さらりとした話の流れです。
15歳、まだ中学生のカップルが(将来、編集者希望らしき松尾諭さんと小説家希望の江口のりこさん)、どちらもずっと未婚だったら、30歳になったら結婚しようと話をして、30歳になったのですが、ふたりは、結婚に至らないわけです。
15年間という長い間、お互いに文通のやりとりは続くけれど、直接会うことはなかった。(松尾諭さんのほうには、恋愛感情はなかった。江口のりこさんには恋愛感情があった)
松尾諭さんは、30歳になって、別の女性と結婚式を挙げるわけですが、その結婚式に江口のりこさんが招待されたのです。
招待された江口のりこさんは、なんとなくプンプンなのです。(怒っている(おこっている))。
事実として、出版社で編集者をしている松尾諭さんは、江口のりこさんが書く文章は好きですが、江口のりこさん自身を女性として好きということではないのです。(江口のりこさんは誤解していたのです)
松尾諭さん夫婦の結婚式に招待された江口のりこさんは、松尾諭さんに、今まで文通で自分が松尾さんに書いて送った手紙を全部返してちょうだいと要求するのです。松尾諭さんは江口さんの要求に応じます。
江口のりこさんが現在進行形で創作中の小説作品、『これは愛である』の中で、自分と松尾諭さんを模した(もした。似せた)架空のカップルが、松岡茉優さんと千葉雄大さんです。
現実のふたりとはずいぶん違って、松岡茉優さんたちふたりは、かなりのラブラブです。
それぐらいの前知識で、舞台劇を観に行きました。
(以下が、観劇の感想です)
なにせ、お祝いで贈られたお花がきれいでした。
劇場ロビーにいっぱい飾ってありました。わたしは、女優の吉田羊さんが贈られたお花の前で記念写真を妻に撮ってもらいました。
わたしは長いこと生きてきましたが、あんなにきれいで高価そうなお花をたくさん見たのは生まれて初めてです。おそらく貴重であろう珍しいようなお花もありました。わたしは、花尽くしの光景を長いことながめて、来て良かったと満足しました。
思い出すままに、観劇の感想をここに書き落としてみます。
冥土(めいど)のみやげ(安心して死ねるために)といいますか、昨年の夏ごろから、テレビや映画に出ている人をじかに観たいという欲望が湧きだし、舞台やミュージカル、歌謡ショー、漫談などを観るために劇場やホールへ行くようになりました。
これまでに、KinKi Kids(キンキキッズ)の堂本光一さん、森公美子さん、太川陽介さん、さんまさん、温水洋一さん、山崎育三郎さん、綾小路きみまろさん、松平健さん、山﨑玲奈さん(やまさきれなさん。ピーターパン)、そのほかスターを固める脇役のみなさんを拝見しました。なかなか楽しい時間でした。
今までは、派手な音楽やダンス、おおぜいの出演者で明るく楽しくダンスダンスダンスみたいな感じでにぎやかだったので、今回の、少人数、一人二役以上、じっくり会話を繰り返すというパターンの演劇が新鮮でした。
舞台装置はシンプルでしたがとても美しかった。出演者は8人だったと思います。
ラブコメディなので、言葉のやりとりで笑わせてくれます。歌やダンスはありません。
観客は、わたしたち夫婦のような年配の方、それから逆に若い人たちで、午後6時半からの開演で、2時間35分(途中休憩20分間)でした。人口ピラミッドで言うと、年齢層のまんなかぐらいの人たちは(40代ぐらいの人たち)はあまり見かけませんでした。
始まっていきなり右手から江口のりこさんが出てきて驚きました。
ひとり芝居の始まりです。
話し方や動作は、テレビで見る江口のりこさんとまったく同じです。演技をしているというよりも、ふだんのままの言葉づかいで話が進んでいきます。だれかを演じるわけではなく、江口のりこさんという人間の地(じ)のままの演技です。
コメディーです。言葉のやりとりがうまい。関西弁です。
舞台に自分が中学生だったころのなつかしい、教室内にある机とイスが出てきました。
そうそう、掃除の時間には、イスを机の上にのせて、動かして、床掃除をしていました。
『文章の読み書きが好き』(ここがこの舞台の大事なポイントです。恋愛相手としてのあなたが好きなのではなく、出版社で編集者をしている松尾諭さん(まつおさとるさん)は、江口のりこさんが書く文章が好きなのです)
昭和時代の昔は手紙をよく書きました。文通の習慣がありました。手紙とかハガキとか、今はもう、慶弔儀礼(けいちょうぎれい)でしか書かなくなりました。現代は、電子メールとかラインとか、+メッセージなどでやりとりします。スタンプを使ったりもします。
時代が変わりました。いいとも悪いともいえません。
会話のキャッチボールで笑わせてくれます。
会話をしながら、紙ヒコーキの飛ばしあいをするのですが、なかなかよく考え抜かれた演出で効果的でした。
現実のふたり(江口のりこさんと松尾諭さん)と、江口のりこさんが書いている小説作品『これは愛である』に出てくる登場人物の松岡茉優さんと千葉雄大さんが交錯、交流します。現実に存在する人物と想像上の人物の交流があります。
ところどころ難解でややこしい。
どうも笑いのツボが違うのか、若い女性を中心とした観客の人たちが爆笑することが複数回あったのですが、わたしたち年配夫婦はどうして笑えるのかわかりませんでした。若い人たちは、内容を熟知されているのでしょう。
原作どおりに映画をつくれないという原作者と映像製作者とのうまくいかない争いがあります。
先日わたしが、動画配信サービスで観た、三谷幸喜監督映画『ラジオの時間』と共通する題材です。
中学生の娘さんをもつ松尾諭さんが、思春期の娘に振り回されます。
娘のごきげんをとろうとして、娘の好きな人(ウンピョウという書道家 千葉雄大さん ひとり二役)をキャスティング(映画での役を割り振る)する方向へ話が進んで、雰囲気が明るくなるシーンがあって、いいなあと思いました。
人間の欲とか、損得勘定をうまく操ってある(あやつってある)会話表現で感心しました。
ウンピョウという書道家青年(千葉雄大さん)は、『愛』という字を同じ紙に何回も書いて、最後は、紙が真っ黒になる。(そういう発想が珍しい)。
松尾諭さんご夫婦がたくましい。好感をもちました。
けして、ひ弱ではない。だんなに愛情をもっているらしき江口のりこさんが登場しても、松尾諭さんの奥さんはどんと構えているのです。
奥さんは、今ある親子3人の家庭を崩壊させる気持ちなどさらさらないのです。むしろ、逆利用をして、なにかしら利益を得ようとするのです。ママの演技は迫力がありました。OKです。
なんというか、物語やドラマ、映画だと、繊細な気持ちをもつひ弱な男や女という設定で人間が描かれやすいのですが、現実社会を生きている人間は、むしろ野性的で、なにがあろうと負けるもんか!という暮らし方をしている人が多いと感じます。
ささいなことで弱気になっていたら、世間の荒波を乗り越えてはいけないのです。したたかに、強く前進です。
松岡茉優さんは演技上手です。感心しました。どんな性格・人格の人間でも演じられる女優さんだと感心しました。うまい!
ダスティン・ホフマン出演の洋画、『卒業 1967年(昭和42年)作品』が下地にあります。久しぶりにサイモンとガーファンクルの歌、『サウンド・オブ・サイレンス』を聴きました。なつかしい。
江口のりこさんがつくる物語、『これは愛である』の結末を、ハッピーエンドにするかしないかで、もめにもめます。
何のために書くのかという基本的な動機の話になります。
『書きたいから書く』(わたしはそう思います。具体的な理由なんてありません。人は、それぞれ個々の脳みそにその人だけがもつ『欲』が埋め込まれています。やりたいからやる。それだけです)。
最後は、みなさん何度もステージに出てこられて、拍手の中で頭を下げられていましたが、なにかひとことでもコメントをされたほうが、さらに良かったと思います。
マツケンサンバ歌謡ショーを観たときには、松平健さんが、『今夜のお客さんは、これまでで一番ノリが良かった』とコメントされて、会場が割れんばかりの拍手に包まれていました。
森公美子さん(もりくみこさん)の、『天使にラブソングを』を観たときには、森公美子さんが最後に観客席に向かって、『お客さん、サイコーー!!』と叫んでおられました。
(さらに思い出したことの付け足し(つけたし)として)
天井からブランコみたいに大きくて長い木の板のイスが下りてきました。木の幹のようでもありました。
ブラブラと揺れるそのイスを使って、じょうずにコントみたいなやりとりがなされていました。おもしろい。笑いました。
ブランコみたいなイスを揺らせて、松尾諭さんにぶつけて笑いを誘うのです。
(帰宅後、NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて)
『ワタシタチはモノガタリ』の松尾諭さんと江口のりこさんの関係が、藤原道長(柄本佑さん(えもとたすくさん))と紫式部(吉高由里子さん)さんと重なりました。
松尾諭さんと柄本佑さんは編集者の立場で、江口のりこさんと吉高由里子さんが小説家の立場なのです。
ふたりの男子は、それぞれの女子の創作活動を支援していくのです。