2013年07月28日

(再読) 徒然草 吉田兼好

(再読) 徒然草 吉田兼好 汐文社

 再読であり、子どもさん向けの本ですので、読みながら感想文を同時進行で仕上げていきます。
 はじまりにある「ごあいさつ」が光っています。鎌倉時代後期のお話です。京都吉田神社は行ったことがあります。京都大学のそばにありました。
 自身を「隠者」と表現しています。なんというか、読んでいて、自分もこうありたい、こうなりたいと思うのです。「世の中に隠れ住んでいる者」、貧しいけれど、だれかと比較して偉いとかいう窮屈な人間関係に苦しまずに済む。
 武士の都は関東の鎌倉で、京都の貴族は武士の監視下で行政をつかさどることはできない。監視する武士と監視される貴族と貧しき庶民が住むところが京都と定義されています。
 あいさつの最後には、気楽なひまつぶしのつもりで読んでくれと作者からのメッセージがおくられています。
 教訓話です。「木登り名人」油断大敵、「双六名人(すごろく)」勝とうと思わず、負けないようにと思う。
 仁和寺(にんなじ)の僧侶が岩清水八幡宮を参拝するくだりでは、当時の京都の自然風景が目に浮かびます。
 「無意識のなまけ心」に登場する「深層心理」がいい。だれしも、深層心理にしばられて苦しんでいます。自分で自分をコントロールできないわけがそこにあります。
 この当時の武士には戦(いくさ)がありません。剣術や弓の練習に身が入らなかったのではなかろうか。それともスポーツ競争的なものがあったのだろうか。
 古典を現代日本語に訳してあるわけで、とても上手に訳してあります。笑ってしまいます。「賞品をゲット(手に入れる)」なんて、鎌倉時代の言葉ではありませんが、気持ちがよく伝わってきます。
 京都御所の周辺は貴族の立派なお屋敷が建ち並んでいる。兼好法師が住んでいるのは、粗末な家々が集まった地域、都のはずれは人がほとんど住んでいない。
 典型的な現代サラリーマンは、心にゆとりがなく、頭の中は、仕事をどうするかばかり。仕事を離れると利害関係のない他者との会話の素材がない。冒頭にあった兼好法師の窮屈な組織人たちという言葉に説得される。仕事量が少なければ収入も少なくなる。収入と時間、現代人にとって両者のバランスをとることはむずかしい。
 京都の町に人間鬼が出るといううわさが広まる。鬼は女子である。だけど見つからない。「群集心理」のこわさをちょっぴり感じました。
 「土地」こそが財産。土地の所有権をめぐる裁判が毎日のように起こっている。証明書はけっこういいかげん。人間というのは、利口なのか愚かなのかわからないとあります。
 兼好法師のお父上はやさしい人でした。神さまは、この世をつくった方々だった。では、仏さまはなんだろうという兼好法師の質問に対して、父親は、人間が仏さまになると答えておられます。そこから難題の質問へとつながっていくのですが、とどのつまり、この世には答を出すことができない疑問があるのです。
 「友は絶対に必要じゃ」。されど、だれかれかまわず友とすることはできない。次の七つは友を選択するときの対象外とする。身分がとても高い人(こちらが疲れる)、自分よりずっと若い人(同じ時代を共有していないからけんかになる)、健康そのものの人(体の弱い人、病気の人の気持ちがわからないからやさしさや思いやりがうすい)、酒を好む人(まわりにとって迷惑行為がある)、強くて勇敢な武士(無知でわがままな悪ガキと同じ)、うそをつく人、欲の深い人。対して、友とするのによい人は、物をくれる人(困ったときに助けてくれる人)、医者(体の不安を相談できる人)、知恵のある人(物知りではなく、人生の悩みや苦しみに適切なアドバイスができる人)
 武士の支配でこの国は現在安定している。これはこれでよい。庶民は平和を望んでいる。平和を実現してくれるのであれば、支配者は武士でも貴族でもかまわない。以下続く文章は、700年ほど前のものとは思えず、「いい時代でしたなぁ」と700年前の人がさらに昔をふりかえって、残念そうに、あるいは、くやしそうに、つぶやくのです。
 「雑念」心のなかに主人(人生の目的)をもつ。心のなかはもともからっぽ。雑念がどんどん入り込んでくる。自分はこう生きるという人生の信念をしっかりもつ。
 隠者が嫌っているのは、人間ではなく、人の世のしくみです。兼好法師は人と話すことが好きな人でした。

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