2023年12月16日
鹿児島市内 城山公園
鹿児島市内 城山公園
朝、ホテルの無料送迎バスで鹿児島中央駅まで行きました。
駅にあるコインロッカーに荷物を預けて、今度は、宿泊したホテルの1階インフォメーションで購入した一日乗車券を使って、『鹿児島シティビュー』という市内の観光地を循環しているバスに乗って鹿児島市内を回りました。山沿いから海沿いへと、市内をぐるりと回るので市内のようすがわかりました。以前大分県別府市で利用した温泉地獄めぐりと似たようなコースどりでした。
鹿児島市の人口は、59万人ぐらいです。別府市は、11万人ぐらいです。熊太郎夫婦が去年訪れた善光寺がある長野市が、36万6000人ぐらいです。九州で一番人口が多い福岡市が、164万4000人ぐらいです。
バスが城山公園に着く前に、西郷隆盛さんの大きな銅像を車窓から見ました。
また、西郷隆盛さんが、自害する前に数日間を過ごした『西郷洞窟』も車窓から見ました。洞窟の前にある小さな広場では、地元の幼稚園か保育園のちびっこたちが遊んでいて、バスに乗っているわたしたちに手を振ってくれたので、わたしたちも手を振り返しました。
城山公園からの景色はとてもきれいでした。
こぢんまりとした広場です。
見学滞在時間はそれほどいらないでしょう。15分程度記念撮影をしたり、景色をぼーっとながめたりして、到着してから30分後に来た鹿児島シティビューのバスに乗りました。
展望広場で、そばにいた男女のグループに写真のシャッター押しをお願いしたら、たいへん親切に対応してくださいました。
日本人観光客だと思って、うちの奥さんが声をかけたのですが、韓国人の旅行者の方たちでした。若い男性が、片言の日本語でゆっくりていねいにわたしたち夫婦の写真をとってくださいました。(カムサハムニダ:ありがとう)
展望台から少し下がったところで、地元の小学生たちが、かけっこのような走る大会をやっていました。先生方や、おもにお母さんのご父兄がたくさんおられて、こどもたちの応援をされていました。
あとで調べたら、城山の登山競走大会というイベントだったようで、作家の向田邦子さんとか林芙美子さんも通ったことがある小学校だったのでびっくりしました。
たしか、麓(ふもと)にある『かごしま近代文学館』に、向田邦子さんの展示コーナーがあった記憶です。なにかで読んだことがあります。
向田邦子作品は、『父の詫び状(ちちのわびじょう) 向田邦子 文春文庫』『阿修羅(あしゅら)のごとく 向田邦子 文春文庫』『思い出トランプ 向田邦子 新潮文庫』、それから林芙美子さんは、読書メモは残っていませんが、『放浪記』を読んだことがあります。
城山公園展望台付近は、平日だったせいかもしれませんが、観光地としては、さびれているような印象でした。展望台につながる道にあるみやげ物店もやっていないところが多かった。
城山公園は、西南戦争のときの激戦地だったそうです。(西南戦争:1877年(明治10年))
西郷隆盛グループは、バスで来るときに見た西郷洞窟を出たあと、ちょっと東へ行ったあたりで自害されたそうです。
桜島の山の上、白い雲のように見えるのは、雲ではなくて、噴煙です。
海の表面がとても穏やかです。(おだやかです)
以前、四国の瀬戸内海にある小豆島(しょうどしま)に行ったときに見た瀬戸内海に似ています。海というよりも、湖のように見えるのです。この日の鹿児島湾は、とても穏やかでした。
そういえば、小豆島で、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を書かれた壺井榮さん(つぼい・さかえさん)の文学館を見学したとき、展示に壺井榮さんと林芙美子さんは親しい間柄だったと書いてありました。
朝、ホテルの無料送迎バスで鹿児島中央駅まで行きました。
駅にあるコインロッカーに荷物を預けて、今度は、宿泊したホテルの1階インフォメーションで購入した一日乗車券を使って、『鹿児島シティビュー』という市内の観光地を循環しているバスに乗って鹿児島市内を回りました。山沿いから海沿いへと、市内をぐるりと回るので市内のようすがわかりました。以前大分県別府市で利用した温泉地獄めぐりと似たようなコースどりでした。
鹿児島市の人口は、59万人ぐらいです。別府市は、11万人ぐらいです。熊太郎夫婦が去年訪れた善光寺がある長野市が、36万6000人ぐらいです。九州で一番人口が多い福岡市が、164万4000人ぐらいです。
バスが城山公園に着く前に、西郷隆盛さんの大きな銅像を車窓から見ました。
また、西郷隆盛さんが、自害する前に数日間を過ごした『西郷洞窟』も車窓から見ました。洞窟の前にある小さな広場では、地元の幼稚園か保育園のちびっこたちが遊んでいて、バスに乗っているわたしたちに手を振ってくれたので、わたしたちも手を振り返しました。
城山公園からの景色はとてもきれいでした。
こぢんまりとした広場です。
見学滞在時間はそれほどいらないでしょう。15分程度記念撮影をしたり、景色をぼーっとながめたりして、到着してから30分後に来た鹿児島シティビューのバスに乗りました。
展望広場で、そばにいた男女のグループに写真のシャッター押しをお願いしたら、たいへん親切に対応してくださいました。
日本人観光客だと思って、うちの奥さんが声をかけたのですが、韓国人の旅行者の方たちでした。若い男性が、片言の日本語でゆっくりていねいにわたしたち夫婦の写真をとってくださいました。(カムサハムニダ:ありがとう)
展望台から少し下がったところで、地元の小学生たちが、かけっこのような走る大会をやっていました。先生方や、おもにお母さんのご父兄がたくさんおられて、こどもたちの応援をされていました。
あとで調べたら、城山の登山競走大会というイベントだったようで、作家の向田邦子さんとか林芙美子さんも通ったことがある小学校だったのでびっくりしました。
たしか、麓(ふもと)にある『かごしま近代文学館』に、向田邦子さんの展示コーナーがあった記憶です。なにかで読んだことがあります。
向田邦子作品は、『父の詫び状(ちちのわびじょう) 向田邦子 文春文庫』『阿修羅(あしゅら)のごとく 向田邦子 文春文庫』『思い出トランプ 向田邦子 新潮文庫』、それから林芙美子さんは、読書メモは残っていませんが、『放浪記』を読んだことがあります。
城山公園展望台付近は、平日だったせいかもしれませんが、観光地としては、さびれているような印象でした。展望台につながる道にあるみやげ物店もやっていないところが多かった。
城山公園は、西南戦争のときの激戦地だったそうです。(西南戦争:1877年(明治10年))
西郷隆盛グループは、バスで来るときに見た西郷洞窟を出たあと、ちょっと東へ行ったあたりで自害されたそうです。
桜島の山の上、白い雲のように見えるのは、雲ではなくて、噴煙です。
海の表面がとても穏やかです。(おだやかです)
以前、四国の瀬戸内海にある小豆島(しょうどしま)に行ったときに見た瀬戸内海に似ています。海というよりも、湖のように見えるのです。この日の鹿児島湾は、とても穏やかでした。
そういえば、小豆島で、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を書かれた壺井榮さん(つぼい・さかえさん)の文学館を見学したとき、展示に壺井榮さんと林芙美子さんは親しい間柄だったと書いてありました。
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