2023年10月18日

ふたり 邦画 1991年(平成3年)

ふたり 邦画 1991年(平成3年) 2時間30分 動画配信サービス

 ラジオを聴いていたら、視聴者からのお便りで、この映画のことが話されており、曲が流れて興味をもち観てみることにしました。
 姉が事故死して幽霊になって出てきて、窮地に陥る妹をいつも助けるのです。タイトルの『ふたり』は、幽霊の姉と生きている妹のことです。ロケ地は広島県尾道市で、監督は大林宣彦さんです。(おおばやし・のぶひこ)
 映像内で流れる曲の歌詞は、雰囲気はありますが、自分には、意味はとれません。メロディーがとてもいい。繰り返し聞くと耳からメロディーが離れません。曲名は『草の想い』です。

 音で鑑賞者の気持ちを誘導する映画です。
 映像は、絵画の連続のようなシーンが続きます。
 ストーリーは、シェークスピアの舞台劇のような流れです。人間とは何か。
 高校生ぐらいの長女を事故で亡くした母親は心を病(や)んでしまったというのに、夫はどうして浮気をするのか。依存してくる妻に耐えられない男の苦悩があります。
 後半部では、不思議な感覚がありました。実は、姉も妹もふたりとも死んでいるのではないか。関係がうまくいっていない両親である夫婦だけが生き残っているのではないか。(違っていました。姉だけが亡くなって幽霊で出てきています)

 セリフやBGM(バックグラウンドミュージック)がせつない。
 妹から見て長女は、もうこの世にはいないけれど(映画では幽霊でいますけど)、もう二度とは会えないけれど、心の支えになっています。妹の相談相手です。
 
 俳優さんたちを見ながらいろいろなつかしい。30年ぐらい前の映画ですから、出演者のみなさんはまだお若い。
 尾身としのりさんは、二十代のころ、付き合っていた妻と映画館で『転校生』を観ました。最近は、NHKBS再放送の『あまちゃん』で、天野アキ(のんさん)の父親役、そして、天野春子(小泉今日子さん)の元夫役をやられていました。尾身としのりさんは歳を重ねて、いい役者さんになったねーと話がはずみました。

 この映画での姉役である中嶋朋子さんは、名作『北の国から』で、まだ小さな女の子の蛍(ほたる)役をされていました。観ていて感情がこみあげて、何度か泣かされました。
 蛍は、いつも、妻に浮気をされた父親役の田中邦衛さんの味方でした。でも内心では離婚して別居になってしまった母親役のいしだあゆみさんを心から慕っていました。中嶋さんはまだ小学校の低学年ぐらいでした。

 石田ひかりさんは眉毛が濃くて、井上咲楽(いのうえさくら)さんのイメージが重なるなあとこちらの映画を観ていて思いつきました。

 ふたりの娘の父親役の岸部一徳さんは、テレビドラマ『相棒』での警察庁長官官房室長での小野田公顕(おのだ・こうけん)役が思い出されます。演技のしかたは昔も今も同じです。まるで感情がないかのように淡々とされています。

 こちらの映画ロケ地の広島県尾道市には行ったことがあります。愛知県の自宅から車で行って一泊しました。自分たちが歩いた階段や道路が映像に出てきて、さらにいい気分で鑑賞しました。映画ではネコが出てきていました。

 姉が坂道でトラックから飛び出してきた太い木材の山に押しつぶされて死んじゃうのですが、映像はホラー映画を観ているようでした。
 その後、姉が忍者のように出てきたのでびっくりしました。
 撮影者の立場に立って映像を観ていました。
 昔のダイヤル式黒電話が出てきました。今ではなかなか見かけません。

 『姉妹』を扱ってあります。
 姉妹について、①上下関係をつけるのか。②上下関係をつけないのかということになりますが、この映画では、①上下関係がつけてあります。学業等、能力は亡くなった姉のほうが上なのです。
 姉が中嶋朋子さんの演技、妹が石田ひかりさんの演技です。
 姉と妹は人格が違うわけですから、最後の終着点は、それまで依存してきた姉と別れて妹の自立となるのでしょう。(予想は、合っていました)

 自分はたいてい、つくり手の立場で映画を楽しんでいます。
 起承転結の流れを観察したりもします。
 事故死の状況説明があって、中学生生活での恋の話があって、高校生になって演劇部の活動があって、父親の浮気話があって、精神的な自立があります。
 なんというか、人生は、学校を卒業してからが本番です。18歳で就職、あるいは、22歳大卒で就職して、ようやく社会人としてのスタートを切ります。そして、人生はとても長い。

 映像では、海の青、橋の色の赤がさえます。そこに、ユニフォーム(体操服)の色が動きます。

 長女を亡くした両親は悔やんでいます。
 『長女の言うとおりにさせてやれば良かった』
 両親は、長女の希望をきいてあげなかった。
 セリフやBGM(バックグラウンドミュージック)がせつない。
 長女は、もうこの世にはいないけれど
 長女とは、もう二度とは会えないけれど
 二女の心の支えになっている人がいる。(幽霊として)

 気になったのは、幽霊の姉が妹に声をかけるときに、『あんた』と妹を呼びます。『あんた』は、相手にケンカを売るときの言葉です。言われた方はカチンときます。

 不思議なお母さんです。昭和時代初期から中期の時代の母親像です。かっぽう着を着て、あたまに日本手ぬぐいをかぶせていたりもします。

 姉妹の関係は、アニメ作品の『タッチ』のようでもある。

 姉の言葉『わたしには、終わったことばかり。あんたは、これから始まることがある』

 最近読んだ絵本『あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子(つつい・よりこ)さく 林明子え 福音館書店』を思い出しました。きょうだいだと、どうしても上の人間は下の人間のめんどうをみなければならないのです。
 
 淡々とした流れなので、途中、長いかなーーという気分になるのですが、ミュージカルの発表会でもめるあたりの仕返しは劇的でなかなか良かった。
 いつも幽霊の姉に相談してアドバイスをもらっていた妹は、自分の頭で考えるようになったのです。人の言いなりにならずに、自分の脳みそで考えて、事案を分析して、プランを選択して、判断して、思い切って実行する。そして、けして、後悔しない生き方をするのです。(『人生は、選択の連続である。』作品ハムレットでのシェークスピアの言葉です)

 演劇というものは、舞台上だけが世界ではない。妹は、舞台の天井の位置には、舞台と客席全体を見渡せる広い世界があると自信をもつのです。

 別れのシーンが、いくつが出てくるのですが、なんというか、人の縁というものは不思議なもので、もうお別れだと言って別れても、また再会して関係が続くこともあります。

 姉の存在は、アニメ『ヒカルの碁』に出てくる平安時代の棋士(きし)『サイ』のようでもありました。

 あまり波がなく、観ていると、長くてつらい時間帯もあるのですが、終わってみれば、それなりの感動が胸にじーんと広がる映画でした。

 先日読んだ本『さよならのあとで 詩・ヘンリー・スコット・ホランド 絵・高橋和枝 夏葉舎(なつばしゃ)』を思い出しました。
 映画では妹が『目を閉じるといつでもどこでも自由に発想できる。(だから自分はどこにも行かない。ここにいる)』と話します。そして、妹は姉との関係を日記のような小説として書き始めるのです。
 夏葉舎の詩集では、亡くなった方が、生きている人に、『(自分は)となりの部屋にそっと移っただけ。』とメッセージを贈るのです。だから元気を出してください。気持ちを沈めないで(しずめないで)くださいなのです。

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