2023年07月05日

アップステージ ダイアナ・ハーモン・アシャー

アップステージ -シャイなわたしが舞台に立つまで- ダイアナ・ハーモン・アシャー作 武富博子・訳 評論社

 アメリカ合衆国の児童文学です。
 原題は『UPSTAGED』(ちょっと意味はわかりません。これから読んでみます。(読みました:主役をくうような演技という意味でした。主役より目立つ演技をする役者です))
 中学生向けのお話です。
 シャイ:恥ずかしがりや(人前に立つことが恥ずかしい。緊張する。内気(うちき))
 
 ハリブルック中学校で、生徒たちが学園ミュージカルに挑戦するそうです。
 ミュージカル(音楽劇)で自分が見たことがあるのは、韓国ソウルの劇場で見た『ナンタ』という劇が楽しかった。
 その時の感想メモが残っていました。
 『……翌日の夜にミュージカルNANTAナンタ(乱打)を見ました。劇は、食器を楽器代わりに叩く(たたく)ことから始まります。こどもの遊びのようです。シンプルです。劇が、言葉の壁を超えて世界中で歓迎される理由です。韓国は食器が金属なので生まれた作品なのでしょう。』
 もうひとつはやはり韓国の劇で『JUMP(ジャンプ)』というものでした。名古屋新栄(しんさかえ)あたりにあるテレピアホールというところで観ました。(今は貸しホールとしての使用はしていないようです。)JUMPジャンプはミュージカルではないのでしょうが、体操を下地にした楽しい劇でした。若い人たちがお年寄りのかっこうをして、びゅんびゅん飛び回っていました。
 その時の感想メモも残っていました。
 『…… 演劇の構成の順番が違っているかもしれません。覚えているのは、観客席にいるおじいさんからスタート。ステージで家族紹介→恋人話→観客2名がステージへ→おじいさん→ふたりの泥棒をまじえてドタバタ騒ぎ→格闘技風ダンスショー→結婚式という展開でした。進行の各起点がおじいさん役の演技となります。セリフは少なく言葉はいちおう日本語単語でした。(発音が違うせいか瞬間的に意味を理解できない部分はありました)言葉は通じなくても演技で楽しめます。言葉のないパントマイムの部分のほうが人間心理を(本音)を表していてわくわくします。
 おじいさん役は間寛平さんや志村けんさんのようでした。おかあさん役は友近さん(ともちかさん)のようでした。高齢者役の人がふたりいますが、実年齢はみなさん若い。筋骨隆々の体をされています。』

 また機会をつくって、こちらの本にあるような音楽劇(ミュージカル)を観に行ってみます。
 そんなこんなを思いながら、この本の読書が始まります。

わたし:主人公。シーラ。女子中学生。12歳と半年の年齢。合唱部員。7年生(日本でいうところの中学一年生でしょう)学校では透明人間になっているそうです。(存在感がない)縮れ毛(ちぢれげ)の女の子

ソフィー:シーラの妹。四年生。

フーバー先生:音楽の先生

キャシー:主人公の同級生。ブルーの眼鏡をかけている。髪の毛もブルーのメッシュが入っている。(メッシュ:髪に帯状の色をつける)キャシーは、考えが深い。両親が離婚して母子家庭。舞台では「町民11」の役

『ザ・ミュージック・マン』:これから演じる音楽劇のタイトル。作・メレディス・ウィルソン。詐欺師(さぎし。うそをついてお金をだましとる)の男と図書館長のやりとり話らしい。

ハロルド・ヒル教授(旅のセールスマン):ポール・ガルシア。町に若者のブラスバンドをつくりに来た。売っているものは『期待とワクワク感、そして熱意』歌・楽曲として『76本のトロンボーン 朝日をあびて……』

マリアン・パルー(図書館長):モニカ・マンリー(8年生。未来のスターをめざしているらしい女子。プライベートレッスンを受けている。ステージママとして、ドーラ・マンリー SPAMスパム(ちょっと意味不明です「迷惑」とは違う(143ページに説明がありました。美術と音楽を愛する生徒と保護者の団体の名称だそうです))という、アイドルであるこどもをサポートする母親がいる。

ミスター・シン(市長):フィリップ

ミセス・シン(市長夫人):デライラ

ザニータ・シン(市長夫婦の娘):メリンダ・クローチ(母親が、SPAMの委員長(美術と音楽を愛する生徒と保護者の団体の名称))

バーバーショップ・カルテット(とこやの四人組だろうか。合唱団。読み終えて:とこやではないようです):ビジェ、ジェーソン、フィリクス、シーラ(この物語の主人公女子中学生)。バス、バリトン、第一テノール(上のハーモニー担当)、第二テノール(別名リード。メロディ担当)[声の低い順に:バス→バリトン→テノール]
 ミスター・イワート・ダンロップ:ビジェ・メータ
 ミスター・オリン・ブリット:ジェーソン・チェン
 ミスター・オリバー・ヒックス:フィリクス・オーエン
 ミスター・ジェイシー・スクワイヤーズ:シーラ・ゴードン(第一テノール)劇中では、鍛冶屋(かじや)、教育委員会のメンバー

アマリリス:生徒。たぶん女子
エセル・トフルマイヤー:ちょっと人物を把握しそこないました。
リバーシティ・レディーズ:うわさ好きの女性たち。
マーセラス:ハロルド・ヒル教授の友人
ウィンスロップ:マリアンの弟。ものすごくひっこみ思案(じあん)、うまくしゃべれない。
エリック:クラスメート男子
ケビン:クラスメート男子
ショーン:クラスメート男子
ジェーソン・チェン:ポール・ガルシアの友人
カイル:溶連菌(ようれんきん。のどの炎症)で休んでいる。91ページ
ドルー・ジェンセン:サッカー部員。舞台で大工の仕事担当。その後、トミー・ジラス役(町のワルい男の子の役)
ダニー・ブルイット:エリック・シュミットを追いかけていてころんで骨折してトニー・ジラス役を降りるクラスメート
アレックス:シーラ・ゴードンにいじわるをする男子
ラショーン:出演者生徒
ディラン:出演者生徒
ラケル:シーラ・ゴードンが5年生の時のクラスメート
レイ・ライク:シーラ・ゴードンが5年生の時のクラスメート
ダグ:照明担当の生徒
モリー:照明担当の生徒
アマンダ:生徒。アルマ・ヒックス役
デライラ:生徒。ユーラリー・マケクニー・シン役
ジョニー:生徒。メイクのリーダー。美術が得意。男か女かわからないのですが、メイクだから女子のような気がします。
テリー:生徒
ニコール:生徒
エドワード:生徒
ジャンニ:生徒
アレック:生徒。幕引き担当
マーセラス・ウォッシュバーン:生徒

音楽監督:フーバー先生
振り付け:ジェルマーノ先生(進路指導担当)
演技指導:パッパラルド先生(保健担当)
照明担当:リーズ先生(スクールカウンセラー)
プロの演出家:ミズ・ヘイリー・チャニング
フェルト先生:モニカの演技指導の先生
オフラナハン:学校の事務職
シュナイダー先生:ちょっとよくわかりませんが、歴史の先生のようです。1650年の農場の宿題を添削されています。ヒントになる言葉になるかどうかわかりませんが「マサチューセッツ湾植民地」という言葉がドルーの口から出ています。
ジャブロンスキー先生:数学の先生
ココーラン先生:英語の先生
ドネリー先生:校長先生。以前は、学校の体育部長を二十年くらいつとめた。
コッチ先生:243ページ。会議中。白くて短髪。いつもイヤリングを付けている女性。美術教師?
ハイスミス先生:生徒総会の監督役。ずんぐりした女の先生
パンダーワット先生:ポール・ガルシアに美術室に行って地図を持ってっこるように頼んだ先生
リーズ先生
マーリー:男性。プロの演出家であるミズ・ヘイリー・チャニングの恋人(古い友だち)らしい。身長1m50cm台くらい。こぶとりではげている。有名な演出家
アブエラ:おばあちゃん。ポール・ガルシアの祖母

人間ではないけれど、ランチを食べるときの友だちという位置づけとしての本:「ハーリー・H・バイオレット作 厚さ7センチ 重さ450グラム アメリカ史の教科書『思い出すために』」

 『うつくしきアメリカ』:アメリカ合衆国を讃える(たたえる。よきものとしてほめる)歌
 『星条旗(アメリカ合衆国国家)』:ディランが歌う。

 チュチュを着る:バレリーナが着ている腰から下に広がっているスカート

 中学一年生女子の主人公シーラ・ゴードンが、女子なのに男役を演じるらしいということで、お悩みのようすです。
 その流れで進んでいくのですが、読み手の自分には理解ができないのです。女性が男役をやってもなんらかまわないからです。ばかにするのは、ばかにするほうが無知(むち。知識も知恵も体験もない人のこと)だからです。無視しましょう。
 シーラ・ゴードンは、自分が、からかわれて、いじめられるというふうにこれからのことを心配しています。
 
 29ページまで読んで、ふと、370ページにある『訳者あとがき』を読んでみたくなり読みました。
 シーラ・ゴードンは、12歳、アメリカ合衆国の学校制度で『七年生』だそうです。同国では、中学は六年生から八年生だそうです。そして、新学期の始まりは九月です。

 ミュージカルの演目である『ザ・ミュージック・マン』の初演はアメリカ合衆国ニューヨークのブロードウェイ(劇場がある地域)で1957年(昭和32年)だったそうです。

 30ページに戻ってふたたび読み始めます。

(つづく)

 グレーのソフトカバー:ミュージカル『ザ・ミュージック・マン』の台本
 台本よりも大きなオレンジ色のカバー:楽譜(がくふ。スコア)

 歌う曲として『ライダ・ローズ』、『おやすみなさい、レディーズ』
 
 ズボン役:女性が男性の役を演じるポジション(担当)

*読んでいて、読み手の自分はふと思う。もしかしたら、主人公のシーラ・ゴードンは、いまどきのLGBTとかで、女性だけど男性ということなのだろうか。(違っていました)

 以下ミュージカル映画『ミュージック・マン(1962年。昭和37年)』の出演者などについて。
 ロバート・プレストン:アメリカ合衆国の男優。1918年-1987年。63歳没
 シャーリー・ショーンズ:アメリカ合衆国の女優。1934年生まれ。89歳存命中
 ハーマイオニー・ギンゴールド:イギリスの女優。1897年-1987年。89歳没
 (ハーマイオニー・グレンジャー:ハリーポッターシリーズに登場する架空の人物。若い魔女)
 ロン・ハワード:アメリカ合衆国の映画監督。1954年生まれ。69歳
 シェークスピア劇『十二夜』:船で遭難した女子が、生きていくためには女の姿では危ないので男装する。

 レディ・ガガ:アメリカ合衆国のアーティスト。歌手、女優、実業家。1986年生まれ。37歳
 
 *情報がいっぱいの文章です。日本のお子さんには理解がむずかしい。

 バル・ミツヴァのパーティー:ユダヤ教徒男性の成人式。13歳になった男子が対象者。この物語では、タイラーという少年が対象者になっている。
 バト・ミツヴァ:同上。12歳の女子が対象者

 エミリー:最初にシーラにあてがわれた遊び友だち。静かな子どもだった。
 ベッキー:同上。積極的な女の子。ジャガーという名前のロットワイラー犬(ドイツ原産の犬種。茶色を下地にして黒い部分がある。牧牛、警備用の犬)を飼っていた。

 トーラの朗読:ユダヤ教の聖書にある部分

 SUV車:スポーツ・ユーティリティ・ビークル。スポーツ用途の多目的車
 ブレンダー:料理で使用する「ミキサー」
 コンガ:キューバのダンス。コンガは太鼓でもある。
 オニカマス:太くて長い魚。180センチぐらいになる。

 シーラ・ゴードンは、LGBTではないし、このさき、ポール・ガルシアと恋仲になりそうです。(恋仲にはなりませんでしたが仲良しにはなりました)

 シーラ・ゴードンはシャイ(恥ずかしがりや)という設定ですが、本の中では、すごいおしゃべりです。心の中のつぶやきがいっぱいあります。

 ラクロス:先端に網がついた棒を使って、ボールを相手陣地のゴールに入れるゲーム
 マスター・スケジュール:企画のおおまかな行程表。基本計画
 チキン・パルミジャーナ・ヒーロー・サンドイッチ:チキンカツのトマトとチーズ焼きのサンドイッチ
 (わからない言葉が次々と出てくるので、読書が進みません)
 
 『ザ・ミュージック・マン』の時代設定は、1912年(日本だと明治45年・大正元年)、場所は、アメリカ合衆国のアイオワ州(アメリカ合衆国のまんなかあたり)にあるリバーシティといういなか町。旅回りのセールスマン(ハロルド・ヒル教授。プロフェッサー・ハロルド・ヒル)と図書館長女性(マリアン。あまり人付き合いをしない読書好き。内気)の恋話し。
 トミーという若者と市長の娘ザニータが恋仲にある。アマリリスという女子は、モニカ・マンリーの弟であるウィンスロップが好き。マーセラス・ウォッシュバーン(ハロルドの旧友)は、エセル・トフルマイヤーという女子が好き。

 バーバーショップ・カルテット:町の教育委員会のメンバー4人。しょっちゅう歌を歌う。

 75ページ第9章『ヒトデ』の部分は、わたしは意味を理解できませんでした。
 過去のこととして小学5年生のモニカが、小学4年生のシーラ・ゴードンたちにプールで日焼けのことでいじわるをしたらしいということしかわかりません。具体的に何をしたのかは、文章を読んでもわかりませんでした。日焼けの跡で<ヒトデ>とか<カレイ>とか<ヒラメ>という区分をしてばかにしたようです。
 
 バーバーショップ・カルテット[声の低い順に:バス→バリトン→テノール]
 ミスター・イワート・ダンロップ:ビジェ・メータ(第二テノール。黒っぽい髪の毛が片方の目にかかっている。成長期で体が発達している途中の感じがする)男子
 ミスター・オリン・ブリット:ジェーソン・チェン(バス)男子
 ミスター・オリバー・ヒックス:フィリクス・オーエン(バリトン。やせている。髪は赤っぽい。顔は青白い。男子
 ミスター・ジェイシー・スクワイヤーズ:シーラ・ゴードン(第一テノール)女子

 学校という狭い世界。なんというか、広がりのないおもしろみのない世界。こどもと教師ばかりの世界です。社会はもっと広い。

 コーラスライン:役名がない登場人物たちが、ステージで線のように並んでダンスをする。
 ブロッキング(ステージング):舞台上の役者の動き
 ライダ・ローズ:花だが、この本の場合は曲名
 イカす女:たぶん曲名
 
 123ページの文章から『絶対音感(ドレミの音階(おんかい)がわかる能力)』のことだなと思ったとたんの126ページに『絶対音感』という言葉が出てきました。(読んでいて気持ちがいい。快感があります)
 シーラ・ゴードンに、絶対音感の能力があるそうです。モニカ・マンリーにはないようです。ふたりについての『比較』が始まります。本当は、比較はよくないことです。よくないことですが、人間は『比較』することが好きです。

 『彼女が来たの』『本当に来たのよ!』(市長夫婦の娘役であるメリンダ・クローチの母親のこと)その母が言うには、『SPAM委員会(スパム。美術と音楽を愛する生徒と保護者の団体)』が特別な演出家を依頼したそうです。
 ミズ・ヘイリー・チャニングという女性だそうです。背が高い。細い体。うず高く盛り上がったブロンドの髪
 チャイニングさんの言葉として『演技とは……人生なの』(自分が思うに、仕事場ではみんな演技をしている。自分ではない自分のようなものを演じている。それが働いてお金をもらうということです)
 
 人間ではないけれど、ランチ友だちとして:本。「ハーリー・H・バイオレット 厚さ7センチ 重さ450グラム アメリカ史の教科書『思い出すために』」

 トルーパー:芝居のために一生懸命がんばる人
 ブレイク・ア・レッグ:演劇界でだれかの幸運を祈るときに言う言葉。「足を折って」
 アップステージ:この本のタイトルの意味です。主役がかすむようなことをすることだそうです。
 セスピアン:芝居をする人たち
 ジャック・オブ・オール・トレーズ:なんでも屋(サッカー部所属で、今回の舞台の大工を担当しているドルーのこと)
 マッキーノ:厚手のウール地でできた上着
 アブエラ:スペイン語で「祖母」
 サルスエラ:スペインのオペラ音楽
 迷子石(まいごいし):1万年ぐらい前に、強大な氷河で運ばれてきた。
 セレナーデ:オペラ風の軽い楽曲
 ル・ミグレーヌ:偏頭痛(へんずつう。こめかみから目のあたりがズキズキと痛む)
 ジェイド:メイク用品
 
 舞台上の演技で、主役級のふたり、ハロルド・ヒル教授(演者:ポール・ガルシア)と図書館長マリアン・パルー(演者:モニカ・マンリー(控え役としてシーラ・ゴードン))がキスをするシーンがあります。シーラ・ゴードンは、そのキスシーンにこだわります。外国人はいつでもどこでも気持ちが高まったらキスする習慣があるという印象があるので、シーラ・ゴードンがとまどうことが不思議ですが、人によりけりなのかもしれません。あるいは、外国人のキス習慣について自分に誤解があるのかもしれません。
 目の付けどころしては、シーラ・ゴードンは、ポール・ガルシアをものすごく好きというわけではないらしく、むしろ、舞台の大道具役(大工仕事)を担当しているサッカー部員のドルー・ジェンセンを好きなようすがあります。
 ころんで骨折してトニー・ジラス役を降りたクラスメートダニー・ブルイットの代役としてドルー・ジェンセンが選ばれます。ダニー・ブルイットは、シン市長夫婦の娘ザニータ・シン(演者)メリンダ・クローチの恋人です。なかなかややこしい。

 登場人物がたくさんなので、使用済みカレンダーの大きな白紙裏面に名前と人物の簡単な絵を書いて相関関係を把握しています。

 ボディタブル:かわりの俳優
 必要悪:良くはないが、社会や組織が活動していくなかで、必要なことがらとか存在とか。なくせない。しかたがない。
 
 まあ、ややこしい男女の仲があります。嫉妬とか(しっと。やきもち)、プライドとか(自尊心。自分を大事にする気持ち。誇り(ほこり))、恋愛の相手が重複したり、誤解されていたり、こどもの世界でもおとなの世界でも恋愛には誤解と勘違いがつきまといます。

 トラブルは、8年生の未来のスターらしき女子、いばりちらすモニカ・マンリーを中心において発生します。モニカの協力者がメリンダ・クローチ(市長の娘役)です。
 モニカ・マンリーは、主役ですが、もうひとりの主役でもあるポール・ガルシアを背が低いとばかにします。(ばかにされたほうは精神的にけっこうこたえます)

 そして事件が起きます。
 モニカ・マンリーの所有物である芝居のスコア(楽譜)が、だれかに裁断機で切断されてバラバラの短冊(たんざく)になるのですが、読んでいるわたしは、犯人は、モニカ・マンリー自身ではないかと推理するのです。(その後読んで、推理ははずれました)
 楽譜を切断した容疑者として、ポール・ガルシアが浮上します。裁断機がある美術室にポール・ガルシアがいたという目撃証言が出てきます。

 モニカ・マンリーは、自分よりも演劇と歌の才能がある(地味な)シーラ・ゴードンがにくたらしい。自分がいる世界からシーラ・ゴードンを排除したい。(なんだか昔、『ガラスの仮面』という少女漫画を読んだことを思い出しました。でもあれは、ふたりの女子のライバルとしての純粋な気持ちが表現されていました。モニカ・マンリーのような不純な気持ちは、北島マヤにも姫川亜弓にもありませんでした)
 さあ、犯人さがしの推理小説みたいになってきました。

 リングイネ:イタリア料理でのロングパスタ
 フェットチーネ:平打ち麺(めん)のパスタ。麺がひらべったい。名古屋名物「きしめん」みたい。
 
 モニカ・マンリーは、いつも自分はすばらしいと自画自賛するので、まわりの生徒たちからは嫌われている。モニカ・マンリーは、人に優しい性格ではない。いつでもどこでもわたしが(モニカが)一番。そういう教育を親から受けている。(ステージママ:わが子を、芸能人・タレントとして売り込む母親)

 LGI(エルジーアイ):中学の生徒総会が開催される部屋。「大きな腹部の腸」とか「陸地とゴリラの研究所」というような頭文字の略といわれているが不明とのこと(外国作品なので、日本人には理解しがたい文章です)状態としては『講堂』となっている。大人数の講義、試験会場。机が置いてあるそうな。

 青の略奪者:ジェーソン・チェンが名付けたモニカ・マンリーの芝居のスコア(楽譜)を切り裂いた犯人のこと。おもいつきの言葉。深い意味はない。
 生徒指導室:美術室の上の階にある。美術室にあるものよりいい裁断機が置いてある。

 ふたつの事件の犯人が判明しました。モニカ・マンリーのロッカーにいたずら書きをした事件とスコア(楽譜)を切り刻んだ人物です。でも、秘密です。知っているのは、犯人ともうひとりだけです。ふたりともモニカ・マンリーが嫌いなのです。(読み手である自分は、ふーん。そういう落としどころかという気持ちがわきました)
 ドラマの犯人の動機はたいていが恨み(うらみ)です。犯行は、復讐(ふくしゅう)とか仕返し(しかえし)です。だから、人を攻撃するときは、しかえしされるかもしれないけれど、なんらかの理由があって、どうしても主張しておかなければならないという覚悟がいります。人間界の掟(おきて。かたい約束ごと)です。
 いばりちらすモニカ・マンリーは、みんなからうらまれています。
 さらにもうひとつモニカ・マンリーを責める事件が起きます。もうそこまでいくとモニカへの「いじめ」です。モニカ・マンリーは、そうとう、うらまれている。

 ドルーのサッカーの紙束:288ページにある文章ですが、意味をとれませんでした。

 ステージライト:舞台から見て、右手。下手
 ステージレフト:舞台から見て、左手。上手
 シカゴ:演劇の題名
 スプリングボロ:アメリカ合衆国オハイオ州にある都市
 
 ブレイク・ア・レッグ!(足を折って!):「がんばって!」「成功を祈る」という舞台をやる人などへかける言葉だそうです。
 
 本の中では、みんなで協力して舞台を成功させようという勢いのある雰囲気になるのですが、読み手である自分はピンときません。外国作品なので、感じ方が外国人とは違うのでしょう。

 物語は、本番の舞台へと向かっていきます。

(つづく)

 ようやく全体を読み終えました。長かった。
 読み終えたという達成感があります。

 307ページ以降の感想をつぎ足します。
 演劇の本番の日が来ました。
 シーラ・ゴードンは、とても緊張しています。
 舞台劇が始まるまでの前置きの話が長い。
 早く始まらないかなあーー
 おこられるかもしれませんが、中学校の演劇発表会です。関係者だけ、内輪の会です。緊張しないで楽しんだほうがいい。

 ハリネズミ中学校:舞台劇で設定されている中学校の名称

 330ページあたりからドラマチック(意表をつく、予定外のこと。ハラハラドキドキする)な展開に変化します。(現実にはありえない無理やりなことですが、物語の中だからOKです)

 トルーパー:芝居のために一生懸命がんばる人

 『……シャイだって、スターになれるんだよ』(じっさい、俳優さんや芸人さんは、あんがいそういう人が多い。台本があれば動けるけれど、台本がなければおとなしくじっとしている人です)

 ピルグリムの足(339ページ):? バレエの装具? 巡礼者・旅人? わかりません。

 役(やく)になりきる。

 七十六本のトロンボーン:楽曲
 ブラーバ(348ページ):? ブラボーのことだろうか。
 サルスエラ:オペラの一種
 パルー家:劇設定の中の一家(いっか)
 
 ひっこみじあんな人たちは固まって仲間になる。
 スターは孤独です。(モニカ・マンリー8年生のこと)
 
 この物語では、主人公であるシーラ・ゴードンの『シャイ(はずかしがりやで、モノをはっきり言えない。堂々とした言動ができない)』が、強調されています。シャイであることは、いいことではありません。人からよく見られたいとか、人から悪く言われたくないとかいう心理が働いています。人から良く見られようが悪く見られようが気にすることはないのです。『(だれがなんて言おうと)これがわたしです』と主張できる人間にならねばなりません。アニメで『ありのままで』という歌詞の歌がありました。アナ雪だったと思います。

 読み終えての自分なりの解釈です。
 人間は、見た目と、脳みその中身は違います。
 脳みその中には、人それぞれ、異なる世界が広がっています。
 各自の知識や人生体験、素質や能力によって、脳みその中にある世界はだいぶ違います。
 自分のことをわかってもらうためには、相手やまわりにいる人に向かって、しゃべらないといけません。
 自分の頭の中にあることを、あるがままに言葉に変えてしゃべることで、自分は何者なのかを相手に伝えることができます。
 お互いが話す言葉をしっかり聞き取って話し合うことで、お互いの脳みその中にある世界が伝わってきます。
 黙っていたら(だまっていたら)いつまでたってもわかりあえません。
 察する(さっする。黙っていても気づく。以心伝心(いしんでんしん)言わなくてもわかる)ことなんて無理なんです。

 世界は、誤解と錯覚で成り立っていると、世界各地をひとりで旅をした女性が書いた旅行記に書いてありました。『インパラの朝 中村安希 集英社』10年ぐらい前に読みました。女ひとりのバックパッカー旅行記でした。バックパッカー:低予算で旅をする旅行者

(その後、もういちど最初のページに戻ってゆっくり最後のページまで、ページをめくって、目をとおしてみました)
 最初のほうで出ていた、女子のシーラ・ゴードンが男役をすることについては、うやむやというか、話題からフェードアウト(ゆっくり消える)されています。

 演ずる目的とか、舞台名は『ハリネズミ中学校 秋のミュージカル公演』

 バナナ警察(152ページ):これは、意味不明でした。

 日本人中学生が読む本にしては、むずかしい本でした。(読書感想文の課題図書です)

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