2022年12月27日
邦画『ぼけますから、よろしくお願いします』
邦画『ぼけますから、よろしくお願いします』 2018年(平成30年) 1時間42分
いい映画でした。人生観が変わります。(心が広くなれる。優しくなれる)
今年観て良かった一本です。ほかの皆さんにもぜひ観てほしい。お勧めします。
話題になった映画だそうですが、自分は知りませんでした。
撮影者である娘さんが書いた本も手に入れたので、あとで読んでみます。
広島県呉市に住む老夫婦と東京で暮らすひとり娘の物語です。
ドキュメンタリー(事実の記録映像)という形をとっていますが、ドキュメンタリーぽくありませんでした。
母:1929年生まれ(昭和4年)。この生まれ年で高等女学校卒ですから、優秀な方で、お元気だった時は、グループのリーダー的存在だったと思われます。
父:1920年生まれ(大正9年)。温厚な方です。第二次世界大戦中、陸軍で過ごす。戦争で大学には行けず。終戦後は会社で経理マンとして定年まで働く。家には本がいっぱいです。(なんとなく映画を観ている自分自身と重なります)
娘:東京大学文学部卒。映像作家。未婚。日記を書くように、コツコツと積み重ねで映像を貯めておられると察しました。
三人家族のストーリーです。
夫婦の『老い』が表現されています。
「忘れる」「聞こえない」「お刺身の入っていたプラ容器が何なのかがわからない(理解できなくなっている)」「ふたりとも腰が曲がっている」そんなところから始まります。母は、アルツハイマー型認知症になってしまいました。(検査結果が出ましたが、本人に自覚なし)
2016年、母87歳、父96歳で、洗濯機の洗濯槽(せんたくそう)の中には、洗濯物がたくさんたまっています。母は、疲れ果てていて洗濯ができません。
父「洗濯物が腐らせんか(くさらせんか)」(追記2023年1月4日:いま本を読んでいますが「洗濯物」ではなく「洗濯機」でした)
古い時代の父親ですから、男は家事をしません。掃除、洗濯、料理は母親の仕事です。(その後、お父さんが家事をやるようになります。まあ、男でも女でも、若い時に短期間でも、ひとり暮らし体験があったほうがいいと思います)
映像では時代を前後しながら現代に近づき、老老介護がスタートしました。93歳のお父さんが、84歳のお母さんのめんどうをみます。
たくさんたまって広がっている洗濯物の上でお母さんが横になってしまいました。その狭い脇をお父さんが「しょんべん、しょんべん」と言って通り抜けます。
お母さんはクスリを飲んだ記憶が消えるので、30分後にまた同じクスリを飲もうとします。
脳みその働きが衰えてきます(おとろえてきます)。
いろんなことがわからなくなります。(母親本人は悲しくなります)
謝罪(ごめんね)と感謝(ありがとう)の日々が続きます。
映像を観ていて、介護保険を利用して介護ヘルパーを頼めばいいのにと見ている自分は思います。(6年間ぐらい介護が続いた義父母のことを思い出します。昨年秋に相次いで亡くなりました)
映像では、90代の父が、80代認知症の母のめんどうをみています。
東京暮らしの娘には、東京から帰って来んでもいい。自分がやると主張する父です。
おしっこ漏らしの話がでます。
ガス(火事)が怖い(こわい)。
介護保険利用の話が出ました。親の反発が強い。
めんどくさい。ヘルパーが来ると(他人が来ると、来る前に)、家の中を片付けなければならない。(ヘルパーをお客さま扱いする。(そんなことしなくていいのに))
母の頭の中がおかしくなります。
役所から生活相談員の訪問があって、すったもんだがあって、ヘルパーとデイサービスの利用が始まりますが、なかなかすんなりとはうまくはいきません。
なにせ、母のプライドが高い。フロの掃除は自分がやる。自分でやれる。デイサービスには行きたくない。自分が家にいては、じゃまになるのか! と抗議があります。
生々しい実態が映像で流れて、身につまされます。自分の親や、自分が年老いたときの姿が頭に浮かびます。
父は高齢で、耳が遠いのですが、目がいい。新聞を読んで、針仕事もします。うどんもつくります。コーヒーづくりが好きです。コーヒーを飲みながら人とおしゃべりすることが好きです。
年寄りは転倒が怖い。母はころんで、お岩さんのような目のまわりになってしまいました。内出血で目のまわりが紫色です。
母はよつんばいで歩きます。
「ねぇ! ねぇ! たすけてーー」と大声を出します。(意味不明)
父は母のプライドの高さを冷静に指摘します。
母は、人にめんどうをかけることがイヤなのです。ほどこしをしてきた人が、ほどこしをうけるのは屈辱なのです。(くつじょく:腹立たしい。くやしい。立場を失う)
そして母の口から出てくる言葉は「もう死んだほうがえぇ」(自分は社会に貢献していない)
(母)「包丁持って来てくれ! もう死ぬ」と言い続けます。地獄です。修羅場です。(しゅらば:激しい大混乱)
(母)「わたしのおるところがない!」
(父)「そんなに死にたいなら死ね!」家庭内暴力になりそうです。
ふと、思い出したのですが、自分がこどもの頃、そのような光景を見たことがあります。とてもイヤでした。
父が言います。「(妻は)気位(きぐらい)が高い」父は冷静です。
若くてピチピチの男女も、いずれは『老い』が来ます。四十代後半から心身の不調が始まります。
映像は、濃密な時間でした。
「長生きしてもええことはない」と夫婦でケンカします。
ふとんのあげおろしがありますが、ベッドにしたほうが楽です。
母は、性格が変容してきます。
なんだかんだとありますが、母が父に「(わたしは)ええ女房でよかった(でしょ)」「長生きは幸せだよ」
連れ添って60年。今日も寄り添い暮らしていますで終わります。
やれていたことがやれなくなる悲しみがあります。
やれなくなったらやれなくなったで、ほかの方法を考える。
あきらめると楽になれる。
あきらめきれないと苦しい。
あとは、結婚してこどもを持つって大事なことだなあというのが、鑑賞後の自分の素直な感想でした。
いい映画でした。人生観が変わります。(心が広くなれる。優しくなれる)
今年観て良かった一本です。ほかの皆さんにもぜひ観てほしい。お勧めします。
話題になった映画だそうですが、自分は知りませんでした。
撮影者である娘さんが書いた本も手に入れたので、あとで読んでみます。
広島県呉市に住む老夫婦と東京で暮らすひとり娘の物語です。
ドキュメンタリー(事実の記録映像)という形をとっていますが、ドキュメンタリーぽくありませんでした。
母:1929年生まれ(昭和4年)。この生まれ年で高等女学校卒ですから、優秀な方で、お元気だった時は、グループのリーダー的存在だったと思われます。
父:1920年生まれ(大正9年)。温厚な方です。第二次世界大戦中、陸軍で過ごす。戦争で大学には行けず。終戦後は会社で経理マンとして定年まで働く。家には本がいっぱいです。(なんとなく映画を観ている自分自身と重なります)
娘:東京大学文学部卒。映像作家。未婚。日記を書くように、コツコツと積み重ねで映像を貯めておられると察しました。
三人家族のストーリーです。
夫婦の『老い』が表現されています。
「忘れる」「聞こえない」「お刺身の入っていたプラ容器が何なのかがわからない(理解できなくなっている)」「ふたりとも腰が曲がっている」そんなところから始まります。母は、アルツハイマー型認知症になってしまいました。(検査結果が出ましたが、本人に自覚なし)
2016年、母87歳、父96歳で、洗濯機の洗濯槽(せんたくそう)の中には、洗濯物がたくさんたまっています。母は、疲れ果てていて洗濯ができません。
父「洗濯物が腐らせんか(くさらせんか)」(追記2023年1月4日:いま本を読んでいますが「洗濯物」ではなく「洗濯機」でした)
古い時代の父親ですから、男は家事をしません。掃除、洗濯、料理は母親の仕事です。(その後、お父さんが家事をやるようになります。まあ、男でも女でも、若い時に短期間でも、ひとり暮らし体験があったほうがいいと思います)
映像では時代を前後しながら現代に近づき、老老介護がスタートしました。93歳のお父さんが、84歳のお母さんのめんどうをみます。
たくさんたまって広がっている洗濯物の上でお母さんが横になってしまいました。その狭い脇をお父さんが「しょんべん、しょんべん」と言って通り抜けます。
お母さんはクスリを飲んだ記憶が消えるので、30分後にまた同じクスリを飲もうとします。
脳みその働きが衰えてきます(おとろえてきます)。
いろんなことがわからなくなります。(母親本人は悲しくなります)
謝罪(ごめんね)と感謝(ありがとう)の日々が続きます。
映像を観ていて、介護保険を利用して介護ヘルパーを頼めばいいのにと見ている自分は思います。(6年間ぐらい介護が続いた義父母のことを思い出します。昨年秋に相次いで亡くなりました)
映像では、90代の父が、80代認知症の母のめんどうをみています。
東京暮らしの娘には、東京から帰って来んでもいい。自分がやると主張する父です。
おしっこ漏らしの話がでます。
ガス(火事)が怖い(こわい)。
介護保険利用の話が出ました。親の反発が強い。
めんどくさい。ヘルパーが来ると(他人が来ると、来る前に)、家の中を片付けなければならない。(ヘルパーをお客さま扱いする。(そんなことしなくていいのに))
母の頭の中がおかしくなります。
役所から生活相談員の訪問があって、すったもんだがあって、ヘルパーとデイサービスの利用が始まりますが、なかなかすんなりとはうまくはいきません。
なにせ、母のプライドが高い。フロの掃除は自分がやる。自分でやれる。デイサービスには行きたくない。自分が家にいては、じゃまになるのか! と抗議があります。
生々しい実態が映像で流れて、身につまされます。自分の親や、自分が年老いたときの姿が頭に浮かびます。
父は高齢で、耳が遠いのですが、目がいい。新聞を読んで、針仕事もします。うどんもつくります。コーヒーづくりが好きです。コーヒーを飲みながら人とおしゃべりすることが好きです。
年寄りは転倒が怖い。母はころんで、お岩さんのような目のまわりになってしまいました。内出血で目のまわりが紫色です。
母はよつんばいで歩きます。
「ねぇ! ねぇ! たすけてーー」と大声を出します。(意味不明)
父は母のプライドの高さを冷静に指摘します。
母は、人にめんどうをかけることがイヤなのです。ほどこしをしてきた人が、ほどこしをうけるのは屈辱なのです。(くつじょく:腹立たしい。くやしい。立場を失う)
そして母の口から出てくる言葉は「もう死んだほうがえぇ」(自分は社会に貢献していない)
(母)「包丁持って来てくれ! もう死ぬ」と言い続けます。地獄です。修羅場です。(しゅらば:激しい大混乱)
(母)「わたしのおるところがない!」
(父)「そんなに死にたいなら死ね!」家庭内暴力になりそうです。
ふと、思い出したのですが、自分がこどもの頃、そのような光景を見たことがあります。とてもイヤでした。
父が言います。「(妻は)気位(きぐらい)が高い」父は冷静です。
若くてピチピチの男女も、いずれは『老い』が来ます。四十代後半から心身の不調が始まります。
映像は、濃密な時間でした。
「長生きしてもええことはない」と夫婦でケンカします。
ふとんのあげおろしがありますが、ベッドにしたほうが楽です。
母は、性格が変容してきます。
なんだかんだとありますが、母が父に「(わたしは)ええ女房でよかった(でしょ)」「長生きは幸せだよ」
連れ添って60年。今日も寄り添い暮らしていますで終わります。
やれていたことがやれなくなる悲しみがあります。
やれなくなったらやれなくなったで、ほかの方法を考える。
あきらめると楽になれる。
あきらめきれないと苦しい。
あとは、結婚してこどもを持つって大事なことだなあというのが、鑑賞後の自分の素直な感想でした。
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