2021年02月01日

(再鑑賞)ニューシネマパラダイス イタリア・フランス映画

(再鑑賞)ニューシネマパラダイス イタリア・フランス映画 1989年公開 テレビ放映録画

 6年前にDVDで観ましたが、今回再び観て、以前は、おおざっぱに観ていたことがわかりました。
 伏線に気づきました。ラストシーンは、冒頭付近のシーンが伏線になっています。最後はやはりラブ(愛)です。
 映画の始まりにある主人公トトがこどものころのシーンで、映画は検閲のようなかたちで、ラブシーンが許されず、映写技師アルフレードがフィルムからカットしたキスシーン部分をつなげて一本のフィルムを残します。
 それから何十年もの時がたって、映写技師のアルフレードが亡くなり、その1本のフィルムは、イタリアの有名映画監督にまでになったトトへ贈る形見(かたみ。亡くなった人を思い出す品物)になるのです。
 現在の映画がフィルムでつくられているのかどうかは知りません。コンピューター・グラフィックを駆使するので、記憶媒体はフィルムではないような気もします。
 この映画を観て感動できる世代もだんだん高齢になってきていると思います。
 こどものころに住んでいた離島では、映画は映画館ではなくて、屋外に張られたスクリーンに映し出して、学校が夏休みの暗い夜などに、近所の広場で観ていました。この映画ではそんなシーンが出てきます。映像のなかに類似体験があると共感と感動が生まれます。
 物が豊かになって、便利なように見えるけれど、人間は、大事なものを失おうとしているような気もします。思い出して見れば、白黒テレビジョンが登場したのは、1953年(昭和28年)ごろだったと思いますが、その後、全国に普及するまでにはずいぶん年数がかかりました。60年前ぐらいまでは、家にテレビジョンがない静かな夜がありました。自然との共存があって、家にいると身近なところから虫の音や鳥や小動物の鳴き声が聞こえました。
 最近思うのは、社会において「これまでの秩序」が否定されるようになってきている。時代が大きく変化している時期を迎えているということです。
 昔のテレビの登場・普及に類するものが、現代においては「電気自動車」なのでしょう。
 劇中で映画館が爆破方式で取り壊されるのはさびしいシーンですが、しかたがないのでしょう。これまでの時代をつくってきた世代は、これからゆっくり静かに消えていくのです。「栄枯盛衰」とか「順ぐり」という言葉が頭に浮かびます。

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