2019年08月11日

モモ 岩波少年文庫

モモ ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫

 邦画「コーヒーが冷めないうちに」で、登場人物の女性が喫茶店で読んでいた本です。小学校高学年以上向けぐらいの内容です。
 最初に、時間どろぼうと女の子(モモ)の話とあります。
 お話のなかにお話があります。むかしむかしで始まります。
 モモは、どこからともなく、古代ローマ時代ぐらいの感覚の時代に、とある場所へやってきて、廃墟となった円形劇場の舞台下にある部屋で暮らし始めます。そして、いろいろな人たちがモモを訪ねて来て親交を深めます。
 モモは年齢不詳ですが、8歳から12歳ぐらいに見えるそうです。背が低くてやせている。真っ黒な巻き毛の髪、そして、目も大きくて黒い。足も汚れて真っ黒。
 主な登場人物として、道路清掃員ベッポ、観光案内人ジジ(ジロラモ)、居酒屋店主ニノ、左官屋ニコラ、カメのカシオペイア(30分後の未来のことがこうらに文字で浮き出る)、床屋のフージなど。
 モモは、自分で、自分の名前を「モモ」と付けた。年齢は、自称100歳か102歳。でも見た目は8歳から12歳に見える。
 「時間」の解釈が始まります。時間の計測には意味がない。中身が重要である。時間とは生きること。死んだ人には「時間」はない。
 時間どろぼうが登場します。灰色の男たちです。人をだまして、人の時間を奪っていくのです。奪った時間でかれらは生きています。
 モモのところに集まっていた人の数がだんだん減っていきます。モモと会話をすると心がなごむのですが、どうしたことでしょうか。
 「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく」
 時間貯蓄銀行の人間は言います。「人生で大切なことは、成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れること、ほかの人より成功し、偉くなり、金持ちになること。そうすれば、友情、愛、名誉は自然にくっついてくる」
 何でも数値化して判断材料にするのが、時間貯蓄銀行のメンバーのやり方です。そこに「効率」はありますが、「喜怒哀楽の感情」はありません。当然、愛情もありません。
 国家のために人間を利用する。労働力という視点だけで人間の価値をみる。
 なぜ、かれらにとって、モモは敵なのか。モモの時間感覚は彼らから見れば無駄だらけだから。されど、モモと会話をする人々の心は満たされる。

 タイミングにこだわる。あのときこうだったからああなった。不幸を避けるために、動くタイミングにこだわる。占い師のような、宗教のような雰囲気が物語の裏面にあります。
 モモはだんだん孤独になっていきます。モモのまわりから人がいなくなります。時間銀行の男たちが人々から時間を奪っていくからです。
 思春期を過ぎると少年少女たちはおとなに成長してこどもの世界からいなくなってしまう。モモはピーターパンのようでもあります。おとなになると時間の使い方が変わります。子ども時代の時間は自由な時間が多いのですが、おとなになるにしたがって、時間を管理されて、強制的に生活が縛られていくからです。その理由は報酬を得るためです。
 モモのともだちはいなくなってしまいました。カメのカシオペイアもいなくなってしまいました。
 雰囲気として、13才までの世界が終わりを告げようとしています。
 「この世界に人間が住めなくしたのは、人間自身だ」
 心のなかに「時間の花」がある。時間を奪われると、喜怒哀楽の感情がなくなっていく。関心が低くなる。憂鬱になる。からっぽになる。なにもかもが灰色になる。どうでもよくなる。病気になる。致死的退屈症とあります。
 「おまえがたよりにできるのはおまえだけだ。わたしはなにもしてやれない。ほかのだれもおまえのかわりはできない」自分のことは自分でやる。
 地震ではなく、「時震」が起ります。
 いろいろと考えさせられました。後半が良かった。

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