2019年07月18日
14歳、明日の時間割 鈴木るりか
14歳、明日の時間割 鈴木るりか 小学館
奇跡の中学生作家、青春群像小説という謳い(強調、宣伝)文句です。
科目などにあわせてつくられた短編7本です。
「国語」
ベース(下地、基礎)は、中学生作家の日常生活においてあります。
14歳とは思えないような文章作成能力に驚かされます。語彙力(ごい)が高い。(言葉をたくさん知っている。あわせて、自由自在に言葉の組み合わせを使いこなしている)その能力に怖さを感じました。国語辞典と漢和辞典の読破でもしたのだろうか。
「家庭科」
しみじみしました。家庭科が得意な男子中学生野間克己(のま・かつき)くんのお話です。
最初のうちは、裁縫が苦手なお母さんの話で笑わせてくれます。女性だからといって、整理整頓家事料理が生まれながらにできるわけではありません。男子も同様です。
「数学」
急に語り手が変わります。女子の三木明日香から男子の坪田修也に変わります。
父親の転勤で卒業後は東京の難関高校に入ることを目指しているそうです。ところが、学力不足のようです。だから、東京行きをやめたらという出来事です。
それは、べつにして、この小説群の書き方は一人称ひとり語り形式です。ひとりごとをつぶやくように紙に文字を落とす。
なんのために勉強するのかという問いが出てきます。思考の仕方を学ぶのです。そして、その手法を仕事で生かすのです。
地元の優しい中学生中原君が坪田君に同情してある提案をします。中原君はいいやつです。これはこのあとの短編の伏線だろうか。
「道徳」
おもしろい。父親が女をつくって家を出て行って、母親が男を連れ込んで、その男はヒモ状態で、さらに、そのヒモ男を残して母が家を出て行ってしまった。家に残ったのは、ヒモ男と男子中学生松尾圭君のふたりだけです。
子の養育能力の低い親のもとに生まれてくると子どもは苦労します。でも、そういう親はいます。
ここまでくずしていいのだろうかとおびえを感ずるぐらいのお話のもっていきかたです。
圭君の「あまり考えない性格、資質」でなんとかこの状況をのりきっていきます。
いろんな家族があり、いろんな人間がいます。
すごいなあ。
今年読んでよかった1冊になりました。
印象深い表現として、「どんなに絶望的な状況でも息ができるならまだまだ大丈夫だ」 「日常なんて一瞬で奪われる。誰しも己の隣に大きな闇がぽっかりと口を開けている」
さきほどの「数学」で出ていた中原君登場です。
母親が再登場しなかったらという仮定でその先を考えてみました。やはり、松尾圭くんは、児童相談所送りで話が続いていくのでしょう。
しかし、うまいなあ。
「昼休み」
友だちがいない図書委員の山下さんという女子中学生です。彼女の両親にも友だちがいません。友だちがいないから、文学少女を演じています。
彼女の思考の中身が的確で感心します。表現があまりにもうますぎて、うーむ、どうかなという気分にさせられるぐらいうまいです。
小説ではなく、エッセイではなかろうかという部分もあります。
孤独な彼女を中原君が友だち扱いしてくれた。
中原君はいいやつです。
「体育」
このパート部分はとても長い。全体284ページのうちの104ページもあります。
昔からある中学校生活に対する不満などの生徒の気持ちが書かれています。運動音痴の生徒が体育嫌いなことです。
競争社会ですから、学生でなくなった後も社会に出れば「競争」はつきまといます。
体育以外のこともふくめてですが、小学校・中学校のときは、理屈抜きで指示されたことはやっておいたほうがいい。小中学校の時は、細かいことにこだわらず、がんこにならず、なんでも広く浅くひととおり体験しておきたい。食わず嫌いにならないようにしましょう。(味も知らないのに嫌いだと決め込む)やってみると案外自分に向いていたりもするのです。
高齢者福祉の話がからんできます。つくり方がうまい。伏線、つなぎがうまくいっています。星野茜(中学2年生、体育が苦手、でも背は高い、美術部)のおじいさん88歳が病気で亡くなりそうです。おじいさんの話はそのとおりで、どうして14歳の人がここまで書けるのか不思議です。30代の頃にビュンビュン動いていた体は、50代からは動かなくなります。老いて初めて知ることです。そして、だれもが老います。若い時はそのことに気づけません。
人生で一番いい時代は、過ぎてからわかるというのも説得力があります。物事には「対極がある」ということも同様です。
後半まで来て、前半の「道徳」に出ていた母親のヒモ男の言葉が浮かび上がります。「息をしていれば大丈夫」
記述は、ユーモラスです。楽しみました。
うーん。うますぎる。これから先の作者がどうなるのか楽しみがありますが、不安でもあります。
調べた単語などとして、「禁忌:きんき。禁止する」、「呵責:かしゃく。自分を責める」、「一縷の望み:一本の糸。わずかな」、「ライラックの木:紫色の花を咲かせる落葉樹。星野茜の中学の社会科教師だったおじいさんはライラックの木をリラ(フランス語)とよぶ」、「トリュフ風チョコ:球形のチョコ」、「マラソン大会のエイド:補給施設の水分、食べ物」、「インナーマッスル:深層筋肉。反対語がアウターマッスル」、「明鏡止水:めいきょうしすい:澄みきって落ち着いた心」、「ビヨンド:枠を越えた向こう側」、「徒花:あだばな、咲いても実を結ばずに散る花」、「胸の裡:むねのうち。心の中」、「芥子粒:けしつぶ、ケシのつぶ、極めて小さい、0.5mm以下」
よかった表現などとして、「デッドゾーン、そして、セカンドウィンド」、「頑張りきった人はついには、『抜け殻』になる」、「売れる小説家は性格がひねくれているというような表現」、「小説家になることが目標ではなく、小説を書くことが目標である」
奇跡の中学生作家、青春群像小説という謳い(強調、宣伝)文句です。
科目などにあわせてつくられた短編7本です。
「国語」
ベース(下地、基礎)は、中学生作家の日常生活においてあります。
14歳とは思えないような文章作成能力に驚かされます。語彙力(ごい)が高い。(言葉をたくさん知っている。あわせて、自由自在に言葉の組み合わせを使いこなしている)その能力に怖さを感じました。国語辞典と漢和辞典の読破でもしたのだろうか。
「家庭科」
しみじみしました。家庭科が得意な男子中学生野間克己(のま・かつき)くんのお話です。
最初のうちは、裁縫が苦手なお母さんの話で笑わせてくれます。女性だからといって、整理整頓家事料理が生まれながらにできるわけではありません。男子も同様です。
「数学」
急に語り手が変わります。女子の三木明日香から男子の坪田修也に変わります。
父親の転勤で卒業後は東京の難関高校に入ることを目指しているそうです。ところが、学力不足のようです。だから、東京行きをやめたらという出来事です。
それは、べつにして、この小説群の書き方は一人称ひとり語り形式です。ひとりごとをつぶやくように紙に文字を落とす。
なんのために勉強するのかという問いが出てきます。思考の仕方を学ぶのです。そして、その手法を仕事で生かすのです。
地元の優しい中学生中原君が坪田君に同情してある提案をします。中原君はいいやつです。これはこのあとの短編の伏線だろうか。
「道徳」
おもしろい。父親が女をつくって家を出て行って、母親が男を連れ込んで、その男はヒモ状態で、さらに、そのヒモ男を残して母が家を出て行ってしまった。家に残ったのは、ヒモ男と男子中学生松尾圭君のふたりだけです。
子の養育能力の低い親のもとに生まれてくると子どもは苦労します。でも、そういう親はいます。
ここまでくずしていいのだろうかとおびえを感ずるぐらいのお話のもっていきかたです。
圭君の「あまり考えない性格、資質」でなんとかこの状況をのりきっていきます。
いろんな家族があり、いろんな人間がいます。
すごいなあ。
今年読んでよかった1冊になりました。
印象深い表現として、「どんなに絶望的な状況でも息ができるならまだまだ大丈夫だ」 「日常なんて一瞬で奪われる。誰しも己の隣に大きな闇がぽっかりと口を開けている」
さきほどの「数学」で出ていた中原君登場です。
母親が再登場しなかったらという仮定でその先を考えてみました。やはり、松尾圭くんは、児童相談所送りで話が続いていくのでしょう。
しかし、うまいなあ。
「昼休み」
友だちがいない図書委員の山下さんという女子中学生です。彼女の両親にも友だちがいません。友だちがいないから、文学少女を演じています。
彼女の思考の中身が的確で感心します。表現があまりにもうますぎて、うーむ、どうかなという気分にさせられるぐらいうまいです。
小説ではなく、エッセイではなかろうかという部分もあります。
孤独な彼女を中原君が友だち扱いしてくれた。
中原君はいいやつです。
「体育」
このパート部分はとても長い。全体284ページのうちの104ページもあります。
昔からある中学校生活に対する不満などの生徒の気持ちが書かれています。運動音痴の生徒が体育嫌いなことです。
競争社会ですから、学生でなくなった後も社会に出れば「競争」はつきまといます。
体育以外のこともふくめてですが、小学校・中学校のときは、理屈抜きで指示されたことはやっておいたほうがいい。小中学校の時は、細かいことにこだわらず、がんこにならず、なんでも広く浅くひととおり体験しておきたい。食わず嫌いにならないようにしましょう。(味も知らないのに嫌いだと決め込む)やってみると案外自分に向いていたりもするのです。
高齢者福祉の話がからんできます。つくり方がうまい。伏線、つなぎがうまくいっています。星野茜(中学2年生、体育が苦手、でも背は高い、美術部)のおじいさん88歳が病気で亡くなりそうです。おじいさんの話はそのとおりで、どうして14歳の人がここまで書けるのか不思議です。30代の頃にビュンビュン動いていた体は、50代からは動かなくなります。老いて初めて知ることです。そして、だれもが老います。若い時はそのことに気づけません。
人生で一番いい時代は、過ぎてからわかるというのも説得力があります。物事には「対極がある」ということも同様です。
後半まで来て、前半の「道徳」に出ていた母親のヒモ男の言葉が浮かび上がります。「息をしていれば大丈夫」
記述は、ユーモラスです。楽しみました。
うーん。うますぎる。これから先の作者がどうなるのか楽しみがありますが、不安でもあります。
調べた単語などとして、「禁忌:きんき。禁止する」、「呵責:かしゃく。自分を責める」、「一縷の望み:一本の糸。わずかな」、「ライラックの木:紫色の花を咲かせる落葉樹。星野茜の中学の社会科教師だったおじいさんはライラックの木をリラ(フランス語)とよぶ」、「トリュフ風チョコ:球形のチョコ」、「マラソン大会のエイド:補給施設の水分、食べ物」、「インナーマッスル:深層筋肉。反対語がアウターマッスル」、「明鏡止水:めいきょうしすい:澄みきって落ち着いた心」、「ビヨンド:枠を越えた向こう側」、「徒花:あだばな、咲いても実を結ばずに散る花」、「胸の裡:むねのうち。心の中」、「芥子粒:けしつぶ、ケシのつぶ、極めて小さい、0.5mm以下」
よかった表現などとして、「デッドゾーン、そして、セカンドウィンド」、「頑張りきった人はついには、『抜け殻』になる」、「売れる小説家は性格がひねくれているというような表現」、「小説家になることが目標ではなく、小説を書くことが目標である」
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