2019年06月21日
もうひとつの屋久島から 世界遺産の森が伝えたいこと 武田剛
もうひとつの屋久島から 世界遺産の森が伝えたいこと 武田剛(たけだ・つよし) 2019課題図書 フレーベル館
高校生だった頃の夏休みに屋久島登山を計画したことがありますが、途中で、別の山に変更して、以来、屋久島に行ったことはありません。そのときに行っておけば、いい思い出になっていたことでしょう。本格的な登山の用意をしていかないといけない場所ということをそのときに知りました。
屋久島は雨が多い。一年に365日は雨が降る。先日は屋久島で季節外れの大雨でひどい被害が出たということが、ニュースで流れていました。
縄文杉の樹齢は何千年。それは、岩盤に根をつけて、ゆっくり成長していくから。
本を読む前の知識としては、それくらいです。
前のほうにあるページを読まずに、ざーっと目を通しながらめくったあとで、本を読み始めました。最初に、屋久島の歴史書の印象が残りました。そして、屋久島は自然の宝庫です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が認めた自然遺産です。樹齢の長い屋久杉にも寿命の終わりがあると思います。もしかしたら、現代は、屋久島全体が老齢時期を迎える時代に入っているのかもしれません。
読み始めの最初は、南極や北極の話が出てきて、冒険家の人の冒険記録かと思いながら読み始めました。こういう人は結婚せず、家族をもたずに自分の夢の実現が最優先で、我が道を行くのだろうなと思って読み進めていたら、2012年夏に奥さんと5歳の娘さんがいるのに東京の仕事を辞めて屋久島に移住したとあり、びっくりしました。
奥さんとこどもさんがいまはどうされているのかわかりませんが、たいへんなご苦労をされただろうなとお察しします。言い出したらきかないだんなさんなのでしょう。ふつうは、家族のために自分の欲望をがまんします。先月、ドラマ「北の国から」のDVDを見たのですが、この本の場合は、「南の国から」というタイトルが似合います。
ドラマ同様、自分で、家を建てる場所を探して、自分と近所の人とで自宅をつくる作者です。仕事も自分で開拓します。事業者です。報道機関の仕事として、情報発信基地「屋久島支局」をつくります。鹿児島にあるテレビ局の屋久島駐在員です。また、新聞社の屋久島通信員です。
屋久島の人口は、1万3000人ぐらい。6600世帯ぐらい。発電は、豊富な雨量を活用した「水力発電」だそうです。すごいなあ。知りませんでした。屋久島だからできることなのでしょう。
江戸時代に切り倒されて放置されている「土埋木(どまいぼく)」が今も活用されていることにも驚かされました。
(つづく)
82ページまで読みました。読みながら、本の初めにあるカラー写真を見ると内容をよく理解できます。ヤクシマザルとかヤクシカ、アカウミガメ、名前のついた巨木の杉、山の最高標高は、宮之浦岳1936mもあります。海抜0mの海から空へ向かって、そそりたつような感じです。
2015年、平成27年から屋久島で著者の取材が始まります。
縄文杉の樹齢が7200年ぐらい、西暦が現在2019年ですから、紀元前が、5181年も前です。びっくりです。
30年ぐらい前は縄文杉にふれることができたそうですが、ふりかえってみれば、縄文杉だけではなく、自然を始めとして、神社仏閣も、見てふれてができた時代はそれほど大昔のことではありません。ここ数十年で規制がかかるようになったのは、おおぜいの日本人の行動範囲が広がったからでしょう。観光開発と自然保護は相反するものであり、一定の禁止事項をつくって、バランスを維持していくことがどうしても必要です。自然にとって、人間は破壊者です。
杉の巨木に神の存在を感じる。
著者は、泳ぎが苦手だそうです。意外でした。冒険家タイプなのに。旅猿というテレビ番組に出てくる岡村さんは、小柄ですが、サーフィンもダイビングも得意だし、小型船舶の操縦も免許をもっていて、番組のなかで、瀬戸内海で船を操っていました。
アカウミガメの産卵補助活動はたいへんそうです。深夜にカメの産卵に立ち会ったあと、砂を掘り返して、卵を安全な場所に埋めなおします。一回の産卵で100個ぐらいも産むのにはびっくりしました。たくさん生まれても海の魚や生き物たちのエサになってしまうのでしょう。生存競争は厳しい。5月から6月が産卵の時期だそうです。ちょうど今頃、屋久島の夜に、ウミガメさんたちは砂浜で卵を産み付けているのでしょう。
自然保護の啓発を訴える本の内容です。屋久島の価値は、杉がメインではなくて、狭い範囲内に連続して、亜熱帯から冷温帯の植物があることだそうです。
このあと、原生林伐採反対運動の話が出るようです。
(つづく)
読み終えました。
ひとつは、自然を保護するためには人間の存在が邪魔だということです。バランスが必要になります。
もうひとつは、少数意見を尊重するということです。多数決優先の民主主義では、これがなかなかむずかしい。
あとは、人間のもつ「悪」でしょうか。たとえば、屋久島の大杉がすべて伐採されたとしてもそれはそれでよし、それでしかたがないと思う人もいるのが人間です。いくら長い寿命があって価値があっても、杉は杉でしかない。人間ではない。杉自身に感情はない。あるものはいつか滅びる。そして最後には人間も滅亡してしまうのです。そのときにも、人間は、しかたがないと思うのです。その人間のおごりをいましめる意味がこの本にあります。
人間は目の前の利益のためなら、相手の命を奪うという残酷なことを平気でできる性質をもった生き物です。だから、そのことを考えるために、文学や音楽や絵画などの芸術の世界があるのだと思います。
伐採反対の歴史が熱く語られます。
人間が食べていくために、資源を売買することがあります。屋久島の場合はそれが杉でした。林業です。杉以外には、魚介類、漁業です。農業が経営として成り立つほどの平坦な土地がありません。そして、今は、観光です。観光にも自然破壊がつきまといます。トイレの記述は現実的でよかった。
島ゆえに、島から本土への杉の輸送はどうだったのかと気になりましたが、特に記述はなかったように思います。船舶で運んだのでしょう。
九州で一番高い山が屋久島の宮之浦岳(1936m)というのが、すぐにぴんとこない部分があります。島だからです。九州本土で一番高いのはどこだろう。調べました。大分県九重連山にある中岳でした。(1791m)高校生の頃に登ったことがあります。宮之浦岳のほうが、145mも高い。狭い島の形状にあって驚きです。海面から急激に標高があがっていることがわかります。
標高660mの土地に小学校があった。夏でも涼しかったことでしょう。小杉谷集落とあります。集落は、1970年(昭和45年)頃まではあったようです。
大きな杉の名称として書中から拾ってみました。「縄文杉」、「大王杉」、「紀元杉」、「ウィルソン株」、「弥生杉」、「奉行杉」、「二代くぐり杉」、「仏陀杉」、「志戸子ガジュマル」、「中間ガジュマル」、「夫婦杉」
ただ、巨木というものは、屋久島まで行かなくても身近なところにあるものです。神社の境内にあったりもします。
暮らしは法令に基づいて成立しています。1921年(大正10年)「屋久島国有林経営の大綱」(屋久島憲法)屋久杉を伐採するための決まりごと。
戦争があって、木が必要になる。戦後、高度経済成長期があって、木が必要になる。なにもかもが人間の生活優先のために破壊されていきます。お金のためならなにをしてもいいのです。それをふせぐためには、110ページに「屋久島のすべての住民を島から移住させなければ屋久島の自然を守れない」というところまできます。自然を守っても収入にはなりません。「山を守ってめしが食えるか」という記述があります。自然保護か、生活か、ともあります。
「屋久島住民の生活を守る会」が、国有林での伐採を続けることが目標の団体。おおぜいの人たちを乗せる国有のバスのようなものとたとえてあります。
「屋久島を守る会」が、全面伐採禁止を訴える団体。数人の人間。同じ守る会でも主張が正反対です。地域は、意見が分かれると二分されて、人間関係に深刻な影響を落とします。それでも、正しいことを主張していかないと共倒れになることがあります。
人間の暮らし優先のために資源を減らしていく。資源があるうちはいいけれど、なくなれば、もうそこに住めなくなるのは予想できます。遅いか早いかだけの違いです。いきつくさきは、ゆきづまりであることに変わりはありません。
本の記述は、過去の掘り起こしが続きます。
映画製作では、「お金ってなんだろう」と考えされられました。節約一筋だけでは、お金の活用にはならない。伐採反対映画制作のために寄付のようにお金が集まります。飛行機で事故死されたカントリーウェスタンの歌手ジョンデンバーさんから曲の提供という援助の手が差し伸べられています。
伐採に対して積極的だった国側の意見も聴きたいのですが、聴いても本音は出てこないのでしょう。屋久杉が全部なくなってもかまわないと思っていたのでしょう。そのときは、そのとき。しょせん杉だと思っていたのでしょう。
最後に、
観光気分で登れるような山ではない。
山にとっては、「人間」が災害
高校生だった頃の夏休みに屋久島登山を計画したことがありますが、途中で、別の山に変更して、以来、屋久島に行ったことはありません。そのときに行っておけば、いい思い出になっていたことでしょう。本格的な登山の用意をしていかないといけない場所ということをそのときに知りました。
屋久島は雨が多い。一年に365日は雨が降る。先日は屋久島で季節外れの大雨でひどい被害が出たということが、ニュースで流れていました。
縄文杉の樹齢は何千年。それは、岩盤に根をつけて、ゆっくり成長していくから。
本を読む前の知識としては、それくらいです。
前のほうにあるページを読まずに、ざーっと目を通しながらめくったあとで、本を読み始めました。最初に、屋久島の歴史書の印象が残りました。そして、屋久島は自然の宝庫です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が認めた自然遺産です。樹齢の長い屋久杉にも寿命の終わりがあると思います。もしかしたら、現代は、屋久島全体が老齢時期を迎える時代に入っているのかもしれません。
読み始めの最初は、南極や北極の話が出てきて、冒険家の人の冒険記録かと思いながら読み始めました。こういう人は結婚せず、家族をもたずに自分の夢の実現が最優先で、我が道を行くのだろうなと思って読み進めていたら、2012年夏に奥さんと5歳の娘さんがいるのに東京の仕事を辞めて屋久島に移住したとあり、びっくりしました。
奥さんとこどもさんがいまはどうされているのかわかりませんが、たいへんなご苦労をされただろうなとお察しします。言い出したらきかないだんなさんなのでしょう。ふつうは、家族のために自分の欲望をがまんします。先月、ドラマ「北の国から」のDVDを見たのですが、この本の場合は、「南の国から」というタイトルが似合います。
ドラマ同様、自分で、家を建てる場所を探して、自分と近所の人とで自宅をつくる作者です。仕事も自分で開拓します。事業者です。報道機関の仕事として、情報発信基地「屋久島支局」をつくります。鹿児島にあるテレビ局の屋久島駐在員です。また、新聞社の屋久島通信員です。
屋久島の人口は、1万3000人ぐらい。6600世帯ぐらい。発電は、豊富な雨量を活用した「水力発電」だそうです。すごいなあ。知りませんでした。屋久島だからできることなのでしょう。
江戸時代に切り倒されて放置されている「土埋木(どまいぼく)」が今も活用されていることにも驚かされました。
(つづく)
82ページまで読みました。読みながら、本の初めにあるカラー写真を見ると内容をよく理解できます。ヤクシマザルとかヤクシカ、アカウミガメ、名前のついた巨木の杉、山の最高標高は、宮之浦岳1936mもあります。海抜0mの海から空へ向かって、そそりたつような感じです。
2015年、平成27年から屋久島で著者の取材が始まります。
縄文杉の樹齢が7200年ぐらい、西暦が現在2019年ですから、紀元前が、5181年も前です。びっくりです。
30年ぐらい前は縄文杉にふれることができたそうですが、ふりかえってみれば、縄文杉だけではなく、自然を始めとして、神社仏閣も、見てふれてができた時代はそれほど大昔のことではありません。ここ数十年で規制がかかるようになったのは、おおぜいの日本人の行動範囲が広がったからでしょう。観光開発と自然保護は相反するものであり、一定の禁止事項をつくって、バランスを維持していくことがどうしても必要です。自然にとって、人間は破壊者です。
杉の巨木に神の存在を感じる。
著者は、泳ぎが苦手だそうです。意外でした。冒険家タイプなのに。旅猿というテレビ番組に出てくる岡村さんは、小柄ですが、サーフィンもダイビングも得意だし、小型船舶の操縦も免許をもっていて、番組のなかで、瀬戸内海で船を操っていました。
アカウミガメの産卵補助活動はたいへんそうです。深夜にカメの産卵に立ち会ったあと、砂を掘り返して、卵を安全な場所に埋めなおします。一回の産卵で100個ぐらいも産むのにはびっくりしました。たくさん生まれても海の魚や生き物たちのエサになってしまうのでしょう。生存競争は厳しい。5月から6月が産卵の時期だそうです。ちょうど今頃、屋久島の夜に、ウミガメさんたちは砂浜で卵を産み付けているのでしょう。
自然保護の啓発を訴える本の内容です。屋久島の価値は、杉がメインではなくて、狭い範囲内に連続して、亜熱帯から冷温帯の植物があることだそうです。
このあと、原生林伐採反対運動の話が出るようです。
(つづく)
読み終えました。
ひとつは、自然を保護するためには人間の存在が邪魔だということです。バランスが必要になります。
もうひとつは、少数意見を尊重するということです。多数決優先の民主主義では、これがなかなかむずかしい。
あとは、人間のもつ「悪」でしょうか。たとえば、屋久島の大杉がすべて伐採されたとしてもそれはそれでよし、それでしかたがないと思う人もいるのが人間です。いくら長い寿命があって価値があっても、杉は杉でしかない。人間ではない。杉自身に感情はない。あるものはいつか滅びる。そして最後には人間も滅亡してしまうのです。そのときにも、人間は、しかたがないと思うのです。その人間のおごりをいましめる意味がこの本にあります。
人間は目の前の利益のためなら、相手の命を奪うという残酷なことを平気でできる性質をもった生き物です。だから、そのことを考えるために、文学や音楽や絵画などの芸術の世界があるのだと思います。
伐採反対の歴史が熱く語られます。
人間が食べていくために、資源を売買することがあります。屋久島の場合はそれが杉でした。林業です。杉以外には、魚介類、漁業です。農業が経営として成り立つほどの平坦な土地がありません。そして、今は、観光です。観光にも自然破壊がつきまといます。トイレの記述は現実的でよかった。
島ゆえに、島から本土への杉の輸送はどうだったのかと気になりましたが、特に記述はなかったように思います。船舶で運んだのでしょう。
九州で一番高い山が屋久島の宮之浦岳(1936m)というのが、すぐにぴんとこない部分があります。島だからです。九州本土で一番高いのはどこだろう。調べました。大分県九重連山にある中岳でした。(1791m)高校生の頃に登ったことがあります。宮之浦岳のほうが、145mも高い。狭い島の形状にあって驚きです。海面から急激に標高があがっていることがわかります。
標高660mの土地に小学校があった。夏でも涼しかったことでしょう。小杉谷集落とあります。集落は、1970年(昭和45年)頃まではあったようです。
大きな杉の名称として書中から拾ってみました。「縄文杉」、「大王杉」、「紀元杉」、「ウィルソン株」、「弥生杉」、「奉行杉」、「二代くぐり杉」、「仏陀杉」、「志戸子ガジュマル」、「中間ガジュマル」、「夫婦杉」
ただ、巨木というものは、屋久島まで行かなくても身近なところにあるものです。神社の境内にあったりもします。
暮らしは法令に基づいて成立しています。1921年(大正10年)「屋久島国有林経営の大綱」(屋久島憲法)屋久杉を伐採するための決まりごと。
戦争があって、木が必要になる。戦後、高度経済成長期があって、木が必要になる。なにもかもが人間の生活優先のために破壊されていきます。お金のためならなにをしてもいいのです。それをふせぐためには、110ページに「屋久島のすべての住民を島から移住させなければ屋久島の自然を守れない」というところまできます。自然を守っても収入にはなりません。「山を守ってめしが食えるか」という記述があります。自然保護か、生活か、ともあります。
「屋久島住民の生活を守る会」が、国有林での伐採を続けることが目標の団体。おおぜいの人たちを乗せる国有のバスのようなものとたとえてあります。
「屋久島を守る会」が、全面伐採禁止を訴える団体。数人の人間。同じ守る会でも主張が正反対です。地域は、意見が分かれると二分されて、人間関係に深刻な影響を落とします。それでも、正しいことを主張していかないと共倒れになることがあります。
人間の暮らし優先のために資源を減らしていく。資源があるうちはいいけれど、なくなれば、もうそこに住めなくなるのは予想できます。遅いか早いかだけの違いです。いきつくさきは、ゆきづまりであることに変わりはありません。
本の記述は、過去の掘り起こしが続きます。
映画製作では、「お金ってなんだろう」と考えされられました。節約一筋だけでは、お金の活用にはならない。伐採反対映画制作のために寄付のようにお金が集まります。飛行機で事故死されたカントリーウェスタンの歌手ジョンデンバーさんから曲の提供という援助の手が差し伸べられています。
伐採に対して積極的だった国側の意見も聴きたいのですが、聴いても本音は出てこないのでしょう。屋久杉が全部なくなってもかまわないと思っていたのでしょう。そのときは、そのとき。しょせん杉だと思っていたのでしょう。
最後に、
観光気分で登れるような山ではない。
山にとっては、「人間」が災害
この記事へのトラックバックURL
http://kumataro.mediacat-blog.jp/t135071
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません