2019年05月27日
サイド・トラック 走るのニガテなぼくのランニング日記
サイド・トラック 走るのニガテなぼくのランニング日記 ダイアナ・ハーモン・アシャー 2019課題図書 評論社
タイトルで、どうして、「メイン・トラック」じゃないのだろうかという疑問から始まりました。SIDETRACKED(わきへそらされた:クエスチョンです。タイトルの意図するところは、読み終えてもよくわかりません)
全体で344ページのうちの153ページまで読んだところで、感想を書き始めます。アメリカ合衆国の女性作家の作品です。
たくさんの生徒の名前、先生の名前が出てくるので、メモを始めましたが、あまりにもいっぱいなので、少々いい加減な調子でメモをしています。
主人公の名前が、ジョセフ・フリードマン(ニックネームはジョーイ)で、物語は彼の一人称、ひとり語りで進行していきます。彼がたぶん好きなのが、ヘザーという名前のメイン州チェリーフィールドから転校してきた女子で、身長180cmのスポーツウーマンです。
ふたりは、レイクビュー中学校の7年生なので、日本では中学1年生です。ふたりともこれから陸上チームで活躍するようです。
トラック競技とクロスカントリー競技です。7年生の陸上部員は、男5人、女5人です。男子が、サンジット(学習障害教室)、サミー・スモール(学習障害に近い)、ウェス、マーク、そこにジョセフが加わって5人。ジョセフは10人目の人間と言われます。チームを組むには10人が必要です。
女子が、ヘザー、エリカ、ビクトリア、テレサ、ブリアンヌ。
監督はT先生。
タイトル通り、「走る物語」です。文章が流れるリズムは、タイトルどおりで、まるで駆けているようで気持ちがいい。読んでいると自分も走りたくなるし、軽やかに走れそうな気分になります。来年の東京オリンピックもイメージできます。
先生の名前が、T先生(タイテルバウム先生。陽気な女性。夫、飼い犬2頭ジョージとリンゴ)、チャーリー・カストナー先生、ダニエル・サイミントン先生(学校月間新聞インクつぼの担当)、エルデナンス先生(社会の先生)、フィッシュバイン先生(学校図書館の司書。退職予定。詩人タイプ。のちのち主人公ジョセフの祖父の恋人のようなおともだちになる)、ラベル先生(フランス語担当)
たいしたもんだという人物が、主人公ジョセフ・フリードマンの母方おじいちゃんでシャツキス79歳、高齢者住宅シニアレジデンスひだまりの里に嫌気がさして逃げ出します。
このおじいさんがけっこうおもしろい。こういうおじいさんでありたい。ジョセフが、「自分がバカじゃないかとよく思う」それに対しておじいさんが、「オレもまったく同じだ」。ジョセフの愚痴を聞いて、「昔はもっとひどかった。昔よりもマシ」という主旨のアドバイス。高齢者住宅の職員に対して、「よけいなお世話だ。年のとり方のルールを押し付けるのはやめてくれ」という主旨の発言。「おじいちゃんでもノートパソコンをもっている。バカにするな」という主張。高齢者住宅で嫌いな奴らとして、「元弁護士、昔の仕事自慢をする民間会社元社員。同じ話を何度もする奴」、「おれは、ネットサーフィンをしてくる」
ジョセフの家族が、父親マット(歯科医が使う機器販売会社のセールスマン)、母親シーラ(インテリア雑貨店ア・ラ・メゾン ホームキッチン)、
物語は、男女混合のサッカーシーンから始まりました。女子なれど、身長180cmのヘザーが、高い運動能力を披露します。
突然、主人公ジョセフが障害者という記述が出ます。LD(ラーニングディファレンス。学び方の違い。以前は学習障害)。LDの子たちを集めたクラスが「通級指導教室」とあります。彼にとっては、中学校生活が、スペインの牛追い祭りに少し似ているそうです。牛に追いかけられるお祭りです。なんとなくジョセフが言う雰囲気はわかります。
気にかかったこととして、「(英語の)筆記体はもうやらない」、「1876年メルヴィル・デューイの図書を分類する方法(今ではもう古い方法というような雰囲気の記述)」、とかく、いまどきは、手抜きを効率化と呼ぶようになったので、人間の処理能力が下がります。
(つづく)
中学1年生の青春物語になるようです。若い。
他人との比較ではなくて、自己ベストの更新を目指すのが、クロスカントリー。
ジョセフは性格が弱弱しい。体はガリガリだそうですが、読んでいると、だんだん優秀なマラソンランナーに育っていくような気配が出てきました。彼が目標を立てました。マラソンランナーになるのです。(でも、ランナーとしての期待したほどの活躍はありませんでした)
感動的な文節などとして、「ここにぼくの居場所があるかも」、「(主人公ジョセフ)ぼくはユダヤ人」、「順位よりも完走したことを讃える表現。人生に試練はつきものだから克服していきましょうという雰囲気」、「どんな場合でも自分が想定してない何かが起こる」、「(シンプルなメッセージとして)やめないということがぼくの永遠の目標になる」、「よけてばかりいないで(これがタイトルのサイド・トラックにつながるのかも)、反撃すればいい(攻めてばかりいるトランプ大統領を思い出しました)」、「なにかがうまくいかなかったあとには、すばらしいことがおこる」、「勝つのは好きだけど、でも、ほかにも大事なものがある。今日は3位で納得している」、「完走することが目標だから、全力疾走はしない」
ジョセフは心配リストをつくるのですが、この先のことを心配してもしょうがないのです。何かの映画のシーンで俳優さんが言っていました。「なにが起こるかは問題じゃない。何が起こっても動じない強い心臓をもち、問題を解決できる高い能力を身に付けるよう日々努力を積み重ねていくんだ」
長身の彼女ヘザーに母親がいないという話が出てきます。死別か精神病院に入院中と思いましたが、仕事で、研究職でハワイに行ってしまって帰って来ないという設定でした。うーむ。生きていいて、互いに良好に連絡がとれていればいいような気がします。
新世界をのぞいて、入って行く、若い人たちの生き生きとした様子がえがかれていました。なかなかいい作品です。今年読んで良かった1冊です。物語を読むっていいなといういい気分にひたりました。
仲間がいるのもいいけれど、ひとりでいるのもいいと思います。ひとそれぞれということで、自分は自分、人は人として考えると気楽になれます。
レースというのは、自分自身との戦い。人生もまた同じ。他の人との比較は意味がない。人と違ってあたりまえ。そういう物語だったと理解して、納得がいきました。
調べたことなどとして、「ステファニー・ブラウン・トラフトン:アメリカ合衆国の陸上競技選手。2008年北京オリンピックの女子円盤投げ金メダリスト193cm95kg」、「ジャマッペ・ジョセフ:フランス語のあいさつのようですが、意味はわかりません」、「クロスカントリー:野原、丘陵、森林を走る長距離走。本書中では2400mぐらい」、「シーザーズ:ホテル」、「XC:クロスカントリー」、「植物相:特定の地域に生育する植物の種類」
タイトルで、どうして、「メイン・トラック」じゃないのだろうかという疑問から始まりました。SIDETRACKED(わきへそらされた:クエスチョンです。タイトルの意図するところは、読み終えてもよくわかりません)
全体で344ページのうちの153ページまで読んだところで、感想を書き始めます。アメリカ合衆国の女性作家の作品です。
たくさんの生徒の名前、先生の名前が出てくるので、メモを始めましたが、あまりにもいっぱいなので、少々いい加減な調子でメモをしています。
主人公の名前が、ジョセフ・フリードマン(ニックネームはジョーイ)で、物語は彼の一人称、ひとり語りで進行していきます。彼がたぶん好きなのが、ヘザーという名前のメイン州チェリーフィールドから転校してきた女子で、身長180cmのスポーツウーマンです。
ふたりは、レイクビュー中学校の7年生なので、日本では中学1年生です。ふたりともこれから陸上チームで活躍するようです。
トラック競技とクロスカントリー競技です。7年生の陸上部員は、男5人、女5人です。男子が、サンジット(学習障害教室)、サミー・スモール(学習障害に近い)、ウェス、マーク、そこにジョセフが加わって5人。ジョセフは10人目の人間と言われます。チームを組むには10人が必要です。
女子が、ヘザー、エリカ、ビクトリア、テレサ、ブリアンヌ。
監督はT先生。
タイトル通り、「走る物語」です。文章が流れるリズムは、タイトルどおりで、まるで駆けているようで気持ちがいい。読んでいると自分も走りたくなるし、軽やかに走れそうな気分になります。来年の東京オリンピックもイメージできます。
先生の名前が、T先生(タイテルバウム先生。陽気な女性。夫、飼い犬2頭ジョージとリンゴ)、チャーリー・カストナー先生、ダニエル・サイミントン先生(学校月間新聞インクつぼの担当)、エルデナンス先生(社会の先生)、フィッシュバイン先生(学校図書館の司書。退職予定。詩人タイプ。のちのち主人公ジョセフの祖父の恋人のようなおともだちになる)、ラベル先生(フランス語担当)
たいしたもんだという人物が、主人公ジョセフ・フリードマンの母方おじいちゃんでシャツキス79歳、高齢者住宅シニアレジデンスひだまりの里に嫌気がさして逃げ出します。
このおじいさんがけっこうおもしろい。こういうおじいさんでありたい。ジョセフが、「自分がバカじゃないかとよく思う」それに対しておじいさんが、「オレもまったく同じだ」。ジョセフの愚痴を聞いて、「昔はもっとひどかった。昔よりもマシ」という主旨のアドバイス。高齢者住宅の職員に対して、「よけいなお世話だ。年のとり方のルールを押し付けるのはやめてくれ」という主旨の発言。「おじいちゃんでもノートパソコンをもっている。バカにするな」という主張。高齢者住宅で嫌いな奴らとして、「元弁護士、昔の仕事自慢をする民間会社元社員。同じ話を何度もする奴」、「おれは、ネットサーフィンをしてくる」
ジョセフの家族が、父親マット(歯科医が使う機器販売会社のセールスマン)、母親シーラ(インテリア雑貨店ア・ラ・メゾン ホームキッチン)、
物語は、男女混合のサッカーシーンから始まりました。女子なれど、身長180cmのヘザーが、高い運動能力を披露します。
突然、主人公ジョセフが障害者という記述が出ます。LD(ラーニングディファレンス。学び方の違い。以前は学習障害)。LDの子たちを集めたクラスが「通級指導教室」とあります。彼にとっては、中学校生活が、スペインの牛追い祭りに少し似ているそうです。牛に追いかけられるお祭りです。なんとなくジョセフが言う雰囲気はわかります。
気にかかったこととして、「(英語の)筆記体はもうやらない」、「1876年メルヴィル・デューイの図書を分類する方法(今ではもう古い方法というような雰囲気の記述)」、とかく、いまどきは、手抜きを効率化と呼ぶようになったので、人間の処理能力が下がります。
(つづく)
中学1年生の青春物語になるようです。若い。
他人との比較ではなくて、自己ベストの更新を目指すのが、クロスカントリー。
ジョセフは性格が弱弱しい。体はガリガリだそうですが、読んでいると、だんだん優秀なマラソンランナーに育っていくような気配が出てきました。彼が目標を立てました。マラソンランナーになるのです。(でも、ランナーとしての期待したほどの活躍はありませんでした)
感動的な文節などとして、「ここにぼくの居場所があるかも」、「(主人公ジョセフ)ぼくはユダヤ人」、「順位よりも完走したことを讃える表現。人生に試練はつきものだから克服していきましょうという雰囲気」、「どんな場合でも自分が想定してない何かが起こる」、「(シンプルなメッセージとして)やめないということがぼくの永遠の目標になる」、「よけてばかりいないで(これがタイトルのサイド・トラックにつながるのかも)、反撃すればいい(攻めてばかりいるトランプ大統領を思い出しました)」、「なにかがうまくいかなかったあとには、すばらしいことがおこる」、「勝つのは好きだけど、でも、ほかにも大事なものがある。今日は3位で納得している」、「完走することが目標だから、全力疾走はしない」
ジョセフは心配リストをつくるのですが、この先のことを心配してもしょうがないのです。何かの映画のシーンで俳優さんが言っていました。「なにが起こるかは問題じゃない。何が起こっても動じない強い心臓をもち、問題を解決できる高い能力を身に付けるよう日々努力を積み重ねていくんだ」
長身の彼女ヘザーに母親がいないという話が出てきます。死別か精神病院に入院中と思いましたが、仕事で、研究職でハワイに行ってしまって帰って来ないという設定でした。うーむ。生きていいて、互いに良好に連絡がとれていればいいような気がします。
新世界をのぞいて、入って行く、若い人たちの生き生きとした様子がえがかれていました。なかなかいい作品です。今年読んで良かった1冊です。物語を読むっていいなといういい気分にひたりました。
仲間がいるのもいいけれど、ひとりでいるのもいいと思います。ひとそれぞれということで、自分は自分、人は人として考えると気楽になれます。
レースというのは、自分自身との戦い。人生もまた同じ。他の人との比較は意味がない。人と違ってあたりまえ。そういう物語だったと理解して、納得がいきました。
調べたことなどとして、「ステファニー・ブラウン・トラフトン:アメリカ合衆国の陸上競技選手。2008年北京オリンピックの女子円盤投げ金メダリスト193cm95kg」、「ジャマッペ・ジョセフ:フランス語のあいさつのようですが、意味はわかりません」、「クロスカントリー:野原、丘陵、森林を走る長距離走。本書中では2400mぐらい」、「シーザーズ:ホテル」、「XC:クロスカントリー」、「植物相:特定の地域に生育する植物の種類」
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