2018年03月24日
そしてバトンはわたされた 瀬尾まいこ
そしてバトンはわたされた 瀬尾まいこ 文藝春秋
ややこしいお話です。
主人公は、「優子」 という女性で、今は、17歳高校2年です。
名前は、「優子」 ひとつですが、苗字が、転々と変わっています。
実父が、水戸秀平、実母は、優子が3歳のときに交通事故死しています。水戸秀平は、田中梨花(秀平より8歳年下)と再婚します。この時点で、「水戸優子」 です。
その後、水戸秀平と梨花は離婚して、水戸秀平は海外赴任でブラジルへ単身行ってしまいます。そこで、どういうわけか、田中梨花が優子を引き取って、(養女かもしれない。) 優子は、水戸優子から田中優子(梨花が旧姓に戻る。) になっています。実父は、育児を放棄しています。親の勝手です。仕事より家族を優先して選択すべきです。仕事最優先の人は家族をつくることはあきらめたほうがいい。
そのあと、まだ、169ページ付近を読んでいるのですが、田中梨花は、泉ケ原という男性と結婚するようで、その時点で、「泉ケ原優子」 になります。さらに、「森宮優子」 になるわけですが、理由はまだ読んでいないのでわかりません。
苗字が、「水戸」 → 「田中」 → 「泉ケ原」 → 「森宮」 と変わります。
実父が「水戸秀平」、継父が、「泉ケ原なんとかさん」 、同じく継父が、「森宮しゅう(東大卒民間会社課長職)」
実母が、「水戸なんとかさん」、継母が、「(森宮・田中・泉ケ原)梨花」、
父親が3人、母親が2人とあります。家族の形態が、17年間で、7回変化した。
読んでいて、奇異な設定をしすぎではないだろうかと。
最初の1ページで、「かつ丼、ドリア、オムライス、ハンバーグ、オムレツ、バター、牛肉、卵」 と、大量の料理と食材の記事が登場します。そういえば、同作者の作品を以前読んだことがあります。「ぼくらのごはんは明日で待っている」 でした。食べ物作家さんです。
悩み事がない(親がいないことは悩みの原因にはならない。) から始まります。
学校小説です。おとなになった今思うことは、学校生活から得るものはないということです。
他人と暮らしているのに、「家族」 とするのか。読んでいて、つらくなる出だしですし、その後も暗い雰囲気は続きます。
こうであるといいなという理想が書いてあるのか。心情は、女子向きの小説です。
お金がないほうが、人間は強くなれる。
母なし、父なしの暮らしはせつない。
構成として、手作り感があります。第1章が281ページまで。第2章が372ページまで。ふたつの章の分量がかなり違います。それから、第2章は、セリフの連続です。台本のようになります。まだ、読んでいないので、どのような読後感をもつか楽しみです。
(つづく)
ピアノをどうして優子は弾けるのか。 この暮らしのどこで、3年間もピアノ弾きに没頭できたのか。
第1章を読み終えました。本作品は、高校生向けの課題図書(読書感想文)になるのではないかという予感をもちました。あたるかどうか、わかりません。高校教室モノで、ピアノが出てきて、合唱で、合唱コンクールの様相が出てきます。
お金があって、大きな家があって、温厚な人たちが家族で、それでも、ストレスがたまる。堅苦しくて、楽しくない。
言いたいことを言い合えるのが家族。
「退屈すぎて死にそう」 と泉ケ原梨花さんは嘆きます。
「(実の父親は女子高生にとって) 不潔で、厄介」 そうでしょう。
森宮壮介35歳を優子15歳が、「おとうさん」と呼ぶことはできない。
うーむ。こういう設定って、成立するのかなあ。続けて、第2章を読みます。
(つづく)
第2章を、つまりは全部を読み終えました。
実父というものは、娘が、どんな男を連れて来ても、結婚相手として、だめだとは言えませんし、言いません。それが、愛情です。ですので、この物語の場合、そうではないのは、実父ではないからと解釈します。
2章全体が、過去の振り返り記述になります。どうなのかと疑問をもちました。現在進行形が記述の基本ではなかろうか。
この作品の評価は賛否両論に分かれるでしょう。
良かった表現の主旨として、「(女性として)自分を見せることにうまくなる。」、「消しゴム話し(実用だけでなく、おしゃれを追求する。)」、「女子は笑えば3割、可愛く見える。」、「(他人と暮らすことで) おじいちゃん、おばあちゃんと疎遠になる。」、「泣いている場合じゃない。」、「曇りのない正確な音」
調べた単語として、「大地讃頌:合唱曲。だいちさんしょう」、「スフレ:菓子、料理。ふわーとした円柱型の固まり。卵白の泡立ち」
ややこしいお話です。
主人公は、「優子」 という女性で、今は、17歳高校2年です。
名前は、「優子」 ひとつですが、苗字が、転々と変わっています。
実父が、水戸秀平、実母は、優子が3歳のときに交通事故死しています。水戸秀平は、田中梨花(秀平より8歳年下)と再婚します。この時点で、「水戸優子」 です。
その後、水戸秀平と梨花は離婚して、水戸秀平は海外赴任でブラジルへ単身行ってしまいます。そこで、どういうわけか、田中梨花が優子を引き取って、(養女かもしれない。) 優子は、水戸優子から田中優子(梨花が旧姓に戻る。) になっています。実父は、育児を放棄しています。親の勝手です。仕事より家族を優先して選択すべきです。仕事最優先の人は家族をつくることはあきらめたほうがいい。
そのあと、まだ、169ページ付近を読んでいるのですが、田中梨花は、泉ケ原という男性と結婚するようで、その時点で、「泉ケ原優子」 になります。さらに、「森宮優子」 になるわけですが、理由はまだ読んでいないのでわかりません。
苗字が、「水戸」 → 「田中」 → 「泉ケ原」 → 「森宮」 と変わります。
実父が「水戸秀平」、継父が、「泉ケ原なんとかさん」 、同じく継父が、「森宮しゅう(東大卒民間会社課長職)」
実母が、「水戸なんとかさん」、継母が、「(森宮・田中・泉ケ原)梨花」、
父親が3人、母親が2人とあります。家族の形態が、17年間で、7回変化した。
読んでいて、奇異な設定をしすぎではないだろうかと。
最初の1ページで、「かつ丼、ドリア、オムライス、ハンバーグ、オムレツ、バター、牛肉、卵」 と、大量の料理と食材の記事が登場します。そういえば、同作者の作品を以前読んだことがあります。「ぼくらのごはんは明日で待っている」 でした。食べ物作家さんです。
悩み事がない(親がいないことは悩みの原因にはならない。) から始まります。
学校小説です。おとなになった今思うことは、学校生活から得るものはないということです。
他人と暮らしているのに、「家族」 とするのか。読んでいて、つらくなる出だしですし、その後も暗い雰囲気は続きます。
こうであるといいなという理想が書いてあるのか。心情は、女子向きの小説です。
お金がないほうが、人間は強くなれる。
母なし、父なしの暮らしはせつない。
構成として、手作り感があります。第1章が281ページまで。第2章が372ページまで。ふたつの章の分量がかなり違います。それから、第2章は、セリフの連続です。台本のようになります。まだ、読んでいないので、どのような読後感をもつか楽しみです。
(つづく)
ピアノをどうして優子は弾けるのか。 この暮らしのどこで、3年間もピアノ弾きに没頭できたのか。
第1章を読み終えました。本作品は、高校生向けの課題図書(読書感想文)になるのではないかという予感をもちました。あたるかどうか、わかりません。高校教室モノで、ピアノが出てきて、合唱で、合唱コンクールの様相が出てきます。
お金があって、大きな家があって、温厚な人たちが家族で、それでも、ストレスがたまる。堅苦しくて、楽しくない。
言いたいことを言い合えるのが家族。
「退屈すぎて死にそう」 と泉ケ原梨花さんは嘆きます。
「(実の父親は女子高生にとって) 不潔で、厄介」 そうでしょう。
森宮壮介35歳を優子15歳が、「おとうさん」と呼ぶことはできない。
うーむ。こういう設定って、成立するのかなあ。続けて、第2章を読みます。
(つづく)
第2章を、つまりは全部を読み終えました。
実父というものは、娘が、どんな男を連れて来ても、結婚相手として、だめだとは言えませんし、言いません。それが、愛情です。ですので、この物語の場合、そうではないのは、実父ではないからと解釈します。
2章全体が、過去の振り返り記述になります。どうなのかと疑問をもちました。現在進行形が記述の基本ではなかろうか。
この作品の評価は賛否両論に分かれるでしょう。
良かった表現の主旨として、「(女性として)自分を見せることにうまくなる。」、「消しゴム話し(実用だけでなく、おしゃれを追求する。)」、「女子は笑えば3割、可愛く見える。」、「(他人と暮らすことで) おじいちゃん、おばあちゃんと疎遠になる。」、「泣いている場合じゃない。」、「曇りのない正確な音」
調べた単語として、「大地讃頌:合唱曲。だいちさんしょう」、「スフレ:菓子、料理。ふわーとした円柱型の固まり。卵白の泡立ち」
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