2024年10月27日
赤と青のガウン 彬子女王(あきこじょうおう)
赤と青のガウン オックスフォード留学記 彬子女王(あきこじょうおう) PHP文庫
(月刊誌『Voice』でのエッセイ掲載期間は、2012年(平成24年)4月号~2014年(平成26年)5月号まで。タイトルは、『オックスフォード留学記-中世の街に学んで』だった。単行本は、2015年(平成27年)に発行されています。2024年(令和6年)の文庫化にあたって、加筆後再編集されています)
テレビ番組、『徹子の部屋』にゲストとして出られて、本を出していると聞いたので、取り寄せて読んでみました。
皇族の方が書いた本です。
彬子女王(あきこじょうおう):1981年(昭和56年)生まれ。学習院大学卒業後、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。大正天皇のひ孫。父親は、寛仁親王(ひろひとしんのう。2012年(平成24年)66歳没。大正天皇の孫。愛称『ヒゲの殿下(ひげのでんか)』)。
最初の留学が、20歳の時、2001年(平成13年)9月から1年間留学した。2回目が、学習院大学卒業後の2004年(平成16年)からオックスフォード大学の大学院に入学して、2010年(平成22年)1月に博士課程を修了した。
ざっと目を通して、たくさんの文章を書く方だとお見受けしました。(63ページに、オックスフォード大学で、たくさんのエッセイ(小論文)を書いたと記事があります)
タイトルにある、『赤と青のガウン』は、入学するとまず黒一色のガウンを着る。博士号を授与されると赤と青のガウンを着るそうです。学位(がくい。学びを修めた(おさめた)者に対する称号)によってガウンの色が違う。
皇族の一員として、『自由』が制限された立場でお生まれになった方です。
『役割』を果たすために、『自由』が制限されているのです。
ちょっと、『役割』について書いてみます。わたしは、人はだれしも、人間社会において、なにがしかの役割を与えられて、この世に生まれてくると思っています。
先日、高齢となった親族のお見舞いに九州福岡県まで行って来たのですが、『(人の)役割』について考えさせられました。
初回は、7月に病院に入院した時にお見舞いに行ったのですが、そのときは、意識がはっきりしていて、きちんと受け答えができていました。
その後、病院から施設に移って、9月に施設へ面会に行ったのですが、なにかしら変なのです。喜怒哀楽の表情が薄くなって、意識がぼんやりとしていました。人の固有名詞である名前が、口から出てきませんでした。
同行の妻が、『役割』がなくなったからだと解説してくれました。不自由な体であっても、衣食住の毎日の生活を自分の力で送っていれば、自分の『役割』がある。
人間は自分に、社会的な『役割』、家族の中での『役割』があるときは、しっかりしなきゃという自意識がある。
ところが、施設に入ると、まわりにいる人たちが自分の身の回りのことをやってくれる。本人はただ、生かされているだけになる。なにもしなくても生きていける。しっかりしなきゃという自意識が、だんだん消滅していく。脳みそにある意識が薄れていく。(なるほどと思いました)
そのことに関連付けて考えてみると、皇族の一員としてお生まれになった著者は、自分の役割を果たしていく決断をどこかの時点でされて、がんばっておられるのだと思います。たいしたものです。
エッセイ集です。
『1 百川学海(ひゃくせんがっかい)』:川は海を目標にして流れていく。常に修養・努力して、大きな海(目標)をめざす。
2011年5月(平成23年):オックスフォード大学から博士号を授与された。(専攻は日本美術)
ドミニク:スイス人の友人。学友。
ベネディクト:英国人。男性。英会話ができなかった著者を救ってくれた。2学年上の上級生。
父親に対する感謝があります。
英会話ができなかったけれど、努力を続けた結果、ある日突然相手が話す英語が明瞭に理解できるようになられたそうです。(英語学習者にとっては、いいアドバイスになります)。
英語がわからなかったゆえの孤独があります(日本に帰りたい)。それを救ってくれる学友の存在があります。人間は助け合いです。
まず、2001年9月から1年間留学した。9月に入学して、翌年1月に突然英語が聞き取れるようになった。(その後、2回目の留学があります)。
『2 大信不約(たいしんふやく)』:本当の信義は約束しなくても守られる。信頼関係は大事。
側衛官(そくえいかん):警察庁皇宮警察本部所属皇宮護衛官。国家公務員。
警衛(けいえい):皇族を守ること。
警護:要人を守ること。
警備:モノを守ること。
オックスフォード大学に行って、側衛官がつかなくなった。生まれて初めて、ひとりで街を歩いた。心細く辛かった。(つらかった)。慣れてきたら、楽しめるようになった。帰国してまた側衛官が付くことを心配するように変化した。(側衛官がつかないほうが気楽でいい)。
皇族に関する内輪話が楽しい。
清少納言の、『枕草子(まくらのそうし)』を読むようです。
『3 苦学力行(くがくりっこう)』:働いて学費を稼ぎながら勉学に励む。定時制高校とか夜間の大学みたいです。
日本の大学と英国のオックスフォード大学は、組織と運営が大きく異なる。
オックスフォード大学は、日本の学習院、慶応、早稲田、青山学院等をすべてひっくるめて、東京大学というようなもの(組織)。
コレッジ(学寮):オックスフォード大学の中にある。40近くある。どのコレッジに所属したかが大事になる。
著者は、皇太子殿下(現在の令和天皇)と同じ、マートン・コレッジに所属した。
レクチャー:所属コレッジに関係なく学生が集まる。
セミナー:コレッジで10人程度の専攻学生が集まる。
チュートリアル:先生(チューター)と学生(3人まで)が集まって、個人指導を受ける。
著者は、聴講生として、オックスフォード大学に留学した。(試験を乗り切る必要はない)
ケルト人:紀元前から、ヨーロッパ大陸で繁栄した民族。
著者の専攻は、最初が、『ケルト史』。その後、『日本美術』。
トマス・チャールズ=エドワーズ:ケルト史のチュートリアル(先生)
スティーヴ・ガン先生:特別科目『方法論』のチュートリアル。同級生が、ルイーズとエリッサ。
『4 日常坐臥(にちじょうざが)』:座ること、寝ることで、起きているときも寝ているときも。いつでもという意味。
マートン・コレッジ:1264年設立(日本では鎌倉時代の元寇(げんこう)の頃)
ポーターズ・ロッジ(守衛所):郵便受けの確認に行く。夕食の席を機械にカードを通して予約する。食堂で他の学生などから情報を収集する。
英国映画、『ハリーポッター』の出てくる食堂風景は、自分が利用していた食堂の近くにある別の食堂でのロケだったそうです。
『5 合縁奇縁(あいえんきえん)』:人と人との縁(えん)。巡り合わせ。因縁(いんねん。運命)。
番組『徹子の部屋』でのご本人の語り口調を覚えているので、読みながら、本人がしゃべっているように聞こえる文章です。わかりやすい。
フレッド:マートン・コレッジ所属。偶然のような出会いがあった。原宿駅前で会った。
著者は、私費留学だった。
海外での留学は、日本での就職には不利になる。
日本における研究者の世界は、学閥主義が多い。(同じ学校の出身者で集まる)。
『6 一期一会(いちごいちえ)』:茶道の用語。出会いは一度だけ。
JR:鉄道ではない。ジェシカ・ローソン先生。とても厳しい人。マートン・コレッジの学長。妥協を許さない人。
19世紀末から20世紀にかけて、西洋人が、日本美術をどのように見ていたかを明らかにする。なぜ、大英博物館は、明治時代に多くの日本美術を蒐集(しゅうしゅう。目的をもって特定のものを集める)したのか、理由を研究する。
研究をしながら、自分が日本人であることを自覚したそうです。
外国人は日本人を誤解している。(日本人はみんな寿司を握ることができる。日本には今も忍者がいる)。
日本の絵画は、部屋の中に季節感を生む。
『7 千載一遇』:千年に一回の絶好のチャンス。
ティム・クラーク先生:大英博物館の日本セクション長。完璧主義者。
バッキンガム宮殿に招かれて、エリザベス女王陛下とふたりだけで紅茶を飲んだお話です。女王がお茶を入れてくださったそうです。
2005年(平成17年)夏のことでした。日本では、愛知万博の開催、小泉純一郎政権の時代でした。
『8 危機一髪(ききいっぱつ)』:ほんのちょっとのことで危機におちいる瞬間。
英国は電車が日本のようにちゃんとしていないということが書いてあります。時刻どおりに来ないとか、事故のときの代替え手段を用意してくれないとかです。
でも、時刻どおりに来ないことには慣れるそうです。
『9 多事多難(たじたなん)』:平穏無事(へいおんぶじ)の反対。立て続けに悪いことが起きること。
皇族のパスポートは、一般人とは異なるそうです。赤ではなく、茶色で、たまに、外国入国時に止められるそうです。一般人のようにフリー(自由)に移動ができません。
付き添いなしのひとり移動の苦労が書いてあります。
すごいなあ。冒険です。ヨーロッパ国内の空港移動は不安しかありません。節約のために格安航空会社を利用した時がうまくいかないことがあるそうです。(節約されるということが意外でした)
『10 奇貨可居(きかおくべし)』:チャンスを利用する。
ビジティング・スチューデント(聴講生)。
オックスフォード大学で聴講生として1年間学んだのですが、生徒の立場できちんと大学院で学位をとりたい。
お父上とのむずかしい関係が書いてあります。お父さんは、厳しい人だったそうです。烈火のごとく怒るときがあったそうです。大学院へ行くためには費用がいる。親から出してもらわなければならない。そんな交渉事が書いてあります。理論武装が必要だったそうです。
でも、簡単に許可がおりたそうです。
読んでいて、皇族の人たちも同じ人間だと感じました。
なにかしらめんどうな父子関係があります。意外でした。お金がある人たちなのに。
(なお、お父さんは2012年にご病気で亡くなっています)
英会話学習と習得についての手法、経過が書いてありました。
『11 五角六張(ごかくろくちょう)』:なにをやってもうまくいかない日。
最初の留学が2001年(平成13年)9月、20歳のときでした。
二度目が、2004年(平成16年)9月、23歳です。
マートン・コレッジ大学院生専用寮でひとり暮らしです。
ワンルーム、キッチンは共用です。
うまくいかないことが書いてあります。
バレンタインデーの記事になって、(ヨーロッパでは、女性が男性にチョコレートを贈る習慣はないそうです。逆で、男性が女性にお花やお菓子を贈るそうです)
日本の習慣に従ってやって救われたという話が書いてあります。
『12 一念通天(いちねんつうてん)』:固い決意で取り組めば必ず達成できる。
2005年の夏休みに、大英博物館で、日本セクションのボランティア・スタッフになる。作品の整理整頓作業です。
昔の英国人の筆記体が読めるようになる。(今の日本の英語教育では筆記体を教えなくなっています)
『13 日常茶飯(にちじょうさはん』:いつものこと。
英国の料理はまずい。(まずくはないけれど、おいしくもないそうです)。英国人には、おいしいものを食べようという気持ちがない。宗教で贅沢(ぜいたく)を制止したことが原因のようです。
当時の英国にある日本食は、日本食の味ではなかったそうです。
自分で自炊して料理をするようになった。体が和食を欲する。
マーケット(市場)の話になります。
食事づくりにおいて、いろいろ工夫があります。野菜類の有効活用です。
食事会の話しも出ます。
外国人は、「甘い豆」が苦手(にがて)だそうです。
英国人は、食器をきちんと洗うことをしない。洗剤がついたまま、カゴに入れるというような記事もあり驚きました。洗剤は体に毒ではないようですが、ちょっと気持ち悪いです。
『14 骨肉之親(こつにくのしん)』:血のつながりが濃い肉親関係。その間の深い愛情。
ゴッドドーターがおられるそうです。(著者が名付け親になった)。『菜夏子グレース(ななこグレース。出版当時6歳。2008年(平成20年)6月生まれ)』。
ゴッドファーザー、ゴッドマザー:キリスト教洗礼名の名付け親。
『おもちゃのチャチャチャ』を歌ってあげた。(著者の父親が、著者が小さい頃に歌ってくれたそうです)
『15 前途多難(ぜんとたなん)』:未来に困難と災難がある。
ロンドンの北東、ノリッチという町にあるセインズベリー日本藝術研究所長ニコル・ルーマニエール先生に半分だまされるようにして、フランス国内で巡回式の展覧会を企画実行したことが書いてあります。
かなりしんどい思いをされています。
『16 一以貫之(いつをもってこれをつらぬく)』:ほかに目を奪われず、おのれの道を進む。
ジョープライス:江戸時代の日本絵画の美術収集家。伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)を世界の人気者にした。(私がずいぶん前に読んだ本で、『若冲(じゃくちゅう、江戸時代中期の絵師) 澤田瞳子(さわだとうこ) 文藝春秋』があります)
5年間の留学中に体調を壊された話が出ます。
人間ですから長い人生の間には何度か病気に悩まされることもあります。
自然光で絵画を観ることの大切さについて書いてあります。
日本人は、絵画を見るときに、まず誰が描いたか、偽物ではないかを確認したがる。(お金目的だから)
絵は、作者の名前を気にして鑑賞するものではないとあります。
ロサンゼルスのディズニーランドに行ったことが書いてあります。
ディズニーランドでの一日で、最後の花火を観ることへのこだわりがあります。
『17 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)』:よいもの、つまらないものが入り混じっているようす。
勉強以外の時間について書いてあります。散歩の時間です。
植物園、映画館などです。
自分にとっての留学期間は、自分の時間を自分のためにだけ使える贅沢な(ぜいたくな)時間であったそうです。
英国のチャリティーショップ:日本とは趣旨が異なる。お金もうけではない。使わなくなったものをもらって、売れるものは店頭で売る。売上金は、発展途上国のために使う。売れないものは、そのまま発展途上国へ送る。物を提供した人にはお金は渡らない。
ロンドンのノッテングヒル:高級住宅街。高級品がチャリティに出る。
香合(こうごう):茶道で、香(こう。かおり)を持ち運びするふた付の容器。
なんというかすごいことが書いてあります。
皇族ゆえに、『鍵』を持ち歩いたことがない。(日本だと、皇族は、生まれた時から、だれかがいつもそばにいる)
英国に留学して、学生寮に入って、部屋から出かけるときは、部屋に鍵をかけていたが、自分が部屋にいるときは、鍵をかけていなかった。
ある夜、酔っ払った知らない寮生であろう男子が、部屋を間違えて、著者の部屋に入ってきた。その男性にかけた著者の言葉がすごい。
『あなた、この部屋に住んでいる人ですか?』
相手は、自分が部屋を間違えたことに気づいて謝って出て行ったそうです。
ご無事でなによりでしたが、現代の一般人には、ちょっと考えられない鍵の扱いです。
<半世紀前の昭和の時代の庶民の鍵事情>
さきほどの部分を話題にして、家族で半世紀ぐらい昔のわたしたちがこどもだったころの話をしました。いろいろ思い出話が出ました。
日本、とくに農家では、農作業に出るとき、家に鍵をかけるという習慣はなかった記憶です。地域に固まって住んでいるのは、血縁関係がある親族でした。よそ者が来ることもありませんでした。
都市部でも、木造平屋の長屋が並ぶ公営住宅とか、同じく炭鉱の木造長屋とかでも、鍵をかける習慣は薄かった記憶です。玄関は開き戸で、夜寝るときに、内側からねじを回して戸が開かなくするぐらいでした。
そのころ、殺人事件のニュースはめったに聞きませんでした。現代では日常茶飯事です。
人づきあいが濃厚な時代でした。長屋が密集する地域では、昼間は奥さんたちが集まって立ち話しをしていました。男は仕事、女は主婦の時代でした。こどもがたくさんいて、集落ではこどもたちが上級生から下級生までがグループをつくって集団で体を動かすお金のかからない遊びをして遊んでいました。
女の子たちは、輪ゴムをつなげて、ゴム飛び遊びをしていました。男の子は、ゴムボールで、三角ベースの野球をしていました。お金がなくて、不便ではあったけれど、人間らしい生活を送っていました。
『18 古琴之友(こきんのとも)』:自分をよく理解してくれる友人のこと。
ロンドン在住の日本人:京都出身のマキさんと山形出身のケイスケさんご夫妻。筆者が名付けた筆者がロンドンで泊る時の民宿『M&K』がご自宅。
吉岡幸雄先生:染織工房で機織りの仕事をされていた。
本来、お正月に皇室では、お雑煮が出ない話があります。
『御菱はなびら』というものを召し上がるそうです。
スコーン:パンが起源の焼き菓子。
ジェイミー:オックスフォードの友人。英国人男性。おいしいスコーンをつくる。
『19 傾蓋知己(けいがいのちき)』:初対面で意気投合すること。
スイスの話です。
スイス人のお友だちが多いそうです。
スティーヴ・ガン先生:コレッジ・チューター。中世史が専門。
カミラ:イタリア人。一年先輩。
著者はお酒をほとんど飲めない。
ドミニク:カミラの先輩。スイス人。ベトナムの人類学専攻。
バーバラ:ドミニクのパートナー。スイス人。
パーティーのメンバー:カミラ、クリス、ドミニク、バーバラ、著者。
スキー場のケーブルカーの駅、日本人が登山をしたときの写真が飾ってあった。
写真に著者の見覚えがある顔があった。
著者の祖母と叔母だったのでびっくりされたそうです。
祖母である崇仁親王妃百合子様は、現在も存命で101歳であられます。びっくりしました。
『忍之一字(にんのいちじ)』:成し遂げるために最も大切なことは、耐え忍ぶことである。
英国人とはという内容です。英国人は、融通がきくときと、きかないときの差が激しいそうです。
同じことでも、人によって、許可されなかったり、許可されたりするそうです。
もうひとつは、路線バスのことが書いてあります。
日本の路線バスとはずいぶん違います。
時間通りには来ない。そもそも定刻になっても来ない。最後まで来ない。来ないという案内もない。
慣れるそうです。
日本の親切で、ち密な対応のほうが、丁寧すぎるのではないかというようにも思えてくるそうです。
『21 当機立断(とうきりつだん)』:機会をとらえて、すばやく決断すること。
2回目の留学が、当初2年間だったのが、5年間に伸びた理由と経過が書いてあります。
2年間は、修士課程です。5年間は、博士課程です。先生に勧められたことをきっかけにして、最終的に博士号を取得されています。
2006年(平成18年)6月に博士課程の学生になられています。2010年(平成22年)1月に博士課程を修了されています。
『随類応同(ずいるいおうどう)』:人の能力や性質に応じて指導すること。
スーパーバイザー:指導教官。著者の場合、ジェシカ・ローソン先生とティム・クラーク先生。それから、ティム・スクリーチ先生。
ロンドン大学SOAS(ソアス):東洋アフリカ研究学院。
アーネスト・フェノロサ:アメリカ合衆国の東洋美術史家。1853年(日本は江戸末期)-1908年(明治41年)55歳没。
『七転八倒(しちてんばっとう)』:激しい苦痛で、苦しみもだえるようす。
博士論文を仕上げる苦労が書いてあります。孤独があります。
5年間日本美術史の研究を続けた。
ストレス性胃炎になった。
『独りにならないことって大切なんだ』と改めて思ったそうです。
日本からの入浴剤に助けられた。
サンドイッチを出すカフェにも助けられた。
しんどいときに、おいしいものを食べると、生き続けたいという意欲が湧くことがあります。
『24 進退両難(しんたいりょうなん)』:進もことも退く(しりぞく)こともできない状態。
博士論文完成までの話です。
アドバイスとして、『いちばん大切なことは、アキコが書きたいことを書くことだよ』だったそうです。
博士論文にアキコさんの個性を出す。
『25 不撓不屈(ふとうふくつ)』:強い意思をもって、くじけない。
ついに最後のエッセイになりました。
博士課程の修了時の話です。
人間がやることです。人間は感情の生き物です。
『どこの国でも学者間の嫉妬(しっと)というのは大なり小なりあり……』(現実的なお話です)
試験官の話です。口頭試問があります。
慎重に行動されています。
ふたりのうちの一人の試験官は、見た目は日本人だが、中身はドイツ人の試験官です。日本人父とドイツ人母をもつハーフの試験官です。
口頭試問に合格します。
意外なこととして、著者が、博士課程の試験に合格したことを日本社会に公表しないという考えの父上・宮内庁と公表したほうがいいと主張する著者との間で対立が起きます。非公表の理由は、前例がないからです。前例がないから著者のオックスフォード大学博士課程合格を日本社会に公表したくないのです。
読んでいて、宮内庁という組織が不思議な組織に思えました。これまでと同じことをこれからもずっと続けることが仕事のようです。ずーっと考えていると、職員は、毎月決まった日に決まった給料がもらえればそれでいいと考えているだけではなかろうかという推測ができてしまいます。皇族のことは慮らない(おもんばからない。十分に考えない)。面倒な事務処理を前例どおりにこなしていけばよい。例外を好まない。不思議なサラリーマン体質です。公務員体質か。
もうひとつ不思議だったことがあります。
家族関係が他人行儀(たにんぎょうぎ。親子、親族なのに、他人と接する時のよう)です。(367ページ、『特別寄稿』の部分に、『(父と自分は)親子というよりは先輩後輩のような関係であったと思う』と文章があります)
父と子の関係が?です。庶民の親子とは異なります。
とりあえず、エッセイの部分は読み終わりました。
なかなかいい本でした。今年読んで良かった一冊です。
『特別寄稿 父・寛仁親王(ともひとしんのう)の思い出』
2012年(平成24年)6月6日薨去(こうきょ。皇族の死去)。355ページに、『66歳の6月6日に逝かれた(いかれた。亡くなった)』とあります。
奉悼(ほうとう):死を悼む(いたむ。嘆き悲しむ)
斂葬の儀(れんそうのぎ):お葬式の本葬のこと。
お父上に対する深い感謝、愛情、が語られます。
お父上の愛称は、『ともさん』です。裏表のない人だったそうです。お父上は、風貌(ふうぼう。見た目)や着ている服装から、警官官に職務質問をされたこともあったそうです。
お父上は、極度のアナログ人間だった。ビデオ録画の操作、パソコン、メール、携帯電話の使用はできなかった。原稿は手書きだった。文字は小さく、悪筆だった。留学中、メールのやりとりはできず、父と娘は手紙で文通をしていた。そんなことが書いてあります。
その部分を読んでいて、自分自身のこととして思い出したことがあります。
もう10年ぐらい前のことになりますが、働いていた頃、わたしは、なにかの依頼文を複数の人たちに送る時は、封筒に手書きで住所氏名のあて名を書いていました。ふだんから付き合いがある人たちではないので、手書きで住所や名前を書きながら氏名などを暗記するように心がけていました。
それを見ていた年下の社員から、宛名シール(あてな)シールをつくってはったほうが早くて便利ですよと、ばかにしたように声をかけられました。(ああ、何もわかっていないと思いました。IT化(インターネットテクノロジー)とか、ゆとり教育の影響なのか、なんでもかんでも省略して楽をしたがる世代が生まれました。知恵の水準が低下しています。これから先、日本の未来は暗くなるであろうと予測しています)。ちゃんとしたものをつくるためには、時間も手間もかかるのです。
ずっと読み続けていて、とても不思議だったことがあります。
著者のお母さんのことは出てこないのです。お母さんは、ご存命です。妹さんや父方祖母、伯母さんのことは文章に出てきます。お母さんは出てきません。
触れてはいけないタブー(禁止事項)があるようです。
その件について、これ以上書くことはやめておきます。どこの家でもいろいろあります。
『柏さま、「多謝」。雪より。』(意味はたぶん、お父さんありがとう、なのでしょう。柏さまが、お父さんで、雪さんが著者なのでしょう)。
『あとがき』
シェルドニアン・シアター:学位授与式の会場。
父も留学体験あり。父が娘の留学を喜んでくれた。
雑誌編集部への感謝。
2014年(平成26年)9月の記述となっています。
たくさんの人たちが関りになってくれてできあがった一冊です。
『ご留学に乾杯 解説にかえて 学習院大学元学長 福井憲彦(ふくい・のりひこ)』
著者は、仲良し学生の間では、『宮ちゃん』と呼ばれていた。
学習院大学での卒業論文は手書きが義務付けられている。400字詰め原稿用紙で100枚。
2014年(平成26年)の記述になっています。
『文庫版へのあとがき』
本を出したのは、2015年(平成27年)なのに、なぜ今バズっているのかという話で始まっています。
バズる:インターネットやSNS上で大きな話題となる。
2024年1月の記述になっています。
本一冊を読み終えての感想です。
国民に、開かれた皇室、皇族をめざして、有意義な一冊をこの世に送り出されたと、この本の価値を認めます。
本の最初に戻って、巻頭にある白黒写真をながめていて、本に書いてあった内容が、すんなり頭に入ってきました。
若い人は、『広い世界を知りたい』のです。
(月刊誌『Voice』でのエッセイ掲載期間は、2012年(平成24年)4月号~2014年(平成26年)5月号まで。タイトルは、『オックスフォード留学記-中世の街に学んで』だった。単行本は、2015年(平成27年)に発行されています。2024年(令和6年)の文庫化にあたって、加筆後再編集されています)
テレビ番組、『徹子の部屋』にゲストとして出られて、本を出していると聞いたので、取り寄せて読んでみました。
皇族の方が書いた本です。
彬子女王(あきこじょうおう):1981年(昭和56年)生まれ。学習院大学卒業後、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。大正天皇のひ孫。父親は、寛仁親王(ひろひとしんのう。2012年(平成24年)66歳没。大正天皇の孫。愛称『ヒゲの殿下(ひげのでんか)』)。
最初の留学が、20歳の時、2001年(平成13年)9月から1年間留学した。2回目が、学習院大学卒業後の2004年(平成16年)からオックスフォード大学の大学院に入学して、2010年(平成22年)1月に博士課程を修了した。
ざっと目を通して、たくさんの文章を書く方だとお見受けしました。(63ページに、オックスフォード大学で、たくさんのエッセイ(小論文)を書いたと記事があります)
タイトルにある、『赤と青のガウン』は、入学するとまず黒一色のガウンを着る。博士号を授与されると赤と青のガウンを着るそうです。学位(がくい。学びを修めた(おさめた)者に対する称号)によってガウンの色が違う。
皇族の一員として、『自由』が制限された立場でお生まれになった方です。
『役割』を果たすために、『自由』が制限されているのです。
ちょっと、『役割』について書いてみます。わたしは、人はだれしも、人間社会において、なにがしかの役割を与えられて、この世に生まれてくると思っています。
先日、高齢となった親族のお見舞いに九州福岡県まで行って来たのですが、『(人の)役割』について考えさせられました。
初回は、7月に病院に入院した時にお見舞いに行ったのですが、そのときは、意識がはっきりしていて、きちんと受け答えができていました。
その後、病院から施設に移って、9月に施設へ面会に行ったのですが、なにかしら変なのです。喜怒哀楽の表情が薄くなって、意識がぼんやりとしていました。人の固有名詞である名前が、口から出てきませんでした。
同行の妻が、『役割』がなくなったからだと解説してくれました。不自由な体であっても、衣食住の毎日の生活を自分の力で送っていれば、自分の『役割』がある。
人間は自分に、社会的な『役割』、家族の中での『役割』があるときは、しっかりしなきゃという自意識がある。
ところが、施設に入ると、まわりにいる人たちが自分の身の回りのことをやってくれる。本人はただ、生かされているだけになる。なにもしなくても生きていける。しっかりしなきゃという自意識が、だんだん消滅していく。脳みそにある意識が薄れていく。(なるほどと思いました)
そのことに関連付けて考えてみると、皇族の一員としてお生まれになった著者は、自分の役割を果たしていく決断をどこかの時点でされて、がんばっておられるのだと思います。たいしたものです。
エッセイ集です。
『1 百川学海(ひゃくせんがっかい)』:川は海を目標にして流れていく。常に修養・努力して、大きな海(目標)をめざす。
2011年5月(平成23年):オックスフォード大学から博士号を授与された。(専攻は日本美術)
ドミニク:スイス人の友人。学友。
ベネディクト:英国人。男性。英会話ができなかった著者を救ってくれた。2学年上の上級生。
父親に対する感謝があります。
英会話ができなかったけれど、努力を続けた結果、ある日突然相手が話す英語が明瞭に理解できるようになられたそうです。(英語学習者にとっては、いいアドバイスになります)。
英語がわからなかったゆえの孤独があります(日本に帰りたい)。それを救ってくれる学友の存在があります。人間は助け合いです。
まず、2001年9月から1年間留学した。9月に入学して、翌年1月に突然英語が聞き取れるようになった。(その後、2回目の留学があります)。
『2 大信不約(たいしんふやく)』:本当の信義は約束しなくても守られる。信頼関係は大事。
側衛官(そくえいかん):警察庁皇宮警察本部所属皇宮護衛官。国家公務員。
警衛(けいえい):皇族を守ること。
警護:要人を守ること。
警備:モノを守ること。
オックスフォード大学に行って、側衛官がつかなくなった。生まれて初めて、ひとりで街を歩いた。心細く辛かった。(つらかった)。慣れてきたら、楽しめるようになった。帰国してまた側衛官が付くことを心配するように変化した。(側衛官がつかないほうが気楽でいい)。
皇族に関する内輪話が楽しい。
清少納言の、『枕草子(まくらのそうし)』を読むようです。
『3 苦学力行(くがくりっこう)』:働いて学費を稼ぎながら勉学に励む。定時制高校とか夜間の大学みたいです。
日本の大学と英国のオックスフォード大学は、組織と運営が大きく異なる。
オックスフォード大学は、日本の学習院、慶応、早稲田、青山学院等をすべてひっくるめて、東京大学というようなもの(組織)。
コレッジ(学寮):オックスフォード大学の中にある。40近くある。どのコレッジに所属したかが大事になる。
著者は、皇太子殿下(現在の令和天皇)と同じ、マートン・コレッジに所属した。
レクチャー:所属コレッジに関係なく学生が集まる。
セミナー:コレッジで10人程度の専攻学生が集まる。
チュートリアル:先生(チューター)と学生(3人まで)が集まって、個人指導を受ける。
著者は、聴講生として、オックスフォード大学に留学した。(試験を乗り切る必要はない)
ケルト人:紀元前から、ヨーロッパ大陸で繁栄した民族。
著者の専攻は、最初が、『ケルト史』。その後、『日本美術』。
トマス・チャールズ=エドワーズ:ケルト史のチュートリアル(先生)
スティーヴ・ガン先生:特別科目『方法論』のチュートリアル。同級生が、ルイーズとエリッサ。
『4 日常坐臥(にちじょうざが)』:座ること、寝ることで、起きているときも寝ているときも。いつでもという意味。
マートン・コレッジ:1264年設立(日本では鎌倉時代の元寇(げんこう)の頃)
ポーターズ・ロッジ(守衛所):郵便受けの確認に行く。夕食の席を機械にカードを通して予約する。食堂で他の学生などから情報を収集する。
英国映画、『ハリーポッター』の出てくる食堂風景は、自分が利用していた食堂の近くにある別の食堂でのロケだったそうです。
『5 合縁奇縁(あいえんきえん)』:人と人との縁(えん)。巡り合わせ。因縁(いんねん。運命)。
番組『徹子の部屋』でのご本人の語り口調を覚えているので、読みながら、本人がしゃべっているように聞こえる文章です。わかりやすい。
フレッド:マートン・コレッジ所属。偶然のような出会いがあった。原宿駅前で会った。
著者は、私費留学だった。
海外での留学は、日本での就職には不利になる。
日本における研究者の世界は、学閥主義が多い。(同じ学校の出身者で集まる)。
『6 一期一会(いちごいちえ)』:茶道の用語。出会いは一度だけ。
JR:鉄道ではない。ジェシカ・ローソン先生。とても厳しい人。マートン・コレッジの学長。妥協を許さない人。
19世紀末から20世紀にかけて、西洋人が、日本美術をどのように見ていたかを明らかにする。なぜ、大英博物館は、明治時代に多くの日本美術を蒐集(しゅうしゅう。目的をもって特定のものを集める)したのか、理由を研究する。
研究をしながら、自分が日本人であることを自覚したそうです。
外国人は日本人を誤解している。(日本人はみんな寿司を握ることができる。日本には今も忍者がいる)。
日本の絵画は、部屋の中に季節感を生む。
『7 千載一遇』:千年に一回の絶好のチャンス。
ティム・クラーク先生:大英博物館の日本セクション長。完璧主義者。
バッキンガム宮殿に招かれて、エリザベス女王陛下とふたりだけで紅茶を飲んだお話です。女王がお茶を入れてくださったそうです。
2005年(平成17年)夏のことでした。日本では、愛知万博の開催、小泉純一郎政権の時代でした。
『8 危機一髪(ききいっぱつ)』:ほんのちょっとのことで危機におちいる瞬間。
英国は電車が日本のようにちゃんとしていないということが書いてあります。時刻どおりに来ないとか、事故のときの代替え手段を用意してくれないとかです。
でも、時刻どおりに来ないことには慣れるそうです。
『9 多事多難(たじたなん)』:平穏無事(へいおんぶじ)の反対。立て続けに悪いことが起きること。
皇族のパスポートは、一般人とは異なるそうです。赤ではなく、茶色で、たまに、外国入国時に止められるそうです。一般人のようにフリー(自由)に移動ができません。
付き添いなしのひとり移動の苦労が書いてあります。
すごいなあ。冒険です。ヨーロッパ国内の空港移動は不安しかありません。節約のために格安航空会社を利用した時がうまくいかないことがあるそうです。(節約されるということが意外でした)
『10 奇貨可居(きかおくべし)』:チャンスを利用する。
ビジティング・スチューデント(聴講生)。
オックスフォード大学で聴講生として1年間学んだのですが、生徒の立場できちんと大学院で学位をとりたい。
お父上とのむずかしい関係が書いてあります。お父さんは、厳しい人だったそうです。烈火のごとく怒るときがあったそうです。大学院へ行くためには費用がいる。親から出してもらわなければならない。そんな交渉事が書いてあります。理論武装が必要だったそうです。
でも、簡単に許可がおりたそうです。
読んでいて、皇族の人たちも同じ人間だと感じました。
なにかしらめんどうな父子関係があります。意外でした。お金がある人たちなのに。
(なお、お父さんは2012年にご病気で亡くなっています)
英会話学習と習得についての手法、経過が書いてありました。
『11 五角六張(ごかくろくちょう)』:なにをやってもうまくいかない日。
最初の留学が2001年(平成13年)9月、20歳のときでした。
二度目が、2004年(平成16年)9月、23歳です。
マートン・コレッジ大学院生専用寮でひとり暮らしです。
ワンルーム、キッチンは共用です。
うまくいかないことが書いてあります。
バレンタインデーの記事になって、(ヨーロッパでは、女性が男性にチョコレートを贈る習慣はないそうです。逆で、男性が女性にお花やお菓子を贈るそうです)
日本の習慣に従ってやって救われたという話が書いてあります。
『12 一念通天(いちねんつうてん)』:固い決意で取り組めば必ず達成できる。
2005年の夏休みに、大英博物館で、日本セクションのボランティア・スタッフになる。作品の整理整頓作業です。
昔の英国人の筆記体が読めるようになる。(今の日本の英語教育では筆記体を教えなくなっています)
『13 日常茶飯(にちじょうさはん』:いつものこと。
英国の料理はまずい。(まずくはないけれど、おいしくもないそうです)。英国人には、おいしいものを食べようという気持ちがない。宗教で贅沢(ぜいたく)を制止したことが原因のようです。
当時の英国にある日本食は、日本食の味ではなかったそうです。
自分で自炊して料理をするようになった。体が和食を欲する。
マーケット(市場)の話になります。
食事づくりにおいて、いろいろ工夫があります。野菜類の有効活用です。
食事会の話しも出ます。
外国人は、「甘い豆」が苦手(にがて)だそうです。
英国人は、食器をきちんと洗うことをしない。洗剤がついたまま、カゴに入れるというような記事もあり驚きました。洗剤は体に毒ではないようですが、ちょっと気持ち悪いです。
『14 骨肉之親(こつにくのしん)』:血のつながりが濃い肉親関係。その間の深い愛情。
ゴッドドーターがおられるそうです。(著者が名付け親になった)。『菜夏子グレース(ななこグレース。出版当時6歳。2008年(平成20年)6月生まれ)』。
ゴッドファーザー、ゴッドマザー:キリスト教洗礼名の名付け親。
『おもちゃのチャチャチャ』を歌ってあげた。(著者の父親が、著者が小さい頃に歌ってくれたそうです)
『15 前途多難(ぜんとたなん)』:未来に困難と災難がある。
ロンドンの北東、ノリッチという町にあるセインズベリー日本藝術研究所長ニコル・ルーマニエール先生に半分だまされるようにして、フランス国内で巡回式の展覧会を企画実行したことが書いてあります。
かなりしんどい思いをされています。
『16 一以貫之(いつをもってこれをつらぬく)』:ほかに目を奪われず、おのれの道を進む。
ジョープライス:江戸時代の日本絵画の美術収集家。伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)を世界の人気者にした。(私がずいぶん前に読んだ本で、『若冲(じゃくちゅう、江戸時代中期の絵師) 澤田瞳子(さわだとうこ) 文藝春秋』があります)
5年間の留学中に体調を壊された話が出ます。
人間ですから長い人生の間には何度か病気に悩まされることもあります。
自然光で絵画を観ることの大切さについて書いてあります。
日本人は、絵画を見るときに、まず誰が描いたか、偽物ではないかを確認したがる。(お金目的だから)
絵は、作者の名前を気にして鑑賞するものではないとあります。
ロサンゼルスのディズニーランドに行ったことが書いてあります。
ディズニーランドでの一日で、最後の花火を観ることへのこだわりがあります。
『17 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)』:よいもの、つまらないものが入り混じっているようす。
勉強以外の時間について書いてあります。散歩の時間です。
植物園、映画館などです。
自分にとっての留学期間は、自分の時間を自分のためにだけ使える贅沢な(ぜいたくな)時間であったそうです。
英国のチャリティーショップ:日本とは趣旨が異なる。お金もうけではない。使わなくなったものをもらって、売れるものは店頭で売る。売上金は、発展途上国のために使う。売れないものは、そのまま発展途上国へ送る。物を提供した人にはお金は渡らない。
ロンドンのノッテングヒル:高級住宅街。高級品がチャリティに出る。
香合(こうごう):茶道で、香(こう。かおり)を持ち運びするふた付の容器。
なんというかすごいことが書いてあります。
皇族ゆえに、『鍵』を持ち歩いたことがない。(日本だと、皇族は、生まれた時から、だれかがいつもそばにいる)
英国に留学して、学生寮に入って、部屋から出かけるときは、部屋に鍵をかけていたが、自分が部屋にいるときは、鍵をかけていなかった。
ある夜、酔っ払った知らない寮生であろう男子が、部屋を間違えて、著者の部屋に入ってきた。その男性にかけた著者の言葉がすごい。
『あなた、この部屋に住んでいる人ですか?』
相手は、自分が部屋を間違えたことに気づいて謝って出て行ったそうです。
ご無事でなによりでしたが、現代の一般人には、ちょっと考えられない鍵の扱いです。
<半世紀前の昭和の時代の庶民の鍵事情>
さきほどの部分を話題にして、家族で半世紀ぐらい昔のわたしたちがこどもだったころの話をしました。いろいろ思い出話が出ました。
日本、とくに農家では、農作業に出るとき、家に鍵をかけるという習慣はなかった記憶です。地域に固まって住んでいるのは、血縁関係がある親族でした。よそ者が来ることもありませんでした。
都市部でも、木造平屋の長屋が並ぶ公営住宅とか、同じく炭鉱の木造長屋とかでも、鍵をかける習慣は薄かった記憶です。玄関は開き戸で、夜寝るときに、内側からねじを回して戸が開かなくするぐらいでした。
そのころ、殺人事件のニュースはめったに聞きませんでした。現代では日常茶飯事です。
人づきあいが濃厚な時代でした。長屋が密集する地域では、昼間は奥さんたちが集まって立ち話しをしていました。男は仕事、女は主婦の時代でした。こどもがたくさんいて、集落ではこどもたちが上級生から下級生までがグループをつくって集団で体を動かすお金のかからない遊びをして遊んでいました。
女の子たちは、輪ゴムをつなげて、ゴム飛び遊びをしていました。男の子は、ゴムボールで、三角ベースの野球をしていました。お金がなくて、不便ではあったけれど、人間らしい生活を送っていました。
『18 古琴之友(こきんのとも)』:自分をよく理解してくれる友人のこと。
ロンドン在住の日本人:京都出身のマキさんと山形出身のケイスケさんご夫妻。筆者が名付けた筆者がロンドンで泊る時の民宿『M&K』がご自宅。
吉岡幸雄先生:染織工房で機織りの仕事をされていた。
本来、お正月に皇室では、お雑煮が出ない話があります。
『御菱はなびら』というものを召し上がるそうです。
スコーン:パンが起源の焼き菓子。
ジェイミー:オックスフォードの友人。英国人男性。おいしいスコーンをつくる。
『19 傾蓋知己(けいがいのちき)』:初対面で意気投合すること。
スイスの話です。
スイス人のお友だちが多いそうです。
スティーヴ・ガン先生:コレッジ・チューター。中世史が専門。
カミラ:イタリア人。一年先輩。
著者はお酒をほとんど飲めない。
ドミニク:カミラの先輩。スイス人。ベトナムの人類学専攻。
バーバラ:ドミニクのパートナー。スイス人。
パーティーのメンバー:カミラ、クリス、ドミニク、バーバラ、著者。
スキー場のケーブルカーの駅、日本人が登山をしたときの写真が飾ってあった。
写真に著者の見覚えがある顔があった。
著者の祖母と叔母だったのでびっくりされたそうです。
祖母である崇仁親王妃百合子様は、現在も存命で101歳であられます。びっくりしました。
『忍之一字(にんのいちじ)』:成し遂げるために最も大切なことは、耐え忍ぶことである。
英国人とはという内容です。英国人は、融通がきくときと、きかないときの差が激しいそうです。
同じことでも、人によって、許可されなかったり、許可されたりするそうです。
もうひとつは、路線バスのことが書いてあります。
日本の路線バスとはずいぶん違います。
時間通りには来ない。そもそも定刻になっても来ない。最後まで来ない。来ないという案内もない。
慣れるそうです。
日本の親切で、ち密な対応のほうが、丁寧すぎるのではないかというようにも思えてくるそうです。
『21 当機立断(とうきりつだん)』:機会をとらえて、すばやく決断すること。
2回目の留学が、当初2年間だったのが、5年間に伸びた理由と経過が書いてあります。
2年間は、修士課程です。5年間は、博士課程です。先生に勧められたことをきっかけにして、最終的に博士号を取得されています。
2006年(平成18年)6月に博士課程の学生になられています。2010年(平成22年)1月に博士課程を修了されています。
『随類応同(ずいるいおうどう)』:人の能力や性質に応じて指導すること。
スーパーバイザー:指導教官。著者の場合、ジェシカ・ローソン先生とティム・クラーク先生。それから、ティム・スクリーチ先生。
ロンドン大学SOAS(ソアス):東洋アフリカ研究学院。
アーネスト・フェノロサ:アメリカ合衆国の東洋美術史家。1853年(日本は江戸末期)-1908年(明治41年)55歳没。
『七転八倒(しちてんばっとう)』:激しい苦痛で、苦しみもだえるようす。
博士論文を仕上げる苦労が書いてあります。孤独があります。
5年間日本美術史の研究を続けた。
ストレス性胃炎になった。
『独りにならないことって大切なんだ』と改めて思ったそうです。
日本からの入浴剤に助けられた。
サンドイッチを出すカフェにも助けられた。
しんどいときに、おいしいものを食べると、生き続けたいという意欲が湧くことがあります。
『24 進退両難(しんたいりょうなん)』:進もことも退く(しりぞく)こともできない状態。
博士論文完成までの話です。
アドバイスとして、『いちばん大切なことは、アキコが書きたいことを書くことだよ』だったそうです。
博士論文にアキコさんの個性を出す。
『25 不撓不屈(ふとうふくつ)』:強い意思をもって、くじけない。
ついに最後のエッセイになりました。
博士課程の修了時の話です。
人間がやることです。人間は感情の生き物です。
『どこの国でも学者間の嫉妬(しっと)というのは大なり小なりあり……』(現実的なお話です)
試験官の話です。口頭試問があります。
慎重に行動されています。
ふたりのうちの一人の試験官は、見た目は日本人だが、中身はドイツ人の試験官です。日本人父とドイツ人母をもつハーフの試験官です。
口頭試問に合格します。
意外なこととして、著者が、博士課程の試験に合格したことを日本社会に公表しないという考えの父上・宮内庁と公表したほうがいいと主張する著者との間で対立が起きます。非公表の理由は、前例がないからです。前例がないから著者のオックスフォード大学博士課程合格を日本社会に公表したくないのです。
読んでいて、宮内庁という組織が不思議な組織に思えました。これまでと同じことをこれからもずっと続けることが仕事のようです。ずーっと考えていると、職員は、毎月決まった日に決まった給料がもらえればそれでいいと考えているだけではなかろうかという推測ができてしまいます。皇族のことは慮らない(おもんばからない。十分に考えない)。面倒な事務処理を前例どおりにこなしていけばよい。例外を好まない。不思議なサラリーマン体質です。公務員体質か。
もうひとつ不思議だったことがあります。
家族関係が他人行儀(たにんぎょうぎ。親子、親族なのに、他人と接する時のよう)です。(367ページ、『特別寄稿』の部分に、『(父と自分は)親子というよりは先輩後輩のような関係であったと思う』と文章があります)
父と子の関係が?です。庶民の親子とは異なります。
とりあえず、エッセイの部分は読み終わりました。
なかなかいい本でした。今年読んで良かった一冊です。
『特別寄稿 父・寛仁親王(ともひとしんのう)の思い出』
2012年(平成24年)6月6日薨去(こうきょ。皇族の死去)。355ページに、『66歳の6月6日に逝かれた(いかれた。亡くなった)』とあります。
奉悼(ほうとう):死を悼む(いたむ。嘆き悲しむ)
斂葬の儀(れんそうのぎ):お葬式の本葬のこと。
お父上に対する深い感謝、愛情、が語られます。
お父上の愛称は、『ともさん』です。裏表のない人だったそうです。お父上は、風貌(ふうぼう。見た目)や着ている服装から、警官官に職務質問をされたこともあったそうです。
お父上は、極度のアナログ人間だった。ビデオ録画の操作、パソコン、メール、携帯電話の使用はできなかった。原稿は手書きだった。文字は小さく、悪筆だった。留学中、メールのやりとりはできず、父と娘は手紙で文通をしていた。そんなことが書いてあります。
その部分を読んでいて、自分自身のこととして思い出したことがあります。
もう10年ぐらい前のことになりますが、働いていた頃、わたしは、なにかの依頼文を複数の人たちに送る時は、封筒に手書きで住所氏名のあて名を書いていました。ふだんから付き合いがある人たちではないので、手書きで住所や名前を書きながら氏名などを暗記するように心がけていました。
それを見ていた年下の社員から、宛名シール(あてな)シールをつくってはったほうが早くて便利ですよと、ばかにしたように声をかけられました。(ああ、何もわかっていないと思いました。IT化(インターネットテクノロジー)とか、ゆとり教育の影響なのか、なんでもかんでも省略して楽をしたがる世代が生まれました。知恵の水準が低下しています。これから先、日本の未来は暗くなるであろうと予測しています)。ちゃんとしたものをつくるためには、時間も手間もかかるのです。
ずっと読み続けていて、とても不思議だったことがあります。
著者のお母さんのことは出てこないのです。お母さんは、ご存命です。妹さんや父方祖母、伯母さんのことは文章に出てきます。お母さんは出てきません。
触れてはいけないタブー(禁止事項)があるようです。
その件について、これ以上書くことはやめておきます。どこの家でもいろいろあります。
『柏さま、「多謝」。雪より。』(意味はたぶん、お父さんありがとう、なのでしょう。柏さまが、お父さんで、雪さんが著者なのでしょう)。
『あとがき』
シェルドニアン・シアター:学位授与式の会場。
父も留学体験あり。父が娘の留学を喜んでくれた。
雑誌編集部への感謝。
2014年(平成26年)9月の記述となっています。
たくさんの人たちが関りになってくれてできあがった一冊です。
『ご留学に乾杯 解説にかえて 学習院大学元学長 福井憲彦(ふくい・のりひこ)』
著者は、仲良し学生の間では、『宮ちゃん』と呼ばれていた。
学習院大学での卒業論文は手書きが義務付けられている。400字詰め原稿用紙で100枚。
2014年(平成26年)の記述になっています。
『文庫版へのあとがき』
本を出したのは、2015年(平成27年)なのに、なぜ今バズっているのかという話で始まっています。
バズる:インターネットやSNS上で大きな話題となる。
2024年1月の記述になっています。
本一冊を読み終えての感想です。
国民に、開かれた皇室、皇族をめざして、有意義な一冊をこの世に送り出されたと、この本の価値を認めます。
本の最初に戻って、巻頭にある白黒写真をながめていて、本に書いてあった内容が、すんなり頭に入ってきました。
若い人は、『広い世界を知りたい』のです。