2024年10月26日
愛人!? 困っちゃう… 保科有里(ほしな・ゆり) 山中企画
愛人!? 困っちゃう… 保科有里(ほしな・ゆり) 山中企画
BS放送の番組の合間に、夢グループのコマーシャルが入ります。
初めて見たときには笑いました。
『DVD(デー・ブィ・デーという発音)』とか、『CD(シーデーという発音)』は、笑えるのですが、年配者にとってはわかりやすい! 買う人いるだろうなあ。
小型液晶画面なのに、『大画面(だいがめん)』、やっぱり買う人いるだろうなあ。
じょうずに宣伝してあります。
くわえて、『しゃちょーー もっとお安くしてーー』のかけ声とそのあとの格安値段で、これは、買う人いるだろうなーーと思ってしまうのです。
日曜夕方の番組『笑点(しょうてん)』で、桂宮路さんが、こちらの本の著者女性の物まねをします。『しゃちょーー』のかけ声に笑います。
本を読んでみることにしました。
『愛人(ではない)』ことが強調されている本です。
愛人とは:いろいろ解釈がありそうですが、この本の場合、社長のお妾さん(おめかけさん)のような印象があります。奥さん以外の恋人(社長がお金を女性に渡している)。2号さん。一夫多妻制のなごり。半世紀以上前、わたしがこどものころにはよくあった話です。社会的な立場が確立されていた記憶です。お妾さんでもちゃんとした仕事だった記憶で、地位もありました。お金を持っている男が、おおっぴらに女性を囲っていた時代です。
著者の場合は、まず、自分は社長の愛人ではありませんと否定されています。
“夢グループ”という会社における社長と社員の関係だそうです。
さて、読み始めます。
『千鳥の相席食堂(あいせきしょくどう)』に出たそうです。わたしは、以前は相席食堂を見ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。
ただし、先日は、鹿児島県沖永良部島編(おきのえらぶじま)で、島が、どんなところだろうかと興味が湧いたので見ました。女性のお笑いタレントさんが出ていて爆笑しました。8月6日放送、阿部なつき&オダ・ウエダの植田紫帆の旅!でした。植田紫帆さんのダイナマイトボディがすごかった。
株式会社夢グループ:通信販売事業会社。芸能事務所(コンサートの主催)。石田重廣社長。最初は、『狩人(かりゅうど。兄弟でのコーラス歌手。歌曲として、「あずさ2号」』のマネジメント担当会社としてスタートした。歌手三善英史が加入して、夢グループという名称になった。2022年(令和4年)5月、石田社長とこの本の著者保科有里さんがデュエットで歌手デビューした。(保科有里さんはもともと歌手で長い間歌っていたが、会社である夢グループの事務員もしていた)。
保科有里:歌手、62歳、石川県金沢市出身。未婚。
社長の愛人ではない。上司と部下ではある。社長と社員ではある。
石田社長にとって、保科有里さんは好みのタイプではない。
石田社長のご家族も、保科有里さん愛人説を聞いて笑っている。
保科有里さんは、好きで、『シャチョー! 安くして~!』と言っているわけではない。ほんとうは、そんなことを言うような人間ではない。自分は男に甘えるような人間ではない。勉強が好きではなかったので大学に行く気はなかった。高校を出て、自動車販売会社に入って、総務課で経理事務をしていた。車の運転が好きで、運転手役もしていた。そんなこんなが書いてあります。
まあ、すごい。有名人、芸能人がたくさんでてきます。
反発も受けています。ヒット曲がないのに、どうして、同じステージで歌うのだと責められています。
でも、彼女を誘った石田社長が自分のプライドをかけて、彼女を使い続けます。
芸能界というところは、『メンツ(立場。上下関係。世間体(せけんてい)。プライド(自信))』の世界であることがわかります。
保科有里さんについて思うのは、『人は変われる』ということです。
52ページまで読んで、今年読んで良かった一冊になりました。
非常に現実的なことが書いてある本です。
学びがある本です。
『第一章 「愛人」じゃなくて、「社長と社員」!』
保科有里さんは、1993年(平成5年)デビューです。1961年生まれですから、デビュー当時は、32歳ぐらいです。かなり遅いデビューです。
1996年(平成8年)、東京品川駅前のホテルで歌っていた時にレコードディレクターの塩入さんから石田社長を紹介されて、採用された。石田社長は軽い気持ちだったようです。
自分なりに思うのは、仕事は、才能と努力と人間関係です。自分の過去を振り返ってみてそう思います。自分だけの力だけでは伸びていけません。支えてくださる人が必要です。
されど、保科有里さんは、歌手としては売れません。歌を出してもさっぱりです。
夢グループのコンサートや舞台劇に出てくれた人です。
狩人、三善英史、チェリッシュ、千昌夫、松方弘樹、小林旭、黒沢年雄、島倉千代子、新沼謙治、山本リンダ、浅丘ルリ子、そこに保科有里さんが入ります。(本にも書いてありますが、保科有里さんがそこに並ぶのは、何かしらバランスがとれないような……)
本のつくり方に関する感想です。
ご本人のお話の部分は、明朝体の文章でつくられています。
石田社長ほか、お世話になった人たちの文章は、丸文字のゴシック体で文章が書いてあります。
意図的に区別されています。いとてき:目的があって、わざとそうしている。
思うに、文章は、出てくる各自が書かれたものではない。インタビューをもとにして、文章がまとめてある。まあ、そのような企画でつくられた本なのでしょう。
人間界の現実的な話です。お金もうけとか、プライド(自信満々になりたい)とか。
『第二章 金沢・我が町』
金沢市内でラジオ番組をもたれているそうです。ご自身の故郷が金沢市です。
昭和6年生まれの亡父(89歳で死去。クリーニング店をしていたが設備投資で失敗して廃業。保科有里さんが23歳、妹さんが15歳だった。その後借金が理由で離婚。されど親子の交流は続いた。父の借金を保科有里さんと母親で返した。(たいしたものです。親族間での助け合いは必要なことです)。『父の人生は若い頃からずっとつらかった』とあります。
昭和11年生まれの母。8歳年下の妹。4人家族だった。
保科有里さんは、お歌はおじょうずだったようで、NHKのど自慢でチャンピョンになったこともある。(歌がうまいだけでは、歌手としては食べていけない。唯一(ゆいいつ)という個性が欲しい)
石山奈穂美さん(高校時代からの親友)のコメントです。
保科有里さんは、目立たないタイプだった。歌好きで歌謡教室に通っていた。文化祭ではバンドを組んでいた。
二十代後半で、東京の有名な先生に誘われて、歌手になる最後のチャンスとして東京へ出て行った。
歌手ではなく、『社長、安くして~!』のコマーシャルで出てきたのでびっくりした。
そんな話が書いてあります。楽しい。
吉田万里子さん(OL時代の友人)のコメントです。自動車販売会社です。
保科有里さんは、仕事に厳しく怖いイメージの人だった。
色気は皆無だった。付き合ってみれば、気さくでかわいい人だったので意外だった。
お母さんと妹さんからのコメントがあります。
妹さんからみて、8歳年上のお姉さんである保科有里さんは、父親のような存在だそうです。(実父は離婚している)。
お母さんは、26歳ぐらいで東京に行くと行った娘に反対した。東京の先生には、『ダメなら早く返してください』とお願いした。
苦労話があります。親子とかきょうだいとかって、なんだろうなあと考えながら読んでいます。歳をとってから売れるということについても考えさせられました。
両親がトラブルで離婚すると、それを見ていたこどもは、結婚願望がなくなるということはあるようです。
女性も自分で働いて自活できるようになると、結婚を必要と感じなくなるもののようです。
(半面、女性にとっての『結婚』は、男性の収入に依存することと考えてしまいます)
男女交際において、男が複数の女性と交際をする。複数の女性の中にいる自分が、ほかの女性と比較される。男性に選ばれる立場になることが苦しい。
ご自身が、結婚相手ではなく、愛人の対象として見られてしまう。
誘ってくるオジさんが多い。
赤裸々な話がでます。(隠さない)
お金をもっていてもクズみたいなオジさんがいます。
(文句を言わなそうな女性が狙われます(ねらわれます))
そして、石田社長は、そんなオジさんではないのです。
石田社長は、宇宙人だそうです。視点が、へんなオジさんとは違うそうです。
たくさん、有名芸能人のお名前が出てきます。
夢グループでの歌謡ステージとか舞台劇でごいっしょされたのでしょう。びっくりします。
松方弘樹(2017年(平成29年)74歳没)、島倉千代子(2013年(平成25年)75歳没)、浅丘ルリ子(84歳)、小林旭(85歳)、橋幸夫(81歳。先日『徹子の部屋』に出演されたのを見ました)、東てるみ(あずまてるみ。68歳)、桑江知子(くわえ・ともこ。64歳)、石井明美(59歳)、平浩二(たいら・こうじ。75歳)、ロザンナ(ヒデとロザンナ。74歳)、葛城ユキ(2022年(令和4年)73歳没)、あべ静江(72歳)、おりも政夫(71歳)、チェリッシュ(松崎義孝74歳、松崎悦子73歳)、西口久美子(73歳。フォークグループ「青い三角定規」)、黒沢年雄(80歳)、尾藤イサオ(80歳)、江木俊夫(72歳)、伊藤咲子(66歳)、大野真澄(74歳。フォークロックグループ元「ガロ」のメンバー)、あいざき進也(67歳)、元フィンガー5の晃(あきら。63歳)
ユーチューブで、保科有里さんの歌声を聴いてみました。とてもおじょうずです。
床山(とこやま):俳優や力士の髪を結う人(ゆうひと)。
この本は、保科有里さんの人生の集大成という位置づけで出された本だと理解しました。
人はだれしも、自分があの世にいくときに、自分が地球上で、この時代に生きていた痕跡を残しておきたいと思うものです。ときに人は、その夢を『本』という形で残そうとします。そう思いました。
橋幸夫さんのコメントがあります。
橋幸夫さんと聞くと、NHK朝ドラ、『あまちゃん』を思い出します。夏ばっぱのあこがれの人でした。歌曲、『いつでも夢を』が良かった。
ここまで書いてきて、『夢』という言葉が何度も出てくる本です。
読み終えました。なかなかいい本でした。
人には、いろいろな人生のパターンがあるわけで、標準的な就職、結婚、出産、育児というルートをたどらない人生もあるし、そのことを、いいとかそうでないとかと言うこともできないと思ったのでした。
さて、まだ少し感想を付け足しておきます。
橋幸夫さんのコメントがあります。(番組『徹子の部屋』で、一度引退したけれど、周囲に押されて復帰したと、先日お話しされていました。サラリーマンと違って、芸能人の方は、引退も復帰も自分次第です。ファンがいれば復帰はできます)
保科有里さんは、色気がないそうです。サバサバしていて、男の話(恋話)も聞かないそうです。
本格的なクラブ歌手で、松尾和子さん(1992年(平成4年)57歳没)とか、青江三奈さん(2000年(平成12年)59歳没)タイプの歌手だそうです。
東てる美さんのコメントがあります。
保科有里さんは、人柄がいい人ですとあります。また、運の話が出ます。ヒット曲が出るためには、運も関係してくるのです。
桑江知子さんと石井明美さんのコメントがあります。
みんな仲良しです。ひとりで歌う歌手は孤独なのですが、この世代の人たちはとても仲良しだそうです。
第五章に、ご本人からこれまでやってくることができたのは、『奇跡』だとして、その理由が説明されます。(わたしもたまに、これまで長い間生きてくることができたのは奇跡だと思うことがあります。長生きするためには、運が必要です)
人生の変化のタイミングについて書いてあります。
お母さんと妹さんへの感謝があります。
三十年ぐらい続く地元金沢でのラジオ番組の話があります。
ピンチになると、いつもだれかが助けてくれた。
小沢音楽事務所(芸能事務所)、菅原洋一(91歳)、伊東ゆかり(77歳)。
10年以上ホテルで歌を歌えた。
カラオケの先生をした。生徒は、60代・70代の女性(ご主人やご家族のことは忘れて、自分が女子高生だったころを思い出して、ステキな男性を思い浮かべながら歌いましょうというようなことが書いてあります。ずーっと、夫と家庭にしばられて、がまんしてきた自分を解放しましょうということでしょう)。うまい歌ではなくて、心にしみる歌をうたうことを指導されています。
(人生に歴史ありです)
保科有里さんは、自分のためにではなく、人のために歌うことにした。
男にとことん尽くしますというのは、自分はにがてだそうです。
自分には、ライバルがいなかった。(自分のようなタイプがいなかった)
夢スター:夢コンサートが開催する昭和歌謡歌合戦のユニット(集団)。120分間のコンサート。
挫折と奇跡を繰り返す人生だったそうです。
わたしも同じような世代ですから、健康に留意して長生きして、余生を楽しみましょう。
BS放送の番組の合間に、夢グループのコマーシャルが入ります。
初めて見たときには笑いました。
『DVD(デー・ブィ・デーという発音)』とか、『CD(シーデーという発音)』は、笑えるのですが、年配者にとってはわかりやすい! 買う人いるだろうなあ。
小型液晶画面なのに、『大画面(だいがめん)』、やっぱり買う人いるだろうなあ。
じょうずに宣伝してあります。
くわえて、『しゃちょーー もっとお安くしてーー』のかけ声とそのあとの格安値段で、これは、買う人いるだろうなーーと思ってしまうのです。
日曜夕方の番組『笑点(しょうてん)』で、桂宮路さんが、こちらの本の著者女性の物まねをします。『しゃちょーー』のかけ声に笑います。
本を読んでみることにしました。
『愛人(ではない)』ことが強調されている本です。
愛人とは:いろいろ解釈がありそうですが、この本の場合、社長のお妾さん(おめかけさん)のような印象があります。奥さん以外の恋人(社長がお金を女性に渡している)。2号さん。一夫多妻制のなごり。半世紀以上前、わたしがこどものころにはよくあった話です。社会的な立場が確立されていた記憶です。お妾さんでもちゃんとした仕事だった記憶で、地位もありました。お金を持っている男が、おおっぴらに女性を囲っていた時代です。
著者の場合は、まず、自分は社長の愛人ではありませんと否定されています。
“夢グループ”という会社における社長と社員の関係だそうです。
さて、読み始めます。
『千鳥の相席食堂(あいせきしょくどう)』に出たそうです。わたしは、以前は相席食堂を見ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。
ただし、先日は、鹿児島県沖永良部島編(おきのえらぶじま)で、島が、どんなところだろうかと興味が湧いたので見ました。女性のお笑いタレントさんが出ていて爆笑しました。8月6日放送、阿部なつき&オダ・ウエダの植田紫帆の旅!でした。植田紫帆さんのダイナマイトボディがすごかった。
株式会社夢グループ:通信販売事業会社。芸能事務所(コンサートの主催)。石田重廣社長。最初は、『狩人(かりゅうど。兄弟でのコーラス歌手。歌曲として、「あずさ2号」』のマネジメント担当会社としてスタートした。歌手三善英史が加入して、夢グループという名称になった。2022年(令和4年)5月、石田社長とこの本の著者保科有里さんがデュエットで歌手デビューした。(保科有里さんはもともと歌手で長い間歌っていたが、会社である夢グループの事務員もしていた)。
保科有里:歌手、62歳、石川県金沢市出身。未婚。
社長の愛人ではない。上司と部下ではある。社長と社員ではある。
石田社長にとって、保科有里さんは好みのタイプではない。
石田社長のご家族も、保科有里さん愛人説を聞いて笑っている。
保科有里さんは、好きで、『シャチョー! 安くして~!』と言っているわけではない。ほんとうは、そんなことを言うような人間ではない。自分は男に甘えるような人間ではない。勉強が好きではなかったので大学に行く気はなかった。高校を出て、自動車販売会社に入って、総務課で経理事務をしていた。車の運転が好きで、運転手役もしていた。そんなこんなが書いてあります。
まあ、すごい。有名人、芸能人がたくさんでてきます。
反発も受けています。ヒット曲がないのに、どうして、同じステージで歌うのだと責められています。
でも、彼女を誘った石田社長が自分のプライドをかけて、彼女を使い続けます。
芸能界というところは、『メンツ(立場。上下関係。世間体(せけんてい)。プライド(自信))』の世界であることがわかります。
保科有里さんについて思うのは、『人は変われる』ということです。
52ページまで読んで、今年読んで良かった一冊になりました。
非常に現実的なことが書いてある本です。
学びがある本です。
『第一章 「愛人」じゃなくて、「社長と社員」!』
保科有里さんは、1993年(平成5年)デビューです。1961年生まれですから、デビュー当時は、32歳ぐらいです。かなり遅いデビューです。
1996年(平成8年)、東京品川駅前のホテルで歌っていた時にレコードディレクターの塩入さんから石田社長を紹介されて、採用された。石田社長は軽い気持ちだったようです。
自分なりに思うのは、仕事は、才能と努力と人間関係です。自分の過去を振り返ってみてそう思います。自分だけの力だけでは伸びていけません。支えてくださる人が必要です。
されど、保科有里さんは、歌手としては売れません。歌を出してもさっぱりです。
夢グループのコンサートや舞台劇に出てくれた人です。
狩人、三善英史、チェリッシュ、千昌夫、松方弘樹、小林旭、黒沢年雄、島倉千代子、新沼謙治、山本リンダ、浅丘ルリ子、そこに保科有里さんが入ります。(本にも書いてありますが、保科有里さんがそこに並ぶのは、何かしらバランスがとれないような……)
本のつくり方に関する感想です。
ご本人のお話の部分は、明朝体の文章でつくられています。
石田社長ほか、お世話になった人たちの文章は、丸文字のゴシック体で文章が書いてあります。
意図的に区別されています。いとてき:目的があって、わざとそうしている。
思うに、文章は、出てくる各自が書かれたものではない。インタビューをもとにして、文章がまとめてある。まあ、そのような企画でつくられた本なのでしょう。
人間界の現実的な話です。お金もうけとか、プライド(自信満々になりたい)とか。
『第二章 金沢・我が町』
金沢市内でラジオ番組をもたれているそうです。ご自身の故郷が金沢市です。
昭和6年生まれの亡父(89歳で死去。クリーニング店をしていたが設備投資で失敗して廃業。保科有里さんが23歳、妹さんが15歳だった。その後借金が理由で離婚。されど親子の交流は続いた。父の借金を保科有里さんと母親で返した。(たいしたものです。親族間での助け合いは必要なことです)。『父の人生は若い頃からずっとつらかった』とあります。
昭和11年生まれの母。8歳年下の妹。4人家族だった。
保科有里さんは、お歌はおじょうずだったようで、NHKのど自慢でチャンピョンになったこともある。(歌がうまいだけでは、歌手としては食べていけない。唯一(ゆいいつ)という個性が欲しい)
石山奈穂美さん(高校時代からの親友)のコメントです。
保科有里さんは、目立たないタイプだった。歌好きで歌謡教室に通っていた。文化祭ではバンドを組んでいた。
二十代後半で、東京の有名な先生に誘われて、歌手になる最後のチャンスとして東京へ出て行った。
歌手ではなく、『社長、安くして~!』のコマーシャルで出てきたのでびっくりした。
そんな話が書いてあります。楽しい。
吉田万里子さん(OL時代の友人)のコメントです。自動車販売会社です。
保科有里さんは、仕事に厳しく怖いイメージの人だった。
色気は皆無だった。付き合ってみれば、気さくでかわいい人だったので意外だった。
お母さんと妹さんからのコメントがあります。
妹さんからみて、8歳年上のお姉さんである保科有里さんは、父親のような存在だそうです。(実父は離婚している)。
お母さんは、26歳ぐらいで東京に行くと行った娘に反対した。東京の先生には、『ダメなら早く返してください』とお願いした。
苦労話があります。親子とかきょうだいとかって、なんだろうなあと考えながら読んでいます。歳をとってから売れるということについても考えさせられました。
両親がトラブルで離婚すると、それを見ていたこどもは、結婚願望がなくなるということはあるようです。
女性も自分で働いて自活できるようになると、結婚を必要と感じなくなるもののようです。
(半面、女性にとっての『結婚』は、男性の収入に依存することと考えてしまいます)
男女交際において、男が複数の女性と交際をする。複数の女性の中にいる自分が、ほかの女性と比較される。男性に選ばれる立場になることが苦しい。
ご自身が、結婚相手ではなく、愛人の対象として見られてしまう。
誘ってくるオジさんが多い。
赤裸々な話がでます。(隠さない)
お金をもっていてもクズみたいなオジさんがいます。
(文句を言わなそうな女性が狙われます(ねらわれます))
そして、石田社長は、そんなオジさんではないのです。
石田社長は、宇宙人だそうです。視点が、へんなオジさんとは違うそうです。
たくさん、有名芸能人のお名前が出てきます。
夢グループでの歌謡ステージとか舞台劇でごいっしょされたのでしょう。びっくりします。
松方弘樹(2017年(平成29年)74歳没)、島倉千代子(2013年(平成25年)75歳没)、浅丘ルリ子(84歳)、小林旭(85歳)、橋幸夫(81歳。先日『徹子の部屋』に出演されたのを見ました)、東てるみ(あずまてるみ。68歳)、桑江知子(くわえ・ともこ。64歳)、石井明美(59歳)、平浩二(たいら・こうじ。75歳)、ロザンナ(ヒデとロザンナ。74歳)、葛城ユキ(2022年(令和4年)73歳没)、あべ静江(72歳)、おりも政夫(71歳)、チェリッシュ(松崎義孝74歳、松崎悦子73歳)、西口久美子(73歳。フォークグループ「青い三角定規」)、黒沢年雄(80歳)、尾藤イサオ(80歳)、江木俊夫(72歳)、伊藤咲子(66歳)、大野真澄(74歳。フォークロックグループ元「ガロ」のメンバー)、あいざき進也(67歳)、元フィンガー5の晃(あきら。63歳)
ユーチューブで、保科有里さんの歌声を聴いてみました。とてもおじょうずです。
床山(とこやま):俳優や力士の髪を結う人(ゆうひと)。
この本は、保科有里さんの人生の集大成という位置づけで出された本だと理解しました。
人はだれしも、自分があの世にいくときに、自分が地球上で、この時代に生きていた痕跡を残しておきたいと思うものです。ときに人は、その夢を『本』という形で残そうとします。そう思いました。
橋幸夫さんのコメントがあります。
橋幸夫さんと聞くと、NHK朝ドラ、『あまちゃん』を思い出します。夏ばっぱのあこがれの人でした。歌曲、『いつでも夢を』が良かった。
ここまで書いてきて、『夢』という言葉が何度も出てくる本です。
読み終えました。なかなかいい本でした。
人には、いろいろな人生のパターンがあるわけで、標準的な就職、結婚、出産、育児というルートをたどらない人生もあるし、そのことを、いいとかそうでないとかと言うこともできないと思ったのでした。
さて、まだ少し感想を付け足しておきます。
橋幸夫さんのコメントがあります。(番組『徹子の部屋』で、一度引退したけれど、周囲に押されて復帰したと、先日お話しされていました。サラリーマンと違って、芸能人の方は、引退も復帰も自分次第です。ファンがいれば復帰はできます)
保科有里さんは、色気がないそうです。サバサバしていて、男の話(恋話)も聞かないそうです。
本格的なクラブ歌手で、松尾和子さん(1992年(平成4年)57歳没)とか、青江三奈さん(2000年(平成12年)59歳没)タイプの歌手だそうです。
東てる美さんのコメントがあります。
保科有里さんは、人柄がいい人ですとあります。また、運の話が出ます。ヒット曲が出るためには、運も関係してくるのです。
桑江知子さんと石井明美さんのコメントがあります。
みんな仲良しです。ひとりで歌う歌手は孤独なのですが、この世代の人たちはとても仲良しだそうです。
第五章に、ご本人からこれまでやってくることができたのは、『奇跡』だとして、その理由が説明されます。(わたしもたまに、これまで長い間生きてくることができたのは奇跡だと思うことがあります。長生きするためには、運が必要です)
人生の変化のタイミングについて書いてあります。
お母さんと妹さんへの感謝があります。
三十年ぐらい続く地元金沢でのラジオ番組の話があります。
ピンチになると、いつもだれかが助けてくれた。
小沢音楽事務所(芸能事務所)、菅原洋一(91歳)、伊東ゆかり(77歳)。
10年以上ホテルで歌を歌えた。
カラオケの先生をした。生徒は、60代・70代の女性(ご主人やご家族のことは忘れて、自分が女子高生だったころを思い出して、ステキな男性を思い浮かべながら歌いましょうというようなことが書いてあります。ずーっと、夫と家庭にしばられて、がまんしてきた自分を解放しましょうということでしょう)。うまい歌ではなくて、心にしみる歌をうたうことを指導されています。
(人生に歴史ありです)
保科有里さんは、自分のためにではなく、人のために歌うことにした。
男にとことん尽くしますというのは、自分はにがてだそうです。
自分には、ライバルがいなかった。(自分のようなタイプがいなかった)
夢スター:夢コンサートが開催する昭和歌謡歌合戦のユニット(集団)。120分間のコンサート。
挫折と奇跡を繰り返す人生だったそうです。
わたしも同じような世代ですから、健康に留意して長生きして、余生を楽しみましょう。