2024年02月13日
幕が上がる 邦画 2015年(平成27年)
幕が上がる 邦画 2015年(平成27年) 1時間59分 動画配信サービス
伊藤沙莉さん(いとう・さいりさん)の才能が気に入って、最近伊藤さんが出演された映画を順番に観ています。これが4本目です。これまでに、『タイトル拒絶』と『ちょっと思い出しただけ』と『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』を観ました。
こちらの映画を観終えて、伊藤沙莉さん自身が中心の映画ではありませんでしたが、黒木華さん(くろきはるさん)と伊藤沙莉さんの凄み(すごみ:見ている人にぞっとした迫力を与える。ブルっと震える)と存在感は十分感じることができた映画でした。伊藤さんはまだ年齢的に若すぎて、出番が少なかったようです。
自分は老齢者であることもあって、この映画でメインになっている『ももいろクローバーZ』というものがどういうものかがわかりません。女性のアイドルグループということはわかります。ダンス&ボーカルグループという位置づけなのだろうか。先日テレビ番組『徹子の部屋』で、『新しい学校のリーダズ』というゲストの対談を見ました。4人のメンバーでした。ももいろクローバーZと同じようなタイプなのだろうと思いました。
幸運を呼ぶ『四葉(よつば)のクローバー』だから、4人が葉(は)で、桃色のクローバーなのだろうと、勝手な解釈をしています。(その後調べたら、メンバーのももたさんの「もも」も関係しているようです)
メンバーのうちの高城れに(たかぎ・れに)さんという方は、自分が好きな旅番組でおみかけしたことがあります。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅W テレビ東京 Tver(ティーバー)』と『ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 長野松本城から新潟高田城 テレビ東京』でお見かけしたことがあります。高城れにさんは素敵な人でした。彼女がいたからこそ村井美樹鉄道チームは、ゴールまでたどりつけました。観ているほうも励まされました。
映画は、高校演劇部を扱ったものでした。
演劇を競技のようにして競う(きそう)ことが、どういう意味があるのかわからないのですが、そういうものなのでしょう。
狭い世界にいる高校生たちです。
人間って、こんなふうにしゃべるかなあと思うようなセリフもあります。
ロミオとジュリエット シェークスピア
チェーホフ
銀河鉄道の夜 ジョバンニ カムパネルラ 昨年の夏に、東京都世田谷区下北沢にある本多劇場で観た、『鹿版 銀河鉄道の夜‘23』という音楽劇を思い出しました。
女子がたくさん出てくる映画です。
女子高生のひとり語りが続きます。ひとり語りで進行していく映像という手法を用いて(もちいて)あります。
ずるい女子高生のやりかたがあります。
『自分が何をしたいのかわからない』という言葉があります。自分のことなのに、自分で考えないのです。自分のことを人にやらせようとする。ずるくて卑怯な手法です。(ひきょう:うまくいかなかたっときに、アドバイスした相手に責任を転嫁(てんか。自分の身を守るために人のせいにする)する。あの人がこうするといいと言ったからこうなった)
黒木華さん(くろき・はるさん)の演技は引き締まっています。すごいなあ。
ひとり舞台を演じているようです。見ている人に、『感動を生む』、『影響を与える』演技があります。
その場に、『空間』をつくりだす。物語を編む(あむ)。たいしたものです。比較して、ほかの演者の女子たちは演技力不足です。
映画が始まって30分ぐらいが過ぎたあたりで、ようやく楽しそうな雰囲気になってきました。空気が変わりました。
(自分の)お父さんは嫌いなところがあるけれど、それでも好きというセリフが良かった。
こどものころの思い出についてです。
人は、過去に起きたことについて、たいてい嫌だったことを思い出します。楽しかったことはなかなか思い出せません。
でも、修学旅行はそうではない。学習目的だった活動の内容については忘れています。旅館の大部屋での枕投げとか、遊園地であばれるように無邪気に遊んだことは覚えています。
映像は、昔の高校の職員室風景です。机の上にノートパソコンが1台も置いてありません。
スポーツ根性もののようなようすがありますが、昭和時代のドラマ・映画に比べれば表現が弱い。
演劇発表会は、関係者が参加する関係者ばかりの演劇大会です。有料の観客はいません。
伊藤沙莉さんは、高校二年生の役です。同級生で、吉岡里穂さんとか、芳根京子さんがいます。
『神さまがおりてきた』
学校というのは、人生において、一時的な滞在地です。
学校を卒業して社会に出ると、学校でまわりにいた人たちとは、たいていやがて、会わなくなります。社会で、新しい人間関係ができます。
演劇・芸能の関係者を集めて、関係者の映画を撮ったのか。
錯覚の世界です。
女子同士のLOVEも表現してあるわけか。
『いいチーム』なれど、人により距離はあります。
高等学校演劇研究大会:軍隊式でもあります。
ハッピーエンドでしょう。
大学へ進学しないことが決まった人間にとって、高校の授業を受けることは、ムダな時間を過ごすこと。(そんな言葉が脳裏をよぎりました)
最後の黒木華さんの語りの部分は、銀河鉄道の夜のジョバンニが語っているようでした。
『演劇』を讃える映画でした。
国語の先生を演じられた志賀廣太郎さんの低音の声が素敵でした。すでにお亡くなりになっていることを知ってびっくりしました。(2020年(令和2年)71歳没)
錯覚と暗示の世界を空間として表現してある作品でした。
舞台の上ならどこにでもいける。だけど、どこにもいけないともいえる。それが、舞台の上。
不安があります。<どこでもないどこか。たどりつけない>
うーむ。演説(発表。表明)で終わらせるやり方は安易ではないかと……
『いこう全国に!』で最初に戻る。(最初のシーンに戻るのが、映画の基本パターンです)
娘のセリフとして、『親が言うなよ!』が良かった。
伊藤沙莉さん(いとう・さいりさん)の才能が気に入って、最近伊藤さんが出演された映画を順番に観ています。これが4本目です。これまでに、『タイトル拒絶』と『ちょっと思い出しただけ』と『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』を観ました。
こちらの映画を観終えて、伊藤沙莉さん自身が中心の映画ではありませんでしたが、黒木華さん(くろきはるさん)と伊藤沙莉さんの凄み(すごみ:見ている人にぞっとした迫力を与える。ブルっと震える)と存在感は十分感じることができた映画でした。伊藤さんはまだ年齢的に若すぎて、出番が少なかったようです。
自分は老齢者であることもあって、この映画でメインになっている『ももいろクローバーZ』というものがどういうものかがわかりません。女性のアイドルグループということはわかります。ダンス&ボーカルグループという位置づけなのだろうか。先日テレビ番組『徹子の部屋』で、『新しい学校のリーダズ』というゲストの対談を見ました。4人のメンバーでした。ももいろクローバーZと同じようなタイプなのだろうと思いました。
幸運を呼ぶ『四葉(よつば)のクローバー』だから、4人が葉(は)で、桃色のクローバーなのだろうと、勝手な解釈をしています。(その後調べたら、メンバーのももたさんの「もも」も関係しているようです)
メンバーのうちの高城れに(たかぎ・れに)さんという方は、自分が好きな旅番組でおみかけしたことがあります。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅W テレビ東京 Tver(ティーバー)』と『ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 長野松本城から新潟高田城 テレビ東京』でお見かけしたことがあります。高城れにさんは素敵な人でした。彼女がいたからこそ村井美樹鉄道チームは、ゴールまでたどりつけました。観ているほうも励まされました。
映画は、高校演劇部を扱ったものでした。
演劇を競技のようにして競う(きそう)ことが、どういう意味があるのかわからないのですが、そういうものなのでしょう。
狭い世界にいる高校生たちです。
人間って、こんなふうにしゃべるかなあと思うようなセリフもあります。
ロミオとジュリエット シェークスピア
チェーホフ
銀河鉄道の夜 ジョバンニ カムパネルラ 昨年の夏に、東京都世田谷区下北沢にある本多劇場で観た、『鹿版 銀河鉄道の夜‘23』という音楽劇を思い出しました。
女子がたくさん出てくる映画です。
女子高生のひとり語りが続きます。ひとり語りで進行していく映像という手法を用いて(もちいて)あります。
ずるい女子高生のやりかたがあります。
『自分が何をしたいのかわからない』という言葉があります。自分のことなのに、自分で考えないのです。自分のことを人にやらせようとする。ずるくて卑怯な手法です。(ひきょう:うまくいかなかたっときに、アドバイスした相手に責任を転嫁(てんか。自分の身を守るために人のせいにする)する。あの人がこうするといいと言ったからこうなった)
黒木華さん(くろき・はるさん)の演技は引き締まっています。すごいなあ。
ひとり舞台を演じているようです。見ている人に、『感動を生む』、『影響を与える』演技があります。
その場に、『空間』をつくりだす。物語を編む(あむ)。たいしたものです。比較して、ほかの演者の女子たちは演技力不足です。
映画が始まって30分ぐらいが過ぎたあたりで、ようやく楽しそうな雰囲気になってきました。空気が変わりました。
(自分の)お父さんは嫌いなところがあるけれど、それでも好きというセリフが良かった。
こどものころの思い出についてです。
人は、過去に起きたことについて、たいてい嫌だったことを思い出します。楽しかったことはなかなか思い出せません。
でも、修学旅行はそうではない。学習目的だった活動の内容については忘れています。旅館の大部屋での枕投げとか、遊園地であばれるように無邪気に遊んだことは覚えています。
映像は、昔の高校の職員室風景です。机の上にノートパソコンが1台も置いてありません。
スポーツ根性もののようなようすがありますが、昭和時代のドラマ・映画に比べれば表現が弱い。
演劇発表会は、関係者が参加する関係者ばかりの演劇大会です。有料の観客はいません。
伊藤沙莉さんは、高校二年生の役です。同級生で、吉岡里穂さんとか、芳根京子さんがいます。
『神さまがおりてきた』
学校というのは、人生において、一時的な滞在地です。
学校を卒業して社会に出ると、学校でまわりにいた人たちとは、たいていやがて、会わなくなります。社会で、新しい人間関係ができます。
演劇・芸能の関係者を集めて、関係者の映画を撮ったのか。
錯覚の世界です。
女子同士のLOVEも表現してあるわけか。
『いいチーム』なれど、人により距離はあります。
高等学校演劇研究大会:軍隊式でもあります。
ハッピーエンドでしょう。
大学へ進学しないことが決まった人間にとって、高校の授業を受けることは、ムダな時間を過ごすこと。(そんな言葉が脳裏をよぎりました)
最後の黒木華さんの語りの部分は、銀河鉄道の夜のジョバンニが語っているようでした。
『演劇』を讃える映画でした。
国語の先生を演じられた志賀廣太郎さんの低音の声が素敵でした。すでにお亡くなりになっていることを知ってびっくりしました。(2020年(令和2年)71歳没)
錯覚と暗示の世界を空間として表現してある作品でした。
舞台の上ならどこにでもいける。だけど、どこにもいけないともいえる。それが、舞台の上。
不安があります。<どこでもないどこか。たどりつけない>
うーむ。演説(発表。表明)で終わらせるやり方は安易ではないかと……
『いこう全国に!』で最初に戻る。(最初のシーンに戻るのが、映画の基本パターンです)
娘のセリフとして、『親が言うなよ!』が良かった。
2024年02月12日
充電バイクの旅 群馬白衣大観音から埼玉西武園ゆうえんち
出川哲朗の充電バイクの旅 群馬白衣大観音から埼玉西武園ゆうえんち TVer(ティーバー)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■行くぞ!高崎白衣大観音(たかさきびゃくえだいかんのん)からズズっと埼玉を縦断121キロ■ゴールは昭和のレトロ商店なんですが■ダイアン津田が初登場で大暴走■王林もタジタジでヤバイよヤバイよSP
昨年の紅葉の時期のロケだろうと思いながら映像を楽しみました。12月ぐらいではなかろうか。
ゲストのダイアン津田さんのギャグ、『ごいごいすーー』の意味がわからなかったのですが、調べて、『すごい!』を崩した(くずした)形の言葉であることがわかりました。変な言葉です。池の鯉(こい)を思い出します。
東野・岡村の『旅猿』で、津田さんは確か滋賀県の出身で、高校生の時にフェンシングで県大会優勝したというようなお話をされていました。
『東野&岡村の旅猿 再びおすすめ旅プラン聞きまくりの旅 hulu(フールー)2021年2月地上波放送分』
「ダイアン ユースケ(西澤裕介) 津田篤弘 滋賀県琵琶湖で自然と触れ合う旅」
ふたりとも滋賀県出身なので、やはり、滋賀県が旅の行き先です。自分にはよくわかりませんが、津田篤弘さんがお金持ちの家の婿養子に入っていい思いをしているという話が大半でした。
冒頭から穏やかで(おだやかで)、楽しい交流が続きます。
アイスキャンディー『ガリガリ君』をつくっている赤城乳業の建物は、ほかのテレビ番組でも見ました。番組内で紹介が合ったとおり、『ガツンとミカン』というアイスキャンディーもおいしいです。
熊谷市内(くまがや市内)で、銭湯(せんとう)と酒屋を見間違えてしまいます。酒屋の煙突が銭湯の煙突に見えました。しかたがありません。
銭湯内のつくりはなつかしい、若い頃、職場の独身寮に入っていて、フロはなかったので、毎日のように洗面器に石鹸とタオルを入れて、銭湯までトコトコと歩いて通いました。記憶があやふやですが、入浴料金は170円ぐらいだったと思います。頭を洗う時は30円ぐらいをプラスしていました。10円か20円だったかなあ。もう記憶があいまいです。
ペルー料理店での食事風景が出てきます。
昨年秋に東京市ヶ谷(いちがや)にあるJICA(ジャイカ。国際協力機構)内にあるレストランでペルー料理の昼食を食べたことを思い出しました。ぜいたくな料理というわけではなくて、地元の人たちがふだん食べているごはんで安価でした。う~む。その時のごはんをおいしいとは思いませんでしたが、こちらの映像で出てきた穀物・野菜類のスープはおいしそうでした。出川さんもおいしいと話されていました。
後半ゲストの王林さんは、以前、太川陽介さんのバスVS鉄道対決旅でお見かけしました。旅番組への出演がお好きなのでしょう。
王林さんはこのあと、テレビ番組ヒルナンデスのロケで訪れた埼玉のブタのテーマパークである、『サイボク』というところで、テーマパークの人に、以前来ましたよねと問いかけられてポカ~ンとされていました。(来たことを忘れていた)。3年前のことで覚えていないそうです。ロケの途中、トンカツを食べているときのトンカツで記憶がよみがえったそうです。
訪問地として、横穴がたくさんある場所を訪れました。古墳群です。『吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)』
以前読んだ児童文学作品を思い出しました。『トーキョー・クロスロード 濱野京子 ポプラ文庫』中学三年生のころの思い出が始まります。埼玉県吉見百穴:古墳時代後期の横穴古墳。ヒカリゴケあり。
東松山市では、焼き鳥は、鶏肉(とりにく)ではなく、ブタ肉だそうです。『カシラ』は、ブタの頭だそうです。王林さんは、ねぎまを頼んでみそだれで召し上がっておられました。通りがかりのおじさんからお茶を差し入れしてもらいました。ローカルです。(いなかの人たちとの気取らない交流があります)
ときおり、白い雪をかぶった富士山の雄大な山頂付近が映像に出てきます。気持ちがいいお天気でした。
南地区体育館というところで、ちびっこたちとバスケットボールの試合をしました。楽しかった。ちびっこでもバスケットがうまい。ケガをしないように気をつけてプレイしてねーー こどもたちみんなの笑顔がステキでした。女子チームとやって、そのあと男子チームとやって、激しい試合でした。ちびっこたちは、体は小さくてもシュートしたボールは、的確にバスケットゴールに吸い込まれていきます。
充電依頼のときに王林さんが、個人宅の玄関ドアの前で、『話聞いてください!』と強気でした。すごいなあ。<家の人から、「ちょっと待って」と言われて、いったんドアを閉じられてしまいました>
所沢の西武園ゆうえんちは、ライトアップがきれいでした。
『夕日の丘商店街』と観覧場所が出ました。
1960年代ですから、昭和35年以降です。自分はまだこどもでした。なつかしい。光と灯り(あかり)の祭典です。
上からドライアイスの雪が落ちてきました。
いい雰囲気づくりです。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■行くぞ!高崎白衣大観音(たかさきびゃくえだいかんのん)からズズっと埼玉を縦断121キロ■ゴールは昭和のレトロ商店なんですが■ダイアン津田が初登場で大暴走■王林もタジタジでヤバイよヤバイよSP
昨年の紅葉の時期のロケだろうと思いながら映像を楽しみました。12月ぐらいではなかろうか。
ゲストのダイアン津田さんのギャグ、『ごいごいすーー』の意味がわからなかったのですが、調べて、『すごい!』を崩した(くずした)形の言葉であることがわかりました。変な言葉です。池の鯉(こい)を思い出します。
東野・岡村の『旅猿』で、津田さんは確か滋賀県の出身で、高校生の時にフェンシングで県大会優勝したというようなお話をされていました。
『東野&岡村の旅猿 再びおすすめ旅プラン聞きまくりの旅 hulu(フールー)2021年2月地上波放送分』
「ダイアン ユースケ(西澤裕介) 津田篤弘 滋賀県琵琶湖で自然と触れ合う旅」
ふたりとも滋賀県出身なので、やはり、滋賀県が旅の行き先です。自分にはよくわかりませんが、津田篤弘さんがお金持ちの家の婿養子に入っていい思いをしているという話が大半でした。
冒頭から穏やかで(おだやかで)、楽しい交流が続きます。
アイスキャンディー『ガリガリ君』をつくっている赤城乳業の建物は、ほかのテレビ番組でも見ました。番組内で紹介が合ったとおり、『ガツンとミカン』というアイスキャンディーもおいしいです。
熊谷市内(くまがや市内)で、銭湯(せんとう)と酒屋を見間違えてしまいます。酒屋の煙突が銭湯の煙突に見えました。しかたがありません。
銭湯内のつくりはなつかしい、若い頃、職場の独身寮に入っていて、フロはなかったので、毎日のように洗面器に石鹸とタオルを入れて、銭湯までトコトコと歩いて通いました。記憶があやふやですが、入浴料金は170円ぐらいだったと思います。頭を洗う時は30円ぐらいをプラスしていました。10円か20円だったかなあ。もう記憶があいまいです。
ペルー料理店での食事風景が出てきます。
昨年秋に東京市ヶ谷(いちがや)にあるJICA(ジャイカ。国際協力機構)内にあるレストランでペルー料理の昼食を食べたことを思い出しました。ぜいたくな料理というわけではなくて、地元の人たちがふだん食べているごはんで安価でした。う~む。その時のごはんをおいしいとは思いませんでしたが、こちらの映像で出てきた穀物・野菜類のスープはおいしそうでした。出川さんもおいしいと話されていました。
後半ゲストの王林さんは、以前、太川陽介さんのバスVS鉄道対決旅でお見かけしました。旅番組への出演がお好きなのでしょう。
王林さんはこのあと、テレビ番組ヒルナンデスのロケで訪れた埼玉のブタのテーマパークである、『サイボク』というところで、テーマパークの人に、以前来ましたよねと問いかけられてポカ~ンとされていました。(来たことを忘れていた)。3年前のことで覚えていないそうです。ロケの途中、トンカツを食べているときのトンカツで記憶がよみがえったそうです。
訪問地として、横穴がたくさんある場所を訪れました。古墳群です。『吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)』
以前読んだ児童文学作品を思い出しました。『トーキョー・クロスロード 濱野京子 ポプラ文庫』中学三年生のころの思い出が始まります。埼玉県吉見百穴:古墳時代後期の横穴古墳。ヒカリゴケあり。
東松山市では、焼き鳥は、鶏肉(とりにく)ではなく、ブタ肉だそうです。『カシラ』は、ブタの頭だそうです。王林さんは、ねぎまを頼んでみそだれで召し上がっておられました。通りがかりのおじさんからお茶を差し入れしてもらいました。ローカルです。(いなかの人たちとの気取らない交流があります)
ときおり、白い雪をかぶった富士山の雄大な山頂付近が映像に出てきます。気持ちがいいお天気でした。
南地区体育館というところで、ちびっこたちとバスケットボールの試合をしました。楽しかった。ちびっこでもバスケットがうまい。ケガをしないように気をつけてプレイしてねーー こどもたちみんなの笑顔がステキでした。女子チームとやって、そのあと男子チームとやって、激しい試合でした。ちびっこたちは、体は小さくてもシュートしたボールは、的確にバスケットゴールに吸い込まれていきます。
充電依頼のときに王林さんが、個人宅の玄関ドアの前で、『話聞いてください!』と強気でした。すごいなあ。<家の人から、「ちょっと待って」と言われて、いったんドアを閉じられてしまいました>
所沢の西武園ゆうえんちは、ライトアップがきれいでした。
『夕日の丘商店街』と観覧場所が出ました。
1960年代ですから、昭和35年以降です。自分はまだこどもでした。なつかしい。光と灯り(あかり)の祭典です。
上からドライアイスの雪が落ちてきました。
いい雰囲気づくりです。
2024年02月09日
古くて新しい仕事 島田潤一郎
古くて新しい仕事 島田潤一郎 新潮社
1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。
33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。
求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。
どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。
自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。
自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。
読み始めます。
2章『だれかのための仕事』
動機とはなんだろう。
わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。
動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。
極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。
仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。
著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。
生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。
著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。
血族を亡くした場合の自分なりの考えです。
亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。
『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』
(2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた)
その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。
本音が正直に書いてあります。
会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。
こどもを亡くした親の思いがつづられています。
朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない……
読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。
3章『小さな声のする方へ』
アイロニー:皮肉、反語
レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没
ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。
共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。
本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』
それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』
あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』
さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』
著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか)
読み終えて、思ったことです。
いろんな人がいるんだなあ。
競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)
1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。
33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。
求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。
どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。
自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。
自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。
読み始めます。
2章『だれかのための仕事』
動機とはなんだろう。
わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。
動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。
極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。
仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。
著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。
生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。
著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。
血族を亡くした場合の自分なりの考えです。
亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。
『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』
(2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた)
その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。
本音が正直に書いてあります。
会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。
こどもを亡くした親の思いがつづられています。
朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない……
読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。
3章『小さな声のする方へ』
アイロニー:皮肉、反語
レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没
ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。
共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。
本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』
それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』
あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』
さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』
著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか)
読み終えて、思ったことです。
いろんな人がいるんだなあ。
競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)
2024年02月08日
添い寝(そいね)
添い寝(そいね)
旅先のホテルで、小学校低学年の男の孫とベッドで添い寝をすることがあります。
孫がいっしょに寝たがります。孫には甘い祖父なので、孫からは慕われています。よくなついてくれています。
初めての添い寝の時は、夜中に孫がベッドから転落しました。(とはいえ、おおごとにはなりません)
その後の宿泊では転落することもなく熟睡しているようすです。
隣で小さなこどもが寝ていると、自分も気持ちが落ち着きます。
孫が生まれたときの姿を覚えているので、大きくなったなあという実感があります。
自分が小学生だったころ、たまにおねしょをしていました。
夜中にオヤジがこっちへこいと呼ぶので、オヤジのふとんでふたりで寝ました。
わたしは、いばりんぼうで権力的なオヤジがキライでしたが、濡れたふとんで寝るのはイヤでした。
オヤジのふとんはあったかくて、気持ちが良かったことを今でも覚えています。
中学の時にオヤジが病気で死んでからもう50年以上がたちました。
時が過ぎるのは早いものです。いろいろありましたが、やれやれです。残りの人生という時間を楽しんで、孫たちにいいじいさんだったと惜しまれながら(おしまれながら)、この世にサヨナラしたいものです。
旅先のホテルで、小学校低学年の男の孫とベッドで添い寝をすることがあります。
孫がいっしょに寝たがります。孫には甘い祖父なので、孫からは慕われています。よくなついてくれています。
初めての添い寝の時は、夜中に孫がベッドから転落しました。(とはいえ、おおごとにはなりません)
その後の宿泊では転落することもなく熟睡しているようすです。
隣で小さなこどもが寝ていると、自分も気持ちが落ち着きます。
孫が生まれたときの姿を覚えているので、大きくなったなあという実感があります。
自分が小学生だったころ、たまにおねしょをしていました。
夜中にオヤジがこっちへこいと呼ぶので、オヤジのふとんでふたりで寝ました。
わたしは、いばりんぼうで権力的なオヤジがキライでしたが、濡れたふとんで寝るのはイヤでした。
オヤジのふとんはあったかくて、気持ちが良かったことを今でも覚えています。
中学の時にオヤジが病気で死んでからもう50年以上がたちました。
時が過ぎるのは早いものです。いろいろありましたが、やれやれです。残りの人生という時間を楽しんで、孫たちにいいじいさんだったと惜しまれながら(おしまれながら)、この世にサヨナラしたいものです。
2024年02月07日
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎 夏葉社
1章から3章まであります。
『1章』
八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。
この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。
途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。
佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。
32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。
(つづく)
本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)
地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)
文章では、せつないほどの努力話が続きます。
本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
お客さんとの『信頼』が大事。
いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
いなかだからできる商売ともいえます。
本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
たいしたものです。
『2章』
本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
書店経営者が読むのに適した本です。
2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。
人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。
読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。
さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。
場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。
もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
再生とか、再起があります。
ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。
会社は、利益の追求だけではやっていけない。
会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
パン屋まで始まりました。
いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
先祖代々引き継いできた財産があります。
こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。
週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。
『3章』
こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。
最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。
もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)
『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』
迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
(いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)
192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。
大事なことは、『待つこと』と結んであります。
静かに待つことは案外むずかしい。
人の話をゆっくり聴く。
待てない人は、相手の想いを聴けていない。
いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。
広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
三次市(みよしし):広島県みよしし
津山市:岡山県津山市
1章から3章まであります。
『1章』
八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。
この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。
途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。
佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。
32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。
(つづく)
本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)
地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)
文章では、せつないほどの努力話が続きます。
本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
お客さんとの『信頼』が大事。
いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
いなかだからできる商売ともいえます。
本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
たいしたものです。
『2章』
本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
書店経営者が読むのに適した本です。
2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。
人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。
読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。
さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。
場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。
もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
再生とか、再起があります。
ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。
会社は、利益の追求だけではやっていけない。
会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
パン屋まで始まりました。
いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
先祖代々引き継いできた財産があります。
こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。
週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。
『3章』
こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。
最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。
もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)
『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』
迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
(いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)
192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。
大事なことは、『待つこと』と結んであります。
静かに待つことは案外むずかしい。
人の話をゆっくり聴く。
待てない人は、相手の想いを聴けていない。
いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。
広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
三次市(みよしし):広島県みよしし
津山市:岡山県津山市
2024年02月06日
寝ても覚めても 邦画 2018年
寝ても覚めても 邦画 2018年(平成30年) 1時間59分 動画配信サービス
女優伊藤沙莉さんに魅力を感じて見始めた4本目でした。これまでに、『タイトル拒絶』と『ちょっと思い出しただけ』と『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』を観ました。
こちらの映画では、伊藤沙莉さんはわき役でしたが、なかなかのいい演技でした。迫力があり、力強い。
映画の内容については酷評になりそうです。
原作の小説は読んだことがありますが、自分には合わない内容だったようで、ストーリーを覚えていません。感想メモは残っていました。その一部です。
『寝ても覚めても 柴崎友香 河出文庫』
寝ても覚めてもというのは、おそらく、男子に恋をしたあさちゃん22歳大卒就職者が、ビルの27階で偶然出会った青年(22歳から23歳ぐらい)に恋をして、一日中、男子のことを恋焦がれる物語だと今は受け止めて読んでいます。
主人公の彼氏は、ふっとどこかへ行ってしまう習性あり。主人公の泉谷朝子は家族と断絶している気配あり。
同じ顔をもつふたり目の男性が登場します。彼は実は同一人物で記憶喪失なのか。それとも、最初の人物は詐称していたのか。次の人物が詐称なのか。
途中で? どういうことなのだろう。読んでいて混乱が生じてきました。
悪く言えば、「自分勝手」、よく言えば、「自由奔放」、されど、31歳に達した主人公はもう若くはない。最後に「腐れ縁」「女の性(さが)」ホラー小説みたいでした。
さて、映画のほうの感想です。途中で、ああ、この映画で、主役の男女の俳優さんの人生がおかしくなったのか……(気づきました。熊太郎は、たまたまテレビで、リアルタイムで、主役男性の不倫に関する記者会見を観ていました)
記者から、奥さんと不倫相手の女性(この映画の共演者)のどちらが好きなのかと問われて、男優さんから、『答えられません』と返答がありました。あきれました。この男優さんは、見た目はおとなですが、頭の中身はこどもだと判断しました。
1本の映画作品が観る者の人生を変えることがあります。(勇気をもらって)
ところが、この1本の映画作品が、出演者ふたりの人生を変えてしまいました。
主役の女性のキャラクター(個性)ですが、衣食住の基本的な生活を送るための生活能力があるようには見えません。
生活していくためには、衣食住のルーティン(きまりきった動作。日課)と電気・ガス・水道などの契約のしかたほかの契約ごとを知らなければなりません。めんどうなことはいくらでもあります。
映画は、イメージビデオの映像を観ているようです。人間ではなく、人形です。
カップルがいちゃつく映画です。男も女も、なよなよしています。なんどか、もう観るのをやめようかと思いました。時間のムダです。
この映画もまたタバコ映画でした。
いくら顔や姿が似ていたとしても、しょせん別人です。この話は成立しません。
性格とか資質とかではなく、外見(がいけん)だけがいいという理由の愛情は長続きしません。
顔が似た恋人男性がふたり登場するというこのパターン、以前恋愛ドラマ、『101回目のプロポーズ』で見たような記憶があります。1991年(平成3年)ころです。
つまらない映画になりそうです。イケメンと美女の映画というだけの中身か。
主役ふたりの関西なまりのイントネーションが変です。(抑揚よくよう。声の音の上げ下げ)
東京の人がしゃべる関西弁です。生活感がない。つくりものの世界です。
チェーホフ:ロシアの劇作家、小説家。1860年(日本は明治維新が1868年)-1904年(明治37年)44歳没。
人間の心の動きの中身がありません。
猫が出てくるのですが、猫自身も演技不足です。
猫が場所になじんでいない。(猫自身が暮らしている家という設定なのに、猫が初めてそこに来たという感じが映像を見ていてわかります)
原作の小説に、東日本大震災の話はなかったような……
東北現地の映像はギャップが大きい。(ギャップ:へだたり)現地の人たちの暮らしは生々しいのに、演者は別の世界から来た宇宙人みたいでした。つくりもののシーンです。
主役のふたりはどうしてあんな平坦な話し方をするのだろう。感情の移入がない話し方です。
ふたりとも棒読みのセリフなのは、何か意図があるのでしょうが、良い効果は出ていません。力不足でした。中国人が、カタコト日本語を話しているようでした。
女の人は、秘密をかかえて生きています。(男性関係について)
現実社会では、男は、そういうことを好きな女性には、聞かないほうがいい。
主人公の女性は、OL仕事ができるような人には見えない。事務とか経理とか、営業とか接客とか。
どうして、なんどもなんども、映像でふたりはキスを繰り返すのだろう。映画を観ているほうが喜ぶと思っていたら大きな勘違いです。不快です。
風景映像もどれもすてきな場所には見えません。
つまらない展開です。(行方不明者の再登場)
まあ、入籍をしていないということは、こうなるリスクがあるということです。(権利義務関係がない者同士の別れに拘束力はない)
信頼関係を裏切ると、いろいろなことでほころびが生じます。(しょうじます)
事故で亡くなった仲本工事さんが出演されています。こどもの時からドリフターズのコントで仲本工事さんを知っているので親しみがあります。お気の毒なことをしました。
お金を貸してくださいなんて、勝手な女(ひと)だなあ。
主役の女優さんは、着用している衣服がきれいすぎる。東北震災津波被災地の背景となじんでいません。
後半の男女のゴタゴタのゆくえは、名作『幸せの黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)』を思い出しました。1977年(昭和52年)の作品でした。
男と女は、こういうことがある。そして縁があるとずっとやっていける。
クライマックスの描き方は良かった。もりあがりの描き方はこれでいい。
<人間の気持ちを変えることはできる>
猫か。大丈夫。主人公女性は、家に入って行けばいい。
最後はじょうずにまとめてありました。セミの声(せみしぐれ)のBGM(バックグラウンドミュージック)が良かった。
女子の知り合いの奥さんが無事に女の子を出産したわけですが、主演女優さんの演技には実感がこもっていませんでした。情が薄い。
主演男優さんのセリフ、『俺はきっと、一生おまえのこと信じへんで』は、実感がこもっていた。
映像に出てくる川は、人生の暗示だと受け取りました。汚い川だけれど、きれいという感覚があります。まあ、夜は、川が流れる音がうるさくて眠れなさそうではあります。
女優伊藤沙莉さんに魅力を感じて見始めた4本目でした。これまでに、『タイトル拒絶』と『ちょっと思い出しただけ』と『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』を観ました。
こちらの映画では、伊藤沙莉さんはわき役でしたが、なかなかのいい演技でした。迫力があり、力強い。
映画の内容については酷評になりそうです。
原作の小説は読んだことがありますが、自分には合わない内容だったようで、ストーリーを覚えていません。感想メモは残っていました。その一部です。
『寝ても覚めても 柴崎友香 河出文庫』
寝ても覚めてもというのは、おそらく、男子に恋をしたあさちゃん22歳大卒就職者が、ビルの27階で偶然出会った青年(22歳から23歳ぐらい)に恋をして、一日中、男子のことを恋焦がれる物語だと今は受け止めて読んでいます。
主人公の彼氏は、ふっとどこかへ行ってしまう習性あり。主人公の泉谷朝子は家族と断絶している気配あり。
同じ顔をもつふたり目の男性が登場します。彼は実は同一人物で記憶喪失なのか。それとも、最初の人物は詐称していたのか。次の人物が詐称なのか。
途中で? どういうことなのだろう。読んでいて混乱が生じてきました。
悪く言えば、「自分勝手」、よく言えば、「自由奔放」、されど、31歳に達した主人公はもう若くはない。最後に「腐れ縁」「女の性(さが)」ホラー小説みたいでした。
さて、映画のほうの感想です。途中で、ああ、この映画で、主役の男女の俳優さんの人生がおかしくなったのか……(気づきました。熊太郎は、たまたまテレビで、リアルタイムで、主役男性の不倫に関する記者会見を観ていました)
記者から、奥さんと不倫相手の女性(この映画の共演者)のどちらが好きなのかと問われて、男優さんから、『答えられません』と返答がありました。あきれました。この男優さんは、見た目はおとなですが、頭の中身はこどもだと判断しました。
1本の映画作品が観る者の人生を変えることがあります。(勇気をもらって)
ところが、この1本の映画作品が、出演者ふたりの人生を変えてしまいました。
主役の女性のキャラクター(個性)ですが、衣食住の基本的な生活を送るための生活能力があるようには見えません。
生活していくためには、衣食住のルーティン(きまりきった動作。日課)と電気・ガス・水道などの契約のしかたほかの契約ごとを知らなければなりません。めんどうなことはいくらでもあります。
映画は、イメージビデオの映像を観ているようです。人間ではなく、人形です。
カップルがいちゃつく映画です。男も女も、なよなよしています。なんどか、もう観るのをやめようかと思いました。時間のムダです。
この映画もまたタバコ映画でした。
いくら顔や姿が似ていたとしても、しょせん別人です。この話は成立しません。
性格とか資質とかではなく、外見(がいけん)だけがいいという理由の愛情は長続きしません。
顔が似た恋人男性がふたり登場するというこのパターン、以前恋愛ドラマ、『101回目のプロポーズ』で見たような記憶があります。1991年(平成3年)ころです。
つまらない映画になりそうです。イケメンと美女の映画というだけの中身か。
主役ふたりの関西なまりのイントネーションが変です。(抑揚よくよう。声の音の上げ下げ)
東京の人がしゃべる関西弁です。生活感がない。つくりものの世界です。
チェーホフ:ロシアの劇作家、小説家。1860年(日本は明治維新が1868年)-1904年(明治37年)44歳没。
人間の心の動きの中身がありません。
猫が出てくるのですが、猫自身も演技不足です。
猫が場所になじんでいない。(猫自身が暮らしている家という設定なのに、猫が初めてそこに来たという感じが映像を見ていてわかります)
原作の小説に、東日本大震災の話はなかったような……
東北現地の映像はギャップが大きい。(ギャップ:へだたり)現地の人たちの暮らしは生々しいのに、演者は別の世界から来た宇宙人みたいでした。つくりもののシーンです。
主役のふたりはどうしてあんな平坦な話し方をするのだろう。感情の移入がない話し方です。
ふたりとも棒読みのセリフなのは、何か意図があるのでしょうが、良い効果は出ていません。力不足でした。中国人が、カタコト日本語を話しているようでした。
女の人は、秘密をかかえて生きています。(男性関係について)
現実社会では、男は、そういうことを好きな女性には、聞かないほうがいい。
主人公の女性は、OL仕事ができるような人には見えない。事務とか経理とか、営業とか接客とか。
どうして、なんどもなんども、映像でふたりはキスを繰り返すのだろう。映画を観ているほうが喜ぶと思っていたら大きな勘違いです。不快です。
風景映像もどれもすてきな場所には見えません。
つまらない展開です。(行方不明者の再登場)
まあ、入籍をしていないということは、こうなるリスクがあるということです。(権利義務関係がない者同士の別れに拘束力はない)
信頼関係を裏切ると、いろいろなことでほころびが生じます。(しょうじます)
事故で亡くなった仲本工事さんが出演されています。こどもの時からドリフターズのコントで仲本工事さんを知っているので親しみがあります。お気の毒なことをしました。
お金を貸してくださいなんて、勝手な女(ひと)だなあ。
主役の女優さんは、着用している衣服がきれいすぎる。東北震災津波被災地の背景となじんでいません。
後半の男女のゴタゴタのゆくえは、名作『幸せの黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)』を思い出しました。1977年(昭和52年)の作品でした。
男と女は、こういうことがある。そして縁があるとずっとやっていける。
クライマックスの描き方は良かった。もりあがりの描き方はこれでいい。
<人間の気持ちを変えることはできる>
猫か。大丈夫。主人公女性は、家に入って行けばいい。
最後はじょうずにまとめてありました。セミの声(せみしぐれ)のBGM(バックグラウンドミュージック)が良かった。
女子の知り合いの奥さんが無事に女の子を出産したわけですが、主演女優さんの演技には実感がこもっていませんでした。情が薄い。
主演男優さんのセリフ、『俺はきっと、一生おまえのこと信じへんで』は、実感がこもっていた。
映像に出てくる川は、人生の暗示だと受け取りました。汚い川だけれど、きれいという感覚があります。まあ、夜は、川が流れる音がうるさくて眠れなさそうではあります。