2024年02月05日

シン・ゴジラ 邦画 2016年

シン・ゴジラ 邦画 2016年(平成28年) 1時間59分 動画配信サービス

 上映後年数がたっていますが、久しぶりに怪獣映画を観ました。
 もうずいぶん昔にまだこどもだった息子を連れてふたりで映画館にゴジラ映画を見に行ったことを思い出します。息子はまだ小学校入学前でした。暗い館内で、スクリーンにゴジラが出てくると外に出て(こわいから)、ゴジラがひっこむと暗い館内に入ってということを繰り返しました。そんなことがあったなと思い出しながらの映像鑑賞が始まりました。
 自分自身は、小学二年生の時に、中学一年の時に病死した父親と、『ガメラ対バルゴン』を映画館へ観に行きました。怪獣の血は緑色だということをそのとき記憶しました。
 怪獣映画というのは、父親と息子というコンビで、映画館に観に行くものという定義が自分の頭の中にあります。

 うーむ。ゴジラ=大地震と言い換えてもいい。内閣とか、政府の対応に注目がいきます。(先日、能登半島地震が起きたせいもあります)

 登場人物たちが、みんなポンポンとしゃべるので、見ている自分の頭脳がついていけません。ゆっくりしゃべってほしい。緊迫感を表現するためなのでしょうが、見ていてわかりづらく、途中でもう見るのをやめようかという気持ちにすらなりました。
 みんな、セリフが一本調子で、おもしろくありません。うざい(わずらわしい)。

 どうやってゴジラを追い払うのだろうか。押したり引いたりの攻防があるのでしょう。
 ①排除(東京湾の外に出す) ②駆除(殺してしまう) ③捕獲 のパターンがあります。

 ゴジラは、すごいパワーです!
 対応できる人材がいない。

 姿を現したゴジラは、トカゲみたい。おもちゃみたいなモンスターでした。(最初は、ゴジラじゃないと思いました。この巨大生物と本物のゴジラが対決するのだろうと勘違いしました。
 トカゲみたいな生物が、さなぎのように変化して、脱皮(だっぴ)みたいなことをして、さらに巨大なゴジラに成長するのです)

 登場人物たちは、ゆっくりしゃべってほしい。聞き取れません。

 いいセリフだなと思ったのが、『根拠のない楽観は禁物です。(きんもつです)』

 東京が能登半島地震の輪島市のような、被災地の風景になっていきます。
 トランペットの音、小学生の声、アナウンサーたちの声を重ねて、喧騒感(けんそうかん。騒々しい(そうぞうしい))を出します。

 核分裂の話が出てきます。ゴジラのエネルギーは、原子力なのです。(大地震発生時の原子力発電所の事故のイメージがあります)

 映像の中は、理屈ばかりが先行していて、見ていて楽しくありません。言葉のやりとりばかりが続きます。
 ときどき英語をまじえてしゃべる若い女性の話し方がうっとうしくもある。(その後、ためぐちになりました(です。ますの丁寧言葉は、使わない話し方))

 地震と原子力発電所の関係を考えながら映像を観てしまいます。(お金か人命かです)

 自衛隊や米軍の火器が、ゴジラめがけてさく裂しますが、ゴジラの体を破壊することはできません。
 ゴジラは、口から火を吹き、そのうち光線を吹き、しっぽや、背中のヒレからも光線が出てきます。ゴジラは、神の化身となります。ゴジラの怒りで、東京は火の海です。どう終息(しゅうそく。終わり)させるのだろうか。
 
 伏線としてのゴジラを研究していたらしき博士(行方不明。たぶん亡くなっている)の地図みたいな大きなペーパーが出てきます。(『折り紙』という手段で決着がつきます)

 ゴジラと人類とのバトルのシーンは、それほどの回数はありません。

 核爆弾でゴジラを破壊する計画が出ます。とうぜん、放射能が広がります。(だめでしょ!)

 自分なりに考えました。
 ①毒を飲ませる。 ②病気にさせる。 ③ゴジラの口から害虫を入れる。
 体の中からやっつけるのです。(じっさい、そのような展開になっていきました)

 放射性物質を無効化する。
 やすおり作戦と聞こえました。(「ヤシオリ作戦」でした。ヤシオリは、ヤマタノオロチだそうです)

 東京駅丸の内出口あたりでの戦闘です。(去年11月に自分が予約してあった新幹線発車待ちのために時間つぶしで座っていた駅前の場所が映ったので映画に親しみを感じました)

 地味なやり方です。(口から服薬させるような感じ)
 胸部中心部の温度(体温みたいなもの)が、マイナス196度に低下したと聞こえました。ゴジラの動きは止まりました。

 最後は政治の話です。責任をとるとかとらないとか、(なんだかいまどきのご時世の裏金不祥事政党派閥のことに類似しています)、まあ、最終的に、選挙民の判断ということもあるでしょう。
 ゴジラは、凍ったような状態で、東京駅の横で立ったままです。映画が、終わりました。
 ちょっと拍子抜けしました。(期待外れ(はずれ))

(その後)
 最近話題になっている『ゴジラ‐1.0(ゴジラマイナスワン)』という映画を知りました。今回たまたま新旧のゴジラ映画のことを知りました。いい作品だそうです。小学校低学年の男の孫はこわがりぃなので、ゴジラ映画の鑑賞は嫌がります。ドラえもん映画のほうを観たいそうです。たしか『ドラえもん のびたの地球交響楽』というようなタイトルです。小学生の春休み向け映画ですな。  

2024年02月03日

電車の中で本を読む 島田潤一郎

電車の中で本を読む 島田潤一郎 青春出版社

 誠実で良心的な本です。書いた人の人柄が伝わってきます。
 まだ、第一章の終わり54ページまで読んだところですが感想を書き始めます。
 苦しい人生を、本に救われるということはあります。

 『第一章 高知から本を思う』
 四国高知での出来事が書いてあります。熊太郎じいさんは、19歳の時に高知市内へ行ったことがあります。友だち5人、車2台テント持参で、野宿をしながら四国を半周しました。そのときのことを思い出しながら読みました。

 内容は高知新聞社が発行する『K+』という冊子に掲載されてきた内容を一冊の本にしてあるようです。
 石井桃子:児童文学者。2008年(平成20年)101歳没

 文学とは、『新しいことを書こうとする、その姿勢こそ……』(そうか、それまでにない文体とか内容を新たに創造する。開拓するということか)

 高知県室戸にいると、スマホを見ない。生活するのにスマホはいらない。東京のように情報に追いかけられることがない。(ほんの十数年前、日本人の日常生活にスマートフォンはなかった)

 本は、人や家族などの時間を表現し、それを本の中に閉じ込めるとあります。(なるほど。同感です)

 血縁関係が豊かな著者です。祖父母、叔父叔母、いとこ、そして、両親。
 親戚づきあいは大事です。助け合いの基本組織です。家族は小さな社会でもあります。

『第二章 本との出会い』
 著者は古い物が好きです。古本、中古レコード、名画座、骨董屋さんなど。

 寺田寅彦(てらだ・とらひこ):物理学者、随筆家、俳人。1935年(昭和33年)57歳没
 
 衒学的(げんがくてき):知識があることを必要以上に見せびらかす。教養をひけらかす。

 穂村弘(ほむら・ひろし):歌人。61歳

 橙書店(だいだいしょてん):熊本市内にある書店

 睪意(ひっきょう):結論としては。

『第三章 子どもと本』
 ちいさなお子さんがおふたりおられるそうです。
 長男と長女さんです。2017年4月の時点で、ご長男が2歳、ご長女が生誕後半年ぐらいです。うちの孫ぐらいの誕生年です。今は、小学校低学年です。先日耳元で小さな声で、『(お年玉を)いちおくえんちょうだ~い』とささやかれました。紙に、『いちおくえん』と書いて渡すわと言い返したら、『にせさつは、いらーーん』とおこられました。

 子育ての苦労が書いてあります。子育てと高齢者介護の苦労は、体験してみないとわかりません。
 子育ては、ぜんぜん思いどおりにならないことばかりです。まずは、とにかく、生きていればいい。病気やケガの予防に気をつけていても一瞬でケガをしたり火傷(やけど)をしたりします。『子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ね』です。ただ、それも10年間ぐらいで楽になります。こどもはいつまでもこどもではいられないのです。

 結婚生活、子育てに向かない人はいます。こどもを育てていくうえで、親戚づきあいや近所づきあいは必要です。冠婚葬祭も地域活動も学校活動にも顔を出します。親は集団の中で最低限の役割分担はこなします。イヤでもやれば、知り合いができて、いいこともあります。
 こちらの本では、『(子育てに向かない人は)それはたとえば、友人たちを「敵か、味方か」に二種類でしか見られないような人間です』とあります。商売敵(しょうばいがたき)というライバルがいる『仕事』ではそうであっても、私生活ではそう思考しないほうがいい。(敵か味方か)。まずは、『譲る(ゆずる)』気持ちが大切です。相手にしてあげた『親切』は自分に返ってきます。情けは人のためならず。(自分のためなのです)

 『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞生活部監修 中央公論新社』の部分を読んでいて、洋画を一本思い出しました。以下、感想メモの一部です。
 『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』
 4歳児から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
 映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
 テーマは、「愛情(の種類、ありよう)」「死とは」「友情」「結婚」「性」など、心の根っこに関することです。
 『哲学とは?』と問われた幼児が「自分に質問すること」と答えます。正解はあってないようなものですが、大事なことは「考えること」です。
 同性愛は可能か、同性は結婚できないか『結婚の法則とはなにか』にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。そして、あやまらないと(謝罪)恋は続かないということをこどもが導き出します。
 死ぬということはどういうことなのか。自殺はいけないという意見も出ます。
 お祈りとは、神さまと話すことだそうです。
 物の定義、人間と動物の違い。男と女の違い。肌の色の違い。
 混血とはどういうことという質問にこどもさんが、白と黒が混じって、コーヒー色になることと答えます。ぼくは白人になりたいという声も出ます。体が小さいのは病気という考えに対して、パパには障害があるという声が出ます。パパは足を動かせないけれど本は読める。わたしはパパを愛していると言葉があります。
 
 さて、こちらの本では、小学校6年生の男の子が、ゲームを買いたいと言っていたのが、ニワトリが欲しいと言い出して、ニワトリを買って、育てて、卵を産ませて、近所の人に卵を販売して、最後は、ニワトリを自分でさばいて、肉として食べたという本、『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶあづさ)・著 婦人之友社』という本の紹介文が良かった。
 昔読んだ、『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』を思い出します。主人公は、倫子さん25歳、不倫で生まれたこどもだから倫子、りんこ、そして愛称はりんごちゃんで始まります。
 彼女は言葉を発することができない。『食堂かたつむり』というのは、りんごちゃんがひとりで営業する食堂の名称をいいます。そして、お客さまは、1日にひと組限定となっています。
 りんごちゃんの妹分がエルメスさんで、彼女は豚さんです。最終的に、倫子さんは、エルメスをさばいて料理して食べます。倫子さんの行為には、食べられる生き物への『感謝』があります。
 そういえば、自分自身も中学生のときに小鳥のジュウシマツをたくさん繁殖させて、デパートや個人のペットショップにジュウシマツを売りに行っていました。一羽120円から140円ぐらいで引き取ってもらえました。お店で販売するときは、一羽780円ぐらいだった記憶です。うちは貧乏な母子家庭だったので、お金が欲しかったことを思い出しました。

『第四章 本から得られること』
 スマートフォンをやめる。ガラ携に戻したそうです。スマホに時間を奪われる。スマホが子育ての弊害になることが理由です。ごもっともです。スマホが登場したのは、2000年代始めのころでした。スマホがなくても人は生きていました。

 煩悩(ぼんのう):心をむだにかき乱すもの。
 微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ):きわめて細かな点まで気を配る。
 
 確かに、マンガには力があります。
 くじけそうな若い人の心を支えてくれます。

 ポピュリズム:政治変革を目指して、既存の権力層を批判する。156ページに書いてある、『ウヨウ』は、『ウヨク』のことだろうと思いました。

 オルタナティブな社会:従来とは異なる社会
 煩いごと:わずらいごと。うるさいこととも読む。この本では、「わずらいごと」思い悩む。心配事。
 
 良かった文節として、『…… 本も音楽も映画もない人生なんて、味気ないものに違いありません。』

 191ページに群馬県の桐生(きりゅう)が出てきます。先日観た番組、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でテレビ放映されていたルート上にあります。本のページにある桐生駅は熊太郎も鉄道の乗り換えで利用したことがあります。

 読み終えました。

 以下は、この本に掲載されていた書籍で、熊太郎が読んだことがある本です。
・さよならのあとで ヘンリー・スコット・ホランド・著 高橋和枝・絵 夏葉社
・バベル九朔(バベルきゅうさく) 万城目学(まきめ・まなぶ) 角川文庫 ほか、万城目学作品を数冊読みました。先日直木賞を受賞されました。おめでとうございます。
・キャプテン ちばあきお 集英社 もうひとつ『プレイボール』二十代はじめのころは漫画をよく読みました。結婚してこどもができてからは忙しくて読まなくなりました。  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年02月02日

指値(さしね) 株式取引

指値(さしね) 株式取引

(以下の部分は、1月27日土曜日に書きました)
 指値というのは、株式市場での株の取引で、この株価でこの株を買います。あるいは売りますという金額の設定をいいます。

 株の取引を始めたころは、価格設定が、なんだかめんどうくさくて、証券会社とのやりとりの電話のなかで、その場で買えそうな価格、売れそうな価格をその場で設定して、即決みたいなやりかたで売買をしていました。(わたしは、オンラインの電子取引ではなく、証券会社へ電話をかけて担当者と口頭でやりとりをして取引をしています。昭和時代のアナログ(昔風の手間と時間がかかるやりかたでよしとする。デジタル方式は合わない)な人間です。効率が悪くてもかまいません)

 その後、『(株というものは)買ったら安くなる。売ったら高くなる』という体験を何度かして、自分の気持ちの中で、この株価ならどう上下しても許せるという折り合いをつけるために、ふつうの指値方式(さしねほうしき)をとることに変更しました。
 この金額になったら買う。この金額になったら売るというやり方で、期限は、たいていは、週末金曜日の午後3時として、週の初めころに電話でお願いしています。
 魚釣りの気分に似ています。こちらから攻めていくのではなく、相手からやってくるのを待つのです。相手がやってこなかったらあきらめるのです。

 さて、2024年(令和6年)は、年明けから株価が急上昇してきました。新型NISA(ニーサ)の開始とか、中国の投資家が日本の株式市場に資金をつぎこんできたとかが理由のようです。
 自分としては、この時期、株を買うのではなく、株を売るほうの立場で挑んでいます(いどんでいます)。これまで保有していた株の利益確定です。指値を設定して、いくつかの株は日にちがかかりましたが売却できました。
 ひとつだけまだ売れない株があります。毎週チャレンジして、3週間うまくいきませんでした。自分なりにこれまでの投資経験から考えて、(まだ3年目ですが)、当該株式会社の2月発表の四半期決算発表の内容は良くないと予想しています。悪い決算発表後株価の下落が予想されるので、決算発表の日までに手離したい。

(その後のこと 2月1日木曜日に追記しました)
 昨日、売りたい株を売りたい株価で、指値を入れ続けた4週間目にやっと売却ができました。
 指値の金額設定の考察に時間を費やしました。最初に設定した指値の額を、自分が思い描くギリギリまで下げました。
 売却できたその日の取引期限時刻午後3時になる1分前か、30秒前のような感じで、取引が成立しました。スリルがありました。自分の株が売れたという実感がありました。
 午前9時のスタートからちょっと上げて、少し下げて、そのあと、ぐーっと株価が上昇して午前の取引が終わりました。それでもまだわたしが設定した指値には遠い。午後からの取引再開で、さらに右肩上がりで上昇していきました。すごい勢いでした。きょうはだめでも、あしたかあさってには指値に到達して売却できるかも。(翌日、株価は下がりました)
 株価はグングン上昇して、残り5分のとき、イケーイケーという気分になりました。残り時間少々で目標の数値でゴールテープを切ったときには胸に快感が広がりました。ヤッター!!

 来週、当該会社の四半期決算発表があります。自分が、当該銘柄の悪い決算とその後の株価下落を予想したことが吉だったか凶だったかは、今はまだわかりませんが、もう手離した株なので未練はありません。吉でも凶でもどちらでもかまいません。売却益でつくった今回の資金を別の銘柄に回す次のプランを思い描いているので、意識は未来にあります。  

Posted by 熊太郎 at 08:08Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2024年02月01日

天国の日々 アメリカ映画

天国の日々 アメリカ映画 1983年(昭和58年)日本公開 米国製作は1978年(昭和53年) 1時間33分 動画配信サービス

 最初は映像をヨーロッパ・イギリスの風景かと思いました。調べたらアメリカ合衆国ではなく、カナダで撮影したそうです。
 始まりは火花が飛び散ります。石炭で鉄を溶かす工場内部が映る工場群でしたが、主人公男性が職場でケンカをして工場を辞めてというシーンのあとは、壮大な農場の風景がスクリーンに広がりました。全体がヨーロッパ絵画のような美しい風景で、ことに、蒸気機関車が高架橋を進んでいく映像はきれいでした。

 貧困を扱った映画です。女性の生き方を描いた映画でもありました。貧しい女性は、お金持ちの男の妻になって、貧困からの脱出を試みるのです。されど、こちらの映画の場合は、女性の兄を名乗る女性の恋人男性がからんでくるのであとあともめます。
 登場人物はもうひとりいて、女性の兄を名乗る男性の本当の妹がいます。小学生6年生ぐらいに見えます。
 時代設定は、1916年ぐらいです。日本だと、大正5年です。第一次世界大戦が、1914年から1918年です。

 宗教とお金で人をまとめる社会です。
 労働で富裕層が生まれる社会です。
 雇う者と雇われる者に分かれる社会です。
 
 タバコ映画でもあります。12歳ぐらいの少女もタバコをバンバン吸います。

 おおぜいで農作業をする貧困層の暮らしがあります。
 おおぜいの労働者たちが、フロがわりに池で泳いでいます。
 労働者が寝る家はないので、全員が農地で野宿です。
 日の出から日没まで、農作業の肉体労働が続きます。
 使い捨ての労働力です。病気やケガがこわい。
 家畜のような扱いを受ける人々がたくさんいます。
 
 ひとりの若い女性を、お金がない若い男(名目上兄)と農場主の若い男が取り合いをするのですが、お金がない若い男は、農場主の若い男の財産を乗っ取ろうとするわけです。
 若い女の気持ちは、お金がない男から、お金がある農場主の若い男に傾いていきます。(農場主の若い男が、見た目だけの美しさで判断して、自分の妻に迎え入れたことが不可解ではあります)
 
 このみじめったらしい暮らしから脱出したい。

 ときおり、タップダンスとか、ヴァイオリン伴奏の踊りとかが披露されます。みなさん芸達者で楽しめます。

 思うに、人は、お金があるとかないとかよりも、この人と結婚して、この先たいへんなことがあってもいっしょにやっていきたいとか、やっていけると思う人と結婚するのがいい。
 今はお金がなくても、ふたりで働いて稼げばいい。

 映画では、不自然な男女の状態ですから、いろいろトラブルが発生します。

 事件も事故も起きます。(火災発生とか、イナゴの大群来襲とか)

 山火事のような農場火災です。迫力があります。画面が、オレンジ色の炎でいっぱいです。
 
 人間関係のやりとりは、舞台劇を観るようです。

 タイトルを思うと、農場主にとっての天国の日々だったのか、いやいや、貧困三人組(兄と偽りの妹と本当の妹)にとっての豪華でぜいたくができた日々のことでしょう。

 うらみが仕返しを生みます。人間界の基本は忠臣蔵(ちゅうしんぐら)です。(仇討ち(あだうち))
 殺人事件が発生しました。正当防衛だと思うのですが、逃げたほうは、逃げたからやばい立場です。貧乏人だから、犯罪人にされてしまうかも。
 人生で取り返しがつかないのが、『自殺』と『殺人』です。

 結局、女ひとりが残って、女にほれた男ふたりはいなくなりました。
 小さかった妹は孤児院に入れられたあと、お金を持っている男(たぶん軍人)を探すために孤児院から友だちと逃げ出しました。
 女性の人生は男頼みで繰り返されるのです。

 映像は素晴らしかった。
 脚本は固くてぎこちなかった。(セリフ回しとか)
 始まりにあった牧場主若者の「余命一年」の設定は、その後の本人の様子からそんなことないでしょという気分になりました。
 経営者は、見た目のきれいさだけで正妻を選びません。世俗的(人間界のありよう。男社会)に言えば、「愛人」にします。映像は素敵ですが、脚本は弱い作品です。