2022年11月05日
路線バスの旅 太川&えびす第二弾 東京日本橋-京都三条大橋
東海道人情ふれあい珍道中 ローカル路線バス乗り継ぎの旅 太川&えびす第二弾 2008年(平成20年)3月22日放送分の再放送 東京日本橋-京都三条大橋 BSテレ東
ゲスト:相本久美子さん。
東京日本橋から京都三条大橋を目指しましたが、琵琶湖の南部河瀬(彦根市)というところまでで断念しています。
されど、たいしたものです。3泊4日の挑戦でした。
自分が小学生の時に読んだ本『東海道中膝栗毛』十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)作。やじさん(弥次郎兵衛)、きたさん(喜多八)のやじきた道中記を思い出します。
江戸時代の頃は、2週間ぐらいかけて江戸から京都を歩いたと聞いたことがあります。
この番組ロケ当時は、途中の観光あり、路線バスがうまくつながらないところではタクシー乗車ありで、歩くことは少なく、わりとのんびり旅でした。それもいい。
最終的に京都まではたどりつけませんでしたが、ほんとうにたいしたものです。
えびすさん:3泊4日だけれど、下着は2日分しか持ってきてない。(このシリーズのあとのほうの番組では、えびすさんは、旅の途中にあるコインランドリーで洗濯をしていました)
移動の途中で、小田原を通ります。最近別番組で見た『1歩1円のウォーキング旅』という番組を思い出します。万歩計の数値分だけのお金をもらって交通費、食費、宿泊費にあてるという企画です。なかなかおもしろくて良かった。
自分が行ったことがあるところの景色も映像で楽しめて良かった。箱根の芦ノ湖、静岡県三島、富士山、浜岡(自分は原子力発電所を見学しました)、浜名湖、映像では浜岡砂丘が出ましたがわたしは中田島砂丘を見学しました。
新居の関所(あらいのせきしょ。見学したことがあります)、えびすさんは蒲郡競艇場(がまごおりきょうていじょう)という場所で盛り上がっていました。たぶん行ったことがあるのでしょう。たしか、浜名湖競艇場というのもあると思います。ボートレース場です。わたしはボートレースはやらないので行ったことはありません。
半世紀ぐらい前はよく利用した名鉄バスセンターの映像が出た名古屋駅、矢場とんというみそかつのお店はたぶんエスカという名古屋駅西口地下街にある店舗でしょう。
愛知県内の小牧市、岩倉市、一宮市、岐阜県内の川島町、岐阜市、大垣市、関ケ原町、滋賀県の米原市、彦根市、そして、三人は路線バスがつながらず時間切れもあり、力尽きました。
最後のほうは大雪の風景でした。彦根市あたりは雪が多い雪国です。
彦根駅前はもう何十年も前ですが、遊びでよく行きました。彦根城も何度か訪れました。なつかしい。駅前に大衆向けのおいしいご飯屋さんがありました。今もあるかはわかりません。
もう十年以上前の皆さんのチャレンジは失敗しましたが、映像では雪景色がいい雰囲気でした。
お互いに3泊4日の苦労をねぎらいなぐさめあいます。(最後にえびすさんが、いらぬことをぽつりと発言しないかと心配しましたが大丈夫でした。道中では、相本久美子さんがえびすさんのネガティブ(後ろ向きな)発言にイライラされていましたから)
地元の人からもらう情報は時に違っていたりもするのですが、三人ともがんばりました。
途中のバス停目指しての走りでは、えびすさんが爆走していました。『瞬発力はあるが持久力はない』という本人の語りを証明してくれましたが、持久力もありました。ああ見えて実はタフ(強い)なえびすさんです。
ときおり出てくる周囲の人が手に持っている携帯電話はガラケーで、2008年ころはまだスマホが流通に至っていませんでした。(2011年(平成23年)ぐらいから普及してきて記憶です)
三人は路線バスの車内でかんぴょう巻などの食事をしていますが、コロナ禍もあり今では車内での食事は注意されそうです。
バス車内でのしりとり遊びがおもしろかった。
えびす『(末尾が「ろ」で)ろくでなし』
太川『あんたのことだろ』
えびすさんは、生ものは苦手(にがて)で食べられないのにお寿司を注文して食べていたシーンが不思議でした。えびなら食べられるのか、食べられるものを選択して注文していたようです。えびすさんに言わせると刺身は魚の死体に見えて食べにくいそうです。
かなり疲れてきているのがわかりました。
4日目の三人さんのようすです。
三人のことを心配してくれるガラ系の電話をもった男子若者とバス運転手さんがいました。
ありがたい。
『旅は道連れ世は情け』お互いに気を使って助け合って、無事に目的地に着きましょうということわざを思い出します。思いやりが大切です。
『袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)』出会いは偶然ではなく必然ということもあります。ということわざもあります。『縁(えん。関係。つながり。絆(きずな))』は大事です。『縁は異なもの味なもの』縁がある人とは、まさかこんなところでと思うようなところで偶然再会したりもします。男女のことのことわざですですが、男女でなくてもそういうことはあります。
ゲスト:相本久美子さん。
東京日本橋から京都三条大橋を目指しましたが、琵琶湖の南部河瀬(彦根市)というところまでで断念しています。
されど、たいしたものです。3泊4日の挑戦でした。
自分が小学生の時に読んだ本『東海道中膝栗毛』十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)作。やじさん(弥次郎兵衛)、きたさん(喜多八)のやじきた道中記を思い出します。
江戸時代の頃は、2週間ぐらいかけて江戸から京都を歩いたと聞いたことがあります。
この番組ロケ当時は、途中の観光あり、路線バスがうまくつながらないところではタクシー乗車ありで、歩くことは少なく、わりとのんびり旅でした。それもいい。
最終的に京都まではたどりつけませんでしたが、ほんとうにたいしたものです。
えびすさん:3泊4日だけれど、下着は2日分しか持ってきてない。(このシリーズのあとのほうの番組では、えびすさんは、旅の途中にあるコインランドリーで洗濯をしていました)
移動の途中で、小田原を通ります。最近別番組で見た『1歩1円のウォーキング旅』という番組を思い出します。万歩計の数値分だけのお金をもらって交通費、食費、宿泊費にあてるという企画です。なかなかおもしろくて良かった。
自分が行ったことがあるところの景色も映像で楽しめて良かった。箱根の芦ノ湖、静岡県三島、富士山、浜岡(自分は原子力発電所を見学しました)、浜名湖、映像では浜岡砂丘が出ましたがわたしは中田島砂丘を見学しました。
新居の関所(あらいのせきしょ。見学したことがあります)、えびすさんは蒲郡競艇場(がまごおりきょうていじょう)という場所で盛り上がっていました。たぶん行ったことがあるのでしょう。たしか、浜名湖競艇場というのもあると思います。ボートレース場です。わたしはボートレースはやらないので行ったことはありません。
半世紀ぐらい前はよく利用した名鉄バスセンターの映像が出た名古屋駅、矢場とんというみそかつのお店はたぶんエスカという名古屋駅西口地下街にある店舗でしょう。
愛知県内の小牧市、岩倉市、一宮市、岐阜県内の川島町、岐阜市、大垣市、関ケ原町、滋賀県の米原市、彦根市、そして、三人は路線バスがつながらず時間切れもあり、力尽きました。
最後のほうは大雪の風景でした。彦根市あたりは雪が多い雪国です。
彦根駅前はもう何十年も前ですが、遊びでよく行きました。彦根城も何度か訪れました。なつかしい。駅前に大衆向けのおいしいご飯屋さんがありました。今もあるかはわかりません。
もう十年以上前の皆さんのチャレンジは失敗しましたが、映像では雪景色がいい雰囲気でした。
お互いに3泊4日の苦労をねぎらいなぐさめあいます。(最後にえびすさんが、いらぬことをぽつりと発言しないかと心配しましたが大丈夫でした。道中では、相本久美子さんがえびすさんのネガティブ(後ろ向きな)発言にイライラされていましたから)
地元の人からもらう情報は時に違っていたりもするのですが、三人ともがんばりました。
途中のバス停目指しての走りでは、えびすさんが爆走していました。『瞬発力はあるが持久力はない』という本人の語りを証明してくれましたが、持久力もありました。ああ見えて実はタフ(強い)なえびすさんです。
ときおり出てくる周囲の人が手に持っている携帯電話はガラケーで、2008年ころはまだスマホが流通に至っていませんでした。(2011年(平成23年)ぐらいから普及してきて記憶です)
三人は路線バスの車内でかんぴょう巻などの食事をしていますが、コロナ禍もあり今では車内での食事は注意されそうです。
バス車内でのしりとり遊びがおもしろかった。
えびす『(末尾が「ろ」で)ろくでなし』
太川『あんたのことだろ』
えびすさんは、生ものは苦手(にがて)で食べられないのにお寿司を注文して食べていたシーンが不思議でした。えびなら食べられるのか、食べられるものを選択して注文していたようです。えびすさんに言わせると刺身は魚の死体に見えて食べにくいそうです。
かなり疲れてきているのがわかりました。
4日目の三人さんのようすです。
三人のことを心配してくれるガラ系の電話をもった男子若者とバス運転手さんがいました。
ありがたい。
『旅は道連れ世は情け』お互いに気を使って助け合って、無事に目的地に着きましょうということわざを思い出します。思いやりが大切です。
『袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)』出会いは偶然ではなく必然ということもあります。ということわざもあります。『縁(えん。関係。つながり。絆(きずな))』は大事です。『縁は異なもの味なもの』縁がある人とは、まさかこんなところでと思うようなところで偶然再会したりもします。男女のことのことわざですですが、男女でなくてもそういうことはあります。
2022年11月04日
出川哲朗の充電バイクの旅 奈良県東大寺から吉野千本桜
出川哲朗の充電バイクの旅 奈良県東大寺から吉野千本桜 2022年6月11日東京地方放送分 テレビ番組
東京地区と中部地区では放送内容が異なるようです。
奈良は、仕事やこどもたちのことで悩める40代のころに、何度も神仏頼みの寺社参りで訪れたことがあります。東大寺にも何度も行きました。
今は定年退職をして精神的に楽になれたと、なつかしく映像を楽しみました。
ゲストは、前半が藤田ニコルさんでした。ちょっと出演時間帯が短く感じましたが、お人柄のいい人でした。
小学校の成績がオール1だったというようなこどものころのお話をされていましたが、わたし自身も小学校低学年のころの通信簿は、2と3が半分ずつでした。『2、3、2、3、2、3、3……』みたいな感じでした。それでもちゃんとおとなになって、働いて歳をとることができました。だいじょうぶです。
途中お笑いコンビロッチ中岡創一さんのご実家訪問があります。
橿原市(かしはらし)の『今井町』は、織田信長と対立した町で、以前見学したことがあります。なつかしい。
番組は、東大寺の大仏殿あたりからスタートです。
特定の宗教に信仰があるわけではありませんが、東大寺には何度もお参りに行きました。お守りもたくさん買いました。絵馬に願い事を書いて、大仏さんに向かって右横ぐらいの所定の位置にぶらさげました。
巨大な大仏さんを見上げていると、胸がスーッとして気持ちが楽になりました。
出川哲朗さんは修学旅行で来たはずだが、あまり記憶がないというようなお話でした。
大仏の裏に回ると、大きな柱をくりぬいた穴があって、ちびっこたちがくぐりぬけていました。たしか、そこをぬけると頭が良くなるというようなお話でした。
奈良には日本の原風景があって、こどものころに過ごした田園風景とか、童謡の『夕焼け小焼けで日が暮れて』や『赤とんぼ』の世界とか、自然豊かないなか暮らしが今も残っていると思います。ほっとできる場所です。
40代のころは、歳をとったら奈良の老人ホームに入って、毎日外出許可をもらって、付近の寺社巡りを日課にするのじゃと思っていましたが、昨年亡くなった義父母の介護生活などを見て、今は、自分は、施設入所はしない。在宅介護でいけるところまでいって、自宅で眠るように逝くのだと(いくのだと)、その時の予定をたてています。
藤田ニコルさんは、バッティングセンターのボール打ちからスタートです。
充電バイクで移動する途中、平城京(へいじょうきょう)の門が見えて、その近くが、この夏の選挙運動期間中に首相が襲撃された場所で、このロケは桜が咲くころだったので、事件前なのでしょう。現場は映像には出ませんが、見ていてわかる人にはわかる地理的場所でした。
ボリュームたっぷりピラミッドみたいな若鶏(わかどり)のかつ定食がすごかった。
きっとおいしいに違いない。
そのあとの焼き肉、上タン塩、上ハラミもごちそうです。良きごはんの友です。
(二週に分けて放送なので「つづく」)
吉野山には自家用車で愛知県内の自宅から行ったことがあります。
その時に走った吉野川沿いの道路の映像が流れてなつかしかった。
ゲストの安心してください、はいてますよの『とにかく明るい安村さん』はご苦労されていたようすでした。なにせ、あわただしい。温泉入浴シーンも撮らねばなりません。
泊まるホテルが深夜まで見つからず、ようやく7軒目で見つかりました。やはり、橿原神宮(かしはら神宮)近くまで行かないと大きなホテルはありません。
橿原神宮の鳥居は巨大です。初めて観た時はその大きさにひっくりかえるかと思うほどびっくりしました。
フランス料理のような朝食も卵かけごはんもおいしそうでした。
田んぼとあぜ道、おたまじゃくしがいそうな用水路、昭和30年代から40年代の景色が今も残っています。
歴史の里ですから、石仏やお地蔵さんもいます。
郵便局の古い物の展示が良かった。
吉野山に登る上り坂はかなりきついです。
展望台から、吉野山独特のぼんやりとした桜色が広がる景色が見えました。
メンバーとスタッフのみなさんお疲れさまでした。
東京地区と中部地区では放送内容が異なるようです。
奈良は、仕事やこどもたちのことで悩める40代のころに、何度も神仏頼みの寺社参りで訪れたことがあります。東大寺にも何度も行きました。
今は定年退職をして精神的に楽になれたと、なつかしく映像を楽しみました。
ゲストは、前半が藤田ニコルさんでした。ちょっと出演時間帯が短く感じましたが、お人柄のいい人でした。
小学校の成績がオール1だったというようなこどものころのお話をされていましたが、わたし自身も小学校低学年のころの通信簿は、2と3が半分ずつでした。『2、3、2、3、2、3、3……』みたいな感じでした。それでもちゃんとおとなになって、働いて歳をとることができました。だいじょうぶです。
途中お笑いコンビロッチ中岡創一さんのご実家訪問があります。
橿原市(かしはらし)の『今井町』は、織田信長と対立した町で、以前見学したことがあります。なつかしい。
番組は、東大寺の大仏殿あたりからスタートです。
特定の宗教に信仰があるわけではありませんが、東大寺には何度もお参りに行きました。お守りもたくさん買いました。絵馬に願い事を書いて、大仏さんに向かって右横ぐらいの所定の位置にぶらさげました。
巨大な大仏さんを見上げていると、胸がスーッとして気持ちが楽になりました。
出川哲朗さんは修学旅行で来たはずだが、あまり記憶がないというようなお話でした。
大仏の裏に回ると、大きな柱をくりぬいた穴があって、ちびっこたちがくぐりぬけていました。たしか、そこをぬけると頭が良くなるというようなお話でした。
奈良には日本の原風景があって、こどものころに過ごした田園風景とか、童謡の『夕焼け小焼けで日が暮れて』や『赤とんぼ』の世界とか、自然豊かないなか暮らしが今も残っていると思います。ほっとできる場所です。
40代のころは、歳をとったら奈良の老人ホームに入って、毎日外出許可をもらって、付近の寺社巡りを日課にするのじゃと思っていましたが、昨年亡くなった義父母の介護生活などを見て、今は、自分は、施設入所はしない。在宅介護でいけるところまでいって、自宅で眠るように逝くのだと(いくのだと)、その時の予定をたてています。
藤田ニコルさんは、バッティングセンターのボール打ちからスタートです。
充電バイクで移動する途中、平城京(へいじょうきょう)の門が見えて、その近くが、この夏の選挙運動期間中に首相が襲撃された場所で、このロケは桜が咲くころだったので、事件前なのでしょう。現場は映像には出ませんが、見ていてわかる人にはわかる地理的場所でした。
ボリュームたっぷりピラミッドみたいな若鶏(わかどり)のかつ定食がすごかった。
きっとおいしいに違いない。
そのあとの焼き肉、上タン塩、上ハラミもごちそうです。良きごはんの友です。
(二週に分けて放送なので「つづく」)
吉野山には自家用車で愛知県内の自宅から行ったことがあります。
その時に走った吉野川沿いの道路の映像が流れてなつかしかった。
ゲストの安心してください、はいてますよの『とにかく明るい安村さん』はご苦労されていたようすでした。なにせ、あわただしい。温泉入浴シーンも撮らねばなりません。
泊まるホテルが深夜まで見つからず、ようやく7軒目で見つかりました。やはり、橿原神宮(かしはら神宮)近くまで行かないと大きなホテルはありません。
橿原神宮の鳥居は巨大です。初めて観た時はその大きさにひっくりかえるかと思うほどびっくりしました。
フランス料理のような朝食も卵かけごはんもおいしそうでした。
田んぼとあぜ道、おたまじゃくしがいそうな用水路、昭和30年代から40年代の景色が今も残っています。
歴史の里ですから、石仏やお地蔵さんもいます。
郵便局の古い物の展示が良かった。
吉野山に登る上り坂はかなりきついです。
展望台から、吉野山独特のぼんやりとした桜色が広がる景色が見えました。
メンバーとスタッフのみなさんお疲れさまでした。
2022年11月03日
私たちにはことばが必要だ イ・ミンギョン
私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス
2018年発行で、2021年が第7刷でよく売れている韓国人女性ライターによる本です。
読み始めて今は22ページあたりです。ここまで読んでわかったのですが、韓国では女性差別がひどいそうです。女性であることは人間ではないというところまでの印象を、ここまでの読書でもちました。相当ひどい。
フェミニスト:女性解放思想。
江南事件(かんなむじけん):2016年(日本だと平成28年)5月17日、ソウルの繁華街江南の女子トイレで、無作為に選ばれた女性が、忍び込んだ男性に殺害された。殺害理由は『女だから』だそうです。自分には不可解ですが、韓国には『女性嫌悪社会』があるそうです。
韓国では、女のほうが、男よりも下という意識がある。深層心理がある。
この本は、韓国の女性が、韓国のよくないところを突き詰めるという構図(理論構成)をもっています。
男性と対等に合理的な話し合いをするために本のタイトルにある『私たち(韓国の女性たち)には、ことばが必要』なのです。
韓国女性は、作文の練習が不足しているそうです。
本を読んでいて『韓国語』って何なのだろうという疑問が生まれます。
昔は漢字でした。今はハングル語です。本では、英語をよく使うようなことが書いてあります。母国語(国籍と同じ言語)とか母語(最初に覚えた言語)というのが、希薄な面が韓国の言葉にはあるのだろうかという推測が生まれました。
以前別の本で、ハングル語を学び始めてからの世代は漢字を読めないので、新しい世代は、韓国の漢字で書かれた昔の本を読むことができないという内容がありました。
自分は、韓国の過去の歴史を違う内容でハングル語に書き換えられても、今の韓国人にはわからないということにつながると考えました。
韓国の『読書』と日本の『読書』には違いがありそうです。
男性からの理由付けとして『だっておまえは女だから……』と言われるそうです。
女は男に差別されることが当然だという男尊女卑の仕組み(社会的な制度とかシステム)が韓国にはあるそうです。
日本にも昔から男尊女卑思想がありますが、韓国と比較すると、韓国のほうがきつそうです。
セクシスト:性差別者
『答えない』という選択肢もある。
以下は、韓国でのことです。
男は女に対していじわるである。
男は女より自分のほうが強いと思っている。
男は女として生きたことがないから、女に対する差別がどれだけあるのか知らない。
<厳しい文章が続きます>
女であることで差別されたら、女は、話の途中でも話を打ち切る。
<攻撃的です>
女性は、女というだけで、不当な扱いを受けている。不公平がある。
ヘイト発言:(この本のメインテーマの場合)女性だからという理由で、差別、侮辱(ぶじょく)、脅迫、攻撃される。
社会では差別が蔓延(まんえん。いっぱい広がっている)している。
『男尊女卑』なにゆえ、そうなるのか、自分なりに考えてみました。
宗教の教えだろうか。儒教です。
世界の歴史では、古代より男上位の価値観が定着していた。
日本人の立場で読んでいて、感覚の違いを感じます。
韓国語の翻訳なので、ストレートに理解できない言い回しもあるようです。
『自分の経験を簡単に話さないこと』ということは、ピンときません。
読んでいると、人間って何だろうかという疑問が湧いてきます。
自分の頭の中では、人間って、不完全なものという答えが出てきます。
『知恵がなくても生きてこられたのんきな男たち』<痛烈な批判があります>
(つづく)
『昔より平等になった』(良くはなっているけれど、差別が完全になくなったわけではないそうです)
著者はかなりイライラしています。
興奮気味の文章です。
性差別への強い抗議があります。
『この社会は原則不平等』
家父長制:昔の日本の大家族のありようのようです。男性優位の家族制度です。女性は、男性に依存して生活する。
韓国には、男性のみの徴兵制がある。女性は行かなくていい。著者の主張として、女性が行く権利を奪われた。女性が見下された。徴兵に行かなくてもいい権利を女性が望んだわけではない。
男性の女性に対する職場内の性暴力とか大学内での大学教職員による性暴力の話が出ます。被害者なのに、被害者が責められる。被害者女性のほうが退職や退学に追い込まれるようです。被害者女性が自殺することもある。かなりひどい。
男は女の体を触る。最終的には女は男に殺されることもある。女性は大変です。男に従わないと男に命を奪われることもあるという恐怖感をもっておられます。異常な世界です。
男は反省しなければならない。女性には護身術と『護心術』が必要とアピールされています。
読んでいて、韓国の男性の脳みその中にある世界は男尊女卑で凝り固まっているという印象をもちます。
(女なら)オレの話を聞け。オレは相手の(女の)話を聞かなくてもいい立場にある。(男だから)
韓国人男性と結婚する日本人女性はだいじょうぶだろうかと心配になります。
『説教したがる男たち』レベッカ・ソルニット:書中で紹介されている本です。この本を読んだら読んでみます。男女関係を『斜面』と表現されているそうです。おそらく、斜面の上に男がいて、斜面の下に女がいるのでしょう。(どうも違うようです。男が殺す側、女が殺される側とあります。ちょっと理解できません)
今年読んで良かった一冊になりそうです。
全体のページの半分ぐらいを読みました。(今、100ページあたりにいます)
ここまで読んできて思ったことです。
歳をとってみてわかったのですが、ある程度年齢を重ねると体力と考える力が落ちてきて、男女関係の恋愛とかくっつくとかいう意識が薄れてきます。男としての機能も女としての機能も終わっているような状態が体にあるのを実感します。
体は水分を失って乾燥してきます。自分で自分の体が枯れていくのがわかります。意識のほうも『欲』が消えていくのです。もういまさら恋をしたいという意欲も情熱も湧いてきません。
歳をとると、性別というものが消えてきて『中性』のようなものになる感覚があります。全員が男性のようでもあるし、女性のようでもあります。全員がおじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。あまり外には出ませんが、昔のイケメンや美女、スポーツマンだった人などが紙パンツ(紙おむつ)をはきながら生活していることもあると思います。当然人にはそんなことは言いません。もう性欲よりも、体の機能が低下してきて日常生活をどうやってしのいでいくのかで頭の中はいっぱいです。だれしも若いときにやれたことがやれなくなってきます。最終的には歩き方がペンギン歩きになります。腰が曲がることもあります。
加齢で脳みそが幼児化していくように、体もあかちゃんに戻るのでしょう。静かに心を落ち着けて考えれば、年寄りにとっての平和な世界です。もうがんばらなくていいのです。
だから、この本の記述においては『みなぎる若さ』を感じるのです。
若いから男と女の性別が、くっきりと分かれているのです。
(つづく)
男は女にいけないことをしておいて『悪気はなかった』では済まされないという強い主張があります。
被害者女性の声をさえぎるなという強い主張もあります。
『加害者が被害者の声を恐れるようにする』先日あった自衛隊での性暴力の事件を思い出しました。加害者は、自主退職では済みません。懲戒免職が妥当です。退職金は支給しない。年金は減額です。
この本のタイトルです。女性には『(男に抗議する)ことば』が必要なのです。男からの攻撃に対して反撃するのです。女性が男性に対して断固たる態度を身に着けることがこの本の目標です。
女性に優しくきれいごとを言う男性を信用するな。一見まともに見えるけれど、実態はそうではない。
紳士的な男を信用するな。下心がある。豹変する(ひょうへんする)。
トラブルが起きると男は女のせいにする。女が原因と断定する。
世の中では、女は男より低い位置を与えられている。
ネット右翼:差別的発言を繰り返す人。
女性嫌悪犯罪:この言葉は、日本では聞かないので、意味をとれませんでした。女だから嫌う。女だから殺す。どうしてそういう理屈になるのかわかりません。
女性が女性だから殺害されるということが、韓国以外の国でもあるそうです。
ものすごい文章量です。
文章というよりも、話したことを文字に転換しているようでもあります。
今まで男性からやられていたことを男性にやりかえす。
日本人の韓国人差別のことが出てきます。
白人は黒人のつらさを理解すべきだという訴えもあります。
『必ずしも男性が中心でなくても世界は回っていく』
日本人女性を『寿司女』と呼ぶ:男性に生活費等を依存して、自活・自立ができていない日本人女性のことを言うようです。
この本は、韓国人女性による韓国人女性向けの本です。
韓国人男性から『質問』と『評価』を奪い返すという強い意思表示があります。
韓国人女性が韓国人男性から質問をされるようないわれ(理由、根拠)はないのです。
評価するのは男性ではなくて、女性のほうだという激情があります。
この本は、韓国人男性と対決するための本です。
『平等』を訴える本です。
性別の違いは、物事の判断基準にはならないのです。
韓国人男性の頼りない男性像があります。
同じ労働をやっても男性のほうが女性よりも給料が高い。
読みながら、どの国も『男女平等化』の成長経過にあるのだろうと考えました。
韓国では『女性限定駐車場』(2008年(日本だと平成20年)からスタート)があるそうです。女性ドライバーは車庫入れや運転がへたくそなので、男性ドライバーから女性ドライバーに対する駐車場でのいやがらせがあるそうです。そういったいやがらせから女性を守るためにできた駐車場だそうです。ただ、自分なりによく考えると、へたくそな女性ドライバーと同じ駐車場に車を停めたくないという男性のわがまま勝手がみうけられます。
韓国人男性が韓国人女性に軍隊での苦労話を延々とすることが、聞かされる韓国人女性にとっては苦痛だそうです。
男性が女性に『(男も女も)仲良くしよう』と言う言葉は信用できないという主張があります。
男に都合のいい仲良しです。
男が女に強制する言葉と読み取れます。
この本は、女性を男性による束縛(そくばく。しばり)から解放する本です。
女性は、『不十分な存在』という地位、地点からスタートする。0点から点数が加算されていく。いっぽう男性は、100点満点からスタートして、減点されていく存在とあります。真逆です。
著者の立場として、自分は不完全な人間ではあるが、この現状について、黙っておれないという力強い意思表示があります。
女性は『道具』でも『奴隷』でもない。
男から言われっぱなしの状態から脱却するために『(女性には)ことばが必要だ』という本です。
女性であるということだけの理由で見ず知らずの男に殺された江南事件(かんなむじけん)の被害者女性の怨み(うらみ)を晴らす本です。
今年読んで良かった一冊になりました。
2018年発行で、2021年が第7刷でよく売れている韓国人女性ライターによる本です。
読み始めて今は22ページあたりです。ここまで読んでわかったのですが、韓国では女性差別がひどいそうです。女性であることは人間ではないというところまでの印象を、ここまでの読書でもちました。相当ひどい。
フェミニスト:女性解放思想。
江南事件(かんなむじけん):2016年(日本だと平成28年)5月17日、ソウルの繁華街江南の女子トイレで、無作為に選ばれた女性が、忍び込んだ男性に殺害された。殺害理由は『女だから』だそうです。自分には不可解ですが、韓国には『女性嫌悪社会』があるそうです。
韓国では、女のほうが、男よりも下という意識がある。深層心理がある。
この本は、韓国の女性が、韓国のよくないところを突き詰めるという構図(理論構成)をもっています。
男性と対等に合理的な話し合いをするために本のタイトルにある『私たち(韓国の女性たち)には、ことばが必要』なのです。
韓国女性は、作文の練習が不足しているそうです。
本を読んでいて『韓国語』って何なのだろうという疑問が生まれます。
昔は漢字でした。今はハングル語です。本では、英語をよく使うようなことが書いてあります。母国語(国籍と同じ言語)とか母語(最初に覚えた言語)というのが、希薄な面が韓国の言葉にはあるのだろうかという推測が生まれました。
以前別の本で、ハングル語を学び始めてからの世代は漢字を読めないので、新しい世代は、韓国の漢字で書かれた昔の本を読むことができないという内容がありました。
自分は、韓国の過去の歴史を違う内容でハングル語に書き換えられても、今の韓国人にはわからないということにつながると考えました。
韓国の『読書』と日本の『読書』には違いがありそうです。
男性からの理由付けとして『だっておまえは女だから……』と言われるそうです。
女は男に差別されることが当然だという男尊女卑の仕組み(社会的な制度とかシステム)が韓国にはあるそうです。
日本にも昔から男尊女卑思想がありますが、韓国と比較すると、韓国のほうがきつそうです。
セクシスト:性差別者
『答えない』という選択肢もある。
以下は、韓国でのことです。
男は女に対していじわるである。
男は女より自分のほうが強いと思っている。
男は女として生きたことがないから、女に対する差別がどれだけあるのか知らない。
<厳しい文章が続きます>
女であることで差別されたら、女は、話の途中でも話を打ち切る。
<攻撃的です>
女性は、女というだけで、不当な扱いを受けている。不公平がある。
ヘイト発言:(この本のメインテーマの場合)女性だからという理由で、差別、侮辱(ぶじょく)、脅迫、攻撃される。
社会では差別が蔓延(まんえん。いっぱい広がっている)している。
『男尊女卑』なにゆえ、そうなるのか、自分なりに考えてみました。
宗教の教えだろうか。儒教です。
世界の歴史では、古代より男上位の価値観が定着していた。
日本人の立場で読んでいて、感覚の違いを感じます。
韓国語の翻訳なので、ストレートに理解できない言い回しもあるようです。
『自分の経験を簡単に話さないこと』ということは、ピンときません。
読んでいると、人間って何だろうかという疑問が湧いてきます。
自分の頭の中では、人間って、不完全なものという答えが出てきます。
『知恵がなくても生きてこられたのんきな男たち』<痛烈な批判があります>
(つづく)
『昔より平等になった』(良くはなっているけれど、差別が完全になくなったわけではないそうです)
著者はかなりイライラしています。
興奮気味の文章です。
性差別への強い抗議があります。
『この社会は原則不平等』
家父長制:昔の日本の大家族のありようのようです。男性優位の家族制度です。女性は、男性に依存して生活する。
韓国には、男性のみの徴兵制がある。女性は行かなくていい。著者の主張として、女性が行く権利を奪われた。女性が見下された。徴兵に行かなくてもいい権利を女性が望んだわけではない。
男性の女性に対する職場内の性暴力とか大学内での大学教職員による性暴力の話が出ます。被害者なのに、被害者が責められる。被害者女性のほうが退職や退学に追い込まれるようです。被害者女性が自殺することもある。かなりひどい。
男は女の体を触る。最終的には女は男に殺されることもある。女性は大変です。男に従わないと男に命を奪われることもあるという恐怖感をもっておられます。異常な世界です。
男は反省しなければならない。女性には護身術と『護心術』が必要とアピールされています。
読んでいて、韓国の男性の脳みその中にある世界は男尊女卑で凝り固まっているという印象をもちます。
(女なら)オレの話を聞け。オレは相手の(女の)話を聞かなくてもいい立場にある。(男だから)
韓国人男性と結婚する日本人女性はだいじょうぶだろうかと心配になります。
『説教したがる男たち』レベッカ・ソルニット:書中で紹介されている本です。この本を読んだら読んでみます。男女関係を『斜面』と表現されているそうです。おそらく、斜面の上に男がいて、斜面の下に女がいるのでしょう。(どうも違うようです。男が殺す側、女が殺される側とあります。ちょっと理解できません)
今年読んで良かった一冊になりそうです。
全体のページの半分ぐらいを読みました。(今、100ページあたりにいます)
ここまで読んできて思ったことです。
歳をとってみてわかったのですが、ある程度年齢を重ねると体力と考える力が落ちてきて、男女関係の恋愛とかくっつくとかいう意識が薄れてきます。男としての機能も女としての機能も終わっているような状態が体にあるのを実感します。
体は水分を失って乾燥してきます。自分で自分の体が枯れていくのがわかります。意識のほうも『欲』が消えていくのです。もういまさら恋をしたいという意欲も情熱も湧いてきません。
歳をとると、性別というものが消えてきて『中性』のようなものになる感覚があります。全員が男性のようでもあるし、女性のようでもあります。全員がおじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。あまり外には出ませんが、昔のイケメンや美女、スポーツマンだった人などが紙パンツ(紙おむつ)をはきながら生活していることもあると思います。当然人にはそんなことは言いません。もう性欲よりも、体の機能が低下してきて日常生活をどうやってしのいでいくのかで頭の中はいっぱいです。だれしも若いときにやれたことがやれなくなってきます。最終的には歩き方がペンギン歩きになります。腰が曲がることもあります。
加齢で脳みそが幼児化していくように、体もあかちゃんに戻るのでしょう。静かに心を落ち着けて考えれば、年寄りにとっての平和な世界です。もうがんばらなくていいのです。
だから、この本の記述においては『みなぎる若さ』を感じるのです。
若いから男と女の性別が、くっきりと分かれているのです。
(つづく)
男は女にいけないことをしておいて『悪気はなかった』では済まされないという強い主張があります。
被害者女性の声をさえぎるなという強い主張もあります。
『加害者が被害者の声を恐れるようにする』先日あった自衛隊での性暴力の事件を思い出しました。加害者は、自主退職では済みません。懲戒免職が妥当です。退職金は支給しない。年金は減額です。
この本のタイトルです。女性には『(男に抗議する)ことば』が必要なのです。男からの攻撃に対して反撃するのです。女性が男性に対して断固たる態度を身に着けることがこの本の目標です。
女性に優しくきれいごとを言う男性を信用するな。一見まともに見えるけれど、実態はそうではない。
紳士的な男を信用するな。下心がある。豹変する(ひょうへんする)。
トラブルが起きると男は女のせいにする。女が原因と断定する。
世の中では、女は男より低い位置を与えられている。
ネット右翼:差別的発言を繰り返す人。
女性嫌悪犯罪:この言葉は、日本では聞かないので、意味をとれませんでした。女だから嫌う。女だから殺す。どうしてそういう理屈になるのかわかりません。
女性が女性だから殺害されるということが、韓国以外の国でもあるそうです。
ものすごい文章量です。
文章というよりも、話したことを文字に転換しているようでもあります。
今まで男性からやられていたことを男性にやりかえす。
日本人の韓国人差別のことが出てきます。
白人は黒人のつらさを理解すべきだという訴えもあります。
『必ずしも男性が中心でなくても世界は回っていく』
日本人女性を『寿司女』と呼ぶ:男性に生活費等を依存して、自活・自立ができていない日本人女性のことを言うようです。
この本は、韓国人女性による韓国人女性向けの本です。
韓国人男性から『質問』と『評価』を奪い返すという強い意思表示があります。
韓国人女性が韓国人男性から質問をされるようないわれ(理由、根拠)はないのです。
評価するのは男性ではなくて、女性のほうだという激情があります。
この本は、韓国人男性と対決するための本です。
『平等』を訴える本です。
性別の違いは、物事の判断基準にはならないのです。
韓国人男性の頼りない男性像があります。
同じ労働をやっても男性のほうが女性よりも給料が高い。
読みながら、どの国も『男女平等化』の成長経過にあるのだろうと考えました。
韓国では『女性限定駐車場』(2008年(日本だと平成20年)からスタート)があるそうです。女性ドライバーは車庫入れや運転がへたくそなので、男性ドライバーから女性ドライバーに対する駐車場でのいやがらせがあるそうです。そういったいやがらせから女性を守るためにできた駐車場だそうです。ただ、自分なりによく考えると、へたくそな女性ドライバーと同じ駐車場に車を停めたくないという男性のわがまま勝手がみうけられます。
韓国人男性が韓国人女性に軍隊での苦労話を延々とすることが、聞かされる韓国人女性にとっては苦痛だそうです。
男性が女性に『(男も女も)仲良くしよう』と言う言葉は信用できないという主張があります。
男に都合のいい仲良しです。
男が女に強制する言葉と読み取れます。
この本は、女性を男性による束縛(そくばく。しばり)から解放する本です。
女性は、『不十分な存在』という地位、地点からスタートする。0点から点数が加算されていく。いっぽう男性は、100点満点からスタートして、減点されていく存在とあります。真逆です。
著者の立場として、自分は不完全な人間ではあるが、この現状について、黙っておれないという力強い意思表示があります。
女性は『道具』でも『奴隷』でもない。
男から言われっぱなしの状態から脱却するために『(女性には)ことばが必要だ』という本です。
女性であるということだけの理由で見ず知らずの男に殺された江南事件(かんなむじけん)の被害者女性の怨み(うらみ)を晴らす本です。
今年読んで良かった一冊になりました。
2022年11月02日
水バラ 1歩1円ウォーキング対決旅 小田原城-新潟県直江津
水バラ 1歩1円ウォーキング対決旅 神奈川県小田原城-新潟県直江津(なおえつ) テレビ東京のバラエティ番組
なかなか良かったです。またやってほしい。
チームのひとりが万歩計を付けて歩いた数がお金になって、交通費(バス、鉄道、タクシー)、食事代、宿泊費に充当されます。
わたしも万歩計を毎日携帯しているので企画内容が身近に感じました。
わたしは健康維持のために1日5,000歩ぐらい歩きます。目標は1日8,000歩から12,000歩です。カレンダーにその日歩いた歩数を記録しています。ここ数年で一番多かったのは、2019年(令和元年)5月5日の22,971歩です。足の裏が痛かった。
番組企画内容の1歩1円だと8,000歩で30日歩いたとして24万円の収入です。いい割合の稼ぎです。
知力チーム:(おいでやすこが)おいでやす小田 こがけん (Hey! say! JUMP)薮宏太 (ジャニーズWEST)中間淳太 (翌朝3人目のメンバーが交代しましたが、感じが悪かったです。ちゃんと通しで出ることができる人を人選してほしい。体力勝負のゲームですから、翌朝、疲れ知らずの人に変われば知力チームが有利になり不公平です。最終的に知力チームが勝ちましたが、正しい見識(けんしき。本質を突いた確かな意見)に立てば、知力チームは失格か反則負けです)
体力チーム:原田龍二(歩いて稼いだお金を食事で使いたがるのでブレーキになっていましたが、それはそれでおもしろかった) (ディモンディ)前田裕太(アメトークとかの番組で、野球の話でよく盛り上がっているのを見ます) やす子(『はいーっ』の声がいい意味で耳にこびりつきました。だれかに否定されましたが、かけ足をするときの自衛隊のかけ声『イチ イチ イチニ ソーレ』が走りやすそうで良かった。楽しかった。やす子さんは、またこの企画番組に出てほしい。以前東野&岡村の旅猿千葉県でサバイバルゲームをやろうという企画に出ていた女芸人さんがやす子さんかと思ったら人違いでした。類似の芸人さんがいたのでびっくりしました。『そのこさん』元自衛官 スナイパー(狙撃手 300mの距離から狙う)をしていたらしい。)
小田原城は新幹線の車窓からしか見たことがありません。
いつか、現地を訪れてみたい。
体力チームの原田龍二さんが、食事でごはんやおかずをたくさん食べたくて、なかなかがまんができません。今回は、がまんしていれば勝てた勝負でした。(ごはん代を倹約せずに使って、交通費を食いつぶしてしまうのです)
わたしがつくった自分を支えるための教訓がありますので紹介します。
『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』
これまで、がまんの気持ちがきかなくなりそうになったときには、自分にそう言い聞かせて、歯を食いしばって、がまんしてきました。効果はあります。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』お得なのです。
長野県内松本市という地名とか長野駅など、今年初夏に自分たち夫婦が旅行で訪れた場所が出てきて嬉しかった。
知力チームは、長野駅前から善光寺まで、かけっこしながら往復30分で走って戻りました。かなりの距離があります。
メンバーが、善光寺が見えたと言っていたのは、善光寺の本堂ではなく山門だと思いますが、映像では、メンバーのすさまじい勢いに圧倒されました。それはそれでいい。じっさいは長野駅からはかなりの距離があり、お寺の本堂までの最後は上り坂です。映像を見ていて、よくそこまでやられましたとほめるしかありません。
年配のタクシー運転手さんとのやり取り結果として、昔の『信越線』とか『えちごトキめき鉄道』の話がおもしろかった。結局、現在のなんのことかわからなかったという笑い話がおもしろかった。実際にあるようなパターンのお話です。
やはりタクシーが速い。
ラストの行程は、タクシー利用が勝利の秘訣(ひけつ。コツ)です。
まつぼっくり1個50円という話が出ました。
自分はいつも朝の散歩道で大量の松ぼっくりを森の小径(こみち)で見かけます。1個50円ならぼろもうけです。なにせ原価0円ですから。
また、同じようなメンバーでこの企画をやってください。楽しみにしています。
なかなか良かったです。またやってほしい。
チームのひとりが万歩計を付けて歩いた数がお金になって、交通費(バス、鉄道、タクシー)、食事代、宿泊費に充当されます。
わたしも万歩計を毎日携帯しているので企画内容が身近に感じました。
わたしは健康維持のために1日5,000歩ぐらい歩きます。目標は1日8,000歩から12,000歩です。カレンダーにその日歩いた歩数を記録しています。ここ数年で一番多かったのは、2019年(令和元年)5月5日の22,971歩です。足の裏が痛かった。
番組企画内容の1歩1円だと8,000歩で30日歩いたとして24万円の収入です。いい割合の稼ぎです。
知力チーム:(おいでやすこが)おいでやす小田 こがけん (Hey! say! JUMP)薮宏太 (ジャニーズWEST)中間淳太 (翌朝3人目のメンバーが交代しましたが、感じが悪かったです。ちゃんと通しで出ることができる人を人選してほしい。体力勝負のゲームですから、翌朝、疲れ知らずの人に変われば知力チームが有利になり不公平です。最終的に知力チームが勝ちましたが、正しい見識(けんしき。本質を突いた確かな意見)に立てば、知力チームは失格か反則負けです)
体力チーム:原田龍二(歩いて稼いだお金を食事で使いたがるのでブレーキになっていましたが、それはそれでおもしろかった) (ディモンディ)前田裕太(アメトークとかの番組で、野球の話でよく盛り上がっているのを見ます) やす子(『はいーっ』の声がいい意味で耳にこびりつきました。だれかに否定されましたが、かけ足をするときの自衛隊のかけ声『イチ イチ イチニ ソーレ』が走りやすそうで良かった。楽しかった。やす子さんは、またこの企画番組に出てほしい。以前東野&岡村の旅猿千葉県でサバイバルゲームをやろうという企画に出ていた女芸人さんがやす子さんかと思ったら人違いでした。類似の芸人さんがいたのでびっくりしました。『そのこさん』元自衛官 スナイパー(狙撃手 300mの距離から狙う)をしていたらしい。)
小田原城は新幹線の車窓からしか見たことがありません。
いつか、現地を訪れてみたい。
体力チームの原田龍二さんが、食事でごはんやおかずをたくさん食べたくて、なかなかがまんができません。今回は、がまんしていれば勝てた勝負でした。(ごはん代を倹約せずに使って、交通費を食いつぶしてしまうのです)
わたしがつくった自分を支えるための教訓がありますので紹介します。
『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』
これまで、がまんの気持ちがきかなくなりそうになったときには、自分にそう言い聞かせて、歯を食いしばって、がまんしてきました。効果はあります。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』お得なのです。
長野県内松本市という地名とか長野駅など、今年初夏に自分たち夫婦が旅行で訪れた場所が出てきて嬉しかった。
知力チームは、長野駅前から善光寺まで、かけっこしながら往復30分で走って戻りました。かなりの距離があります。
メンバーが、善光寺が見えたと言っていたのは、善光寺の本堂ではなく山門だと思いますが、映像では、メンバーのすさまじい勢いに圧倒されました。それはそれでいい。じっさいは長野駅からはかなりの距離があり、お寺の本堂までの最後は上り坂です。映像を見ていて、よくそこまでやられましたとほめるしかありません。
年配のタクシー運転手さんとのやり取り結果として、昔の『信越線』とか『えちごトキめき鉄道』の話がおもしろかった。結局、現在のなんのことかわからなかったという笑い話がおもしろかった。実際にあるようなパターンのお話です。
やはりタクシーが速い。
ラストの行程は、タクシー利用が勝利の秘訣(ひけつ。コツ)です。
まつぼっくり1個50円という話が出ました。
自分はいつも朝の散歩道で大量の松ぼっくりを森の小径(こみち)で見かけます。1個50円ならぼろもうけです。なにせ原価0円ですから。
また、同じようなメンバーでこの企画をやってください。楽しみにしています。
2022年11月01日
五重塔(ごじゅうのとう) 幸田露伴(こうだ・ろはん)
五重塔(ごじゅうのとう) 幸田露伴(こうだ・ろはん) 岩波文庫
作者である幸田露伴氏一家が住んでいた住居を見学したのは、愛知県犬山市にある明治村で、今年の4月桜の花が咲きほころぶ頃でした。
同宅では、滝廉太郎氏や幸田姉妹が音楽談義などをしていたと本で読んだことがあります。
幸田姉妹の兄である幸田露伴氏の小説を読んだことがなかったので、この五重塔を読み始めましたが、明治時代初めの作品であり、文章を読むことがなかなかむずかしい。(読み終えてから、何度か映像化されていたことを知りました)
最初をちょっと読んだあと、まず最後尾にある『解説 桶谷秀昭(おけたに・ひであき)』を読みました。
のっそり十兵衛が主人公です。彼は、がんこ者で人の意見をきかない。世渡り下手。寺社建築の大工。職人仲間からさげすまれ、貧乏暮らしとあります。
もうひとりの中心的登場人物が、川越の源太(かわごえのげんた)。同じく大工職人です。
東京谷中の感王寺(やなかのかんのうじ)にあるお寺の敷地内に建造する五重塔のお話です。
お寺の上人(しょうにん。優れた僧。高僧)は、五重塔を川越の源太に棟梁(とうりょう。リーダー)として造ってほしいのですが、のっそり十兵衛が、自分に棟梁をやらせてくれと申し出るのです。十兵衛はわがまま者です。今回の件については自分の欲求を譲りません。
本文は、落語を聴くような文章です。リズムとメロディーがあります。
お経(おきょう)を読むようでもあります。ただ、昔の言葉づかいなので、意味をとることがむずかしい。読んでいて内容をすんなりとは理解できません。
エゴイズム:自分の利益だけを考えて人のことを考えない。自分本位。のっそり十兵衛のことです。
川越の源太は、五重塔の建築工事をのっそり十兵衛に譲ります。ただ、源太はかなり怒っているようです。ふたりでつくろうとか、十兵衛が主で、源太が副のポジション(地位)でもいいと十兵衛に申し出ましたが、十兵衛は嫌だと突っぱねました。
この文学作品が出るまでは、日本には、自己主張を通すという内容の作品はなかったそうです。
そのことが当時の文学界において新鮮だったそうです。
幸田露伴(こうだ・ろはん):1867年(江戸時代・慶応2年)-1947年(昭和22年)79歳没。作品『五重塔』は1892年(明治25年)の作品。
(本文を読み始めました)
漢字には、ふりがながふってあります。
言葉が明治時代のもので、むずかしい。
清吉:大工。源太の弟分。
お吉(おきち):源太の妻。
鋭治:源太の兄貴分。
お浪(おなみ):十兵衛の妻
猪之(いの):十兵衛とお浪のこどもでまだ小さい。男児。
文章は『其の一(そのいち)』から始まり『其の三十四』まで続きます。
(つづく)
読み終わりました。
言葉や言葉づかいが、江戸時代が終わったあと20年後ぐらいの明治時代のものであり、あわせて、自分に読解力がなく、不十分な理解で読み終えました。
考えてみれば、江戸時代以前の人たちが、日常会話で、どんな日本語を使って会話をしていたのかは、わかりそうでわからないような気がします。
くわえて、当時の方言(ほうげん。地方なまり)は、けっこうきつく、江戸や東京という場所で、どうやってお互いの意思疎通(いしそつう)を図っていたのかとも思いがめぐります。鹿児島県薩摩藩の藩士の方言はどうやって江戸の人たちに意味が通じたのだろう。
テレビもラジオもない世界です。明治時代初期は、鉄道も短い距離しかまだできていません。
文字の読み書きができない人たちも多かった時代の文学作品と読書です。現在の日本とは大きく異なる世界です。
さて、文脈の雰囲気を味わう読書で終わりましたが、感じたことです。
のっそり十兵衛という人間はわがままなのです。とにかく自分のいうとおりにさせてほしい。自分で五重塔をつくりたい。源太には手伝ってもらいたくない。
でも、最後はまわりが受け入れるのです。発注主の僧侶(上人様。しょうにんさま)が許可します。
そういうこともある。いっけんわがまま勝手でも、最後は、しかたがないなあと容認するのです。
そういうことって今の時代でもあります。
結果的に平和的解決に至ることもあります。『しょうがない』でやりすごすこともあります。
それが人間界、それが人間の世の中のひとつの出来事OKパターンとしてあります。正しいか正しくないかではなく、そういうことがあるかないか。あればあれでよしなのです。
人情、成長、教育、教え、そんなことを考えました。
最後には、十兵衛建築の立派な五重塔が完成しました。風雨の嵐に襲われてもびくともしませんでした。
わがままを受け入れて育む(はぐくむ)という人情噺(にんじゅうばなし)です。
そして、万人が満足できる上等な作品(今回の場合は五重塔)をつくるために全力を注ぐ(そそぐ)がんこな職人魂が表現されています。
作者である幸田露伴氏一家が住んでいた住居を見学したのは、愛知県犬山市にある明治村で、今年の4月桜の花が咲きほころぶ頃でした。
同宅では、滝廉太郎氏や幸田姉妹が音楽談義などをしていたと本で読んだことがあります。
幸田姉妹の兄である幸田露伴氏の小説を読んだことがなかったので、この五重塔を読み始めましたが、明治時代初めの作品であり、文章を読むことがなかなかむずかしい。(読み終えてから、何度か映像化されていたことを知りました)
最初をちょっと読んだあと、まず最後尾にある『解説 桶谷秀昭(おけたに・ひであき)』を読みました。
のっそり十兵衛が主人公です。彼は、がんこ者で人の意見をきかない。世渡り下手。寺社建築の大工。職人仲間からさげすまれ、貧乏暮らしとあります。
もうひとりの中心的登場人物が、川越の源太(かわごえのげんた)。同じく大工職人です。
東京谷中の感王寺(やなかのかんのうじ)にあるお寺の敷地内に建造する五重塔のお話です。
お寺の上人(しょうにん。優れた僧。高僧)は、五重塔を川越の源太に棟梁(とうりょう。リーダー)として造ってほしいのですが、のっそり十兵衛が、自分に棟梁をやらせてくれと申し出るのです。十兵衛はわがまま者です。今回の件については自分の欲求を譲りません。
本文は、落語を聴くような文章です。リズムとメロディーがあります。
お経(おきょう)を読むようでもあります。ただ、昔の言葉づかいなので、意味をとることがむずかしい。読んでいて内容をすんなりとは理解できません。
エゴイズム:自分の利益だけを考えて人のことを考えない。自分本位。のっそり十兵衛のことです。
川越の源太は、五重塔の建築工事をのっそり十兵衛に譲ります。ただ、源太はかなり怒っているようです。ふたりでつくろうとか、十兵衛が主で、源太が副のポジション(地位)でもいいと十兵衛に申し出ましたが、十兵衛は嫌だと突っぱねました。
この文学作品が出るまでは、日本には、自己主張を通すという内容の作品はなかったそうです。
そのことが当時の文学界において新鮮だったそうです。
幸田露伴(こうだ・ろはん):1867年(江戸時代・慶応2年)-1947年(昭和22年)79歳没。作品『五重塔』は1892年(明治25年)の作品。
(本文を読み始めました)
漢字には、ふりがながふってあります。
言葉が明治時代のもので、むずかしい。
清吉:大工。源太の弟分。
お吉(おきち):源太の妻。
鋭治:源太の兄貴分。
お浪(おなみ):十兵衛の妻
猪之(いの):十兵衛とお浪のこどもでまだ小さい。男児。
文章は『其の一(そのいち)』から始まり『其の三十四』まで続きます。
(つづく)
読み終わりました。
言葉や言葉づかいが、江戸時代が終わったあと20年後ぐらいの明治時代のものであり、あわせて、自分に読解力がなく、不十分な理解で読み終えました。
考えてみれば、江戸時代以前の人たちが、日常会話で、どんな日本語を使って会話をしていたのかは、わかりそうでわからないような気がします。
くわえて、当時の方言(ほうげん。地方なまり)は、けっこうきつく、江戸や東京という場所で、どうやってお互いの意思疎通(いしそつう)を図っていたのかとも思いがめぐります。鹿児島県薩摩藩の藩士の方言はどうやって江戸の人たちに意味が通じたのだろう。
テレビもラジオもない世界です。明治時代初期は、鉄道も短い距離しかまだできていません。
文字の読み書きができない人たちも多かった時代の文学作品と読書です。現在の日本とは大きく異なる世界です。
さて、文脈の雰囲気を味わう読書で終わりましたが、感じたことです。
のっそり十兵衛という人間はわがままなのです。とにかく自分のいうとおりにさせてほしい。自分で五重塔をつくりたい。源太には手伝ってもらいたくない。
でも、最後はまわりが受け入れるのです。発注主の僧侶(上人様。しょうにんさま)が許可します。
そういうこともある。いっけんわがまま勝手でも、最後は、しかたがないなあと容認するのです。
そういうことって今の時代でもあります。
結果的に平和的解決に至ることもあります。『しょうがない』でやりすごすこともあります。
それが人間界、それが人間の世の中のひとつの出来事OKパターンとしてあります。正しいか正しくないかではなく、そういうことがあるかないか。あればあれでよしなのです。
人情、成長、教育、教え、そんなことを考えました。
最後には、十兵衛建築の立派な五重塔が完成しました。風雨の嵐に襲われてもびくともしませんでした。
わがままを受け入れて育む(はぐくむ)という人情噺(にんじゅうばなし)です。
そして、万人が満足できる上等な作品(今回の場合は五重塔)をつくるために全力を注ぐ(そそぐ)がんこな職人魂が表現されています。