2022年06月13日

その扉をたたく音 瀬尾まいこ

その扉をたたく音 瀬尾まいこ(せお・まいこ) 集英社

 読み始めました。
 なんだか、さえない男性主人公です。
 ギター弾き29歳無職の宮路(みやじ)が、老人ホームでなにかをしています。
 自称ミュージシャンの施設入所高齢者慰問です。
 自称ミュージシャンですから、年寄り向けの曲の演奏はしません。
 自分のために演奏する人です。
 大学を卒業して無職のまま7年が過ぎていたというのは、自慢にはなりません。
 一般的には、音楽でメシは食えません。
 楽器の演奏よりも、読み書き計算、パソコン操作、車の運転、営業、接客、企画立案実行の能力をもたねば働けません。合わせて、自己の健康管理(心のもちようも含めて)、仕事の管理を始めとした人間関係のコントロールもしていかねばなりません。なにせ金勘定が基本です。自分のお金の管理ができない人は、会社や組織のお金の管理はできません。身の回りの整理整とんもできなければなりません。
 音楽だけで食べていける人は、音楽だけでしか食べていけなかったりもします。365日、24時間すべて、音楽のために時間を費やす人です。
 芸術家というのは、これしかできないから打ち込むしかないのです。本人も気づいていて、逃げ場のない世界で必死に生きています。
 宮路は、11月27日が30歳の誕生日だそうです。
 宮路は思いやりのない人です。相手に、オレの音楽を聴かせてやっているという態度が伝わってきます。
 グリーン・ディの曲:アメリカ合衆国のパンク・ロックバンドの曲を施設入所している高齢者に聴かせます。
 音楽演奏者で生活していくことにあきらめがつかない自分なのに、あきらめない自分(ネバー・ギブアップ精神だぞと)のことを立派だとまわりに自慢したい人です。
 どうやって生活しているのだろう。親の財産を食いつぶしているのだろうという予測しかありません。典型的なダメ人間です。
 世の中には、五体満足で口が達者でも働けない人がいくらかいます。自慢話を聞かされても、過去になにかをやり遂げたという実績がない人なのです。そのことが判明すると、それまでそばにいた人は離れていきます。

 サックスホーンのいい音色を(ねいろを)聴かせてくれるのが、老人ホーム男性職員の渡部(入所者からこうちゃんと呼ばれている。58ページに25歳とあります。祖母とふたり暮らしをしていると72ページに書いてあります)です。
 されど彼は、音楽療法士というわけではありません。
 演奏するのは、年寄り相手ですから、こどものころに学校で合唱した『ふるさと』のような日本童謡のような曲、あとは演歌です。
 
 いいかげんそうな自称ギタリストの宮路が、老人ホーム職員の渡部をサックス演奏の神様だと、この本の読者に訴えるのです。

 金曜日の午後2時30分が、老人ホームでのレクレーションの日時です。
 レクレーション:休養と元気回復のための娯楽

 宮路のひとり語りが続きます。
 宮路は勝手に老人ホームを訪問しますが、たいていは、呼んでもいない部外者の訪問を老人ホームは断ります。なにかの事件の犯人になるかもしれませんから。
 玄関は、認知症の高齢者がいつのまにか外へ出ていかないように施錠してあります。

 読んでいて、施設には入りたくないと思う。
 自分の希望は、在宅介護でお世話を受けながら、あの世に逝きたい。(いきたい)

(つづく)

 半分ぐらい、102ページまで読みました。
 渡部のサックスのうまさの話は、まだ盛り上がってきません。

 主人公の宮路29歳無職自称ギタリストは、老人ホーム入所者である水木静江の息子という立場で施設へ出入りします。(ありえません。他人です。でも、施設は知っていて許容しています)
 ほかに出てきたのが以下のメンバーです。
 スタッフとして、前田、遠山
 入所者として、12月2日が誕生日の今中のおじいさん。宮地からウクレレを習う本庄さん(本人は、ウクレレを小さなギターだと思い込んでいる)、3月が誕生日の八坂(やさか)のおばあさん、10月26日が誕生日の内田のおばあさん。
 老人ホームの名称は『そよかぜ荘』です。3階建て。1階が事務室。デイサービス空間。2階が入所者10人。3階が自分のことを自分でできない入所者が6人。

 親から毎月20万円の仕送りをもらっているひとり暮らしの主人公宮路29歳自称ギタリストです。
 親は、土地持ち不動産収入有りなのか。それとも大企業の創始者とか、幹部社員とか、あるいは、医師とか弁護士とか、いずれにしても、親から見てやっかい者の息子だから、そばに置いておきたくないのでしょう。まあ、世間体も気になります。みっともない息子とは別居して、金だけは援助する親のパターンです。

 働かなくても生活ができるということは、不幸ではないけれど、幸福ともいえません。

 人間というものは、オギャーと生まれた途端、たくさんの資産がくっついてくるベイビーと、逆に借金がくっついてくるベイビーがいます。これを『親ガチャ』というのでしょう。
 ただ、そのときに資産があっても、ぼーっとしていると、いつか資産は消えていきます。

 慰問のコントで、定期預金をする話が出ますが、いまどき定期預金に利子はつかないのも同然ですから、新規で定期預金をする人はあまりいないと思います。投資信託か株式投資のたぐいが多い。

 人のことを『ぼんくら』と呼ぶのはどうかと思いました。ふつうだったらけんかになります。
ぼんくら:まぬけ。人間のレベルが低い。まあ、主人公の宮路は、ぼんくらですが。(こんな人間とはかかわりあいになりたくない)
 くわえて、老齢の女性を『ばあさん、ばあさん』と呼ぶのもいやな気持になりました。「ぼんくら」にしても「ばあさん」にしても、どちらにしても人を見下しています。(みくだしています)

 季節は7月です。11月27日の30歳の誕生日に向けて、ぼんくらの宮路は、なにかを成し遂げたいらしい。30歳まで音楽をやって、芽が出なければ音楽で食べていく夢をあきらめるらしい。
 彼女いない歴7年だそうです。あわせて、アルバイトの経験もないそうです。(こういう人っているのだろうなあ。男でも女でも)

 宮路が高校1年生になったとき、父親が10万円のギターを宮路に買ってくれた。
 
 ちょっと気になったセリフとして『あんまり男子で吹奏楽部入るやつっていなかったなと思って』(そうなのか。意外です。自分が中学生だった時はけっこう男子生徒が吹奏楽部にいました)

 お金の面において、ギター弾きの主人公宮路とサックス吹きの渡部は正反対の家庭環境にあります。そのふたりがくっつくとは思い難い。

 ペグ:ギターの弦をギターに取り付ける時に使用する糸巻きのような小さな器具
 音階として:ABCDEFGは、ラ(A)シ(B)ド(C)レ(D)ミ(E)ファ(F)ソ(G)に対応する。
 
 上を向いて歩こう:坂本九さんが歌っていた。

 老後のことについて考える本だろうか。
 入所者のみなさんは、金銭的には裕福そうです。金はある。使い切れないというコメントがあります。
 されど、入所者に会いに来る家族や友人などはいない。

 会話形式の文章で、話を進めていくスタイルです。

 セットリスト:なんの曲を演奏するか決めるためのリストだそうです。一覧表。

 102ページに書いてある絵のことは、このあとどんな伏線になるのだろう。(渡部が中学生の時にもらった絵。鉛筆画。リボンが風になびいているような絵。

(つづく)

 読み終えました。
 うーむ。高校生向けの読書感想文コンクールの課題図書なのですが、どうなのかなあ。
 現代の高校生の生活に密着していないような内容でした。

 29歳無職独身男性主人公宮路が老人ホームにいるのが場違いです。
 29歳は、若い世代といるべき年齢です。とくに、いるとしたら、ちびっこたちと一緒です。
 自分が29歳のときは、すでに乳幼児をかかえて、お金がなかったので、夫婦共働きでこどもたちを保育園に預けての送り迎えで、必死になって働いていました。ちいさい子って、病気ばっかりするんです。こどもが熱を出すと、どちらが仕事を休むかで夫婦げんかばかりしていました。
 それにくらべて、この小説の主人公の宮路は、だめなやつです。
 あわせて、読者にとって魅力的な主人公の個性設定ではありません。
 お金があっても働いていない人は、社会では一人前には見られません。

 伏線として、102ページの『鉛筆画「駅伝のたすき」』(渡部が中学卒業の時に駅伝部顧問の美術教師からもらった。
 それからもうひとつ『タオル』がありました。

 ウクレレ練習好きの本庄さんが認知症になったあたりの話は、いきなりの出来事で無理があり、筋立てとして、ぎくしゃくしていました。

 シッカロール:ベビーパウダー。あせも、おむつかぶれ、ただれなどに使用する。
 
 お金がある家に生まれた宮路の境遇について話があります。
 お金でふりまわされる友人関係です。みんなのお財布的な存在です。たかられます。(金銭を要求される)
 122ページに『だから俺は、できるだけ目立たないように過ごした……』とあります。悲しいことです。

 登場する文学作品や楽曲は相当古いものです。今の高校生たちにはなじみがないので、読んでいてピンとくるか心配です。心に響かないのではないか。高齢者ならわかると思いますが、読者は、西暦2000年を過ぎてから生まれた人たちです。
 あわせて、外国曲もわかりません。

 渡部の天才的なサックス演奏だという披露が、読み始めた時は期待しましたが、結局ありませんでした。
 
 91歳である水木のおばあさんに関して、いろいろと出来事やコメントがあります。
 たぶん、この老人ホームに入所している人たちみんなに共通することとして、お金はありますが、見舞いに来てくれる友人も知人も親族もいません。
 (水木おばあさんのセリフ)『もうすぐ死ぬのに貯金してどうすんだよ』
 水木のおばあさんが本を買ってきてくれと宮路に頼みます。わたしなら『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』と『水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社』を買ってもっていきます。
 (水木おばあさんのコメント)『(宮路はへたくそのくせにうぬぼれているとして)へたくそなギターに野太い声……ぞっとしたよ。みんながしらけているのに……』(宮路には、実際は音楽演奏も歌も下手くそなのに、自分はできていると思い込んでいる錯覚があります)
 (水木おばあさんのコメント)『(自分が)老人ホームに入った時点で人生は終わった……』
 後悔しない人生ってあるのだろうか。水木おばあさんは、自分の人生を後悔しているのではなかろうか。水木おばあさんは、宮路に、わたしみたいになるなと言いたいのではなかろうか。

 ウクレレのコード(和音わおん)として、Cmシーマイナー B7ビーセブン

 坂本九『心の瞳』知らない曲だったので、YouTubeで聴きました。御巣鷹の尾根(群馬県おすたかの尾根)への日航機墜落事故を思い出してしまいます。
 自分は、リアルタイムでニュース放送を聞いていました。
 1985年8月12日でした。ちょうど帰省していた九州の実家のテレビで見ました。
 坂本九さんが乗客で亡くなって驚きと悲しみがありました。

 読み終えて思ったことです。
 29歳はまだまだです。
 人生は長い。昔のフォークソングにあったように『きみのゆく道は果てしなく遠い』のです。
 30歳から先、病気やけがや事故や事件など、次々とトラブルが訪れるのを乗り越えていかなきゃなりません。必ずトラブルは起きます。つきものです。トラブルは、日常生活にセットでついてきます。
 世の中には、いつまでもこどもの世界にいる人と、早い年齢から、こどもの世界を抜ける人とがいるのでしょう。
 タイトルの『その扉をたたく音』のメッセージは、扉をたたいてあげるから、いい歳(とし)してるんだから、いつまでもこどもの世界にいないで、こどもの世界を抜け出して、さっさと、おとなの世界に来なさい! というお叱りなのでしょう。

(その後)
 本を読んで、上の感想を書いてから1週間ぐらいがたちました。
 作者の意図(いと。おもわく。伝えたかったことのプラン)したことではないのかもしれませんが、亡くなった水木のおばあさんは、次のことも宮路に伝えたかったのだろうと新たな発想が生まれました。水木のおばあさんの「老人ホームに入ったとき、自分の人生は終わった」に続く言葉です。
 『いま、お金がたくさんあっても自分は幸せじゃない。お金がたくさんあっても、使わなければないのと同じだ。節約に徹して、お金を使わなかったのは、心に不安があったからだ。自分を支えてくれるのは「人」ではなく「お金」だと信じるしかなかったからだ。宮路、おまえは、そんな人生を送るな』というアドバイスになるのです。
 そうすると、音楽が好きなら音楽の仕事を続けて人間関係を広めよ。なにも演奏者だけが音楽の仕事じゃない。ほかにも音楽に関連する仕事はあるだろ。
 夢を追え。そして、ちゃんとしろ。働いて、結婚して、家庭をもて。こどもを育てろ。お金を使え。自分のまわりに家族をもて。
 思考は、そこまで広がりました。  

Posted by 熊太郎 at 07:07Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年06月11日

かめさんと出会う朝の散歩道

かめさんと出会う朝の散歩道

 6月8日(水)の朝のことでした。
 いつもの朝の散歩道を歩いていました。
 前方にある駐車場スペースに、年配女性と車で公園まで来たらしきおじいさんがいて、そのふたりのあいだに、大きなかめさんがいました。写真では小さく見えますが、実際は、体長が30センチぐらいあります。



年配女性『(このかめを見るのは、自分は)2回目よ』
わたし『はじめて見ました。びっくり! 大きいなーー』
 そこへ、散歩帰りの別のおじいさんが、道の奥のほうから近づいて来ました。
おじいさん『ああ、このかめはよく見るよ。人慣れしているんだ。人を見ると近づいていくよ(餌をやる人がいるらしい。餌をくれって人に近づいていくそうです)』
 わたしは、ぐーっとかめさんの顔に自分の顔を近づけました。
わたし『よーく見ると、かわいい。なんてかわいいんだろう!』
 かめさんが、わたしの声を聞いて、にっこり笑ったように見えました。(残念ながら、うーんと近づいて接写した写真はありません)








 年金生活者と野生の生き物は、お仲間だと感じたのでした。
 もうお金目的で生きる時代は終わりました。
 この世に、おさらばするまでの余生を、のんびりのんきに楽しみたい。  

Posted by 熊太郎 at 06:12Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2022年06月10日

東野&岡村の旅猿 なにも決めずに愛媛県の旅 2022年5月

東野&岡村の旅猿 なにも決めずに愛媛県の旅 2022年5月 動画配信サービス

 ゲストは、お笑いコンビ『ずん』のボケ担当飯尾和樹さんでした。
 そおいえば、相方のやすさんが、出川哲朗の充電バイクのゲストで出て、運転免許証を東京の自宅に忘れてきて、充電バイクを運転することができず、宿で借りた自転車で参加したことを思い出しました。ロケ地は北海道でした。あれは、ひどかった。

 今回は愛媛県です。
 自分は、19歳のときに、友人5人と車2台で回ったことがあります。初代のシビックと軽自動車でした。松山城見学と道後温泉入浴、宇和島の闘牛場横のグラウンドでテントをはって一夜を過ごしました。夜は、アベックが車できていちゃいちゃしたり、若者たちが集まってギターを弾いて歌っていたりで、よく眠れなかった思い出があります。

 さて、番組です。
 おいしいものがいくつも出てきました。
 一泊二日、翌朝解散のあわただしい旅ですが、なかなかおもしろかった。
 はるな愛さんの母方実家のお墓参りも急遽(きゅうきょ)しました。すごい田舎でしたが、海が近く、印象に残りました。

 廊下の長い古い学校の校舎で、岡村隆史さんがぞうきんがけタイムトライアルをしました。100mちょっとを1分ちょっとで、最初は元気よく、最後はへとへとになって終えられました。腹筋の力はいるし、足も痛くなるだろうしで、お疲れさまでした。いいタイムだったと思います。自分はようやりません。
 自分が中学生だった頃、学校でそうじの時間になると、廊下のぞうきんがけをしていたわけですが、テレビでオリンピックの映像を見たあとは、長い廊下を水泳のクロールで泳いでみたり、背泳ぎもしたり、冬のオリンピックのときは、スピードスケートのまねをして、両手を左右にふりながら靴下(くつした)ですべったりしてむじゃきに遊んでいました。13歳ぐらいのころの自分は、純真な少年でした。(じゅんしん。心にけがれがない)

 岡村隆史さんのところも旅猿メンバーの持田香織さんのところも第一子ご誕生だそうです。おめでとうございます。
 次回のゲストは持田香織さんだそうです。ベッキーさんのときと同じよう用に、東野・岡村のふたりは、プレゼントをもっていくのでしょう。

 愛媛県を巡る旅は、最初に愛媛県庁で観光を担当する職員から提案がありました。
①おいしいものを食べる。(お肉とかお魚とか)
②海のきれいな景色を楽しむ(夕陽とか。メンバーは、トライしましたが、失敗しています。夕日の手前に障害物があって、夕日が見えなかったという失敗です)
③アトラクションに参加する。(学校の長い廊下のぞうきんがけ)

 はるな愛さんが電話でメンバーにお願いした飛び込み企画(はるな愛さんの母方実家のお墓参り)が良かった。
 はるな愛さんが、自分のことを『長男坊(ちょうなんぼう)だから……』と言われたのが、女装をされている方なのでとてもおかしくて笑いました。
 また、地元のどなたかが、女性でしたが、『そうそう(はるな愛さんの)お里(おさと)なんですの……』とおっしゃい、『お里』という言葉の響きが上品でとてもいいなと感じました。

 飯尾和樹さんは、たくさんビールを飲んでごきげんでした。
 岡村隆史さんが、翌朝の仕事がどうのこうのと言われたのですが、旅猿のロケはとても仕事とは思えません。ほぼ、ご自分たちの私的なお仲間旅行に見えます。かしこまらずに、ふだんの仕事を忘れて楽しまれるといいです。

 三人が、『いなかに来ると、同じ時間でも、都会と比較して、いなかの時間はゆっくりと過ぎていく』と感想を述べられていました。みなさんの実感が、映像を見ている者にも伝わってきました。
 都会生活を送っている日本人は忙しすぎます。次はこれ、その次はこれと、やることが多すぎます。

 柑橘類(かんきつるい)であるオレンジのくだり(話)がありました。
 うちも「きよみオレンジ」を食べます。甘くておいしい。愛媛伊予地方の柑橘類(かんきつるい)だそうです。
 どういうわけか、東野幸治さんが、きよみオレンジの紹介に失敗しています。(最初に、「まずくはないが、もっとおいしいミカンやオレンジ類がほかにいくつもある」と言ってしまいました)
 収拾ができませんでした。  

2022年06月09日

東野&岡村 旅猿21 ワンちゃんと軽キャンピングカーの旅

東野&岡村 旅猿21 ワンちゃんと軽キャンピングカーの旅 動画配信サービス

 最近見る旅番組は『千鳥の相席食堂』と『モヤモヤさまぁ~ず2』です。
 『ブラタモリ』と『鶴瓶の家族に乾杯』も観ます。
 『旅猿』は、動画配信サービスで観ます。
 気楽な旅番組が好みです。
 リラックスすることができます。
 力が抜けているぐらいがいい。
 ゆるい雰囲気がいい。えびすよしかずさんがいなくなった路線バスの旅は、鬼のような形相で追っかけっこをして、感情むき出しで闘うシーンばかりになりました。長時間観続けるのが、しんどくなってきたので、最近は見ていません。

第1話
 先週、静岡県浜名湖にある舘山寺温泉(かんざんじ)に行ってきました。
 ワンちゃん同伴可能なホテルとか、ワンちゃんの美容院がありました。
 そんなことを思い出しながら、この番組を観ました。
 この映像にある宿泊地は、神奈川県内の山の中でした。
 浜名湖がそばにある舘山寺(かんざんじ)とは、だいぶ雰囲気が違います。

 ゲストは、お笑いコンビオードリーの春日俊彰さんです。

 まずは、ワンちゃんを調達しなければなりません。
 東野幸治:白い子犬。ミルクちゃん。(見た目が可愛い)
 岡村隆史:ブルドックぽい小型犬。ぶるんちゃん。(散歩では歩くことを嫌がる。ドッグカフェでは、春日俊彰さんのダンディのおかずを横取りして食べてしまいました)
 春日俊彰:ちょっと大きな毛むくじゃらの犬。ダンディくん。(最初は春日さんのいうことをきかなかったけれど、だんだんなついてきて、最後は春日さんのことを心配するような態度をしていました。やはり愛情をこめて接すればなつきます)
 それぞれ軽自動車のキャンピングカーを1台ずつ選びました。自分達で運転しながら、キャンプ場をめざします。

 持田香織さんが第一子を出産した。岡村隆史さんが結婚した。そんな情報が流れます。

 映像を見ながら、自殺してしまったダチョウ俱楽部のメンバーの顔が目に浮かびます。
 出川哲朗さんの充電バイクの旅にゲスト出演されていました。たしかに、ゲストの上島竜兵さんの目つきが、映像を見ていて、おかしいなと見えるときがありました。
 思い詰めないでほしかった。
 旅猿メンバーたちは、みんな楽し気に(たのしげに)、遊ぶように仕事をしています。

 映像には出ませんでしたが、ドッグカフェで、34匹も犬を連れていたお客さんがいたそうです。すごい。(これを書いた翌日におかしいなと思って映像を見なおしたら、岡村隆史さんが「3匹4匹連れている人もいた」とコメントされていました。それを34匹と聞き間違えていました。ああ、歳をとってきて、耳がだんだん聞こえづらくなってきています)

第2話
 高速道路を降りたところで、春日俊彰さんが運転する車が高速を降りそこなって、はぐれてしまいました。(そういうことってあります)
 神奈川県内にある海老名(えびな)サービスエリアで再会できました。(海老名サービスエリアには、車で数回立ち寄ったことがあります。とっても大きなサービスエリアで、たいてい混んでいます)
 ワンちゃんも高速道路移動の時は、ときおり休憩が必要な様子です。
 岡村さんの子犬の「ぶるん」は、移動中の軽キャンピングカー車内で気持ち良さそうに眠っていました。(いびきもかいていたそうです)

 春日俊彰さんが、大きな犬のダンディをだっこして車から降りてきたのでびっくりしました。
 ワンちゃんといっしょにいちご狩りです。
 春日俊彰さんのダンディは大きいので入場できないそうです。
 東野さんの「ミルク」と岡村さんの「ぶるん」は小型犬なので、だっこカバンに入れて移動します。
 
 春日俊彰さんが、筋肉でいちご狩りをします。
 春日俊彰さんのわざがすごい。
 ひじの内側でイチゴの枝みたいになったかたまりをちぎって、はさんだまま口に近づけて食べました。

第3話
  キャンプなので、自分たちでつくります。夕食は冷凍食品のオンパレードになりましたが、どれもおいそうでした。「うまい!」の連発です。
 キャンプ場まで来る途中のスーパーで買ったお肉は大きくて、ぶ厚くて、最初は固そうに見えましたが、焼けたらやわらかでよかった。

 犬は夜行性なのだろうか。
 人間と暮らしている犬は、人間化するような気がします。
 食事は一日何食なのだろうか。
 二食ぐらいだと思いますが、人間化して三食もありか。
 犬たちは、おなかがすいて、はらぺこのようで、がつがつ食べていました。

 朝起きて、野生のシカがいるような山奥です。
 
 たいへんだなあ。
 狭い車内で、寒かったそうです。車中泊だそうです。
 
 春日俊彰さんが、はだかにになってフィジカルサラダという野菜サラダをつくります。
 なんだか、夜のナイトクラブのショーを早朝に見せられているようでした。おもしろいかというと、「とくに(可も無し、不可もなし)」という感想です。
 寒い中の冷たい朝ごはんで気の毒でした。

 春日俊彰さんの相棒である大きな犬の「ダンディ」が、だんだん人間ぽくなるのがおもしろかった。  

2022年06月08日

相棒 シーズン14 第2話と第3話

相棒 シーズン14 第2話と第3話 動画配信サービス

 仕事優先の生活が長らく続き、20年間ぐらい、テレビはニュースと天気予報を見るぐらいでした。
 定年退職して、浦島太郎のような気分で、テレビを見るようになりました。
 こんなおもしろくていいドラマの番組があったのかと思ったのが『相棒』でした。
 知らずに過ごした20年間を取り戻すように、最初の回から観始めて、シーズン13まできたところで、いつもDVDを借りていたお店が閉店しました。
 知り合いに聞いたところ、アマゾンのファイアー・スティックというものをテレビの裏に装着すると動画配信サービスで、過去の番組を観ることができることを知り、ネットで購入して設定して、観始めました。
けっこう楽しいです。『相棒』だけではなくて、自分が小中学生ぐらいのころによく観ていたドリフターズの『8時だよ全員集合!』を見て、なつかしい思い出にひたったりもしています。アイドル歌手のみなさんが若々しい。その後、人それぞれご苦労なさいました。亡くなっている方の映像も残っています。こういうことができる時代が来るとは、予想もしていませんでした。

 先月、夫婦で長野県の善光寺でお参りをしたあと、同県の松本市へ移り、松本城見学をしたあとに路線バスのバス停を探して歩いていたら、吹奏楽オーケストラが演奏する『ボレロ』が聞こえてきて、なんだろうと音が聞こえるところへ近づいていったら、そこに『相棒』で杉下右京を演じておられる水谷豊さんご本人と女優の檀れいさんをお見かけしました。
 水谷豊さんが松本市を撮影の舞台にした映画をつくったという内容で、映画のトークショーというやりとりをされていました。オーケストラは地元の高校生のみなさんでした。(映画の題名は『太陽とボレロ』ですが、感想や評価をみると、賛否両論あるようです。試写会を見られた方は酷評が多く、映画が公開されたあとの感想では、大半は好評ですが、一部に否定的な意見も目立ちます)
 そのときの水谷豊さんは『相棒』の杉下右京と同じ雰囲気のしゃべりかたで、高価な上着と靴とメガネをかけてかっこよく、檀れいさんは、小顔の美しい女性でした。おふたりが、キラキラと輝いて見えました。
 そんなことを思い出しながら、『相棒』シーズン14の第1話は、ずいぶん前に動画配信サービスで観たので、続きの第2話から観始めました。

第2話 或る相棒の死(あるあいぼうのし) 2015年10月21日放映分(平成27年)
 冠城亘(かぶらぎ・わたる)役の反町隆史(そりまち・たかし)さんは、今春で、現実には『相棒』を卒業されましたが、自分にとっては、これからが始まりです。
 あいかわらず、相棒だからといって、ふたりは、仲良しの関係ではありません。
 杉下右京が、反町隆史さんが演じる冠城亘を『同居人』と表現します。

 話の題材は、警察署内部の裏金づくりの摘発です。
 不祥事、不正があります。組織的な悪事です。

 現在ジャーナリストで元警察署職員が縊死します。(いし。くびつり)
 自殺か? 他殺か? です。(当然、他殺です)

 観終わって、すごいなあという感動がありました。
 身が引き締まる思いです。
 格闘シーンの映像もうまい。
 味方だと思っていた人が、敵だったといういうことはあります。
 だから、相手を信用して、情報をベラベラしゃべってはいけないということがあります。
 このドラマの世界は『組織』がステージです。
 表現のポイントとして、同じ人間でも、善人の部分と、悪人の部分が同居しているのが『人間』ということです。

 あれやこれやの表現が細かくて行き届いています。
 頭脳内でパズルを楽しみます。
 すごい。かっこいい。
 なるほど。
 どこまでが本当なのか疑いたくなります。なんとでもころがせます。
 
 職業人の心構えがあります。
『報告』というものは、これから〇〇しますではなく、すでに〇〇をしましたが報告です。
だれが考えてもあたりまえのことは、いちいち指示をあおぐのではなく、さっさとやって済ますのです。

 出世の順番にこだわるのが、組織人です。
 セリフとして「かれらが守ったのは、あなたではなく、組織です。」
 組織第一主義です。

 『悪』のある部分もある人間を描くドラマです。
 利用する。利用し合う。
 まあ、ひどい話と言えば、ひどい話です。

 久しぶりにこのドラマを観ました。(第1話を観たのは調べたら3月でした。これを書いている今は5月下旬です)
 久しぶりに角田課長(かくたかちょう)たちのいる事務部屋のメンバーを見てほっとしました。
 確か小柄な男性で、特命係の小部屋の向こうにある大部屋にいる刑事役の人は、以前ニュースで亡くなったと聞きました。(そのときは、相棒というドラマの内容を知りませんでした)
 鑑識役の六角精児さんの存在もありがたい。

 先日葛飾北斎の本を読んだのですが、葛飾北斎の集中力と杉下右京の集中力が共通のものだと感じました。

 杉下右京のセリフでおもしろかったのが、相棒の冠木(かぶらぎ)に対して『(敵にやられて)ところで、君、弱いんだね(腕っぷしが)』
 
 『手帳』『万年筆』『メガネ』『お茶』『コーヒー』『紅茶』など、伏線がいっぱいです。


第3話 死に神 2015年10月28日放映分(平成27年)
 自殺願望者を自殺に導くという犯人の個性を、深くえぐるように浮かび上がらせます。
 ネットの掲示板がからみます。
 以前、実際にALSという病気の女性を殺害して逮捕された医師を思い出します。
 これがヒントだったのだろうか。
 ゆえにタイトルが『死に神』なのです。
 死に神であり、悪魔であり、殺人鬼です。複数の犠牲者がいます。

 『世の中には、死んだほうが幸せな人間がいる』というセリフは不気味です。
 『(自殺のほう助(手助け)は)人助けです』だそうです。

 『職場でいじめられて死にたいです』
 そんなことで死なないでほしい。
 いじめられたらこぶしをあげてたたかえばいい。
 できないならスパンとやめればいい。

 かなりややこしい話でした。
 
 セリフ言葉の重ねるところ、くりかえすところが、リズムがあっていい。
 例として、杉下右京の「気になりますねぇ」に別の人が「気になりますねぇ」  

2022年06月07日

ひまわり

ひまわり

 6月3日(金)に撮影した写真です。
 まだ、6月なのにりっぱなひまわりが開花しました。
 朝の散歩をしていて、はっ! と目を見張りました。
 みごとでした。




















 ひまわりを見たとたんに、いろいろなことが、頭の中を流れていきました。
 1970年(昭和45年)ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニ主演、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の洋画『ひまわり』は、旧ソ連ウクライナとイタリアが舞台の、物悲しい戦争恋愛映画でした。
 愛知県知多半島にある「花広場」というところで、たくさんのひまわりに囲まれて観光したのは、2010年秋のことでした。(平成22年)
 北海道旭川市内で、タクシーの運転手に「ひまわり畑を見に行きませんか」と声をかけられて、観光で疲れていたので、もういいです。(旭川)空港へお願いしますと返事をしたのは、1999年(平成11年)夏のことでした。
 小学5年生のころ、社宅で長屋(ながや)の庭にひまわりの種を植えたら(そのときの自分の感覚だと)2mぐらいの高さまでひまわりの背が伸びて、びっくりしました。
 お隣に住んでいたおじさんがペットでリスを飼っていて、リスの餌にするから、ひまわりの種をくれないかと言われて、種を花からたくさん抜いておじさんにあげました。おじさんからはお礼にお菓子の菓子袋をもらった思い出が残っています。
 さらに小学4年生のとき、担任の女先生が「ひまわり」を連呼する歌を教えてくれたことを思い出しました。『ひまわりは、空へ、空へ、太陽へ……』という部分の歌詞だけ頭に残っています。ご自分の名前『陽子』は、太陽の「陽」からとって親が名付けたとお話しされていました。(調べました。吉永小百合さんの『勇気あるもの』「この道は長いけど 歩きながらゆこう」という歌詞部分も思い出しました)  

Posted by 熊太郎 at 06:15Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り