2021年08月25日

チビねずくんのながーいよる

チビねずくんのながーいよる ダイアナ・ヘンドリー作 ジェーン・チャップマン絵 くぼしま りお訳 ポプラ社

 原題は『THE VERY NOISY NIGHT』です。自分なりに訳すと『とてもやかましい夜』
 イギリスの絵本です。1999年の作と英語で書いてあります。日本版絵本の発行は2000年です。もう22年も前の作品になりますが、本はいつまでも本として残り、次世代へとつながれていきます。

 今回の絵本の選択として、平坦で淡々とした内容の作品を読みたかった。
 奇を衒る(きをてらう。レアケース(希少な事例)をおおげさに公表するとか、変わった事例で気をひこうとするとか)のではなく、平凡な営みで、心を落ち着かせる物語を読んでみたかった。この絵本はリサイクルショップで選んで手に入れました。

 チビねずみとオオねずみの関係は書いてありません。
 兄と弟、姉と妹のようではあります。
 友だち同士にも見えなくはありませんが、そうとは思えません。
 父親と息子、母親と娘のようではあります。

 チビねずみは心配性なのか、夜、なかなか寝付けないのです。

 むかし家で飼っていたハムスターのぴーちゃんを思い出しました。
 ジャンガリアンハムスターだったか、ゴールデンハムスターだったか。どっちだったかは思い出せません。
 ハムスターが死ぬとかなり精神的に落ち込みます。ぴーちゃんは、暑い夏に昇天してしまいました。もともと寿命が短いこともありますが、あの時は、しばらく悲しみにひたりました。
 
 ふと、矛盾に気づきました。ねずみは、夜行性なのです。
 ぴーちゃんも夜になると元気いっぱいで、回し車を回していました。
 だから、この絵本に出てくるねずみくんふたりも、夜は寝てちゃダメなのです。
 
 まあ、それはよしとして読み始めます。
 チビねずみの心配事です。チビねずみの気持ちは敏感です。いろいろと悪いことを想像しすぎて臆病です。
 なにか物音がする→外で吹いている風の音です。
 屋根の上から音がする→木の枝が屋根に当たっています。
 ホーホーっていう声が聞こえる→ふくろうの鳴き声です。
 家の中で雨が降っている→水道から水が漏って、水滴が落ちているのです。

 漫画「トムとジェリー」では、ネコはネズミの天敵でした。(でも漫画では、ネズミのジェリーのほうが強かった)この物語では、ネコは出てきませんでした。
 チビねずみは、オオねずみといっしょに寝たいけれど。オオねずみはいやがって断ります。チビねずみといっしょに寝るとベッドの中が窮屈になる。チビねずみは、ねぞうが悪い。チビねずみの足が冷たい。だからイヤ。

 チビねずみがようやく眠れると思ったら、こんどは、オオねずみのいびきが大きいのでうるさくて眠れません。

 なんだかんだあって、ようやくふたりは眠ることができました。
 平凡で平和な家庭です。

 チビねずみは、さみしがりやで、絵本を読むときは、こどもさんの立場です。

 こまやかな観察眼がある作品です。

 なるほど。おもしろい。

 あとは、絵の色合いが独特でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:19Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年08月24日

飛ぶ教室 エーリヒ・ケストナー・作

飛ぶ教室 エーリヒ・ケストナー・作 池田香代子・訳 岩波少年文庫

 1933年、昭和8年の作品ですからもうずいぶん昔につくられた児童文学作品です。
 ドイツ文学です。創作された当時は、第二次世界大戦(1939年―1945年)に向かうナチスドイツの言論統制下で、創作活動を行うにはむずかしい状況があったであろうと推察します。
 有名な物語のようですが、読むのは初めてです。

 エーリヒ・ケストナー ドイツ人 小説家、詩人 1899年(日本だと明治31年)-1974年(昭和49年) 75歳没 1914年(大正3年)に起きた第一次世界大戦に動員された。同大戦は、1918年(大正7年)終戦。

 物語に出てくる人物が、ヨーナタン・トロッツ(愛称が、ジョニー)で、寮生活を送る学生。ギムナジウム5年生(14歳ぐらい)。アメリカ合衆国ニューヨーク生まれ。父はドイツ人、母はアメリカ人。両親は仲が悪く、母が家を出て行き、ジョニーは4歳の時に、父親にニューヨークからドイツ行きの船にひとりだけ乗せられて捨てられた。
 船長の姉が、ジョニーのめんどうをみてくれた。
 ジョニーが10歳のときにギムナジウムの寄宿舎(学校、10歳から18歳)に入寮した。ジョニーはたくさん本を読み小説を書いている。

 (チョウチョの名前)ゴッドフリート
 アイゼンマイアー先生
 ツークシュピッツェ山:ドイツで一番高い山。オーストリアとの国境にある。
 オーバーバイエルン行きの列車
 ギムナジウム:中高一貫教育校。ドイツにおいては、6歳から10歳が小学校。4年制。小学校卒業後、いくつかの選択肢がある。ギムナジウムは、9年制で、10歳から18歳。ギムナジウム卒業後は大学進学といういわゆるエリートコースのルートをたどる。

 ケストナーが、小説家をめざしていたこどものころのお話だろうか。
 「クリスマス物語」を書くらしい。あるいは、書きたいらしい。だけど、今は真夏だから雪が降るクリスマスシーズンのイメージをつくるにはむずかしいけれど、なんとか書けるだろうとのこと。

 クリスマス物語を書くときの鉛筆は緑色の鉛筆

 さあ、クリスマス物語が始まります。
 登場人物がいっぱいです。

 小説の中の劇の脚本「飛ぶ教室」は、クリスマス劇だそうです。五幕もの。予言的な作品
 第一幕:ゼバスティーアン・フランク(14歳5年生)が演じる先生が、クラス全員を連れて、空の旅に出発する。
 第二幕:飛行機は、イタリアヴェスヴィオ火山の火口に着陸する。(火山は、西暦79年に大噴火をして都市ポンペイが火砕流に埋もれた)
 第三幕:みんなは、エジプトピラミッドのそばに降り立つ。
 第四幕:飛ぶ教室は、北極に降り立つ。
 第五幕:みんなは、天国にやってくる。
 
 「空飛ぶ教室」の作者:ジョニー・トロッツ(ヨーナタン・トロッツ(愛称が、ジョニー)) ラムセス二世のミイラを演じる。
 舞台美術:マルティン・ターラー 学年で(14歳5年生)成績が一番いい。首席。親が貧乏。授業料半額免除の生徒
 マティアス・ゼルプマン 愛称はマッツ。いつもおなかをすかせている。5年生。14歳。劇では、シロクマとか、ペテロを演じる。将来はボクサーになりたい。
 ペテロ:新約聖書に登場する人物。イエス・キリストの使徒(宗教を広める人)のひとり。
 ティーアバッハ:のっぽの学生
 床屋のクリューガー親方
 クロイツカム:父はドイツ語の先生
 ウーリ・フォン・ジンメルン 小柄な金髪の男の子 生徒の妹役を演じる。(いとこのウルゼルが送ってくれた女性用の民族衣装を着る)
 テーオ・ドール 9年生18歳 かっこつけ。5年生から見た敵の立場
 パン屋 シェルフ親方の店(劇で使用する長いお下げ髪のかつらを貸してくれた)
 ゲープラ 7年生。16歳
 校長:グリューンケルン博士
 禁煙さん:列車の禁煙車を買って改造して、禁煙車両列車に住んでいる男性。夜の酒場でピアノを弾いてお金をもらって暮らしている。生徒にとっての良き相談相手。
 正義さん:寄宿舎に住みこんでみんなを監督する舎監(しゃかん):ヨーハン・ベク先生

 キルヒベルク(ドイツにある市)の寄宿舎

 男ばかりの寄宿舎ですから男同士のけんかもあります。場所取りがけんかの原因です。
 そうかと思えば、男同士の社交ダンスもあります。曲はタンゴです。男性版タカラヅカのようです。
 
 もう90年近く前のことなので、読んでいて、理解できないこともあります。

 ギムナジウムと実業高校との間で対立があるようです。夏目漱石作品「坊ちゃん」でもそんなシーンがありました。同じ年齢で、異なる将来のための学校へ行くとなると対立が起こります。ギムナジウムは卒業後大学につながりますが、ほかの学校は就職へとつながります。
 夏目漱石作「坊ちゃん」も同様でした。記録を調べてみました。坊ちゃんが勤める旧制中学校と師範学校との対立がありました。
 『旧制中学校と師範学校の違い:旧制中学校(12歳から16歳までの5年間通う)。師範学校は教員を養成する学校で、教職に就くことが前提条件で、授業料がかからず生活保障もされていた。14歳から16歳が対象』
 夏目漱石作品「坊ちゃん」ができたのは明治39年で西暦1906年ですから、飛ぶ教室の作者は、「坊ちゃん」を読んで、1933年(昭和8年)この作品をつくったのかもしれないと勝手な想像をしました。

 物語の内容は、ギムナジウムと実業高校の生徒とのけんかの話ばかりです。先生もからみます。暴力も出てきます。代表者を出して、決闘のような殴り合いです。『飛ぶ教室』というタイトルに内容が合っておらず、読み手の自分はとまどいました。空想冒険小説だと予想と期待をしていました。

 9月29日の聖ミヒャエル祭:キリスト教の偉大な天使を讃える。

 この本を読んでいたときに、卒業した高校の同窓会名簿が送られて来ました。もう卒業してから四十年以上が経過しています。
 いちばん驚いたのは、創立後二万人ぐらいいる大部分の卒業生は地元で暮らしていることでした。卒業時には、進学するにしても就職するにしてもいったんは実家を離れなければならないような田舎暮らしでした。地元に残る人間は少なかった。それが、半世紀近くたってみると、ほとんどの卒業生が地元で暮らしています。意外でした。
 地縁・血縁がある自分が育った土地で過ごすのが安心なのでしょう。親の世代から引き継ぐべき家屋敷があるということも理由のひとつでしょう。現役職業人をリタイア後、帰郷された同窓生もいるのでしょう。
 もうすでに何人か亡くなっている同級生もいます。病気とか事故とか災害とか、いろいろあるのでしょう。今読んでいるこの本「飛ぶ教室」の内容のように、やんちゃに遊んで、学んで活動している数年間の学生生活のときには、自分やそのときまわりにいる同級生たちの未来の「死」を考えることはありませんでした。同窓会名簿を見ながらしみじみしました。

 お金がないこどもに対する教師の資金援助に関する人情話が出てきます。
 優しい気持ちのクリスマスプレゼントです。
 昔はそういうことがままありました。弁当を持参できないこどももいました。
 学力があってもお金がなければ進学をあきらめて就職しました。会社の理解があれば、夜間の学校へ通いながら卒業証書を手に入れました。働きながら学んで実家へ仕送りまでしました。そういう時代がありました。そういう人たちが過去の日本経済社会を支えてきました。ドイツも同様でしょう。

 変化に富む思い出多い思春期のこどもたちです。
 教える教師にも同様の青春時代が過去にありました。
 この物語では、キリスト教が生活に深く関わっています。クリスマスへのこだわりがあります。  

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2021年08月23日

ちくわのわーさん 岡田よしたか

ちくわのわーさん 岡田よしたか ブロンズ新社

 2011年発行の楽しい絵本です。
 
 ちくわのわーさんは、おもしろいけれど、見た目は、かわいくはない。
 ちくわのわーさんの動きは、まるで、生きているようです。
 ちくわのわーさんは、かなり大きなちくわです。

 文章にリズムがあります。

 なんじゃこれは!? という感じで、スパゲティーとマカロニのきょうだいが登場しました。
 音楽と踊りで、お祭り騒ぎが始まりました。
 今年読んで良かった一冊になりました。

 ドーナッツになりたいちくわのわーさんは苦しそうです。なかなか丸の形をつくれません。

 こんどは、ちくわのわーさんが、こいのぼりになるのです。
 アイデアが豊富な絵本です。

 巻きずしがおいしそう。
 これからどうなるのだろう。

 さいごは、こうなりますわな。(おでん)
 たいていの人が考えるオチですが、ここまで読んで気持ちが落ち着きます。
 アイデア満載の絵本でした。
 昭和時代の香りがただよういい絵本でした。  

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2021年08月22日

太川&えびす路線バスの旅 四国一周 2011年放送分

太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス人情ふれあい旅 四国ぐるり一周 BSテレ東 2011年12月分の再放送

 ゲストは、遠藤久美子さんです。
 結果は失敗に終わっています。
 徳島駅→高知→愛媛→香川の順でした。
 自分も二十歳ぐらいのころに、高校の時の友だち5人とホンダシビックと軽自動車の二台に分乗して、二泊三日で四国の西側を半周したことがあります。映像を見ながらなつかしさにひたりました。

 三人ともバスの中で笑顔のスタートです。
 途中、バス路線がつながらなくて、16kmも歩いたのですが、三人とも元気そうです。もう十年前のことですから、みなさん若くて体力もありお元気でした。
 このころのバス旅の雰囲気は、今の路線バスがらみの番組とはずいぶん違います。太川陽介さんがにこやかです。
 現在の路線バス対鉄道とか路線バス同士の競争方式で太川陽介さんが見せる表情は、かなり硬くて真剣です。太川陽介さんは、がんこじいさんに近づいています。大丈夫だろうか。視力も体力も明らかに衰えています。加齢がそうさせるのか、いろいろとこだわりすぎるような。これはこうでなければならない。柔軟性がありません。カチンカチンです。
 また、過去のシリーズ映像をみていると、最近の番組で観られるような刺々しい(とげとげしい)雰囲気は、過去映像にはありません。

 四国の海岸道路を走る路線バスの車窓から、朝の太平洋が見えます。
 いつまでも、ぼーっとながめていたい風景です。
 自分は、スケジュールに追われない旅が理想です。もうノルマ(目標数値)を達成するために、期限と内容を定められた行動をすることは御免(ごめん)です。
 時刻にしばられる鉄道やバスよりも、戸口から戸口へつながる自家用車のほうが気楽でいい。重い荷物を手にもって運ばなくてすむのも助かります。時間はかかっても気楽で手軽なほうがいい。
 現役をリタイアした人間にとっての最終期限は、寿命が尽きる時だと思っています。

 バスの中で、えびすよしかずさんが1本のバナナを出して、朝食として自分が食べる。自分は1本のバナナをほかの人と分けるのはイヤだと言います。えびすさんらしくておもしろい。
 えびすよしかずさんは、ギャンブル好きだから、パチンコ店を見ると興奮します。スイッチが入るのです。
 
 四国ですから、ときおりお遍路さんの姿が登場して、三人とからむシーンがあります。
 年配の人が多い。お遍路さんは、黙々と歩きながら、過ぎて行った昔のことなどを考える。
 歳をとって、最近思うのは、こどもというのは、頭がいいとか悪いとか、運動ができるとか、できないとか、そういうことは横に置いといて、こどもというのは、とりあえず生きていればいい。同様に、年寄りも生きていればいい。まずは、生きていることが大事だと自分に言い聞かせています。

 途中の喫茶店で持込みOKのモーニングコーヒータイムがあります。田舎ならでは慣習です。
 自分が田舎にいた小中学生のときは、出会う人たちがどこのだれなのかがたいていわかりました。たいてい地縁血縁でつながっていました。
 都会に出てきたときは、こんなにたくさんの人たちが歩いているのに、名前がわかる人がだれもいないということに驚きました。そんな若かった時期がありました。

 高知県を流れている四万十川(しまんとがわ。日本最後の清流といわれている。見たことがあります)のうなぎ料理を楽しみます。えびすよしかずさんから愛知県のひつまぶしもおいしいというような話が出ます。
 えびすよしかずさんが、ヤンキーみたいな若いカップルの男女にいろいろ話しかけるバスの車内が楽しい。このころのこの路線バスの番組では地元の人たちとの交流が盛んでした。今は、殺伐(さつばつ)とした雰囲気で、競争に取り組んでいます。たまに、バス車内での一般人との会話シーンが放映されるとほっとします。

 このときの旅は、仕事とはいえ、三人と番組スタッフさんにとっては、いい思い出になったことでしょう。

 遠藤久美子さんのコメントでおもしろかったところです。
 太川陽介さんが、高知県の安芸市(あきし)でプロ野球の阪神タイガースの選手がキャンプをしていると話をしたら、遠藤久美子さんが、テントを張って、寝袋で寝ているんですよねと確認の質問を太川陽介さんに返したことです。
 プロ野球を知らない人にとっては、「キャンプ」の意味が「合同強化練習」のこととはわからないのでしょう。たぶん、選手はキャンプ中、快適なホテル暮らしをしているでしょう。

 えびすよしかずさんは、自分は「海の男だ」といばります。だけどえびすよしかずさんは、お刺身を食べることが苦手です。

 足摺岬(あしずりみさき)での海の風景と、夜になってからの空に広がる満点の星々が美しいと三人が驚嘆します。わたしが足摺岬に行ったときも、岩壁に打ち寄せる波しぶきが、オレンジ色や黄色、ブルーやグリーンにきらきら輝いていて、こんな波の色は見たことがないと感動しました。

 番組で「宿毛」という地名が登場します。若い頃のわたしが行ったときに、車で道に迷ってしまい、道を歩いていた人たちに「しゅくげへ行く道はこの道でいいですか?」とたずねたら、「しゅくげなんていうところは聞いたことがないなあ」と返答がありました。「宿(やど)に毛って書くんです」と説明したら、「すくも」って呼ぶんだよと大笑いされました。さすがに「すくも」とは読めませんでした。

 番組で出ていた高知県の「中村」という地名にも覚えがあります。(現在は四万十市しまんとし)車に同乗の当時の友人が「中村に行きたい。中村に行ってみたい」と何度も言うので行きました。彼が中村に行きたい理由は忘れました。中村で何かを見た覚えもありません。その後はその友人とはしばらくして疎遠になり、いまでは音信不通になりました。
 先日届いた高校の同窓会名簿に載っていたのは、彼の名前だけで、所在は不明になっていました。ほかにも名前だけでどこにいるのかわからない同窓生が何人かいました。生きているといいのだけれど。もう高校を卒業してから、四十年以上の長い歳月が流れました。

 愛媛県の宇和島で交番に行って、このへんでテントを張っても構わないところはありませんかと聞いたら、闘牛場のそばにあるグラウンドを紹介されました。(もう四十年以上昔のことなので、そのころは許してもらえたのでしょう)
 グラウンドにテントを張って飯盒(はんごう)でごはんをたいて食べてということをして、寝袋で寝る頃に、アベック(カップル)が乗った車がたくさんグランドに集まって来て、いちゃいちゃし始めました。そのうち、別の若者たちも来て、ギターを弾いて歌い出したりして、その夜はよく眠れませんでした。  

2021年08月21日

現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳・訳

現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳・訳 ちくま新書

 NHKの大河ドラマは観ています。ただ、いままでのところ徳川慶喜さんのドラマになっていたような。
 されど、渋沢栄一さんは偉大です。

 渋沢栄一:1840年(天保11年)-1931年(昭和6年)91歳没 1968年が明治元年 農家、武士、官僚、実業家、慈善家

 この本は、渋沢栄一さんが書いたものではなく、渋沢栄一さんの講演の口述をまとめたものだという説明が冒頭にあります。
 渋沢栄一さんは、「近代日本の設計者の一人」と「はじめに」の記述にあります。設立に関わった会社が481社、500以上の慈善事業に関わった。
 資本主義は、金もうけが推進力だから、ときに、大きな惨事を引き起こす。バブル経済の崩壊、金融危機があったとあります。それにブレーキをかけるのが孔子の「論語」とあります。「人はどう生きるべきか」を前提にして経済活動を行う。

 お金が最優先だった猛烈な時代がありました。命よりお金だったような気もします。実際、働きすぎて命を落とす人もいました。物事を決める基準は、「損か得か」です。

「第1章 処世と信条」
 「士魂商才」武士のような精神をもちながら商才で経済を栄えさせる。
第一章を読んでいいて「バランス」へのこだわりがあると気づきます。どちらかいっぽうだけではだめなのです。

 『わたしは論語で一生を貫いてみせる』という渋沢栄一氏の宣言があります。

 ちょうど、大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」で放映されているシーンが、この本に文章で出てきました。
 一橋家の家来となって、命令によりフランスに渡航した(パリ万博への江戸幕府の特産品の出展と外交のため)が、帰国したら江戸幕府は滅びていた。世は王制(天皇制)に変わっていた。
 
 ご本人が固く信じていることとして『何事も誠実さを基準とする』
 政治家には読んでほしい一冊です。

「第2章 立志と学問」
 明治維新後のこととして、商人に高い知識はいらないと言われていたそうです。農民も同様だったのでしょう。(わたしがこどものころには、女子には教育はいらない(大学に行く必要はない。女子は子を産んで育てるのがつとめ)とか、男は中学を出たら肉体労働をする職人になって高額の日銭を稼げばいいなどと、教育に関して無理解な親世代がいました)

 『(百姓だったわたしは)17歳のときに、武士になりたいという志を立てた。当時は、実業家も百姓も賤しい(いやしい)とされて、人間以下の扱いを受けていた。』
 家柄重視で、家柄が良ければ、知識や能力のない人間でも社会の上位にいけて、権力をふるえた。渋沢栄一氏の怒りがあります。

「第3章 常識と習慣」
 「論語と算盤」は「人としてあるべき道と経済活動のための金勘定(かねかんじょう)」でしょう。お金は、けして、個人の利益のためだけにあるのではありませんと強調されています。
 自分の利益のためには、他人を突き飛ばしても、蹴とばしても気にしない。そんなふうになってはいけないと書いてあります。
 
 この文章(講演)部分は、大正2年(1913年)のことで、自分は74歳の老人だと説明されています。自身の人生をふりかえりながらお話をされています。

「第4章 仁義(じんぎ:道徳上守るべき筋道。思いやり。情け。挨拶)と富貴(ふうき:金持ちで身分・地位が高い)」
 「自分の利益さえ上がれば、他はどうなってもいいや」はダメ。突き詰めれば、人から欲しいものを奪い取らないと満足できなくなる。
 「まず国家がしっかりしなくては、個人もダメになる。」
 「お金は、よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長を促す。」
 いいことがたくさん書いてあります。

「第5章 理想と迷信」
 読んでいて伝わってくる趣旨として『今日は楽しみだという毎日を送ることが幸せ』というメッセージがあります。言い換えると、一日一日、朝、顔を洗う時に、きょうはなにがあるだろうかと期待するのです。

 現在でも共通することとして『物事が滞って(とどこおって)しまっているのは、決めごとが多すぎるからである。官僚たちも形式的で、物事の本質を考えようとせず、自分にあてがわれた仕事を機械的に処理することで満足してしまっている。官僚ばかりではない。民間会社や銀行も同様である……』

「第6章 人格と修養」
 人間は教育を受けることがなければ、動物と同じように成長する。言葉を話せなくなる。

「第7章 算盤と権利」
 「仁(じん。人を思いやる)を実践するにあたっては、自分の師匠にも遠慮しない」「自分がしてほしくないことは、他人にもしない」「正しい通りに進むなら、あくまで自分の主張を通してよい」「自然の成り行きだし、人間社会の宿命だからと放置すると、とりかえしのつかない事態を引き起こすことになる」強い決心に満ちた主張があります。目的は、災いを小さいうちに防ぐためです。
 「思いやりの道」「正義の道」を講演で何度も強調されています。

 株式会社のことが書いてあります。
 「株で儲けるために悪事を行う人間がいる。虚偽の利益報告、会社の金を流用する。徳を身につける努力をしていないからだ」とあります。担当者(重役)は、誠心誠意、その事業に忠実な人間でなければならない。
 「(株式会社は)一個人(いちこじん)の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」

「第7章 実業(商工業・金融業などの経済的事業を営むこと)と士道(武士としての正しい道。武士道)」
 武士には武士道があったけれど、商工業者には、商業道徳がなかった。武士道の意識でいると商売が成り立たないと考えられていた。それは、とんでもない間違いであるとの説です。
 治められる側にいた農業・工業・商業の人間は、幕府の言いなりだった。

 江戸幕府が滅亡した理由として、各自が自分の頭で考えることがなくなり、形式を整えることだけが労働行為で、中身がきちんとできあがっていないのに、うそをついて、ちゃんとやってあることにして仕上げてありますということが横行する世の中になっていったからと読み取れます。なんだか、現代とも共通する事象があります。

「第9章 教育と情誼(じょうぎ。人情。誠意)」
 親は自分の思いどおりにならないこどもを親不孝だと思ったら大間違い。
 親はこどもに親孝行を強制してはいけない。
 適切な教えだと思います。
 
 教育の誤りが指摘されています。
 詰め込み知識教育で、似たり寄ったりの人材ばかりになってしまっている。
 人に頭を下げることを学ぶ機会がないので、(学生は)気位(きぐらい。自分は人よりも上)ばかりが高くなってしまった。

「第10章 成敗(せいばい。成功と失敗)と運命」
 仕事をするときの気持ちの持ちかたです。
 嫌々仕事をすると、結果は良い方向へは向かわない。
 
 全体を読み終えました。
 本を読んだ限りでは、ご本人はたいへん真面目な方であるという強い印象が残りました。

<以下、解説部分から>
 合本法(がっぽんほう):株式組織
 氷心(ひょうしん):清く澄みきった心。渋沢栄一氏は、自分の「財閥(ざいばつ。富豪の一族)」を世のため人のためが最優先として、意図してつくらなかった。

 米国民の反日感情を抑えるための民間外交として、70歳を超えてから4回渡米した。米国内の53都市を回っておられます。
 なんだか長生きをする勇気を与えてもらえます。
 最後の回の訪米時は82歳になっていたそうです。大正時代初めの頃ですから、交通手段は航空機ではなく、船による海路だったのでしょう。太平洋横断です。

 女性関係がだらしなかったという逸話(いつわ。エピソード)が寄せられています。最初の妻が病死、再婚してこどもさんができて、お妾さん(おめかけさん)もいて、こどもができて、こどもさんがたくさんです。
 長男さんの品行が悪くて悩んだそうです。凡人にはわかりませんが、ちょっとこどもさんをつくりすぎたかもしれません。80歳過ぎてもがんばられて、こどもさんたちは30人以上はおられるそうです。
 最期(さいご)を、看取った(みとった)お孫さんの文章が良かった。太陽が沈むように天に召されたそうです。思わず合掌しました。(がっしょう。両手を合わせてご冥福(めいふく。故人の死後の幸せ)を祈る)

(その後)
 読み終えて数日がたって、ふと思いついたのです。渋沢栄一氏の教えに従うなら、いくらお金が儲かるからといっても、さきざき、事件や事故につながるような商売をしてはならないのです。
 たとえば、よぼよぼのお年寄りが車を運転したいから新車を売ってくれと言って店に来ても、もう運転は卒業されたほうがいいですよとアドバイスしてほしいのです。

(さらにその後)
 渋沢栄一氏が今の時代にもし生きていたら、この困難な状況(コロナ禍)にどう対応していただろうかと考えたのです。
 渋沢栄一氏は自分の信念を貫く人です。まず、「人命優先」という、人としてのあるべき道を実現して、次に、「経済の活性化と国家の安定」を図ったでしょう。オリンピックはまた日本で開催できる機会はありますが、コロナウィルス感染拡大の影響で亡くなった人は、もう生き返りません。
 もう時(とき)遅しなのですが、日本に、悪役を演じられる指導者がいてほしかった。(悪人ではありません)
 GO TO TRAVELもオリンピックもやめて、非難ごうごう浴びても、国民の命を守るためですという強いメッセージを発信できる人が必要でした。そのときは批判を浴びても、コロナ禍の被害がおさまった時に、いい判断だったと高評価が出たことでしょう。
 あちらもこちらも立てよう、経済も人命も維持しようとして、結局、『二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず。ふたつの目標を同時に追う者は、(どちらのうさぎにも逃げられて)どちらの目標も手に入れることはできない』になってしまいました。憎まれ役をやってくれる誇りと自信をもった度胸のある人が出てきてほしい。  

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2021年08月20日

きょだいなきょだいな 福音館書店

きょだいなきょだいな 長谷川摂子(はせがわ・せつこ)・作 降矢なな(ふりや・なな)・絵 福音館書店

 ページを開いて、いきなりびっくりしました。
 巨大なピアノが、どーんと出てきました。
 圧倒されます。
 次のページをめくって、おもしろい展開に愉快になりました。
 このピアノはかなり巨大です。
 
 次のページをめくって、うわー、いったいどうしたのだー
 これは、たまごか、かいこのまゆか、文章を読んだら、せっけんでした。意外性に満ちています。
 文章にリズムがあります。歌を聴いているようです。
 
 おーっ
 いまどきのこどもさんが見たらなんの絵かわからないかもしれません。ダイヤル式黒電話です。
 1988年の絵本作品です。携帯電話サービスがスタートしたのは、1987年ごろだった記憶ですが、携帯電話が国民全体に普及するのにはそれからまだ時間がかかりました。
 
 おやおや。へんなものが出てきました。
 ページをめくって、(発想の豊かさと奇想天外さに)負けました。頭を下げる(こうべをさげる)思いです。トイレットペーパーです。
 「かみ かみ かみ」と おいかけて、みんなで おしりを ふいたとさ とあります。負けました。

 その後も強大なものが続きます。
 圧倒されます。
 勢いがあります。
 今年読んで良かった一冊です。  

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