2020年07月07日
相棒 シーズン9 2010年10月-2011年3月 DVD
相棒 シーズン9 2010年10月(平成22年)-2011年3月(平成23年) DVD
「第一話 顔のない男」「第二話 顔のない男 贖罪」
二話連続もので、内容は、連続殺人事件です。
組織の不正、不祥事を問うもので、むずかしい口語表現が多く、内容は固くて深刻なものとなっていました。争いは壮絶です。
正義のためといいながら悪事を働く。理屈で正常な意識をおおいかくす。
現実にはできそうもない犯行ですが、後半に向けてきちっと仕上げてある作品でした。
「第三話 最後のアトリエ」
絵画とか画家がからんだ殺人事件でした。ただ、破れた絵に、いくら本人の作品だからといっても価値があるとは思えない設定でした。
米倉斉加年(よねくら・まさかねさん 2014年80歳没の姿がなつかしかった)が売れない画家で登場しました。
若い頃に病気で亡くなった優秀な画家との友情物語でした。
夭折:ようせつ。若くして亡くなること。
関係が悪いと思われていた男子二人は、実は、お互いを支え合って励まし合う親友だった。
「第四話 過渡期」
時効撤廃の話です。この年(2010年)の4月から殺人の時効が撤廃されて、逃げ得(にげとく)がなくなりました。それによって、発生した事案となっていますが、内容は、警察内部の不祥事(証拠品現金の横領)がからんでいます。
ここまで観てきて、なにかしら、これまでのシリーズとは違って、内容の水準が低下しているような感じがします。長い期間放映されている番組なので、波があるのでしょう。
「第五話 運命の女性」
すりの服役後出所した女性が更生したいのですがうまくいかない苦労話です。彼女が警察職員の運命の人(恋愛の相手)となる設定はちょっと苦しい。
話はややこしい。ややこしいから犯罪が成立しやすいということはあると考えました。
「第六話 暴発」
相棒にしては珍しく、杉下右京が正義を貫けませんでした。残念です。周囲が邪魔をします。その点が、このシリーズにおける脚本の力の弱さを表しています。ドラマなのですから、視聴者に夢をみさせてほしい。
杉下右京は薬物取締り犯人逮捕の現場で軽やかな体の動きを見せます。警察職員は、基本的に、格闘技に強くなければならない。
厚生労働省のマトリ(麻薬取締部)との対立があります。どちらが手柄をあげるか。警視庁刑事部内でも殺人担当の捜査一課と薬物取り締まり担当課での担当争いがあります。お互いに競い合うのはいいのですが、全体で見るとほころびがあります。
「事業仕分け」という言葉がなつかしかった。
杉下右京の姿勢にあるように、まずは、公務員が率先してルールを守ってほしい。
杉下右京はすごい人です。良かったセリフとして、「マトリを説得します」「本心でそうおっしゃってますか」「胸を張って、おっしゃってますか」
仕事上の不祥事を隠蔽(いんぺい。隠す)するために、自分の命を犠牲にするのは、働く人間が選択することではありません。
「第七話 9時から10時まで」
詐欺の話です。
中国製の古いお皿が、2000万円です。興味のない人にとっては、目の玉が飛び出る金額です。「骨董道楽」という言葉に説得力がありました。
ふたつのシーンが、並行して、進行していきます。杉下右京が、銃殺現場にいて、神戸尊(かんべたける)が、骨董品の商談場所である静かな酒場にいます。
チョコレートの銀紙でつくったナイフのトリックが見事でした。
「第8話 ボーダーライン」
力が入った社会制度や家族のありかたをうらむ作品でした。ゆえに、後味の悪さが残りました。極端にいっぽうにぎゅっと押し込むようにつくられています。どちらかといえば、犠牲者の反対側にいる人間の数のほうが多い。死んだ本人には、責任がないというような描き方でした。不運な環境にあっても忍耐と努力をしている人はいくらでもいます。「時代」のせいにしないでほしい。
刃物で切られて、追い詰められて、ビルから転落した36歳の男性が発見されます。彼は、社会や家族や恋人をうらんでいました。
うらみや復讐が前面に強く押し出されている作品で、観る方は、引く思いでした。作品としてのバランスが崩れています。
「第9話 予兆」
最初に特典映像を観ました。
〇2010年10月16日 俳優の集まるレストラン
番組や映画の宣伝目的なのでしょう。話題の材料は、パスタのイタリアンとニョキ(だんご状のパスタ)でした。
水谷豊さんは神経質な感じがしました。ポットを高く持ち上げて紅茶をカップに入れるときに位置を間違えて手をやけどしたという話が興味深かった。ポットの中身は水だと思っていました。演技ですから。それから、水谷豊さんはごはんを食べるときに、皿から目線をはずので、おかずを皿からぼろぼろこぼすのが意外でした。
及川光博さんは、人間の大きな人に見えました。水谷さんが、「(人と人との)壁なし人間」と話をされています。
〇2010年12月23日 徹子の部屋
及川光博さんが、ドラマの中とは違って別の人に見えます。顔が濃くてシャープです。歌舞伎役者みたい。メイクの関係でしょう。
楽しいひとときでした。
水谷豊さんのおかげで、おおぜいの人たちが食べていける状況がわかるロケ地でのびっくり誕生会の様子でした。この世界でやっていくためには、「運」が必要というふたりのお話に重要性を感じました。
さて、第九話「予兆」の感想です。一話完結ではなく、ひとつ事件を解決したあと、次の回で話が大きく発展していくようです。(翌日から公開された映画「警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」につながったのかどうか。いまはわかりません)
前振りには、警察組織のスキャンダル、不祥事、隠蔽、警察庁(国)と警視庁(都)のトップ同士が対立する権力闘争など、大きな事柄が出てきますが、今回の話の事件は、軽微な扱いで決着が着きます。拍子抜けしました。前半、あんなに濃厚だったのに、浮気と嫉妬扱いで片付きました。
隠蔽(いんぺい)のための公文書の違法な処分はなんだか現実と重なります。ドラマが、10年後ぐらいの未来を予想しています。権力者というのは、ふたつの顔をもつ悪人に見えます。
良かった言葉として、「(今は)コップの中の嵐」、調べた言葉として、「無辜な人間:むこ。罪のない人間」
「第十話 聖戦 元旦スペシャル」
交通事故の被害者として事故死した息子の復讐をするために加害者男性を爆死させた母親の話です。復讐劇です。『母親の愛情』を扱った作品として仕上げてあります。この母親以外にも『母親』はいます。
交通事故の加害者男性は服役して罪を償いましたが、被害者の母親は許してくれません。杉下右京が、『復讐の連鎖は断ち切る』と主張します。
学校に行けないこともあったうまくいかない子育てのなかで、ようやくおとなに育てた息子が、一瞬の交通事故で被害者として死んでしまいます。「(就職が決まって)今まで、ごめんね。かあさん」「ありがとう」のやりとりが事前にありました。
何年前に何があったというパターンで、映像が変わっていきます。
息子がいなくなった夫婦ふたりの家庭は荒れていて暗い。そして、家を出て行った夫も病死します。こうなったのはだれのせいか。そして、母親は、偶然、働いていたファミレスで、子連れで幸せそうな交通事故の加害者家族に出くわしたのです。母親の憎悪と復讐心が燃え上がります。
杉下右京・神戸尊VS犯罪モンスターと化した母親の図式になってきました。おとなの化かしあいが続きます。
交通死亡事故の深刻さが浮き彫りにされています。
犯行後、母親は自分が犯した犯行を他人となる男がしでかしたという工作をします。その男にも母親がいます。被害者の妻は妻で、母親が犯人と確信して刃物で母親を刺殺しようとします。緊張感が高まります。
南果歩さんが熱演でした。復讐するための執念がすごい。家族に危害を与えるぞというような脅迫をして協力者に自分のいうことをきかせます。相手の弱みを握っておどします。
ここまできて、『犯罪のモンスター』をつくるのが、ストーリーづくりのひとつの手法だと気づきました。
地震のシーンがあります。この番組の放映後の3月11日に東日本大震災が起きています。まるで、地震を予知したみたいで不気味です。
「ずいぶん卑怯ですね」に、交通事故死した息子の母親役をしている南果歩さんが、「戦争ですから」
あとでわかるのですが、南果歩さんが泣いているシーンに見えていたのは、実は笑っていた。(すごいなあ)
余韻が良かった。杉下右京さんがきれいにまとめてくれました。
「第十一話 死にすぎた男」
特典映像をさきに観ました。
〇2011年1月9日 徹子の部屋
前半が役の立場として会話して、後半が、俳優の立場として会話するという二段方式でした。
ゲストは、伊丹憲一(川原和久)さん、三浦信輔(大谷亮介)さん、芹沢慶二(山中崇)さん、米沢守(六角精児)さんというふうに、前半は役名、後半は、俳優名で紹介がありました。
途中で、杉下右京(水谷豊)さんと神戸尊(及川光博)さんも飛び入りしたので驚きました。そして、笑いました。
〇2011年1月9日 「はい! テレビ朝日です」 早川洋社長と水谷豊氏の対談
テレビ局の社長と俳優の対談は珍しいと思いながら観ました。
杉下右京が体を震わせながら、容疑者に、正論でぶつかっていくときのシーンが好きだとおっしゃられたところに共感します。
番組が長続きしている要因をゼネラルプロデューサーの松本基弘さんが分析してくださいました。振れ幅が広い。杉下右京がどんなことでも飲み込む。水谷豊(俳優)さん、輿水泰弘(脚本こしみずやすひろ)さん、泉聖治(監督)さんの三人の天才によるトライアングルという表現がわかりやすかった。アイデアは、思いついたらすぐ出す。及川光博さんが言われたという「命がけの行き当たりばったり」も的を射ていました。出し渋らず、すぐ使うのがコツと受け止めました。
「死にすぎた男」
失踪宣告を受けて死んだと思っていた男が生きていたという話でしたが、なにかしらさえませんでした。
千葉県房総半島に海釣りに行った市役所職員2名が海に転落して行方不明になります。そのうちのひとりが6年後ぐらいに姿を現します。市役所での不祥事とか、隠蔽工作がからんできます。
良かったセリフは、神戸尊の「あなたにとってもメリットがあった」
指紋を調べる前に、「指紋を調べれば(あなたの指紋だと)わかります」というくだりには納得しにくかった。相棒なら指紋を調べてから容疑者に当たるはずです。
「第十二話 招かれざる客」
なぞとき話でした。
最後のオチが良かった。笑いました。(逮捕令状が実は神戸尊の健康診断の検査結果一覧表だった)
品川運河で、男性の死体が発見されます。事故死かと思われましたが他殺だと判明しました。
遺産相続とか、雇われ人とか、裏金とか、脱税とか、資産家も大変です。
この年の特徴らしく、時効の話がまた出ました。
「第十三話 通報者」
生活保護を受給している母子家庭の中学三年生が主役です。彼が、殺人事件の目撃者であり、警察への通報者です。
なかなかよくできた話でした。後半、そういうからくりかと感心しました。すっかり中学生の彼にだまされてしまいました。
おとなというのは、お金と人から良く見られるためならなんでもするのかと、おとなへの嫌悪感がつのる作品に仕上がりました。
「第十四話 右京のスーツ」
予想ができない展開でした。融資するかしないかの金がらみの話があって、刑務所の服役歴があって、出所者の社会復帰のむずかしさがありました。それから、男性側に職業における男女差別意識があることの確認話が付け足されます。
脅迫したり、恐喝したりする悪人は殺されてもしかたがないのか。殺される原因をつくったのは、被害者自身でした。
「第十五話 もがり笛」
タイトルにある「もがり笛」は俳句の季語だそうで、寒い冬に強風でたとえば、電線が震えて揺れて、笛が鳴るような音がすることをいいますというような映像が流れました。ドラマの内容は、けっこう重い。気持ちが沈みます。第十四話に続いて、服役囚のお話です。かつ、復讐劇でした。被害者遺族が、医療刑務所内で、加害者の服役囚に復讐しようとしますが、話はそう単純ではなく、困難を伴います。この世は地獄です。
「第十六話 監察対象・杉下右京」
いつもとは違う雰囲気ですが、ラストはいつもの決着パターンでした。
女性の監察官がストーリーを引っ張っていきますが、最初から、彼女の様子が変です。演技としてどうかとも途中思ったのですが、これはこれでいいのでしょう。ロボット的で、シーンから浮いた感じの言動です。ドラマの傍観者の視点から描いてありました。ちょっと重苦しくて見づらかった。
本来、逮捕する立場の人間が悪事を働いて容疑者の対象になる。ドラマの世界を飛び出して、いまは、現実の日本の社会でそういうことが起きています。このシリーズは、10年前のものですが、10年後の日本を予言していたのかも。なにも信じられないし、信じてはいけない。
「第十七話 陣川警部補の活躍」
お人よしの陣川さんの存在なくしては、成立しないストーリーでした。役者さんご本人の実生活でのドジも重なって、ちょっと変な雰囲気で鑑賞しました。万引き青年や女性にいいように利用された陣川さんでした。
「最終話 亡霊 <スペシャル>」
東京拘置所から死刑囚が国外逃亡するという流れで、まるで、10年ぐらいさきの未来に起きるカルロス・ゴーン氏の国外逃亡劇を予期するかのような内容でした。
死刑囚で東京拘置所に収監されていたテロリスト赤いカナリアグループの幹部本田篤人(ほんだ・あつんど)が超法規的措置により死刑を執行したとみせかけて、秘密裏に釈放されてしまいます。テログループと政府との取引により、炭そ菌(3gで3000万人の致死量らしい)と引き換えの釈放です。釈放後は外交官と国外に逃亡するという計画です。
本田篤人(ほんだ・あつんど)が、生まれてから交流もない娘に会いたがるとは思えません。娘のほうも同様です。嘘の死亡届が出されたわけですが、人を間違えて死亡届が出されるということはあると思います。自然災害の犠牲者とか事故の犠牲者とか、戦争とか。生きている証拠がそろえば、戸籍は訂正できる気がします。なにせ、本人は現実に生きているのですから。
そんなわけで、疑問をもったわけですが、内容はおもしろい。緊張感が広がる展開で、しっかり観ました。
総理補佐官(安全保障担当)片山雛子衆議院議員は、嘘を演出する演技ができる人で、いい人ではありません。『国民のため』というのは口先だけです。
小野田警察庁官房長が亡くなったことは知りませんでした。映画のほうで亡くなったのかもしれません。こんど確認します。
殺人現場の第一発見者がいつものふたりなのは、ひとつの定型的パターンです。わかりやすいので気に入っています。
内村莞爾刑事部長(うちむら・かんじ)も悪い人です。憎たらしいのですが、ドラマでは必要な悪役です。
味方の顔をしている人間が実は敵です。親切な人間は疑ったほうがいい。
越えてはいけない一線を超えた状態をつくったドラマです。さすがです。
良かったセリフとして、杉下右京に対して、「なんでもおみとおし(なのですね)」それから、悪役のほうなのですが、公安調査庁の三反園(みたぞの)氏の「テロリストとは交渉しない」アメリカ合衆国元大統領補佐官のボルトンさんみたいでした。
調べたセリフとして、「機を見るに敏:チャンスをみつけたらすばやくつかむ」
もうひとつ良かったセリフとして、角田六郎課長の「(杉下右京が的確で論理的な発言をしたあとに、片山雛子衆議院議員に対して)美人なのにねぇ、残念だねぇ」
〇3月9日に最終話が放映されて、3月11日に東日本大震災が起こっています。あれからもうすぐ10年がたちますが、そろそろ次の大地震がきそうで怖い。
「映画 2010年12月23日公開 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」
小野田官房長官がこの映画の中で亡くなったらしい。第九話「予兆」に続いていた内容のようです。借りてきたので、これから観てみます。
警察庁小野田官房長官(岸部一徳さん)が殺害された理由がわかりました。懲戒免職になった幹部職員の報復ですが、都合のいいときだけ利用して、いらなくなったら斬り捨てるというような人事をする上司はうらまれます。また、学歴差別はかなりうらまれます。
冒頭の船内での拳銃を使った撃ち合いシーンは疑問でした。あのような狭いところで撃ち合いはしません。
都会の夜景の映像がきれいでした。いつか東京にあるどこかの高層の建物から見てみたい。
警視庁の11階会議室で、警視総監以下部長職幹部が人質になるという現実にはあり得ない設定ですが、ほぼいつものメンバーの範囲内での演技なので、おとなしい雰囲気でした。
映像の写り具合のためか、やはり、映画よりも明瞭に見えるテレビのほうが、真に迫る迫力があります。
警察内部の不祥事隠蔽工作、幹部職員がつるんだ出世競争、派閥間闘争と見苦しいものがあるのですが、大きな組織では秘密裏にあることなのでしょう。このドラマではいつも公安部が悪者にされます。公安部の存続と予算の獲得が今回の動機にありました。
悪魔の取引が見えます。
されど、もみ消しを許さないのが、杉下右京です。このままでは終わらせません。杉下右京は、小野田官房長官の友だちではありません。そこが、このドラマ設定のいいところでした。小野田官房長官はいつも立場でものをいう人でした。心の内では、杉下右京のようになりたいと願っていたのが本心だったと思いたい。ご冥福を祈りつつ、小野田官房長官という後ろ盾を失くした杉下右京という設定で、このドラマは、シーズン10からどうころがしていくのかが楽しみです。
良かったセリフなどとして、
「見損ないました」
「くやしいというより、あやしい」
逆の手法。女性警察職員は、被害者ではなく、共犯者だった。そして、最後は、主犯になろうとした。
「(杉下右京が刃物で刺された小野田官房長官を抱えながら)かんぼうちょうー(と叫ぶ)」
劇中で、警察庁が警察省に格上げになって、トップが大臣(政治家)になるほうがよろしいというような提案があるのですが、現実には、政治家の法令違反という不祥事が続いている昨今であり、やめたほうがいいのでしょう。
すごい内容でした。
「第一話 顔のない男」「第二話 顔のない男 贖罪」
二話連続もので、内容は、連続殺人事件です。
組織の不正、不祥事を問うもので、むずかしい口語表現が多く、内容は固くて深刻なものとなっていました。争いは壮絶です。
正義のためといいながら悪事を働く。理屈で正常な意識をおおいかくす。
現実にはできそうもない犯行ですが、後半に向けてきちっと仕上げてある作品でした。
「第三話 最後のアトリエ」
絵画とか画家がからんだ殺人事件でした。ただ、破れた絵に、いくら本人の作品だからといっても価値があるとは思えない設定でした。
米倉斉加年(よねくら・まさかねさん 2014年80歳没の姿がなつかしかった)が売れない画家で登場しました。
若い頃に病気で亡くなった優秀な画家との友情物語でした。
夭折:ようせつ。若くして亡くなること。
関係が悪いと思われていた男子二人は、実は、お互いを支え合って励まし合う親友だった。
「第四話 過渡期」
時効撤廃の話です。この年(2010年)の4月から殺人の時効が撤廃されて、逃げ得(にげとく)がなくなりました。それによって、発生した事案となっていますが、内容は、警察内部の不祥事(証拠品現金の横領)がからんでいます。
ここまで観てきて、なにかしら、これまでのシリーズとは違って、内容の水準が低下しているような感じがします。長い期間放映されている番組なので、波があるのでしょう。
「第五話 運命の女性」
すりの服役後出所した女性が更生したいのですがうまくいかない苦労話です。彼女が警察職員の運命の人(恋愛の相手)となる設定はちょっと苦しい。
話はややこしい。ややこしいから犯罪が成立しやすいということはあると考えました。
「第六話 暴発」
相棒にしては珍しく、杉下右京が正義を貫けませんでした。残念です。周囲が邪魔をします。その点が、このシリーズにおける脚本の力の弱さを表しています。ドラマなのですから、視聴者に夢をみさせてほしい。
杉下右京は薬物取締り犯人逮捕の現場で軽やかな体の動きを見せます。警察職員は、基本的に、格闘技に強くなければならない。
厚生労働省のマトリ(麻薬取締部)との対立があります。どちらが手柄をあげるか。警視庁刑事部内でも殺人担当の捜査一課と薬物取り締まり担当課での担当争いがあります。お互いに競い合うのはいいのですが、全体で見るとほころびがあります。
「事業仕分け」という言葉がなつかしかった。
杉下右京の姿勢にあるように、まずは、公務員が率先してルールを守ってほしい。
杉下右京はすごい人です。良かったセリフとして、「マトリを説得します」「本心でそうおっしゃってますか」「胸を張って、おっしゃってますか」
仕事上の不祥事を隠蔽(いんぺい。隠す)するために、自分の命を犠牲にするのは、働く人間が選択することではありません。
「第七話 9時から10時まで」
詐欺の話です。
中国製の古いお皿が、2000万円です。興味のない人にとっては、目の玉が飛び出る金額です。「骨董道楽」という言葉に説得力がありました。
ふたつのシーンが、並行して、進行していきます。杉下右京が、銃殺現場にいて、神戸尊(かんべたける)が、骨董品の商談場所である静かな酒場にいます。
チョコレートの銀紙でつくったナイフのトリックが見事でした。
「第8話 ボーダーライン」
力が入った社会制度や家族のありかたをうらむ作品でした。ゆえに、後味の悪さが残りました。極端にいっぽうにぎゅっと押し込むようにつくられています。どちらかといえば、犠牲者の反対側にいる人間の数のほうが多い。死んだ本人には、責任がないというような描き方でした。不運な環境にあっても忍耐と努力をしている人はいくらでもいます。「時代」のせいにしないでほしい。
刃物で切られて、追い詰められて、ビルから転落した36歳の男性が発見されます。彼は、社会や家族や恋人をうらんでいました。
うらみや復讐が前面に強く押し出されている作品で、観る方は、引く思いでした。作品としてのバランスが崩れています。
「第9話 予兆」
最初に特典映像を観ました。
〇2010年10月16日 俳優の集まるレストラン
番組や映画の宣伝目的なのでしょう。話題の材料は、パスタのイタリアンとニョキ(だんご状のパスタ)でした。
水谷豊さんは神経質な感じがしました。ポットを高く持ち上げて紅茶をカップに入れるときに位置を間違えて手をやけどしたという話が興味深かった。ポットの中身は水だと思っていました。演技ですから。それから、水谷豊さんはごはんを食べるときに、皿から目線をはずので、おかずを皿からぼろぼろこぼすのが意外でした。
及川光博さんは、人間の大きな人に見えました。水谷さんが、「(人と人との)壁なし人間」と話をされています。
〇2010年12月23日 徹子の部屋
及川光博さんが、ドラマの中とは違って別の人に見えます。顔が濃くてシャープです。歌舞伎役者みたい。メイクの関係でしょう。
楽しいひとときでした。
水谷豊さんのおかげで、おおぜいの人たちが食べていける状況がわかるロケ地でのびっくり誕生会の様子でした。この世界でやっていくためには、「運」が必要というふたりのお話に重要性を感じました。
さて、第九話「予兆」の感想です。一話完結ではなく、ひとつ事件を解決したあと、次の回で話が大きく発展していくようです。(翌日から公開された映画「警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」につながったのかどうか。いまはわかりません)
前振りには、警察組織のスキャンダル、不祥事、隠蔽、警察庁(国)と警視庁(都)のトップ同士が対立する権力闘争など、大きな事柄が出てきますが、今回の話の事件は、軽微な扱いで決着が着きます。拍子抜けしました。前半、あんなに濃厚だったのに、浮気と嫉妬扱いで片付きました。
隠蔽(いんぺい)のための公文書の違法な処分はなんだか現実と重なります。ドラマが、10年後ぐらいの未来を予想しています。権力者というのは、ふたつの顔をもつ悪人に見えます。
良かった言葉として、「(今は)コップの中の嵐」、調べた言葉として、「無辜な人間:むこ。罪のない人間」
「第十話 聖戦 元旦スペシャル」
交通事故の被害者として事故死した息子の復讐をするために加害者男性を爆死させた母親の話です。復讐劇です。『母親の愛情』を扱った作品として仕上げてあります。この母親以外にも『母親』はいます。
交通事故の加害者男性は服役して罪を償いましたが、被害者の母親は許してくれません。杉下右京が、『復讐の連鎖は断ち切る』と主張します。
学校に行けないこともあったうまくいかない子育てのなかで、ようやくおとなに育てた息子が、一瞬の交通事故で被害者として死んでしまいます。「(就職が決まって)今まで、ごめんね。かあさん」「ありがとう」のやりとりが事前にありました。
何年前に何があったというパターンで、映像が変わっていきます。
息子がいなくなった夫婦ふたりの家庭は荒れていて暗い。そして、家を出て行った夫も病死します。こうなったのはだれのせいか。そして、母親は、偶然、働いていたファミレスで、子連れで幸せそうな交通事故の加害者家族に出くわしたのです。母親の憎悪と復讐心が燃え上がります。
杉下右京・神戸尊VS犯罪モンスターと化した母親の図式になってきました。おとなの化かしあいが続きます。
交通死亡事故の深刻さが浮き彫りにされています。
犯行後、母親は自分が犯した犯行を他人となる男がしでかしたという工作をします。その男にも母親がいます。被害者の妻は妻で、母親が犯人と確信して刃物で母親を刺殺しようとします。緊張感が高まります。
南果歩さんが熱演でした。復讐するための執念がすごい。家族に危害を与えるぞというような脅迫をして協力者に自分のいうことをきかせます。相手の弱みを握っておどします。
ここまできて、『犯罪のモンスター』をつくるのが、ストーリーづくりのひとつの手法だと気づきました。
地震のシーンがあります。この番組の放映後の3月11日に東日本大震災が起きています。まるで、地震を予知したみたいで不気味です。
「ずいぶん卑怯ですね」に、交通事故死した息子の母親役をしている南果歩さんが、「戦争ですから」
あとでわかるのですが、南果歩さんが泣いているシーンに見えていたのは、実は笑っていた。(すごいなあ)
余韻が良かった。杉下右京さんがきれいにまとめてくれました。
「第十一話 死にすぎた男」
特典映像をさきに観ました。
〇2011年1月9日 徹子の部屋
前半が役の立場として会話して、後半が、俳優の立場として会話するという二段方式でした。
ゲストは、伊丹憲一(川原和久)さん、三浦信輔(大谷亮介)さん、芹沢慶二(山中崇)さん、米沢守(六角精児)さんというふうに、前半は役名、後半は、俳優名で紹介がありました。
途中で、杉下右京(水谷豊)さんと神戸尊(及川光博)さんも飛び入りしたので驚きました。そして、笑いました。
〇2011年1月9日 「はい! テレビ朝日です」 早川洋社長と水谷豊氏の対談
テレビ局の社長と俳優の対談は珍しいと思いながら観ました。
杉下右京が体を震わせながら、容疑者に、正論でぶつかっていくときのシーンが好きだとおっしゃられたところに共感します。
番組が長続きしている要因をゼネラルプロデューサーの松本基弘さんが分析してくださいました。振れ幅が広い。杉下右京がどんなことでも飲み込む。水谷豊(俳優)さん、輿水泰弘(脚本こしみずやすひろ)さん、泉聖治(監督)さんの三人の天才によるトライアングルという表現がわかりやすかった。アイデアは、思いついたらすぐ出す。及川光博さんが言われたという「命がけの行き当たりばったり」も的を射ていました。出し渋らず、すぐ使うのがコツと受け止めました。
「死にすぎた男」
失踪宣告を受けて死んだと思っていた男が生きていたという話でしたが、なにかしらさえませんでした。
千葉県房総半島に海釣りに行った市役所職員2名が海に転落して行方不明になります。そのうちのひとりが6年後ぐらいに姿を現します。市役所での不祥事とか、隠蔽工作がからんできます。
良かったセリフは、神戸尊の「あなたにとってもメリットがあった」
指紋を調べる前に、「指紋を調べれば(あなたの指紋だと)わかります」というくだりには納得しにくかった。相棒なら指紋を調べてから容疑者に当たるはずです。
「第十二話 招かれざる客」
なぞとき話でした。
最後のオチが良かった。笑いました。(逮捕令状が実は神戸尊の健康診断の検査結果一覧表だった)
品川運河で、男性の死体が発見されます。事故死かと思われましたが他殺だと判明しました。
遺産相続とか、雇われ人とか、裏金とか、脱税とか、資産家も大変です。
この年の特徴らしく、時効の話がまた出ました。
「第十三話 通報者」
生活保護を受給している母子家庭の中学三年生が主役です。彼が、殺人事件の目撃者であり、警察への通報者です。
なかなかよくできた話でした。後半、そういうからくりかと感心しました。すっかり中学生の彼にだまされてしまいました。
おとなというのは、お金と人から良く見られるためならなんでもするのかと、おとなへの嫌悪感がつのる作品に仕上がりました。
「第十四話 右京のスーツ」
予想ができない展開でした。融資するかしないかの金がらみの話があって、刑務所の服役歴があって、出所者の社会復帰のむずかしさがありました。それから、男性側に職業における男女差別意識があることの確認話が付け足されます。
脅迫したり、恐喝したりする悪人は殺されてもしかたがないのか。殺される原因をつくったのは、被害者自身でした。
「第十五話 もがり笛」
タイトルにある「もがり笛」は俳句の季語だそうで、寒い冬に強風でたとえば、電線が震えて揺れて、笛が鳴るような音がすることをいいますというような映像が流れました。ドラマの内容は、けっこう重い。気持ちが沈みます。第十四話に続いて、服役囚のお話です。かつ、復讐劇でした。被害者遺族が、医療刑務所内で、加害者の服役囚に復讐しようとしますが、話はそう単純ではなく、困難を伴います。この世は地獄です。
「第十六話 監察対象・杉下右京」
いつもとは違う雰囲気ですが、ラストはいつもの決着パターンでした。
女性の監察官がストーリーを引っ張っていきますが、最初から、彼女の様子が変です。演技としてどうかとも途中思ったのですが、これはこれでいいのでしょう。ロボット的で、シーンから浮いた感じの言動です。ドラマの傍観者の視点から描いてありました。ちょっと重苦しくて見づらかった。
本来、逮捕する立場の人間が悪事を働いて容疑者の対象になる。ドラマの世界を飛び出して、いまは、現実の日本の社会でそういうことが起きています。このシリーズは、10年前のものですが、10年後の日本を予言していたのかも。なにも信じられないし、信じてはいけない。
「第十七話 陣川警部補の活躍」
お人よしの陣川さんの存在なくしては、成立しないストーリーでした。役者さんご本人の実生活でのドジも重なって、ちょっと変な雰囲気で鑑賞しました。万引き青年や女性にいいように利用された陣川さんでした。
「最終話 亡霊 <スペシャル>」
東京拘置所から死刑囚が国外逃亡するという流れで、まるで、10年ぐらいさきの未来に起きるカルロス・ゴーン氏の国外逃亡劇を予期するかのような内容でした。
死刑囚で東京拘置所に収監されていたテロリスト赤いカナリアグループの幹部本田篤人(ほんだ・あつんど)が超法規的措置により死刑を執行したとみせかけて、秘密裏に釈放されてしまいます。テログループと政府との取引により、炭そ菌(3gで3000万人の致死量らしい)と引き換えの釈放です。釈放後は外交官と国外に逃亡するという計画です。
本田篤人(ほんだ・あつんど)が、生まれてから交流もない娘に会いたがるとは思えません。娘のほうも同様です。嘘の死亡届が出されたわけですが、人を間違えて死亡届が出されるということはあると思います。自然災害の犠牲者とか事故の犠牲者とか、戦争とか。生きている証拠がそろえば、戸籍は訂正できる気がします。なにせ、本人は現実に生きているのですから。
そんなわけで、疑問をもったわけですが、内容はおもしろい。緊張感が広がる展開で、しっかり観ました。
総理補佐官(安全保障担当)片山雛子衆議院議員は、嘘を演出する演技ができる人で、いい人ではありません。『国民のため』というのは口先だけです。
小野田警察庁官房長が亡くなったことは知りませんでした。映画のほうで亡くなったのかもしれません。こんど確認します。
殺人現場の第一発見者がいつものふたりなのは、ひとつの定型的パターンです。わかりやすいので気に入っています。
内村莞爾刑事部長(うちむら・かんじ)も悪い人です。憎たらしいのですが、ドラマでは必要な悪役です。
味方の顔をしている人間が実は敵です。親切な人間は疑ったほうがいい。
越えてはいけない一線を超えた状態をつくったドラマです。さすがです。
良かったセリフとして、杉下右京に対して、「なんでもおみとおし(なのですね)」それから、悪役のほうなのですが、公安調査庁の三反園(みたぞの)氏の「テロリストとは交渉しない」アメリカ合衆国元大統領補佐官のボルトンさんみたいでした。
調べたセリフとして、「機を見るに敏:チャンスをみつけたらすばやくつかむ」
もうひとつ良かったセリフとして、角田六郎課長の「(杉下右京が的確で論理的な発言をしたあとに、片山雛子衆議院議員に対して)美人なのにねぇ、残念だねぇ」
〇3月9日に最終話が放映されて、3月11日に東日本大震災が起こっています。あれからもうすぐ10年がたちますが、そろそろ次の大地震がきそうで怖い。
「映画 2010年12月23日公開 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」
小野田官房長官がこの映画の中で亡くなったらしい。第九話「予兆」に続いていた内容のようです。借りてきたので、これから観てみます。
警察庁小野田官房長官(岸部一徳さん)が殺害された理由がわかりました。懲戒免職になった幹部職員の報復ですが、都合のいいときだけ利用して、いらなくなったら斬り捨てるというような人事をする上司はうらまれます。また、学歴差別はかなりうらまれます。
冒頭の船内での拳銃を使った撃ち合いシーンは疑問でした。あのような狭いところで撃ち合いはしません。
都会の夜景の映像がきれいでした。いつか東京にあるどこかの高層の建物から見てみたい。
警視庁の11階会議室で、警視総監以下部長職幹部が人質になるという現実にはあり得ない設定ですが、ほぼいつものメンバーの範囲内での演技なので、おとなしい雰囲気でした。
映像の写り具合のためか、やはり、映画よりも明瞭に見えるテレビのほうが、真に迫る迫力があります。
警察内部の不祥事隠蔽工作、幹部職員がつるんだ出世競争、派閥間闘争と見苦しいものがあるのですが、大きな組織では秘密裏にあることなのでしょう。このドラマではいつも公安部が悪者にされます。公安部の存続と予算の獲得が今回の動機にありました。
悪魔の取引が見えます。
されど、もみ消しを許さないのが、杉下右京です。このままでは終わらせません。杉下右京は、小野田官房長官の友だちではありません。そこが、このドラマ設定のいいところでした。小野田官房長官はいつも立場でものをいう人でした。心の内では、杉下右京のようになりたいと願っていたのが本心だったと思いたい。ご冥福を祈りつつ、小野田官房長官という後ろ盾を失くした杉下右京という設定で、このドラマは、シーズン10からどうころがしていくのかが楽しみです。
良かったセリフなどとして、
「見損ないました」
「くやしいというより、あやしい」
逆の手法。女性警察職員は、被害者ではなく、共犯者だった。そして、最後は、主犯になろうとした。
「(杉下右京が刃物で刺された小野田官房長官を抱えながら)かんぼうちょうー(と叫ぶ)」
劇中で、警察庁が警察省に格上げになって、トップが大臣(政治家)になるほうがよろしいというような提案があるのですが、現実には、政治家の法令違反という不祥事が続いている昨今であり、やめたほうがいいのでしょう。
すごい内容でした。
2020年07月06日
ポリぶくろ、1まい、すてた 2020課題図書
ポリぶくろ、1まい、すてた ミランダ・ポール・文 エリザベス・ズーノン・絵 藤田千枝・訳 さ・え・ら書房 2020課題図書
本をとおして地球環境の保全を学ぶのです。
ポリぶくろは、プラスチックでできていて、分解されて土に還ることができないので、自然環境によくないのです。ひいては、人間にとっても害が回ってきます。
ちょうど最近のタイミングで、日本は今年の7月1日からレジ袋が有料化されました。
レジ袋を削減しなければなりません。たしか3R運動というのがありました。リデュース(減らす)、リユース(再利用)、リサイクル(再資源化)でした。エコバッグを持参しましょう。思い起こせば、わたしがこどものころには、レジ袋というものはありませんでした。もちろんコンビニやスーパーマーケットもありませんでした。
さて、本読みのほうです。
アフリカのお話になっています。レジのポリ袋に関しては、地球規模で問題になっています。
ガンビア共和国という国です。聞いたことがありません。本のさいごのほうに地図がのっていました。どういうわけか、セネガルという国のなかにある狭くて細長い国です。川沿いに領土が赤く表示されています。調べました。川の名前が、『ガンビア川』でした。1965年にイギリスから独立しています。
アイサトという名前の若い女性ががんばります。よく見るとまだ少女です。アイサトは、ひろったポリ袋をおばあちゃんに見せます。
場所は、ンジャウという村です。
ヤシの葉で編んだ頭にのせて使用するかごがこわれました。
ポリ袋は便利な面もあるのでだんだん村の人たちに利用が広がっていきます。
ポロ袋が破れて使えなくなると、屋外に捨てられます。どうもこの国ではまだごみ処理の方法がきちんと定まっていないようです。捨てられたポリ袋をいつまでも放置しておくと、ポリ袋が有害なものになってしまいます。
本のなかでは、アイサイトは成長して、結婚して、こどもを産んでおかあさんになりました。
飼っているヤギが、ポリ袋を食べて、胃の中で消化できなくて病気になって死んでしまいます。いわゆる『誤飲』です。あかちゃんが、食べることができないものを口に入れるのと似ています。
この問題をこのまま放置しておくわけにはいきません。アイサイトは立ち上がります。
少しずつがだんだんたくさんになっていきます。屋外に落ちているポリ袋を収集します。
仲間ができます。ファチィム、マラム。ペギイ。アイサイトを手伝ってくれる人がふえて、全部で5人で編み物をすることになったそうです。材料は、ポリ袋を切ってつくった細長いプラスチックです。みんなで集めて、洗って、干して、乾かして、切って、編みます
りっぱなおさいふができました。
できあがったおさいふを市場で売りました。たくさんのお金が入ってきました。そのお金でヤギを飼うことができます。
ポリ袋というプラスチックごみが、ごみではなく、『宝物』に変わりました。『ヤギの命を守る』こともできるようになりました。文明の発展っていいことなのでしょうか。便利になることと引き換えに命を失うことになったら、生き物が生きている意味がありません。
遠い国の出来事ですが、日本でも同じことです。そして、教えてもらわないとわからないというこはたくさんあります。学ぶことが大事です。
本をとおして地球環境の保全を学ぶのです。
ポリぶくろは、プラスチックでできていて、分解されて土に還ることができないので、自然環境によくないのです。ひいては、人間にとっても害が回ってきます。
ちょうど最近のタイミングで、日本は今年の7月1日からレジ袋が有料化されました。
レジ袋を削減しなければなりません。たしか3R運動というのがありました。リデュース(減らす)、リユース(再利用)、リサイクル(再資源化)でした。エコバッグを持参しましょう。思い起こせば、わたしがこどものころには、レジ袋というものはありませんでした。もちろんコンビニやスーパーマーケットもありませんでした。
さて、本読みのほうです。
アフリカのお話になっています。レジのポリ袋に関しては、地球規模で問題になっています。
ガンビア共和国という国です。聞いたことがありません。本のさいごのほうに地図がのっていました。どういうわけか、セネガルという国のなかにある狭くて細長い国です。川沿いに領土が赤く表示されています。調べました。川の名前が、『ガンビア川』でした。1965年にイギリスから独立しています。
アイサトという名前の若い女性ががんばります。よく見るとまだ少女です。アイサトは、ひろったポリ袋をおばあちゃんに見せます。
場所は、ンジャウという村です。
ヤシの葉で編んだ頭にのせて使用するかごがこわれました。
ポリ袋は便利な面もあるのでだんだん村の人たちに利用が広がっていきます。
ポロ袋が破れて使えなくなると、屋外に捨てられます。どうもこの国ではまだごみ処理の方法がきちんと定まっていないようです。捨てられたポリ袋をいつまでも放置しておくと、ポリ袋が有害なものになってしまいます。
本のなかでは、アイサイトは成長して、結婚して、こどもを産んでおかあさんになりました。
飼っているヤギが、ポリ袋を食べて、胃の中で消化できなくて病気になって死んでしまいます。いわゆる『誤飲』です。あかちゃんが、食べることができないものを口に入れるのと似ています。
この問題をこのまま放置しておくわけにはいきません。アイサイトは立ち上がります。
少しずつがだんだんたくさんになっていきます。屋外に落ちているポリ袋を収集します。
仲間ができます。ファチィム、マラム。ペギイ。アイサイトを手伝ってくれる人がふえて、全部で5人で編み物をすることになったそうです。材料は、ポリ袋を切ってつくった細長いプラスチックです。みんなで集めて、洗って、干して、乾かして、切って、編みます
りっぱなおさいふができました。
できあがったおさいふを市場で売りました。たくさんのお金が入ってきました。そのお金でヤギを飼うことができます。
ポリ袋というプラスチックごみが、ごみではなく、『宝物』に変わりました。『ヤギの命を守る』こともできるようになりました。文明の発展っていいことなのでしょうか。便利になることと引き換えに命を失うことになったら、生き物が生きている意味がありません。
遠い国の出来事ですが、日本でも同じことです。そして、教えてもらわないとわからないというこはたくさんあります。学ぶことが大事です。
2020年07月05日
ねこと王さま 2020課題図書
ねこと王さま ニック・シャラット作・絵 市田泉・訳 徳間書店 2020課題図書
読み終えてみて、おとなの目線でみると、いろいろと考えさせられることがありました。いろんなことが盛りだくさんでした。
第一印象は、『ページ数の多い絵本』です。解説などを読むと、作者は、本来は絵だけを描く人で、今回初めて文章を描いたそうです。絵は、赤色を基調にした珍しい雰囲気になっています。緻密で丁寧です。
ねこと王さまが出てきます。ねこは、人間を擬人化してあるのかもしれないという予測をもって読みはじめましたが、どうも、ねこは、ねこのようです。
ねこの立場は、王さまのペットではなくて、王さまの世話役、秘書みたいな役割を果たしていて、王さまを支えていきます。
物語のなかでは、ねこは、王さまのともだちという位置づけです。
王さまの身の回りのお世話をする人たちが12人います。掃除、洗濯、料理、ゴミ捨て、庭の手入れ、器具の手入れ、王さまはそういうことをいっさいしません。
12人の仕事のうちには、『王さまをヨイショすること(おだてる。いい気分にさせる)』も入っています。召使いたちは、それで給料をもらっています。
じつは、10ページと11ページをめくりそこなって、いきなり、12ページを開いてびっくりしました。真っ赤なドラゴンが口から火を吹いて出てきたからです。
お城は火事になって、燃えてしまいました。そのことを、『うんのわるいできごと』として、王さまとねこは、あとあとまでこの過去をひきずっていきます。あの火事がなければ、安泰な生活が続いていたのに。
王さまは、引っ越しをしなければなりません。王さまとねこは、引っ越す先を探します。
本のページは、街の不動産屋みたいに物件紹介リストが並びます。
『おしろ横町三十七番地』が新居の場所に決まりました。12人の召使いたちは王さまから離れていきました。12人は、『もううんざりだ』と言っていました。
火事で家具が燃えてしまいました。王さまはこれから、自分のことは、自分でやらなければなりません。ねこが王さまのサポートをします。
新しいおうちのおとなりさんは、四人家族です。おしろ横町三十五番地に住んでいます。妻がキャロライン・クロムウェル、長女がクレシダ、長男がクリストファーです。夫は、クロムウェルです。
おじまげ:片足のひざを曲げながらおじぎをすること。
チェスト:整理ダンス
ゆびぬき:裁縫道具。針の滑り止め、当たり止めに使用する。
王さまの初体験として、フリーマーケットに行く。王さまにとっては、『買い物=狩り』だそうです。家財道具がないのでたくさんの買い物をしました。
王さまは、列に並んだことがありません。日常生活の体験がありません。王さまのさびしさがにじみでてきます。なんでもかんでもまわりにいる人にやってもらっていました。それは、本当は、かわいそうなことなのです。
王さまにはお金がなくなったので、12人の召使いは離れて行きました。王さまからお金をもらえるから、親切にしてもらえていただけなのです。うそで、王さまの言うことをきいてくれていただけのことなのです。
読みながら、『詐欺(さぎ)』について考えました。本当ではないのに、本当のように見せかけて人からお金をとることです。この社会では、じょうずにうそをつけた人がお金持ちになってしまうことがあります。地位や名誉やお金を手に入れることができるのです。ただし、そこには、真の幸せはありません。
王さまは貧乏になったのですから、いろいろと我慢しなければなりません。でも、物語のなかでは、王さまが王さまであることに変わりはありません。
王さまの手助けをするのが、なぜ、人間ではなくて、『ねこ』なのかはわかりません。
王さまは食事のあとに、皿洗いを始めます。もちろん初体験です。
王さまへの教育です。
王さまは知らないことが多すぎます。かわいそうです。
王さまには、パーティがなくなりました。だれも王さまのことをちやほやしてくれません。ついに王さまはなみだをながします。
王さまの名前は、『オズワルド・ウィリアム・サミュエル・マクシミリアン』で、頭文字をとるとオウサマです。
良好な人間関係を築くためには、物の動きが必要。そこにお金の動きを入れると場合によっては深刻になる。物ならまだ許される。モノとカネで人は動く。
創作の手法として、連続的に発想をして、話をつないでいくやりかたです。そして、最初に戻ってラストを迎えます。
火つけのドラゴン登場です。真っ赤な色をした体です。みんなで、ドラゴンをやっけます。お隣に住むクロムウェル一家と王さまとねこでドラゴンをやっつけます。コーラー攻撃の方法がおもしろかった。『ゲフッ!』
ねこは、王さまのともだちでした。この本のメッセージは、『友情物語』でした。
読み終えてみて、おとなの目線でみると、いろいろと考えさせられることがありました。いろんなことが盛りだくさんでした。
第一印象は、『ページ数の多い絵本』です。解説などを読むと、作者は、本来は絵だけを描く人で、今回初めて文章を描いたそうです。絵は、赤色を基調にした珍しい雰囲気になっています。緻密で丁寧です。
ねこと王さまが出てきます。ねこは、人間を擬人化してあるのかもしれないという予測をもって読みはじめましたが、どうも、ねこは、ねこのようです。
ねこの立場は、王さまのペットではなくて、王さまの世話役、秘書みたいな役割を果たしていて、王さまを支えていきます。
物語のなかでは、ねこは、王さまのともだちという位置づけです。
王さまの身の回りのお世話をする人たちが12人います。掃除、洗濯、料理、ゴミ捨て、庭の手入れ、器具の手入れ、王さまはそういうことをいっさいしません。
12人の仕事のうちには、『王さまをヨイショすること(おだてる。いい気分にさせる)』も入っています。召使いたちは、それで給料をもらっています。
じつは、10ページと11ページをめくりそこなって、いきなり、12ページを開いてびっくりしました。真っ赤なドラゴンが口から火を吹いて出てきたからです。
お城は火事になって、燃えてしまいました。そのことを、『うんのわるいできごと』として、王さまとねこは、あとあとまでこの過去をひきずっていきます。あの火事がなければ、安泰な生活が続いていたのに。
王さまは、引っ越しをしなければなりません。王さまとねこは、引っ越す先を探します。
本のページは、街の不動産屋みたいに物件紹介リストが並びます。
『おしろ横町三十七番地』が新居の場所に決まりました。12人の召使いたちは王さまから離れていきました。12人は、『もううんざりだ』と言っていました。
火事で家具が燃えてしまいました。王さまはこれから、自分のことは、自分でやらなければなりません。ねこが王さまのサポートをします。
新しいおうちのおとなりさんは、四人家族です。おしろ横町三十五番地に住んでいます。妻がキャロライン・クロムウェル、長女がクレシダ、長男がクリストファーです。夫は、クロムウェルです。
おじまげ:片足のひざを曲げながらおじぎをすること。
チェスト:整理ダンス
ゆびぬき:裁縫道具。針の滑り止め、当たり止めに使用する。
王さまの初体験として、フリーマーケットに行く。王さまにとっては、『買い物=狩り』だそうです。家財道具がないのでたくさんの買い物をしました。
王さまは、列に並んだことがありません。日常生活の体験がありません。王さまのさびしさがにじみでてきます。なんでもかんでもまわりにいる人にやってもらっていました。それは、本当は、かわいそうなことなのです。
王さまにはお金がなくなったので、12人の召使いは離れて行きました。王さまからお金をもらえるから、親切にしてもらえていただけなのです。うそで、王さまの言うことをきいてくれていただけのことなのです。
読みながら、『詐欺(さぎ)』について考えました。本当ではないのに、本当のように見せかけて人からお金をとることです。この社会では、じょうずにうそをつけた人がお金持ちになってしまうことがあります。地位や名誉やお金を手に入れることができるのです。ただし、そこには、真の幸せはありません。
王さまは貧乏になったのですから、いろいろと我慢しなければなりません。でも、物語のなかでは、王さまが王さまであることに変わりはありません。
王さまの手助けをするのが、なぜ、人間ではなくて、『ねこ』なのかはわかりません。
王さまは食事のあとに、皿洗いを始めます。もちろん初体験です。
王さまへの教育です。
王さまは知らないことが多すぎます。かわいそうです。
王さまには、パーティがなくなりました。だれも王さまのことをちやほやしてくれません。ついに王さまはなみだをながします。
王さまの名前は、『オズワルド・ウィリアム・サミュエル・マクシミリアン』で、頭文字をとるとオウサマです。
良好な人間関係を築くためには、物の動きが必要。そこにお金の動きを入れると場合によっては深刻になる。物ならまだ許される。モノとカネで人は動く。
創作の手法として、連続的に発想をして、話をつないでいくやりかたです。そして、最初に戻ってラストを迎えます。
火つけのドラゴン登場です。真っ赤な色をした体です。みんなで、ドラゴンをやっけます。お隣に住むクロムウェル一家と王さまとねこでドラゴンをやっつけます。コーラー攻撃の方法がおもしろかった。『ゲフッ!』
ねこは、王さまのともだちでした。この本のメッセージは、『友情物語』でした。
2020年07月04日
帰れマンデー 秘境で飲食店探す旅 新緑の奥日光へ
帰れマンデー 秘境で飲食店探す旅 新緑の奥日光へ テレビ番組
2019年分の放送で、6月15日月曜日の放送でした。あまり、見ない番組ですが、タイトルを見て、たぶん場所は、旧国鉄足尾線(あしおせん)沿線で、今は、「わたらせ渓谷鉄道」に沿ったルートで、栃木県の旧足尾町側から日光中禅寺湖へのぼるのだろう推測し、行き先、行き方が当たっていたので見ることにしました。なかなかおもしろかったです。
ゲストは、岡田准一さん、松山ケンイチさん、飯豊まりえさん(いいとよ・まりえさん)で、番組の同行者がタカアンドトシさんでした。
ルートは、群馬県桐生(きりゅう)から、栃木県へ向かって、相生、上神梅(かみかんばい)、本宿(もとじゅく)、中野、小中(こなか)、沢入(そうり)、原向(はらむこう)、間藤(まとう。ここまでが鉄道)、田元橋(たもとばし)、田元(たもと)、旧高校前、野島又(のじまた)、足尾石油前(あしおせきゆまえ)、神子内橋(みこうちはし)、三号(さんごう)、小学校前、天王様前(てんのうさままえ)、皇海荘入口(すかいそういりぐち)、神子内(みこうち)、遠上(とおがみ)、黒沢、栃木平、細尾リンク入口、横手、馬返、明智平、日光レークサイドホテル前、日光山温泉寺でした。
サイコロをふって、出た目の数だけ前進できるのですが、ひとつひとつの場所でカウントするのではなく、ポイントの駅もしくはバス停がピックアップされています。それを見て、どこも、周辺に飲食店がなさそうなところばかりだと気づきました。歩かなければなりません。過酷です。小雨模様の天気でした。
いくつか、よかったところを書きだしてみます。
飯豊まりえさんのポーズで、『ポジティブ』
わたらせ渓谷鉄道のマスコット『わっしー』を食事場所に忘れたあとのドラマチックな展開。じゃんけん勝負のようすと、松山ケンイチさんのフォローによるマスコットぬいぐるみである『わっしー』の奇跡的なリターン。感動的でおもしろかった。
陶器の芳州窯(ほうしゅうがま)による足尾銅焼き(あしおあかがねやき)のお茶碗がきれいでした。木目調です。
みんなで一列に並んで走るときの先頭をゆく岡田准一さんのかけ声がおもしろおかしくて笑えました。
山小屋カフェがあーるぞー
どきどきわくわく楽しみだー
みぎがわ、かんばん、あーるぞ
なんてかいてあるのかな
かあちゃんたちにはないしょだぞ(以降、かあちゃんたちにはないしょだぞが、なんどか続く)
サイコロ振りの最後で、これしかないという『6』を出したV6の岡田准一さんの強運がすごかった。これまた奇跡の『6』でした。岡田准一さんは、生まれもった強運を身につけておられます。すばらしい!
岡田准一さんが言ったのか、松山ケンイチさんが言ったのかは忘れましたが、『あんなに楽しかったジャンケンは久しぶり』たぶん岡田准一さんです。
小雨のなかのロケ、おつかれさまでした。
2019年分の放送で、6月15日月曜日の放送でした。あまり、見ない番組ですが、タイトルを見て、たぶん場所は、旧国鉄足尾線(あしおせん)沿線で、今は、「わたらせ渓谷鉄道」に沿ったルートで、栃木県の旧足尾町側から日光中禅寺湖へのぼるのだろう推測し、行き先、行き方が当たっていたので見ることにしました。なかなかおもしろかったです。
ゲストは、岡田准一さん、松山ケンイチさん、飯豊まりえさん(いいとよ・まりえさん)で、番組の同行者がタカアンドトシさんでした。
ルートは、群馬県桐生(きりゅう)から、栃木県へ向かって、相生、上神梅(かみかんばい)、本宿(もとじゅく)、中野、小中(こなか)、沢入(そうり)、原向(はらむこう)、間藤(まとう。ここまでが鉄道)、田元橋(たもとばし)、田元(たもと)、旧高校前、野島又(のじまた)、足尾石油前(あしおせきゆまえ)、神子内橋(みこうちはし)、三号(さんごう)、小学校前、天王様前(てんのうさままえ)、皇海荘入口(すかいそういりぐち)、神子内(みこうち)、遠上(とおがみ)、黒沢、栃木平、細尾リンク入口、横手、馬返、明智平、日光レークサイドホテル前、日光山温泉寺でした。
サイコロをふって、出た目の数だけ前進できるのですが、ひとつひとつの場所でカウントするのではなく、ポイントの駅もしくはバス停がピックアップされています。それを見て、どこも、周辺に飲食店がなさそうなところばかりだと気づきました。歩かなければなりません。過酷です。小雨模様の天気でした。
いくつか、よかったところを書きだしてみます。
飯豊まりえさんのポーズで、『ポジティブ』
わたらせ渓谷鉄道のマスコット『わっしー』を食事場所に忘れたあとのドラマチックな展開。じゃんけん勝負のようすと、松山ケンイチさんのフォローによるマスコットぬいぐるみである『わっしー』の奇跡的なリターン。感動的でおもしろかった。
陶器の芳州窯(ほうしゅうがま)による足尾銅焼き(あしおあかがねやき)のお茶碗がきれいでした。木目調です。
みんなで一列に並んで走るときの先頭をゆく岡田准一さんのかけ声がおもしろおかしくて笑えました。
山小屋カフェがあーるぞー
どきどきわくわく楽しみだー
みぎがわ、かんばん、あーるぞ
なんてかいてあるのかな
かあちゃんたちにはないしょだぞ(以降、かあちゃんたちにはないしょだぞが、なんどか続く)
サイコロ振りの最後で、これしかないという『6』を出したV6の岡田准一さんの強運がすごかった。これまた奇跡の『6』でした。岡田准一さんは、生まれもった強運を身につけておられます。すばらしい!
岡田准一さんが言ったのか、松山ケンイチさんが言ったのかは忘れましたが、『あんなに楽しかったジャンケンは久しぶり』たぶん岡田准一さんです。
小雨のなかのロケ、おつかれさまでした。
2020年07月03日
青いあいつがやってきた!? 2020課題図書
青いあいつがやってきた!? 松井ラフ・作 大野八生(おおの・やよい)・絵 文研出版 2020課題図書
(1回目の本読み)
本のカバーを開いてながめます。
「青いあいつ」とは、なんじゃろな?
背中に青いこうらがあるので、「カメ」かいな。顔を見たら、「カッパ」だから、「カメカッパ」あるいは、「カッパカメ」だといったんは、そう決めましたが、よーく考えたら、「カッパ」そのものに見えました。頭のてっぺんにお皿がのっているのは、カッパのとくちょうです。
つぎは、1ページずつ、ゆっくりめくりながら、絵だけを見ていきました。
はっぱをくちばしでくわえた鳥さんが飛んでいます。
もくじは、夜空で、流れ星が流れています。
開いた窓からは、小学三年生ぐらいの男の子の横顔が見えます。(あとで、四年生であることがわかりました)
おいしそうに見えるトーストかサンドイッチですが、もしかしたらそれは、けしごむかもしれない。(あとで読んだら、やっぱりサンドイッチでした)
ポケットのなかで、カッパが読者にあっかんべーをしています。
男の子の後姿は、自転車に乗っています。
おや、男の子の胸ポケットにちっちゃなカッパが入っているぞ。カッパって、ちっちゃいんだ。
大きな川があって、鉄橋の上を電車が走っています。東京の荒川かな、江戸川かな、それともすみだ川かな。
カメみたいなカッパがねている男の子のまぶたにおさわりをしている。
おおきなカッパと男の子が、テーブルでおそばを食べている。
パパとママと男の子の家族写真がかざってあります。
男の子は、体育座りをして、なにか、おもいなやんでいる。ともだちのことでなやんでいるみたい。
かきごおりの絵がある。暑い夏だから、食べたい。
あっ! たぶん、なつまつりのシーンだ。金魚すくいに射的だが、なんだか、シーンとしては、昭和時代の風景で、かなり古そう。思い出ばなしだろうか。
女の子が、きんぎょをいっぴき手に入れました。
7月7日のあたりのおはなしでしょう。たなばたかざりの笹の絵があります。
なんか、男の子が教室の中でひとりぼっち本を読んでいるふりをしている。こどくだ。
あれ、ばくだんかと思ったら、ふうせんだった。つりざおも2本あるよ。
こんどは、男の子が、とんがり鉄とうにのぼりはじめたぞ。(鉄とうではありませんでした)
どかーん! 夜空に上がって光かがやく花火大会のはじまりだー
自転車にのった男の子とカッパちゃんが夜空を飛んでいくー 映画のETみたいだ。
くさっぱらにサッカーボールが1個あったとさ。
ヘルメットをかぶったこどもがふたり自転車でどこかへいくよー
おしまい。
ぶんしょうはよんでいませんが、もうぜんぶをよんだようなきぶんになりましたー
(2回目の本読み)
こんどは、ぶんしょうを読んでみます。
ぜんたいで108ページあるうちの36ぺーじまで読んだので、まずは、そこまでの感想を書きます。
本のタイトルにある『青いあいつ』は、やっぱり、『カッパ』でした。なぜ、カッパがやってきたかというと、ともばたらき家庭のこどもであるしゅじんこうのぼく、『さとし』がさみしがっているから、さとしのともだちになるためにやってきたのだとおもいます。
さとしは、じぶんのことを、『ひとりでいるのが好きな、おとなしい転校生』といいます。
ほんとうに、ひとりでいるのが好きなのかはうたがわしい。
夜空に流れ星が流れました。きっと、さとしは、流れ星に、『ともだちがほしい』とお願いしたと思います。だから、カッパくんがさとしのところへ来てくれたのでしょう。
18ページをよむと、カッパくんが、『おまえのためにおれさまはやってきた』とか、大きなプロジェクト(計画)のためにやってきたとさとしに話をしています。そして、きょう一日だけ、さとしの相手をしてくれるそうです。
さとしのとうさんは、しごとで、たぶん、たんしんふにんでよそに住んでいてさとしがいまいる家にはいません。さとしとさとしのとうさんは、ふだんは、いっしょに生活していません。とうさんは、新幹線で行くような遠いところでひとり暮らしをしながら働いていて、たまに家に帰ってきます。
かあさんもびょういんではたらいています。どうしてふたりともはたらいているかというと、一軒家をかったので、住宅ローンをせっせと返すために働いています。
三人家族は、6月の終わりに団地から一軒家のマイホームに引っ越してきて、2週間が過ぎたそうです。さとしが、朝9時に目がさめたときに、家にはさとししかいません。かあさんは仕事で病院へ行きました。
住宅ローンで、もひとつこまかいはなしをすると、借金を返しているように外見は見えますが、反対に、土地・家屋という財産をつくろうとしているのもたしかです。お金を物という財産に毎月ローンを払いながらかえています。
財産はいつか、遠い未来にとうさんとかあさんのこどもであるさとしに渡ります。だから、住宅ローンというのは、まるまる借金返済のために働いて支払っているのではなく、貯蓄という財産形成のためにも働いているのです。
なにがいいたいかというと、物事には必ず二面性があるのです。同じことがらでも、いいところとそうでないところが共存しているのです。たいへんなこともあるけれど、うれしいこともくっついているのです。
こどもさん相手に話がむずかしくなってしまいました。
カッパは、ふつう緑色なのに、この本に出てくるカッパは青色をしています。どうして青色なのかは、まだ、本には書いてありません。この本に出てくるカッパは、せたけがのびたりちぢんだりすることができます。ふつうの人間のせたけでいられるし、10センチぐらいの小さなカッパになることもできます。(色のことはこのあともでてきませんでした)
これは、ほら話パターンの児童文学だなとにやにやと笑いながら読んでいます。
さとしとさとしの胸ポケットに入ったちっちゃなカッパくんは、カッパがくんがいた川をさがしに自転車ででかけます。カッパくんをもとの川にもどすのです。
川幅3メートルぐらいの川は、カッパのいたところではないそうです。ふたりの探検が始まりました。美容師のおばさんに大きな川があるところをおしえてもらいました。
さとるは気がちいさいようです。なんだか、なにもわることをしていないのに、こそこそとかくれるような行動が多い。
『市立スポーツ公園』に着きました。室内プールに体育館、テニスコートに運動場、しばふ広場にサイクリングロード、アスレチックもあるそうです。でも、カッパのすみかの川はどこにあるのかわかりません。
(つづく)
読み終わりました。共働き家庭のこどものさびしさが表現してありました。さいごは、ともだちがだれもできないまま終わってしまうのかと心配しましたが、最後に吉川君が出てきて良かった。ハッピーエンドでした。
調べた言葉などとして、
モロヘイヤ:ぬめりがある植物
ダーツ:射的。矢を的に当てる。
「孤独(こどく)」があります。ただ、孤独は悪いことではありません。
「ともだち」とはなんだろう。たくさんいるからいいというわけでもありません。こちらが相手をともだちだと思っていても、あいてはこちらをともだちだとは思ってくれていないことがけっこうあります。
おとなになると、利害関係だけの人間関係がほとんどになります。そういうのは、ともだちではありません。
利害関係がなかった若いころに付き合ったともだちが長い付き合いになることが多いです。とくにいっしょに家や旅先で泊まってばか騒ぎをした若い頃のともだちが、ずっと付き合いが続くことが多いです。
カッパはさとしのともだちづくりのための活動をさとしといっしょにしますが、さとしは、そのことになかなか気づけません。
カッパはカッパではなく、じぶんは、宇宙人だといいました。でも、わたしは、カッパはカッパではなく、妖精(ようせい。人でも神でもない)か天使だったと思いたい。このお話のなかでは、さとしの弟のようなふるまいでした。
良かった言葉などとして、
まわりの目なんか、気にすることなかったんだ。
おまえがひとりでいることなんて、だれもなんともおもっちゃいない。
さびしいか?
友だちが、いればいいんだ。
ひとりでいるのが好きなおとなしい転校生になってしまっていた。
宇宙の平和、ひとりひとりの幸せ、心の平和、社会の平和、世界の平和、ニコニコの笑顔まわりには、ニコニコの笑顔が広がる。
82ページにあるカッパがふうせんとともに空の上にあがっていったシーンではさみしくなりました。
カッパがいる川がどこかわかったときは、そういうことかーと、ロマンチックな気分になりました。ロマンチックとは、現実離れの情緒的で美しく甘い雰囲気。たなばたの夜に夜空で流れている川です。もうすぐ七月七日です。
(1回目の本読み)
本のカバーを開いてながめます。
「青いあいつ」とは、なんじゃろな?
背中に青いこうらがあるので、「カメ」かいな。顔を見たら、「カッパ」だから、「カメカッパ」あるいは、「カッパカメ」だといったんは、そう決めましたが、よーく考えたら、「カッパ」そのものに見えました。頭のてっぺんにお皿がのっているのは、カッパのとくちょうです。
つぎは、1ページずつ、ゆっくりめくりながら、絵だけを見ていきました。
はっぱをくちばしでくわえた鳥さんが飛んでいます。
もくじは、夜空で、流れ星が流れています。
開いた窓からは、小学三年生ぐらいの男の子の横顔が見えます。(あとで、四年生であることがわかりました)
おいしそうに見えるトーストかサンドイッチですが、もしかしたらそれは、けしごむかもしれない。(あとで読んだら、やっぱりサンドイッチでした)
ポケットのなかで、カッパが読者にあっかんべーをしています。
男の子の後姿は、自転車に乗っています。
おや、男の子の胸ポケットにちっちゃなカッパが入っているぞ。カッパって、ちっちゃいんだ。
大きな川があって、鉄橋の上を電車が走っています。東京の荒川かな、江戸川かな、それともすみだ川かな。
カメみたいなカッパがねている男の子のまぶたにおさわりをしている。
おおきなカッパと男の子が、テーブルでおそばを食べている。
パパとママと男の子の家族写真がかざってあります。
男の子は、体育座りをして、なにか、おもいなやんでいる。ともだちのことでなやんでいるみたい。
かきごおりの絵がある。暑い夏だから、食べたい。
あっ! たぶん、なつまつりのシーンだ。金魚すくいに射的だが、なんだか、シーンとしては、昭和時代の風景で、かなり古そう。思い出ばなしだろうか。
女の子が、きんぎょをいっぴき手に入れました。
7月7日のあたりのおはなしでしょう。たなばたかざりの笹の絵があります。
なんか、男の子が教室の中でひとりぼっち本を読んでいるふりをしている。こどくだ。
あれ、ばくだんかと思ったら、ふうせんだった。つりざおも2本あるよ。
こんどは、男の子が、とんがり鉄とうにのぼりはじめたぞ。(鉄とうではありませんでした)
どかーん! 夜空に上がって光かがやく花火大会のはじまりだー
自転車にのった男の子とカッパちゃんが夜空を飛んでいくー 映画のETみたいだ。
くさっぱらにサッカーボールが1個あったとさ。
ヘルメットをかぶったこどもがふたり自転車でどこかへいくよー
おしまい。
ぶんしょうはよんでいませんが、もうぜんぶをよんだようなきぶんになりましたー
(2回目の本読み)
こんどは、ぶんしょうを読んでみます。
ぜんたいで108ページあるうちの36ぺーじまで読んだので、まずは、そこまでの感想を書きます。
本のタイトルにある『青いあいつ』は、やっぱり、『カッパ』でした。なぜ、カッパがやってきたかというと、ともばたらき家庭のこどもであるしゅじんこうのぼく、『さとし』がさみしがっているから、さとしのともだちになるためにやってきたのだとおもいます。
さとしは、じぶんのことを、『ひとりでいるのが好きな、おとなしい転校生』といいます。
ほんとうに、ひとりでいるのが好きなのかはうたがわしい。
夜空に流れ星が流れました。きっと、さとしは、流れ星に、『ともだちがほしい』とお願いしたと思います。だから、カッパくんがさとしのところへ来てくれたのでしょう。
18ページをよむと、カッパくんが、『おまえのためにおれさまはやってきた』とか、大きなプロジェクト(計画)のためにやってきたとさとしに話をしています。そして、きょう一日だけ、さとしの相手をしてくれるそうです。
さとしのとうさんは、しごとで、たぶん、たんしんふにんでよそに住んでいてさとしがいまいる家にはいません。さとしとさとしのとうさんは、ふだんは、いっしょに生活していません。とうさんは、新幹線で行くような遠いところでひとり暮らしをしながら働いていて、たまに家に帰ってきます。
かあさんもびょういんではたらいています。どうしてふたりともはたらいているかというと、一軒家をかったので、住宅ローンをせっせと返すために働いています。
三人家族は、6月の終わりに団地から一軒家のマイホームに引っ越してきて、2週間が過ぎたそうです。さとしが、朝9時に目がさめたときに、家にはさとししかいません。かあさんは仕事で病院へ行きました。
住宅ローンで、もひとつこまかいはなしをすると、借金を返しているように外見は見えますが、反対に、土地・家屋という財産をつくろうとしているのもたしかです。お金を物という財産に毎月ローンを払いながらかえています。
財産はいつか、遠い未来にとうさんとかあさんのこどもであるさとしに渡ります。だから、住宅ローンというのは、まるまる借金返済のために働いて支払っているのではなく、貯蓄という財産形成のためにも働いているのです。
なにがいいたいかというと、物事には必ず二面性があるのです。同じことがらでも、いいところとそうでないところが共存しているのです。たいへんなこともあるけれど、うれしいこともくっついているのです。
こどもさん相手に話がむずかしくなってしまいました。
カッパは、ふつう緑色なのに、この本に出てくるカッパは青色をしています。どうして青色なのかは、まだ、本には書いてありません。この本に出てくるカッパは、せたけがのびたりちぢんだりすることができます。ふつうの人間のせたけでいられるし、10センチぐらいの小さなカッパになることもできます。(色のことはこのあともでてきませんでした)
これは、ほら話パターンの児童文学だなとにやにやと笑いながら読んでいます。
さとしとさとしの胸ポケットに入ったちっちゃなカッパくんは、カッパがくんがいた川をさがしに自転車ででかけます。カッパくんをもとの川にもどすのです。
川幅3メートルぐらいの川は、カッパのいたところではないそうです。ふたりの探検が始まりました。美容師のおばさんに大きな川があるところをおしえてもらいました。
さとるは気がちいさいようです。なんだか、なにもわることをしていないのに、こそこそとかくれるような行動が多い。
『市立スポーツ公園』に着きました。室内プールに体育館、テニスコートに運動場、しばふ広場にサイクリングロード、アスレチックもあるそうです。でも、カッパのすみかの川はどこにあるのかわかりません。
(つづく)
読み終わりました。共働き家庭のこどものさびしさが表現してありました。さいごは、ともだちがだれもできないまま終わってしまうのかと心配しましたが、最後に吉川君が出てきて良かった。ハッピーエンドでした。
調べた言葉などとして、
モロヘイヤ:ぬめりがある植物
ダーツ:射的。矢を的に当てる。
「孤独(こどく)」があります。ただ、孤独は悪いことではありません。
「ともだち」とはなんだろう。たくさんいるからいいというわけでもありません。こちらが相手をともだちだと思っていても、あいてはこちらをともだちだとは思ってくれていないことがけっこうあります。
おとなになると、利害関係だけの人間関係がほとんどになります。そういうのは、ともだちではありません。
利害関係がなかった若いころに付き合ったともだちが長い付き合いになることが多いです。とくにいっしょに家や旅先で泊まってばか騒ぎをした若い頃のともだちが、ずっと付き合いが続くことが多いです。
カッパはさとしのともだちづくりのための活動をさとしといっしょにしますが、さとしは、そのことになかなか気づけません。
カッパはカッパではなく、じぶんは、宇宙人だといいました。でも、わたしは、カッパはカッパではなく、妖精(ようせい。人でも神でもない)か天使だったと思いたい。このお話のなかでは、さとしの弟のようなふるまいでした。
良かった言葉などとして、
まわりの目なんか、気にすることなかったんだ。
おまえがひとりでいることなんて、だれもなんともおもっちゃいない。
さびしいか?
友だちが、いればいいんだ。
ひとりでいるのが好きなおとなしい転校生になってしまっていた。
宇宙の平和、ひとりひとりの幸せ、心の平和、社会の平和、世界の平和、ニコニコの笑顔まわりには、ニコニコの笑顔が広がる。
82ページにあるカッパがふうせんとともに空の上にあがっていったシーンではさみしくなりました。
カッパがいる川がどこかわかったときは、そういうことかーと、ロマンチックな気分になりました。ロマンチックとは、現実離れの情緒的で美しく甘い雰囲気。たなばたの夜に夜空で流れている川です。もうすぐ七月七日です。
2020年07月02日
風を切って走りたい 高橋うらら 2020課題図書
風を切って走りたい 高橋うらら 金の星社 2020課題図書
伝記の形式で、体が不自由な人が運転する自転車づくりに取り組んでおられる東京都足立区内にある堀田製作所の堀田健一さんを紹介する本です。堀田さんが考案、製作された自転車に乗っている人たちがたくさんの写真で本に載っていますが、みなさん笑顔です。
本の巻頭にあるカラー写真の自転車は、初めて見るスタイルのものばかりでした。いわゆる世界に一台しかないという、乗る人とマッチした自転車です。
人間には、『移動の自由』という権利があります。いつでも、どこでも、自分の行きたいところへ自分の力で行く。それを手助けしてくれるのが、交通手段であり、移動手段としての道具だったりします。でも、だれもが、簡単に移動できるわけではないということを教えてくれたのがこの本です。
2018年(平成30年)10月21日
大阪在住中学一年生男子 下半身が不自由でうまく歩けない。
ある日のこと
つえをついた五十代ぐらいの女の人。片方の足が不自由
1983年(昭和58年)
北海道在住小学4年生の男の子が小児マヒで片足が不自由
1987年頃(昭和62年)
女性で右足が不自由。杖を利用
長野県塩尻市在住
男子高校生。中学二年生で脳出血を起こして右半身がマヒ
東京都八王子市在住
女性。左足が不自由
長野県佐久市在住
男性。左足が不自由
以上を読んできて、自転車が行動範囲を広げてくれている。世界を広げてくれていることがよくわかりました。
受賞、おめでとうございます!
2005年:シチズン・オブ・ザ・イヤー
2007年:吉川英治文化賞 東京都足立区文化賞
「創意工夫をして、なにもないところに、新しいなにかを創り(つくり)出すことが好き」
新しい自転車ができあがったときの充実した達成感があります。
なにもなかった昔の生活が原点になっています。電気もガスも水道もなかった時代がありました。そして、それは、それほど大昔のことではありません。わたしがこどものころにもやはり、堀田さんの暮らしぶりと同様に、家には、ガスも水道もありませんでした。
燃料は、薪や練炭、豆炭、石炭、水は、井戸や山の湧き水でした。
人間は不便な環境のなかにあっても、つましくささやかな生活を送っていました。
本に書いてあるように、確かに、昔は、自転車は高価な品物でした。自転車を買ってもらうということには、特別な意味合いがありました。
『贈り物』です。31ページに、高校入学祝いとしてのプレゼントに自転車の記事があります。
昔の男の子の一部には、生活が不便であるがゆえに、いわゆる『発明』に夢中になる少年時代がありました。ついでにお金もありませんでした。
なにもかも物にあふれた今は、逆に、少年たちにとっては、つまらない生きにくい時代なのかもしれません。
自転車をつくることも夢、会社をつくることも夢、今思えば、夢に満ちた時代でした。堀田健一さんは、1979年(昭和54年)秋、36歳で自転車をつくる『堀田製作所』を立ち上げておられます。
調べた単語などとして、
S600:ホンダの真っ赤なスポーツカー。ツードア、オープン、クーペ、606cc 全長3300mm 全幅1400mm
踏み込み式の自転車:ペダル式自転車は、ペダルを回転させて、ペダルをこぐことによって前進する。踏み込み式は、ペダルを踏むことによって自転車が前進する。片方だけ踏んでもいいし、両方をいっぺんに踏んでもいい。
サリドマイド:睡眠薬。妊婦が服用して奇形な部分があるあかちゃんが生まれた。
奥さんとの二人三脚を読んでいると、ずば抜けた能力を持っている人でも、まわりに支えてくれる人がいないと夢をかなえることはむずかしいと感じます。
人生は障害物競争です。堀田さんに資金不足をはじめとして、次々と困難が押し寄せてきますが、まわりの人の助けもかりてなんとか克服していかれます。
堀田さんは、物づくりが好きということに加えて、人のために働くことに喜びを感じるようになります。支えは、お客さんの『笑顔』です。
両手が使えなくても乗れる自転車があります。自転車は、手を使って、ハンドルで方向を変えるものという固定観念からの脱却があります。
思うに、人間は、だれでも最後は障害者になります。加齢による高齢化で、目は見えなくなりますし、耳も聞こえづらい、内臓疾患で、人口透析になったり、外科的手術を受けて、歩行がむずかしくなったりもします。障害者にとって暮らしやすい社会は、当然、健常者にとっても暮らしやすい社会です。若い時には、そういうことがわかりませんでした。
旅行による癒し(いやし。リラックス。気分転換。安らぎと平穏)の時間帯があります。
『インターネット』という手段が、多くの夢をかなえてくれています。
『インターネット』がなかった時代には、たくさんの人たちが夢をあきらめていたことでしょう。
収益優先の大企業ではなかなかやれない少数対象者のための貢献が光っています。
読んでいてひらめいたことがあります。誤操作で交通事故を起こしてしまう超高齢者が、自動車の運転をやめて、自動車から自転車に乗りかえることができる工夫をこらした自転車づくりができるのではないだろうかというアイデアです。
心に響いた部分などとして、
(堀田さんが、片足が不自由な小学4年生の男の子ががんばる姿を見て)「今までの自分ではない自分がめばえた」
伝記の形式で、体が不自由な人が運転する自転車づくりに取り組んでおられる東京都足立区内にある堀田製作所の堀田健一さんを紹介する本です。堀田さんが考案、製作された自転車に乗っている人たちがたくさんの写真で本に載っていますが、みなさん笑顔です。
本の巻頭にあるカラー写真の自転車は、初めて見るスタイルのものばかりでした。いわゆる世界に一台しかないという、乗る人とマッチした自転車です。
人間には、『移動の自由』という権利があります。いつでも、どこでも、自分の行きたいところへ自分の力で行く。それを手助けしてくれるのが、交通手段であり、移動手段としての道具だったりします。でも、だれもが、簡単に移動できるわけではないということを教えてくれたのがこの本です。
2018年(平成30年)10月21日
大阪在住中学一年生男子 下半身が不自由でうまく歩けない。
ある日のこと
つえをついた五十代ぐらいの女の人。片方の足が不自由
1983年(昭和58年)
北海道在住小学4年生の男の子が小児マヒで片足が不自由
1987年頃(昭和62年)
女性で右足が不自由。杖を利用
長野県塩尻市在住
男子高校生。中学二年生で脳出血を起こして右半身がマヒ
東京都八王子市在住
女性。左足が不自由
長野県佐久市在住
男性。左足が不自由
以上を読んできて、自転車が行動範囲を広げてくれている。世界を広げてくれていることがよくわかりました。
受賞、おめでとうございます!
2005年:シチズン・オブ・ザ・イヤー
2007年:吉川英治文化賞 東京都足立区文化賞
「創意工夫をして、なにもないところに、新しいなにかを創り(つくり)出すことが好き」
新しい自転車ができあがったときの充実した達成感があります。
なにもなかった昔の生活が原点になっています。電気もガスも水道もなかった時代がありました。そして、それは、それほど大昔のことではありません。わたしがこどものころにもやはり、堀田さんの暮らしぶりと同様に、家には、ガスも水道もありませんでした。
燃料は、薪や練炭、豆炭、石炭、水は、井戸や山の湧き水でした。
人間は不便な環境のなかにあっても、つましくささやかな生活を送っていました。
本に書いてあるように、確かに、昔は、自転車は高価な品物でした。自転車を買ってもらうということには、特別な意味合いがありました。
『贈り物』です。31ページに、高校入学祝いとしてのプレゼントに自転車の記事があります。
昔の男の子の一部には、生活が不便であるがゆえに、いわゆる『発明』に夢中になる少年時代がありました。ついでにお金もありませんでした。
なにもかも物にあふれた今は、逆に、少年たちにとっては、つまらない生きにくい時代なのかもしれません。
自転車をつくることも夢、会社をつくることも夢、今思えば、夢に満ちた時代でした。堀田健一さんは、1979年(昭和54年)秋、36歳で自転車をつくる『堀田製作所』を立ち上げておられます。
調べた単語などとして、
S600:ホンダの真っ赤なスポーツカー。ツードア、オープン、クーペ、606cc 全長3300mm 全幅1400mm
踏み込み式の自転車:ペダル式自転車は、ペダルを回転させて、ペダルをこぐことによって前進する。踏み込み式は、ペダルを踏むことによって自転車が前進する。片方だけ踏んでもいいし、両方をいっぺんに踏んでもいい。
サリドマイド:睡眠薬。妊婦が服用して奇形な部分があるあかちゃんが生まれた。
奥さんとの二人三脚を読んでいると、ずば抜けた能力を持っている人でも、まわりに支えてくれる人がいないと夢をかなえることはむずかしいと感じます。
人生は障害物競争です。堀田さんに資金不足をはじめとして、次々と困難が押し寄せてきますが、まわりの人の助けもかりてなんとか克服していかれます。
堀田さんは、物づくりが好きということに加えて、人のために働くことに喜びを感じるようになります。支えは、お客さんの『笑顔』です。
両手が使えなくても乗れる自転車があります。自転車は、手を使って、ハンドルで方向を変えるものという固定観念からの脱却があります。
思うに、人間は、だれでも最後は障害者になります。加齢による高齢化で、目は見えなくなりますし、耳も聞こえづらい、内臓疾患で、人口透析になったり、外科的手術を受けて、歩行がむずかしくなったりもします。障害者にとって暮らしやすい社会は、当然、健常者にとっても暮らしやすい社会です。若い時には、そういうことがわかりませんでした。
旅行による癒し(いやし。リラックス。気分転換。安らぎと平穏)の時間帯があります。
『インターネット』という手段が、多くの夢をかなえてくれています。
『インターネット』がなかった時代には、たくさんの人たちが夢をあきらめていたことでしょう。
収益優先の大企業ではなかなかやれない少数対象者のための貢献が光っています。
読んでいてひらめいたことがあります。誤操作で交通事故を起こしてしまう超高齢者が、自動車の運転をやめて、自動車から自転車に乗りかえることができる工夫をこらした自転車づくりができるのではないだろうかというアイデアです。
心に響いた部分などとして、
(堀田さんが、片足が不自由な小学4年生の男の子ががんばる姿を見て)「今までの自分ではない自分がめばえた」