2023年02月08日

バスが来ましたよ 由美村嬉々・作 松本春野・絵

バスが来ましたよ 由美村嬉々(ゆみむら・きき)・作 松本春野(まつもと・はるの)・絵 アリス館

 書店の棚にあるのを手に取って、ぺらぺらとめくって、なかなかいい絵本だと思いました。
 善良な内容です。
 視覚障害者の男性を助ける小学生たちのお話です。
 舞台は和歌山市です。

 登場する男性は、眼の病気になって、だんだん目が見えなくなって、10年たって、何も見えなくなってしまったそうです。
 わたしも49歳の時に右目が加齢黄斑変性という病気になって、右目は、視界の中心部がゆがんで見えます。右目だけでは文字を読むことができなくなりました。幸いに左目がよく見えるので、不十分ながらも視界は確保されています。
 歳をとってくると、体のあちこちが壊れてきます。人間はだれしも高齢になるにつれて、体に障害をもつようになります。避けられません。
 目が不自由になってくると、若い時みたいに、物をすぐに見つけられません。目の前にあってもわからないときがあります。目だけではなくて、認識をする脳の力がおとろえてきます。
 たぶん、ここにこういうものがあるのだろうなあと思いながら物があることを判断することがあります。不安定ですが『慣れる』ということはあります。

 男性は、日常生活において、自立で歩くために、三年間ぐらい視界がないなかでの歩行を練習されています。
 人間って、やれそうもないことが、やれたりもします。
 毎日少しずつ、コツコツと努力を積み重ねていく楽しみがあります。
 できなかったことができるようになる喜びがあります。

 男性は、市役所勤務だったからできたこともあるでしょう。
 環境を選ぶ。
 環境を整える。

 『おはようございます』
 あいさつは大事です。
 人間関係は、あいさつから始まります。
 いくら勉強ができても、あいさつができないと働きにくい。
 
 性格のいいこどもさんが出てきます。
 だれかが教えないとそうはいきません。
 ご両親や祖父母のしつけがいいのかもしれません。
 もしかしたら、どこかの宗教団体の教育を受けているのかもしれません。
 少年少女の育成団体とか、スポーツ、文化的サークルに所属して、教育を受けているのかもしれません。
 あるいは、ご家族に障害者がいるのかもしれません。
 優しい心はどこから生まれるのだろう。
 『秩序』があります。(ちつじょ:調和がとれていて、安定している状態。順序や関係がきちんとしている状態)

 小学生女児を描いてある絵を見ていて、たいへんだけど、やりがいとか生きがいを生む言動だと受け止めました。

 『感謝』のメッセージがあります。
 
 障害者への手助けはむずかしい面もありそうです。
 たぶん、ご本人のペース(速度)、ご本人のやり方があります。
 なかなか、一方的にこちらから誘導はしにくい。
 頼まれたら、頼まれたことをするのがいいと判断しています。

 この絵本のお話の特徴は、ひとりで済まないことです。
 さきちゃんという小学三年生の行動が、次の世代の小学生に引き継がれていきます。
 『バスが来ましたよ』
 声の主が変わります。
 こどもさんはどんどん成長して、中学生になっていきます。
 ドキュメンタリー絵本です。(事実の記録)

 障害者福祉の本でした。
 今はちっちゃなこどもたちも、長い年月を経て、やがては高齢者になります。
 目の見えない人の社会参加があります。
 ご本人が優しい人だったから、こどもたちが手助けをしてくれたということはあります。
 制限された世界の範囲内で、心豊かに生きると、制限されていたと思っていた空間世界が、あんがい無限に広かったということを実感できたりもします。
 絵の色合いの色調が穏やか(おだやか)で温かい。きれいです。  

Posted by 熊太郎 at 09:30Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年02月07日

おまえうまそうだな 宮西達也

おまえうまそうだな 宮西達也 ポプラ社

 親戚のちびっこにプレゼントする絵本を物色しています。(ぶっしょく:たくさんある中から物を探すこと)
 まずタイトルにひかれました。次に恐竜の絵が気に入りました。大きなティラノサウルスが、別の種類の恐竜のたまごから生まれたちいさなこどもを食べようとしているのです。
 読み終えて、もうすぐ二歳になる男の子には、まだ早すぎる内容かなと受け取りました。

 自分の手もとにある自分が手書きでつくった歴史ノートを見ました。
 138億年前に宇宙が始まった。
 46億年前に地球が誕生した。
 紀元前2億年から紀元前6600万年前が恐竜時代です。
 三畳紀(さんじょうき)、ジュラ紀(じゅらき)、白亜紀(はくあき)という時代が、その間にありました。

 絵の色が派手です。原色が輝いています。黄色、オレンジ色が多い。
 絵を見ながら、大昔に実際にあった世界を、空想します。
 まんが本のようです。
 今思い出したのは、たしか『はじめ人間ギャートルズ』というようなタイトルのマンガです。
 この絵本は『むかし むかし おおむかし。ある はれた ひの こと。』から始まりました。

 ティラノサウルスに食べられそうになるのが『アンキロサウルス』のあかちゃんで、たまごから生まれたところです。
 アンキロサウルスという恐竜の名前は、自分は聞いたことがありませんが、白亜紀にいた恐竜で、体長8mぐらい。背中に甲羅(こうら)のような部分があって、しっぽの力が強い。アンキロサウルスにとっての天敵が、ティラノサウルスだそうです。

 ティラノサウルスが、おまえを食べるぞーーのほうの恐竜です。体長13mぐらいで、体重は9トンぐらい。(軽自動車1台が1トンぐらい)
 絵本に出てくるティラノサウルスは、ヘビみたいな形をしています。よく見るティラノサウルスとは見た目がちょっと違います。その姿を受け入れられるか受け入れられないかは、読む人それぞれの感じ方でしょう。ティラノサウルスは、とっても有名な肉食恐竜です。映画とかテレビとか、恐竜番組では必ず出てきます。

 食べられるんじゃないかと思ったアンキロサウルスのあかちゃんが、ティラノサウルスに声をかけてしがみつきます。『おとうさーん!』
 その理由付けがうまい。<ティラノサウルスのつぶやき『おまえ、うまそうだな』>は、アンキロサウルスの名前『うまそうだな』に発展していくのです。アンキロサウルスの名前が『ウマソウダナ』になりました。

 アンキロサウルスは草食恐竜だから草を食べます。
 ティラノサウルスは肉食恐竜ですが、アンキロサウルスにつられて、草を食べ始めます。
 作品『あらしのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社』を思い出します。ヤギに好意をいだいたオオカミはたしかヤギを食べずに草を食べます。
 
 キランタイサウルス:体長12mぐらい。体重は2.5トンか4トンぐらい。アンキロサウルスのあかちゃんを襲います。
 ティラノサウルスの行動です。自分を慕ってくる人間(恐竜のあかちゃんですが)をキランタイサウルスの攻撃から守ります。
 ティラノサウルスに、アンキロサウルスに対する愛情が芽生えます。父子の愛のようです。
 
 夜空の絵が独特です。
 空いっぱい、満天の星空なのですが、星の色が白ではなく黄色です。
 
 アンキロサウルスもそれなりにティラノサウルスに気をつかいます。
 赤い実が登場します。
 
 最後付近では、民話の『泣いた赤鬼』を思い出しました。赤鬼の幸せために、わざと悪者になった青鬼が、赤鬼にサヨナラをしました。

 最後はひとりだちです。
 人情噺です。(にんじょうばなし:人間の情愛を表現してある)
 師弟関係のようでもあります。
 こどもにしても弟子にしても、いつかは巣立つのです。
 最後のページはちょっぴり感動的です。
 あかちゃんの成長を見守るティラノサウルスがいます。
 なんてやさしいやつなんだ。  

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2023年02月06日

いたずらおばあさん 高楼方子・作 千葉史子・絵 

いたずらおばあさん 高楼方子(たかどの・ほうこ)・作 千葉史子(ちば・ちかこ)・絵 フレーベル館

 小学校低学年のこどもさん向けの本でしょう。

エラババ先生:84歳。洋服研究家の偉い先生だそうです。絵では、体は小柄で背が低い。息子の家族と同居している。

ヒョコルさん:68歳。エラババ先生が講義するおしゃれ講座の生徒。エラババの弟子となる。体は細くて背が高い。夫あり。

エラちゃん:8歳ですから小学2年生ぐらい。おしゃれといたずらが好き。いけすかない大人がきらい。いけすかない:どうにも気にくわない。

ヒョコちゃん:8歳。おとなしい。

 タイトル『いたずらおばあさん』からは、こどものころにテレビで見た青島幸雄さんが演じる『意地悪おばあさん』を思い出します。1967年ころの作品でした。(昭和42年ころ)
 もうひとつは先日読んだ内館牧子作品『老害の人』を思い出します。老害の人はおとな向けの小説ですが、これから読む『いたずらおばあさん』は小学校低学年のこどもさん向けです。どんなお話になるのか読むのが楽しみです。

 絵が豊富です。
 目次のページをながめながら『ふたりのおばあさんが、ふたりのちっちゃい女の子になるお話だろうか』
 5ページまで読んで『これは女の子が読む本ではないか? (表現として「少しでも若く見られたい」)』
 
 文章にリズムがあります。
 男は知らない女子のおしゃれの世界です。

 ひみつのお話があります:布(きれ)は、なにもさわっていないような軽さ、チューインガムのように伸びる。すけて見える。⇒若くなる服。1枚着ると1歳若くなる。楽しい本の世界が始まりました。ヒョコルは60枚重ね着をします。エラババは、76枚重ね着をします。
 ヒョコルさん68歳のつぶやきがおもしろい『なーんたることざんしょ!』
 人台(じんだい):人体の模型。衣服の制作や陳列に使用する。
 
 キーワードが『きょう、わたしは、若く見えます?』

 こどもの仕事は『遊ぶこと』です。

 今年読んで良かった一冊になりそうです。
 発想がおもしろい。

 れんこんレースのついた白いブラウス:女性用の上衣(うわぎ、じょうい)。れんこんは、れんこんのような形の半円形のもようだと理解しました。27ページにエラちゃんの絵があります。
 スカラップのすそ:半円の形状をしたスカートのすそ。

 若返ったふたりは、どんどんぴょんぴょんはね回ります。
 わかります。自分も三十代のころは体がびゅんびゅん動きました。六十代になった今は、そろりそろりとしか動けません。

 大学生のおにいさん:エラババ先生宅の近所に住んでいる。
 
 おもしろい。8歳になったエラちゃんは、路線バスの運転手に『老人用の無料パス』を提示してしまいました。

 こどもに戻ったふたりが対決する相手です。
 『夢見る少女の会』会長ハナエ。ハナエの仲間五人。理由は、こどものエラをばかにしたからです。五人は差別をする人たちです。
 うわべだけの仲良しグループは、攻撃の相手が定まると集中的に攻撃してきます。夢見る会のメンバーとこどもふたりは、年齢は離れていても、女どうしの戦いがあります。
 いじめた人間たちは、不幸な未来を迎えることが世の習いです。(ならい。そうなるという自然のなりゆき)
 ちいさな少女二人のおばちゃんたちへの仕返しが始まりました。(女は怖い。働いていた頃よく聞いた言葉があります。「女性を敵に回すと仕事が回らなくなる」)
 少女ふたりがやっていることは、ちょっとどうかと思うのですが、雰囲気は楽しい。
 
 デパートの屋上に舞台が移りました。
 昔は屋上に遊具が置いてあって遊べました。
 いまどきは、そういうところは見かけなくなりました。

 婚礼ダンスを売るような大型家具店も見かけなくなりました。
 なつかしい言葉が続きます。『赤ずきん』ふたりで劇が始まりました。
 エラはうそつきです。
 女の世界です。プライド(自尊心。自分が大事)が強い。負けず嫌いです。
 次の攻撃相手は『丸三角小学校の男性校長』です。
 こどもはおおぜいの前で、大声で叱られるとカッとくるのです。(おとなもいっしょです)
 エラは詐欺師のようでもあります。(さぎし:人をだまして利益を得る)
 仕掛けがいっぱいで、おもしろい。
 
 ヒョコルには、だんなさんと孫がいる。
 孫の名前が『トミオ』です。

 性悪のいんごうババァ(しょうわるのいんごうばばあ):性格が悪いがんこで無情なおばあさん。(音楽のゲゲノギ先生のこと。ピアノを弾く(ひく)。けたたましく怒る(おこる)。こどもを見下す(みくだす))『春の音楽祭』がらみで、エラが攻撃します。暴力的な教師は追放です。エラは、気にいらない教師の足を引っ張る行為をします。手法は、仲間はずれです。うーむ。女の世界は怖い。

 ほーっ。なるほど。おもしろい。
 洋服を着る枚数で、年齢調整ができるのです。
 映画を観ているみたいです。
 ひみつの服を30枚着ると30歳若返るのです。
 そんな服がもし現実に販売されたら爆発的に売れることでしょう。

(つづく)

 『ホイホイ公園』『ホイホイ文化センター』おもしろい。登場人物の名付けといい、実際にあるものと重なるといけないので、カタカナ名称でじょうずにはずしてあります。

 『装いとはなにか(よそおいとはなにか。身なりを整える。おしゃれとはなにか)』
 
 エラババ先生にピンチ到来です。
 エラババ先生は頭の回転はいいけれど物忘れがあります。認知症のきざしありかも。
 されど、もちまえの知恵で難局を乗り切りました。
 『はらっぱ会館』『人形劇』『こども広報』
 読んでいて、自分のこども時代を思い出しました。
 「遊ぶこと」が毎日でした。119ページあたりの感想です。
 エラババ先生84歳とヒョコルさん68歳もこどもに返ったようです。
 『チコルの冒険』
 
 やっかいな人がいます。『ガメテラ・カネゴロー』名前からさっするとカネ・カネ・カネの金もうけがしたいおじさんでしょう。公園を商売用の土地にしたい。もうかることにしか興味がないおじさんが出てきます。

 エラちゃんがどうやってガメテラ・カネゴローをこらしめるか。
 読んでいて、読み手の自分は、その方法にピンときました。(合っていました。正解でした)
 やっちゃえ! えらちゃん!!

 なかなか仕事がていねいなエラちゃんです。
 じょうずにつくってある本でした。  

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2023年02月02日

老害の人 内館牧子

老害の人 内館牧子(うちだて・まきこ) 講談社

 話題の本なので読み始めることにしました。
 たぶんわたしも老害の人の一面があると自覚はしております。ははは。

 ピンク色をしたTシャツを着たご老人たちが描いてある(えがいてある)本のカバーです。
 Tシャツの胸には『若鮎サロン』なにか、ボランティアグループのメンバーたちなのか。男性が3人、女性が3人、合計6人いる絵に見えます。(読み終えて、ボランティアではありませんでした。カフェです。認知症カフェではありません)
 本の帯を見ます。
 累計100万部超えも売れているそうです。1冊1600円もしますから、合計16億円超えです。そんなばかな。よーく見たら『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』を含む累計だそうです。うむ高齢者対象対策文学ビジネスですな。日本社会には、よくもわるくもお金と時間のある高齢者がいます。お金がない高齢者は貧困ビジネスに狙われます。お金がある高齢者は特殊詐欺に狙われます。気をつけましょう。

戸山福太郎(とやま・ふくたろう) 85歳 (この人が主人公らしい。高齢者のあやうい車の運転が思い浮かびました。だいじょうぶだろうか。どうも運転は、しなさそうな人です)
 自慢話がひどいそうです。同じ話の繰り返しもあるようです。昭和10年(1935年)5月生まれ。2020年で85歳。
 生後ずっと埼玉県岩谷市(架空の市)で過ごしている。地元の商業高校を卒業後、昭和37年から父親の代にできた『雀躍堂(じゃくやくどう)社員35人』というボードゲーム(花札、福笑い、トランプ、かるたなど)の会社の二代目社長だったが、高齢でいったんは、引退している。引退しているが社員としてはその後、継続しているという変なポジションにある。肩書きは『経営戦略室長』(おもしろい。まわりをひっかきまわしそうです)
 5歳年下だった妻八重は75歳で死去している。八重の死後5年が経過しているという設定。10年前から娘夫婦と同居している。
 戸山福太郎は『老害の人』となっている。

戸山明代(あきよ):『もうやめてよッ』とぶちまけるのが、戸山福太郎85歳の娘だそうです。ご苦労お察しします。54歳。戸山家のひとり娘。昭和41年生まれ。「小江戸川越検定」の一級をもっている。夫と長女24歳と長男18歳がいる。

戸山純一:戸山明代の夫。35歳のとき、婿養子となる。妻となった明代は29歳だった。旧姓井川。現在、雀躍堂(じゃくやくどう)の三代目社長を務めている。

戸山梨子(とやま・りこ):戸山純市・明代夫婦の長女。戸山福太郎の孫娘。24歳。医科大学付属病院で管理栄養士をしている。賃貸マンションでひとり暮らしをしている。

戸山俊:戸山純一・明代夫婦の長男。県立高校三年生。18歳。駅伝の選手で、成績がよく大学からのスカウトあり。箱根駅伝への出場をめざしている。
 本来なら雀躍堂(じゃくやくどう)の四代目社長だが、本人にその気はない。
 地元の消防団に所属している。市全体の消防団員数196人。俊だけが十代。
 農業を営む松木ファームでバイトをしている。

松木達夫:松木ファームの経営者。75歳。15000平方メートルの敷地をもつ農場主。40歳のときに脱サラした。市民消防団の団長をしている。

松木美代子:松本達夫の妻。72歳。

斉田徹:副社長。

山本和美:戸山福太郎が社長だった時代の使える社員。昭和三十年代に活躍した女性社員。

吉田夫妻:素人俳句好き。俳句集を配りまくるらしい(いらないのに)。90歳。
吉田桃子:87歳。吉田夫妻の妻のほう。

春子:『私はもう死ぬ』と言い続ける。(そういう人に限って死なない)

 老害五重奏(クインテット)のお話だそうです。読むだけなので楽しみです。現実のこととして、実害があるとイヤです。

 さて、読むぞー

(つづく)

 16ページまで読んで思ったことです。
 日本人の寿命が延びました。寿命が延びたことでさまざまな出来事(それまでにはなかったこと)が起きることになりました。
 加害者としての高齢者の運転による交通死亡事故、介護、認知症、相続、貧困、生きがいづくりなど。
 経済活動に与える影響も大きい。
 世代間の意識と体験の違いによるトラブルの発生もあります。

 自分が中学生だった半世紀ぐらい前のお年寄りというのは、77歳前後で亡くなる人が多かった記憶です。
 脳出血とか脳梗塞(のうこうそく)などの脳の病気、心筋梗塞などの心臓の病気、発病して短期間、あるいは後遺症のある状態で、半年間ぐらいたって、骨と皮だけになって亡くなっていました。
 80歳まで生きる人は少なかった。だから、孫は祖父母に『長生きしてね』と声をかけていました。今は、そんな声かけをする孫はあまり聞かなくなりました。

 餞(はなむけ):別れる人への贈り物。

 本の中身では、戸山福太郎の自慢話を聞くことが、年寄りの介護みたいになっています。
 同じ話を何度も聞かなければなりません。聞かされるほうは苦痛です。迷惑です。
 でもたいていの人は、優しいから、がまんして聞いています。
 1億2300万人ぐらいのうちの三分の一ぐらい、3600万人ぐらいが高齢者だそうです。
 物語には、現代の世相も重ねてあります。
 コロナウィルスによる非常事態宣言が発令されて、5月25日に解除されています。第一次の発令の時ですから、2020年(令和2年)のことでした。

 相好を崩す(そうごうをくずす):顔をほころばせて、心の底から喜ぶ。

 老害とされるのが、
①戸山福太郎 85歳 昔していた仕事の自慢話が長い。終わらない。

②竹下勇三 76歳 昭和18年生まれ 駅前クリーニング店の二代目 病気自慢。臨死体験話がくどい。

③吉田武(吉田夫妻のうちの夫) 90歳 撮り鉄から今は詠み鉄(よみてつ。俳句。鉄道オタク)。体力自慢。
  妻:吉田桃子 87歳 青森県五所川原出身(金木(かなぎ) 太宰治の生家(だざいおさむ氏のせいか)あり)。
吉田夫婦の息子の嫁:吉田里恵 大学の国文学科卒 吉田夫婦と同居している。里恵の孫(新聞社北陸支店勤務の息子の子)が、杏奈4歳と翔(しょう)1歳、老害の状態として『孫自慢』がある。

 竹下剛:22歳。竹下勇三と竹下桃子の孫。父親が竹下クリーニングの三代目。竹下剛は四代目。

 ラタトゥーユ:フランス郷土料理。夏野菜の煮込み料理

 後藤公助:日本写真家連合協会会長

 日本人の健康寿命:男性が72.14歳で、女性が74.79歳。まあ、個人個人で違うのでしょうが、自分や自分の友人知人を見ると、四十代後半、五十代から体のどこかが、壊れているということが実感としてあります。

 時の鐘(ときのかね):埼玉県川越市「小江戸川越」のシンボル。

 年寄りが自慢話をすることがいけないことなのだろうか。それは、それでいいのではなかろうか。疑問が残ります。
 老害は公害だそうです。
 そう長くない寿命なのだから大目(おおめ。寛大に。許す(ゆるす))に見てほしい。

 クインテット:五人編成だから①戸山福太郎85歳 ②竹下勇三76歳 ③吉田武90歳に加えて、④吉田桃子87歳 ⑤春子の五人だろうか。よくわかりません。春子は何者だろう。(48ページ付近にて)

 病気自慢、趣味自慢、元気自慢、孫自慢、老害の人たち。されど、官公庁や民間企業に対するクレーマーはいません。
 
 青森の岩木山は見たことがあるので、読みながら実感が湧きます。

 佐多道彦(さた・みちひこ):フレンチレストラン「シェ・サタ」のオーナーシェフ

 克二(かつじ):30歳。リフォーム会社のサラリーマン。消防団員。座右の銘が若いのに「教育勅語」と「五か条の御誓文」
 (登場人物がたくさんいすぎて、把握がたいへんです)

 林透(はやし・とおる):27歳。消防団員。国立大学卒。食品メーカー勤務。外国勤務歴あり。

 ICT:情報通信技術。

 老人の責任とは『若い人間に仕事の面白さと生きる面白さを伝えること』

 ノリコ:松木達夫の不倫相手らしい。ノリコの前がミユキ、その前がハルミとトモエのふたまたラブ(これは、エロ好きオヤジの病気ですな。それだけ魅力がある男性なのでしょう)

 第二章終了、84ページまで読んで思うのは、『老害』にも程度問題があるということです。
 同じ話を繰り返し聞かされるぐらいはどうということはないのではないか。また始まったと思って、適当にあいづちをうちながら聞き流せばいい。しつこいと思うのなら、もう何度も聞きましたと言えばいい。毎回初めて聞くようなふりをするのもいい。実害がありそうでない言動です。
 本当に困るのはクレーマーになる老害です。実害ありです。なんとしても排除したい。相手との戦いが必要になります。
 次に困るのはエロい老害です。エロいおじいさんがいますが、エロいおばあさんもいます。ユーモアのうちならいいですが、ストーカーのようになった年寄りは怖い。しつこそうです。
 あと思いつくのは、がんこな人です。これはこうでなければならないと言い張る人、こうでないと納得できないと要求する人です。本来、やり方はいかようにもあるのです。どれかひとつだけが正解ということはありません。
 あと、思いつくのは、場を仕切らないでほしい。一歩引いて欲しい。小さな親切大きなお世話ということはあります。次世代の人たちにまかせたほうがいい。
 とりあえず、自分がそんなふうな年寄りにならないように注意します。

 さて、読書を続けます。

 孫の進路に口を出す。(年寄りの指示に従う必要はありませんよ。孫の人生は孫のものです)
 
 時間の話が出ます。『年を取るってことは、いつも頭の中に残り時間の意識があるってことなんだ』(そのとおりです)
 残された時間をどのように使うかを考えています。自分は、会えるうちに血族・姻族との交流を深めておきたいと思っています。次が友人・知人です。なるべくいっしょにいる時間をつくって、楽しい時間をすごして思い出多い人生を送って、この世にサヨナラしたい。

 長幼の序(ちょうようのじょ):年少者は年長者を敬う。年長者は年少者を慈しむ(いつくしむ)。

 駅伝に賭けていた俊が、農業の道に転じたのは唐突です。(とうとつ。突然すぎる)
 大卒という学歴にこだわるおとなたちがいます。
 大学を出て就職しても社会活動や企業活動に適応できず、仕事を辞めたり休んだりして、なにもできない人もいます。
 高齢者から若い人への進路選択のアドバイスはほどほどでいい。大学卒業後のことを大学進学の前によくイメージしておいたほうがいい。大学入学はゴールではないのです。

 会社や商売の後継ぎ問題はむずかしい。

(つづく)

 なかなか身に染みる言葉がありました。『どこかの組織で都合よく使われて定年になる虚しさ(むなしさ)』(当たっています。見返りがお金です。お金のためにサラリーマンは耐えるのです。お金をもらえるから耐えられるのです)
 さらに『カネだけでは幸せになれませんが、カネがないと幸せになれない……』
 
 おもしろかった文章として『老人はどうせ、近々お迎えが来るのだ。強気だ。』(そのとおりです)

 『番頭はんと丁稚(でっち)どん』茶川一郎とか大村崑(おおむら・こん)とか。(なつかしい。亡くなった自分の母方祖父が明治生まれでしたが、当時の義務教育の小学校卒業後、商家に丁稚奉公(でっちぼうこう)に行っていたことがあると話していました。給料はありませんが、住み込みで、三食と寝場所付き、読み書き計算、礼儀作法の教育を受けられる民間の人材育成教育制度のようなものだったそうです)
 
 ときおり自分も思うこととして『年寄りはいつも感じてんだよ。自分は「いてもいなくてもいい人間」に扱われてることをさ』(実感があります。だけど、気楽でいいと思っています)

 青森ではトウモロコシのことを『きみ』と呼ぶそうです。商品名として『弘前の嶽きみ(ひろさきのだけきみ)』(そういえば、嶽温泉(だけおんせん)で熱いお湯が出なくなったとかいう、そんなニュースを先日テレビで見ました)

 クレーマーの年寄りというのは、家族が本人を注意したり説得したりしてもいうことをきいてくれません。
 お金をもっていてもお金を払わない人はいっぱいいます。
 現役時代組織で地位の高かった人は引退後も名誉欲とか自己顕示欲が強いのでクレーマーになりやすい。リタイアしても肩書きがほしい。偉そうな履歴をまわりに披露したい。自慢したい。
 「おだてりゃ豚でも木に登る(ことわざ:ほめれば、いい気分になって能力以上ことを発揮する)」
 
 そんな話が続きます。

 村井サキ:79歳。市の元公民館長。60歳まで教師。(このあと、老害のひとりになるらしい)

 122ページまで読みました。
 なんなのだろうなあ。
 みんな最後は死んでしまうのです。
 お金はあっても、時間はそれほどないのです。
 最近自分が思うのは、現役の時は『ムリ、ムダ、ムラなく、安く、速く、正確に』という効率最優先主義で生きてきたわけで、リタイアして数年が経つ今思うのは『ムリ、ムダ、ムラがあってもいい。遅くてもいい。自分の脳みそは機械じゃない』という意識です。
 効率が悪くても、自分の気持ちが納得できればいいと思うのです。だから、老害になるのかも。よくわかりません。

 杉田公平:雀躍堂(じゃくやくどう)の総務課長
 菊川和史:株式会社サンタマム社長 1988年、昭和63年生まれ。
 草野明:株式会社サンタマム専務取締役 1991年 平成3年生まれ。

 表敬訪問:相手に対する尊敬を表すために訪問すること。

 戸山福太郎が、昭和30年代、40年代のことを語ります。
 読んでいて、なにもかもがなつかしい。

 『トップに居座って、若い人に譲らない老人……』(そういえば、最近自動車大手の社長が変わることになりました。潔い(いさぎよい))
 141ページ付近は激しい。激しいけれど笑えます。
 トップにとって必要なものとして:スター性。華(はな)。<納得できます。(かもしだす神がかった雰囲気)オーラとか。人をひきつける魅力とか、エネルギーとか>

 『個性』についての戸山福太郎の語りがあります。
 老害は個性だと、まずカウンターパンチをはなちます。
 いまどきの若い者たちは、「個性」という言葉が好きで、「個性」といえばなんでも許される。なんでも通るとして、「個性」という言葉を利用している。みんな違ってみんないい。そんなことはきれいごとだと言い切ります。(一理あります。一理(いちり):うなずける理由。標準的な暮らしを目指さないと生活が安定しないという現実はあります)
 この作品は、いつかは映画化されるのでしょう。
 台本みたいな位置づけの作品です。

(つづく)

 読み終わりました。
 おもしろかった。コメディ社会風刺小説でした。(ふうし:遠回しの批判。「老害とはいわせないわよ」です)

 ああでなければならない。こうでなければならない。口は動かすが、体は動かさない。指示はするが、自分ではやらない。そんな男が現実にいます。(自分は、第三者の立場で見ていて、めんどくさい男だと思います)

 本に書いてあるのは、世の中にあるものとして:「若年層」「壮年層(そうねんそう。働き盛り)」そして「老年層」
 自分が思うこととして、老年層は、若年層や壮年層を支配しないようにする。逆に、若年層や壮年層は、老年層に支配されないようにする。人間界はどこも両面をもっています。バランスを上手にとることにいつも心を奪われます。

 おもしろかった表現として『水戸黄門かと思ったら遠山の金さんだった』『自分の老後を他人の老後のために使う』『パンデミックは、パンダミック』『うちには若いメンバーいるよといような趣旨で、「サキさんはまだ79(才)だ』
 胸にじんとくる表現として『人生って短いね』『あの世にはひとりで行くんだもんな』『……残された日が少ないからこそ、人間は遊ばないとダメなんです』『……仕事のコツは野良猫にもお辞儀をすることだって言ってました……』『……先のない85歳……(コロナに感染することが心配)』『遠慮して謝って生きている年寄りは悲しい』『同行二人(どうぎょうににん。どうぎょうふたり):四国の巡礼者は、ひとりで歩いていてもひとりじゃない。目には見えないけれど弘法大師(空海)がそばにいる』『みんないなくなったよね』

 158ページ付近。マンガのようです。楽しい。

 まわりにいる人や有名な芸能人がどんどん死んでいく。
 ふと、先日90歳近くになったふるさとの実母と電話で話したことを思い出しました。
 わたしが中学生のときにいっしょに中学校に通っていた近所の男子同級生が病気で亡くなって先日お葬式が済んだそうです。彼といっしょに暮らしていた妻子はどこかへ引越して行ったそうです。
 朝は、彼といっしょに中学校へ歩いて登校していました。へんな話ですが、おばかな中学生コンビですから、朝からエロ話で盛り上がっていました。
 そうか。たしか、こどものころから腎臓が悪くて入退院を繰り返していた彼です。亡くなったか。しみじみしました。人の命は長いようで短い。

 172ページ、いまごろ気づいたのですが歌謡曲の「帰って来いよ」の歌詞に出てくる『お岩木山』というのは『岩木山(いわきさん)』のことだったのか。実際に青森で岩木山を見たこともあるのに、歌詞に出てくる「おいわきやま」が岩木山だとは思いませんでした。山の名称に「お」を付けるという発想がありませんでした。松村和子さんが三味線を持ちながら歌っていました。いい歌でした。

 アルフレッド・テニソン:イギリスの詩人。1809年(江戸時代)-1892年(明治25年)83歳没。

 読んでいると「そうか。老人は嫌われているのか」という気分になります。(だれもが、老人になるのに)
 
 五か条の御誓文:1968年、明治新政府の政治の基本方針。天皇が神に誓う形式。
 (由利公正(ゆり・きみまさ)が起草し、木戸孝允(きどたかよし)が完成させた。先日出川哲朗の充電バイクの旅で、木戸孝允(桂小五郎)が泊まった宿に充電バイクのメンバーが泊まるシーンがありました)
 ①会議でよく話し合う。多くの人が賛同することを決定する。
 ②身分の上下にこだわらず、みんなで心をひとつにしていく。
 ③みんながやる気や希望を失わないようにする。
 ④悪い慣習や考え方をやめる。
 ⑤知識や知恵を学び、天皇を中心にして国を発展させる。

 陋習(ろうしゅう):悪い習慣。

 この小説はコロナ小説でもあります。
 『コロナ禍』を『コロナ鍋』と読み間違える年寄りたちです。
 年寄りにとっての『YouTubeユーチューブ』は、病院のベッドに寝かされた年寄りの体中に巻かれたチューブのことと誤解します。(35年ぐらい前、脳梗塞後、そのような姿になった女性高齢者を見たことをこの部分を読んで思い出しました。数週間後に亡くなりました。お気の毒でした)
 コロナの緊急事態宣言
 1回目:2020年4月7日-同年5月25日(令和2年)
 2回目:2021年1月8日-同年3月21日(令和3年)
 3回目:2021年4月25日-6月20日
 4回目:2021年7月12日-9月30日


 『姥捨て山(うばすてやま)』、以前映画館で観た『デンデラ』という邦画を思い出しました。70歳で山に捨てられます。まだ若いのに厳しい。中身はB級映画だと思うのですが、出演者は、浅丘ルリ子さん、倍賞美津子さん、山本陽子さん、草笛光子さんと豪華女優陣でした。
 
 辣腕経営者(らつわんけいえいしゃ):物事をちゅうちょせず、てきぱきと処理する経営者。能力が優れている。すご腕。

 曼殊沙華(まんじゅしゃげ):ヒガンバナ
 倶利伽羅紋々(くりからもんもん):やくざが背中に彫った入れ墨。王さまの絵。
 
 なるほど。この本は、アイデアがいっぱい詰まった本です。
 
 『懐メロ(なつめろ)なんて、その時代に生きた人だけの楽しみ……』(そうなのか。今どきの言葉数が多い歌は、何を言っているのか聞き取れない自分です)

 読んでいて自分なりに発想したフレーズが『許してちょんまげ。迷惑かけてもすぐ死ぬからね(ほんとは、なかなか、死なないけど)』

 「しばり」を解除する。相手に対しても、自分に対しても。
 制限することをやめて、やれそうだったら、提案を受け入れて、とりあえず1回やってみる。
 それが、老後を楽しむコツのような気がしてきました。
 命が尽きるまでの残り少ない時間だから、やり残してしまったと後悔することは少ないほうがいい。

 読みながらふと思い出したのです。
 自分のひとさし指1本を、孫であるあかちゃんの五本指が、つつみこむように握ってくれるのです。ぎゅっと強く握ってくれるのです。守ってあげたい。幼き小さな命を、守りたいという気持ちになるのです。(その後、本の中にあかちゃんが登場したので、びっくりしました。生後60日ぐらい)

 おひとり、亡くなってしまうのですが、亡くなった時の状況が、うちの義父が亡くなった時と似ていてしみじみしました。死因となった病名もいっしょです。『虚血性心疾患』心臓が弱って止まります。

 夫婦だと、相方に死なれると精神的にかなりこたえます。それとも、せいせいする人もいるのだろうか。いるのかもしれません。

 なんだろう。なんでもかんでも『仕事が優先』で、冠婚葬祭にも顔を出さない。出してもすぐいなくなる。そんな光景が現実にあります。なんだか、世の中はへんな方向に向かっているんじゃないか。

 ふるさとの美化は、ありがちですが、じっさいは違うと思います。むしろ、ふるさとでのイヤな思い出も多く、イヤだったことを思い出してしまうから、ふるさとにはあまり帰りたくないという人もいます。

 『末期高齢者』
 いろいろと実感があることが書いてありました。
 職業人をリタイアしてからが本来の自分の人生のような気がしてきました。
 それまでは、生活費を稼ぐための虚構の自分だった。
 
 本の趣旨として、人は『毒』か『薬』にならなければならない。
 どちらにもなれない人間には、魅力がない。(それでもいいような気もしますが。)

 登場人物のみなさんたちは、お元気で喜ばしいことです。
 ただ、直接的には関わりあいにはなりたくはないタイプの人たちです。
 一歩距離をおいてながめる立ち位置にいれば楽しい。  

Posted by 熊太郎 at 06:55Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年01月31日

彼女の家計簿 原田ひ香 

彼女の家計簿 原田ひ香 光文社

 主人公 瀧本里里(りり):32歳。シングルマザー。未婚の母。銀行から転職して今は、女性向け情報サイトの会社『ホワイトスノウクラブ』で働いている。

 瀧本啓(けい):里里の娘。二歳半。非嫡出子(婚姻関係にない男女の子ども。ひちゃくしゅつし)。誕生日は秋。

 瀧本朋子(たきもと・ともこ):瀧本里里の母親。(親として、よくわからない個性をもつ人)昭和23年5月21日生まれ。<1948年>。『みっともないこと』が嫌いな人です。

 三浦晴美:(まだ読み始めで)身元不明な女性。東京谷中(やなか)居住。A4サイズ封筒を瀧本朋子に送った関係者。(その後判明したこととして)NPO法人『夕顔ネット』代表(夜働く女性をサポートする。水商売、風俗関係の仕事をしてきて高齢になった女性の再就職や就職訓練の手伝いをする。組織の前身が「女性自立推進協会」)
 三浦晴美は42歳。築50年以上の古い家屋を事務所にしている。土地家屋は寄附で受け取った。土地家屋の所有者は『NPO法人夕顔ネット』。寄附を受ける前は、1階が定食屋。2階が五十鈴加寿(いすず・かず)の住居だった。五十鈴加寿の死後、1階を夕顔ネットの事務所、2階を物置・更衣室として使用している。
 三浦晴美は未婚。親族は故郷に母だけがいる。(三浦晴美はふと思う。「死んだあと、(自分にとって)何も残らないのが、ふとさびしい(自分には、配偶者も子どもも、ほかの親族もいない)」
 三浦晴美にはわけありの過去があるらしい。(149ページに自分は人を殺した女とあります。まあ、直接犯行をしたわけではないでしょう。そうなら刑務所に収監されています)

 曽我真紀子:五十代。夕顔ネットの事務局で経理担当。(後記する生前の五十鈴加寿と面識あり)。家庭もち。配偶者とこどもあり。

 檜山彩恵(ひやま・さえ):三十代。夕顔ネットのスタッフ。家庭持ち。夕顔ネットという組織には、ほかに5・6人のスタッフがいる。

 ミキちゃん:五十がらみ。名古屋出身。夕顔ネットの掃除担当

 経理の斉藤:五十代前半の年齢。夫死去。子どもが三人いる。瀧本里里が働いていた銀行の労働組合の女子部長。

 高橋良子:女社長。
 
 町山:初老で、背の低い男性医師。

 読み始めで(どうして、こどもに「啓」という名前を付けたのだろうという疑問が生まれました。性別がどちらかわかりません)
 この件については、16ページに母親である瀧本里里の願いが書いてありました。
 男女平等を訴えるメッセージが、この本にあるのかもしれません。

 20ページまで読んで思ったことです。
 こどものころに親戚づきあいをしたことがない人は、おとなになってからも、親戚づきあいができにくい。

(つづく)

 以下の登場人物は、書中にある昭和17年2月23日(1942年)のことをからめると次のようになります。
 第二次世界大戦の日本の開戦が昭和16年12月で、終戦が昭和20年8月です。
 物語の場所は東京谷中(やなか)です。上野の北北西方向にある地域です。

 五十鈴善吉(いすず・よしきち)大正9年5月23日生まれ。(1920年生まれ)。瀧本里里の話だと、無口な人だった。瀧本里里の祖父。

 五十鈴加寿:五十鈴善吉の妻。大正9年10月6日生まれ。(1920年生まれ)。義母が、五十鈴加寿に家計簿を買ってあげた。一か月の家計費として、五十鈴加寿は、月々14円を預かる。五十鈴加寿は、大柄ではない。五十鈴加寿は『夕顔ネット』のために土地・建物を寄附した。土地は、60坪(198㎡ぐらい)お話の始まりからしばらくは、五十鈴加寿が、瀧本里里の祖母であることが不明朗です。

 五十鈴とめ:五十鈴加寿の義母。五十鈴善吉の実母。明治33年7月2日生まれ。(1900年生まれ)

 倉田義信:夕顔ネット元代表倉田伸子の夫。現在の夕顔ネット代表の三浦晴美とは面識がない。三浦晴美と倉田伸子が出会った時には、倉田義信はすでに死去していた。

 倉田伸子:倉田義信の妻。(倉田伸子は、『夕顔ネット』の元代表)水商売とか風俗で働いていた女性を支援してきた人。三浦晴美と面識あり。ふたりの関係においては、三浦晴美が15年前に倉田伸子と会った当時、倉田伸子は60歳だった。倉田伸子は、体は大柄ではない。倉田伸子は、夕顔ネットの前身となる『女性自立推進協会』を立ち上げた。

 五十鈴加寿の遺品として、大量の家計簿あり。相当古い。(9冊。第二次世界大戦中から戦後まもなくまでの記録)

 (今同時進行で『老害の人 内館牧子 講談社』を読んでいるのですが、どちらの本も登場人物の数が多く多彩で、読み始めで把握に苦労しています。使用済みの大型カレンダーの裏面白色を利用して、家系図をつくるように、人物相関図をつくっています)

(つづく)

 京本:瀧本里里が勤める女性向け情報サイトの会社『ホワイトスノウクラブ』の副社長。

 平原:瀧本里里が銀行に入社して2年目のとき、3年先輩の男性社員だった。瀧本里里と結婚したがっていた。
 
 河西隆(かさい・たかし):瀧本里里の不倫相手。瀧本里里より十歳年上。シングルマザー瀧本里里の子ども啓(けい。女の子)の父親。河西隆は妻子持ち。こどもが三人いる。

 瀧本里里の両親は不思議な夫婦であり、不思議な親だった。
 母親は瀧本里里が小さい頃から瀧本里里とのスキンシップを嫌った。
 両親は瀧本里里が中学生のときに離婚した。瀧本里里は母親に引き取られたが、母親は親らしくなかった。別れた父親はこどものいる女性と再婚した。
 瀧本里里は、両親に愛されているということがなかった。スキンシップを拒否されたこども時代が瀧本里里にはある。
 (瀧本里里はなかなか複雑な家庭で育っています。ファーザーコンプレックスで、妻子ある十歳年上の男性と不倫をしてこども瀧本啓を産んだのかと思ってしまいます)
 
 三浦晴美から瀧本里里の母親瀧本朋子に送られてきて、瀧本里里の母親瀧本朋子経由で送られてきた五十鈴加寿の『家計簿』がこの物語の肝(きも。ポイント)になっていくのでしょう。
 瀧本里里の祖父五十鈴善吉(いすず・よしきち)の妻(妻は、外に男をつくって心中したらしいという設定になっています)、五十鈴善吉と心中した妻のふたりの子どもが瀧本里里の母親瀧本朋子というような設定ですがはっきりしません。(なかなか厳しくせつないものがありそうです)

 昭和17年国民小学校6年担任飯田辰一(いいだ・しんいち)教頭先生の訪問あり。五十鈴加寿に代用教員の依頼があるも義母五十鈴とめが断る。

(つづく)

 82ページまで読みましたが、親族関係がややこしいので、整理します。

 五十鈴善吉(よしきち)の妻は、浮気相手の男と心中をして亡くなった。(読み終えて、そうではありませんでした)
 主人公瀧本里里(りり32歳)の母親瀧本朋子(昭和23年生まれ)は五十鈴善吉の娘だが、母親がはっきりしない。(戸籍を見ればわかるような気がしますが、事実は、読み進めていると、その後わかります)

 瀧本里里は、妻子ある男性と不倫をして、瀧本啓(けい。二歳半女児)をもうけてシングルマザーとしてひとり親家庭を営んでいる)

 凪子(なぎこ):里里の母親瀧本朋子のいとこ。五十鈴善吉の弟の末娘。水商売歴あり。

 悠木南帆(ゆうき・なほ):本名野村みずき。有名なAV女優だったが引退した。26歳だが、見た目は十代に見える。何か事務的な職を得たいが、パソコンはできない。広島の母方実家に住んだことがある。海のそばの家だった。優しい祖父母だった。貧乏だった。魚はいっぱいあった。母はその後再婚して、母子は広島を離れた。

 家計簿は、昭和17年(1942年)『模範家計簿』から始まります。全部で9冊。
 なかなか中身が濃い。
 専業主婦も働く主婦も生活して残るお金は変わらない。
 働く主婦は稼いでも費やす(ついやす)ものも多い。子育ての必要経費がかかる。
 
 日記メモがある家計簿は昭和18年(1943年)の日付です。もう、書いた人は亡くなっています。亡くなってからもう何年もたっています。この本は何を読者に訴えるのか。五十鈴加寿は、代用教員として採用されています。

 38万円の仏像が欲しかったが買わなかった(三浦晴美の話)
 永田義道と付き合った。(たぶん)別れた。(三浦晴美の話)
 
 真菜(まな):三浦晴美47歳が代表をしているNPO法人『夕顔ネット』のアルバイト。大学生ボランティアとの記事もあります。小柄で小太りのころころした体型。

 パーツモデル:手とか足とかのモデル。

 昭和18年当時の五十鈴加寿が教えていたこどもたちの名前として、
 加納やす子、山下たま、洋子、ひろ子、遠藤道子……
 女先生がこどもといっしょに泣くしかなかった時代があります。壷井榮作品『二十四の瞳』で出てくる大石先生を思い出しました。
 校長がいて、校長の奥さんが酒井先生。
 昭和17年善吉出征。戦時中の文化、生活、風俗に関する記述があります。
 (今年読んで良かった本になりそうです)

 瀧本里里の両親は離婚したが、離婚した父親は連れ子がいる女性と再婚したあと、瀧本里里が大学生のときに死亡したそうです。(なかなか複雑で、精神的に重いお話です。瀧本里里はハードな人生を送っています。妻子ある不倫相手のこども啓(けい。女児)を産んでシングルマザーです)
 
 昭和19年9月。91ページ。
 えんこする:この言葉についてですが、ちょっと意味をとれませんでした。

(つづく)

 愚弄(ぐろう):ばかにして、からかう。

 教えるとか、教わるとか、学びがないと、人間は成長しない。

 103ページ、第二次世界大戦終戦の日の家計簿日記です。昭和20年8月15日(水)(1945年)
 『今は何も考えられない……』

 『孤独』があります。
 今、同時進行で『老害の人 内館牧子 講談社』を読んでいるのですが、そちらはおおぜいの人たち出てきて、人間関係のわずらわしさがあるのですが『孤独』はありません。こちらの『彼女の家計簿』は、数人の登場人物ですが、だれもが『孤独』をかかえているようです。さみしい。
 瀧本里里32歳不倫相手との間に生まれた2歳女児を育てるシングルマザー、元AV女優野村みずき26歳、NPO法人『夕顔ネット(水商売、風俗で働いていた女性を支援する団体)』代表の三浦晴美42歳独身。ボランティアの真菜、みんなさみしそうです。
 親が離婚したり、ひとり親だったりすると、こどもは孤独になるのだろうか。
 それから、134ページにある「シングルマザーになってしまった女にたりないもの」とはなにか。

 家計簿日記を書いた五十鈴加寿の実態をつかめません。
 主人公の瀧本里里の母である瀧本朋子の父善吉の何なのか。瀧本朋子は不倫相手と心中をして亡くなった五十鈴善吉の妻の子どもだと思うのですが、五十鈴加寿が、瀧本里里から見て祖父善吉の妻とは思えないような経過なのです。
 人が違うのか、それとも、同じ人だけど、人間の二面性を表現してあるのか。107ページ付近にいる読み手の自分にはまだわかりません。

 家計簿の日付は、昭和20年8月22日(水)1945年です。
 
 デニム:ジーンズ

 パソコン教室の男性先生:エロい。ストーカー。メガネをかけていて、髪はぺたっとしている。三十代独身。一見紳士、なかみはスケベ。さわりたがる。病的なエロ。キモイ。

 「富士屋」の定食
 「パピヨン」のカレー
 「ど真ん中」のお好み焼き

 大学伊藤教授:ジェンダー論(男女平等。性差別反対)もうすぐ70歳のおじいちゃん。

 (戦後のこととして)大垣先生:出征していた。(しゅっせい。戦地に行っていた)。教職に戻る。
 ヤミ市:第二次世界大戦後の市(いち)。物価統制をはずれた非合法的な商品の売買。

 着物と野菜を農家で交換してもらう。
 帰路、警察に捕まって、警察に野菜を没収される。
 八百屋は、警察が没収した野菜を買い取る。野菜はヤミ市で売られる。
 (なんともひどい話です。上層部の人間たちは、権限を握って自己の利益を増やします。悪人たちです)

 NPO法人代表三浦晴美には、人には言いにくい過去がある。

 (戦後のこととして)木藤先生(きとう)が戦地から戻る。3年2組の担任となる。小学校。五十鈴加寿は、3年1組の担任らしい。五十鈴加寿の不倫相手かと思いましたが違うようです。

 おでんをみんなで食べる。
 瀧本里里と啓と野村みずき(元AV女優名悠木南帆(ゆうき・なほ))と食べる。
 (飲食しながら、おしゃべりを楽しむのは精神衛生上いいことです)

 時代はさかのぼり、昭和22年の五十鈴家は暗い。
 五十鈴善吉の仕事がみつからない。
 五十鈴加寿は女教師をして、夫と夫の母を食べさせている。夫はヒモ状態です。

 三村さん:昭和20年代の五十鈴加寿宅の隣人。

 五十鈴加寿は妊娠して出産します。五十鈴善吉との娘です。娘は、瀧本里里の母親朋子です。
 つまり、五十鈴加寿は瀧本里里の祖母であろうということが推測されます。瀧本里里は祖母を知らない。
 今の時代と違って、産休の制度がありません。個別交渉です。産前の休みはありません。産後は、3週間休んだあと教職ですから学校教員として小学校に出勤です。過酷です。
 夫は無職で、姑(しゅうとめ)が同居している。やっかいな状態です。とりあえず、あかちゃん(朋子)は、夫と姑にみてもらって働かねばならないでしょう。

 瀧本里里の祖母五十鈴加寿の土地に建つ『夕顔ネット』に関係者が集中してきます。瀧本里里は夕顔ネットでパソコン操作を人に教えています。
 
 永田義道:三浦晴美の関係者。15年ぶりだか20年ぶりだかの再会話あり。4~5年付き合っていたのだろうか。

(つづく)
 
 221ページまで読みました。
 話がかなり重い。
 男女の性差別とか、学歴差別を扱っている作品です。
 
 家計簿は、家計簿というよりも戦中・戦後の日記です。
 いつの時代でも、生きることは苦しい。

 昭和23年の家計簿。5月21日に瀧本里里の母親朋子が生れています。
 五十鈴加寿は気の毒です。夫の善吉と善吉の母親が、五十鈴加寿ひとりの収入に頼っています。夫親子は寄生虫です。働きません。なのに、あかちゃんの朋子までいます。夫善吉が戦地に行っていた時のほうが、五十鈴加寿の気持ちが安定していたというおかしな状態です。
 ふつうなら消えてしまった遠い過去の出来事ですが、記録は残っています。家計簿日記という形で70年間ぐらいがたっても手もとに残っています。
 
 日本人の性格・性質として、日本人は、だれかをいじめることで自分が生き抜こうとする。五十鈴加寿は、夫と夫の母にいじめられます。そうとうな嫁いびりがあったことでしょう。五十鈴加寿が気の毒です。
 昭和24年の家計簿が最後の一冊。五十鈴加寿は、1歳半ぐらいになった朋子を置いて家を出たのでしょう。家計簿は全部で9冊です。
 五十鈴加寿は精神的に楽になりたかった。五十鈴加寿を責めるけれど、夫と夫の母親から、いじめられたのは五十鈴加寿のほうです。

 戦争が終わって、日本国の紙幣が変わる。新しい円(えん)の制度がスタートする。

 曽我真紀子:五十代。夕顔ネットの事務局で経理担当。(後記生前の五十鈴加寿と面識あり)。家庭もち。
 曽我真紀子がクローズアップされてきます。なかなかきつい人です。代表の三浦晴美と対決です。曽我真紀子の要求を三浦晴美が受け入れないなら曽我真紀子は、夕顔ネットを退職すると主張します。
 辞めるか。引き止めるか。人材を失うと次の人材がなかなか見つからないという組織もあります。
 
 拘泥(こうでい):こだわる。必要以上に気にする。

 『……一度失敗したら終わりなの?……』
 なにかで読んだことがあります。終わりになる、とりかえしがつかない失敗として「殺人」と「自殺」。
 
 『ママ、聞こえて!』ママ聞いて!ではなく、ママ聞こえて! という瀧本里里の娘啓の声です。啓はもうすぐ三歳ぐらいです。

 木藤:生きていれば93歳ぐらい。五十鈴加寿と駆け落ちをしようとしたらしい。

 なにかしら、ひとり親家庭母子のつらさや暗さがあります。
 戦後のこととして、戦死した父親は、どうして死んだのかというこどもの声あり。
 なかったことにする。これからを生きるために、戦死した父や息子のことは、なかったことにする。

 ぐっとくる言葉があります。
 『私には、家族があります。なにもなくなっても、家族がある…… (だけどあなたには仕事しかないという趣旨の言葉。仕事がなくなったらあなたにはなにもないという趣旨の相手を攻撃する言葉)』
 
 思うに肉親は大事です。血族でも姻族でも親族との付き合いは大事です。
 他人は他人です。
 他人は冷たい。手のひら返しがあります。
 たいていは、他人同士は、利害関係、お金でつながっている関係です。

 まだ読み終えていませんが、今年読んで良かった一冊です。

 三浦晴美42歳は、自分の若い頃、27歳と23歳のカップルだったときのことを思い出して傷ついています。

 突き詰めていくと、きっかけをつくった「男」が悪いのに「女」のほうが悪いとされる世の中があります。

 エキセントリック:風変り、行動が奇想天外。
 焼身自殺のようなもの。復讐を強くアピールして死す。加害者をさらし者にする。
 すさまじい。
 
 昔の日本は、個人のプライバシーには無頓着だった。(むとんちゃく:個人情報の公開を気にしない)

 214ページあたりの表現が、この作家さんの柱です。本質があります。本音があります。くっきりしています。

 趣旨として『適当な人と、適当に結婚して、適当に幸せになりたいって……』先日読んだ『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』に出てくる29歳男性二谷と30歳女性芦川の関係を思い出しました。

(つづく)
 
 読み終わりました。
 読み応え(よみごたえ。読むことによる充実感、読む価値がある)のある内容でした。
 最後の部分の出来事設定とその後の時の流れについては、多少の無理があるかと思いましたが、作者が訴えたいことについてのメッセージはよく伝わってきました。

 形はいびつでも(親族関係について)『命をつなぐ(出産によって)』尊さ(とうとさ)があります。
 男女関係について、清い(きよい)つきあいがあります。戦後ならではです。好感をもちました。
 
 戦後数十年間の当時は、親がこどもを祖父母に預けて、あるいは、まかせて、家を出るということは、実際にままあったことだと記憶しています。珍しいことではありません。自分にもこどもの側としての体験があります。
 案外今も似たようなことはあるような気がします。

 慙愧(ざんき):自分の見苦しさや過ち(あやまち)を深く反省して悔いる(くいる)。
 
 また『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』を思い出すシーンが出てきました。やはり、ちゃんとしっかりおいしいごはんを食べることは大事です。生活の基本です。

 (こどもを)『あんまり感情的に叱っちゃだめよ』(もしかしたら、このあと、こどもと永遠の別れになってしまうかもしれないからという理由で。そういうことって現実に起きます)

 かなりつらい話です。
 戦争があってもなくてもこうなったのかもしれない。戦争の問題ではなく、男尊女卑の意識が根底にあるのです。
 
 本に出てくる『赤い蝋燭と人魚』は怖いお話です。
 赤い蝋燭と人魚(あかいろうそくとにんぎょ) 小川未明・作 いわさきちひろ・画 童心社
 1921年、大正10年の作品です。人魚が人間に復讐します。恩をあだで返された(恩に感謝されず、逆に害を加えられる)ことに対する復讐と信頼関係の裏切りに対する復讐です。
 本の中では、戦地で父親を亡くした少年がその本を盗んだということになっていますが、読んでいると泣けてくるようなつらい話です。
 『本』は独占するものではなく、共用・共有するものだと思いたい。

 読んでいて思ったことです。
 人間は、どんなにつらい体験をしたとしても、自然に死ぬまでは、生き続けなければならない。

 家庭・家族をもつ女性の、家庭・家族をもたない女性に対する攻撃的な意思があります。(家庭をもたなかったあなたには)仕事しかない。仕事をしなくなれば、あなたには何もない。
 加えて、(わたしだって一生懸命働いた)、なのに、(家庭も家族ももたなかった)あなたばかりが職場で出世した。(不公平であることに強い不満をもち抗議する)

 里子:さとこ。とある女性。

 (こどもを失ったから、あるいは、こどもがいないから)他の人のこどもを愛する。他の人のこどもを助ける。こどもをもつ母親を支援する。

 家計簿は、昭和17年2月<1942年>から始まり、昭和24年9月<1949年>に終わっています。7年半ぐらい。昭和23年5月21日<1948年>に瀧本里里の母親瀧本朋子が生れています。瀧本朋子が1歳8か月のときに母親の五十鈴加寿は姿を消しました。五十鈴加寿は28歳でした。

 外聞(がいぶん):内部のことを外部の他人に知られること。悪い情報。世間体(せけんてい)。

 一縷(いちる):1本の糸。

 心が固まって、以降、心が動かなくなった人がいます。

 血がつながっていれば、血も涙もない鬼のような親って、いないと思う。
 いや、実の子を虐待する人もいるから、なんともいえません。うーむ。むずかしい。

 かなり苦しい。
 冷酷な母親の涙があります。

 五十鈴加寿は、教師をしていたから、能力があったので書けた家計簿でもあります。
 読み書き計算能力は大切です。
 されど、人間同士の意思疎通がうまくいっていません。
 以前読んだ本に『世界は誤解と錯覚で成り立っている』と書いてありました。お互いの本当のことはなかなかわかりあえません。
 
 作者からのメッセージとして『女は男の所有物ではない』
 男の事情として、妻をほかの男にとられるのは、男としてのプライド(自尊心。自分を大事とする考え、気持ち)が許さない。妻という夫の所有物をほかの男にとられることが許せない。
 男は女を理解していない。女を理解する能力を、男はもっていない。
 
 最後は、昭和24年9月24日(土)の家計簿日記です。
 そうか…… じょうずに書いてある日記です。  

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2023年01月26日

せかいいちのねこ ヒグチユウコ

せかいいちのねこ ヒグチユウコ・絵と文 白泉社

 こどもさん向けの本です。100ページぐらいあります。

(1回目の本読み)
 文章は読まずに、絵だけを見ながら、全部のページをゆっくりめくります。
 わたし独自の独特な読み方です。

 裏表紙の絵がかっこいい。
 ねこが、カメのようなものにのって空を飛んでいます。
 カメのようでカメでなさそう。イカとか、カブトガニにも見えないことはありません。

 さて、最初のページに戻ります。

 1から12までの短いお話のかたまりです。
 ねこの名前として:アノマロ
 本のタイトルが『せかいいちのねこ』だから、なにかで世界一の記録をもつねこが登場してくるのでしょう。

 きれいな絵です。絵は優し気(やさしげ)でもあります。
 喜怒哀楽(きどあいらく)の表情があるねこです。
 ねこが家族みたい。人間みたい。
 ハッピーエンドぽい。

(2回目の本読み)
 
『1 ほんもののねこになりたい』
 さいしょはわからなかったのですが、主人公は本物のねこではないのです。
 ぬいぐるみのねこなのです。
 絵本作品『こんとあき 林明子 福音館書店』を思い出しました。ただし、こんは、きつねのぬいぐるみでした。

 ねこのなまえは『ニャンコ』です。
 もちぬしの男の子は7歳になってしまって、ニャンコへの興味が薄れています。
 洋画『プーと大人になった僕』を思い出しました。それから『トイストーリー3』を思い出しました。こどもが成長して、おもちゃに興味を示さなくなるのです。

 ニャンコがのるのが、カメかイカのように見えるのですが、カメでもイカでもありません。
 本には、ヘビとタコが出てきました。
 2015年(平成27年)の絵本形式の児童書です。
 9ページにある本物のねこの絵がかっこいい。(おもしろい)
 
 ぬいぐるみのニャンコは、本物のねこのヒゲを集めて体の中に入れると自分が本当のねこになることができるらしい。(ヘビとタコのアドバイス)

『2 ともだちができたぼうしねこ』
 ニャンコがのっているカメみたいな生き物が『アノマロ』という名前であることがわかりました。
 ひきこもりのようなねこがいます。
 擬人法か。(ぎじんほう。人間を動物にたとえる)

『3 くいしんぼうの本屋のねこ』
 本屋です。
 本は、忍者の忍術とか、忍法が書いてあるような巻物のイメージです。
 ひげの秘密をさぐります。
 ねこのひげには、秘仏の力があるのかも。
 だから、ぬいぐるみのねこは、本物のねこになれるのかも。
 逆に、本物のねこが、ぬいぐるみにはなれそうもありません。剥製(はくせい)にはなりそうです。ちょっと不気味か。

『4 3びきのやさしいねこ』
 アノマロが行方不明(ゆくえふめい)になってしまいました。
 季節感を感じる絵です。
 ヒゲを集めるとぬいぐるみのねこが本物のねこになれる。
 昔テレビマンガで見た『早く人間になりたい』の『妖怪人間ベム』とか『百鬼丸(ひゃっきまる)がでてくる「どろろ」』を思い出しますが、この本のお話とは関連がありませんでした。

『5 大きな旅のねこの約束』
 大きなフキの葉を傘代わりにする。
 むかし、北海道に行ったとき、大きなフキの葉があったので、傘代わりにして家族写真を撮ったことを思い出しました。アニメ『トトロ』のワンシーンのようでもあります。(トトロがもつ葉っぱは「サトイモ」だそうです)
 奇想天外、自由自在な話の運びです。
 ねこが人間みたいで、ペットの犬を連れています。
 トビウオが町中の空中を飛んでいたりもします。

『6 いじわるねこのはなし』
 ニャンコはぬいぐるみで、いじわるねこは、ニャンコと同じ家で飼われているねこです。

『7 助けられた赤ちゃんねこ』
 ニャンコは、アノマロ探しの旅に出ます。

『8 アノマロのゆくえ』
 ねこの本屋さんです。

『9 アノマロと大きなねこ』
 なんだか、ぬいぐるみのニャンコがアノマロを探しているのですが、変な発想ですが、逃げたヨメさんを思って涙しているだんなさんに見えます。オレが悪かった。家に帰ってきてくれ。
 いろんな表情のねこの絵が描いてあります。

『10 いじわるねこはヒーロー』
 そうか、タコとヘビは、この家で暮らしている男の兄弟を表しているのか。
 じゃあ、いじわるねこはだれのことだろう。わかりません。

『11 しあわせな再会』
 ちょっと話についていけません。自分には合わない話の展開です。
 なにかしら、中途半端(ちゅうとはんぱ)で、はっきりしません。
 物語の内容よりも絵を楽しむ本です。
 
『12 みんなせかいいちのねこ』
 ヒゲをいっぱい集めたのにどうしてそうなるの。
 ハッピーではないのです。

(全体を読み終えて)
 ストーリーの展開はいまいち理解できませんでしたが、なにせ、絵がきれいです。
 この本は絵を楽しむ本です。
 こどもには、絵を見せながら、こどもとふたりで、独自のお話をつくる作業をするとおもしろい。
 そんなふうに受け取りました。  

Posted by 熊太郎 at 08:15Comments(0)TrackBack(0)読書感想文