2023年09月08日
ちっちゃなおさかなちゃん ヒド・ファン・ヘネヒテン/作・絵
ちっちゃなおさかなちゃん ヒド・ファン・ヘネヒテン/作・絵 古藤ゆず(ことうゆず)/翻訳 Gakken
ちいさなお子さん向けの絵本です。
ことしの春に生まれた親戚の男の子に贈るつもりです。
まず、自分が読んでみます。
かんたん、やさしい、かわいい。
一歳児ぐらいから二歳児ぐらい向けの印象があります。
色がきれい。
おさかなの形がシンプル。
素朴です。(そぼく:飾り気がない)
海の中の色は、ブルーじゃなくて、ブラックです。
めりはりがあっていい。暖色系の色がきれいに目立っています。
作者は、1957年ベルギー生まれです。
おさかなのあかちゃんが海の中で迷子になって、ママをさがすのです。
現実のおさかなのこどもはそんなことはしないのですが、絵本のなかでは、人間のあかちゃんの代わりです。(擬人法 ぎじんほう)
あかちゃんは、パパを、さがさないのよね~~ ママをさがすのよね~~ パパはいらないから。
カニのこと→てとてと
ヒトデのこと→つんつん
巻貝のこと→ぐるりんこ
カメのこと→ひょっこり
クジラのこと→ざんぶー
タコのこと→く~にゃ
(いいかえがうまい!)
おさかなのあかちゃんが、ようやくママに会えました。
さかなの親子は、真鯛(マダイ)に見えます。
ちっちゃな子に読み聞かせをしながら、色彩豊かな絵を楽しむ絵本です。
ちいさなお子さん向けの絵本です。
ことしの春に生まれた親戚の男の子に贈るつもりです。
まず、自分が読んでみます。
かんたん、やさしい、かわいい。
一歳児ぐらいから二歳児ぐらい向けの印象があります。
色がきれい。
おさかなの形がシンプル。
素朴です。(そぼく:飾り気がない)
海の中の色は、ブルーじゃなくて、ブラックです。
めりはりがあっていい。暖色系の色がきれいに目立っています。
作者は、1957年ベルギー生まれです。
おさかなのあかちゃんが海の中で迷子になって、ママをさがすのです。
現実のおさかなのこどもはそんなことはしないのですが、絵本のなかでは、人間のあかちゃんの代わりです。(擬人法 ぎじんほう)
あかちゃんは、パパを、さがさないのよね~~ ママをさがすのよね~~ パパはいらないから。
カニのこと→てとてと
ヒトデのこと→つんつん
巻貝のこと→ぐるりんこ
カメのこと→ひょっこり
クジラのこと→ざんぶー
タコのこと→く~にゃ
(いいかえがうまい!)
おさかなのあかちゃんが、ようやくママに会えました。
さかなの親子は、真鯛(マダイ)に見えます。
ちっちゃな子に読み聞かせをしながら、色彩豊かな絵を楽しむ絵本です。
2023年09月07日
夜をあるく マリー・ドルレアン作 よしいかずみ訳
夜をあるく マリー・ドルレアン作 よしいかずみ訳 BL出版
絵本です。
読み終えましたが、いまいち趣旨がわかりませんでした。
とりあえず本読みの感想です。
読み初めに、恩田陸作品『夜のピクニック』を思い出しました。映画化もされています。
異父きょうだいだったか、異母きょうだいだったかの同い年の高校生男女が高校行事としての夜中じゅう歩くピックニックに参加するのです。恋人同士になることはないふたりがそれぞれの生い立ちや立場を知っていて知らぬふりで、それでもなにかしらひかれあうというような内容だった記憶です。しみじみと情感が広がる作品です。
(映画の感想メモが残っていました。その一部です)
夜のピクニック 映画 ケーブルTV録画
異母きょうだい(同級生)がその秘密を隠しながら高校の歩行祭に参加する。ふたりは高校3年生で、男子が本妻の子ニシワキトオル、女子が愛人の子コウダタカコとなっている。男子は自分の運命を呪い、女子は男子に申し訳ないと詫びる心をもっている。互いを意識しあうふたりに会話はない。
単純に歩く。80kmを一昼夜かけて歩く。その営みの中で、組合せを変えながら高校生たちが今の自分の本音を相手に語りかける。素朴な映画です。ニューヨークに転校した女子高生の弟が伏線になります。転校した女子高生の彼女は弟に姿を変えて、同級生たちと一緒に歩いて、弟ジュンヤの口を借りて、自分の意見を友人たちにぶつけているのです。
さて絵本の感想です。
ママがこどもたちに言います。『やくそく、おぼえてる?』
やくそくは、最後まで文章では表現されません。家族そろって、山頂で朝日を見ましょうが約束なのでしょう。ゆえに真夜中の夜を歩くというよりは、朝方に近い夜明け近くの時間帯に歩くようなかんじです。
父がいて母がいて、兄は中学一年生か小学6年生ぐらいに見えます。
弟は、小学3年生か2年生ぐらいに見える絵です。
父は35歳ぐらい、母は33歳ぐらいに見えます。
勘違いがありました。兄だと思っていたら姉でした。髪の毛を三つ編みにしてありました。
若い家族です。みんなすらりとしたいいスタイルです。太っている人はいません。
紺色と白の世界で描いてある絵本です。
読み終えたので山へ行くとわかっているのですが、読んでいるときは(どこにいくのだろう?)と思いながら読んでいました。
4階建てか5階建てのホテルは立派な建物です。
窓のあかりがきれいです。(絵本の文章には「シャンデリア」みたいと書いてあります)
だんだん街から離れていきます。
色調は黒ではなく紺(こん)です。
絵を見ていて思う。
わたしがこどもの頃、もう60年以上前、この絵のような風景の夜が実際にありました。
絵本の中では、列車が走っています。
わたしがこどものころは、線路の上では、蒸気機関車が走っていました。
4人家族は、森の中を歩き始めました。
どこへ、なにをしに行くのだろう。
『やくそく』ってなんだろう。
満点の星空と葉っぱが繁る(しげる)森林があります。
自然の光景です。
満月です。(これを書いている8月31日木曜日は「スーパーブルームーン」の日です。月が地球にもっとも近いそうです)
絵本のなかでは、カエルが鳴いています。
作品『星の子』のシーンを思い出すような絵です。
宗教がらみの宗教二世のこどもの小説・映画でした。芦田愛菜さんが主演でした。
絵本の星空は、学生だったわたしが新聞配達をしていたときに見上げた星空に似ています。
冬の朝方はまだ暗く、朝刊の配達が終わっても夜空はまだ暗く、たくさんの星が頭上で輝いていました。
流れ星というものはけっこうひんぱんに流れていて、めずらしいものでもありませんでした。
絵本のなかのファミリーは、小高い山に登っていきます。
山の上で時を待つ。
う~む。まぶしい。
さわやかではある。
さわやかではあるけれど、絵本のメッセージはなんだろう。
読み手はなにを感じたらいいのだろう。
とてもきれいな朝日の絵です。
まぶしい。
生きている喜びを表現してあるのだろうか。
(ほかの人の感想を拾ってみました)
文章よりも、絵を楽しむ本だったようです。
絵本です。
読み終えましたが、いまいち趣旨がわかりませんでした。
とりあえず本読みの感想です。
読み初めに、恩田陸作品『夜のピクニック』を思い出しました。映画化もされています。
異父きょうだいだったか、異母きょうだいだったかの同い年の高校生男女が高校行事としての夜中じゅう歩くピックニックに参加するのです。恋人同士になることはないふたりがそれぞれの生い立ちや立場を知っていて知らぬふりで、それでもなにかしらひかれあうというような内容だった記憶です。しみじみと情感が広がる作品です。
(映画の感想メモが残っていました。その一部です)
夜のピクニック 映画 ケーブルTV録画
異母きょうだい(同級生)がその秘密を隠しながら高校の歩行祭に参加する。ふたりは高校3年生で、男子が本妻の子ニシワキトオル、女子が愛人の子コウダタカコとなっている。男子は自分の運命を呪い、女子は男子に申し訳ないと詫びる心をもっている。互いを意識しあうふたりに会話はない。
単純に歩く。80kmを一昼夜かけて歩く。その営みの中で、組合せを変えながら高校生たちが今の自分の本音を相手に語りかける。素朴な映画です。ニューヨークに転校した女子高生の弟が伏線になります。転校した女子高生の彼女は弟に姿を変えて、同級生たちと一緒に歩いて、弟ジュンヤの口を借りて、自分の意見を友人たちにぶつけているのです。
さて絵本の感想です。
ママがこどもたちに言います。『やくそく、おぼえてる?』
やくそくは、最後まで文章では表現されません。家族そろって、山頂で朝日を見ましょうが約束なのでしょう。ゆえに真夜中の夜を歩くというよりは、朝方に近い夜明け近くの時間帯に歩くようなかんじです。
父がいて母がいて、兄は中学一年生か小学6年生ぐらいに見えます。
弟は、小学3年生か2年生ぐらいに見える絵です。
父は35歳ぐらい、母は33歳ぐらいに見えます。
勘違いがありました。兄だと思っていたら姉でした。髪の毛を三つ編みにしてありました。
若い家族です。みんなすらりとしたいいスタイルです。太っている人はいません。
紺色と白の世界で描いてある絵本です。
読み終えたので山へ行くとわかっているのですが、読んでいるときは(どこにいくのだろう?)と思いながら読んでいました。
4階建てか5階建てのホテルは立派な建物です。
窓のあかりがきれいです。(絵本の文章には「シャンデリア」みたいと書いてあります)
だんだん街から離れていきます。
色調は黒ではなく紺(こん)です。
絵を見ていて思う。
わたしがこどもの頃、もう60年以上前、この絵のような風景の夜が実際にありました。
絵本の中では、列車が走っています。
わたしがこどものころは、線路の上では、蒸気機関車が走っていました。
4人家族は、森の中を歩き始めました。
どこへ、なにをしに行くのだろう。
『やくそく』ってなんだろう。
満点の星空と葉っぱが繁る(しげる)森林があります。
自然の光景です。
満月です。(これを書いている8月31日木曜日は「スーパーブルームーン」の日です。月が地球にもっとも近いそうです)
絵本のなかでは、カエルが鳴いています。
作品『星の子』のシーンを思い出すような絵です。
宗教がらみの宗教二世のこどもの小説・映画でした。芦田愛菜さんが主演でした。
絵本の星空は、学生だったわたしが新聞配達をしていたときに見上げた星空に似ています。
冬の朝方はまだ暗く、朝刊の配達が終わっても夜空はまだ暗く、たくさんの星が頭上で輝いていました。
流れ星というものはけっこうひんぱんに流れていて、めずらしいものでもありませんでした。
絵本のなかのファミリーは、小高い山に登っていきます。
山の上で時を待つ。
う~む。まぶしい。
さわやかではある。
さわやかではあるけれど、絵本のメッセージはなんだろう。
読み手はなにを感じたらいいのだろう。
とてもきれいな朝日の絵です。
まぶしい。
生きている喜びを表現してあるのだろうか。
(ほかの人の感想を拾ってみました)
文章よりも、絵を楽しむ本だったようです。
2023年09月01日
あしたから出版社 島田潤一郎
あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫
4か月前ぐらいに手に入れた文庫本です。2014年(平成26年)6月発行の単行本の文庫化です。
どこかのブログに、いい本だと書いてありました。
わたしは、読みたい本を段ボール箱の中にたくさん入れてあって、たいていは買った順番に読んで感想を書いています。ようやくこの本まできました。
小説だと思っていたらエッセイでした。
ひとりで、出版社を営業されているそうです。(夏葉社(なつばしゃ))
『吉祥寺(きちじょうじ)』という地名が書いてあります。
わたしは、今年は2回吉祥寺を観光で訪れました。縁を感じます。(ページをめくっていたら、7月に自分も利用した駅にあるエスカレーターの写真が出てきました)
『とても生きにくい世の中だと思う…… 若いころにちゃんと働いてこなかった人間にとって…… 本当は就職をしたかったのだ……』(始まりにある魅力的な文章です。読む意欲が湧いてきます)
2009年(平成21年)8月、吉祥寺に事務所を借りて自分ひとりだけの会社を始めた。(出版社)
1975年(昭和50年)生まれ。31歳のときに、高知県室戸に住む1学年上のいとこ(従兄)ケンさんを交通事故で亡くされています。著者にとってかなりショッキングな出来事です。夏休みにはいるもケンさんと遊んでいたそうです。海外旅行へもいっしょに行かれています。
胸の中から感情をしぼりだすような文章です。
(つづく)
いとこが交通事故で死んで(2008年(平成20年)4月6日死去)、そのあと、友だちがぽっくり死んで(29歳で死去)、自分も死にたいという話が続きます。
大学を出て就職したけれど、職場や社会活動に適応できなくなって、メンタルをやられて死にたいのです。
著者は、結局自分は組織の中では働けないタイプだと悟り(さとり)ます。
ゆえに起業することを決心しました。
起業のしかたは知りません。手探りの行動が始まりました。
資金は自身の貯金と、仲は悪くはないけれど、これまで交流があまりなかった父親からの援助です。(父親は、著者がこどものころから単身赴任だったとか、父親は香港で自分の店をやっているとかの話が出ます)
四国室戸のことが書いてあります。
こどものころ、自転車にハンドルから手を離して乗るのが自慢だった。(わたしもこどものころ、自転車の手離し運転をしていました。その部分を読んで思い出しました。すっかり忘れていました)
ユアン・マクレガー:スコットランド出身の男優。スターウォーズのオビ=ワン・ケノービ役
古井由吉(ふるい・よしきち):小説家。2020年82歳没
就職活動で、50社から断られた。
39ページまで読んできて、この本は良書です。
今年読んで良かった一冊に加えておきます。
著者は読書が好きです。毎日薬を飲むように本を読みます。僕には本しかなかったとあります。
グリーフケア:1960年代(昭和35年代)にアメリカ合衆国で誕生した。大きな喪失を支えるための考察であり、学問である。
(自分が死なないために、自分ひとりの出版社をつくる)
人生は1回しかない。
先日読んだ『赤と青とエスキース 青山美智子 PHP』にもその言葉が書いてありました。
1回しかないからせいいっぱいがんばろうではなくて、1回しかないから慎重にやろうというメッセージでした。からだはひとつしかない。無理してからだを壊すようなことをしない。そう書いてありました。
つぶやくような文章が続きます。
会社の名前は『夏葉社(なつばしゃ)』
四国室戸の町の風景が由来だそうです。
マエカブ:(株)が前にくる。株式会社夏葉社
書き起こし:テープに録音した話し言葉を文章にする。
ヘンリー・スコット・ホランド:イギリスオックスフォード大学神学教授。1918年71歳没
高橋和枝:イラストレーター。1971年生まれ
ブルーノ・ムナーリ:イタリアの美術家、グラフィックデザイナー。1998年90歳没
著者はアルバイト経験が豊富です。ゆえに、ひとり出版社がうまくいかなかったら、またコンビニで店員をやるつもりです。
著者は大学で文芸部に所属していましたが、部員で文芸活動に専念している者はおらず、ゲームばかりしていたと嘆いています。
もともと大学に入るまで、本も読んでいなかった。
(なにかしら経歴のイメージが違います)
著者には二面性があります。
仕事について:なにをやりたいかは重要じゃない。だれとやるかが重要だというシーンが出てきます。
ひとり出版社を始めた著者の人間関係が、本人の努力もあって広がっていきます。
著者の名前『潤一郎』は、小説家の谷崎潤一郎氏が由来です。1965年(昭和40年)79歳没。
作品として「春琴抄(しゅんきんしょう)」「細雪(ささめゆき)」ほか
文学好きなご両親です。
他の名前の候補として吉行淳之介。小説家。1994年(平成6年)70歳没。「淳之介」は著者にとって画数がよくなかったそうです。
埴谷雄高(はにや・ゆたか):政治・思想評論家、小説家。1997年(平成9年)87歳没。
バーナード・マラマッド:作品「レンブラントの帽子」。アメリカ合衆国の小説家。ユダヤ人作家。1986年(昭和61年)71歳没
小島信夫:小説家。2006年(平成8年)91歳没
浜本武雄:アメリカ文学者、翻訳家。2003年(平成5年)78歳没
井上謙治:アメリカ文学者、翻訳家。1929年(昭和4年)生まれ。94歳
荒川洋治:現代詩作家、随筆家。1949年(昭和24年)生まれ。74歳
和田誠:イラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト。2019年(令和元年)83歳没
陶然(とうぜん):うっとりした気分でいるようす。
紫陽社(しようしゃ):詩集の出版社
アルティスパブリッシング:東京世田谷区の出版社
著者は、いちずな人です。(ひとつのことに打ち込む。ひたむき)
自分がつくりたい本をつくって売り歩きます。なかなか売れない本です。
信念の人である著者に、同志たちが現れます。
174ページまでの第一章の部分を読み終えました。
営利主義はありません。
はたから見ていると、事業が破綻しそうな仕事ぶりです。でも「ひとり出版社」はつぶれません。著者の行動に共感してくださるファンがけっこういるからです。
『レンブラントの帽子』過去に出版されたものを再版して販売します。短編8編を3編にします。営業で700冊の注文を受け、手元に約2000冊が残りました。2010年(平成22年)刊行
日本各地の本屋、古書店に販売営業活動のため足を運びます。
本の製作や販売にかかわる人たちのお名前や書店名がたくさん出てきます。著者が足でつかんだ人脈です。
『昔日の客(せきじつのきゃく)』の復刊。古書店の店主の随筆。お客さんとして有名な作家が訪れていた。初版2500部。あっという間に売り切れた。2010年(平成22年)のことです。
又吉直樹さんも出てきます。
東日本大震災が発災します。
製作中の詩集『さよならのあとで』は、亡くした人のことを思う詩でした。
165ページに仙台付近の記述があります。
著者はレンタカーで回っています。
やはり車は機動力があります。
鉄道やバスだと時間がかかります。
著者は思い込みが強い人です。
生きるのにはきつい部分があります。
同様な人は多い。
思い出のある物を捨てられない。
亡くした人とのことを時間がたっても忘れられない。
ガラスのハート(こわれやすい)です。
わたしもこどものときや、若い時はそうでしたが、今は違います。
人生のベテランになってしまいました。
中原中也の詩『汚れちまった悲しみに』を思い出しました。
(つづく)
175ページから、2章にあたる『よろこびとかなしみの日々』を読み始めました。
1章の部分とは著者の人格が変わったかのようです。前半とはがらりとかわって、行動的です。
1章では、どちらかといえば、ひきこもり、死にたい志願者、ただし、ひとつのことには集中するという人格でした。
こちらの2章では、著者の十代、二十代の体験が書いてありますが、別人のように行動的です。
ひとりの人間でも複数の人柄をもつということはあります。
著者の頭脳の中は『図鑑』のようになっています。
『能年玲奈(のうねんれな)』と書いてあり ? でしたが、やがて、『のん』さんのことかとわかりました。(いま、じぇじぇじぇ「あまちゃん」の再放送を毎日見ています)
人間関係とか沖縄で暮らしたときの恋愛話がおもしろい。
25歳のとき、アフリカ行きもされています。
いろんな体験をされた人です。
アイルランド、アフリカ、沖縄に行かれています。
ヨーロッパ→モロッコ→サハラ砂漠→モーリタニア→セネガル→マリ→ブルキナファソ→ガーナ
ダブリン:アイルランドの首都
不器用な人でもある。(ぶきよう。ものごとの処理がスムーズにはやれないけれど、ひとつのことには熱をこめてやれる人)
営業を兼ねて、全国の本屋巡りをされています。
北海道利尻島(りしりとう)にある書店が出てきました。飛行機に乗って訪問されています。もうけよりも経費のほうがかかりそうです。そもそももうけを追及はしていない。
『本屋図鑑』47都道府県76店舗の書店を巡った本をつくった。
31歳で交通事故死をした従兄(いとこ)のことが本づくりをする原動力です。悲しみをエネルギーに変えて働きます。
258ページ『お金がほしいわけではなかった…… ぼくは強く生きてみたかった』
営業活動をしていて、いつも相手が快く(こころよく)迎えてくれるわけではありません。
世の中は「お金」で回っています。
お金のことしか考えていない人間は、平気で相手に冷たい言葉を投げつけてきます。
260ページで、わたしが高校生の時に心酔していた詩人金子光晴氏の名前が出てきて驚かされました。(しんすい:夢中になって読みふけっていた)反骨の反戦詩人です。
『孤独な少年が…… コンビニと、本屋さんしかなかった。』
便利になっていくことで、失われていった文化があります。
『東大一直線』というマンガが出てきます。たしか、昭和50年代に読みました。1975年代です。
著者がつくりたい本は『何度も読み返してくれる本』です。
夏葉社の本のほとんどは、初版2500部だそうです。
日本の人口1億2300万人に比べればごくわずかです。
なにかしらの勇気が湧いてくる本でした。
4か月前ぐらいに手に入れた文庫本です。2014年(平成26年)6月発行の単行本の文庫化です。
どこかのブログに、いい本だと書いてありました。
わたしは、読みたい本を段ボール箱の中にたくさん入れてあって、たいていは買った順番に読んで感想を書いています。ようやくこの本まできました。
小説だと思っていたらエッセイでした。
ひとりで、出版社を営業されているそうです。(夏葉社(なつばしゃ))
『吉祥寺(きちじょうじ)』という地名が書いてあります。
わたしは、今年は2回吉祥寺を観光で訪れました。縁を感じます。(ページをめくっていたら、7月に自分も利用した駅にあるエスカレーターの写真が出てきました)
『とても生きにくい世の中だと思う…… 若いころにちゃんと働いてこなかった人間にとって…… 本当は就職をしたかったのだ……』(始まりにある魅力的な文章です。読む意欲が湧いてきます)
2009年(平成21年)8月、吉祥寺に事務所を借りて自分ひとりだけの会社を始めた。(出版社)
1975年(昭和50年)生まれ。31歳のときに、高知県室戸に住む1学年上のいとこ(従兄)ケンさんを交通事故で亡くされています。著者にとってかなりショッキングな出来事です。夏休みにはいるもケンさんと遊んでいたそうです。海外旅行へもいっしょに行かれています。
胸の中から感情をしぼりだすような文章です。
(つづく)
いとこが交通事故で死んで(2008年(平成20年)4月6日死去)、そのあと、友だちがぽっくり死んで(29歳で死去)、自分も死にたいという話が続きます。
大学を出て就職したけれど、職場や社会活動に適応できなくなって、メンタルをやられて死にたいのです。
著者は、結局自分は組織の中では働けないタイプだと悟り(さとり)ます。
ゆえに起業することを決心しました。
起業のしかたは知りません。手探りの行動が始まりました。
資金は自身の貯金と、仲は悪くはないけれど、これまで交流があまりなかった父親からの援助です。(父親は、著者がこどものころから単身赴任だったとか、父親は香港で自分の店をやっているとかの話が出ます)
四国室戸のことが書いてあります。
こどものころ、自転車にハンドルから手を離して乗るのが自慢だった。(わたしもこどものころ、自転車の手離し運転をしていました。その部分を読んで思い出しました。すっかり忘れていました)
ユアン・マクレガー:スコットランド出身の男優。スターウォーズのオビ=ワン・ケノービ役
古井由吉(ふるい・よしきち):小説家。2020年82歳没
就職活動で、50社から断られた。
39ページまで読んできて、この本は良書です。
今年読んで良かった一冊に加えておきます。
著者は読書が好きです。毎日薬を飲むように本を読みます。僕には本しかなかったとあります。
グリーフケア:1960年代(昭和35年代)にアメリカ合衆国で誕生した。大きな喪失を支えるための考察であり、学問である。
(自分が死なないために、自分ひとりの出版社をつくる)
人生は1回しかない。
先日読んだ『赤と青とエスキース 青山美智子 PHP』にもその言葉が書いてありました。
1回しかないからせいいっぱいがんばろうではなくて、1回しかないから慎重にやろうというメッセージでした。からだはひとつしかない。無理してからだを壊すようなことをしない。そう書いてありました。
つぶやくような文章が続きます。
会社の名前は『夏葉社(なつばしゃ)』
四国室戸の町の風景が由来だそうです。
マエカブ:(株)が前にくる。株式会社夏葉社
書き起こし:テープに録音した話し言葉を文章にする。
ヘンリー・スコット・ホランド:イギリスオックスフォード大学神学教授。1918年71歳没
高橋和枝:イラストレーター。1971年生まれ
ブルーノ・ムナーリ:イタリアの美術家、グラフィックデザイナー。1998年90歳没
著者はアルバイト経験が豊富です。ゆえに、ひとり出版社がうまくいかなかったら、またコンビニで店員をやるつもりです。
著者は大学で文芸部に所属していましたが、部員で文芸活動に専念している者はおらず、ゲームばかりしていたと嘆いています。
もともと大学に入るまで、本も読んでいなかった。
(なにかしら経歴のイメージが違います)
著者には二面性があります。
仕事について:なにをやりたいかは重要じゃない。だれとやるかが重要だというシーンが出てきます。
ひとり出版社を始めた著者の人間関係が、本人の努力もあって広がっていきます。
著者の名前『潤一郎』は、小説家の谷崎潤一郎氏が由来です。1965年(昭和40年)79歳没。
作品として「春琴抄(しゅんきんしょう)」「細雪(ささめゆき)」ほか
文学好きなご両親です。
他の名前の候補として吉行淳之介。小説家。1994年(平成6年)70歳没。「淳之介」は著者にとって画数がよくなかったそうです。
埴谷雄高(はにや・ゆたか):政治・思想評論家、小説家。1997年(平成9年)87歳没。
バーナード・マラマッド:作品「レンブラントの帽子」。アメリカ合衆国の小説家。ユダヤ人作家。1986年(昭和61年)71歳没
小島信夫:小説家。2006年(平成8年)91歳没
浜本武雄:アメリカ文学者、翻訳家。2003年(平成5年)78歳没
井上謙治:アメリカ文学者、翻訳家。1929年(昭和4年)生まれ。94歳
荒川洋治:現代詩作家、随筆家。1949年(昭和24年)生まれ。74歳
和田誠:イラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト。2019年(令和元年)83歳没
陶然(とうぜん):うっとりした気分でいるようす。
紫陽社(しようしゃ):詩集の出版社
アルティスパブリッシング:東京世田谷区の出版社
著者は、いちずな人です。(ひとつのことに打ち込む。ひたむき)
自分がつくりたい本をつくって売り歩きます。なかなか売れない本です。
信念の人である著者に、同志たちが現れます。
174ページまでの第一章の部分を読み終えました。
営利主義はありません。
はたから見ていると、事業が破綻しそうな仕事ぶりです。でも「ひとり出版社」はつぶれません。著者の行動に共感してくださるファンがけっこういるからです。
『レンブラントの帽子』過去に出版されたものを再版して販売します。短編8編を3編にします。営業で700冊の注文を受け、手元に約2000冊が残りました。2010年(平成22年)刊行
日本各地の本屋、古書店に販売営業活動のため足を運びます。
本の製作や販売にかかわる人たちのお名前や書店名がたくさん出てきます。著者が足でつかんだ人脈です。
『昔日の客(せきじつのきゃく)』の復刊。古書店の店主の随筆。お客さんとして有名な作家が訪れていた。初版2500部。あっという間に売り切れた。2010年(平成22年)のことです。
又吉直樹さんも出てきます。
東日本大震災が発災します。
製作中の詩集『さよならのあとで』は、亡くした人のことを思う詩でした。
165ページに仙台付近の記述があります。
著者はレンタカーで回っています。
やはり車は機動力があります。
鉄道やバスだと時間がかかります。
著者は思い込みが強い人です。
生きるのにはきつい部分があります。
同様な人は多い。
思い出のある物を捨てられない。
亡くした人とのことを時間がたっても忘れられない。
ガラスのハート(こわれやすい)です。
わたしもこどものときや、若い時はそうでしたが、今は違います。
人生のベテランになってしまいました。
中原中也の詩『汚れちまった悲しみに』を思い出しました。
(つづく)
175ページから、2章にあたる『よろこびとかなしみの日々』を読み始めました。
1章の部分とは著者の人格が変わったかのようです。前半とはがらりとかわって、行動的です。
1章では、どちらかといえば、ひきこもり、死にたい志願者、ただし、ひとつのことには集中するという人格でした。
こちらの2章では、著者の十代、二十代の体験が書いてありますが、別人のように行動的です。
ひとりの人間でも複数の人柄をもつということはあります。
著者の頭脳の中は『図鑑』のようになっています。
『能年玲奈(のうねんれな)』と書いてあり ? でしたが、やがて、『のん』さんのことかとわかりました。(いま、じぇじぇじぇ「あまちゃん」の再放送を毎日見ています)
人間関係とか沖縄で暮らしたときの恋愛話がおもしろい。
25歳のとき、アフリカ行きもされています。
いろんな体験をされた人です。
アイルランド、アフリカ、沖縄に行かれています。
ヨーロッパ→モロッコ→サハラ砂漠→モーリタニア→セネガル→マリ→ブルキナファソ→ガーナ
ダブリン:アイルランドの首都
不器用な人でもある。(ぶきよう。ものごとの処理がスムーズにはやれないけれど、ひとつのことには熱をこめてやれる人)
営業を兼ねて、全国の本屋巡りをされています。
北海道利尻島(りしりとう)にある書店が出てきました。飛行機に乗って訪問されています。もうけよりも経費のほうがかかりそうです。そもそももうけを追及はしていない。
『本屋図鑑』47都道府県76店舗の書店を巡った本をつくった。
31歳で交通事故死をした従兄(いとこ)のことが本づくりをする原動力です。悲しみをエネルギーに変えて働きます。
258ページ『お金がほしいわけではなかった…… ぼくは強く生きてみたかった』
営業活動をしていて、いつも相手が快く(こころよく)迎えてくれるわけではありません。
世の中は「お金」で回っています。
お金のことしか考えていない人間は、平気で相手に冷たい言葉を投げつけてきます。
260ページで、わたしが高校生の時に心酔していた詩人金子光晴氏の名前が出てきて驚かされました。(しんすい:夢中になって読みふけっていた)反骨の反戦詩人です。
『孤独な少年が…… コンビニと、本屋さんしかなかった。』
便利になっていくことで、失われていった文化があります。
『東大一直線』というマンガが出てきます。たしか、昭和50年代に読みました。1975年代です。
著者がつくりたい本は『何度も読み返してくれる本』です。
夏葉社の本のほとんどは、初版2500部だそうです。
日本の人口1億2300万人に比べればごくわずかです。
なにかしらの勇気が湧いてくる本でした。
2023年08月30日
赤と青とエスキース 青山美智子
赤と青とエスキース 青山美智子 PHP
同作者の『月の立つ林で』がなかなか良かったので、こんどはこちらを読んでみます。
こちらの本もなかなかの秀作だという評判をききました。
とはいえ、タイトルの意味がとれません。
数ページを読んで『エスキース』が、絵画を書く時の「下絵(構図をとるデッサン)」だと知りました。本番前の下書きのための下絵のような位置づけです。頭の中で、構想と現実が交錯して、徐々に下絵ができあがっていくイメージです。
舞台はオーストラリアメルボルンから始まっています。
自分はもうずいぶん前ですが、シドニーとか、ゴールドコースト、ケアンズあたりには行ったことがあります。そのときの風景を思い出しながら読書にふけってみます。
「プロローグ」があって「エピローグ」がある。
第一章から第四章まである。
全体で239ページの作品です。
『一章 金魚とカワセミ』
金魚は魚で、カワセミは野鳥です。
擬人法でもあるのだろうか。主人公が金魚で、カップルの相手が野鳥とか。(この章を読み終えて、そのような構図でした)
哲学的な言葉から始まります。
『始まれば終わる』
要旨は、人を好きになることらしい。恋愛が始まって終わっていく。
続けることがむずかしい。
レイ:絵画のモデルを頼まれる。21歳。来週日本に帰国する。日本の大学の交換留学生。免税店でアルバイトをしている。
ブー:男性。21歳。デザインスクールの学生。レイに自分の友人画家が描く絵のモデルになってくれるよう頼む。ブーは日本人だが、日本にいたのは生まれて一年間だけ。あとは、オーストラリア育ち。両親は、画商。両親は、絵が好きというわけではなく、絵を商品と考えている。彼のつぶやき『俺、誰なんだろう』(なんというか、日本で生まれて韓国に行ったことがない韓国人の人みたいな感じで、日本人なんだけれど、日本のことを知らないという類似があって、ちょっとびっくりしました)
ジャック・ジャクソン:20歳。画家の卵。身長は、160cmはなさそうなぐらい。くしゅくしゅとうねったヘアースタイル。目は小さくてあどけない。自分が住むアパートの部屋がアトリエ(絵画制作場所)となっている。
ユリ:日本人女性で、ワーキングホリデーでメルボルンに来ている。(二国間協定に基づく、滞在資金にするための就労許可による学習環境)。30歳
(つづく)
第一章を読み終えました。
『赤』は、大学交換留学生日本人レイが着る赤いコットンブラウスのこと。(つまりタイトルの金魚)
『青』は、青い鳥(カワセミ)」のブローチのこと。(これがタイトルの『カワセミ』)これが、玉手箱です。
夢を抱いてメルボルンに来たけれど、現実は自分が思い描いていたものとは違っていたという内容が続きます。
わたしが、オーストラリアに行った時に見た日本人女性アルバイトさんたちの表情を思い出しました。空虚なのです。喜怒哀楽の感情がある表情をなくして、その場にいて、静かに働いているというようすでした。
オーストラリアで育った国籍だけは日本人である男性との恋愛がある。
その場限りの恋です。
帰国後も関係を続ける意思はお互いにありません。
乙姫さまが、竜宮城にきている状態と表現されています。
そこに、知り合いがいないと『不便』だからという理由だけでつきあう関係です。
主人公のレイは、暗い雰囲気の女性です。海外留学をするようなタイプには見えません。
ビクトリア国立美術館
折り紙。金魚を折る。ばあちゃんのこと。
読んでいると、心にしみじみした感情がわいてくる文章です。
『始まれば終わる。』
自分は中学生の時に美術部員だったことがあるので、書かれている内容は身近に感じられます。
セブンス・ヘブン:すっげーえ幸せ! 最上階の天国という表現だそうです。
『二章 東京タワーとアーツ・センター』
なんだか、リリー・フランキー作品「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」みたいなタイトルです。
『ひとめ見た瞬間に恋に落ちるような……』から始まります。
(うーむ。夢の中の世界です。恋と結婚生活はべつものです。ことに、こどもができると「恋」なんていってはいられません)
アルブル工房:絵画の額縁(がくぶち)を製作するところです。創立13年です。
村崎:アルブル工房の経営者。42歳。アルブルは、フラン語で『木』
語り手の「僕」(空知(そらち)という苗字):美大卒。アルブル工房経営者村崎の弟子。額職人。30歳。経験8年。大学3年の春休み21歳のときにメルボルンで、第一章のジャック・ジャクソンとの出会いあり。
次郎:僕(空知)の美術大学からの友人。文具メーカーで営業職をしている。
円城寺画廊:アルブル工房と2年間の付き合いがある画廊。経営者は円城寺。男性。30歳ぐらい。
立花:円城寺画廊の女性スタッフ。30歳ぐらい。ショートボブの髪型でかわいい。経営者の円城寺とカップルに見える。
モールディング:継ぎ目の装飾。棒状の額竿(がくざお)
完璧な結婚:絵と額縁が完全にマッチした状態
アーツ・センター:メルボルンの芸術指定地域にある。タワーが、東京タワーのような街のシンボルになっている。
伏線として『ペインティングナイフ』
赤と青の二色の絵の具だけで描かれている絵が『エスキース』です。
二十歳ぐらいの女性の絵です。赤いブラウス。青い鳥のブローチ(カワセミという鳥)。
桜の木を使って、額を製作する。
本金箔(ほんきんぱく)をやめて、真鍮箔(しんちゅうはく。銅と亜鉛の合金で金色)にする。
『三章 トマトジュースとバタフライピー』
トマトジュースはわかります。バタフライピーはわかりません。
読んでいたら、バタフライピーは、お茶だということがわかりました。蝶豆(ちょうまめ)。ハーブティー。ブルーの色をしているお茶
売れっ子漫画家のお話です。売れている漫画家は26歳と若い。彼の師匠の漫画家がいます。48歳の師匠の悲哀が書いてあります。
たかしま剣(つるぎ):41歳。漫画家。作品として、「仲見世オン・ザ・ロック」市井(しせい。人家が集まっているところ)の人々の暮らしを描く。
砂川凌(すながわ・りょう):26歳。たかしま剣のアシスタントをしていた。
『人』を観る(みる)のではなく『作品』を観るという趣旨の内容です。
作者と作品は別物なのです。
作者の手から作品が離れたとき、作品はひとり歩きを始めます。受け手と作品の世界が広がります。作者はその世界に口出しすることはできません。
わたしが体験した現実的な話です。
演歌でいい歌がありました。
ある日テレビでその演歌を歌っていた歌手が言ったのです。
『歌のメロディーは、下ネタの歌です』と。下ネタの歌のメロディーに歌詞をのせたと。
がっかりしました。
また別の歌手が言いました。
男女のせつない別れを歌ったいい歌でした。
『企業の吸収合併の悲しみを男女の別れにたとえました』と。
かなり、がっかりしました。
そして、またあるときアイドルだった歌手が言いました。
若いころは、明るく健全な歌を歌っていた人でした。
『当時、異性とは、バンバンに付き合っていました』
相当、失望しました。
この世は、誤解と錯覚で成り立っている。
じょうずに善人をだました人間が金もうけをする。
話は物語に戻ります。
DAP:男性向け情報誌。編集部の乃木(のぎ)
ウルトラ・マンガ大賞(本屋大賞みたいな感じの賞として書いてあります)
このマンガがくる!:最優秀賞がある。
ブラック・マンホール:砂川凌が描いたマンガ。通称ブラマン。下水道管に住んでいるモンスターの話(そういえば、先日読んだ『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』に、著者が小学生時代に、下水道管内を自由自在に移動する友だちがいたと書いてありました。
カドル:喫茶店名。店主が、画商は野蛮(やばん)だと言う。店内に、ジャック・ジャクソンの絵『エスキース』が掲示してあります。絵が、移動という旅をしています。ジャック・ジャクソンはこのころ40歳ぐらいです。
エッジが効いている(きいている):とんがっている。個性が飛びぬけている。際立っている。(きわだっている)
青は藍(あい)より出でて(いでて)藍より青し:弟子が師匠より優っていること(まさっていること。優秀であること)
ルーカス:漫画雑誌
ネットの無責任な個人による評価について、創作者側の苦言が書いてあります。まあ、作品購入ということでお金が動いていますからしかたがありません。
これしかできないから漫画家をしているというメッセージがあります。
以前テレビのドキュメンタリー番組で、アニメ制作者の方の仕事を長期間追ったのですが、アニメ画像の製作は、かなり、ち密で、年月がかかる作業なのです。だれにでもできる作業ではありません。
制作者の方は『自分はこれしかできないから(この作業をする仕事しかできない)』とおっしゃいました。
たしかに、サラリーマンとして、営業とか、事務とか接客ができるタイプではありません。アーチストという職人です。これしかできないから、これを仕事にしているという人は多い。
メッセージとして『正しいことを見極める目をもつ』
『四章 赤鬼と青鬼』
茜(あかね):女性。51歳。独身。50歳で転職した先である輸入雑貨店「リリアル」にて勤務している。オーナと茜のふたりで切り盛りしている。以前、フリーデザイナーの蒼(そう。男性)と同居していた。1年前に同居を解消して、茜が元カレ蒼(そう)の家を出た。
茜が、イギリスへ仕入れに行く話あり。
茜は、パニック障害にかかっている。発作がある。
雑貨店のオーナ女性:還暦(60歳)。ショートのグレイヘア。15歳年下の恋人あり。ボーイフレンドが多い。
蒼(そう):茜の元カレ
白猫:蒼の飼い猫。名前はない。足を怪我していた保護猫。耳のうしろに筋のような傷がある。推定9歳(人間にたとえると52歳ぐらい)
20歳ぐらいのきれいな子(女性):パニック障害の症状が出た茜を救った。ストレートのロングヘア。
茜がイギリスに行くにあたり、パスポートを元カレである蒼(そう)のマンションに置き忘れていたことに気づいたのです。
パスポートを元カレの家に取りに行って、元カレが京都に出張に行って、茜はネコのめんどうをみるために元カレの部屋でしばらく暮らすのです。
『脳の誤作動』
1月31日から2月3日まで、3泊4日の留守番
猫じゃらし:細いスティックに垂らされた(たらされた)糸の先に、青い羽が三枚ついている。
なぜ、ふたりで同居暮らしをしていたのか。(単にひとりになるのがイヤなだけなんだという理由だそうです)
『仲見世オン・ザ・ロック』作・タカシマ・剣(つるぎ)
『エスキース』
この章を読み終えて、そうか、そういうことかと腹に落ちました。
仕事を家に持ち帰ると、心が壊れる。
バイヤー:仕入れ担当者
『人生は一度しかないから「思い切りやれ」は適切な答えではない。一度しかないから思い切りはやれない。体はひとつしかない』という解釈が良かった。
上がった(あがった):女性の機能がなくなった。もう来ない生理
心が落ち着く作品です。
2月3日節分。鬼の日
『エピローグ』
そうか。
ちょっとここには書けません。
ブーは……
レイは……
仕掛けは、感嘆(かんたん。感心、ほめる)に値します。(なかなか解けない)
こういう物語のつくりかたができるのか。
恋愛話、最初はお互いの容姿だけ、見た目だけの恋かと思いました。
天啓(てんけい):神が人間に真理を示すこと。
スクラッチ:この夏に読んだ児童文学を思い出しました。『スクラッチ SCRATCH 歌代朔(うたしろ・さく) あかね書房』
秀抜(しゅうばつ):ほかより、際立って優れている。(きわだってすぐれている)
エスキースでなければならない。(下絵の下書き)
アーチストにとって大事なのは、その人にしかない魅力をもっていること。
押すばかりの文章ではなく、控えて、控えて、最後に押し上げる形態の文章の創造です。
物語には、「スカイツリー」よりも「東京タワー」のほうが似合う。
金を稼ぐ(かせぐ)ためには、「不合理」「不条理」「理不尽」な世界に耐えていかねばなりません。
読むことで成長できる本でした。
今年読んで良かった一冊です。
漫画家の意見が再登場します。
作者ではなく、作品を重視する。
同作者の『月の立つ林で』がなかなか良かったので、こんどはこちらを読んでみます。
こちらの本もなかなかの秀作だという評判をききました。
とはいえ、タイトルの意味がとれません。
数ページを読んで『エスキース』が、絵画を書く時の「下絵(構図をとるデッサン)」だと知りました。本番前の下書きのための下絵のような位置づけです。頭の中で、構想と現実が交錯して、徐々に下絵ができあがっていくイメージです。
舞台はオーストラリアメルボルンから始まっています。
自分はもうずいぶん前ですが、シドニーとか、ゴールドコースト、ケアンズあたりには行ったことがあります。そのときの風景を思い出しながら読書にふけってみます。
「プロローグ」があって「エピローグ」がある。
第一章から第四章まである。
全体で239ページの作品です。
『一章 金魚とカワセミ』
金魚は魚で、カワセミは野鳥です。
擬人法でもあるのだろうか。主人公が金魚で、カップルの相手が野鳥とか。(この章を読み終えて、そのような構図でした)
哲学的な言葉から始まります。
『始まれば終わる』
要旨は、人を好きになることらしい。恋愛が始まって終わっていく。
続けることがむずかしい。
レイ:絵画のモデルを頼まれる。21歳。来週日本に帰国する。日本の大学の交換留学生。免税店でアルバイトをしている。
ブー:男性。21歳。デザインスクールの学生。レイに自分の友人画家が描く絵のモデルになってくれるよう頼む。ブーは日本人だが、日本にいたのは生まれて一年間だけ。あとは、オーストラリア育ち。両親は、画商。両親は、絵が好きというわけではなく、絵を商品と考えている。彼のつぶやき『俺、誰なんだろう』(なんというか、日本で生まれて韓国に行ったことがない韓国人の人みたいな感じで、日本人なんだけれど、日本のことを知らないという類似があって、ちょっとびっくりしました)
ジャック・ジャクソン:20歳。画家の卵。身長は、160cmはなさそうなぐらい。くしゅくしゅとうねったヘアースタイル。目は小さくてあどけない。自分が住むアパートの部屋がアトリエ(絵画制作場所)となっている。
ユリ:日本人女性で、ワーキングホリデーでメルボルンに来ている。(二国間協定に基づく、滞在資金にするための就労許可による学習環境)。30歳
(つづく)
第一章を読み終えました。
『赤』は、大学交換留学生日本人レイが着る赤いコットンブラウスのこと。(つまりタイトルの金魚)
『青』は、青い鳥(カワセミ)」のブローチのこと。(これがタイトルの『カワセミ』)これが、玉手箱です。
夢を抱いてメルボルンに来たけれど、現実は自分が思い描いていたものとは違っていたという内容が続きます。
わたしが、オーストラリアに行った時に見た日本人女性アルバイトさんたちの表情を思い出しました。空虚なのです。喜怒哀楽の感情がある表情をなくして、その場にいて、静かに働いているというようすでした。
オーストラリアで育った国籍だけは日本人である男性との恋愛がある。
その場限りの恋です。
帰国後も関係を続ける意思はお互いにありません。
乙姫さまが、竜宮城にきている状態と表現されています。
そこに、知り合いがいないと『不便』だからという理由だけでつきあう関係です。
主人公のレイは、暗い雰囲気の女性です。海外留学をするようなタイプには見えません。
ビクトリア国立美術館
折り紙。金魚を折る。ばあちゃんのこと。
読んでいると、心にしみじみした感情がわいてくる文章です。
『始まれば終わる。』
自分は中学生の時に美術部員だったことがあるので、書かれている内容は身近に感じられます。
セブンス・ヘブン:すっげーえ幸せ! 最上階の天国という表現だそうです。
『二章 東京タワーとアーツ・センター』
なんだか、リリー・フランキー作品「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」みたいなタイトルです。
『ひとめ見た瞬間に恋に落ちるような……』から始まります。
(うーむ。夢の中の世界です。恋と結婚生活はべつものです。ことに、こどもができると「恋」なんていってはいられません)
アルブル工房:絵画の額縁(がくぶち)を製作するところです。創立13年です。
村崎:アルブル工房の経営者。42歳。アルブルは、フラン語で『木』
語り手の「僕」(空知(そらち)という苗字):美大卒。アルブル工房経営者村崎の弟子。額職人。30歳。経験8年。大学3年の春休み21歳のときにメルボルンで、第一章のジャック・ジャクソンとの出会いあり。
次郎:僕(空知)の美術大学からの友人。文具メーカーで営業職をしている。
円城寺画廊:アルブル工房と2年間の付き合いがある画廊。経営者は円城寺。男性。30歳ぐらい。
立花:円城寺画廊の女性スタッフ。30歳ぐらい。ショートボブの髪型でかわいい。経営者の円城寺とカップルに見える。
モールディング:継ぎ目の装飾。棒状の額竿(がくざお)
完璧な結婚:絵と額縁が完全にマッチした状態
アーツ・センター:メルボルンの芸術指定地域にある。タワーが、東京タワーのような街のシンボルになっている。
伏線として『ペインティングナイフ』
赤と青の二色の絵の具だけで描かれている絵が『エスキース』です。
二十歳ぐらいの女性の絵です。赤いブラウス。青い鳥のブローチ(カワセミという鳥)。
桜の木を使って、額を製作する。
本金箔(ほんきんぱく)をやめて、真鍮箔(しんちゅうはく。銅と亜鉛の合金で金色)にする。
『三章 トマトジュースとバタフライピー』
トマトジュースはわかります。バタフライピーはわかりません。
読んでいたら、バタフライピーは、お茶だということがわかりました。蝶豆(ちょうまめ)。ハーブティー。ブルーの色をしているお茶
売れっ子漫画家のお話です。売れている漫画家は26歳と若い。彼の師匠の漫画家がいます。48歳の師匠の悲哀が書いてあります。
たかしま剣(つるぎ):41歳。漫画家。作品として、「仲見世オン・ザ・ロック」市井(しせい。人家が集まっているところ)の人々の暮らしを描く。
砂川凌(すながわ・りょう):26歳。たかしま剣のアシスタントをしていた。
『人』を観る(みる)のではなく『作品』を観るという趣旨の内容です。
作者と作品は別物なのです。
作者の手から作品が離れたとき、作品はひとり歩きを始めます。受け手と作品の世界が広がります。作者はその世界に口出しすることはできません。
わたしが体験した現実的な話です。
演歌でいい歌がありました。
ある日テレビでその演歌を歌っていた歌手が言ったのです。
『歌のメロディーは、下ネタの歌です』と。下ネタの歌のメロディーに歌詞をのせたと。
がっかりしました。
また別の歌手が言いました。
男女のせつない別れを歌ったいい歌でした。
『企業の吸収合併の悲しみを男女の別れにたとえました』と。
かなり、がっかりしました。
そして、またあるときアイドルだった歌手が言いました。
若いころは、明るく健全な歌を歌っていた人でした。
『当時、異性とは、バンバンに付き合っていました』
相当、失望しました。
この世は、誤解と錯覚で成り立っている。
じょうずに善人をだました人間が金もうけをする。
話は物語に戻ります。
DAP:男性向け情報誌。編集部の乃木(のぎ)
ウルトラ・マンガ大賞(本屋大賞みたいな感じの賞として書いてあります)
このマンガがくる!:最優秀賞がある。
ブラック・マンホール:砂川凌が描いたマンガ。通称ブラマン。下水道管に住んでいるモンスターの話(そういえば、先日読んだ『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』に、著者が小学生時代に、下水道管内を自由自在に移動する友だちがいたと書いてありました。
カドル:喫茶店名。店主が、画商は野蛮(やばん)だと言う。店内に、ジャック・ジャクソンの絵『エスキース』が掲示してあります。絵が、移動という旅をしています。ジャック・ジャクソンはこのころ40歳ぐらいです。
エッジが効いている(きいている):とんがっている。個性が飛びぬけている。際立っている。(きわだっている)
青は藍(あい)より出でて(いでて)藍より青し:弟子が師匠より優っていること(まさっていること。優秀であること)
ルーカス:漫画雑誌
ネットの無責任な個人による評価について、創作者側の苦言が書いてあります。まあ、作品購入ということでお金が動いていますからしかたがありません。
これしかできないから漫画家をしているというメッセージがあります。
以前テレビのドキュメンタリー番組で、アニメ制作者の方の仕事を長期間追ったのですが、アニメ画像の製作は、かなり、ち密で、年月がかかる作業なのです。だれにでもできる作業ではありません。
制作者の方は『自分はこれしかできないから(この作業をする仕事しかできない)』とおっしゃいました。
たしかに、サラリーマンとして、営業とか、事務とか接客ができるタイプではありません。アーチストという職人です。これしかできないから、これを仕事にしているという人は多い。
メッセージとして『正しいことを見極める目をもつ』
『四章 赤鬼と青鬼』
茜(あかね):女性。51歳。独身。50歳で転職した先である輸入雑貨店「リリアル」にて勤務している。オーナと茜のふたりで切り盛りしている。以前、フリーデザイナーの蒼(そう。男性)と同居していた。1年前に同居を解消して、茜が元カレ蒼(そう)の家を出た。
茜が、イギリスへ仕入れに行く話あり。
茜は、パニック障害にかかっている。発作がある。
雑貨店のオーナ女性:還暦(60歳)。ショートのグレイヘア。15歳年下の恋人あり。ボーイフレンドが多い。
蒼(そう):茜の元カレ
白猫:蒼の飼い猫。名前はない。足を怪我していた保護猫。耳のうしろに筋のような傷がある。推定9歳(人間にたとえると52歳ぐらい)
20歳ぐらいのきれいな子(女性):パニック障害の症状が出た茜を救った。ストレートのロングヘア。
茜がイギリスに行くにあたり、パスポートを元カレである蒼(そう)のマンションに置き忘れていたことに気づいたのです。
パスポートを元カレの家に取りに行って、元カレが京都に出張に行って、茜はネコのめんどうをみるために元カレの部屋でしばらく暮らすのです。
『脳の誤作動』
1月31日から2月3日まで、3泊4日の留守番
猫じゃらし:細いスティックに垂らされた(たらされた)糸の先に、青い羽が三枚ついている。
なぜ、ふたりで同居暮らしをしていたのか。(単にひとりになるのがイヤなだけなんだという理由だそうです)
『仲見世オン・ザ・ロック』作・タカシマ・剣(つるぎ)
『エスキース』
この章を読み終えて、そうか、そういうことかと腹に落ちました。
仕事を家に持ち帰ると、心が壊れる。
バイヤー:仕入れ担当者
『人生は一度しかないから「思い切りやれ」は適切な答えではない。一度しかないから思い切りはやれない。体はひとつしかない』という解釈が良かった。
上がった(あがった):女性の機能がなくなった。もう来ない生理
心が落ち着く作品です。
2月3日節分。鬼の日
『エピローグ』
そうか。
ちょっとここには書けません。
ブーは……
レイは……
仕掛けは、感嘆(かんたん。感心、ほめる)に値します。(なかなか解けない)
こういう物語のつくりかたができるのか。
恋愛話、最初はお互いの容姿だけ、見た目だけの恋かと思いました。
天啓(てんけい):神が人間に真理を示すこと。
スクラッチ:この夏に読んだ児童文学を思い出しました。『スクラッチ SCRATCH 歌代朔(うたしろ・さく) あかね書房』
秀抜(しゅうばつ):ほかより、際立って優れている。(きわだってすぐれている)
エスキースでなければならない。(下絵の下書き)
アーチストにとって大事なのは、その人にしかない魅力をもっていること。
押すばかりの文章ではなく、控えて、控えて、最後に押し上げる形態の文章の創造です。
物語には、「スカイツリー」よりも「東京タワー」のほうが似合う。
金を稼ぐ(かせぐ)ためには、「不合理」「不条理」「理不尽」な世界に耐えていかねばなりません。
読むことで成長できる本でした。
今年読んで良かった一冊です。
漫画家の意見が再登場します。
作者ではなく、作品を重視する。
2023年08月25日
光のとこにいてね 一穂ミチ
光のとこにいてね 一穂ミチ(いちほ・みち) 文藝春秋
調べたら、同作者で、以前読んだ本が『スーモールワールズ』でした。
文才という才能のある作家さんです。
そのときの感想メモの一部です。
『作品は、「いいとか悪いとかでは決められないこともある」と主張します。そこにはなにがしかの「愛情」があります。親の立場で、こどもに優しくも親切にもしたことがないのに、こどもは親である自分に何かをしてくれるだろうと甘えてくる親がいます。こどもの心には憎しみが生まれます。それでもこどもも親も生きていくのが人間です。 』
いつものように、読みながら感想をつぎたしていきます。
小瀧結珠(こたき・ゆず):7歳。小学二年生(毎日のように習い事。ピアノ、スイミング、書道、英会話)。父は医師(自宅にいる時間は短い)。母は専業主婦に思えます。(ボランティアと称して、売春か不倫をしているのではないか)、兄健人(けんと)は高校三年で大学受験生(ひきこもりではないか)(読み終えてひきこもりではありませんでした)。異様な家族です。先日起きた北海道での首だけ殺人事件を思い出しました。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は母親が怖い(こわい)。小瀧結珠(こたき・ゆず)の学力は高い。
校倉果遠(あぜくら・かのん):1棟から10棟まである大規模団地に住んでいる。5棟と6棟の間に小さな公園がある。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、6号棟の5階に住んでいる小学二年生。(506号室)母子家庭。母親がおかしい。娘への食事の規制が厳しい。アレルギーだからとあるが、なにかしらおかしい。食べてはだめなものとして、添加物があるもの、肉、魚。食べるのは、雑穀米(ざっこくまい)、おからのクッキーや豆。母親は、スーパーにある「しぜんはしょくひん」を売っている。
たまたまこの本を読む前に読んだ本が『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』で、そのマンガに出てくる信仰をする母親に言動が似ています。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)に髪の毛の三つ編みを教えてあげる。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、時計が読めなかったのを、小瀧結珠(こたき・ゆず)に教えてもらって読めるようになる。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、小瀧結珠(こたき・ゆず)から、ほかにもいろいろ勉強を教えてもらって、学力・能力に関する成長がある。
団地5号棟の男(504号室に住む):小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の売春相手、もしくは、不倫相手ではなかろうか。荒っぽい態度の男です。アル中っぽい。毎週水曜日に小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親が小瀧結珠(こたき・ゆず)を連れて部屋を訪れる。小瀧結珠(こたき・ゆず)は、団地の建物の外で、なにかしらのことが終わるまで待っている。
504号室の男が住む団地の別棟に住む校倉果遠(あぜくら・かのん)の隣室のお姉さん:夜働いているお姉さん。水商売でしょう。ひとり暮らし。荒れた生活を送っているようすです。時々男が来る。男とけんかする。ペットとして鳥かごにインコを一羽飼っている。ピーチャンと名付けている。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の話し相手はピーチャンしかいないらしい。校倉果遠(あぜくら・かのん)には友だちがいないようです。校倉果遠(あぜくら・かのん)はピーチャンに『きみどり』という別名を付けます。【ここに、この章のタイトル『羽のところ』の意味があります。きみどりの羽が校倉果遠(あぜくら・かのん)の宝物なのです】校倉果遠(あぜくら・かのん)は、空に幻視を見ます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の心理描写がうまい。
お姉さんの家には、もう死んでしまったけれど、校倉果遠(あぜくら・かのん)が自分のためだけに名付けた「ちゃいろ」という名前のハムスターが以前飼われていた。
さゆみ:2号棟に住んでいる校倉果遠(あぜくら・かのん)の同級生
タイトルにある『光』は、人の名前だろうか。だから『光のとこにいてね』なのだろうか(36ページまで読んで、どうも違うようです)
第一章、第二章、第三章と別れています。短編3本で、関連をつくってあるのだろうか。
読み始めてしばらくで判明しますが、物語の進行は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)が、交代ばんこに語る形式で進んでいきます。小学二年生女児の思考です。
本の中に、不幸せな児童がふたりいます。
最初から不穏(ふおん。おだやかではない異様な。なにかが起きそう。不安定)な空気が流れています。
すごい出だしです。校倉果遠(あぜくら・かのん)が5階のベランダから地面に転落したのかと思いました。
重苦しく、悲しみのこもった物語が始まりそうです。いまは28ページ付近にいます。全体で462ページあります。本の中の旅です。
親になってはいけない人がいて、それでも生まれてきたこどもは、生きていかなければならないつらさがあります。
書き方がうまい。
両手を伸ばして、空をつかむような描写が良かった。
母子家庭のこどもは、父親がいる家庭の雰囲気に興味があります。
ひきこもりとか、ごみ屋敷の話になるのだろうか。
(つづく)
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はいわゆる『毒親』に見えます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親も小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親のレベル(水準)まではいかなくても同様です。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は衣類の「かせん(化繊。化学繊維)を嫌う。
すごいなあ。なかなかこうは書けません。
『ボランティアとは、偽善者の暇つぶし(ぎぜんしゃ:うわべだけの善人。なかみは自己PR。いいことをしている自分が好き)』
こどもからの質問「何でうちにはお父さんがいないの?」に対して、「ろくでなしだから」
凄み(すごみ)があります。すごみ:ぞっとするような恐ろしさ(おそろしさ)
書かれている文章は、小学二年生女児の意見ではなく、おとなの意見であると思う。
1999年ノストラダムスの大予言の話題が出ます。地球滅亡の予言でした。地球は2023年の今も存在しています。(だまされないようにしましょう)
昔の話です。ということは、この物語は、これから、未来に向けて展開していくのでしょう。
カノン:美しいクラッシク曲です。パッフェルベルのカノンです。校倉果遠(あぜくら・かのん)の名前と重なります。
できもしなことを、社交辞令(その場限りの相手にとって心地よい言葉)として、小瀧結珠(こたき・ゆず)は校倉果遠(あぜくら・かのん)に声をかけます。
相手を見くだしたようなことをしたと、小瀧結珠(こたき・ゆず)は罪悪感をいだきます。微妙な心理描写がうまい。
詩的な表現が続きます。
文章がキラキラ輝いています。
大きな不幸が起きることを予想してしまう62ページ付近です。
64ページに本のタイトルが出てきます。『光のとこにいてね』
雲間から地上に降りてくる光の柱で照らされる部分が『光のとこ』です。わたしが思うに、その陽だまりで、人の心のいろいろなものが渦巻のように回っているのです。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、成長したら、母親を捨てるのだろう。
69ページ。第一章を読み終えました。
そうか…… (言葉が出てきません)
「第二章 雨のところ」
7歳だったふたりの女児(小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん))は私立高校一年生15歳として再会します。
S女(女子高)という学校です。初等部(小学校)、中等部(中学校)、高等部(高校)があって、キリスト教系で、男子校もあります。高等部は、1学年120人4クラス
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、7歳の時に一時的に出会った小瀧結珠(こたき・ゆず)に会いたくてがんばりました。(フツーありえない設定ですが、よしとしましょう)
S女(えすじょ)の制服は、男よけのために、わざとださいデザインになっている。
そういう世界です。お金持ちの子女が通うのです。
近藤亜沙子(こんどう・あさこ):小瀧結珠(こたき・ゆず)の初等部からの女友だち
藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)が母親から押し付けられた家庭教師。医学部生。父親が大学病院の偉い医師。両親は、医師の世界のなかの政略結婚的な企てを(くわだて)をもっているように見えますが、小瀧結珠(こたき・ゆず)は、藤野素生(ふじの・そう)を嫌っています。
小瀧健人(こたき・けんと):27歳ぐらい。藤野素生(ふじの・そう)の異母兄。研修医。母親は彼が9歳のときに病死している。
せつない再会です。
ミュール:かかとの高いサンダル
校倉果遠(あぜくら・かのん)の生活に変化があります。(自立しています)
比較があります。
小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)の比較です。
貧富の比較
依存と自活の比較です。医師の娘である小瀧結珠(こたき・ゆず)はこれまでに1円も自分で稼いだことがない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、働いて、奨学金をもらいながらの勉学です。
校倉果遠(あぜくら・かのん)に、日常生活に関する良きアドバイザーが付きました。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、健康食品にこだわる実母を捨てました。
106ページまで読んできて、内容を単調に感じるようになりました。
ふたりの女性の考えていることが、交代しながら語られていきますが、内容が単調です。
伏線として『シロツメクサ』と『卵型の防犯ブザー』そして『ピアノ』くわえて『ココア』
『美人を使いこなして生きていく』
ホワイト:麻薬や覚せい剤をやっていないという意味だろうか。(医師の世界において)
患者は商品なのか。
アクアパッツァ:魚介類を煮込んだナポリ料理
小瀧結珠(こたき・ゆず)の両親は、ふたりとも、親とはいえない個性の持ち主です。
おぞましい上流階級の世界があります。
『女』は、道具でしかない。
いもしない『神』を肯定する人たち
孤独さんは、たいてい図書館にいる。
さよならの季節に:合唱祭の自由曲
まだ15歳です。
人生は成人してからがスタートです。二十代から人生の本番が始まります。
人生は気が遠くなるほど長い。
(つづく)
海の写真:寂しい(さびしい)感じの海。図書室にある。ギュスターヴ・ル・グレイの作品。空と海の合成写真。空と海は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)を表現している。
小瀧結珠(こたき・ゆず)には『知識』はあるが『(人生)体験』はない。親の支配下にあって、自立はしていない。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、逆で、『知識』はないが豊富な『(人生)体験』がある。親を拒否して、自立している。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は、母親としてはうまくできていないけれど、彼女は彼女なりに悩んでいる。自分が無力であるという自覚はある。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)との関りから『教育することの喜び』を知った。小学校の先生になりたい。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の父も母も異母兄も、AIロボット(人工知能)みたいな人格です。
三浦綾子作品『塩狩峠』:読んだことはあります。北海道が舞台でした。鉄道の話です。犠牲者が出ます。宗教がからんでいます。
ピアノを捨てる:しばらく前に読んだ『ラブカは静かに弓を持つ 安檀美緒(あだん・みお) 集英社』を思い出しました。同作品では、たしか、親族がチェロを捨てたというか、庭で焼きました。
ピアノと楽曲『カノン』は伏線です。(ふくせん:あとで感動を生むためのしかけ)
雨のところ:雨が降っている。校庭。通り雨だから、こっちはふっていないけれど、あっちは雨が降っている。
女子高にはあるのかもしれない。同性に愛を感じるのです。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親は、戸籍上の父であるだけで、血縁関係上の実父は違う人ではないかという妄想があります。
166ページあたりから、なにかしら、深かったものが浅くなっていく。
180ページ、ここで、深さが復活する。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、嫌いな母を、嫌いだけれど、見捨てることはできない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、強くて優しい性格の持ち主だから、母を捨てられない。
弱い人間は身内を捨てる。強い人間は身内を捨てない。
そして雨が降る。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の校章がなくなる。
光のところ(街灯(がいとう)の下)
厳しくも美しい世界があります。
「第三章 光のところ」
時はさらに流れています。高校のときから10年ぐらいが経過しています。ふたりの年齢は29歳です。
ふたりともおとなになって、結婚して、こどもがいたりもします。
二度目の再会です。
場所は、最初はあいまいな記述でした。
読書中にたまたま台風7号が日本を来襲して、ニュースで『本州最南端の地 和歌山県串本町では……』と報道されて、この本の中の舞台と同じところであることが判明しました。
たしか、串本というところにお笑いタレントであるジミー大西さんの祖父母宅があって、大阪という都会の生活になじめなかったジミー大西さんが、祖父母宅に預けられてのびのびとした生活を送ることができたと、番組『東野&岡村の旅猿』でご本人がコメントされていたところです。
ジミー大西さんにとって和歌山は、自分にとって落ち着く場所だそうです。人生いろいろあります。
コンクリートジャングルの都会は、とがった矢印のようになって競争する社会です。
いっぽういなかは、予定調和で、まあるく協調する社会です。どちらも一長一短はあります。
ブラインドのスラット:羽の部分
縦型のバーチカルブラインド:縦型のブラインド
海坂瀬々(うなさか・ぜぜ):(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の娘。不登校中の小学2年生。宗田(そうだ)のフリースクールに通っている。
海坂水人(うなさか・みなと)(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の夫。寡黙(かもく。しゃべらない。無口)
岡林:ダイビングショップの経営者。ダイビングインストラクター。住宅兼店舗住まい。
藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)の夫。酒は飲まない。
直(なお):石や岩に興味がある。中学二年生
宗田:フリースクールの職員。元教員。フリースクールは、不登校児の受け入れ施設
渉りそう:わたりそう。(198ページに書いてあるこの部分は意味がわかりませんでした)
ブーケ:スナックの店名。フランス語で『花束』
208ページまで読んできて、壮大な構想のもとにつくられた物語であることがわかります。
作者の二面性(貧困と富裕体験)が作品に反映されている作品だと感じながら読んでいます。
夜バス(やばす):深夜運行のバス
驚いたのは、小瀧結珠(こたき・ゆず)が、ガラスのハートの人に変化していることです。(心が傷つきやすい)
別の個性にみえます。
不思議な雰囲気がただよう文章であり、文脈です。(ぶんみゃく:文章の続きぐあい)繊細です。(せんさい:デリケート、傷つきやすい。感じやすい)
『……人間は変わるでしょ、それはいけないこと?』
『……(人を)捨てるのはいっつも弱いほう。』
こどもはいないけれど、小学校教師をしている。
こどもはできたけれど、流産した。
実家が医業であることが、医師にならなかった自分にとってのプレッシャーになっている。
結婚した相手も医師にならなかった。
家が裕福だったから、人生経験があまりない。衣食住の家事をしたことがない。なにもできないに等しい。
母親は、娘が嫌いだった。
母は子宮がんになった。
母親とは距離感がある。
体裁を保とうとすると親族関係は壊れる。(ていさい:人から見られた時の自分たちの状態)
閾値(いきち):感覚、反応、興奮をともなう基準値
(つづく)
第三章から、これまでとは違う話になったようで、違和感をもちながら読んでいます。
あやめ:フリースクールの中学生
舞(まい):フリースクールの高校生
フリースクールというのは、卒業資格が与えられるのだろうか。調べました。
仕組みがよくわからないのですが、義務教育は卒業したことになるようです。(中学卒業の資格までは得られる。学校は拒否しないでしょう。学校の判断で、フリースクール出席が出席扱いになる)
高校は、認定試験に合格すれば高校卒業の資格が得られるそうです。
思い出してみると、自分自身も小学校の低学年のときは、学校に行くのが嫌で、朝、おなかが痛いとか言って親を困らせてずる休みすることがたびたびありました。
なぜ学校に行きたくなかったかと思い出してみると、教師の体罰が嫌でした。わたしに対する体罰ではなくて、他の児童がどなられたり、びんたされたりしているのを静かな教室内で聞かされて、まるで自分が叩かれて(たたかれて)いるようでいやでした。
女性の先生でも体罰をする人はいました。男にしても女にしても、いい先生もいましたが、こどもに冷たい先生もそこそこいました。ご自身も過去に体罰を肯定する教育を受けたのでしょう。また、戦後の就職難から、お金のために学校で働いていたということもあるのでしょう。
戦後になっても長いこと、第二次世界大戦時の軍事教育をひきずっていたのでしょう。中学生男子の頭髪は全国的に丸坊主(まるぼうず)でした。
いまどきだと、いじめで登校拒否になるのでしょうが、自分はいじめられたことはほとんどありませんでした。たしか、小学二年生ぐらいのときにいじめてくるやつら(男1人、女2人)がいて、体育の授業ですもうをとったら、その3人とあたって、3人とも投げ飛ばしてやって、なんだ、自分はこんなに強いのかと自信がついたいい思い出があります。
友だちがいない登場人物ばかりです。
フリースクールの話が続きます。
この小説の目的は、学校に行けないこどものことなのだろうか。
『鶴の恩返し』のような結婚というたとえが新鮮でした。
男性にはもったいない奥さんで、奥さんがいなくなるかもしれないから、男性は奥さんを腫れ物(はれもの)にさわるような扱いをするのです。(おそるおそる取り扱う)
思い出がある防犯ブザーは『お守り』です。
美月(みつき):近藤亜沙子の娘
会話形式で内容の進行をしていく手法の文脈です。
親の心理的支配下で『いい子』でいた。
そして、破綻した。(はたん:修正ができないほどくずれた)
307ページ付近で思う。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の浮気みたいな話はどうなったのだろう。(その後、出てきました)
こういう家族っているのかなあ(否定はできません)
男優先の社会を母親が肯定している。
トルコの船が沈んだ:1890年(明治23年)トルコから日本への親善使節団を乗せた船であるトルコ軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に面会し、東京で3か月滞在後、帰国の途中、串本沖で、台風のために遭難した。乗員587名死亡、生存者69名だった。住民が救助活動や遺体の回収などを行った。生存者は、日本の軍艦でトルコまで帰国した。
礼奈(れな):海坂瀬々(うなさか・ぜぜ)の友だち
アイスペール:氷を保管しておく容器
中学二年生男子である直(なお)の秘密については、まあそうだろうなあと納得できます。
読んでいてのことですが、作者は、『物』に対して強い思いこみがある人だろうなあ。
世の中には、物に魂が宿っているとして捨てられない人と、紙は紙、木は木でしかない。プラスチックはプラスチック、魂なんて宿っていないと割り切れる人がいます。
認知症に関する記述部分は極端な気がします。
まあ、いくらかっこつけても、なんのメリットもありません。現実は現実ですから、恥ずかしいと思わずに、民生委員とか福祉課とかとのかかわりをもったほうがいい。
ちょっとピンときた言葉として『……おせっかいな善人のほうが厄介(やっかい)だ』(そういうこともあるだろうなあ。よかれと思ってやっても、迷惑がられることは多い)
子育てで苦労して、頭の中が壊れた高齢の女性がいます。(作品『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』を思い出しました)
繊細な小説です。(ガラスのハートです。心が壊れやすい)
読み手の好みが分かれます。
混乱の一番の原因は、小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親にあるのでしょう。(380ページに『……パパのいびつさもよく見える……』とあります。
医師である父は、家庭人には向かない人です。
368ページ付近の記述ですが、葬式の場というものは、主催しているほうは、来訪者のことを細かく考える気持ちの余裕はありません。ひたすら、来てくださったことに感謝するだけです。
設定に無理があります。
書かれているほど、人の心はそんなに狭くはありません。
負への思い込みが強い内容です。(負(ふ):良くないこと。うまくいかないこと)
読んでいて『消防』って、そんな世界だっただろうかと首をかしげます。
取材はされているのでしょうが、つくった話です。
もっとざっくばらんで、本音で話す交流がある世界だと思います。基本は『仲間』です。
あと、親族関係のありようですが、まあ、対立することはあっても、血族、姻族ともに、相手を許して受け入れることはままあります。(後半で、改善されますが、その前の関係の悪さの書き方は極端な気がしました)
(つづく)
シニヨン:フランス語で「うなじ」(首のうしろ)
なんというか、親子が会うのに、面会の許可をとらねばならないというような不可解な親子関係の世界が描いてあります。
血族というものは、毎日会ってもいいのです。まるで、血縁関係がないような親子が描かれています。両親が離婚したって、こどもは実の親にいつ会ってもかまわないとわたしは考えています。男女である夫婦ふたりがいっしょに生活することがいやなだけで、こどもは関係ありません。
作者は、創作で模索しています。自分でもこの話がどうなるのかわからないまま文章を続けているのでしょう。話のもっていきかたの方向は、複数の案があるでしょう。
薬物投与の殺人か。
名古屋駅とか、長野県松本市、三重県松坂とか四日市、自分にとって身近な地域がたくさん出てきます。
390ページ前半の文章表現は秀逸です。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はクレイジーです。『……かわいがらなかったけど、ちゃんと世話はしたじゃない……』(こわい母親です。こどもはペットか)
404ページ、そおいう展開にもっていくのか。驚きました。(ちょっと前に起きた歌舞伎役者の心中未遂事件を思い出しました)
この話の場合、通報されても、警察は迷惑でしょう。
(小説のなかのことなのでそこまで言う必要もないのですが)つまらないことですが、自分が借りたホテルの部屋には、たとえ親族であっても、宿泊契約をしていない人間を入れることはできないと思います。
いろいろと、できそうで、できない状況設定があります。
ひとり暮らしをしたことがない人がいます。
わたしは、18歳から10年間ぐらいひとり暮らしをしたので、ひとり暮らしをしたことがない人たちの言動は不思議です。ひとり暮らしは、気楽な反面、なんでも、自分のことは自分でやらねばなりません。
高齢になって、配偶者を亡くして、生まれて初めてひとり暮らしになる人は、どんな気持ちになるのだろうと考えたことがあります。
幸せな時期が長かったいい人生だったといえないこともありません。
付け加えると、わたしがひとりで生活していた十代から二十代後半のころは、結婚して家族がひとりずつ増えていくことが楽しみでした。
ボーナスをもらうたびに、家財道具がひとつずつ増えていく楽しみと似ていました。
450ページ、そういう流れか。(離婚)
『光のとこにいてね』(そうか『光』とは……(ここには書けません。十分理解できました)
光はひとつだけではないのです。
調べたら、同作者で、以前読んだ本が『スーモールワールズ』でした。
文才という才能のある作家さんです。
そのときの感想メモの一部です。
『作品は、「いいとか悪いとかでは決められないこともある」と主張します。そこにはなにがしかの「愛情」があります。親の立場で、こどもに優しくも親切にもしたことがないのに、こどもは親である自分に何かをしてくれるだろうと甘えてくる親がいます。こどもの心には憎しみが生まれます。それでもこどもも親も生きていくのが人間です。 』
いつものように、読みながら感想をつぎたしていきます。
小瀧結珠(こたき・ゆず):7歳。小学二年生(毎日のように習い事。ピアノ、スイミング、書道、英会話)。父は医師(自宅にいる時間は短い)。母は専業主婦に思えます。(ボランティアと称して、売春か不倫をしているのではないか)、兄健人(けんと)は高校三年で大学受験生(ひきこもりではないか)(読み終えてひきこもりではありませんでした)。異様な家族です。先日起きた北海道での首だけ殺人事件を思い出しました。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は母親が怖い(こわい)。小瀧結珠(こたき・ゆず)の学力は高い。
校倉果遠(あぜくら・かのん):1棟から10棟まである大規模団地に住んでいる。5棟と6棟の間に小さな公園がある。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、6号棟の5階に住んでいる小学二年生。(506号室)母子家庭。母親がおかしい。娘への食事の規制が厳しい。アレルギーだからとあるが、なにかしらおかしい。食べてはだめなものとして、添加物があるもの、肉、魚。食べるのは、雑穀米(ざっこくまい)、おからのクッキーや豆。母親は、スーパーにある「しぜんはしょくひん」を売っている。
たまたまこの本を読む前に読んだ本が『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』で、そのマンガに出てくる信仰をする母親に言動が似ています。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)に髪の毛の三つ編みを教えてあげる。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、時計が読めなかったのを、小瀧結珠(こたき・ゆず)に教えてもらって読めるようになる。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、小瀧結珠(こたき・ゆず)から、ほかにもいろいろ勉強を教えてもらって、学力・能力に関する成長がある。
団地5号棟の男(504号室に住む):小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の売春相手、もしくは、不倫相手ではなかろうか。荒っぽい態度の男です。アル中っぽい。毎週水曜日に小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親が小瀧結珠(こたき・ゆず)を連れて部屋を訪れる。小瀧結珠(こたき・ゆず)は、団地の建物の外で、なにかしらのことが終わるまで待っている。
504号室の男が住む団地の別棟に住む校倉果遠(あぜくら・かのん)の隣室のお姉さん:夜働いているお姉さん。水商売でしょう。ひとり暮らし。荒れた生活を送っているようすです。時々男が来る。男とけんかする。ペットとして鳥かごにインコを一羽飼っている。ピーチャンと名付けている。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の話し相手はピーチャンしかいないらしい。校倉果遠(あぜくら・かのん)には友だちがいないようです。校倉果遠(あぜくら・かのん)はピーチャンに『きみどり』という別名を付けます。【ここに、この章のタイトル『羽のところ』の意味があります。きみどりの羽が校倉果遠(あぜくら・かのん)の宝物なのです】校倉果遠(あぜくら・かのん)は、空に幻視を見ます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の心理描写がうまい。
お姉さんの家には、もう死んでしまったけれど、校倉果遠(あぜくら・かのん)が自分のためだけに名付けた「ちゃいろ」という名前のハムスターが以前飼われていた。
さゆみ:2号棟に住んでいる校倉果遠(あぜくら・かのん)の同級生
タイトルにある『光』は、人の名前だろうか。だから『光のとこにいてね』なのだろうか(36ページまで読んで、どうも違うようです)
第一章、第二章、第三章と別れています。短編3本で、関連をつくってあるのだろうか。
読み始めてしばらくで判明しますが、物語の進行は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)が、交代ばんこに語る形式で進んでいきます。小学二年生女児の思考です。
本の中に、不幸せな児童がふたりいます。
最初から不穏(ふおん。おだやかではない異様な。なにかが起きそう。不安定)な空気が流れています。
すごい出だしです。校倉果遠(あぜくら・かのん)が5階のベランダから地面に転落したのかと思いました。
重苦しく、悲しみのこもった物語が始まりそうです。いまは28ページ付近にいます。全体で462ページあります。本の中の旅です。
親になってはいけない人がいて、それでも生まれてきたこどもは、生きていかなければならないつらさがあります。
書き方がうまい。
両手を伸ばして、空をつかむような描写が良かった。
母子家庭のこどもは、父親がいる家庭の雰囲気に興味があります。
ひきこもりとか、ごみ屋敷の話になるのだろうか。
(つづく)
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はいわゆる『毒親』に見えます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親も小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親のレベル(水準)まではいかなくても同様です。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は衣類の「かせん(化繊。化学繊維)を嫌う。
すごいなあ。なかなかこうは書けません。
『ボランティアとは、偽善者の暇つぶし(ぎぜんしゃ:うわべだけの善人。なかみは自己PR。いいことをしている自分が好き)』
こどもからの質問「何でうちにはお父さんがいないの?」に対して、「ろくでなしだから」
凄み(すごみ)があります。すごみ:ぞっとするような恐ろしさ(おそろしさ)
書かれている文章は、小学二年生女児の意見ではなく、おとなの意見であると思う。
1999年ノストラダムスの大予言の話題が出ます。地球滅亡の予言でした。地球は2023年の今も存在しています。(だまされないようにしましょう)
昔の話です。ということは、この物語は、これから、未来に向けて展開していくのでしょう。
カノン:美しいクラッシク曲です。パッフェルベルのカノンです。校倉果遠(あぜくら・かのん)の名前と重なります。
できもしなことを、社交辞令(その場限りの相手にとって心地よい言葉)として、小瀧結珠(こたき・ゆず)は校倉果遠(あぜくら・かのん)に声をかけます。
相手を見くだしたようなことをしたと、小瀧結珠(こたき・ゆず)は罪悪感をいだきます。微妙な心理描写がうまい。
詩的な表現が続きます。
文章がキラキラ輝いています。
大きな不幸が起きることを予想してしまう62ページ付近です。
64ページに本のタイトルが出てきます。『光のとこにいてね』
雲間から地上に降りてくる光の柱で照らされる部分が『光のとこ』です。わたしが思うに、その陽だまりで、人の心のいろいろなものが渦巻のように回っているのです。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、成長したら、母親を捨てるのだろう。
69ページ。第一章を読み終えました。
そうか…… (言葉が出てきません)
「第二章 雨のところ」
7歳だったふたりの女児(小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん))は私立高校一年生15歳として再会します。
S女(女子高)という学校です。初等部(小学校)、中等部(中学校)、高等部(高校)があって、キリスト教系で、男子校もあります。高等部は、1学年120人4クラス
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、7歳の時に一時的に出会った小瀧結珠(こたき・ゆず)に会いたくてがんばりました。(フツーありえない設定ですが、よしとしましょう)
S女(えすじょ)の制服は、男よけのために、わざとださいデザインになっている。
そういう世界です。お金持ちの子女が通うのです。
近藤亜沙子(こんどう・あさこ):小瀧結珠(こたき・ゆず)の初等部からの女友だち
藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)が母親から押し付けられた家庭教師。医学部生。父親が大学病院の偉い医師。両親は、医師の世界のなかの政略結婚的な企てを(くわだて)をもっているように見えますが、小瀧結珠(こたき・ゆず)は、藤野素生(ふじの・そう)を嫌っています。
小瀧健人(こたき・けんと):27歳ぐらい。藤野素生(ふじの・そう)の異母兄。研修医。母親は彼が9歳のときに病死している。
せつない再会です。
ミュール:かかとの高いサンダル
校倉果遠(あぜくら・かのん)の生活に変化があります。(自立しています)
比較があります。
小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)の比較です。
貧富の比較
依存と自活の比較です。医師の娘である小瀧結珠(こたき・ゆず)はこれまでに1円も自分で稼いだことがない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、働いて、奨学金をもらいながらの勉学です。
校倉果遠(あぜくら・かのん)に、日常生活に関する良きアドバイザーが付きました。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、健康食品にこだわる実母を捨てました。
106ページまで読んできて、内容を単調に感じるようになりました。
ふたりの女性の考えていることが、交代しながら語られていきますが、内容が単調です。
伏線として『シロツメクサ』と『卵型の防犯ブザー』そして『ピアノ』くわえて『ココア』
『美人を使いこなして生きていく』
ホワイト:麻薬や覚せい剤をやっていないという意味だろうか。(医師の世界において)
患者は商品なのか。
アクアパッツァ:魚介類を煮込んだナポリ料理
小瀧結珠(こたき・ゆず)の両親は、ふたりとも、親とはいえない個性の持ち主です。
おぞましい上流階級の世界があります。
『女』は、道具でしかない。
いもしない『神』を肯定する人たち
孤独さんは、たいてい図書館にいる。
さよならの季節に:合唱祭の自由曲
まだ15歳です。
人生は成人してからがスタートです。二十代から人生の本番が始まります。
人生は気が遠くなるほど長い。
(つづく)
海の写真:寂しい(さびしい)感じの海。図書室にある。ギュスターヴ・ル・グレイの作品。空と海の合成写真。空と海は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)を表現している。
小瀧結珠(こたき・ゆず)には『知識』はあるが『(人生)体験』はない。親の支配下にあって、自立はしていない。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、逆で、『知識』はないが豊富な『(人生)体験』がある。親を拒否して、自立している。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は、母親としてはうまくできていないけれど、彼女は彼女なりに悩んでいる。自分が無力であるという自覚はある。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)との関りから『教育することの喜び』を知った。小学校の先生になりたい。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の父も母も異母兄も、AIロボット(人工知能)みたいな人格です。
三浦綾子作品『塩狩峠』:読んだことはあります。北海道が舞台でした。鉄道の話です。犠牲者が出ます。宗教がからんでいます。
ピアノを捨てる:しばらく前に読んだ『ラブカは静かに弓を持つ 安檀美緒(あだん・みお) 集英社』を思い出しました。同作品では、たしか、親族がチェロを捨てたというか、庭で焼きました。
ピアノと楽曲『カノン』は伏線です。(ふくせん:あとで感動を生むためのしかけ)
雨のところ:雨が降っている。校庭。通り雨だから、こっちはふっていないけれど、あっちは雨が降っている。
女子高にはあるのかもしれない。同性に愛を感じるのです。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親は、戸籍上の父であるだけで、血縁関係上の実父は違う人ではないかという妄想があります。
166ページあたりから、なにかしら、深かったものが浅くなっていく。
180ページ、ここで、深さが復活する。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、嫌いな母を、嫌いだけれど、見捨てることはできない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、強くて優しい性格の持ち主だから、母を捨てられない。
弱い人間は身内を捨てる。強い人間は身内を捨てない。
そして雨が降る。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の校章がなくなる。
光のところ(街灯(がいとう)の下)
厳しくも美しい世界があります。
「第三章 光のところ」
時はさらに流れています。高校のときから10年ぐらいが経過しています。ふたりの年齢は29歳です。
ふたりともおとなになって、結婚して、こどもがいたりもします。
二度目の再会です。
場所は、最初はあいまいな記述でした。
読書中にたまたま台風7号が日本を来襲して、ニュースで『本州最南端の地 和歌山県串本町では……』と報道されて、この本の中の舞台と同じところであることが判明しました。
たしか、串本というところにお笑いタレントであるジミー大西さんの祖父母宅があって、大阪という都会の生活になじめなかったジミー大西さんが、祖父母宅に預けられてのびのびとした生活を送ることができたと、番組『東野&岡村の旅猿』でご本人がコメントされていたところです。
ジミー大西さんにとって和歌山は、自分にとって落ち着く場所だそうです。人生いろいろあります。
コンクリートジャングルの都会は、とがった矢印のようになって競争する社会です。
いっぽういなかは、予定調和で、まあるく協調する社会です。どちらも一長一短はあります。
ブラインドのスラット:羽の部分
縦型のバーチカルブラインド:縦型のブラインド
海坂瀬々(うなさか・ぜぜ):(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の娘。不登校中の小学2年生。宗田(そうだ)のフリースクールに通っている。
海坂水人(うなさか・みなと)(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の夫。寡黙(かもく。しゃべらない。無口)
岡林:ダイビングショップの経営者。ダイビングインストラクター。住宅兼店舗住まい。
藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)の夫。酒は飲まない。
直(なお):石や岩に興味がある。中学二年生
宗田:フリースクールの職員。元教員。フリースクールは、不登校児の受け入れ施設
渉りそう:わたりそう。(198ページに書いてあるこの部分は意味がわかりませんでした)
ブーケ:スナックの店名。フランス語で『花束』
208ページまで読んできて、壮大な構想のもとにつくられた物語であることがわかります。
作者の二面性(貧困と富裕体験)が作品に反映されている作品だと感じながら読んでいます。
夜バス(やばす):深夜運行のバス
驚いたのは、小瀧結珠(こたき・ゆず)が、ガラスのハートの人に変化していることです。(心が傷つきやすい)
別の個性にみえます。
不思議な雰囲気がただよう文章であり、文脈です。(ぶんみゃく:文章の続きぐあい)繊細です。(せんさい:デリケート、傷つきやすい。感じやすい)
『……人間は変わるでしょ、それはいけないこと?』
『……(人を)捨てるのはいっつも弱いほう。』
こどもはいないけれど、小学校教師をしている。
こどもはできたけれど、流産した。
実家が医業であることが、医師にならなかった自分にとってのプレッシャーになっている。
結婚した相手も医師にならなかった。
家が裕福だったから、人生経験があまりない。衣食住の家事をしたことがない。なにもできないに等しい。
母親は、娘が嫌いだった。
母は子宮がんになった。
母親とは距離感がある。
体裁を保とうとすると親族関係は壊れる。(ていさい:人から見られた時の自分たちの状態)
閾値(いきち):感覚、反応、興奮をともなう基準値
(つづく)
第三章から、これまでとは違う話になったようで、違和感をもちながら読んでいます。
あやめ:フリースクールの中学生
舞(まい):フリースクールの高校生
フリースクールというのは、卒業資格が与えられるのだろうか。調べました。
仕組みがよくわからないのですが、義務教育は卒業したことになるようです。(中学卒業の資格までは得られる。学校は拒否しないでしょう。学校の判断で、フリースクール出席が出席扱いになる)
高校は、認定試験に合格すれば高校卒業の資格が得られるそうです。
思い出してみると、自分自身も小学校の低学年のときは、学校に行くのが嫌で、朝、おなかが痛いとか言って親を困らせてずる休みすることがたびたびありました。
なぜ学校に行きたくなかったかと思い出してみると、教師の体罰が嫌でした。わたしに対する体罰ではなくて、他の児童がどなられたり、びんたされたりしているのを静かな教室内で聞かされて、まるで自分が叩かれて(たたかれて)いるようでいやでした。
女性の先生でも体罰をする人はいました。男にしても女にしても、いい先生もいましたが、こどもに冷たい先生もそこそこいました。ご自身も過去に体罰を肯定する教育を受けたのでしょう。また、戦後の就職難から、お金のために学校で働いていたということもあるのでしょう。
戦後になっても長いこと、第二次世界大戦時の軍事教育をひきずっていたのでしょう。中学生男子の頭髪は全国的に丸坊主(まるぼうず)でした。
いまどきだと、いじめで登校拒否になるのでしょうが、自分はいじめられたことはほとんどありませんでした。たしか、小学二年生ぐらいのときにいじめてくるやつら(男1人、女2人)がいて、体育の授業ですもうをとったら、その3人とあたって、3人とも投げ飛ばしてやって、なんだ、自分はこんなに強いのかと自信がついたいい思い出があります。
友だちがいない登場人物ばかりです。
フリースクールの話が続きます。
この小説の目的は、学校に行けないこどものことなのだろうか。
『鶴の恩返し』のような結婚というたとえが新鮮でした。
男性にはもったいない奥さんで、奥さんがいなくなるかもしれないから、男性は奥さんを腫れ物(はれもの)にさわるような扱いをするのです。(おそるおそる取り扱う)
思い出がある防犯ブザーは『お守り』です。
美月(みつき):近藤亜沙子の娘
会話形式で内容の進行をしていく手法の文脈です。
親の心理的支配下で『いい子』でいた。
そして、破綻した。(はたん:修正ができないほどくずれた)
307ページ付近で思う。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の浮気みたいな話はどうなったのだろう。(その後、出てきました)
こういう家族っているのかなあ(否定はできません)
男優先の社会を母親が肯定している。
トルコの船が沈んだ:1890年(明治23年)トルコから日本への親善使節団を乗せた船であるトルコ軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に面会し、東京で3か月滞在後、帰国の途中、串本沖で、台風のために遭難した。乗員587名死亡、生存者69名だった。住民が救助活動や遺体の回収などを行った。生存者は、日本の軍艦でトルコまで帰国した。
礼奈(れな):海坂瀬々(うなさか・ぜぜ)の友だち
アイスペール:氷を保管しておく容器
中学二年生男子である直(なお)の秘密については、まあそうだろうなあと納得できます。
読んでいてのことですが、作者は、『物』に対して強い思いこみがある人だろうなあ。
世の中には、物に魂が宿っているとして捨てられない人と、紙は紙、木は木でしかない。プラスチックはプラスチック、魂なんて宿っていないと割り切れる人がいます。
認知症に関する記述部分は極端な気がします。
まあ、いくらかっこつけても、なんのメリットもありません。現実は現実ですから、恥ずかしいと思わずに、民生委員とか福祉課とかとのかかわりをもったほうがいい。
ちょっとピンときた言葉として『……おせっかいな善人のほうが厄介(やっかい)だ』(そういうこともあるだろうなあ。よかれと思ってやっても、迷惑がられることは多い)
子育てで苦労して、頭の中が壊れた高齢の女性がいます。(作品『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』を思い出しました)
繊細な小説です。(ガラスのハートです。心が壊れやすい)
読み手の好みが分かれます。
混乱の一番の原因は、小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親にあるのでしょう。(380ページに『……パパのいびつさもよく見える……』とあります。
医師である父は、家庭人には向かない人です。
368ページ付近の記述ですが、葬式の場というものは、主催しているほうは、来訪者のことを細かく考える気持ちの余裕はありません。ひたすら、来てくださったことに感謝するだけです。
設定に無理があります。
書かれているほど、人の心はそんなに狭くはありません。
負への思い込みが強い内容です。(負(ふ):良くないこと。うまくいかないこと)
読んでいて『消防』って、そんな世界だっただろうかと首をかしげます。
取材はされているのでしょうが、つくった話です。
もっとざっくばらんで、本音で話す交流がある世界だと思います。基本は『仲間』です。
あと、親族関係のありようですが、まあ、対立することはあっても、血族、姻族ともに、相手を許して受け入れることはままあります。(後半で、改善されますが、その前の関係の悪さの書き方は極端な気がしました)
(つづく)
シニヨン:フランス語で「うなじ」(首のうしろ)
なんというか、親子が会うのに、面会の許可をとらねばならないというような不可解な親子関係の世界が描いてあります。
血族というものは、毎日会ってもいいのです。まるで、血縁関係がないような親子が描かれています。両親が離婚したって、こどもは実の親にいつ会ってもかまわないとわたしは考えています。男女である夫婦ふたりがいっしょに生活することがいやなだけで、こどもは関係ありません。
作者は、創作で模索しています。自分でもこの話がどうなるのかわからないまま文章を続けているのでしょう。話のもっていきかたの方向は、複数の案があるでしょう。
薬物投与の殺人か。
名古屋駅とか、長野県松本市、三重県松坂とか四日市、自分にとって身近な地域がたくさん出てきます。
390ページ前半の文章表現は秀逸です。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はクレイジーです。『……かわいがらなかったけど、ちゃんと世話はしたじゃない……』(こわい母親です。こどもはペットか)
404ページ、そおいう展開にもっていくのか。驚きました。(ちょっと前に起きた歌舞伎役者の心中未遂事件を思い出しました)
この話の場合、通報されても、警察は迷惑でしょう。
(小説のなかのことなのでそこまで言う必要もないのですが)つまらないことですが、自分が借りたホテルの部屋には、たとえ親族であっても、宿泊契約をしていない人間を入れることはできないと思います。
いろいろと、できそうで、できない状況設定があります。
ひとり暮らしをしたことがない人がいます。
わたしは、18歳から10年間ぐらいひとり暮らしをしたので、ひとり暮らしをしたことがない人たちの言動は不思議です。ひとり暮らしは、気楽な反面、なんでも、自分のことは自分でやらねばなりません。
高齢になって、配偶者を亡くして、生まれて初めてひとり暮らしになる人は、どんな気持ちになるのだろうと考えたことがあります。
幸せな時期が長かったいい人生だったといえないこともありません。
付け加えると、わたしがひとりで生活していた十代から二十代後半のころは、結婚して家族がひとりずつ増えていくことが楽しみでした。
ボーナスをもらうたびに、家財道具がひとつずつ増えていく楽しみと似ていました。
450ページ、そういう流れか。(離婚)
『光のとこにいてね』(そうか『光』とは……(ここには書けません。十分理解できました)
光はひとつだけではないのです。
2023年08月23日
「神様」のいる家で育ちました 菊池真理子
「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋
このマンガの本を読むことにしたきっかけは『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』を読んだことです。
親が熱心に特定の宗教活動に専念しているわけですが、その犠牲になっているこどもたちはかなり苦労されています。信仰に関しては、親とこどもの分離が必要です。紹介した本には、18歳未満のこどもの宗教活動は禁止すべきだというメッセージがありました。
わたしなりの考えですが、親のお金や財産はあてにしないほうがいい。
親のお金や財産は親のものです。親が自分のために使っていいお金です。
こどもは、自分が必要なお金は自分で工面(くめん)するものです。
わたしは、小中学生のときにそう悟りました。
自分のことは自分でしないとだれもやってくれないと自覚しました。
むかしは、こどもの数が多かったこともあってか、放任主義的(ほうにんしゅぎてき。ほったらかし)な親がたくさんいました。だから、こどもが、自立・自活できたというメリットはありました。
親は親、こどもはこどもです。こどもには、こどもの人生があります。
さて、マンガを読み始めます。
「はじめに」があって、第1話から第7話まであって、「あとがき」があります。
第1話を読んで、内容は作者の体験だけではなくて、ほかの人の体験をマンガ化してあると理解しました。
「第1話」
どうしてそうなるのだろう。
自分自身で判断ができないから、自分のことをひとに(神さまや仏さまに)判断してもらう。
楽な生き方です。
トラブルが起きたら、ひとのせいにすればいいからです。
自分のせいではないのです。
あとは、集団の人間関係を自分の利益のために利用する。
長い間生きてきて思うのは、親の役割を果たせる人は案外多くはない。
自分自身も子育てに失敗したと後悔する部分はあります。
マンガの中には『サタン(悪魔、魔王)』とか『ハルマゲドン(世界が終わる、あるいは、破滅する最終戦争)』他人同士なのに『兄弟』そして『パラダイス(楽園、天国)』どういうわけか『ムチ(こどもに鞭(むち)を打つ儀式(児童虐待です)』『伝道(教徒を増やす)』など、ふだんの日常生活では使わないような言葉が次々と登場します。
なんのためにそのようなことをしているのだろう。考える。考える。考える。
組織の維持が目的です。組織の上層部にいる人たちの安泰な生活維持が目的で、その下にいる人たちがじょうずに利用されている構図が見えます。末端の人たちは洗脳されています。(金銭利益上納のために、意識をコントロールされている)善良な人たちが、じょうずにだまされている。
宗教の本旨(ほんし。個人の心の安定。社会活動の安定)からは、はずれています。
虐げられた(しいたげられた)こどもは、成長して、親に仕返しをします。
こどもが小さかったころは、親の腕力でこどもを押さえつけることができても、成長したこどもの腕力に親はかないません。不幸が発生します。
最終ページで、実母がサタン(悪魔、魔王)に見えました。
本当は、実母も被害者なのに、本人は気づけない。
人心の不安を扱って、じょうずにできあがったシステム(制度、構造)があります。
「第2話」
読んでいると気持ちが暗くなってくるマンガです。
小説作品『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』を思い出します。映画は、芦田愛菜さんが宗教2世のこどもさんを演じていました。最終的に、主人公は親の信仰を受け入れます。ものさびしい映画でした。こどもは、親孝行を選択したのです。
不思議な単語が並びます。『御み霊(おみたま)』『組み手(手をかざすと病気が治ったりする)』『お浄め(おきよめ)』『霊動(れいどう。手かざしの業(わざ)をすると相手がぐらぐらに揺れる。「やらせ)です。嘘(うそ))』『濁毒(だんどく。医薬品は毒だから使用しない)』狂っています。どうして、うそだと思えないのか。不可解です。
父親は医師です。なにかしら矛盾している。むじゅん:理屈が通らない(その後、父親は亡くなっています)
なんとういうか。人柄というものは、勤めている組織とか職業とか、ポスト(地位)で、人間の中身を判断できません。まじめでおだやかそうに見える人でも、思いがけない性癖(せいへき。生まれつきの性質。なおらない)をもっている人がいます。
『病気の原因は先祖にある』(ばかばかしいです。理屈になっていません。それでも信じる人がいます。人間とは不可解で弱い生き物です)
真っ赤なうそじゃないですか! と相手に抗議することができる強い意思表示がほしい。(赤は「完全な」ということを強調するための色)
「第3話」
合同結婚式です。
生まれてくるこどもが『祝福2世』です。宗教団体の創始者にとっての金づるです。(楽をしてお金を流してもらえる)
あいかわず『サタン』『イエスの再臨(さいりん。生まれ変わりということか)』『神の血統』『祝福2世』(どうして「おかしい」とか「へんだ」とか思えないのだろう)
こどもは、友だちがいない。できない。(教団のこどもどうしの人間関係だけとなってしまう)
教団の教えに従わないと地獄行きになってしまう。(そもそも「地獄」というものはありません)
こどもさんは、奴隷(どれい。人間としての権利も自由も認められていない)のようです。
父も母もおかしい。
犯罪ではなかろうか。
マンガでは、どの話も最後はムリムリ、ハッピーエンドにしてあるようです。
「第4話」
キリスト教のうちのひとつの宗教です。
日曜の礼拝がだいじです。
父親は無神論者。
母親は熱心な信者です。
父親は母親の信仰をとめたりはしません。知らん顔です。それはそれで不幸を呼びます。しわ寄せは母親に強制的に日曜礼拝に連れて行かれるこどもに及びます。
『イエス様は、人々の身代わりとなって十字架にかけられた』(そうかな? 見た人はだれもいない)
『イエス様のおかげで天国にいける』(そもそも地獄はないし、天国もありません。書中では、父親が死んだら「無」の世界へ行くと、こどもに言っています。同感です)
お盆とか年末年始の行事はない。お墓もない。親戚づきあいはない(親戚から距離を置かれている)日曜礼拝が優先だから、日曜日に家族で行楽に出かけることはない。父親とこどもがふれあう時間が少ない。
携挙(けいきょ):クリスチャンは、現実世界で、パッと死後の世界に行くことがある。それを携挙というそうです。(そんな話は初めて聞きました)
バプテスマ:洗礼。信者になる儀式
男尊女卑の世界があります。
宗教の世界の女性蔑視(べっし:見くだし)です。
同性愛もだめです。
派手な服装も中絶もだめです。基本的人権の尊重がありません。権利と自由がありません。
神さまは本当にそんなことを言ったのだろうか。そもそも神さまはいないわけですから、そういう教えを押し付けることによって得をする人がいるということです。
『原罪を背負った罪人である私たちも悔い改めればイエス様が神様と和解させてくださる……』(意味がわかりません)
それは、宗教ではなく、宗教のようなものだったのではなかろうか……
「第5話」
たしか、最近教祖が亡くなった宗教団体の話でしょう。
若い女性です。
『24歳 死ぬことにしました』から始まります。
1994年(平成6年)生まれの女性です。2018年(平成30年)に死ぬことにしたのか。
スピリチュアル好きの母親です。(目に見えない世界。カウンセラーの世界も好きそうです)
こういう人は9時→5時の仕事では働きません。いや働けません。たぶん。
依存して生活していく人です。
支援者がいたりもします。
妊娠はするので、こどもはできます。その後、離婚します。
こどもは不幸な世界に置かれます。こどもは悩みます。
マンガにある美人の母親の言動は、キチガイの行為です。
『エル・カンターレ信仰:大宇宙に光あり』(なんのことかわかりません)
宗教団体では、信徒のこどもは、選ばれた人間同士なのだそうです。
教団が設立した全寮制の高校へ進学します。
どんなふうに選ばれたのだろう。なんのために選ばれたのだろう。
将来教団組織の幹部になって、教祖のために働くために選ばれたのです。
女性は薬物多量摂取による自死を試みましたが、助かったようすです。
女性がもつ実母へのうらみは深い。うらみは、強い。
「第6話」
『仏様からの試練』(なんのことかわかりません。教えなのでしょうが、詐欺(さぎ。だまし)に思えます)
『霊能者』(これも詐欺でしょう)
『お施餓鬼(おせがき)』1000円とられます。
お金と時間と労力を宗教団体にとられます。
『寒修行』『両童子様(りょうどうしさまと読むのだろうか。こども? 貴人の世話をするこども? わかりません)』
自分の意思で生きずに、信仰者の母親の顔色を見ながら大学生にまでなってしまう女性がいます。中学生ぐらいのときに、反抗期がほしい。
女性は母親の指示で動く、操られた(あやつられた)お人形です。
『帰苑(きえん。宗教の施設に行くこと)』
信仰する母親は、頭がおかしい。
人として優先すべきことの優先順位が違っています。こどもの未来よりも、宗教団体の前で、体裁(ていさい)を整えることのほうがだいじです。(見た目はいいけれど、内容は実っていない)
最後のページまで読んで、やりたい人だけがやればいい(母親だけがやればいい。なんなら家から出て行ってもらってもいい。宗教の施設で生活してもらえばいい)。
こどもに宗教活動を強制しないでほしい。
「第7話」
家事も育児もしない母親です。宗教活動はする母親です。母親失格です。
人から良く思われたいから外ではいい顔をする人なのでしょう。
家の外では人気があるのでしょう。
家族にとっては迷惑な母親です。
父親は無関心で家で仲間とマージャンをしています。
異常な家庭です。
きれいごとばかり言う母親です。
そんな母親にこどもはだまされています。
母親は壁にぶつかり、解決できなかったのでしょう。自死しています。
なんだろう。ふつう、人はやらなければならないことをやらなくて転落していきます。
こちらの場合は、やらなくてもいいことをやって転落していきます。
世の中は無情です。壊れていく家族に声をかける人もいなくなります。知らん顔です。
人間ってなんだろうというところまで考えが及びます。
このマンガの本を読むことにしたきっかけは『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』を読んだことです。
親が熱心に特定の宗教活動に専念しているわけですが、その犠牲になっているこどもたちはかなり苦労されています。信仰に関しては、親とこどもの分離が必要です。紹介した本には、18歳未満のこどもの宗教活動は禁止すべきだというメッセージがありました。
わたしなりの考えですが、親のお金や財産はあてにしないほうがいい。
親のお金や財産は親のものです。親が自分のために使っていいお金です。
こどもは、自分が必要なお金は自分で工面(くめん)するものです。
わたしは、小中学生のときにそう悟りました。
自分のことは自分でしないとだれもやってくれないと自覚しました。
むかしは、こどもの数が多かったこともあってか、放任主義的(ほうにんしゅぎてき。ほったらかし)な親がたくさんいました。だから、こどもが、自立・自活できたというメリットはありました。
親は親、こどもはこどもです。こどもには、こどもの人生があります。
さて、マンガを読み始めます。
「はじめに」があって、第1話から第7話まであって、「あとがき」があります。
第1話を読んで、内容は作者の体験だけではなくて、ほかの人の体験をマンガ化してあると理解しました。
「第1話」
どうしてそうなるのだろう。
自分自身で判断ができないから、自分のことをひとに(神さまや仏さまに)判断してもらう。
楽な生き方です。
トラブルが起きたら、ひとのせいにすればいいからです。
自分のせいではないのです。
あとは、集団の人間関係を自分の利益のために利用する。
長い間生きてきて思うのは、親の役割を果たせる人は案外多くはない。
自分自身も子育てに失敗したと後悔する部分はあります。
マンガの中には『サタン(悪魔、魔王)』とか『ハルマゲドン(世界が終わる、あるいは、破滅する最終戦争)』他人同士なのに『兄弟』そして『パラダイス(楽園、天国)』どういうわけか『ムチ(こどもに鞭(むち)を打つ儀式(児童虐待です)』『伝道(教徒を増やす)』など、ふだんの日常生活では使わないような言葉が次々と登場します。
なんのためにそのようなことをしているのだろう。考える。考える。考える。
組織の維持が目的です。組織の上層部にいる人たちの安泰な生活維持が目的で、その下にいる人たちがじょうずに利用されている構図が見えます。末端の人たちは洗脳されています。(金銭利益上納のために、意識をコントロールされている)善良な人たちが、じょうずにだまされている。
宗教の本旨(ほんし。個人の心の安定。社会活動の安定)からは、はずれています。
虐げられた(しいたげられた)こどもは、成長して、親に仕返しをします。
こどもが小さかったころは、親の腕力でこどもを押さえつけることができても、成長したこどもの腕力に親はかないません。不幸が発生します。
最終ページで、実母がサタン(悪魔、魔王)に見えました。
本当は、実母も被害者なのに、本人は気づけない。
人心の不安を扱って、じょうずにできあがったシステム(制度、構造)があります。
「第2話」
読んでいると気持ちが暗くなってくるマンガです。
小説作品『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』を思い出します。映画は、芦田愛菜さんが宗教2世のこどもさんを演じていました。最終的に、主人公は親の信仰を受け入れます。ものさびしい映画でした。こどもは、親孝行を選択したのです。
不思議な単語が並びます。『御み霊(おみたま)』『組み手(手をかざすと病気が治ったりする)』『お浄め(おきよめ)』『霊動(れいどう。手かざしの業(わざ)をすると相手がぐらぐらに揺れる。「やらせ)です。嘘(うそ))』『濁毒(だんどく。医薬品は毒だから使用しない)』狂っています。どうして、うそだと思えないのか。不可解です。
父親は医師です。なにかしら矛盾している。むじゅん:理屈が通らない(その後、父親は亡くなっています)
なんとういうか。人柄というものは、勤めている組織とか職業とか、ポスト(地位)で、人間の中身を判断できません。まじめでおだやかそうに見える人でも、思いがけない性癖(せいへき。生まれつきの性質。なおらない)をもっている人がいます。
『病気の原因は先祖にある』(ばかばかしいです。理屈になっていません。それでも信じる人がいます。人間とは不可解で弱い生き物です)
真っ赤なうそじゃないですか! と相手に抗議することができる強い意思表示がほしい。(赤は「完全な」ということを強調するための色)
「第3話」
合同結婚式です。
生まれてくるこどもが『祝福2世』です。宗教団体の創始者にとっての金づるです。(楽をしてお金を流してもらえる)
あいかわず『サタン』『イエスの再臨(さいりん。生まれ変わりということか)』『神の血統』『祝福2世』(どうして「おかしい」とか「へんだ」とか思えないのだろう)
こどもは、友だちがいない。できない。(教団のこどもどうしの人間関係だけとなってしまう)
教団の教えに従わないと地獄行きになってしまう。(そもそも「地獄」というものはありません)
こどもさんは、奴隷(どれい。人間としての権利も自由も認められていない)のようです。
父も母もおかしい。
犯罪ではなかろうか。
マンガでは、どの話も最後はムリムリ、ハッピーエンドにしてあるようです。
「第4話」
キリスト教のうちのひとつの宗教です。
日曜の礼拝がだいじです。
父親は無神論者。
母親は熱心な信者です。
父親は母親の信仰をとめたりはしません。知らん顔です。それはそれで不幸を呼びます。しわ寄せは母親に強制的に日曜礼拝に連れて行かれるこどもに及びます。
『イエス様は、人々の身代わりとなって十字架にかけられた』(そうかな? 見た人はだれもいない)
『イエス様のおかげで天国にいける』(そもそも地獄はないし、天国もありません。書中では、父親が死んだら「無」の世界へ行くと、こどもに言っています。同感です)
お盆とか年末年始の行事はない。お墓もない。親戚づきあいはない(親戚から距離を置かれている)日曜礼拝が優先だから、日曜日に家族で行楽に出かけることはない。父親とこどもがふれあう時間が少ない。
携挙(けいきょ):クリスチャンは、現実世界で、パッと死後の世界に行くことがある。それを携挙というそうです。(そんな話は初めて聞きました)
バプテスマ:洗礼。信者になる儀式
男尊女卑の世界があります。
宗教の世界の女性蔑視(べっし:見くだし)です。
同性愛もだめです。
派手な服装も中絶もだめです。基本的人権の尊重がありません。権利と自由がありません。
神さまは本当にそんなことを言ったのだろうか。そもそも神さまはいないわけですから、そういう教えを押し付けることによって得をする人がいるということです。
『原罪を背負った罪人である私たちも悔い改めればイエス様が神様と和解させてくださる……』(意味がわかりません)
それは、宗教ではなく、宗教のようなものだったのではなかろうか……
「第5話」
たしか、最近教祖が亡くなった宗教団体の話でしょう。
若い女性です。
『24歳 死ぬことにしました』から始まります。
1994年(平成6年)生まれの女性です。2018年(平成30年)に死ぬことにしたのか。
スピリチュアル好きの母親です。(目に見えない世界。カウンセラーの世界も好きそうです)
こういう人は9時→5時の仕事では働きません。いや働けません。たぶん。
依存して生活していく人です。
支援者がいたりもします。
妊娠はするので、こどもはできます。その後、離婚します。
こどもは不幸な世界に置かれます。こどもは悩みます。
マンガにある美人の母親の言動は、キチガイの行為です。
『エル・カンターレ信仰:大宇宙に光あり』(なんのことかわかりません)
宗教団体では、信徒のこどもは、選ばれた人間同士なのだそうです。
教団が設立した全寮制の高校へ進学します。
どんなふうに選ばれたのだろう。なんのために選ばれたのだろう。
将来教団組織の幹部になって、教祖のために働くために選ばれたのです。
女性は薬物多量摂取による自死を試みましたが、助かったようすです。
女性がもつ実母へのうらみは深い。うらみは、強い。
「第6話」
『仏様からの試練』(なんのことかわかりません。教えなのでしょうが、詐欺(さぎ。だまし)に思えます)
『霊能者』(これも詐欺でしょう)
『お施餓鬼(おせがき)』1000円とられます。
お金と時間と労力を宗教団体にとられます。
『寒修行』『両童子様(りょうどうしさまと読むのだろうか。こども? 貴人の世話をするこども? わかりません)』
自分の意思で生きずに、信仰者の母親の顔色を見ながら大学生にまでなってしまう女性がいます。中学生ぐらいのときに、反抗期がほしい。
女性は母親の指示で動く、操られた(あやつられた)お人形です。
『帰苑(きえん。宗教の施設に行くこと)』
信仰する母親は、頭がおかしい。
人として優先すべきことの優先順位が違っています。こどもの未来よりも、宗教団体の前で、体裁(ていさい)を整えることのほうがだいじです。(見た目はいいけれど、内容は実っていない)
最後のページまで読んで、やりたい人だけがやればいい(母親だけがやればいい。なんなら家から出て行ってもらってもいい。宗教の施設で生活してもらえばいい)。
こどもに宗教活動を強制しないでほしい。
「第7話」
家事も育児もしない母親です。宗教活動はする母親です。母親失格です。
人から良く思われたいから外ではいい顔をする人なのでしょう。
家の外では人気があるのでしょう。
家族にとっては迷惑な母親です。
父親は無関心で家で仲間とマージャンをしています。
異常な家庭です。
きれいごとばかり言う母親です。
そんな母親にこどもはだまされています。
母親は壁にぶつかり、解決できなかったのでしょう。自死しています。
なんだろう。ふつう、人はやらなければならないことをやらなくて転落していきます。
こちらの場合は、やらなくてもいいことをやって転落していきます。
世の中は無情です。壊れていく家族に声をかける人もいなくなります。知らん顔です。
人間ってなんだろうというところまで考えが及びます。