2023年08月21日

くもをさがす 西加奈子

くもをさがす 西加奈子 河出書房新社

(1回目の本読み)
 ページを全部、ゆっくり最後までめくってみます。
 タイトル『くもをさがす』とはどういう意味だろうか。
 『雲をさがす』だという思いこみがありました。
 7ページに『蜘蛛(くも)』が出てきました。雲ではなく蜘蛛(くも)なのか……

 19ページに『8月17日 今日から日記をつけようと思う』という記述があります。2021年(令和3年)のことです。
 20ページに『バンクーバー』とあります。カナダにある都市です。著者の居住地です。カナダの西にあります。カナダの首都は東にあるオタワです。東にあるケベック州はフランス語を話す人が多い。同州にモントリオールがあります。
 
 入院体験について考えてみます。
 本書はがん闘病記という前知識は自分にあります。
 人によって入院体験は違います。
 老齢になるまで、入院体験がない人もいます。
 生まれてすぐに入院体験があって、こどものまま亡くなっていくこどもさんもあります。
 『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
 私自身は、二十代のときと五十代のときにそれぞれ三か月程度の入院体験があります。最初は内臓の病気、二度目は脳の病気でした。
 入院体験があるかないかで、がんを宣告された時の心の持ち方には違いがあると思います。初めて入院される方は、かなりショックを受けると思います。
 がんと言われたら、まずは『治療に専念』だと思います。逆に、がんだから働いてはいけないということもないと思います。ケースバイケースです。
 『治療に専念』パターンだと、それまでの生活が切断されます。別世界へ、体も心も送り込まれます。

 57ページに『10月3日 体が重くて起き上がれない……』とあります。がんではありませんでしたが、二十代の頃の自分の入院体験だと、背中に2トンぐらいの大きな岩がのっかっている感じがしてベッドからなかなか起き上がることができませんでした。

 63ページに『ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』』とあります。読んだことがあります。
 そのときの感想メモの一部です。
 十二月の十日(じゅうにがつのとおか) ジョージ・ソーンダーズ(米国作家。男性) 岸本佐知子=訳 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
 本の帯に『全米ベストセラー第1位!!!』とあります。知りませんでした。長編小説かと思ったら短編集でした。日本で言うところの、星新一さんのショートショートのようです。全部で10編あります。 購買を誘ううたい文句として、①親しみやすい ②共感を呼ぶ ③笑わせてくれる ④ダメ人間の優しさ、尊厳、奇想 ⑤独創的な文体 とあります。

 こちらの本に戻って、112ページに項目としての章が『3 身体は、みじめさの中で』

 172ページまでめくって、同じく作家の加納朋子さんの本を思い出しました。白血病になられています。『無菌病棟より愛をこめて 加納朋子 文藝春秋』
 そしてもう一冊『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお。女性) 新潮社』山本文緒さんは、すい臓がんのため2021年(令和3年)に58歳でご逝去されています。(こちらの本を読み続けていたら、75ページに山本文緒さんのことが出てきました)

 作家の職業にある人間は、「作家」ですから、自分が病気になれば、自分の病気のことを文章化します。文章化する行為が 作家の心を支えてくれます。

 180ページに、2021年3月名古屋入国在留管理局で、病院受診をさせてもらえず亡くなった外国人のことが書いてあります。
 たまたま用事があって、昨年何度か同管理局の前の道路を車で行ったり来たりしました。立派な建物です。でも、密室の中でのことは外にはわかりません。

 224ページ、日本国前首相が狙撃される。
 リアルな時の流れがあります。ひとつの命が消えて、自分の命も消えるのではないかという不安があります。

 (そのときのことですが)241ページ、今朝方(けさがた)読み終えた本に載っていたシンガーソングライターのお名前が出てきました。椎名林檎さんです。
 読んだ本は『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』です。

(2回目の本読み)
 ちょっとびっくりしたのは、蜘蛛(くも)に関する記述が、自分と同じ心持ち、体験でした。
 わたしがこどもだったころ、だれかに教えてもらったこととして『蜘蛛(くも)は先祖の生まれ変わりだから殺してはいけない』というものがあります。
 この本では、著者の亡くなった母方祖母であるサツキさんが蜘蛛になって、著者を噛んで、著者ががんであることを著者に教えてくれたという流れの文脈になっています。
 だから『くもをさがす(蜘蛛を探す)』という本のタイトルなのです。ただ、今読んでいるページでは、まだ「さがす」の部分の意味はわかりません。(25ページまで読んだところです)
 ご自宅にいた蜘蛛に刺されたことが、乳がんの発見につながっています。
 著者の右の胸にしこりがあります。

 右胸にしこりができて、超音波検査に行く。紹介状をもらった。2021年(令和3年)5月のことです。3週間後が検査でした。
 日本では2020年(令和2年)初春からコロナ禍のごたごたが始まっています。
 カナダの医療制度のことが書いてあります。
 日本とはだいぶ異なります。読んでいて、日本は恵まれていると思いました。
 カナダでは、直接各科目のクリニックの受診はできない。
 ファミリードクター(総合医)をまず受診する。ファミリードクターがいない人は、ウォークインクリニックを受診する。紹介状をもらってから専門医を受診する。
 救急は混んでいる。8時間から9時間は待たされる。(「救急」とは、なのれないのではないか)
 
 著者が12歳のときに胃がんで亡くなった母方祖母のサツキさんは、電車で席がないと、床に新聞紙を敷いて座っていたそうです。
 自分にも同様の体験があります。
 まだ自分が小学生だったころ、家族で、夜中に走る、たぶん急行列車で、日本列島を東へ西へとかなりの長距離を移動していました。乗客で混雑しているときは、床に新聞紙を敷いて座っていました。

 著者はお酒好きだったそうですが、がんの宣告を受けて断酒したそうです。
 
 不思議だった記事があります。19ページに『(たぶんがんの宣告を受けたから)8月17日 今日から日記をつけようと思う。』とあります。
 私が思うに、作家は、こどものときからずーっと日記をつけることを習慣としている。作家は、日記から創作のヒントをつかむ。でも、著者は違います。意外でした。

 20ページ付近まで読みましたが、がんの宣告を受けて、著者は混乱しています。
 コロナ禍もあって、さらに、外国にいることもあって、著者の心は混乱しています。著者の英会話はペラペラというわけではなさそうです。医療の専門用語はわからない。
 著者は一般的な日本人から見ると、特別な世界にいるように見えます。血族や姻族(いんぞく。婚姻による親族関係)に頼るよりも、身近な友人たちに頼る。
 カナダで長年暮らしている日本人とか、カナダ人であろう友人とか。著者の夫はカナダ人で、デヴィッドさんです。ベジタリアンのヨギーだそうです。(菜食主義。ヨガを行う人)。編集者をされているそうです。こどもさんはおひとりで、お名前は『S』で書中に出てきます。
 (外国住まいで、親戚づきあいが薄いことは、61ページに記述があります)
 (92ページに、義母とはもう2年間会っていないと記事があります)

 がんの治療内容です。
 1タームが3週間。8ターム続ける。
 4タームまで:パクリタキセルを投与する。
 3週間に1回:カルボプラチンも投与する。
 後半4ターム:AC療法(乳がんの抗がん剤治療)。
 後半、3週間に1回:シクロホスファミドとドキソルビシンを投与する。
 その後、4月ころに手術をする。(乳房を切除する)

 侵潤性乳管がん:しんじゅんせいにゅうかんがん
 MSPの履歴:マネージドサービスプロバイダ。コンピューターやネットワークのシステム管理
 イースター:復活祭。イエス・キリストの復活
 
 (なんというか、文章を読んでいて、著者が、ノートパソコンなり、タブレットの画面なりに、がんがん文字を打ち込んでいる光景が頭に浮かびました)(読み終えて違っていました。自筆の日記を出版化してあるそうです)

 72ページまでの第1章部分を読み終えて、著者はがんの宣告を受けて、心が不安定になり混乱しています。
 たくさんの名前が出てきます。わからない単語も出てきます。
 著者は自分に向けて、文章を書き続けていると思います。(自筆の日記と聞いて納得できます)

 9月2日メディカルクリニック受診。ロナルド医師と面談。診断は、トリプルネガティブ(転移が多いがん)

 自然が豊かで、街中に女性蔑視の広告がないバンクーバーと、そうではない東京の比較があります。
 日本人男性の感覚はマヒしています。女性を商品として扱うことになんの違和感ももっていません。そして、そういう人が社会で権力を握っています。

 トレイル:歩くための道
 PET検査:がんの検査。がんの有無、転移、治療効果、再発など。
 Spotify:デジタル配信サービス
 生検査:病変の一部を顕微鏡で詳しく調べる。
 
 実母の気持ちとして『お母さんには、祈ることしか出来ひんから。』(自分でどうすることもできないとき、人は祈ります)

 いろいろ読んでいると、著者はがんの家系に生まれたことがわかります。がんで亡くなっている人が多い。

 著者は小泉今日子さんとZoomでお話をされています。(私は毎朝NHK朝ドラの再放送で『あまちゃん』を見ているので、毎日のように小泉今日子さんが登場します。本を読んでいて身近に感じます)Zoomズーム:Web会議サービス

 1977年5月7日生まれ。

 著者は抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜け落ちていきます。
 悲惨です。
 鼻毛も、だいじなところの毛も抜けます。
 鼻毛が抜けると鼻くそがたまるそうです。
 
 患者と医療事務関係者との立場は対等です。
 患者は王様ではない。
 日本だと、お客さまは神様というような扱い方がありますが、間違っています。
 サービスを提供する者も受ける者も立場は対等です。

 2019年12月(令和元年)にバンクーバーに来た。

 海をながめるビーチのようすが素敵です。
 がんになって、海を見る。
 波の音を聴く。
 自分の人生について深く考える。

 著者はむずかしい精神世界の中で生きています。

 日本とはずいぶん違う医療システムです。
 救急外来に行っても、医師にみてもらえるまでに8時間もかかっています。(ご主人の胆石による痛みにて)

 カナダのバンクーバーでは、日本のように、従業員が組織を代表して謝るという習慣がないそうです。
 自分は〇〇の担当だから、〇〇のことをしているから、自分は自分の仕事をきちんとしている。
 相手にとって不都合な点は、自分の職務怠慢が原因でないときは謝らない。
 悪いのは、会社や組織の運営にある。というような理屈で、それが外国での常識です。
 著者は、それはそれで良しとしています。
 客がいないのに、持ち場でじっとしている日本人は奇異なのです。
 くわえて、日本のように、黙っていても人がやってくれるという意識でいたら外国ではやっていけないというような表現があります。自分のことは自分で調べてどんどん聞く。たしかに、自分のことを自分でやらず、人にやらせようとする人は多い。

 著者は、抗がん剤治療をしている自分と、自分が拾ってきて飼っていたネコ『エキ』のことを重ねます。『エキ』は、電車の車庫で保護したので『エキ』という名前のネコです。『エキ』は、病気です。

 79ページに、角田光代さんとの対談に関する記事があります。

 2019年12月6日(令和元年)。著者夫婦は、バンクーバーに到着した。
 バンクーバー滞在は2年間の予定だった。

 パニックアタック:ストレスで、息ができなくなる。よつんばいになる。床にうつぶせで倒れこむ。

 吐く(はく)。かなりしんどそうです。
 赤い尿が出る。
 
 セージのお香:ハーブの一種

 ときおり、ゴシック体の太字で、本から引用した文章がページ上(じょう)に置かれています。
 心の支えです。読書が、心をささえています。

 カナダバンクーバーの歴史や風土のことが書いてあります。(カナダの首都は東部にあるオタワ)
 いいところもあるし、そうでないところもあります。
 バンクーバーでの暮らしはお金がかかる。高額な家賃。キツラノ:キツラノ地区。都会のビーチ
 広告が少ない。消費衝動をあおらない。
 先住民が暮らしていた土地を白人が奪ってカナダという国をつくった。
 アルコール中毒や薬物中毒が社会的な問題になっている。薬物使用者が多い。路上で薬物注射をしている人がいる。
 日本で、薬物使用で逮捕された芸能人の話があります。最近は、大学運動部の部員が逮捕されて大きな問題になっています。
 オーバードーズ:薬の過剰摂取
 スティグマ:否定されて、不当な扱いを受ける。
 ハウスレス:ホームレス。家のない人
 矜持(きょうじ):プライド。誇り

(つづく)
 第3章の部分です。『身体は、みじめさの中で』
 112ページ、全体の半分ぐらい、ここまで読んできて、この本の内容を理解するためにはそれなりの労力を要します。
 いくつかの雑誌でこの本の書評や感想を読みましたが、どれも似たような内容でした。本当にきちんと読んで感想を書かれたのだろうか……(本を売るためと自身の収入を得るための書評なのか)

 饒舌な(じょうぜつ。おしゃべりな)文章が続きます。
 命の喪失の未来について考察するのなら、言葉数はもう少し少なくても良かった。
 文学作品として考えるならば、読み手にとって、情報が多すぎます。

 かなり長時間の読書になりました。
 疲れました。

 両方の乳房を失う手術を受けるそうです。(術後は、二本の赤い線がある状態と、うしろのページで読みました。そうなのか)(右胸にしこりがあって、しこりがない左胸も切除するのか。そういうときもあるのでしょう)(乳首を残すか残さないかの話が出ます)
 手術は12時スタート、午後3時15分終了、その日に退院だそうです。びっくり。
 ドレーンケア:体内にたまった血液、膿(うみ)、浸出液を体外に出す。
 タイレノール:痛み止め
 手術当日は、自宅で、午前5時起床でした。
 あっという間に手術が終わります。本人は麻酔で手術中の記憶はありません。夕方退院しました。
 
 疾病の状況とは関係のない友人・知人のプライベートな家族関係に関する記述が多い。
 著者の不安と緊張、ストレスとパニックの現れなのでしょう。混乱して心理の自己コントールが失われています。
 150ページから流し読みに入りました。ちょっと読書が苦痛になってきました。
 ときおり、ゴシック体太字で、他の本の引用文が出てくるのですが、必要なものなのだろうか。著者にとっては必要なのでしょうが、読み手にとってはそうでもありません。文章全体にくどさが目立ちます。

 全部をなんとか読み終えて思ったことです。著者はパワフルな人だ。
 
 私は、タイピングで書いた文章だと思っていました。
 違っていました。
 自筆の筆記で、日記として書いたそうです。
 出版の予定もなかったそうです。
 ゆえにとめどない文章なのでしょう。
 夏目漱石作品『吾輩は猫である』に似ています。
 谷川俊太郎さんの同作品評論にありましたが、牛がよだれをたらしているような文章がとめどなく続くのです。

 キャンサーフリー:治療後、がんの再発はないということ。著者のことです。
 
 本のタイトルにある蜘蛛(くも)はどこに行ったのだろう。
 読み手である自分が蜘蛛の居場所を探します。
 197ページで見つけました。
 著者の寝室にいました。(蜘蛛は母方祖母の生まれかわりです)

 2022年(令和4年)、日本への一時帰国があります
 マスクがらみの日本社会の不自由さがあります。
 東京の街の狭苦しさが、カナダのバンクーバーと比較して分析があります。
 日本人は『お金』を大切にする。いっぽう、バンクーバーの人は『自分が自由に使える時間』を大切にすると読み取れます。
 日本人は、自分の居場所を守るために、必死で生きている。ほかの人のスペースを尊重できなくなるほど心理的に追い詰められているという分析があります。
 論文のようです。日本人論(にほんじんろん)です。
 おおむねあたっています。そして、日本人の多くは人間関係で悩みをもっています。

 著者は再びカナダへ戻っています。
 
 がんサバイバー:がんの診断を受けたあと生きていく人々

 すさまじい量の文字数でした。
 疲れました。

(翌日朝のこと)
 がんの治療をしている人がこの本を読んでもあまり参考にならないような気がします。
 一冊思い浮かぶ本があります。
 『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』
 一冊3520円と、ちょっと高いですけれど、いい本でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月15日

ねずみくんのチョッキ 作・なかえよしを 絵・上野紀子

ねずみくんのチョッキ 作・なかえよしを 絵・上野紀子 ポプラ社

 『おかさんがあんでくれた ぼくのチョッキ……』(こどもは、おかあさんが好きです)(でもこどもがにがてなおかあさんもいます)(こどもは悲しい思いをします)(最近そんな事件のニュースがいくつかありました)

 ネズミくんのおかあさんが編んでくれたチョッキが旅をするようです。
 チョッキをアヒルに貸しました。
 ふむ。かわいらしい絵です。
 ページの広さをうまく使ってあります。
 余白=広さです。

 こんどは、おさるさんです。
 おさるさんに、お母さんが編んでくれたチョッキを貸します。
 おさるさんの体には、チョッキが少しきつい。いやいやかなりきつい。

 アシカの登場です。
 この作品についての作者の発想の始発点はどんなふうだったのだろう?
 
 ライオン! ライオンの顔がこわい。
 不思議なタッチ(筆致ひっち)の絵です。
 ライオンの顔が人間のようでもある。
 
 馬?! 馬がチョッキを着るのか!
 馬が2本足で立っている(おもしろい)
 
 ついにゾウが登場しました。
 この絵本は、ページの下地の色は、緑色です。
 文字は、白色です。

 ゾウが、チョッキを着用しました。
 よく伸びるチョッキです。
 どういうわけか、ドラえもんののび太の顔があたまに浮かびました。
 『のび太』の名前の由来はなんだろう。ドラえもんの漫画は全巻読みましたが書いてあったかなあ?(調べました。第2巻に書いてあるそうです。父親の願いとして「すこやかにどこまでも大きくのびてほしい」こちらの絵本ではネズミのお母さんがつくってくれたチョッキがのびます)

 大きなゾウと小さなネズミの比較があります。
 びろーんとチョキがのびてしまって、もうチョッキの形がありません。
 チョッキとして着用することはできません。ネズミの子はしょんぼりしています。(こういうオチなのか。これで終わってしまうのか。いえいえ終わりません)

 な~るほど。
 のびたチョッキは、ゾウのお鼻にかけられて、ネズミの子にとってのブランコになりました。
 アイデア遊びの絵本でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:39Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月14日

僕の心臓は右にある 大城文章

僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版

 著者を、太川陽介さんの路線バス対決旅で見たことがあります。著者であり芸人であるチャンス大城さんは、太川陽介チームのゲストでバス旅に参加されました。
 松本利夫チームとの対決でした。
 チャンス大城さんはなかなか苦労されていましたが、チャンス大城さんがいた太川陽介さんチームが勝利しました。チャンス大城さんは、その後、テレビ番組『アメトーク』に出ておられました。
 ほかに、別のバラエティ番組にも出ておられて、心臓が右側にあるという不思議な体をもっておられることの紹介がありました。心臓を含めて、内臓が反転している位置にあるそうです。(生きるのに問題はないというようなお話でした)
 わたしは、いつ情報を仕入れたのか記憶が定かではないのですが、チャンス大城さんのこの本が爆発的におもしろいと聞きました。読んでみたくなりました。

(1回目の本読み)
 まずは、1回目の本読みとして、全部のページをめくってみます。
 2ページで、チャンス大城さんは、床(ゆか)に座って食事をするそうです。
 ホームレスすれすれの生活をしてきたそうです。
 1998年に兵庫県の尼崎から東京に出てきて、転々として、今は、2年前に借りた部屋にいる。家賃5万円。エアコン付き。
 わたしにも記憶がある兵庫県内の地名が出てきます。『尼崎(あまがさき)』とか『武庫之荘(むこのそう)』とか『塚口(つかぐち)』とか『伊丹(いたみ)』とか。
 もう昔の話ですが、1975年代(昭和50年代ごろ)にそのあたりに知り合いがいて、何度か足を運びました。そのうちのひとりは自分の親族で、現地の会社で働いていました。(今はもうそこにはいません)もうひとりは高校時代の友人が家族と暮らしていました。(その後、その友人とは音信不通になりました)
 いいにくいのですが、柄(がら)がいい地域には見えませんでした。今はもうないのでしょうが、西宮球場あたりも歩いたことがあります。でも怖い(こわい)と思ったことはありません。自分自身、スラムのようなところで育ったので、荒っぽい環境には慣れていました。
 この本には16ページに『……尼崎はとても濃ゆい(こゆい)街です。不良の数が半端(はんぱ)なくて……』とあります。
 ソーセージ兄弟という貧乏兄弟の話が出てきました。ふむ。こういう暮らしが昔はあったなと自分のこどものころを思い出しました。
 ビンボー話が続きます。今はどうかわかりませんが、昔はどこもそんな暮らしがありました。
 著者にとっての伝記、思い出の記録です。
 かなりの長文です。あとがきを含めて303ページあります。著者は、この本をつくるために、かなりの時間を使いました。
 話し言葉の文章です。テープに録音してから文章化してあるのだろうか。
 2022年7月初版です。今年5月で6刷ですからよく売れている本です。
 本のタイトル『ぼくの心臓は右にある』は、本を手に取る人の気をひくためのものなのでしょうが、ほかにもっといい感じのタイトルがありそうな気がします。ちょっとあざとい感じがするのです。(ずるさがある)(読み進めながら、ちょっと別のタイトルを考えてみます)(164ページまで読んで、タイトルはこのままでいいという気分になりました)

(2回目の本読み)
 ウメヤマソウジとウメヤマセイジ兄弟というのが、話に出てきます。合わせてソーセージ兄弟です。
 貧乏な家の兄弟です。着ているものが古くて汚い。
 クリスマス会でのプレゼント交換です。
 イキる:高飛車(たかびしゃ)。お金持ちのお嬢さんのことが書いてあります。(お嬢さんはまだこどもです)
 カリカリ梅:未熟な小さな梅
 ザク:ガンダムシリーズに登場する兵器。有人操縦式人型機動兵器
 
(つづく)

 32ページまで読みました。
 いい本です。
 今年読んで良かった一冊になりそうです。

 貧困と富豪が同じような地域に存在している。
 『芦屋(あしや)』というところはお金持ちの人たちが住んでいるようで、関西の人たちにとってはいちもく置くような地域なのでしょう。(いちもくおく:優れているので敬意をはらう。うやまう。尊敬する)
 ウメヤマ兄弟の父親が自分で家をつくります。わたしの思い出として、わたしの母方の祖父がそうでした。家を建てたとき、大工が忙しくてなかなか来てくれなかったので、大工仕事ができる祖父が家を建てたと祖母が話していました。

 著者のお父さんは、ブラジャーのホックをつくる工場で働いていた。
 お父さんは自分の仕事に誇りをもっていた。いいことです。お金のためだけでは仕事は続きません。自分がしている仕事は世のため人のためになっているという誇りが自分の心を支えてくれます。
 お父さんが、著者の友だちであるサイトウ君にブラジャーを付けさせて、ブラジャーのホックを一瞬で、はずすやり方を教えます。いやらしくはありません。年配の人がエッチなことを話すときに若い人はいやがりますが、年配の人は、若い人を『これが現実だ!』としかります。現実なのです。人間もしょせんは生き物なのです。

 著者の家族全員がクリスチャンという話が出ます。
 聖歌隊にお父さんが入っていることが驚きなのですが、オンチで聖歌隊から除外されて、気持ちが落ち込んで、されどがんばって再入隊して、されど、口パク(くちぱく。声はださない。口の開閉だけする)で参加してというくだりに大笑いしました。悲喜(ひき)こもごもです。人生っていいなと思わせてくれます。いい本です。

 人にだまされることが多かったおとうさんだそうです。お金を貸しても戻ってこないし、保証人になれば借りた本人に代わり借金を背負うのです。
 世の中にはひどいことを平然とする人がいます。わたしも貸したお金は、3割ぐらいしか回収できていません。若いころはたくさんだまされました。笑顔で近づいてくる人間は要注意です。下心(したごころ)があるのです。いくら返済を請求しても返してくれなくて、あげくのはてには、借用書があるのに、借りた覚えはないと言われことがあります。信頼を平気で裏切る人間がいます。

 チャンス大城さんのお酒のみのおとうさんが雪の中で倒れていたのを発見されたという話があります。
 わたしもこどものころに自分の父親で同様の体験があります。どちらの話も通りかかった人が助けてくれています。
 昔は、酒飲みがよく道ばたにころがっていました。

 家族のことが赤裸々(せきらら)に書かれています。(あからさまに。かくすことなく。いいのだろうか。ご家族ににらまれそうですが、息子のためならよしかとも思えます)
 母親:身長130cmぐらい。老人ホームで働いている。著者に芸人になることを勧めてくれた。
 兄チタル(「千足」と書く):ピアノ演奏がうまい。変わった性癖(せいへき。生まれつきの悪い癖)がある。フロに入らない。爪を(足の)切らない。一芸に秀でた(ひいでた)能力をもっている人は、標準からははずれた性癖がありそうです。
 
 以前読んだ『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』もすごいご家族の内容でしたが、芸人さんの家は、それなりに苦労があって、生活に『笑い』を求める傾向があるのだろうかと分析しています。

 著者の小学生時代に起きた下ネタがおもしろすぎる。『二メートルの大男』という部分でした。
 おとんがいて、おかんがいて、おねえ(3歳上)とおにい(2歳上)がいて、狭い家で暮らす四人家族は、騒動の連続です。

 いじめのことが書いてあります。
 芸人さんは、こどものころいじめられていた人が多いような気がします。
 いじめられているあいだに、さきざき、みかえしてやるぞのパワーが蓄積(ちくせき)されるのです。

(つづく)

 著者の心臓が右側にある。加えて、内臓の位置が反転しているという話が出ます。小学校入学前の健康診断で指摘されたお話です。
 なにかのテレビ番組でそのエピソードの披露を見たことがあります。不思議ですが、だいじょうぶだそうです。珍しいけれどありえる事例だそうです。
 ふーむ、生活をしていてなにか苦労がありそうな気がするのですが、本人いわく、何もないそうです。不思議です。正式名称が『内臓逆位(ないぞうぎゃくい)』胃も腸も肝臓も膵臓(すいぞう)も左右反対になっているそうです。びっくりです。
 マンガ『北斗の拳』を自分はほとんど知らないのであれですが、(語る資格がない)ケンシロウの敵がサウザーというキャラクターで『内臓逆位』だそうです。

 お金持ちの家のこどもが、貧乏な家のこどもをいじめる経過が書いてあります。
 頭のいい人は、冷酷ないじめをします。体罰ではなく、心理的な抑圧(よくあつ)です。シカト(無視)がいい例です。いないものとして扱うのです。陰湿です。
 著者と著者の友だち(貧乏)は、お金持ちのこどもにお金を使っての心理的ないじめをしかけられてはまっています。悪質ですが、上流階級ではよくある事例なのでしょう。本人にもわからないようにしかけをして、人間のゆれ動く心をもてあそんでいます。いじめる側は、悪魔に近い位置にいる人間です。そういう人間が組織の上層部のポストにつくと部下は悲惨です。

 著者の唯一(ゆいいつ。ただひとり)の友だちである「ウメヤマ」くんが、偉才(いさい)を放っています。(貧乏だけど才能をもっている)かなり笑えます。なんだか、小学三年生のウメヤマくんが、かっこいい!
 いくつかの感動できる話があります。いい本です。
 リリー・フランキーさんの名作『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』の冒頭付近にある福岡県炭坑地域での小学生時代の記述と重なる人間臭い生活ぶりがあります。
 お金がないから幸せになれないということはない。されど、苦しい。

 公序良俗(こうじょりょうぞく。常識とか道徳とか)に反する内容が多いので、売り出しにくい本ではあります。
 ノンフィクション(事実をもとの書かれている)ので、昔のこととはいえ、書中に登場してくる人物が関係者ならだれかもわかってしまいます。

 トラサルディ:イタリアのファッションブランド。ダボダボのジーンズをはいた不良が出てきます。(中学生不良なのですが、幼稚園時代はリス組で、著者と同じクラスでした。10年ぶりの再会です)

 1989年(平成元年)、14歳の著者が、関西のお笑い番組のしろうと挑戦コーナーに出場して優勝します。
 平成元年あたりは、日本だけではなくて、世界中が転換の年でした。自分も若かった。

 なんだろう。この本はもしかしたら、いじめた人間への復讐本という位置づけのような気がしてきました。

 シンナー中毒の話が出ます。
 わたしは小学生の頃、公民館で、シンナーを吸うと人間の脳がおかしくなるという映画を見ました。
 自分がこどものころに、シンナー中毒の若い男性を見たことがあります。言動が異様です。
 中学生である著者のまわりは、かなり崩れた人格の人たちがいます。よくがまんされました。
 されど、影響されたときもあったようです。120ページに『その後の人生、酒に溺れて(おぼれて)しくじった時、自分の子供に会えなくなった時、自分の情けなさに泣けてきた時……』とあります。
 著者の心の弱さが、さらけだしてある本です。今年読んで良かった一冊です。
 
 定時制高校のところを読んでいて思い出したことがありました。
 場所は忘れましたが、伊丹市だったか、尼崎市だったかにある定時制高校をもうずいぶん前、半世紀ぐらい前に見学したことがあります。親族が通っていて、そういう機会がありました。
 体育の授業で、生徒たちは、夜の体育館で楽しそうにバレーボールをしていました。
 ところが、今回この本を読んで、学校での出来事が書いてあって、いろいろあるのです。
 あいつも(自分の親族)も苦労したのだろうなあと感慨が湧きました。(かんがい:感じて、身にしみる。しみじみする)

 もの悲しいなかにも笑いがあります。ちょっぴりの幸せがあります。

 ガーゴイル:西洋建築の屋根にある怪物の彫刻

 メチャクチャな青春の記録です。

(つづく)

 地面に埋められた話はもう犯罪です。
 でも、警察には届けはしていないし、発見者もその気がありません。その土地の風土(ふうど)です。土地柄(とちがら)です。
 親御さんも(おやごさんも)無頓着(むとんちゃく。気にしない)ですから、親御さんご自身も似たような体験があるのでしょう。

 メチャクチャです。
 なんというか、著者自身に『意思』とか『意志』がみられません。生き方において、なにかが足りていません。

 定時制高校を4年間で卒業することはたいへんなことです。入学式で100人、卒業式で30人ぐらいです。その点で、卒業した著者はたいしたものです。

 著者は、1995年1月17日の阪神淡路大震災を体験します。
 驚いて母親にしがみついた著者の背中に大きな棚が落ちてきます。母親は息子が自分を守ってくれたと感謝して息子にお礼として1000円札を1枚渡します。どこからしら、かみあわないなかにもユーモアがあります。

 災害の避難所で過ごすのにはけっこう神経が疲れます。
 なにもすることがないのです。
 過ぎていく時間をどうやってつぶしていくか迷い悩みます。
 
 著者の友人ワダさん:父親が7人変わった。(ある意味、生きる勇気をもらえます)(ワダさんは、そのうち、インド人のおとんにぶつかります(義父として))
 
 くわばたりえさんと付き合っていた話が出ます。
 人生いろいろです。

 流れている。あるいは、流されている日常生活です。
 かなりハードではある。
 210ページ『……何を目標にして生きていけばいいのかわかりませんでしたが、かといって他にやることも、行く場所も、もうありませんでした……』
 借金をかかえた人たちが岐阜県の山奥にあるガラス工場で仕事の行き帰りだけのバスにのって毎日を過ごす生活が書いてあります。寮と工場を往復するだけです。まるで、監禁生活です。お金を使う場所はありません。ただ、離職することは自由だったでしょう。そしてお金は貯まります。

 著者は、54歳になったらお笑いの世界で売れるという占いです。(占いは当たっているのではないか)
 
 X JAPAN hide:ロックバンド。1998年(平成10年)急逝(きゅうせい)
 
[東京編]
 これまでは、関西の話でしたが、219ページから東京のことです。
 ここまで読んで思うのですが、これだけの長文をわかりやすい文章で書く能力が著者にあるとしたら、たいしたものです。多少の疑問はあるのですが、編集者の手は入っているのでしょう。

 わたしが見学したことがある『築地本願寺(つきじほんがんじ)』が冒頭に出てきます。内容は、X JAPAN hideさんという方の葬儀です。(あいにく自分は存じ上げません。1998年当時のわたしは必死で働いていました)

 次のページでは『東中野駅』が出てきます。わたしは先月、東京観光の途中、電車で東中野駅を通過したので身近に感じます。
 そこで著者が借りたアパートの家賃は、1万8000円です。

 河岸(かし)を変える:文中では、椎名林檎(しいな・りんご)さんが、コンビニを変えるという意味で使ってあります。
 昔、福岡県にある嘉穂劇場(かほげきじょう)という和風の劇場(芝居小屋)を見学したときに、椎名林檎さんのコンサートがあったというようなポスターを見て不思議な感じがしたことを思い出しました。調べたら椎名林檎さんは福岡県育ちの体験がある人でした。

 (この本を読んでいた時に千鳥のテレビ番組『相席食堂』に著者が旅の案内人として、ツチノコ探しのイベントに参加したという映像を観ました。ものまねというか、人間じゃないイリオモテヤマネコの顔でフクロウが鳴くというようなものまねが良かった。じょうずです)

 230ページ付近まで読んで、著者は、成育歴の影響で、心に壊れている部分があります。
 まともな結婚はできなさそうです。(そう思っていたらこのあと結婚、男児まで生まれていますが、経過はまともではありません)

 不肖の息子です。(ふしょう:おろかな)
 母心がありがたい。

 酒が人間をだめにします。
 お酒のみの人は、自分が何をしてもまわりにいる人間は自分を許してくれると勘違いしています。許してはくれません。(本書では、288ページで、千原兄弟の兄せいじさんが400人の観客がいる舞台上で著者に『おまえ、酒やめろ!』と本気で言っています)
 たばこもだめです。酒とたばこの大量摂取は自殺行為です。(書中では著者の目の前に「死神(しにがみ)」が登場する幻視らしきものが現れます)(酒とたばこには気をつけないと、心身を壊して悲惨な状態で死に臨む(のぞむ。向かう)ことになります)
 ほろにがくて、泣けてきそうな人生です。
 著者は、こどものまま、おとなになって、まわりの人たちに迷惑をかけていた人です。
 やりたいことはやる。やりたくないことはやらない。いつまでたっても、こどもです。
 妻からみれば、ひどい夫であり、こどもからみれば、ひどい父親です。
 著者は当時34歳ぐらいです。
 メチャクチャな生活です。(その素行(そこう。ふだんの言動)には、芸名にあるような「チャンス(大城)」はない。

 266ページまで読んだときに『不作為の人(ふさくいのひと)』という言葉が頭に浮かびました。
 気が向くことは徹底的にやれるけれど、気が向かないことは簡単なことでもいっさいやりません。やるべきことをやらないことで、被害者や損害が出ることがわかっていてもやりません。ゆえに、転落していきます。その性癖(せいへき。生まれつきの癖)のようなものは、一生なおりません。

 274ページ付近の段ボール箱の話は、爆笑できます。

 2013年(平成25年)著者38歳にチャンスが回ってきました。
 ブリッジ:ネタの間にはさむ「言葉」や「動作」。著者の場合は「オッヒョッヒョ」
 
 立川談志師匠の言葉として『落語とは人間の業の(ごうの)肯定である』(人間とはしょせん、どうしようもないものなのだ。業:ごう。悪行(あくぎょう))
 
 読み終えて、うーむ。(評価が)むずかしい本です。いいところ半分。そうでないところ半分。されど、それが人間のありようともいえます。  

Posted by 熊太郎 at 06:44Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月11日

おまたせクッキー パット・ハッチンス・作

おまたせクッキー パット・ハッチンス・作 乾侑美子(いぬい・ゆみこ)・やく 偕成社

 イギリス人女性作家が書いたこどもさん向け絵本です。
 なかなかいい。
 1987年(昭和62年)初版の絵本です。すでに作者も訳者も天に召されています。

 おかあさんがクッキーを12枚焼いてくれました。
 こどもさんがふたりです。
 ひとり6枚ずつですからスタートします。
 ピンポーン お客さんがふたり来て、人数がだんだん増えていきます。
 割り算の勉強です。
 12個÷4人=3個
 
 『平等』とか『公平』について考えます。
 
 またふたり増えて、
 12個÷6人=2個です。
 平凡な展開です。
 人が増える。もらいが少なくなる。
 絵は外国風です。昭和62年当時の日本だと畳の和室に、お膳(おぜん)の家が多かった。
 
 さらにともだちふたり、いとこが4人も来てしまいました。
 12個÷12人=1個
 ここまでの話の流れは、読み手は予想できます。
 クッキーをもらうのではなく、つくるというストーリーを思いつきました。(はずれました)
 もうひとつ思いつきました。クッキーを割って数を増やす。(はずれました)
 
 さらに、ピンポーンが鳴る。室内にびみょうーな空気が流れます。もうこれ以上増えると渡せるクッキーはありません。新しい人はクッキーなしという裁定を下すのか。早い者勝ちというルールにするのか?

 ホームラン!
 逆転ホームラン!!です。
 なるほど。
 おもしろいオチ(話の締め(しめ))です。(ここに書くのはやめておきます)
 こどもさんは喜ぶでしょう。
 ふっふっふっと笑いがでる終わり方でした。
 いい本です。  

Posted by 熊太郎 at 06:44Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月10日

へんてこ へんてこ 長新太(ちょう・しんた)

へんてこ へんてこ 長新太(ちょう・しんた) 佼成出版社

 なにが始まるのだろう?
 山奥に橋があって、人間はこわがって、その橋を渡らないそうです。

 ページをめくって、おもしろい!
 橋を渡ると、体がにゅーっとのびるそうです。
 親戚のちびっこにこの絵本をプレゼントしよう!
 
 絵は素朴です。(そぼく。かざりけがない。「美」を追求していない)
 
 ゾウがやってきました。ゾウが橋を渡ります。ゾウのからだがびよーんとのびます。
 楽しい気持ちになれるいい本です。
 
 1988年(昭和63年)初版の絵本です。

 なんというか、絵本の中身をネタにして、読み聞かせで、読み手とちびっこが会話をして盛り上がる本です。  

Posted by 熊太郎 at 07:48Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月09日

あかたろうの1・2・3の3・4・5 きたやまようこ

あかたろうの1・2・3の3・4・5 きたやまようこ 偕成社

 おにのこどもが出てきます。
 男の子です。5歳ぐらいに見えます。
 おにですから、頭に2本、ツノが生えています。
 あかおにだそうで、おなまえは『あかたろう』です。

 家の中で、おかあさんがいないらしい。
 おかあさんが見つからない。

 おかあさーん!
 読んでいるほうも不安になってきます。
 おかあさんは、どこに行ってしまったのだろう?

 「かくれんぼ」みたいです。
 1977年(昭和52年)初版の絵本です。
 絵の中に書かれている家具類が古い型(かた。タイプ)ばかりです。
 洗濯機の型も古い。
 タイムマシンにのって、過去に来たようです。
 
 おかあさんが見つからないので、あかたろうは、近所に住む祖母に電話をかけます。
 電話機の型がこれまた古い。ダイヤル式の電話です。(でも、今でもそのような電話機を使用している人をわたしは複数知っています)
 もしもし、ぼく、あかたろう。
 おばあちゃんのところの電話番号が、1・2・3の3・4・5です。

 おばあちゃんと電話がつながって、それからいろいろ展開があります。
 おかあさんは、さっきまで、おばあちゃんの家にいたけれど自宅に帰ったそうです。

 やおや:みどりおに。でんわばんごうは、3・4・5の5・6・7 にんじん1,たまねぎ2、じゃがいも3
 さかなや:あおおに。でんわばんごうは、5・6・7の7・8・9 えび4
 きのみや:きいおに。でんわばんごうは、7・8・9の0・0・0 ほしぶどう5

 あかたろうのおるすばんがすみました。
 おかあさんが、帰ってきました。
 
 その後のふたりの会話に、なるほど。
 うまくできています。
 前半の仕掛けが伏線になって、じょうずにお話がまとまっています。
 「数」の勉強にもなっています。

 おいしいばんごはんの時間です。
 楽しい会話がはずむ食事はだいじです。
 
 最後のページでふと思う。
 (なんで、おになんだろう?)  

Posted by 熊太郎 at 06:19Comments(0)TrackBack(0)読書感想文