2024年12月08日
農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。
農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、そして今回が、農林水産省です。いくつか食堂があるのですが、入館するために必要な受付票を書かなくてすむ、『咲くら(さくら)』という食堂に入りました。おとなりに蕎麦屋(そばや)もありました。
システムとしては、丸亀うどんみたいに、列をつくりながら、最初にお盆をもって、自分が食べたいお皿(料理がのっている)をお盆にのせていき、最後のほうで、ごはんの大・中・小とかみそ汁を選んで、現金で支払いです。
定食は別途注文して、できあがったら受け取ります。
次の写真は、クジラ料理です。その次の写真が、カキフライとヒレカツです。いずれも定食です。
夫婦で注文して、ふたりでシェア(ワケワケ)しながら食べました。
お昼時は、職員さんたちで混むので、午後1時半ごろお店に入りました。(昼の部は2時までです。朝と、夜の時間帯も営業されています)。
農林水産省の建物の北別館入口で、警備員に、『観光客ですが、ごはんだけ食べにきました』と告げて(警備員のそばに、お店のメニューが書かれた大きな看板が立ててあります)、お店に入ったら、従業員に、『初めて来ました』と声をかけて、注文のしかたを教わってやりました。午後1時半ごろだったので、食事をする職員は、まばらでした。いかにも公務員という感じの服装・眼鏡姿の人がいました。
クジラの肉は、こどものころに良く食べました。
当時は、熊本県の天草(あまくさ)という島に住んでいて(まだ、天草五橋(あまくさごきょう)は、できていませんでした)、冷凍されたクジラ肉を薄く切って食べていました。刺身ですな。醤油をつけて食べていた記憶です。おいしかった。自分はまだ、就学前の6歳児ぐらいだった記憶です。
今回こちらの食堂で食べたクジラ肉は柔らかくておいしかったです。カキフライもヒレカツもおいしい。農林水産省ですから、日本各地の名物を取り寄せて料理して出しておられるのかなと想像しました。時間的に混んでいなかったので、また同じような時間帯に来てもいいかなと思っています。次回の職員・学生食堂訪問候補地は、東京大学の本郷キャンパスか駒場キャンパスがいいかなと作戦を立てています。思い出づくりの余生を楽しむ東京見物をときどきしています。なお、財務省の食堂のごはんもおいしいと聞きました。
食事のあと、付近を散策して楽しみました。
次の写真は、法務省の古い建物です。
こういう形式、色合いの建物は、全国各地で見かけます。
愛知県だと、県庁とか名古屋市役所の本庁舎がそうです。そのそばには、今年のNHK朝ドラ、『虎に翼』にも登場した名古屋市市政資料館もあります。以前は裁判所でした。
先日福岡県を訪ねたときには、福岡市赤煉瓦文化館(あかれんがぶんかかん)とか、旧福岡県公会堂貴賓室が類似の形態をした建物でした。
次の写真は、警視庁です。
水谷豊さんの刑事ドラマ、『相棒』でよく映像に出てくる建物です。
東京都を管轄するのが、警視庁で、全国を管轄するのが、警察庁と覚えています。警察庁はどこにあるのだろうかと調べたら、警視庁のお隣にありました。ふつうのビルでした。まあ、よく考えたら、そういうレイアウトだわなと。だからドラマでは、お互いの職員が、すぐに警察庁の幹部室で会えるわけかと納得しました。
わたしは現役で働いていた頃は仕事で忙しく、テレビは二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見たことがありませんでした。
リタイヤしてテレビを見るようになって、『相棒』のようないいドラマがあったことに気づきました。昔の放送をさかのぼって順番に見て、知らずに過ぎた二十年間をふりかえる作業を楽しんでいます。
次の写真は、皇居です。桜田門から入りました。
この日はいいお天気で良かった。お堀も空もビューティフルです。東京駅方向に建つビルの林です。ほんとうに東京は高層ビルがいっぱいです。びっしり建っています。
毎年11月末から12月の始めはお天気が安定しています。穴場の行楽時期です。昨年は、鹿児島市を訪問して、桜島の美しい景色を楽しみました。
次の写真は正門石橋です。その奥に鉄製の正門鉄橋がかかっています。ふたつを合わせて通称で、『二重橋』と言っているというような説明が書いてありました。正式には、『めがね橋』とか、『(石橋を)二重橋』とはいわないようです。
わたしが初めてこの場所に立ったのは12歳のときでした。親戚の叔父さんや叔母さんたちと東京見物に来ました。浅草にも行きました。そのときいっしょだった叔父さんも伯母さんも寿命で亡くなってしまいました。今生きておられたら100歳ぐらいです。12歳だったわたしも前期高齢者の年齢になってしまいました。時がたつのは早いものです。
次の写真は、楠木正成(くすのき・まさしげ)の騎馬像です。
楠木正成は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と協力して鎌倉幕府を倒しましたが、その後、足利尊氏と対立して、戦(いくさ)で足利尊氏に負けて自害(じがい。自ら(みずから)命を絶つ)しました。楠木正成は自分を認めてくれた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に強い恩を感じていました。後醍醐天皇を裏切ることはありませんでした。後醍醐天皇と対立した足利尊氏は長いこと逆賊扱いでした。(ぎゃくぞく。主君(天皇)に反抗した悪人)。
1991年NHK大河ドラマ『太平記』のときは、武田鉄矢さんが楠木正成を演じていました。熱演でした。どうして、負けることがわかっているのに戦(いくさ)をするのかと問われて、『戦(いくさ)というものは、勝つからする、負けるからしないというものではない。戦(いくさ)というものは、ただひたすら、自分が愛する人や家族のために命をかけて戦うことだ』と言い切りました。いいセリフでした。人間は、『理屈』で生きているんじゃなくて、『気持ち』で生きているのです。
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、そして今回が、農林水産省です。いくつか食堂があるのですが、入館するために必要な受付票を書かなくてすむ、『咲くら(さくら)』という食堂に入りました。おとなりに蕎麦屋(そばや)もありました。
システムとしては、丸亀うどんみたいに、列をつくりながら、最初にお盆をもって、自分が食べたいお皿(料理がのっている)をお盆にのせていき、最後のほうで、ごはんの大・中・小とかみそ汁を選んで、現金で支払いです。
定食は別途注文して、できあがったら受け取ります。
次の写真は、クジラ料理です。その次の写真が、カキフライとヒレカツです。いずれも定食です。
夫婦で注文して、ふたりでシェア(ワケワケ)しながら食べました。
お昼時は、職員さんたちで混むので、午後1時半ごろお店に入りました。(昼の部は2時までです。朝と、夜の時間帯も営業されています)。
農林水産省の建物の北別館入口で、警備員に、『観光客ですが、ごはんだけ食べにきました』と告げて(警備員のそばに、お店のメニューが書かれた大きな看板が立ててあります)、お店に入ったら、従業員に、『初めて来ました』と声をかけて、注文のしかたを教わってやりました。午後1時半ごろだったので、食事をする職員は、まばらでした。いかにも公務員という感じの服装・眼鏡姿の人がいました。
クジラの肉は、こどものころに良く食べました。
当時は、熊本県の天草(あまくさ)という島に住んでいて(まだ、天草五橋(あまくさごきょう)は、できていませんでした)、冷凍されたクジラ肉を薄く切って食べていました。刺身ですな。醤油をつけて食べていた記憶です。おいしかった。自分はまだ、就学前の6歳児ぐらいだった記憶です。
今回こちらの食堂で食べたクジラ肉は柔らかくておいしかったです。カキフライもヒレカツもおいしい。農林水産省ですから、日本各地の名物を取り寄せて料理して出しておられるのかなと想像しました。時間的に混んでいなかったので、また同じような時間帯に来てもいいかなと思っています。次回の職員・学生食堂訪問候補地は、東京大学の本郷キャンパスか駒場キャンパスがいいかなと作戦を立てています。思い出づくりの余生を楽しむ東京見物をときどきしています。なお、財務省の食堂のごはんもおいしいと聞きました。
食事のあと、付近を散策して楽しみました。
次の写真は、法務省の古い建物です。
こういう形式、色合いの建物は、全国各地で見かけます。
愛知県だと、県庁とか名古屋市役所の本庁舎がそうです。そのそばには、今年のNHK朝ドラ、『虎に翼』にも登場した名古屋市市政資料館もあります。以前は裁判所でした。
先日福岡県を訪ねたときには、福岡市赤煉瓦文化館(あかれんがぶんかかん)とか、旧福岡県公会堂貴賓室が類似の形態をした建物でした。
次の写真は、警視庁です。
水谷豊さんの刑事ドラマ、『相棒』でよく映像に出てくる建物です。
東京都を管轄するのが、警視庁で、全国を管轄するのが、警察庁と覚えています。警察庁はどこにあるのだろうかと調べたら、警視庁のお隣にありました。ふつうのビルでした。まあ、よく考えたら、そういうレイアウトだわなと。だからドラマでは、お互いの職員が、すぐに警察庁の幹部室で会えるわけかと納得しました。
わたしは現役で働いていた頃は仕事で忙しく、テレビは二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見たことがありませんでした。
リタイヤしてテレビを見るようになって、『相棒』のようないいドラマがあったことに気づきました。昔の放送をさかのぼって順番に見て、知らずに過ぎた二十年間をふりかえる作業を楽しんでいます。
次の写真は、皇居です。桜田門から入りました。
この日はいいお天気で良かった。お堀も空もビューティフルです。東京駅方向に建つビルの林です。ほんとうに東京は高層ビルがいっぱいです。びっしり建っています。
毎年11月末から12月の始めはお天気が安定しています。穴場の行楽時期です。昨年は、鹿児島市を訪問して、桜島の美しい景色を楽しみました。
次の写真は正門石橋です。その奥に鉄製の正門鉄橋がかかっています。ふたつを合わせて通称で、『二重橋』と言っているというような説明が書いてありました。正式には、『めがね橋』とか、『(石橋を)二重橋』とはいわないようです。
わたしが初めてこの場所に立ったのは12歳のときでした。親戚の叔父さんや叔母さんたちと東京見物に来ました。浅草にも行きました。そのときいっしょだった叔父さんも伯母さんも寿命で亡くなってしまいました。今生きておられたら100歳ぐらいです。12歳だったわたしも前期高齢者の年齢になってしまいました。時がたつのは早いものです。
次の写真は、楠木正成(くすのき・まさしげ)の騎馬像です。
楠木正成は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と協力して鎌倉幕府を倒しましたが、その後、足利尊氏と対立して、戦(いくさ)で足利尊氏に負けて自害(じがい。自ら(みずから)命を絶つ)しました。楠木正成は自分を認めてくれた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に強い恩を感じていました。後醍醐天皇を裏切ることはありませんでした。後醍醐天皇と対立した足利尊氏は長いこと逆賊扱いでした。(ぎゃくぞく。主君(天皇)に反抗した悪人)。
1991年NHK大河ドラマ『太平記』のときは、武田鉄矢さんが楠木正成を演じていました。熱演でした。どうして、負けることがわかっているのに戦(いくさ)をするのかと問われて、『戦(いくさ)というものは、勝つからする、負けるからしないというものではない。戦(いくさ)というものは、ただひたすら、自分が愛する人や家族のために命をかけて戦うことだ』と言い切りました。いいセリフでした。人間は、『理屈』で生きているんじゃなくて、『気持ち』で生きているのです。
2024年12月07日
日本武道館に、『第18回 徹子の部屋コンサート』を見に行く。
日本武道館に、『第18回 徹子の部屋コンサート』を見に行く。
(以下の文章は、2024年9月1日・日曜日の朝に書きました)
昨日のことです。
11月下旬に愛知県東海市のホールである舞台、『峠の我が家(仲野太賀、二階堂ふみ、柄本時生、岩松了ほか)』を観ようと、午前10時からの申し込みにネットでチャレンジしましたが、瞬間的につながらなくなり、3分後に全席売り切れの表示が出てしまいました。朝ドラ、『虎に翼』に出ていた仲野大賀さんを観てみたかった。
しかたがない。では、第二候補だと、次は、タイトルにある徹子さんのコンサートを申し込みました。ネットで先行販売と書いてあるページを見つけて、ネット申し込み手続きがにがてなわたしが四苦八苦しながら会員登録をして申し込んで、チケットを手に入れました。さあ、これでよし! 楽しみです。ゲストは、岩崎宏美・良美姉妹、平原綾香さん、松平健さん、コロッケさん、美川憲一さん、南こうせつさんです。
松平健さんは今年7月に東京明治座で舞台劇とマツケンサンバの歌謡ショーを観ました。一年に二回も本物のマツケンサンバを観ることになるとは、今年のお正月には想像もしていませんでした。日本武道館の中に入るのも初めてです。
老後を楽しむぞーーー 体が動くうちに、やりたいことをやっておくのだーーー
死ぬときに、ああすれば良かった、こうしておけば良かったと、なるべく後悔しない人生を送るための終活です。
(その後、『峠の我が家』のほうは、追加公演が設定されたようですが(昼公演が終わったあと、夜公演が追加された。その回は、先着順ではなく、事前申し込みの抽選になったようです)、わたしは、徹子の部屋コンサートのチケットがとれていたので、『峠の我が家』はあきらめました)
もう40年近く前になりますが、自分が30代のときに、黒柳徹子さんの講演を講演会で聴いたことがあります。
90分間、機関銃のようにおしゃべりをされて圧倒された記憶があります。テーマに沿いながら、ユニセフの親善大使をしていることを中心にしてお話をされていました。
長い年月(としつき)が流れて、またご本人を見ることができて、ちょっとした感無量的な気分があります。かんむりょう:感慨無量。人生を、よくここまでやってくることができたというしみじみとする深い気持ち。黒柳さんは本当に長生きでお元気な方です。人類の中で選ばれた人なのでしょう。
(観に行ってきました。以下は、2024年12月2日月曜日に書きました。コンサートは、11月29日金曜日に東京の日本武道館でありました)
会場の中の写真は、開幕の15分ぐらい前のようすです。わたしたち夫婦の席はうしろのほうだったのですが、舞台に向かって正面だったので見やすかったです。
おおぜいの人たちが観覧に訪れておられました。
年齢層は高く、七十代の人たちが多かった雰囲気でした。女性が多かったですが、男性もそこそこおられました。ご友人たちやご夫婦など、みなさん、なごやかな人たちです。
午後5時30分に始まって、午後7時半ぐらいまで演奏と対談、休憩を25分ぐらいとって、再び演奏と対談、最後は出演されたみなさん総出で、『マツケンサンバ』を歌って踊って、午後9時過ぎに幕を閉じました。とても良かった。観に行って良かったと、終わったときに思いました。冥土(めいど。天国)へ旅立つ前のいい思い出ができました。
思い出すままに、感想を並べてみます。
始まって、いきなりハプニングが起きました。(予想外の出来事)
広い舞台の上に、バンドメンバー用のいくぶんこぶりのステージ(台)がつくってあったのですが、向かって左手から岩崎宏美さんが演奏に合わせて出てきて、ワンテンポ間があって、右手から岩崎良美さんがマイクをもって出ようとしたときに、(おそらくまだ一歩も歩いていなかった。ふわーっと広がった白くて長いスカートが、バンドメンバー用のステージにひっかかったのではないか)ものすごい勢いで、前方に良美さんの体が飛び(スーパーマンのように手を伸ばして、空中を飛びました)大きな音をたてて、前のめりに床に落ちられたのです。お顔は床にはあたらなかったようですが、相当痛かったのではないかと思います。出演者始め、何千人ものお客さんが、ぼーぜんとしました。
次の瞬間に、岩崎良美さんがしゅっと立ち上がって、まるで、何もなかったかのように、歌い出しを始められました。(曲はすでに始まっていたと思います。歌詞は、途中からの歌い出しだったと思います)
まあ、びっくりしました。
このことは、なかったことにして、そのあと進行するのかと思ったら、黒柳徹子さんがおおいに受けて、笑いが止まらないような状態で、最後の最後まで、岩崎良美さんが、コンサートが始まっていきなり転倒したという話が続きました。ステージにいて、右手横で椅子に座って舞台を観ていた徹子さんのお話だと、岩崎良美さんの全身が、2mぐらい、空中を飛んで行ったそうです。いやー、たしかに、すごかった。
次に出て来たゲストの南こうせつさんが、ころばないようにおおまたでゆっくり足を運んだり、その後出てきたコロッケさんも、良美さんがころんだことをネタにして笑いを誘ったりしていました。
あの転倒は、なかなか良かった。お笑いの話題づくりにつながりました。
『岩崎宏美・良美姉妹』
最初に、ザ・ピーナッツの歌を歌われました。なつかしかった。わたしがまだ小学校低学年のころ、白黒テレビの前におちゃんこして(正座して)、祖父母と歌番組を観ていたことを思い出しました。ザ・ピーナッツは、わたしの中では昭和三十年代(1955年代)の歌手というイメージがあります。
岩崎姉妹始め、この日のゲストのみなさんは、声の張りと伸びがありとても感心しました。心地よい歌唱が続きました。歌を聴きながら、歌と共に、同じ時代を生きてきたという共感と郷愁が湧きました。岩崎宏美さんの、『思秋期(ししゅうき)』という歌を聴きたかったのですが、あいにく今回の歌唱はありませんでした。残念。
徹子さんとおふたりの対談では、なにせ、徹子さんの話術が巧み(たくみ。うまい)でさすがでした。頭で計算されてお話をされているのではなく、天性のものなのでしょう。徹子さんは、話題のネタをじっくり温めて、時間をかけて、前振りを続けて気分を溜めて(ためて)、ここぞという時に、話を転換させたり、ポンと盛り上げて、ひっくりかえして、オチをつくって(話の締め)大爆笑を誘います。すごいなーー
ふつうなら話題にしにくいのですが、何千人もいるお客さんの前で、宏美さんは2回離婚した。良美さんは1回離婚した。わたしは1回も結婚しなかったと話を出して、『まあ、いいじゃないの』で締めます。徹子さんだからできる技(わざ)です。
『南こうせつさん』
マイクを通してですが、生歌(なまうた)で、『神田川』を聴けて良かった。銭湯に通う歌です。貧乏暮らしです。半世紀ぐらい昔は、自宅にフロがある家は少なかった。銭湯や会社の共同風呂でした。わたしも銭湯通いを長いことしました。働き始めたときも、職場の独身寮から銭湯へ行っていました。そういう時代でした。独身寮は6畳一間(ろくじょうひとま)でした。寮に食堂はありました。朝食と夕食は事前に頼めば出ました。
歌曲、『妹よ』も良かった。妹の結婚式に当たって、兄が妹のことを大事に思う歌です。何か事情があって、兄が親代わりのようなものなのでしょう。妹のことを心配する気持ちに、兄の愛情がしみじみと胸に広がります。
ほかに歌われた歌も含めて、歌詞がきれいです。メロディーは、同じメロディーが繰り返されるのですが、心地よくて、いつまでも、いつまでも聴いていたい。
ステージ前の席は、高齢の方たちが多いらしく、そんな話を南こうせつさんがされていました。
昔話もはずんで、わたしは話の内容から、以前見学したことがある、『NHK放送博物館の展示』を思い出しました。虎の門ヒルズの駅あたりから歩いて見学に行きました。年配の人たちにとっては、思い出多い展示です。お若い頃の黒柳徹子さんが写っている写真も展示してありました。
南こうせつさんは、今年の紅白歌合戦では、自分が最年長の出場者(75歳)になるのだけれど、北島三郎さんのような華やかさは自分にはないとか、自分の葬儀では、自分がつくった寂しげな曲で、棺桶のお見送りをされるのであろうとか、そんな話をユーモアたっぷりにお話しされていました。おもしろかった。
『美川憲一さんとコロッケさん』
コロッケさんは、もう何十年も前になりますが、三重県にある長島温泉のステージを観たことがあります。なんというか、ものまねはおもしろかったのですが、観ていて、やっぱりニセモノはニセモノなのだなと少しがっかりしました。歌で人の心や気持ちを感動・感激させるという極み(きわみ。頂点)はないのです。
その後、ものまねのやり方を転換されて、似てはいないけれど、似ているような雰囲気の世界をつくりあげられました。物まねタレントではなく、アーチスト(芸術家)になられました。
コロッケさんの、『ロボット五木ひろしさん』を、じかに見ることができて良かった。
それから、コロッケさんが岩崎宏美さんの歌物まねを始めたときに、本物の岩崎宏美さんが舞台横から出てきて、わたしの顔はそんな顔じゃありません!みたいにプンプンで文句を言われたシーンがおもしろおかしくて楽しかった。
美川憲一さん(みかわ・けんいちさん)は、年齢のせいか、途中で、(たぶん)新曲の作詞だったか、作曲だったかをしてくださった人のお名前が口から出てこなくなり(ど忘れ)、だいぶ、言葉が詰まった時間が続きました。しかたがありません。だれでも歳をとるのです。歳をとると、顔はわかるけれど、思い出せない人の名前やお店の名称などの固有名詞が増えます。だれでもそうなるのです。
徹子さんを含めた3人で、コロッケさんが太った話が続きました。コロッケさんは遠目から見ても、かなり太っておられます。100キロはないそうですが、ほんとかなあ。100キロ以上あるように見えるお体です。
コロッケさんがやった武田鉄矢さんの物まねがおもしろかった。
ほんの少し、5センチぐらいの段差につまずく物まねで、つまずいたときには、武田鉄矢さんは、怒っている最中(さいちゅう)という設定なのです。武田鉄矢さんが、何度もこけるまねをしていたコロッケさんでした。
*ゲストとのやりとりをしていて、ゲストの交代時に、つぼいさんというアナウンサーさんが、タイムキーパー役(時間の管理)として、ヴァイオリンを弾いて、『ゲストが交代のお時間ですよーー』を教えてくださるのですが、ヴァイオリン演奏がとてもお上手で驚かされました。たいしたものです。なにかしら、楽器演奏の下地があられるのではないかと思いました。
『平原綾香さん』
本職は、サックス奏者という気持ちでいますということでした。師匠は、亡くなったお父さんです。親子の絆(きずな)が強いと感じました。まじめな方でした。『(人生の困難を)メロディーに助けられる』というようなご発言があった記憶です。
ご自身は、ミュージカルに出演している。声楽は習ったことはない。独学で歌っている。歌う時の息づかいは、サックスを吹く時の、息の吹込みを利用しているということで、かなり細かく、息の吐き方・声を出すやりかたを教えていただきました。まじめな人だなあと強く感じました。
マイクを通してですが、生歌(なまうた)を聴けて良かった。歌曲、『Jupiter(ジュピター 木星)』の歌い出しの低音では、鳥肌が立つほどの感情表現が伝わってきました。『生きるんだーー』という気持ちをこめての歌い出しなのでしょう。『エブリディ アイ リッスン トゥマイハート ひとりじゃない……』です。
お話をされるときの声と歌う時の声がまるっきり違っていて(落差がある。しゃべるときは、かわいらしい高い声をされていました)驚きました。
『松平健さん』
安定感があります。わかりやすい。17歳のときに、愛知県の豊橋市から俳優になることを夢見て上京して、勝新太郎さんほかの先輩たちにお世話になって、若い頃から、侍(さむいらい)将軍ドラマ『暴れん坊将軍』の主役(江戸幕府第八代将軍徳川吉宗)をやらせてもらって、とても長い間続いていると、徹子さんとお話をされていました。
ちょんまげ姿、お着物姿のゲストで楽しい。ラストは、マツケンサンバの総踊りで盛り上がりました。最後に、パーンと大きな音がして、金色のテープが天井あたりから大量に客席に落ちてきて、華やかに盛り上がりました。実物のマツケンサンバを観るのは今年二回目で、7月に東京日本橋にある明治座で観たときに買ったサンバ棒を持ってくれば良かったと後悔しました。
コンサート全体をとおしてですが、『継続』がキーワード、そして、テーマになっていました。
みなさん、長いこと歌手生活、芸能生活を続けておられるのです。そして、番組も来年で50周年なのです。
『継続』は、『信用』につながります。
わたしは若い頃先輩から、『仕事は自分から辞めてはいけない。相手が辞めてくれと言ったら退職を考える。だけど、それでも辞めてはいけない。「給料が安い」は仕事を辞める理由にはならない。仕事とはそういうものだ。仕事があるだけでありがたいと思いなさい』と教わりました。また、『銀行は、1回来て100万円預ける客よりも、毎週1000円ずつでも、1年間続けて預金してくれる人間を信用する』とも教わりました。
人間としての信用を築くためには、同じことをずーーっと続けることです。
今回出演されている方々を観て考えたことです。みなさんそれぞれ長期間働いてきた実績をもっておられる方ばかりでした。
『(仕事について)これしかできないからこれを続けている』ということはあります。ゲストである芸能人の皆さんが、事務仕事や営業回り、製造業や運転手などの労務作業をできるとは思えません。
繰り返しになりますが、自分は、これしかできないからこれを仕事にしているのですということはあります。そばで見ていて、あのようなことをよくやれるなと思われることでも、本人にとっては、どうってことなくやれることを仕事にしているのです。仕事は、才能と努力、そして人間関係です。
(付け足しとして)
ものすごい数の観客が一つのところに集まっているので、それなりにたいへんなこともありました。
座席はクッション性があまりなく、長時間座っていると、お尻が痛くなるので、ときおり腰を浮かして痛みを和らげました(やわらげました)。座席の前後の長さが、男性だと足りないので、長時間は座りにくいということはありましたが、ステージの演奏や対談のようすに気持ちが入りこむので、苦痛にまでは至りませんでした。
途中休憩25分間のときには、男子も女子もトイレ待ちの行列がものすごく長くて、みなさんご苦労されていました。男性はそこそこ行列が動く流れがありましたが、女性の列は最後尾がどこにあるのかもわからないような状態だったと思います。後半の始まりに間に合わなかったり、最初から行くのをあきらめたりした人も多かったと思います。
日本武道館という古い建物の構造上、しかたがないのだろうなあと思いました。
なにせ年配の人が多かった。だから、安全だったような気がします。終演後は、地下鉄『九段下』の駅まで、みなさん、土俵上のおすもうさんがすり足をするように、ゆっくりと前へ進んでいかれました。若い頃に、おおみそかに、友だちとふたりで名古屋の熱田神宮に行って、午前0時ごろ、大群衆の行列に並んでなかなか初もうでの列が進まなかったことを思い出しましたが、今回は、そこまでの苦痛はありませんでした。
もうヨロヨロの高齢者の方も何人かお見かけしました。奥さんがだんなさんの手をとったり、逆にだんなさんが奥さんの体を支えたり、なかには、お孫さんがおじいさん・おばあさんの手を引いたり、大群衆でしたが、それぞれ助け合ってゆっくり前へ歩いておられました。それはそれでいい思い出になりました。みなさん、ご苦労を重ねて、人生の終盤までたどりつかれたのです。人生は楽しいこと半分、苦労半分、合わせてプラマイナスゼロでよしです。
この夜は、地下鉄『永田町駅』の改札内にあるお店でラーメンを食べました。
午後10時ぐらいだったのですが、日本の政治の中心地、『永田町』で働く優秀な男女である二十代の若い人たちが、食事をしながら元気よくおしゃべりを楽しんでおられました。みなさん、仕事や婚活にいっしょうけんめいなようすで感心しました。
東京は、夜10時ごろでも人がいっぱいいてびっくりします。
(以下の文章は、2024年9月1日・日曜日の朝に書きました)
昨日のことです。
11月下旬に愛知県東海市のホールである舞台、『峠の我が家(仲野太賀、二階堂ふみ、柄本時生、岩松了ほか)』を観ようと、午前10時からの申し込みにネットでチャレンジしましたが、瞬間的につながらなくなり、3分後に全席売り切れの表示が出てしまいました。朝ドラ、『虎に翼』に出ていた仲野大賀さんを観てみたかった。
しかたがない。では、第二候補だと、次は、タイトルにある徹子さんのコンサートを申し込みました。ネットで先行販売と書いてあるページを見つけて、ネット申し込み手続きがにがてなわたしが四苦八苦しながら会員登録をして申し込んで、チケットを手に入れました。さあ、これでよし! 楽しみです。ゲストは、岩崎宏美・良美姉妹、平原綾香さん、松平健さん、コロッケさん、美川憲一さん、南こうせつさんです。
松平健さんは今年7月に東京明治座で舞台劇とマツケンサンバの歌謡ショーを観ました。一年に二回も本物のマツケンサンバを観ることになるとは、今年のお正月には想像もしていませんでした。日本武道館の中に入るのも初めてです。
老後を楽しむぞーーー 体が動くうちに、やりたいことをやっておくのだーーー
死ぬときに、ああすれば良かった、こうしておけば良かったと、なるべく後悔しない人生を送るための終活です。
(その後、『峠の我が家』のほうは、追加公演が設定されたようですが(昼公演が終わったあと、夜公演が追加された。その回は、先着順ではなく、事前申し込みの抽選になったようです)、わたしは、徹子の部屋コンサートのチケットがとれていたので、『峠の我が家』はあきらめました)
もう40年近く前になりますが、自分が30代のときに、黒柳徹子さんの講演を講演会で聴いたことがあります。
90分間、機関銃のようにおしゃべりをされて圧倒された記憶があります。テーマに沿いながら、ユニセフの親善大使をしていることを中心にしてお話をされていました。
長い年月(としつき)が流れて、またご本人を見ることができて、ちょっとした感無量的な気分があります。かんむりょう:感慨無量。人生を、よくここまでやってくることができたというしみじみとする深い気持ち。黒柳さんは本当に長生きでお元気な方です。人類の中で選ばれた人なのでしょう。
(観に行ってきました。以下は、2024年12月2日月曜日に書きました。コンサートは、11月29日金曜日に東京の日本武道館でありました)
会場の中の写真は、開幕の15分ぐらい前のようすです。わたしたち夫婦の席はうしろのほうだったのですが、舞台に向かって正面だったので見やすかったです。
おおぜいの人たちが観覧に訪れておられました。
年齢層は高く、七十代の人たちが多かった雰囲気でした。女性が多かったですが、男性もそこそこおられました。ご友人たちやご夫婦など、みなさん、なごやかな人たちです。
午後5時30分に始まって、午後7時半ぐらいまで演奏と対談、休憩を25分ぐらいとって、再び演奏と対談、最後は出演されたみなさん総出で、『マツケンサンバ』を歌って踊って、午後9時過ぎに幕を閉じました。とても良かった。観に行って良かったと、終わったときに思いました。冥土(めいど。天国)へ旅立つ前のいい思い出ができました。
思い出すままに、感想を並べてみます。
始まって、いきなりハプニングが起きました。(予想外の出来事)
広い舞台の上に、バンドメンバー用のいくぶんこぶりのステージ(台)がつくってあったのですが、向かって左手から岩崎宏美さんが演奏に合わせて出てきて、ワンテンポ間があって、右手から岩崎良美さんがマイクをもって出ようとしたときに、(おそらくまだ一歩も歩いていなかった。ふわーっと広がった白くて長いスカートが、バンドメンバー用のステージにひっかかったのではないか)ものすごい勢いで、前方に良美さんの体が飛び(スーパーマンのように手を伸ばして、空中を飛びました)大きな音をたてて、前のめりに床に落ちられたのです。お顔は床にはあたらなかったようですが、相当痛かったのではないかと思います。出演者始め、何千人ものお客さんが、ぼーぜんとしました。
次の瞬間に、岩崎良美さんがしゅっと立ち上がって、まるで、何もなかったかのように、歌い出しを始められました。(曲はすでに始まっていたと思います。歌詞は、途中からの歌い出しだったと思います)
まあ、びっくりしました。
このことは、なかったことにして、そのあと進行するのかと思ったら、黒柳徹子さんがおおいに受けて、笑いが止まらないような状態で、最後の最後まで、岩崎良美さんが、コンサートが始まっていきなり転倒したという話が続きました。ステージにいて、右手横で椅子に座って舞台を観ていた徹子さんのお話だと、岩崎良美さんの全身が、2mぐらい、空中を飛んで行ったそうです。いやー、たしかに、すごかった。
次に出て来たゲストの南こうせつさんが、ころばないようにおおまたでゆっくり足を運んだり、その後出てきたコロッケさんも、良美さんがころんだことをネタにして笑いを誘ったりしていました。
あの転倒は、なかなか良かった。お笑いの話題づくりにつながりました。
『岩崎宏美・良美姉妹』
最初に、ザ・ピーナッツの歌を歌われました。なつかしかった。わたしがまだ小学校低学年のころ、白黒テレビの前におちゃんこして(正座して)、祖父母と歌番組を観ていたことを思い出しました。ザ・ピーナッツは、わたしの中では昭和三十年代(1955年代)の歌手というイメージがあります。
岩崎姉妹始め、この日のゲストのみなさんは、声の張りと伸びがありとても感心しました。心地よい歌唱が続きました。歌を聴きながら、歌と共に、同じ時代を生きてきたという共感と郷愁が湧きました。岩崎宏美さんの、『思秋期(ししゅうき)』という歌を聴きたかったのですが、あいにく今回の歌唱はありませんでした。残念。
徹子さんとおふたりの対談では、なにせ、徹子さんの話術が巧み(たくみ。うまい)でさすがでした。頭で計算されてお話をされているのではなく、天性のものなのでしょう。徹子さんは、話題のネタをじっくり温めて、時間をかけて、前振りを続けて気分を溜めて(ためて)、ここぞという時に、話を転換させたり、ポンと盛り上げて、ひっくりかえして、オチをつくって(話の締め)大爆笑を誘います。すごいなーー
ふつうなら話題にしにくいのですが、何千人もいるお客さんの前で、宏美さんは2回離婚した。良美さんは1回離婚した。わたしは1回も結婚しなかったと話を出して、『まあ、いいじゃないの』で締めます。徹子さんだからできる技(わざ)です。
『南こうせつさん』
マイクを通してですが、生歌(なまうた)で、『神田川』を聴けて良かった。銭湯に通う歌です。貧乏暮らしです。半世紀ぐらい昔は、自宅にフロがある家は少なかった。銭湯や会社の共同風呂でした。わたしも銭湯通いを長いことしました。働き始めたときも、職場の独身寮から銭湯へ行っていました。そういう時代でした。独身寮は6畳一間(ろくじょうひとま)でした。寮に食堂はありました。朝食と夕食は事前に頼めば出ました。
歌曲、『妹よ』も良かった。妹の結婚式に当たって、兄が妹のことを大事に思う歌です。何か事情があって、兄が親代わりのようなものなのでしょう。妹のことを心配する気持ちに、兄の愛情がしみじみと胸に広がります。
ほかに歌われた歌も含めて、歌詞がきれいです。メロディーは、同じメロディーが繰り返されるのですが、心地よくて、いつまでも、いつまでも聴いていたい。
ステージ前の席は、高齢の方たちが多いらしく、そんな話を南こうせつさんがされていました。
昔話もはずんで、わたしは話の内容から、以前見学したことがある、『NHK放送博物館の展示』を思い出しました。虎の門ヒルズの駅あたりから歩いて見学に行きました。年配の人たちにとっては、思い出多い展示です。お若い頃の黒柳徹子さんが写っている写真も展示してありました。
南こうせつさんは、今年の紅白歌合戦では、自分が最年長の出場者(75歳)になるのだけれど、北島三郎さんのような華やかさは自分にはないとか、自分の葬儀では、自分がつくった寂しげな曲で、棺桶のお見送りをされるのであろうとか、そんな話をユーモアたっぷりにお話しされていました。おもしろかった。
『美川憲一さんとコロッケさん』
コロッケさんは、もう何十年も前になりますが、三重県にある長島温泉のステージを観たことがあります。なんというか、ものまねはおもしろかったのですが、観ていて、やっぱりニセモノはニセモノなのだなと少しがっかりしました。歌で人の心や気持ちを感動・感激させるという極み(きわみ。頂点)はないのです。
その後、ものまねのやり方を転換されて、似てはいないけれど、似ているような雰囲気の世界をつくりあげられました。物まねタレントではなく、アーチスト(芸術家)になられました。
コロッケさんの、『ロボット五木ひろしさん』を、じかに見ることができて良かった。
それから、コロッケさんが岩崎宏美さんの歌物まねを始めたときに、本物の岩崎宏美さんが舞台横から出てきて、わたしの顔はそんな顔じゃありません!みたいにプンプンで文句を言われたシーンがおもしろおかしくて楽しかった。
美川憲一さん(みかわ・けんいちさん)は、年齢のせいか、途中で、(たぶん)新曲の作詞だったか、作曲だったかをしてくださった人のお名前が口から出てこなくなり(ど忘れ)、だいぶ、言葉が詰まった時間が続きました。しかたがありません。だれでも歳をとるのです。歳をとると、顔はわかるけれど、思い出せない人の名前やお店の名称などの固有名詞が増えます。だれでもそうなるのです。
徹子さんを含めた3人で、コロッケさんが太った話が続きました。コロッケさんは遠目から見ても、かなり太っておられます。100キロはないそうですが、ほんとかなあ。100キロ以上あるように見えるお体です。
コロッケさんがやった武田鉄矢さんの物まねがおもしろかった。
ほんの少し、5センチぐらいの段差につまずく物まねで、つまずいたときには、武田鉄矢さんは、怒っている最中(さいちゅう)という設定なのです。武田鉄矢さんが、何度もこけるまねをしていたコロッケさんでした。
*ゲストとのやりとりをしていて、ゲストの交代時に、つぼいさんというアナウンサーさんが、タイムキーパー役(時間の管理)として、ヴァイオリンを弾いて、『ゲストが交代のお時間ですよーー』を教えてくださるのですが、ヴァイオリン演奏がとてもお上手で驚かされました。たいしたものです。なにかしら、楽器演奏の下地があられるのではないかと思いました。
『平原綾香さん』
本職は、サックス奏者という気持ちでいますということでした。師匠は、亡くなったお父さんです。親子の絆(きずな)が強いと感じました。まじめな方でした。『(人生の困難を)メロディーに助けられる』というようなご発言があった記憶です。
ご自身は、ミュージカルに出演している。声楽は習ったことはない。独学で歌っている。歌う時の息づかいは、サックスを吹く時の、息の吹込みを利用しているということで、かなり細かく、息の吐き方・声を出すやりかたを教えていただきました。まじめな人だなあと強く感じました。
マイクを通してですが、生歌(なまうた)を聴けて良かった。歌曲、『Jupiter(ジュピター 木星)』の歌い出しの低音では、鳥肌が立つほどの感情表現が伝わってきました。『生きるんだーー』という気持ちをこめての歌い出しなのでしょう。『エブリディ アイ リッスン トゥマイハート ひとりじゃない……』です。
お話をされるときの声と歌う時の声がまるっきり違っていて(落差がある。しゃべるときは、かわいらしい高い声をされていました)驚きました。
『松平健さん』
安定感があります。わかりやすい。17歳のときに、愛知県の豊橋市から俳優になることを夢見て上京して、勝新太郎さんほかの先輩たちにお世話になって、若い頃から、侍(さむいらい)将軍ドラマ『暴れん坊将軍』の主役(江戸幕府第八代将軍徳川吉宗)をやらせてもらって、とても長い間続いていると、徹子さんとお話をされていました。
ちょんまげ姿、お着物姿のゲストで楽しい。ラストは、マツケンサンバの総踊りで盛り上がりました。最後に、パーンと大きな音がして、金色のテープが天井あたりから大量に客席に落ちてきて、華やかに盛り上がりました。実物のマツケンサンバを観るのは今年二回目で、7月に東京日本橋にある明治座で観たときに買ったサンバ棒を持ってくれば良かったと後悔しました。
コンサート全体をとおしてですが、『継続』がキーワード、そして、テーマになっていました。
みなさん、長いこと歌手生活、芸能生活を続けておられるのです。そして、番組も来年で50周年なのです。
『継続』は、『信用』につながります。
わたしは若い頃先輩から、『仕事は自分から辞めてはいけない。相手が辞めてくれと言ったら退職を考える。だけど、それでも辞めてはいけない。「給料が安い」は仕事を辞める理由にはならない。仕事とはそういうものだ。仕事があるだけでありがたいと思いなさい』と教わりました。また、『銀行は、1回来て100万円預ける客よりも、毎週1000円ずつでも、1年間続けて預金してくれる人間を信用する』とも教わりました。
人間としての信用を築くためには、同じことをずーーっと続けることです。
今回出演されている方々を観て考えたことです。みなさんそれぞれ長期間働いてきた実績をもっておられる方ばかりでした。
『(仕事について)これしかできないからこれを続けている』ということはあります。ゲストである芸能人の皆さんが、事務仕事や営業回り、製造業や運転手などの労務作業をできるとは思えません。
繰り返しになりますが、自分は、これしかできないからこれを仕事にしているのですということはあります。そばで見ていて、あのようなことをよくやれるなと思われることでも、本人にとっては、どうってことなくやれることを仕事にしているのです。仕事は、才能と努力、そして人間関係です。
(付け足しとして)
ものすごい数の観客が一つのところに集まっているので、それなりにたいへんなこともありました。
座席はクッション性があまりなく、長時間座っていると、お尻が痛くなるので、ときおり腰を浮かして痛みを和らげました(やわらげました)。座席の前後の長さが、男性だと足りないので、長時間は座りにくいということはありましたが、ステージの演奏や対談のようすに気持ちが入りこむので、苦痛にまでは至りませんでした。
途中休憩25分間のときには、男子も女子もトイレ待ちの行列がものすごく長くて、みなさんご苦労されていました。男性はそこそこ行列が動く流れがありましたが、女性の列は最後尾がどこにあるのかもわからないような状態だったと思います。後半の始まりに間に合わなかったり、最初から行くのをあきらめたりした人も多かったと思います。
日本武道館という古い建物の構造上、しかたがないのだろうなあと思いました。
なにせ年配の人が多かった。だから、安全だったような気がします。終演後は、地下鉄『九段下』の駅まで、みなさん、土俵上のおすもうさんがすり足をするように、ゆっくりと前へ進んでいかれました。若い頃に、おおみそかに、友だちとふたりで名古屋の熱田神宮に行って、午前0時ごろ、大群衆の行列に並んでなかなか初もうでの列が進まなかったことを思い出しましたが、今回は、そこまでの苦痛はありませんでした。
もうヨロヨロの高齢者の方も何人かお見かけしました。奥さんがだんなさんの手をとったり、逆にだんなさんが奥さんの体を支えたり、なかには、お孫さんがおじいさん・おばあさんの手を引いたり、大群衆でしたが、それぞれ助け合ってゆっくり前へ歩いておられました。それはそれでいい思い出になりました。みなさん、ご苦労を重ねて、人生の終盤までたどりつかれたのです。人生は楽しいこと半分、苦労半分、合わせてプラマイナスゼロでよしです。
この夜は、地下鉄『永田町駅』の改札内にあるお店でラーメンを食べました。
午後10時ぐらいだったのですが、日本の政治の中心地、『永田町』で働く優秀な男女である二十代の若い人たちが、食事をしながら元気よくおしゃべりを楽しんでおられました。みなさん、仕事や婚活にいっしょうけんめいなようすで感心しました。
東京は、夜10時ごろでも人がいっぱいいてびっくりします。
2024年12月06日
ハロウィン 洋画 2018年
ハロウィン 洋画 2018年(平成30年) 1時間45分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。次に、『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、その次に観たのが、『悪魔の棲む家』で、今回は、こちらの『ハロウィン』を観ました。やはり、『死霊のはらわた』が一番怖かった。
わたしの動画配信サービス契約の場合、1978年の映画は、新たにサブスクリプションの契約申し込みが関係してくるので、それはやめて、2018年のものを観ました。
内容は、1978年の続編という位置づけで、殺人鬼が刑務所から移送中に職員を襲って脱走し、再び連続殺人を開始するというものでした。
前回から40年が経過しているという設定で、前回対立した、マイケル・マイヤーズ(別名ブギーマン。服役中の移送時に脱走した。わたしが観ていて思ったのは、「殺人鬼」というよりも、「殺人者」あるいは、「殺人ロボット」のように感じました。なにせ、何もしゃべらないのです。個性がありません。しわがたくさん入った白いマスクを顔にかぶると人殺しになるというマスクの効果がありました)が、40年前に闘った女子高生ローリー・ストロードと40年ぶりに闘うのです。
女子高生だったローリー・ストロードは、当然60歳近いおばあちゃんですし、おばちゃんと娘と孫娘の三人が、殺人鬼であるマイケル・マイヤーズ(ブギーマン)と、どったんばったんしながら、やりあうのです。
ハロウィン:毎年、10月31日に開催されるお祭り。わたしは、妖怪祭りだろうかと思っています。秋の収穫を祝う。悪霊を追い払う。アメリカ合衆国のこどもの祭り。仮装、コスプレ、家を回ってお菓子をもらう。
かぼちゃの風船がだんだんふくらんでいく最初あたりのシーンがいい感じでした。
なんだか、最近の中国みたいなことを話している会話です。(ナイフを持った人間がナイフを振り回す)。日本も似たようなことがあります。ぶっそうな世の中になりました。
わたしは、映画のつくり手の立場に立ってホラー映画を観るのでこわくはありません。
言葉数は多い。音楽はそれなりにおそろしく流れています。筋立ては、スムーズすぎて物足りない。(されど、最後のどんでんがえしはとても良いつくりでした)
トイレでしゃがんでいるときに襲われる。(こわいなーー)(むかーし海外旅行に行ったときに、ハンバーガーショップでトイレに入ろうとしたら、店員にトイレの鍵を渡されて、気をつけて入ってくださいと言われたことを思い出しました。外国は治安が良くありません。日本は住み心地の良い国です。日本に生まれて良かった)
おそろしい男が出て来たゾーイ!
まあ、これはひどい。血まみれですな。(つくりものの血ですが)
時間の経過が短く感じます。緊張する時間が続くからでしょう。
ハロウィンの仮装集団の中に、白い顔のマスクを付けた連続殺人犯がいます。スリル(身震いするような感じ。戦慄(せんりつ)。おそろしい)があります。
むごい。
昔、中学生ぐらいの時にテレビの洋画劇場で観た、ボニーとクライドの、『俺たちに明日はない』を思い出しました。ギャングのカップルが、ラストシーンでは、機関銃に打たれ続けて、体がハチの巣のようになります。
若い人が観る映画だなあと思って観ていましたが、おばあちゃんががんばります。やっぱり高齢者が観ても楽しめます。ホラーですが。
カメラワークを観察します。(動き、被写体のレイアウト(配置)、光景の構図など)
映像の中では、部屋の電灯をつけてくれないので、常に部屋の中は暗い。
ブギーマンが、人を殺す動機がわかりません。殺したいから殺す。脳みその病気ですな。
市街地でもバンバン発砲するのね。
流れ弾が関係ない人にも飛んできそうです。
殺人鬼には、銃でしか対抗できないのか。
『助けて!』の声ばかりです。(みんな助からない。映画ですから)
いまどきの映画です。スマホ、メール、連絡がとれないという話ばかりです。
なんだか、見たことがあるような地下室風景です。
『13日の金曜日』でも別荘の地下室がありました。そこにある井戸から悪魔が出たり入ったりしていました。
もうひとつ、死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年)でも山奥の別荘に地下室があって、オソロシイものが棲んでいた(すんでいた)記憶です。地下室は、こわいよーー
みんなで殺人鬼を倒すのね。
なんと、医師が(犯人を担当する精神科の主治医が)警察官を刺しました。(自分が担当する特殊な患者を研究のために生かしておきたいらしい)
助けてーーばかりです。たまには、自分でがんばってほしい。
家が要塞です。敵と戦うための構造物。
暗くてよく見えない。
よく叫ぶ人たちです。
続編をつくらなければならないので、殺人鬼をこの世から消滅させてはなりませぬ。
仕掛け、罠(わな)があります。(なるほど)
最後のシーンでは、わたしが、十代のときに、映画館で観た洋画、『風と共に去りぬ』を思い出しました。火災発生です。風と共に去りぬでは、壮大な大火災で大きなお屋敷が燃え落ちました。
現代的なホラー映画でした。(恐怖映画)
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。次に、『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、その次に観たのが、『悪魔の棲む家』で、今回は、こちらの『ハロウィン』を観ました。やはり、『死霊のはらわた』が一番怖かった。
わたしの動画配信サービス契約の場合、1978年の映画は、新たにサブスクリプションの契約申し込みが関係してくるので、それはやめて、2018年のものを観ました。
内容は、1978年の続編という位置づけで、殺人鬼が刑務所から移送中に職員を襲って脱走し、再び連続殺人を開始するというものでした。
前回から40年が経過しているという設定で、前回対立した、マイケル・マイヤーズ(別名ブギーマン。服役中の移送時に脱走した。わたしが観ていて思ったのは、「殺人鬼」というよりも、「殺人者」あるいは、「殺人ロボット」のように感じました。なにせ、何もしゃべらないのです。個性がありません。しわがたくさん入った白いマスクを顔にかぶると人殺しになるというマスクの効果がありました)が、40年前に闘った女子高生ローリー・ストロードと40年ぶりに闘うのです。
女子高生だったローリー・ストロードは、当然60歳近いおばあちゃんですし、おばちゃんと娘と孫娘の三人が、殺人鬼であるマイケル・マイヤーズ(ブギーマン)と、どったんばったんしながら、やりあうのです。
ハロウィン:毎年、10月31日に開催されるお祭り。わたしは、妖怪祭りだろうかと思っています。秋の収穫を祝う。悪霊を追い払う。アメリカ合衆国のこどもの祭り。仮装、コスプレ、家を回ってお菓子をもらう。
かぼちゃの風船がだんだんふくらんでいく最初あたりのシーンがいい感じでした。
なんだか、最近の中国みたいなことを話している会話です。(ナイフを持った人間がナイフを振り回す)。日本も似たようなことがあります。ぶっそうな世の中になりました。
わたしは、映画のつくり手の立場に立ってホラー映画を観るのでこわくはありません。
言葉数は多い。音楽はそれなりにおそろしく流れています。筋立ては、スムーズすぎて物足りない。(されど、最後のどんでんがえしはとても良いつくりでした)
トイレでしゃがんでいるときに襲われる。(こわいなーー)(むかーし海外旅行に行ったときに、ハンバーガーショップでトイレに入ろうとしたら、店員にトイレの鍵を渡されて、気をつけて入ってくださいと言われたことを思い出しました。外国は治安が良くありません。日本は住み心地の良い国です。日本に生まれて良かった)
おそろしい男が出て来たゾーイ!
まあ、これはひどい。血まみれですな。(つくりものの血ですが)
時間の経過が短く感じます。緊張する時間が続くからでしょう。
ハロウィンの仮装集団の中に、白い顔のマスクを付けた連続殺人犯がいます。スリル(身震いするような感じ。戦慄(せんりつ)。おそろしい)があります。
むごい。
昔、中学生ぐらいの時にテレビの洋画劇場で観た、ボニーとクライドの、『俺たちに明日はない』を思い出しました。ギャングのカップルが、ラストシーンでは、機関銃に打たれ続けて、体がハチの巣のようになります。
若い人が観る映画だなあと思って観ていましたが、おばあちゃんががんばります。やっぱり高齢者が観ても楽しめます。ホラーですが。
カメラワークを観察します。(動き、被写体のレイアウト(配置)、光景の構図など)
映像の中では、部屋の電灯をつけてくれないので、常に部屋の中は暗い。
ブギーマンが、人を殺す動機がわかりません。殺したいから殺す。脳みその病気ですな。
市街地でもバンバン発砲するのね。
流れ弾が関係ない人にも飛んできそうです。
殺人鬼には、銃でしか対抗できないのか。
『助けて!』の声ばかりです。(みんな助からない。映画ですから)
いまどきの映画です。スマホ、メール、連絡がとれないという話ばかりです。
なんだか、見たことがあるような地下室風景です。
『13日の金曜日』でも別荘の地下室がありました。そこにある井戸から悪魔が出たり入ったりしていました。
もうひとつ、死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年)でも山奥の別荘に地下室があって、オソロシイものが棲んでいた(すんでいた)記憶です。地下室は、こわいよーー
みんなで殺人鬼を倒すのね。
なんと、医師が(犯人を担当する精神科の主治医が)警察官を刺しました。(自分が担当する特殊な患者を研究のために生かしておきたいらしい)
助けてーーばかりです。たまには、自分でがんばってほしい。
家が要塞です。敵と戦うための構造物。
暗くてよく見えない。
よく叫ぶ人たちです。
続編をつくらなければならないので、殺人鬼をこの世から消滅させてはなりませぬ。
仕掛け、罠(わな)があります。(なるほど)
最後のシーンでは、わたしが、十代のときに、映画館で観た洋画、『風と共に去りぬ』を思い出しました。火災発生です。風と共に去りぬでは、壮大な大火災で大きなお屋敷が燃え落ちました。
現代的なホラー映画でした。(恐怖映画)
2024年12月05日
悪魔の棲む家(あくまのすむいえ) アメリカ映画 1979年
悪魔の棲む家(あくまのすむいえ) アメリカ映画 1979年(昭和54年) 1時間57分 動画配信サービス
動画配信サービス画面に、『超異常現象ホラー映画』と紹介がありました。
されど、観終えて、なにせ、古い映画です。45年ぐらい前の映画です。当時は、すごいと感じるものがあったのでしょうが、
今では陳腐(ちんぷ。古臭い)な映像でした。されど、積み重ねの歴史は大事です。経験が未来に向かって内容を濃くし、充実したものに伸ばしてくれます。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、今回がこの映画、『悪魔の棲む家』を観ました。これまでだと、やはり、『死霊のはらわた』が怖かった。
大きな雷の音で始まります。のちに後半再び雷の音のシーンが出ます。雷で始まり、雷で終わりにする。最初と最後のシーンをそろえるのは、映画製作の基本的なパターンなのでしょう。
一戸建ての家で一家皆殺しの殺人事件が起きるのです。長男が、家族6人を刺殺します。
その家が、事故物件として安価で売りに出るのです。大きくて立派な二階建ての家です。そばに湖があるように見えるのですが、作中では、川があると紹介されます。
その家を買ったファミリーが災難に遭う(あう)のです。夫婦とこども3人(男の子2人と女の子1人)、それからワンちゃん(犬)が1匹います。
夫婦のふたり劇を中心軸にして、キリスト教の神父とか、警察、親族、友人などがからんできます。
現実と過去(殺人事件のようすと呪われた(のろわれた)過去です。家が建っている土地に暗い歴史があったのです)が、交互に映像で出てきます。
悪魔の憑依(ひょうい。のりうつり)があります。
神父の祈りがあります。
あんまり、コワイとは思えません。
日記のように、時系列の順番で出来事が紹介されていきます。
規則的なので、先が読めて、退屈です。正攻法なのでおもしろくないのか。宗教色が強い。魔女狩り裁判、悪魔崇拝、生贄(いけにえ)、エネルギーは形を変えて蓄積(ちくせき)される。十字架をかざして立ち向かう。
夫はそれほど悩むことでもないことで悩みますし、妻は悪い夢を見て夜中に叫びます。
しかけは単純です。
車のハンドルがうまく動かなくなる。ハエがたかる。お札が消える。鍵がないのにドアがあかなくなる。窓が突然締まる。なにもかもが古い。ダイヤル式電話機、パタパタと時刻表示の数値が変わる時計など。細工の規模が小さいので、今となっては迫力がありません。
観ていて楽しい映画ではありません。なんだかつまらない。理屈が成立しない話の運びです。
<あの家には、邪悪(じゃあく。人の道からはずれている)なものが棲みついている(すみついている)>ホラーハウスです。
神父は熱演です。(観ていて、がんばれと応援したくなります)
地下室になにかある。
井戸が悪魔の通り道。
(こんな家、買うんじゃなかったな。不動産を買う時はよく考えたほうがいい)
(そして映画は、家族がお化け屋敷から引っ越しをして終わりました。あっけなかった)
動画配信サービス画面に、『超異常現象ホラー映画』と紹介がありました。
されど、観終えて、なにせ、古い映画です。45年ぐらい前の映画です。当時は、すごいと感じるものがあったのでしょうが、
今では陳腐(ちんぷ。古臭い)な映像でした。されど、積み重ねの歴史は大事です。経験が未来に向かって内容を濃くし、充実したものに伸ばしてくれます。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、今回がこの映画、『悪魔の棲む家』を観ました。これまでだと、やはり、『死霊のはらわた』が怖かった。
大きな雷の音で始まります。のちに後半再び雷の音のシーンが出ます。雷で始まり、雷で終わりにする。最初と最後のシーンをそろえるのは、映画製作の基本的なパターンなのでしょう。
一戸建ての家で一家皆殺しの殺人事件が起きるのです。長男が、家族6人を刺殺します。
その家が、事故物件として安価で売りに出るのです。大きくて立派な二階建ての家です。そばに湖があるように見えるのですが、作中では、川があると紹介されます。
その家を買ったファミリーが災難に遭う(あう)のです。夫婦とこども3人(男の子2人と女の子1人)、それからワンちゃん(犬)が1匹います。
夫婦のふたり劇を中心軸にして、キリスト教の神父とか、警察、親族、友人などがからんできます。
現実と過去(殺人事件のようすと呪われた(のろわれた)過去です。家が建っている土地に暗い歴史があったのです)が、交互に映像で出てきます。
悪魔の憑依(ひょうい。のりうつり)があります。
神父の祈りがあります。
あんまり、コワイとは思えません。
日記のように、時系列の順番で出来事が紹介されていきます。
規則的なので、先が読めて、退屈です。正攻法なのでおもしろくないのか。宗教色が強い。魔女狩り裁判、悪魔崇拝、生贄(いけにえ)、エネルギーは形を変えて蓄積(ちくせき)される。十字架をかざして立ち向かう。
夫はそれほど悩むことでもないことで悩みますし、妻は悪い夢を見て夜中に叫びます。
しかけは単純です。
車のハンドルがうまく動かなくなる。ハエがたかる。お札が消える。鍵がないのにドアがあかなくなる。窓が突然締まる。なにもかもが古い。ダイヤル式電話機、パタパタと時刻表示の数値が変わる時計など。細工の規模が小さいので、今となっては迫力がありません。
観ていて楽しい映画ではありません。なんだかつまらない。理屈が成立しない話の運びです。
<あの家には、邪悪(じゃあく。人の道からはずれている)なものが棲みついている(すみついている)>ホラーハウスです。
神父は熱演です。(観ていて、がんばれと応援したくなります)
地下室になにかある。
井戸が悪魔の通り道。
(こんな家、買うんじゃなかったな。不動産を買う時はよく考えたほうがいい)
(そして映画は、家族がお化け屋敷から引っ越しをして終わりました。あっけなかった)
2024年12月04日
エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年
エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年(昭和59年) 91分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
そして今回は、『エルム街の悪夢』を観てみました。ちょっとこどもっぽかったかな。
女子高校生ふたり、男子高校生ふたりの合計4人が犠牲者になります。
夢の中に鉄の爪(刃物)をもった気持ちの悪い、は虫類みたいなおじさんが出てきて攻撃してくるのです。おじさんのお名前が、『フレディ』です。フレディがやって来るのです。
女子高校生の名前が、『ナンシー』と『ティナ』、男子高校生の名前が、『ロッド』と『グレン』で、ナンシーのパパは警察官です。
では、時系列の順番に感想です。
危険な爪をもつおじさんは、さいしょは、わたしにとっては、プロレスラーのイメージでした。
たしか、そういうプロレスラーがじっさいにいました。
『フリッツ・フォン・エリック 1997年(平成9年)68歳没 アメリカ人 身長193cm』
だけど、映画を観たら、化け物は、エリックさんには似ていませんでした。
わたしは、ホラー映画を始め、各種映画をつくり手の立場になって観ます。
だから、残虐シーンがあっても気持ちが悪いなあとは思いますが、怖くはありません。
なぜなら、撮影中、監督が、『カーット』と声をかけると、死んだはずの役者さんが生き返って、『さあ、休憩休憩、おやつは、何食べる?』とか話していると想像するのです。
だから、怖くないのです。
映画の映像のほうは、恐怖感を演出します。
映像が暗い。影があって、光があります。赤い血も出てきます。
恐怖を強調する。
観ている人を怖がらせるために、不安をあおる音と音楽が流れます。
眠っているときに殺人行為があるそうです。
たまたま今わたしが読んでいる本が、『儚い羊たちの祝宴(はかないひつじたちのしゅくえん) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 新潮文庫』で、最初の短編、『身内に不幸がありまして』で、眠っているときに夢見るように殺人行為をする人物が出てきます。縁がありました。本と映画の内容が重なりました。
刃物の爪で、布を引き裂く。
叫び声が響きます。女の人の叫び声なのか、あかちゃんか、ネコが鳴く声にも聞こえます。
まあ、夢の中のことなんですけどね。目が覚めると、体の一部が切られて、出血があったりもするのです。
まあ、若い男女ですから、エロい話もあります。盛りがついた高校生男女です。元気がいい。
黒電話(加入電話)の時代です。
ファッションもなつかしい服装です。
いつでも、怖いものを見に行くときは、男が先頭にさせられます。(女子はうしろです)でも、女子よりも気が弱い男子はいます。
しょせん夢の中のことか…… そのへんが、表現として、中途半端でした。現実と夢が交錯するのですが、いまいち明瞭な線引きがありませんでした。
舞台は、つくったセットであることがわかります。
化け物のフレディおじさんがですね、弱そうなのです。
こちらが、武器を持って、闘えば勝てそうなヨロヨロのおじさんなのです。フレディおじさんは、ムダに、両手が長かったりもするのです。まあ、おじさんは、おばけです。
そんなふうにフレディおじさんをばかにしながら観ていたら、女子の体がベッドの上に浮いて回り出しました。うわー、エクソシストみたい。
たいへんだーーー
どこまでが夢なのかよくわかりません。
現実と空想が入り混じっています。
ナンシーの母親が、母親に見えません。(若い)。母親はどうもアル中のようです。
『見えない力』が強調されますが、そんなものはこの世にはありません。
こどもじみている。こどもっぽい。
キモイ。は虫類のようなバケモノフレディおじさんです。
爪がとんがっているというか、刃物を指にくくりつけている。
刃物は、親指には付いていない。ほかの4本の指に付いている。
あの程度の武器なら怖くない。
どうしてこうなっているのか(夢の中のバケモノの行為で体が傷つく)原因を突き止めて、フレディおじさんと闘わねばなりません。
まあ、シンプルな台本ではある。
緩急(かんきゅう。強く弱く)を繰り返す進行が続きます。
やりたい放題の構図です。
ドリフターズか、志村けんさんのギャクコントのようでもあります。
女の幽霊は、こっけいで、笑えました。
逃げてばかりではダメだ。
闘うのだ。
あんがい勝てそうです。
あんがい、相手は弱いに違いない。
母と娘が対立するのですが、理由がわかりませんでした。
母親はフレディを知っていたというのが種明かしでした。
昔実在した殺人鬼だったそうです。町の人たちでやっつけて死んじゃったそうです。
厚みがない話です。
まあ、すごいシーンもあります。映画です。
だれかのセリフです。『(けが人を運ぶ)担架(たんか)よりも、(血の海を掃除するための)モップが必要だ』。
最後は、じょうずな終わりかたでした。
恐怖度指数はそれほど高くはありませんでした。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
そして今回は、『エルム街の悪夢』を観てみました。ちょっとこどもっぽかったかな。
女子高校生ふたり、男子高校生ふたりの合計4人が犠牲者になります。
夢の中に鉄の爪(刃物)をもった気持ちの悪い、は虫類みたいなおじさんが出てきて攻撃してくるのです。おじさんのお名前が、『フレディ』です。フレディがやって来るのです。
女子高校生の名前が、『ナンシー』と『ティナ』、男子高校生の名前が、『ロッド』と『グレン』で、ナンシーのパパは警察官です。
では、時系列の順番に感想です。
危険な爪をもつおじさんは、さいしょは、わたしにとっては、プロレスラーのイメージでした。
たしか、そういうプロレスラーがじっさいにいました。
『フリッツ・フォン・エリック 1997年(平成9年)68歳没 アメリカ人 身長193cm』
だけど、映画を観たら、化け物は、エリックさんには似ていませんでした。
わたしは、ホラー映画を始め、各種映画をつくり手の立場になって観ます。
だから、残虐シーンがあっても気持ちが悪いなあとは思いますが、怖くはありません。
なぜなら、撮影中、監督が、『カーット』と声をかけると、死んだはずの役者さんが生き返って、『さあ、休憩休憩、おやつは、何食べる?』とか話していると想像するのです。
だから、怖くないのです。
映画の映像のほうは、恐怖感を演出します。
映像が暗い。影があって、光があります。赤い血も出てきます。
恐怖を強調する。
観ている人を怖がらせるために、不安をあおる音と音楽が流れます。
眠っているときに殺人行為があるそうです。
たまたま今わたしが読んでいる本が、『儚い羊たちの祝宴(はかないひつじたちのしゅくえん) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 新潮文庫』で、最初の短編、『身内に不幸がありまして』で、眠っているときに夢見るように殺人行為をする人物が出てきます。縁がありました。本と映画の内容が重なりました。
刃物の爪で、布を引き裂く。
叫び声が響きます。女の人の叫び声なのか、あかちゃんか、ネコが鳴く声にも聞こえます。
まあ、夢の中のことなんですけどね。目が覚めると、体の一部が切られて、出血があったりもするのです。
まあ、若い男女ですから、エロい話もあります。盛りがついた高校生男女です。元気がいい。
黒電話(加入電話)の時代です。
ファッションもなつかしい服装です。
いつでも、怖いものを見に行くときは、男が先頭にさせられます。(女子はうしろです)でも、女子よりも気が弱い男子はいます。
しょせん夢の中のことか…… そのへんが、表現として、中途半端でした。現実と夢が交錯するのですが、いまいち明瞭な線引きがありませんでした。
舞台は、つくったセットであることがわかります。
化け物のフレディおじさんがですね、弱そうなのです。
こちらが、武器を持って、闘えば勝てそうなヨロヨロのおじさんなのです。フレディおじさんは、ムダに、両手が長かったりもするのです。まあ、おじさんは、おばけです。
そんなふうにフレディおじさんをばかにしながら観ていたら、女子の体がベッドの上に浮いて回り出しました。うわー、エクソシストみたい。
たいへんだーーー
どこまでが夢なのかよくわかりません。
現実と空想が入り混じっています。
ナンシーの母親が、母親に見えません。(若い)。母親はどうもアル中のようです。
『見えない力』が強調されますが、そんなものはこの世にはありません。
こどもじみている。こどもっぽい。
キモイ。は虫類のようなバケモノフレディおじさんです。
爪がとんがっているというか、刃物を指にくくりつけている。
刃物は、親指には付いていない。ほかの4本の指に付いている。
あの程度の武器なら怖くない。
どうしてこうなっているのか(夢の中のバケモノの行為で体が傷つく)原因を突き止めて、フレディおじさんと闘わねばなりません。
まあ、シンプルな台本ではある。
緩急(かんきゅう。強く弱く)を繰り返す進行が続きます。
やりたい放題の構図です。
ドリフターズか、志村けんさんのギャクコントのようでもあります。
女の幽霊は、こっけいで、笑えました。
逃げてばかりではダメだ。
闘うのだ。
あんがい勝てそうです。
あんがい、相手は弱いに違いない。
母と娘が対立するのですが、理由がわかりませんでした。
母親はフレディを知っていたというのが種明かしでした。
昔実在した殺人鬼だったそうです。町の人たちでやっつけて死んじゃったそうです。
厚みがない話です。
まあ、すごいシーンもあります。映画です。
だれかのセリフです。『(けが人を運ぶ)担架(たんか)よりも、(血の海を掃除するための)モップが必要だ』。
最後は、じょうずな終わりかたでした。
恐怖度指数はそれほど高くはありませんでした。
2024年12月03日
13日の金曜日 ホラー洋画 1980年
13日の金曜日 ホラー洋画 1980年(昭和55年)公開 1時間35分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
今度は、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
タイトルは、昔よく聞いたフレーズです。宗教が由来なのか、13日の金曜日満月の夜に恐ろしいことが起きるのです。
場所は、クリスタルレイク:呪われた(のろわれた)キャンプ場です。コテージ(小屋)に泊まります。
犠牲者は、若い男女のグループです。
時代は、1958年(昭和33年)です。
さあ、連続殺人が始まりました。
夜は部屋の中、みんなで輪になって、ギターを伴奏にしながら、フォークソングを歌います。
まあなんというか、さかりのついた元気で健康な若い人たちです。
カップルが複数います。
<ひとりずつ殺されていくのだろうか(殺されていきます)>
加害者の姿は、映像にはなかなか出ません。
加害者の視線で観える映像で殺人が進行していきます。
心をかきむしる音楽が流れ続けます。
シンプルな演劇のような始まりと流れです。
実体のある事件を、『呪い(のろい)』のせいにします。少年が池で溺死した。助けてもらえなかった少年の無念が、怨念(おんねん。復讐心。うらみ)になって、キャンプ場に遊びに来る客の命を奪い続ける。
頭のオカシイ人が何人か出てきます。おとりです。真犯人ではありません。
音楽と犯人目線の映像、そして逃げる若い女性の姿で、怖さを表現します。
殺し方もむごい。
連続殺人犯の犯行です。
<視線による恐怖感の演出>があります。
犯人はだれだろうか。
『お~れは、神の使いだ』という男性老人が現れます。
不謹慎(ふきんしん。ふまじめ)ですが、わたしは、この世に神さまはいないと思っている人間なので、あなたが(男性老人が)神の使いであるはずがないと冷ややかに(ひややかに)男性のお年寄りを見てしまいます。(自分もお年寄りですが……)
長い間生きてきてわたしは気づいたのです。神さまや仏さまにすがるような気持ちでお参りをしたことがこれまでに何度もありましたが、老いてみて、この世には神さまというものはいないのだとわかったのです。『神さまというものがいる』ということにしておけば、都合がいいということが多々あるのだということに気づいてしまったのです。
わたしは知ったのです。困難にぶつかったときは、神さまに頼らずに、自分でがんばるしかないのです。自分自身が神さまなのです。わたしは神だーーー わたしならできる!
映像は急に天気が悪くなって嵐の風雨が始まりました。
カップルで観る映画なのでしょう。怖くなったら、お隣に座っている異性のお手手(おてて)をぎゅっとにぎるのでしょう。
モノポリーというゲーム:ボードゲーム。人生ゲームみたいでした。相手を破産させるらしい。映画では、負けると服を脱ぐのです。大昔、お笑いコンビのコント55号(欽ちゃんと二郎さん(萩本欽一&坂上二郎))がテレビでやっていた野球拳(やきゅうけん)を思い出しました。ジャンケンで負けたら服を脱いでいく罰ゲームなのです。(今思うと、よくあんなことテレビで放送できました)映画のなかの男女は楽しそうに服を脱いでいきます。まあ、カップル向けの娯楽恐怖映画です。
ちょっと怖いシーンあり。(じょうずです)
キモイ。(でもじょうずです)
間(ま)をつくって映画鑑賞者に恐怖心を芽生えさせる。
不穏(ふおん。おだやかではない)な空気になる。
むごいシーンが飛び出てくる。(映画鑑賞者を恐怖におとしいれる)
最後はどうまとめるのだろうか。
犯人を退治して完了だろうか、それとも全員死亡だろうか。
こういう映画の場合、悪は生き続けたほうがいい。
(まあ、映画はそのような、予想した流れになりました)
警察を呼ぶけれど、警察は頼りにならない。
警察の仕事内容は、事後処理をすることがメインの仕事です。記録を残しておくだけです。
13日の金曜日、満月の夜には、殺人事件が起きなければならないのです。
いずれも『死』のシーンが一瞬です。短時間です。
もう少し長く引っぱるほうが効果的なのに。
(わたしは、つくり手の立場で映画を観る人間です)
そうか、13日の金曜日はだれかさんの誕生日だそうです。
そういう動機か。
最後のほうは、遊園地のお化け屋敷状態です。
刑事ドラマ、『相棒』みたい。動機は、『復讐』です。
この映画を観たときに観ていたNHK土曜ドラマ、『3000万』のフライパン振り回しシーンに似たシーンが出てきました。
フライパンみたいな形状のものは武器になるのです。
こういう終わり方か。
自分のことは自分で守る。
アメリカ合衆国らしい意識の持ち方でした。だから銃社会なのです。
助けは来てくれないから、自分が勇気をふりしぼって、敵に立ち向かっていく。
この形で終わったら、物足りない。
(もうワンシーンありました)
もう45年ぐらい前の映画です。
あのころの時代背景がなつかしい。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
今度は、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
タイトルは、昔よく聞いたフレーズです。宗教が由来なのか、13日の金曜日満月の夜に恐ろしいことが起きるのです。
場所は、クリスタルレイク:呪われた(のろわれた)キャンプ場です。コテージ(小屋)に泊まります。
犠牲者は、若い男女のグループです。
時代は、1958年(昭和33年)です。
さあ、連続殺人が始まりました。
夜は部屋の中、みんなで輪になって、ギターを伴奏にしながら、フォークソングを歌います。
まあなんというか、さかりのついた元気で健康な若い人たちです。
カップルが複数います。
<ひとりずつ殺されていくのだろうか(殺されていきます)>
加害者の姿は、映像にはなかなか出ません。
加害者の視線で観える映像で殺人が進行していきます。
心をかきむしる音楽が流れ続けます。
シンプルな演劇のような始まりと流れです。
実体のある事件を、『呪い(のろい)』のせいにします。少年が池で溺死した。助けてもらえなかった少年の無念が、怨念(おんねん。復讐心。うらみ)になって、キャンプ場に遊びに来る客の命を奪い続ける。
頭のオカシイ人が何人か出てきます。おとりです。真犯人ではありません。
音楽と犯人目線の映像、そして逃げる若い女性の姿で、怖さを表現します。
殺し方もむごい。
連続殺人犯の犯行です。
<視線による恐怖感の演出>があります。
犯人はだれだろうか。
『お~れは、神の使いだ』という男性老人が現れます。
不謹慎(ふきんしん。ふまじめ)ですが、わたしは、この世に神さまはいないと思っている人間なので、あなたが(男性老人が)神の使いであるはずがないと冷ややかに(ひややかに)男性のお年寄りを見てしまいます。(自分もお年寄りですが……)
長い間生きてきてわたしは気づいたのです。神さまや仏さまにすがるような気持ちでお参りをしたことがこれまでに何度もありましたが、老いてみて、この世には神さまというものはいないのだとわかったのです。『神さまというものがいる』ということにしておけば、都合がいいということが多々あるのだということに気づいてしまったのです。
わたしは知ったのです。困難にぶつかったときは、神さまに頼らずに、自分でがんばるしかないのです。自分自身が神さまなのです。わたしは神だーーー わたしならできる!
映像は急に天気が悪くなって嵐の風雨が始まりました。
カップルで観る映画なのでしょう。怖くなったら、お隣に座っている異性のお手手(おてて)をぎゅっとにぎるのでしょう。
モノポリーというゲーム:ボードゲーム。人生ゲームみたいでした。相手を破産させるらしい。映画では、負けると服を脱ぐのです。大昔、お笑いコンビのコント55号(欽ちゃんと二郎さん(萩本欽一&坂上二郎))がテレビでやっていた野球拳(やきゅうけん)を思い出しました。ジャンケンで負けたら服を脱いでいく罰ゲームなのです。(今思うと、よくあんなことテレビで放送できました)映画のなかの男女は楽しそうに服を脱いでいきます。まあ、カップル向けの娯楽恐怖映画です。
ちょっと怖いシーンあり。(じょうずです)
キモイ。(でもじょうずです)
間(ま)をつくって映画鑑賞者に恐怖心を芽生えさせる。
不穏(ふおん。おだやかではない)な空気になる。
むごいシーンが飛び出てくる。(映画鑑賞者を恐怖におとしいれる)
最後はどうまとめるのだろうか。
犯人を退治して完了だろうか、それとも全員死亡だろうか。
こういう映画の場合、悪は生き続けたほうがいい。
(まあ、映画はそのような、予想した流れになりました)
警察を呼ぶけれど、警察は頼りにならない。
警察の仕事内容は、事後処理をすることがメインの仕事です。記録を残しておくだけです。
13日の金曜日、満月の夜には、殺人事件が起きなければならないのです。
いずれも『死』のシーンが一瞬です。短時間です。
もう少し長く引っぱるほうが効果的なのに。
(わたしは、つくり手の立場で映画を観る人間です)
そうか、13日の金曜日はだれかさんの誕生日だそうです。
そういう動機か。
最後のほうは、遊園地のお化け屋敷状態です。
刑事ドラマ、『相棒』みたい。動機は、『復讐』です。
この映画を観たときに観ていたNHK土曜ドラマ、『3000万』のフライパン振り回しシーンに似たシーンが出てきました。
フライパンみたいな形状のものは武器になるのです。
こういう終わり方か。
自分のことは自分で守る。
アメリカ合衆国らしい意識の持ち方でした。だから銃社会なのです。
助けは来てくれないから、自分が勇気をふりしぼって、敵に立ち向かっていく。
この形で終わったら、物足りない。
(もうワンシーンありました)
もう45年ぐらい前の映画です。
あのころの時代背景がなつかしい。